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最近、YouTubeを見る機会がおおい。へたなTV番組より、自由に内容を選択できるし、ポーズはできるし、こんな形でニュースも映画も見られたらいいな、と最近は思う。そして、それが高じて、最近は何かとVideoカメラで撮っては、アップすることも始めた。今日も、ある会員サイトでコミュを主催する方の誕生日だ、ということで、誕生日祝いを兼ねて、ひとつアップしようと四苦八苦していた。昼間は、上さんがいると「うるさい」と言われるので、しかたなく、上さんが仕事から帰ってくる前に、鬼のいぬ間になんとか、じゃないけれど、こっそりと録画準備をして、さて・・と思ったら・・・娘が録画中に話しかけてくる・・・・ もちろん、撮りなおし・・・「うるさい」と言って、再開すると、今度は横で別のギターを弾きだす・・・・「ちょっと、あっち行ってなよ」と追い払ったら・・・・なんと、いつもはやらないバイオリンの練習なんぞを始めてしまった・・・・う~ん、今日録画しようと思っているのに・・・・もうそろそろ上さんが帰ってきそう・・・・・さて、今日中に録画できるか!?う~ん、今日は駄目!!あきらめ・・・仮に適当な録画をアップ⇒ 「大きな古時計」 まあ、バックに娘のバイオリンは入っているは、途中音が途切れているは、で、けっして万全の録画ではないので、あとで動画部分だけを入れ替えようと思っている。でも喜んでもらえたらいいなあ・・・・
2010.09.30
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いつもスピリチュアル、自分の経済的な問題、宗教と信仰などなど、固い話題ばかりなので、時々は、子供のことを自慢しよう、という親ばか日記です(笑)なので、人の自慢話を聞くと不機嫌になる人は、読んでくださらなくても結構です^^;さて、娘がバイオリンを始めてかれこれ6年目。一昨年は、メトロポリタン・ユース・シンフォニー・オーケストラ(MYSO)に入っていたが、昨年からは、アトランタシンフォニーのユース(ASYO)に。今年もなんとかオーディションに合格し、また今日からアトランタシンフォニー・ユースでの練習が始まった。今日は初日なので、親のミーティングもあったので私も行ってきました。いろいろ手続きやら規則の説明もあったけれども、みなボランティアで構成される各種の担当者から話を聴くのだが、共通して出てくる話が、いかにアトランタシンフォニーのユースで練習できることがすばらしいか、また子供にとって価値あるものであるか、ということであった。30年にわたり、ユースを指導している人もアトランタ・シンフォニー・オーケストラのメンバーだし、おのおのの楽器を指導する人も、みな専門家あるいは現役のメンバーであり、直接に第一線の音楽家の指導を受けることができる。これが、ボランティアで運営されているとは言え、アトランタシンフォニーオーケストラのホールを借りて練習して、年間たったの$60の費用である。ほとんどただみたいなもの。もちろん、昼食代やおやつ代などは別途かかるが、それは家に居てもかかる費用。それはともかく、今日の話のなかでは、昨年度のシニア(日本の高校3年生)の卒業後の進路などについての話もあった。一昨日、ジョージア州の教育レベルについて日記に書いたが、このアトランタシンフォニーユースのメンバーのSATの平均点は、ジョージア州の平均や全国平均を大きく上回り、2000点を超えているそうである。そして、卒業生の6割は、音楽を専攻として大学へ入学しているらしい。進学先は、地元のジョージア州立大学がやはりもっとも多く、49名のシニアのうち、9名がこのジョージア州立大学。ここは音楽がいい大学なので、おそらく音楽専攻なのだろう。それ以外にも、プリンストン大学の3名を筆頭に、ブラウン大学ややはり地元のエモリー大学など、みなそれぞれ、結構いい大学へ進学している。このアトランタシンフォニーのユースは、メトロアトランタでは(つまりジョージア州では)最高レベルのユースオーケストラであり、そこへ入ってくる生徒は、音楽だけではなく、学業のほうもまじめにやる生徒が多い、ということだろう。親も教育熱心な家庭でもあるのだろう、と思う。とにかく、娘はあまり努力しないほうだから、環境で引っ張られないとモチベーションがあがらない性格。こういった環境で、ぜひ周囲の影響を良い意味で受けて、バイオリンと勉強の双方を両立させて欲しいものだ。まあ、親は何もして上げられないけれど、こういった機会だけは、できるだけ与えてやりたいものだ。
2010.09.26
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不動産屋をやっていると、日本から来られる方の家のお世話をする機会が多い。そうすると、子供の居られる人はまず例外なく教育水準の高い地域への居住を希望される。日本的に教育水準の高いところを、ということもあるが、アメリカではそれに加えて、教育水準と地域の平均所得が高い相関にあることがあって、教育だけではなく、もっとも重要な生活の快適性、安全性、利便性などにも、この教育水準での地域選定は有効である。残念ながらジョージア州は全米でもマイノリティーの人口比が高い州でもあり、これも残念なことに地域によるこのマイノリティー、特に黒人とヒスパニックの人口と所得水準は高い相関関係にあり、勢い、この比率が高いところは教育水準も低い傾向がある。つい最近、大学の受験に必要な全国的なテストであるACTとSATの結果が相次いで公表された。このACTやSATは、高校在学中の成績と共に、大学側が入学を許可するにあたって重要視するテストとして、日本の全国大学共通テストと似ている。しかし、違う点もある。ひとつは、これが全員受験ではなく、任意受験である、という点。州によっても受験者比率はばらばらで、州内でも高校ごとにばらばらである。なので、この結果を以って、すぐには教育水準の比較にはならないが、それでもある一定の指標にはなる。もう一つの違いは、このテストは一回勝負ではなく、何回も受けられる、という点。例えばSATで言えば、回数によって違うが、3回までは、各科目ごとに、そのうち最高点を入学の願書に書くことができ、そのため一度失敗しても、なんどか挽回のチャンスがある、ということになる。さて、公表された結果であるが、ジョージア州は、SATで言えば、州の平均点が1442点で、全国平均の1509点よりも67点も下回り、全50州の中では48番目ということで、この点数だけ見ると全米の中で最下位グループになる。しかし、一方では州の努力もあり、年々受験者比率は高くなり、特に黒人やヒスパニック系の高校生の受験比率が急激に上昇しており、受験比率74%は全米でもTOP10に入る。州の中で、全米TOPレベルの成績を出している州は、50%にも満たない受験比率であることを考えると、やはりこの数字だけ見て、ジョージアが最低ランク、という判断するのは早計であろう。ジョージア州の平均点は、この受験者比率の増加と歩を一にして、この4年間、連続して前年を下回ってきている。さて、このような背景を前提に、主としてメトロアトランタのFulton Countyの高校別の成績を見てみると、次のようになる。(*注:州内順位は、受験者100名以上の学校のみ対象、Northview Highよりも上の高校が2校あるが、両校あわせて受験者は27名なので、こういった高校は除外している)高校名 受験者数 州内順位* 2010年 2009年 前年比Northview 596 1 1728 1722 +6Alpharetta 415 2 1719 1686 +33Chattahoochee 489 9 1687 1678 +9Milton 485 17 1650 1657 -7Roswell 453 21 1627 1671 -44Centenial 342 24 1596 1614 -18(参考)Fuloton County 平均 1580 1584 -4Georgia 平均 1442 ?National 平均 1509 1509 0Watson (Cobb County Top) 1711Brookwood (Gwinnett County Top) 1651Chamblee (Dekalb County Top) 1628 Fulton County受験比率 85% 75% +10%Gerogia State 受験比率 75% - -ちなみに、満点は3科目で2400点である。この数字からだけ言えることは、Fulton Countyの高校は、その受験比率が高いにもかかわらず、6校が州のTOP25に入っており、中でも上位3校は州平均が下がっているにもかかわらず前年比で上昇していること。このことからも、良い学区域には、ますます教育熱心な家庭が増えているということを意味してりるのかもしれない。それにあわせて、マイノリティーはマイノリティーでも、アジア系マイノリティー特に、中国系、韓国系、インド系の人口が増えているところが、成績も上昇しているようだ。いずれにしても、ジョージア州の中でも、このメトロアトランタ近辺は比較的教育水準は高く、中でもFulton Countyの中でNorth Fultonは、ほぼ全高校がTOP25に入っているし、その最低のCentenialでもFulton County平均を上回っていることは、Fulton County内でも、北部のNorth Fultonと南部のFulton(Atlanta市)では差が顕著になっていることがわかる。この辺の感覚は、やはり町自体の清潔性、安全性、利便性などと、だいたい共通していることがうかがえる。最後に、もう一方のACTであるが、これはあまりジョージア州では受験比率が高くない。しかし、一応、2010年の出ている結果をまとめると、North View High 25.5 (2009年 24.6 +0.9)Alpharetta High 25.1 (2009年 23.8 +1.3)Milton High 24.6Chattahoochee High 24.2Roswell High 24.1Centenial High 23.4Johns Creek High 23.0All 7 North Fulton High's Are Within TOP20 In State of GeorgiaFulton ACT受験者比率 50%以上(正確にはわからない)(North Fulton 2779名)North Fultonスコア 22.5 (2009年スコア 22.2より0.3アップ)ジョージア州平均 20.7 (2009年 同)ジョージア州順位 34位/50州 (2009年 40位)全米平均 21.0 (2009年 同)ちなみに満点は4教科で36点である。SATの3教科に対して科学が追加される。ここでも、受験者数は増え、受験比率も上がっているが、SATとは違い、全国順位では上がっているようだ。5年前と比べると受験者数はほぼ倍になっている、という。州全体でも、その受験比率は2010年で44%になっている。しかし、やはりSATの74%に比べるとまだ少ない。そして高校別に見ると、だいたいSATの順位とACTの順位はMiltonとChattahoocheeが逆転しているが、だいたい同じである。一般に、ACTのスコア25点は、SATスコアの1740に相当する、と言われているが、受験科目がACTの方が科学(Science)の分、一教科多いので、単純な比較はできない。さて、これらがジョージア州、あるいはメトロアトランタの高校の水準であるが、ちなみに、ジョージア州の代表的な大学であるジョージア工科大学(Georgia Institute of Technology)とジョージア州立大学(Unversity of Georgia)の2010年度入学者のレベルを参考に上げておく。どの大学でもそうだが、上位と下位はそれぞれ学業成績以外のいろいろな要素がからむので、ここに上げるのは、入学者の中間層50%の数字である。 ジョージア工科大学 ジョージア州立大学 GPA 3.72~4.06(*) 3.68~4.0 SAT 1900~2130 1800~2080 ACT 27~32 27~31(*)注:ジョージア工科大学のGPAは、APコース(大学クラスの内容のクラス)の場合、実際の成績に対して、0.5ポイントがプラスされるため、本来は4.0が満点なのだが、この場合は理論上の最高は4.5になる。これらは、基本的な成績の指標であり、実際の大学入学では学業以外の活動や、必ず書くEssay(論文)なども加味されて判断されるので、成績だけでは判断できないが、中間層がこの数字であることから、一つの目安にはなる。この二つの大学の数字を見ると、先に述べて州平均や、County平均はもちろん、最優秀高校の平均もはるかに上回っているので、この二つはやはりジョージア州の公立大学ではTOPランクの大学となる。
2010.09.23
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どうしてもいやなことをしなければならなくなった。出来るならしたくはないんだけれど。ここまできたら仕方がない。初めて郡の裁判所に出向き、手続きを取ってきた。人を訴える、というのは、日本人にとっては最悪中の最悪。ここアメリカでは、しょっちゅう訴訟沙汰があるけれども、自分は今まで訴えられたことはあっても訴えたことはなかった。それ以前の、人間としての「誠実さ」の中で解決したかった・・・・・しかし、それももう限界。このままだと、こちらも巻き添えを食ってしまう。というより、もうすでに巻き添えを食って、500万円ちかい損失をこうむっている。これ以上、打開策なし。 仕方がない。できれば避けたかったんだけれど・・・・・・。
2010.09.22
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先日、「不安の正体とその克服」ということで日記を書いた。その中で、不安というのは分からないこと「未知」への恐怖である、というようなことを書いた。そうしたら、たまたまそれが現実になってしまった。土曜日ごろから、右わき腹が痛い。ちょっと筋肉痛のような感覚なのだが、筋肉痛になる原因も思い当たらない。まあ、二、三日すれば直るかな、と思って日曜、月曜とすごしたけれど、火曜の今日になっても痛みがひかないどころか、気のせいか少しひどくなっている。さて、こうなると、この辺にある内臓はなんだっけ?と考え始め、すい臓?肝臓?胆嚢?こういった痛みはどんな病気がもたらす可能性があるのかな?などとすぐ調べてしまう。調べて、あ、これだ、と分かれば少しは安心するのだが、調べてもどうもわからない。下手に妻に話すと、「あ、それXXの癌だ!」とか、何でもかんでも、すぐ「癌」にされてしまうし・・・・自己診断リストなどもあるが、これだとどれでも当てはまってしまいそう・・・ということで、「なんだかわからない」から、という「不安」が芽生え、この不安を思い込みで押さえ込むよりは、やっぱり、医者に行ってはっきりさせたほうがいい、と医者に行ってきた。問診のあと、やっぱりきちんと調べましょう、ということでレントゲンに加え、超音波診断までした。疑わしいのは、やはり肝臓と腎臓らしいのだが、どちらも全然異常なし。肝臓の血流が集まるところが詰まることがある、ということだったが、そこもきれいで問題なし。結局、肋骨と肋骨の間にある、何とか言う(英語で言われたのでよくわからなかった。^^;)ところが、何かの衝撃を受けると傷んで、そらが数週間続くことがある、ということで、たぶんそれでしょう、ということになった。とりあえず、完全に確定できたわけではないけれど、少なくとも内臓系の異常ではない、ということだけが確認できただけでも、当初の「不安」はさっとなくなった。やっぱり、不安を退治するには、分からないことを「分かる」状態にするのが一番だなあ、と、先日の日記ではないが、思った次第。また、感情は現実を呼び寄せる、という話もある。この場合は、「不安」をずっと抱え込んでいると、その「不安」を現実化させることがある、ということになる。その意味でも、不安は抱かないに越したことはないが、抱いたとしても、それを早急に打ち消す行動を取る、というのが現実的なんだろうな。
2010.09.22
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今日もまた、ネットを見ると、暗いニュースばかり。なにも日本のことではない。こちらのYahoo Newsのこと。ちょっと見ると、1.New Poorに加わりつつある中高年失業者2.オバマ:リセッションの終焉ではなく、引き続く痛み3.老後を安心して過ごすために必要な犠牲4.アイスランドは、次のギリシャか? etc. ・・・・・大部分は経済的なニュースだ。 日本では円高が騒がれ、なぜ不景気にもかかわらず円が上がるんだ?という疑問が話題になるが、世界的にみると、ヨーロッパやアメリカに比べると、まだまだ日本の方がまし、というに過ぎない。お金の流れは、どこに置いておいたら安全で、しかも収益を上げられるか、という二つのバランスでしかない。日本は収益は??だけれども、国債の大部分を日本国民が買っている限りにおいては、外国から見ると、夫婦で言えば、夫が妻から借金をしている状態で、世帯としては、外からお金を借りているわけではなく、妻の借金を踏み倒せば、外に対しては信用が保てる、という見方をされる。もちろん妻=日本国民だから、借金を踏み倒される日本国民はたまったものではないが、あくまで外から見た「日本の信用」という意味では、まだまだアメリカやヨーロッパに比べて高いのである。他の国は、自国内で借金もしているが、対外債務が多い。日本は対外でのバランスシートは、純債権国で、借りているお金よりも貸しているお金の方が断然多い。つまり、まだまだ日本は信用できる国になっているのだ。それを考えると、アメリカの実情はかなり厳しい。オバマ政権も、一時の期待に満ちた歓迎ムードが一転、落胆と抗議の声がちまたにあふれてきつつある。最初の期待が大きかっただけに、この経済立て直しが一向にうまくいかないことへの苛立ちは、相当根強く、反動としての反オバマの意見が日増しに増えている。この国の将来はどうなるか、ここ10年で、様変わりするかもしれない。 ?
2010.09.21
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ある本によれば、「愛」の反対は「不安」だという。この世の中は相対性の世界であり、全てのものに両極が存在する。そして、感情においても、「愛」と「不安」というのがその両極だ、という。初めこのことはよくわからなかった。感情、といえば、普通、喜怒哀楽すべてをさすし、それらの感情が、この「愛」と「不安」の二つに帰着できるものなのかどうか・・・・しかし、不安が確かに「穏やかさ」「平安」を壊すものであることは確かだろう。「愛」が穏やかさや平安をもたらすものだとすれば、不安は、その意味で「愛」の対極ではある。不安というものは何か、を考えると、それは未来の「不確定さ」、あるいは未知であることそのものに起因するといえるだろう。子供がいつも帰ってくる時間になっても帰ってこない、なにかあったんではないだろうか?今、会社は景気が悪い。そのうち、自分が首になるのではないか?このところ、ちょっと体の一部に痛みが走る。もしかしたら、これは何かの病気なのではないか?つまり、 何かわからないもの、どうなるかわからないもの、そういったものが、本当は何なのか、最後にはどうなるのか、が分からないことで「不安」になる。だから、子供から電話があって、今友達の家にいる、と確認できれば、不安はなくなり、会社の上司と話していたら、今度社内の配置転換があり、自分がある部署の責任者となって、その部門の再建を命じられることがわかると、首になる不安は遠のき、体の一部の痛みは、実はXXだった、と原因がはっきりしたら、それで不安は解消されたりする。つまり、「未知」だったもの、「不確定」だったものが、「既知」になったり「確定」することにより、こういった不安は一掃される。人間は、不安になったり、心配したりしても、ものごとがよくなるわけではないことを知っている。知ってはいても、心配せずにはいられない、不安になるのを避けられない、それが人間というものでしょう。でも、その「結果」がわかればそんな心配や不安はなくなる。しかし、中には、人間にとってはいつまでの「既知」にはなりえないものもある。たとえば「死」だ。自分は死ぬんではないか、あるいは殺されるのではないか、という不安があったとする。それが高じると恐れや恐怖になる。そういったものを既知にしたり、確定することはできない。いや、確定することが恐ろしいわけだ。しかし、考えてみると、「死」が恐ろしいのは「死」というものがなにかわからない、死んだらどうなるのか、がわからない、という、これもまた「未知」への恐怖でもある。そんな心配や恐れ、恐怖を克服できるもの。それは「信念」以外にない。なぜならば、それを体験的に「既知」とすることは出来ないし、「確定」することはなおさら出来ないからだ。それが起きることは絶対確実であって、その後どうなるかわからない、という不安や恐怖はいつまでも付いて回る。それを断ち切るのは、「信念」しかない。その意味では、生きる上での全ての「不安」や「恐怖」を取り去るすべも、この「信念」かもしれない。自分が失敗するかもしれない、という不安も、絶対成功するという「信念」があれば不安を克服できる。自分は今の苦境を抜け出せるのだろうか?という不安も、人間に克服できない試練はない、と心底思えれば、それに立ち向かう勇気が出てくる。自分が死ぬかもしれない、という不安や恐怖も、自分は魂としての永遠の生命を持っている、という信念があれば、これを穏やかに迎えられる。この後者においてこそ、信仰の、信仰たる恵みがあるのだろう。
2010.09.19
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今日は久しぶりにのんびり。朝は2度寝。気が付くと9時を回っている。のんびりと起き、のんびりと朝食を取る。ゆっくりとコーヒーを入れ、ゆっくりと飲む。今日やることはないかな、と、しばらく考えたら、ふと娘の車のリモートがちゃんと動かないことを思い出した。早速マツダのディーラーに電話。見てみないとわからない、ということで、娘が寝ているうちに車をディーラーに持ち込む。約30分で、プログラミングをやり直し、ついでに電池も交換して完了。帰るついでに、近くのスーパーで買い物。お酒のつまみが切れたので、割きイカを購入。ふと娘が起きているか気になって携帯に電話。今起きたばかりのような寝ぼけた声で娘が出る。たまには外で昼飯でもどうか、と言うと、一も二もなく賛成して、日本食レストランで待ち合わせ。こういう時は娘が運転できると便利だな、などと思いながら・・・。ついでに、リモートが直ったことを伝えると、娘は大喜び。「パパ! ありがとう!!」電池交換とプログラミングのしなおしで$15かかったけれど、この娘の一言には代えられない^^;レストランで待つこと20分、娘が昨晩から我が家に泊まっていた友達と現れ、一緒に昼食をとる。注文は娘が好きな、「肉野菜いため定食」(笑)家に帰ってからは、ソファーに寝転がって、読みかけの本を読む。ひとしきり読んだら眠たくなって、そのまま昼寝。起きてから、ふと前の家に住む日本人駐在員に電話。コーヒーでも、と誘う。彼は家族が今一時帰省中で、ひとり。ひとしきりコーヒーを飲みながら雑談。彼が帰ったあとに、やおら先日買ったギターを取り出し、またまたうん十年前のフォークソングなどを歌いだす。うん、今日はなかなかいい調子だ。まあ、とにかく平和な一日。え、奥さんが出てこない? いやあ、今日、奥さんは仕事です^^;インド人の家に招待されているとかで、今晩は遅いそうです。さあて、昨晩から妻が作り置きしてあるカレーでも食べましょうかね、夕食に。あ、いや、その前に、いつものようにビールかな? 今日買って来た割きイカをさかなにちびちびと行きますか・・・・・
2010.09.19
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ある留学生がいる。アメリカの片田舎に留学した彼女は、教育の一環で、近くの小学校で、日本を紹介することになった。と言っても小学校2、3年生が相手なので、難しいことは言っても仕方がない。日本にいる父親に相談した。すると父親は、そのアメリカの田舎には珍しく竹があることと、7月7日の七夕が近いので、七夕の習慣などを紹介して、ついでに短冊に願い事を書いて竹につるす、ということをやったらどうか、と提案する。彼女もそれはいい、と思い、当日、竹と紙を持参して、一生懸命に七夕のことについて英語で教えた。そして最後に、「この紙に願い事を書いて、こうやって竹につるすと願い事がかなう、といわれている」と、この習慣について子供達に教え、実際にみんなに紙を渡して、それぞれに願い事を書いてもらった。結果、彼女は驚いた。なんと、クラスの中で、二人を除いて全員同じ「願い事」を書いたのだそうだ。その願い事、というのは「お金持ちになりたい」というもの・・・・後の二人は、移民の子で、父親と一緒に暮らしたいという子(この子の両親は離婚していた)と、将来何かになりたい、と言う希望を書いた子。これを見て彼女は考え込んでしまった。いくら物質主義、経済至上主義のアメリカでも、こんな片田舎の、それもこんな小さな子供達に将来の夢を書かせたら、それは「お金持ちになる」・・・・これは、なんというか、一種の悲劇ではないか。逆にこんな話もある。アメリカには、よく知られているように、昔からの生活習慣をかたくなに守り続けている、アーミッシュとう人たちが居る。電気製品を使わず、TVもPCもなく、もちろん車も使わずに馬車を使う生活。つまり、現代の経済的、科学的な進歩の恩恵を拒否しているようなグループである。あるとき、ある精神を病んだ人間が、この町の小学校にライフルを抱えて乗り込んだ。彼は、間違った神なんか、抹殺しろ、とか叫んで、ライフルを子供達に向けて乱射した。ところが、この子供達は、パニックにもならず、平然と事態を見守っているだけでなく、なんと、その中の一人は、「この子を撃つんだったら、私を代わりに撃って」と犯人の目の前に歩み出る。そして彼女は撃たれる。すると、次に、撃たれた少女の妹が進み出て、また「他の子を撃たないで!撃つなら私を撃って!!」と進み出る。当然、彼女も撃たれて死んだ・・・・・・そして、事件後、殺された子供達の葬儀があった時、その村の長老は言った。「犯人の親族の方も、参加してもらった。犯人や、ましてや、その親族などを恨んでも、なにも救われない。それよりも、生きている私たちは、どうやって、このような悲劇を繰り返さないかを考え、子供達の墓の前で、この子たちの犠牲を無駄にはしないことを誓わなくてはいけない」と。この村は、「貧困」である。家も質素で、着ている者も古着を直しなおし使っている。生活は電気なしで、昔のままである。つまり、経済的に豊かな生活とは正反対の生活を送っている。しかし、この事件での、この子供達の落ち着きぶり、自己犠牲、その後の長老の言葉・・・・大人でも、ここまでのことが出来る人はほとんど居ないのではないか・・・一方で、短冊に「お金持ちになりたい」と書いた、「普通」の子供達・・・・この後者が、世界では主流であり、アメリカだけではなく、全世界に広がり、今は中国やインドも巻き込もうとしている巨大な潮流である。人間が失いつつあるものを考えずにはいられない。
2010.09.16
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またまた、先日購入したカムリのハイブリッドのこと。 まあ、買ったばかりでうれしくて仕方がないので、関心が集中するのはご容赦ください。で、まだ買ってから2回目の給油にも至っていないのですが、だいたいいろいろな走行モードで、この車の使い勝手やら燃費性能がだんだんわかってきました。まずは肝心の燃費ですが、やはり丁寧に、燃費優先で運転したときと、普通に運転したときでは、やはり多少違います。燃費優先時 :短距離でよい場合は40マイル/ガロン(16.5km/L) ぐらい行きますが、そこそこの距離を乗ると、だいたい35~36マイル/ガロン(約14.5km/L)ぐらいです。普通走行時 :短距離の場合も、ある程度距離を乗った場合も、だいたい32~33マイル/ガロン(約13.5km/L) です。でも燃費優先時は、発進はゆっくりと、できるだけ電気モーターでの走行を長く続ける、急加速はしない、ブレーキは出来るだけ踏まない、つまり車間距離をいつも十分にとる、ということでかなり気を使います。その一方で、普通走行時は、普通に加速し、普通の車間距離で、普通にブレーキを踏む、という、あまり電気モーターだ、ガソリンエンジンだ、ということには気を使わずに、ごく普通の車と同じように走ります。その結果が、このたった2~4マイル/ガロン(1~2km/L)の違いですから、このどちらがいいのか、これは人それぞれだと思います。しかし、結局このハイブリッドの車の真価は、普通に走っても、かなりいい燃費で走れる、ということにあることは確かでしょう。この辺の実際のドライブ状況をビデオにとり、YouTubeに載せておきました。 カムリ・ハイブリッドの燃費 息子のランサーGTSも、同じ2.4L DOHCで、車体もかなり軽いはずですが、燃費を最優先してマニュアルで丁寧に運転しても、よくて29マイル/ガロンぐらいしか行きませんし、普通に運転すると、22~24マイル/ガロンになってしまいます。 娘のMazda6も、これまた2.4L DOHCですが、こちらはAutoであり、なおかつ車重もランサーより重いため、普通に走ると21~22マイル/ガロン、丁寧に走っても24マイル/ガロンぐらいにしかなりません。 これらを考えると、このハイブリッドというのは、大容量のバッテリーを積み、車体も大きいため、車重はこれらの二つの車よりかなり重いのですが、それでも普通に運転しても、40%から50%燃費がよい、ということになり、ここにこそ、ハイブリッドの真価がある、と感じます。まさか、ランサーGTSに乗って、そろりそろりと燃費優先で走る人はいない(もともとスポーツ走行向けの車なので)ので、同じような感覚で、同じように走っても燃費がこれだけ改善される、というのがすごいところです。トルクは、電気モーターのトルク特性が低回転から(というより、低回転こそ)立ち上がっているのでガソリンエンジンのトルク特性と相補的な関係にあるし、馬力の方は、どの回転域でも両方が同時に稼動することにより、相乗効果があるため、トルクは低回転から高回転まで普通のガソリンエンジン車に比べてよっぽど高く、最高馬力もガソリンエンジン車の169馬力に比べてハイブリッドは187馬力、ということで、大きくなっている。したがって、重い車重をものともせず、発進加速や追い越し加速は非常によく、プリウスに乗っているときのような非力感を全く感じない。装備も、ほぼカムリの標準クラスのLEと高級クラスのXLEの中間で、必要にして十分な装備であるし、他のランサーやMazda6に比べると、圧倒的に静かで、運転もマイルド。まあ、その分、スポーティな走行にはぜんぜん向いていないし、エンジン音を楽しむランサーのような楽しみはない。しかし、楽に快適に低燃費で、という、車として求められる大きなポイントで、非常に高次元で達成しているなあ、というのが素直な感想。で、結局言いたかったことは、この車を買うときはハイブリッドというものに多少の不安があったのだが、今のところ大満足だ、ということ(笑)車の購入では何度も失敗しているので、今回はどうか、と心配したが、どうやら、今回は値段と比べても、すごくいい買い物をした、という気がしている。これが3年後、5年後、そしてあと10万マイル(16万km)ぐらい、このまま評価を落とさずに行ってくれるといいのだが・・・・
2010.09.16
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今なぜアインシュタインか?って、誰もそんなことは言っていない・・・。ただ、私が「誰でもわかるアインシュタインの相対性理論」という本を読んでいる、ってだけです(笑)この本「誰でもわかる」と銘打ついるにもかかわらず、相対性理論の説明はほんのわずかしかない。その結果を伝えるだけ。だったら確かにわかるもわからないもなく、そんなもんか、ということになる。で、じゃあ、この本の大部分は何に当てられているか、というと、アインシュタインのすごいところはいったいなんだったのか?という点におかれている。以前タイム誌が、20世紀を代表する人を一人挙げるとしたら、という特集を組んだことがある。政治、経済、産業界、芸術、文学、科学いろいろな分野があるので、その中でただ一人を選ぶのは難しい。しかし、あえて選ぶとすれば、ということで一位になったのは、このアインシュタインであった。彼の偉大さは、たとえば日本人でも、ものごころ付けば誰でも名前をしっていることでもわかる。他の偉人・賢人で、世界中で、名前が知られている人でも、ここまで浸透している人の名前はないかもしれない。そして、ただ名前を知られているということにとどまらず、彼の業績は、単に理論物理学のみならず、それまでの世界観を大幅に変革した、という点において、哲学はもとより、文学や他の芸術にまで大きな影響を与えた。依然として、彼の時間と空間に関する新しい認識は人々の常識にまではなっていないし、依然としてニュートン的な世界観の域を出ていないかもしれないが、それでも、本当は、という前提で、絶対時間とか絶対空間というものはない、という真実はいろいろなところに影響を与えている。そして、この本を読んだ私の感想のひとつとして、このアインシュタインの性格が非常に自分に似ていること!(笑)まあ、頭の出来やら、発想のすばらしさは比べるのもおこがましいが、性格だったら似ているかどうか、という範疇だから許されるだろう。子供に、俺はアインシュタインと性格が似ている、と言ったらばかにされたが・・・・。
2010.09.15
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久しぶりに、クレジットスコアが変わりました、のお知らせが。一応、変わるたびにメールが来るサービスに入っているのだが、いつものことながら、これが来ると、若干不安になる(笑)あまりいい材料はないしなあ、また悪くなるという原因もないし、なんだろう、と見てみると・・・・なんと40ポイント以上、クレジットスコアが上昇していました。この2ヶ月で、です。で、その理由を考えてみると、新しくカムリのハイブリッドを買うのに、ローンを組んだこと、これ以外に思いつかない。確かにある意味、審査をして、それが通ったからローンが付いたわけで、その意味では、信用が確かめられた、ということではあるのだろうけれど、しかし、借金が増えたことに変わりはない。アメリカのクレジットスコアは、確かに、借金をして、それをきちんと返している限り、借金をしていればしているほどスコアがいいようだ。しかし、今回はまだ実際には返済を一度もしていない。単にローンを利用して車を買っただけ。これで、50ポイント近くもクレジットスコアがよくなるんだろうか?もしこれが本当の理由だとしたら、このクレジットスコアというのも、ちょっと不思議な指標ではある。
2010.09.14
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外から日本のニュースを見ていて、いつもがっかりすることがある。それは、日本の政治というものの焦点が、より重要だと思われる課題よりも、ほとんどの場合、政治家がらみのスキャンダルと、それに発した与野党間の攻防だ。マスコミも、問題が起きるとそればかり報道する。ほとんど、その他には重要な問題がないといわんばかりだ。ところが実際は逆で、他にももっともっと時間を掛けて議論して欲しい課題があるにもかかわらず、それらはほとんど強行採決などでごり押しされて議論が尽くされない。国会中継なども含めて、マスコミの大部分は、スキャンダルに関する報道ばかり。今日こんな記事を見つけた。 これ この全てに賛成するわけではないが、気持ちとしては変わらない。でも、よく考えてみなければいけない。これは、マスコミや野党がこうさせているのではない。こうさせているのは国民だ。もちろん、不正や癒着は許せない。是々非々で扱わなくてはならないだろうが、日本を見ると、 是々非々の是々がなく、非々ばかりがまかり通って居る。結果、日本の政治は大した成果を上げられず、大きな課題は先送りされ、世界からは取り残される。本当に、そとから見ているとイライラしてしまうが、自分もその国民の一人だという認識を忘れてはならないのだろう。
2010.09.13
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日記に書きたいことがいくつかあるのだが、ちょっとその気力がない。(というより、ビール2本でいい気持ちになっているので、壊したくない・・笑)で、またまた覚書のみ。今日の教会の聖書勉強会。 テーマは「恵みと感謝」今日のGLAのビデオ鑑賞会。 テーマは、「人は他人とのかかわりで人になる」両方とも、テーマは奇しくも同じ。 偶然の一致。 か?そして、今日は、転入会式とバプテスマが行われた。この転入会とはなにか?そして、洗礼すなわちバプテスマとはなにか。イエスが十字架からの生還後に弟子達に語った言葉にその鍵がありそう。だが、各福音書の記述は微妙に違う。その内容についての疑問と、聖書に対する疑問と。そして、その先にあるもの・・・・・。またまた考えることが盛りだくさんの、充実の日曜日ではあった。
2010.09.13
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先日、ハワイへ引っ越す人から、日本から持ってきた食器棚をゆずっていただいた。食器棚とは言え、棚がいくつもあり、かつガラスの扉があるので、本棚にちょうどよい、と思ったのだ。部屋に持ち込み、ちらばった本、積読の本などを入れたら、なんとすぐに満杯に。そこで、昨日、またまたMixiで売りに出ていた本棚を譲ってもらい、早速本棚を増設。やっとのことで、今まで床の上に散乱していた本たち、段ボール箱に入ったままになっていた本たち、そして机の上で積読されていた本たちが納まるところに収まった感じ。ことしはすでに2回日本へ行き、そのたびに何十冊も買い込んでいたので、正直置くところがなくなっていた。しかし、これで、あと100冊ぐらいはなんとか余裕がありそうだ。まあ、しばらくは、買ったが読んでない本がまだ数十冊あるので、しばらくはこのままになりそうだけれども。本とは別に、DVDラックもしばらく前に買ったのだが、そちらもそろそろ一杯になりつつある。日本だったら、自分で本やDVDを買わなくとも、近くの図書館で借りられるのだろうに、ここではそういうわけには行かない。一度読んだ本、一度見たDVDはめったに何度もみるものではないけれども、それでも、なんとなく手元においておきたいもの、というのはある。次の段階では、これらを取捨選択して、残すものと処分するものにわけて、スペースを確保することになるんだろうな。
2010.09.10
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昨日のしょうもない、ただのメモ書きの日記に、ミカオさんから次のようなコメントをいただいた。「娘が、死んだらどうなる?とかどこから生まれてきた?とか言い始めてます。こういった問いには宗教が便利なんだろうなーと。ただ、進化論とどうやって折り合いを付けるのか。遺伝子操作をどうやって説明するのか。神学論争はあー言えばこー言うの世界ですが。個人的には社会的、気分的的安定のために、とりあえず適当に宗教とは折り合いを付けておくぐらいの気持ちなんです。」これは、親としては、誰しも経験する事かもしれない。あかちゃんがどこから生まれてきたのか、という問いには二つの意味がありそうだが、普通は、性の問題として、それはそれで親が返答に窮するということになる。もう一つのこの「問い」の意味は、もう一つの彼女の質問「死んだらどうなるの」と関係している。つまり、どこから生まれてきたの?というのは、「私はどこから来たの?」という意味もある。また「死んだらどうなるの?」というのは「私は死んだらどこへ行くの?」という意味もある。この問いは、昔から、子供の純朴な疑問としてだけではなく、大人の、そして哲学の大きな命題でもあった。しかし、現代人は、そんな「問い」を「考えても仕方がないこと」として、まともに考えようとしない風潮が強い。すべて唯物的に見れば、生命の誕生から死んで灰になるまで、単なる物理現象の起承転結にしか過ぎず、それを子供に説明するのも面倒だ、となる。あるいは、子供の誕生は単に男女のセックスの問題とみなし、それ以上でもそれ以下でもない、と考える。死は、物理的な老化現象が行き着くところまでいった当然の帰結と考え、それ以上でもそれ以下でもない、と考える。本当にそうなのかどうか、これは人によって考えが分かれるところだろう。どれが正しく、どれが間違っているのか、これを断定することは多分誰にもできない。しかし、この「問い」をまともに考えて、そういった結論に至っている人は非常に少ない、と感じている。少し前までの私だったら、冒頭に上げたミカオさんのコメントとほぼ同等で、宗教や神の世界とは、少し距離をもって、主として科学合理主義の範囲での自分の納得性を重視していたと思う。そして、「人はなぜ生まれ、死んでどうなるのか」というこの娘さんの質問を、心の中では持ちながらも、うやむやな返事しかできない、という状況だっただろう。しかし、今は大分違う。この「自分はどこから来て、どこへ行くのか」もう一つは「自分はなぜ今、ここに生きているのか」という「問い」は、私だけではなく、全ての人にとって、生きる上でもっとも大切な「問い」ではないかと思う。そのもっとも大切な「問い」を子供に聞かれて、大して考えたことがないから、といって、適当にお茶を濁したり、あいまいな答えで子供をけむに巻く、ということが、そもそも間違っているのではないか、とも思う。子供の真剣な問いには、大人も真剣に答えなければいけないし、そうするためにも、自分なりに考えていなくてはならない。しかし、現代人、特に無宗教の日本人には、この問いには物理的・科学的な回答しか出せないだろうし、それさえも、日常の忙しさと日々の生活のための悪戦苦闘で、考えるひまもない、というのが本当のところではないか、と思える。これが良い悪いは別にして、信仰を持つ人だったら、答えは全然違ったものと為る。そして、全世界的に見たら、この方が多分多いのだろう。日本人の方がどちらかというと特殊である。私としては、遅かったかもしれないが、この「問い」を非常に大きな問いとして自分の中に位置づけて、この数年、生活してきた。まだまだ回答となるものは見つかっていないものの、ほぼ輪郭だけはつかめてきた。これも自分自身の考えだから人に強制するものではないが、こういった大切な問いに対する真摯な姿勢だけは、継続していきたいと思っている。
2010.09.08
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2年前の今頃、深刻なうつ病でのた打ち回っていた。眠ることも出来ず、起きていても何も出来ず、ただ床の上でうんうんうなっていた。唾液が出ずに食事ものどを通らず、便通もとまり、生まれてはじめてのような便秘に悩まされ(これが本当の「不便」か?笑)一ヶ月で7kg近くやせてしまった。それがうつ病だとわかり、薬によって好転したのが10月末、以来、抗うつ剤のお世話になっている。分量はだんだん減ってきているが、まだやめられないらしい。自分としてはもう要らないんじゃないか、と思うのだが、医者はまだだ、と言う。この薬、うつ病にはすごく効果があったのだが、ある副作用がある。ひとつは、眠れなくなる、というものと、もう一つは夢見が悪い、というおかしな副作用。眠れなくなる、というのは、それほど大したことはなく、普段より多少寝つきが悪い程度で我慢できる。ところが、この夢見が悪い、という方は、かなり強烈。このために、この薬、効くにもかかわらず、嫌がって他の薬に変える人も居るという。私の場合、よく見る「悪夢」のパターンは、薬の量とともに多少変わってきたが、だいたい1.乗り物に乗っている。乗り遅れたり、切符を持っていなかったり、ぜんぜん目的の方向と違うほうへ行ってしまって、どうしようもできなかったりする。2.乗り物は乗り物でも、車の場合もあり、車が盗まれたり、壊れたり、事故ったりする。3.昔やっていたような仕事をしているのだが、ぜんぜんものにならない。失敗ばかり。4.なにか学校のようなところに居て勉強したり、テストを受けたりするのだが、周囲の皆がなんなくこなしていることが、自分だけ出来ない。5.食堂で並んでいて、おいしそうなものを注文しようとしていると、自分の番になると、もうなくなっている(笑)だったら、と別な場所に並んでも、次々と、欲しいものがなくなって、結局ろくなものが食べられない、というしょうもない夢。この4のテストや勉強で自分だけ出来ない、という夢は、以前から今に至るまでよく見る。大学で、このテストが出来ないために卒業できない、という場合もあり、この夢は根が深そう。(確かに、現実でも似たような状況はあったが・・・^^:)よく、夢は潜在意識が夢になって現れる、というが、もしそうなら、自分の中には相当根の深い劣等感が潜んでいることになる。しかし、薬によって、夢見が変わるんだったら、そもそも、あまり自分の潜在意識とはあまり関係ないのかもしれない。そうでなければ、夢に現れる、潜在意識の「層」が、この薬によって変わるのか?いずれにしても、こうなったら、今晩はどんな夢を見るのかな?と楽しんでいこう、と思っている。
2010.09.08
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またまた教会において考えさせられる事柄を多く気付かせてもらった。これも詳しく書く時間もなければ、それだけの気力もないので、またまたメモ書きを残すことにする。1.「間違っている」ことなんてない。ただの価値観・考え方が違うだけ。2.「礼拝」の意味。礼拝が社会的・政治的な宣言の場、って何?3. 人間の自由意志と、神の計画。神が人間の生活に介入することがあるのか?4・ 「恵み」とか「救い」とは、いったい何か?5. 神の招きとそれに対する受諾。マタイによる福音書にある、このたとえ話の本当の意味は?6・ 神の招きを受けた人が着る「礼服」⇒ 準備か、信仰か、愛か。いずれにしても、その招きを受諾しなかったら罰せられたり、礼服を着ていかなかったら罰せられたりする、、この比ゆは、いったい「神」のどんな属性を示すのか?「キリストを着る」という言葉がある。つまりは、上記の比ゆ的な話の中で、神に、婚礼の催しに招かれて、そこに着てゆく礼服をもたない人のことについて、である。そして、やはり、究極的には、7.「聖書を正しく読む」ということはどういうことか?というところに落ち着く。いったい、「正しく」というのは、誰の判断なのだろう?
2010.09.07
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嘉納治五郎(かのうじごろう)が好んで書いた座右の銘ともいうべき言葉だそうである。これは「力で必達する」というような意味ではなく、「努めれば必ず達する」という意味で、努力しさえすれば、何事も達成できる、という意味の言葉である。確かに、あの文明開化の時代に世の中の趨勢に逆らって、高等教育を受けた前途有望な若者が、すたれつつある古武道の再生に、自らの生涯をかけることに、かなり周囲の反対や妨害があったらしい。しかし彼は、日本の良さを残す、という使命感で、それまでの伝統的な古武道を研究し、それを統合する形で柔道の礎を築いた。その道程を見てみると、よく言われる「古きをたずね、新しきを知る」という言葉そのままに、伝統のよいところ、そしてそれが形骸化している部分とを分け、守るべき伝統と、それを発展させるために多くの新しい取り組みを行っている。振り返って、現行の宗教を考えると、このすたれゆく古武道に似ていなくもない。伝統と形にこだわり、本来の宗教としての使命がともするとおろそかになり、何よりも自分の殻に閉じこもる閉鎖性と、発展への素直な取り組みの欠如が見受けられる。何も全て新しいものがよい、ということは言えないにしても、改めるべきは改める柔軟性と、新しい考え方、あるいは異種の考え方に対する開かれた態度がなければ、すたれていった古武道と同様な道をたどるだろう。そこに、時代に合わせた、そして価値観や環境の変化に伴った取り組みが必要なのではないか、と思える。いつの時代にも生きることに悩み、人生の意義を求めている人は多い。残念ながら今の宗教は、悩んでいる人に救いをもたらす、という個人的な恵みをもつ場合もあるが、それが一般化することは絶対にない、と思える。加納治五郎の日本の良さと伝統の保持と、それを実現するための柔道に対する考えと取り組みに、そこに対する大きなヒントがあるように思えてならない。
2010.09.06
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公式的には「自然にやさしく」、本音的には「少しでも燃費を安く」という理由でハイブリッド車を購入して2週間。今日、2回目のガソリン補給。一度目は、買った直後だったので、実質的には自分が走ってガソリンを補給するは初めてです。前回、満タンにして走って、走行距離486.1マイル、約778km弱でガソリンランプが点灯しました。さすがによく走ります。で、メータ上の燃費と、計算上の燃費を比べてみました。メータ上 平均32.7マイル/ガロン つまり、13.45km/L計算では、再び満タンにするのに、15.1ガロン(58.7L) 必要だったので、燃費は32.4マイル/ガロン (13.3km/L) と言う結果で、ほぼメーター上の数字は正確であることがわかりました。2.4L DOHCエンジンの車としてはかなりいい成績です。走行内容は、ハイウェーが20%、市街地(あるいはハイウェーでないところ)が80%ぐらいでしょうか。カタログを見ると、市街地33マイル/ガロン、ハイウェー34マイル/ガロン、とありますから、ほぼカタログ値に近い数字にはなっていますが、目標にしていた、このカタログ値を上回る燃費は達成できず。次のチャレンジに持ち越しです。しかし、この車のエンジンとハイブリッドシステム、日本のレクサスHSハイブリッドと同じだと思うのですが、HSの日本のカタログは23km/Lとなっていす。日本の10・15モード燃費というのはかなりいい加減な数字ですね。しかも、このカムリハイブリッド、このHSよりも車体も大きく、全てのキャパシティー(乗員容積、前後席サイズ、ガソリンタンク容量など)が大きい。車重もほんの少し重い。設備・仕様は多少違うかもしれないが、日本でHSを買ったら最低でも400万円。一年落ちの中古でも300万円はする。それを、タイヤ・アルミホイール・ブレーキバッド・フロアーマット、すべて新品に交換して130万円そこそこで買ったのだから、やはりかなりのお買い得だったようだ。次に航続距離ですが、ガソリンタンク容量が17.2ガロンなので、まだ2ガロン(約8L)も残っているところでガソリンランプが点灯する、という、少し早すぎるくらいに警告が出ています。この17.2ガロンのうち17ガロンを消費すると、満タンで32.4マイル/ガロン x 17ガロン =551マイル(880km)は走る、ということで、今までの車とは雲泥の差です。(今までは、良くても400マイルぐらい)また、給油後、家まで燃費最優先でゆっくり帰ってきました。やや下り気味ではありますが、途中信号3箇所、登りもあり、くだりもある、という約4kmの道を慎重に運転して帰ってきたところ、この区間の平均燃費は、 50.7マイル/ガロン (20.9km/L)という成績でした。つまり本当にゆっくりと燃費だけを気にしならが走れば、相当いい燃費になることがわかります。とはいいながら、次の実験は、燃費を全く気にせず、普通に加速・減速をする、少しアグレッシブな走りをしたときの燃費はどうなるか、と見てみたいと思います。それでもアイドリング時のエンジンストップや、発進時、登攀時の電気モーターアシストはそのままなので、30マイル/ガロンに近い数字が出てくれるんではないか、と期待していますが、さてどうなりますか・・・・そのうち、カムリ・ハイブリッドの燃費 その(2)で報告します。
2010.09.05
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今日は知人のお誘いを受け、インターナショナルVIPクラブの会合に出席。VIPは政府・要人などを一般的には指すが、この場合のVIPはその名のとおり、 Very Important Person の頭文字。この由来は、一人一人すべての人は、神の前ではかけがえのない、大切な人である、ということから来ている、という話を今日聞いた。 このクラブというのは、 こんなクラブ ですが、17年まえに創設者の市村氏が、5人ぐらいの仲間とはじめた、一種のキリスト教の福音・伝道組織だという。今回は、この創設者の市村夫妻が初めてアトランタにこられ、こちらのメンバーとの交流をしたい、ということで設けられたらしい。私自身、初めてVIPくらぶに参加したのは3年ぐらい前だが、それ以来一度も顔を出していないので、ほぼ3年ぶりの出席。それにしても、こういった個人の活動が、牧師でもないのに、世界に広がっている(現在は数十カ国に及んでいるらしい)という事実はどう考えたらいいのだろう。それだけ、「道」「生き方」を真剣に模索している人が居ると言えるのは確かだろうが、この「会」があまりキリスト教に特化していない、というより、かなり自由な気風があることがその理由なのであろう。それにしても、仕事をなげうって、こういった布教・伝道活動に一般の人がその人生を投じる、というのも、本人に言わせれば「神のお導き」だそうだが、なかなかできないことではある。ビジネスマンを中心にした組織、ということで、こちらでも現地のアメリカの会社にとどまらず、日本の会社の駐在員まで巻き込んで、月一度ぐらいの割で集まって、いろいろな活動をしているらしい。いろいろな人が居るものだ。
2010.09.05
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今日、ホーキングが今での考えを翻した、という記事が載っていた。 この記事 ホーキングは、車椅子の天才物理学者として有名ですが、今生きている物理学者の中でも、もっとも「宇宙の真理」に近づいている人の一人、とよく言われます。その彼が、以前は、この精妙な宇宙が誕生したきっかけ、つまりビッグバンの背後には、やはり神の摂理、神の意思がある、と言っていたものです。ところが、彼の最新刊「The Gound Design」で彼はこう言っている。「宇宙の青写真をつくり、それが生成発展することに神を引っ張り出す必要はない」「たとえば重力の法則のような物理法則によって、宇宙は自らを無から生み出すことができる。自発的な創造こそ、無ではない何かが存在する、今宇宙があり、私達が存在することの理由なのだ。」「新しく見出された物理法則は、神を不要のものにしつつある。」と。過去の一般相対性理論と量子論を融合した大統一理論に対して、どれだけの発展が近年見られ、彼自身がそのどの部分を以って、こういった見解を出してきたのかは知らない。しかし、一般的には、最先端物理学の世界では、東洋の古典的な宇宙観や、神の意思の偏在を裏付ける方向で、いろいろな発見がなされてきた、という認識がある。今回の彼の発言は、その流れに一石を投じることになる。一方では、究極の人間のあり方として、「神が不要になる」ということが挙げられる。犯罪がなければ警察はいらない。病気がなければ医者は要らない。同じように、全ての人が悟って、悩みもなければ、生きる上での課題もなくなれば、神も要らなくなる。そこでは、人間=神であって、あえて神に祈ったりすがったりすることも不要になる。この神=人間、というのは、けっして思い上がりとしての概念ではなく、魂・精神の成長の結果として到達できる究極の状態を指している。その意味では、ホーキングの「宇宙が存在し、私達が生きている、という事実を説明するのに神は必要ない」という言葉も、あながち突飛ではないのかもしれない。ただし、「神の一撃」をも物理法則の当然の帰結とすることと、その物理法則がなぜ、今ある形で在るのか、ということとは、また違った次元の問いであることも確かだろう。物理法則の当然の帰結として「必然的に」この宇宙が自発的に発生し、生成発展している、ということをいわんや認めたとしても、この物理法則自体の存在と、その精妙さの背後にあるものを考えざるを得ない。 この上なく美しく、かつ同じものが二つとない、雪の結晶 太古から人類を魅了してやまない、宇宙の神秘
2010.09.03
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