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ここ1,2年日本の政治の世界を見てるとがっかりする。ポピュリズム(人気取り)を臆面も無く前面に出し、将来のビジョンや見通しを全く持たない人がバラバラに目先だけで政治をやっているような気がするのである。迎合する相手は米国だったり国民だったり、マスコミだったりするのであろうが、将来の子供は益々いろんなツケを払わされるようでかわいそうになる。ほんとに必要な道路はどこかなんて真剣に考えれば、地方より東京のほうが道路の効用が高いに決まっている。地方が欲しいのは道路じゃなくて地元にカネを落とすことなので、自立できないのでお金をくれろ!という話である。世論は中央集権でなく地方分権させないといけないというが、地方自治に権限があり、国にお金を上納できるのであれば、だれも文句は言えまい。お金をもらっといて権限がないから自立できないとは何事かといいたくなる。東国原なんて知事をみてると中央を巧く食いものにしてやろうというさもしい根性が見え隠れして好きになれない。ガソリンの値段は安いほうがよい。昔はオイルショックなんてもっと危機感があったような気もするが、市井では高ければ代替や節約を模索するものである。知り合いのスガソリンスタンドはここ一年着実に消費量は落ちていているという。多分それはまだ、無駄をなるべく省くことで対応してるからであろう。もしその限度を超えるようあれば、税金はやはり下げたほうがいいのであろう。国土交通省なんてもともと業界団体が行政とドッキングしたようなものなんだから、もういい加減解体してもいいのではないかとも思える。ガソリン税も別の形で地方に還元させないと益々弱体化してくる。(活性化しなくなる)別に道路じゃなくてもいいだろう。太陽光発電機を必要な家庭に配布するとか。無料の電話や通信サービスを行政がするとか。何も社会資本だけにこだわる必要は無い、ユーテリティーの提供だって人の動きを活性化させるはずである。民業圧迫だと言う人があるかもしれないが、もともと地場産業がないからこういうことになるんだろと言いたくなる。時期が来たら殖産興業で民間に払い下げてやればいいのである。(事業が過剰人員で無い限り引き受けてはあるはずである)とにかく人が集まり、交流できる施策が必要なんだろう。うちの県では税金免除かとか、カジノは合法とか、なんでもありでいいではないか。
January 30, 2008
をみると関東平野の外側が雪雲で囲まれている。11日の昼間は快晴で暖かかったが、仕事先のタクシー会社の人間は今日中に全車スタッドレスに履き替えるといっていた。山を超えて長野や新潟から雪雲がいつ降りてきても不思議じゃない。冬らしい気圧配置になっている。至極まっとうである。刻々と変わる天気図を見ていて何が面白いかといえば、雪雲VS関東平野を囲む山の堰が面白い。超えそうでなかなか超えられない。新潟長野山梨群馬の山中より超えてこないのである。ただ一度堰を切ると一気になだれ込んでくる。天気図の衛星写真にはその山の稜線もぼかしで入っており、かなりの臨場感がある。地球温暖化というのは2010年以降に気温が下がらない場合対策を考えないといけないと誰かが言っていた。(←誰なんだ?)なんでも30年周期で地球は暖かくなったり寒くなったりしているようで、2010年を超えるとその周期から外れることになるそうである。もっともアルゴアみたいに思い込みだけで騒ぎ立てる人がノーベル賞を取る時代だから、世の中の風潮は温暖化一色なんだろう。(科学的根拠がなくてもノーベル賞は世論の後押しでも取れるのかもしれない)なんとなく異常気象・天変地異が起こったほうが預言者っぽくて注目度も高いのだろう。エコエコと草木もなびくというが、昔に比べて生活自体がエコじゃない。レジ袋がどうのこうの言っているが、昔は買い物籠は当たり前だった。包装もきれいなパックでなく新聞紙があたりまえだった。暖房なんて部屋中を暖かくするのでなく(雪国に人は知らないが)、こたつにあたって暖をとっていた。部屋が寒ければ湿度が保て呼吸は楽であり、昔は加湿器なんてものは無かった。事務作業を長時間する場合背もたれと頭寒足熱が大事であるが、掘りごたつと座椅子が一番機能的であると今でも確信している。(なるべく足元の火種は炭がよい。足の臭いを吸収してくれる)椅子と机よりも超近代的オフィースは掘りごたつと座椅子にすべきで、世界中に流行らせばそれこそノーベル賞ものだと思うのである。あと日本人は炭を大切にしないといけないんだろう。(年明けにあたりホルモン焼き屋でポッピー飲みながら、炭焼き台を前にそう思ったしだいであります。)今日本中の山が荒れている。あまり手入れをしないんだろう。間伐すれば、木っ端はいろんな使い道(割り箸、炭、紙)があるではないか。また、廃棄すれば有機物は腐れば土に返るのである。本来はそれをリサイクルというのではないか。化石燃料の石油製品ほどコストが掛かるリサイクルは無いのではないだろうか。燃やしてしまえばいいのである。(ダイオキシンだけ出ないようにしないといけないが、家庭ごみの燃えかすからは人間に害があるダイオキシンの量にはならないそうである)また、原子力に至っては永遠に廃棄物を溜め込まなければならない。何をいいたいかというと自然に逆らったリサイクルというのは無意味な気がするのである。もちろん文明や生活の便益は享受しないと何も出来ない。(薪ストーブは1時間のまき割り労働で3時間位の燃料にしかならないと友達が嘆いていた)しかし、日本の地理風土にあった燃料は考えたほうがいいし、欠点で排除するのでなく利点を享受するほうに改良してくことが大事なんだろう。幸い日本には水と木は十分あるのだからなんとかエネルギー利用に活用してもらいたいものである。(とホルモンを食いながらそう思ったしだいであります)
January 11, 2008
B級でもC級でも構わない。吉野家、すき家や、松屋の中では吉野家の納豆定食が一番レベルが高いと評価している。卵、のり、納豆どれを取っても3者のなかでは吉野家の品質が優れている。あと丼の器自体の暖かさが卵掛けご飯には必要条件となる。(すき家は丼が冷たいような気がするのである。)しかし吉野家の粉末味噌汁は少しいただけないので70円追加してけんちん汁に変更してもらうのが、王道である。あと鮭も食わないほうがよい。皮目だけバーナーで焦がしてパックしたものを茹でたような鮭は焼き鮭の風上にもおけない。もう少し値段を奮発すれば、ジョナサンが朝定食はレベルが高いのであるが、朝に500円以上はきついのである。品質は鮭はあくまでカリッとした焼き目があるし、とろろも山芋に弾力があり水っぽくない。(松屋のとろろは長芋で水っぽい)ただ、値段が700円位と朝食にしては高い。しかして丼めし屋の朝定がスタンダードである。逆にもう少しレベルを落とせば幸楽園の290円の朝定、半田屋のご飯と豚汁とお新香(250円位)でもいいのだが、とにかくご飯が熱いのが朝定の基本条件となる。(この2者は熱いご飯にあまりお目にかかれない)炊き立てだったら家で食えばいいだろうといわれてしまえばそれまでだが、外で食うからご飯の熱さでその店のレベルがわかるのである。ちなみに山田うどんもご飯は朝行くと炊き立てである(朝6時営業開始)が、あそこはうどんかそばが付くので値段が高い。あと釜炊きをうりにしている○○食堂(○○はご当地名)というセルフ食堂もあるが、あそこも実はご飯があまり熱くないのである。かくして総合評価では吉野家の納豆定食(けんちん汁変更)440円がナンバーワンとなる。次にこの納豆定食の作法であるが、袋やパックをあけるのにも手順というものがある。・・・・何をくだらないゴタクを並べていやがんでぇ!このすっとこどっこい!はやく仕事にいきやがれ!
January 8, 2008
アルパチーノが「クボタサキ、クボタサキ」って言ってるから、向こうでは「異邦人」が今流行っているのかと思ったら、どうやら流行っているのは「久保田、酒」らしい。恐らく未だにアメリカ人は中国の物と日本の物の区別もついていないんだと思うが、サケという飲み物は認知されつつあるんだろう。いや、日本人だって昔と違って日本酒が随分飲みやすくなってると感じてる人が多いかもしれない。(安い酒でもそれほど変なものはなくなったような気がする)内に向けて国内で切磋琢磨していたものがちょっとづつ海外でも認知されるようになったのであろう。私は未だに月桂冠が一番旨いと思っているが、酒売り場の棚を見ると毎年見慣れないラベルが入れ替わり更新されていく。居酒屋に行けば、日本酒のリストが多いとことがサービスの一環と考えてる店主もいるのかもしれない。日本酒はワインのような大幅なバリエーションはないが、日本人はちまちました微妙な世界にこだわるのが好きである。マイナーな差別化にエネルギーを注ぐのが好きというか、毛唐にこの機微がわかるのであろうか。米を削って作るということは日本人からすると雑味を取るというか、手間をかけてきれいな味に整える意味があるんだと思うが、ワインのすきな毛唐からするとなんてもったいないことをするんだと思うのかもしれない。雑味=個性であり、味の複雑性であると思っているふしも窺える。日本人からすると味が一定にならないじゃん!と思うのであるが、毛唐はだからヴィンテージなんじゃん!という理屈になる。逆に日本人からすると偶然の産物が、毛唐はオリジナリティーと評価するのかもしれない。粗っぽい精緻性に欠けるものが、フロンティア・スピリットと賞賛されているのかもしれない。と、話は酒から逸れてきたが、日本人がもともと得意とするところは細かく手間をかけて改良していくことであり、精密にしていくことである。もしそのアドバンテージを海外にも誇示するのであれば、日本国内で切磋琢磨したものが多い。ところが最初は海外のオリジナルなものを真似するところから始まる。マスコミはよく日本は10年遅れているとか、2周3周回遅れだというが、もともと咀嚼の文化なので、ヒステリックに、ペシミスティックに騒ぐほうがどうかしているだと思う。
January 6, 2008
元旦にありということで、今年はどんな年かを自分なりに考えていた。私事はどうでもいいので割愛するが、マスメディアでは日本の未来は暗いと予想する人がかなり多かった。彼らが言うには、日本は世界のスピードについていけなくなっているという。たとえば経済においては金融経済が実物経済を凌駕し始め、日本のような物を輸出する国はここ15年位不利な状況に置かれているという。アメリカは物を輸入する代わりに堂々とドルを輸出している。日本のような変動相場国においては金利格差のを政治圧力で作ってドルを買わせることが出来るし、中国のような固定相場の輸出国は相場を維持するためにドルを買う。しかして世界全体がカネ余りになり、それがIT株に向ったり、高利回りのサブプライムローンを絡めた商品に向ったり、一次産品の原油や穀物に向ったりする。いくらでもネタは尽きないというか、順番に相対的に価値が低いものにお金が向いインフレーションを起こしているだけの至極単純な仕組みのような気がするのである。もちろん行き過ぎはクランチを起こすが、目先を変えてインフレを仕掛けているだけである。儲かる人は最初にインフレを起こす人とインフレ対象の財貨やサービスを供給できる人である。金融経済が実物経済を支配しているというが実物経済をピンポイントでインフレにしているだけのような気がするのである。じゃあ、物の値段は需要と供給で決まるというが、それは既存のものだけの閉じた中での話で、いろんな外部要因が入ってくると需要と供給のマインドが変わってくるのである。テレビを見ていてがっかりするのは、需要や供給のマインドや流行をつかもうと必死になっていることである。「日本は今国際機関の発表では世界第××位です。」なんて話を聞くと、そんな基準はアングロアメリカやユダヤ人が勝手に作っているかもしれないし、それに翻弄されて学力低下だの、遅れないためにはどうすればよいだのいいながら、世界に合わせなきゃと今までのいいところまで壊してしまっているような気がするのである。要は自分の基準を持つことが大事である。グローバリゼーションなんていうものはあくまで自分を見る尺度で、長所短所を理解するためにあるので、ルールは従うがマインドや価値観まで支配される必要は無い。地球温暖化なんていう外部要因もビジネスチャンスになるお金の流れいく場所みたいな話になってくると俄然胡散臭くなる。だからお人良しだろうと取り残されようと構わないと思うのである。ただ自分たちや日本がやっていることがその内脚光を浴びる時もまたあろう。世界×位なんていうのは国内だけで住むには屁のツッパリにもならないと思えばいいのである。暗い気持ちになるより自分達のアドバンテージを見つめなおすいい年になりそうな気がするのである。
January 1, 2008
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