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サーバの調子が悪かったので、本日設定を変えました。先々週と先週に一日当たり数時間のサービス停止が発生し、画像が見えない時間帯を生じてしまいましたが、とりあえず、今後はサービス停止時間を長くても10分位に押さえ込めるはずです。まあ、この種の作業は狙い通りに行かないことも多いので、2週間くらい様子を見ないと効果の程は分かりませんが…。さて、長い北陸シリーズが終わったところで、またインターミッションを入れます。この前、新宿駅から出発する中央線のユニークな快速をご紹介しました。このお座敷列車で私は青梅鉄道公園に向ったのでした。今回は青梅鉄道公園の模様をご報告いたします。パンフレットから公園の概要紹介を引用いたします。(引用始め)青梅鉄道公園は、1962年(昭和37年)に鉄道開業90周年記念事業として旧日本国有鉄道が開設した、実物の鉄道車両を中心に保存展示公開している世界でも珍しい公園です。園内には、日本の鉄道発達史上欠くことのできない、鉄道開業時に使われた蒸気機関車をはじめとする貴重な鉄道文化財(11両)が屋外展示されています。付属する展示館には…〔以下略〕(引用終り)と言うわけで、平たく言えば、珍しい引退機関車が勢ぞろいしている公園と言うわけです。蒸気機関車5両が見えますね。形状から見ても、これは古いと思った読者の方、鋭いです。この5両は何れも明治大正の機関車達です。同じような構図ですけど…。手前の2両は明治の開業時の車輌ですね。タンク式機関車で、小型です。大正時代に日本が経済成長し(第一次大戦バブルですね)、輸送量が増えると、とても耐えられなくなってしまったものです。こちらは昭和の蒸気機関車群ですね。C51だのC11だの、昭和初期の機関車ばかりです。右奥に非常に珍しい、日本国有鉄道最後の新造蒸気機関車の形式となったE10があります。E10はここ以外では見たことがありません。これが記念館ですね。内部には多少展示物がありますが、交博に比べると寂しいです。やはりここは実物の機関車を見る場所といえましょう。ちなみに入場料は100円でした。JR青梅線の青梅駅から歩いて15分くらいかなあ。最初にご紹介する機関車はこれです。蒸気では無く、古い電気機関車です。ED16という電気機関車です。昭和6年製造の機材で、私はこれを現役時代に目にしています。プレートですね。1号機です。メーカーは三菱電機と三菱造船です。三菱造船というのは今の三菱重工業の前の名前ですね。古い電気機関車の特徴なんですが、車体側面に出入り口がありませんね。運転手は、デッキ経由で全面の扉から運転室に入ったようです。この機関車の紹介文をパンフから引用しておきます。(引用始め)戦前に生まれた暑気の国産電気機関車で、動輪が六組あるEF10の小型版といえます。昭和初期では全体に電化区間は少なく、幹線の勾配区間として電化が進行した上越線や中央線で活躍しました。最後の頃は、輸送量の比較的少ない南武線や青梅線で貨物列車を牽きました。この1号機は1980年(昭和55年)に廃車され、現在残る数少ない黎明期の国産電気機関車として、準鉄道記念物に指定されています。(引用終り)インターミッションの割には写真の枚数が多いのです。数回に分けてレポート致します。今回はここまでに致します。【本日の成果】ローソン(JCB) 4×1.5倍=6マイル(NH) 良ければ一票お願いします。
2006/04/30
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シリーズを終えたので、目次を作っておきました。<確定レポート> (1)発端 (2)出発から金沢市近江町市場まで (3)金沢城公園三十間長屋周辺 (4)金沢城公園五十間長屋と菱櫓 (5)金沢城公園国宝石川門 (6)名勝兼六園 (7)兼六園の続き (8)金沢市の近代建築(日中編) (9)金沢市の近世建築(日中編) (10)北陸本線特急乗り潰し (11)金沢駅と北陸本線特急乗り潰しの続き (12)金沢駅のライトアップ (13)金沢ライトアップバス (14)定期観光バス「わじま号」 (15)輪島の朝市 (16)輪島から厳門へ (17)厳門の景色 (18)千里浜なぎさドライブウェイ (19)サンダーバードの併合準備 (20)三日目の特急乗り潰し (21)金沢市内のライトアップ建築群 (22)金沢市内のライトアップ建築群の続き (23)氷見線の乗り潰し (24)高岡大仏と万葉線 (25)越ノ潟駅と渡船乗り場 (26)海王丸公園 (27)高岡市の土蔵造りの町並み (28)北陸線乗り潰し再び (29)四日目の終り (30・終)寝台特急北陸で帰京<暫定レポート> 【出動】北陸方面に出発いたします 【出発】今から上野駅 【暫定】特急北陸B寝台 【暫定】北陸本線普通電車 【暫定】金沢市近江町市場 【暫定】金沢城公園 【暫定】兼六園 【暫定】金沢ライトアップバス 【ご報告】画像サーバー停止中 【暫定】特急バスわじま号 【暫定】輪島の朝市 【暫定】能登金剛厳門周辺 【暫定】千里浜ドライブコース 【暫定】再び金沢市内 【暫定】氷見線氷見駅 【暫定】高岡大仏 【暫定】越ノ潟 【暫定】海王丸 【暫定】特急北陸で北陸線を東へ 【帰投】金沢より帰宅 良ければ一票お願いします。
2006/04/29
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延々続けた北陸レポートも今回で最終回です。寝台特急北陸で金沢から上野駅に帰るところでございますね。これが寝台特急北陸です。発車十数分前です。運転席に運転士さんが居ないのを確認してストロボを焚きました。これから夜行列車を運転する運転士さんにストロボを焚くのは止めましょう。寝台特急北陸の秘密兵器です。シャワーがあります。これさえあれば、上野到着後の出勤もOKです。シャワー室の入り口です。2台あります。空いてました。車掌さんからシャワーカードを購入する必要があります。中はこんな感じでした。シンガポール・チャンギ空港のシャワーを思い出しました。あの時も成田に到着した後に出勤したなあ…。シャワーの横にはこんな「待合席」がありました。もとは寝台だったのかなあ、というサイズでした。使い方は車内放送をご参考になさってください。 寝台特急北陸の車内放送B寝台のトイレです。没個性。洗面台です。これも没個性…。今回私が利用したのは「B個室寝台ソロ」でした。これが私の「部屋」です。実質はカプセルホテルなのでした。「部屋」の設備です。B個室の廊下です。こんな感じになっているのでした。隣接車輌です。こちらはA個室寝台です。羨ましい…。A個室寝台の便器です。便器までグレードが違う…。お馴染みの開放B寝台もありました。値段はB個室と同じなんですよ。この14系客車に乗って、直江津=長岡を通って上越線経由で東京まで戻ってきたのでした。これが切符でございました。最後に5日目唯一の写真を掲げます。上野駅での特急北陸です。寝ている間にEF64になっていました。5日目の上野駅での撮影分です。このまま私は自宅で着替えて出勤したのでした。はー。以上が北陸2泊5日の顛末です。いやー、北陸がこんなに魅力的な旅行先とは思いませんでした。すっかり惚れ込んでしまいました。さて、この次は台湾シリーズに進むのですが、その前にインターミッションを入れます。 良ければ一票お願いします。
2006/04/29
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北陸もいよいよ終盤です。最後の夕食のつもりで、金沢で頂いた膳です。美味しかったので、ついつい、もう一食、食べてしまいました。アホです。それでも時間が余ったので加賀温泉駅までもう1往復してしまいました。加賀温泉の改札です。最後も雷鳥で金沢に向いました。 雷鳥の金沢到着案内音声金沢駅の発車時刻案内装置です。急行能登と特急北陸は僅か5分違いで出発します。経路も行き先も全く一緒なのです。左が「急行能登」です。右が「特急北陸」です。能登は座席車、北陸は全車寝台です。「グレードが違うのです」急行の文字がいいでしょ。 鉄子にも登場した、急行能登のラウンジですね。ここに尊敬する横見先生も乗車なさったのですねえ。アップをもう一発載せておきます。急行能登は489系でした。寝台特急北陸はEF81+14系客車でした。次回で最終回にします。日付が変わる頃に次回分をアップします。【本日の成果】ローソン(JCB) 6×1.5倍=9マイル(NH)
2006/04/28
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続きです。高岡を見終えた頃から降雨が始まりました。はー。だめぽ。雨が降ると観光カメラマンnotoshunは鉄になってしまいます。帰りの汽車を待つために、意味も無く北陸線を西に東に移動してしまいます。高岡駅の機関区ですね。跨線橋からの撮り降ろしです。左側が40系かな、右側が鉄子にも登場したキハ28とか58です。28と58では型番が激しく違うので系列が違うと感じるかもしれませんが、実質的には同じ形状の車輌です。発動機が一台だと28で二台だと58なのです。今でも走っている国鉄型の気動車は急行型ではキハ58とか28、普通や快速では40系(40とか47とか48)位です。その前の時代の系列の20系も少数ながら走っています。次はキハ52(20系のエンジンが2台あるタイプ)に乗りに大糸線に行きたいですねえ。高岡駅からは特急北越に乗って金沢へ戻りました。うんうん。これで北陸本線の富山駅=金沢駅の特急はほぼコンプリートです。残っているのは旧来の特急雷鳥のみです。北陸線では滅多に目にしない(大げさかな)485系特急列車です。鉄子では上沼垂(かみぬったり)の所属と紹介されていましたが、ペイントを撮影していないので、この列車も上沼垂の車輌かは良く分かりません。何となく東日本会社の雰囲気です。特急北越の車内です。割と地味ですね。金沢駅からは特急雷鳥に乗り換えて加賀温泉を目指しました。分かりにくいですけど、号車票の下に「向」という文字が見えます。向日町の所属なんでしょうね。だんだん珍しくなってきた国鉄色の485系でした。加賀温泉でターンして再び金沢を目指します。今度は各駅停車です。元583系の419系でした。金沢支社の福井の所属のようです。車内はこんな感じです。元電車寝台の格下車です。シートピッチが異常に広いのです。これはもう一回乗った雷鳥の便所です。殆ど出荷時設定のままでした。最後は、富山駅前の光景です。みんなでひとかき運動ですって。美しいですね。歩道除雪にご協力ください、とのことでした。大体これで旅程のご紹介は終りになります。次回は東京に帰る寝台特急北陸と兄弟列車の急行能登をレポートします。枚数が多いので2回に分けると思います。これで北陸シリーズが終り、インターミッションを入れた後に、台湾レポートをお送りしたいと思っています。
2006/04/28
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今日は不肖宮島の新刊(と言っても文庫化の新刊ですけど)の「不肖・宮島 金正日を狙え!」を買って一気に読んでしまいました。いやあ、面白いですね。さて、続きです。海王丸公園から、万葉線で高岡市内に戻って参りました。高岡市は歴史のある街でして、まあ、高岡市のパンフレットの紹介文をご覧下さい。(引用始め)土蔵造りの町並み 山町筋<国指定伝統的建造物群保存地区>市街地の約600メートルの通りには、明治時代に建てられた元商家の土蔵造りの家が42棟建ち並んでいます。この界隈は高岡の商人町として栄えたところであり、「高岡御車山祭」が行われる由緒ある町として、通称「山町筋」と呼ばれています。菅野家住宅(国指定重要文化財)、土蔵造りのまち資料館(旧室崎家住宅)が一般公開されています。タカジャスターゼの発明で有名な高峰譲吉博士生誕の地(現在高峰公園)には博士の銅像が建っています。♪ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む♪でお馴染みの童謡、「夕日」の作曲家の室崎琴月生誕の家が昔のまま残っています。1914年(大正3年)東京駅を模して建てられた赤レンガの銀行は、今も現役の銀行です。(引用終り)魅力的でしょ?。この土蔵街を歩きました。電停からこの角に出ました。ここが土蔵街の始点です。きれいな状態で、営業中です。パンフレットによると、明治に大火があり、それ以降耐火性の建築が要求されて、土蔵造りが立ち並んだそうです。土蔵造りの仏壇店です。似合いすぎ…。土蔵造りにも関わらず、間口が狭く、奥行きが深い。町屋造りの要素もありますね。この土蔵造りは民家みたいです。カタログを貰ったのですが、○○家となってました(プライバシー保護のため仮名)。土蔵街はここでお終いでした。ちょっと戻ってみます。この白い建物は中に入れました。商店街の集会所みたいになっていました。中は新味ありませんねえ…。山町茶屋です。ここも中に入れました。喫茶店になっていました。近代建築はある程度記録がしっかりしているので、観察もやりやすいのですが、街の大工さんや左官屋さんが建てた土蔵造りは、50年もすると記録が消えてしまうので、文化財係の方も大変でしょうね。土蔵造りの向こうにレンガ造りの建物が見えますね。これが富山銀行の本店です。何となく東京駅に作風が似ていると思われた読者の方、あなたは鋭いです。東京駅の設計者の辰野金吾博士の監修なのです。実際の設計者は田辺淳吉氏、施工は清水組(現清水建設)です。大正3年の作品でした。余り後に下がれないので、アングルが…。こんなところで高岡観光を切り上げ、昼食にしました。このラーメン屋でラーメンを食べたのですが、レベル高いです。高岡のラーメンは侮れない…。ここで雨が降り始めました。雨が降るとどうにもなりません。帰りの寝台特急北陸の出発まで、フリー切符の区間をひたすら乗りつづけるのですが、この話は次回にさせて頂きます。【本日の成果】朝食(SUICA) 4マイル(JL)本屋(JCB) 6×1.5倍=9マイル(NH)
2006/04/27
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前回の続きです。万葉線の終点越ノ潟で折り返して海王丸公園へ向いました。帰りの車輌はこんなのでした。広島電鉄のグリーンムーバーみたいな車輌です。風情もくそもありません。快適ですけど。車内はこんな感じでした。意外に広い感じです。確かに快適です。静かで、冷房も効きそうです。越ノ潟から一駅で海王丸停留所に着きました。妙なマンホールの蓋です。建設者の名前が入っていません。もう一種類ありました。しかし、こちらも名無しでした。おおっ、海王丸が見えてきました。海王丸のスクリューです。帆船なのにスクリューがあるのね。こちらには錨がありました。ご本尊です。美しい。文句無く美しいです。しかし、ここを訪れた日は休館日だったのです。内部には入れませんでした。ショボーン。今回はここまでに致します。次回は高岡市内の土蔵造り街をレポートします。
2006/04/27
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続きです。前回には、万葉線で終点の越ノ潟駅に着くところまでレポートしました。電車はこの越ノ潟までですが、この先には県営の渡し舟が運行されていました。鉄子のたびの5巻でも紹介されていましたが、この渡し舟はなんとただです。素晴らしい。港が建設されるまでは、鉄道で富山まで繋がるという話もあったそうですが…。待合室です。自転車やバイクも載せてくれるようです。何とも言えない空模様でした。近くは雲高が低い曇りでした。でも遠くには立山連山がはっきり見えました。12倍ズーム機の能力を発揮する時が来ました。美しい山並みが見えます。最大望遠です。工業港らしくひっきりなしに艀が行き交っていました。右下に見えるのは展望台かしら…。晴れていれば、この越ノ潟から対岸まで無料フェリーで二往復はするところなのですが、このような空模様でしたので、引き返すことにしました。これが連絡線と思われます。射水丸と書かれていました。射水市にあるので射水丸…。安直な…。船体中央のマークは富山県のマークでしょう。もう一隻の船です。「こしのかた」という船名のようです。これまた、「そーのまんまやんけ」というネーミングでした。今回はここまでにします。次回は海王丸公園周辺をレポート致します。【本日の成果】ローソン(JCB) 4×1.5倍=6マイル(NH)AMPM(EDY) 2マイル(NH)朝食(SUICA) 4マイル(JL)
2006/04/26
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続きです。とりあえず、朝は氷見線全線を乗り潰して帰ってきました。今度は高岡駅周辺を探索します。今にも雨が降り出しそうな天気でした。やはり北陸でした。高岡駅前の銅像です。なんと大伴家持です。知らなかったです。高岡に大伴家持が住んでいたのですね。だから万葉線なのかあ…。納得です。暫定レポートでも触れましたが、高岡市には大仏があります。日本三大大仏だそうです。へー。こちらが大仏本体です。余り大きくはありません。少なくとも、奈良や鎌倉のものに比べると随分小さいようです。しかし、銅の細工は大したもんです。それもその筈、高岡は銅器が名産なのです。この高岡大仏は台座の中に入れます。この辺は鎌倉の大仏に通じるものがありました。台座の中には、このようなものがございました。怖いです。恐いです。こちらは本堂です。雪割が付けてありました。雪国らしいです。この大仏の近くから、万葉線に乗りました。路面電車なのに単線なのです。なかなか珍しいです。集電装置は当然ビューゲルです。クラシックです。前の日記でご紹介した札幌市電よりもずっとクラシックな感じでした。早速乗車しました。運転台です。非常にシンプルでした。私は終点の越ノ潟まで乗ったのですが、最後の方は、乗客は渡し一人になってしまいました。30分強で終点越ノ潟に到着しました。折り返しの間にもう少し撮っておきました。次回は越ノ潟で撮影した海の様子をレポート致します。今回はここまでにします。
2006/04/26
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前回はインターミッションを入れてしまいました。今から読み返すと、写真が多すぎですね。これは3回に分けるべきでした。反省…。それにしても、あんなお座敷快速が首都圏を徘徊しているのですねえ。前回書きもれましたが、妙に空いているのは、悲しいわけがあるようです。本来あの列車は沿線の梅を見るための列車だったようなのですが、山梨県の梅の開花が遅れ、全然梅が見られないという状態になってしまったようです。まあ空きますよね。さて、続きに入ります。今回から四日目のレポートを開始します。二日目と三日目は真面目に金沢市内と能登半島を観光したのですが、四日目は鉄子状態です。期せずも鉄子でも私と同じ行程を進んでいました。恐ろしい。尊敬する横見先生と感性が似てきております。朝早くから金沢駅を出発しました。特急「おはようエクスプレス」に乗車です。この列車は3両編成で全席自由席の定期券利用客向けの特急です。何と言うことはありません。列車名は変ですけど、普通のサンダーバード用の683系でした。この列車で高岡まで進みました。高岡駅の跨線橋から撮影したものです。3両しかないことが分かりますでしょ。これが氷見線の列車です。47系気動車ですが、凄い塗装でしょう。暫定レポートでもご紹介しましたが、ハットリくんトレインでした。氷見線にはいつもこういう変わった塗装の列車が居ますね。中も凄いのです。天井はこんな感じでした。吊り広告も全然目立ちません。トイレの脇もこんなパネルになっていました。椅子はまあまあまともでした。銘板は日本国有鉄道のままでした。単行列車ですが、トイレ付です。余り更新されている感じはしないですね。当然のように循環式でした。運転台は普通でした。前に乗った「観光快速しんぺい2号」と余り変わりません。この列車で、高岡→氷見→高岡と乗り潰しました。雨が降りそうだったので、氷見では何もせずにターンして高岡に戻りました。今回はここまでにします。次回は高岡市内の観光を少々と、万葉線の乗り潰しをレポート致します。【本日の成果】楽天で枕購入(楽天SP) 18÷2=9マイル(NH)同上(JCB) 18×1.5倍=27マイル(NH)キオスク(SUICA) 2マイル(JL)朝食(SUICA) 4マイル(JL)
2006/04/25
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昨日もサーバが停まりました。失礼しました。さて、今回はインターミッションです。題名の通り、新宿駅から出発する中央線の快速をレポートします。快速と言っても、201系の中央特快じゃありません。土休運転のちょっと変わった快速です。中央線はこの手の快速が豊富なんですね。使った切符はホリデーパス+指定券・グリーン券です。最初の画像は鉄道車両と全然関係ありません。実行日が4月2日だったので都内の桜は満開ちょい過ぎくらいでした。3月末に購入した新デジカメ「FX01」の「高感度モード」で撮影したものです。こちらは同じ「FX01」ですけど、スローシャッターです。結構画質が変わるものです。さて、本題です。最初にご紹介するのは「快速河口湖」です。使用車輌は489系が使われていました。旧あさまの余剰車輌なんでしょうね。これを撮影した時点の新宿駅では、中央線の快速ホームの位置がちょっと変わっていまして、こんな構図でしか撮れませんでした。所属は八トタ(八王子支社豊田車輌センター?)でした。この列車には乗っておりません。編成の車籍番号は以下の通りでした。 クハ189-14 モハ189-20 モハ188-20 モハ189-44 モハ188-44 クハ189-507快速河口湖の直ぐ後に、「ホリデー快速あきかわ号」が出発します。これは普通の201系電車が充当されていました。この列車にも乗っていません。実際に私が乗ったのは…。快速桃源郷パノラマ号です。これに乗って三鷹まで進みました。こんな車輌が使われておりました。これでも485系なんです。車籍番号は以下の通りでした。 クロ485-2 モロ485-4 モロ484-6 モロ485-5 モロ484-7 クロ484-4485系車輌ですけど、外観は徹底的に改造されています。原型が殆ど残っていません。連結器部分です。反対側です。エンブレムです。このお座敷車輌は定期列車には供用されていません。列車名のエンブレムは付けようが無く、編成名のエンブレムが付けられていました。客室はこんな感じでした。お座敷列車と言うことで、グリーン車扱いです。お座敷と言うよりは、宴会場列車と言う感じですね。荷物収納スペースはこんなところに設置されていました。座席指定も変わっています。変わった座席番号です。走行中の車窓です。窓が大きいので、見晴らしが大変良い車輌でした。車窓が美しい景勝地向けですね。残念ながら、快速電車ですので、車内販売はありません。デッキです。妙に広いのです。電気ポットが備え付けられていました。お茶を入れるのに使うのでしょうけど、どっちかと言うと宴会場ですから、電気熱燗器でも置けば良いのに。乗降口です。丸い窓…。南海電鉄のラピートに似ていますね。連結部です。お座敷列車らしく…。こんな表示がありました。裸足かスリッパで車輌間を移動することを想定しているようです。もう一度デッキです。FX01の広角性能が遺憾なく発揮されております。FZ30ではここまで写せません。男性用小便器です。ちょっと小さいですかねえ…。泥酔していると、横に掛けてしまいそうです。洋式便器です。広角FX01を使うと床面を完全に撮影することもできそうです。このカメラはトイレ撮影に最も向いています。洗面のです。自分の姿を写したくないので、非常に不自然な姿勢で撮影しております。制御車の共用ラウンジスペースです。正座が苦手な方むけなのか、全車両に共用ラウンジが設置されていました。こちらは中間車のラウンジです。やはり酒を飲んでくださいと言わんばかりの配置です。これも中間車かな。運転席の直ぐ後にも行けます。お座敷車輌ではありますが、展望性にも留意した設計のようでした。この列車で三鷹まで進みました。この画像は三鷹を出場して行くところです。最後まで乗っても良かったのですが、三鷹からは別の快速に乗換えです。切符は八王子まであるのですが、三鷹で下車です。おまけです。これにも乗っていませんが、三鷹で見かけたスーパーあずさです。三鷹からはこれに乗り換えました。ホリデー快速ビューやまなし号です。215系車輌が使われています。93年に登場したときには快速アクティとか湘南ライナーに使われました。エンブレムです。ダブルデッカーライナーと書かれています。全車二階建てで着席定員が多いのが特徴です。この全車2階建ての設計から、乗降に時間を要し、東海道線の快速では遅延が大きくなりがちになりました。現在は東海道の快速やライナーからの運用からは撤退し、波動輸送用の車輌になっています。こちらは二階普通車です。一階普通車です。やはり天井が低いですね。車輌両端部の中二階というか、普通の鉄道車両と同じ高さの客席です。こちらは普通車のデッキです。実際に私が乗ったのはグリーン車でした。グリーン車を紹介します。二階グリーン車。一階グリーン車。中二階というか、台枠階グリーン車です。座席は、特急の普通車のような感じでした。グリーン車の天井パネルです。この辺りは湘南ライナーらしいですね。グリーン車の便所と洗面台です。特急並みでした。グリーン車のデッキです。車輌の側面です。全車二階建てが良く分かります。この列車は立川で下車しました。これが切符でした。最後におまけで、青梅線で撮影した201系をご紹介します。内装が普通の中央線と微妙に違いました。この後に、青梅鉄道公園に向うのですが、鉄道公園の様子はまた別の回にご紹介します。(了)
2006/04/25
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さて、前回はひがし茶屋街と主計町茶屋街の夜景をご紹介しましたが、今回は、市内の他のライトアップ建築群をご紹介してまいります。先ずは旧三田商店です。尾張町に存在する建物です。金沢ライトアップバスのパンフから紹介文を引用します。(引用始め)旧三田商店:昭和5年に建造された西洋建築で、意思張りの壁面、柱の彫刻、バルコニーなどロマン溢れる様式は、金沢市の指定保存建造物になっています。(引用終り)続いて同じく尾張町にある、町民文化会館です。道路越しに撮影しているので自動車の灯火が少し映りこんでいます。その上斜めになっているのが辛い…。この建物の内部に昼間に入っています。中も公開されているのです。ご興味がある方は前の日記をご参照ください。(引用始め)町民文化会館:明治40年に金沢貯蓄銀行の本店として建造され、内部も殆ど当時のままに保存されていて、現在古美術の展示やいにしえの生活様式の紹介の場となっています。(引用終り)次は武蔵辻にある現役の銀行の支店です。近江町市場に隣接している北國銀行の建物です。ライトアップされていますが、建築の時期はいつ頃なのでしょうね。銀行建築にしても変わった意匠ですよね。(引用始め)北國銀行武蔵ヶ辻支店:現在営業する北國銀行の中にあって、最も古くロマンを秘めた建物です。商業ゾーンの武蔵地区の、夜のランドマーク的な存在になっています。(引用終り)最後は尾山神社神門です。これが神社なんです。何とも凄いですね。建築は明治8年だそうです。洋風のような和風のような何とも言えない味わいです。築地本願寺に通じるものがあるかなあ。(引用始め)尾山神社神門:明治8年に造営された神門は、国の重要文化財で、その雄姿は明治文化黎明期の異国情緒豊かな建築様式です。(引用終り)少しだけ寄って、もう一枚撮影いたしました。こんな感じで夜間撮影を行った後に、宿の近くで食事をして、三日目を終えたのでした。この日も満腹になりました。四日目は高岡を中心にして氷見線と万葉線の乗り潰し及び観光を行いました。次回以降にご紹介いたします。
2006/04/24
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前回までに、金沢=富山間で特急に乗って日没を待ったところまでレポート致しました。今回は日没後に撮影した、ライトアップ建築群をご紹介いたします。二日目の夜は「金沢ライトアップバス」に乗車しましたが、このバスは週に1回土曜日しか運行がありません。今回ご紹介する三日目の晩にはバスは運行されません。全部徒歩で移動いたしました。最初は浅野川大橋の上からの撮影分です。まあ、肩慣らしみたいな感じです。中の橋を撮影してみました。続いて、反対側の梅の橋です。この二つは前の晩にも撮影した対象です。微妙に構図を変えてみました。ひがし茶屋街へ入って参りました。前日分よりも露出を相当強めにしております。思い切り射点を下げて撮影してみました。それにしても、灯がある建物はいいですね。曇っているので、露出を上げると空が微妙な色に写ってしまいます。夜景も晴天の方が良いのです。少し望遠気味にして見ました。だんだんイメージに近い絵になってきました。再び川沿いに出ました。先ほどもご紹介した中の橋です。橋の袂まで来て撮影した分です。真横から撮るよりも、こうやって撮った方がライトアップの照明が映えますね。主計町です。川沿いの建物は良いものです。風が無ければ、水面に建物が写って、綺麗な対称になるんですが、この日は風があってだめでした。これもお気に入りの一枚です。同じく主計町です。今回はここで一旦切ります。
2006/04/24
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前回は金沢駅でのサンダーバードの併合の際の連続写真をご紹介しました。今回も鉄チックですけど…。暇つぶしの最初に載ったのはJR西日本のはくたかです。前に北越急行のはくたかをご紹介しましたが、今回はJR西日本の方です。形式は683系で、160キロ走行車輌です。まだ、ほくほく線には一回も乗ったことがありません。なんか機会を作って、在来線160キロ運転の世界を味わってみたいです。はくたかの中で食べた駅弁「利家御膳」です。大名駕籠の形になってます。上にある棒状の黒い箱の中には箸が入っています。金沢らしいデザインでした。中身はこんな感じでした。割と普通の駅弁でした。どうせ時間つぶしですから、最初の停車駅の高岡駅で下車しました。高岡には路面電車が走っています。万葉線と言う第三セクターです。次の日(旅行三日目)に万葉線は全線乗り潰しを行いました。詳しいことは後の回でご報告しますが、なかなか風情のある路面電車でした。富山市でも路面電車が走っています。電力の豊富な富山県ならではなのかなあ。高岡からは「しらさぎ」に乗りました。「特急しらさぎ」は名古屋~米原~福井~金沢~富山を結んでいます。形式はやはり683系です。しらさぎの車内の自販機です。まあ、こういうものがあると便利は便利ですよね。はくたかには無かったような気がします。しらさぎの洋式便器です。当然のように真空吸引式でした。トイレの備品です。便座クリーナー付でした。ものの十数分で富山駅に到着です。ここでターンして再び金沢を目指しました。薄暮の富山駅です。この日の最後の乗車はサンダーバードになりました。結局ものの3時間で、JR西日本の北陸電車特急に全種類乗ることになりました。西行きの車内でも駅弁を食べてしまいました。富山の駅弁で「ずわいがに寿司弁当」です。中はこんな感じでした。寿司なので仕方がありませんけど、ご飯が冷たいのでした。私的には、これも美味しいのですが、ベストの蟹駅弁は長万部の「蟹飯」でございますね。列車のダイヤに合わせてご飯を炊いて、暖かいご飯で食べられる点で優っているような気がしました。以上で、日没待ちの時間つぶしレポートを終わります。次回は二晩目の金沢の夜景撮影分をご紹介いたします。
2006/04/23
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前回は定期観光バスで金沢駅まで帰って来たところまでご報告しました。日没まで時間を潰すために北陸線を行ったり着たりしたのですが、今回は、金沢駅で撮影した写真をご紹介します。北陸線を走る特急のうち、何本かは金沢駅で分割併合を行います。大阪特急のサンダーバードの場合ですと、大阪=金沢間は9両編成で運行しますが、金沢から先は6両にしたり3両にしたりします。割と多いのが、大阪=金沢は9両編成で運行し、金沢で3両を切り離し、6両編成で富山に向ったりするケースです。残りの3両は車庫に入るか、七尾線を和倉温泉に向うかになるケースが多いようです。今回は金沢駅で撮影した連続写真です。併合準備作業を行う683系です。こんな感じで準備をして、併結列車を待っていました。北陸線の場合は、併結後に通り抜けできるように通路を設定します。指定席・自由席が色々入っていますから、これはMUSTなんでしょうね。こんなものを見物した後に、富山に向いました。次回は富山への移動と、駅弁などをレポート致します。
2006/04/23
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北陸の続きです。前回は厳門(がんもん)の景色までご紹介しました。バスは厳門を出発し、千里浜を目指して進みます。先ずは、その移動中に車窓から撮影した画像からです。これは旧福浦灯台という施設です。江戸時代から続く灯台だったそうです。志賀町にあります。これも志賀町内です。北陸電力志賀原子力発電所2号炉の煙突です。裁判で揉めていましたが、運転しているのかしら…。こんなものを窓から見つつ、次の目的地の千里浜に到着しました。こ部分は暫定レポートでも触れておりました。若干重なる記述が出ます。大観光地らしく、団体客用の記念写真撮影セットがありました。この千里浜に関する説明を、定期観光バスのパンフレットから引用いたします。(引用始め)千里浜なぎさドライブウェイ:粒子の細かい砂が海水を含んで大型バスが走行できるほどに固くしまり、波打ち際の景色が楽しめます。夏には遠浅の海水浴場としてもにぎわいを見せます。(引用終り)簡単に言うと自動車がガンガン走れる海岸が延々と続いている訳です。海岸であって、道路ではないので、道路交通法も適用されないそうです。こんな感じです。波打ち際を走っても良いそうです。またまた、バスの運転手さんのお話からですが、この海岸は元々は塵浜と呼ばれていたそうです。日本海の漂着物が多く、ごみだらかだったので、こういう名前になったそうです。でも、あまりにイメージの悪い名前なので、発音は変えずに漢字だけを替えて「千里浜(ちりはま)」としたそうです。清掃作業は大変だそうです。かつて、この千里浜を皇太子夫妻が訪れたことがあったそうですが、その時は気合を入れて清掃したので、驚くほど綺麗になったそうです。観光バスで千里浜を走る前に、この千里浜レストハウスでトイレ休憩を取りました。色々なものが売られていたのですが、まだまだ旅程が残っていたので、買い物は自粛しました。いよいよ砂浜走行です。バスの窓から撮影した分です。こんな感じで水際まで車を進めている人が居ました。運転手さんのお話によると、水に入ったら絶対に車を停めてはならないそうです。遅くても動かしていれば、はまらないそうですが、車を停めてしまうと、タイヤが埋もれてしまい、どうにもならなくなるそうです(他の車に牽引してもらわないと脱出できないそうです)。この千里浜は海水浴場としても人気があるそうなんですが、海の家は全然儲からないそうです。皆車で来てしまうので、物が売れないし、ポリタンクに水を入れて持ってくると、夏なら放置していてもお湯になるので、シャワー客も少ないそうな。道路標識みたいなものは、川を表しているそうです。こんな砂浜でも流れ込んでくる川があるようです。危険なので、パイプに川の水を通して、地表に水の流れが出ないようにしてあるそうです。たとえ、水の中を走らなくても、海水で車体が侵されるそうで、洗車は必須とのことでした。こんな感じで、最後の観光地千里浜が終わりました。この日も夜景撮影に取組むのですが、金沢駅での解散は16時30分でした。またしても、日没まで時間が余りました。仕方なく、2日目と同様に、北陸線の特急に意味も無く乗って時間を潰したのでした。次回は、北陸線特急乗り潰しの模様をレポートします。
2006/04/23
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今週も土曜日の晩を都内で過ごしています。でも、少しでも遠くに行かないと体が爆発しそうなので、JRの期間限定の企画きっぷ「ときわ路パス」を使って、茨城県内の私鉄の写真を撮ってきました。鹿島鉄道と鹿島臨海鉄道と茨城交通です。クラシックな気動車が走っていて、中々のもんだったのですが、これは別の回にご紹介させて頂きます。今回は今晩撮影した東京駅本屋の夜景をご紹介いたします。以前maman.mさんにコメントでリクエスト頂いていたので、茨城県からの帰りに撮影してみました。(引用始め)・・・・・ところで、notoshunさんは、改修に入る前のライトアップ東京駅の撮影はなさったことがありますか?。もしあれば、機会を見て(新しい東京駅など多分撮影なさると思うので)ぜひ載せていただきたいなぁと、思い切っておねだりしてしまいます。(引用終り)残念ながら新丸ビル建築にかかる道路工事で、フレームに邪魔なものが入っているケースが多く、かなり「いまいち」感の強い写真になっていますが…。JR東日本はこれから東京駅本屋の屋根を全部作り直すと発表しています。もともとの東京駅の屋根はちゃんとしたドーム型だったのです。昭和20年の空襲で焼けた時に応急措置で作った屋根が、今の屋根でして、設計者(辰野金吾博士)のデザインとは全然違う屋根なのです。これを竣工当時の美しい屋根に戻すという工事が間もなく始まります。そこで今の屋根の姿を撮って置こうと思ったのです。そういう訳ですので、今回は写真の解説なしです。皇室専用だった出入り口ですね。左下が丸の内中央改札口です。ここまでがFX01の広角28ミリでの撮影分です。ここから下はFZ30を使いました。八重洲側のビル建設のクレーンが邪魔ですねえ。以上です。次回から北陸レポートに復帰します。【本日の成果】ホリデーパス(JCB) 23×1.5倍≒約35マイル(NH)ときわ路パス(JCB) 20×1.5倍=30マイル(NH)キオスク(SUICA) 4マイル(JL)ampm(EDY) 1マイル(NH)楽天で枕購入(JCB) 15×1.5倍≒約22マイル(NH)
2006/04/22
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昼食を頂いた厳門(げんもん)周辺の景色をご紹介します。 →読み方に誤りあり、正しくは「がんもん」。昼食場所の厳門ドライブインの前からの景色です。こんな感じの切り立った岩の海岸線が続きます。この周辺を能登金剛と言うそうです。戦前の命名だそうです。北朝鮮の名勝金剛山に地形が似ているからだそうです。確かに似ていますが…、今となっては余りよい名前ではありませんね。次に海岸線に下りてみました。こちらは洞窟の内部です。短い洞窟で直ぐに抜けられます。多分海の水が抉って作った洞窟だと思います。こちらは洞窟の出口ですね。切り立った岩の崖が続きますので、こういう滝も目に入ってきます。地形が変化に富んでいて、楽しめる遊歩道です。昭和50年代に能登半島がブームになった時には、観光客は遊歩道を全部歩き潰す人が多かったそうです。厳門洞窟の出口にある看板です。この周辺は、義経が京都から東北へ落ち延びてゆく際の通過地だそうです。この小さな湾に義経が船を隠したという伝説があるとのことでした。有名な勧進帳の舞台となったところも能登半島だそうです。こんな歩行者専用橋も作られていました。遊歩道としては、かなりの費用が掛けられております。観光バスが下車地として選ぶだけのことはありそうです。こちらは、歩行者専用橋の先にあった展望台です。ここで記念撮影なんでしょうか。展望台周辺からの撮影分です。最後は厳門洞窟の出口にある岩です。3階建てか4階建てのビルくらいの大きさでした。こんな感じで、昼食場所の近くの海岸を散歩したのでした。再びバスに乗り込み、今度は千里浜ドライブウェイを目指します。今回はこの辺で切らせて頂きます。【昨日の成果】朝食(SUICA) 4マイル(JL)
2006/04/22
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続きでございます。次の写真は輪島市内で見つけた変わったものです。ただの時計台に見えます。ロータリークラブが贈ったものらしいのですが…。どうも水害に遭った時の水位線を表しているようです。一番高いところは3メートルくらいありそうです。こわー。再びバスに乗り込み南下いたしました。バスから撮った写真なので、あまり綺麗に撮れていないですけど、江戸時代の廻船問屋の建物だそうです。今でも人が住んでいるそうです。掃除とかが大変そうですね。この辺から能登金剛と言われる、奇岩が続く海岸が始まりました。こんな岩の上に祠を建ててしまうのが凄いです。お参りに行くのも命がけでしょう…。昼食を頂いた、厳門ドライブインです。このツアーには昼食もついているのでした。(引用始め)厳門:海に突き出た岩盤に、浸食によってあいた洞門は能登金剛を象徴する光景です。自然が作り出した洞門の上には老松が生い茂り、迫力ある眺めをご覧いただけます。(引用終り)とまあ、一大景勝地なのですが、今回は昼食の内容だけご紹介して、景勝は次回ご紹介することに致します。おお、団体食堂、という感じです。修学旅行にも対応できそうです。こんな感じのお昼ご飯でした。刺身にごまがまぶしてありました。このようなお昼ご飯でした。次回は厳門周辺の風景をレポート致します。【昨日の成果】朝食(SUICA) 4マイル(JL)
2006/04/21
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昨晩は突然インターネットが不通になってしまい驚きました。屋内の機器の問題かと誤解して、2時間以上も無意味な復旧作業を行ってしまいました。実際の問題は網側でした。NTTの回線が断裂していたようです。あーあ。さて、続きです。間が空きましたが、前回は輪島市に到着したところまでレポートしました。今回は輪島の朝市をご紹介いたします。(引用始め)朝市:新鮮な海産物をはじめ干物や野菜、民芸品などの露店が所狭しと道の両側に約200軒が開店します。おばちゃん達の掛け声ともども、奥能登の素朴な人情を感じることができます。(引用終り)引用してますのは、定期観光バスのパンフレットです。まあ、大した規模なんです。朝市の入り口付近ですね。普通の商店の前に露店出ておりました。朝市の案内板です。結構色々書いてありました。いしるが売られておりました。魚醤の一種です。日本で魚醤文化を持つのはこのあたりとか、秋田くらいですよね。美味しいです。東南アジアに行くと、タイとかベトナムといった国が魚醤文化です。豆醤油よりもこっちの方が古そうです。朝市の中程にある謎の看板です。なんで駅長なんでしょうね。昔は輪島まで鉄道が来ていましたので、そのころの駅長さんが引退して始めたお店なのかしら。色々な露店がありましたが、やはり海産物を売る店が多いようです。能登半島といえば、海女さんですよね。関係ありそうです。朝市の人通りです。結構な人出ですよね。相当な過疎地域の筈なんですが…。この露店の後ろのほうに鑑札が見えます。右上の方です。朝市への出店には登録と、登録料の支払いが必要だそうです。出店場所も決められているし、販売する物品の種目も決められているそうです。これが鑑札です。木の板に番号と個人名が書いてあるだけです。簡単に作れてしまいそうな気がしました。朝市の端の方です。やはり、端の方に来ると人通りが少なくなって参りました。こちらは朝市の近くの輪島塗のお店ですね。最後に、バスの運転手さんのトークをもう一つご紹介します。輪島は昔「るるぶ」で「物を投げると落ちて来ない街、輪島」と書かれたことがあるそうです。トンビがたくさん飛んでいまして、人の食べ物を狙ってきます。食べ物を食べる時には気をつけてください。と、こんなお話を聞きました。暫定レポートにも載せた写真ですが、再掲します。輪島のトンビです。この写真は結構な大望遠で、移動する鳥を撮影しています。割と難しいショットですが、上手く撮れました。うふふ…。今回はこの辺で切ります。
2006/04/20
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NTTの復旧工事も終り、無事に画像を表示できるようになりました。ふー。電話局と住居の間で光回線が断線したのが障害の原因だったそうです。工事のせいかしら…。
2006/04/20
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NTTの回線故障でネットワークに接続できません。当然、画像サーバーも機能停止です。復旧するまで〔多分明日でしょう〕画像は見えませんし、更新もできません。あーん。
2006/04/19
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旧萬世橋駅遺構関係のインターミッションを入れましたので、二日ぶりの北陸紀行です。旅行の二日目までレポートしています。二日目の晩の金沢の夜景とはうって変わって今度は能登半島です。三日目の朝からです。この日は能登半島輪島方面を周ることに致しました。といっても一人ですので、定期観光バスに乗りました。特急バスわじま号です。北陸鉄道が主催している観光バスですけど、バスは能登中央バスでした。下にダイヤを掲げますが、結構な時間です。7時間以上なんですね。その割には下車地が少ないのです。つまり長い距離を走る行程なんですね。 <わじま号の行程> 金沢駅東口一番のりば(8:10発) 輪島駅ふらっと訪夢(10:06発) 輪島漆器会館・朝市(11:21発) 厳門(13:40発) 千里浜レストハウス(14:35発) 千里浜なぎさドライブウェイ 金沢駅西口降車場(15:30着)朝の金沢駅です。出発が8時過ぎですので、7時台には駅に行かねばなりませんでした。これがバスの本体です。まあ、普通の観光バスでした。7時間以上のコースとは言え、昼食込みで7200円です。結構お高い。それで下車地が少ないので、ちょっと割高かなあと、乗る前には思っていました。しかし、しかし。このバスはお勧めです。観光案内のテープが流れるのですが、テープが流れていない間は運転手さんがトークをし続けます。このトークが実に良いのです。運転手さんの力量代で3000円はあります。さて、バスは行程通りに進んで行きます。最初は一般道を海沿いに進みます。既に春ですので、日本海もそんなに荒れていません。冬だと凄いと運転手さんが言ってました。最初の下車地(道の駅輪島にも停車しましたが、下車がしません)の輪島漆器会館です。輪島塗工業の中心地です。観光バスのパンフの案内文を引用します。(引用始め)輪島漆器会館:重要有形民俗文化財の指定を受けた輪島漆器製作用具および作品3804点を展示してあります。人間国宝や桃山、江戸時代の名品が展示されており、当時の技術の高さがうかがえます。(引用終り)こんな感じの、ちょっと時代がかった建物の中に漆器関連の色々なものが展示されていました。輪島漆器作成に使う工具類ですね。こちらは工程表です。最初はただの板だったものが数十工程を経て、輪島漆器になっていきます。これは、輪島塗の神輿です。物凄い金額になりそうですね。一階では輪島塗の販売も行われておりました。輪島塗に関しては運転手さんのトークにも散々出てきました。うろ覚えベースで少しご紹介すると…。輪島市には輪島塗のコミュニティバスが存在する。補修費が余りに高いので、廃車の可能性大。木工品なら基本的に何でも輪島塗になる。今まで受けた注文で一番変わった注文は輪島塗の棺。輪島塗が大好きなおばあさんのご注文だったとのこと。こんな感じで行程が進んで行きます。輪島漆器会館の直ぐ脇を輪島川が流れておりました。この川沿いに下流の方へ歩いていくと有名な輪島の朝市に着きます。朝市へ向う途中にあった輪島塗のお店です。上のお店の前に置かれていた看板というかオブジェというか…。なんだか面白い形なので撮っておきました。輪島市の下水のマンホールの蓋です。朝市のデザインになっていました。今回はここまでに致します。次回は、有名な「輪島の朝市」の様子からレポートを再開いたします。【昨日の成果】ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH)
2006/04/19
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今度は万世橋駅のホームに上がる階段まで進みます。ホームには出ることは出来ません。ホームを望む階段までです。こんな階段を登っていきます。暗い階段です。ホームへの通路です。右側の木枠の箱は改札口ではなく、冷房機を覆ったものでした。表示板ですね。この辺りは昭和っぽいですね。壁面にご注目ください。タイル張りになっていました。こういう所は昭和風でした。階段にも歴史がありました。滑り止めの金具がすべて撤去されています。戦時中の金属供出の際に全て剥がされたそうです。ホームに出る階段の末端まで進むことが出来ます。列車の保安上、ここではストロボは禁止になっていました。最上部からの眺めです。とって付けたような駅名板…。見学上の注意事項の張り紙もありました。列車が通過するとこんな感じになりました。大きな音がします。この201系もいつまでここを走るんでしょうね…。いつもなにか首都圏で最も古い形式の一つになってしまいました。階段の最上部から入り口を撮影してみました。暗幕があるんです。何のための暗幕なんでしょうか…。展示車両用のライトアップ照明が何機か見えました。わざわざ赤い色をつけているんですね。PC用のファンが取り付けられているのが面白い…。ファンを付けるくらいならケースを外せば良いのに…。こんな感じで遺構公開はお終いになりました。ここから先はおまけ画像です。交通博物館の屋上から見下ろした、先ほどの万世橋駅の階段です。ここから写真を撮りました。交通博物館の中に展示されていた戦時中の駅弁です。「沈黙!! 一人一人が防諜戦士」というのが渋いです。もう一つの万世橋駅、東京地下鉄道の万世橋駅の図面もありました。この駅も戦前に廃止されています。交通博物館内で公開されていた、もう一つの万世橋駅のホームへ至る階段です。こちらがかつての中央階段だったそうです。今回私たちが通ったのは、新しい方の階段だったようです。交通博物館の線路側の部分は、もともとの万世橋駅の構造を利用しているため、こんなものもありました。現在は休憩所になっています。交通博物館の外側に出ました。神田川です。はしけが通るんですね。前にもご紹介しましたが、交通博物館の上の保線用車輌置き場に展示されていたEF55です。帰りは秋葉原経由にしました。流石はアキバです。こんな感じの人がたくさんいて気軽に撮影に応じてくれました。メイド喫茶の呼び込みかしら…。カメラを向けると皆さん、猫っぽいポーズをとりました。なんでみんなこのポーズなんだろう…。こんな感じで、旧萬世橋駅の見物を終えたのでした。次回より、北陸レポートを再開いたします。万世橋駅よ、ありがとう!。交通博物館よ、ありがとう!。
2006/04/18
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今日も画像サーバの不稼働時間が生じておりました。申し訳ありません。プロバイダの切断があると自動復旧しないみたいです。とりあえず、短時間で切断されないプロバイダに乗り換えようかしら…。冒頭の動画は、万世橋駅のホームから見た中央線の姿です。子お姿を拝めるのも24日限りです。さて、前回のレポートの続きです。インターミッションなんですが、複数回になってしまいました。行けませんね。今回のレポートで、実際の万世橋駅の様子をご報告します。交通博物館有数の人気展示の大パノラマです。ここを進んで集合場所に参りました。このパノラマの背景画は「風呂屋の絵」を書く人が書いたそうです。富士山と言い、何となくお風呂屋さんのテイストがあると思いませんか。比較したらかわいそうなんですけど、ソウル郊外の韓国鉄道博物館のパノラマと比較すると、路線の複雑さと言い、車輌の種類の多さを言い、桁が違います。実際の鉄道でもこちらの運行密度とあちらの運行密度はけたが違いますけど…(東京駅の列車発着数は外国から見ると病的な水準に見えます)。ここが集合場所です。国の重要文化財(最近重要文化財に近づくことが多いです)の「1号機関車」の直ぐ前です。まずはここに集まります。続いて、ボランティアさんによる点呼と、注意事項の説明が行われます。注意事項は非常に簡単です。三脚禁止・足元に注意・館内移動は一列縦隊。これだけです。この集合場所はかつての「万世橋駅中央改札口」の場所に当たるのですが、実際の遺構への入場はここでは無く、線路沿いの入り口からとなりました。この何の表示もない扉(正確には「関係者以外立ち入り禁止」と書かれていますが)が万世橋駅への通路の入り口でした。現在「蔵出し模型展」が開催されている当たりです。DF50の実物大の図面が掲示されている場所に入り口があったのです。扉の向こうは事務室でした。ここを右に曲がって更に進みます。この辺りから時代感が出てきます。この万世橋駅は明治に基礎が築かれ、大正に崩落し、昭和に再建されました。明治っぽいところと昭和っぽいところと両方出てきます。こんなガードしたに通されました。このレンガは明治のものだと思います。中央線の線路の桁です。中央線の真下に居るわけです。電車が通過する時はちょっと五月蝿いのです。元は待合室だったのでしょうか。ちょっとした広さです。ここで6分の短い映像を見せてもらいます。万世橋駅の歴史が紹介されました。「ここは昔駅だった」という題名で、中々感動的(?)なフィルムでした。栄枯盛衰というか…。万世橋ほど寿命の短いターミナルは珍しいものです。明治45年に開業し、大正の半ばにターミナルとしての命を失い、戦時中に廃止されてしまう訳ですから。この後に、撮影タイムに入ります。ホームに出ている、前の組の退場を待つ間、このガードしたは撮りたい放題になりました。FX01の高感度モードが大活躍でした。往時は、この先を通ってホームに出たものと思われます。レンガによるドームです。明治っぽいです。ここは倉庫だったのかしら。今度はFZ30によるストロボ撮影分です。結構ストロボの能力があります。この広さでもすっきり写っているのが凄いです。レンガ面です。昔は何か壁材が貼られていたような感じでした。ストロボを焚くと、不気味さが増してきますね。何となく、昨夏に行った「テニアン島の帝国海軍の燃料庫」を思い出しました。こうして見ると、レンガ面から水が染み出しているのが分かりますね。流石に建設後100年近くたっていますので、修復か取り壊しの時期が近づいている、という感じを受けました。まあ、耐震の問題があって取り壊し・建替えなのでしょうが…。レンガ造りが基本なんですが、こんな感じの石造りのところもありました。この辺は辰野先生のご趣味なのかなあ…。室内に張られていた平面図です。ここは最終営業時の改札口などがあった場所なんですね。もう一枚の案内図です。撮影タイムが終わりました。ボランティアの方が呼びに来ます。今度はプラットフォームに進んで行きました。通路に張られていた「在りし日の初代万世橋駅」の絵です。東京駅によく似ています。ちょっと長くなってきたので、プラットフォームは次回に致します。その他画像を少々ご紹介して、今回のレポートを終りにします。交通博物館の入場記念券です。交通博物館はちょっと変わっていて、入場券はみどりの窓口で買っても、博物館で買っても、鉄道のきっぷ風のものになります。博物館で買うと「東京駅から130円区間」みたいな小さな切符ですけど。入館時に切符と入場記念券を引き換えるのです。入場記念券の裏面です。記念硬券を貰ったり、スタンプラリーの商品を貰ったりすると、ハンコを押されていきます。現在の交通博物館の入り口です。「さよなら交通博物館」と大書されております。今回はここまでに致します。次回でインターミッションを終え、次々回より、北陸レポートへ復帰いたします。【本日の成果】夕食(JCB) 140×1.5倍=210マイル(NH)ポプラ(EDY) 1マイル(NH)
2006/04/17
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北陸レポートも一日分を終えたので、ここでインターミッションレポートをお送りいたします。旧万世橋駅の遺構公開に参加した際の画像を載せます。この遺構の公開は交通博物館の閉館を記念するイベントで、4月24日までで終りになります。まだやっているうちにレポートしないと「賞味期限切れ」になってしまうような気がしまして…。この公開に参加するには、電話で予約するか、当日並ぶかが必要です。但し、電話予約枠はほぼ売り切れです。従って並ぶしか術は無いのです。交通博物館には大変思い入れがあります。過去にこのブログで2回ほどご紹介しています。宜しければお読みください。別に読まなくても、このレポートの意味がとれないということはありません。ご安心を。 旅行間のインターミッション 主として館内のご案内 【インターミッション】万世橋交通博物館閉館記念展示と 新購入デジタルカメラFX01 主としてEF55とライトアップ では、実際の遺構見学の手順を追ってご説明して参りましょう。先ず入場券です。遺構の見学には交通博物館への入館が必要です。入場券はJR東日本のみどりの窓口で購入可能です。クレジットカードで購入すればマイルも付きます。前にも書きましたが、博物館で買うと310円、駅で買うと260円です。こっちの方が安いです。買い忘れた場合には、必ず開館前(自動販売機は開館の15分前ごろに起動されます)にその場で入場券を買っておくことが必要です。交通博物館の雄姿。昭和11年の作品で、インターナショナル様式の建築です。残念ながら耐震強度が十分では無いので、閉館後は解体されることが決まっています。開館(午前9時30分)の40分前でこんな感じでした。これで私たちは2回目のツアーへの参加となりました。もう少しゆっくり行っても何とかなりそうです。館内ではこんな感じで列が続きます。機関車ホールの蒸気機関車を巻いて列が延々と続きます。遺構公開の列に並んでいる間に、入場券を提示して、記念硬券を貰っていきます。この記念硬券も交通博物館の閉館記念で配っているもので、時期によって5種類が用意されているようです。いずれの硬券も鉄道省時代の切符のレプリカです。後で説明しますが、万世橋駅は旧甲武鉄道の始発駅として建設されました。今のJR東日本の中央線です。鉄道が一斉に国有化される前は、主要幹線の多くは私鉄でした。東海道線は官営でしたが…。例えば東北本線は日本鉄道という私鉄でした。中央線は甲武鉄道、山陽本線も山陽鉄道でした。東京にターミナルがたくさんある理由の一つは、かつては私鉄会社毎にターミナルがあったからです。官営鉄道のターミナルは新橋(現汐留)・東京、日本鉄道のターミナルは上野、甲武鉄道の飯田町(既に消滅)・万世橋、新宿・渋谷・池袋は今でも私鉄の終着点ですね。万世橋駅の絵葉書です。これも交通博物館の閉館を記念して、4月から発売されています。売り切れ次第販売終了になるそうです。往時の万世橋駅の姿です。この駅舎の開業は明治45年のことだったそうです。駅前の銅像は、日露戦争の英雄、広瀬中佐と杉野兵曹長です。駅前に電線がたくさん見えますね。ここはかつての須田町電車停留所でした。東京の市内交通(まだこの頃は東京市でした)を路面電車が担っていた頃、ここは市電の一大乗換所(東京では死語、知らない人はおじいちゃんに聞いて下さいね)だったのです。駅舎にもう一度目を転じてください。どこかの駅に似ていると思いませんか?。実は東京駅の設計者である辰野金吾博士の設計なのです。東京中央停車場の習作になっているという説もあります。立派で豪華な建築であったようです。これが残っていれば…。もう一枚絵葉書をご紹介します。大正12年9月1日の万世橋駅です。関東大震災により万世橋駅は火災に遭遇し2階部分が全焼いたします。大正3年には東京駅が開業し、大正8年には万世橋=神田=東京が開業しており、単なる中間駅と化していた万世橋駅は重要な駅とは見なされず、簡単な復旧に留められたようです。この駅舎の基礎部分を転用し、昭和11年に鉄道博物館がここに建設されたそうです(正確には東京駅八重洲口からの移転)。これが交通博物館の縁起だそうです。そして、日本は戦争へと突入して参ります。行けば分かりますが、万世橋駅は御茶ノ水からも神田からも秋葉原からも非常に近いのです。御茶ノ水からは1キロないような気がします。当時の政府は万世橋駅を「不要不急駅」と認定し、昭和18年10月31日をもって営業を休止し現在に至っています。万世橋駅の駅員や備品は京浜線の新子安駅に転用されたそうです。新子安駅は軍需産業の重要駅でしたので…。話を元に戻しましょう。あの長い列を進むと、こんな受付テーブルに出ます。ここでフルネームを告げてパスを貰います。これがパスですね。これをクビから下げていると、博物館へ再入場が可能ですので、午後に回されてしまった場合には、秋葉原に行って時間を潰すのも良いでしょう。ちょっと長いので、ここで切ります。このシリーズを終えたら、北陸レポートへ戻ります。
2006/04/17
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旅行第2夜の金沢ライトアップバス関連の夜間撮影分の画像をご紹介いたします。ライトアップバスを橋場町のバス停で降車すると、まいどさんと言うボランティアガイドのお姉さんが待っていました。この方のご案内で、ひがし茶屋街を歩きました。今回はライトアップバスのパンフレットからの引用を行います。字数が50%を超えないようにコントロールして参ります。(引用始め)ひがし茶屋街:出格子が美しい、お茶屋建の家々が軒を連ね、城下町の面影を残しています。そぞろ歩きに三味線の音も流れ、情緒ある佇まいを味わうことができます。(引用終り)とにかく風情がある街でございました。日中のひがし茶屋街の情景は、以前の日記(【一般旅行】北陸二泊五日(9) 金沢市の近世建築(日中編))をご参照ください。日中と夜間の差を比べていただくと良いと思います。いきなりストロボを焚いておりますが、こちらは川沿いの茶屋街の主計町です。この字で「かずえちょう」と読みます。昔は芸子さんもたくさん居たそうな。(引用始め)主計町茶屋街:格子戸の続くまちなみで、浅野川の流れとともに金沢らしい情緒が漂い、粋な空間を残しています。99年10月に全国で初めて旧町名を復活させました。(引用終り)こちらが主計町(かずえちょう)の情景でございますね。まいどさんによると、「全国に先駆け旧町名を復活させたところ」だそうです。夜間撮影ですので、今回に限って、全ての画像(ストロボ使用分を除く)の諸元を掲げます。 露出時間(秒),8.0 F値,7.10 ISO感度,100 "焦点距離(mm, 35mmフィルム換算)",43続いてひがし茶屋街の本通りです(現在の住所では東山)。昔の表紙と同じ構図にしています。下の通り、F4で4秒開けましたが、まだアンダー気味ですね。難しいです。もちろん、フルマニュアル撮影です。 露出時間(秒),4.0 F値,4.00 ISO感度,100 "焦点距離(mm, 35mmフィルム換算)",43梅の橋です。浅野川にかかる木造橋です。ライトアップの対象になっています。ちょっと中望遠で撮影してみました。思い切って13秒開けています。浅野川大橋から撮影しています。後のライトアップバスパンフからの引用を付けて置きました。 露出時間(秒),13.0 F値,4.00 露出プログラム,マニュアル露出 ISO感度,100 "焦点距離(mm, 35mmフィルム換算)",75(引用始め)梅ノ橋:泉鏡花の「義血侠血」にちなむ滝の白糸で知られ、またテレビドラマの舞台ともなるこの橋は、背後に卯辰山を控え、優美な湾曲をした木造橋です。(引用終り)こちらは中の橋(別名一文橋)です。こちらも木造橋で、人しか使えない造りになっています。こういう橋を残しているあたりも金沢らしいですね。実際に渡りました。この中の橋周辺では加賀友禅の洗浄作業が行われるそうです。まいどさんによると、この洗浄作業は観光客向けだそうで、大半の加賀友禅の洗浄作業は工場内で行われているそうです。 露出時間(秒),5.0 F値,3.20 ISO感度,100 "焦点距離(mm, 35mmフィルム換算)",113(引用始め)中の橋:泉鏡花の「化鳥」「照葉狂言」の舞台。橋を渡るごとに一文支払ったことから、別名「一文橋」とも言われていました。(引用終り)橋上から撮影した主計町です。この日のベストショットと思っております。気に入ったので表紙に使っております。不自然なくらい露出を上げていますが、まあ、演出と思ってくださいね。 露出時間(秒),8.0 F値,3.20 露出プログラム,絞り優先AE ISO感度,100 "焦点距離(mm, 35mmフィルム換算)",35金沢文芸館です。橋場町のバス停の直ぐそばにあります。昨年オープンの新しい施設で、金沢市が買い取って文芸館に改装する以前は銀行の建物だったそうです。新しいスポットなので、ライトアップバスのパンフレットには解説はありませんでした。 露出時間(秒),1.6 F値,3.20 露出プログラム,絞り優先AE ISO感度,100 "焦点距離(mm, 35mmフィルム換算)",35国の重要文化財の金沢城石川門です。ちょっと光の調整は出来ないのかしら…。明るいところと暗いところの差がありすぎです。正面から撮影しています。ほぼ同じ構図の日中撮影分が前の日記(【一般旅行】北陸二泊五日(5)金沢城公園国宝石川門)にあります。良ければ比較してみてください。 露出時間(秒),1 F値,3.20 露出プログラム,絞り優先AE ISO感度,100 "焦点距離(mm, 35mmフィルム換算)",49もう一枚撮影してみました。構図取りを変えればよかったなあ。右の建物だけを収めればよかった…。ちなみにこちらは兼六園下バス停からの撮影です。 露出時間(秒),1 F値,3.20 露出プログラム,絞り優先AE ISO感度,100 "焦点距離(mm, 35mmフィルム換算)",92(引用始め)金沢城石川門:加賀百万石前田藩主の拠城、金沢城の搦手口にあたる石川門は、隅櫓・多聞櫓・石落とし・なまこ塀からなる、国の重要文化財です。(引用終り)次が最後の建物です。石川県庁の石引分室です。元々は帝国陸軍の将校クラブ(皆行社)だったそうです。この建物も石川門同様ライティングに工夫がありません。なんだかなあ…。 露出時間(秒),1.0 F値,4.00 ISO感度,100 "焦点距離(mm, 35mmフィルム換算)",35中望遠でもう一枚撮影してみました。二枚とも建物正面の路上から撮影しました。 露出時間(秒),1 F値,4.00 ISO感度,100 "焦点距離(mm, 35mmフィルム換算)",107(引用始め)石川県庁石引分室:旧陸軍の皆行社として建築された木造二階建てで、現在は兼六文化ゾーンの木々に囲まれ、静かな佇まいを見せています。(引用終り)と、こんな感じで撮影を行いながら、二日目を終えたのでございました。色々と撮れて大満足の一日でございました。一日分のレポートが終わったので、次回はインターミッションを入れます。
2006/04/16
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今週も旅行に出ずに都内におります。今日は新宿駅の跨線橋の付け替え工事のために、中央快速線を東京=中野で完全に停めて工事をやっていました。当然特別ダイヤです。まあまあ見応えがありました。さて、今回から金沢で撮影した夜景をご紹介します。金沢では3回夜を過ごしましたが(うち一回は寝台特急の出発まで)、そのうち2晩、夜景撮影を行いました。今回は最初の晩の分です。現在でも運行されていますが、土曜日の晩に限り「金沢ライトアップバス」が運行されています。このきっぷは暫定レポートでも触れましたが、金箔入りの切符です。流石は金沢です。こんな路線を走っています。停留所の数が多い割には、運行時間が僅かでして、一晩で全部回るのは厳しいです。特にひがし茶屋街では「まいどさん」と言うボランティアガイドさんの案内で30分の散策が入ります。これを放棄するのは余りに惜しいのです。ここで30分使うと全部回るのは完全に不可能になります。また、上に掲げたフリー切符は金沢駅東口の北陸鉄道バスの切符売り場でしか購入できません。バスの運転手は持ってませんので予め買うことが重要です。ライトアップバス運行ルートは以下の通りになっていました。 0 金沢駅東口1番乗り場 1 武蔵ヶ辻 2 尾張町 3 橋場町 4 兼六園下 5 成巽閣前 6 広坂 7 香林坊 8 南町 9 武蔵ヶ辻 0 金沢駅東口1番乗り場アフィリエイトで上位5%になりたいさんがご自分のブログでパンフをアップしてくれています。更に詳しくお知りに成りたい方はこちらもご覧下さい。最初の写真は、出発位置の金沢駅東口です。あのガラスの「もてなしドーム」は夜間はこんな感じになります。(昼間のもてなしドームは前日の日記をご覧下さい。)ちょっと引いて見ました。ガラスの支柱に蛍光灯が取り付けられているようです。切れたらどうやって替えるのでしょうね。鼓門に寄って撮影してみました。ちゃんとライトアップされていました。夜間撮影なので諸元を載せておきます。 露出時間(秒),8.0 F値,7.10 ISO感度,100 "焦点距離(mm, 35mmフィルム換算)",39今度はガラスドームの内側からの撮影分です。内側から見ると、支柱がたくさん複雑に設けられていることが分かりますね。今度は横からです。こんな撮影を済ませた後に、ライトアップバスに乗り込みました。始発は19時で終バスは20時50分です。10分間隔で11便が運行されています。次回は、「まいどさん」と共に歩いた橋場町停留所周辺の撮影分からご紹介します。ところで、昨日、コメントで二つのご質問を頂きました。割と基本的な事実に関するご質問なので、日記の本文でご回答させて頂きます。ピクルスコさんのコメント(抜粋)1枚の容量はどれくらいで登録しているのですか?(中略)notoshunさんは何万画素で撮影してなんkbに縮小しているのですか?長いことこのブログをやっていると登録できる容量一杯になって最初のころの写真を消す、って言うことありましたか?お答えします。通常は生撮影は1600×1200ピクセルで撮影しています。8メガピクセルのCCDで撮影して、2メガピクセルのJPGで保存している訳です。もちろん、ここぞと言う時には、後々の引き伸ばしに備えて8メガピクセルで保存します。この生画像を400×300に縮小しています。4分の1に縮小している訳です。ついでにシャープネスも掛けています。しかし、加工はこれだけしかやっていません。トリミングも色調整も全くやっていません。これだけ枚数を載せていますので、加工していると時間が足りないのです。ブログに乗せている画像のサイズは、1枚当たり25~40キロバイトくらいになっています。また、このブログの画像は、楽天のサーバとは別のサーバを用意して、ブログからはリンクを貼っています。従って、事実上容量は青天井ですので、画像の消去は今のところ行っておりません。ただ、10年持つわけではないので、数年後には過去分の削除が始まることになりそうです。もう一問頂きました。アヤーウさんのコメント(抜粋)どんなデジカメを使って居るのですか?差し支えなければ教えて頂きたいのですが・・・・。お答えします。現在はFZ30とFX01を使っています。メーカーは両機種ともパナソニックです。カメラ本体の画像は以前の日記(FX01を買った晩に書いたもの)に載せています。FZ30はデジタル一眼レフ一歩手前の機種です。光学12倍ズームで手ぶれ補正つきです。画素数は800万でした。遠距離撮影に適しています。今だと5万円強くらいです。FX01はコンパクトカメラなのですが、広角側が28ミリまで行きます。近接撮影というか、室内撮影に向いています。今だと3万5千円~4万円くらいでしょうか。旅行中はこの2機種を持ち歩いています。この二つを使う前は、同じくパナソニックのFZ20(FZ30の前の機種ですね)とLS1(乾電池タイプの普及機)を併用していました。前に使っていたカメラの画像は、昔の日記(FZ20が修理から帰ってきた時のテスト時)をご覧下さい。と言うわけで、数十万もするデジタル一眼を使わなくとも、私の日記写真程度は撮影可能なのです。安いデジカメでも、相当の潜在能力があります。はい。【昨日の成果】サンクス(EDY) 1マイル(NH)JR東日本(JCB) 23×1.5倍≒約34マイル(NH)ampm(EDY) 3マイル(NH)
2006/04/16
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前回に引続き、北陸線の特急乗車をレポートします。しかし、その前に金沢駅の画像を数枚ご紹介します。金沢駅東広場のドーム「もてなしドーム」の内部の画像です。巨大なガラスドームでした。少なくとも非常にユニークかつ印象に残ります。他の駅と取り違うことは先ずないでしょうけど…。右下には木製の門が見えます。鼓門というそうです。鼓がモチーフみたいです。金沢が能が盛んな土地ですので、これも「金沢らしさ」の表現みたいです。金沢市の紹介文を引用してみます。(引用始め) もてなしドームの前面には木造の門が配置されています。金沢の伝統芸能である能や素囃子で用いられる「鼓(つづみ)」をモチーフにした、金沢らしいデザインです。また柱の内側には、もてなしドームに降った雨水を再利用するための送水管や地下の排気口が造られています。(引用終り)更に地下広場には、この「もてなしドーム」の部品が展示されておりました。色々な形状の金属部品を組み合わせて建設されている訳ですが…。このドームは何の役にたつのかしらん…。同じく鼓門の模型です。さて、金沢で少しだけ時間を潰しましたが、日没まではまだ時間がありました。フリー切符ですので、軽く富山まで移動しました。乗車したのは特急「はくたか」です。「はくたか」は金沢と東京をショートカットで結ぶ特急です。運転区間は金沢=越後湯沢(一部は福井と和倉温泉まで延伸運転します)です。路線的には複雑で、 北陸本線 金沢駅=直江津駅 信越本線 直江津駅=犀潟駅 北越急行 犀潟駅=六日町駅 上越線 六日町駅=越後湯沢駅と走って行きます。特に途中で第三セクターの北越急行を通りますので、北越急行の車輌とJR西日本の車輌があるみたいです。この車輌には北越のものらしいエンブレムがありました。これは編成のエンブレムみたいです。この列車はほくほく線内では160キロでぶっ飛ばします。もちろん、在来線では最速の列車です。方向幕です。客室内は普通の683系ですね。輸送力重視の簡素な作りです。トイレは意外にも循環式でした。子供台つきでした。男性用小便器にも厳重に手摺がつけられています。160キロ運転中は揺れるんですかねえ。ビュッフェと言うにはあまりに小さいですが、車販スペースも設けられていました。しかし、営業しているようには見えませんでした。こんなことをしながら、ひたすら日没を待ちました。日没後は金沢市内のライトアップスポットの夜景撮影を行いました。次回は夜の金沢の名所をレポート致します。【昨日の成果】なし。
2006/04/15
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今回は今までの9回とはがらりと趣向が変わります。北陸線の特急乗車記です。どこかで書いたかも知れませんが、北陸本線は在来線特急の聖地と言っても良い、特急が物凄くたくさん走る線区です。金沢・富山を中心とする北陸は日本の中心に存在し、東京・大阪・名古屋からの距離が比較的短いのです。大都市との航空路は小松=東京と能登=東京のみです。しかも短すぎるので、鉄道優位になっています。そこで、 大阪=富山 サンダーバード 名古屋=富山 しらさぎ 越後湯沢=金沢 はくたか 金沢=新潟 北越を中心に猛烈な頻度で特急が走ります。あ、和倉温泉行きは省略してます。モーニングエクスプレスも省略してます。特に、金沢=富山間は下手をすると20分に一本くらい特急が走るのです。今回利用した北陸フリー切符はこの特急銀座の自由席に何回でも乗れるのです。既に上野=金沢往復で元は取っているのですが、味見で乗ってみました。最初の獲物はサンダーバードです。大阪方面から金沢を経由し、富山や和倉温泉へ走ります。これがエンブレムですね。サンダーバードと言うカタカナの名前はもちろんJRになった後の名前です。元の名前は雷鳥でした。北陸本線の電化とともに登場した特急でした。物凄い号数です。今でも48号まであります。新幹線が無いので、在来特急がこんなに元気です。雷鳥という名前で走る特急も消えたわけではありません。少数の駅にしか停まらない速達特急がサンダーバード、多数の駅の停まる特急を雷鳥と区別しているようです。東日本に例えると、「あずさ」と「かいじ」みたいな感じです。形式は681系と683系が充当されています(485系は雷鳥として運行されることが多いようです)。在来特急とは何か?、という問いへのJR西日本の回答です。加速やトップスピードなどの走行性能は十分(湖西線を140キロですっ飛ばします)、簡単に分割併合運転が可能な構造で、分厚い輸送力を有する車輌です。九州が「乗る楽しみ」、四国が「速達性」に哲学を持っているのに対し、西日本は「輸送力」が哲学のような気がします。車内はビジネス特急色が強く、内装は比較的質素です。乗客はサラリーマンが多いのもこの特急の特徴です。このサンダーバードは金沢駅での分割併合を日常的に行います。その関係か、編成の中間に組み込まれた先頭車両を通り抜け出来ます。天井近くに隙間があって、運転台を撮影することもできます。新しい特急車輌らしく、液晶ディスプレイがあります。この車輌で、金沢=小松を往復して帰ってきました。しかし、まだまだ日没までは時間がありました。それにしてもこの小松駅はまるで新幹線の駅みたいですね。北陸新幹線対応なんでしょうか。ちょっと文字数が多くなってきたので、ここで切ります。次回は、金沢駅の謎のガラス張りホールの内部と特急はくたかをレポートして、鉄系の回を終えます。その後は金沢市内の夜景撮影分をご紹介いたします(暫定レポートはこちら)。
2006/04/14
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今日もDNSのトラブルで画像サーバのサービスが夕方から夜に掛けて数時間停止していました。今のやり方での写真の公開は難しいのかなあ…。3月以降、どうも調子が悪いです。さて、続きです。前回は金沢の西洋近代建築をレポートしましたが、今回は金沢の和風近世建築をご紹介いたします。ひがし茶屋街です。最初の画像は浅野川です。金沢を流れる川です。加賀友禅の洗い工程なども見られるそうなんですけど、気が付きませんでした。城や駅からはこの川を渡って茶屋街に入って参ります。簡単に言うとこんな感じの街なんです。昔は花街だったようです。いくつかの建築物は中に入れます。こういう明かり取りがあるのですね。昔の町屋建築らしく、間口は狭く、奥行きは深いのでした。元々は質屋だという説明を聞いたような覚えがあるのですが、思い出せません。二階部分に隣の家が見えないような壁のようなものが出ています。これもこの街の建築の特徴のような気がします。茶屋街中心部の広場ですね。大観光スポットでして、見物人が非常に多いのです。大変写真が撮りにくいのでした。日没後に夜景撮影を行うために再びここを訪れますが、人は殆ど居なくなり、三味線の音が聞こえたりしました。全然風情が違います。夜の方が良いのです。こんな感じです。原宿とは言いませんが、巣鴨くらいの混雑でした。混雑していても、本能的にシャッターを切りたくなる光景が続きます。一回部分が非常に細かい格子になっていて、建物の内部を覗くことはできません。しかし、建物の内部から外部を見ることはできます。格子が特殊にできているのです。台形の格子なんですね。色々考えるものです。こんな建物の中には、現役の料亭として使われているものもあるようです。物凄く高いらしいです。露出を替えて2枚撮っていますが、普通の住宅地と、重要伝統的建造物保存地区の境界地域です。こんな領域でも人通りがあります。近所の人は大変ですね。先ほどの中心広場を逆サイドから撮影してみました。逆光になっています。奥に見えるのは現役の銭湯です。こういう地域に銭湯が残っているというのも乙なものです。ここまでで、歩き疲れて、旅行の方向を変えて見ました。この次には、普通なら、まだ日があるので武家屋敷に行こうと考えるのでしょうが、歩くのが嫌になってきて、なんだか電車に乗りたくなってしまいました。ということで、ここから金沢駅に戻り、フリー切符を活用して、無意味に北陸本線の特急に乗ることにしました。日没後は、金沢の夜景を撮影する気持ちになっておりましたので、日没までの暇つぶしという意味もありました。次回は、サンダーバードとはくたかの乗車記をお送りします。
2006/04/13
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昨日は帰りが遅かったので、コメントにお返事がかけていません。すみません。さて、今回は金沢城公園から香林坊までの間にある、明治大正の建物をご紹介します。最初の作品は旧石川県庁です。大体どこの県庁舎もお城の近くに作られるものですが(お城の中に作られる場合もありますね)、石川県も例外ではなく、金沢城の直ぐ近くにありました。平成15年まで県庁として使用されていたようです。正面から撮影しようとしたのですが、大きな木が2本あって、撮影しにくいのでした。表札は「旧石川県庁」となっています。普段はどんな使われ方をしているのでしょう…。何となく、使われていないような感じでした。現在の県庁は北陸本線の北側に移動しているようです。正面玄関の前の木を一緒に写して見ました。木の大きさが分かると思います。この巨木もいわれがあるみたいでプレートがありましたが、内容は忘れてしまいました。この旧石川県庁舎は大正13年竣工だそうです。前に行った旧山口県庁舎に時代は近いのですが、こちらの方がはるかに規模は大きいのでした。金沢は大正時代も大都市だったと言うわけですね。またしても重要文化財です。現石川近代文学館です。かつては第四高等学校の本館でした。竣工は明治24年です。赤レンガが美しい…。東京にはこの時代の建物は殆ど残っていません。地震で壊れてしまったのですね。香林坊側からも撮ってみました。逆光になってしまっています。こういう建物は逆光では綺麗にならないのでした。この建物は尾張町にある、町民文化館です。金沢市役所による紹介文を引用しておきます。(引用始め)町民文化館 明治時代の趣を今に伝える町民文化館は、県文化財に指定されているアンティークな雰囲気の建物で、館内では当時の町民の生活用具や調度品、若手作家による工芸作品などが常設展示されています。(引用終り)もともとは金沢蓄財銀行本店として建てられたそうです。銀行のカウンターもしっかり残っています。少しアングルを変えて撮ってみました。ちなみに明治40年の建築だそうです。内部の様子です。右後に金庫室の扉が見えます。もう一枚内部の撮影をご紹介します。スローシャッターで撮影しています。この町民文化館の運営は尾張町商店街振興組合が行っているそうで、地元の産品などが展示されていました。こんな感じで近代建築を撮影しながら、兼六園から近江町・尾張町を通って、ひがし茶屋街へ移動いたしました。次回はこの街の風景をご紹介します。最後に金沢市役所によるひがし茶屋街の紹介文を引用しておきます。(引用始め)ひがし茶屋街 卯辰山麓を流れる浅野川の川岸には、今でもお茶屋建の風情のある古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯ともし頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や太鼓の音がこぼれてきます。五木寛之著「朱鷺の墓」の舞台としても知られています。平成13年11月には、国の重要伝統的建造物保存地区に選定されています。(引用終り)【昨日の成果】なし。
2006/04/13
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さて、続きでございます。さくさくとレポートして参ります。この兼六園を始めとする金沢市中心部の観光地は石川県庁による手厚い解説が公表されています。ついつい引用が多くなりそうですが、50%を越えると法律上の問題が出て参ります。文字数を管理して進めて参ります。明治紀念之標という記念碑です。銅像の人物は日本武尊です。早速引用です。(引用始め)[明治紀念之標](めいじきねんのひょう)中央に日本武尊像を、左に石川県戦士尽忠碑を据える明治紀念之標は、西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるものです。銅像の身長は5.5m、明治13年(1880)日本で最初に建てられた銅像といわれている。両脇に植えられた赤松は「手向松(たむけまつ)」と呼ばれ、当時、京都の東西両本願寺の門跡から移されたものです。 (引用終り)色々な歴史があるものです。ここからは兼六園内に設置されている石川県立伝統産業工芸館に入りました。こういう実演をやっていました。許諾を得て撮影して見ました。作っているのは金沢名物の水引です。金沢といえば金箔とか加賀友禅が有名ですが水引も名物なんですね。シャッター速度15分の1秒での撮影です。結構痺れる悪環境でしたが、何とかなりました。こちらは館内の喫茶室のメニューならぬ、カップ選択表です。流石は金沢です。カップが九谷焼でして、6種類用意されていました。飲む物はコーヒーですが、カップは九谷焼でした。うーん、百万石って感じです。またまた重文です。成巽閣です。加賀藩主前田家の隠居所として建設されたと書かれていますが、藩主の奥さんが住んだりしていたようです。19世紀の木造建築物です。外はそれなりに時代を感じさせます。中は凄いんです。ですが、撮影禁止らしかったので、撮影は止めました。こんな感じで、金沢城公園及び兼六園を駆け足で参観いたしました。ここまでは江戸時代の金沢です。次回は旧金沢県庁からレポートを再開します。言って見れば、明治大正の金沢となります。お楽しみに。
2006/04/12
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今回から、言わずと知れた大名勝の兼六園をレポートします。日本三大名園といえば、ここ兼六園と水戸偕楽園と岡山後楽園でございますね。岡山後楽園は昨年訪れています。ブログを始めたころのレポートなので写真の枚数が少なくて、「いまいち」なんですが…。宜しければ比較してみてください。どーん。入り口です。日本三大名園はいずれも大大名のお膝元に建設されています。豊かな大名しか作れない究極の趣味でございますね。加賀百万石の生み出した芸術品です。特に兼六園は北国とは言いませんが雪国の名園でございます。雪が降ると独特の味わいがありそうです。余りにも有名な徽軫灯籠です。兼六園のシンボルとして使われることも多いランドマークです(言い過ぎ?)。切手のデザインに使われたこともございました。池にはこんな鯉も泳いでおりました。みんな黒いのが残念。紅いのが居ないと寂しいです。徽軫灯籠を池越しショットで狙ってみました。この兼六園に関しても石川県庁が説明文を付けてくれていましたので引用します。それにしても、石川県のこの態度は立派です。観光立県を標榜するだけのことはあります。(引用始め)[徽軫灯籠](ことじとうろう)霞ヶ池の北岸に配された兼六園を代表する景観です。徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、高さは2.67m。かたわらのモミジの古木、曲水に架かる虹橋と一体となって優れた風景を醸し出しています。 (引用終り)実は読み方も良く分かりませんでした。漢字難しすぎです。兼六園は金沢市街を見下ろす丘の上に建設されています。このため、このような眺望台がありました。もやっていたので、写真は大したことありませんでしたので、掲載は見送りにしました。これも金沢名物です。「雪吊り」と言います。木の枝に積もった雪の重みで枝が破損するのを防ぐために、このように枝を縄で支えるのです。残念ながら雪は残っていません。残念。こちらが唐崎松です。ガイドさんによると、「雪吊りの縄が多い程格の高い木です。この唐崎松は800本の縄で支えられています。800という数は兼六園でも最大のものです。言わば兼六園最高の松でしょう」とのことでした。とは言うものの、陸側から見ると大したことが無いのです。少し立ち位置を変えても余り変わりません。そこで、池越しショットを試して見ました。こうして見ると有り難味が感じられます。水面を這う枝葉こんな感じに支えられています。同じく唐崎松です。兼六園の記念撮影の定番です。これが一番かなあ。それにしても雪が無いのが残念です。最後に石川県庁の開設を引用しておきます。(引用始め)[唐崎松](からさきまつ)13代藩主・斉泰(なりやす)が近江八景の一つ、琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てた黒松。兼六園のなかで最も枝ぶりの見事な木です。雪の重みによる枝折れを防ぐため、冬にほどこされる雪吊りは兼六園ならではの風物詩。他の庭園では見られない、趣深い風情を紡ぎだします。 (引用終り)ここで一旦切ります。続きは次回に。【本日の成果】なし。
2006/04/11
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北陸二泊五日旅行は写真の枚数がそこそこありますので、さくさくと進めて参ります。一日当たり二つくらいのレポートをアップし、一つのレポートが余り長くなり過ぎないようにして行きたいと思っています。まあ、金沢を始めとする北陸には魅力的なものがかくも多いと言うことなのですが…。さて、前回の続き、五十間長屋&菱櫓の館内からの再開です。とりあえず、高いところに上りたくなるのは、見物客の本性でございます。こちらは菱櫓から見下ろした掘割です。これも菱櫓からの撮影分です。ガラス越しの割にはまあまあ撮れております。金沢の街並みが背景に見えました。再び館内展示物です。鉛瓦の構造模型です。こちらは外壁の構造模型です。これだけ塗っておけば少々の火では中々引火しないでしょうし、小銃弾程度は先ず貫通しないでしょう。もう一種類壁の構造模型がありました。まあ、よく塗ること…。工芸品か芸術品の世界です。五十間長屋を出たところです。ここから、重文の石川門に向って参ります。石川門は金沢城の搦め手門です。晴天なんで、思わずシャッターを切りたくなる風景が次々に登場いたしました。菱櫓を見上げて撮影しました。石垣の高さにご注目ください。そう簡単に登れる高さではありません。これなら堅牢な防衛陣地になったことでしょう。ちょっと逆光気味ですけど、美しい…。晴天だったおかげで、ばんばん美しい画が撮れました。石川門のところまで行って、漸くのこと五十間長屋の全景写真を撮影できました。こうして見ると、横に長い建築物であることがよく分かります。この金沢城は天守閣が残っていません。普通の感覚だと天守閣を復元建築したくなるのですが、これを先送りにして五十間長屋を復元したところが石川県庁の慧眼です。これで雪が残っていれば…。今度は、重要文化財の石川門です。城郭の外側から撮影した方が絵になるのですが、気が邪魔でございました。もう少し離れてやや望遠で撮影すると、上手く木が目立たなくなりました。流石は重文だけはあります。美しい建物でございますねえ。重文でございますので、石川県庁の紹介を引用いたします。(引用始め)重要文化財に指定されている現在の石川門は、天明8年(1788)に再建されました。金沢城の搦手(裏口)門で、高麗門の一の門、櫓門の二の門、続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門です。ライトアップに浮かぶ姿も楽しめます。(引用終り)と、石川県庁でも説明しているように、夜になるとライトアップされます。この日の夜にこの石川門の夜間撮影を行うために、再びここにやってくることになりますが、夜間撮影分は後日まとめてレポート致します。金沢上公園の見物はこの位にいたしまして、次は隣接する兼六園へと進みました。次回は兼六園レポートをお送りいたします。日本三大名園の一つで、余りにも有名な庭園です。私の写真力でその魅力を余すところ無く伝えることなど不可能でございます。まあ、余り期待しないで下さい…。
2006/04/11
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すみません。また画像サーバがへたって居たみたいです。今回のサーバ不稼働時間は9時間でした。DNSですねえ。なんだかなあ。少し考えねばなりません。さて、続きでございます。前回は金沢城公園の重要文化財のさわりだけをお送りいたしました。今回はその続きでございます。入り口でございますね。この建物は平成13年の復元構築物だそうです。まだ新品ですが、気合が入った建物です。もう一発外観です。この画像の中央部に入り口があります。もちろん有料です。兼六園とのセット券がお得でした。三十間長屋周辺から撮影したものです。全景写真を撮りにくく、全体の構図が分かりにくいと思いますが、上から見るとクランク状の建物です。石川門に面して建築されており、門から進入した敵歩兵部隊の城郭中央部への進出を阻む防壁として建設されたようです。建物両端の塔状構築物(菱櫓)は見張り台として機能し、長い廊下は石川門方面に小銃の見下ろし射撃を行う銃座として機能するように設計されたようです。館内に入って参ります。最初に目に入るのは、この軸組模型であります。この模型は美しいのですが、ちょっとミスリーディングかなあ(模型を作った方、ごめんなさい)。この建物の肝は、菱櫓の複雑怪奇な柱の連結と、非常に丁寧且つ重厚な壁面の仕上げにあると思っているのです。後で説明模型が出て参ります。五十間長屋の廊下部分です。非常に広いのでした。この五十間長屋に関する説明を、石川県のウェブサイトから引用いたします。(引用始め)「五十間長屋」は武器等を保管する倉庫と城壁の機能とを兼ね備えた2階建ての建物です。 ここには天井板が貼ってないので、大きな松の木の梁など、その木組みをそのままご覧いただけます。 木と木は、鉄のクギやボルトで留めるのではなく、木材に「仕口」や「継ぎ手」、或いは「ほぞ」や「ほぞ穴」と呼ばれる凹凸を造って組み合わせ、 木で作ったクサビを打って外れないようにしてあります。 今回復元された一連の建物は、日本古来の柱と梁・桁を持つ「木造軸組工法」と呼ばれる方法で建てられ、 それに、土壁と貫(ぬき)という柱と柱を繋ぐ横木を組み合わせた「耐力壁」によって構成され、 地震に対してもきわめて丈夫な構造になっています。(引用終り)この広い場所に武器弾薬の備蓄、防衛射撃部隊、予備歩兵部隊を置く構想だったのでしょうか。これが「菱櫓」の名前の元になった、ひし形に組まれた柱であります。非常に複雑な連結を行っています。ひし形に組むには、これくらいやらねばならないことは分かります。しかし…、ここまで苦労して菱形に組む必要があったのかなあ。これなら直交させた方が良いような気もします。ちょっと長いので、ここで切ります。【本日の成果】朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 4×1.5倍=6マイル(NH)
2006/04/10
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今回は金沢城公園をレポートします。しかし、その前に金沢城公園黒門前の小さな屋敷からレポートします。旧検事正の官舎が公開されておりました。こんな感じのお屋敷でございます。中にも上がれまして、一回りして置きました。金沢市は北陸の政治文化の中心地でした。これに対し、水力発電で電力に恵まれた富山市は工業の中心となるわけです。金沢市には明治大正の遺跡がたくさん残されています。これはまた後でご紹介します。さて、いよいよ金沢城へ入って参ります。金沢城は言わずと知れた前田百万石のお城ですが、実は余り古くありません。16世紀から築城が始められたのですが、1602年、1631年、1759年に火災に遭っています。国宝になっている石川門(後で出てきます)は1759年の再建です。でもでも、十分に見る価値があります。もちろん、文化的な価値もあります。重文や国宝だらけです。最初の建物は「旧第六旅団司令部」であります。洋風のような擬洋風のような味わいのある建物でございます。でも、小さいなあ…。少し雪が残っているのが良いでしょう。この雰囲気は映画「二百三高地」の雰囲気に似ているような気がします。この建物の解説を石川県庁のウェブから引用しておきます。(引用始め)明治31年に建てられた木造平家建て、床面積196m2の建物です。当時は、陸軍本省が各師団建物の設計をしていたため、、全国に同様の建物が建てられました。金沢大学時代には、教育開放センターとして利用されていました。(引用終り)金沢市内の夜景撮影でも出て参りますが、金沢は北陸の軍事的な中心でもありました。お城の周辺には旧帝国陸軍関係の建物もたくさん残されていました。次は「三十間長屋」であります。長屋と言っても、八っさん熊さんの世界ではなく、お城の倉庫として建築されたようです。こちらが説明板ですね。それにしても…、射点が確保できず、建物の全景を収めることができませんでした。この時にFX01を持っていれば…(発売前なのでもちろん無理です)。この建物の石川県庁による解説を引用しておきます。(引用始め)本丸附段にある2層2階の多聞櫓で、石川門と同様に重要文化財に指定されています。安政5年(1858)の築で、現在の長さは26間半です。南面は入母屋造りですが、北面は土台の石組よりも外壁がさがっており、切妻造りです。(引用終り)今回はここで切ります。次回は内部が公開されている「五十間長屋」と「菱櫓」をご紹介いたします。
2006/04/10
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今回から北陸レポートを始めます。いい加減に乗ったので、細かい乗車記録は残しておりません。骨格部分だけでございますね。先ずは最初の乗車からご案内します。寝台特急「北陸」でございますね。上野駅13番ホームでございます。寝台特急に乗るのは、1月の特急「まりも」以来でございます。もうわくわくです。上野駅の13番ホームは寝台特急専用ホームのイメージになっております。著名特急の「北斗星」なんぞもこのホームから出発します。このホームは行き止まりになっております。そこで列車は後ろ向きに入って来ざるを得ないのです。後ろ向きに入線する場合には、機関車の機関士は列車の前方の障害を見つけることが出来ないのです。そこで、最後尾の客車の扉を開けて、ここから車掌が前方を監視し無線で機関士に送ります。それでこんな姿で入線してくるのでございますね。こちらはB個室寝台ソロでございます。この車輌に乗りたかったのですが、誠に残念ながら満席でございました。と言うわけで往路の指定券はこんな券面になりました。上の指定券の通りでして、ソロが満席のため開放B寝台の上段になってしまいました。残念。車内の気温は出発時には26度まで上げられており、眠れるか心配だったのですが、何のことはない、疲れていたようで、大宮の手前で寝てしまい、起きた時は既に富山を出発後でございました。 列車は予定通り金沢に到着いたしました。現地の天候は快晴でございました。素晴らしい。久しぶりの旅先の晴れでございました。上の画像は金沢駅の正面玄関です。物凄い駅舎に変貌しております。「北陸新幹線いつでもどうぞ」という状態でございました。こちらは金沢駅構内の喫茶店です。色々と発送物がありまして、9時ごろまで郵便局が開くのを待ち、物を発送して身軽になってから金沢の街に出ました。待っている間暇だったので、北陸線の各駅停車に無意味に乗車したりしていましたが、正確な乗車データは残っていません。起き抜けはだめですねえ。最初の目的地は近江町市場です。「金沢の台所」という市場なんですが。今は観光客向けの色彩が強いようです。ちなみにダイエー口と書かれていますが、ダイエーは閉鎖されてしまいました。こんな感じの海産物のお店が並んでおりました。店先には「がすえび」とか「がんがんぼ」などの聞いたことのない魚が並んでおりました。また、蟹が大量に売られておりました。金沢の方は蟹がお好きなんでしょうね。贅沢な…。とこんな感じで金沢歩きをスタートしました。市場の次には徒歩で「金沢城公園」へ向いました。この公園も、金沢市らしく、重文がたくさんあります。次回は金沢城公園のレポートをお送りいたします。【本日の成果】ローソン(JCB) 10×1.5倍=15マイル(NH)交博(JCB) 5×1.5倍≒約7マイル(NH)E電乗車(SUICA) 4マイル(JL)ベッカー(SUICA) 4マイル(JL)
2006/04/09
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今回から先月実行の北陸旅行をご紹介いたします。これからレポートする北陸旅行の目的は以下の通りでございました。 1)寝台特急「北陸」乗り潰し 2)北陸の小京都金沢の探索 3)能登半島の探索 4)高岡の路面電車「万葉線」の乗り潰し 5)北陸線を走る特急の味見今回は有名な企画きっぷ「北陸フリーきっぷ」を使用いたしました。東京都区内からフリー区間までの間は寝台特急北陸か「上越新幹線+はくたか」あるいは「上越新幹線+北越」が使えるというもので有効期間は4日間でございます。これだけ乗れて21400円です。安い…。なお、グリーン車用もあります。フリー区間は北陸線の「加賀温泉~金沢~高岡~富山」+氷見線+城端線+七尾線でございますね。北陸線の区間は在来線でも有数の特急集中路線で、サンダーバード・雷鳥・はくたか・しらさぎ・北越・おはようエクスプレスが走っております。たまたまですが、鉄子の旅と非常に似た経路になっています。次回から本格的なレポートを開始いたします。まずは券面をご覧下さいませ。【昨日の成果】かるび家(JCB) 80×1.5倍=120マイル(NH)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH)
2006/04/09
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長い九州シリーズレポートを終えたところでインターミッションを入れます。今回のテーマは新デジカメ「FX01」と「万世橋交通博物館閉館記念行事」です。FX01で最初に撮った画像です。都内のラーメンです。最近復権中の日本海ラーメンでございますね。新しく買ったFX01というデジカメには高感度モードが付きました。絵は汚くなるのですが、ISO1600まで感度が上がります。手持ちでこんな画像もあっさり撮れます。但し、絵はかなり汚くなります。涙。パナソニックさん、FZ30の後継機につける高感度モードはもっと改良してくださいね。さて、ここからが本題です。交通博物館がいよいよ5月14日で閉館になります。85年の歴史を閉じると言うことで、さまざまな特別展示が行われます。大雑把に書くと、 旧万世橋駅(まんせいばしえき)遺構特別公開 スタンプコレクション 閉館記念装飾 閉館記念特別車両展示 特別記念きっぷ『再現硬券シリーズ』などがあるのでございます。今回は、記念装飾(夜のライトアップ)と特別車輌展示(EF55)をレポートしたいのと思います。先ずはマンホールの蓋でございます。「工」というマークがございますが、これは旧鉄道省のマークと思われます。薄暮の交通博物館でございます。照明は点灯されていますが、まだライトアップ感は出ていないですね。こちらが、特別展示車輌のEF55でございますね。妙な形状でございましょう。戦前の昭和初期に、世界的に流線型車輌が流行した時期がございました。戦前の運転速度では空力は殆ど関係ないのですが、何故か流行したのです。その時に作られた電気機関車です。現在は高崎に居るみたいです。このような形状ですので「かば」とか「ムーミン」と呼ばれていたそうです。折り返しの時に方向転換しなければ行けないので使いにくい車輌になりました。僅か3台で生産打ち切りになった、珍しい車輌であります。T-ハムエッグさんもブログで紹介なさっています。負けたと思ったのは…、屋上からの撮り降ろしです。これは私も試すべきでした。まあ、お尻しか撮れないのではありますが…。日が暮れるとこの車輌もライトアップされました。ちょっと距離があるので、三脚+大望遠での撮影となりました。柵が邪魔です。足回りがどうしても視界に入りません…。このEF55の展示は既に終わってしまっています。次は、この3月18日のダイヤ改正で消滅した「特急出雲」が展示されるそうです。GW期間中のようです。交通博物館自体のライトアップでございますね。神田川に写る交通博物館を狙ったものの、風があって水面が乱れているので思うような絵になりません。この写真はFZ30で撮影しました。もちろんワイド端の35ミリです。今度はFX01のワイド端の28ミリで撮影してみました。広角の威力が分かります。中々のものでございました。こんな感じで、新デジカメのテストを兼ねた、万世橋撮影を行って参りました。交通博物館閉館記念キャンペーンは見所が多いので、この後も何回か万世橋に出かけました。次のインターミッションでは、「旧万世橋駅(まんせいばしえき)遺構特別公開」をレポートしたいと思います。いつになるかは微妙でございますが…。追伸:交通博物館の館内展示に関しては、昔の日記「旅行間のインターミッション」を参考になさってください。5月14日限りでございます。また、交通博物館の入場券は、博物館で買うよりもJR東日本で購入した方がお得です。JR東日本各駅の緑の窓口で入場券を予め購入してから行くと良いですね。【昨日の成果】なし。
2006/04/08
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確定レポートの見出し目次リンクを作ってみました。<画像入り確定レポート> (1)発端 (2)嘉例川駅 (3)特急・はやとの風2号 (4)はやとの風の車内 (5)吉松駅 (6)しんぺい(いさぶろう) (7)肥薩線真幸駅 (8)肥薩線真幸・矢岳間 (9)肥薩線矢岳駅 (10)肥薩線大畑ループ (11)肥薩線人吉駅と九州横断特急 (12)九州新幹線つばめ (13)川内駅とつばめ号の外観 (14)「リレーつばめ」で熊本へ (15)夜を明かす準備(鹿児島中央駅から宮崎駅までの特急きりしま) (16)特急ドリームにちりんで夜明かし (17)特急ゆふデラックスについて (18)続・特急ゆふデラックス (19)由布院駅での下車観光とハルカの勤務先 (20)由布院スカーボロ号で出発 (21)スカーボロ号の続き~興禅院・日女神社 (22)観光特急ゆふいんの森号 (23)観光特急ゆふいんの森号の続き (24)日豊本線の特急(883系ソニック) (25)横断特急で豊肥線へ (26・終)ANAの国際線機材のFクラスシート<暫定レポート> 【出動】南九州へ出発いたします 【暫定】嘉例川駅 【暫定】人吉駅北方 【暫定】川内駅南方 【暫定】鹿児島中央駅 【暫定】日田駅付近 【暫定】由布院 【暫定】特急ゆふいんの森 【暫定】横断特急乗車中 【帰投】熊本より帰宅 良ければ一票お願いします。
2006/04/07
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4月からパケホーダイに申し込みました。やはり使い放題と言われると、物凄いパケット量になるもので、5日で30万パケット使ってしまいました。さて、九州シリーズも今回で最終回です。前回は豊肥線の九州横断特急で肥後大津席までの移動をレポート致しました。肥後大津駅からタクシーで熊本空港に向いました。熊本空港の最寄駅は肥後大津なのですがバスなどは走ってせん。今回のシリーズで停止している飛行機の絵は初めてでございます。かろうじてマイレージジャンキー日記でございます。軽飛行機も停まっておりました。展望台の全景です。なんでこんな壁を作っているのかなあ。照明とか航空保安の関係でしょうか。管制塔です。新味なし。見出し用に空港看板を撮影しようとしたものの、さっきの壁のせいで頭切れです。あの壁は防風用かしら。空港ロビーでございますね。飲食店・売店とも充実しています。待たされても飽きない空港です。仙台空港・広島空港並みの充実振りでございました。この時は全日空を使いましたのでシグネットに入りました。シグネットにしては珍しく全席禁煙でした。搭乗券でございます。座席番号は1Kでございますね。搭乗案内がでました。九州ともお別れでございます。これが私にアサインされたシートですね。ファーストクラス椅子です。機材繰りの関係で国際線機材が投入されたそうです。これがフラット状態になったところです。B寝台かな。こちらはビジネスですね。ファーストクラスは「国内線スーパーシート」として売られていましたが、ビジネスクラスは「国内線普通席」でした。Fクラスシートのコントロールパネルです。複雑…。「動くトイレ」でございます。日本航空だとFクラス便所は金具のグレードが高いのですが、ANAは普通車と同じ部品のようでした。Fクラスの機内壁面です。特に特別装飾は無いようでした。機内食でございます。これは国内線スーパーシート用のものでございますね。いつもはもっと豪華な食材を使うのですが、今回はこんなものでした。最後にもう一度ファーストクラスのシートを撮影しました。まあ、色は綺麗ですけど、JLにするとスカイスリーパーという感じでございますかねえ。こうして、最後の「なかなか座れない全日空のファーストのシート」に座って帰宅したのでございました。一泊二日で36時間しか九州に滞在しなかったものの、なかなか内容の濃いツアーになったのでございました。最後に、今回のシリーズの全乗車記録を再掲します。列車番号 列車名 発駅 発時 着駅 着時 キロ程7022D はやとの風2号 嘉例川1020 吉松1057 25.5キロ1254D しんぺい2号 吉松1142 人吉1257 35.0キロ1076D 九州横断特急2号 人吉1305 新八代1412 54.6キロ45F つばめ45号 新八代1415 川内1449 91.5キロ13F つばめ13号 川内1516 鹿児島中央1529 36.1キロ16F つばめ16号 鹿児島中央1545 新八代1624 137.6キロ16M リレーつばめ16号 新八代1627 熊本1651 32.9キロ19M リレーつばめ19号 熊本1726 新八代1746 32.9キロ19F つばめ19号 新八代1749 鹿児島中央1829 137.6キロ6024M きりしま24号 鹿児島中央2000 宮崎2202 125.9キロ761M 普通電車 宮崎2300 南宮崎2303 2.6キロ5098M ドリームにちりん号 南宮崎2340 博多0617 408.1キロ81D ゆふDX1号 博多0744 由布院1003 134.8キロ7003D ゆふいんの森3号 由布院1228 大分1311 36.6キロ3030M ソニック30号 大分1314 別府1322 12.1キロ1075D 九州横断特急2号 別府1442 肥後大津1716 137.5キロ 合計1441.3キロ今回の「ベスト列車」は、しんぺい2号でございましたですね。機会があれば、是非乗ってみてください。【昨日の成果】なし。
2006/04/07
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うー、眠いです。ついつい本屋で購入した本を一気に読んでしまいました。大好きな226関係の本でございました。さて、いよいよ終盤です。もう帰るだけなんんですが…。続きです。折り返し点の別府駅の駅名板です。独特ですねえ。ソニックでこの駅まで参りました。ここで折り返します。別府駅の階段に掲げられていた看板でございますね。ちょっとレトロかなあ。こちらは駅舎の入り口です。ここは没個性。別府駅前の温泉モニュメントです。多分このモニュメントも独自の源泉を使っていると思われます。別府はそこら中に温泉が湧き出ているのでございます。昨年訪れた宇奈月温泉は巨大な源泉のお湯を使い切れずに噴水にしておりましたが、ここ別府は対照的に4000も源泉があるそうです。お湯が余るのは一緒ですね。これが最後に乗った車輌です。横断特急2号でございますね。この列車で肥後大津まで進みます。以前に説明したかもしれませんが、この横断特急は色々な線区を通ります。 別府→大分 日豊本線 大分→熊本 豊肥本線 熊本→八代 鹿児島本線 八代→人吉 肥薩線温泉地を結んでいるイメージですね。更に途中で阿蘇山麓も通ります。エンブレムです。「あそ」はもうないんじゃないかしら(やはり見つかりませんでした、横断特急に統合されたようです)。「ゆふ」は平日に「ゆふいんの森」や「ゆふDX」のダイヤで走っている特急です。九州は気動車特急は余りありません。北海道とは随分ノリが違います。こちらは185系の車内ですね。この横断特急は混みます。この日も指定席は満席でした。自由席に並んだのですが、まあ、色々と混乱してました。この気動車特急は、こんな普通のデザインの車輌なのに展望席が設けられておりました。JR九州らしいです。ちなみにワンマン特急です。特急のワンマンは珍しい…。車販で購入した有名駅弁の「鮎屋三代」でございますね。九州最高という評価を受けることも多い弁当です。今回の旅行では駅弁を何回も食べましたが、ベストは「ゆふいんの森弁当」でした。中身はこんな感じでした。九州ベストを取るだけあって、なかなかの仕上がりでございます。それにしても…、九州も食事は豊かですなあ。肥後大津駅です。この駅で下車いたしました。左側が豊肥線の各駅・快速に使われている200系気動車で、右側がここまでお世話になった横断特急の185系気動車でございます。見事に九州カラーでしかも夕日を浴びております。JR九州の最後のショットになりました。この後、タクシーで熊本空港に向いました。次回で九州シリーズを終りに致します。【昨日の成果】infoseekモバイルくじ 1÷2=0.5マイル(NH)Infoseekラッキーサーチ 5÷2=2.5マイル(NH)
2006/04/06
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九州ツアーも終盤戦でございます。毎シリーズそうなんですが、終盤戦になると飽きが来てしまいがちですが、この九州は最終回に「全日空国際線Fクラス(の椅子)」が控えております。ここに至るまでの経路をもう少しご紹介させてください。大分駅であります。ここで「ゆふいんの森」から降車致しました。せっかくの観光特急なので終点の別府駅まで乗っても良いのですが、少しでも違う車輌に乗りたかったのです。ちなみにゆふいんの森の運転経路は複雑で、 鹿児島本線 博多→久留米 久大本線 久留米→日田→由布院→大分 日豊本線 大分→別府となっています。福岡の奥座敷でございますねえ。由布院と別府はセットで楽しんでくださいね、という親心なんでしょう。 この列車で、大分駅→別府駅を移動いたしました。ソニック30号でございますね。形式は883系でございます。日豊本線は小倉から鹿児島に至る長大な路線でございますが、余りに長大なので特急の運行経路が若干複雑になっております。鹿児島本線直通で、博多→大分を走るのがソニックでございますね。ミッキーマウスみたいな妙なエンブレムですが、何の形かは直ぐにわかっていただけると思います。こちらはソニックのエンブレムです。スーパーマンみたいなマークです。普通車客室です。なんじゃこりゃという椅子の形でございます。ユニーク過ぎる…。流石のJR九州も883系の次に投入した885系にはこの椅子は採用しませんでした。この妙な椅子の形が先ほどのエンブレムになっているものと思われます。はい。トイレは新味ありません。でも…。デッキの色はユニークでございますね。このソニックには今までご紹介した883系の他に、もう一形式投入されています。今回は乗りませんでしたので、外観だけですが、885系でございます。通称「白いソニック」と言います。型番だけでも直ぐお分かりと思いますが、こちらの方が新しいのです。今回の旅行では、特急が走る路線は殆ど乗りましたが、長崎本線・佐世保線・筑豊本線には乗っておりません。この885系は長崎本線も走っております。不定期列車を除くと、JR九州の現役特急はほぼ全部の形式を制覇したことになりそうです。ちなみに、この885系の椅子は普通車でも革張りなんですよ。高級感が溢れております。ご紹介したかったなあ。最後の写真も乗っていない車輌です。ソニックと連絡して宮崎駅(あるいは宮崎空港駅)まで走る「にちりん」でございます。博多から離れると、国鉄時代に調達された485系が出てくるのでございますね。眠いので、今回はここまでで切らせて頂きます。次回は、今回のツアーで最後に乗った列車「九州横断特急」と駅弁をレポートさせていただき、次々回に「全日空国際線Fクラスの椅子」をレポートし、九州シリーズを終えたいと思います。九州シリーズの次は「北陸二泊五日」をご紹介しようと思っておりますが、その手前でインターミッションを入れようと思っております。【昨日の成果】ローソン(JCB) 9×1.5倍≒約13マイル(NH)朝食(SUICA) 4マイル(JL)
2006/04/05
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前回は「ゆふいんの森」をはじめとするJR九州の特急論を縷縷述べてしまいました。「ゆふいんの森(古い方)」の高級感溢れる車内をもう少しご紹介させていただきます。この画像は先頭車両の最前列から撮影した運転席でございますね。一応ガラス越しです。夏に乗った「観光快速・義経北行伝説号」に良く似た構造ですけど、ゆふいんの森にはガラスが入っております。しかし…、何回見ても思いますが、JR東の盛岡支社の列車命名はちょっと違うような気がします。なんで列車名がこんなに長いのでしょう…。「観光快速・きたきらみちのく下北」号とか…。こちらは最前列客席の前方視界でございますね。立派な展望席です。これ。視点が高い分「ゆふDX(キハ185)」よりも眺望が良いかも知れません。中間車輌のコモンスペースです。これは木目パターンの塗装ではありません。本物の木なんですね。「ゆふいんの森」の森はこの木材を多用した車内から取ったのかも知れません。良いネーミングです。短くて、目的地が明らかで、車輌のイメージに合っています。この列車にはビュッフェが設置されています。在来線でビュッフェを作っているのはこの特急のみになりました(ちょっと前までは旧つばめにビュッフェがありました)。ビュッフェの中にはこんな記念撮影用のユニフォームがありました。サイズは身長120センチくらいの子供用でした。こんなに大きなコモンスペース(展望室?)もございました。昔はアートギャラリーだったみたいです。89年に乗っている筈なんですが、覚えがないなあ…。どんな使い方をしていましたか…。列車のペナント?、タペストリ?が掲げられていました。「ゆふいんの森1世」という名前がJR九州公認の名前であることが分かります。言い忘れていましたが、客室はハイデッカーなんですが、この展望室とかビュッフェは普通の車輌と同じ床の高さでございました。こういう訳で展望室には階段がございました。眺望はこの通りです。窓が巨大なんですね。でも席が窓に近いからあんまり意味がありません。展望室で車内販売の弁当(駅弁と言い難いですね、車販のみの特別弁当のようです)を頂きました。その名も「ゆふいんの森」でございます。激しく揺れる車内で撮影したので、ストロボを焚いてもなお手ブレしてます…。涙。この弁当の特筆すべきはおかずの種類が多いのです。ちょっと高いですけど。1200円か1300円でした。高いのですが、その価値はあると思いました。これがお品書きですな。正直言って、九州ベストと言われる「鮎屋三代」に遜色なしでした。ゆふいん料理研究会・JR九州客室乗務員・博多寿軒の合作だそうです。なお、この弁当は昔は千円で内容も今よりも貧弱でした。名前を変えずに進化が続いています。内容・価格の変更はありそうです。今回の旅行では全列車のトイレを撮影しております。ゆふいんの森のトイレでございます。どうです?、ゴールドのトイレットペーパーホルダーです。高級感あるでしょ。もちろん便器は真空吸引式です。89年に乗ったときは循環式だったような気がします。これも鉄道車両の便所では珍しいのですが、室内にはなんと絵が飾ってあります。民家みたいです。男女共用洋式便所の扉の内側です。高級感あるじゃないですか。素晴らしい。これも嬉しい装備ですが、洋式便所の中に鏡が常備されています。でも、手洗いは大したことないんですね…。これもJR九州の車輌に多いのですが、グループ客向けのボックスシートが設けられておりました。豪華な感じですが、これで普通車です。グリーン料金は不要であります。この列車に乗って、大分まで移動いたしました。このゆふいんの森は別府行きで、私も別府まで行かねばならないので、別に終点まで乗っても良いのですが、大分=別府は日豊本線の主要区間で頻繁にソニックが走っているので、大分でソニックに乗り換えました。大分ではこんな感じでつばめレディが見送ってくれました。折角諒解を貰ったので、バストショットも撮らせて貰いました。最後は形式写真(編成写真)です。撮影地は別府駅です。別府で折り返して、博多行きの列車として出発するところでございますね。先頭車両の形式写真でございます。排気管の煤が気になるなあ…。中間車輌でございますね。左側の巨大な窓が展望室でございます。以上で「ゆふいんの森」乗車レポートを終えることに致します。ちょっと時系列は前後するのですが、次回は大分から別府まで乗車した883ソニックからご紹介してまいります。九州レポートも随分な長さになってしまいましたが、残りは ソニック 大分→別府 横断特急 別府→肥後大津 全日空のFクラス 熊本空港→羽田だけでございます。残り2回か3回で終りになります。【昨日の成果】朝食(SUICA) 4マイル(JL)夕食(SUICA) 7マイル(JL)
2006/04/04
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昨日は初めて青梅に行きましたが、町中が映画の看板と赤塚不二夫で装飾されていて、随分雰囲気が出ておりました。侮れない…。鉄道公園も結構楽しかったし、遠出はできませんでしたが、有意義な週末になりました。交通博物館閉館関係ではGWに出雲の展示が始まるみたいです。もう1回くらいは行かねばならなくなりそうな気が致します。前回までで、ゆふいん観光までレポート致しました。由布院観光を終えた後に再び列車に乗り込みました。今度の標的はJR九州の誇る「観光・特急ゆふいんの森」号でございますね。現在JR九州の特急車輌ページには以下の車輌が掲げられています。 800系電車 九州新幹線つばめ 787系電車 特急リレーつばめ 885系電車 かもめ・ソニック 883系電車 ソニック 71・72系気動車 ゆふいんの森JR九州の特急は非常にレベルが高いのです。この前にご紹介した「ゆふDX」はかつて、「ゆふいんの森2世」として運用されておりました。今は「ゆふいんの森」の称号を剥奪され、言わば格下げで「ゆふDX」になっております。あの素晴らしい車輌がウェブで紹介さえしてもらえないのでございます。宮崎・鹿児島の国鉄形式である485系なんぞJR九州のウェブサイトからは存在の痕跡すら辿れません。185系特急気動車もです。これを書くと怒られるのですが、まだ主要路線が高速バスとの競争に晒されていないJR某社に持っていけば、JR九州の183系気動車「ゆふDX」は看板列車を張れることでしょう。しかし、九州島内にあっては「ゆふDX」は幕内力士ですらないのでございますねえ。何を申したいかは既にお分かりでございましょう。「ゆふいんの森」は日本の気動車特急の頂点に立つ車輌であると断言しましょう。これは凄い。素晴らしい。殆ど尊敬する横見先生のノリになって参りました。で、ここで読者の皆さんをずっこけさせてしまうんですが、ゆふいんの森に乗込む前に、由布院駅でやることがあったのです。それは足湯でございます。ゆふいん駅(旧字体)あし湯と書かれておりますね。駅を旧字体にしている割にはゆふいんがひらがなでございます。こんなところにも「由布院・湯布院問題」が蔭を落としているのでございましょうか。最近は駅構内に温泉とか足湯がある駅が増えて参りました。ここもそんなに古い施設ではなさそうです。前回この駅で下車したのは1989年のことでございましたが、その時はこんなものはございませんでした。足湯のポスターでございますね。入湯料は160円でございました。変な値段です。入湯税が課されるにせよ、金額が妙に安くて半端です…。お金を払うと、これを貰いました。ずっこけました。何のことはない、JR九州の普通入場券ではありませんか。だから160円なんですね。でも…、きっぷと一緒にこんな手ぬぐいもくれました。味な真似を…。JR九州はウマウマと160円を収入してしまうでしょうから、きっと由布院観光協会か温泉協会が出しているんでしょうね。ありがたいことです。こちらが男湯でございます。足湯でも女性専用シートというのか女湯というのか知りませんが、そういうものが用意されておりました。流石に撮影はしてませんが…。全国でも足湯の男女別は割と珍しいかも知れません。足湯から撮影した駅の全景でございますね。単線区間ですけど、3線ホームになっています。こんな感じで寛いで列車を待ちました。はい。これがゆふいんの森でございますね。予め申し上げておきますが、私はこの車輌には乗っておりません。ゆふいんの森は71系気動車で構成される編成と72系気動車で構成される編成の2編成が存在します。この画像は由布院で見送った72系の方です。72系気動車はゆふいんの森専用に新造された車輌でございますね。私が乗る71系の方は、キハ58やキハ65からの改造車輌です。内部リニューアルを2回もやっているので改造車の印象は全然ありません。ゆふいんの森号の入線を待っている間に、カメラの調整のために撮影したものでございます。こっちの方からゆふいんの森号が入線して来ます。これが、私が乗せてもらった方のゆふいんの森号でございます。通称「一世」ですね。フォルムは1980年代後半の九州会社の趣味で欧風の仕上がりになっております。JRになったばかりの頃のJR九州は、JR九州らしい特急像(新幹線が無い割には長距離路線を多数持ち、主要路線が高速バスか航空機との競争に晒されている会社なのです。この環境は本州3社・北海道・四国と全く異なります)を模索中で色々なことをやっていたものでございます。JR九州が自分のイメージを確立するのは92年の787系からではないでしょうか。私風に解釈するとJR九州の特急像は「車重が大きくて余り速くないけど乗り心地は良いし、乗ること自体に喜びがある特急」となりましょう。もっとも対照的なのはJR四国でございましょう。高速道路がまだまだ発展途上ですので「競争相手に優る速達性の確保」が主眼に置かれているような気が致します。従って四国の車輌は「あっさりした内装で、軽量・高速(振子大好きな会社です)な特急」となりましょう。JR東日本はもう考え方がすっきりしていますよね。「エリア内の県庁所在地に可能な限り新幹線車輌を乗り入れる」でございますね。で、新幹線車輌の乗り入れがしばらくは難しそうな水戸・甲府・青森には快適な特急車輌を配置して競争力を確保するという感じでしょうか。これら以外の特急は、新幹線乗り継ぎ特急と位置付け、485系の改造車でごまかすんでしょうねえ。うー、文字ばかりになってまいりました。ゆふいんの森の前面でございますね。この特急にはつばめレディがなんと4名も乗組んでおりました。一両一名でございます。あ、そうか、一両一名というレートは「はやとの風」もそうでございましたね。二両編成で二名乗務でしたから。とりあえず、中間車客室内です。窓が10度ほど傾いているんですね。珍しい形状です。ハイデッカーになっております。天井照明なんぞ、気合が入ってますでしょ。こちらは先頭車両の客室です。床が木です。日本の場合、SL時代に散々列車火災で酷い目に遭ってますので(桜木町の惨事や北陸トンネルの惨事でございますね、どちらもSL牽引ではありませんけど)、車輌の不燃性にはうるさいのでございます。木材の使用なんぞ許されんという状態だったのですが、木材に難燃加工したものであれば使用化ということのようです。先頭車両の客室を前から撮ったものでございます。微妙に手ぶれ感がございます。こんなところで言い訳をしても仕方が無いのですが、揺れるのです。なんでや、というくらい揺れます。線路状態要因と元々キハ65の足回りですのでこっちの台車要因も効いているかも知れません。ちょっと文字数が多くなり過ぎたので、今回はここで切ります。【昨日の成果】朝食(SUICA) 4マイル(JL)JR東の切符(JCB) 42×1.5倍=63マイル(JL)インフォシークモバイルくじ 1÷2=0.5マイル(NH)
2006/04/03
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あー、旅に出たいです。でも、今日も都内をウロウロしています。今日は「ホリデーパス」と言う土休限定の切符を買い込み、東京都青梅市に来ています。青梅市を訪れた目的は鉄道公園でした。青梅鉄道公園の車輌整備が先週完了したので、塗り替えが終わったばかりのきれいな状態を撮影して置こうと思ったのでございます。せっかく青梅までまいりましたので、青梅赤塚不二夫会館・昭和レトロ商品博物館・昭和幻燈館にも寄って参りました。赤塚不二夫の街なんですねえ、青梅は。青梅駅の発車メロディが「ひみつのアッコちゃん」だったのには驚きました。妙にはまるのです。蒲田駅の「蒲田行進曲」など、いまだに違和感がございますが。青梅駅は最初から違和感がありませんでした。標題の説明が遅れました。せっかく鉄道公園に来るのですからちょっと変わった電車に乗って参りました。新宿から三鷹までは「快速・桃源郷パノラマ号」に乗りました。改造485系て構成される全車グリーン車のお座敷電車でした。画像は、桃源郷パノラマ号の車内でございます。三鷹から立川までは「快速・ビューやまなし号」の二階グリーン席に乗ってしまいました。不要な贅沢でございました。
2006/04/02
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昨日は旧万世橋駅と外堀のさくらを撮影しているうちに日が暮れてしまいました。都内で過ごす週末としては、まあまあ充実している方でした。旅行中でもないのに、【暫定レポート】を上げてしまいました。カテゴリーをどうしようか迷ったのですが、「旅先からの暫定レポート」に分類するのもしんどいなあ、と思って、「その他」に分類しました。さくらの特別レポートを挟んでしまったので、ちょっと間が空いてしまいましたが、九州レポートを続けます。観光レトロバス「スカーボロ号」はあと2箇所名所旧跡を回ります。興禅院というお寺でございます。「恩讐の彼方へ」で有名な禅海が得度したお寺でもございますね。お寺の全景です。余り新味なしです。禅海の像でございます。余り写実的ではございませんね。背景をぼかそうとしたものの、余り飛んでくれません。キリシタンの墓らしきものがございました。由布院なら隠れ里には最適でございますね。外界と隔絶された盆地ですから。いかにもキリシタンが住みそうな街でございました。こっちの方が迫力あるんですけど、余り古いものでは無さそうです。こんな感じで興禅院見学を終えて次に参りました。宇奈岐日女神社(うなぎひめじんじゃ)でございます。難しい読み方で、神社の名前を忘れそうだったので、先ずこの看板を撮影しました。あはは。参道入り口でございますね。由布院には天地創造伝説みたいな伝説があるそうです。その昔、由布院は大きな湖だったそうです。女神がこの湖に何かしたら(説明を忘れました)、湖が盆地になった、という伝説だそうです。この伝説の女神を祭った神社だそうでございます。はい。本堂じゃなかった本殿でございますね。さっきの興禅院よりもすっきりしていました。ここまでは普通の神社なんですが…。本殿右側にこんなものが…。ご神木の一部でございます。1991年の台風でご神木が倒れてしまったので、このような形での展示になったそうで…。本殿の建物を仰角で撮って見ました。池には鯉が泳いでおります。シンガポールの中国庭園の鯉のごとく、静かに泳いでおりました。東南植物園の鯉みたいにがっついてはおりませんでした。こんな感じのご神木もありました。全部で144本を切り倒さざるを得なかったそうです。大した「鎮守の森」だったのでございましょう…。ちゃんと立っているご神木を見たかったです…。と、以上でスカーボロ号による観光はお終いになりました。スカーボロ号は由布院駅前に戻りました。次回は由布院駅構内の足湯(流石に由布院に来て温泉に触れずに帰るのはもったいないので)と「観光特急ゆふいんの森号」をレポート致します。【本日の成果】E電乗車(SUICA) 3マイル(JL)交博入場券(JCB) 2×1.5倍=3マイル(NH)
2006/04/02
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あーあ、33万3333回目の方もゲスト様でした30万ヒット用にご用意していた記念品なのですが、30万アクセスはゲスト様でしたので、ご本人の特定が出来ず、止む無く333333回目に回そうと考えておりました。ところが、333333回目もゲスト様でございました。 → 333333 2006-04-01 15:43:15 ***.ad.jp記念品、どうしましょう…。まいったなあ…。最近はゲストさんの比率が高いので、楽天会員様限定でキリ番記念品は難しいのですねえ…。追伸:エロトラバがあっという間に付きました。更新すると狙ってくるのかしらん…。
2006/04/01
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前回はFX01撮影分をご紹介いたしました。今回はFZ30撮影分をご紹介いたします。FX01は広角が得意で、FZ30はズームが得意なカメラで補完的な関係なのですが、その他にもFZ30は800万ピクセル、FX01は600万ピクセルであるなど、能力に差がございます。はい。なお、冒頭の動画は前回同様、中央緩行線の車内から撮影したものです。場所も同じで市ヶ谷・飯田橋間でございます。ものが外堀沿いの桜ですので、解説なしで収録させていただきます。ここは飯田橋のボートハウスです。物凄く混んでおりました。以上でございます。芸が無い構図ですね。技量が足りないなあ、我ながら。失礼致しました。
2006/04/01
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