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昨日は一人で北鎌倉を歩いた。 あまりの好天気に誘われて、そそくさと支度をしてデジカメ片手に家を飛び出した。 他に予定があり、あまりゆっくり散策をする時間がないので、ひとまず北鎌倉限定だ。 コースは今の時季だと東慶寺の梅だろうな、とまずはそこへ向かったが、北鎌倉で下車した観光客の多くは、円覚寺方向へと向かっていた。 そういえば、亡き母と最初で最後の鎌倉散策はこの東慶寺であった。 父を亡くした年の寒い寒い三月に、葬儀で里帰りしていたわたしと生後七ヶ月の長女を送り届けてくれた際に、立ち寄ったのだ。 今にして思えばもっと母と旅をしておくのだった、と悔やまれるが、後にも先にもこの鎌倉のほかには、万博の年に行った京都旅行だけであった。 経済的余裕のない時代だったのだ。 東慶寺の境内は、霜柱が地面を盛り上げたところを太陽に出くわしたという感じでぬかるんでいたので、注意深く石畳の上を歩いた。 こちらの蝋梅はすでに終わっていて、今まさに紅白の梅が咲こうと蕾を膨らませていた。 次に、最近好きだなぁと思うようになった明月院を目指して横須賀線の踏切を渡った。 明月院といえば紫陽花で有名な寺であるが、その季節は観光客で溢れかえっていて紫陽花を観賞するというには、人の頭や傘が多すぎるので、わたしはついつい敬遠してしまうが本当に手入れの行き届いた寺である。 四季折々どの季節も好きだけど、観光客が少ない今の季節が特に好きなのだ。 折りしも、北条時頼坐像を公開中で、初めて拝顔した。 今まで一度も興味を持たなかったのだけれど、御朱印帳を思い立って住職に書いていただいた。その達筆は、やはり惚れ惚れとしたのである。 空はどこまでも青く高く、まだまだ固い白木蓮の蕾が、つんつんと突っついているようだった。 きーんと清んだ冬の空気の中に、馨しい水仙の匂いがした。 思い切り空気を吸い込んで、寺を後にした。
2009年01月18日
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お正月気分もあっという間に終わり(但したった二日間)、普段の生活に戻った。 この調子で今年も始まって終わってしまうのかと思うと、少しもったいない気がする。 今年は、実際の生活のスピードはさておいて、心情的にはゆっくりと日々を味わって暮らしていきたいと思うができるだろうか。 世の中が、今まで生きてきた時間とは明らかに違う時間で、めまぐるしく移ろっていく。 飲み込まれないで平然としていたいけれど、実際にはそうはいくまい。 きっと、多くの人々が「こんなはずではなかった」という思いを募らせるに違いない。 しかしながら、日々を味わうということ、それ自体がゆとりを意味するのだから、暮らしのゆとりも心情的ゆとりも皆無に等しい。 そんな中でも、何かできることはないかと模索している。 せめて、そのための努力はしていきたい。
2009年01月06日
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パソコンを打つ左の肩先に温もりを感じる、そんな穏やかな正月二日目である。 BGMの箱根駅伝の中継に時折耳を奪われながら、それでも今日はちゃんとここに記録しておこうと、その誘惑を断っている。 そういえば、花の二区『権太坂』の沿道で、選手の応援に立ったこともあったけ。 家の頭上をヘリの爆音がするや権太坂を目指すのが、正月二日と三日の我が家の風物詩であったし、時にはその駅伝が目的で泊まりに訪れる遠縁の親戚もいた。 そんなことがもうずっと昔のことで、どれくらい昔のことなのだか今となってはすっかり思い出せないでいた。 一片ずつ積み木を積み重ねるようにして作った家族は脆くも崩れてしまって、義母もその息子である元夫も今ではこの世の人ではない。 いろんな我慢を強いられた結婚生活だったけれど、一体それは何だったのだろうか。 ふと空しい思いに駆られるとき、二人の娘達が言った。 「それを疑問に思う前に、あたし達の存在がその証なのだから、そこんところをよろしく」と笑いながら……。 それはその通りである。 きっと人生というものには、一つの無駄もないのだろう。 今のわたしがあるのは、そういう運命を経てであり、必要不可欠な体験だったはずである。 時折、登山電車のように行きつ戻りつしながら、わたしはわたし自身を諌めてきた。 納得するまでは前進できないという厄介な性質のわたしには、登山電車思考なくしてはやって来れなかった気がする。 友人が言う。 あなたのように楽天的に物事を考えられない、と。 でも、わたしは決して楽天的な方ではない。 むしろ、厭世的で後ろ向きで弱音や毒を吐いてきた。 何しろ局面を脱出するのは、他の誰でもなく己自身なのだから。 ただ、努力は人一倍したかもしれない。 どんな時も己の内面と対峙し、納得させ納得しながら生きてきた。 それが、もしかしたら楽天的な外見を醸し出しているのかもしれないと今思う。 とにかく、こうして二人の娘と笑顔で新しい年を迎えることができた。 これ以上の幸せはないだろう。 今年も身の丈の幸せを幸せと思い、健康を第一に穏やかに暮らせたらと願う。
2009年01月02日
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