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昨日鉢に植えたミニトマト、イチゴ、葉っぱ類。 朝5時前に目が覚めて、ドキドキしながらベランダへ。 ミニトマトは土の近くの枝が少し萎れているものの、主茎の葉っぱはマァ元気。アイコは花が2輪咲いていて、シュガープラムは葉がアイコより厚いからはっきりしないけど、土の近くの2本の枝は元気がない。 ホームセンターの安い苗を買ってしまって、近所の花屋の苗の値段は390円。100円ケチったばかりにドンドン心配になる。私がミニトマトの傍にいたからって元気になるわけでもないけれど、いつへたってしまうかと心配で出かけられず。 今日は昨日より気温が低いけど、晴天なのでシーツやらカーテンやらいつもは洗いにくい大きなものをドンドン洗う。湿度が低いのでレースのカーテンなどは1時間もかからず乾いてしまう。ついでの窓の雨戸洗い、ガラス磨き、冬用のカーペットを片付けるなどふだん全くしない家事を片付けて行く。 テレビを見る心の余裕もなく、久しぶりにFMをききながら家事を片付けて行く。 お昼前には、カーテンが乾きカーペットの洗濯も終わる。 軽く昼食を済ませて、近くのホームセンターに買い物に行く。今年はグリーンカーテンを作りたいので、明日にでも種まきをして(朝顔は決まり)、後はどうしようかと苗売り場をみてみるとゴーヤノ苗が何種類もあるし、オカヒジキという野菜はつる性なんだとか。朝顔はきれいだけれどね。どうせなら食べられるものがよいか、まだ結論は出していないけれど。 プランターは買うものを決めたけど重たいので今日は買わず。その代り野菜用の臭わない肥料とか弦ものネット、液体肥料、「1~3カ月で収穫できる野菜作り」という本も購入。ぺらぺらと斜め読みしてみると野菜をつくるならきちんと勉強しないとダメだなぁッとため息。野鳥の害と葉っぱが枯れることばかり心配していたけれど、病虫害もあるそうだし。 お休みの日にテレビを全くつけずに過ごしたのは久しぶり。こんなに家事に集中したのも。 買い物から帰ってくると、ミニトマトの土の近くの枝や葉っぱはやっぱり元気がない。「根岸農園」さんのブログにはミニトマトの栽培の仕方が懇切丁寧に整理されている。苗を購入する前に、このブログをしっかり読んでおけばよかったかな、と後悔。 もし昨日植えた苗が育たなかったら、やっぱり近所の花屋さんの390円の苗を買おうかな。同じ鉢の土を使い回しできるものだろうか。生憎、水曜日はこの花屋さんは定休日。普段の営業時間は9:30~18:00だから、仕事帰りでは間に合わないし。GW後半は仕事だしね。 ミニトマトがどうなるやら、しばらくは心配が解消されそうもない。 料理で使った大根の根元を少し厚く残して、水耕栽培を始めたのが野菜作りのきっかけになったのだけど、ベランダの野菜がこんなにも喜びやら心配やらを与えてくれるものとは。何かを育てるって楽しいことですね。
2015年04月29日
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冬の間にブロッコリーやスナップエンドーの苗を鉢に植えて、残念ながらヒヨドリに葉っぱを食べられて、ブロッコリは花だけに、スナップエンドーは10粒ほど実をつけた。 続いて、パセリを二株大きな鉢に植えてみたらどんどん成長している。パセリはお料理についてくれば食べることは食べるけどそう好きな野菜ではない。 ここ数年夏になってもトマトは少しも安くならないし、いっそミニトマトをプランターで育ててみようと苗を二つ買ってきた。鉢も土も支柱もあるのだけれど何となく気乗りしないで苗を買ってきてから今日で三日目。たまたま今日明日は連休なので、お昼前にその木になって植え替え作業をした。途中土が足りなくなって近所の花屋さんに言って訊いてみると、この時期植え替えは夕方行って次の朝まで慣れさせるのが良いという。 トマトもイチゴもイタリアンパセリ、マスタードグリーンなど皆萎れ気味で元気がない。苗を買ってからすぐ植えないので水を毎日足してしまったのも良くなかったよう。 真夏日や猛暑日など真夏に花や野菜を枯らさない方法をきいたところ、ベランダの鉢の中は水が太陽の熱で60度とか温度が上昇してそのために花が枯れてしまうのだという。日よけをしたり鉢に段ボールを蒔いて鉢の中の水が高温なにならないように注意しないとベランダ園芸品は夏を越せないのだという。鉢もプラスチィックより重たくても素焼きのものがお勧めだという。 虫よけにラベンダーの鉢も買ったのだけれども、ラベンダーは夏は半日陰で風通しが良いところで育てないとダメと。 ゴールデンウィークはずっと働く予定だけど、グリーンカーテンの準備や夏の日差しよけ、クーラーを使わないですむ手立てを始めなくっちゃ。 夕方になって日射しが弱くなって少し涼しくなってきた。 今晩のうちにトマトやイチゴが復活して、明日の朝は元気な姿を見せてほしい、な。
2015年04月28日
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ここ2週間余り、心不全の末期の方とか癌で積極的な治療は望まないので自宅で過ごしたい、といった患者さんが続々と訪問看護の新規の利用者として登録されてきた。高齢者なら、皮膚は乾燥し、廃用症候群が進行するので筋力の低下、自力で体位交換が出来ない、痩せて骨が突出している、栄養状態が不良、一人暮らしならおむつ交換や体位交換は一日数回などケア回数がすくないなどの褥瘡のリスクが非常に高い。そんな患者さんの訪問看護を開始しても、褥瘡予防のスキンケア、オムツ内を蒸れないようにする工夫、エアマットやベッド操作の方法など、褥瘡を予防するための様々な工夫を本人にも家族にも説明し出来るだけ早期に必要なケア方法を家族に診につけていただけなければ早晩褥瘡は発生し、あっという間に皮膚潰瘍から皮膚の下の腱や骨までも到達してしまう。どんな方が褥瘡のリスクが高いかなんてことは訪問看護師としては常識の範疇に入る知識なのに、一向に同僚のケアが改善しない。自分に知識が無いとしたら他の同僚に尋ねてとりあえず必要なケアを的確に行い、さらに自己学習をして根拠となる知識を確実にして、家族にも本人にも褥瘡を治していく知識や技術を伝えてほしいのに、ただ訪問に言った時だけ一人でケアをして帰ってくる。こんなケアをしていると褥瘡は治るどころか悪化して褥瘡が化膿して積極的に排膿をしない限り、体力が弱っている高齢者は敗血症から多臓器不全になって命を落としかねない。褥瘡が悪化してから急に慌ててケアの回数を増やしたところで、完全に治癒するまで数カ月はかかってしまう。そういう経過をたどることは承知のはずなのに、病棟医療しか経験のない看護師は、自宅療養している方の介護力や必要な知識があるか、適切な介護ができていないのは何が原因かアセスメントもせず、処置だけして帰ってくるのだ。褥瘡が発生したり、悪化するのはそれ相応の原因が患者さんの暮らしの中に潜んでいるもので、そのことを解決しなければ在宅療養で褥瘡は治癒しない。昨日訪問した二人の方は、一人は末期がんの方。胃がんで幽門が狭窄しているために食べたものが省庁に移行していかないので食事摂取量が極端に少ない。痩せて仙骨とか、腸骨、背骨、坐骨などが突出している。でも予防的なことは何もされていなかった。こんな同僚にただ苦情を並べ立てても仕方ないので、褥瘡予防についてアセスメント、予防的スキンケア、褥瘡のレベルのよる治療方法の選択など学習会を開かないと行けないのだ、と痛感した。分からないこと、出来ないことを自覚し自己学習するという専門職としての最低限の努力をしないまま、「私は覚えが悪いから」とか、「褥瘡の勉強は気が進まない」「褥瘡の処置は今まであまりしてこなかった」と口にするなら、利用者さんの状態を良くするために自己学習をすべきなのに、そういう自分を放置していく。こういう専門職として自覚に欠け努力をしない同僚に対しても諦めもあるが怒りがやっぱり湧いてくる。今の職場、どうしてこういうことになってしまったんだろう。
2015年04月28日
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この半年間に新入職員が二人になったのに、その一人はもう病欠。もう一人は毎日同じもので仕事をしているので、就労時の被服費が経費として支払われたか?と尋ねたら、オリエンテーションでは被服費の支払いについて説明が無く、就職時に新たに購入した被服について支払いはあるかと尋ねたところ領収書が無いとお金は出せないと言い、しかも本人が領収書を保存しておくように言われてないので破棄したと答えたところ「じゃぁ、夏服のときにお金を出すわね。」って平気で答えたという。 自分も今の職場に異動してから被服費を経費として支払いを受けたのは一回だけ。 訪問看護は厳冬期も熱帯夜の夏も外に出かけて仕事をするので四季に応じてシャツやらズボンやら上着、帽子、手袋、靴、防寒着などが必要になる。紫外線を浴びると白内障のリスクが高まるので、GW前からサングラスは必須になるし、風が強い日はほこりよけのメガネなど気候に合わせて色々な小物を用意しないと健康を保てないし。最低気温が零下になる雪の日は、防寒と防水を兼ねた手袋をはめないと手がかじかんで自転車運転も危険になるし、冷たい手は患者さんに嫌われる。 病院勤務の職員には、ユニホームの更新が3年に一回、靴下と靴は半年で支給される。屋外移動をする訪問看護なのに、靴や靴下、レインシューズの支給は無い。 どうして病院勤務者と同じように靴下や靴が支給されないのかと尋ねたら、自転車で移動するので毎年買わなくってもいいでしょ、と言われたとか。さらに、業務で乗らざるを得ない自転車なのに、自転車保険は各自が自費で加入。 どうしてこんなに就業する人の健康を保つ配慮がされない事業所になってしまったのか。 同僚に色々話をきくうちにふつふつとたぎってくる怒り。 随分昔、内科医師と病理専門の検査技師が排菌する結核に感染して、大問題になった。就業者の健康を守れない組織がどうして患者や地域の健康を守れるのか非常に疑問だ、と組合の団交で発言したことがあったけど、現在の管理者に職員の健康を守るという意識を全く感じられない。 そのくせ、稼げ稼げ、経営目標を達成せよと、狭い意味の経営に関する数字だけで指示がされる。 働きがいとか、ケアの工夫とかどうしてそういうことに関して議論がされないのだろうか。確かに赤字経営は組織の存続さえ危うくしてしまう。経営を論議することは決して否定しないけど、数字だけの経営しか論議の的にならないのはやはり片手落ちといおうか、そもそもその組織の存在意義を否定しかねない。 毎年、毎年ベテラン職員が退職していくのもそれ相応の理由があるのだ。 自分は、ある外来看護師が患者さんの生活を心配して患者宅を訪問したのをきっかけに、保険適応にならない前から訪問看護を始めたという、小さな病院にもかかわらず患者さんのためなら経営を度外視しても訪問看護を行い、その分他の職場が全力で仕事をして経営をカバーするという心意気にひかれて、30年も勤めてきたのに、どうしてこんな風に変質してしまったのだろう。 その外来看護師と5年間一緒に仕事をして、患者さんの気持ちや生活を大事にして看護をするという、そういう姿勢を身につけてきたと思うのだが、せっかく訪問看護を単独の事業として独立してきたのに、上司の指示に従って業務をすればいいという職場風土になってしまったのが、とっても残念だったり悔しかったり。 後10年、20年と仕事をする時間がある後輩のためにも、専門職として腐りきった職場風土を改めなければと思う。 上司に言っても分かってもらえないなら、組合に申し出て大問題にするしかない。 こんなことにエネルギーを使わざるを得ないのは、後2年半しかない職業人としての時間の無駄使いのように思えるけど、でもほっておけないからやるしかない。
2015年04月24日
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超高齢者で慢性心不全で「老衰」とかいいようが無い方が最後だから自宅に帰ってきたいという。2週間前に入院するときまで、家の中を歩いていらした方で、肺炎で入院して退院の段階になったときにはもうベッド上でしか過ごせなくなっていた。全身の皮膚は乾燥、心不全で息が苦しいのでベッドの頭の方を上げていないと行けないのだけれど、胸から古紙の背骨が曲がっているので仰向けはきつい。かといって横向きになると片方の肺を圧迫してしまうので呼吸が苦しくなる。ご家族が一致団結して「お家に帰れるときに帰ろう」と帰ってきたものの、おむつ交換やら体の向きの変え方、お口のススキ方、着替え、何もかもが初めての経験で、とっても熱心だけれども、腰が曲がってるので一つ一つがとっても難しそう。丸まっている背中には褥瘡は出始めているし、重ねた足の下側は広く赤くなっている。乾燥したり、骨が出っ張ったところは床ずれになりやすいと話しながら、自宅には保湿剤は無いので看護師の手持ちの保湿剤を全身に塗布。体の向きの変え方を、一度は説明しながら、2度目はご家族にやってもらおうとしたが、力任せにしようとするので、やっぱり説明しながら一部を一緒にやってみる。感心するのは、お母さまへのケアを見ながら廻りの家族全員が手が前に出ている。怖さがあると、手を後ろに組んでじっと見ることしかしないのに、何でも出来ることをやってあげたい、と身体中で表現していた。褥瘡予防で一番困るのは、乾燥している皮膚はダメージに弱く保湿が必要と話すと、化粧水などでよいと受け止める方が圧倒的に多い。100歳近くになると皮膚が非常に薄くなってちょっと力を込めて握っただけで皮膚が向けてしまうこともある。死んだ細胞である角質層に油でコーティングして外力からの刺激を防ぐ、といった説明をしてきたけれど、理解してくださるご家族は1/3位。表皮と真皮についてどう説明すればよいか。クリニックの帰りに安売りスーパーに寄ったら、ポリエチレン袋などの商品説明に厚さが0.008mmと記載されている。皮膚の薄さを分かってもらうためには、台所用品のポリエチレン袋などの厚みを例に出せば皮膚と行っても非常に繊細なものと分かってもらえるかもしれない。明日は精密検査の後、スーパーによって色々なビニール袋類の厚さを調べてみようと思う。
2015年04月21日
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先週の火曜日はメンタルクリニックの定期受診日だったのに、Hさんの排便ケアに気をとられていてステーションに戻ってきたらもう18時過ぎ。何かし忘れたことがあったようにも思ったが、受診日のことはすっかり忘れて帰宅。金曜日になって、CT検査の予約をしようと思って診察券や健康保険証の入っているクリアケースを覗くと、なんと14日が予約日だった。土曜日は研修に行く予定だったが、お薬が切れるほうが心配で診察開始時間の10時からクリニックに何回も電話をするけれど全く電話に出ない。先生が急に具合が悪くなって廃院してしまったのか、廃院してしまったらお薬を誰に出してもらえばいいのだろう、診療情報提供書(いわゆる紹介状)が無くっても処方箋を切ってもらえるクリニックってどこにあるのだろう、などなどと急に不安になる。結局、土日はグズグズしてまったりまったりの生活。この時期は最高気温が20度前後で心持ひんやりして、手袋をしなくても寒さを感じないし、昼寝も厚い布団をかけなくってもガーゼケット一枚あれば気持ちよく過ごせるし、扇風機もエアコンも必要ないし。何もしなくって唯ぼんやりしているだけでも気持ちよい。いつものことだけど、連休前にはあれもこれもと計画を立てるのに、結局出かけるのが億劫になり朝寝が昼寝に突入し、さらに夕寝になりと、三日間はクリニックに電話をするだけで何もせずダラダラ、愚図愚図過ごしてしまった。ちょっともったない連休になってしまったとは思うけど、さほど後悔もなく仕事がある今日になれば、いつもの仕事の日のようにゴミ出し、洗濯、鉢に水やりなど出来てしまう。仕事の日には起きなくっちゃと言う気持ちがあるせいか、目覚めの時にぼんやりとしているのだけれど、動き出すうちにシャッキリと活動モードにスイッチが入る。最近、こんな休みの日が続いているので、診察室で「休みのに日はただ億劫で一日、二日、三日と過ぎてしまうんです。休みの日にもう少し元気に動けるようになりたいです」と訴えると、「仕事は普通に出来ているの?」と先生。「自分では、マァマァ普通に出来ているとは思えます」と答えると、「仕事が普通に出来ていればそれでいいんじゃない!? 休みのに何もしなくったって誰かが困ることもないしいいんじゃないの。」とにこやかに笑いながらこたえる先生。「薬だって、もうサインバルタとレキサプロだけだものね。本当に少なくなったね。ここ10年抗鬱剤は副作用が少ない薬が出てきて、処方もすっきりできたし。来年には、非常に強力だけど副作用が非常に少ない薬が発売になるけど、もう○●さんには必要ないか、、、ハハ」だって。この主治医とはかれこれ10年以上の付き合いになるのだけれど、症状が酷い時に自殺や自傷行為をするなと言われた以外は、「△△するな」と否定的な指示をされた覚えはない。せいぜい「次の診察日まで元気でね」くらい。診察時間は長くて5分くらいで、言葉数は少ないけれど何となくゆったりして指示的言動や詰問調の質問は全くない。私が看護師をしていることも忘れていて、ところで仕事は何をしていたっけ、などと頓珍漢な質問をすることもあったけど最近は訪問看護をしていることも覚えていて、時々「大変だねぇ」とつぶやくように話すこともある。もっと聞きたいことがあっても訊けないとか、そういった消化不良の診察を受けた覚えはない。閉鎖病棟のある精神科病院の勤務歴が長く、時間をかけた診察をしたいと開業した先生であることはネットで調べて知って、ただ勤務をしながら通えるクリニックということで通い始めたクリニックだけれど、この先生に出会えて本当に良かったと思う。鬱病だと中途半端な薬物療法をしてすぐに病欠をとらせて延々病欠、リハビリ出勤、病欠を繰り返す人も多い。就寝前には十分な睡眠をとるため眠剤や向精神薬を組み合わせ、日中の覚醒は確保してしっかり抗鬱剤を使うということをしてくれたように思う。確かに抗鬱剤を服用する期間は長かったけど、何とか鬱病のために休職することなく何とか軽快するところまでこぎつけることができた。骨折で、約計5カ月の病欠があったことが非常に鬱にも良かったのだけれど。
2015年04月21日
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3.11から4年過ぎたが、「脱原発」はドンドン遠くになっている。先日、たまたまネットで色々検索していたら、村上春樹のwebにたどり着いて、その中で『原子力発電所ではない、核発電所だ』という言葉に行きついて、ハッとした。BBSやNHKの地球や宇宙、日本の風土に関する番組を観ていると、地球46億年、日本に人類が住み始めて何万年という営みの中で、自然の恵みを感謝して享受して、その中で様々な自然との折り合いをつけ、さまざまな技術を重ねて暮らしが成り立っていることを感じさせる。NHKの報道の在り方には、もう我慢ならないと思うことがあるけれど、こういった地域地域の暮らしを丹念に取材して伝えて行く素晴らしさはすごい。『核発電所』は、一旦事故が起これば何万年、何億年といった長い歩みの中で培った財産をすべて奪ってしまう。小学校に上がる前に、家の近くの川の堤が決壊して母は骨折、家は半壊。泥で埋まった家の中を地域の消防隊や自衛隊の方々がかきだしてくれた。天井まで泥の後がつき、家が乾いても泥の臭いが残っていた。屋敷内の畑には土が入れられ、新しく生まれ変わったかのように見えたが、石だらけで学校から帰ると毎日毎日、冬の木枯らしの中でも畑から石ころ拾いを続けた。畑に土を入れたものの、耕作するための土ではなく河原から持ってきた土をブルトーザーで平らにしただけだったので、それから20年毎日毎日石拾いをしてやっと石は目立たなくなった。父は農業試験場などに通い詰め、土壌改良や作物に合わせてどんな肥料を使うかなど、工夫を重ねた。復旧は実家の畑のごとく、使いこなせる状態に戻すまで気が遠くなるような年月が必要になる。でも、水害だけで核爆発ではないので、貧しいながら故郷を失うことはなかった。カナダの海にセシウムが検出されたとか、海外でもあの3.11の事故の影響が見出されるようになった。福島、茨城、岩手など復興は程遠い。核発電所爆発は、何もかも失ってしまう。故郷も思いでも地域の人とのつながりも、そして命さえ、何もかも。日本の為政者は外国の批判には敏感だけど、アメリカが日本の核発電所には批判しないので、のほほんと『原発』の輸出やら、再稼働をもくろむことが出来てしまう。何の疑問も持たずに許容してしまう日本に住む人々。私の出来ることと行ったら、暮らしをするうえで最低限のエネルギーや物質の利用ですます生活。投票すること、ちょっとみんなに話をすることなど。ささやかだけど、やっぱり続けて行きたい。
2015年04月14日
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最近なくしものが多く、ガマ口やらスマホやら。今までおおかたの無くしものは、何処からともなく出てくるので今度もかとちょっと甘く見ていたこともあったが、流石十日も経って戻ってこないとあきらめざるを得なくって、保険を使って7000円の出費を覚悟して仕事帰りのauショップに代替器を受け取りによる。「何か身分証明書はありますか?」「機種名は分かりますか?」「警察に紛失届をしていますか?」などと質問、さらに「携帯の色は何色ですか?カバーの色は?」とさらに具体的な質問が続く。無くした経緯と警察へ届け出た書類を見せると、「御客様、このスマホで間違いありませんか?」とお店の方。でも、交番ではないので届けてくれた方の名前もその期日の記録もなし。多分どこかで落としたのだろうけど、きちんとauショップに届けてくださる方がいらっしゃったんだ、感謝!!今朝も2週間前に無くしたガマ口が支援に行った職員の方が、患者さんのお家に落ちていた、って届けてくれていた。でも、このガマ口については無くしたことは次の日にバッグに入っていなかったので、気がついたのだが、どうして患者さんのお家に落ちていたのだろう。全く見当がつかない。昼食のお弁当を買う時にお財布を出すけど、そうでないときに、ましてや患者さんのおうちでお財布を出す機会なんかないのに。不思議。まァ、それでも財布もスマホも出てきたのでとりあえずメデタシ、メデタシ。
2015年04月13日
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たとえ同僚でも、いつどんなタイミングで仕事の仕方についてのアドバイスをするかについてはなかなか難しい。話したいことを、話して受け入れてくれるのか、相手のその余裕があるのか、今そのことを話しても聞き入れてくれる準備が相手にあるのかなど、相手の状態を見極めることが大事で、最近は言いたいことを自分の内面に貯金しておきながら、話せるチャンスをみつけるようにしている。もう3カ月になるのに、同僚のIさんはとりあえず言われた処置はするけれど、ただ処置をするだけで、これまでの経過を踏まえてどうケアをして、次の訪問まで患者さんの健康が維持できるようなケアをすることが欠けている。異動してきた間もなくのころから、高齢者の訪問看護による健康管理については、さまざまな健康悪化するリスクをアセスメントしながら、状態を見極め次の訪問看護まで悪化する兆しを予測して、本人や家族と相談しながら何を注意していくか、状態が悪化した時はどんな対処をしていくか療養相談をしっかりしないと、あっという間に状態が急変してしまうことを伝えてきた。何回かその話をしてきたが、一向に行動が変わらない。昨日も、8日間も排便が無かった患者さんに摘便だけして、そのまま帰ってきてしまった。患者さんは身体変化をどう感じてきたか、食事摂取量はどうだったか、下剤は指示通り服用したか、追加して下剤を服用しなかったのか、など全く確認してこず。そのことを話すと、全くそのことに関しては考えも及ばなかったという。高血圧も糖尿病もあり、動脈硬化も相当進んでいるし、膀胱ろうもあり、便秘が進むと膀胱ろうからの尿漏れもあるし、なぜ8日間も放置していたか、その背景を探らないとまた便秘して、便秘が原因で様々な健康障害が起こりうることを患者や家族に説明して、適切な対処をするように伝えておかないととんでもない合併症がおこることがありうることを指摘すると、「そう、なんですか」とピンと来ていない。でも、「教えてください」というので、色々と説明を続けた。何かをつかめたようで、「そうなんですね」と恥ずかしそうに笑う。まだまだ仕事になれるのが精いっぱいだけど、看護師は処置やさんだけではないので、患者さんのためにどういうケアをするか考えながら仕事をしましょうね、と話が終わった。その方の仕事ぶりを見ながら、いつどこでどう話をするか難しいのだけれど、昨日は少し相手に伝わった気がした。じっくりと相手を見極めて、話をしていくということが今の私の課題だけど、少しずつ進めて行きたいと思った。
2015年04月09日
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先週の土日は連休で、金曜日の夕方までは都内を自転車散歩しようかとか、石神井川沿いを早朝に散歩しようかなどと楽しみにしていたのに、土曜日の朝に目が覚めたら何となく節々が痛い。熱を測るのも億劫で何となくダラダラと過ごすうちに夕方になり、そのころから下痢がはじまりさらに関節痛が強くなる。 こんなときにはお粥と梅干しでやり過ごすしかないと、少し食べては眠り、飲んでは眠り、その合間にトイレに通い、寒気をするので布団を厚くしてとにかくじっとして過ごす。 月曜日の朝に、熱が出ていたらお休みをいただこうと決意して眠ったのに、今朝になったら嘘のように体が軽い。肩甲骨周りの関節痛もない。お通じもしっかりしてくるし、胃のあたりが痛んでいたのに、その痛みもない。 なんだ、なんだ、またお休みの日が治療日になってしまうめぐりあわせ。 体具合が悪くなるときには、一分刻みというよりもっと短期で急速にドンドン痛みやだるさが増すと気がある。記憶にしっかり刻みこまれるように具合が悪くなるから、その具合の悪さの進行具合でもう動いてはいけない、と自分に命令ができる。 何かに夢中になっていたり、義務感にかられているときは、こういう身体感覚が鈍くなっていて、扁桃腺炎でのどのあたりが真っ白になっていても気づかない。 仕事中やとっても休めない日には、たとえ具合が悪くなっていても、消炎鎮痛剤や胃薬、総合感冒薬など手持ちの薬を組み合わせて、マスクを2重にして手洗いをしっかりしてとにかく働き続ける。自分で自分の身体感覚を鈍くしようとしているので、微妙な身体の変化に気がつかないし、気がつかないように努力する。 休みの日には、そういった義務感は全くないので具合が悪くなるときにも良くなっていくときにも、自分の身体の変化に気がつく。ましてや山に行くとかのときは、登山中に体調が崩れてしまうのは生命の危険を伴うこともあるので、慎重になる。今まで、具合が悪いのに無理して山に行ったことは、一日めの行程が2時間ほどで山小屋泊りのときが一回だけ。 体調が回復するときは、非常に爽快感があるし気持ちが良い。ドンドン元気になっていくことが実感できるので気持ちもついてきてやる気が出てくるのである。 今朝はそんな感じが明瞭にあって、さぁ一週間頑張るぞ!!っていう気分になった。 さらにさらに、ヨガらしきものをして全身の関節を動かしているせいか、先日久しぶりに小走りが出来た。それも軽快に。体が柔らかになるって、パフォーマンス能力の向上につながるのですね。筋力をつけるだけでは、運動能力が向上しないことを気がつかされた私のナンチャッテヨガ体験でした。
2015年04月06日
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10日ほど前から、ガマ口財布と時計が家中や仕事鞄、通勤用のバッグをくまなく探してもどこにもない。ガマ口にはナナコやらスイカやらカード類が入っているので、ナナコはついこの間に昼食代をチャージしたばかりだし、1000ポイント以上たまったポイントも使っていない。セブンイレブンでお昼の食事を買い物の度に、店員さんが「カードはみつかりました?」て聞いてくださる。ナナコで買い物をするとポイント2倍になるので、少々損をしている気分。時計は、仕事中に頻繁に手洗いをするのでバンドが伸びるタイプのもので、これが無いと大変不自由。どこの家庭にも患者さんのお部屋には秒針月の時計があるので代用も出来るのだけど、スマホで時間をみて何とか仕事をしていた。ある日、行きつけの蕎麦屋さんに行くと二代目が「これはお客様のものではないでしょうか」と渡してくださった。ガマ口は机の上のパンフレット類を整理していると、一番下から顔を出した。あぁ、時計もガマ口も無事だった。そんなとき、ズボンのポケットに入れていたスマホがない。仕事に出かける前には確認してあったのに、帰宅してポケットない。仕事鞄にもない。ある患者さんに、ブロッコリーの花を自慢げに見せた時に使っているので、その方のお家かしら。自分のスマホにダイヤルしてみると、発信音はなるので、スマホそのものはどこかにあるのだけれど。昨日も、今日も支援で別の事業所に行くので、何となく警察に行ったりするのが面倒でそのままにしてあるけれど、スマホは出てくるだろうか。今日仕事が終わったら、最後にスマホを出したお家に行って落ちていなかったか確認をしてそれから警察に行ってみようと思う。
2015年04月03日
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