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始めは、ちぎれ雲が浮かんでいるように見えた。浮かんで、それから風に少しばかり、右左と吹かれているようでもあった。
台所の隅の小窓は、丈の高い板塀に、人の通れぬほどの近さで接していた。その曇りガラスを中から見れば、映写室の仄暗いスクリーンのようだった。板塀に小さな節穴があいているらしい。粗末なスクリーンには、幅三メートルほどの小路をおいて北向うにある生籬の緑が、いつもぼんやりと映っていた。
狭い小路を人が通ると、窓いっぱいにその姿が像を結ぶ。カメラ・オブスキュラ ― 暗箱と同じ原理だろう、暗い室内から見ていると、晴れた日はことに鮮やかに、通り過ぎる人が倒立して見えた。そればかりか、過ぎていく像は、実際に歩いていく向きとは逆の方へ過ぎていった。通過者が穴に最も近づいたとき、逆立ちしたその姿はあふれるほどにも大きくふくれあがり、過ぎると、特別な光学現象のように、あっという間にはかなく消えた。
ところが、その日あらわれたちぎれ雲の像は、なかなか過ぎようとしなかった。それでいて、穴に近づいてきてもさほど大きくならなかった。いちばんふくれあがっているはずの地点にあっても、窓の上部で、掌に載るほどの大きさにとどまっていた。ちぎれ雲はためらうように道にたゆたい、それから、ようやくかすかな啼き声がした。 (P7~P8)
昼は昼で、チビは梅の花びらを背につけたりしながら、ハナアブを叩き、トカゲを嗅ぎ、精気と渾沌の萌しはじめた庭で遊びつづけた。 この後、そこでは作品名しか出てきませんが、旧知であると思われる版画家との対談の話題とかが、まあ、ちょっと、ペダンチックに語られたりするわけですが、そこで話題にされている作品がこの表紙なわけです。
突然の木登りは、稲妻に化けたようであった。稲妻はたいがい上から下へ走るものだが、この稲妻は下から上へも走ったわけである。チビが電撃的な動きで柿の木に登るの、件のノートの中で「稲妻の切尖のように」と妻は書き留め、また、「雷鳴を起こす手伝いをするように」とも言い換えたりした。なるほど、そんな感じがした。 (P87~P88)
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