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四方田犬彦『七人の侍』と現代――黒澤明 再考 (
岩波新書 )
四方田犬彦
の登場は眩しかった。1980年代の初めころ 「構造と力」(勁草書房)「チベットのモーツアルト」(せりか書房)
の 中沢新一
、 「映像の召還」(青土社)
の 四方田犬彦
というふうに、ニューアカ御三家の一人として登場した。年が一つ上なだけの青年の文章に愕然とした。要するに、繰り返し読んでもわからなかったのだ。
あれから、なんと半世紀近くの時が経ち、久しぶりに彼の映画解説を読んだ。 「『七人の侍』と現代」(岩波新書)
という、いわば、初心者向けの入門・解説本だった。
50年前に、同世代を蹴散らした記述は鳴りを潜め、懇切で丁寧な語り口に笑いそうになった。 四方田犬彦
の上にも時は流れただということを実感した。
一章は黒澤の死をめぐっての個人的な感想ではじめている。そこから「映画ジャンルと化した七人の侍」と章立てして二章に入り、 1960
年にハリウッドのジョン・スタージェスによって、「荒野の七人」(原題 Magnificennt
Sevenn
:気高き七人)としてリメイクされたところから話を始めて、あまたのアジアの映画から果てはアニメ映画「美女戦士セーラームーン」に至るまで、影響関係を解説・紹介したうえで、「七人の侍」という映画が成立した 1954
年という時代背景にたちもどるという展開だった。
1954
後半では戦後社会の新しい観客を前に超大作として登場した作品の内容が俎上にあげられる。
六章、七章では「侍」、「百姓」、「野伏せ」という階層・階級の戦後映画論的な意味を指摘したうえで、まず、個々の「侍」たちの背景を暗示し、個性を強調した演出の卓抜さが論じられる。
続けて、戦乱の中で「百姓」から、浮浪児となったに違いない、「菊千代」が母親を殺されて泣き叫ぶ幼子を抱きしめて「こ、こいつは…俺だ!俺も‥‥この通りだったのだ!」と叫ぶ姿が、 1950
年代の観客に呼び起こしたにちがいないリアリティーと親近感のありか、「農民」の敵として登場する「山岳ゲリラ」、すなわち「野伏せ」たちの描き方に宿る日本映画のイデオロギーに対する批判と、それに縛られていた黒澤の孤独について、それぞれ論じられている。
映画の細部についての言及は、筆者の博覧強記そのままに、さまざまな映画や、歴史資料を参照しながら繰り広げられて、興味深い。さすがは 四方田犬彦
だというのが、ぼくの率直な感想だった。
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