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この花はシャガ。アヤメ科。山肌に群生しているシャガを見つけると、ついついその場に佇んでしまう位に、わたしの大好きな花の一つである。写真は亡き母が自宅の庭に植えていたものを、叔母の葬儀で帰省した時に撮った一枚。母はとにかく植物も動物もこよなく愛した人である。我が家には、猫も犬もうさぎも小鳥もいつもその辺にいた。でもわたしは動物は大の苦手で、愛情を注ぐことが出来なかった。というのも、幼い頃に可愛がっていた子犬を交通事故で失って、あの時の辛さがトラウマとなっている。こんなに辛いのなら二度と愛情を注ぐまいと、固く誓ったことは今でも鮮明に記憶している。さてその母が庭に残した草花は、今でいうガーデニングとは程遠く、近所の人や知人から譲られたものが所狭しと植えられていた。動物は苦手なわたしも、草花は母のうんちくを聞きながら割合一緒に植えていたことを思い出す。この一枚を撮った時、庭には大きな泰山木があった。その木で日陰になった辺りにシャガは群生し、都忘れやとくさが記憶の中で鮮やかによみがえる。そこはわたしの大好きな庭の一角であった。ところが、泰山木も伸びすぎて誰も住まなくなった家には危ないからと、兄が切ったそうだ。それから一度も実家に帰ってないので、わたしの記憶はまだ上書きされてなくて、このシャガが咲いていた頃の庭が浮かび、大好きな母とのこの上ない至福のひとときは、今でもわたしの何よりの宝物でなのである。
2016年04月24日
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14年前のこの季節、長姉夫婦、次姉、わたしの四人で北海道の旅を楽しんでいた。 次女の大学の入学式も終えたばかりで、もうこれからは遊ぶぞーとばかりに初めての北海道を満喫する予定が、身体に異変が起きたのである。 急に足が痛くなり、歩けなくなった。楽しいはずの観光地で足を引きながら、時には観光バスに残っていたりとほとんど旅行を堪能できなかった。今思うと、北海道の印象を聞かれてもまるで記憶がないくらいの散々な旅であった。 行くまでのわくわくする気持ちは吹っ飛んでしまって、とにかく訳もなく体中が痛むのだった。 そして帰宅した翌日、会社の昼休みに戻った自宅の留守番電話から、我が家の悲劇が始まったのである。 それは本当に長く苦しい試練の始まりだったのであるけれど、わたしの身体の異変はまるでそれを予知していたかのように痛み出し、試練が始まった瞬間に痛みは消え去ったのである。 足を一歩踏み出しただけで体中を激痛が走ったのに、嘘のようにその痛みは去った。 その代わりに、絶望と言う名の激痛と共に、奈落の谷底に突き落とされたのだ。 当時、もう二度とわたしの顔に笑顔は戻らないだろうと思ったし、現在命が存続していることが不思議なくらいの重さでのしかかっていた。 でも、とてつもなく辛い日々だったけれど、今、日々を笑って過ごしている。 これは努力した結果なのか、そうではなくて奇跡が起こったのか、そのどちらとも言えないが、元気に生きている。 その記憶をわたし自身が風化させないために、ここに記しておきたいと思う。 わたしはその日を、魔の4月18日と呼んでいる。
2016年04月17日
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