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菊水史談会の佃先生の講演会に参加しました。演題:新日本の古代史「貴国から高市天皇まで」場所:和水町中央公民館 32.977173, 130.605690感染対策をした会場です。レジメの一部です。また、他所での、佃先生の講演会の案内も頂きました。
2022.05.31
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荒尾大師の情報です。32.981395, 130.493109白からカラーに「荒尾大師」お色直し今度、写真撮りに行ってきますね。
2022.05.30
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小野家のすぐ下の段の墓にも説明板がありました。中村天風の両親の墓とのことです。小野家とともに・・との事です。
2022.05.29
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続き、です。前回の配置図に合わせてご覧下さい。正面中央:隆幸眞俊春信
2022.05.28
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慧日寺の小野家・墓所に来ました。33.073564, 130.492165本堂前を右に、ワンちゃんに吠えられて進み、右下へ、左へ進むと矢印で示されます。石段を上がると、墓所が広がっています。平らにされた地に、歴代の墓が並んでいます。三池炭鉱を開いた小野家の墓所★享保6年(1721)、三池鷹取山で石炭採掘事業を始める 江戸享保年間から明治初期まで約150年間にわたって 石炭採掘を行い、大牟田の石炭産業の基礎を築いたのが柳川藩代々の家老、小野家です。 ここ大牟田市岩本にある慧日寺は小野家の菩提寺であり、小野家墓所には第20代正俊から30代までの小野一族が埋葬されています。 小野家は、平安時代に権勢を極めた藤原道長を遠祖に持ち、道長の孫・藤原祐家が、居宅としていた京都の「小野宮第」に因み小野姓を名乗るようになることに始まります。 時代は下って戦国、第18代小野和泉守鎮幸が立花宗茂公 (1567-1642)に仕え、5000石を拝領して柳川藩筆頭家老の地位を得ました。 この鎮幸から数えて6代目の第23代春信が、藩政功労により立花鑑任公より三池平野山の鷹取山を賜り享保6年(1721) そこで石炭採掘を開始、 三池 炭鉱の始まりとなったのです。★日本七槍・立花四天王の一人に数えられた戦国武将和泉守鎮幸 小野家の石炭は瀬戸内海の製塩などに使われるようになり、藩財政を 大きく潤わせました。このため度重なる飢饉のときも、柳河藩では 一人の餓死者もでなかったと伝えられています。 明治5年(1872)、三池炭鉱は政府所有となり官営化、その後明治22年(1889)に三井組の経営となって日本の炭鉱に発展しました。 三池炭鉱は平成9年(1997)に閉山しました。 小野家中興の祖となった鎮幸は、日本七槍・立花 四天王の一人に数えられた戦国武将でした。 主君宗茂が関ヶ原の戦いで西軍についたため 立花家は取り潰しとなり、宗茂は肥後の加藤清正預かりの身となります。鎮幸も家臣団を率いて清正に仕え、その後宗茂が放浪の旅に出たあとも清正の下で生活資金を宗茂に送り続けました。慶長14年(1609)、鎮幸は熊本で没しました。★一族にはオノ・ヨーコ (小野洋子)さんも 元和6年(1620)、宗茂は柳河藩主に復帰します。 取り潰しのあと旧領復帰できた大名は、あとにも先にも宗茂だけです。 小野一族はただちに熊本から呼び戻され、代々立花藩の家老職を世襲することになりました。鎮幸の墓は熊本市の本妙寺参道脇の東光院にあります。 ビートルズのジョン・レノンの妻、 オノヨーコ(小野洋子)さんは、この小野一族です。墓の配置図です。
2022.05.27
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大牟田市岩本の慧日寺(えにちじ)に来ました。33.073828, 130.490950三池炭鉱の始祖・小野家の菩提寺です。 本堂 桁行三間、梁間五間、一重。入母屋造、向拝三間、本瓦葺 大慈山慧日寺は、柳川の梅岳山福厳寺第四代住職霊峰和尚が、荒廃していた浄上宗永昌寺(栄勝寺)を柳河藩主立花鑑任の許可を得て、一七O五(宝永二)年に黄檗宗寺院として創建開山したと伝わる。 本堂は、二枚の寺蔵棟札から一七〇八(宝永五)年に完成一七四五(延享二)年、一八三九(天保十)年に改築され現在に至っている。 建物の正面は三間で、前面一間は吹き放しとなっている。内部は中央に四本円柱を立てた上に格天井をあげ、その周りは化粧屋根裏となっている。中央の間には仏壇がしつらえられ、黒漆塗りの厨子に本尊聖観音像が祀られている。他は土間であり、また正面の半扉や柱脚下に据える石製の礎盤など、京都宇治の黄檗宗本山萬福寺から始まる中国建築文化の様式をよく伝え、当地に伝播したことを示す重要な遺構である。このような本格的な土間式仏殿は南筑後地方には、他ではほとんど残っておらず、大変貴重である。 当寺は北に稲荷山を背負い、入口の放生池から「不二門」の額がかかる山門、そして本堂と雄人な配置の下、造成される寺院である。山門です。本堂左手に、新しい、小野家の墓がありました。
2022.05.26
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秋の良い日よりなので、ドライブがてら、以前教わった津波の関連地を巡ってみました。この石段の上から2段目まで水が来たそうです。信じられない高さ!神社から長洲の海を望むと、家は2階でも浸かってしまいます。続いて、浪先石へこちらも、石から海側を眺めてみると、今も家々は浸かってしまう高さです。歴史を学んで、防災に心掛ける!!です。
2022.05.25
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バラ園のバラが綺麗でした。
2022.05.24
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曇り気味の自転車日和でしたので、海達公子歌碑巡りをしました。2号碑に来たところ、草刈りしてあり、近くに寄る事ができましたのでパチリ。32.99785, 130.42651場所は、市民バラ園の駐車場のはしっこにあります。バラが綺麗でした。
2022.05.23
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玉名にて、「玉名の西南戦争」と題したパネル展があり、出かけました。同時に、「玉名観光ガイドの会」の荒木会長さんの講演が有りました。パネルの写真を取らせて貰い、講演の資料をUSBに頂けないかとお願いしたら、快く、「荒尾史学会の方にも玉名観光ガイドの会を宣伝しておきますから、」との約束で、頂けました。以下のドライブに資料を掲示します。会員の皆様、ご覧下さい。 https://drive.google.com/open?id=1E0YblKuzdJWwocwzxek7v5zwuliiZEFh玉名では、金栗翁のNHK大河に向けて、ガイドや資料の充実が進んでいる様です。興味のある方は、玉名にもご連絡して下さい。
2022.05.21
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久しぶりに矢(弥)五郎丸宮に寄りました。32.96344, 130.43852隣の五輪塔も見ようと思ったのですが、既に草に覆われ、近寄れませんでした。
2022.05.20
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宮崎兄弟の講演が続きましたので、以前の講演資料を読み返していました。2015年にあった山口先生の講演資料をまとめ直ししましたのでご紹介します。以下をクリック下さい。「宮崎八郎とお浪」の新聞情報は、おもしろいです。宮崎八郎・文化サークル
2022.05.18
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会長が、市より、配布を頼まれたそうです。
2022.05.17
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次回、6月予定です。
2022.05.17
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講演会を実施しました。荒尾史学会講座「長洲の昔話」(小岱の里長洲の物語)令和4年5月17日 竹本康美 (長洲町郷土史クラブ顧問) 1 長洲町の現況※エラーが出て貼り付け出来ません。詳しくは書庫を御覧ください。
2022.05.17
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前を通ったので、写真を撮りました。着々と進んでいる様です。
2022.05.17
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5月17日(火曜)定例の講演会を実施します。ご参加、お待ちしてます。
2022.05.15
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1809月の宮崎兄弟の講演で、「三十三年の夢」を読むには・・との質問が出ましたが、以下のサービスで読む事が出来るのを見つけましたので、ご確認下さい。三十三年の夢 - 国立国会図書館デジタルコレクション
2022.05.14
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福岡市博物館の展示会予定です。
2022.05.11
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菊水史談会より、以下の講演案内が届きました。随分長時間の講演会です。詳しい説明になるかと思います。
2022.05.07
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2018/9月 宮崎兄弟の講演が実施されました。
2022.05.07
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玉名こころピアのパンフレットです。今年の展示会予定です。
2022.05.04
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