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天気もよかったので、今日は、洋光台から磯子警察まで、免許の住所変更手続きに、初めてのコースだったが、勘で歩いて1時間チョッとで到着、歩きスタイルはもちろん、かかと荷重のゴリラウォーク、 ゴリラウォークこれに、内向きのアウターエッジと、3点支持のアオリ足とが重なる、 アウターエッジとアオリ足 しかし、今日は、さらにもうひとつ加わった、そう、例のあご引きによる、上半身の垂直度の維持、 おかげで上半身が、しっかり、腰の上に乗っかっているのがわかる、これで、ほぼウォークの形が完成したのでは、と思えるほど、今日のウォークは安定、で、このあご引き、先日も注意で述べたが、あごをひいてはいけない、あごを引くのでなく、後頭部を後方上部へ引き上げるイメージ、 このイメージはとても大事、 如何にしたら、頭の重さを、首で垂直に受けられるかを、考えていればよい、 今日のウォークで、このイメージがスッカリ根付いた、上半身の姿勢のキーは、この後頭部のイメージにあり、 (間違っても、背筋を伸ばしたり、胸を張ったりしてはいけない、それらは、後頭部にイメージがあれば自然に伸びるし張って来る、)
2011年05月31日
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今日の朝日の夕刊にあった谷川俊太郎の詩、特に、震災以降、再注目され始めている、と、 生きる by 谷川俊太郎生きているということいま生きているということそれはのどがかわくということ木漏れ日がまぶしいということふっと或るメロディを思い出すということくしゃみをすることあなたと手をつなぐこと生きているということいま生きているということそれはミニスカートそれはプラネタリウムそれはヨハン・シュトラウスそれはピカソそれはアルプスすべての美しいものに出会うということそしてかくされた悪を注意深くこばむこと生きているということいま生きているということ泣けるということ笑えるということ怒れるということ自由ということ生きているということいま生きているということいま遠くで犬が吠えるということいま地球が廻っているということいまどこかで産声があがるということいまどこかで兵士が傷つくということいまぶらんこがゆれているということいまいまがすぎてゆくこと生きているということいま生きてるということ鳥ははばたくということ海はとどろくということかたつむりははうということ人は愛するということあなたの手のぬくみいのちということ
2011年05月30日
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台風が近づく中、 台風情報 HAARPが1000を超える振れを見せている、 Current Chart and Archives1000超えって、初めて見たわ、 宇宙天気ニュース2011/ 5/28 16:59太陽風が500km/秒の高速風になりました。太陽でCクラスのフレアが頻発しています。 -10nTの強い南向きの影響が現れるのはこれからで、 より規模の大きな磁気嵐になりそうです。月末は注意だな、
2011年05月28日
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朝起きて、着替えるわけだが、結構、ウザイ、(単に面倒なだけなのだが、)で、今朝は、天邪鬼で、わざと、ユックリていねいに着替えてやった、ところが、これが大正解、 ウザイ気持ちが消えて、満足感が漂い始める、早くしようと言う気持ちが消えていたせいだろうか、ここで、フト浮かんだのが、一挙一動を丁寧に、と言うフレーズ、さらに、来て、ひとつひとつが礼拝行為というフレーズ、こうなると、自分の取る一挙一動は、意味を持ち始める、また、ブラザーローレンスの、「台所にも神様はおられます、」*タイトル:「敬虔な生涯~神のみ前にある修練~」と言う本も思い出す、 ブラザー・ローレンスという修道士が残したわずかな談話と書簡を集めた小冊子「敬虔な生涯~神のみ前にある修練~」を読んで、私は深く感動しました。 彼は絶えず神との交わりを求め、修道院の台所で皿を洗う時も、聖堂で祈る時も、同じように神の臨在を実感し、魂の喜びと平安を味わいました。やがて日常生活の全ての時間が〈生きた神と共に在る〉すばらしいものとなったのです。ひとつひとつ、一挙一動が神への礼拝、それは生活そのもの、掃除であったり、買い物であったり、かくして、一日は礼拝行為で満ちる、 ウン!?もうひとつ来たぞ、自分自身の存在そのものが神への礼拝だと、 更新日時 2011年5月28日 14時2分18秒 追記)ユックリていねいに、と言うのは、ほんとにいいな、生きていることを再確認させてくれる、
2011年05月28日
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理解、幸福、利益、この3つに共通するものは何か、各々、単独で存在しない、ということ、そして、もう一つ、勝手に向こうからやってくる、ということ、理解については、昨日書いたとおり、上からやってくる、本などを読むときは、間違っても理解しようとしてはいけない、疲れるだけだ、ボケッとして、目で字面を追うだけで十分だろう、理解が必要なところは、理解が勝手に来てくれる、 幸福も、それを求めたところで、存在しない、 副産物なので、なにがしと共に、勝手にやってくる、(例として、源吉兆庵の和菓子を頂くと、幸福感がやってくるとか、) 利益然り、 これは求める対象ではない、かなたからやってくるもの、よって、利益を得たいなら、待たねばならない、このたとえで、「雨を待つ少年」を下記に、『ある村で数ヶ月、雨が降らなかった、 遠くに雨雲が見えるたびに、村の若者たちは、そちらへ走っていった、そして多くのものが帰ってこなかった、 その中で、一人の少年だけがじっと雨を待っていた、 そしてある日、ついに雨が降り出す、少年は、万を持して、大バケツを取り出し、雨水を貯めた、 しかし、他のものは、その村にはほとんど残っていなかった、』 遠くの雨雲とは、おいしそうな投資情報のことかな?実体の雨(利益)が来た時、多くの者がその場にいなかったと、 こうしてみると、何か、人生の過ごし方の極意のようなものが見えてくる、 自分的に当てはめるなら、 普段は、我が家で何もしないでボケッとして暮らす、難しい本を理解しようともせずに読み流し、 時々、ラーメン次郎に行って、幸福感を味わい、そして、そのときが来たら、(雨が降り出したら、)我が家を利益確定で売却する、何もしないで、待つというのは、案外、最強なのかもナ、
2011年05月27日
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理解できません、というコメントを頂いた、稲恭宏博士は放射線の人体に対する影響について「現在の福島の放射線は安全である」と述べて います。人体に対する放射線の影響に言及しているわけですから、臨床医学系の雑誌または公衆衛生系・疫学系の雑誌に投稿することが適当と思われます。イン パクトファクター数で研究の妥当性を判断することはできませんが、稲恭宏博士が「おれの論文を見てみろ!福島の放射線は安全である」というほど、論文の投 稿分野も、投稿先も研究の内容も主張と噛み合ってません。稲恭宏博士はマウス一筋で、ヒトを調べた経験がないのですから、ヒトに対する放射線の安全性につ いて、なぜ自信を持って発言されているのか、私には理解できません。 ここで、考えねばならないのは、 何か、理解するというと、 自分に理解能力が備わっているように思われるが、 さにあらず、人には、理解の能力が元々ないということ、それ故、理解できない、というのは至極当たり前のことだ、と知ってもらえば、安心するのではないだろうか、 では、理解できるためにはドーすればいいのだろう、 それは、先日紹介した、聖霊の賜物と同じこと、上からのギフトと悟れば、アトは簡単、祈って願い求めるだけ、理解が与えられるように、と、英語のUnderstandingを見るとよい、これは、Under standingで、立って待ち続けている状況を表す、もろ、上から与えられるのを待つ姿勢だ、 そんなんで来るかよ!?というなら、何もしなければいい、しかし、求めるのはタダだ、やってみない手はないだろう、仮に、何も来なくても、それはそれで答えになっていると思う、理解するに及ばず、という事だな、参考)理解はやってくるものである、「日本」及び「日の丸国旗」の意味
2011年05月26日
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翻訳と言うのは難しい、一歩、間違うと、真逆の意味になりかねない、 こちらは、ケンピスの古典信仰書、 http://www.hyuki.com/imit/「キリストにならいて」、とはドー言う意味か、それは、キリストを目指そうということ、キリストは、こうした、 だからあなたも--、これでは人に絶望感を与えかねない、 ここで、imitationの意味だが、 イミテーション【imitation】1 模造品。まがいもの。にせもの。「-の真珠」2 模倣。まね。よって、表題は、本来なら、マガイモノのキリスト、となる、また、何でこんな表題かといえば、ケンピスはわかっていた、と思う、人ができるのは、せいぜいそこまでと言うことを、 そして、それで十分だと言うことを、すると、THE IMITATION OF CHRISTの本来の意味は何か、 それは、似非(えせ)キリスト、形だけ、表向きだけ、言葉だけ、のキリスト、あなたは体裁だけを準備せよ、さすれば、中身は私(キリスト)が引き受ける、これが、本来の意味だろう、 日本語に一球入魂というのがある、だが、これは、 THE IMITATION OF CHRISTの発想からすると、 一球脱魂となる、自分の思いが入った時点で、 それは自分の球になる、そして緊張が高まる、しかし、空っぽにすれば、 その緊張はない、無になる、という発想がある、しかし、本当の意味で無になれるのは、(あるいは無を継続できるのは、)それを埋めてくれるという安堵感からしかできないと思う、ありがとう、という言葉、試験勉強の暗記、I love you,の告白様々なもの、いや、すべてに応用が利くだろう、 Good by End-resultの世界は本当にすばらしい、 もう、真剣に取り組むという束縛から解放されたのだから、
2011年05月26日
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先日来、巷の話題だったのが、http://www.ebiblefellowship.com/ja/may21_ja.html前述したように、教会の時代は西暦1988年に終わりを告げました。折しも、教会の時代が、AD33年の五旬節(5月22日)に始まりました。それから1955年後、教会時代は、1988年の五旬節の前日にあたる5月21日に終わりました。 聖書は、教会時代の終わりが、大きな試練の始まりと同時に起こると記載しています。 と言うことで、5/21が試練の始まる日だと、これを見ての素直な感想、 ーー>又かよ!?一体、過去どれほどこの手の情報が出て、外れたことか、 と前置きして、 アイスランドで火山噴火21日、噴火を起こしたアイスランドのグリムスボトン火山からの噴煙。 欧州各国の航空当局者らは22日夜、火山灰が欧州全域に広がって旅客機の運航に大きな影響を及ぼす恐れがあるとして警戒を強めた。【AFP=時事】 アイスランドは去年あたりから、噴火の頻度が増えている、 現在の地震発生状況、Iceland 星マークはM3以上なので、結構強い地震の頻度も高くなってきている、 地震が、カトラ火山にも及んでいるところに注意、 アイスランドの火山「Eyjafjallajokull」の呼び方 連鎖すると厄介だ、 参考)アイスランドニュース 最新順 Not again! Air travel fears as ANOTHER Icelandic volcano erupts with ash clouds set to arrive in Britain tomorrow-->DailyMailの噴火の写真は迫力がある、 長期化するアイスランド噴火の影響 (2010年04月18日)
2011年05月23日
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まだ2日しか経ってないが、あごを引くこと、あごは背中ラインを制しているは、的を得ているようだ、 これはいくら説明しても、し過ぎることはない(だろう)、 http://blogs.dion.ne.jp/nagomikokoro/archives/9671358.html あごが出ている状態が、如何に腰/背中を痛めているかははたから見れば、一目瞭然なのだが、いかんせん、なおらない、(と言うかなおそうとしない、) 又、あごを出すと、「あごを引く」は伊達ではナイ首の骨、背骨のバランスが総崩れになるのだ、 (が、わかっちゃいるけどやめられない!?) ホント、癖や習慣は恐ろしい、 しかし、このたびの自分は、これまでとは、チョッと取り組みが違う、もはや背水の陣をとったかのような気分、 是が非でも、この”あごを引く”を習慣化すべく、日々刻々、自分に言い聞かせている、 結果、(まだ2日だが、)腰の辺りと背中に、四角いボードを意識することができるようになってきた、 座っていても、立っていても、歩いていても、背中のボード一枚全体が動く感じ、 床のものを取ろうとする時も、背中を曲げて取るのではなく、腰を落として、(ボードの形状を崩さないで、)取るようになりつつある、 http://www.itamiclinic.bufferin.net/mechanism/backache/yobo01.aspおかげで何よりも、腰と背中への負荷のかかり方が違ってきている、 これは大きな変化だ、 そしてこれをコントロールしているのが、あご引き、 但し、このあご引き、チョッと注意も必要、 「アゴをひけ」と言われると、大抵の選手がアゴの先を首の方に近づける「あごを寄せる」動作をしてしまいます。そして、眼が上目づかいになりますが、それは「顔や首の傾きを変えている」だけのことですですから、「アゴを引く」というよりも、「アゴの関節をしめる」と言ったほうがいいかもしれません。 なぜ肩がこる、首がこる?--> 顎を引くという表現がわかりにくい人は、顎を引くよりも、後頭部をやや天井方向に引き上げるという表現の方がわかりやすいかもです。あごだけを後ろに引いてもダメで、首全体を後ろ、もしくは天井方向に引き上げるのがポイント、結果、頭の荷重が首の骨で支えられるようにもなる、
2011年05月22日
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ここ1-2ヶ月、よくかけられた言葉が、「ご愁傷様でした、」 普段、あまり聞かない言葉だけに、言われるとドギマギ、御愁傷様の意味を見ると、1. 相手を気の毒に思うさま。身内を失った人に対するお悔やみの語。「このたびは―でございます」2.1をもじって、気の毒に思う気持ちを、軽いからかいの意を含めていう語。「休日にも出勤とは―」普段、軽い皮肉に使われている方が多いだけに、言われた方は、チョッとばかり違和感が無きにしもあらず、取りあえず、言われたら、黙って、お辞儀をするか、「恐れ入ります、」で返答したがー-、では、適当な言葉があるのだろうか、こればかりは、十人十色、決まったものはないだろう、だが、言われて、抵抗なかったのは、 「大変だったね、」「大変でしたね、」と言った普段の言葉使い、丁寧な方は、「なにか、手伝えることがあったら言って下さい、」も、次回、もし自分が、相手にかけるとしたら、「このたびは、ホントご愁傷様でした、大変でしたね、」くらいか、もちろん、相手(年齢や付合い程度)にもよるが、”ご愁傷様”の2の意味が出ないように、気遣いたい、できるだけ、普段使っている言葉がいいのかとも思う、
2011年05月22日
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福島原発事故以降、放射線が話題になっているが、自然の放射線はドーなっているのか、http://www.ies.or.jp/ri_online/nature/index.html多肢多様でイロイロあるが、やはり、太陽が別格のようで、その太陽をチョッと見てみると、 有害な紫外線、X線などを放射している、詳しく見ると、 http://www.jason.org/digital_library/158.aspx波長ごとに分かれており、波長の短い有害なX線、ガンマ線、紫外線などは、途中で、吸収/ブロックされている、地球に届く放射線(長波)は、赤外線Infraredが半分強、可視光線Visivleが半分弱、アト紫外線UVがチョッと、 http://www.johnsonwindowfilms.com/dealer/articleView.php?ARTICLE_ID=244そのチョッとの”紫外線/UV”の種類別の到達状況、 (一種類だけではないらしい、)http://www.articlesbase.com/health-articles/what-is-uv-radiation-948387.html 3種あって、有害な紫外線種はほとんどオゾン層で吸収されてしまう、(参考)紫外線の種類は3つありました。UV-A、UV-B、UV-Cです。このうち、UV-Aはほぼ私たちの住んでいる地表へとたどりつきます。UV-Bは大気圏のオゾン層によって半分ほど吸収されてからとどきます。UV-Cはオゾン層に遮られてほとんど地表へはたどりつきません。波長の短いUV-C波はもっとも人体への影響が強いといわれています。波長が短ければ短いほど多大なエネルギーを持っているのです。オゾン層は、もっとも危険とされるUV-C波を吸収して地表へと届かないようにしてくれているのです。また、UV-B波も50%程度、吸収してくれています。*紫外線はすべて有害、というわけではないのね、 下記では、地球の周りの状況を解説、 4つの層(圏)で成る、(これはこれで、地球を保護しているシステムとなっている、)Between the ground and interplanetary space:(i) The troposphere- human population is limited to this level and uses only the first 6 km of atmosphere, a thin layer that has to be reserved. 下層が対流圏(~15km)で、人の生存限界は高度6kmまで、(ii) The stratosphere-(between 15km to 45km) very dry, it is characterized chiefly by ozone layer which is an effective barrier to ultra violet light from sun. 次が成層圏(高度15-45km)で、Ozone層(O3)が太陽の紫外線を吸収/ブロックする、(iii) The mesosphere-(between 45km to 80 km) An icy layer(-90 degree centigrade at the top of this layer) 高度45-80kmの中間圏では、-90℃の氷温層となる、(これも意味深だ、すぐ上が熱圏だからね、)(iv) The Thermosphere-(between 80km to 480km).very hot layer(from 850 to 2300 degree centigrade depending on solar activity). 80-480kmの熱圏は、太陽の直接照射を受け、大変熱くなる、-->850-2300℃、This contains a layer of plasma called ionosphere. Ionosphere acts as an effective mirror for Radio Waves-Short Wave i.e. 1MHZ to 30 Mhz.熱圏では、電離層というプラズマ層がある、プラズマ層は短波放射線(1-30Mhz)を鏡のように跳ね返す、以下は有害放射線のブロックの仕組み、*4層(圏)の機能とは又別のプロテクションシステムに見える、The Earth behaves like a huge bar magnet with the magnet almost but not exactly aligned along the spin axis. This bar magnet creates a Magnetic Field terminating at the north pole and originating at the South Pole. From a height of 1000km an immense magnetic field surrounds the Earth as shown in the Figure below.地球はあたかも棒磁石のようだ、磁力線を出して強力なバリア(電離層)を形成している、This 3-d magnetic field which under normal condition would have a cylindrical symmetry but in presence of solar wind it is flattened on the windward side and elongated on the leeward side as shown. This is called MAGNETOSPHERE. Earth is continuously bombarded by fierce solar Wind and Cosmic rays. This magnetosphere repels the stars high-energy radiation.http://cnx.org/content/m35848/latest/?collection=col11170/1.42破壊能力のある有害な宇宙線、及び太陽風を、(棒磁石よろしく、強力な磁力線による)電離層が、何層にも分かれてブロックしている、その電離層による仕切りの状況は下記のよう、http://www.windows2universe.org/earth/Atmosphere/layers_activity_print.htmlブロック用電離層はF、E、D、と別れ、特に一番上の電離(磁気)層(F-Layer)は、太陽風(磁気嵐)から最初に地球をブロックしてくれる、 このようにして、太陽光線の内、長波である可視光線(明るい光)と、赤外線(熱源)だけが地上に届く、他の有害な短波線(X線、ガンマ線、紫外線C、)、宇宙線は、電離層やオゾン層でプロテクトされる、(うまくできているよな、) *上の図を見ると、太陽風(磁気嵐)をブロックするF-Layerは一つではなく、さらにF1,F2と分かれて機能している、 又、高さ別に温度を見ると、 地上レベルでは、高度が高くなると、低温となるが、高度20km超えから、一旦上がり、高度50kmで再度下がり、高度90km以降は上昇に転ずる、(熱圏) 温度レベル的にも、地球は多重的に守られている、 で、実際、そんなかんやで、太陽から、を含め、人が地上で受ける放射線量は、 http://www.ies.or.jp/ri_online/nature/nature701.html平均で、2.4mSv/年、なわけだが、一つ確認しておかなければならんのは、人は放射線に囲まれて生存してきたということ、そして地上には(上空も含めて)、それをバランスさせる機能が存在しているということ、 当然、少々のアップダウンは折込済みだろう、 おなじみ、稲博士によれば、自然放射線の100倍程度は全く問題ないそうで、「毒になるか、薬になるかは、量次第、」むしろ、健康にもいい、と言うところに落ち着くわけだが、逆に、放射線が全くない世界ではドーなるかと言えば、発育不良になるのだとか、更新日時 2011年5月21日 1時6分45秒
2011年05月20日
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長い間、腰と背中の故障に悩まされてきた、そのため、腹筋、背筋の鍛え、歩く姿勢の改善、股関節の緩め、呼吸体操、十字式施術、等々トライしてきた、これらは確かに効果があった、しかし、何より、家にいるときを含め、普段の姿勢ができてなくては、効果半減のような気がしている、圧倒的に、普段の生活タイムの方が多いのだから、そこで、背中/腰に負担をかけないようにするため、自分を一本の棒にみたて、この線を崩さないようにしてみる、 赤い線が、背中のライン、これを棒に見立て、様々な状況で、崩さないようにする、(ここんとこ、大事だと思う、)そこで、ポイントなるのが、あごである、これ、実は以前にも書いている、ーー>正しい座り方、悪い姿勢を見ると、 原因は種々あるのだろうが、決まって、あごが前に出ている、そこで具体的対策として、(背中を伸ばすというより、)あごを引くに徹することが有効ではないかと、一点がすべてを制する、というのはよく聞くが、このあご引きも、案外、そんな気がする、どーせ又、忘れそーだけど、
2011年05月19日
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先日、キリストの器について書いた、-->幸福の源泉、キリストの臨在「これら一つ一つを、 主イエスの臨在が宿る器としなさい、」 自分で書いておきながら、これの意味がようやくわかりかけてきた、 例えば、面白くない言葉を言われ、ムカッとする時、この原則はものすごく活きてくる、ここで、イエスの臨在が宿る器とは何か、 ばかやろう、と言ったのでは、この状況はイエスが宿る器にならない、しかし、(うそでいいから)「アドバイスをありがとう、」から始めるとドーなるか、ソー、うその塗り固めこそが、イエスが宿る器なのだ、間違っても本気で言ったら、イエスは来てくれないし宿りもしないだろう、
2011年05月16日
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今、読んでいるのが、 仏教の中のユダヤ文化要約すると、阿弥陀仏(死後のためのメシア)薬師如来(病の癒し)弥勒菩薩(未来社会のため)十一面観音(罪の赦し)仏像にはイロイロあるのだが、みな、キリストがモデルとなっていると、なんかね、仏像が、急に、身近に感じられるようになってきたわ、
2011年05月16日
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海外で実施される啓示や預言のセミナーで、参加者からよく出る質問が、「どうしたら見えるのか、」「こつはあるのか、」「どのように見えるのか、」これは経験がないと、不思議で仕方ない、で、講師の口から出る答えも決まっていて、”Just come”の一言、これで、質問者は、ますますフラストレーションが溜まる、 しかし、この答え”Just come”は核心を突いている、これ以上の解説ができない、こちらで、見ようと思って見えるのではない、 テクニックで見るのでもない、 向こうから来て、勝手に見えてくるのだ、Gift of the Spirit(聖霊の賜物)と言われるゆえんである、 参考)聖霊の働き、聖霊の実、聖霊の賜物
2011年05月14日
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少し前のこと、4月中旬、西宮から横浜に引っ越しで移動する時、ちょっとした事件が起きた、 西宮の賃貸マンションを明け渡し、神戸空港に行った、で空港のトイレで、ポシェットを外して、そのまま、置きっぱなしに、 気付いたのは30分後!?財布を捜していて、あれ、ポシェットがない、一瞬、真っ青になった、いつも入れているものではない、引越しの際の移動のゆえに、すべてがはいっていた、すべてのクレジット/銀行カード、免許類、各種保険書、キャッシュ、パスポート、等々、おまけに、ご丁寧に、カードのPWを書いたメモも入れてあった、トイレに早速行ったが、残っているわけもなく、オロオロすること、約20分、X線検査の人、案内所、発券カウンターに行き、イロイロな人に聞きまくった、結局、空港内のサービスセンターに、ガードマンが届けてくれていたことがわかり、事無きを得ることに、が、この間に、重要な教訓を学ぶ、築きあげたものを失うのは、造作ないことだと、まさに一瞬のできごとだった、こんなに簡単に失っていいのかと思うぐらい簡単!?ナンナンダー、この簡単さは!それぐらいの価値しかないのかよ? オロオロした自分に残されたのは、結局、”自分”しかなかったわけだ、 この出来事を思いだしながら、天にいった父母を思い出す、まさに同じではないか、家に、たくさん持ち物を持っていたが、最後は、身一つで上に行った、今、自分は実家に住んでいるわけだが、この家屋/土地についても、同じ思いが来ている、固執する事なかれ、上に行くときは、すべて置いていくことになる、と、
2011年05月14日
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昨夜、ヨメさんと夕食とりながら、先日の父母の正装の話になる、 ヨメ: あれって、キリストの花嫁よね、私: ああ、俺もソー思った、 しかも、神道スタイルの正装、 イヤ、ウェディングドレスか、 結構、粋(イキ)だよな、これだけの会話だったが、念のため、”キリストの花嫁”をチェックすると、教会教会という訳語のもともとの単語は"ekklesia"であって、「召し出された会衆」という意味です。すなわちそれは神によってこの世から使命を帯びて召し出されたクリスチャンの集合体であって、「キリストの体」、「キリストの花嫁」とも言われ、「一人の生きている新しい人」なのです(エペソ2:15)。よっていわゆる教会堂などの建物などではなく、また宗教法人などの何かの会員団体でもありません。またその概念は、「召し出された者たち」という点において、「対この世」で意味を持つものでありーー、キリストの花嫁これは意外に誤解されているのですが、クリスチャンは個人々々が「キリストの花嫁」ではありません。歴史上の全てのクリスチャンの総合体が「キリストの花嫁」なのです。個人々々のクリスチャンは花嫁の、部分、もっと言えば細胞です。 そうそう、一人一人が花嫁ではないのよね、(イヤ、花嫁なんだけど、)象徴的な言い方をしているわけだ、花嫁の一構成員となる、とでも言おうか、 イヤ、チョッと気になっていたので、調べといてよかった、 両親のアノ正装は、(本人たちの、)キリストへの気持ちの現れだったのだろうな、と思った、
2011年05月13日
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Updateこれは長年考えあぐねてきた、いかにしたら、雨の日も普通に歩けるか、 上はカッパを着ればOK、しかし、問題は靴、長靴ではウォークはできない、というか、歩く気にならない、何とか、シューズのまま歩けないものか、 で雨模様が続く中、(今日の夕方、)ズット、構想を練っていたある案について、ついに決断に踏み切り、実行して見た、 かなり前に買った長靴、これを全く動ずることなく、 一気に底を切り取る、 そして、シューズにかぶせて、 雨の中、港南台のジムへ行く、結構、雨脚は強かったが、まずまず、カッパなので、若干違和感はあるが、シューズで歩く快感はそのまま、しかし、いかんせん、長靴サイズがシューズと同じサイズ(26)なので、シューズ前部が覆いきれないのがネック、前部から、雨がしみてくる、 そこで、今、オークションで、大き目の長靴(28cm)を調達中、 ソー言うわけで、この項、2-3日アトに再フォローする、 更新日時 2011年5月12日 0時17分55秒追記)おととい早速、買って試した、 調達したのは、イタリアデザインだとか書いてあって、1000円チョッとだったので満足な品だった、これの底を同様に切り取る、 ーー>靴にスッポリかぶさり、大成功、ジムへ行く時、雨脚は結構強かったが、まずまずのパフォーマンス、ーー>下に履いていたシューズの先端がやや濡れたが、これは許容範囲内、帰りは、ポツポツの雨の中、全く問題なし、しかし、足全体が逆に蒸し暑い、パーフェクトはないので、取りあえず合格点と言うことで、
2011年05月11日
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Update(ツールを器に変更)もう30年前だが、「幸福な家庭」と言う、ラリークリステンソンの名著があった、いかんせん、当時、福音派の教会内のセミナー/研修テキストとして重宝がられてしまい、本質がちっとも伝わらなく絶版となった至極残念な本、 例えば、テキストのサンプルを見ると、第一課 聖書が教える理想的な家庭像(ねらい) この講座は、クリスチャン・ホームの姿を明らかにし、いかに してそのような家庭を築くかを示すことを目的としています。そこで、第一課では、聖書は土台にしたクリスチャン・ホームのあり方を学びます。第二課 家庭の秩序(ねらい) 幸せな家庭形成の鍵は、家庭内の人間関係にあります。そこで第二課では、夫婦、親子の関係に焦点を絞って聖書の教えを学びます。 第三課 信仰の継承(ねらい) 家族ぐるみの信仰が、聖書の原則であり、特にクリスチャン・ホームにとっては、子供に信仰を継承することが最大の課題です。ここでは信仰継承の重要性とその方法を学びます。方法論に終始している段階ですでに終わっているわけで、これで「幸福な家庭」ができたら奇跡だろう、(こんな調子なので、教会はシュリンクする一方なのだよ、)クリステンソンの主張はそんな方法論にはなかった、もちろん方法は必要である、しかし、彼の言葉を借りるなら、(ここは自分のうろ覚えなのでアシカラズ、)「これら一つ一つを、 主イエスの臨在が宿るツール器としなさい、」だ、幸福な家庭とは、それを目指してもできない、 最終ゴールは、イエスの臨在にある、彼がいつも見えている、彼がそこにいると言うだけで、すべては満たされている、本物と共にいるだけで、人は変わる、 かつての徳川時代のキリシタンの迫害時、彼らを励ましたのは、リアルなキリストではなかったか、先日、人生の目的は「魂の浄化」と書いた、しかし、これだって、イエスの臨在が自分に宿るため、イエスがいつも見えているため、のツール器にすぎない、余談だが、今、自分は、ほぼ片付けの終わった実家にいる、 リビングルームの丸テーブルで食事を取る時、周囲の片付けられた空間と静寂さとが、キリストを招いているのを感じている、整理整頓も、(魂の浄化に匹敵した)キリストを見る、あるいは招くツール器になるんだと、納得しているところ、更新日時 2011年5月10日 14時19分19秒
2011年05月10日
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先ほど、子供とスカイプでチャット、Y:子供、tt:私、[11:48] Y: 最近どうだ、そっち引っ越してから、[11:49 tt: ああ、 いま、ウグイスが鳴いている、[11:49] Y: そうか、風流だな、[11:52] Y: こないださ、午後の三時頃か、 寝てたらいきなり何かに肩をぽんと叩かれたんだよな、 それでびくっとして起きたんだけど、なんだったんだろう、 ちょうどその日に出さなきゃいけない課題があって、 目覚ましとか何度かかけ直しながら、 寝たり起きたりを繰り返してる時のことだったんだけどね[11:54] tt: 日付は[11:54] Y: 5月の5日、3時頃[11:54] tt: 午前?[11:54] Y: いや、午後、[11:54] tt: 昼間か?[11:54] Y: そう[11:55] tt: 端午の節句だな、[11:56] Y: あぁー、そういえばこどもの日か、[11:56] tt: じいちゃん、ばあちゃんかもナ、[11:57] Y: かなぁ[11:57] tt: ちょうど、上に行ったばかりだし、 最後にNZに寄ったかもな、[11:58] Y:なんかね、すごい不思議な感じだった 明らかに人間とかじゃなかったんだけど、 別に不快感もなく、[11:59] tt: どこでも行けていいよな、魂は、 マッ、これで気兼ねなく天国へ行っただろう、[12:01] Y: そうか、良かった、
2011年05月09日
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おとといのこと、ヨメさんのお母さん(83)のお見舞いに、2人で、武蔵小金井の病院まで行った、 先月、転んで骨折、以降、入院と相成るも、思いのほか元気で一安心、でそこへ行く途中、中央線の快速に乗ったのだが、 列車から、外を見ると、空に、なにやら人影らしきものが2人見えた、スゲー、小さい、と言うか、高いところでよく見えない、が、目を凝らすと、その服装で、瞬間的にわかった、父母だ、例の平安朝のスタイル、 いつもなら、左上3m高さくらいが二人の定位置なのに、 その日ははるかかなた、これを見て、あーー、もう行ったんだな、 と、ボーっと見てた、そして、浮かんだのが、なぜか、 かぐや姫そして月を見るたびに悲しそうな顔をしていました。「どうしてそんなに悲しそうな顔をしているのですか。」とおじいさん。「私は大丈夫です。実は私は月で生まれ、11月15日の夜、 月に帰らなければなりません。お迎えがまいります。」「そんな馬鹿な。」とおじいさんは戸惑い怒りました。明日がその日です。おじいさんは沢山の武士をやとってかぐや姫を守ろうとしました。 おじいさんはかぐや姫を手離したくはありませんでした。その夜、月が山の上に現れると、金色の光が光りました。武士たちは一斉に光めがけて矢を放ちました。しかし、光があたると武士たちは力を失い、眠りに落ちてしまいました。天使が明かりの中から現われ、家の上に降りてきました。かぐや姫の手をとると空高く上がっていきました。どうすることもできません。おじいさんとおばあさんはただ見ているだけでした。
2011年05月06日
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明日は、妹が父母の骨をお寺に持っていく日、教会スタイルの葬儀のアトで、3/27に収骨を済ませ、教会の共同墓地用の分骨を確保したところで、 左が分骨用、右が残り、 散骨用にとっておいた骨(右)を、妹がお寺に持っていくと言い出したのは先月中旬のこと、そして先月下旬、お寺と連絡を取って、「49日にあわせ、5/7に納骨するわ、」と、 また、ややっこしいことをするなーー、と、思いあぐねてきた、これまでに、自分が見聞きした父母とのリアルな会話や、先日の父母の神道スタイルの正装の話など、妹に紹介するも、本人は全く聞く耳持たず、 他、イロイロあったわけだが、今日のジムで、呼吸体操をしていたら、フト、イメージに浮かんできた、この妹と、その後ろに立つある人がーー、アチャー、なんだよ、今回もかよ、と言うことで、一件落着、 総合コーディネーターよろしく、そこに立っていたのは、イエス様だった、もう安心、 そして、さらに思いが膨らんできた、今回のことに限らず、すべてのイベントの(あるいは、要人の)背後に、キリストを見れることは幸いなことだと、
2011年05月06日
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昨日、解釈が来た、以下、使徒行伝から、 テオピロよ、わたしは先に第一巻を著わして、イエスが行い、また教えはじめてから、 お選びになった使徒たちに、聖霊によって命じたのち、天に上げられた日までのことを、ことごとくしるした。 イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。 使徒行伝1章1-3ナルホド、と思った、 亡くなると、すぐに天国に行くわけではないらしい、そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。 すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。 さて、弟子(でし)たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。 彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。 こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。 (使徒行伝1章4-9)イエスも地上での弟子たちとの交わりの後、(40日後に)昇天している、 父母が平安朝の正装で現れ始めたのが、一昨昨日(5/1)、父が亡くなったのが3/22なので、こちらも、丁度40日経っている、(スゲーな、この精度、)以降、姿は現れるが、父母との会話はない、 (二人とも、チョッと緊張気味で、おごそかな感じが続く、)ところで、父母の平安朝の即位式のような服装だが、これはなんなのかを読み解くに当たり、こちらの事実は外せない、今回、実家の整理をして出てきたのが、うちの家系図、 ヨメさんが納戸の整理をしている中で偶然見つけた、 房に包まれていた巻物、開けてみると、記録書とあり、拡大すると、 漢字がよく読めないのだが、こちらの系譜のことだと思う、そして、巻物の最後の記載は、明治生まれの祖父(17代目)で終わっていた、(うちの父は18代目となる、) うわさでしか聞いていなかったので、この巻物が出てきた時はチョッとびっくり、これを見つけた当時、父はまだ亡くなる1週間前で、大学病院の集中治療室にいた、(父は呼吸器をつけていて、全くしゃべれない、)とにかくすぐにこれをもって、見せに行った、私:「これを知っているか、」父:首を横に振る、(知らない) *巻物を開いて見せて、私:「うちは清和天皇からの家系だぞ、」父:首を縦に振る、(うなづく)翌日、自分は西宮に戻ったのだが、これが父との最後の会話となる、 が、父と母の天皇家の即位式のような服装は、父が認識したことの現れなのだろう、キリストが復活後40日間、弟子たちと交わりを持ったがごとく、父母は、40日間、地上での私とのつかの間の交わりを楽しんだ、(母は50日になるが、)その後いよいよ、キリストが待たれる天国へ向かう、 当日、父母は正装した、 清和天皇の末裔として、 更新日 2011年05月04日 16時47分52秒
2011年05月04日
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昨日からだが、父母の現れて来る姿が変わってきている、父は平安朝、母も十二単のような着物姿、顔つきも結構若め、 丁度こんな感じ、 これの意味を問うているのだが、いまだにわからずじまい、 祖先の源満仲、又は、清和天皇となんか関係があるのかな?
2011年05月02日
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