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前回は梅小路蒸気機関車館をレポートしました。この梅小路の後にはSL北びわこ号(米原→木之本間運転)に乗ろうと、京都ではたと思いついたのです。(一昨年に撮影したSL北びわこ号の写真はこちらに)ところが間抜けなことにこの山科駅で「間に合わない」ことに気付きました。更に間抜けなことに、翌日乗ることにしていた九州の汽車の切符の手配を一日間違えていたことも判明しました。はー。間抜けな私を尻目に特急トワイライトエクスプレス札幌行きが走り抜けていきました。この山科駅で、この日の目的と、自己統制が外れてしまいました。私は気分に流され迷走を始めました。新快速と各駅停車を乗り継いで岡山まで来てしまいました。写真は岡山駅構内に停車中の山陽本線の各駅停車の117系です。西日本の直流電化区間でしか見られない形式ですので、首都圏では全然馴染みがありませんけど、185系と同時期に登場し、185系とほぼ同じ走行性能と内装を持ちながら、新快速専用車輌として使用されました。今は都落ちしてますけど。吊り革が無い、革命的な車輌でした。内装も木目パネルを用いた豪華なものです。関西の競争の厳しさを物語る形式でした。岡山まで来ると、えいや、と本四備讃線に乗ってしまいました。前の週に渡ったばかりの瀬戸大橋を渡って再び四国に入りました。翌日にJR九州のお世話になるので、この第4旅程では、東日本・東海・西日本・四国・九州とJR5社の車輌に乗ることになりました。我ながらアホです。岡山発高松行きの快速マリンライナーに乗ったので、高松まで来てしまいました。前の週には寄らなかった街です。画像は高松駅構内に停車中のN2000系の特急うずしおです。高徳線を徳島まで運転する車輌ですね。多分。JR四国はかつては高松がダイヤの中心でした。宇高連絡船が到着するのが高松港だったからです。JR北海道におけるかつての函館みたいな存在でした。瀬戸大橋が開通してからは、四国を走る優等列車の起点は、岡山と高松に分裂しました。これ以降、JR四国の特急は高松発と岡山発が宇多津辺りで分割併合を行う複雑な運転体系になっています。本四備讃線と予讃線の分岐駅としては坂出の方が名前が知れていますが、多くの特急は岡山から坂出には向わずに宇多津に向います。逆に坂出駅は快速マリンライナーと予讃線の優等列車の乗換駅として機能しているような気がします。これがマリンライナーです。JR四国所有の5000系です。凄いマスクでしょ。二階建てになっていて、上階がグリーン車、下階が普通車指定席になっています。高松では讃岐うどんをすすって直ぐに岡山に戻るのです。岡山への帰路では、奮発して普通車指定席(グリーン車指定席は青春18きっぷでは乗れないのです)にしました。車内も撮影しています。もう少し後にご紹介します。高松駅前の光景です。この駅も凄く変わってしまいました。往時の面影は完全に失われています。さてターンです。もうほんとにいきあたりばったりです。結局高松ではうどんを食っただけでした。うどんを食いに瀬戸大橋を往復してしまいました。帰路の快速マリンライナーです。こっちが私が乗った一階の普通車指定席です。こっちは二階のグリーン車指定席です。椅子は殆ど変わりません。見晴らしだけが、普通車とグリーン車の違いに見えました(実際には差があるのかも知れません)。快速マリンライナーの便所です。なかなか豪華な設備です。快速用としてはレベルが高い便所でした。なお、走行時間は1時間~1時間20分程度です。そんなに長くは走らない車輌なのです。こうして岡山まで戻ってきました。次はムーンライト九州(前の前の週に乗った夜行列車と同じ列車です)で九州を目指します。でも、この列車の岡山発時刻は23時50分くらいでした。時間が余ったのでネットカフェでコメントにお返事を書いたりして時間を潰しました。ムーンライト九州に乗車する直前に撮影した画像です。JR四国の2000系です。F6.3で3.2秒開けて撮影しました。編成写真のスローシャッターは絵になりますよね。お気に入りの一枚です。恐らく翌朝の始発の南風として高知を目指すのでしょう。このようにして迷走を続け、ムーンライト九州に乗車することになりました。明日はムーンライト九州で博多まで移動した後から再開します。ムーンライト九州については第2旅程でネチッとレポートしてますので、この列車にご関心がある方は下のリンクを辿ってみてください。この列車も中々魅力のある列車なのです。 (37) 夜の新大阪駅のムーンライト九州 (38) ムーンライト九州@下関駅~EF65の切り離し~ (39) ムーンライト九州@下関駅~EF81の連結~ (動画7) 下関駅でのEF81の連結の動画です。 (40) ムーンライト九州@門司駅~EF81の開放とED76の連結~ 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/31
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今回で梅小路蒸気機関車館のレポートを終りに致します。最後を飾るのは「スチーム号」です。この梅小路蒸気機関車館の中には1キロ弱の線路が引かれていて、その線路を蒸気機関車牽引の列車が走るというものです。ナンバープレートです。8630です。形式は8620です。大正期の標準旅客蒸気機関車で1000両弱も製造された形式でした。この機材は大正3年の汽車会社製でした。所属はもちろん「梅」です。梅小路機関区所属と表示されていました。正面からの撮影分です。ヘッドマークは「スチーム号」でした。編成写真です。客車が凄いです。車輌限界を無視して屋根が飛び出しています。本線上を走らないので、こんなことをしても良いのでしょう…。蒸気機関車は黒いので露出が難しいのです。ちょっと失敗気味です。はあ。露出フルオートで撮影すると背景に露出が合ってしまい、蒸気機関車が黒く塗りつぶされてしまいます。そんな事情でかなり露出を上げて撮影しています。しかし上げすぎたかなあ…。運転終了後の風景です。機関士2名が整備作業を行っています。制服はJR西日本の夏服でした。今年の初めに乗ったJR北海道の蒸気機関車では旧日本国有鉄道の制服を着ていたものですが…。お尻から撮影してみました。斜め前方からの撮影です。大正期のロコにはデフ板が付いていません。運転終了時に乗客を降ろしているところです。真横からの撮影分です。大きな動輪です。動輪の大きさからもトップスピード重視の旅客用蒸気機関車だということが分かります。運転台です。余り綺麗ではないですねえ。炭水車から石炭を出す場所です。大正期に製作された機関車ですので自動給炭装置も重油噴霧装置もありません。客席から見た風景です。お尻しか見えません。運転中の車窓の連続写真を動画化してみました。運転区間が短く余り加速しないのでそんなに迫力のあるドラフト音になりませんでした。残念…。以上で、梅小路蒸気機関車館(梅小路機関区)レポートを終えます。この梅小路機関区で「SL北びわこ号」のポスターを見て、京都駅から、SLが運転される北陸線に乗るために米原まで行こうとしたものの、発車時間に間に合わないことに気付き、山科でターンして再び西に向かい、岡山へ行きました。次回は岡山と高松をレポートします。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/31
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梅小路の続きです。この機関庫には動態保存されている機関車も数両あるのですが、夏場は臨時列車の牽引のため日本中に(言い過ぎましたJR西日本の各線区に)散っています。そんな訳で、今回は静態保存機中心の見学になりました。レストアスペースで修復作業の最終局面(もしかしたら修復作業は完了していたのかも知れません)にあったと思われるB20です。入れ替え用の釜で、本線走行は難しそうでした。C11です。この形式は動いているのも動かないのも結構目にするチャンスがあります(JR北海道の釧網線で乗車したこともあります)。支線用の軸重が軽い機関車です。維持費もそんなにかかりません。このような事情で、JR・私鉄に結構動態で残っています。C51です。昭和初期の優等列車用の機関車でした。トップスピード重視の設計だったと聞いたことがあります。青梅鉄道公園でも目にしました。こんな感じで扇形機関庫に静態保存機材がたくさん置かれているのです。たくさんの静態保存蒸気機関車の中でも目玉は下の機関車でした。C58蒸気機関車のお召し仕様です。ザ・ロイヤル・エンジンという感じですよね。エンブレムは鳳凰でございました。車体側です。お召し専用機関車としては、他にも電気機関車でEF58-61号機なんかが有名です。jiyma21さんがブログでご紹介なさっているので、ご関心の向きは是非行ってみてください。D52です。本線走行用の貨物用機関車としては最後の形式になりました。パワー重視の設計で、正に貨物用蒸気機関車の最高峰です。残念ながらあまり人気がありません。今度は上から撮り降ろしたものをご紹介します。この機関庫の中ほどに展望台が設けられていました。この展望台からはこのように機関車を見下ろすことができるのです。煙突の上に排煙器が見えますね。それにしても蒸気機関車は黒いので露出調整に悩みました。背景と明るさの差がありすぎるのです。最後の写真は火室です。この機関庫に置かれている蒸気機関車の大半はこのように火室を見ることが出来ました。次回は、この梅小路蒸気機関車館の構内を運行する、蒸気機関車牽引の列車、SLスチーム号の乗車した際の撮影分をご紹介いたします。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/30
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京都の梅小路蒸気機関車館レポートの続きです。時系列に行動をご報告すると、本館に入ったところで、SLスチーム号(乗客を乗せて数百メートル蒸気機関車が運転すると言う企画)の出発直前で、機関庫見学を後回しにしてSLスチーム号に乗り込んだのです。でも、いきなりスチーム号をご紹介するよりも、先ず機関庫をご紹介した方が施設を理解しやすいので、この部分は時系列と逆に確定レポートを進めていきます。いきなり自画像で恐縮です。この機関庫の紹介文ですね。大正3年の竣工です。この機関庫自体が重要文化財に指定されております。実際のところ、出来栄えも素晴らしく、保存状態も素晴らしいのです。失敗写真です。失敗写真しかなかったので、止む無く掲載しております。扇形機関庫につき物の転車台ですね。蒸気機関車には方向があります。タンク型蒸気機関車は本線上を逆送することも可能ですが、炭水車を付けたテンダ型機関車の場合は本線上を逆送することは出来ません。方向転換しなければならないのです。そんな事情もあって、蒸気機関車の機関庫には転車台がつき物だったのです。梅小路機関庫というか梅小路蒸気機関車館の記念撮影スペースです。団体さんはここで記念写真を撮影すると言う訳です。言い換えれば、この構図が一番絵になるのでしょうねえ。背景には転車台と扇形機関庫と機関車群…、いい感じでした。それにしても…、天候が厳しかったのです。この日は曇りを通り越して雨が降っていました。はあ…。青春18きっぷで雨に祟られたのは、第1旅程の信濃大町駅以来でした。カメラをちょっと左に振ってみました。正面の機関庫には機関車がありません。ここは修理や製作を行う場所のようです。沢山の機関車が、この空きスペースでレストアされたみたいです。もっと引いて、機関庫全体を射界に収めて見ました。右側にちらりと見えるのがSLスチーム号としてこの日に動いていた8620です。左側に屋外に留置されている動態保存機材が見えます。動態保存機です。C62-2が見えますね。奥にC61-2です。デフ板の燕マークが眩しいです。かつての日本の看板特急を牽いた看板機関車でした。物凄く有名なのですが、状態は悪く、とても本線上を走れる状態にはないと言われています。編成で保存されているC62-1です。ちょっと汚れています。ボイラーの太さが凄いですよね。この機関車が日本最大のボイラーを積んでいた機関車形式です。E10は同じサイズの釜を積んでいたので同率首位になるのだと思います。休憩室として使用されていた50系客車です。50系客車も完全に過去の存在になってしまいました。旧型客車を駆逐した憎らしい存在でしたが、民営分割前後に客車列車自体が消滅してしまい、殆どが廃車されました。ここがレストアスペースですね。次回か次々回にもう少ししっかり撮影したものをご紹介します。梅小路機関庫(梅小路蒸気機関車館)とはこんなところなのです。次回は機関庫内に展示されている蒸気機関車群をご紹介します。是非またお越しください。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/29
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今日はどこにも出かけませんでした。はあ。前回は岐阜駅前の怪しい区域の早朝の様子をレポートしました。岐阜を出発した後に、普通電車大垣行きに乗って、終点大垣まで西下し、大垣から米原行きの普通電車に乗り終点米原まで進み、米原からは新快速西明石行きに乗って京都まで進んで、京都で下車しました。京都タワーです。京都はやたらと通過する駅ではありますが、なかなか下車するチャンスが無くて…。このブログを始めてからも今日とはレポートしたことは無かったような気がします。現在の京都駅の駅ビルです。確か外国人のデザインでなかったかしら。コンペで選ばれる時にさんざん話題になったような記憶があります。京都市の景観に合う合わないという議論になったような気がします。 →間違いです。日本の事務所の作品でした。 →原田ミカオさん、ご指摘ありがとうございました。ここからバスに乗って、進みました。目的地は下に…。ここです。梅小路蒸気機関車館です。この建物自体は、山陰本線の二条駅でその昔使用されていた駅舎を解体移築したものだそうです。山陰本線は戦後も長く単線非電化で運用されており(今は福知山まで電化されている、いやいや城崎でも電車でした)、往時の面影はありませんけど、20年前くらいまではローカル色の強い線でした。早速入場料を支払い、中に進みます。投炭練習機です。こんなものはここに位しか残っていないと思われます。その昔の蒸気機関車は二名乗務でした。一名は操作弁を操り普通に運転します。もう一人は機関助手と言う職名で石炭を釜にくべて火力を調整するという役割でした。釜(というか火室)にどのように石炭をくべるかで出力(蒸気圧)も随分変わったそうです。そこでこんな練習機が作られたようです。ここで機関助手になろうと訓練を受けている鉄道員が石炭を放る練習をしたそうなのです。駅務室の展示ですね。タブレット閉塞設備などが飾られていました。その昔の駅員は運行に非常に深く関与していました。閉塞及びポイント操作が駅員の仕事だったからです。現在では閉塞は殆どの線区で自動閉塞になっていますし、ポイント操作もほぼ本線上ではCTC化が完了しています。駅員の仕事は運行関係から離れ、客扱と営業に重点が移ってしまいました。梅小路蒸気機関車館の全景のジオラマが飾られておりました。次回以降でご紹介しますが、梅小路蒸気機関車館はかつては梅小路機関区という山陰本線向けの機関区でした。扇形機関庫がそのまま保存されております。1975年に日本国有鉄道の蒸気機関車の営業運転が一旦終了する際に、何両かの蒸気機関車は動態で保存しようというお話が持ち上がり、この機関庫が動態保存する場所に指定されたというストーリーだったような気がします。1975年以降、何年かは国鉄の本線上からは蒸気機関車の姿が幹線に消滅するのですが、1979年より山口線で蒸気機関車運転が復活しました。C57の1号機が用いられたのですが、この梅小路で保存されていた車輌が使われました。右記の裏手に出ました。この先に元機関庫の設備があるのです。次回から何回かに分けて、梅小路機関庫及びここに保存されている蒸気機関車をご紹介いたします。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/28
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おはようございます。今週もどこにも出かけません。平和な週末です。これから理髪店に行ってまいります。今回はここをご紹介します。金津園です。でも営業時間中はとても写真を撮れる雰囲気じゃありません(恐いお兄さんに追われてしまう可能性があります)。今回は岐阜に午前5時台に到着したので、ほぼ無人状態でして、無事に撮影できました。岐阜駅側からみた金津園です。駅から数百メートル歩いていきますと、こんな感じが見えてまいります。東海道線に沿った道路に面した場所には、このような大人しい建物が並んでおりました。でも、奥に入るともっと激しい装飾の建物が登場いたします。入口付近にあった立て看板です。ちょっと恐ろしげな文面です。街の入口のお店ですね。スチュワーデスという名前でした。もちろん営業していません。早朝ですので。それにしても今時スチュワーデスとは…。古い古い呼称でございますね。こっちのお店は名前が新しいです。セントレアという名前でした。中部国際空港ですね。そうそういい忘れておりましたが、この金津園で営業しているお店は、殆どが、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(昭和二十三年七月十日法律第百二十二号)」の2条に定められている「性風俗関連特殊営業」のうちの「店舗型性風俗特殊営業」の一種で、浴場業(公衆浴場法 (昭和二十三年法律第百三十九号)第一条第一項 に規定する公衆浴場を業として経営することをいう。)の施設として個室を設け、当該個室において異性の客に接触する役務を提供する営業を行うお店でした。ずんずん奥に進んで参りました。看板の海です。看板に灯りが燈っていると絵になるんでしょうけどねえ。左側の建物の装飾が凄いです。もうお城ですね。岐阜市の一区画をレポートしました。どのような歴史的な経緯があったのかは分かりませんけど、岐阜市では岐阜駅の直ぐ近くにこのように特殊な浴場営業を行う店舗が密集しておりました。歴史を感じさせる街で、先ずは店名に漢字が多いし、建物自体も古そうです。ある意味では衰退を感じさせる雰囲気でもありました。このような歴史のある区画が長く存続することを祈らずにはいられませんでした。この区画の撮影を10分で切り上げ、更に西に進みました。次回は京都駅到着からレポートします。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/28
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26日は午後5時ごろから午後11時頃まで画像サーバが停止しておりました、すみません。GIFアニメを載せすぎるとサーバの動作が不安定になるようです…。前々回の瀬戸大橋でGIFアニメを多用してしまいました。これが表紙から消滅するまではGIFアニメは自粛します。はい。さて、今回から第4旅程です。暫定レポートをお読みいただいた方は既にご存知でしょうけど、行程をざっくりご紹介しますと…、 横浜からムーンライトながら91号(3週連続) 岐阜で下車して金津園を撮影 京都で下車して梅小路蒸気機関車館を撮影 SL北びわこ号に乗り損なう 目標を見失い関西地方をふらふら 讃岐うどんを食べたくなって高松へ 岡山まで戻ってムーンライト九州 博多まで進みリレーつばめで熊本へ →普通列車に飽きて個室グリーン 熊本から「あそ1962」で内牧へ 温泉と阿蘇神宮を楽しむ 阿蘇駅から「あそ1962」で熊本 博多まで進み、飛行機で東京へ青春18きっぷも4週めに入り、流石に行くところがなくなってきてしまいました。だんだん旅行の焦点が合わなくなって来てしまいました。初回は出発シーンをレポートします。最初の画像は横浜駅の出発案内板です。この日は横須賀方面に出かけていて、根岸線で大船からふらふらと横浜まで戻り、日付が変わったところで入場しました。横浜駅を0:07に出発する各駅停車小田原行きです。この列車はムーンライトながらに先行して小田原まで行く列車です。ムーンライトながらやムーンライトながら91号の指定券を入手できなかった青春18きっぷユーザーはこの普通電車で小田原まで行き、小田原から先はムーンライトながらの自由席に乗るのです。そんな訳で、写真からは読み取りにくいですが、長距離客らしい、荷物が大きなお客がそこそこ乗っています。もちろん、自由席では座れません。名古屋まで夜通し立って乗車するという苦行に耐えられる真の旅人達です。私にはそんな真似は出来ませんけど。続いて定期列車のムーンライトながらを見送ります。漸く私が乗るムーンライトながら91号が入線しました。189系の夜行快速には4週連続で乗車することになりました。はー。もう飽きてます。ムーンライトながら91号は前のレポートでかなりネチーっとご紹介したので割愛します。5時間30分後、ムーンライトながら91号は岐阜駅に到着しました。発作的に降りてしまいました。流石に3週連続でこの列車に乗ると、終点大垣まで乗る気が起きないのです。岐阜駅到着はこんな時間です。6時前なのです。名鉄岐阜市内線廃止後の岐阜駅です。寂しい感じです。逆サイドです。こんな親水空間がこしらえてありました。岐阜駅を後にして、岐阜駅近辺の妖しげな区域に向いました。6時前の早朝ですので、怪しいお店も営業していない筈ですので、撮影しておこうと思い立ったのです。次回は、営業時間外の岐阜の怪しい場所をレポートします。【第4旅程の暫定レポートへのリンク】【出撃】青春18きっぷ第4弾に出かけます。【暫定】根岸線山手駅【暫定】東海道線平塚・小田原間 【暫定】東海道線岐阜・西岐阜間 【暫定】梅小路蒸気機関車館【暫定】東海道線山科駅 【暫定】山陽本線岡山駅 【暫定】予讃線高松駅 【暫定】山陽本線下関駅 【暫定】鹿児島本線大牟田駅付近 【暫定】観光列車・あそ1962 【暫定】豊肥本線内牧駅 【暫定】豊肥本線宮地駅【暫定】鹿児島本線熊本駅 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/27
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最初の画像は前回の積み残しです。快速「瀬戸大橋トロッコ2号」の下面展望台の様子です。瀬戸大橋ではこんな感じの見栄えになります。海面からの距離があるので結構恐いのです。今回で第3旅程を終えます。長くて楽しい旅程も、最後の方は…。最初の画像は、瀬戸大橋トロッコ2号の終着駅の茶屋町駅での撮影分です。特急「しおかぜ」の8000系電車です。JR四国は結構突っ張ったデザインが多いんですよね。割と好みです。こっちは快速マリンライナーです。岡山=高松間をガンガン走ります。先頭車(高松方)は2階建て指定席&グリーン車という構成です。残りの車輌は223系です。JR西日本の新快速みたいな感じの車内です。マリンライナーのエンブレムです。どっちかというと岡山色が強いですねえ。こんなものを撮影したあとに「快速・瀬戸大橋トロッコ1号」で宇多津に戻りました。再び四国に戻ったのです。この区間の写真はトロッコ2号と殆ど変わらないので省略します。それにしても2号が先に走って、折り返しが1号というのは違和感をぬぐえないですねえ。宇多津から坂出まで乗車した各駅停車高松行きです。6000系電車でした。JR四国は列車形式名を数字だけにしています。なんか違和感ありますねえ。まるで私鉄みたいです。坂出からはマリンライナーで岡山に出ました。この区間の写真は余り面白くないので省略です。岡山駅前です。いつ見ても、この丸い噴水はなんとも言えない迫力があります。岡山から姫路まで贅沢して新幹線に乗ってしまいました。JR西日本でした走っていない、ひかりレールスターです。車内は快適です。お金が余っていれば、このまま新大阪まで出るのですが、青春18きっぷを使っているので、姫路で下車し、以降はずっと在来線を走りました。姫路駅から撮影した国宝姫路城です。日本の城は先の大戦の空襲で殆ど焼かれてしまいました。姫路城は数少ない「再建ではない天守閣」を持つ城なのです。ここからは余りにも退屈な在来線移動です。もう全然写真を撮る気分になりません。退屈な割に電車は混雑しますので、乗り換えのタイミングでも撮影する気分に全然なれません。姫路から米原まで、JR西日本の新快速にえんえんえんと乗りました。やることも無いので、長い暫定レポートを書いておりました。米原で乗り換える最中に撮影した419系です。この形式も間もなく消滅しそうですね。元は583系寝台特急でした。フォルムは寝台特急電車のままですが、ローカル線の通勤電車です。米原から浜松まで、この特別快速にえんえんえんえんと乗りました。この新快速が混んでいたのです。JR西日本の新快速は10両くらいの長大編成でした。しかし、米原からのJR東海の特別快速は4両しか繋いでいませんでした。皆が座れる訳がありません。私はたまたま座れましたが、座れなかった人は、浜松まで3時間立ち放しでした。ご愁傷様でございます。この後に浜松で普通電車に乗り換えて静岡に進みます。流石にこの普通電車では座れませんでした。全然楽しくない乗車でした。静岡駅に到着した時には完全に日没です。姫路から既に6時間電車に乗ってます。もうフラフラでした。でもまだ静岡なのです。東京まで200キロも残っています。静岡から東京まではこの電車で移動しました。普通電車東京行きです。ムーンライトながらの「送り込み」電車です。ムーンライトながら(東京=大垣を走る定期夜行快速電車)は静岡の車輌を使います。静岡から東京まで普通電車として運行し、折り返して、快速ムーンライトながらになるのです。車内はこのような特急車輌です。特急としては、「富士川」とか「東海」として使われています。新しい特急だけあって、非常に快適な車内です。でもでも、所詮は普通電車なのです。東京まで3時間もかかりました。はー。 普通電車東京行き発車アナウンス(音声)折角ですので、発車アナウンスをご紹介します。特急だと、始発駅から最初の出発駅までそれなりに距離があるのでたっぷり3分くらいアナウンスするのですが、普通電車ですので、始発の静岡駅から次の駅の東静岡駅までの駅間が短いのです。アナウンスも短めです。こんな感じで第3旅程を終えました。長かった…。帰りの快速と普通電車の乗換えが…。第3旅程の最終回ですので、第3旅程の題名を載せて置きます。次回から最後のパートの第4旅程に入ります。(70) 第3旅程の始まり(71) 名古屋から関西本線で亀山へ(72) 津駅で列車を待つ間に撮影した画像(73) 紀勢本線津駅から多気駅まで(74) 紀勢本線特急ワイドビュー南紀で多気から新宮まで(75) 紀勢本線の車窓(76) 紀勢本線関係の切符の券面のご紹介(77) 紀勢本線関係の続き~JR西日本の各駅停車~(78) 紀勢本線関係~太地駅その1~(79) 紀勢本線関係~太地駅その2~(80) 紀勢本線関係~105系電車の車内~(81) 紀勢本線関係~太地駅から串本駅までの車窓その1~(82) 紀勢本線関係~太地駅から串本駅までの車窓その2~(83) 紀勢本線関係~太地駅から串本駅までの車窓その3~(84) 紀勢本線関係~串本駅と白浜駅~(85) 紀勢本線関係~白浜駅での昼食~(86) 紀勢本線関係~きのくにシーサイドの外観~(87) 紀勢本線関係~きのくにシーサイドの豪華な内装~(88) 紀勢本線関係~きのくにシーサイドの豪華な客席など~(89) 紀勢本線関係~きのくにシーサイドとのお別れと和歌山駅~(90) 奈良県内の移動~和歌山線・関西本線・奈良線~(91) ムーンライト高知・松山!(92) ムーンライト高知・松山のスペシャルな内装!(93) 土讃線阿波池田駅にて(94) 土讃線始発上り列車(95) 土讃線坪尻駅など(96) 土讃線琴平駅(97) 高松琴平電気鉄道琴電琴平駅(98) 臨時快速瀬戸大橋トロッコ号の入線(99) 臨時快速「瀬戸大橋トロッコ2号」出発進行!(100) 予讃線多度津駅での車輌撮影(101) 瀬戸大橋を渡る「快速・瀬戸大橋トロッコ2号」(102) 第3旅程の終り(動画8) 快速みえ51号・キハ72気動車・多気駅 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/26
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体調悪いです。コメントにお返事もせずにすみません。今回は瀬戸大橋通過をレポートします。今回レポートするのは…、瀬戸大橋です。前回は土讃線と予讃線の分岐駅の多度津までレポートしました。この多度津から予讃線を東に進み宇多津に参ります。ここが分岐駅です。宇多津から東に行くと高松、北に行くと岡山なのです。宇多津駅を出発するところですね。四国で最後の駅です。さよなら四国…。間もなく進行左側に瀬戸大橋の基部が見えてまいりました。ここが分岐点です。岡山から南下して瀬戸大橋を通った列車はここで三角形の分岐点を越えて、西行きの場合は宇多津、東行きの場合は坂出に着くのです。武蔵野線と京葉線の分岐点に似てますね。列車はバンバン高度を上げていきます。こんどは高速道路と合流します。さあ、橋に入りました。合流部を通過するときの動画です。四国側の橋の袂です。工業地帯なんです。列車は高速道路のしたに潜っていきます。この辺から本格的に本四架橋部に入ります。橋を走っている時の前方視界はこんな感じです。頭上に高速道路があるので余り開放感はありません。で、橋を渡り終わり、再び地上におります。本州の最初の駅に到着します。これで、瀬戸大橋はお終いです。児島駅です。駅名板をご覧下さい。深い青です。もうここはJR西日本の世界なのです。そして、この列車「瀬戸大橋トロッコ2号」の終着駅の茶屋町駅に到着致しました。以上で、瀬戸大橋をわたるレポートをお終いにします。この後、今度は「瀬戸大橋トロッコ1号」で宇多津に戻り、予讃線を坂出に進み、更に本四備讃線を北上し岡山経由で東京に帰るのです。次回は、残り全部を駆け足でご紹介して、第3旅程のレポートを終えます。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/25
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とうとうこのシリーズも100回目になってしまいました。これまでの最高の回数は昨年の夏の海外旅行3連発をご紹介した、notoshunの夏休みだったのですけど、遥か昔に更新してしまいました。この青春18きっぷシリーズの日数は8日なんですが、撮影的には非常に濃い8日だったと思います。さて、今回は多度津で撮影した鉄道写真をご紹介します。形式写真チックな構図も多いのですけどお許しを。先ずは今回のメインディッシュのキクハ32の雄姿からです。琴平では端のホームに停車していたので、対向ホームから撮影できなかったのですが、多度津では真中のホームに停まってくれたので対向ホームから足回りを入れてばっちり撮影できました。キクハ32のヘッドマークです。こちらはキハ185のヘッドマークです。デザインが共通しつつも丸型と角型を使い分けてます。いい感じです。キクハ32の側面です。トロッコだけあって、形状には微妙な手抜き感が漂います。一方でペインティングには気合が入っています。トレーラーですので、床下機器が妙に少ないですね。お次はキハ185の側面です。国鉄末期に登場した形式で、JR移行後の特急気動車と比べると走行性能が見劣りするので、九州でも四国でもあっという間に看板特急からは排除されていきました。まあ、九州では真っ赤に塗られて九州横断特急として運行されていますけど…。留置線に停まっていたマヤ34です。事業用車輌ですね。側面に高速軌道試験車と記載されています。かなりボロボロになっています。現役なのかしら…。留置線に停まっているキハ185です。JR四国の標準塗装ですね。2000系高速気動車に追い立てられ一線からは外れつつありますけど、まだ特急に入っています。再び「瀬戸大橋トロッコ号」に戻ります。キクハ32の側面に描かれたエンブレムです。最近のJRの車輌にはエンブレムを入れるケースが多いです。結構貯まってきましたので、エンブレム図鑑でも作ろうかしら…。今度はキハ185です。方向幕は「臨時」でした。多度津にはひっきりなしに列車が入ってきます。トロッコと普通電車琴平行きです。ダイヤ上はこの駅では邂逅出来ないはずだったサンライズが入ってきました。285系寝台特急電車です。重そうな編成が堂々と入線してきました。車号です。サロハネという文字が新鮮です。多分285系でしかお目にかかれない形式でしょう。この寝台特急電車もあっさりと出発してしまいました。連続写真で撮影しているのでGIFアニメにしようかとも思ったのですが、最近はGIFアニメを多用しすぎてサーバの負荷が大きすぎるので、今回は止めて置きます。今度は2000系気動車の南風が入線してきました。乗客を降ろしてあっさりと岡山方面に走り去っていきました。私が乗っていた瀬戸大橋トロッコ2号はこの特急に追い抜かれるのを待っていたのです。そろそろ出発です。多度津の鉄道施設です。蒸気機関車向けの給水塔が残っていました。でも残念ながら、JR四国は動く蒸気機関車を保有していないのです。昔はJR西日本の蒸気機関車が四国に来たみたいですが、最近は余り聞きません。次回は予讃線を通過し瀬戸大橋に入るところまでご紹介します。そろそろまたGIFアニメを使ってみようかな…。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/24
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臨時快速「瀬戸大橋トロッコ2号」茶屋町行きのご紹介を続けます。列車は定刻通り8時13分に琴平を出発しました。我ながら良く乗るもんです。 瀬戸大橋トロッコ2号出発(音声)出発アナウンスです。心なしか車掌さんのアナウンスも楽しそうに聞こえます。観光列車は車掌さんや運転士さんも仕事を楽しんで貰わないと盛り上がりません。この車内アナウンスで、多度津に15分も停まることを初めて知りました。やはりコンパクト時刻表じゃだめですねえ。大判時刻表で予習をしていれば当然把握できた情報なんですが…。最初の画像は車内で配布される乗車証です。検札の際に車掌さんが一枚ずつ配布していました。これが配られると、いやでも、観光列車っ、という雰囲気が出てきます。今まで何枚も乗車証明を貰いましたが、今のところ一番思い出に残っているのは、JR東日本盛岡支社が運行していた臨時快速「秘境駅号」の乗車証明です。年に3日くらいしか運転されない希少列車なので非常にありがたみがあります。走行中のトロッコの車内です。車窓が流れて、車内がピシッと止まっている画像を目指したものの、車窓も止まってしまいました。汗っキクハ32の扉です。妙に安っぽいのです。土讃線内を走行中は暑いので大半のお客さんは冷房の効いたキハ185の中で涼んでました。そういう理由でキクハ32の車内はガラガラでした。しかし、これが瀬戸大橋に入ると人だらけでとても前面射界は確保できません。下面展望台も土讃線内では全然人気がありませんでした。電化されているとは言え、単線です。実に長閑な雰囲気の路線をゆっくりと進みます。キハ185一両で23トンもあるトレーラーを引いているので加速も良くありません。座席表示です。この列車は非常に変わっていまして、座席番号は4Aとか2Cと決められているのですが、号車は指定されていません。つまり、1号車の4Aと2号車の4Aの好きな方を使用できるのです。一枚の座席指定券に2席の割り当てという訳です。初めて見ました。長閑な田園地帯を進みます。温暖な四国らしく稲作ばかりでした。温暖ではありますが、四国は農業用水の確保がそれなりに難しかったかなあ…。大昔に学習漫画で弘法大師と満濃池のストーリーを読んだ覚えがあります。左から予讃線の線路が迫ってきて、合流していきます。予讃線に入ると次の停車駅の多度津はもう直ぐです。多度津では15分停車しました。この多度津では力の限りシャッターを切りつづけたのです。たかが15分と言うなかれ、結構収穫がありました。次回はこのシリーズの100回目の記念号として、多度津で撮影した車輌写真をしつこくご紹介します。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/24
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やっとこの第3旅程の目玉列車をご紹介できます。その名も臨時快速「瀬戸大橋トロッコ号」です。これまた変わった車輌が使われている列車でした。先ずは編成写真からご紹介いたします。多度津方から琴平駅に入線してきました。妙な形式です。キクハ32という形式です。気動車との併結を前提に作られたトレーラーです。キクハという形式は非常に珍しいです。なお、信じられないかも知れませんが新造車です。台車は再利用だそうですけど…。ヘッドマークです。専用車輌化している感じがしました。車号表示です。この列車は2両編成で、キクハ32-502とキハ185-26のコンビでした。動力はキハ185にしかありません。キハ185の所属表示です。高松の所属ですが、全般検査は多度津で受けているようです。キクハ32の所属表示です。所属はやはり高松運転所(四カマ)ですが、全般検査が渋いです。新潟トランシスですって…。初めて見た表示です。元の新潟鉄工所の筈ですがメーカーが全般検査をやっているんですね。車輌写真を撮るチャンスは始発の琴平しかないと思い込んで撮った前面写真です。実はこの後に多度津で延々と停車したので、別にここで撮らなくても良かったのですけど…。キクハ32の側面です。複雑な模様がペイントされています。この色は渋い…。米陸軍の戦車みたいな色でした。車内です。トロッコ風の木製の内装でした。不燃化対応は大丈夫なのかしらん。こんなスペースが設けられていました。床がガラス張りになっていて、下が見えるんです。瀬戸大橋は二段構造になっていて、上が道路で下が鉄道なんです。だから鉄道からの車窓は今一つなんですが、下を見ると遥か下に海面が見えて迫力があるのです。キクハ32の運転台です。非常にシンプルです。この辺は昔ご紹介したノロッコ号とかきのくにシーサイド号なんかと共通します。こちらはキハ185の客室の様子です。出荷時設定風でした。運転台は半室にされていて、前方視界を確保していました。こういうところは観光列車風です。キハ185のトイレ&洗面台です。これは普通でした。この列車で土讃線を多度津まで進み、予讃線に入り、宇多津から本四備讃線に入ります。次回は土讃線部分の走行をご紹介します。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/23
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今回は琴平で時間が余ったので撮影にいった琴電琴平駅の分をご紹介します。先ずは巨大な行灯みたいな奴が迎えてくれます。この向こうに琴電琴平駅がありました。これが駅舎です。鉄筋SRCの上に和風の屋根が載っている様式です。帝冠様式風でした。ちょっと引いて撮影してみました。大行灯との位置関係がよくわかると思います。川沿いに走る路線なのです。同じく川を入れてシャッターを切ってみました。右側に車輌が見えると思います。京王電鉄にいた5000系だったものですね。近づいて見ました。懐かしいフォルムです。こっちは元京浜急行の車輌でございますね。こんな画像を撮影しているうちに、瀬戸大橋トロッコ号の入線時刻が近づいてきました。早々に琴平駅に戻ったのでした。次回はいよいよこの第3旅程の目玉列車の瀬戸大橋トロッコ号をご紹介いたします。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/23
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さくさく更新を続けます。土讃線の始発列車の終点の琴平駅に到着したところまでレポートしました。今日はJR土讃線琴平駅での撮影分をご紹介します。これが琴平駅舎です。結構古そうな駅舎でした。多分大正時代の作品だと思います。この駅舎は西に向いていました。つまり、朝方は厳しい厳しい逆光だったのです。駅前の光景です。参道って感じがしますよね。というかそういう演出ですよね。琴平神社のお膝元らしい演出でした。そう言えば、瀬戸大橋トロッコ号の切符を仙台で買った時に駅員が「こんぴら」と読むのですが、と言っていました。ことひらが正解です。駅前のモニュメントです。C58の動輪が飾られていました。四国の鉄道は丸亀=琴平で始まったのです。その割には琴平にはもう鉄道設備は残ってません。北海道最初の鉄道の手宮線のように廃止されてはいないので、幸せと思わねばいけないのかも知れませんね。待合室です。天井の形状を見ただけで古い駅舎と分かるんですけど、レトロ風の演出は遠慮しているみたいです。瀬戸大橋トロッコ号の出発ホームの案内です。構内で撮影した、普通電車多度津行きです。信じられないかも知れませんけど、なんと琴平は電化されているのです。土讃線を電車が走っていました。時代は変わりました…。最後の一枚は特急です。高知行きの南風が停車しているところです。四国の特急気動車の外観は味気ないですねえ。九州の多彩さと大違いです。琴平駅では瀬戸大橋トロッコ号の出発待ちで40分ほど待ち時間が生じました。この間に琴電を見に行きました。乗りませんでしたけど…。次回は琴平電鉄の琴平駅での撮影分をご紹介します。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/23
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今回は土讃線を北上した時に撮影した画像をご紹介します。最初の駅は坪尻です。駅名プレートです。D18とかD19という文字が見えます。これは日本語が分からない外国人にも鉄道を利用しやすいように全ての駅にナンバーを振っている記号です。韓国ソウルの地下鉄や東京メトロなんかもやっています。坪尻駅舎です。この駅舎の中に、駅寝している人が居ました。この坪尻駅は列車交換設備を持つ駅ですが、配線が変わっています。本線から盲腸のように行き止まりの分岐線が出ていて、ここで待避します。本線に戻る時にはスイッチバックするのです。退避中はこんな姿になりました。対向列車が通過して行きました。対向列車も単行のキハ54でした。早朝なのでまだ特急はここを走っていないのです。出発時に撮影した運転席からの風景です。待避線と本線の高低差が大きいです。なんでこんな作り方にしたのでしょうか…。建設時の蒸気機関車の登坂加速力の限界があったのでしょうか…。次に長いこと停まった讃岐財田駅です。結構駅舎は古そうです。これなら横見さんも納得しそうです。更に進みます。塩入駅です。ここも駅舎は古いのです。土讃線の高知・徳島県境付近は結構古い駅舎が散在していました。非常に小さな屋根の待機スペースがあります。こんなんで雨を防げるのかなあ…。時間があったので、車体脇に取り付けられたプレートを撮影しておきました。これはアンパンマンでした。車体前面中央には骸骨でしたけど。この塩入で始発の特急の「しまんと」とすれ違いました。日の出直後の暗い環境で速い列車を撮影したのでフォルムが微妙にぶれております。終点琴平は間もなくです。最後の画像はキハ54の客室です。乗客がいたのでなかなか撮影するチャンスがなく、終点の琴平での撮影になってしまいました。車体の先頭から最後尾までぶっ通しのロングシートでした。ある種、異様な感じを受けました。次回は琴平駅周辺での撮影分をご紹介します。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/23
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久しぶりに国内旅行に行ってきて大変満足して帰ってきました。松山があれほど鉄的に色々ある街とは…。呉にあれほど旧海軍関係の遺跡が残っていたとは…。確定レポートを作るのが楽しみです。しかし、その前に、もう一つの四国レポートの完成を急ぎます。さて、前回は、臨時夜行快速「ムーンライト高知」で土讃線の阿波池田駅に到着したところまでをレポートしました。今回は阿波池田駅から延々と琴平駅までお世話になった始発の普通列車をご紹介します。しかし、その前に、阿波池田駅で撮影したキハ58の画像を少しご紹介して置きます。客室内部の様子です。流石に出荷時からは変わっています。座席の一部はロングシート化されていました。所属表示も機関車みたいな表示になっていました。これは他の会社では余り目にしない表示方法でした。SSと書かれています。書体や位置からみて保安装置の表示と思われますが、ATS-Bの表示がありません。ATS-Bを積んでいないのかしら。四国の路線図が掲げられていました。普通は広告スペースとして使うのですけど…。広告の申込みが無かったのかしら…。さて、実際に私が乗ったのはこの車輌です。車号はキハ54-11でした。単行でした。キハ32と同様にバス臭い形式で余り好きではないのです。ヘッドマークはアンパンマンに出てくる悪役キャラみたいです。私はバイキンマンしか知らないのです。名前不肖の骸骨でした。運転台です。妙にクラシックなスタイルです。JR発足以降の車輌なのかしらん。乗務員グッズです。始発のせいか、量が多いのでした。この列車で土讃線をゆっくり北上しました。途中で鉄子駅(坪尻)に立ち寄ることになります。次回は土讃線の様子をご紹介します。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/23
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江田島から無事に帰宅しました。松山は素晴らしかった…。非常に満足です。伊予鉄道は素晴らしかったあ…。京王の5000系にまた邂逅出来ましたし。呉にあれほど見るところがあるとは知らずに、結局呉鎮守府も海軍墓地も見ずに帰ることになりました。また行かねばなりません。なかなか濃厚な旅行に仕上がりました。準備不足でしたが、食い足りないと言うことは全然ありませんでした。
2006/10/22
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広島空港から羽田空港へ定刻通りに到着しました。さすがはANAです。こう言うところがNHの良いところです。某元半官半民航空会社よりも定時性に優れるのです。これから暫くは電車の中でやることもないので、旅程総括を続けます。今朝は6時過ぎにネットカフェを後にして、伊予鉄道市内線で松山市駅前に出て、高浜線に乗って終点高浜駅まで進み、さにバスで松山観光港まで行きました。松山から呉までの船はフェリーと高速船の2種類あります。結構値段に差がありました。私が乗ったフェリーは2150円でしたが、高速船は4千円以上しました。この価格差に痺れてフェリーを選んでしまいました。余り眠れていないので、フェリーの中ではおとなしくしていました。呉港に着いた時点では何をするか全然決めていない状態だったのですが、港のすぐ近くに大和ミュージアムがあったので、まずここに入ろうか、と思ったのですが、ミュージアムの入口で呉港内クルージングのチケットを売っておりまして、待ち時間も10分なので、乗ることにしました。所要時間35分で千円でした。甲板に出られないタイプの高速船なので、写真撮影には厳しい環境でしたが、ボランティアガイドさんの説明を聞けたので千円の価値はありました。太田少将の家が残っていることなど、ガイドさんの説明で初めて知ったこともたくさんありました。港内巡りが済んだところで、遅い朝食を摂りました。弁当です。その名も『大和最後の戦闘配食』です。おにぎり2個とタクアンで500円とちょっとお高めの価格設定でした。食べ終わったところで、大和ミュージアムに入場しました。戦艦大和の10分の1の模型のデカさに痺れました。1億円の模型です。これ以外の実物展示は零戦〔62型!〕、回天、等でした。開館が遅い博物館ですので、既にめぼしい遺物は他のところで展示されていますので、こう言う面では弱いのでした。遊就館とはかなり差があります。それにしても、大和ミュージアムは人気がありました。展示物を見づらいくらい混んでいました。また、この大和ミュージアムの横には、海上自衛隊の潜水艦が陸揚げされておりました。来年の4月には潜水艦内部の公開を始めるそうです。大和ミュージアムの次には江田島の旧海軍兵学校を訪れることにしました。時間切れです。続きは確定レポートでご紹介します。
2006/10/22
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江田島からフェリーで呉港まで戻り、更に徒歩でJR呉線呉駅に来ています。呉線呉駅って字数が少ないですよね。なんか面白いです。画像は呉駅のモニュメントです。まあこういうデザインは有り得るでしょう。この呉駅から広島空港行きのバスが出ていますので、直接空港に向かうことにします。さて、恒例になりかけている、帰路途上での旅程総括に入ります。今回の旅行は割といい加減に空路だけを押さえ、ランド系の手配は何もせずに出発しました。夏の青春18きっぷ以来、宿泊の手配すら行わず出動すると言う悪い癖がついてしまったようです。まあ、とりあえず松山空路まで移動したのですが、これもいい加減で最終便の予約で発券して、起きたら空港に行って、当日前便変更すればいいや、と気楽に寝たら、起きられませんでした。土曜日の起床時刻は午前10時でした。キャンセル待ちで並んで12時15分に乗り込みました。これも結構危なかった…私より2人後で切れてしまいました。松山空港からバスで松山駅まで出て、観光案内所で坊ちゃん列車に関して情報収集し、運行区間やダイヤの全貌を把握しました。15時頃の古町発道後温泉行きを狙うしかないと言う結論に達し、市内電車の一日券を購入し、早速古町に移動しました。この市内電車の運転系統が結構複雑で、環状線から4本の支線が延びる路線を7種類の系統の電車が走るというものでした。古町駅には坊ちゃん列車に先行する電車でたどり着き、坊ちゃん列車の機関車の切り離し、機関車の転回、客車の移動〔人力でした〕、機関車の連結までしっかりと撮影しました。非常に満足でした。そのまま坊ちゃん列車で道後温泉に進み、道後温泉駅での折り返し作業も撮影した後に、国の重要文化財に指定されている神の湯〔道後温泉本館〕に行きぼけ~っと湯に浸かったのでした。ちょうど日没時に差し掛かり、観光施設にも行きにくい時間でしたので、大街道や松山市駅前などの繁華街を歩いて時間を潰しました。そして、日没後に道後温泉に戻り夜間撮影に取組みました。 夜間撮影の後に、道後ミュージックという興行場に入場しました。これも予定の行動ではなく、いきあたりばったりの決定でした。この種の興行を見るのは数年ぶりのことでした。温泉街で見るのは初めてでした。踊り子さんが足に指輪を着けていたり、臍や舌などにピアスを着けていたのが非常に印象的でした。出演者は全部で3名で、技術レベルも高く、ついつい出演者のポラロイド写真を購入してしまいました。昨日のベストプレーヤーは栗鳥巣さんでした。大昔に見た炎のパフォーマーようこさんを思い出しました。これが終わったところで、JR松山駅前のネットカフェで夜を明かしたのです。最近好きになった漫画の『着せ替えユカちゃん』を1巻から最新の8巻まで読めました。これまた満足でした。搭乗が始まったので、旅程総括はここで打ち切ります。続きは確定レポートでご報告いたします。
2006/10/22
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江田島の旧海軍兵学校に来ております。画像は大講堂の演壇です。海軍兵学校時代には天皇陛下の名代の宮様が卒業式に臨席していたので、玉座があったそうです。現在は海上自衛隊の第一術科学校や幹部学校として使用されています。戦前の伝統を非常によく残していました。なんでもかんでも旧海軍の伝統でした。先の大戦での敗北に対する軍事的反省が十分なのかなあ…。発足時点から旧陸軍時代の敗北への反省が徹底している陸上自衛隊と対照的でした。ちなみに現役の軍事施設の見学ですので、予め指定された時間に催行されるガイドツアーに参加するしか入る方法はありません中々の盛況でした。
2006/10/22
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今度は呉から江田島に移動中です。旧海軍兵学校を訪れるつもりです。残念ながら雲ってきています。
2006/10/22
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大和ミュージアムに来ています。物凄く混雑してます。大した人気でした。画像は10分の1の戦艦大和の模型です。ここに来る前に呉港内クルージングに行って来たのですが、艦船の数が少なかったのでした。日本周辺の緊張が高まっているため、出動中のものが多いようでした。
2006/10/22
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呉港入港のアナウンスが流れました。間もなく上陸です。日本を代表する軍港だけあってたくさんの軍艦が見えます。
2006/10/22
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<22日記載分>いよいよ本州に向けて出発します。乗船した船は四万十丸です。松山発呉経由広島行きです。この松山港は結構発着が頻繁で広島方面以外にも門司行きや小倉行きなどの九州方面や大阪や神戸などの関西方面が出ていました。さて、出港時刻です。呉までの2時間弱のクルージングです。
2006/10/21
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<22日記載分>おはようございます。今朝はJR松山駅近くのネットカフェを出発し、市内電車で松山市駅前まで移動して来ました。これから伊豫鐵道の高浜線で松山観光港へ行きます。瀬戸内海を船で渡って本州へ移動します。今日もいい日になりそうな予感がします。
2006/10/21
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夜の道後温泉を堪能しています。ライトアップされている建物も多く、夜間撮影の成果も中々のものです。坊ちゃん列車も運行されていないときは、この道後温泉駅の前に留置されてライトアップされていました。夜の道後温泉駅を撮影したものを掲げて置きます。判りにくいですが右下に坊ちゃん列車がいます。携帯電話で撮影した画像で酷いできですが…。確定レポートを作るときに美しい写真をご紹介します。この写真を撮影した後にある種の興行場に行って参りました。下はその興行の出演者名です。 ★姫奈子 ★栗鳥巣 ★あずみゆう詳細は別途ご紹介致します。
2006/10/21
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道後温泉本館へ来ています。明治の建物の温泉です。入浴料金は400円でした。いやあ、疲れが取れました。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/21
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伊豫鐵道古町駅に来ています。坊ちゃん列車に乗るためです。この古町駅で坊ちゃん列車は折り返しを行いました。機関車転回作業を最初から最後まで目に出来ました。大満足です。これより坊ちゃん列車を始発から終点まで乗り潰します。
2006/10/21
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全日空589便で松山空港まで移動して来ました。最近は日本航空ばかり利用していましたので、みんな新鮮です。機材は772のインター機材でした。キャンセル待ちでの搭乗と言うこともあり、ビジネスクラスがアサインされました。この前の熊本便でファーストクラスはすでに経験済みでしたので、かえってラッキーでした。それにしてもNHは美人揃いでした。グラスタも客乗もブリッジ係員まで美人揃いでした。ドキドキしてしまいました。某日本航空とは大違いでした《失礼!》。まあ髪型の規制の違いなんでしょうけど。空港からはバスで松山駅前まで来ました。いよいよ市内を歩き回ります。先ずは市内電車を攻めます。画像はJR松山のみどりの窓口です。レトロデザインでした。
2006/10/21
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この前から楽天ブログは一日当たりの投稿数の上限が5通から50通に拡張されております。旅先からの暫定レポートを送る際に投稿数上限を意識しなくても良くなった訳です。これに合わせて携帯電話の電池も買い増しました。もう遠慮なく暫定レポートをアップロードします。さて、今は羽田空港の第二ターミナルでのたくっております。全日空のシグネットラウンジにいます。驚いたことにこのラウンジではキューサイの青汁がサーブされていました。コマーシャルに嘘はありませんでした。まずかったぁ…。
2006/10/21
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久しぶりの国内旅行に出かけております。今週の目的地は松山と広島です。例によって準備不足っぽく、旅先情報を全然調べていないのですが、地元の観光案内所などを頼って、楽しんで参ります。ちなみに写真は空港に向かう途中で目にしたHDCPバッセンジャーの乗降風景です。早業でした。流石はJR東日本でした。
2006/10/21
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前々回と前回を使って、夜行臨時快速のムーンライト高知・松山をレポートいたしました。今回はこのムーンライト高知・松山を下車した土讃線の阿波池田駅からレポートを再開します。阿波池田に到着したところです。ここで乗務員の交代が行われていました。まだ6時前です。暗い雰囲気でした。前回ご紹介したカーペットカーの側面です。結構ぼろっちくなっているのです。いつまでもつかなあ…。四国の観光名所の祖谷渓や大歩危渓はこの駅の近くにあるのでこんな看板が飾ってありました。ちなみに高校野球で有名な池田高校もこの近くにあります。観光名所蔓橋の模型です。これが駅舎です。可愛い小さい駅舎でした。改札付近です。もちろん自動化されていません。昔風の良い雰囲気が出ていました。漸く夜明けです。この阿波池田駅から今度は普通列車の琴平行きに乗って土讃線を逆に多度津方面に進みます。しかし、普通列車の発車まで1時間近く時間が空いてしまいました。阿波池田構内に留置されていた列車群です。四国に来たなあという感じがしますよね。どの列車にもアンパンマンヘッドマークが取り付けられていました。同じく阿波池田駅に留置されていて車輌です。キハ58です。これまた懐かしいです。阿波池田駅は土讃線と徳島線の分岐駅でもあり、また土讃線の運転系統の境界駅でもあります。鄙びた街の駅なのですが、鉄道施設は充実していました。始発の高知行き普通列車です。6時台に一斉に始発列車が発車します。キハ58でした。キハ32も居ました。あまり好きになれない形式なんですけど。バス臭過ぎるのです。ホームには洗面台がありました。昔風ですよね。昔はたくさんの夜行列車がこの駅を通り過ぎて行ったのでしょうねえ。今回はこのくらいに致します。次回は、普通列車琴平行きをレポートします。これが意外にも楽しめる列車だったのです。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/20
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今晩も続いて更新します。前回はムーンライト高知・松山の外観や車号をご紹介しました。今回は車内をご紹介します。でも、その前に発車アナウンスをお聞きください。定番アナウンスでした。汽車旅行らしい雰囲気が出ておりました。 ムーンライト高知・松山号(音声)私が乗ったハザの14系客車です。なんとなんと驚くなかれ、出荷時設定の14系ハザです。簡易リクライニングシートでした。とっても懐かしくて嬉しいのですが…、眠れませんでした。ショボーン。こちらは改造12系客車のロザです。素晴らしいシートですけど、窓は二段窓のままでした。うわあ、12系と言う感じでした。改造12系とは思えない素晴らしいシートでした。1-2配列なのでゆったりです。全席毛布完備で読書灯付でした。残念ながら指定席グリーンには青春18きっぷでは乗車できません。はー。ここに座りたかった…。更衣室もついておりました。素晴らしいです。しかし目玉車輌はもっと凄いのです。今回の表題を「スペシャル」としたのは何も尊敬する横見先生の真似をしただけではないのです。ドーン。カーペットカーです。ここのほかでは青森札幌間の夜行列車に残っていますが、随分珍しくなりました。一枡四名の配置でした。何となく青函連絡船の二等船室を思い出しました。この桝席は指定席なのです。枕もとの座席指定表示が間抜けです。そもそも座れないので座席とは言わないのかなあ。以上でムーンライト高知・松山のレポートを終りにします。この列車で終点の高知まで行きたいのですが、後続列車の関係で途中の阿波池田駅で下車します。次回は土讃本線の阿波池田駅からレポートを再開します。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/20
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前々回まで延々と紀勢本線をレポートして参りました。紀勢本線は亀山駅(関西本線から分岐)して和歌山に至る実に340キロくらいの長大路線で、しかも魅力的な電車と気動車が沢山走っているので回数を使ってしまいました。先日ご紹介したきのくにシーサイドに引続き、特別列車を今回からご紹介します。その名もムーンライト高知・松山号です。ドーン。これがムーンライト高知・松山の雄姿です。新大阪発高知・松山行きの夜行快速列車です。車輌は四コチ所属主体の編成でした。高知行き3両と松山行きの3両の合わせて客車6両編成です。その他に機関車が付きます。大阪方の最後尾の車輌です。こっちは松山行きの列車です。最後尾なのに車掌車が付いていないのです。これまた珍しいです。昔はこんなお尻をよく目にしましたが、今は前々見ませんよね。サボです。全車指定で6両なんですが、車種も内装もバリエーションが非常に豊かです。所属は四コチの車輌が多いみたいでした。この辺で車号を紹介します。高知方から オロ12-5 オハ14-28 スハフ14-11 オハフ15-7 オロ12-9 スロフ12-3でした。ディープな編成でしょう?。座席14系(絶滅寸前)+改造12系連合なんです。ハザ3両+ロザ3両という編成です。ロザ比率50%です。この面でも珍しいのです。12系と言えば往年の急行用客車で大量に余剰が生じた形式です。改造車と言えばタネ車は12系だった時代がありました。今までご紹介した車輌の中では、 SLばんえつ物語号 碓氷峠鉄道文化むらに展示されていた初代お座敷列車 きのくにシーサイド号なんかも12系の改造車でした。機関車です。途中多度津まではEF65-1133で、多度津から先高知まではDE10-1139でした。DE10は高知の所属でした。桝席車のオロ12です。ぼろぼろです。この車輌はもう長くはありません。今しかない、という列車でした。内装は次回にご紹介します。高地行きの14系ハザの側面です。細長い窓が懐かしいです。一昔前は上野で目にしたものですが。車掌の制服にもご注目ください。JR西日本が運行していました。改造12系のロザ車です。窓が巨大でしょ?。改造車らしい側面でした。私がお世話になった、14系ハザのサボです。味わいも何もありません。阿波池田駅を出発するハザ14系です。次回は内装をご紹介します。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/20
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前回は紀勢本線をえんえんと移動し、終点和歌山駅までの乗車をレポートしました。今回は和歌山線などの奈良県内の移動をレポートします。最初は和歌山線105系の便所です。この電車で五条まで進みました。五条駅です。完全に日没後になっていました。もう車窓も見えません。同じ車輌が終着五条駅で、列車番号を変えて、こんどは各駅停車奈良行きとして出発しました。この列車はそのまま桜井線に入ります。桜井線内ではまた列車番号が変わります。105系が始発から終着までで三回も列車番号が変わるのです。結構珍しいのです。高田駅です。105系にも流石に飽きました。ここで下車して、奈良行きに乗り換えました。夜の高田駅の風景です。ミニ脚+スローシャッターで撮影してみました。露出時間は1.3秒です。高田駅から王寺駅まではこの車輌でした。新快速でよく目にする形式ですが、各駅停車でした。この車内はJR西日本風ですよね。通勤電車のアコモデーションは東西で本当に格差があります。西日本の通勤電車はほんとに豪華で快適です。これがJR東日本だと、6扉になって座席が消滅します。車号を撮影しておきました。クモハ221-46でした。王寺駅です。王寺駅構内のICOCA・PITAPAのチャージマシンです。東日本はチャージマシンはVIEWアルッテ中心ですけど、西日本はこんな感じのマシンです。何となくこっちの方が世界標準に近いですよね。王寺駅構内に掲出されていた尼崎事故のお詫び文です。犠牲者の方々に合掌。王寺駅構内の男性用小便器です。黒い点が見えますよね。これは人間の本能を利用して便器の汚れを防ぐためのものです。このような点があると、本能的にこの「黒点」を狙って小便をしてしまうのです。その結果、便器から飛び出す尿が減り便所掃除が楽になるという効果が期待できます。アムステルダムスキポール空港から始まったものですが、今では相当普及してきました。女性の方には縁が薄い話ですけど。王寺駅に入線してくる103系です。これもスローシャッターで狙って見ました。上が露出時間1秒、下が露出時間3分の1秒です。漸く京都駅に到着しました。この写真は京都駅の奈良線ホームに留置中の奈良線用の103系電車ですね。和歌山から京都まで4時間近くかかりました。非常に疲れました。この京都からは、再び夜行快速に乗車しました。ムーンライト四国・松山(併結運行)です。次回はこの希少ムーンライトの車内をご紹介します。それにしてもこの第3旅程は「乗り鉄」でした。鉄道車両が出てこない回が殆どありません。我ながら良く乗ったものです。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/20
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さくさく続けます。きのくにシーサイド号で白浜駅から和歌山駅まで移動しました。非常にゆっくりと進む列車でした。 オーシャンアロー号(音声)車内放送はこんな感じでした。この列車で不覚にも寝てしまいました。あーあ。修行が足りません。尊敬する横見先生がご一緒だったらぶっとばされてしまうところでした。そんな訳で、今回は編成写真を撮り損ねてしまったのです。はー。昨年に湯浅駅で撮影したものと暫定レポート分をリンクして置きます。雄姿をご覧いただければ…。和歌山駅で撮影した展望車です。もう夕暮れでした。亀山駅からえんえんえんえんと乗ってきた紀勢本線ともこの和歌山駅でお別れです。快速きのくにシーサイド号は和歌山駅から先も阪和線を北上し、天王寺駅まで走りますが、私は和歌山駅で下車しました。車内販売もこの和歌山駅でお終いです。いやー、長かった…。和歌山駅の改札です。久しぶりに都市型の駅に来ました。人が沢山居ます。和歌山駅の駅前です。この和歌山市にはたくさんの名物がございますが…。やっぱ、これでしょう。和歌山ラーメンです。井出系のお店にしました。和歌山ラーメンは和歌山市内で食べると不思議に美味いのです。なんでだろう…。再び和歌山駅の構内に戻りました。跨線橋から撮影した風景です。和歌山駅は阪和線の終点です。左側に103系の車輌が見えます。阪和線でも103系がガンガン走っています。首都圏ではだんだん目にしなくなってきた103系ですけど、関西圏ではまだまだ主力です。紀勢本線の各駅停車の111系です。この形式も首都圏では目にしなくなりつつあります(千葉県に行けば見られますけど)。この色も和歌山色ですねえ。和歌山駅からは和歌山線も走っています。和歌山線は非常にローカル色の濃い線区で和歌山県から奈良県に抜けて行きます。車輌はもちろん105系です。こっちは私が乗った快速五条行きです。前面デザインは違いますが、これも105系です。車号はクハ104-508とクモハ105-508でした。この可愛い2両編成にえんえんと乗りつづけることになるのです。ローカルな線ではありますが、105系電車の車内は「国電」と言う感じです。直流ローカルらしい雰囲気でした。こんな電車で、五条-高田-王子-奈良-京都と進みます。次回は奈良県の「国電」をレポートします。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/20
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続きです。きのくにシーサイド号の超豪華な客席をご紹介します。非常に車内が暗いのでストロボを使用して見ました。巨大なテーブルを取り付けても足元は余裕でした。物凄いシートピットでした。とても元12系客車とは思えない内装です。こんな感じの豪華ボックスシートなのです。ただし、座席は回転しません。方向は固定です。ストロボなしの撮影です。やはり、ストロボを焚くと一気に高級感が消失してしまいます。ストロボなしなら…、この通りです。かなり暗めの照明にしてありました。この内装なら夜間運行した方が雰囲気が出そうですけど…。でも展望車付きの編成ですので、昼間に運行しなきゃ行けない訳です。何か矛盾しています。マイボックスです。一人で枡を一つ占拠してしまいました。テーブルの上のカメラは私の愛機のFZ30です。展望車はこんな感じでした。割と静かな雰囲気でした。同じ展望車でも、SLばんえつ物語号とは随分雰囲気が違いました。展望車から撮影した車窓です。非常になんというか微妙なデザインの橋でした。景観権侵害になりかねませんな。今回の最後は連続写真です。トンネルから出るところの連続写真でございました。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/19
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続きです。きのくにシーサイド号の車内をご紹介します。オハフ13の車端部です。こんな感じに展望車チックな仕上げになっていました。運転室は半室運転台でした。計器類が少ないですねえ。この運転台から最後尾のDE10ディーゼル機関車を制御しているのです。機関車の非力さ故か、プッシュ運転の制約故か、非常にゆったりしたダイヤで走るのでした。前々回にご紹介した白浜駅前の弁当店で購入した寿司詰め合わせを車内で頂きました。右手前の2かんがご当地名物のさんま寿司です。喫煙所です。この列車は全席禁煙席なんですけど、このような喫煙コーナーが設けられていました。JR西日本は割と喫煙者に優しい会社なのです。北海道会社とか東日本会社とは大違いです。便所は黒塗りになっていました。暗くて撮影しにくい便所でした。展望車の売店です。売り子さんは浴衣姿でした。ビアホール風の演出を狙っているようでした。次回もきのくにシーサイド号の車内のご紹介を続けます。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/19
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皆さんは漫画を読みますか?。私は漫画が大好きです。でも中年オヤジなんで、昔の漫画が好きなんです。特にコンビニで売っている安いリバイバル漫画が好きなんです。最近は「明日のジョー」が売られています。昨晩は力石徹が死んでしまう回の明日のジョーを買いました。泣けます。絶頂期の梶原一騎(高森朝雄)の迸るエネルギーが感じられました。天下の手塚治虫もこの時期には人気が落ちていました。手塚は梶原の世界を理解できなかったようで、梶原の作品を手にして「こんなもののどこが面白いんだ」と言ったという伝説が残っています。真偽の程は定かではありませんけど…。手塚の普遍性と梶原の時代性とでも言うのでしょうか…。私はどちらも好きなんですけど…。さて、続きです。更新の間隔が空いてしまいました。前回は紀勢本線をえんえんえんえんと乗り継いで白浜に到着したところまでレポートしました。MoToDAMMさんから情報を頂きましたが、白浜アドベンチャーワールドに生パンダがいるそうです。仕舞った…、また情報収集不足でした。パンダが居るなら撮影に行けばよかったです。これは白浜駅構内での一コマです。パンダぱんだしている駅なのでした。今回レポートするのはこの列車です。快速きのくにシーサイド2号です。この旅程の目玉列車の一つなのです。エンブレムです。この快速も臨時列車でジョイフルトレインが充当される列車なのです。編成は、 DE10 1152 スハフ12-128 オハ25-57 オハ12-228 オハフ13-27の機関車1両+客車4両編成でした。所属はもちろん「和ワカ」です。和歌山支社唯一のジョイフルトレインでございます。中々の編成なんです。字体もちょっと変だと思いませんか?。JR西日本は独特のフォントで車号を記載します。国鉄時代とは随分違います。他の会社は国鉄時代の丸っこい字体を継承しているケースが多いのですけど…。元は12系客車だったのですが、フォルムは無茶苦茶変わっています。中間に入っているオハ25です。展望車改造されていて、寝台車であった面影は全然ありません。オハフ13です。この車輌には運転台が備え付けられております。この運転台からDE10機関車を制御するので、機関車を最後尾にしたプッシュ運転で進めるのです。称号規定が無茶苦茶になっておりますので、会社によって車輌の形式名の付け方もまちまちになっております。もしJR北海道だったらオクハテ13と言う名前になったでしょうねえ。その昔に乗った流氷ノロッコに似ています。ノロッコは殆どの車輌が展望車でしたけど。展望車の車内です。乗車開始前に窓からカメラを突っ込んで撮影したものです。この列車は紀勢本線を走ります。車窓は海側が楽しく、山側は楽しくありません。そこで、このように全ての席が片側を向いているのです。とりあえず今回はここまでにします。次回はアコモデーションをご紹介します。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/19
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今日は何か興が乗ります。どんどん進めます。特急オーシャンアロー号で串本駅から白浜駅まで紀勢本線を西に進み、白浜駅で下車しました。白浜駅舎です。南紀最大の観光拠点だけあって美しい駅舎になっていました。白浜には空港まであるんですけど、今回はパスしました。この白浜駅の近くの食堂で昼食にしました。ご当地名物のさんま寿司です。美味い…。そばもおいしいのでした。食堂から撮影した駅舎です。白くて綺麗で「白浜」という感じです。道路標識には南紀白浜空港の文字も見えました。食堂の近くの弁当店です。こんなところまで進んでも目張り寿司なんですねえ。非常に広く分布しているのです。駅前の歓迎門です。何故かパンダの人形もありました。白浜にはパンダも居るのでしょうか…。まさか野生のパンダだったりして…。この白浜からは、目玉列車の「きのくにシーサイド2号」に乗車いたしました。次回は目玉列車レポートに致します。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/18
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前回は串本駅までの各駅停車の車窓を延々とご紹介しました。紀勢本線は長い長い線区なのです。まだまだ紀勢本線関係です。今回は串本駅到着からなのですが、積み残しを一つ。105系電車(普通電車)の便所です。意外に綺麗なのでした。串本駅に到着です。この串本駅は本州最南端の駅なのです。駅から南へ数キロ進むと本州最南端の潮の岬灯台に行けますけど、今回は見送りました。伊勢湾台風の世界なのです。駅の構内に串本町の観光協会の事務所もあります。電車で観光するのに便利な街なのです。駅構内の様子です。長大編成の特急がガンガン停まる駅です。結構広い待合室でした。でも切符売り場は鄙びてます。いい感じの駅舎です。旅情を誘います。周辺の案内板です。割とこじんまりした街でした。ここからは久しぶりの特急乗車です。JR西日本ご自慢の「オーシャンアロー」に乗りました。車号です。283系でした。ちょうど登場から10周年でした。JR西日本らしいエンブレムです。サンダーバードや「はくたか」や「しらさぎ」と共通で楕円形のデザインでした。なんと京都まで行きます。在来特急としては相当の距離を走るのです。車体の色は、この前に乗った105系に良く似てました。この列車で白浜駅まで進むのです。ちょっと写真の枚数が多くなってしまったので、ここで切ります。最後に、車内アナウンスを載せて置きます。これまた独特のチャイム音です。結構私の「タイプ」の放送でした。大げさなチャイムなのです。 オーシャンアロー号(音声) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/17
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やはりこれはgifアニメにしてみたくなりました。ちょっと重いのですが…。お許しください。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/17
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今度は前から(後から)撮った車窓です。解説不要でございますね。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/17
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今日はさくさく進めます。今回は車窓をご紹介します。地図を見れば一目瞭然ですけど、紀勢本線は海沿いを延々と進みます。今回の旅程の目玉列車は「きのくにシーサイド2号(白浜駅から天王寺駅まで)」なんですけど、実際のところ、海が綺麗なのは、この目玉列車が運転されない区間なのですねえ。入り江が交互にやってきました。山と谷を交互に越えていくのです。これは絶景です。砂浜と海苔の養殖筏です。実に平和な感じです。車内はガラガラでした。鄙びた平和な午後の電車です。いい感じでしょう?。平和な景色です。結構岩場があります。少し曇っているのが残念です。この辺は本州でも最南端の場所です。気候が本州中心部とは違うようです。空気の重さが違いました。今回は横から見た車窓をお送りしました。次回は前から見た車窓をお送りします。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/17
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さくさく続けます。紀勢本線を西へ移動しました。105系電車で運行される各駅停車に乗ったのです。もちろん、ワンマン運転でした。運賃表と運賃箱つきです。運転手1名しか乗っておりません。バスに近い雰囲気です。運転室の扉はもちろん開け放しでした。運転台の装備はこんな感じでした。普通の103系と余り変わりません。車内は普通のロングシートで、通勤電車という風情です。主力の乗客は高校生なんでしょうねえ。単線区間ですので交換もありました。今回は短いですが、ここで切ります。次回からは海辺を走る紀勢本線の車窓をご紹介します。gifアニメにも少し飽きが来ているので、連続写真をバラバラご紹介します。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/17
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今日は告白すべき事項があります。タバコ………、吸ってしまいました。禁煙は中断します。禁煙は11日と11時間11分で潰えました。汗っ…。自分に正直な私…。さて続きです。前回はこの巨大洗濯挟みで終りにしました。これはこのように使うのです…。うー、残酷です。獲った鯨の尻尾を挟んで引っ張る道具なのです。その名は「クロー」だそうです。3トンもあるそうな…。クローというとキューティーハニーの悪役のアイアンクローを思い出してしまいますね。後から見た捕鯨船です。スクリューが5枚羽根なんですねえ。トルク重視スピード軽視に見えました。実態がどうかは自信がありませんけど…。案内板です。優秀捕鯨船(キャッチャーボート)なんですねえ。実際の南氷洋での捕鯨では、キャッチャーボートや冷凍船など10数隻の船団を組んで捕鯨を行っていたそうです。その昔の日本の捕鯨技術は世界に冠たる水準でした。今は技術は胡散霧消してしまったのでしょうねえ…。哀しいなあ。釧路の太平洋炭礦炭鉱展示館や直方の炭鉱記念館に行っても感じましたが、坑内掘りの技術で日本は世界最強だったのに…。その技術も跡形もなく消えようとしています。こういう光景を目にすると哀しくなりますね。噴水も鯨の尾でした。この周辺は鯨浜というそうです。その昔の古式捕鯨では鯨に銛を突き倒し、手漕ぎの船で曳航して遠浅の浜辺から地上に上げたそうです。この浜で陸揚げしたのでしょうねえ。この周辺の案内板です。結構見るところがあるのです。南紀にいらした折には是非お立ちより頂きたい場所です。さて、町営バスで移動です。くじら浜を後にして、再び紀勢本線の太地駅に向いました。太地駅の駅舎です。結構立派な駅舎なのですが無人駅です。かつての駅務室は福祉団体の事務所になっていました。太地駅の上屋の鉄道財産票です。戦時中の建築なんですねえ。戦時中にこんなところを作っていたとは…。何となく感慨を覚えます。こうして見ると、やはり鄙びた駅です。しばらく待っていると、串本行きの各駅停車が入線してきました。今度の電車は和歌山支社色でした。形式はやはり105系でした。クハ105-13でした。所属は「和ワカ」でした。ここから和歌山駅までは100キロ以上あります。遠くから来ていると言う訳です。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/17
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昔からご愛読いただいているバード・防人さんからBBSにご質問を頂きました。 動画どうやって載せたのですか!!! 凄いですねぇ。 臨場感があって素敵です。最近掲載している動画はgifアニメという手法で、静止画を繋ぎ合わせて動画にしています。その分ファイルの容量はでかいです。ちょっと苦しいです。Visual G++ Ver.1.3というツールを使っております。さて、本題に入りましょう。今回は紀勢本線で途中下車した太地駅をレポートします。太地は日本の古式捕鯨の聖地でした。この辺のストーリーはCWニコル氏の「勇魚」(文春文庫でも、マンガでも)をお読みいただくと直ぐに理解できます。この本は真面目にお勧めできる本です。ネタばれになるのでこれ以上は触れませんけど…。このような、江戸時代以前から捕鯨の街でしたので、この駅のホームはこの通り、鯨のペインティングなのでした。ちなみに一面一線の地味な駅でした。太地駅から村営バスで十分くらい走ると、くじらの博物館に到着します。ここもお勧めなんです。この「くじらの博物館」の周囲には鯨料理店が数軒ありました。調査捕鯨で獲って来たミンクばかりですけど…。こんな感じの鯨料理店のうちの一軒で昼食を頂きました。これです。鯨丼です。この近くには実際の捕鯨船(キャッチャーボート)の展示もありました。船体の割に高いマストは鯨の群れを発見するための見張り用と思われます。甲板が物凄く急な傾斜になってます。船首部分にはこのような銛の発射機が備え付けられていました。流石はキャッチャーボートです。最後の画像はこれです。クローと言う器具です。どのように使用するかは次回ご報告します。次の回も太地レポートを続けます。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/17
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今回は短いです。紀伊勝浦から太地駅まで乗った105系電車を軽くレポートして、次の回の太地レポートに進めてしまうつもりです。本題に入る前に、前回ご紹介した切符の券面のレポートに、ibukino-johさんから「鉄っぽい」コメントを頂きました。こういうコメントは凄く嬉しいのです。嬉しかったので本文で全文を引いてしまいます。「きのくにシーサイド」が「小倉駅発行」、「瀬戸大橋トロッコ号」が「仙台駅発行」、これを発券した「みどりの窓口氏」の対応を見てみたかったです。 ゴハを恐れてメモを書いて買いに行きました。 スムーズでした。 仙台駅の在来線みどりの窓口の駅員は大体優秀です。最近のマルス(MRやMEMなど)は、列車名や駅名の一部文字を入れるだけで、候補列車が表示されるので、駅員もさほど困らなくなりましたが、昔ながらの「ピン挿しマルス」(N型、HN型、M型)などは、臨時列車設定の都度、空いている穴を使っていたので、どの穴に設定されているか、通達を見ないとわからない状況でした。 うう、懐かしいです。 一般読者の皆さん、マルスって分かりますか? JRの予約システムの総称なんです。 マルス端末の型式に触れていただくと嬉しくて…。 初級鉄は車輌の形式は知っているでしょうけど、 マルスの形式をご存知なのは上級鉄ですよね。定期列車も「さくら(長崎)」「さくら(佐世保)」のように行先で列車が別のものや、同一列車で設備が異なる場合に列車を別のものにしている(「北斗星」と「北斗星(個室)」など)ものがあり、そこに辿り着くまでが大変でした。 そうなんです。これ、孔の場所と列車の連関を 覚えている駅員と、いちいち調べなきゃ行けない駅員さんで 所要時間に随分差が出ました。 懐かしいです。非磁気マルス券の頃ですよね。古い話ですが、昭和60年(前後だったと記憶)、会津若松駅で「山陰」のB寝台券(京都→出雲市)を買ったことがあります。 ううっ、懐かしいっす。 お若い方はご存知ないでしょうけど、 昔は寝台車付きの普通列車が存在したのです。 京都=出雲市を走る夜行普通列車に「山陰」という 名前が付けられてマルスに載ったのです。ヴェテランな鉄の方のコメントは、一語一語に深い造詣があるんですよね。コメントはみんな嬉しいのですけど、こういう深い造詣を感じさせていただけるコメントは特に嬉しくなってしまいました。さて、本題です。本題は短いです。これが紀勢本線の普通電車です。形式は105系です。103系のバリエーションです。短編成で運行可能な仕様にされていて直流電化ローカル線用として開発されました。こいつのせいで日本中の旧国が駆逐されてしまいました。はあぁ。車号が若いです。この色も独特ですよね。JR西日本のコーポレートカラー(まがい)から取ったのか、はたまた、紀伊半島の海の色なのか…。この列車にはトイレもあります。ワンマン2両編成なんですけど。一応車椅子マークがついています。バリアフリーを名乗るには少し狭いですけど、基礎的な装備はついています。車号表示と運賃表です。この電車は和歌山から新宮まで運転される電車です。非常に長いです。運賃表は乗り継ぎ客向けに、尾鷲とか熊野市なんかの表示までありました。この電車には太地駅までお世話になりました。次回は太地レポートをお送りいたします。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/17
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今レポートしている紀勢本線は、特急に割と乗っています。だから…、青春18きっぷを使えなくて、普通乗車券を購入しているケースが結構あります。今回はインターミッション的に切符の券面をご紹介します。ムーンライトながら91号の指定券です。510円ですが、入手するのは本当に大変でした。多気駅から新宮駅までの乗車券です。名古屋駅で購入しました。きっぷの券面の文字色が気に食わないです。九州・北海道・東海は真っ黒じゃないんです。西日本・東日本は真っ黒のケースが多いです。同じ区間の自由席特急券です。この券でワイドビュー南紀に乗った訳です。当然検札印が入っています。区間が連続しませんけど、串本駅から白浜駅までの普通乗車券です。「乗車記念・使用済」というハンコが良いでしょ。区間が連続していない部分では青春18きっぷを利用しました。新宮から串本まではJR西日本の普通電車で移動した訳なのです。同じ区間のB特急券です。この券で西日本ご自慢のオーシャンアローに乗ったのでした。さて、この券面にはB自由席特急券と書かれています。本州以外の方にはB特急と言ってもピンと来ないかも知れません。B特急とは格下特急のことなのです。格上特急(正式にはA特急)の料金は日本中どこも殆ど同じですが、格下特急(会社によって呼称が違います。東西はB特急と読んでます)の料金は会社によって時期によって激しく異なります。特に短い部分の料金の差が大きいのです。第3旅程の目玉列車第1弾の快速「きのくにシーサイド2号」の指定券です。この日の夜を明かした「ムーンライト高知」の指定券です。撮影時点では未使用でした。目玉列車第2弾の快速「瀬戸大橋トロッコ1号」と同2号の指定券です。帰路用に用意したムーンライトながら92号の指定席券です。結局使いませんでした。今回は切符の券面をご紹介しましたが、次回から移動レポートに戻ります。次は、新宮から太地までをレポートします。次回からはJR西日本の世界に入ります。オレンジの世界からブルーの世界に参ります。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/16
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前回はキハ85中心の編成のワイドビュー南紀の乗車レポートをお届けましたが、今回は車窓をレポートします。最近すっかり好きになったgifアニメで表現してみました。大体の絵がメガを若干切るくらいのサイズになっています。最初は新宮手前の車窓です。一瞬見える駅は紀伊市木駅です。新宮の手前はこんな感じの山々した風景なんです。尾鷲の近辺とかで一時、海が見えますけど、あくまで例外です。熊野川ですね。新宮駅入線直前の風景です。別に筏は流れていませんでした…。新宮を越えると電化路線になるとともに、車窓的には海岸路線になっていきます。ずっと海岸線が見えるんです。しばらくは単調な砂浜が続きました。紀伊勝浦駅を越えると海岸線はどんどん複雑になって行きました。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2006/10/16
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