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1945年8月15日 がきました。私は病気でひとりねていて、ラジオの放送で日本の敗戦を知りました。 不良怠学で、日本の小学校高等科を退学になり、英語もできない16歳が 「外人」 としてアメリカで暮らし、日米開戦のために帰国した日本では、敵国から帰ってきた 「外人」 として扱われて暮らした。それが子供たちに、哲学者、 鶴見俊輔 が語った、70年以上も前の思い出話で、絵を描いているのが、不思議な絵柄の 佐々木マキ です。
どうして自分が生きのこったのか、その理由はわかりません。わたしが何かしたために、死ぬことをまぬかれたというわけではないのです。なぜ自分がここにいるのかよくわからないということです。そのたよりない気分は、敗戦のあともつづいており、今もわたしの中にあります。今ではそれが、あたしのくらしをささえている力になっています。
16歳から19歳の終わりまで英語を使ってくらしたので、敗戦までわたしは心の中では英語でかんがえてきました。日本にもどると、「鬼畜米英」(アメリカ人とイギリス人とは人間ではなくて鬼かけものだ)というかけ声がとびかっていて、それはわたしのことだと、いつもおびえていました。負ける時には日本にいたいと思って帰ってきた結果がこういうことでした。
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