全18件 (18件中 1-18件目)
1

改めて振り返ると、フランスとは異なり、 そもそも日本では、幕末期から近代にかけて、 天皇を全国的シンボルとして掲げることで、 藩に体現されたような地域的割拠性が克服され、 国民意識が形成されていったという歴史的事情がある。 その過程で、天皇の権威に支えられる「勅命」と 国民の側から発せられる「公議輿論」とを 矛盾なく両立させる道が探られ、 それが、 「公議輿論」の尊重を天皇の名において宣言するという 先の「五箇条の御誓文」となって結実した。 すなわち、「公議輿論」は、 「勅命」の内容とされることで、正統性を獲得し、 その一方で、「勅命」は、「公議輿論」に即することで、 その権威を維持するという構造が生まれたのである。 現行憲法や「改正試案」における、天皇の名における 法律の「公布」や大臣の「任命」といった行為の意義は、 そこに淵源すると考えるべきであろう。 さて、以上の点を念頭におけば、 「国民主権」についても、日本とは歴史も異なる フランス革命の事例に引き寄せて理解するのではなく、 別の国家学的説明が可能となるのではなかろうか。 すなわち、日本国憲法は、「国民主権」をうたうことで、 貴族院や枢密院といった機関を廃止し、 実質的な政策決定の主体が民意を代表する 議会にのみある旨を宣言したと理解すればよいのではなかろうか。「市場と国家」 坂本多加雄 藤原書店
2019年01月31日
コメント(0)

アジアは一つである。 ヒマラヤ山脈は、二つの偉大な文明―― 孔子の共産主義(コミュニズム)をもつ中国文明と 『ヴューダ』の個人主義をもつインド文明を、 ただきわだたせるためにのみ、分かっている。 しかし、雪をいただくこの障壁でさえも、 究極と普遍をもとめるあの愛のひろがりを 一瞬といえどもさえぎることはできない。 この愛こそは、 アジアのすべての民族の共通の思想的遺産であり、 彼らに世界のすべての大宗教をうみだすことを可能にさせ、 また彼らを、 地中海やバルト海の沿海諸民族――特殊的なものに執着し、 人生の目的ではなく手段をさがしもとめることを好む民族―― から区別しているものである。「東洋の理想」 岡倉天心 日本の名著39巻 中央公論社
2019年01月30日
コメント(0)

テーゼの草案で「ブルジョア民主主義運動」と呼んでいたものを、 レーニンは「民族解放運動」と言い直すことにした。 このほうが宣伝効果もある。 こうした次第で、二十世紀の民族解放運動とは、 共産主義者によって創案・発見されたものなのである。 十九世紀のマルクスは人間解放を実現する手段として プロレタリアートを発見したが、 二十世紀のレーニンは世界革命の手段として 民族を発見したのである。 他方、レーニンはヨーロッパのブルジョアジーには、 一時休戦のポーズをとることにした。 それには、ロシアの国内事情もあった。 戦時共産主義体制のもとで国民は疲弊し、 ロシアは経済的な破局、社会の崩壊の危機にあった。 皮肉なことに、ロシアの共産主義の危機を救うために、 資本主義の要素を復活させ、 ヨーロッパの資本を導入して生き残りをはかる必要があった。 この政策は新経済政策(ネップ)とよばれ、一九二一年に発動された。 「ヨーロッパでは守り、アジアでは前進」するという レーニンのこの戦略を「アジア迂回」政策という。「新地球日本史」2 西尾幹二 産経新聞社
2019年01月29日
コメント(0)

陸奥は開戦してほどなく、 戦後の朝鮮半島への政策についてのメモを作成し、 閣議にかけた。 そのメモは四つの選択肢を上げ、かつその欠点を指摘したもので、 彼がいかに優れた現実感覚を持っていたかを示している。 すなわち、 (甲)戦勝後も、朝鮮に一切干渉せず、朝鮮の問題は朝鮮に委ねる。 (乙)朝鮮を名目上はともかく、実質は日本の保護国とする。 (丙)日清両国が共同で朝鮮の独立を保証する。 (丁)朝鮮をベルギーやスイスのように、列強が保証する中立国とする。 この四案のうち、 陸奥は丙案は始めから現実性に欠けると思っていたようである。 というのは、清国は朝鮮を属邦とみなしており、 そのため日清戦争前の日清交渉はまるで進展しなかった。 つまり、日清の主張が余りにも次元を異にするものであるので、 日清共同の保護は始めから無理な話なのであった。 丁案には陸奥は多少の魅力を感じていたらしい。 しかし、彼の鋭い眼は それもまた現実性を欠くものであることを見逃さなかった。 というのは、朝鮮にもっとも利害を有するのは日本と清国であって、 ヨーロッパ列強はそれと真剣にかかわるつもりがない。 そのような国々に戦後処理に関し、発言力を与えるのは不必要だし、 また日本国民が憤激するであろう。 それに陸奥は そうした国々による保証が有名無実と思っていたと考えられる。 こうして、いわば国際的なしくみを作って 朝鮮半島を安定させることはできない。 となると、余り好ましくない甲案と乙案だけが残る。 そのうち、陸奥は甲案、 すなわち不干渉の方がまだましだと思っていた節がある。 しかし、甲案に対しては、 それなら何故戦争をしたのかという批判が出るし、 また、日清両国が やがて朝鮮問題をめぐって戦うことはまず避けられないから、 全体として今回の戦争はほとんど徒労に帰するし、 児戯に終わってしまう。 こうして、戦争をした以上日本は乙案の方向に進むことになったが、 それが大陸への日本の介入の第一歩となってしまったことは、 だれでも知っている。 その悲劇の原因となった状況は、 朝鮮半島において国際的な取り決めが不可能だったことにある。「世界史の中から考える」 高坂正堯 新潮選書
2019年01月28日
コメント(0)

一九一九年にコミンテルンを大急ぎで創設したとき、 レーニンはヨーロッパの資本主義諸国のプロレタリア革命が 間近に迫っていると信じていた。 それによって革命ロシアも孤立から救われるのである。 「世界革命近し」の情勢判断は妄想に近い思いこみだったが、 それは共産主義者が活動のエネルギーを引き出す源泉でもあった。 しかし、事態の経過はレーニンの思いどおりにはならなかった。 コミンテルンの必死の働きかけにもかかわらず、 革命はどこでも成功しなかった。 一九二〇年七月、コミンテルン第二回大会が開かれた。 この大会を準備するに当たってレーニンは考えた。 ヨーロッパのプロレタリアートが 資本主義を直接倒すのが難しいことは すでに明らかだった。 だが、視野を地球規模にひろげてみよう。 そこには、「資本主義の最後の最高の段階」である (とレーニンが勝手に定義した) 「帝国主義」によって抑圧されている民族がいるではないか。 そこで、マルクスが文明発生後のあらゆる社会の構成メンバーを 支配階級と被支配階級とに二分したように、 世界中の諸民族を抑圧民族と被抑圧民族に分けてみるとどうなるか。 抑圧民族のカテゴリーに入る人口は、 アメリカ人一億人、日本人とイギリス人各五千万人など、 合計二億五千万人である。 それに対し、帝国主義の植民地・半植民地の境遇にある被抑圧民族は、 計算すると十七億五千万人となる。 地球総人口の七〇パーセントが被抑圧民族なのだ。 こうした基本的思想に立って、レーニンはコミンテルン第二回大会で 「民族・植民地問題に関するテーゼ」を報告した。 そして、これら被抑圧民族の国々のブルジョア民主主義革命を 共産主義者が積極的に支持し援助するという方針を打ち出した。 それは、帝国主義に打撃を与え、 本国の資本主義を弱めてプロレタリア革命が成功する条件をつくるためである。 一種の迂回(うかい)作戦といえる。「新地球日本史」2 西尾幹二 産経新聞社
2019年01月25日
コメント(0)

ジョージ・ケナンが求めたのは、 あくまでも冷静な現実の認識であった。 その地域の「安定と平寧」を保障するのは力と力のバランスであり、 それを執拗(しつよう)に追求する国家意志だというのが、 彼の基本認識であったからだ。 しかし、アメリカはその原則を忘れ、 国際政治を自らの道徳的・法律的観念を一方的に投影する場だ と誤解してしまったのである。 ケナンはこう問いつつ、さらに日米戦争の帰結にまで批判の眼を向けている。 それは中国や朝鮮半島における日本の存在を駆逐したが、 その結果、その地域はどのような結果になっていったかということである。 結局われわれは 「日本が直面し且つ担ってきた問題と責任を引き継」ぐことになった とケナンはいうのだが、 これこそが、そうした考慮を欠いた近視眼的行動の結果だ、 と彼は指摘するのである。 いずれにしても、アメリカ国民の小国観は、 われわれ日本人にとり、今日でもなお 大きな政治的影響をもつ重大問題であることを 忘れるべきではないだろう。「新地球日本史」2 西尾幹二 産経新聞社
2019年01月24日
コメント(0)

日本はアジア文明の博物館になっている。 いや、博物館以上のものである。 なぜならば、この民族のふしぎな天才は、 古いものをうしなうことなしに、新しいものを迎えいれる、 生きた不二一元論(アドヴアイティズム)の精神で、 過去の理想のすべての相に思いをこらすからである。 神道は今なお、仏教渡来以前の祖先崇拝の儀式をまもっているし、 仏教徒は仏教徒で、この宗教の発展上のさまざまな宗派をまもっている。 そして、これらの宗派は、順を追ってこの国に渡ってきて、 この国土をゆたかにしたのであった。「東洋の理想」 岡倉天心 日本の名著39巻 中央公論社
2019年01月23日
コメント(2)

カール・ポパーは 二十世紀にマルクス主義が世界を席巻した要因として、 マルクス主義が現存の資本主義社会への道徳的非難と、 十九世紀に確立した自然科学の権威とを 結びつけたところにあると看破した (『歴史主義の貧困』)。 科学的社会主義という言葉は、誠に象徴的である。 マルクスは現存社会の矛盾の原因と克服の道を自然科学をまねて、 「科学的に」説明してみせたのである。 ここにマルクスのアジテーションが成功した秘密があった。「新地球日本史」1 西尾幹二 産経新聞社
2019年01月22日
コメント(0)

多くの憲法学者は、「国民主権」を謳った憲法下で、 多くの国民が依然として天皇への敬愛心を抱いているのは、 民主主義の意識が未熟だなどと本末転倒の議論を行っている。 別に日本人が民主主義に未熟なわけではない。 もともと、五箇条のご誓文の「広く会議を興し万機公論に決すべし」 という天皇の宣言によって、日本の議会制度は開始されたのであり、 自由民権運動も、それを論拠として議会開設を主張した。 後に、コミンテルンによって 「天皇制打倒」が指示され、 さらには上に見たような戦後の憲法解釈が広がるまで、 日本人のなかに、天皇統治と議会制度が矛盾するなどと考えるものは、 ほとんどいなかったのである。 現に今日の多くの一般民衆も、一方では議会制民主主義を支持し、 他方で天皇制に愛着を持っている。 それは、フランスと違い、 天皇統治のもとで議会制度が発展してきた歴史に見合っている。 実際、天皇のように伝統を担って君臨し、 党派的な政治対立を超越した存在が、政治上の最終決定を承認する仕組みは、 国民の統合や国家の歴史的一体性を確保するうえで、 卓抜な政治的な英知ではなかろうか。「市場と国家」 坂本多加雄 藤原書店
2019年01月21日
コメント(1)

七十年とは、日本による韓国江華島砲撃にはじまり、 日朝修好条約、日清戦争、日露戦争、日韓議定書、 第一次-三次日韓協約と続いて、日韓併合条約が締結され、 三十四年十一カ月にわたる植民地支配が 一九四五年(昭和二十)八月に終わるまでの七十年問である。 その全期間を、日本がしかけた侵略戦争に対する 韓国の反侵略戦争の歴史と位置づけるのである。 北朝鮮でもこれとまったく同じ考えをしている。 反日民族主義は、レーニンにはじまる 帝国主義戦争の考え方を密輸入しているのだ。 レーニンによれば、 相手国を侵略して自国の主権下におくことが帝国主義戦争である。 ロシア・マルクス主義者たちは、 相手国の領土で戦争をしたわけではなくとも植民地化を侵略と呼び、 帝国主義戦争とみなし、倫理的な悪の意味をもたせて断罪した。「新地球日本史」1 西尾幹二 産経新聞社
2019年01月18日
コメント(0)

陸奥宗光は日清戦争の外交を総括した 『蹇蹇録(けんけんろく)』において "勝者が敗者よりもかえって危険の位置に陥る危険があるものだ″ と書いた。 その重要な要因は過剰なナショナリズムであった。 そうした言及は一ヵ所にとどまらないが、たとえば、 「わが国民がこれほどまでに、空しい大望の熟度をたかめるに至ったのは わが国古来特種の愛国心の発動したことによるものであって、 政府はもとよりこれを鼓舞作興すべきであり、 擯斥(ひんせき)排斥する必要はない。 しかし、 その愛国心なるものがいかにも粗豪彪大(そごうぼうだい)なものとなり、 事実に適用する際の注意を欠く場合には、 しばしばかえって当局者に困難を感ぜしめた。 スペンサーはかつて、ロシア国民が愛国心に富んでいることを説いた後、 愛国心とは蛮俗の遺風であると述べた。 そこま言うのは言いすぎであろうが、しかし、 愛国心のみあって、これを”用いる方法″をよく考えないならば、 しばしば国家の大計に反する場合がある」 品格のある文章になってはいるが、彼の思いを卑俗な言葉で言えば、 急に成功した、いわば成り上がり者の 成功とナショナリズムほど嫌な恐ろしいものはないということになろう。「世界史の中から考える」 高坂正堯 新潮選書
2019年01月17日
コメント(0)

日清・日露の両戦争でともに紛争の焦点となったのは、 朝鮮半島の帰趨だった。 日本は自国の安全保障の見地から、 朝鮮半島が清帝国にもロシア帝国にも支配されることを許せなかった。 これは、 清国がやがてヨーロッパの列強によって分割されることになっても、 「自主の邦(くに)」としての朝鮮をそこから外すための配慮であり、 かつまた日本と対峙(たいじ)する可能性のある大陸国家ロシアに、 朝鮮半島を支配させないための配慮だった。 これは地政学的にみれば当然のことだったが、 明治時代のわれわれの祖父や曽祖父たちが、 日本を取り巻くそうした地政学的状況をよく理解して、 なおかつ果敢に行動するのを躊躇(ためら)わなかったのは、 感嘆すべきことである。 地政学者のマッキンダーは、島国が大陸国家と対峙する場合に、 中間にある半島部分を大陸国家に支配されないことが大切だと喝破したが、 それははるか後年の一九一九年(大正八)のことである。 明治時代にそんな学説は知られてもいなかった。 マッキンダーは、クレタ島のギリシャ人が、 ペルシャやマケドニアなどの大陸国家と対峙した際の、 ペロポネソス半島の重要性を述べたのだが、 アジア大陸と日本の関係について同じことを考えれば、 今も昔も重要なのは朝鮮半島である。 明治の日本人はそのことを知り抜いた上で、 なおかつ清国やロシアといった見上げるような大国と、 敢えて戦うことを選択したのである。 それは今の日本人が、 地政学的な配慮にも乏しい上に行動力も失いがちなのに比べると、 まことに見事な気概だったと言うほかはないだろう。「新地球日本史」1 西尾幹二 産経新聞社
2019年01月16日
コメント(2)

予嘗て或人と議論せしこと有り、 西洋は野蠻ぢやと云ひしかば、否な文明ぞと争ふ。 否な野蠻ぢやと畳みかけしに、 何とて夫れ程に申すにやと推せしゆゑ、 賓に文明ならば、未開の國に對しなば、慈愛を本とし、 懇々説諭して開明に導く可きに、 左は無くして未開蒙昧の國に封する程 むごく残忍の事を致し己れを利するは野蠻ぢやと申せしかば、 其人口を莟(つぼ)めて言無かりきとて笑はれける。「西郷南洲遺訓」 山田済斎 岩波文庫
2019年01月15日
コメント(2)

それは、十八世紀前半の大阪の町人学者、 富永仲基(とみながなかもと:一七一五~一七四六)である。 富永は、膨大な仏教教典に登場する様々な用語や観念を分析して、 そこに一つの規則性が働いているのを発見する。 それは、富永によって、「加上」と呼ばれた原則であり、 簡単に言えば仏典に登場する様々な仏は、 時間的により以前に存在し、起源的に古いとされるものほど、 実は、後の学者によって、後から新たに作り出され、 付加されていったものであるということである。 すなわち、後に登場した学者は、 より古い起源を持つとされる仏を創出して、 自己の説を権威づけるというものである。 また、富永は、およそ、言葉が、 一定不変の真理を体現するものではなく、 人によって、また、時代によって、 その意味を異にすることを説き、 また、言語には、今日の用語で使うメタファーをはじめ、 様々な意味の様相が存在することを指摘している。「近代日本精神史論」 坂本多加雄 講談社学術文庫
2019年01月11日
コメント(0)

茶の原理は普通いわれている意味でのたんなる審美主義ではない。 というのは、茶道は、倫理や宗教とともに、人間と自然についての われわれのいっさいの見解をそこに表現しているからである。 茶道は清潔をむねとするがゆえに衛生学であり、 複雑でぜいたくなもののうちよりは簡素なもののうちに充足がある と教えるがゆえに経済学であり、 また宇宙空間にたいするわれわれの比例感を定義するがゆえに 精神幾何学でもある。 茶道は、すべての愛好家を趣味のうえで貴族にすることによって 東洋民主主義の真髄(しんずい)をあらわしている。 長いあいだ日本が他の世界から孤立していたことは、 それだけ内省を深めることになり、茶道の発展にきわめて好都合であった。 われわれの住居、習慣、衣食、磁器、漆器、絵画 ――文学でさえも――がすべてその影響を受けてきた。 いやしくも日本文化を研究しようとするものは、 この影響の存在を無視することはできない。「茶の本」 岡倉天心 日本の名著39巻 中央公論社
2019年01月10日
コメント(0)

われわれヨーロッパ人がギリシャに負うものこそは、 恐らくわれわれを最も深く他の人類から区別したものである。 われわれは、「精神」の規律、 あらゆる秩序における完成の異常な模範をギリシャに負っている。 われわれはあらゆる事物を、人間に、 十全な人間に結び附けようとする思考方法をギリシャに負っている。 人間は、自分自身にとって、 あらゆる事物が結局それにあてはめられるような、 一個の座標体系ともいうべきものになる。 従って彼は、その存在のあらゆる部分を発達させ、 能う限り明瞭な、また顕著な調和の中に それらを維持しなければならない。 彼はその肉体と精神とを発達させなければならなくなる。 精神それ自身も、その諸判断の綿密な批判と分析とにより、 その機能の合理的な区分により、諸形式の調整によって、 己の過度や、己の夢想や、己のとりとめもない そして純然たる空想的な所産から、わが身を護るであろう。 この規律から科学が生れ出ることになった。 われわれの科学、すなわちわれわれの精神の最も独特な産物であり、 最も確実な最も個人的な光栄であるわれわれの科学が。 ヨーロッパは何よりもまず科学の創造者だ。 諸芸術はあらゆる国々に在ったが、 真の諸科学はヨーロッパにしかなかったのである。「ヨーロッパ人」 ヴァレリー全集11 筑摩書房
2019年01月09日
コメント(0)

白人の弱肉強食、世界制覇(せいは)の野望は、 二十世紀末で終わったわけではない。 軍事力による力の侵略から、 今度は目に見えない文化、文明のソフトの侵略、 たとえばビッグバンやヘッジファンドの金融・経済侵略や、 IT(情報技術)による情報侵略で アングロサクソン的世界基準で 世界制覇を狙(ねら)っているのである。 われわれは安易に今はやりの グローバリゼーションの罠(わな)に掛かってはならないのである。 そのためにも白人、 特にアングロサクソンの本性を探っておかねばならない。 白人による世界史の「流れ」は、 ルネッサンス、産業革命、フランス革命、アメリカ独立と 一貫した精神で貫(つらぬ)かれている。 それは自分たちの考え方こそ真実であり正しいと信じ、 それによって世界を動かそうという 白人たちの理想主義によってつくられた流れである。 この白人の理想主義は、 それに反対するものは許さないという 一種の思い上がった狂気を内包している。「破約の世界史」 清水 馨八郎 祥伝社
2019年01月08日
コメント(5)

単純化すれば、 日本の将兵二百十万人(『日本の戦争』原書房、21頁)と 米国のそれ九万人余が生命を捧げた戦争の結末は、 ロシアに奉仕すると同時に、「アジア共産化」のためであった。 日中戦争や太平洋戦争は、日米双方の国益に反したうえに、 さらにアジアの人々に共産主義の抑圧の不幸をもたらしたのである。 日本に対しても、米国に対しても、ロシアを除く仝アジアに対しても、 釈明のできない愚かしくかつ「無益な戦争」であった。 一国の外交政策の決定に当り、 他国の「隠れた手(hiden hands)による操作を受けることは 主権の侵害の容認放置であり、あってはならない。 「ハル・ノート」や「南進」の決定が、 共産ロシアの「隠れた手」で操作されたとすれば、 日本にしても米国にしても双方の国家にとって、 これこそ「恥ずべき怠慢」であったといえる。「大東亜戦争と『開戦責任』」 中川 八洋 弓立社
2019年01月07日
コメント(0)
全18件 (18件中 1-18件目)
1

![]()
![]()