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笠間市の宍戸城址に来ました。上に神社があります。宍戸城は1602年(慶長7年)に佐竹氏と入れ替わりで秋田より移った秋田実李の居城として知られています。もともとは小田氏や佐竹氏に従っていた宍戸氏の居城でした。その後、秋田俊季が1645年(正保2年)に三春へ転封されると幕府直轄領となり、さらに1682年(天和2年)に水戸藩主・徳川頼房の七男で、徳川光圀の弟である松平頼雄が一万石を与えられると、城を陣屋に改めて支配しました。以降幕末まで松平氏が代々つづいています。現在城址は市街地化のため遺構もほぼ消滅していますが、土塁が一部だけ残っており、その上に末廣稲荷神社があります。また歴史民俗資料館には宍戸城についての展示があり、岩間町の民家には陣屋の表門が移築されています。末廣稲荷神社の説明
2022.11.30
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宍戸城跡に来ました。34.53752, 132.74993田んぼの中にぽつんと保存されています。http://nadi.aalip.jp/Osiro-hiroshima/log/eid143.html
2022.11.26
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赤穂浪士47士を祀る大石神社に来ました。
2022.11.23
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赤穂城に来ました。なかにも入らず、城門前で帰りました。
2022.11.22
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史跡ウォーキングが実施された・・ハズです。私は地区の清掃作業で行けませんでした。
2022.11.19
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工事用のフェンスの方をエレベータで上がり、大天守の屋根の修復状況を見れました。天守閣の高さからの眺め小天守と外壁兜の展示
2022.11.19
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姫路城に立ち寄りました。生憎というか、ちょうど天守閣のお化粧直し中でした。天守閣は、工事用フェンスで覆われていました。門を通って、場内へ
2022.11.18
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荒尾史学会 月例講演 荒尾史学会の講演を下記のように行いますので、ご参加ください。 演題: 小弐氏について内容:鎌倉~室町時代における北部九州の豪族。小代氏との関連についても言及する。 期日および時間:令和4年12月20日(火)、18:30~20:00場所:荒尾中央公民館 視聴覚室講師:福田 一郎(荒尾史学会 会員) 資料代・部屋使用代:会員(\100) 非会員(\500) 連絡:諸隈 TEL 090-2905-6837(申し込み不要) E-mail qqna2hr9k@estate.ocn.ne.jp https://plaza.rakuten.co.jp/araosigakkai/
2022.11.16
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11月例会が実施されました。従来、この講演会は、ジジイの聞きにくいトツトツとした喋りばかりでしたが、初めて滑らかな語り口で、しかも史実に出難い戦国女性の事をよく調べられていて、素晴らしい講演でした!!
2022.11.15
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県外お城巡り・高遠城址 サクラ祭り 35.833558908395176, 138.0634534387481サクラ祭りに参加しました。武田信玄の五男仁科五郎盛信が織田信長の長男信忠と戦い、壮絶な死を遂げた高遠城は、明治4年(1871年)の廃藩置県で、城が取り壊され、明治8年(1875年)に公園となりました。高遠藩の旧藩士達が「桜の馬場」から桜を移植したことにより、今では全国でも有数の桜の名所となりました。本丸の老木はこの時植えられたもので、4月には、130年生以上の古木20本、50年生以上のもの500本などに若木を加えた約1,500本のタカトオコヒガンザクラが、淡紅色で小ぶりの花を枝いっぱいにつけます。高遠城址公園・遠景とにかく、サクラと人だらけ、でした。これで、吉野も高遠も見ました。
2022.11.15
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女性会員の堺さんの講演です。奮ってご参加下さい。
2022.11.13
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御成門に来ました。(53)御成門 府本字町(付図2-156)町の中央の府本公民館の隣に、旧三池街道(県道金山・三池線)に面して建っている(図版11(1))。藩主細川家の九曜紋入りの棟瓦と軒瓦の屋根をもつ門と扉で、その頭貫には九曜紋を浮彫にした板欄間が施されている。これは天保2年(1831)6月14日の再建物であるが、老朽、破損したのでさる53年補修工事をおこなった。「かって御成門の入口には背丈ほどのけやき材の玉垣が置かれ、道路と遮断されていた。そして藩主御成りのときだけそれを取りはずしていた」とのことである。御成門を入り、1間半ほどの位置に御成間かあった。昭和初期に売却されたが、幸い近くの田中春記氏宅内に移建され、はぼ原型をとどめた姿で同氏宅に利用されている。これは回廊と床の間つきの8畳2間である。廊下は畳間より1段低いつくりで桜材を使用しているという。御成門と同時期の建造であろう。ところで昭和10年ごろ御成間の解き家手伝いをしたという古老O氏に次の話を聞いた。「柱のホソには沢山の墨書がなされていた。それは贈大工○○の他に、府本村○○兵衛、平山村○作という具合に苗字のない百姓名である。今でも解体すればわかるはずである…」と。御成門の再建は府本村近在の人々の贈に依存してなされたのであろうか。天保期は藩財政が極度に窮乏化した時期である。再建の前々年の文政12年(1829)に、肥後藩はさかんに献金をすすめ、傘御免、小脇差御免、士分取立てを告げている。御成門と御成間はその事情を秘めて建っている。
2022.11.12
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府本熊野神社・石造物に来ました。① 府本熊野神社石造物社前の明神鳥居や、石段左右の天保7年(1836)銘石燈籠、弘化2年(1845)銘石門は藩政時代の府本町を知る遺品である。社前にある1対の相対する狛犬(図版8(3))は、高さ68cm、側長70cmの小型石像ではあるが、前脚をたて、腰を落してうづくまった(蹲踞そんきょ型)姿のまことにこぎれいな作品である。銘は読みづらいが「筑後久留米通町拾丁目、石工江藤宗右衛門吉通」願主は、「嘉永五年(1852)荒木氏」とされている。江藤宗(惣)右衛門吉通の本籍地は、福岡県浮羽郡山北町、その一族は山北石工として有名である。吉通がここの作品を造った頃は、久留米に移り、5石何人扶持ぶちを与えられており、明治20年頃までの石狛犬、石牛、石亀など15点が久留米地方にみられる。本社前の狛犬は吉通の若い頃の作品である。社前には町の繁栄を祈願した大乗妙典石碑が数本ある。その中で有名なものは宿町しゅくまち御免ごめんの碑である(図版8(2))。銘は六角柱状の4面に陰刻され、「享保元年(1716)九月、宿町御免、荒木七良兵衛丿「元文二年(1737)七月日 荒木養元、長浜藤左衛門が願主となり大乗妙典の祈願をなす」「寛保三年(1743)三月、荒木儀平がいままでのことを記事にしてこの碑をたてる。」と読まれる。因みに、この碑石下より多くの一字一石が昭和30年頃出土した。北側にある宝篋印塔は「国家鎮護之塔、安政二端蒙單閼中元 荒木孫七」としてあるので、通称国家鎮護の塔と言う。安政2年(1855)端蒙は旃蒙の誤記で、干支「乙」の異名、単閼は「卯」の異名、また「中元」はお盆の7月のことで安政2年乙/卯7月ということになる。その外、落雷の碑があるが、人によっては相撲さんの碑ともいう。また、府本が宿町時代の寛政5年(1793)1月彫作の町恵比須石像が、昭和31年11月20日に、改彫されて階段下に、移設してある。石匠は櫟野石工平井村住の安村安雄である。宿町御免の碑
2022.11.09
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府本熊野神社に来ました。(44)府本熊野くまの神社 府本字東権現山(付図2-136)宝治元年(1247)8月15日、小代重俊が熊野大権現官をここに勧請し、筒が嶽城本丸の城権現(付図2-188)を離宮としたと伝える。その後、享保年間(1716~35)荒木氏が社殿を改築し、その後も再々修改築をなしたという。拝殿は入母屋造妻入、神殿は流れ造りである。神殿の彫刻は立川和四郎の芸術性豊かな作品で彫刻の鳥は餌を求めて早朝に外に出るという。祭神は、伊弉いざなぎ再尊、速玉男命はやたまお、事解男命ことわけおの三社で、神仏分離後は熊野坐神社と改められた。立派な社殿です。
2022.11.07
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慈照院大仏に来ました。(57)慈照院大仏 平山字万石(付図2-152)慈照院は故児玉修明管長が、世界平和を祈念して、昭和37年1月13日、弘法大師を本尊として創建した民主真言宗の本山である。それと同時に、日本一の像造立を悲願し、各地を行脚し、11年の歳月を要し、弘法大師の誕生日の昭和49年6月15日完成する。高さ38.3m、像高35.45m、頭高13mのコンクリート製である。師は隻腕せきわんでこの難行事をやりとげたのである。荒尾市営バス停唐池下車徒歩200 m である。2代目住職さんに案内して頂きました。説明文にあるように、像を探して、この像を運び込まれたそうですが、安置してみると意外に小さかったので、それならばと自らコンクリート製で作られたのだそうです。その後ずっとコンクリ肌だったのですが、つい先日、色塗りが完成されました。
2022.11.04
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足手荒神社宝塔・地神宮に来ました。(52)足手あしで荒神社宝塔 府本字散見坂(付図2-140)足手荒神社は、手足の痛みに霊験あらたかな荒神社。参詣者も多く朔さくの日詣りは、門前市をなす賑わいである。本堂のかたわらにある石造角宝塔は、たて長の方形で、正面に印契いんけいを法衣のだもとで掩い、両側面には観音、勢至、背面は釈迦の種子を薬研彫やけんぼりした、室町中期の供養碑である。掩印ほういんの中尊が何尊か明らかでないが、現世から来世への遣迎けんぎう思想のこもる貴重な遺物である。また、社前の金剛界四仏を配する円筒宝塔も、年代を同じくする好塔である。 <福島作蔵〉
2022.11.02
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