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昨日のニュースを聞いて、ビックリと言おうか、唖然と言おうか。 社会保障をどんどんなし崩しにして医療崩壊を招いたのは、これまでの自民党政権のつけで起こったこと。それをいまさら、介護離職0って。 それも、特別養護老人ホームを増やせば何とかなるらしいという、介護の現場を何も知らない方々のつけ刃的な政策、次の国政選挙を乗り切るためにとっさに浮かんだ思い付きとしか言いようがない。 安倍さんは、一泊二日でもよいので介護離職をされたお宅に出かけて、もちろんスーツを脱いでジャージ姿でつきっきりで介護を体験されたら、こんな思い付き政策を実現するのは不可能に近いということをすぐさま腑に落ちるはず。 安倍さんは一泊二日でもよいので、潤沢にいる各議員の全秘書が各選挙区に帰り一週間の寝泊まりをさせてもらって自宅療養をされている家庭にどんなことが起こっているか体験してほしい。そして、超高齢化社会が進む中でどんなことが各家庭で起こっているか、介護離職をせざるを得なくなったその理由は何だったのか考えてほしい。 人工呼吸器をつけて過ごしている家庭では、夜も昼も痰を吸引するために家族はまとまった睡眠がとれない。重度の認知症の方を介護している家庭では、おむつ交換、着替え、食事介助、シーツ交換、床ずれ予防のためのスキンケアなど次々といろいろな介護を行わなければならない。 大量の便失禁をしたら、体をきれいにして寝間着や下着を交換して、シーツを交換して、その手間を一人の介護者がするには一時間以上はかかる。 誤嚥性肺炎や床ずれを防ぐためには、きめ細かなケアが必要で、たとえ家族でも適切な介護をするためには訓練が必要になる。残念ながら、介護専門職で仕事をしている方でも、そういったケアをどうするか教育を受けて技術をマスターしている方は少ない。 障害が重くなればなるほど、一人一人に対するケアの個別性を考えて行える熟練した技術が必要になるのに、今でさえそういう介護技術を訓練する教育力量を持った介護事業者は少ない。全国展開している有料老人ホームで虐待が横行しているのも認知症をはじめ高齢者が普通に罹患している精神疾患に対して知識と技術がなく、会社として教育力がないことを示している。 でも、特別養護老人ホームを増やさないで、民間活力を利用しようと法律の縛りがすくない有料老人ホームとかケア付き高齢者住宅を推し進めたのは、安倍さん、あなた方自民党がここ数十年推し進めた政策でしょう? 必要な人材の育成、業者の指導など全く度外視している。一番の教育ができる人材豊富な医療機関は、超急性期、急性期、亜急性期、回復期などと一人の人をベルトコンベヤーに乗せるようにどんどん病院を変えなくてはならない。超急性期の病院に至っては、転院する病院を家族に探せという。帰る家もない人に、退院を迫る。 急性期の医療機関は自宅に帰ってから何が起こるか、そのために患者や家族が必要な知識や技術を身に着ける教育はできていないし、回復期病棟や亜急性期の病院でもそこまでは手が回らない。 「退院支援看護師」などを配置している病院は増えているけれども、1千床の病院でも、その配置数は数人しかいない。 しかも、医療費の自己負担は増えるし、この夏には介護保険の利用料が2割負担になった方も多い。1割から2割というが、負担は倍ですよ。厚生年金受給者でも、医療費、介護保険の利用料、光熱費、介護に必要なおむつなどの物品、とてもやっていけないと思っている家族は多い。 介護離職0だなんて、選挙目当ての政策に過ぎない。安保法案をごり押しして支持率が下がったからと言って、聞こえがよい政策を目玉にするなんて。 そうして、またまた怒りが爆発してしまうのは、そういう政策を実現可能と言い切ってしまう経済学者がいること。 厚生省の職員、国会議員や各自治体の議員や秘書、経済学者、医師会のお医者さん、みんな介護体験をしてみてほしい。 一番面倒で手間がかかることは、給料も少なく労働環境も整備されていない介護職に任せて、そのいう環境も全く考慮されていない家族が担っている現状を肌で感じてほしい。 こんなことを言ってみても、一泊二日の介護体験なんてする人はいないかな。
2015年09月28日
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連休前には、ショックなことが続いて怒りまくっていた私。 「信念対立解決アプローチ入門」などチーム医療に関する本を読み進んで、自分自身が思い込みにとらわれていたかもしれないと気が付く。経験が豊富になると、自分自身の成功体験から思い込みになることもありとの指摘もあり、人それぞれその人自身の成長過程があり、自分と他人は意見、感情、知識、技術、思考など違うことを前提にしないとチームは育たない。かといって人それぞれだけということに帰着してしまうと、ばらばらなケアになってしまう。 そこで、患者さんの立場に立ち返り、何が大事か話し合うことが大事で、それも患者さんやその家族もチームの一員として考えることが大切という。 また「ケアの本質」では、ケア対象者の成長を信じることが大前提との指摘もあった。 人と人との関係を、職場でも家庭でも地域でも様々な場で熟考することが自分には必要だ。 今更だけど、相手を尊重する、相手を信じるということを学びなお指す必要があると痛感した。 ここ一年間ぐらい、寅さんにはまっていて連休中はJ-comのオンデマンドで寅さんをずっと見ていた。寅さんは困っている人や悩んでいる人の様子を見るだけで、初対面の人にも声をかけ、相手の話をよく聞きだす。そして、ご自分が何とかその悩みを解決するサポートができるとひらめきと確信で猪突猛進していく。 寅さん自身の言葉で率直に思いを相手にぶつけるので、その言葉が相手の心に届いて相手の人生が新しく切り開かれていく。 おせっかいといえばおせっかいと言えるかもしれないけど、核心をついた寅さんの思いは相手に届いていく。毎回、恋は成就しないけれど、でも去り際は顔で笑って心で泣いて、心配するさくらやおいちゃんたちにつらい思いをさせないようにさりげなく去っていく。 特別に難しい言葉は使わず、自分の経験の中で学んだことを普通の言葉で表現する寅さん。寅さん一人では何ともできないときには、とらやさん一行に願いを託す。 寅さんを何回も繰り返してみていくと、段々笑えなくなって、じわじわと心に染み込んでいく。 現在は情報があふれかえり、ともすると情報を得ることに精いっぱいになりがちだけれど、それを自分の体で経験してこそ、自分の言葉として自分の中で蘇らせることができるように思う。 寅さんやさくらさん、おいちゃんやおばちゃんのように生きていないわけだけど、自分の経験から学んだことを言葉にしていくこと。他者はまた違う経験を重ねているのでその方の考えや思いは尊重すること。でも、人間として看護師としての看護ケアでは、互いに意見をめぐり合わせて折り合いをつけていく。 そんなことをつらつらと考えているうちに連休は終わった。 ゆっくり休んだら、気持ちも落ち着いて、体も元気になってきた。もう9月はあと三日で終了。今年も四分の三が過ぎる。 いつでも心機一転、再スタート。
2015年09月28日
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川島なお美さんが亡くなられたというニュースが入った。 先週かと思うが、通院時にマスコミにひどい質問をされても穏やかな対応をされていたという報道を見た。 どんな転帰で亡くなられることになったのかを知る由もないが、きれいに化粧してしっかり身支度をされて通院されたその女優らしい振る舞いに素晴らしいと称賛するしかない。 マスコミに携わられる方々は、有名女優が痩せている姿をみると「激やせ、激ヤセ」と書き立て、大変失礼な質問まで投げかける。有名人だから、そういう無礼な質問をしてもよいと思っているのだろうか。 ご自分の病気を公表されているのだから、その病気についてきちんと学んで痩せてくるのはどのような状態変化が起こっているのかを予測して、取材を自粛すべきではないか。静かに見守ることはできないのか。 報道する責任とは、病気と闘う人に対して、いちいちその戦いぶりや状態変化を公表するべきと考えているのだろうか。女優という仕事は、たくさんの人に目に触れる仕事だろうけど、そんなプライベートなことまで無数の見知らぬ人たちに情報を提供するのを当然と考えているのだろうか。 こういう方々が報道責任とか口にすると反吐が出る。有名人に対しての取材に倫理観なんて全くなく、所詮飯の種ぐらいにしか思っていないのだろう。 高倉健は一切ご自分の病気に対しては、口外しなかった。ぶしつけな質問にさらされることが、どんなに病気と闘う人を傷つけるか、周りの方々が十分承知していたのかと思う。 病気療養しながら、舞台復帰を願い戦い最期を迎えた川島なお美さん。 周りで支え続けた皆様、主治医をはじめ医療チームの皆様。さぞや無念でしょうが、女優さんらしく最後まで美しい姿を見せられたその力を尊敬します。 ご冥福をお祈りいたします。 合掌。
2015年09月25日
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もう、何を言っても通じないメンバーにあきれ果て、呆れてしまうばかり。 今日の午後、何も言わず旅立って逝ってしまったKさん。 先週の金曜日はまだ意識があり、うなずいたり声を出すこともできていたのに。 40度の発熱が続いて、呼吸も早く、脈拍も早く、酸素飽和度も低いというのに、医師に報告もせず酸素量も変えず、収縮期血圧が60mmHg で頻脈だというのに、全身清拭をして、そのケア中に呼吸停止してしまった。 どうして、臨終が近いのに全身清拭などという負担があるケアをしたのか。一分間の呼吸が36回という数字があらわす意味を理解できていないとか言いようがない。 同じ最期を迎えるにしても、家族に最後の会話をしたり、家族も肉親に伝えたいことを伝えたりと、たとえ治らないとしても、本人も家族も最後の時間を共に過ごしたという実感を得られるようにケアをすべきなのに。 午前も午後もバタバタしていたので、同僚からゆっくり話を聞くゆとりはなかったが、なんとなく気になってカルテを見てみたら、もう呆れて呆れて。 同僚がそばにいたら、罵倒したかも。 「管理」がされていない、人材育成をおざなりにしている職場の見本のよう。 指摘しても学ぶ意思がないので頭に入っていかないし、そんなことだから同じことを何度も言われても覚えるはずがない。 日々変化する患者さんを前にして、昨日と同じ処置をしてそれで良しとしてしまう、そういう精神の持ちようが理解できないし、ほかの人がそうだから自分も同じように昨日と同じ処置をするという「自動的」な仕事の仕方をなぜ生身の人間に対してできるのか。 どうして、なぜ問題なのか振り返ろうとしないのか。 私にはまったく、同僚のそういう仕事の仕方がわからない。 「○○さんは勉強好きね」と私に対して簡単に言い放つ同僚。 患者さんに対して誠意あるケアと、現在の日本で最高のケアを提供する義務が現役の看護師にはあるはず。 勉強が好きとか嫌いとかの問題ではない。その方に対して必要なケアをするために学びたいと思うだけなのに。 定年まであと2年もないけど、もう退職したい。 こんな職場で働きたくない。いろいろ頑張ってみたけど、もうエネルギーを絞り出せない。
2015年09月24日
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Mさんは92歳。 大腸がん、喉頭がん、膀胱がんとここ25年間で、いろいろながんを早期発見早期治療して生きてきた。そして、膀胱がんの手術後にどうも息切れが強くなって、坂の下のスーパーに自転車で買い物に行った帰りに、息切れがひどくなって自転車を押して坂を上るのがつらくなってきたという。 胸のCT検査を受けたところ肺がんが見つかり、手術はもう無理な状態になっていて、化学療法は体力を落とすだけだからと何もしないで最期を迎えると決意した。大腸がんの治療に当たった医師から、化学療法の可能性について何度も説明を受けたが、「世話になった先生からの話だけど、申し訳ないけど今度ばっかりは先生の話にはのれなぇ。先生堪忍してくれな。」と断ったそう。 15歳から植木屋で全国を飛び回り、75歳まで仕事を続け、妻を見送り、墓がある住職には最期の話も住んでいて、「俺はなぁ、最後の時まで始末できるように手回ししているんだ。これ以上生きていてもしょうがないんだよ。鉢の木が心配だけどなぁ。この鉢はあんたがもらってくれるか?」と。 トイレに行くときにも息切れがひどくなり、「どうにもこうにも動けなくなったから、先生何とかしてくれねぇか?」と初めて苦しいことを伝えて、在宅酸素療法を受けて、「こりゃぁ、今まで一番の治療だね。楽になったよ」と。 自分の生き方はとても明瞭で、そろそろシャワー浴なども無理な状態になっていて、肌も乾燥してきたので、訪問の時に、シャワーのお手伝いをしようかとお話をしてみたら、血相を変えてお断り。「まだ、カレーを煮たり、ご飯を炊いたり自分でできているんだ。シャワーなんぞ、自分の調子を見ながらやっているんだ。そんなことができないようじゃぁ、寝たきりになっちまうんじゃないか。ごめんだよ、寝たきりになるなんて!」 足のつめは伸びていて、爪も厚い。爪切りならさせてもらえるかもしれないと、話したところ「ニッパーを持っているんだけどなぁ、爪を切ろうとすると苦しくなるんだよ、やってもらえる?」ということで、足の爪切りだけはさせてもらった。 さすがに植木屋さんなので、刃物のことも詳しくって、日本製のニッパーをみて「その爪切りを見ただけで切れがいいことは分かるねぇ。いい道具を持っているんだ」とほめられた。「今日は爪を切ってもらってさっぱりした、ありがとうね。あんた、また来てくれるかい」と。 それがMさんとの最後の会話になった。 翌々日、ヘルパーさんから連絡があって、「息苦しいと言っている、どうしたらよいか」と。生憎、かかりつけの病院は満床で、救急車で総合病院に入院されて、2週間後に亡くなられた。 訪問介護を毎日受けていたが、ヘルパーさんに頼むのは買い物と掃除だけ。調理も洗濯も自分で行っていたMさん。 最後だけは、頼りにしたかかりつけ医に見守られることはなく逝ってしまったが、あとはみんなご自分の思い通り。 奥様を亡くされた後、自分の身の回りのことはみんな自分でやり遂げ、最後の始末まで手配をしていたMさん。日々の暮らしに必要なものだけにして、無駄なものは持たず、身の回りのことは自分でやり遂げる。そんな風に人生の晩年を過ごせることができるのだと教えていただいた。 Mさん、本当にありがとうございました。
2015年09月16日
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家にいないときは、パソコンのテレビも見ないので、思い切ってネットもケーブルテレビの電源を切ってみた。 今年の夏は暑かったので、扇風機とサーキュレータ(どちらもDC)をつけっぱなしにしていても、8月は前年同月比10%減、さらに9月は16%減!! 真夏だったのに、137kWhで3273円。 夏の電気料金としては、最低額かも。 昼間は仕事でいないからと、思い切ってコンセントを抜いてみたが、テレビのスイッチを入れて画面が見えるまでに25秒から30秒待つ不便だけ。 不便なことをちょっとやり過ごすだけで、節電できるもんですね。
2015年09月15日
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最近、ガン末期で自宅治療をされる方が増えてきており、私どものステーションでも「最後を自宅で過ごしたい」と退院してくる方が増えてきた。 インフォームドコンセントという言葉は、ずいぶん普通の会話でも使われるようになり、ガンに限らず一般的に患者さんの病状について医師から患者家族に率直に伝えることは普通になった。 もちろん、様々な治癒を目指す治療が体力的にもガンの進展度からいっても困難な時が訪れることはある。 80代、90代の両親に、「母親はパニックになりやすいから本当のことは伝えないでほしい」という家族はまだまだ多い。家族の中に医師や看護師、理学療法士などの医療従事者がいても、教師とか弁護士とかそういう職種の方でも、「本人に伝えないでほしい、でも家族で最期まで自宅で看ていきたい」という。 確かに積極的な治療がなくなったら、その後どうするかなど悩みが多いことは容易に想像がつくけど、認知症もなく理解力もある両親に対して、ガンであることを伝えないことがどういう状況を生み出すかを想定しないでいるのかもしれないと考えてしまう。 80年、90年の人生の荒波を乗り越えて戦前戦後のあの厳しい時代を生き抜いてきた方々が、確かに悪いニュースを聞かせたくないという家族の思いは分かりはするが、ガンと聞いたからと言って自殺したり、無謀な行動をとるとは思えない。不安で眠れなくなったり焦燥感に襲われそうであったら、一時的に不安を落ち着かせたり眠りやすくなる薬を服用して、最後まで家族がそばにいて、病状の変化に対応して様々な苦痛症状に対して対応可能であることを話せば、いずれは本人も落ち着いてくるに違いない。 高齢の方々は戦争に行ったり、空襲にあったり、大災害に事を身近な人から聞いた経験も多いので、年老いた両親を精神的な弱者ととらえることが果たして妥当な判断と言えるだろうか。 日々体力がなくなり、食欲もなくなり、便秘になったり、眠れなくなったり、むくみがどんどん増えてきたり。 様々な体調不良に対して、「悪いところがあるのなら入院して治療を受けて元気になりたい」「どうしてこんなに熱が出てしまうのだろうか」「(医師が出してくれる)薬をちゃんと飲んでいるのに、昨年に比べればどんどん悪くなっているのはなぜか」「先生に話をしてもちっとも説明をしてくれない」などと、自分の体の様子の変化を理解できないために、不信を募らせていく。 呼吸がちょっとでも苦しくなれば、「救急車を呼んでほしい」「医者を呼べ」と家族に懇願することが度々。 緩和ケア病棟に入院させたくても、基本的にご本人がガンであるという自分の病状を理解していることが基本なので、入院することさえできない。 父息子、父娘、母息子、母娘ゆえの、気づかいと優しさが人生の最後の時間を、本人は治るつもりがあるのに逆行する自分の状態に対して納得できず、悩んでしまっている。 ガンと知らせるときは、医師は家族とよく相談してどのように「悪いニュース(BAD NEWS)」を伝えるかを訓練しているし、時間を割いて何回も説明したりするようになってきている。家族など身近な方々の相談を受けるようながん専門看護師がいる病院も増えている。患者会もあるし、様々な相談機関が増えている。 どう伝え、その後どう支えていくかについて、相談できる医師も看護師も多くなってきている。 まず医師から家族が病状を聞き、そのうえで本人にどう説明するかという方法もあるだろうし、まず本人と家族に伝えて、予想される状態について気になることを本人と家族から聞き出して、次回受診までの予想される心身の状態に対して頓服薬を出してもらえるように話すこともできる。 医療従事者であっても、経験が少なければなかなか決断できないこともあるだろうけど、高齢の親であってもその人自身に最後の決定をする権利はあるのではないか。 自分のことなのに、何も知らずに、家族が考えられる範囲で最期時間を過ごさなければならないのは、私だったら絶対避けたい。
2015年09月14日
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日曜日押しかけボランティアで寝室の整理をしてきたVさん。 今日は定期の訪問日で、朝の電話で訪問予定時刻をおしらせすると「この間はありがとうね」と一言。 寝室には一畳以上のスペースができたので、早速その部屋に小さな段ボール箱が3個移動してきていた。 きれいな布が段ボールで作った整理箱にかけられてあって、少しは使っている様子がうかがえた。 玄関に突っ張り棒でカーテンを吊るしてみたが、ドアの開け閉めで落ちてしまったと報告があり、「10月末か11月には寒くなるので、そのころになったら吊るしてみてね」との依頼も。 自分もそうだけど、タンスや整理箱などがあっても、普段使いのものは身近に置いておきたい。 Vさんの部屋の収納の様子は、タンスや棚があってもそれらには埃がたまっていて、モノが増えるたびに少し背の低い家具を買い足して、後ろにあった茶箪笥とかはあってないようなもの。ものを整理してしまっていくというのは季節ごとに使うものを分類したり、使うものを取りやすいところに収納するために使用頻度ごとに分類して収納しないと整理したつもりでも使い勝手が悪く、結局棚やタンスは使わなくなってしまう。 下着だけで300着以上あるということは、しまい忘れたり、便利だから安いから今のうちに買っておこうとかして買いためたものらしい。1シーズンに100着も下着は不要だし、こまめに洗濯だって行っているのに、多少の物忘れもあるのかもしれない。 タンスの前も食器棚の前も、洋服ダンスの前にも普段使いのものが積み重なっている。伝い歩きか2本杖を使わなと室内の移動ができないし、低い位置にあるものは前かがみしにくいので、立ったまま手に取れる位置にものがあるほうが使いやすいのかもしれないし、棚にしまうより便利なのかもしれない。 その方の生活の仕方にあっていないと、簡単に他人が手を出すと結局本人が迷惑をこうむるだけ。 他人が見た目のきれいさと本人の使いやすさとは全く別物のなのだと思う。火事を起こしたり、火傷をするのは本人が困ることは避けないといけないけど。 Vさんのように80歳過ぎて、怪我により身体機能が変化してしまった場合は、収納方法を変えないと暮らしにくくなるだろうし、家の中のすべての収納を見直して使わないものを処分したり、収納場所を変えたりするのは相当元気がないとできないことのように思う。 何十年も使いってきた家具を処分することは、いろいろな思い出が詰まりすぎていて処分するなんてことはとても無理なのだとも思う。 自分もいずれは、年をとり日々使うものの数も少なくてもよくなる日がやってくるはず。食器もCDも本もそうそう使う頻度も少なくなるはずだから、今から少しずつ日々の暮らしに必要なものを整理していって、思い出が詰まっていても使わないものは処分するとか、気力も元気もあるうちに整理するしかない気がしてきた。とりあえず、学生時代から使っていた洋服ダンスは何とか処分できるように何とかしたいものだ。
2015年09月03日
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Vさんは50才で夫を亡くしてから一人息子を育て上げ今は一人暮らし。87歳にもなるので、今更住宅改修をしたところであと何年生きられもわからないので、お金をそんなために使いたくないという介護度は要支援2。腰椎圧迫骨折と右股関節に人工股関節を入れており、一人で靴下もはけないし、床に滑り落ちたら一人で立ち上がるまで2時間も3時間もかかる。ここ4年程、一人でタクシーに乗ったこともないし、出かけると言ったらマンションのすぐ前の診療所くらい。買い物にも行きたいけど、転んだりしたら一人で起き上がれないので怖くて出かけられない、という。一人で靴下の脱ぎ履きもできないし、浴槽の出入りもできないのでここ数年は入浴をしたこともない。一度転んだら立ち上がれないという人に、介護度は要支援2。ケアマネが立てるケアプランをよく読んでみると、動けないのは本人に動く気力がないので筋力低下してしまっているという判断。あまりにも、ご本人の病状やそういう生活をせざるを得ない身体能力の判断が一方的で頭にきてしまった。確かにご本人は、饒舌でご自分の考えははっきり断言するし、何に困っているかを軽々しく話はしない方。でも、昨年は部屋の電気ストーブでズボンを焦がすし、挙句の果ては火傷で一か月以上も皮膚科に通い続けた。なかなか他者の意見を受け入れるような方ではないので、ケアマネージャーが頭を抱えてしまうこともわかるけど、数年間も入浴をしていないことをどう考えているのだろうか。ストーブで火傷を作ってしまったのも、部屋が片付けができず、しかも築40年以上の古い鉄筋コンクリートの建物で隙間だらけだし、玄関からも窓からも冷気が室内の押し寄せてきて冬は寒くて仕方がない。エアコンはなく、今更数十万かけて買いたくないという考えもあるのだけれど、ガスストーブ3台、電気ストーブ2台。その上、靴下やズボンの脱ぎ履きが不自由なら、ストーブを体の近くにおいて暖をとりたくなるもの。本人が怠け者でも、何かずるをしているわけでもない。ただただ、残された人生を人様に迷惑かけずつつましく暮らしたいと思っているだけなのに。かといって遠くに住んでいる息子さんにいろいろ頼むのも嫌だし、身内の妹は認知症症状があるらしいし。夏の暑さには強いというだけあってこの夏も乗り越えたが、問題は冬の寒さ。何年も前から寒さ対策をしましょうとか、お部屋の片づけをしましょうとか声をかけてきたが、良い返事はない。もう9月になるし、あっという間に寒さが忍び寄ってくる。押しかけ女房という言葉はあるけど、「寒すぎて肺炎になったり、火事を起こしたら私たちだって何と言って息子さんにお詫びをしたらよいか考えつかない、日曜日に一緒にお部屋の片づけをしませんか、○日はどうですか」とちょっとごり押ししてみた。最初は、「その日はいそがしい」とかいろいろ言い訳をしていたが、「11月までもう2か月もないし、お互いに都合がつく日曜日もそうそうないので何とか都合をつけられませんか」とごり押しして日曜日にお部屋の片づけをすることになった。床のものを拾うことができないのでレジ袋に中味をマジックで書いて、数えきれないほど床に積み重ねてある。冬用のズボンが見つからないといっていたのに、その山の中から7本も出てきて、下着と言ったら大きな袋に5つくらい。とりあえずこれからの季節に使うものを段ボールに平積みして終了。新しい下着も売るほど出てきた。5年前に退院した時の荷物もそのまま出てきたので、ご自分でも結構困っていたのだと思う。ごり押ししてやらせてもらったが、本当のところどんな風に受け止めていらっしゃるかは分からない。おせっかいといえばおせっかいだけど。身近に家族がいない一人暮らしの方々は、いろいろ不自由なことを知っているのだろうけど、それでも他人の世話になるよりましだと、一人で頑張っていらっしゃるのだ。当のご本人は、そういう自分を頑張っているとかとも受け止めていないのだ。自分だって、あと10年か20年すれば、そういう一人暮らしをするようになるのだけれど、その方の気分を害さないように支援をするって本当に難しい。自分もどういう風に年をとっていけばよいのか、今のところ皆目わからない。。
2015年09月02日
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