アルタクセルクセスの王宮址遺跡

アルタクセルクセスの王宮址遺跡

2007年01月27日
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カテゴリ: ドイツ事情
 管理画面は多少ましになったようだ。


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 今日はドイツのニュース雑記。
 まず目に付いた ニュース 。ほぼおなじ内容の記事を何日か前に(ドイツの)ヤフーで見たが。要約するとこんな感じ。
・日本の学校は伝統的に規律と激しい競争が支配していたが、最近(2002年以降)崩壊しつつある
・そのため保守与党の日本政府(安倍首相)が学校での「軽い体罰」の許可を計画(安倍首相の諮問機関が提案)。棒などを使ったきつい体罰禁止は継続。教師の労働組合もこれに賛成。
・授業量が一割増しされる

・安倍の政策は過去の左翼の影響からの脱却を目指すものだが、驚くべきことに左翼的な教師の労働組合も体罰許可を支持
・最近いじめによる生徒の自殺や、受験のため規定の過程を多くの学校が無視したことが問題になっている

 うーん、先日の「憲法改正に意欲」のニュースもそうだったが、あまり安倍首相のイメージは良くなさそうな・・・。NATO本部を日本の首相として初訪問した訪欧(訪米より先!)のニュースも、ネット上では全然見なかったし。
 ドイツ人のもつ「日本の教育」のイメージは、とにかく「ドリル(反復学習)と規律」だと思う(映画で言うと、日本人社員が皆でラジオ体操する「ガン・ホー」↓のイメージ)。ドイツの生徒が(北方先進国としては)惨めな成績に終わって騒ぎになったOECDによる学力一斉テストで日本はまあ上位にいるので(最近落ち気味ですが)、注目はされているようだ。決して真似したいとは思わないだろうけど。

 ドイツの教育荒廃はおそらく日本の比じゃないと思うのだが。去年はベルリンでの校内暴力に警察が介入する事件や、元生徒による学校襲撃事件もあった。大学で学生と話していても、中学や高校時代の教師をバカにすること甚だしく、「恩師」への尊敬というものがまるで無い(「教師はアホがなるもの」と皆言っていた)。だから教師のなり手も少なく(待遇も悪いのかな?)、教師不足になっているそうだ。
 まあドイツの場合は大学進学を前提とするギムナジウムと実業学校が12歳のときから分かれていて事実上階級が固定されているし、多民族化が進んでいるので(地域によってはトルコ語が出来ないと授業にならないらしい)、日本とは簡単に比較できないだろうけど。
 ところで僕が「生徒」をやっていた頃には、教師が普段から竹刀を持ち歩いたり、全学年30分正座なんていう体罰はいくらでもあったと思うんだが、地方都市だったからかな?今回見直されるという「体罰禁止基準」が1948年制定というから、本当はずっと以前から体罰は禁止だったのか!

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 経済? ニュース
 ラウジッツ地方(ポーランドとの国境近く)でヨーロッパ最大規模の銅鉱が見つかったという。ポーランドからヘッセン(ドイツ中部)まで、地下1800mのところに150万トンの銅鉱脈が存在すると推測されるとのこと。


 中国の経済成長で建設ラッシュとなり、世界の銅価格は1トン1500ドルだったものが最近は5800ドルにまでなっているという。日本のあちこちで電線やら鉄板やらが盗まれているというニュースを目にするが、中国はそれほど金属に飢えているのか。 
 ちなみにロンドン金属取引所の ページ によれば、世界の銅生産の41%が南北アメリカ、31%がアジアからで、ヨーロッパは21%である。また使用用途は48%が建築用(何に使うんだ?)、17%が電気(電線など?)となっているようだ。
 道具を青銅で作っていた時代に比べれば、用途も流通量も全然違うことだ。以前の日記にも書いたが、エジプト新王国時代には雄牛一頭(現在の価格だと平均40万円くらいか)が銅4.5kg、西周(紀元前9世紀)では奴隷五人が銅1.2kgと等価だったという。

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ニュース が続いていて、来週の「シュピーゲル」誌の特集もそれのようだ。
 ことのおこりはホルスト・ケーラー大統領が終身禁固刑(正確には禁固「終身の五倍+15年」)のクリスティアン・クラールに対する特赦を検討したことにある。RAFが1998年に解散宣言をしたこと、クラールが反省と改悛の弁を述べた上申書をヨハンネス・ラウ前大統領に送っていたことなどから、特赦されそうな見通しだという(というか、政治的に実権の無い大統領には、そんな権限があったのか)。クラールは1997年の州上級裁判所裁定に基づき、26年経つと連邦検察庁により仮出所が審査されるそうなのだが(ドイツには死刑がないので最高刑は終身禁固だが、実際は日本の無期懲役に近いのか)、クラールは本来2009年にその審査を迎えるはずだったのを前倒ししようというわけである。
 ところがRAFによるテロの犠牲者や保守系の政治家などからは「暴力で民主主義を破壊しようとした者に特赦などありえない」「彼らに改悛などあるはずがない」と、反対の意見が相次いで出されている。一方でユタ・リンバッハ前連邦憲法裁(最高裁)判事は特赦支持派で、「犠牲者や遺族の心情は尊重されるべきだが、それと特赦の基準は別である」と述べている。

 70年代初頭の日本は学生運動・ヴェトナム反戦運動から派生した極左テロが頻発したが、ドイツも似たような歴史を持っている。ドイツ赤軍は日本赤軍と並び暴力的なことで知られていた(日本語のウィキペディアには「日本赤軍の影響」とあるが、ドイツ語版では「ウルグアイの左翼ゲリラを模倣」とある)。
 ドイツの学生運動が激しくなったのは、1967年にドイツ訪問中のイラン皇帝に対する亡命イラン人や左翼学生の抗議デモに巻き込まれた学生ベンノ・オーネゾルグが、警官隊の発砲で死亡したことに始まる。翌年になると各地で学生運動が激化し、日本でいう全共闘世代あるいは団塊世代にあたる言葉として「68年世代」という言葉がある(シュレーダー前首相やフィッシャー前外相の世代にあたる。フィシャー外相は在任中に、かつての警官と路上で格闘している写真が暴露された)。一部の過激学生は放火や破壊活動を始めた。
 1970年にフランクフルトのデパート放火事件で逮捕されたアンドレアス・バアダーを解放するため、同志のウルリケ・マインホフらが組織した組織がRAFの基礎となった。彼らは帝国主義・大資本支配への抵抗のための「都市ゲリラ」を標榜し、銀行強盗、爆弾テロ、米軍基地や政府施設への攻撃を繰り返していくことになる。彼ら「第一世代」の活動で4人が死亡、30人が負傷したが、1972年までに主要メンバーが逮捕され投獄された。
 彼らは獄中で戦時捕虜としての扱いを要求し、一方で精神的拷問を受けていると主張、抗議のハンガーストライキで死亡するものも出たので、哲学者サルトルや多くの学生活動家(オットー・シリー前内相もその一人)の支持・関心を得ていた。1975年には6人のテロリストがストックホルムのドイツ大使館襲撃事件を起こしてバアダーらの解放を要求している。

 彼ら「第一世代」に共鳴した「第二世代」は、獄中にある「第一世代」の救出を目指して1977年10月に集中的にテロ活動を行った。これが「ドイツの秋」と呼ばれる一連の事件である。クリスティアン・クラールはこの「第二世代」にあたる。
 それに先だってクラールらは4月、カールスルーエで連邦検察官ジークフリート・ブーバックを襲撃し、運転手二名と共に射殺した。さらに7月、ブリギッテ・モーンハウプトらと共に、ドレスデン銀行頭取のユルゲン・ポントをフランクフルト近郊の自宅で襲撃し射殺している(ポント氏の娘は僕の先生の高校の同級生で、この事件の後に裕福な家庭が崩壊する悲惨な様子を聞いたという)。のちの裁判でクラールはポント氏を誘拐しようとして抵抗されたので射殺したと主張しているが、共犯者ズザンネ・アルプレヒト(彼女はポント氏の義理の娘で知己だった)の公判では、最初から殺すつもりだったことが明らかにされている。
 さらにRAFはドイツ商工会議所会頭のハンス・マルティン・シュライヤーを誘拐(その際運転手と警官3人が射殺された)、同時にRAFと共闘するパレスチナ・ゲリラによってルフトハンザ航空機「ランツフート」がハイジャックされ、モガディシュ空港(ソマリア)に着陸させられた。両方の事件の犯人らは獄中にある「第一世代」の解放を要求したが、ヘルムート・シュミット首相はこれを拒否、ルフトハンザ機ハイジャック・グループはドイツ国境警備隊特殊部隊(GSG9)の突入で鎮圧された(犯人3人と操縦士が死亡)。
 自分たちの解放作戦失敗の報を聞いたバアダーらは獄中で自殺した。バアダーらの自殺を受け、誘拐犯はフランスでシュライヤーを殺害した。

 RAF第二世代の一部(ズザンネ・アルプレヒトなど)は東ドイツに逃亡して匿われたが、クラールは1982年にハンブルク近郊で逮捕され、1984年にシュツットガルト州上級裁判所により終身禁固の判決を受けた。共犯のモーンハウプトは1978年にユーゴラスヴィアで逮捕され、やはり終身禁固の判決を受けたが、早ければ今年2月末に出所する可能性がある。
 RAFはその後も「第三世代」(中核メンバーが20人、支援者が250人ほどいたという)が活動を続けていたが、東西ドイツ統一の頃には弱体化(旧東ドイツに隠れていたメンバーも逮捕される)、1993年の爆弾テロを最後に活動を停止し、1998年4月、BKA(連邦犯罪捜査局)への匿名の手紙でRAFの解散が宣言された。RAFのテロで死亡した人数は、警官、アメリカ兵、企業家など34人にのぼる。RAF活動家も27人が自殺あるいは警官により射殺されている。日本のような内ゲバ(ゲバの語源はドイツ語のGewaltですが)による死者はなかったようだ。
 この狂騒は結局なんだったのだろうか。68年世代にはこの時代を懐かしむ人も居るし、今でもごく一部の左翼学生にはバアダーやマインホフ(1976年に獄中で自殺)を偶像視する者もいるが、大部分の人はもはや関心もなければうんざりしているかもしれない。
 クラールは反省と謝罪の弁を述べているというが、日本のこうした元活動家たちはどう総括しているのか僕は知らない。まあどうでもいいことだけど。





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最終更新日  2007年01月28日 04時42分23秒
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