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北海道の姉が姪の結婚式と母の13回忌のために東京に来ている。 久しぶりと言っても夏以来のことだけど、今度は結婚した娘の家に順番にお泊り。姉の予定の入っていない日に姉とお出かけ。 一昨日は国立博物館。昨日は小石川植物園。 国立博物館は今の時期庭園が公開されていて、平日でもあって人混みはなくゆっくり眺めることができた。 依然来たときは雨の日で、建物自体も素晴らしく洋風建築なのに鬼瓦が使ってあって何と鳳凰。天気が良かったので屋根瓦をあちらこちらから眺めているとすぐ30分は経ってしまう。 国立博物館だから、国外にもその権威をアピールする意味もあるのだろうか、まぁすごいこと、凄いこと。戦前の物資が乏しくなりつつある時代に建造されたものなのに、全国の名工を招集して作り上げたものだろうか。どこから見ても美しい。 兄二人が建築大工で姪が建築家の卵のせいもあって、自分もその影響を受けて最近は建築物に興味を持つようになった。建築は総合芸術と言われているだけあって、屋根も壁もドアも床も。一つ一つに魂が込められているような。 アフリカ大陸で樹上生活から大地に降りて人間が生活を始めたころは建築物なんかなかっただろうに、地球全体に住むようになってそれぞれの気候風土に適応して様々な建築物が発展していった。柱一つにも人類の歴史が詰まっている。 国立博物館では、毎月建物やお庭について説明するツアーがあるようなのだが、まだ参加できていないが、いつか予定が取れたら学芸員の話をきいてみたい。 お庭にはいろいろな樹木が植えられてあって、茶室があったり日本庭園があったり。上野にはイチョウが多いのだが、この庭にもイチョウが何本もあって銀杏が落ち放題。道に銀杏が落ちていると通行する人があの臭いに悩まらせるのを防ぐためか、箒で掃き集められてある。 秋は木の実の季節でもあるので、樹上を見上げたり地面に目を凝らしたり。 竹とんぼの形に似ている葉っぱと実が落ちている。それが菩提樹の実であった。枝の先にもいくつかその実がついていて、あまりにも特徴のある形なので、物覚えの悪い私も一発で菩提樹の実は覚えた。 シルバーグレイのオジサマと奥様が私たちが地面にその実を置いてデジカメで撮っているのを見て、「何かあったんですか」と尋ねてくる。「菩提樹の実なんですって」と奥様にその実を渡すと、オジサマが「珍しいものだから大事にしまいなさい」ですって。枝先に実がついていることなどちょっと世間話をした。 どんぐりの実も落ち放題で、スダジイや白樫のドングリ。スダジイの実の皮がはがれていて中から白い実がのぞいている。姉が食べてみたら、と私をそそのかすので、そっと食べてみるとアーモンドに似た甘い味。こんなに美味しいのならリスだって鳥だって食べたくなるのだろうな、と思う。 昨日は小石川植物園で、門の近くに大きな木があり何やら束になった花なのか実なのか沢山ついている。この植物園は樹木名がついているので早速この木の下に行ってみると、「フクロミモクゲンジ」って長い名前。ほうずきのような形で紙のような三枚で張り合わされている袋のなかに実が入っている。袋に入っている実なのでフクロミ。モクは木。でもゲンジって源氏?? 帰ってから植物図鑑で、調べてみると袋実木患子、を読み誤ったとか。 お昼を挟んで夕方まで少し汗ばむ秋の一日、植物園を楽しんだ。あちらこちらにいっぱい樹木があって樹木名も必ず書いてあるので図鑑を開かなくても木の名前がわかるし、ミズカンナとか始める見る木ばかり。 あーぁ、楽しかった!!
2015年10月31日
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グチグチ言っても仕方がないことなのだけど、そんなことは百も承知なのだけど、でも怒りがこみあげてくる。 若くってALSが発症して、進行も早く最近は夜間呼吸困難が起きる。 難病の場合は、若ければ介護保険は使えないので、必要な介護サービスは福祉事務所と相談して決定される。 もう2週間前から呼吸困難について訴えがあるのに、ケアマネージャーも福祉事務所のケースワーカーも動かないので今日の訪問看護の時に、不安が訴えられた。 患者さんの気持ちを汲んで、即刻新しいサービスを受けられるようにできるだけ早く対応するように関連する機関に相談します、とただそう言って急いでケアマネージャーや福祉事務所に連絡をしてプランを考えてもらえるように対応すればいいだけなのに、その一言を患者さんに言わない。できれば、患者の前でその不安をケアマネージャーに伝えて対処をお願いすればいいだけ出し、主治医にどう報告すればいいかは患者さんに尋ねればいいだけ。 官公庁や国公立の病院は土日や祭日は緊急以外は対応しないので、週末に近づけば近づくほど対応を早くしないと命取りにもなる。主治医にも連絡して、緊急時にどうすればいいのか意見を訊いておかなければならない。 なのに、なのに「所長に報告します」の一言で済ますなんて。 その所長も親の介護のために、最近は有休をとることが多く、明日からも休みの予定。 土日のあとは、また祭日。 自宅で暮らす患者の緊急性の意味を理解していない。 一人暮らしなので、ヘルパーさんや看護師がそばにいないときには、呼吸困難で意識レベルが下がれば電話さえできなくなるのに。 そういうことを想像できない、ただベテランと言われている看護師のレベルの低さ。 患者の状態の変化を予測できずに、最悪のことを想定して対処しない看護師はもう看護師ではない。 あと2年余りで定年退職になるのだけれど、もうこんな職場にいたくない。 何とか頑張ろうと何回も思い直したのだけど、もう気持ちが続きそうもない。 明日から三連休になるので、きっと二日も三日も休めば気持ちも変わるかもしれないけれど。 日曜日には実家に帰ってお墓参りをするので、墓前で両親に相談すればひょっとして気持ちが変わるかもしれないけれど、ね。
2015年10月29日
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日曜日は姪の結婚式。五月にその妹がチャペルで結婚式を挙げホテルでの披露宴だったけど、同じ姉妹でも全く違う結婚式を挙げて私たち叔父や叔母は姪の自信に満ちた幸せそうな様子にまたまた幸せのおすそ分け。 大学時代に過ごした地元で同窓生や同僚に囲まれて幸せいっぱいの姪。 生憎北風の強い日だったけど、それでもお昼過ぎには暖かくなり白無垢の花嫁とはかま姿の花婿。 神社で式を挙げた後は人力車で披露宴会場に。すでに花婿さんは花嫁をいたわる様子がありありで、風が強いので風に舞わないようにそっと帽子を押さえる姿が。なんともほほえましい様子にこれからの二人の姿が垣間見えて安堵した私たちだった。 所属する会社の社長さんが「まだ、入社して4年もたたないのに先輩にも堂々と意見をする姿がたくましい。別の言い方をすると態度がでかいともいう」という言葉にみんながクスクス。この姪は小さい時から自立心が旺盛で、父親にも母親にも自分の意見をぶつけていた。兄姉妹三人のなかで一番の反抗期を過ごし、一つ下の妹を母親が面倒を見ている中で父親と仲が良く音楽の趣味も同じで、大学に進学するときも父親の影響で建築学科を選んだとか。 そんな娘が嫁いでしまうので、なんとなく父親である義理のお兄さんは元気がない。半年のうちに二人の娘が嫁いでしまうので、うれしくほっとしている思いもあるのだけれど、やっぱり寂しいのだと思う。 赤ちゃんの時におむつを交換したり一緒に遊んだりした姪や甥がどんどん成長して、社会人としても家庭人としても大人になっていく姿を見せていただくのは、やはり嬉しいもの。おめでたい行事で、逞しく成長してすっかり大人になっている甥や姪にあえるのも叔母である特権かもしれない。 日曜日はちょうど十三夜で、中庭の縁側には月見の席もしつらえてあった。 縁側に二人で座り、月見をする後ろ姿も美しく、幸多かれと願うのみで。 たった一人で生まれて、学業を修め社会人になり、幾多の人に支えられて逞しく大人になっていく。 一人の人間が社会で生きていくまでに本当にいろいろな人や組織に支えれてているのだと思う。 私たちの看護の仕事は、その一人を見つめて仕事をしがちなのだが、こういった式に参列すると、一人の人の後ろには何百人、何千人の応援団がいるのだ気づかさせてくれる。 人生が長ければ長いほど、こういった応援団が無数に存在するのだと思う。そういう方々を裏切らないように、自分もその応援団の一人としてその方を支えられるように頑張ろうと思った。 年を取ることでいろいろな体験や思いを深くすることができるようになり、年を重ねてきて本当によかったと思うのである。
2015年10月27日
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Fさんが今日息をひきとった。 娘さんご夫婦は、ご家族全員に今後の治療をどうするか話し合って「もうこれ以上頑張らなくてもいい、苦しいだけの毎日を過ごさせたくない」と持続皮下注による水分補給も終了することを決めた。それが10月12日。 それから10日間後の今日のお昼過ぎに、息をひきとった。 最後の最後は口の中は乾燥して出血してお辛い日が三日間ほど続いたが、ご家族に見守られながらお家で息をひきとった。午後2時には訪問に行くことを約束していたので二時10分前に呼吸停止したが、ご家族はじっとそばにいて看護師の到着を待っていた。 二時前の一時55分におうちに到着するとご家族がFさんの手を取り涙にくれて居た。 自分の母親が腸管動脈の閉塞で呼吸停止し、医療チームが人工呼吸器をつけ延命治療をしてくださったときに私たち兄弟は母の苦しそうな様子を見て、もうこれ以上頑張らなくってもいいと、主治医に懇願した。その夜母はなくなった。 その日のことがありありと思いだされた。私たち兄弟はみんな母の姿を目にて、長兄さえ号泣した。 母がなくなってしまった悲しみ、寂しさ。それは計り知れない。 Fさんのご家族にもそんな様子がうかがわされて、主治医から「ご臨終です」と伝えられた途端、またまた涙、涙。 肉親が逝ってしまうその悲しみ。その寂しさ。たとえ延命治療を中止すると決断したとしても、その悲しみは計り知れない。 Fさんが脳梗塞から誤嚥性肺炎を併発してから3年間。娘さんは単身実家に帰り介護に尽くされた。ご主人も実の母親のようにFさんのことを大事に思い、妻が実家に帰り続けることを勧めていた。 なくなる方が多いために、火葬場は忙しく埋葬まで5日間ほど待つようになるという。 超高齢社会に突入して、こんな状況はあちらこちらの地域で起こっているのだろうか。 ご家族に大事にされて最期を迎えられたことが救いでもあるのだが、やっぱり心にずしりと来るものがある。 中心静脈栄養の針を抜いて、最期を迎えるまでに大好きな入浴ができたこと、褥瘡も作らずに痛みがなかったことがケアに当たった看護師として救いでもあるのだが、最後までつらく苦しいことがなく穏やかに最期を迎えることは本当に難しいことだと思う。 Fさんのご冥福を祈るとともに、残されたご家族の方々が天国からFさんに見守られてこれからの人生を心豊かに暮らしていただけるようお祈りいたします。 Fさん、本当にたくさんのことを教えていただいてありがとうございました。 合掌。
2015年10月22日
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板橋には全国的にも画期的な「お年寄り保健福祉センター」という、高齢者に対しての保健と福祉を総合的に対応する区としてのセンターがある。 個人でも看護や介護の専門職がいろいろなことで相談できたり、要請があれば地域に出かけてきてくれていろいろ相談にあたってくださるし、ケアマネージャーの教育研修とか福祉用具相談員の研修とか様々な啓もう活動もしている。 認知症についても平成25年から区としての取り組みが始まり、医師会で研修会を開いたりとか、先日参加して認知症について早期発見するためのDASK(ダスク)についても研修をしており今回で3回目という。 認知症は超高齢社会になって、その患者数は増加の一途であり、講師の調査では救急搬送される方の高齢者の約50%は認知症があるという。 巷では認知症予防について様々な予防法が取りざたされているが、全国の認知症の調査ではその約50%がアルツハイマー病と血管性認知症で、多くはアルツハイマー病と脳血管疾患による血管認知症が合併されていることが多いがまだしっかりと診断されている率が少ないらしい。 アルツハイマー病はβアミロイド蛋白(毒蛋白、講師はごみ蛋白といっていた)が脳に蓄積されることで脳細胞が壊死して、脳の器質変化により脳の機能障害が起こる。動脈硬化が進むとそのごみ蛋白が蓄積されやすくなり、やはり予防は動脈硬化の原因になる高血圧症や糖尿病などの生活習慣病の治療が重要という。 認知症は早期から認知障害から生活障害を起こし、結果的に様々な、問題(風呂に入るのが億劫とか季節にあった服が選べない、道迷いなど)がおこりそのために引きこもりになって、必要な治療を受けなくなったりして病気を悪化させて結果として救急車で搬送される事態になってしまうという。 各自治体では、認知症サポーターが養成されており、地域に住む方が認知症について知り認知症の方への接し方などを学ぶ。 認知症になると、治療を中断しがちになることから地域のかかりつけ医などが高齢者の治療に当たるうえで認知症の知識があれば早期発見につながることも多いだろうし、中断しがちな方に対して訪問するなどして生活の様子を知れば早い時期に適切な対応をして悪化予防にもなる。 この研修を受けて今まで接していた方の中で、何人か思い当たる方がいらした。 何かおかしい、と感じた時にそのままにしないで、よく患者さんの話を聞き生活の状態を知ることで、認知症かもしれないと考えることができ、何が問題になっているかで対処することで認知症になっている方の不安や混乱に対応することもできる。 よく言われることに「認知症になれば何もわからなくなってかえってそれのほうが幸せ」ということがあるが、それは全く考え違いで、財布がどこかに行ってしまったら、その瞬間から不安が起こる。例えば、お金がない→物が買えない、食べるものがなくなる、という不安が嵩じるし、決して幸せではなく不安と混乱の渦に放り込まれているようなものだ。 自分がどこにいるかもわからなければ、安心していられなくなる。自分の経験では、韓国に旅行に行ったとき、街に英語表記がなくてずいぶん迷い心細かった。言葉が分からなくなるとはああいうことなのだとしたら、それは相当な不安だと思う。 認知症についてはずいぶん報道されるようになったが、正しい知識を持って対処できることが大事だし、ただ怖いものといった受け止め方から、地域でどうしたら安心して暮らせるようになるかを考えられるようになれることが大事だと思う。 私のような看護職でさえこんな状態だったので、まだまだこれからだろうけど、一人でも二人でもわかる人が増えれば世の中もっと変われるはずだという気がしてきた。
2015年10月21日
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10/19記事の訂正をします。 江戸消防保存会ではなく、江戸消防記念会で、半被ではなく半纏でした。 区民祭りで木遣をうたうおじさま方がとっても格好良く、江戸消防保存会と記したのは誤りで江戸消防記念会でなんと一般社団法人 江戸消防記念会 というそうで、ホームページもありました。 半被ではなく半纏だそうです。 仕事が終わってラーメン屋さんでビールを飲みながらwebを探していましたら、立派なホームページがありました。 江戸時代の火消しから明治の初めは消防組織がなく自主的に江戸の火消しの方々が消防の役割を担ったとか。 現在は鳶職の方々のみが江戸消防記念会の会員になれるそうです。 東京の消防出初式の梯子乗りなどはこの江戸消防記念会の方々が演技をされ、木遣も東京無形文化財に指定されているとか。 凛々しくなんとも日本人らしいいでたちは、そういう背景があったんですね。 年間行事もあって、11/3には明治神宮の参拝が予定されているとか。 纏も各組ごとにあって、それぞれデザインも違うそうです。 東京出初式とか成田山新勝寺の参拝とか一度拝見したいものです。 とりあえず、訂正のご報告まで。
2015年10月20日
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昨日は連休の二日目で、お昼前になったらお日様が出てきて、風もなくお出かけ日和。 毎年10月に板橋区民祭りがあり、今年は44回目。 ふるさと広場では各地の郷土の物産展があったり、最終日には板橋区内の各町会からおみこしが出陣する。江戸消防保存会の木やりの歌声とまとい。 最初に見たのは、骨折で入院中に車いすを姉に押してもらって病院の入り口で見たのが7年前。 それから毎年二日目には出かけて行って、お買い物をしたりおみこしの行列を見たり。 老若男女が半被にねじり鉢巻き。お囃子のリズムが心地よい。 木やりをうたう方々は、おじさまに交じって若い方もいて、年配のいかにも日本人の男性といった方が若者にまといの振り方を教えている。角刈りや坊主頭の年配のオジサマやいかにも若者らしい茶髪の青年。7年前に見かけたおじ様たちが今年も見かけることができて、それも嬉しかった。 自分の故郷は小さな村でお神輿は一基もなかったが、さすがに江戸東京で、町内会ごとにお神輿があるようで各町会ごとの立派なお神輿。病院のある地域からも出ていて、同僚が見たところでは患者さんも元気な姿で神輿を担いでいたとか。 お正月くらいしか和装の男性を見る機会はないが、腰帯をきりりと締めた男性の浴衣姿やら半被姿はカッコいい。女性も腸骨にきりっと帯を締めて、これもまた様になっている。 旅行で時折夏祭りにあったり、秋祭りに出会うことがあるが、日本人らしいいでたちや太鼓や笛の音に出会うとごくごく自然に心が高鳴る。あぁ、日本人だったんだ、と思う。 ちらっと見かけただけなのだが、東京消防庁のハイパーレスキュー隊の方も数人待機していらした。救急車も一台待機していて、後輪にはきちっとタイヤ止?がしてあった。祭りの広場の周辺の公園は臨時の駐輪場になっていて、これまたボランティアの方々が駐輪整理に当たっていた。 こういうお祭り行事には、それを支える無数の方々がいらっしゃるのだとつくづく思う。 缶ビールを片手に買い物をしたりお神輿を見たり。そういう平和な日常がこれからも続くことを祈る気持ちが自然にわいてきた。 普段の仕事で出会う方々は、今どうしているのだろうかとふと思う。ごく普通の日常を普通に楽しめる、そういうことがもっと自然にできたらよいのに。
2015年10月19日
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Lさんは97歳。 50歳から山登りを初めて秩父の山々は自分の庭のようだと。65歳で老人クラブに入会し、水彩、油彩、木彫り、書道などを習い始めてどれもものにして、展覧会で入賞したことも数知れず。 自宅には、Lさんが書かれた絵画や鶴、竜、亀などの木彫りが飾られている。 心臓の病気があって手術を控えている間に転倒骨折して手術が延期。痛みが治まる間に回復期リハビリテーション病棟に一時入院されていた。同じ病棟に入院されている同世代の方々の様子を見るうちに、また手術して元気にならなかったら自分の人生は終わってしまう、もう痛い思いはしたくないと決意され、心臓の手術は受けないことにして自宅に戻ってこられた。 入院中はいろいろ悩んだりしたこともあって一日一食も食べない日があったりして栄養低下から貧血や低たんぱく症も進んでいたが、娘さんは「家に帰ればなんとかなる」と信じて自宅で看護することになった。 退院して2か月、ディサービスにも通い始め、徐々に食事量も増えてしわしわだったお尻もふっくらしてきた。 ここまでLさんを支えてきた娘さんは日中は仕事をしながら本当に頑張ってきた。 一つ残念なことは、仙骨に褥瘡の始まりの兆候があり医師から処方された軟膏を塗っていても一向に改善しないこと。ご本人にどんな風にケアをしているか教えていただく。どうもベッドの上のほうに体を上げるとき力任せに引きずれれていたり、食事の時にギャッジアップされたままで足を延ばしてベッドの上に座りお尻が痛いまま食事をしていることなどが推測された。 ベッド上で体の位置を頭のほうに挙げるときにはスライディングシートを使うとお尻を引きずらなくて済み本人の痛みもないこと、食事はベッドの端に座りしっかり足の裏を床に置いた足台において、肘をオーバーテーブルの上にのせてしっかり座る姿勢を整えると30分でも座っていられることを確認できた。 看護師の訪問看護は週一回だけで、あとは家族とヘルパーさんさんがケアをしていらっしゃるのでケアマネージャーさんにお願いしてケアの方法を統一する話し合いをしてもらえないかお願いした。娘さんが帰宅する夕方の6時にケアマネージャーさん、担当されているヘルパーさん全員にLさんのお部屋に集まっていただいて、スライディングシートを使う目的、褥瘡はケアの方法を変えることで予防できること、安定した在姿勢は呼吸が楽になり、食事も進むことを説明して、ご本人がどのように変わるかを実際に見ていただいた。 ヘルパーさんたちは非常に熱心でメモをされたり、目を輝かせて真剣に集中して聞いてくださった。訪問介護事業所のサービス責任者の方は、「スライディングシートは今までも使っていたが、利用者さんにとってどんな意味があるか今日初めて知った」と感想をおっしゃってくださった。 利用者さんのためになるなら、自分たちを変えることを惜しまないというヘルパーさんたちさんたちの熱意が伝わってきた。 経験があってもその経験に寄りかかって患者さんのために必要なことも受け入れようとしない同僚に辟易していた私だったが、事業所は違うけど、純粋に利用者さんのことを思っているヘルパーさんたちの心意気がすごくうれしく希望を捨ててはいけないと思わせてくれた。 そんなわけで、今日は週末の土曜日だけど、すっきりと起きられもう洗濯もしてしまった。 難しいことをかみ砕いて説明できるように伝える力を身につけたい。 そんな気持ちを私に取り戻させてくださったLさん、娘さん、ケアマネージャーさん、ヘルパーさんたち、本当にありがとうございました。
2015年10月17日
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私は筋骨系の怪我が多い。 小学生1年生の時、棟上げ式の餅投げの祝い事を待っている間、高く積まれた材木の山から転落しておでこに3針縫う裂傷。 ドッジボールで突き指。まぁ、その頃は突き指してもほっといているうちに治っていたけど。 看学生の時、文化祭で急いで校庭の式典にものを届けようと焦って分厚い扉のガラス戸に歯をぶつけて前歯を折る。 何回も繰り返した左足首の捻挫。 50肩を右が治ったら、今度は左肩。親指の腱鞘炎、これも右が最初で、左も。 そして、6年前の左外踝骨折。一年前の右第五中足骨基部骨折。 足首の骨折後は普段の生活に戻るまで3か月かかり、初めて低い山に登った時は足首や足の細かい関節、足底筋が歩けなくなるほど痛み本当につらかった。走るのはまた歩くとは違う筋肉を違い、関節の可動域も広くなるので、股関節、膝関節、足関節がスムーズに意識もせずに動くようになるのに時間がかかった。 走ろうとしても、なんかそれぞれの関節の動きがバラバラで自分でも不自然すぎて走れない。もう走ることはできなくなるのかもしれないとも思った。 右外果の手術後抗うつ剤の副作用で体重が一時20台の時より20%ほど増えたので、体が重いことも重なってさらに走りづらくなった。 半年くらい前から、小走りができるようになっていることに気が付いて、アレッ 走れるかもと思えるようになった。 おとといの午後から茗荷谷で講演会があり、都営三田線の春日駅から丸ノ内線に乗り換えようとしたら何と後楽園駅まで歩くということになり、長い階段と長い歩きが待っていた。 時間に遅れたくないので急がなければならないので走ろうとしたら走れた!!階段も駆け上がれた、それも40段以上。 プロのスポーツ選手ならいざ知らず、普通の生活をする人に対して歩けたり階段を使えるようになればたぶんそれで良しとしてしまう。自分もそうだった。歩けたらもうリハビリは終了と思っていた。山登りは行けるときに行くくらいでよいから、とモチベーションも下がってしまっていたし。 でも、走れるのだ。急坂だって上り下りできるし、なんか怖いことに遭遇したときは、走って逃げることができる。 うまく体が動かないと無意識に活動制限をしてしまう。地下鉄の長い階段を駆け上がれて、そんなことに気が付いた。 自分は看護師なので自分の病気や怪我で、解剖学や生理学、病理学や各疾患の知識を増やすことができたし、多少は患者さんやご家族の気持ちもわかるようになった。 人生の経験に無駄なものはないと人はいうけれど、そうかもしれないと近頃思う。
2015年10月14日
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Fさんは92歳。 下駄屋さんの仕事を80歳までして、脳こうそくを数回繰り返して誤嚥性肺炎になり嚥下リハビリをして経口摂取が可能になったが、昨年の真夏に再度肺炎を起こしてから数回肺炎を繰り返して、この夏はもう経口摂取は無理となって中心静脈栄養と膀胱留置カテーテルを入れて自宅に帰ってきた。 娘さんは他区に家があるのだけれど、お母さんの家に泊まり込み看護を続けられた。先週の初めころより目つきがおかしくなっていよいよかもしれないと考えて、ご主人もお母さんの実家に来てもらって二人で看護をされていた。 先週の土曜日の朝、事務所に電話が入った。「息が苦しそうにしている、どうしたらよいか」と。 急いで訪問したところ、高熱があり、肺に痰がたまっている音がして、頻呼吸と頻脈、酸素飽和度も不安定。 痰がたまっている肺を上にした側臥位で呼吸介助しながら10分間ほど様子を見た。脈も落ち着いてきて、酸素飽和度も上がり呼吸も落ち着いてきたので、臨時往診をお願いすることを家族に了解を得て診療所に電話して、午前に予定している患者さんのお宅に訪問をした。 幸い、往診医が訪問した時には呼吸が落ち着いていて、解熱鎮痛剤の座薬の処方をしてもらい週末様子を見ることになった。午後の訪問看護の時には、すでに高熱はないものの、体がつらい様子でいつもは眠っているのに目を開けている。全身清拭をしながら、皮膚が赤くなり始めたところには軟膏を塗ったり、楽な姿勢の取り方や褥瘡予防のためにスライディンググローブを使って除圧を図る方法などをご家族に説明して帰ってきた。 日曜日には平熱になって一日中眠っていたとか。 今日の朝も平熱で、訪問入浴を受けることができた。夕方訪問したところ、入浴のおかげで全身がつやつやきれいになっていて、発赤も嘘のように消えている。 中心静脈栄養の針は一か月に一回は差し替えなくてはならない。しかも、清潔操作が必要なので入院しなければならない。ご家族はみんなで話し合い、もうそういう治療はさせたくないと決意。その代り細い針を皮下に入れて点滴をする持続皮下注をすることになった。 今朝は入浴するので、ご家族がこの針を抜いて訪問入浴を受けた。 午後訪問した時に、皮下注はどうするか尋ねたところ、「もう食べれることはできなく、椅子に座ることもできないのならこれ以上苦しい思いはさせたくない。家族みんなで相談して、無理に生きてしまうような治療をするのは本人がかわいそう」と決めたので、針は刺さないでいいです、と。娘さんもそのご主人もよくよく考えての結論だと確認して持続皮下注は中止することに。 「ただ、この間みたいに息が苦しそうになるのは困る」と。 寝ている姿勢の注意と、口腔ケアをこまめにしてのどに痰がたまらないようにすることが大事だと説明して帰ってきた。 何年も何年も介護を一生懸命続けられ、かけがえのない大事な家族だからこその結論だと思う。 もう十分介護をされたし、これ以上苦しい思いをさせたくないというご家族の気持ちは十分理解できる。 そうだよなぁと思いつつも、人生の最後が迫ってくる寂しさのようなものがこみ上げてきた。
2015年10月12日
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89歳のDさんは肺に大きな腫瘍がCTでわかり、末期の肺がんと診断され週単位で最期が来ると医師から説明を受けている。家族ももう最後かもしれないと覚悟して自宅で看とることを決意され、本人の苦痛をできるだけ取り除き最期を迎えたいと決意されている。 数週間前から股関節の痛みがあり、おむつ交換のための体位交換も痛みが強くなって訪問介護の利用を開始され、訪問看護も毎日受けることになった。 週末の今日から月曜日の朝まで携帯当番になったので、所長にお願いして今日の訪問の担当にしていただいた。 体温は37.9度、呼吸回数は25回で頻呼吸、脈拍も111と頻脈。そして酸素飽和度は91~92%と正常値の下限。頻呼吸も頻脈も本人にとっては負担になってしまうので酸素流量を2l/mに変更してみた。おなかを触れると左腹部に硬い便が触れる。娘さんにもおなかを触っていただき、本人にも便がたまっているようなので直腸診をすることの許可をいただき腹部マッサージを10分ほどしてから摘便を行った。 ウズラの卵くらいの大きさの小石のような硬さの便が次から次へと肛門の近くに降りてくる。便の硬さや大きさを娘さんにも見ていただきながら、腹部マッサージと摘便を3回繰り返す。トータルの便の量を本人にも娘さんにも見ていただく。 股関節の痛みは、どうも筋肉の緊張が嵩じて起こっているようなので、足関節とひざ関節の裏を手のひらを平らにして支えて20秒、少しづつ緊張が取れてくる。ゆっくりゆっくり痛みを起こさないように動かしていくと少しずつ関節の動きが滑らかになっていき、横を向いても顔をしかめなくなった。 やっぱり筋緊張から痛みが起こっているものと判断して、お母さまの体の触り方を見ていただいて、痛みがなく動くことを知っていただいた後に、娘さんに横になっていただいて、その触り方を20秒ほど実際に体感していただくと、「脚の重みを感じなくなった」と驚いている。 人間の体はものではなく、痛みなどの深い刺激を与えるとすぐさま筋肉が緊張して、その結果痛みが生じる。ご自分で体を動かせない人はその反応も非常に早く、嫌な触り方をすると同時に筋肉が緊張していく。そういう反応が人体に起こることを知らないと、腕や足をものをつかむようにつかみ持ち上げる。するとすぐに痛みが発生する。 つかんで持ち上げることと、支えて持ち上げる違いを体感していただくとすぐに人としてへの触り方の重要性を理解していただいた。 一連のケアが終了して、のどが渇いたというので娘さんの介助でヤクルトやスポーツ飲料を飲んでいただく。 顎が上がったままで、飲もうとするだけでむせてしまう。 ベッドの頭方向をギャッチアップして枕の下に両手を入れて顎が下がるようにして姿勢を整えるとストローを使って一気に100mlほど飲む。娘さんにお口から飲んだり食べたりするときには、首から頭までの傾斜角度を飲みやすいような角度を作ることでむせなく食べたり飲んだりできることを説明した。 枕以外に適当なものはなく、急きょたたんであったおむつを枕の下に左右3枚ずつ、そしてもう2枚横に使って姿勢を整えるとさらにヤクルトを1本ごくごく飲みこむことができた。 確かに、週単位で最期を迎えるかもしれないという時期であっても、いろいろな工夫をちょっとするだけで、体調は良くなり、飲んだり、食べたり、話したりできるようになる。 最後は笑顔で「入れ歯を入れてものを噛んで食べたい、話をしたい」とおっしゃる。 終末期であっても、食べたり、飲んだり、話をしたりしたいというお気持ちを大事にしたいというのは娘さんが願うことだし、看護師も最後までご本人が望む時間の過ごし方をしていただきたいと切に思う。 予後一週間でも二週間でも、入れ歯を調整して飲んだり食べたり話したりできればそれに越したことはない。 今日の予定の訪問が終わって、診療所に酸素流量を変更したことと歯科の訪問診察の希望があることを伝えると、「もうこの人にそういうことはしなくていいんです。酸素も酸素飽和度が90%を切らないであれば流量を変えなくてもよい」とつれない返事。 頻呼吸も頻脈も本人の消耗が激しくなるので、楽にする必要はあるかと思うと、伝えようにすると「そういうことは明日文書で報告してください」って電話がガチャッと切れてしまう。 本人も家族も何もしないでさっさとお迎えが来ることだけを希望しているわけではないし、食べたい、話したいという患者さんの希望をどうしてとことんかなえたいと願わないのだろうか。 肺がんの末期だからといって、ただじっとベッドに寝たままで苦痛を増強させてお迎えを待つだけでいいはずがない。 この電話が終わってしばらく怒りが収まらず。このブログを書いている今だって腹が立っている。 死んでいく人だから、特別なことは何もせずほったらかしでいいんですよ、と言い切ってしまっている看護師のその患者さんに対する割り切りすぎたプロとも思えないその考えが許し難い。過去と他人は変えられないから、どうこうするつもりは全くないが、そういう人が看護の仕事をして、患者さんや家族にそういう冷たい思いしか抱いていないことがどうもこうも理解できないし、我慢ならない。 今日一回だけの訪問だったけど、腫瘍のある部位には呼吸音が異常であったけど、呼吸そのものは胸郭も腹部もしっかり動いて、脈拍もしっかり触れるし、尿もよく出ている。床ずれはでき始めているけど、それもベッドやエアマットを変更して介護方法をちょっと工夫するだけで、結構復活しそうに思えたので、ケアマネージャーに連絡してベッドやエアマット、体位変換器を変更する依頼をした。 そのケアマネージャーはとても良心的で、日月を連休になるけど、何とか水曜日には間に合わせるように手配をしたいといってくださった。 謙虚にコツコツ誠実に仕事はするものだと思う。せめて自分が担当になった患者さんやご家族が笑顔で過ごせる時間を一分でも多くしたい。 そういうことをしたいために看護師として働き続けてきたのだから、これからだって筋を通してこの気持ちを貫く通したい。
2015年10月09日
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毎年10月には、東京ビックサイトで国際福祉機器展が開かれる。 様々な福祉用具や福祉機器が研究、開発、発売される中で患者さんの苦痛や不自由をそういった福祉用具で解決できたりする。褥瘡や関節拘縮はよく知られるようになったが、電動ベッドや移動補助具の使い方については私もそうだけど、よくわからないままに普及はされているものの、誤った使い方でかえって褥瘡を新たに作ってしまったり拘縮を進行させていわゆるチキンレッグといった状態のなってしまっている方に時々お会いする。 一人暮らしとか、老夫婦二人暮らしの方で要介護度が高くなってしまっていると、食事、掃除、洗濯、戸締り、買い物など暮らしを支えるために訪問介護を一日数回利用しなければ自宅では暮らしていけない。 そういう方が関節拘縮が進み、床ずれが発生して、骨や腱が見えるような状態になってしまうと、ケアの方法を抜本的に見直さないと、近い将来には床ずれが多発に発生して専門的な褥瘡治療をするために入院をしたり、栄養状態を改善するために一時的にせよ胃瘻を増設して栄養を取りながら、並行して内視鏡医師としせい言語聴覚士による嚥下評価、褥瘡の悪化を防ぐスキンケア、理学療法士による身体機能の向上、作業療法士による上肢機能の向上や手の機能を高めるための種々の治療が行われる。 栄養状態が悪化してしまえば、褥瘡だけではなく肺炎も、筋肉の萎縮も、気持ちも沈み意欲がなくなっていく。 何はともあれ、低たんぱくや貧血、ビタミンや電解質欠乏を治療して元気になっていただきたいのだ。 胃瘻は一回作れば一生だと思い込んでいる人が多いようだけれど、嚥下機能を向上するリハビリを言語聴覚士をはじめ病棟看護、リハビリのセラピストで共同してケアすれば、胃瘻を抜くことだってできる人がいる。 咽頭や喉頭の筋肉萎縮が少ない時期に早期に発見して治療をしさえれば、またお口から食べられるようになっていく方も多いのだ。 体力が低下してくると、座ることも歩くことも歌を歌うこともだんだんおっくうになってきて、ベッドがあれば食事やトイレだけでなく一日中ベッドに寝てうとうとしている。 朝の光を入れず、カーテンを閉め、電灯をけして真っ暗の中で過ごしている方もいたり。こんな生活をしてしまうと、あっという間に昼夜逆転して、そのうちに食べることも忘れてしまう。 まず高齢者の部屋は、東向きや南向きで光が十分入るお部屋がよく、朝が来たらカーテンや窓を開けて新しい朝の空気をすっていただき、二中はカーテンを開けておく。これだけで昼と夜の区別はつくようになる。 そして大事なことは、退院する前に、自宅での必要な知識や技術を在宅サービス事業所がマスターしておき、家族に説明して家族ができるようになるまで伝えていかなければならない。それをするのは訪問看護士や訪問リハビリの理学療法士や作業療法士であると思う。 この段階が現在は一番できていない。新しい技術は短期間で看につかないので、リハビリの専門職ができることを看護師やヘルパーができない。ヘルパーは一番サービスに入る量が多いので従事する人も多いので、さらに身に着けるまでには様々な工夫と時間が必要になってくる。 でも、在宅で褥瘡や拘縮を予防するために、ベッドのぎゃっちアップ、ぎゃっちアップの度に背抜きと足抜き、心地よう姿勢を作るために体位交換とポジショニングクッションの適切な使い方。車いすに座り方、車いすでの姿勢の作り方、などなどヘルパーさんにお願いするケア量は圧倒的に多い。 様々な事業所が多い中で、一つ一つの事業所とどのように連携するか。現在これが一番難しいと思っていることです。一人の患者さんについて、問題点を明らかにして、必要な勅使と技術を提示してどのように学ぶ機会を作るなど、数年前からずっと何とかしたいと思っていても手を付けないままにもう2年。 あと一年くらいの期間で、一人の患者さんのチームの力をどう向上させて患者さんの暮らしが快適になるような地域のチームケアを何としてでも立ち上げたい。もう、ボランティアでもやってしまいたい。 国際福祉機器展に二日間参加して、ほとほとそういう思いを強くしました。 困難なことは多いはずだけど、ヘルパーさんと仲良くなって問題を共有して「ねぇ、どうしたらいいのかしら」と話し合える間柄になりたいなぁ。
2015年10月08日
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昨日の夕方、総合病院の精神科医医師を招いて、「せん妄時の鎮静薬の使い方」という学習会があった。急性期の病院で治療のために入院された患者さんが突然せん妄になって、治療のための入院されたのに点滴の針を抜いてしまったり暴言や暴力のために不穏になって入院目的の治療の継続が困難になったときどのように対処すべきか、主に医師向きの内容であったが、せん妄と不穏、BPSDとどのように判別して、治療をしていくかというとても実践的な話であった。 講師になった精神科医は大学を卒業した2年間は私どもの病院に研修医として働いていたこともあり、また施設での経験もあり、看護師や薬剤師、もちろんご本人の患者さんにも負担をかけないで本来の入院目的の治療を進めるためにどのように医師として仕事を進めるべきか、非常に具体的でわかりやすい内容であった。 まず、せん妄とは内臓疾患があり、さらに急激に発症して、意識障害があるということが認知症との鑑別の要点という。せめて、見当識障害(時間と場所)の有無をみて、まずは眠らすことが大事という。 こういう場合にどう患者に説明して進めるかというと、大阪出身なので大阪弁で10分間は患者さんに一生懸命お願いしてみるという。それで効果がなければ、人を集めて点滴をして、そばについて点滴を落としながら酸素飽和度を確認しながら寝入ったら点滴を中止してあとは酸素飽和度と呼吸状態を観察すればとりあえず夜の間は眠るので、患者さんにとって安全で、夜勤の看護師にとっても少ない夜勤体制の中で仕事を継続できることになるという。 講演を聴いていた医師が「説得の方法として何かコツはありますか」という質問があったが、「看護師さんは患者さんと非常にラポールが取れているので、看護師さんが不穏といえばまずそれを信じて、鎮静させることを医師とします。看護師さんが説得できなければ医師は説得できないと思って間違いない」と。 せん妄が発生した時には、とにもかくも寝ていただくことが第一で、その後のことは翌日にじっくり考えればよいことと明快。 向精神薬や抗うつ薬、睡眠薬について12種ほどの解説があり、禁忌や使用順序の話もあり、日ごろ向精神薬についてまとまった学習をする機会がないものにとっては、非常に有意義な2時間であった。 またこの医師の仕事をする基本姿勢として、看護師をはじめ医療チームに目配りして無駄な熟考を排除してまず必要なことをできるだけ手間をかけずに効率的に行うという360度気を配って行っているところが素晴らしい。家族に対しても、入院しているのに呼び出すということは極力避けるというのもすごい。 様々な立場の方の事情をよく組んで仕事をなさっているのだということが言葉の端々から感じ取られた。
2015年10月07日
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ここ2年程通っている美容院の方に、「脱毛が多くて剥げてしまうかと心配になる」と相談してみた。シャンプーをしたときに首筋に10本の指を丸く置いて円を描くように3分ほどマッサージをするとよいと教わった。もしできるなら、椿油などオイルでシャンプー前にこのマッサージを行い、シャンプー後はタオルドライをしてから、オイルを手に取ってよく温めてから毛先を中心に優しく毛髪にすり込ませていくと、そのうち脱毛は少なくなっているはずと教えていただいた。 早速椿オイルを購入して先発の度にに実施してみた。確かに脱毛は少なくなって、髪の通りもよくなってきた。 脱毛が減ってきたおかげで、お風呂のごみも少なくなってきた。 さらに、その美容師さんが言うのには、髪の毛と顔の移行部をよくマッサジしていると肌がどんどん良くなるという。 とりあえず一か月試してみると、シャンプー時の抜けがが少ない感じがする。 顔に関してはまだまだはっきりした変化は不明だが、ごくごくわずかだが、こめかみにあったシミがうすくなってきたような。 朝はこのオイルで、頭皮と顔のマッサージをして、顔に関しては追加でクレンジングをして、化粧水をたっぷりつけてクリームとUVクリームをつける。 さらに、昨日カットで美容院に行くと、手作り化粧水の作り方を教えていただいた。そこの美容師さんはみんな厚化粧でなく肌がとてもきれい。35℃の焼酎をもとにしていろいろ工夫するらしい。美容師さんたちの肌の美しさを見ていたら、手作り化粧水を作りたくなってしまった。
2015年10月03日
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おとといの夕方に、ひどい肩こりと頭蓋骨を囲む筋肉のこり、そして首をひねると妙な痛み。 山服なのに、服の締め付けが不快で不快でたまらない。 ゆっくりと風呂に入り、痛みを感ずる部位全体を指圧し続けながらストレッチをしても痛みが治まらない。 昨日は何とか仕事をしたものの、夕方になったらもうどうしようもなく近所の整骨院で自費でもよいのでマッサージをお願いした。 詳細に診察していただいて40分ほどマッサージを受ける。第一頸椎あたりのなんとも言えない痛みは消えない。頭痛も頭の中ではなく、頭蓋骨に上の筋肉痛。頭のどの部分を押しても痛い。 仕事がら頭を前傾した姿勢をとることが多い。そのうえ、最近老眼が嘘のように改善して、幼いころから慣れ親しんだ腹這いの読書が復活していた。 柔道整復師の先生に、恐る恐る腹這いの読書は首に負担をかけるかどうか尋ねてみた。 ストレートネックなのに、その姿勢は最悪で、どんどんコリや痛みを悪化させますよとのお答え。 ごろりと横になっての読書三昧の結果でこの妙な肩こり。 自費でマッサージをしていただくので、5千円とか予想していたのに、たった1800円。一回で改善しなければ数回受診するつもりであったが、帰宅後40度のお風呂にゆっくりつかりながらストレッチや指圧。今日起床してからもそれを繰り返して、何とか仕事ができるくらいには回復。 これまで、40肩、50肩、捻挫、腱鞘炎、骨折といろいろな診察科の中でも一番お世話になっている整形外科。 いよいよ加齢による変形性の疾患が自分にも明らかに表れてくる年代になってしまったんだとガックシ。 ストレートネックだなんて。大事な頸髄なのにね。 腰痛には絶対なりたくないと思っていたのに、腰ではなく首だなんて。しばらく、週一、二回この整骨院に通って姿勢やストレッチなどのセルフケアについて教えていただこうと思う。
2015年10月01日
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