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ふるさとの実家も、急斜面の危険地区に指定されているようで、数10年前に竹林の斜面にコンクリートの隔壁を作る大掛かりな工事が行われました。(住人を動かした方が安上がりではと思いました 笑)20号線をまたいでの富士川沿いも崖になっていて少しずつ崩れてきています。私の子供のころと比べると半分くらいになっているような感じがします。この前ふるさとに帰った時に町の係りの方が見に来ていました。広島で起こったような土砂災害も、我が家はたぶん大丈夫だと思いますが近くには同じようなところが何か所もあります。山は急斜面ですし、花崗岩の真砂ですし、起こっても不思議ではないです。これを教訓に、自分のいる場所のハザードマップを確認しておきたいものです。国土交通省 ハザードマップ 全国の洪水、内水、高潮、津波土砂災害、火山の危険地域を確認できます。宮城県 防災情報 洪水、土砂災害、河川(水位、雨量)、火山今日、一時的に強い雨と雷がありました。こんな時に外出したらとても大変だと思いました。1時間前後の雨雲、雷の確認は次のサイトがとても便利です。お出かけには、これで確認するといいです。 気象庁 レーダー・ナウキャスト ウエザーニュース
2014年08月22日
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ふるさとの高原の空き地に太陽光発電をすることを計画して、やっと出来上がりました。発電開始は8月23日の予定です。自宅での消費でないので発電の全量買い取りのために10KW以上です。昨年春に計画し申し込みましたので、発電量の買取り料金はKwあたり37.8円です。土地は故郷の自宅の前を考えたのですが、山が近くで光を遮るので妹の高原の遊休地を借りました。妹もそこですると言うことで形式的に2分しました。私の発電容量は 13.8KW 効率の良い東芝発電パネル46枚です。20年間保証なのでもとは取れそうですが、私がそこを見届けられるかは微妙です。あの大雨で一つ問題が起こりました。土地は、そのまま放置してあった住宅地でしたが、下の家との境が石垣でした。何かあってはということで、ここをコンクリートの外壁にしました。この工事に手間取り、5月完成予定が8月まで延びてしまいました。隣の家主さんから見に来てくれと言われていってみたら、この外壁の下から水が吹き出し隣家の敷地が水浸しになっていました。考えうるに水は川だけを流れると考えてしまいますが、山の斜面の土地は家の敷地の下を水が流れているんですね。石垣になっているときは、そのままスムーズに流れていたのが、立派な外壁を地下深く埋め込んで遮ったので水の行き場がなくなったんですね。こんなことも考えておかなければいけないんですね。
2014年08月18日
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ふるさと信州から宮城へ帰ってきました。お盆帰りの人が多くて、列車は混んでいました。ふるさとの山ではヤマボウシの実が少し色づき始めていました。秋へ向かうのでしょう。ヤマボウシフシグロセンノウオミナエシボタンヅル 牡丹蔓 キンポウゲ科 (httさんより教えられました)
2014年08月17日
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今年は妹と2人で、お墓参りをしました。 様々な思いを持ちながら、人生途上ではからずも中断させられた愛しき人、父、同級生や多くの有縁、無縁の人たちの私たちに託された思いに心を巡らせました。(昨年書いた内容を手直ししました。)(山は南アルプス、川は富士川で川向は山梨県、国道20号線) 以前、町の公民館の記事で小泉八雲の次の言葉に出会いました。 日本人の祖先の魂は何時もその辺を漂っていて子孫の生活を見ている。 手出しも口出しもせず、ただ見ているだけで見守っているわけではない。 私たちは亡くなりし人たちを祭壇に祀り、冥福を祈りますが、私たちこそ逝きし人々の願いや思いがこめられた生の祭壇に祀られし者なのかも知れません。 自分たちはもう歩けないから、私たちの代わりに歩いてほしいと。 あの大戦で、国のために、日本に残した家族のために命を失いし人たちの願い あの大震災で津波で海に飲み込まれた人たちの願い 原発震災で、逃げなどいながら異郷の地で命を失いし人たちの願い 私たちはその願いや思いを託された存在なのでしょうか。はたし得ぬ思いを持って私たちの目の前から去っていった私たちの愛し慈しみ人たち の願いや思いに、私たちはどれだけ応られる生き方をするにかかっているのでしょう。 地震・津波、戦争、核廃棄物など人類への大きく重い課題です。
2014年08月16日
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ここ数年、平和への不安が増してきた昨今、69年前の大きな犠牲を払ったあの過ちを再び繰り返すことのないようにしたいものです。終戦ではなく敗戦です。誤った判断と行動により、かけがいのない多くの命と財産が失なわれたのです。日本は終戦の日を玉音放送が行われた8月15日にしていますが、アメリカ・イギリス、ソ連・中国の終戦の日は日本が降伏文書に調印した9月2(3)日です。日本は8月15日にすることで、敗戦でなく終戦のイメージにしたかったのでしょう。8月15日 終戦(敗戦)記念日 戦後69年目 1945年8月15日。今から69年前、日本はポツダム宣言を受け入れ、 終戦(敗戦)に至った日です。戦没者は実に310万人を越えています。 また近隣アジア諸国の多くの方々へ与えた責任の重大さも忘れてはならいです。 愛するものを失った悲しみは69年間、1日たりとも消えることのないもので あったであろうことを思い、再び同じ過ちを起こさないことを誓いたい。 津波など自然災害は避けることができませんが、 戦争は人間の英知で避けることができるのですから。私は幼くて戦争の記憶はありませんが、私の見聞きした事を記します。私の子供時代には戦争で父を失った同級生が数人いましたが、子供ながらに生活の苦しさが目に見えていました。父は今の北朝鮮平壌に出征しました。終戦直前は千葉の九十九里ヶ浜で、敵の軍艦に爆弾を持って突っ込む目前で終戦を迎え命を永らえました。父からは一切といっていいほど戦争の話は聞く事がなかったです。口に出せないような体験をしたのでしょう。我が家の隣家で私の祖母の祖父が同じ親族にあたる家も大変な苦労をしました。昔は寺子屋まがいの家で俳人としても名高く俳句歳時記をも編集しました。明治天皇の地方巡幸では立ち寄って休息を取ったということで石碑が建っています。戦争のときは、村の名士で中心人物であったがゆえに、村人を引き連れ満洲開拓団として一家(子供5人)で赴きました。数年前、その長男の方から初めて(一昨年亡くなったので、最初で最後ですが)そのときの話を聞くことが出来ました。満洲人から畑や牛を取り上げたこと、村に迷い込んだ娘を裸にしてなぶりものにしたことなど‥私もそれ以上にたちいって聞きだすことは出来ませんでした。敗戦を迎え、村役だった隣家の父は村人が無事に帰れるように出向いた所で恨みを持つ匪賊に襲われ命を落としました。5人の子供を抱えて母は高粱畑を隠れながら港へたどり着きました。日本へ向かう船の中で一番下の幼子は命を落とし、母も日本の港につきながらも手続きの遅れ?で、日本の土を踏むことなく亡くなりました。故郷へは子供たち4人(男2人、女2人)でやっとのおもいでたどり着きました。何も変わらぬ故郷を見て、自分たちの苦労はいったいなんだったんだ、こんな日本引っくり返ってしまえと思ったと後で聞きました。子供たち4人の生活がどんなに大変だったかは言うまでもありません。満州に出向く前に託して行ったわずかばかりの田んぼは農地解放を理由に返して貰えず、今まで村の中心だった位置からも没落してしまいました。食糧難からの発育の遅れ、学校にも行けずに製糸工場や機械工場に幼くして働きに出ていました。どんなにか苦しい生活を送ったことでしょう。みんなが苦しい生活をしいられ、他人のことまでは手助けできるような状況ではありませんでしたしね。ツイッターにはもっと過酷な運命に翻ろうされた方々の様子が記されていました。1941年の真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争 毎日新聞 終戦記念日【終戦69年:戦争経験者69人の証言】(テレ朝news) 1 2 3「青森空襲を記録する会」 体験を聞く会 忌野清志郎『瀕死の双六問屋』を読む 終戦の詔書に「尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スへシ」 戦争は、民族の滅亡だけでなく、人類の文明の破壊にまでいたると言及しています。正に現行憲法の精神です。現在を生きる我々も肝に銘ずるべきだと思います。(松井 計さん)
2014年08月15日
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ふるさとから見た富士山です。八ヶ岳
2014年08月14日
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庭で深山鉦は多数見られましたが、赤い羽根のものを見つけられませんでした。今日は1匹だけオスのミヤマアカネがいました。
2014年08月13日
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昨年家の庭先にツバメが巣作りしていましたが、子育ては出来ませんでした。今年は1羽の雛を育てていました。
2014年08月12日
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台風も去り、今日は晴れ間がのぞきました。ふるさとの庭にいた赤とんぼたちです。我が家の庭の赤とんぼはミヤマアカネが多いです。コノシメトンボアキアカネシオカラトンボオツネントンボ
2014年08月11日
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今日、帰郷の予定でしたが、台風接近に当たっていたので予定を変更して昨日帰りました。ここふるさとでは昨夜から雨が降り始め今朝早朝はだいぶ振りましたが、日中は風も雨もたいしたことはなく台風も峠を越しちょっと拍子抜けでした。わが家の2階の窓から見た光景です。 道路は国道20号線 山は南ア その間に見えないですが富士川です。この川向は山梨県です。我が家のほうは長野県。ここの草だらけの所すべて我が家の庭です。
2014年08月10日
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今日は69年目のナガサキ原爆の日この日を思い起こすために昨年書いたものを一部手直ししています。長崎市出身、福山雅治さんのアルバム『HUMAN』の1曲目 「クスノキ」 歌詞 (山王神社にある、被爆クスノキがモデルにつくられた楽曲のよう)長崎市平和宣言 田上富久長崎市長 解説書 核兵器のない未来のためにヒロシマ原爆投下から3日後の8月9日11時2分に長崎市に原爆が投下され7万人が犠牲になりました。 長崎に投下された原爆は、ヒロシマの原爆と種類の違うものです。 広島の原爆はウラニウムUですが、長崎はプルトニウムPuです。 2種類の違う原爆の威力を実験で確かめたかったのでしょうか。当時の長崎市の人口は24万人です。そのうちの7万人が死亡し、7万人が負傷しました。また当時強制連行された韓国人や捕虜の中国人、欧米人など数千人~1万人が死亡しました。また現在でも3.5万人に及ぶ被爆者が、その後遺症に苦しんでおられます。 世界には1万6千発の核弾頭が存在します。地球上の人類をすべて焼き尽くしても余りある数です。こんな核兵器が三度使われてはならないと思います。これ以上の残忍な殺人兵器はありません。個人が1人でも人を殺せば犯罪で処罰されますが、国家がこんなものを所有して多数の市民を殺害することは犯罪ではないのでしょうか。私には核兵器を所有すること自体が地球と言う生命の星に対する最大の罪だとしか思えません。
2014年08月09日
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先日の平筒沼のトンボたちです。毎年多数のチョウトンボ、コフキトンボを見かけるのですが、今年は時期が悪いのか数匹でした。チョウトンボコフキトンボ
2014年08月08日
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先日の平筒沼で見かけたアゲハチョウです。アゲハキアゲハ
2014年08月07日
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今日は広島に原爆が投下されて69年目です。 核兵器の持つ残虐性が希薄になっている今、唯一の被爆国として核兵器廃絶の願いを今日の日に託したい!!そう思いながら、毎年内容を加筆し続けてきました。 爆心地から~500mで被爆した78人の証言。 毎日ジャーナリズム あの3.11大震災が引きおこした福島第1原発事故は、いまだ収束の道筋もつかず今後引き起こされる放射能汚染はどうなるか予測するのもはばかれるほどです。 被爆国日本が再び国土の広範囲の核汚染することになろうとは、歴史のどんなめぐり あわせなのでしょうか。 今までの国のあり方を私たちは、強く問われているのだと思いました。 2011年3月11日~福島原発で、あのヒロシマ型の原発が30数個落とされたほどの放射性物質が飛び散りました。海に国土に、地球に飛び散ったのです。 10年、30年、50年後にどんな影響が出るのか‥‥日本の国土や大気を汚しただけでなく、地球と言う生き物の星を汚してしまった日本は世界に先駆けて「脱原発」に向かうべきだと思いました。 原発から生じる核廃棄物は処分方法さえ目途がつきません。 今の私たちの利益のために後世に処分が定まらない廃棄物を残してはいけません。核兵器だけでなく原発を含めた全ての核廃絶を願いたい!! 吉永小百合 「どんな状況でも、核兵器はノー」 「原子力の発電というのは、特に日本ではやめなくてはいけない。 これだけ地震の多い国で、安全ではない造り方、管理の仕方をしているわけですから。 どうやって廃炉にしていくかを考えないと」 再び核兵器が使われることのないことは、勿論ですが福島原発のような事故によって地球が核汚染されることのない世界を強く願いたいです。川内原発再稼働に絡んで、火山学者から懸念の声が出ています。原発はカルデラ破局噴火の起こる可能性がある地形上にあります。カルデラ破局噴火は普通の噴火とは全く違います。これが起こば壊滅的被害をもたらします。数万年前に起こったという入戸火砕流の再来が起これば、南九州は全滅します。もしそこに原発があれば、日本も壊滅します。それは明日かも数万年後かも … 火山小説「死都日本」シンポジウム ―破局噴火のリスクと日本社会― 講演要旨集 早川由紀夫 「火山災害の種類とリスク」(月刊地理5月号))
2014年08月06日
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今年初めてトンボの沼 平筒沼に行きましたが、時期が遅かったのかトンボは少しだけでした。蓮の花が沼いっぱいに咲いていました。
2014年08月05日
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平筒沼の蓮の花の咲く沼につぼみの状態の花を見かけました。花が開く前のものを見たのは初めてです。ツボミの状態もきれいですね。アサザ (浅沙、阿佐佐) ミツガシワ科 ハナジュンサイ スイレンに似ていますがスイレンの仲間ではありません。かつては琵琶湖、霞ヶ浦、諏訪湖などに大群落がありましたが、湖の水質汚染のため減少しました。 宮城県絶滅危惧種、環境省の準絶滅危惧I類に指定されています。 霞ヶ浦では自然環境復元を目的に「アサザプロジェクト」が行われています。
2014年08月04日
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近くの江合川の土手は大震災で崩れ、通過中の車など被害を受けました。土手を撤去し基礎を固めるという大掛かりな土手の補修を行いました。今年は補修の終った土手で4年ぶりに花火を見ることが出来ました。おおさき花火大会 江合川 8月2日 YOUTUBE 動画ハイライトスライドショー
2014年08月02日
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