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実家は庭付き、自分には広すぎるのだが、とにかくしばらくはこちらでお世話になることに、 で、雑草が一斉に生え始めたところで、今日は近くのシルバー人材センターから、除草に来てもらった、来て頂いたのは70歳のおじさん、仕事が丁寧で、朝8:00から5時くらいまでズット除草作業をしてくれた、お茶の時間、「疲れませんか、」と聞いたら、「以前、剪定の会社にいましたし、コツを知っていますんで、」と、それでも、「最近はひざに来るようになっていますんで、気をつけています、」とのこと、さらに、「女房の方は足がダメで今はうちにこもっています、」と、それを聞いて、亡くなった両親を思い出す、うちの両親も、最後の3年は足をやられてしまい、母は転倒が絶えなかったし、父も足がむくんでシューズに足が入らなくなってしまった、自分自身を振り返るなら、昨夏、左足をダメにして、あきらめた中でのここまでの復帰劇、そのとき、見出したのがゴリラウォークだった、 ゴリラウォーク 今回、引越し/整理で、かなり体を壊したものの、いち早く復帰できたのは、十字式施術もちろんだが、それに日々の呼吸体操と血流改善策を加えて、何よりもウォークの姿勢改善による素地が大きいと思っている、 両親の不自由な足の生活スタイル、そして今日のおじさんの奥さんの話を伺いながら、よいウォーク姿勢は、人生の貴重な宝と再認識した次第、
2011年04月28日
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(これは予習で、)先日、上大岡で友人のお母様と話した際、ホスピスの話題が出た、脳梗塞をわずらい、9年の闘病後、最後の3ヶ月をホスピスで過ごす、お母様はその時の体験に感動していた、なんと暖かいのだろうと、で、自分なりに、今度、お母様に会った時は、アガペの話題を取り上げようと思った、(参考) ソマリア海賊の犠牲者から考える「人の信仰と神の信仰」 ところで「ギリシャ語」は言葉の使い方が厳格で、例えば、「愛」という言葉には、3つをもってくる、 エロス(自己愛)フィオレ(相互愛)アガペ(一方的愛)、自己的な愛はエロス、(人の愛)条件付愛はフィオレ、(兄弟愛)相手に関係なく愛するのがアガペ、(神の愛)最後のアガペ、この愛を持つ人は、言動に不一致がないし、疲れない、 では、ドーやったらアガペの愛が来るのか?これは極めて簡単で、ただ受ければよい、受け続けるだけ、*それ故に難しいかもしれない、厳しい修練必須が人のサガとしてあるため、あまりにも簡単だと、受け入れられない、太陽のもと、砂浜で日光浴をするイメージ、ひたすら受け続ける、 Perfect Stormの対処 すると、干からびた心に、少しづつ日光(神の愛)が溜まり始める、*この愛が心に届くのに要する時間は、ある方は1分、ある方は1週間、ある方は半年かかるかもしれない、 そして、やがてオーバーフローを始める、この愛のオーバーフローが、その人の言葉として行動として現れるようになる、言動に無理がないというのはこの故である、
2011年04月28日
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今日の朝刊(朝日)のコラムから、人事に左遷なし-経済気象台2011年4月28日 多くのビジネスパーソンは、人事での悲哀を経験しているだろう。会社の「よい仕事」と「よいポスト」は限られているからだ。また、少し考えればわかることだが、会社には絶対に必要なことだけれど、楽しくなく、人から歓迎されない仕事があるものだと。 だが退職願を出せといわんばかりの辞令を受けたときはどうしたらよいだろう。そんな時は、功成り名を遂げた先人や、目標とする背中をもつ大先輩に尋ねるとよい。「あなたの場合はどうであったか」と。 返ってくる答えはたぶん同じである。「失意の日々のはじまりと思っていたら、そこで新しい出会い、新しい経験があり、その後の礎になった」と。 誰もが自分の知らない世界や、評判の悪い場所、あるいは苦労が予測されているところへは行きたくない。しかし達成感や感動は、苦しかった時間のあとにやってくるものである。 もうゴールデンウイークだ。ちょっとひと休みしよう。大震災のころに受け取った辞令により、新しい任地や職種に落ち着き始めたビジネスパーソンに伝えたい。「人事に左遷はない」と。 たしかに、人事は実力以外の要素がからむ。しかし究極的に問われるのは、自らの「精神的成長」である。 東日本大震災にかかわる爪痕のニュースに接したとき、多くの人は自分の「不幸」や「不運」が小さく思えただろう。 であればなおさら、「日々を全力で生きているか」どうかを自らに問え。そのような時間の積み重ねこそが、振り返った時に「失意の日々こそが黄金」であった、という思い出をつくるのだ。先輩たちのように、である。(遠雷) このコラムを見ながら、自分の現役の時の人事異動を思い出していた、そして、人事異動については、上に書かれているような積極的とらえ方と言うのが、何がしかいつの間にか身についていたように思う、人事に左遷なし、 あるいは、人間万事塞翁が馬、とか、逆に、そう思わないと、やっていけないような異動ばかりだったわけだが、 そして、今改めて思う、やはり、人生の目的は達成/成功にあらず、それよりも、魂が磨かれることだと、そのために、自己中心、自我や怒り、欲望、ねたみの思いを、自主的に前に差し出し、捨てながら前進していく、この連続の日々であり、 仕事や環境/相手は、そのための有益なツールでしかない、
2011年04月28日
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今朝、ようやく戻ってきた体調を確認しながら、再度、思う、人生は、魂の訓練の場だと、出来、不出来は2の次、 彼(稲盛氏)の言葉を借りるなら、魂の浄化である、そして、この目的を間違わなければ、様々な困難が違って見えてくる、”不都合”と”理不尽”、ナント、響きのいい言葉だろう、更新日時 2011年4月27日 11時8分4秒追記)加えて、”自分への絶望”、これがあれば、完璧に近いのではないか、更新日時 2011年4月27日 13時53分13秒追記2)さらに、身の回りに起こる様々なことを、ことごとく感謝を持って受け入れる事が出来るなら、人生の目的は、8割方、達せられたのではないだろうか、ちなみに感謝できるとは、感謝することではない、感謝できるである、そもそも感謝など、しようと思って出来るものではない、自分から見るなら、感謝できるとは、奇蹟の部類に属する、
2011年04月27日
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2ヶ月にわたるイベント(引越し、整理など)で、体がスッカリ壊れてしまった、特に、背中、腰周りがつらくて、 近くのフィットネススパに通い始め、柔軟運動を続けている、が、通常のストレッチではとても回復しない、で、先週土曜日、久しぶりに十字式へ、大船は初めてだったが、駅近で便利、先生はおなじみ、代表の村井さん、「あれ、こちらに来たんですか?」「ええ、実は両親が亡くなり、実家の整理をしているところなんです、」「あ、それはそれは、」と世間話をしながらではあったがーー、施術はいつもながら鮮やか、首筋の張り、肩のバランス、尾?骨のズレ、右背中の張り、5分あまりで回復、その後、後遺症は少し残ったものの、港南台のジムでの地味な呼吸体操の繰り返しが、功を奏し始めてきたようだ、今朝はようやく、初めて、普段の自分の体調に戻り始めたのを感じている、
2011年04月27日
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昨日、雨の中、洋光台からバスで上大岡へ、学生時代ヨット部の同期の友人のお母様(79)のマンションに、ヨメさんと行く、*以前、このお母様は逗子に住んでおり、学生時代は時々お世話になった縁がある、 こちらのお母様のご主人は、脳梗塞を9年煩った後、3年前に他界した、 *当の同期の友人は、休日出勤で、お母様だけとの会話となる、PM1時半にお邪魔し、友人のお母様が初めて、ヨメさんと会い、「まあ、ナンテおきれいなんでしょう、初めまして、」 の挨拶で始まった会話は、終了したのがPM8:00過ぎ、丁度、こちらの父母も先月亡くなったばかりで、話題はもっぱら、ご主人のケアの話と健康談義、聞けば聞くほど、いかに今回のうちの両親の亡くなり方が、短期間で、理想的だったかがわかる、脳梗塞と言うと、痴呆の気が出るため、そのケアは一筋縄ではない、それが9年間続いたのだから、その間のケアの大変さは並大抵のものではない、加えて、後半は足に壊疽が出始めて、片足から始まり、そしてついに両足を切断、病棟と車椅子の中での生活が続いたとか、その中で、救われたのが、ホスピスとの出会い、当時、逗子に住んで療養していた夫妻に、衣笠病院から、ホスピスの空きが出た旨、連絡が入り、しばらくお世話になる、結局、ここで最後の3ヶ月をすごした後、ご主人(73)は他界する、が、奥様(友人のお母様)は、これまでの他の病院やケア施設とはまるで違い、死の直前まで一人の人として、尊厳を持って対応してくれるその看護姿勢に感激、「もっと、このような施設ができればいいのに、」と、もらしたが、献身的な介護/ケアと言うのを、国の保険に期待するのは無理でしょうね、と残念がる、で、話題の最後の方で、うちの父母が、死後、私に何回も現れた話も紹介、「今回、横浜に残ったのも、父母が葬式の早朝に、『ここに住みなさい、』とアドバイスしてくれたからなんですよ、」とかーー、抵抗あるかなと思ったが、意外とすんなり受け入れてくれて、お母様いわく、「やはり、しばらくはお母さん/お父さんの思い出の場所として住んであげなければね、」と、随分話し込み、おなかもすいたところで、お母様の計らいで、近くの広島焼きをご馳走になり、ここでお開きとなる、 ところで、お母様の(亡くなった)ご主人は、学生時代、1-2回あった記憶はあるのだが、極めてイメージが薄い、で、今朝のこと、寝ぼけまなこに、語りかける人が出てきた、 「君ね、申し訳ないんだが、うちのに僕がこっちにいることを伝えといてくれないか、」足を組んでソファに深く腰掛け、つやのいい顔でユックリ話しかける初老の人、すぐにわかった、昨日会ったお母様のご主人だ、(なんかなー、復活祭の朝に現れると言うのも、なんと言うかーー、) この伝言を、メールで日中、お母様に知らせたところ、(お母様は79歳で、MacのPCを扱う!?)「そちらに出ましたか?ソファにゆったり座ってツヤのいい顔、それはまさに主人ですね。天国にいるんですね、それなら安心しました。ありがとうございました。また是非いらしてください。」とストレートに返事が返ってきた、このお母様、そしてご主人、自分の知る限りで、信仰者ではない(と思う、)(部屋には仏壇も置いてるあるし、)しかし、そんなことに関係なく、天国は開かれているみたい、自分がかつて教会で習った教理では、「信じるものだけが天国に行ける、」だったのだが、どうも違う気がする、自分の父母だって、生前、信仰告白なんか何もしていない、なのに、Amazing Graceを歌うのはいかに??もうね、この時代、(2000年前、キリストが墓から復活、40日後に昇天し、代わりに助け手として聖霊が降り注がれて以降、)全員が天国行きを約束されているのでは、とウスウス思い始めている今日この頃である、 レーニ「聖霊降臨」1606年ヴァチカン美術館
2011年04月24日
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昨日は妹の誕生日、で、誕生月の花の写真と共に、Berth Day Mailを送った、*実は、めんどくさかったのでやめようと思ったのだが、内側からの促しもあって、シブシブ送っている!?Happy Birthday ! I hope the following year will be another wonderful one. そして、2時間後、彼女のReplyが来る、 Thank you, I appreciate of your kindness.And amazing my age, I wonder how many years I can live. Very Good !名実ともに、Good Fridayと相成る、
2011年04月22日
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日に3-4杯はコーヒーを飲む、 それも熱いのを、(ぬるいコーヒーなど考えられない、)また、日本茶然り、沸騰水でいれて、いただく、で、今朝方、警告が来た、「熱いコーヒーは気をつけろ!」と、なぜ来たかというと、逆説的ではあるが、多分、稲先生の低線量率放射線の安全性の講演を聴いたからだと思う、いわく、広島原爆/チェルノブイリと、今回の福島では、放射能の量は5桁違うのに、それを同じにして報道するのはいかがなものか、(少しラフだが)放射能の危険性は水に例えられる、沸騰水はやけどを起こすという理由で、水は危険だろうか?40度前後のお湯は血行を促進し、健康によいではないか、要は、程度問題である、この低線量率放射線については、以前、「毒になるか、薬になるかは、量次第、」でも取り上げた、 (抜粋で)内容は放射線(ラドン浴)の話だが、 実は、もっと大事な事が書かれている、「この世に毒でないものがあるだろうか、 どんなものでも、取り過ぎれば毒になる、」 (スイスの医学者、パラケルスス、) 「毒になるか、薬になるかは、量次第、」「大容量と小容量では、正反対の生理効果がある、」 また、しきい値なるものがあって、これ以下なら、健康にもよいとされている、(参考)遠赤外線温浴ルーム 一般に放射線と言うのは、マラーの概念(1946年)が通説だった、(以下は「驚異のラドン浴療法」/川嶋朗著から、) 即ち、放射線は少量でも有害で、増えればそのリスクが高まる、ところが、1982年、ラッキー博士は、多くの実事例を掲げ、少量の放射線は健康に良い、と言う学説を発表し、 現在では彼の説が主流となっている、 この有益領域をホルミシス域と呼んでいる、 余談だが、個人的には、毎日、放射能を浴びながら寝ているし、ーー>遠赤外線シーツ さて、本筋のホットコーヒーに戻るが、考えてみたら、70-80度前後のコーヒーが体にいいわけがない、いくら味がよくても、細胞を痛めたら元も子もない、また、冷やしたビールやジュース然り、以前、血の道療法の室谷先生にも、「冷水はぬくめて飲むように」と言われた記憶がある、血行を阻害するらしい、放射能を気にするのもいいが、なんとなく、灯台元暗しの感あり、何事も、過ぎたるは及ばざるが如しか、
2011年04月21日
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ひょっとすると、これを体得するために、今回の一連のイベントがあったのかも、ある意味、壮絶な廃棄量だった、母親がまだ入院はじめの当初は、とにかく、西宮のマンションの荷物は捨てなければ、横浜の親と同居してのケアは難しい、と言うことで、徹底的に捨てた、本は95%捨てた、 投資関連の書籍/DVDはすべてオークションか廃棄、Bibleもたくさんの版/英語版があったがほぼ廃棄、服も然り、*捨てると納得だが、いかに不必要なものを持っていたかがわかる、 そのうち、母親が召され、今度は、実家の母のものを廃棄開始、次に父も召され、古いものを一気に廃棄開始、両親は捨てない人だった、納戸、物置の隅々にまで目いっぱい詰め込んであった、普通の捨て方では片付かない、最初に呼んだのが、プロの整理や、(ただし、コストが高いので大物に限る、)次に骨董品の買取やさん、(とにかく、売れなくても無理に持っていってもらう、)これで大物が片付いて、次に、時間をかけて、市の粗大ごみ利用と相成る、 (これが一番安い、しかし分類/日取りが面倒くさい、)これを、西宮と横浜を往復しながら、父母が入院をする中を含め、2ヶ月の間、繰り返す、 今日も週一回の回収日にあわせ、随分出した、横浜市の粗大ごみ収集はもう7回目、 毎回7-8千円以上を払いながら持って行ってもらう、一杯の荷物で隠れていた納戸の奥が見えたときは、ちょっと感動だった、こうして、(お金を払って、)捨てる日々が続くと、ものを見る目が変わってくる、まず廃棄が前提になって、ものを見始めるようになる、 そして、本当に必要なものはなにかを、考え始めるようになる、あの世へは何ももって行くことはできない、 これは、実家の整理をしながら、つくづく考えたこと、何よりも、捨てることに躊躇がなくなり、持つことへのこだわりが薄れてきたのは、今回の大きな収穫であった、
2011年04月20日
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父母のケアと葬儀、その後の整理で、普段、あまりコンタクトがなかった妹と随分話し合う機会に恵まれている、が彼女、価値観が自分とはまるっきり違う、非常にビジネスライク、 よく、この妹を傍にして、教会スタイルの葬儀ができたものだと今更ながら思う、 傍で見ているヨメさんいわく、(積極的な意味で、)「確実にジグソーパズルのワンピースね、」彼女は必須人物だと言うわけだ、過去の経験から、それはなんとなく感じられる、自分の周りに難しい人物が現れるのは、マスタープランの一環であることがしばしばだ、そして、(当たり前だが、)相手にとって、自分も難しい相手であろうと言うこと、 お互い様である、 で、彼女への対処、対応を考えるとき、キリストの十字架、とか、”The Crucifixion” 魔法の4つの言葉とか、 相手を変えようとしてはいけない、変えるべきは自分なりイロイロ、思い出すわけだが、それなりに効果はあるものの、今いち決定力に欠ける、で昨日、フト、ヒントが来た、(ヒントの内容は忘れた、)自分でアレコレ考え/対応するのを止めて、とにかくすべて、内にいる人に任せることにした、(任せる相手は具体的にはキリストになるのだが、腹の人と言う表現でもいいかも、)彼女がイメージで前に現れても、自分では反応しない、内なる人に反応してもらう、 この内なる人にすべての反応を任せたところで、 あらら、肩の荷がドット下りたではないか、 なんだ、スゲー、簡単なことじゃないか、簡単だが、気がつかない、 もう、信仰生活、4半世紀以上たつと言うのに、やはり、彼女は、ヒジョーに大切なグソーパズルのワンピースだ、
2011年04月20日
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父母の収骨で、うちには、現在、骨壷が置いてある、教会の共同墓地納骨用の小さな骨壷(分骨)と、散骨予定の大きな骨壷、 ちなみに、骨の扱いについては、 法的に4つあって、 1)お墓、 2)自宅保管、 3)焼却、(斎場) 4)自然還骨(散骨)、 こうしてみると、意外だが、骨の処置で、 必ずしもお墓は必須ではない、 この大きな骨壷の骨は、今回、斎場で焼却処分してもらうつもりだったが、こちらの斎場では残す風習らしく、処分してもらえなかった、(残す理由はなんとなく推測がつくけど、)で先週、妹(自称、非宗教、)が家に来て、思いがけぬことを言い出してきた、「この骨(大きな骨壷)、どーするの?」「散骨にするけど、」「散骨するなら、お寺に入れたらいいじゃない、お父さんもそれを願っていると思うわ、」オイオイ、先月、教会スタイルで葬儀をあげたばかりだろう、 と、内心、ドギマギ、そもそも妹は父のお寺離れの経緯を知らない、が、イロイロ説明したところで、おそらく妹は納得しないだろう、 *妹がなぜ、急にお寺にこだわり始めたのかは、思い当たる節があるが、それはここでは触れない、 これはまた面倒くさいことを言ってきたな、 と思っていたら、ひとつの言葉がやってきた、 「死者のことは死者に任せなさい、」 (ルカ9:60) ナルホド、 遺骨のこと(死者のこと)など、 天国から見るなら、取るに足らないこと、 その扱いは、死者(天国を未だ見ぬもの)に任せておけばよいと、そしてこの件については、ヨメさんも至ってクール、「どーだっていいじゃない、天国とは何の関係もないわよ、」で、これを、(天国の)父母に言ったところ、母:「あら、私、いつの間にかお父さんのお寺に行くことになったの、マッ、彼女の好きなようにさせて、」父:「マッ、こっち(天国のこと)へ来ればわかることだろ、」と、こちらもクールな反応、妹は、百貨店の売り場のマネージャーでもあり、 行動のひと、 早速、お寺に行って、 「120万で納骨してくれるわよ、」と話をつけてきた、
2011年04月20日
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今週木曜日、こちらに荷物が搬入され、昨日までは、荷物の山に囲まれていた、現役の時、転勤/移動は会社もちだったので、搬出搬入は、いつもお任せパック、が、個人の場合は、そうは行かない、安価なエコノミーパック採用で、自前での梱包/開梱となる、これはさすがにこたえる、両方の往復で心身共にしんどさのピークのときに、自前での搬出/搬入が重なったわけだ、で、父母が寝起きしていた和室の6畳間がある、父母の棺をおいて置いた部屋でもあるのだが、畳の表替えをして、すっきりしたところで、これを寝室として使わせてもらうことにした、実は、この1-2ヶ月、荷物整理の関係でこちらに来た時は、いつも散らかったリビングで寝起きしていたが、寝れば寝るほど疲労がたまったものだ、 ところが、今回は違った、この和室、変に、落ち着いて、部屋全体に、なにがしか癒しの雰囲気が漂う、ここにいるだけで、リラックスしてくるし、朝の目覚めもいい、 なにやら、父母にもてなされている気がーーー、
2011年04月17日
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今週水曜の引越しにあわせ、荷物整理がピーク、体調も横浜-神戸の毎週の往復で、かなり限界に近づきつつあるが、何とかキープされている、 で、その合間を縫って、日中、香枦園浜の海岸沿いを散歩する、すると、父の葬儀の風景がふっと浮かんで来た、 そしていつの間にか、Amazing Grace(日本語)を口ずさんでいる自分に気付く、 そのまましばらく歩いていると、また、例によって、父母が現れてきた、今日も又、左45°斜め上の位置だ、その父母、見ていると、なんと、Amazing Graceを日本語で歌い始めたではないか、えーー、なんで歌詞を知ってんだ!?不思議に思いながら、二人の歌に耳を傾ける、 とても楽しそう、さて、もう、これで何回目だろう?毎日のように現れる父母、これを人に言ったところで、理解してくれないだろうから、あまり公言はしてない、(ヨメさんにさえ、積極的には言っていない、)しかし、個人的に、これまでの二人の度重なる出現は、天国のリアリティーを感じさせてくれ、すごく励まされているのも事実、二人が並んで、楽しそうにAmazing Graceを賛美している、これに勝る「希望」「慰め」が他にあるだろうか、日に日に天国の実感が強まるばかり、 聖歌229 おどろくばかりの おどろくばかりの 恵みなりき このみの汚れを 知れるわれに めぐみはわがみの おそれを消し まかするこころを おこさせたり 危険をも罠をも 避けえたるは 恵みのみわざと 言うほかなし みくににつく朝 いよよたかく 恵みのみかみを たたえまつらん 「賛美歌第2編167番」アメイジング・グレイス 英語 Amazing grace how sweet the sound That saved a wretch like me. I once was lost but now am found, Was blind but now I see.
2011年04月10日
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引越しの準備でバタバタしている中、 先ほど、芦屋の教会の礼拝から帰ってきたヨメさんが、気になることを言った、ヨメ:「今日、P先生がね、みんなの前で、断食して祈って下さいって言うのよ、P先生はめったに断食して祈れなんて言わないのよ、」私:「何を?」ヨメ:「東南海よ、」 私:「オイ、冗談だろ、 東南海地震のことか、」 ヨメ:「そうよ、」 これを聞いて、即座に思い出したことがある、今回、父親の葬儀の際、父にお世話になったと言うN氏(71)が実家に来て、雑談で、私にこう言った、「今回のような大地震が起きると、連鎖するんですよ、三陸沖、そして房総沖と来ているでしょ、過去もそうだったんですが、東南海も気をつけないと、」 ちなみに、うちの父は海上保安庁出身で、後輩のN氏も、津波を含め、多くの海難関係に詳しい、 で、早速、東南海連動型地震を見てみた、こちらは過去の地震発生の連続性を示す、 こうして見ると、(三陸沖地震との連動は記されていないが、)大地震の連続性はまんざらでもない、1361年、1498年、1605年、1707年、1854年、1945年前後で連続して起きている、その区分けは、 http://www.bo-sai.co.jp/tounankainankai.htm 現在、東南海で、何も起きてないのが、かえって不気味な気がしないでもない? 参考) うちわ話:今年の春はいつになく憂うつだ…/香川毎日新聞 2011年4月2日 地方版今年の春はいつになく憂うつだ。人生で知り得る最大の災害は阪神大震災だったが、それをしのぐ東日本大震災の被害。あっと言う間に町ごと消え去るなんて、 理解の範囲を超える。▼以前、当欄にも書いたが、かつて勤務した和歌山県串本町は東南海・南海地震が起きれば真っ先に大津波が押し寄せると言われ、何度か関連取材をした。改めてスクラップを読み返す。「多くの人は地震に対する知識量が少なく甘くみている。積極的に情報を取り、知識を身に付けなければ」「水門の扉を閉める作業など行政に頼らず地域でやれる仕組みを作っておくべき」など、識者の声が並ぶ。▼備えについて、もっと深く、ずっと、伝えていかなければと 痛感する。【松田学】
2011年04月03日
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