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娘が毎週土曜日に通っているジャパニーズスクール、通称土曜校の卒業式だった。オーストラリアの年度末は12月なのだけど、土曜校は日本の教育にならい年度末は3月、卒業式も3月になる。娘は幼稚園からこの学校に通っている。振り返れば、幼稚園の卒業式がつい昨日のことのように(あ、そりゃ言い過ぎですかね)鮮やかに思い出されるのに、あれよあれよという間にもう小学校の卒業式になってしまった。6年前のあの日―ふわふわした巻き毛をウサギの耳みたいに二つに結び、赤いカーディガンのボタンをきっちり襟元まで全部しめ上げ(確か家を出たときには羽織っていただけだったのにどうやら先生がきちんと上までしめてくれたらしかった)、お友達と並んで小さな口をいっぱいに開け(なんだったか曲名は思い出せないけど)卒業の歌(ということは、鮮やかに思い出されると思ったのは錯覚でした。。。)を合唱していた6歳の娘は今や2倍くらいに大きくなって、現地校のセカンダリースクールの制服を着て、がしっと演台に立っている。悠々と卒業証書を受け取ったその後ろ姿に、やはりじぃ~んと胸が熱くなった。在校生の送辞を受けて、卒業生全員がステージに立ち答辞を述べた。卒業生全員でそれぞれの言葉をバトンタッチしながら土曜校での思い出を伝えてくれる。それから壇上のスクリーンに子どもたち一人一人のプロフィールが映し出された。幼いころの写真と現在の写真。あどけない笑顔がいつのまにかおとなびた表情に変わって、そこに名前と将来の夢が重なる。将来は先生になりたい子、スポーツ選手になりたい子、モデルになりたい子、医者になりたい子、科学者になりたい子―動物好きな娘は獣医になりたいのだそうだ。次々と流れる子どもたちの夢に、彼らの明るい未来を思い、願わずにはいられなくなってくる。思わず目頭が熱くなってしまう、心憎い演出である。同級生の何人かは幼稚園どころかプレイグループから一緒だった。産院から一緒だった子までいる。皆の成長ぶりに今更ながらに胸が打たれた。ほんとに、みぃんな大きくなったねぇ。子どもたちから私たち保護者へ感謝の言葉も流された。これを書いてる今となってはうろ覚えの記憶だけど、「お母さん、いつもお弁当をありがとう。でもいつもハンバーグ…」とかユーモアあふれる言葉の数々に会場から温かい笑いが漏れていた。「お母さん、土曜校の送り迎えをするために左折だけでなく右折も覚えてくれて、ありがとう」というのは、無記名だったものの、我が子の言葉であろう。そうだった、こっちで30過ぎてから運転免許をとった私はずいぶんと長いこと右折ができなかったのだった。安心してできるのは右折信号がついた交差点かT字路くらいなもので…。まあ、清水の舞台から飛び降りる覚悟で曲がろうと思えば曲がれたけど、そこまで思い詰めたくはなかったし、はた迷惑な選択でもあるので、いつも目的地へ着く前に地図を熟考しシミュレーションしてから出かけていた。その往復ルートを最短距離の直線ではなく、たえず左折左折のほぼ四角ルートで決行しようとしていたのだった。それが土曜校の引っ越しでそうもいってられなくなってきた。娘が入園したときは我が家から歩いて3分くらいの距離だったのに、その後、学校の引っ越しに次ぐ引っ越しで、家からはど~んどん遠くなっていった。。。。まあ、そのおかげで私の貧弱なドライビングスキルはどんどん上達(?)し、運転許容範囲も広がっていったのではあるけれど。とかように、子どもと一緒に親も成長してゆくものですよね(^^;なぁんてことを思い返すに、私たち保護者の側も、学校の送迎はもちろん、お弁当作りやら宿題チェックやらいろいろとふんばって子どもたちの土曜校生活を支えてきたんだなぁ、とふっと思った。この学校は非営利団体なので、学校運営も保護者の手で行われている。そのため保護者の負担も時にかなりのものとなってしまうのだ。親の会役員、運営委員会役員、クラス委員と、基本的に誰もがなんらかの形で在校中に役員として貢献することを求められている。私は2度のクラス委員で済んだけど(これは比較的に楽な役なのね)、かなりヘビィな役員を務められヘロヘロになっていた保護者の方々もいらした。皆さん、ご苦労様でした!先生方や職員の方々のご尽力も相当なものだった。この見ているだけで思わず泣けてくる感動的映像ショーをつくってくれたのも、卒業式の演出も先生方である。娘がお世話になった先生方が思い出された。毎週その日の学校での様子や宿題について綴った学級通信をメールで送ってくださったり。(オーストラリアではなかなか手に入らない) カルタを手作りして子どもたちに漢字や熟語、慣用句なんかを教えてくれたり。オーストラリアの地に育つ子どもたちに日本語と日本文化を伝えようとしてくれるその情熱には敬服するばかりだった。お世話になりました!もちろん一番がんばったのは子どもたちである。この学校では日本の文部科学省の年間指導要領に沿って国語と算数を教えてくれる。日本の子どもたちが毎日する勉強を土曜日だけでやらなければならないため宿題の量がはんぱじゃなくなってしまうのだ。宿題の量を減らしてくれるよう、面談で先生に頼んだこともあったっけ。娘も宿題にブーブー文句たれることもあったけど、結局、がんばってくれたなぁ。入学したころは、現地校ではお休みの土曜日になんで自分は学校に行かなければならないのかとごく理にかなった文句を言っていたのに、いつのまにか土曜校を楽しみにするようになって。幼稚園に入ったころはカレーライスが食べられなかったのに、土曜校のカレーパーティーおかげでカレーが大好きになったのだった。2年生のとき教科書にドラえもんがちょこっと登場したことから見せてもらったというドラえもんの映画『のび太と翼の勇者たち』のおかけで、ドラえもんの大ファンになった。5年生のとき土曜校のお祭り、蚤の市で見つけた文庫本『黒魔女さんが通る!!第8巻』のおかげで、全シリーズをそろえるほど黒魔女さんにはまって、 (宿題の音読ではなく趣味で) 日本の本を読むのが習慣になった。たとえそれが全て平仮名でルビがふってある本であろうとも、カンドーである。土曜校での8年間を経て、彼女はものすご~~~~く日本贔屓の少女に育った。日本食も日本語も大好きで、『黒魔女さん』と『ポケモン』、『ドラえもん』をこよなく愛し、現地校では、来学期から始まる日本のアニメ研究会に入るのだとはりきっている。気がつけば、プレゼントにはアクセサリーやスポーツグッズよりポケモンやアニメキャラのぬいぐるみを欲しがり、ファッションよりもキャラクター研究に忙しい少女に育っていた。ときにオタク街道まっしぐらって感じで、花のティーンエイジャーを間近に控え、多少不安は残るものの、その成長ぶりを祝福してゆきたいと思う。さて、来週の土曜日からはもう土曜校の中学部が始まる。そうかぁ、このランドセルも、もうお役御免なんだね。オーストラリア大陸に居ながらにして弟と二人、日本のおじいちゃんおばあちゃんから買ってもらったランドセルを背負って学校に通えたのも、土曜校があればこそだったな。赤と青のランドセルを背負った二人の後姿を見送れなくなるのは寂しいけれど、メェ、卒業おめでとう。
2014.03.29
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チベット密教の、ニュンネ瞑想リトリートに参加してきた。3月14日の夜から17日の朝まで(足かけ)3泊4日の、断食と浄化のタントラ行。今回は2回目の挑戦になる。(前回の話は去年10月の日記をお読みくださいませ)。ちなみにあのとき、まさかの元気3乗くらいで帰ってきた私を前に「次回は自分がやる!」と宣言していたダディンは、仕事が忙しいことを理由に断念。実は、私が入院中の母の回復を祈りたいだろうと気を利かせてくれたのかもしれないけれど…。いずれにせよ、ダディン撤退のおかげで、今回も子どもたちを置いてニュンネに参加することが叶ったのだった。ラリホーニュンネは、前回の日記にも書いたけど、慈悲の化身、千手観音を観想しながら行を積むリトリートである。1回2時間半から3時間くらいのセッションを土曜日の早朝5時(正確には15分からね)から月曜の夜明けまで、8回実践する。セッションの内容は観想、五体投地、真言詠唱とかだけど、絶食、絶飲、無言の行とか他にもいくつかの戒律を守りつつ集中的にやるので、かなりキツイ。ちなみに断食は土曜の昼から42時間ほど、断飲は今回ベッドに入ってからと言われたので、33時間だった。いずれにしても私の場合、「一日半近く一滴の水も飲めない」と思っただけでもう十分に切羽詰まった気持ちになってしまう。だから前回は絶食、絶飲、くわえて不眠と、肉体的制約を乗り越えてサバイバルすることばかりに意識がいってしまった。けれどこれは「瞑想リトリート」なのだ。今回はサバイバル劇ではなくもっとスピリチュアルに、セッション自体に集中しようと心に決めていた。アコモデーションには前回同様、チベット仏教センターの空き部屋を使わせてもらった。懐かしい(?)空間の床に直に置かれたマットレスは、4つ。そうなの、同じ部屋を今回は3人ではなく4人でシェアなんだそうで。そうなると、人口密度が一気に高くなってしまったがためのバスルーム争奪戦が予想されて、早くも不安になってくる。なぁんてことを案じてしまうあたり、タントラ行を前にして心がちっちゃすぎるな、自分!ルームメイトは前回も一緒だったヘレさん(仮名)と、姉妹で同じ名前のキイ(仮名)さん姉妹だった。彼女たちの名を呼ぶほどに、いったいご両親は何を思って娘二人に同じ名前を付けてしまったのだろうか?と訝ってしまった。が、5人きょうだいのうち一番上の姉もキイさんだというから、一時の気の迷いではなく、何か確固たる思いから命名したのであろうことは明確だ。何故に姉妹3人同名なのか?なにかミステリアスなドラマを感じてしまうのだけれども、ご本人たちは「時々あることなのよ~」(そうなの、時々あることなのっ?)と笑ってらした。話が逸れてしまったが、キイ姉の方はタントラ行歴もニュンネ歴もかなり長く年季の入ったプラクチショナーである。そうして、このキイ姉妹のおかけで、一気に高くなった人口密度にもかかわらず、バスルーム争奪戦が激しくなってしまう、なぁんてこともなかったのだった。というのも、前回はお互いに気を遣って、目覚まし時計をかけるのをギリギリまで抑え、各自自力で起きようとしていたがために、バスルーム争奪戦が起きていた。けれどキム姉妹はそれを見越して、恐ろしく早く目覚ましをセットした(涙)。5時15分からセッションが始まる土曜と日曜の前夜は3時、3時スタートの最終日など、深夜1時にはもうアラームが元気に鳴っていた(泣)。そうして起床後は明かりも灯し、身支度と行に精を出していた。キイ姉など、空いた起きている時間はほとんどず~~~っと瞑想していた。おかげで、私も前回のようにバスルームの空き待ちで気を揉まされることもなく、4人とも開始数十分前には用意ができてしまったのだった(泣笑)。天候的にも今回の方が温かかったので、やりやすかった。また絶食絶飲も一度経験してしまったぶん先が見えて楽だった。ただ不眠の方は変わらず…。今回ヘレさんが早く寝たがったので10時前には部屋の明かりが消された。真っ暗な中ひとりモソモソやるのも申し訳ないし、私もマットレスに横になった。しぃんとした暗闇の中、窓の外からは子どもたちの笑い声が聞こえていた。前回「眠らなくてもなんとかなる」然としていれば良い、ということを学んていたので、ぼんやりと子どもたちの声を聞きながら横になっていた。外では男の子と女の子が二人、楽しそうに遊んでいる。近所の公園から聞こえてくるのだろうと思っていた。けど、ハタと気がついた。さっきまでメルボルンにしては珍しく雨が降っていたのだった。短時間ではあったけどかなり激しく降ったうえに今、時刻は夜の10時。こんな時間に、雨に濡れた公園で子どもたちが遊ぶものだろうか?そんなことを思う間にも、子どもたちの声は英語ではっきりと聞こえてくる。明らかに子ども特有の甲高い声に、民族的訛りのないクリアな英語である。小学校低学年か中学年くらいだろうか?大人の声はまったく聞こえない。それにしても、公園は近いとはいっても遊び場まではかなりの距離があるし、木々もある。こんなにクリアに子どもの遊ぶ声がここまで聞こえるものだろうか???暫くは皆を起こしてしまっては申し訳ないと我慢していたのだが、意を決し、外に見にいくことにした。と、起き上がったら、す~っと声は消えてしまったのだった。………???訝りつつ再びまたベッドに横になったときにはもう子どもたちの声は聞こえなかった。あんなにはっきり聞こえていたのに???けど考えるとますます眠れなくなりそうだったので、考えないように努めた。それでもまた聞こえちゃったら…と思えば怖くて今回もまたもや眠れなくなってしまったのだった(涙)。結局その夜は子どもたちの声が聞こえることはなかったが、実はそれ以降もマットレスに横になると聞こえることがあって、そのたび起き出していたのだった。そういう聞こえないものが聞こえてしまったり、見えないものが見えてしまったりすることは、ニュンネでは珍しいことではないのだと、後でヘレさんから聞いた。ニュンネ中は意識が変性意識状態になっているのか、不思議な体験をする方が多いそうだ。そうして、「もう何年も前の話になるけれど」と、私も知っているKさんの話をしてくれた。そのときKさんは初めて経典詠唱のリード役を任された。神経質に詠唱し始めた彼がふっと顔を上げると、向かいではチベット僧が経典を詠唱する参加者の教本を覗きこみ、指導していた。「なぁんだ、坊さんが指導してくれているのなら自分が少しくらい間違えても大丈夫だナ」と思ったとたんに気分も楽になり、残りのセッションはリラックスして臨むことができたのだそうだ。そのチベット僧はセッションの間中そこにいて、参加者の一人一人を指導していた。セッションが終わるとKさんはヘレさんのご主人に「見たことない顔だったけど、あのお坊さんは誰だったの?」と尋ねた。けれどヘレさんのご主人にはKさんが何の話をしているのかわからなかった。そんなお坊さんなどゴンパには一人もいなかったから。Kさんは驚いて他の参加者たちにも聞いたけど、誰一人僧侶をみた人はいなかったのだそうだ。Kさんにはセッションの間中、2時間くらいも見えていた!のに。その話を聞いてふっと前回のニュンネを思い出した。日曜の最終セッションともなると、絶飲絶食で喉も乾いてるし、お腹も減ってるし、フルレングスのプロストレーション―全身をつかって行う五体投地のせいで全身筋肉痛でヘロヘロに疲れてくる。もうこれ以上、屈伸は無理だと思ったとき、後ろから誰かに右の腕をポンと叩かれたのだった。「がんばって!」とでもいうように。どなたが励ましてくれたのだろう、と振り返ったのだけど、周囲にはふらふら歩いている人など一人もいなかった。皆それぞれのマットの上でひたすらプロストレーションを繰り返していた。気のせいかとも思ったが、腕にはありありとぽんと叩かれたときの感触が残っていた。もしかすると、あれは、Kさんが見たお坊さん、だった、とか???プロストレーションに関しては今回も、前回以上にしんどかった(ような気がする)。半年分年を取ったせいか(?)筋肉痛が酷くて前にもましてヘロヘロしてしまった。とりわけ前回同様、日曜の最終セッションはしんどかった。もうあかん、これ以上は足曲げられん、屈伸できん、起き上がれん、と思ったとき、ハタと気がついた。なら、止めればいいんじゃなぁい、と。なにも痛む筋肉に鞭打って、無理にやらなくてもいいのだ。だいだい自分は屈伸運動をしに、ここにいるわけじゃない。別段エクササイズをするために、ニュンネに参加したわけじゃないのだから。これはあくまでも瞑想リトリート、慈悲の心を養うことこそが本来の目的なのだから。そう思ったとたんにふっと夜中に聞こえてきた子どもたちの声を思い出した。あれは、なんだったのだろうか?あの子たちは、いったい?もしもあの子たちがパラノーマルな世界の子どもたちだったとしたら、成仏はしているのだろうか?もしや浮遊霊とか自縛霊とか…さまよえる、いわゆる未浄化霊だったとしたら…?まだ小さな子どもたちなのに…。うちの甘ったれの下の子と同じくらいの年だろうに…。そう思ったら堪らなくなってしまった。あの子たちのことを祈らなければ、と思った。もしもまだ成仏できていないのならば、光へ導かれるように、と。祈り、真言を唱え、気がついたらまたプロストレーションを続けていた。最終日の早朝(つーか、まだ深夜?)キィ姉とキィ妹のWアラームで1時起床し(涙…)、支度も超早くできて、余裕でゴンパに向かった2時半―コートヤードから夜空を見上げれば、丸い月が浮いていた。透明感な墨色の空にぽかりと浮いた大きなまぁるい月、その鮮やかさに立ち止まり、しばらく眺めていた。月光は白くまばゆく、神秘的に美しかった。そうして、ニュンネ明けのチャイは今回も美味しかった。たとえようもなく。そういえば、前回のニュンネで聞いたシェンさんの声。ブログに書いたけど、深夜12時からの絶飲を前に緊張のため眠れず、パニックを起こしそうになったとき、窓の外、コートヤードから男性二人が談笑しつつ歩いてきたのだった。こんな時間に散歩かい?と思ったとき、シェンさんの声ではっきりと「ぼくはニュンネのときは眠らないことにしているんだ」と話すのが聞こえた。ああ、そうか、別に眠らなくてもいいんだ~と思ったとたんに気もちがす~と軽くなって楽になったのだった。ところが今回シェンさんに尋ねてみたところ、夜中に散歩なんかしていない、と言う。「無言の行が始まる直前にふらふら散歩するわけないよ」と言われてしまった。。。ですよね。。。けれどあれは確かに彼の声だと思ったのだけど…。あのとき他にニュンネに参加していた男性はS君という若い子と初老の男性だけだった。念のためS君に聞いたところ、やはり夜中に散歩などしてないそうで。もう一人の方はわからないけど、あれは初老男性の声ではなかったし…。いずれにしても確かに男性二人で歩いていたんだけどなぁ…。と、ニュンネではやはり不思議なことが多い。2回目のニュンネ―今回も慈悲心と浄化の行がどれだけできたかは心許ないところだけれど、充足感も達成感もいただけた。こころが励まされるような温かい不思議体験もたくさんできた。次のニュンネもまたできればな~と思う。心と体の大掃除、少なくとも年に一度はしてゆきたいナ。写真は2月7日から9日に展示された、チベット仏教の遺品展です。40度と暑いなか行ってきました。外の灼熱が嘘のように穏やかな光が漂っていて、美しかったデス。
2014.03.16
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