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今日は一年に一度の年度末面接。直属の上司に言いたいことは一杯あったが、なんだか面と向かって言うのも面倒くさくなってほんの少し注文をするだけにした。異動についても、2カ月前なら「あり」にするところだったが、通勤時間が3倍になったり新患数が少なかったり訪問看護の内容があまり興味を持てるものでは無かったりして、異動希望を出さないことにした。少々といおうか、大分といおうか、色々な不満があっても複雑なケアができる職場を選んだというわけ。自信を持って出来ることがまだまだ少ないので、もっともっと勉強してできるようになりたい、という気持ちが大きくなってきた。人間関係の面倒くささは、事務所を離れれば余り気にならないことだし、もう2年ばかりの残された時間を仕事の面白みで選んだのだ。来年度といっても、明後日からだけれど、日々自分が出来ないことを明確にしたうえで計画的に学習して、一回だけでもこれで合格点、と自分を評価できるような訪問看護をしたい。停年後の自分の活動を考えて、認知症や嚥下障害に対する知識や技術を蓄えて、さらにスキンケアやネイルケアに対する技術を高めたい。停年になったら、生活の中で必要な看護ケアのボランティアなどを出来ないものかと思い始めた。たとえば、介護老人保健施設や特別養護老人ホームなどに出かけて行って、手浴や足浴、爪切りなどをしながら全身状態を見て行くような看護ボランティアはどうかとか、アロママッサージをきちんと習ってハンドケアとかフットケアの一環で、いくつかのケアを組み合わせてするとか。施設の看護や介護はますます人出不足になって、細かいケアはできなくなりそうなので、そういうことを自信を持って提供できる技術を磨いて提供できる人材として活動する場所はありそうだし。医療的な処置ではなく、日々の暮らしに必要だけど、様々な障害でそういうことができない方に対して、安楽と安全を保証するケアができるようになったら、やりがいのあることができそうな気がしてきた。お金と場所があれば、これから介護をしなければならない家族に対して、どのようなケアが適切か、実際の実技を体験学習できるような「介護教室」を開いてみたいが、ベッドや福祉用具を置くスペースが必要になるので、実現するにはお金が大分必要になるようだし。マァマァ、まず自分の力量を高めることから始めようと思う。
2015年03月30日
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数年前まで、メンタルクリニックに通うたびに主治医に訴えたことは、「もっと意欲的に暮らしたい」「何かをしたいと思う気持ちを取り戻したい」「ただ淡々と仕事だけをする生活から脱したい」などといったものだった。 主治医の答えは「人生は小説やテレビドラマのような波乱万丈なものではない」「大半の人は淡々と仕事をするだけの生活をしている」「ある程度の年になるとそうそう喜怒哀楽の激しいものではなくなる」等の現状維持でも十分だというようなお話であった。 「生き生きと暮らしたい」「何かしてみたいという気持ちを取り戻したい」「生き生きとした感情をもう一度経験してみたい」、そんな願いだった。 「もう中年過ぎれば、青年時代のようなハラハラドキドキするような暮らしは取り戻せないので、今の精神状態は年相応の暮らしであることを自覚しなさい」と言われているようで、中年を過ぎるともういきいきとした感情を味わうのは無理なのかとため息をついたものであった。 でもでも、違うのである。 最近は年を重ねて経験が増えることと並行して分からないことが増えて行くし、毎日毎日工夫のだいご味を味わえるし、マクロでみると昨日の自分がしたことと今日していることの違いが分かる。意識の持ち方で感覚の鋭敏さも高まるし、気づきの深まりさえも感じとれる。 高年に近づいたら、昨日と今日の違いが分からないようになるかもしれないと思っていたけれど、自己理解が深まるせいか違いを感じとれる能力も備わってくる。 随分前のコーヒーのCMで「違いが分かる」と渋い大人がTV画面に出てきたものがあったが、最近の私はまさに「違いが分かる」心境に近づいてきたのである。 年をとることは何も無感情になったり、無欲になるものではない。 年相応に、年であるからこそ分かるもの、理解が深まるもの、感覚が鋭敏になることなど、経験を積み重ねてきたからこそ分かる領域が拡大したり深化することもあるのだ。 感情を取り戻すって、鬱を患ってから10年以上たってからやっと度り戻すこともできるのだ。 もう7年以上のお付き合いのある患者さんから、「○●さんは、元気だねぇ」と言われ、確かに元気になってきたように思えた。睡眠導入剤を服用しなくても6時間くらいは何とか眠れるし、朝は窓を開けてゴミ出しなどで少し外に出ればしっかり目が覚めるし。他人の評価をそうそう気にしなくなったし、自分の意見と違う人に出会ってもそれはそれと受け止められるようになったし。 深刻に物事を受け止め過ぎていた青年時代や壮年時代に本当に区切りをつけられたような気がする。 年をとって良かった、鬱を含めて色々な経験をしてきてよかった、本当にそう思える今日であった。
2015年03月25日
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先週の土曜日は所属する法人の事例検討会。パワーポイントを使うことを申し出ていたので、その準備で金曜の夜は徹夜。ワードと同じように入力すればいいだけと簡単に考えていたが、スライドを一枚一枚作成する方法がなかなかつかめず、夜明けになってやっとその方法をつかめ、作り終わったら朝の8時。 午後2時半から始まるので午後1時まで自宅で仮眠してそれからお出かけ。何とか無事に検討会を修了して、1月中旬に美容院に行ってそれからもう7週間も過ぎて天然パーマの私は、髪が伸びてくると毛先が縦横無尽に飛び跳ねてしまう。もう今日しかないと決意してやっと美容院に。春になったので軽やかにしてもらい、さっぱりした気持で帰宅。 日曜日は、褥瘡予防と誤嚥性肺炎を予防するためのポジショニングの研修会。日曜の朝に目が覚めたが、どうも体が重く出かける気にならない。もう一日寝ていようと思いつつも、今日の研修を受けなければまた苦しい日々が続くからと、気持ちを切り換えて何とか電車に乗る。 結局は参加して大成功だったのだけど、嚥下のためのポジショニングについては今まできっちり学ぶ機会が無かったこともあり、実技の時間は若い参加者から呆れられたり軽蔑めいた視線を浴びたり。出来ないことに気づくことは新しいことを学ぶために大切なことと日頃から考えていたことだったので、出来ない自分を恥じながら午後2時間の実習を終了。 電動ベッドの丁寧な操作方法やクッションの使い方など知らないことばかり。若い看護師から呆れられてしまう自分があることを知ることはやはり大事なことで、それを十分感じることは、今度同僚や家族うに伝えるときに非常に役に立つ。 月曜日、患者さんを訪問すると今まで気がつかなかったことが目に入ってくる。何かを知ることでこんな風に観察できることが違ってくるのだ。 今週は訪問して姿勢とか患者さんの体が緊張しているとかいないとか。呼吸が苦しそうとかそうではないとか、ドンドン目に入ってくる。どう改善するかについては、なかなか答えが探せないが、何かを変えなければいけないという自分の中のモチベーションの変化が起こる。 ある一つのことが分かることで、分からないことがどんどん増えて行く。 よく国宝級の職人さんが、「今まで満足した仕事は数えるくらいしかない」とか言われるけれど、自分の理想とする姿が明確になるだけで、さらにさらにと前向きになれるのだ。 学ぶって本当に楽しいことだと、今週はずっとそんなことを感じていた。 今週は明日でやっと終了。 後一日、色々なことがもっともっと発見できそうだ。
2015年03月19日
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親指の腱鞘炎で整骨院に通って、自宅でストレッチ体操をするように勧められた。肩、首、腰、骨盤回り、脚などどこもみんなカチカチ、コリコリ。鎮痛剤を服用して痛みが治まったとしても、こんな硬い体ではいつどこが色々な痛みで辛くなるやかもしれず、心をいれかえてさっそくYOU tubeを見ながらヨガを始める。当たり前だけど、痛気持ちいい位に体を伸ばしていると、行っているうちに体がドンドンすっきりしていって、自分でもわかるくらいに姿勢が良くなっている。首を回すだけで首や肩、肩甲骨周りがゴリゴリ言っていたのだ、少しずつそのゴリゴリが少なく変化。腰もすっきりと伸びる。肩も開き空気を沢山吸える感じ。腱鞘炎の手術を回避したり、膝や足首の変形性関節症を予防するためにも、毎日毎日ストレッチを5分でも10分でも続けて行こうと思う。職場の休憩室は畳部屋なので、昼休みにもストレッチ。昨日から急に暑くなり、半袖でも過ごせてしまうような春日和。来週の関東はまた寒さがぶり返すとのことだが、体の手入れを欠かさず行って、今年の春は山に出かけよう。
2015年03月18日
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今朝のこと。9時過ぎの時間帯は打ち合わせと訪問予定患者さんとの連絡を済ませて朝一番の患者さんとの約束時間に間に合わせるための貴重な時間。パニック障害のために不安に陥るといてもたってもいられず何度でも電話をしてくるWさんから5回の電話。6回目の呼び出し音が鳴ったので受話器をとると鼻息だけで5秒。忙しい時間帯なので、思わず「Wさん?」と話しだすと、「あんた私が名乗る前にどうしてWさんと決めつけるのよ!!」って怒りだす部長職。○●事業所の△△です、って答えたのに、朝の忙しい時間帯を承知で無言で数秒過ごしたのはご自分なのに、勝手に怒りだすって・・・。「■ ■さんは機嫌が悪いの?」って同僚。この上司、かっては20代前半で管理職になり生え抜きのエースって組織を上げて喝采された方。でも、組織の中でずっと管理職だけを続けて30年。最上級の管理職になると、誰だって「YES MAN」を周りに配置したくなるというのは管理職の習性のようでこの方も例外とならず。私の会社には、この方のように20代前半で管理職になった方が何人もいる。管理職ならずとも50代とか中年を越えた看護師は大体二つに分かれ、年齢を言い訳にして責任逃れをしまくったり経験を楯に若い医師や看護師を顎で使ったりする老害をまき散らすグループと謙虚で黙々と仕事をこなすコツコツタイプ。残念ながら50代で管理職の看護師は、自分の勉強不足を棚に上げて他人の意見を聞かずに自分のやりたいように仕事をする方が多い、私の会社のことだけど。そのくせ言い訳に関しては流石にベテランなので詭弁を使いまくり煙に巻く。何か問題があると、ご自分の責任に対して言及せずに廻りを攻め立てる。年齢を重ねることは決してマイナス面だけって思っているわけではないが、いくつになっても努力を重ねて謙虚な方にあまりお会いできないのは私の会社だけのことなのか、それとも看護職という職業のせいなのか。様々な心身のストレスにさらされている患者さんと向き合う職業なのに、ドンドン無神経になってしまうのはどうしてなのだろう。現場に身をおかずに組織を運営する管理職になって、経営とか教育とか、行政対応とか難しい課題をこなすために瑣末な感情を捨て去ってしまうのか。上司の資質や意向に左右されてしまうのは未熟だし、上司のために働いているわけではないが、こんな上司のもとで働かなければならないことが悔しかったり口惜しかったり、ガッカリダッタリ。自分の親を選べない以上に上司は選べない。嫌なら辞めればいいわけだけど、この年になればそれも億劫で。結局何の益ももたらさない YES MAN が増殖して、腐りきった組織になってしまうというわけ!?腐りきってしまうことが嫌で嫌で、ここまで頑張ってきたわけだが、一人で頑張るのはもう気力も体力もない。機を狙ってあちらこちらで自分の目指すことを語り続けたり、患者さんの言い分をよく聴いたり。いくつになっても毎日の仕事のなかに、新たな発見があったり同僚や患者さんに教えられることばかり。上司の顔ばかり伺うような人間になりたくはないけど、一看護師になってみると意外に上司の顔色が目に入ってくるもの。それはそれと振り切って、やっぱり患者さんと向き合う時間を濃密に過ごしたい。
2015年03月12日
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両腕の親指の付け根の痛みは今年の一月下旬ころより感じ始めていた。骨折していてもテーピングと鎮痛剤の併用で、骨折していたのに捻挫と誤信して働き続けたり、右腕の50肩を経験後の間もなく左も50肩になってしまったり。親指の腱鞘炎で整形外科医の腱への注射で痛みが治まったら、体の使い方を変えることなく両側の腱鞘炎をまた起こしたり。極めつけは、抗鬱剤のサインバルタで肩凝りが治まったものだから、ストレッチとかをすっかりしなくなっていたところ、今度の両側第一指の腱鞘炎。肩凝りから首の凝り、頭痛がひどかった時期は、鬱の症状もひどかったのだけど、週何回も整骨院でマッサージを受け続けていたのに、鬱が改善して抗鬱剤の効果もあって、肩凝りがあっても自覚できず、整骨院通いもせず、「痛みさえなければ大丈夫」という安易な自分の身体への対処方法。仕事柄一日の何十回となく手を洗ったり、速乾式消毒剤で手を清潔にしなくてはいけないので、整形外科で痛みを訴えればまた注射で痛みを治してもらえると、わざわざお休みをとって受診したものの、医師は注射を続けることは危険という。マッサージやストレッチ、指の使い方を変えたり、半身浴で体を温めるなどの努力をすれば自然治癒することもあるので、努力をするように促されて、やむを得ず近くの整骨院を受診。痛みの閾値は人それぞれで、柔道整復士に言わせると骨折しても仕事をしていたような過去がある私は、痛みに強い、言いかえれば痛みに鈍感、らしいのだ。柔道整復士の触診で痛みの部位や範囲が明確になると、痛みへの意識が高まることもあるが、急に痛みが深刻なものと認識出来るようになり、どこがどう痛み痛みの質がどんなふうに部位によって異なるか、一日のなかでどのように変化するか、痛みを感じる時間は何時かなど、昨日までとは打って変わったように自分の感覚が鋭敏になる。一人で自己対話を繰り返すだけでは、気がつかない自分という存在のあり方が見えてきた。鎮痛剤を定期的に服用しなければいけないような痛みなのに、自分一人の感覚に頼っているだけではその痛みの本質もつかめない。痛みに対する対処の仕方は、自分のありようの極一面にすぎないのかもしれないが、幼少期からどちらかというと力づくで物事を解決するような側面もあり、自分の感覚を大事にしたり、対象の感覚を確かめたり、対処方法を吟味する力は未熟であったような。とりあえず、痛みで不自由を感じている私は、痛みを治める方法を実践して自由な私を取り戻さなければならないのだけれど、この痛みに対する行動を変えることで自分を変える機会となることができたら、腱鞘炎という怪我はまた新しい自分作り始める好機といってよいのかもしれない。他者を介することで、自己像が露になり、そこを出発点にして、変化を遂げていく。人が生きて行くことは、圧倒的に他者とのかかわりの連続とも言えるが、そのかかわりの意味が毎日毎日新しい自分をつくっていくことになるものだと、整骨院のベッドに横たわりながら考えたのでした。
2015年03月11日
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3カ月前ほど、親指の付け根が痛み過ぎて手を動かすのが大変になって整形外科を受診したところ、1本の注射でピタッと痛みが治まった。1月頃からまた痛みだした。早く治るほうがいいかと思い、注射後は水仕事ができなくなるので今日は休みをとって受診。診断はすぐついたが、注射を繰り返すと腱を痛めるので、できるだけ避けたほうが良く、マッサージやストレッチなどで手当てで自然に治る人もいるのでもうしばらく様子を見るようにとのお話で、消炎鎮痛剤だけ頂いて終了。親指の腱鞘炎は更年期の女性にも多いもので、ホルモンのアンバランスなどが原因の一つとも言われている。マッサージの方法などを教えてもらおうと、整骨院を受診したら、手も肩も肩甲骨周りもコチコチで手や肩の電気療法は気持ちよく、最後の柔道整復士からマッサージを受けて終了。肩凝りはたいしたことはないと踏んでいたので、マッサージで触われるとコリコリ。首の体操をするだけであちこち痛んでいたからやっぱり肩こりはすごいことになっていたんだ。40分ほどの施術であったが、すっきりすると同時に、肩や背中の凝りに無関心だった昨日までと違い、ここ数年全く休んでいたストレッチとか仕事前の首や肩の体操をしようと決意。左外踝骨折、50肩(右も左も)、右第五中足骨基部骨折、足首捻挫、そうして母指の腱鞘炎。年を重ねるとともに筋骨系のトラブルは増えるし、これからは骨粗鬆症や背骨や大腿骨、手首などなど。白内障も進むだろうし、難聴も。体中のあちこちが大小様々に故障を重ねて行く。病院に通うだけで一カ月がアッと終わるって笑っていた方がいらしたけど、そうなっていくんだろうな。腱鞘炎についていえば痛みが治まったら、ストレッチや体操、朝の温熱療法などをして再発予防をしなくっちゃ。手の外科で日帰り手術ができるところを探しておいて、半年くらい経過をみて再発を繰り返すようだったら手術をするしかなさそう。
2015年03月10日
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正月明けに知った常勤職員Sさんの退職決意。幹部上司に相談したり、昼休みや仕事が終わってから(上司がいない時をみはからって)色々気持ちを聴いたり一緒に停年まで働きたいと励ましたり。このSさん、何とも言えない暖かくって優しい雰囲気の持ち主。患者さんやご家族からも「何とも言葉で表現できないくらいホットする人ですね」などとコメントを聞くことが多い。ご本人は非常に謙虚な方なので、患者さんの言葉を伝えても「私はぼんやりしているからそんな風に思われちゃうんですかね」とさらっと受け止めている。幹部上司とは元同僚であったので、なんでも言いあえる人間関係のようで、1月は居酒屋で3時間延々とSさんの話を聞き続け、2月は退職届を所長が受け取らなかったのでその幹部にもって行ったところで2時間半話をした挙句「こんなに人がいないのに辞めるってどういうこと!!あなただって管理職で大変な思いをしてきたのに、後輩にそんな辛い思いをさせていいと思っているの!!」などと叱咤激励されて「そういわれてしまえば返す言葉が無くなって退職届を持ち帰ってきた」と本人は苦笑。後2年ちょっと、停年まで働くことになったSさん。非常勤のIさんは、1月から週4日から週2日になってロッカーや机周りをすっきり片付けたり17時過ぎるとさっさと仕事を終えてしまうような行動の変化がアリアリで、あぁ、本当に年度末に退職する準備をしているんだなぁと感じさせていた。12月に異動してきた方はまだまだ業務に不慣れだし、Iさんが辞めてしまったらどうなってしまうか不安な日々であった。先週の木曜日、お雛祭りを口実に11月に亡くなったOさんのお焼香にIさんをはじめ同僚を誘って伺ってきた。Oさんのご自宅の前で他の同僚を待っているときに「やっぱり3月で辞めちゃうの?」って何気なく訊いてみると「この年で新しい職場に行くのは大変なので今の職場で勤めさせてもらいたい」と話をしたという。4月からどうなるのかと戦々恐々としていたのだけれど、とりあえずお雛祭りに一段落。でも、これからだよね。退職を撤回してくれた二人のために、仕事がしやすい職場にしていかなくっちゃね。
2015年03月09日
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今日は22歳の女性Sさんののシャワー浴をヘルパーさんと一緒に行った。初めて伺った方なので、同僚には「ベテランのヘルパーさんなので色々教えてもらって!」と言われてヘルパーさんに教えてもらいながら仕事をしようと決意して訪問した。とにかくびっくりしたのは、無言のまま「手荒」と思えてしまうケアをしていること。初めてだし、教えていただく立場なので、何も言えず。手も足も自分の力で動かせないので、全面的に介助を受けざるを得ないし、ご自分で意思表明できないので痛いとも嫌とも何も言わず、黙々とケアを受けている。シャワー浴の前に浴室を温めておいてよいかとたずねると「そんな必要はない」とバッサリ。冬の浴室は寒いのに、大丈夫かと思っていると、浴室はやっぱり寒い。服を脱がせる時は、首の力が無くて頭がゆらゆら揺れるのに、頭を支えずに体を横に向けたり、力任せに服を脱がせたり。長い髪が三ツ編みにされていて、三ツ編みが解かれると顔が髪の毛で隠されてしまってもヘルパーさんは全く頓着しない。ともかく驚いた。さらに、ケアが終わり、ヘルパーさんはベッドに腰掛けてご自分の胸元あたりを覗いている。やおら、利用者さんのお薬入れ箱を開けて、その薬をご自分の胸元に塗り始めた。(アァ、ビックリ)後片付けをした後、時間が少しあったので、拘縮している上肢の関節可動域訓練とマッサージを行う。その間もヘルパーさんはベッドに腰掛けたままで何もしない。ベッドが高いので低くしたかったが、初めてあったヘルパーさんに何も言えず。今55歳になるJさんも7個の方と同じように出生時からの脳性マヒで自宅で過ごしている。そのJさんのお母さんは、娘さんが50歳くらいまで決してヘルパーさんの利用を始めようとしなかった。看護師がケアに入るときにも、初めから終わりまでそばについて一部始終を観察している。お母さんがどうしてそこまで、他者のケアを拒んだり用心したりするのは、この若い女性に対するヘルパーさんのような介護を知っていたのだからかもしれない。昨今は、看護でも介護でも利用者本位!ということは嫌になるくらい耳にする。なのに、なのに、現場ではこんな実態があるんだ。ご自宅で過ごしている方に対する、訪問介護(ヘルパー)、訪問看護(看護師、理学療法士、作業療法士など)の仕事は一人で出かけて行ってする仕事で、場合によっては家族が誰もいない場合もある。利用者さんが意思表明できない方であれば、何をされても分からないというような状況が続いてしまう。衝撃を受けた一日であった。
2015年03月05日
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Oさんは食道がんの手術後に、人工呼吸器を装着されて半年後にご家族の熱意ある介護で自宅に戻ってこられた。パブを奥さまと経営されて退院当日の懇意の知人が大勢お見舞いにいらっしゃって、頑張りすぎて応対されていたらまた呼吸が苦しくなって退院のその日に再入院された。頑張って頑張ってまた自宅に戻られて、それから2年。散歩に行かれるようになって過ごされていたのに食事を食べられなくなって、呼吸器リハビリのために入院されたが、慢性呼吸不全が悪化して急逝された。奥さまはお主人の性格も病気に対するお気持ちも十分理解されて、つかず離れず客観的にご主人の状態を正確に理解されながら、励ましたりなだめたり時には叱ったり。こんな風に介護されたら安心して自宅で生活することもできると看護師誰もが奥さまの自宅での看護の様子に感激したり、敬意を抱いたりしていた。自宅の戻ってまた生活をしようと決意したその数日後、あっけなく亡くなられてしまった。それから3カ月。Oさんの訪問看護を担当した同僚と一緒に、ご自宅にOさんと奥様への花束を持ってお焼香をしてきた。無くなる一カ月ほどの過ごした病院は、地域の在宅支援病院で大学病院とは違い看護師体制が弱く、ナースコールを押しても人出不足で病室に来てもらえなかったり、入院後は自宅で食べられた食事の半分も食べられず日に日に衰えて行く姿に耐えられなかったとの悔いを聞くことになった。さぞ、無念だったことだろうと奥さまの深い悲しみを知ることになった。まだ60代とお若かった。遺影はまだ病前のお姿だった。私たちが知っているOさんは闘病後の痩せたお姿だったので、こんなにハンサムで元気そうなお姿を初めて知ることになった。訪問看護師でも医師の判断を覆すことは難しいが、精いっぱいの医療を受けて自宅に戻りたいというお気持ちを知っていたら、入院する病院についても主治医に伝えることはできただろうに。看護師の出来ることは少ないこともあるが、ご本人やご家族に気持ちを良く聴いて、医療に対する希望や要望に見合った病院選択をするお手伝いは出来たものを。奥さまの無念さを知ることになって、私たちも自分たちができうることを精いっぱいしてきたのかと、問われているような思いに駆られた。予後不良な状態になったとき、それでも何とか命を永らえて生きていたいというご本人やご家族の思いは尊重して医療を提供すべきだと思う。病状を改善することは困難でも、苦痛を和らげたり急逝することは回避することはできるようになっているので、そういう治療が可能な医療機関を探して、医療をバトンタッチしていくことも重要であると思う。医療を提供する側が一方的に、そういう領域まで暗黙のうちに決めてしまうことは残された家族にとっては到底納得できるものではない。亡くなられて3カ月、深夜一人になった時間がとてつもなく苦しくさびしいという。あんなに頑張って看護にあたられていたのに、後悔することばかりだという。末期の方の在宅療養に関わる訪問看護師にとって、ご本人やご家族が悔い無く人生を全うできるように少しでも援助できるような仕事を出来るようになりたい。そんなことを考えさせられた、お雛祭りの宵であった。
2015年03月03日
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押し入れを片付けていたら、昨年の夏に使っていた薄いアルミの遮熱シート。暑さをさえぎれるのなら寒さにも効果があるかもしれないと、南側の窓枠の長さにあった伸びる棒使ってビニールのカーテンをS字フックで吊るし、アルミシートをS字フックに掛けてみた。 日中はアルミシートをかけておくと日が全く射し込まず暗いので夕方雨戸を閉めるついでに吊るしてみたら、ここ一週間早朝の窓際の室温は14~16℃前後で外気温との差が平均9度前後ある。ガスストーブをつけるとすぐに18度位に室温が上がり、その後ストーブを切っても室温の下がりが緩やか。 玄関や浴室、洗面室などの窓にアルミホイルシートをつるしたら、この冬もっと暖かかったかもしれず、12月にしておけばガス代を節約できたかもしれない。 関東の建物の壁やガラス窓は、最近では断熱効果のあるものを使って冷暖房費が少なくて済むようになっているけれど、窓だけを遮熱スするだけでこんなにも保温効果のあるのだ。 この夏の冷房を使う時期に備えて、4月頃からグリーンカーテンの準備を始めるつもりでいるが、やはり窓の遮熱を徹底的に行うことが一番かもしれない。 一人暮らしの方のお住まいは、公共住宅でもベランダが南側でも玄関は北向きが多く、玄関を開けると寒い外気が入りこむので玄関と居住スペースの間に扉が無いと暖房器具がある部屋は暖かくてもトイレや浴室は結構寒い。 都営住宅でも、玄関とトイレや浴室との間に扉が無いので厳冬期の間には、寒冷刺激にさらされる機会が一日に何回もあり、高齢者にとっては危険そのもの。 カーテンも2重にしていない方も多いし、カーテンが床まで届いていない場合も多い。 この冬といっても、もう春だけど、カーテンを2重、3重、4重にしてみて枚数が多いほど保温効果が多いことを確かめることができたので、患者さんのご家族にもこの話をしてみようと思う。 お年寄りの方に、過ごしやすい季節はいつか聞いてみると、冬は寒くって一番嫌で、夏は冷房が苦手で脱水症が気になるけれど薄着になるのは限界があるし、とにかく冬と夏に体調を崩すのが困るという。 除湿機で湿度を下げたり、サーキュレーターで室温を一定に保ったり、遮熱カーテンを使いまくって室温を上げない工夫がとこまでできるか、この夏は実験してみようと思う。
2015年03月02日
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