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携帯のメールアドレスを記載してしまったんだろう。やたら、英語の広告のメールが入ってくる。(スパムメールと題名をつけたいところだが、スパムトラックバックが入ってきそうな気がする)ひどい時は一日20件ぐらいある。しかも送り先のアドレスは全部違うのである。昼飯の時その話題となり、そういう時は自分のアドレスを換えるか、特定のアドレス以外は着信拒否にするか、広告を楽しむかという話になる。兎に角ほって置くしかない。下手にこちらかアクセスすれば、例えば以後メールしないでくれと送り返しでもしたら、それを突破口に次々入ってくるそうである。私の携帯に入ってくる広告で多いのはインターネットカジノ(日本では違法)、バイアグラやシアリス、時計のレプリカ等の広告でいつもサーバー削除をしてから、開かずに手許のファイルも削除するので2重の手間が掛かる。でもたまに手許が狂って開いてしまい、そういう時は開き直って読んでしまう。私はもらったことないが、ナイジェリアほか政変が起こった国の元独裁者や大金持ちの名を騙り、当面の隠し口座維持に困っているために送金を求め、本当に送ってくれたら助けてくれたお礼として後日隠し口座の中から大金を分けてあげようという「ナイジェリアの手紙」といわれる詐欺メールがあるらしい。(ちなみに、ナイジェリア詐欺のグループには、多彩なキャラクターの登場する波乱万丈の短編集を全世界の読者に配信した件で2005年イグノーベル賞文学賞が授与された。)人間の弱みや心理につけ込む広告文学というジャンルとして確立しつつあるのかもしれない。スパム語源は、缶詰の "SPAM" が、モンティ・パイソンの作品の中で「同じような物の繰り返し」という意味で使われてしまったことだとされている。これは同作品中で、レストランで料理を注文しようとした客が、ほとんどすべてのメニューにスパムが入っていることに怒って抗議をしたら、バイキングの姿をした周囲の客たちに「スパム・スパム・スパム・スパム…」と連呼され、抗議すら無視されたという不条理コメディが、あまりに迷惑な広告メール業者の対応にソックリだとして、揶揄する意図で引用された事も関係している。(Wikipediaより引用)でも、ホーメル社はSPAMで、メールのほうはspamと小文字表記をするそうである。(念のため)
January 30, 2007
新作であまりいいのがなく、10年ぐらい前の映画を2本借りてくる。一本は「ユージュアル・サスペクツ」(常習容疑者たち)1995年、ケビン・スペイシーが出ている映画である。脚本が面白いというかストーリーが複雑そうだったので、言語は日本語吹き替えで字幕は英語で見る。頭が悪いせいか途中2回ぐらい冒頭のシーンに戻ってみていた。DVDのいいところではある。昔のアナログの映画ファンは好きな作品は映画館に何回も通い、何回見たかを競っていた。そしてあのシーンの小道具○○はドイツの××社製だぜとか、ディテールを自慢していたように思う。今はDVDがあるので自慢にならない。ただ、この映画の一番需要なシーンでKobayashi社製のマグカップが割れるシーンがある。それが気になりだすと今度はKobayashi社製のマグカップがほんとにあるかどうかネット探してしまった。このプロットが注目を浴びてアカデミー賞脚本賞をとり、レスリーニールセンなどもパロディーで使っていたように記憶している。この時監督も脚本家も未だ20代である。若い人だから逆にオリジナリティーがあるものを造れるのかも知れない。もう一本は、非常に安っぽい演出の映画「ドグマ」であった。内容はダビンチコードとたいして変わらないような気もするが、こちらはコメディータッチである。聖書の固有名詞がたくさん出て来るので、こちらはDVDのおまけに用語解説集がついている。教会にかつて通った人間が見ると面白いのかもしれないが、キリスト教に無縁であったり、逆に敬虔な信者は面白くないんだろう。映画より用語解説集のほうが面白かった。いづれにしても最近はDVDで手許で操作しながらでないと、映画を見る気が失せている情けない状態が続いている。
January 28, 2007
よく考え方が極端だと言われるが、意思が弱く自分を追い込まないと腰を上げないタイプである。ほんとは自分の根っこの部分を変えたいのであるが、他人にとっては如何でもいい些細なことに拘り、変革を試みるのである。禁酒も宣言はしたものの5日で断念し、抑えていたたばこも今年に入ってからはよく吸うようになった。最近密かにねらっているのは「とりあえずビール」というのをやめようと思った。「はなから日本酒」でいいではないかと。確かに日本酒、ワインたまに焼酎というパターンにしたら意外と体調がいいのである。昼間仕事で会った人に「痩せましたか」といわれ、さっそく家に帰り体重計に乗ってみた。2キロほど少なかったが私の場合少差の範囲である。(?)でもなんとなく、むくみみたいなものがないような気がする。一番大きいのは家でビールを飲まなくなったことである。必然的にビールのお供のつまみも家でやらなくなる。以前はスーパーで新しいビールのラベルがでると必ず買っていた。お中元やお歳暮でビールをケースでもらうと3ヶ月以内にのまないと酒に失礼であるとの強迫観念に駆られていた。(今でももらった酒は飲まないと失礼にあたると思っている)従って、娘を嫁にやるような断腸の思いでビールをひとケース旅に出してしまった。嫁ぎ先でちゃんとやっているかどうか心配である。ビールは器量がいいからまだいい。泡盛はさすがに人気がないのではないだろうか。しかも43度の一升瓶である。やはり私が何とかしてやらなければという寂寞の思いにかられるのである。
January 27, 2007
の仕事は何かと言う話になって、現場で座って睨みを効かしていることでしょうということになる。だから、最後まで帰れない。ほんとは具体的な仕事をしちゃいけないんでしょう。もしかしたら権限も持っちゃいけないのかもしれない。ただ判断力と適切な指示をしないと部下から見下されて睨みが効かなくなるのである。従って無機的な監視カメラが管理職に取って代わると言う事はない。アメリカの要求かどうかしらないが、ホワイトカラーエグゼンプション(管理職に残業代をはらわない)なるものが取りざたされている。アメ公が言っているのは見返りがある管理であって、管理している部門の数値評価がそのまま自分のサラリーに直結することを意味している。日本場合、サラリーに直結もしないのに営業会議でキリキリと数値でいじめられ、もしくは部署全体の評価、会社全体の向上が優先される。組織の存続が最優先である。だから、管理職でも楽な、ぶら下がる事しか考えない奴もいて組織が弱体化する会社もある。どっちがいいかなんてその会社を動かしている人の気分で決めたら宜しい。うちは部下の給料の上前を管理職がはねるからサラリーは高い(残業代でないけど)とか、うちは年功序列、若い奴の上前を年寄りがはねるシステムだよとか、いろいろお考えになり労働基準監督署に届け出ればいい。非常にアイロニカルな見方だけど、会社を離れれば自由・平等・対等な市民生活が送れるのが健全な社会である。それを区別できないからストレスが溜まるのである。だから酒飲んでる時ぐらい威張るなよと思うのであるが、ついつい飲みながら仕事の話をして引きずる輩が如何に多いことか。飲みながら部下の評価をしてしまう。こちらはそれに相槌を打ちながらその会社に費用で落としてもらうことを考えている。今日は一人で飲みに行くつもりが、家が近所の顧客先の専務と飲みに行く事になってしまった。一応こちらも仕事の話をしなければと思い、「酔う前に言っときますが、あの件については重点的に協力しますから」というと、ひとこと「じゃ、なんかあったらお願いします」で済んでしまった。社長のさしがねだと思い監視されるがいやだったんだろう。あとは野暮ったい話はなくて楽しく歓談していた。もっともここの店のママも店の中で仕事の話をされるのがキライな方である。多分、自由・平等・対等を意識している人なんだろう。ただ勘定の段になると専務がその会社の領収書で支払をする。興ざめをする。割り勘でもどちらかの奢りでもいいから身銭で飲もうぜとも思うのであるが、出してくれるのでそれに従ってしまった自分に興ざめしているのかもしれない。
January 26, 2007
「発掘!あるある大事典II」が放送打ち切りになってしまった。放送も見れなかったし、ウェブサイトを見る前に閉鎖された。ひとこと放送の最後に「この番組はフィクションであり、一部事実と異なる情報をもとに作成しております」と付け加えれば、フィクションの情報番組として面白かったのにと思う。いや番組途中でテロップを流し、ここの箇所は捏造しましたと出せば、クレームは来ないだろう。勿論出演者には知らされていないので、視聴者はドッキリ番組のような楽しみ方も出来る。(とくだらないことを考えてしまった)でも、総じて今回の騒動で株を上げたのは納豆である。番組が作り事だと解ったあとも、「でも納豆は体にいい」とか「納豆とご飯だけでダイエットしたことある」という意見をそこここで聞いた。つまり、ブームでなく既に健康の王道を歩いている食材なのである。それと納豆について一言いいたい人は世の中にごまんと入るんだろう。その注目度はかなり高いと思う。「私は納豆にこう救われた」「納豆健康都市伝説」「わ~ら~に~まみれてよ♪」という題名で出版をすればベストセラーになるかもしれない。一介の番組ごときがこの納豆に刃向うとは笑止千万、片腹痛いわ!と納豆の声が聞こえるようである。(別にそれほど納豆好きではないのですが)
January 24, 2007
居酒屋のアンティークな飾りとして、昔の古い木の広告看板が壁にかけてあったので、店のオヤジに「なんの看板?」ときくと「仏国××葡萄酒」と読んでくれた。この××がどういう字でなんと読むかははっきり判らなかったが、どうやらフレンチベルモットのことで徳川慶喜の時代の看板だと言う(オーナーは変ったが江戸時代からの暖簾を売りにしている店である)。上にトレードマークがついており、登録商標と書いてある。「ん?」骨董鑑定の知識もないけど、江戸時代からこの手の広告看板はあったかもしれないが、商標権が保護された法律ができたのは明治でしょうと思いながら飲んでいた。ただ雰囲気は楽しい店で銅製の燗をつけるマシンにお銚子を入れ、それに目印の輪ゴムをのせて温まるのを待っている。オヤジは地場の人で、話好きの気のいい人であったが、話をし始めると手がおろそかになるのか、奥さんに睨まれる。酒は桜正宗、灘の酒である。これも歴史ある銘柄で、もしかしたら江戸時代から正宗を置いていたのかもしれない。コテコテいろんな銘柄をおいちゃいない。(明治17年商標権が正宗で登録できず桜正宗となった)カウンターの客も長っ尻な人間はいない。一人か二人できて、きゅっきゅっとニ、三杯ひっかけて帰っていく。私はそこに二時間もいたから奥さんが怒っておいたのだろうか。話は変わるが女性客は単独では入れないのが店のしきたりになっている。これは旦那が女性客と話しこんでしまうのでその防御策のために奥さんがつくったのかもしれない。飲み疲れしない酒だったが、奥さんの視線が怖くて2件目に。二件目の居酒屋のトイレに中山美穂の生ビールのポスターが張ってあり、なぜかこのポスターが妙にアンティークに見えてしまった。キリンのホームページで調べると平成10年に中山美穂はCMに出ている。半分色が抜けているようなのでそういうイメージであったが、考えてみればこれがアンティークだったら世の中の車の多くはクラシックカーになってしまう。中山美穂は今何してるんだろう。
January 23, 2007
久しぶりにアマローネをのんだけど、美味かった。2003の長熟ワインもそろそろ出回り始めているが、しっかりしたアマローネの2003は今購入しておくと5年後に値段が上がるような気がした。でもストックするほどの余裕もなく直ぐ飲んでしまう。干し葡萄の香がするワインなので好き嫌いはあるかもしれないが、私はファンである。芳醇で胃にずっしりくる。たばこと同じでライトボディーだと嵩がいってしまうが、このフルボディーはさすがにがぶ飲みができないので私向きかも知れない。普段甘いワインなんか飲まない人もこのワインは抵抗なく飲んでいた。(ドルチェじゃないのでほのかに甘い香がするだけですけど)イタリアワインでもどちらかというと北部のワインが好きで、ヴァルテッリーナが好きなのであるが、酒屋ではめったにお目にかかれない。今夜もうひとつ飲んだのはペッシェヴィーノ。有名なテーブルワインでボトルが魚の形をしているので一度見たら忘れないひとも多いだろう。昔、学校の先生が主催するお坊ちゃまやおぜう様が集るパーティーにでたことがあり(下働きをするのが学生の私しかいなかったし、しかも私の出身校じゃなかった)、ペッシェヴィーノとティオペペのシェリーを買いに行かされた覚えがある。セレブというのはこういうパーティーをするのかといけ好かない奴らに驚かされたが、今はお手ごろの値段で飲める酒になった。コンプレックスからか敬遠しそれ以来何十年ぶりで飲んだが、どんな料理にもあい美味かった。(菜の花のマヨネーズ和え、シチュー、ゴーダチーズ等)しかも、アマローネのチェイサーとしても威力を発揮していた。(こんな飲み方するからアホといわれるんだ)でも真面目にワインを堪能できた夜でした。
January 22, 2007
繁華街のディープな場所にある赤提灯での飲み会があった。沖縄出身のおかあさんがやっている店なのであるが、メニュー見てもそれほど沖縄らしいものはなかった。ただ、その店の馴染みで昔一緒に仕事をしたTちゃんがそれらしきものを頼んでくれた。麩チャンプルー、焼きソーメン、たまごポーク等まさに家庭料理(沖縄)の店だった。飲み屋でも、酒を重視する店、料理を重視する店、会話(サービス)を重視する店といろいろあるが、もともと居酒屋というぐらいだから酒が居ながらにして飲めることを売りにしたんだろう。その前身は「めし」の店だったのだろうか。「めし」という響きに品がなければ、小料理でもいい。要はうちはめしだけでなく酒も飲めるんだぞとサービス内容を提示しているのが当時は新しかったんだろう。複合体となって新たな事業形態が生まれるのである。例えば、商売を始めるにあたり、なにか新鮮さを売りにしようとする。その時目新しいものを全面に出すより、どういう雰囲気を出せるかもしくは目指すかの方が重要である。本当はそこに付加価値があるのに、品物や情報が新しいから価値があると思ってしまうのである。付加価値の本質は人間からしか出てこない。解りやすくいうと如何謂うとサービスをし、雰囲気を作っているのは人間である。このめし屋だって、おかあさんがやっているから客がくるのである。大手資本はべつとして、小さい零細なところは人間を売りにしなければならない。かと言って破天荒な人生を歩んでいるから売りになるというわけでもない。相手の気持や求めてるものを察知し、自分なりのサービスができるから、成り立つ世界である。
January 20, 2007
最近はアバターというのがブログやトピックの片隅に登場して、いろいろ会話の彩をあたえている。オジサンは最初わからなくて(今でもわからないが)、でも見ているとネット上での一種のオシャレや身だしなみになっているようである。もしかすると今後はこのネット上の化身がどんどん活躍していく時代が来るのだろうか。例えば、自分の血液型や生年月日、職歴等をインプットし、過去の記述からの経験則や性格分析をしてキャラクターを作ったらどうなるんだろう考えていた。勝手に訪問してくれた人に応対をして会話がすすんで行き、自分の記憶にない、もしくは想定外のことが身の回りに起こったら。例えば、化身が勝手にピザの出前を頼んでしまったら。訪問者と勝手に会う約束をしてしまったら。或る日突然株の仕手戦に巻き込まれたら。昔パーマンという漫画あり、コピーロボットというのが欲しかった。宿題を勝手にやってくれて、ダブルブッキングの都合の悪い状況の方に出向いてくれて、自分は楽して生きていけるのではないかと勝手に想像していた。ところが今の時代は逆のことを考えてしまう。ネット上のことは全て記録に残り、ネットを介して契約行為や買物ができてしまう。本を買えばあなたにはこういう本も向いていますよとか、あなたが過去に買ったこういうものを売りませんかとメッセージがくる。コミュニケーションにおいても、ネット上で過去に発言したものも簡単に検索できてしまうのが、逆に障害になりはしないだろうか考えてしまう。そうするとこのコンピューターという箱自体が化身になるのであろうか。夜中の2時にパソンコンで仕事のオペレーションをしているとアバターアルファの画像が突然動き出す。(他にもガンマとベータがいる)。「プハァ~。今日は電子居酒屋鍵屋で女子大生と合コンやってきちゃったよ。」「おまえ~!化身のくせに」「いや、俺はだね。ヒィック、お前さんの願望をかなえてあげてんだぞ。酔って何が悪いんだよ~!それにほら、あとで居酒屋の状況が疑似体験できるんだぜ」「こっちは、アニメに興味はないんだよ。それより無駄遣いしなかったろうな」「さぁね。後で自分のクレジットカードのホームページで調べてみろよ。来月の27日引き落としだから宜しくな!」「ていうかお前は楽しいかもしれないが、俺はどうなるんだ。」「チマチマしたこと言うな。俺はオンラインの世界にいるからタクシー代はかからんのだ。それだけでもありがたいと思え。」なんて生活になったらどうしよう。
January 19, 2007
軍鶏、鶉ときて今日は寄せ鍋を食べる。魚介中心であるが鶏肉も入っているので寄せ鍋と言うんだろう。出汁は月曜日から仕込んで寝かせておいた聞かされていたので、醤油、鰹昆布ベースでオーソドックスな味だが美味かった。入っていたのは鱈、鮭、牡蠣、ホタテ、鶏肉、白菜、白葱、水菜、柚子、椎茸、えのき、しめじで根菜や灰汁が強そうな野菜は避けていたように思う。締めはやはり雑炊で、居酒屋の女将さんが仕切ってくれた。この時気づいたのが、卵をかけ回すタイミングである。先日の軍鶏鍋の居酒屋の主人とちょっと手順が違っていた。先日は火と止めてから、土鍋の余熱のある内に卵をかけ混ぜたが、今日は火を止める直前に卵をかけまわし青葱をいれ、土鍋のフタをしてから火を落として数秒間蒸らしていた。ただこの違いが出汁の状態からくるのか、単なる流儀なのかよくわからなかった。いずれも我々素人がやるより、店の人間にやってもらった方が土鍋の厚さや米の煮え具合を熟知いているので美味いのは事実である。もちろん入っている野菜も軍鶏鍋のほうと違い(方や根菜類が多かったように思う)、スープも魚介のあっさり感がよくでている。軍鶏は肉は蛋白であるが、スープは濃厚で、同じ卵をかけ回し青みの葱を振ってもこれほど味が違うものなのかとビックリする。今日はあっさりではあるがしっかりしたコクがあり、先日はイヤミでない濃厚さが残る雑炊だった。兎に角、雑炊で土鍋が空になった状態をみると体が温まった気持になる。
January 17, 2007
正月明けるといつも神職の人に会う機会がある。この人の受け持っている神社は社務所が無い社が12もあるので、いつも頭が下がる思いがする。この人から毎年この時期鰹と鮪の生姜煮をもらう。商品名は「糶一番」で、焼津の山政というメーカーが1050円で販売している。神職の人なのでなんとなく縁起物として毎年頂いているであるが、日本酒の肴にはいいので熱燗でこれを食べるのがいつしか楽しみになっていた。今日池波正太郎の剣客商売包丁ごよみを読んでいたら(見ていたら)、鰹の生姜煮が載っていた。鰹の場合、背の部分の身を使う。とかいてある。せり一番もよくみると血合いの部分を使っている。昔懐かしい味である。話は違うが今年は正月3日に坊さんにもあった。彼は平成19年の暦をくれた。それと同時に今年の各月の悪い方位の図解を示してくれた。そこにはその時に行ってはいけない方位が記されていた。別に信心深く無いのだが、見てしまった以上、聞いてしまった以上、縁起を担ぐ方に流されてしまう自分がいる。易学なんて率先しては見ないのだが、渡されてしまったものはしょうがない。この坊さんの話ではイラク派兵は今年は方向が悪いそうで、引き上げてほっとしていたと言っていた矢先、先日ブッシュが増派を宣言した。
January 16, 2007
仕事を切り上げて、ライブ会場へ向う。若い姐ちゃんが駅からぞろぞろと会場に向うので、こちらはその導線に乗らないように遠回りをしながら会場に。なんとか他の人と会場前で合流。なぜか連れ(私が連れられているのだが)とは前後の席で予約が取れていた。ピンチヒッターの参加ではあるが、このチケットを取るのに体を張って(禁酒破って)ゲットした思いがある。ところが会場はコアなファンばかりで、前に座った知り合いも脱ぐと昨年のツアーのロゴ入りTシャツを着ていた。私の左隣は男女のカップルでこちらの男は私同様初心者だったのか、チラチラ私の方を見てこの曲ではどういう乗り方をすればいいのか、目で合図を送ってくるのである。人の振り見てわが振りという性根自体が好きではないし、無論手本にもならない。通路を越えた右隣はグループできていた女子の集団はみな心置きなくはじけていた。高校に入るとうちの娘もあんなふうになるのであろうか。さらい言うなら、私の周りには比較的男性が多く、遠目から見てもそこだけ目立って乗りが悪かったかもしれない。左斜め前には身なりのいいおばちゃんと来たホストがいて、この男もゆるい感じのファンではあったが客の手前はじけてはいなかった。通路を隔てて右斜め前はカップルで来ていた男が座っており、私でさえ礼儀というかTシャツ姿になったのに、この男だけはみうらじゅん風のパナマ帽にボタンダウンのシャツのスタイルで通していた。前の一緒に行った人間もマイペースな人である。このアーティストのツアーのおっかけをしている女性の連れ(この人とは席が離れていた)に言わせると同じツアーでもMCが違うので曲目はほぼ一緒でも全然飽きないらしい。むしろその一挙手一投足に違う表情が見れるのが楽しいらしいのである。でもどうやらそういうファンが会場にはあふれていた。二時間ぐらいのライブで最後の方はボーカル声がヘリュームガスを吸い込んだように上ずっていたが、そのギリギリのところで勝負している姿がファン心理をくすぐるのかもしれない。だが、オジサンは立ちっ放しで早く座りたくてしょうがなかった。やっと座れたと思いへばっていたのだが、アンコールでまた4,5曲やっていたので椅子なんて意味無いジャンと思いながら会場を後にした。
January 13, 2007
日本語の辞書では割り勘と載っている。英語の辞書だとDutch treat=割り勘の食事[宴会]と載っている。ここで気がついたのは日本語の割り勘と違うのではないかと。各々が何か持ち寄る食事会みたいなもので、各々がご馳走になり各々が振舞っているような感覚ではないかと。つまり、日本語の割り勘というような経済合理性はそこにはない。むしろ参加意識の平等性が存在する。(もうちょっと簡単に言えんかのう!)頓に感じるのは、ここ数年あるところでそういう飲み方をしてきたからであり、主催者にはいつも減らず口はたたいているが、参加意識を平等にしてくれるように気配り(ダッジ・トリート)してしてくれているのには感謝はしている。例えば、一本5千円のワインと三本分の量の1500円の箱ワインを持ち寄ったとする。値段は皆気にせずに飲んでいるのである。それでいいんだと思った。ところが箱を持ってきた本人は気にしているのか、売れ残ったら可哀相だと思い必死に箱を飲んでいる。いや、私を飲んでと酒が呼ぶのである。「私はお隣さんのような名門(有名な醸造所)の出ではないけど、どんな相手(料理)にもあうのよ!」「大丈夫だよ。たとえ世間が10の1しか価値がないといっても、お前さんの良さは分かっているから」「でもね。あんな煌びやかだと隣にはいたくないわ」「そうか、じゃぁおいらの隣においで。ずっと一緒に居よう」而して、箱ワインは空になり、翌日禁酒を誓ったのであった。
January 11, 2007
おなじみ落語の一席であるが、わたしもこのまんじゅう怖いタイプである。宴会でビールをついで廻るタイプでなく、注がれる役回りとなる。好きなことでも受身でないと議事進行ができない。誰かにやれといわれればやる。なんでもやるわけではなく、自分の好きな事を命令されるのを待っているのである。ただ、自分の好きな事を強要するのは嫌いである。この手の人間はただ単純に待っているわけではなく、フェイクも使えば下準備もする。でも空振りに終わることも多い。しかしその空振り感を楽しんでいるのである。もうひとつの特徴は、受身の詭弁とでも言うのか、言い訳ができることである。「いやぁ、強引にさそわれちゃってさぁ、つきあわない訳にはいかないだろう。」受身じゃない人から見れば、単なる言い訳なのであるが、そこには能動的になるのが「こわい」という裏事情がある。ここにこの落語の凄さというか、人間の機微の深さを感じるのである。人間気持で物事を納得させる癖がある。よくこれがまんじゅうでなくて酒だったら話はもっとわかりやすいのにと思う。酒だと滑稽でなくなるんだろう。酒だと好きなんだけど積極的になるのが怖くもある。逆にこの恐怖心がなくなると堕ちた人間になったような気持ちになる。そんな高尚なものでなく、飲んでいれば同じじゃないかというが、場所や状況をわきまえず大勢の前でも手酌でガンガン飲み始めたら危険信号である。そういう時は沢山飲む人間と同席するのが定石である。と、やはり酒飲みの言い訳となってくる。・・・・・こんどはチーズが怖い。
January 9, 2007
と聞かれ、未だにカウボーイになりたいと答えてしまう。正確には老後は何やりたいというべきなのかもしれない。最近カレーうどん屋もいいなと密かに思っている。都内だとカレーうどん専門店がいくつもあり、かなりもったいつけて仰々しい。値段も600円以上のものが多いような気がする。屋台で充分である。麺はきしめんほどではないが、太目の平打ち麺でカレーは和風だしではなく、具材が溶けるまで煮込んだスパイシーなものがいい。最後に青みのネギがバランスよくトッピングしてある。「よお!熱いところを一杯頼むな」「らっしゃい。旦那今日は冷えますね。」「いやね。今日は見張り番でね。これから町内を廻んなきゃいけねぇ」「そういえば、もうすぐ鎮火祭ですね。今年、火を渡る若い衆は誰です?」「おう、丸川とこのせがれよ」なんて会話をしながら、カレーうどんを出す。神社の境内の入り口近くにいつも店を出している。なんでもこの社は10代崇神天皇2年の創建で、(紀元は何年というのがほとんど神話の世界であるが)、924年の延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)にも記載があるので古いのだろう。「じいさんは、ここに出して何年ぐらいだい?」「かれこれ30年以上になります」「オイラは20年前に越してきたんだが、だいぶ変わったね」「そうですね、参道が4車線道路で分断され、近くに高速のインターができ、団地ができましたからね。でもそのころこの社は荒れてたんですよ。鎮火祭だって休止してたんでんすから。それが先々代の宮司が私財をなげうって・・・・」と昔話をし始める。で、何の話でしたっけ?
January 8, 2007
きょうブックオフで文庫本を買ってきて読む。久しぶりに休日らしい休日だった。そのなかに東海林さだおのエッセイで自分部分史帽子編というのがあり、普通の人は笑って済まされる内容なのだが、同情を禁じえないシンパシーを感じていた。私の小学生のころは、まだ学生帽というものをかぶっていた。周りにはそんな小学校はもうなかったのであるが、戦前からの習慣で昔の師範学校が母体なので古い体質が残っていたのだろう。今は多分無いんだと思う。頭の真中に徽章と取り付ける場所があり、中心の六角形を抱くように鳳凰が向かい合っている構図であり、六角形の中に小という文字が入っている真鍮の徽章をつけていた。中学のころ山上たつひこのガキ刑事というギャグ漫画が流行っていて、その舞台の校舎や校舎前の銅像がまるっきり自分の小学校を模写している事に気がついた。しかも、この漫画では自称小学生警察官と称するこまわり君は必ず帽子、制帽をかぶっており、これが周囲の小学生と比較して浮いた存在となっている。この浮いた感覚は周りの学校に比べ私服に制帽をかぶって通学していた小学校のころとオーバーラップする。時は戦前でなく昭和40年代である。山上たつひこは関西出身だというが、われわれはもしかしたらモチーフにされていたのではないかと疑ったことがある。帽子はそのころは意識していなかったのだが、いつしか自分の頭の大きいことに気づき、ゴルフ以外ではかぶらないことになった。そういえば、帽子掛けのスタンドも今はゴルフ場のクラブハウスでしか見かけなくなった。しかしあのフリーサイズの帽子という物がどうもいただけない。頭の形が違うのに同じ深さやデザインなんておかしいではないか。とおもっていたら、先日ゴルフショップで大判用の帽子を売っていた。それを被ったところでゴルフ場の帽掛けでは目立ち、周囲とは浮いた存在になることは目に見えているのだが。帽子をかぶらない世の中になってつくづく安心している一人なのかもしれない。
January 7, 2007
新年会は忘年会と違い早々計画的にできるものじゃない。昨年中から計画できるものでもないし、その場の雰囲気で正月ぐらい外に出て一杯やるかとなる。元旦二日頃から計画が持ち上がり、打合せする事数十回、なんとか新年会にこぎつけた。といっても右往左往するだけで私は何もしなかったが、去年の暮れからの念願だった鳥鍋(今日はうずら鍋だった)も堪能でき満足だった。お通しもレベルが高く、最初に出して良いかどうか聞く。若い人がいなかったせいもあり、アラカルトで適当に頼んでもそれほど値段はいかなかった。お造りもレベルが高くネタの切り方がしっかりしているし、天麩羅も冷めてもカラッとした感覚が残っている。田舎の田んぼの中にある店にしては板さんの腕のいい店である。二次会ではワインを飲んだが、最近ボルドーの格付けワインなんてとんとご無沙汰だったのに、2本も飲んでしまった。シャトー・オー・バタイイとシャトー・マルキ・ド・テルムどちらもつまみがいらないくらいのいいワインである。この店もお通しのレベルが高く、つまみ全てがお通しで、口ごたえせずに食べるシステムになっている。メニューは3年以上も前に見かけたことがあるが、今はどこに行ったのかとんとウワサを聞かない。ついでに箱ワインでがぶ飲みをし、かなり酔って椅子にアゴを乗せ床に座りながら夜が更けていった。
January 6, 2007
明けましておめでとうございます。正月早々妙なタイトルだが、先月風邪でダウンした時これが重宝した。ゴルフの景品でもらって何使うかわからなかったのであるが、アメリカのMPIというアウトドア用品メーカーでオールウェザーブランケットと書かれていた。見た目は花見に使うビニールシートとしか見えないのであるが、どうしてなかなかこれがすぐれものであった。風邪の時は頭寒足熱というが、足元が寒くていけない。従って最初は靴下を履いてねるのだが、あれが意外と寒いし、うっとうしい。途中で靴下を脱いでしまう。ところがシーツ代わりにこのシートを敷くとあらびっくり!足がぽかぽかしてくる。ついでにスエットの下も脱いでみる。肌を露出している部分がじんわり汗をかいてくる。コイツはなんなんだと思い袋に書かれた説明書きを読んでいた。なんでもNASAのアポロ計画のとき使われていた断熱材らしい。構造はプラスチックフィルム、アルミニウム、メッシュスクリム、プラスチックフィルムの4層で軽量でシンプルなものである。特徴は兎に角熱を逃さない。裸であればあるほど体から発する熱を逃さないのである。もし雪山の山小屋で火の気がなくても、裸でこれに包まっていれば大丈夫なような気がした。こんな使い方をしたのは私だけかもしれないが、風邪で悪寒がした時これをシーツ代わりにしたのがきっかけだった。以後冬場の足の寒さからくる寝つきの悪さから開放されたのである。
January 3, 2007
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