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蕪栗沼の土手にいたチョウたちです。キアゲハが多かったです。キアゲハ (コンフリー) 同行したケンさん撮影アカタテハモンキチョウベニシジミジャノメチョウ
2022年08月29日
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蕪栗沼に珍しいサギが来ているという事で行ってみました。残念ながら影も見えず、カメラマンの姿もなかったのでどこかに移動したのでしょう。少し行くのが遅かったです。ありふれたアオサギです。田圃の上を飛ぶ白いサギの中にアマサギが2羽ほど混ざっていました。沼にはカンムリカイツブリが2羽いました。
2022年08月28日
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今年は大雨で伊豆沼などのハスの花は全滅状態です。ここ切伏沼はハスがいっぱい咲いていました。ただ葉が多くて花が少ないです。 (同行したKさん撮影)
2022年08月27日
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庭の隣の側溝にアミアが葉が浮いていました。紙の上にそっと置いて撮影しました。ナミアゲハ 並揚羽表裏
2022年08月21日
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潟沼で黄色のトンボが2,3匹飛んでいました。ユスリカしかいない酸性湖でヤゴが育つのでしょうか。水たまりでも。割合目と鼻の先に近づいて来るのですが、なかなか止まってくれません。数あるうちにはということで、シャッターを何回も押し続けました。ウスバキトンボ(薄羽黄蜻蛉) 精霊トンボお盆の頃に多いので「精霊とんぼ」「盆とんぼ」「招来トンボ」「仏トンボ」と呼ばれています。「ご先祖様の霊がトンボに乗って盂蘭盆会に里帰りされた」として、各地で大切にして 捕ってはいけないと戒められています。寒さに弱いので日本で冬を越すことが出来ず、春に東南アジアの暖かな地方から九州にたどり着き、世代交替しながら少しずつ北上して北海道までたどり着きます。そして寒さの訪れとともに北の地方から死んでいきます。長所は長時間飛び続けられることと、幼虫から成虫になるのに1ヶ月で、とても早いことです。この温暖化で日本でも冬越しするものが現れるかもしれませんね。オニヤンマもいました
2022年08月20日
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今日は潟沼に行きました。あの大雨で潟沼の周りは冠水し一回りすることは出来ませんでしたが、エメラルドグリーンの緑の色が素敵でした。潟沼は鳴子火山の火口で宮城県の3つの活火山の一つです。 蔵王、栗駒山、鳴子沼にはカルガモが3羽いました。
2022年08月19日
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平筒沼の秋の装いです(8月11日分)ちょっと見ると紅葉したのかと思われますが、他所ではまだまだ桜は普通は緑です。これはあたりを見渡すと除草剤の効果のようです。除草剤が秋の風景を作り出していました。木々は桜の木です。
2022年08月18日
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平筒沼のカモです。(8月11日分)アイガモ 合鴨カルガモ
2022年08月17日
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今年もまた母亡き後は、故郷ではなく、家の祭壇で焼香です。すみません。昨年のコピーです。 様々な夢や思いを持ちながら、人生途上ではからずも中断させられた愛しき人、父母、同級生や多くの有縁・無縁の人達の私たちに託された思いに心を巡らせました。 以前、町の公民館報で小泉八雲の次の言葉に出会いました。「日本人の祖先の魂は何時もその辺を漂っていて子孫の生活を見ている。手出しも口出しもせず、ただ見ているだけで見守っているわけではない。」 私たちは亡くなりし人たちを祭壇に祀り、冥福を祈りますが、 私たちこそ逝きし人々の願いや思いを託された生の祭壇に祀られし者なのでしょう。自分たちはもう歩けないから、私たちの代わりに歩ゆんでほしいと。 あの大戦で、筆舌の辛苦を味わい命を失いし多くの人たちの願い あの大震災の津波で海に飲み込まれた人たちの願い 原発震災で、ふるさとを追われ異郷の地で命を失いし人たちの願い 私たち生けるものは、その願いや思いを託された存在なのでしょう。果たし得ぬ思いを持って私たちの目の前から去っていった私たちの愛し慈しみ人たち の願いや思いに、私たちはどれだけ応られる生き方をするかにかかっているのでしょう。コロナ、地震・津波、火山、戦争、原発は私たちに課せられた重い課題です。
2022年08月16日
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8月15日 終戦(敗戦)記念日 戦後77年目 (昨年のブログの改変) 77年前の大きな犠牲を払ったあの過ちを再び繰り返してはならないと、あらためて自分の心に刻み込みたいです。私は、幼すぎて戦争については、ほぼ何も知らない世代ですが、身近には戦争孤児を見ながら子供時代を過ごした世代です。 吉永小百合さん。思いを込めて毎年「原爆の詩」を読み続けています。その吉永さんが「戦争反対を言えない空気」に危機感を表明しています。毎年続けてきた吉永さんの心の想いは、同世代のこの時代を生きてきた私の想いにも重なるものがあります。 ますます吉永さんを好きになるとともに、尊敬の念を感じます。 「戦争が廊下の奥に立ってゐた」 渡辺白線終戦記念日と言われていますが、終戦ではなく敗戦です。誤った判断と行動により、かけがいのない多くの命と財産が失なわれたのです。日本は終戦の日を玉音放送が行われた8月15日にしていますが、アメリカ・イギリス、ソ連・中国の終戦の日は日本が降伏文書に調印した9月2(3)日です。日本は8月15日にすることで、敗戦でなく終戦のイメージにしたかったのでしょうか。 戦争は敗けたから終わりとはならない。収容所にいたり外地に取り残された人々。沖縄は返還後のいまも基地が残る。朝鮮半島は混乱しその後朝鮮戦争となり休戦状態。補償の問題も未解決。加害の視点の欠落。今日を終戦記念日と呼ぶには疑問が残ります。1945年8月15日。今から77年前、日本はポツダム宣言を受け入れ、終戦(敗戦)に至った日です。戦没者は実に310万人を越えています。また近隣アジア諸国の多くの方々へ与えた責任の重大さも忘れてはならいです。愛するものを失った悲しみは77年間、1日たりとも消えることのないものです。再び同じ過ちを起こさないことを強く誓いたい。津波など自然災害は避けることができませんが、戦争は人間の英知で避けることができるのですから。生き物の中で、これだけ同じ仲間を殺戮する生物を人間以外知りません。私には人間は一番質の悪い生き物だとしか思えません。父は平壌(ピョンヤン)に出征しましたが、軍隊内で上官にぶん殴られた話しを聞きました。戦争の話はそれだけです。他にも口に出来ないようなことがあったのでしょう。家に帰ったとき、そのときの激励文がありました。義父(当時附属小勤務、39歳)が残していた原稿です。地震もそうですが体験したのと、しないのでは大きな違いがあります。少しでもそのときの気持が共有できたらと思いました。 「昭和20年8月15日正午、玉音放送がありました。臨時ニュースで、陛下の重大放送があるというのです。夏休み中ですから勿論子供たちはおりませんでした。私どもは雨天体操場に集まり聯隊本部(仙台空襲で焼きだされ第4聯隊本部が附属に引き越して来ていた)の人々と共にラジオに耳を傾けました。終戦の大詔でした。左片腕のない陸軍大佐〔この連隊本部の最高官の方でした。〕玉音放送が終わると、大佐は「申し訳ありませんでした。」と、私どもの方を見て頭を下げられました。私どもは職員室に集まりました。沈黙が続きました。私は、机の上に泣き伏しました。斜め向かいにおった鎌田君も泣き伏しました。一時に張りがぬけました。「金甌無欠」の絶対不敗を信じていた日本の国が、戦いに敗れたのです。午後になって幾機かの飛行機が飛んできました。轟音凄まじく低空飛行です。バラ蒔いたチラシには「われわれは決して負けたのではない、降伏したのではない。国民よ、団結して戦え。」といったようなものでした。」
2022年08月15日
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庭のナツズイセンが満開でした。仏花として供えます。平筒沼のトンボです。(8月11日分)ここにいるトンボはコフキトンボがほとんどです。オオヤンマが飛んでいましたが、止まらないので撮れませんでした。コフキトンボ (オビ型)ショウジョウトンボ
2022年08月14日
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平筒沼の花々です。(8月11日分)水面には蓮の花2本とスイレン、アサザの黄色い花が鮮やかです。 アメリカザリガニの死骸にルリシジミがすがっていました。花にチョウが定番ですが ザリガニの死骸にチョウが止まるのはなぜなのでしょうか。湿った土には吸水のために止まるのを見かけたことはあるのですが、死骸は初めてです。ネットで調べるとチョウは動物の死体やフン、血液を好むらしいです。特にオスは塩分とアミノ酸でメスにもてるホルモンを出せるとか。チョウを撮影するには魚におしっこをかけるとチョウに近づけて撮影しやすいとのことです。お試しください。ネットではこんなことも調べられて便利ですね。アサザスイレンヘクソカズラ白いサルスベリが満開でした。白い花のサルスベリは珍しいです。ルリシジミ
2022年08月13日
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今日の満月のお月さんは「スタージャンムーン」 だそうです。スタージャンとは、チョウザメのことで、豊漁を期待して付けた名前だそうです。英語圏では、1月から12月まで、それぞれ満月に呼び名つけてています。平筒沼のチョウたちです。(8月11日分)久し振りに黒いアゲハチョウを見ました。クロアゲハキマダラヒカゲ沼にサギが1羽だけいました
2022年08月12日
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今日は朝早く平筒沼へ行きました。朝5時に出発、9時前には家に帰ってきました。コフキトンボが少しいただけです。例年だと満開のハスの花もたった2輪だけでした。あの大雨で水の下に沈んだようです。通路も冠水で通り抜けられませんでした。釣り人がいて、ちょうど通りかかったときに釣り上げたので撮らせてもらいました。いつも釣り人は見ていましたが、釣り上げた魚を見たのは初めてです。ブラックバス
2022年08月11日
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庭にミソハギの花が咲き始めました。今日は77年目のナガサキ原爆の日77年前の今日。1945年8月9日11時2分,長崎原爆投下で7万人以上の命が奪われた。ヒロシマ原爆投下から3日後の8月9日11時2分に長崎市に原爆が投下されました。 令和4年 長崎平和宣言 長崎に投下された原爆は、ヒロシマの原爆と種類の違うものです。広島の原爆はウラニウムUですが、長崎はプルトニウムPuです。2種類の違う原爆の威力を実験で確かめたかったのでしょうか。 当時の長崎市の人口は24万人です。そのうちの7万人が死亡し、7万人が負傷しました。また当時強制連行された韓国人や捕虜の中国人、欧米人など1万人以上が死亡しました。また現在でも3.5万人に及ぶ被爆者が、その後遺症に苦しんでいます。庭には鎮魂のミソハギの花が咲き始めました。今日のナガサキの日に、このミソハギの花を手向けます。ミソハギ ミソハギ科 禊萩、盆花、精霊花、溝萩、味噌萩 水をかけて悪霊を追い払う「みそぎのハギ」禊萩の意味です。 お盆の頃に花が咲き、供養花に使います。(お盆に帰ってくる祖霊はこの花についた露しか飲むことが 出来ないので、この花に水を含ませてかける) 若芽は食用、漢方では千屈菜(せんくつさい)として下痢止めに。
2022年08月09日
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相野沼のチョウたちです。(8月6日分)キアゲハ (オニユリ)モンキチョウ 紋黄蝶 (アカツメクサ)沼の周りは実り始めた稲穂の田んぼが広がっています
2022年08月08日
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相野沼のトンボたちです (8月6日分)ハグロトンボ ♂ (同行したKさん撮影) ♀シオカラトンボ ♂ ♀オオシオカラトンボ (同行したKさん撮影)アブラゼミ
2022年08月07日
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「77年前の今日。1945年8月6日8時15分,広島市への原子爆弾投下。推定人口35万人のうち,9万〜16万6千人が,被爆から2〜4か月以内に死亡したどれだけ時を重ねても、あの日のことをずっと忘れないように、あの時代を生き抜いた人たちの想いを、生きたかった人たちの想いを、次の世代へきちんと繋いでいけますように。」 ツイッターからの引用です。 朝日新聞カメラマンが記録した広島相野沼のハスの花です。7月末のこの地区の大雨でここのハスは水没しハスの花が枯れたようです。伊豆沼など例年だと蓮の花が見事ですが、ここもダメなようです。わずかに咲き始めた相野沼のハスです。釣りをしている方は、わざわざ八王子から来ていました。ナマズを釣ったそうです。
2022年08月06日
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岩出山のキノコです・(7月30日分)名前不詳です。こんなにいろいろなキノコが咲いているのを見たのは初めてです。
2022年08月05日
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いこいの森のキノコです(7月30日分)名前は?です。分かったら教えてください。
2022年08月04日
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いこいの森のキノコです。(7が7月30日分)今年は雨が大量に降ったせいか、いままでになくキノコがいっぱい生えていました。年会えずきれいな赤いキノコです。4本ありました。名前は?分かったら教えてください。 タマゴタケ?
2022年08月03日
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我が町の花火大会です。何時もだと江合川の土手で見るのですがコロナ時なので入場券がないと近づけないので我が家の庭からの撮影です。OSAKI HANABI FESTIVAL 2022
2022年08月02日
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いこいの森のセミとトンボです。 (7月30日分)いこいの森でもセミの声が少しだけですが、聞こえます。ヒグラシ (同行したKさん撮影)オオシオカラトンボ (同行したKさん撮影)シオカラトンボ ♀
2022年08月02日
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いこいの森の木の実です。 (7月30日分)キイチゴがいっぱいで、ちょうど食べごろでした。食べる生き物はいないのでしょうかね。キイチゴヤブデマリコバギボウシトリアシショウマ
2022年08月01日
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