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「草の背を乗り継ぐ風の行方かな 天上寺跡?」
徘徊日記 2023年8月25日(金)その5 灘区・上野道あたり
摩耶山
を、少し下って、やって来たのは 天上寺跡の廃墟
です。 摩耶山天上寺
と呼び慣れていますが、正式には 忉利天上寺(とうりてんじょうじ)
ですね。釈迦の母、 摩耶夫人
を祀ったお寺の跡地です。
ボクはその頃学生で、ちょうどこの山の下、 西灘の水道筋
あたりに暮らしていましたが、このお寺が焼けました。全焼です。闇の中に煙が立ち登り火炎がゆらめいたのを覚えています。 1976年
のことです。
で、今では 摩耶山
の山頂の北に再建されて、ここは 廃墟
です。首から折れた 石灯篭
がありました。
青空
の向うには 青い海
が見えます。
本堂の跡地
はこんなふうでした。
向うに、道をふさいで倒れていた 巨木
が見えます。少し大きく撮るとこんな感じです。
向うが、今、下ってきた 摩耶山
です。
「お百度石」
がポツンと、所在なげに立っていました。
手水場
の水受けかなにかでしょうか。
ちょっと腰かけて、一服です。海と町が一望です。
もう、 40年以上も昔
、ボクはここから見える 大学
をなんとか卒業して、ここからでは、チョット彼方に見える 県立高校
の教員になりました。初めて担任したクラスに 「マヤちゃん」
という はっちゃけ少女
がいて、 摩耶山
の麓に住んでいました。ここのすぐ下あたりです。
三者面談
だったかにやって来たお母さんにお出会いして、腰を抜かしそうになりました。写真でお顔だけは知っていた 「鏡のテオーリア」
の 著者
、 ユルスナール
の 翻訳者
、で、 詩人
の 多田智満子さん
、ご当人が目の前に登場なさったのでした(笑)。
「なんで、 カトウ のおかんが、 タダ やねん?! 💦💦」 危うく叫びそうだったことを覚えていますが、生涯で、最も緊張した 三者面談 でした(笑)。
草の背を 乗り継ぐ風の 行方かな 亡くなられて 20年 経ちますね。御命日は 風草忌 というそうですが、その所以の句だそうです。なぜか覚えて句が浮かんできました。
多田智満子
な、なんなんだ、この石段は!? いよいよ、本格的な下り道です。 たかが摩耶山と笑うなかれ! 一人で歩いていることに、本気で不安が湧き上がる、オタオタ、ひょこひょこの徘徊体験、つづきは その6 です。
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