全1000件 (1000件中 1-50件目)
昨晩テレビを見て、食品工場の機械が職人技に裏づけされているという切り口でレポートをしていた。冷凍うどんに腰があるのは機械のローラー押し工程の存在をクローズアップしていた。(でもね、その腰はタピオカに使うような澱粉を練りこんであるからという噂が強いですよね。それをちゃんと検証して欲しかったですよね。)その後冷凍うどん麺はこんな食べ方もできるという例示で、細かく切ってフルーツパンチみたいなデザートを作っていた。どう考えって寒天、タピオカ、ナタデココの類と同じだろうと思ってしまうのである。(いや、失敬。もちろん小麦の味もするだろうけど)そんなことに腹を立てながら、サミットのニュースも見てしまった。サミットにデモで反対する人の言い分が訳わからなかった。グローバリゼーション反対である。このグローバリゼーションがアメリカナイズのことなのか、自由貿易のことなのか、労働人口をも含めた人的交流のことなのかよくわからない。文化が入ってきて生活様式が変わるのを恐れるのか、安い物が入ってきて作った物が売れなくなるの恐れるのか、安い労働者で職を失うのを恐れるのか。どれもG8とは関係ないような気がする。唯一あるとしたらお金の流れは自由なのでマーケットをコントロールできるかということである。環境問題はアメリカの言うように中国・インドの参加がないと無意味とまでは言わないが、もともとロシアは温暖化賛成(凍土がなくなりや不凍港ができる)なんだし、まとまる要素がない。前から考えていたんだが、環境問題は、公害問題とおなじでいままで外部不経済(環境悪化にはコストがかからない)であるところに問題がある。だから、外部不経済を経済システムに組み込まないと基本的な解決にはならない。唯一の解決策は環境改善に資するビジネスの強化育成でなんだろう。個人の努力の和で解決しようというのは全員の生活様式を50,60年戻せといっているようなものである。消費の直接の規制はもっと混乱するし、合意の形成が至難である。日本のセクター別アプローチというのも規制だし、排出権の売買もビジネスではあるが、もともと総量にキャップがあり規制である。今のリサイクルビジネスは生活の快適さに貢献するようなインセティブがないと難しいのかもしれないし、安いクリーンなエネルギーが出てこなければ化石燃料の消費抑制もできないかもしれない。そもそも25、6年前の未来図では、将来核融合エネルギーというのが開発され、石油はおろか原子力も要らなくなると言われていた時期があった。科学の進歩が停滞したのか、今や核融合エネルギーという言葉も無くなった。科学の進歩だって立派な外部不経済であり、世界各国が武器以外の対価性(経済的な見返り)のないものにお金を出すことをしなくなっている。だったら、なおさら資源の無い国同士がお金を出し合って、安価なクリーンエネルギーの研究開発をすべきなんだろう。(資源を持ってる国を入れると面倒なことでもある) 今回で1000回を向かえるので、これでお終い。
July 7, 2008
牛肉の偽装事件が問題になっているが、あれがどうも納得いかないのである。等級を偽るのを罰するのは当然であるが、等級自体が誰の嗜好によって決められているのだろうか。嗜好物を一律のクラス分けしていいのだろうか。もっとはっきり言うなら砂嘴が入った肉が好きな人の基準ですべて決められてないだろうかということである。グルメ番組をみているとリポーターは肉汁、脂が甘い、血が滴る等の表現をするが、私ははっきり言って焼いてから少し休ませた肉が好きである。外側がカリッと中がピンクになった肉が好きである。したがって脂は固まる傾向にあるのでないほうがいい。休ませるので肉汁は切った時は出てこない。中身が安定しているので血は滴らない。鉄板皿でサーブされるステーキなどこの焼き方と肉質ではありえない。(皿は暖まってないと駄目ですが)ブランド牛は地域振興として盛り上がりを見せているが、国の等級のつけ方が大雑把過ぎて混乱するのではないかと思う。少なくとも部位の種類と砂嘴の入り具合と赤身の肉質と脂身の質の四つぐらいを表示すべきであり、もしするなら後者二つをランク付けすべきである。例えばボルドーワインで第1級から5級のシャトーの格付けがあるが、必ずしも等級が旨いわけではなく、あくまで生産者の歴史やキャリアを表すものなのだと思う。格付けで値段が決まるなんて、おこがましい。値段はあくまで需要と供給のバランスである。それをわきまえているから、フランスの農業はイメージ作りが巧みである。農業を支えるには大事なことであるが、薄っぺらな基準のみに頼る日本は偽装がしやすいのではないだろうか。
June 28, 2008
声楽は学んでないので知らないが、太ってくると声がよく出てくる。恐らく10年前と今ではカラオケの歌い方が全然変わってきている。もちろん歌う歌も違うのであるが、とにかく声が楽に出る。音域も広くなったような気がする。多分、首の太さとか胴回りに関係しているんだろう。それとも耳が悪くなったので声がでかくなったのであろうか。聴力は確かに落ちている。他人の話を最後まで聞かなくなっているのかもしれない。自己主張が強い欧米化の波だろうか、それともいらち(せっかち)な性格が情報化社会についていけなくなっているののだろうか。声が大きくなっている。枕を涙で濡らすのは物語性があるが、この季節よだれで枕をぬらし始める。暑いと口が緩むからであろうか、下向きで腕が顔に中るからであろうか、完全に顔の下半分がよだれまみれになる。犬の気持ちがわかるような気がする。それもバカ犬になった気分になる。湿気も関係してくる。乾燥しないで顔にまとわりつく感覚が強い。体の水分補給も関係してくるのかもしれない。この時期水をよく飲む。人間は発汗で温度調節するが、よだれだってその一端をになっているのかもしれない。先月床屋で夏を迎えるにあたり、頭を刈上げたときのことである。頭の皮で皮膚呼吸できなくなっていたのか、半分頭皮が真っ赤にかぶれているという。そういえばここ数回は10分床屋ばかりいき、まともな床屋に行っていなかった。店のオヤジにケアをしっかりしなさいと注意される。だんだん話が不潔な方向に向いているが、耳垢の話を最後にする。梵天耳掻きというスプーン状の昔からある竹の耳掻きは体にいいのだろうか。耳の中には産毛がある。それが梵天によって掻き出されてなくなってきている。若いうちは再生能力がある。しかし年とともにハゲ山がなかなか再生しないのである。耳垢も地肌からこそげとる感覚になる。大きいのが取れてしてやったりと思うのだが、非常に不健康な気がする。(体を不自然な状態にしているような気がする)ほんとは産毛によって浮いてきた耳垢を梵天ですくい取るのが自然にやさしい気がするのである。耳の中の地肌も非常に鈍感になっているような気がするのである。この鈍感さが性格にも現れないかと心配である。
June 25, 2008
久しぶりにはしご酒。北千住の駅構内で時間があったので、まずアイリッシュバーなる軽食屋に入る。5分、10分で一杯引っ掛けるにはいい店で、エビスのハーフ&ハーフを飲む。ここから中央林間行きに乗り2つ目の押上で降りる。先ずは老夫婦がやっている大黒屋に直行。下町、モツ焼き、ホッピーと居酒屋の三大要素が詰まっている。コの字型のカウンターは12人ぐらいで一杯になり、店のおやじさんに詰めてもらいなんとか席を確保する。店のおやじさんが「生」にします?と聞くので生を頼む。生といってもここではビールじゃない。生ホッピーのことを言うらしい。生はよりビールに近い。お次はホッピー。ジョッキ、ホッピー、焼酎を全部冷やし、瓶をさかさまにして行きよいよく注ぐ。当然泡が立ち、最後瓶の口が泡で隠れたところで、静かに瓶を抜くと細かい泡が上に乗る様になる。これが正統派のホッピーの注ぎ方だとオヤジが実演してくれる。氷を入れるのは邪道だそうである。この店では中も外もない。一杯に一本、それがホッピーの本来の味を楽しめるという。さてこの店の最後はレモンハイ。炭酸にレモン香料が溶け込んでいるものが、ホッピービバレッジのロゴがついた透明の瓶に入っている。隣の客が薦めてくれた。彼のグループの前にはこの瓶が20本以上並んでいる。通常これだけサワーを飲めば飽きがくるのであるが、ここのレモンサワーはいくらでも飲める。もつ焼き盛り合わせと煮込みと併せて2人で3000円。お次の店も松竹というもつ焼き屋。年配の母娘ふたりでやっている店で、ここもキャパは10人ぐらいである。ここでは先ず焼酎ハイボールを頼む。甘さが無いシロップを使っていて中身は企業秘密だそうである。いわゆる元祖酎ハイの素である。この地域の(曳舟・押上・吾妻橋)酎ハイは名物であり、元祖の味を堪能する。かなり酔いも回ったところで、駅前の福膳という店へ。ここの特徴はとにかく安い。白波の水割りが1杯250円であった。ほかの飲み物も250円均一であったように思う。つまみも結構いける。何を食べたか思い出せないけど・・・・・・、この後何処へ。
June 22, 2008
どこまで上がるのかよくわからないが、年金資金のような長期資金が市場に入っているのでそんなに短期間で下がることも無いんだろう。日本のマスコミは馬鹿の一つ覚えみたいに投機筋がどうのこうのいうが、値段が上がる前から投機筋はいたんだし、根本はマーケットにお金が集まってくることにある。なぜお金が集まるかというとお金が余っているからであろう。オバマが戦争やめてくれたらガソリンは下がるだろうか?テレビの影響なんだと思うが、最近の若者は乾杯する時「ルネッサ~ンス!」と言うのだろうか。酒場で与太話しかしてない連中を背にして飲んでいた。盗み聞きしながらついつい声と会話で年齢とか性格を勝手に想像すると趣味の悪いゲームしてしまう。いや深刻じゃない話だから拝聴できるのである。会話も何もなく一人で飲みたいときもある。そんな時でさえ、自分のことを考えると気分が落ち込むのでもっぱら他人のことを考えるようにしている。(一人で飲むときのマナーのようなものである。)近年中に消費税が上がるのかもしれない。もう経費削減が限界だという。タクシーがどうのこうの言ってるのは正していくのは当たり前で、そんなもの削減の屁のツッパリにならない。むしろ倫理の問題であるのにいかにも経費削減に努力しているかのような報道になる。そんなことより人員削減がどう考えても先だろうと思うのである。(予算のうちほとんどは人件費だろう。)支出が賄えないから、増税するということは人員削減に着手してないからで、他の公共サービスの支出を削って人件費抑制(人員削減)しないとうのは公共サービスの低下以外に何者でもない。(ここ数年やってきたこと)今はいろいろツールが発達しているので、昔10人工必要だった仕事でも5人工できるぐらいの生産性はあるはずである。(根拠が無い感覚的な言い方ですが)更年期なのか、世の中全体の風潮なのか、はっきりしないのだが自分自身が確実に怒りっぽくなっている。人間のメカニズム自体、年をとるにつれ自分を抑制する物質がどんどん失われていくそうである。でも、恐らく30年前の少年、青年、壮年、老年のそれぞれ各層が怒りっぽい気質になっている気がするのである。どう考えても怒りのぶつけ合いは傷つけ合いで疲弊することは目に見えている。(もちろん局面打開で必要な時もあるのだが)
June 20, 2008
今まで酒の中で苦手だったが、タカラ焼酎ハイボール(ドライ)は結構イケテル。アルコールは7%と高めであるが、甘さ抑え目で恐らく戦後のウィスキーハイボールを模した東京の下町の味を再現しようとしている。ビールを模したホッピーと双璧にあるもつ焼きの共かもしれない。いや他にもホイスハイボールなんていうのうは、ベルモットを模しているのかもしれない。洋酒なんてそんな無かった時代、ビール、ウィスキー、ベルモットに近づこうと焼酎と炭酸と独自シロップが開発されていく。この中でベルモットはなじみが無いかもしれないが、ビールなんかよりは先に入って来たかもしれない。鶯谷の鍵屋という飲み屋に行ったとき、インテリアで木の看板が掛かっている。オヤジにこれは何と聞くと、徳川慶喜の時代のベルモット看板だといっていた。ところが、今から26,7年前。大学に通い始めたときだったと思う。色とりどりのコンクと焼酎と炭酸の飲み物がはやり出した。ブルーハワイやバイオレットフィーズ、池袋の300Bという店には20,30種類置いてあった気がする。(今でも笑笑等にあるかもしれない)それがやがては甘いものも含めて缶酎ハイや缶カクテルに発達したのではないかと思う。甘い酒は気持ち悪いのでそんなに飲めるものではなく、それがいつしか苦手な酒になったのかもしれない。特にこの数年の果汁が入った缶酎ハイはレモンのようなオーソドックスなものでも苦手だった。ところがこの焼酎ハイボール(ドライ)はイケル。今風に糖質80%オフになっている。今居酒屋で酎ハイというと甲類焼酎に炭酸のみであるが、この焼酎ハイボールはカラメル色素でわずかに色がつけてある。ここら辺がなんともウィスキーっぽい。(ブレンドウィスキーにはよくカラメルスピリッツというのが使われる)今度は自宅で缶ではなく、押上あたりで焼酎ハイボールや生ホッピーをやりたいが、好みとしては小さなレモンスライスだけで果汁はちょっと勘弁してもらいたい。もちろん香料としてはOKなのだが、果実のエキス分とスピリッツのアルコール分が炭酸とはあまりマッチしないような気がするのである。
June 17, 2008
和田アキ子の「さあ冒険だ」という曲を聞いていると、気持ちがいい。昔、子供が小さかった頃幼児番組で流れていた記憶があるが、今聞いても何気に普段の生活感から開放されるすがすがしさを持った曲である。ということでラーメン屋で冒険をして、「もつ野菜煮込みラーメン」を頼んでしまう。この煮込みという詞がもつに係るのか、野菜に係るのか、ラーメンに係るのか良くわからないが、灰汁が浮いた濁ったスープは見た目はすこぶるよろしくない。今風の油膜で熱さを保つ澄んだスープと違い、地獄のそこから沸いてきたような野趣あふれる熱さがある。ところがどっこい、スープが旨い。麺は太麺であるが、煮込んでいるのでスープにもなじんでいる。野菜(キャベツ)は一度炒めてからトッピングしてある。もつと麺だけだとくどいのかもしれないが、その間を見事にキャベツ・ニラがバランスをとっていた。この店は会津喜多方ラーメンの店で豚モツだった。ただ牛もつ鍋だって最後ラーメンで締める場合だってあるだろうし、スープも骨や髄からのものとモツからのもとを併せたスープは収まりがいい。汗を掻きながら完食、でも清々しかった。
June 13, 2008
吾妻橋にあるアサヒビールのビルの最上階で飯を食べていた。窓の外には隅田川が千住の方面に流れている。また、放射上に別の方角に北十間川が流れていて、今話題の新東京タワー敷地方面へ広がっていた。電波塔がどれほどの経済効果を生むのか知らないが、業平橋周辺はいままで通りの垢抜けない町並みが続いている。それより驚くのは高層ビル群が見えたので、あれはどこですかと聞くと、どうやら南千住らしい。車ではいつも墨提通りしか通らないので気がつかなかったが、いつの間にか高層ビル群ができていた。今この場所から、昔の千住が見れたらお化け煙突ははたしてどれくらいに見えただろう。その高層ビルから目線を手間に引いてくると大川端に山谷掘の跡がある。昔は船で旦那衆が吉原に繰り出していたのだろう。その近くに言問橋があり、ここで昔は紙職人が紙をすいていたらしい。その工程で冷やす時間があったらしく、その間に職人たちは吉原をブラブラして帰ってきたらしい。それが冷やかしの語源だという。よく高層ビルからの夜景が好きな人がいるが、私は昼間が好きである。できれば地図と双眼鏡をもってビールでも飲みながらタウンウォッチングしたい。ここら辺では浅草ビューホテルからの眺望がいいというが、アサヒビールビルも22階ではあるが眺望がいい。いや、もっと高層になってしまうと人や車が小さすぎてつまらない。少なからず冷やかす臨場感と優雅に物見遊山できる中間位が好きなのかもしれない。
June 12, 2008
サントリーの角瓶のおまけでステンレス製のタンブラーが欲しくて、黒角を購入する。飲み方はもっぱらハイボールである。ハイボールを飲むとき、ウィスキーと炭酸の割合が一番気になることである。以前は1対2で飲んでいたのだが、最近はきつくなる。つくづく酒が弱くなったというか飲めなくなっている。それが健全だということも遅ればせながら気づくのである。酒のレシピ本では1対2.3~2.5ということになっているが、家で測るのも面倒くさい。むしろ炭酸水の500Mlに対しボトル四分の一を目安にしている。これだと1対3になるのだが、キリ良く飲みすぎる心配もない。ブレンドウィスキー好きにとってハイボールは楽しい飲み物である。ブレンドウィスキーとはモルトウィスキーとグレンウィスキーを混ぜたものである。ハイボールにはなぜか複数原料の蒸留酒があう。したがってバーボンハイボールも楽しい。これが原料80%以上のコーンウィスキーだとあまり旨くない気がする。日本でもようやくいいブレンドウィスキーが出はじめて来ている。やはり歴史がないと良いブレンドウィスキーはできないんだろう。「響」でハイボールというのが今年中にやってみたい飲みかたである。昔「爆発デューク」という米TVドラマを見ていて、その中でムーンシャインという密造酒が出てきた。実はこれを飲みたくて酒を覚えた。アメリカの中部地域はスコットランドやアイルランド移民が多かったのかもしれないが、各家庭で蒸留酒を造ってたと聞く。そういう伝統に思いをはせながらバーボンを飲むのも楽しい。昨年は携帯電話の待ちうけ画面に、隣町の居酒屋友の会の人が送ってくれたオールドクロウ(バーボンの銘柄)の写真を貼り付けていた。酒が弱くなったせいかもしれないが、個別の銘柄の物語やいわくを楽しむようになってきている。そのツールとしてハイボールは有用である。
June 8, 2008
ホタテの貝柱のソースに何が合うか、輸入食材屋瓶詰め棚を眺めていると日本のメーカー(青梅市)のワサ・ボーノという商品が私を試してと主張する。原材料の表示を見ると松の実、ニンニク、オリーブオイル等わさびをバジルに置き換えれば、全部ジェノベーゼソースの材料である。だから商品名もイタリアンっぽいのだろう。イタリアンのソースの使い方で直接かけないで、白地の皿の素材の周りに絵を描くように配置される。あれはわれわれが普段居酒屋で焼き鳥の皿の脇にわさびや七味を盛る行為に似ている。かくしてこのワサボーノもイタリアンのソースとして十分成立するのではないだろうか。とりあえずホタテで試してみる。ややニンニク味が強いのが気になったが、素材の甘みを殺さず、ドライな白ワインとの相性もよく、後味・余韻とも申し分ない。これはタコのマリネとしてもいけるかもしれない。白身魚でもいいが鯛や平目は高いのでわさび醤油でやっぱり食いたい。前からワサビで気になっていたのだが、脂が乗っている魚にはこういう本山葵でなく、大根・ラディッシュ系の西洋ワサビがあう。もともとホースラディッシュなんて肉の薬味である。チョリソ(豚肉のソーセージサラミ)にワサボーノをあわせてみたが味がマッチングしてない。これはワサボーノが本山葵の葉を主原料にしているからであろう。それと豚の脂とオリーブオイルはくどい。それとチョリソには別の香辛料が入っている。メキシコのチョリソであれば唐辛子が使われているが、スペインのは唐辛子でなくパプリカである。適度の酸味とスパイシーさがあるが辛味はない。メキシコ産には必要ないが、もしかしたらスペインのチョリソにはラディッシュ系のワサビがいいのかもしれない。てなことを考えながら飲んでいた。
June 7, 2008
食べかけのものをいったんしまって置き、あとで食べる人が世の中いるようである。と、ラジオでそんな話題が流れていた。かく言う私も先日客先で温泉まんじゅうを出され、一口食べた時点で社長が来たので別室で打ち合わせということになり、「後で食うから残して置いて」とそこにいた女の子に頼んでしまった。いや、せわしないのでこう言う状態になったのだが、マニアはわざと中断するらしい。動機は定かでないが、「二度おいしいのを味わう」「マーキング」「願掛け(また同じ場所に戻ってこれるよう願う)」という意見が出されていた。ところが残したほうは忘れていることも多く、その歯型がついた残された姿はなんともむたいである。したがって早々片付けられるわけだが、忘れていたとしても残した方はそれをじゅうりんされたと思い込む。人間の不仲の原因なんて所詮こんなものである。いや国際紛争だって発端のきっかけは食い方が汚いとかそんなものかもしれない。残されたむたいな状態を収集するのは越権行為かどうかで、内政干渉にあたるかどうかが問題になる。私はアメリカはあまり好きではないが、食いの物話に置き換えれば、結構がんばってるじゃねぇ~かと評価もできる。考えてみれば、この食べかけという行為は悲喜こもごもの感情が交錯する。2度にわけなくても、美味しい物を最初に食べるか、最後に食べるかなんていうのも人間の永遠のテーマなんだろう。(最期の晩餐なんていうのがあるくらいだから)要は思い入れや思い込みと、それが外れた時の喪失感や軋轢がおいしい食い物を介して対峙する。それがいやならおいしいと言う基準をなくすことである。食いの物の話題は罪がなくていいという人もいる。それは嗜好の話でお互いを認めることで盛り上がるが、所有権はそういうわけにはいかない。(う~ん何書いているのか判らなくなりました。)
June 2, 2008
国によって言い方がことなるが、スペイン語圏ではソーセージのことをチョリソというようである。ということでチョリソが食いたくなり、スペイン産のチョリソを取り寄せる。白豚とイベリコ豚から作ったソーセージは一見大きいサラミのようでもある。どうやって食べたらいいのか判らず、そのまま冷蔵庫に直行。そこでネットで調べてみる。基本はこの食材どう考えても主役にはなれないのだろう。したがって材料の一つとして、旨み成分抽出される出汁の役割として登場する(パエリヤ等)。いくつか紹介してみる。半熟卵とトマトソースのグツグツ煮(Huevos a la Flamenca ):チョリソを1cm角に切り、トマト、玉葱、人参、パプリカ、いんげんとすべて切りそろえた煮込みのようである。最後に卵を落としオーブンで焼く。ボカーディジョ(Bocadillo):サンドイッチでもホットドッグでもいいのだが、要はパンに挟む具財として薄く切って用いているようである。おそらくフランスパンのような皮が堅めで風味があるパンとの相性がいいのだろう。コシード(Cocido):牛肉や鶏肉やチョリソーを、野菜と豆(ひよこ豆、キャベツ、ジャガイモ、人参)と一緒に煮込んで、スープと具を別々に食べるという料理。といろいろ調べてるうちに、そのままスライスしてビールで飲むのが一番いいような気がしてきた。せいぜい変化をつけるのであれば、スライスして火にあぶるとか、それが一番正攻法なのだろう。あとは赤ワイン。何がいいのだろう?なんでもいいと思うが、スペインなので敬意を払ってリオハワインで試したいものである。
May 31, 2008
がどうのこうのと物議をかもしているが、横綱同士のにらみ合い大いに結構である。終わったら闘争心を引っ込めて品格を出せとか、みんないいかげんなこと言うもんだとあきれるばかりである。土俵の上で勝敗が決しても興奮さめやらぬ両者が、勢いあまって接触し、にらみ合う。至極当然のことである。それは殴りかかれば品格を疑うが、むしろその闘争心を讃美すべきである。そもそも伝統がどうの形式美がどうの言うが、だったら格闘技ではなく舞踊として国立劇場で土俵の舞台を作り筋書き通りに披露すればいいことである。今回の間垣親方(ソウル若三杉は大好きでした)だって、正直な発言が問題になっているが、言いたい事を言ってもっと体罰の是非を論じればいいのにと思う。教育や人格を教えなければいけなのと同時に格闘家として闘争心だって育ててやらねばならない。極限や限界を見ないと(体得しないと)、それこそ他人にも力の加減がわからず大怪我につながり危ない。もし時津風部屋のような形式や秩序を守るためだけの暴力であれば、単なるリンチで評価に値しない。もちろん気持ちが折れそうなときのフォローだって大事なんだと思う。(その指導だってセットで当然考えているだろう)だから証拠写真の結果でなく、過程も同時に明らかにすべきである。ガチの勝負だから面白いし、勝者の美学も生まれてくる。その美学だって人それぞれの哲学もあり個性もある。形式や伝統の押し付けが逆に形骸化になり、変な暴力につながっているのではないかとさえ思える。いや闘争心を磨くのに竹刀が必要だとは思わないが、極限状態まで追い込まないと強くはなれないのだろう。
May 26, 2008
午前中は客と会っていたのだが、昼に久しぶりに隣駅近くのスーパーの酒売り場を徘徊する。トリンバックの貝のマークの白ワインを発見した。トリンバックというのはアルザスワイン(フランス)の銘醸であるが、ドイツ色の強い地域にしては垢抜けているエチケットであった。図柄は貝殻(コキヤージュ)で、上に二匹の魚(ポアソン)が向かい合っている。魚やカニ・エビのお供にお勧めなのだろう。葡萄はシルヴァネールとピノ・ブランの混醸らしい。今日はマルハの牡蠣の燻製があったのでそれをつまみに飲んでみる。味はそれほど酸味を主張せず、それでいて辛口で胃にしっかり重みを感じさせる素朴で自然な味わいであった。多分舌が馬鹿になっている人からすると水っぽくて物足りなさを訴える人もいるだろうが、私からすると地味に旨い酒である。これがドイツワインのリースリングだと甘い香りと粘りを感じるのである。(同じストラクチャーであるが)フランスの白は不思議と内陸に魚貝と合う酒が多い。最も有名なのはシャブリで別のストラクチャーであるが、これもなかなかイケている。特にこの手の酒には、カリカリに皮目を焼いた白身魚(ポワレ)が最高であると頭の中で想像が膨らむ。(作らないくせに勝手なことを言っております)とここまではオシャレに書いているが、飲みながら色々考えてしまう。この年になってくると我が強くなる。というのは世間的一般の見方で、本当は世間的な仕来りや習慣に合わせていくのに疲れてくるのではないかと思う。かといって社会の中では一人では生きていけないので折り合いをつけることも覚える。言い方を変えれば折り合いは気持ちが通じ合うことかもしれない。それがストレスになることもあれば、喜びになることもある。生理的な問題もあるが、能動的にプラスな心持に持っていかないと日常生活面では損である。但し、悲観的な心持がが反骨精神や集中力のアップのエネルギーになることもある。(長続きしないけど)どちらにしても中年は中年なりにがんばらないといけないのである。(若者と張り合うつもりはないのですが)
May 25, 2008
日本の首相で、安倍くんが一番まともだった気がする。お友達内閣というが政治主導で公務員改革をまじめにやろうとして、役所内部のスキャンダルのリークや告発は相当程度政権政党にダメージを与え、選挙に負けてしまったんだろう。当然政治家にとっては、選挙で役人に風評でも流されてはたまらないという圧力になる。役所の仕事というものは大よそ事務仕事である。ここ10年ぐらいでパソコン等の発達により事務機能や管理機能というものが生産性の向上に役立っている。例えば、昔は電卓のキー10000回叩くところを今はパソコンのキー1回で済む。生産性の向上=労力の削減といってもよく、民間は新たにビジネスチャンスに振り向けてきた。恐らく事務代行なんていう手数料はここ10年間で値段は下がっているんであろう。ところが役所においては構造改革といいながら、外部団体に人間と行政サービスを排出(委託)するだけで、そこには生産性の向上は見られなかった。むしろ総和サービスに対する人件費は膨らんでいるのはないかとさえ勘ぐりたくなる。役所の予算も一般会計より特別会計の方が大きくなり複雑でわかりにくくなっている。もちろん役所の仕事は対価性がわかりにくいものが多いので、賃金価値の算出はなかなか難しい。給料がそれほど高いとも思わないが、人はどう考えても多いような気がするのである。だから渡辺大臣がまだ安倍くんの意思を継いでがんばっているのだろうが、全体の政治家のマインドはすこぶる低く後ろ向きである。歳出削減、無駄を省くというがチマチマしたことより、人件費に大鉈を振るわない限り歳出削減なんてたかが知れている。世の中が増税の方向に流れていくのだろうか。
May 21, 2008
小さい時アベリベリバラバラってよく歌ってましたよね。関係ない話なんですが、ばら寿司に凝ってます。といっても近くの「西友」「ジャスコ」「Food Garden」、スーパーのものを順繰りに買っているだけなんですけどね。アベリベリバラバラって口ずさみながら約400円のばら寿司を軽快にカゴに入れています。アベリベリバラバラ イクラ、イカ、マグロ、サーモンはどこのでも入ってます。アベリベリバラバラ ばら寿司に合う酒も買わなきゃと思い日本酒に手を出してしまいます。アベリベリバラバラ RAW FOODなのでダイエットになるかなと思ってたんですが、アベリベリバラバラ 米は加熱処理されてるし、酒はカロリー高いので太りました。オー バラバラ!
May 17, 2008
ナビがあると目的地がはっきりしているので気づかないが、こちらは感で走っているので、迷うまいと注視しながら運転している。特に夜走ることもある道は、カーブのラインや景色を昼間叩き込む必要がある。(田舎道は夜明かりもない)昔の北河原村、今の埼玉県行田市の県道をを走っていた。フライののぼりを見つけ、昼を食べにぱっとしない食堂に入る。誰もいない午後二時ごろ薄暗い店内に入ると目が慣れていないせいかしばらくよく見えなかった。時間がたつにつれ、薄汚れた店内のいろんなものが見えてくる。壁には1950年代の美空ひばり出演の映画ポスターが貼られている。(「ひばり姫初夢道中」と「七変化狸御殿」)レトロなポスターで、リプリントだと思うがもし本物であるなら50年以上飾ってあることになる。いやそれ位店内はすすけていて時代を感じさせる。入口脇にはカラオケセットが置いてあり、1曲150円の張り紙があった。テーブルに座る前に変なとこに来た不安感で戸惑っていると、店のお母さんが壁の張り紙がメニューだという。「フライ300円」「やきそば300円」「ゼリーフライ100円」と値段が書いてあるものは三つしかない。あとは焼き鳥、煮込み等3,4種類、酒のつまみになりそうな値段がついてないおしながきがあるだけだった。やきそばとゼリーフライ1個を頼む。ちなみにこのこの地域のB級グルメで「フライ」とはお好み焼きやチヂミのような粉もんを焼いた食い物である。かたや「ゼリーフライ」はおからに玉葱やジャガイモなどの野菜を混ぜた揚げ物である。この埼玉県北、群馬南部の食い物文化特徴であるがやたらウースターソースを使う。(ちなみにソースカツ丼もこの地方ではポピュラーである)当然、この焼きそばを含めた3品はソース味である。それでもゼリーフライは揚げたてをソースにくぐらせたものはなかなか旨かったが、胸焼けしそうなので1個にとどめておく。その代わりお土産に3個注文した。街道は利根川の土手の南側にあたり、薄暗い店内ではあるが風の通りは良い。他に客は誰も来ず、お母さんとまったり天気の話をして店を後にする。高校になる娘は群馬生活が長いのか、ゼリーフライを知っており、3個一気にたいらげていた。
May 9, 2008
適当に言葉を並べると中国語ぽく見える。タンカレーというジンの裏のラベルを見て、英国のディアジオとフランスのモエヘネシールイヴィトンが一つの販売会社を創って販売しているのを知る。最近シャンパンの値段が高いのはこの会社が吊り上げているのではないかとさえ思うのである。5年ぐらい前は米国のコストコでドンペリの白の箱入りが80ドルで売っていたので土産に買って帰った。(義兄によるとその一年前は60ドルで売っていたという)日本に帰ってくると量販店では箱入りではないが8000円強で売っていたので重い思いをしたのでがっかりした記憶がある。いまはモエやドンペリが倍になっている。この会社に限った事ではない。もちろんヴィンテージが関係するが、カロンセギュールというハートマークの有名なワインがある。一番安い時で5000円で買った記憶がある。(ここ五年内で)ところが今はどうであろう。1万円は下らないのではないか。昔は酒税の関係で洋酒は高かった。贈答品の定番のジョニ黒は1万円したと思う。キャビネットの奥に鎮座まして応接間の主だった。それが今は2000円で売られている。その代わり今はその上にジョニ緑・ジョニ金・ジョニ青がある。いい時代である。ところがそれがそうは長く続かないのではないかと思えてきた。あの忌々しいルイヴィトンのブランド販売戦略で先ずはシャンパンが高騰し、じきにウィスキーにも及ぶのではないか危惧しているのである。だいたいルイヴィトングループなんてぼったくり商売以外の何者でもない。じきに日本人の購買力は落ちてくる。円も長期的に安くなるかもしれない。そうすると今度は中国人インド人をターゲットに商売を始めるのであろう。いや国際的に高く買う人間をターゲットに強気の商売をする。だからシャンパンはその先行指標となっている。ということは既に日本は低落している証拠なのかもしれない。
May 6, 2008
ここ一年で回転寿司、牛どん屋、パスタ屋、和食レストラン、ラーメン屋が軒を並べてオープンした場所がある。その度に旧来から向かいにある山田うどんでは割引券を発行している。今日は一番直近にできたラーメン屋に入ってみる。博多という文字は一言もないがそれらしきメニューで、鶏がら豚骨ラーメンと替え玉の食券を買う。ゆで加減は普通からバリかた、はりがね、粉落としまであり、堅めを注文する。(粉おとしはさすがに怖くて頼めなかった)味は本場の博多に行ったことがないのでわからないが、かなり細めの麺だから湯通ししたような状態でも食えるんだろう。(今時、写真をアップするでしょうと思うのであるが、写真を載せると文章が陳腐になるので載せない)スープは白濁で油ぎっしり系、縦に沈めてある海苔をみるとその油膜の深さがわかる。今風のデブと若者が好むラーメンスープである。海苔の他はチャーシュー、半熟たまご、ゆで野菜、塩昆布、青ねぎと普通の九州系である。(普段××系という言葉に腹を立てているほうであるが、ラーメンの話は知識に乏しく自信がないので、系という言葉を乱発する。)味はラーメンと呼ばなければうまいと思うのである。ガラの臭みも完全に消してあるスープで、脂のクリーミーさだけが後味に残る。仕込みにかなり時間をかけているのがわかる。高菜、紅しょうが、ラーメンのたれ(おそらく替え玉の時に味を捕捉するものなのだろう)は入れ放題でテーブルにおいてある。明日は山田うどんの320円の朝がゆセットにしよう。しかも100円引き券を使って。
May 1, 2008
アルディージャが好調なので、機嫌がいい。順位は前節と変わらないが、これで浦和、鹿島、G大阪相手に1勝2分である。トップと最終ラインをコンパクトに収め戦うスタイルがようやく形になってきた。去年前半からしぶとくやってきたのが、実を結びつつある。特にレアンドロの存在は大きい。それにもまして今日は森田が久しぶりに点を入れたのがうれしい。でも、鹿島、ガンバともにアジアチャンピオンズリーグで疲れているし、浦和はメンバーが未だそろっていない。特にポンテがいなければ高原も生きないだろうし、中盤は貧弱でまだまだフルメンバーじゃなかった。浦和は勝っているが、ポンテ復帰前にもう一度失速するんじゃないかと思う。10日の川崎、17日のガンバあたりが浦和を叩いてくれると思う。この先大宮はFC東京と横浜Fマリノスという上位チームとの対戦が続き、1勝1敗で乗り切れば、残りの前半戦はかなり期待ができる。2分だとダメで、引き分けが続くと守り中心のチームで勝てない病気に陥ってくる。かといってカウンター攻撃が得意なチームでもない。海外に目を向ければ稲本と松井はよくやっている。中村は守備に淡白で動きや球の起動も読まれ始めていて限界のような気がする。特にボランチとして稲本はかなり成長している。あたりも強いし、相手チームの10番に仕事をさせていない。松井は相変わらずトリッキーなキックも見せてくれるし、動き出しがいい。J2では湘南ベルマーレのファンである。黄金期が何度もあるチームだが、今世紀に入り低迷している。(J2の下位に低迷している)チーム作りとしてはJ1のチームで出場機会がない控え選手を集めてくる編成で、J2での湘南の実力は大宮とあまり変わらなかったのだが、J2は選手層が薄くて試合数が多いので消耗が激しい。短期間で上に上がれないと慢性的に負け犬根性が身についてくる。もちろんいい選手はJ1に引き抜かれる。スポンサーが逃げて行きお金が集まらない。プレーは相変わらず粗いが、今年はいいような気がする。
April 30, 2008
たまに行く飲み屋で、今月でそこのバーテンの子がやめるというので顔を出す。なぜやめるか聞くともっと勉強をしたいのだという。確かにこの店だとシェーカーを振る機会も少ないし、酒自体の雑談をする機会も少ないかもしれない。私自身もカクテルなんて漫画のレモンハートでの知識ぐらいしかないので偏っている。今日はカクテルを造ってくれるというので、「春の日のどぶ川とその岸辺に咲く菜の花」をイメージしたカクテルをお願いした。最初は戸惑っていたが、「あなたの得意なものでいいよ」というと先ずアブサンのボトルを出してきた。ジン(ビーフィター)とウォッカをベースにアブサン、グラナデンシロップ、オレンジジュースを入れてシェーカーを振ってくれた。カクテルグラスには半透明の黄色に近い黄緑の液体が入っている。一口飲んでみると氷の細かい粒も一緒に入ってきて清涼感が広がる。アブサンとジンのマッチングもよく、強くは主張しないシロップの甘い香りに誘われて、蜂がよって来そうである。なるほど結構このどぶ川完成度が高いかもしれない。(家に帰ってネットで検索してみると「ヨコハマ」という名前のカクテルであった。)とにかく飲食店ではカウンターに座り店の人の技量で遊んでもらえるのは楽しい。プロがシェーカーをふると氷の溶け具合がきちっと計算されている。しっかりしたレシピのもとに作られたカクテルにどぶ川とネーミングして悪かったと反省した。やはり客層が水に合わなかったのだろうか?彼女の作ってくれたヨコハマは美味かった。
April 28, 2008
の中継、思わず見てしまいました。いや、中国人すごい熱狂してますね。あれ見てると血の気の多いナルシストという雰囲気の人が多く、愛国心より自己愛のほうが強いんじゃないかとさえ思えてきます。それでいて徒党を組むのが好きですよね。サッカーのフーリガンのような集団に見えてきました。世間では中国人のことを情報や教育が偏って民主的国家じゃないからかわいそうだとかいっておりますが、もともと自分の間違えを指摘されると逆切れしそうだし、自己中心というか(中華という言葉自体が自己中であるが)自己顕示欲が強くやつが多いの国民性なのではと思います。もちろんチベット擁護派は妨害より目立つことを考えていたんでしょうが、それを目立たせない大量の人員の投入と赤旗が振られてました。青いジャージの中国人もキモイですが、そこそこ白のジャージの日本の警官も異様な雰囲気でした。それと日本のオリンピック委員会は何考えてんでしょうか。外国人が聖火ランナー多く入っていた気がします。長野在住だから選んだのかもしれませんが、ろくでもない輩(アメリカ人)がいて走る前にCNNの生放送の取材に電話で答えていた馬鹿がいました。ほんとに北京オリンピックは大丈夫なんでしょうか。暴徒や警官隊の衝突がないことを祈るばかりです。
April 26, 2008
以前はミートソースと呼んでいたのに最近はラグーソースという名前になってしまったんだろうか。スパゲッティーといえば、子供のころはナポリタンとミートソースしか知らなかった。ジャージャー麺というのは中華料理だと思っていたら、韓国でもポピュラーな食い物らしい。恐らくラグーソースのパスタとミートソーススパゲッティの関係に似ているのかもしれない。よくよく見ると中国のは完全な肉味噌(ラグーソース)で韓流ドラマに出てくるそれ(炸醤麺)は肉つぶがない。むしろ味噌(ソース)がメインである。で考えた。ソースとひき肉のバランスに適切率というものがあるのだろうか。先日居酒屋でナスがあるから田楽を作ってあげるよと言われ(本日のおすすめ、黒板メニュー)、頼むと揚げナスの上に肉味噌がのっていた。自分の中では許せなかった。田楽は味噌がメインであるべきだと。ナスでもコンニャクでもトーフでもいいのだが、ジャン(醤)、ソース、味噌が素材と相性がいいのであって、肉つぶは邪魔ではないかと思ったのである。でも旨かった。肉の旨みに負けた自分が悔しかった。昨日スナックで飲んでたのであるが、たまたま「娘々(ニャンニャン)」というラーメン屋の話になった。十代の頃そこでスタカレーというのをよく食べていた。ニラ、ニンニク、ショウガ、鷹のつめ、ひき肉に片栗粉でとろみをつけた餡かけご飯である。とにかくひき肉の量が極端に少なかったが、旨かった。肉つぶの量が少ない=貧相な料理なのであるが、旨みがとろみの餡に溶け込んでいる。今食べると旨いかどうか知らないが、当時は世の中でこんな旨いものがあるのかと思っていた。恐らく世界中に肉つぶソースファンがいて、肉つぶとソースと淡白な素材(ご飯、麺、野菜、豆腐等)との相性やバランスを絶えず模索してるんだろう。
April 20, 2008
アメリカの人口は2億人だと思っていたら、今は日本の2.5倍、約3億人(2006年)を超えているという。もともと移民の国であるので国力が落ちないようコントロールしながら受入れているんだろう。特に2000年から2006年にかけて2000万人増えている。9.11以降アメリカの市民権を取得する期間が急速に短縮化されているという。象徴的な事件では最近横須賀でナイジェリア国籍のアメリカ人兵士がタクシーの運転手強盗殺人事件を起こしている。一瞬アメリカの軍隊の統治能力を疑う事件に見えるが、ナイジェリア人がなぜ米軍なのかと単純な疑問が浮かぶ。おそらく彼もこの期間に市民権を得ているんだろう。うがった見方をすれば軍人が欲しくて発展途上国からの移民を受入れているのかもしれない。特に現代は中国やインドのマンパワーはすさまじいものがあり、アメリカの今までアドバンテージだったダイナミズムを奪われるのではないかという恐怖感が現れてるのかもしれない。去年あたりから米国経済はおかしくなって来ている。私なんか保守的人間だから今まで(ここ20年)ドル紙幣を輸出する形でよく国力を保ってきたと感心する。その功罪として世界中にお金がよく還流するようになってきて、中国、インド、ブラジルとうが急速に発展できたのだと思うが、アメリカが失速するとその先に何があるのか見えてこない。いや経済評論家なんていい加減な人間が言うことにゃ、中国、インドなんてまだ発展のポンテンシャリティーがあるのだから日本は彼らにぶら下がって生きていけばいいという。はたまた、政治の世界では、日本政治家はアメリカにたてつく首相は短命であり、米国の影におびえている。独自のドクトリンを持たず、自主独立さえ放棄している風でもある。就業人口が高齢化でどんどん活力を失い、経済力や技術力ももはや衰えている風にも見える。そうなのである、ついこの間までという感覚は世の中の移り変わりについていけない人間の感覚である。世の中を動かすのが自民党の政治家であれ、高級官僚であれ誰でも構わないのだが、時流を読んで行動する日本人が如何乏しいかがわかる。
April 6, 2008
ゲテモノ喰いといわれようが、味わいがあるのでハチノス(牛の第二胃袋)は好きである。四川では麻辣肚絲(細切り辛子炒め)、フレンチやイタリアンのトリッパ(トマトベースの煮込み)、もちろん韓国風にボイルしたものにチョジャン(豚足等につける赤い酢味噌)をつけて食べても良い。トルコにはイシケンベ チョルバス(ハチノスのスープ)という料理もあるらしい。世界中にハチノスファンはいると思う。日本だとミノのほうが焼肉に向いているので人気があるのかもしれない。しかしハチノスのほうが国際的にメジャーである。ホルモンを「放るもん」と定義すれば、ハチノスはその需要からホルモンから外れるのではないかとさえ思うのである。もちろん自分では調理しようとは思わないが、噛むほどに味わいが生まれ、顎に心地よい疲れが伝わってきて、反芻動物の気持ちがわかる気がする。日本のモツ煮込みでもハチノスのものは汁まで飲みたくなる。もちろんトリッパのソースにいたっては必ずパンを皿に押し付け拭いさるように食べるのも楽しみである。いや煮込みだけでない。半干して油通した辛子炒めも旨みが凝縮して捨てがたい。これがまた妙に青島ビールに合うのである。ワインとトリッパの相性も言うまでも無い。今日はファットリア・レ・テラッツェのロッソ・コーネロというワインと一緒にトリッパを食べたのだった。(味音痴のくせしてグルメな記述をしようとしてます)
April 2, 2008
コルクの栓抜きを買いに南船橋のイケアまで行く。単純な構造なのだが失敗がほとんどなくワインのコルクが抜ける構造になっている。今春に新三郷にイケアができると勘違いしていて、はたまたオープンがずれ込んだのかもしれないが、結局ギャンブル電車武蔵野線に乗り船橋オートの隣のイケアにいく。朝仕事で集金してきてサイフが膨らんでいるので、なんとなく緊張する。雨の中おどおどしながら、イケアに到着。タケヤ(多慶屋)ではない、イケアである。店内はさすがに凄い。美術館や博物館さながらのディスプレーである。順路が決まっていて目的のものがあるブースまでなかなかたどり着けそうも無い。恐らく男性は女性とは絶対一緒に行きたくない場所である。場外(屋内ではあるが)の飲食する場所でずっとビールでも飲んでいたい気分になる。幸いつまみはニシンの酢漬けやミートボールなどスウェーデンの軽食がおいてある。一通りチェックが終わったところで呼び出してくれれば、家具でもなんでも運び出す力仕事は参加できるはずである。ところが世の中のお父さんは大変である。奥様方がステキなディスプレ-に魅せられ、その後をひたすら付いてまわる。意見を求められれば生返事は許されない。いや自分の意見、特に奥さんと違う意見を言ってはいけない。奥さんを不機嫌にさせずに自分の買いたいものがあっても押さえ込み延々順路を回ってくる。この日はオートレースの外、中山法典でも競馬があり、イケア組みと違い武蔵野線のカップルは生き生きとしていた。
March 30, 2008
ちょっと考えさせられるここ一週間である。3月未だにオフの日が無い。それは季節労働者なのでやむをえないのだが、体力が段々きつくなる。元EXの方からは金の無心と子育ての泣き言を散々聞かされ、かなり忘れっぽい人からは日に2回は電話が掛かってくる。(用件はさっきの電話の内容について)この忘れっぽい老人の仕事を手伝っていた。更に賦役ともいうべき業界の活動に借り出される日も4日ほどあった。(分り易いイジメなのでこれは笑って流せる)この老人もう80近いのだが、肺、心臓、脳梗塞と軽いものはなんでも経験しているひとで、でも個人事業者であり自分が看板であるので仕事を続けている。唯一頼みの奥さんも今年は交通事故で入院してしまった。考えさせられるとは、生涯現役ということである。リタイヤとはどういうことだろうか。よくポックリいっちゃう人は幸せだというが、こういう事を考えずに済むということなんだろう。定年があることがいいことなのか悪いことなのか解らないが区切りを決めてもらって私からすると羨ましい。 (そういえば、話は変わるが私のところにもとうとう年金特別便というものがきた。)人間ゴールがあるから走れるのであって、それが見えずに走ることはかなり精神的に不安定である。生涯現役とは死ぬまで仕事しろということである。当人もその覚悟はできている。今回はこの老人の息子さんと相談し、3月いっぱいで引退させなければということになった。もちろん顧客はここ数年本人が意識的に減らしてきて、私も2,3件引き継いだ関係上手伝う行きがかりが出来てしまったのである。ただ、私のほうも受け入れるのが限界で、今回は気心が知れた子の応援も頼んでしまい。老人の秘書までさせてしまった。考えさせられるとは私のことである。あと十年は今の仕事を続けようと思っている。一応そこで下の娘も大學ぐらいは出ているだろうと思うのである。その時つぶしが利く就職先はまずないだろう。でも一人で生きていくんだろうなとも思う。ほんとはその時期に備えて今準備しなければいけないのだが、飲んだくれているのである。準備することは決まっているんだが、体が動かない。いや、動こうとしないで、老人、EX等々動けない理屈を作っているのかもしれない。己のピークはまだまだ先にある。
March 25, 2008
締め切りを終えることができました。不本意な点があるものの今年はいつにもましてきつぅ~ございました。睡眠時間は一日4.5時間、3時間と1.5時間の二回に分けてとることにし。寝る前に強引にカンビール一本を飲むことにしておりました。あとは仕事。思い出したときに食べる。という荒れ果てた生活。そんな中でつい手を伸ばしてしまったのが、最中食い。東大名物か受験生のお守りお菓子か知りませんが、本郷は三原堂の大學最中、これが実にあまぁ~いお菓子であります。到来ものでございまして消費期限も短めで少し手ごわい相手とも思いましたが、あれよあれよという間になくなってしまいました。最中にはお茶と相場が決まっておりますが、何せお茶を入れるのもめんどくさい。カゴメ野菜生活を飲みながらの受けに食しておりました。これが以外に合うのでございます。野菜生活は紫、緑、黄色とパッケージはいろいろあるのですが、オリジナルだったと思います。あとこの期間よく食しておったのが、近くの西友で売っている「魚屋目利きの海鮮ばら寿司」399円。いくら、イカ、えんがわとまぐろ、鮭、胡瓜、卵等の同じ大きさの角切りが入っておりまして、こぶりの器ですがずっしりした重みがうれしいのであります。普通ご飯を食べると眠くなってしまうのですが、この寿司は適量なのか大丈夫でした。しかもタウリンが豊富そうで(なんかよくわかりませんがスタミナドリンクに入ってるやつ)、わさび醤油の刺激で目もパッチリ。というわけで世にも恐ろしい食生活。ばら寿司と最中と野菜ジュースの日々が続いておりました。あとはビール、たまに海鮮寿司と一緒にワンカップ月桂冠。(なにせお茶をいれるのがめんどくさい)いや飲みはしましたが気が張ってるので少し緩ませる程度。頭の中では仕事のことを考えるようにしておりました。アル中気味だった頃に比べると格段の進歩。仕事の邪魔はしなかったような気がいたしました。
March 18, 2008
最近特に味があるかたちになってきているので、見てて楽しい。なにが?いやなに、キャメロンディアスのほっぺたです。あんなにほほ紅が映える人はそうそう居まいと思う。宍戸錠とはもちろん盛り上り方が違うが、見ているとひたすら楽しい。誰がいったか知らないが口角が上がっていることがいい顔とされ、顔を作ろうとしてあざとい笑い顔をする人が最近多い中、彼女のナチュラルさを真似しても無駄な努力なような気がするのである。あのほっぺたのラインにいつも関心しながら、ケータイのコマーシャルにいつも見とれている。このブログの題名も「とりあえずビール」ではなく、「キャメロンディアスのほっぺた」に変えたいぐらいである。想像するだけでも楽しい。死ぬまでに一度でいいから彼女のほっぺたを触りたいが、無理なので自分のほっぺたを触ってみる。親指の腹をほほ骨の下にあて思い切り上に押し上げてみた。痛い!どんなツボなのか良く知らないが、何かしらの神経を刺激したらしい。
March 9, 2008
近くのイオンのモールで、時間をつぶしていた。日本のモールはまだまだお高く留まっている気がしてならない。直営店でセールをやらない。(バーゲンセール経験が少ないのでてきとうなこと言ってるかもしれません)トミーヒルフィガーという店に入ってみた。以前アメリカでバナナリパブリックという店に入ったことがあるが、小物、バック、衣類のブランドでカジュアルの上の下ぐらいの品揃えをした店に似ていた。ただ、違うのはセールをやってないとこである。アメリカ系のこの手の店は、直営店でセールをやっているから入る気になるのである。たとえば、3万円の茶色のコールテンのジャケットが売れ残り、セールで7500円で売っていたとしよう。それを手にして体にフィットした時、思わずガッツポーズが出るのである。その感動は紳士服のアオキでは味わえない廉価の喜びがある。いや、そもそも茶色のコールテンなんて今の時代誰も着るまい。作り手はあまりモードを考えず作ってしまったのかもしれない。そういうものが売れ残ると、あまのじゃくは売れ残りとは考えず、希少品と見る。みんな売れていく中で、寂しそうにでも他の商品と伍して自分のオリジナリティーを主張して私に訴えかけてくる。75%offでも誇りは失っていない。多分バーゲン会場やアウトレットショップでは陳腐極まりないだろうが、直営店だから掘り出し物感覚も大きいのである。以前アメリカに行った人間にお土産は何がいい?と聞かれるとカジュアルな衣類のバーゲン品と答えていた。今は日本にもモールはいっぱいでき、ユニクロなんていうオールドネイビーやGAPに匹敵するショップも増えたが、その一段上のクラスはまだまだな感じがするのであった。
March 8, 2008
昔のお偉いさんで、今でもある団体の理事長をやってる人がいるんですが、年に2,3回の理事会の時しか出てこないんですよ。普段は隠居というか、痴呆性の老人介護の施設みたいな所にいるのですが、理事会の時だけ出てきます。パーキンソン病で車椅子で登場するんですけどね。足のみならず、口もろれつが回らないんですが、頭だけは錆びてないというか回転が速いんですよね。私は事務方として出席してるんですけど、とにかく追及が鋭い。舌鋒はろれってるんですが、ポイントをついてきますよね。老人というのはフィールドワークはできなくてもインサイドワークというのはできるものと感心してしまいました。特に例年の慣例的な仕事は工夫や知識は要りますけど役人でもできる仕事です。いや官僚を馬鹿にしてるわけじゃないんですが、前例に倣えばいいわけですし情報ももってますから。ところが、将来に向けて歪がたまっていき年々間尺に合わなくなっていくようなことは、上から収まりのいい声が聞こえてこないと誰も従うことができない。いや、たぶんに家長制的で現代社会にそぐわないかもしれないですが、将来右いくのか、左行くのか決めてもらわないと長たるものの意味が無いですもんね。それはスーパーコンピューターには委ねられないけど、浮世から隔絶してて余分なことをあまりしてない老人にはできそうな気もするんでよね。ものごと少々忘れっぽくてもそれなりに情報が開示されてまっとうな議論がされれば、後は意思決定だけですもんね。ただ、これができない。今の若い子はわれわれよりもっと苦手だと思います。(文句やクレームはいっちょ前に言うのですが)ところが、老人はリスクのある意思決定でも意外とさらりとやってのけるもんですね。あれはプレッシャーを感じる感性も鈍くなっているからでしょうか、それとも普段なにもやってないので心安らかな平常心がみだれないからでしょうか。いい意味で老いてもカリスマ性は消えないんでしょうね。まあ、周りもリスペクトするから出るカリスマ性なのかもしれないですが。
March 6, 2008
最近の若者の言葉のようであるが、今日調査捕鯨の妨害のニュースでSSという文字を見つけた。シー・シェパード(千昌夫のEXのような名前である)という反捕鯨団体が、日本の日新丸という船に異臭を放つ瓶を投げつけていた。われわれ日本人からするとどう見ても理不尽な暴力的行為なのだが、CNNではどういう報道のされ方をするのか見ると、酪酸を投げつける意味合いについて記述していた。SS側の言い分では、あれはRotten Butter(腐ったバター)だそうで、とにかく捕鯨船を異臭まみれにして作業をできなくする作戦らしい。オーガニックで人畜無害(中毒性がない)であり、ノンバイオレンスなChemical Warfare(化学物質を利用したの闘争)だと主張していたのにはちょっと失笑してしまった。(要は○んこを投げつけているようなもので、それは暴力行為じゃないといいたいのだろう)確かに、調査捕鯨といいながら一部に鯨肉専門の料理屋があって商売として成り立っている部分もある。それと鯨肉を食わなきゃ生きていけないかというとそういうものでもなく、もはや珍味の部類で飽食日本だから成立する需要がある。(つまり生きるためのタンパク源ではない)だから解体して胃の内容物を調べる手法を取らなくてもいいような気がするのだが、日本側は解体しなきゃ意味が無い、調査活動資金が捻出できないということなのだろう。よく理不尽な行為を映像で見るといつも想像することがある。もし将来透明バリアみたいな防御シールドが開発されて、元来た方向にそのブツが跳ね返される機能がつかないものかと思うのである。何回か前の都知事選でドクター中松が「私が都知事になったら北朝鮮に誘導ミサイルを返す兵器を開発します」という公約を掲げていたが、発想はすばらしいと思った。もしそんなものができれば、暴力行為や攻撃行為が自分に返ってくるのであれば、世界中の兵器は相当程度減るのではないかと思える。ところがマンガの読みすぎかSFの読みすぎか未だにそんなもの開発したというニュースは聞かないし、どこかで開発している科学者がいるという噂も聞かない。むしろドクター中松はどんな科学的理論をもとに言ったのかそれが今でも気になっている。
March 3, 2008
鐘ヶ淵方面から西新井に向けて車で走っていた。ところが国道4号と交差する千住宮元町で急にヒヤニクが食べたくなった。せっかく都内に来ているのだからと方向転換し、一路竜泉へ。最近は携帯電話でもいろんな検索ができ、こちらが「ヒヤニク、竜泉」で検索すると角萬という蕎麦屋がヒットした。どうやら三ノ輪から浅草への大通り沿いに「ヒヤニク」を出す店があるようだ。吉原という街はあまり近づいたことがないが、ここら辺は独特の雰囲気がある。東京でもおのぼりさんは絶対来ないであろうディープなところである。昼間はよその者を寄せ付けない張り詰めた空気さえ感じる。下町はよく人情があっていいというが、ここら辺は近所への干渉が強すぎるのかもしれない。と想像でいろんなことを考えながら角萬へ急いだ。ヒヤニクとは肉南蛮そばの冷やしのことである。冷やしといっても常温のつゆに常温の蕎麦、具材は温めた葱と豚肉がのっている。おそらくこうしないと脂が固まってしまうのであろう。特徴は蕎麦の麺がうどん並みに太い。その割にはオーダーして3分程で出てくる。もちろん店は昼時で満員なのだが早い。おそらくその日の朝茹で置きしているのであろう。しかしこの太さの蕎麦だと全然のびない。ガッツリと重いこしがあり、甘辛く濃いつゆと肉の脂があいまってヤバイ味である。(←若者言葉を使おうとしている)この手の極太系麺類を仮にガテン系麺類とネーミングする。ガテン系にはラーメン界では二郎が有名であり、ヒヤニクも蕎麦界の二郎と称されているようである。ただ、両者の決定的違いは直ぐ食えるかどうかにある。とにかく角萬の客回転の良さには驚かされる。一応メニューもあるらしいがテーブルにはそんなもの置いてない。客は有無を言わさずヒヤニクかアツニク(普通の肉南蛮)、もり蕎麦の三種類しか頼めない雰囲気がある(もちろん若者とデブは大盛を頼んでOKである)。少し離れたコインPに車を止めたが、店まで3分、オーダーして3分、食うのに5分、車に戻るのに3分であり、駐車料金は100円であった。ちなみにヒヤニクは850円。デブだけどヒヤニク大盛には挑戦しなかった。唇を脂でテカテカさせながら、頭の中は官能的な刺激を受けていた。
February 27, 2008
田舎には田舎の時間、都会には都会の時間というものがある。ところが中途半端な場所の時間はよめないものである。武蔵浦和駅に南北に走る電車で降り立ったのは午後4時15分であった。ところが乗り換えの東西に走る電車はとまっていると言う。今日は風が強かった。春一番ではないか言われていたが、風はもの凄く冷たかった。強風のため東西に走る電車は2時22分を境に止まっているという。都内まで戻れば王子から地下鉄と言う手もあるのだが、この駅の片方のラインが動いているのだからもう片方も30分以内には動くだろうと思っていた。まあ、こちらも夜7時に電話を入れなければいけないが、その答弁の資料が家にある。焦ることは無い、動き出すまで高架下の居酒屋でしばしビバークすることにした。高架下なので電車が通れば音がするはずである。ところが、待てど暮らせど音は聞こえてこなかった。四杯目のチュウハイを飲み終えたのはもう5時半を過ぎていた。表を見ると相変わらず強風でいろんなものが飛び交っている。しょうがないので、店を出てタクシー乗り場に並んだ。タクシー待ちで並んでる内にホームのほうに人が集まりだしているのが見えた。午後6時空かさず駅のホームに走り出していた。酔いが回りトイレにも行きたくなったが、電車にどうにか間に合った。ところが、電車はここでまた動かなくなった。何でも架線に何か引っかかったらしく撤去作業中なのでいつ動くかわからないと言う。ここでホームから駅のトイレにいくと長蛇の列。女子トイレは空いていて男子のほうが列をなしている光景は生まれて始めてみたかもしれない。七時までに帰れたかどうか、もう一軒居酒屋によったかどうかは風任せであった。
February 23, 2008
バロンという20年位前の映画をDVDでみていたが、10代の頃のユマ・サーマンが出ていたのを発見した。脇役であるが、当時から存在感があるうえ、多分一番綺麗であった年頃だったかもしれない。直近でのGガールという映画の悪乗りではあるが艶めかしい色気とは違い、ナチュラルな美しさがあった。話変わって私より一回以上うえの人だと思うが、ある会社の部長とたまに飲みにいく。この人飲み屋のおねいちゃんの前で、その娘の服を親指と人差し指でつまむように触って「いいねこれ!一越かい?」というジョークともギャグともとれるフレーズをいう。言われたほうは何がなんだか解らずキョトンとする。「いや、昔流行ってたんだよ」といいながら、ちりめんの話から解説をし始める。先日ケーブルテレビで「落語野郎」という映画をみていたら、「いいねこれ!一越かい?」というフレーズが出てきて思わずニンマリ。なんと47年前のギャグだった。酒飲みというものは年と共に段々我がままになっていく。飲み屋で若い店の子に会話の中でさりげない気遣いでもされようものならウルウルきてしまう。お客の嗜好や志向や思考を分析し、それに合わせて話を盛り上げることが出来る人が真のホスピタリティーのプロなんだろう。もちろん仕事でだし集中力がないとできない事なのでプライベートは違うんだろうが、たまにこの手の女性を飲み屋で見かける。むしろ相手の気持ちを察知しようとする懸命さは、最近は日本人じゃ無い方があるかもしれない。ラジオでえのきどいちろうが、最近の飲み屋の会話はMとSの峻別しかなく単純化しすぎでいかがなものかと言っていた。「それってM」「私はやっぱりS」という会話がいただけないというのである。前までは血液型だったが、最近は2択でますます頭を使わなくなってきている。ここ数年は人を雇ってないが仕事を手伝ってもらってる女子がいて、この子と会うとどうも緊張してしまう。昔風で言えばハクイねぇちゃんで、対峙するとこちらがあがってしまうのである。仕事のことはちゃんと説明できるのだが、それ以外はしゃべると会話が長く続かない。夜仕事の打合せを終え、ファミレスの外に出ると「梅の花いい香りがしますね」という。どうしよう!なんて答えたらいいんだ!(;゜д゜)「でも暗いから何色かわかんないね」だって・・・・。
February 22, 2008
テレビで津軽そばというのを紹介していて、旨そうだった。つなぎに小麦粉の代わりに大豆粉(きな粉?)を使っている。そして大豆の臭みを抜くために煮置きをするという。最近こしの無いそばもありかもしれないと思い始めている。もちろんかけそばの話であるが、温まってやさしい味がするような気がしてくる。出汁もかたくち鰯の焼干しと昆布でシンプルにとるようである。病人食で間抜けな食いものみたいだが、最近はやわらかめの麺に嗜好が傾き始めている。腰があるものはそれはそれで旨いのだが、あれは喉越しというか味より擦過感覚を楽しむようで胃に負担がかかるような気がする。4月から小麦の値段がまたあがるそうである。麺類も連動してどんどんあがってくのかもしれない。これから先地球温暖化よりもっと切実な問題は食料自給率の問題かもしれない。どう考えても地球の人口は増え、発展著しい国の購買力も急速に伸びている。ということは、今までと同じ食いものを同じ値段で口には出来ないということである。脱グルメになることが大事ではないかと。そう思ったとき、これからは、柔らかい麺にも慣れなきゃいかんのではないかと思えてきた。柔らかい麺=粗食ではないのだが、少なくとも飽食とは縁遠い気がする。貧清でも心が休まるというか、シンプルなもののなかに楽しみを見つけられるようになりたいという願望があるのかもしれない。それと柔らかい麺がなんとなく結びつくのである。世の中エコロジーとか節約とか言っているが、もともと近代的消費社会のプレゼンスが高く、一方で大衆の欲望を煽っておきながら、片方でエコとかなんとかいいながら罪滅ぼし的な溜飲を下げようとする。(危険分子の思想みたいですが)そんなものとは無縁なものが柔らかい麺にはあるような気がするのであった。
February 19, 2008
注目されると日本のスポーツ選手は弱くなるような気がしてならない。ゴルフの石川遼なんてかわいそうな気がしてくる。マスコミの前で真摯に振舞えば振舞うほどハングリー精神が無くなり弱くなっていくような気がするのである。日本ではあまり話題になっていないが、今田竜二というゴルファーが今年はよさそうである。現在米国のPGAツアーで賞金ランキング12位(まだ始まったばかりだが)で、今年米国で優勝できる可能性が一番大きい日本のプレーヤーだろう。というか、日本のマスコミに追いかけられる前に是非とも優勝してもらいたい。本来、プロスポーツは結果がすべてなんだと思うが、なぜかマスコミはスポーツにドラマやストーリーを追い求める。おそらくその方が視聴率が取れるのかも知れないが、取材攻勢でそのプレーヤーの人物像や生活背景まで露出させようとする。だからといって弱いのはプレーヤーの自己責任であるが、練習をかなり妨害しているもしくは集中力を削いでいるのではないだろうか。今度テニスで優勝した錦織なんて選手は、これから先マスコミの取材攻勢にあうのかと思うと心配である。(とオジサンは老婆ではないが老婆心が芽生えている)
February 18, 2008
というが、自由に物言える雰囲気がなくなってきている。倖田來未の深夜放送なんてかわいそうといえば可哀想である。稚拙でももの言うことで人間は成長していく。謝罪しないと許すまじ!という世論を作って攻撃するのは明らかに間違っている。ブログしかりで、数年前まではもっと自由に書いていたような気がしたが、なんか当たり障りのないことしかみな書いていないような気がしてくる。美しいものを美しいと書くのはいいのだが、みな同じようなトーンになっているようで気持ち悪くもある。枕はこれくらいにして、バレンタインディーなんですがね。国道463号沿いの東浦和警察前で、婦警が中央分離帯に一列にならんで5台ぐらいづつ車止めて、チョコレート配ってるんですよ。びっくらこきました。最初は何の一斉取締かとビビリましたけど、ユニフォーム姿の女性が集団でいるとみな綺麗に見えてくるから不思議ですね。(少々不細工でもあまり目立たないですよね)というかこちらが策略にはまっているんでしょうか、いつもは違反切符切る敵に見えていたものが急に可愛く思えてきました。夜しばらくご無沙汰してた居酒屋にいったんですが、後ろから「あいつ、あいつ、あの白髪のオヤジ!あいつ同い年なんだよ」という声に振り向くと確かに知っている顔である。見た目はやつは20代で、いつも頭の悪そうな二十歳そこそこの女の子を連れている。実年齢はダブルスコア以上のカップルでご同輩お若いですなといいたくなる。二人で行く場所がそうそうないのか、夜は暇なのか居酒屋にそろって顔を出すようである。その頭の悪そうな女の子(半分やっかみが入っている)がチョコレートのおすそ分けを配っていた。帰ってくると別居している娘から郵便でチョコレートが来ていました。毎年もらうんですが、一種の労いチョコなんでしょうね。という、義理チョコさえもない一日だった。どうでもいい話だが、女性はチョコでランク付けしようとする。あれは、チョコレートを選ぶのが楽しいんで、上げる段になるとむしろめんどくさいのかもしれない。まず、男を品評できるんだろう。そして義理の度合いや他の意味合いを持たせながら、区分けする作業が楽しいんでないかとさえ思える。頭の中で考える一種のウィンドーショッピングに通ずるものがあるのかもしれない。(私もウィンドードリンキングは好きですが)と罵詈雑言を書こうと思いながら、おとなしい事しか書けなかった。
February 14, 2008
スパゲッティのゆで汁をソースに入れ絡み易くするのをよく乳化(ソースと油の一体化)といっているが、私は乳化大好き人間である。イタリアンではアルデンテを薦める人が多いが、私は麺は柔らかいほうがいいと思っている。なぜなら乳化しやすいからで、ソースが絡みやすくなる。おそらく、やわらかく茹でたほうがグルテンや澱粉質みたいなものがにじみ出て乳化剤の役割を果たすんだと思っている。(本当か?)スパゲッティはナポリタンが一番旨いと思っている。(ナポリタンはイタリアでは存在しないというが)なぜなら、ケチャップとオイルが見事に乳化するからである。パンにナポリタンや焼そばを挟んで食べても旨いのは、乳化したソースがこれまたパンにしみこんで旨いからである。焼うどんでは、醤油の味が油と乳化することでまろやかな味となる。あれは考えてみれば不思議で、1+1の足算の味じゃない。むしろ掛算ぽい一体化である。出汁の素みたいな旨み成分はかえって邪魔くさく感じることもある。塩梅は必要であるが、醤油以外のものは使わないほうがシンプルに乳化が楽しめる。東海林さだおのエッセイだったと思うが、煮豚はシンプルに醤油だけで煮るほうが旨いという。豚の油と醤油だけのほうがやはり乳化の醍醐味が味わえるからであろう。出汁を使えば料理は旨くなると思っている人を見るとがっかりする。と乳化マニアは思っているのである。最近中国の冷凍餃子問題で連日のようにテレビ映像で餃子が映し出されるので、みな食欲がわくのか餃子の消費量が増えているという。あれは多分油の旨み成分みたいなものを刺激する脳内物質みたいなものが出るのであろう。いや、むしろ私は乳化の味覚中枢を刺激するの脳内物質があると思っている。まず、鉄板の上では、油のほかに水溶き片栗粉入れて、第一次乳化をさせる。あれはハネが生えてカリッとするところにみな注目しているが、乳化マニアは皮に注目する。乳化した蒸気でもっちり皮に付着する油がギトギトならないで済む。焼きあがると今度は小さい取皿上でラー油と皮のグルテンが乳化剤となり醤油と乳化するから旨い。と乳化マニアは思っているのである。
February 9, 2008
昔会社の近くに串八珍という居酒屋があり、そこのオリジナルでラークという飲み物を出していた。酎ハイなのであるが、薬草の香りがする。今改めてネット検索するとメキシコ産コンズランゴー、テラータ、中国産オレンジ皮等が入っているという。オレンジの皮ぐらいは七味にも入っているので解るが、後の二つはわからない。なぜ、ラークの話をしたかというと今度ホイスを飲みに行こうということになったので予習をしようと思ったからである。ホイスのほうが一般的な薬草酎ハイらしい。これまたネットによると、「ホイスを飲んだことがない人のために、その味をご紹介しましょう。ベースとなっているのは、ロシアの酒、ズブロフカ。そこに、漢方薬であるトウヒとチンピ、南米産の強壮成分であるコンズランゴウとチラータなどを配合し、さらにリキュールやワインなどの酒を加えています。」とある。ここで初めてコンズランゴウとチラータ(テラータ?)は中南米の強壮剤的植物とわかる。まあ、ガラナみたいなもんなのだろう。そこにやはり陳皮が使ってある共通点がある。ホイスの登場は昭和30年代初めらしい。私がラークを飲んでいたのは今から20年以上前で、その時出始めていたのでホイスをコピーしたのもなのだろう。そういえば、植物と酒の組み合わせというのは世の中いくらでもある。しかもそのエキス分が抽出され体にいいような気持ちなるのである。たとえばドライマティーニなんてカクテルがある。ベースのジンであるが、あれは確か杜松の実(としょう別名ネズ)で香りをつけている。その上にヴェルモットという酒をフロートさせる。このベルモットはニガヨモギをワインに漬け込んでいる酒である。さらにニガヨモギとくればアブサンという酒が有名である。別名緑の魔酒といわれ、いろんな小説の中ではかなり怪しいアイテムとして使われる。恐らく電気ブランなんていうのは、アブサンを真似した酒なんだろう。さて話はホイスにもどるが、発想はベルモット見たいなものをマネしたんだと思うが、斬新であったのは炭酸で割ったところにある。つまり今の酎ハイの起源とされ、大衆酒場愛好家から神さまの様に扱われている。酎ハイは50年の歴史しかないのかもしれないが、その間リアルタイムで飲み続けた人は偉いと尊敬してしまうのであった。歴史の重みを感じに飲みに行こうと変にかしこまってしまった自分がいた。(今度酎ハイにみかんの皮でも入れて飲もうかな)
February 4, 2008
CMソングでインターフォンの会社のCMでラジオ中心に流されていたものがある。中孝介の曲だった。変わった好みといえばそうなのだが、私はネイティブな曲が好きである。平たく言えば民謡好きなのである。私には奄美大島も沖縄も台湾も全部同じこぶしのまわし方をしているようで区別がつかないのである。一青窈(台湾)も夏川りみ(沖縄)も中孝介(奄美大島)もみな同じ土の臭いがする。そもそも日本の音楽のジャンルでフォークというのがおかしい。彼らこそ額面どおりの言葉で言えばフォークミュージック(民謡)であり、ギターで歌うなんぞなんで日本のフォークであるものかと思ってしまう。もし、フォークを気取るのならなぎら健壱のようにウェスタンの格好をして来いといいたくなるのである。今日、奥田民生カバーズというアルバムを車の中で聞いていたが、いろんなアーティストがこのオムニバスアルバムに参加している中で中孝介の「手紙」が一番よかった。歌い方や声質が幻想的というか森の中で森林浴をしているような気分になる。ただ、私の悪い癖でおとなしく聞いていればいいものを歌おうと声を張り上げてしまう。車を降りる頃には声が出なくなり、喉が痛くなっていた。
February 2, 2008
だれが農薬入れたかは定かでないが、市場原理と安全保障という問題では本当に考えさせられる事件である。生活や消費様式がどんどんアメリカナイズ(古い言葉ですみませんでもグローバリゼーションなんていうと胡散臭いので)されてくると安ければいいと思ってしまう。見かけが快適であればいいと思ってしまう。でもその裏側には苛斂誅求というか、中国人の劣悪な労働環境の上に生活が成り立っている。したがって現状から少しでも楽になりたいと誤魔化しや手抜き、体によくないものを使ってまで生産効率を高めることを考えてしまうのだろう。作るほうに消費者の顔色を窺う余裕すらないのかもしれない。たまたま、テレビで昔の東宝映画「落語野郎 大泥棒」をみる。今から45年以上前の映画である。当時の関東の人気落語家、漫才師、コメディアン総出演という感じである。(漫画トリオは関西だったけど)トリオザパンチの内藤陳なんて体のキレがあり、当時からハードボイルドだど!というギャグを言っていたのには驚いた。この映画をみていると牧伸二が出ているせいか「大正テレビ寄席」を思い出してしまう。いや、「お笑いタッグマッチ」のメンバーも出ている。(小せん、柳好、柳朝)もちろん笑点のメンバーも出ている。(歌丸、こん平、小円遊)調べてみるとシリーズもので全部で4作られている。フーディーズTVではジェノバのオリエンタル市場を紹介していた。ジェノバといえばバジルを主体にしたジェノベーゼ・ソースのパスタがうまそうであった。あと南の料理も紹介していて、マンマミアの味というか、現地のトマトを使ったカチャトーラが普通に旨そうであった。そうだこれからすき家のトマトバジル丼(牛丼の上にトマトバジルソースが掛かっている)を食べに行こう。あれはあまり評判は良くないメニューである。私的には鶏肉で正統なカチャトーラ丼を作ってもらいたいが、そこまでは望まない。せめて牛丼の具材をソースで絡めてひと煮立てしてほしいと願っている。輸入食品食べてます。。
February 1, 2008
ここ1,2年日本の政治の世界を見てるとがっかりする。ポピュリズム(人気取り)を臆面も無く前面に出し、将来のビジョンや見通しを全く持たない人がバラバラに目先だけで政治をやっているような気がするのである。迎合する相手は米国だったり国民だったり、マスコミだったりするのであろうが、将来の子供は益々いろんなツケを払わされるようでかわいそうになる。ほんとに必要な道路はどこかなんて真剣に考えれば、地方より東京のほうが道路の効用が高いに決まっている。地方が欲しいのは道路じゃなくて地元にカネを落とすことなので、自立できないのでお金をくれろ!という話である。世論は中央集権でなく地方分権させないといけないというが、地方自治に権限があり、国にお金を上納できるのであれば、だれも文句は言えまい。お金をもらっといて権限がないから自立できないとは何事かといいたくなる。東国原なんて知事をみてると中央を巧く食いものにしてやろうというさもしい根性が見え隠れして好きになれない。ガソリンの値段は安いほうがよい。昔はオイルショックなんてもっと危機感があったような気もするが、市井では高ければ代替や節約を模索するものである。知り合いのスガソリンスタンドはここ一年着実に消費量は落ちていているという。多分それはまだ、無駄をなるべく省くことで対応してるからであろう。もしその限度を超えるようあれば、税金はやはり下げたほうがいいのであろう。国土交通省なんてもともと業界団体が行政とドッキングしたようなものなんだから、もういい加減解体してもいいのではないかとも思える。ガソリン税も別の形で地方に還元させないと益々弱体化してくる。(活性化しなくなる)別に道路じゃなくてもいいだろう。太陽光発電機を必要な家庭に配布するとか。無料の電話や通信サービスを行政がするとか。何も社会資本だけにこだわる必要は無い、ユーテリティーの提供だって人の動きを活性化させるはずである。民業圧迫だと言う人があるかもしれないが、もともと地場産業がないからこういうことになるんだろと言いたくなる。時期が来たら殖産興業で民間に払い下げてやればいいのである。(事業が過剰人員で無い限り引き受けてはあるはずである)とにかく人が集まり、交流できる施策が必要なんだろう。うちの県では税金免除かとか、カジノは合法とか、なんでもありでいいではないか。
January 30, 2008
をみると関東平野の外側が雪雲で囲まれている。11日の昼間は快晴で暖かかったが、仕事先のタクシー会社の人間は今日中に全車スタッドレスに履き替えるといっていた。山を超えて長野や新潟から雪雲がいつ降りてきても不思議じゃない。冬らしい気圧配置になっている。至極まっとうである。刻々と変わる天気図を見ていて何が面白いかといえば、雪雲VS関東平野を囲む山の堰が面白い。超えそうでなかなか超えられない。新潟長野山梨群馬の山中より超えてこないのである。ただ一度堰を切ると一気になだれ込んでくる。天気図の衛星写真にはその山の稜線もぼかしで入っており、かなりの臨場感がある。地球温暖化というのは2010年以降に気温が下がらない場合対策を考えないといけないと誰かが言っていた。(←誰なんだ?)なんでも30年周期で地球は暖かくなったり寒くなったりしているようで、2010年を超えるとその周期から外れることになるそうである。もっともアルゴアみたいに思い込みだけで騒ぎ立てる人がノーベル賞を取る時代だから、世の中の風潮は温暖化一色なんだろう。(科学的根拠がなくてもノーベル賞は世論の後押しでも取れるのかもしれない)なんとなく異常気象・天変地異が起こったほうが預言者っぽくて注目度も高いのだろう。エコエコと草木もなびくというが、昔に比べて生活自体がエコじゃない。レジ袋がどうのこうの言っているが、昔は買い物籠は当たり前だった。包装もきれいなパックでなく新聞紙があたりまえだった。暖房なんて部屋中を暖かくするのでなく(雪国に人は知らないが)、こたつにあたって暖をとっていた。部屋が寒ければ湿度が保て呼吸は楽であり、昔は加湿器なんてものは無かった。事務作業を長時間する場合背もたれと頭寒足熱が大事であるが、掘りごたつと座椅子が一番機能的であると今でも確信している。(なるべく足元の火種は炭がよい。足の臭いを吸収してくれる)椅子と机よりも超近代的オフィースは掘りごたつと座椅子にすべきで、世界中に流行らせばそれこそノーベル賞ものだと思うのである。あと日本人は炭を大切にしないといけないんだろう。(年明けにあたりホルモン焼き屋でポッピー飲みながら、炭焼き台を前にそう思ったしだいであります。)今日本中の山が荒れている。あまり手入れをしないんだろう。間伐すれば、木っ端はいろんな使い道(割り箸、炭、紙)があるではないか。また、廃棄すれば有機物は腐れば土に返るのである。本来はそれをリサイクルというのではないか。化石燃料の石油製品ほどコストが掛かるリサイクルは無いのではないだろうか。燃やしてしまえばいいのである。(ダイオキシンだけ出ないようにしないといけないが、家庭ごみの燃えかすからは人間に害があるダイオキシンの量にはならないそうである)また、原子力に至っては永遠に廃棄物を溜め込まなければならない。何をいいたいかというと自然に逆らったリサイクルというのは無意味な気がするのである。もちろん文明や生活の便益は享受しないと何も出来ない。(薪ストーブは1時間のまき割り労働で3時間位の燃料にしかならないと友達が嘆いていた)しかし、日本の地理風土にあった燃料は考えたほうがいいし、欠点で排除するのでなく利点を享受するほうに改良してくことが大事なんだろう。幸い日本には水と木は十分あるのだからなんとかエネルギー利用に活用してもらいたいものである。(とホルモンを食いながらそう思ったしだいであります)
January 11, 2008
B級でもC級でも構わない。吉野家、すき家や、松屋の中では吉野家の納豆定食が一番レベルが高いと評価している。卵、のり、納豆どれを取っても3者のなかでは吉野家の品質が優れている。あと丼の器自体の暖かさが卵掛けご飯には必要条件となる。(すき家は丼が冷たいような気がするのである。)しかし吉野家の粉末味噌汁は少しいただけないので70円追加してけんちん汁に変更してもらうのが、王道である。あと鮭も食わないほうがよい。皮目だけバーナーで焦がしてパックしたものを茹でたような鮭は焼き鮭の風上にもおけない。もう少し値段を奮発すれば、ジョナサンが朝定食はレベルが高いのであるが、朝に500円以上はきついのである。品質は鮭はあくまでカリッとした焼き目があるし、とろろも山芋に弾力があり水っぽくない。(松屋のとろろは長芋で水っぽい)ただ、値段が700円位と朝食にしては高い。しかして丼めし屋の朝定がスタンダードである。逆にもう少しレベルを落とせば幸楽園の290円の朝定、半田屋のご飯と豚汁とお新香(250円位)でもいいのだが、とにかくご飯が熱いのが朝定の基本条件となる。(この2者は熱いご飯にあまりお目にかかれない)炊き立てだったら家で食えばいいだろうといわれてしまえばそれまでだが、外で食うからご飯の熱さでその店のレベルがわかるのである。ちなみに山田うどんもご飯は朝行くと炊き立てである(朝6時営業開始)が、あそこはうどんかそばが付くので値段が高い。あと釜炊きをうりにしている○○食堂(○○はご当地名)というセルフ食堂もあるが、あそこも実はご飯があまり熱くないのである。かくして総合評価では吉野家の納豆定食(けんちん汁変更)440円がナンバーワンとなる。次にこの納豆定食の作法であるが、袋やパックをあけるのにも手順というものがある。・・・・何をくだらないゴタクを並べていやがんでぇ!このすっとこどっこい!はやく仕事にいきやがれ!
January 8, 2008
アルパチーノが「クボタサキ、クボタサキ」って言ってるから、向こうでは「異邦人」が今流行っているのかと思ったら、どうやら流行っているのは「久保田、酒」らしい。恐らく未だにアメリカ人は中国の物と日本の物の区別もついていないんだと思うが、サケという飲み物は認知されつつあるんだろう。いや、日本人だって昔と違って日本酒が随分飲みやすくなってると感じてる人が多いかもしれない。(安い酒でもそれほど変なものはなくなったような気がする)内に向けて国内で切磋琢磨していたものがちょっとづつ海外でも認知されるようになったのであろう。私は未だに月桂冠が一番旨いと思っているが、酒売り場の棚を見ると毎年見慣れないラベルが入れ替わり更新されていく。居酒屋に行けば、日本酒のリストが多いとことがサービスの一環と考えてる店主もいるのかもしれない。日本酒はワインのような大幅なバリエーションはないが、日本人はちまちました微妙な世界にこだわるのが好きである。マイナーな差別化にエネルギーを注ぐのが好きというか、毛唐にこの機微がわかるのであろうか。米を削って作るということは日本人からすると雑味を取るというか、手間をかけてきれいな味に整える意味があるんだと思うが、ワインのすきな毛唐からするとなんてもったいないことをするんだと思うのかもしれない。雑味=個性であり、味の複雑性であると思っているふしも窺える。日本人からすると味が一定にならないじゃん!と思うのであるが、毛唐はだからヴィンテージなんじゃん!という理屈になる。逆に日本人からすると偶然の産物が、毛唐はオリジナリティーと評価するのかもしれない。粗っぽい精緻性に欠けるものが、フロンティア・スピリットと賞賛されているのかもしれない。と、話は酒から逸れてきたが、日本人がもともと得意とするところは細かく手間をかけて改良していくことであり、精密にしていくことである。もしそのアドバンテージを海外にも誇示するのであれば、日本国内で切磋琢磨したものが多い。ところが最初は海外のオリジナルなものを真似するところから始まる。マスコミはよく日本は10年遅れているとか、2周3周回遅れだというが、もともと咀嚼の文化なので、ヒステリックに、ペシミスティックに騒ぐほうがどうかしているだと思う。
January 6, 2008
元旦にありということで、今年はどんな年かを自分なりに考えていた。私事はどうでもいいので割愛するが、マスメディアでは日本の未来は暗いと予想する人がかなり多かった。彼らが言うには、日本は世界のスピードについていけなくなっているという。たとえば経済においては金融経済が実物経済を凌駕し始め、日本のような物を輸出する国はここ15年位不利な状況に置かれているという。アメリカは物を輸入する代わりに堂々とドルを輸出している。日本のような変動相場国においては金利格差のを政治圧力で作ってドルを買わせることが出来るし、中国のような固定相場の輸出国は相場を維持するためにドルを買う。しかして世界全体がカネ余りになり、それがIT株に向ったり、高利回りのサブプライムローンを絡めた商品に向ったり、一次産品の原油や穀物に向ったりする。いくらでもネタは尽きないというか、順番に相対的に価値が低いものにお金が向いインフレーションを起こしているだけの至極単純な仕組みのような気がするのである。もちろん行き過ぎはクランチを起こすが、目先を変えてインフレを仕掛けているだけである。儲かる人は最初にインフレを起こす人とインフレ対象の財貨やサービスを供給できる人である。金融経済が実物経済を支配しているというが実物経済をピンポイントでインフレにしているだけのような気がするのである。じゃあ、物の値段は需要と供給で決まるというが、それは既存のものだけの閉じた中での話で、いろんな外部要因が入ってくると需要と供給のマインドが変わってくるのである。テレビを見ていてがっかりするのは、需要や供給のマインドや流行をつかもうと必死になっていることである。「日本は今国際機関の発表では世界第××位です。」なんて話を聞くと、そんな基準はアングロアメリカやユダヤ人が勝手に作っているかもしれないし、それに翻弄されて学力低下だの、遅れないためにはどうすればよいだのいいながら、世界に合わせなきゃと今までのいいところまで壊してしまっているような気がするのである。要は自分の基準を持つことが大事である。グローバリゼーションなんていうものはあくまで自分を見る尺度で、長所短所を理解するためにあるので、ルールは従うがマインドや価値観まで支配される必要は無い。地球温暖化なんていう外部要因もビジネスチャンスになるお金の流れいく場所みたいな話になってくると俄然胡散臭くなる。だからお人良しだろうと取り残されようと構わないと思うのである。ただ自分たちや日本がやっていることがその内脚光を浴びる時もまたあろう。世界×位なんていうのは国内だけで住むには屁のツッパリにもならないと思えばいいのである。暗い気持ちになるより自分達のアドバンテージを見つめなおすいい年になりそうな気がするのである。
January 1, 2008
くるとやたらと菓子を食いながら、こもって外に出なくなる。(元来自炊しないのでほとんど外食である)でも、お腹に貯まるスナック菓子はあまり食わず、甘い菓子を買ってくる。セブンイレブンにいくと真っ先に「小さなお菓子屋さん」の棚に行き、めぼしいものを探してくる。この日は「ヨーグトレーズン」と「きなこ飴」、あと棚は違うが「極上のひとくち塩チョコ」を購入。いずれも木の実や豆系と砂糖の組み合わせである。五年ぐらい前までは、お腹に貯まるご飯系でも夜食はよかったが、最近は眠くなってしまう。要は頭がシャキッとすればいいので歯に悪いとか言っていられない。ただ飴まで走ってしまうと食べた満足感がないのとカカオや大豆やレーズンが入っていれば少し瞬発力がでるかなと勝手に考えている。血圧にもろ悪るそうであるが、興奮や発奮で集中力を鼓舞しようとしている。ただ、サプリメントは高いので「小さなお菓子屋さん」に頼っているのである。大リーグが今ドーピング問題で揺れているが、あれは一般人のサプリメントと同じかもしれない。今はパラリンピックでも100m9秒台が出る。身体障害者には筋肉増強剤は生活に不可欠であり、いずれ健常者の記録を越えるんではないだろうか。いっそのことスポーツの祭典はドーピング競技者とアンチドーピングに分ければいいのである。世の中全体が何かしら薬に頼っている。いやサプリメントや自然由来の食品は薬じゃないというが、過剰摂取して本当に大丈夫なんだろうか。ヘルシーさを売りにしているが、ほんとにヘルシーか疑問である。人間は自然と再生する力を持っていて、それが一定量だとすると、サプリメントや薬で過剰にそれを刺激しても老い先の分を前倒しで使ってはしないだろうかとも考えることがある。いや、別に宗教的に薬や医学を拒否しているわけではなく、サプリメントを馬鹿にしているわけでもない。麻痺やエスカレートが怖いのである。世の中口にするのもすべて信頼できなくなっている不信感もある。信頼出来るようになるためには知識やエネルギーがいる。そうしないと無知な自己責任のない消費者となってしまう。でもめんどくさいので、自分の嗜好に走ってしまうのである。先般半年振りに会ったおふくろからは太りすぎで病気だと言われてしまう。いやこの先健康になる可能性がある人間だと、痩せるポテンシャリティーがある人間だと自分に言い聞かせていた。
December 20, 2007
黒じょかとおそろいのグイ呑みで、いも焼酎をお湯割で頂く。体が温まってくる。陶器の黒じょかはよく出来ている。酒器自体を暖めているせいもあるが、中身が冷めない。口にあてる猪口に注ぐことでちょうどいい温度になる。適度に匂いも跳んでいて鼻にツンともこない。(専門用語でノーズアタック回避行為と呼んでいる←なんの専門?)やわらかい味が広がり、乙類の風味がわかる。(ような気がする)そこいくと焼酎のお湯割りに梅干いれるなんてぇのは、野暮な飲み物である。お湯割りをコップで呑むと鼻にツンと刺激があり、最初熱くて舌をやけどしそうで、冷めてくると梅干で濁った色を見てなぜか寂しくなってくる。お茶みたいで色気がない。飲む頃合いが実にどうも難しい。でも私は甲類がどちらかというと好きである。氷と水ときゅうりの短冊切りが私にはあっている。普段はそれを飲むのが恥ずかしいので、炭酸と氷で飲んでいる。薩摩人に言わせると甲類は乙の下にみているようである。なるほど黒じょかの文化は認める。飲んでいて飲み疲れをしない。ただ、清涼感も大事である。氷をいれれば、酒はなんでも清涼になると思ったら大間違い。どうも麹香と氷とは合わないような気がするのである。ロックであれば乙類焼酎よりブレンドウィスキーのほうが旨いと思っている。ちなみにモルトウィスキーでもピーティーな舌がしびれる様なものは気付けではよいがのみ疲れをする。ところがロックに合う乙類焼酎というものはウィスキーを模しているものが多い。そこいくと甲類はフレーバーを選択できる。胡瓜を程よい厚さに切り甲類焼酎の水割りに入れるとメロンのような野菜本来の甘い香りがする。梅干を入れるなら水割りがよい。檸檬も輪切りにしない方がよい。ところが世の中には缶チュウハイなるものがあり、これが似て非なる飲み物である。砂糖甘いし、どんな劣悪なスピリットを使っているのかわからない。先日飲み会のパシリで「スーパーでカクテルを買ってきて」と言われる。(ちなみに子供のパシリはお駄賃がもらえるが、私には無かった)百円代の缶チュウハイを買うと甘さと酒の劣悪さで頭が痛くなるので、二百円超の瓶入りカクテルを購入した。それでもラベルの誘惑に負けて168円のトマト缶チュウハイ(炭酸ははいっていないですが)に手を出してしまう。野菜本来の甘みが出ていて旨かった。(トマトは野菜じゃないかもしれないが)それでも焼酎は何使っているのかわからず、その不安で5%の飲料であるが酔いが回ってくる。ちなみに甲類というのは連続式蒸留するので無味無臭である。アルコール度が高いものを加水して調整して売っている。原料表記は原則しなくてよい。ヒエでもアワでも鳥のえさでもよいのである。でも、でも、でもでもでもでもなのである。原料によって明らかに酔い心地が違うような気がする。そんなの関係ないというデリカシーが無い人はいいのであるが、大概の人はめんどくさいので麹香が嫌いでも乙類を好んで飲むようになる。甲類の原料を言い当てられて初めて焼酎通と入れるんじゃないのか。私の場合、頭が痛くならない基準をスーパーであれば二百円としている。
December 18, 2007
ゴルフで90代が出た。普段は練習もなにもやっていない。コースでぶっつけ本番である。前回は120を越えてしまっていた。ラウンドはただただ、周りの進行に迷惑をかけないようについていくだけである。林に入ったら常にロストボール(一打罰則)を意識しポケットに2、3個球を入れ、クラブも4,5本もちながらカートとは別の場所を行き、キャディーには余計な負担をかけずに回ってくるクセがついている。おまけに余裕がないのに他人のボールまで捜している。本当は一人で回りたいのである。人から見られていると畏縮する。最近は逆に畏縮させてしまっているかもしれない。ミスショットをすれば、「××!」と汚い言葉を吐いてしまう。もし「××!」禁止、ペナルティー1回千円であれば1ラウンドで5万円以上は払っているかもしれない。(半分以上は納得がいかないショットである。)さてこの日は概して××!が少なかった。ピンそば70センチのあわやホールインワンのホールもあった。(もちろん空振り、OB、ロストボールはあったが)直近まではゴルフは重荷でしかなかったが、たまにはゴルフの神様も練習皆無の私に微笑んでくれるものである。またゴルフ場に行く気にさせてくれた。もしかしたら神様はこうやってゴルフの営業をしているのかもしれない。そういえば、昔はインパクトの画像が想像できた。打ち終わると必ずソールを見て球がどこに当たったのかを確認していた。自分が球になった気分になれた。よく鳥になって空を飛ぶのを想像する人はいるが、私の場合はゴルフボールになる。インパクトで体が潰れる衝撃を受け、フォロースルーで押し出されるように空中に無回転で押し出されていく。そのあとロフトの分だけ逆回転で上空の空気を切ってホップする。そして再び無回転となり、最高到達点でコース全体を俯瞰するのである。あとは着地点に向って前進回転で落ちていき、着地ででんぐり返しをしてハイポーズ!という妄想を抱く。そうだ、練習場には行かなくても、イメージトレーニングは前はやっていたのだ。スィングの起動、インパクトの瞬間の画像、ボールの気分で空中散歩。あと昼休みのクラブハウスでの熱燗で一杯(これも大事なイメージトレーニングである。いやこれだけはフィジカルトレーニングもやっている)
December 12, 2007
全1000件 (1000件中 1-50件目)