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「わかっている私はこういうふうに読んだり見たりするのですが、皆さんには無理ですよね。」 という感じと言えばいいのでしょうか。そういうわけで、ある時期から著作に関心を失っていましたが、数年前に 「伯爵夫人」(新潮文庫) という小説を書いて話題になったので、久しぶりに読みましたが、褒めている人は絶賛なのですが、ぼくには空振りでした。
「そうだ、このまま、電車読書で読んで、半分読めたら乗り換えて帰ろう。」 とか何とか、ヒマに任せて乗っていると、 「緊急警報発令!」 という車内放送で緊急停止するという、あんまり体験できない事件にも出くわしたりして、結局、 鷹取駅 でUターンして帰って、家で読みました。
目次 マア、 「国籍」、「演出」、「歴史」 というテーマで三回やったらしい講演ですから3章立てですが、例えば 第2章 の 「演出」 についてならこんなふうに始まります。
第1章 映画における国籍(国籍という概念、その脆さ:「日本映画」の揺らぎ:成瀬巳喜男『鶴八鶴次郎』における翻案 ほか)
第2章 映画における演出(映画は「男と女と階段」で成立する:単純なショットの組み合わせ:階段の意味するもの ほか)
第3章 映画における歴史(ゴダールの『映画史』―女性たちへの視線:『映画史』の断片を持続によって回復する試み:ゴダールとミュージカル ほか)
優れた映画作家は、 「男と女と銃」 の 「銃」 の代わりに他のものを導入します。実際、一つの要素を置換してみるだけでまったく違った作品ができあがるわけで、例えば 「銃」 の代わりに 「車」 を代入してみると、 「男と女と車」 となります。 ロッセリーニ の傑作 「イタリア旅行(Viaggio in Italia)」(1953) に感動した ゴダール が、 「勝手にしやがれ(A Bout de souffle)」(1959) を撮ったことはよく知られております。また、 「女」 を代入する代わりに 「子供」 を代入すれば大人と子供となり、それを 「車」 と組み合わせてみると、 アッバス・キアロスタミ の傑作 「そして人生は続く(And Life Goes On)」(1992) ができあがります。このように、ごくわずかなものの組み合わせによって映画は成立可能であるという事情を、まずおさえておきたいと思います。(「映画における演出」P67~P68) で、このあと、 ヒッチコック を例にして 「階段」 の映像的な意味について、 「ショット」 とは何かに始まって、これが、まあ、読みだすと止まらなくて、
「ああ、蓮實重彦やなあ。」 といういつもの蘊蓄が続いて、 電車読書 でどんどん読めるのですが、フト、思うのです。例えばの話が、 キアロスタミ の 「そして人生はつづく」 という作品が 「大人と子供と自動車」 でできていると気付いたからと言って、何がどうだというのでしょう。
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