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人類の成功の秘密は、 個々人の頭脳の力にあるだけではなく、 共同体のもつ集団脳(集団的知性)にあります。 この集団脳は、 ヒトの文化性と社会性とが合わさって生まれます。 つまり、 進んで他者から学ぼうとする性質をもっており(文化性) 、 しかも、 適切な規範によって社会的つながりが保たれた 大規模な集団で生きる(社会性)からこそ、 集団脳が生まれるのです。 一人の天才が 狩猟採集民のカヤックや複合弓から、 人類の特徴とも言える高度なテクノロジーである 現代の抗生物質や航空機に至るまでの テクノロジーを生んだわけではありません。 互いにつながりを保った多数の頭脳が、 何世代にもわたって、優れたアイデアや方法、 幸運な間違い、偶然のひらめきを伝え合い、 新たな組み合わせを試みる中から生まれたものなのです。 言語もそれらのテクノロジーの一つです。
2020年01月31日
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言葉を産出する過程および理解する過程は、 知識を運用する過程として捉えることができます。 つまり、 話し手あるいは書き手(産出者;producer)は、 その時点で心内に抱えている意図や目標(current goals)を、 話し言葉(speech)あるいは 書き言葉(writing)で表出するために、 認知的処理(cognitive processing)を行います。 そして、 その認知的処理においては、 自身の知識ベース(knowledge base)に記憶されている 各種の知識を利用します。 一方、聞き手あるいは読み手(理解者:comprehender)は、 与えられた言語表現に対して、 自身の知識ベースを利用した認知的処理を施し、 そこから相手の意図した意味をひき出すのです。
2020年01月30日
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赤ちゃんは母親と “目”や“しぐさ”でコミュニケートすることはできても、 あるいは “泣き声”や“笑い声”でコミュニケートすることはできても、 “言葉” でコミュニケートすることはできません。 また、大人であっても共通の言語をもたない者同士は、 “言葉”でコミュニケートすることはできません。 これらのことからもわかるように、 言葉という人間がもつ、 言語を産出したり理解したりする能力は、 他の多くの高次心的機能と同様に、 "知識”に大きく依存しているのです。 私たちは、 語彙をかなり増やした後でなければ 言葉を自由に操れません。 また、 文法的な規則も身につけていなければならなりませんし、 その言語の背後にある社会や文化についての一般的知識、 すなわち常識なども備えていなければなりません。
2020年01月29日
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人は、 いつの間にか自分が 言葉を自由に駆使できるようになるために、 人間の言語使用能力は、 十分な学習の結果発現される 習得された"知識(knowledge)"を基にした能力 であることになかなか気づきません。 人がこのことに気づくのは、 実は、“外国語”を学ぼうとするときです。 たとえば、独逸語を習い始めたときのことを 思い出してみてください。 独逸語の文を目の前にしたとき、 私たちは、最低、独逸語の辞書と文法書がなければ、 何も理解することができなかったはずです。 その上、 辞書と文法書だけでもこと足りないことも 経験したはずです。 私たちが、 母語である日本語をほとんど無意識的に 自由に読み書きしたり理解したりできるのは、 そうした辞書や文法書に相当する知識や 他の知識を脳内に備えているからなのです。 私たちは、赤ちゃんのとき以来長い年月をかけ、 母語を理解したり読み書きしたりするために必要とされる 膨大な量の多種多様な知識を、 習得してきているのです。 そして、それらの中には、 脳内に習得していると自身では意識できない質の 知識も含まれているのです。
2020年01月28日
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鳥類では種認識の機能が主だった歌が、 雑婚の危険がなくなったことで複雑化を増し、 性淘汰に有利なように変成したのでしょう。 コシジロキンパラのメスは、 定型的な歌よりも変化に富んだ歌のほうを好むからです。 このような過程から、 歌の文法性が生じてきた可能性も検討できます。 行動生物学の最先端の研究では 生態学的な研究と神経科学的な研究を融合し、 鳥の歌が言語進化の包括的なモデルとなること を示そうとしています。
2020年01月27日
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言語というからには、 情報を交換するための文法が求められます。 鳥の歌にも文法性が見られます。 では文法生成の仕組みはどうでしょうか。 鳥の歌を制御する大脳皮質高次運動野では、 歌の時系列に正確に同期して発火する神経細胞があります。 高次運動野と運動野のつながり方が 歌の文法を符号化しています。 ここから言語の起源に至る仮説のひとつに、 マスキング仮説があります。 これによれば、 選択圧が弱まることで形質の浮動が生じ、 少数のシステムで解決されていた問題が、 多数のシステムによる一般的な解決へと変性する。 例えば、 種の認知のため厳密な特徴を備えていた歌が、 種の認知以外の領域に適応してゆく過程です。 コシジロキンパラを観察し、 同所性異種の多いところでは歌の定型性が高いが、 同所性異種の少ないところでは 定型性が低いことが分かりました。 人間の言語も、 定型的な発声を生成する仕組みが 変成して生じたと考えることができます。
2020年01月24日
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大脳皮質運動野が発声中枢を直接制御することは、 発声信号に可塑性をもたらしますが、 発声学習を可能にするわけではありません。 発声学習が可能になるためには、 自己の発声信号を聴覚系に帰還し、 お手本となる発声の聴覚印象と比較し、 ずれがあれば修正していくような学習が必要です。 この過程は強化学習モデルとして定式化されましたが、 これを可能にする仕組みとして、 大脳皮質と大脳基底核が作る誤差修正循環と、 大脳皮質高次運動野に発見された 発声・聴覚ミラー神経細胞が提案されています。 誤差修正循環については、 お手本の聴覚印象は大脳高次聴覚野に記憶され、 自身の歌の帰還との誤差が大脳基底核で計算されます。 この誤差は、 大脳皮質高次運動野と大脳皮質運動野との結合様式にゆらぎを与え、 正解に近い発声パターンを探索することを可能にしている との仮説が立てられています。 発声・聴覚ミラー神経細胞は、 発声運動の随伴発射がもとになって 対応する聴覚活動が生成されると考えられます。 以上の仕組みで、自己の歌をお手本に似せてくることができます。 人間の発声学習については、 ここまで詳細には分かっていませんが、 類似した原理を用いていると考えられます。
2020年01月23日
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人間だけでなく鳥も言葉をしゃべります。 鳥のさえずり(歌)の仕組みはこうです。 歌の音源は、気管支にある一対の発声器官である 鳴管を呼気が通りベルヌーイ流を作ることで 形成されます。 このベルヌーイ流の振動が発声の基本周波数になります。 鳴管は左右一対だから、 鳥は二つの独立した基本周波数を同時に操作することさえでき、 人間の声帯よりもずっと複雑な音を生み出すことができます。 呼気の流速と鳴管の筋肉は、 延髄の擬核と後擬核および第十二神経核によって制御され、 これらはすべて自律神経系による調整と 中脳水道灰白質からの情動性入力の調整を受けます。 延髄の発声中枢を大脳皮質運動野が直接制御するという特徴は、 鳥類以外では人間のみで発見されているのです。 ここまでは発声器官一般の特徴ですが、 鳥類ではさらに、大脳皮質運動野から直接投射を受け、 呼吸と発声の意図的な制御が可能です。
2020年01月22日
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言語のない時代には、 人類は動物と同じで本能で生きてきました。 しかし二足歩行によって脳が発達し 発声も制御できるようになった人類は 自然発生的に言語を話すようになりました。 ホモ・サピエンスの出現です。 これらの変化により人類は動物を離れて 人間らしい文明を築くようになりましたが、 この言語の発生は、今西錦司によると比較的最近で 10万年ほど前ではないかとみられています。 言語と同様に記号(あえて文字と言わずに記号と言います)も 自然発生的に生まれてきます。 私は記号の発生も言語の発生と同時期に起こり、 進化を促進したと考えています。
2020年01月21日
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イアン・F・マクニーリー&ライザ・ウルヴァートンは 『知はいかにして「再発明」されたか』において西洋では、 知が6度にわたって根本から再発明されてきたと主張しています。 西洋の歴史上、登場した「知の装置=制度」として見ているのは、 以下の6つです。 1. 図書館紀元前3世紀-西暦5世紀 2. 修道院100-1100年 3. 大学1100-1500年 4. 文字の共和国1500-1800年 5. 専門分野1700-1900年 6. 実験室1770-1970年 これは一つの見方ですが、 こうした長い歴史をインターネット時代の知の形として、 きちんとその間の相転移的な変化も含めて、 論じてみましょう。
2020年01月20日
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経験則はあくまでも、疑似科学です。 昔の人は経験則で生活していたし、 今も近所づきあいは、これで問題ないでしょう。 でも、会社の方針や、国家の政策は 多少時間がかかっても、経験則だけでなく、 科学的な裏付けがほしいですね。 カール・ポッパーは 科学的か非科学的かの分かれ目の目安を決めました。 仮説が実験や観察によって 反証される可能性があるものが科学的であり、 どのような手段によっても 間違っている事を示す方法が無い仮説は 科学ではないと言っています。 それは科学の理論が実験で証明されても、 それは今のところ不都合な結果が出ていない というだけのことで、 真理とは断定できない仮説だと言っているのです。 つまり科学というのは確定的な法則ではないが 当たる確率が非常に高い占いだということです。 それに対して経験則は、 頭の中で考えだされただけのもので、 そこには実験も、実証もありませんから 当たるも八卦、当たらぬも八卦の世界で 確率的に低くいので、 疑似科学であって科学的な仮説ではありません。
2020年01月17日
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合理性を追求するには科学的知識が必須です。 ところで科学的知識は正確ですが、 獲得には格段の努力と時間が必要です。 方程式が出てくると頭が痛くなりますね。 しかし身の回りの現象を効率よく記憶しそれを想起して、 これからの変化をすばやく予測するには、 正確でなくても良いから現実的に感じることができる 錯覚の法則があれば良いのです。 逆に時間をかけて厳密に実証してから行動しては間に合いません。 ある人が「頬に傷跡がある男は強暴だ」とか 「ナマズが騒ぐと地震が起きる」とか 「傘を持って歩いている人が多いときは、もうすぐ雨が降る」 というような世間の法則を覚えておけば、 うまくいくと述べていましたが、 どれも確定的な法則ではなくて、確率的な法則です。 まあ、よく当たる、という程度の法則です。 実人生では、「だいたいはそうなるだろう」と、 錯覚でもよいから、いつも感知できるような 覚えやすい単純な法則として捉えることが実用的です
2020年01月16日
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欲望の暴走を食い止めるには、 悟性を訓練するしかありません。 躾として身につけないと頭でわかっていても、 手が、体が言うことを聞きません。 痴漢や万引きの言い訳は大部分がこれです。 悟性の訓練が偏っているのです。 悟性は、家族制度の中で繰り返し訓練されます。 家族は、大きく分けて、四つの機能を果たしていると 西部邁は言っています。 一つは、言葉を覚えるという機能。 二つ目は未来へ向けた決断と説得という機能。 第三は因果律や役割分担という合理性を訓練する機能。 最後は葛藤を調整して、家族を再統合する機能です。 良いことをすればほめられ、 悪いことをすれば怒られることで 喜怒哀楽の情が育てられ、 欲望となり、 また躾として欲望の抑制が図られます。 人類は、洞窟にすんでいる時代から、 そして赤ん坊の時から際限なく悟性を訓練し、 この下で分類、蓄積された知識を元に 新たな知識の創造と意思の強化を図ります。 欲望を満たしたいという強固な意志と、 それを無理なく実行するという知的行為は このように悟性から生まれるのです。
2020年01月15日
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欲望こそ知と意を動かす源泉です。 しかし欲望のままに行動すると人間は 変態男と、援交娘の集団になってしまいます。 でも実際はそうならないのはなぜでしょう。 それは悟性が歯止めをかけるからです。 普通、私たちが外界の事物を認識する場合には、 五感すなわち、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚といった 感覚器官を通して行います。 人間の感性のはたらきです。 人はさまざまな対象を認識して知識としていき、 知識が経験として脳に蓄積されていきます。 感性により受容した対象を脳に蓄積していく際、 そのままではなく、整理、統合されて蓄積されます。 その働きを悟性といいます。 これは家族の影響を受けて 喜怒哀楽の情をもとに強化されます。 理性は悟性によって確立された もろもろの概念を元に活動します。 この悟性が欲望の暴走を止める働きをします。
2020年01月14日
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人間は喜怒哀楽の情が発生してくると 欲望が際限なく出てきます。 しかし、どの欲望に価値があるのか、 つまり何が、善であるのか、悪であるのか、 それが問題になるのは、 生きている人間にとってだけです。 窮極の価値とは、人間の生命です。 その価値を知る手段は、 快楽か苦痛を感じる身体の感覚です。 そしてその感覚に従って行動するよう 本能が備わっています。 この本能の次に発生する欲望を抑制する手段は、 学習によって獲得されます。 欲望を創出する方法と同様に、 欲望を暴発させると生命の危機を招くということは、 悟性の学習によって認識されます。 この学習は家族における躾の訓練で行われます。 欲望の暴発による危機の大規模な例は、 歴史上の暴君に観られます。 欲望のままに行動し国を破滅させた暴君の例は、 枚挙にいとまありません。
2020年01月10日
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人間の自由な生活にとって、自然は必須の要件です。 自然から生きる糧を獲得するために 人類は科学を発達させました。 ただし科学が無制御、無限定に成長し続ければ、 それは社会も自然も破壊してしまいます。 人間が自然の支配から独立するためには産業活動が必要であり、 そして大規模な産業活動は不可避的に大量の資源を消費します。 それが、母なる自然の荒廃を招くのです。 産業活動の規模が小さい時は、 人間はこの矛盾に気づきませんでしたが、 今や我々はこの矛盾を痛感せざるを得ません。 人間の究極的目標が 物質的ならびに精神的自由の獲得による 理性の開発にあるとすれば、 人間と自然が共生しつつ、やっていけるような世界が 理想の世界だと思います。 現在は、その目的のために 科学はどのように制御されなければならないのかを 真剣に反省すべき時が来ているように思われます。
2020年01月09日
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科学というのは 世の仕組みを説明する仮説に過ぎません。 科学上の仮説に対しては 常に改良された説が考えだされ、 それによって自然を利用する方法も、 正確さを増して多様化しています。 これを、富永仲基が 「出定後語」で加上の説といっておりますが、 ヘーゲルの「論理学」より六十年も前のことです。 近代になって科学的方法と通信技術が発達してきました。 その結果、洗練された観察と検証の下に、 世界の認識を絶えず修正する事によって より正確な知識の増大をおこなうという 科学革命がもたらされました。 こうした知識の蓄積により、 非常に複雑なシステムについても 誤りのない真の知識を獲得できます。 私は科学の真の目的は 人間の自由の深化拡大を助けるものだと考えます。
2020年01月08日
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「認識論」は、 認識,知識の起源,構造,範囲,方法などを 探究する学問です。 人が物を考え認識していくとは どのようなことなのでしょう。 認識に当たっては、 科学的探究は極めて有用な方法です。 まずわれわれがやるのは、 数学とか科学、物理学といった学問を駆使して 対象を徹底的に知ることです。 これまでの人間の知識は 科学を通して得られたと言えます。 仮説を立て 実験によって検証するという科学的方法論により、 我々はいまや宇宙のことまで 科学的に認識できるようになったのです。
2020年01月07日
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