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彼女の人生は、若いころには学問のための学問、壮年になってからは社会のための学問、そして晩年は、短歌による回生を経た今、芸術としての人生になっている。 宮沢賢治は『農民芸術概論綱要』の一節で「芸術のための芸術は少年期に現われ青年期後に潜在する。 人生のための芸術は青年期にあり、成年以後に潜在する。 芸術としての人生は老年期中に完成する。 その遷移にはその深さと個性が関係する」といった。 詩人、賢治が理想とした人生の軌跡は鶴見和子において顕著である。『「美の文明」をつくる』 川勝平太 ちくま新書
2014年01月31日
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一つには、実際に創りだされ、構築され、形式的に制度化された「伝統」であり、さらには、容易に辿(たど)ることはできないが、日付を特定できるほど短期間――おそらく数年間――に生まれ、急速に確立された「伝統」を指す。 ちなみに(1932年より開始された)英国のクリスマスの王室放送は前者の例で、英国のサッカーのカップ・ファイナルの慣例の形成やその発展は後者の例と言えよう。 「創りだされた伝統」は以下のように捉えられる。 通常、顕在と潜在とをとわず容認された規則によって統括される一連の慣習および、反復によってある特定の行為の価値や規範を教え込もうとし、必然的に過去からの連続性を暗示する一連の儀礼的ないし象徴的特質。「創られた伝統」 E・ホブズボウム 紀伊國屋書店
2014年01月30日
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自己実現者は、われわれの文化のなかでの衣服、言語、食物、物事のやり方の選択に関して言えば、明らかに慣習の枠内におさまっている。 それでも彼等は、本当のところ慣習に順応しやすいのではない。 自分たちが重要ではない、また変えることができない、または個人としての彼らにとっては主要な関心事ではないと考える事柄の大部分を受け入れるという一般的な傾向があることを見出すことができる。 しかし、害のない習俗をこのように寛大に受け入れても、それは同一化することを思いやりをもって認めているのではなく、彼らが譲歩して習慣に従うのは、率直さや正直さやエネルギーの節約を考えて円満にまとめようとするためである。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2014年01月29日
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使聖人預知微,能使良醫得蚤從事,則疾可已,身可活也。人之所病,病疾多;而醫之所病,病道少。故病有六不治:驕恣不論於理,一不治也;輕身重財,二不治也;衣食不能適,三不治也;陰陽并,藏氣不定,四不治也;形羸不能服藥,五不治也;信巫不信醫,六不治也。有此一者,則重難治也 人は病気を早期に予知し、良医について早く治療を受けるならば、病を治し、身を活かす事が出来るのである。 人の厭うのは、疾病の多いことであり、医者の厭うのは、治療法の乏しい事である。 したがって、病気には六つの不治がある。 驕慢で、道理を無視することが、第一の不治である。 身を軽んじ、財を重んずる事が、第二の不治である。 衣食の妥当でない事が、第三の不治である。 陰陽が五蔵で合併し、気の不安定な事が、第四の不治である。 形容(すがたかたち)まで衰え果てて、薬を受け付けないのが、第五の不治である。 巫覡(みこ)のことばを信じて、医者を信じないのが、第六の不治である。 これらのうちの一つでもあれば、すこぶる治癒しにくいのである。「史記**」 司馬遷 筑摩書房
2014年01月28日
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赤ん坊時代、言語が始まるのは、たしかに純粋表現として、情動の共有様式としてである。 そしてこの始まりは、言語がそれ以外の用途をもつようになる、ずっと以前からである。 社会的結合に役立ち、共通の知識や分担された行動の分野を拡大させるという、言語の多くの他の機能の底部で、言語は、情動的連帯を促進する役目をもつ。 言語は、人間や事物をあれこれとして確定し、身許をたしかめ、認知することを可能にする一つのきずなである。 耳なれた語群を使いながら、正しい口調と抑揚で言語を話すひとびとは、同族のひとびとであり、隣人であり、仲間である。 すなわち信頼のおけるひとたちである。 そうでないひとびとは、ヨソモノであり、敵である。 すなわちせいぜい、おかしな連中であり、古代エジプト人があからさまにそう感じたように、ナミの”人間”ではない。「人間-過去・現在・未来」 L・マンフォード 岩波新書
2014年01月27日
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昭和十八年八月五日(木) 久しぶりに雨。 先ごろの軽井沢の予の家に来た労働者のいわく、「戦争なんかどうしてやるんだろう。こんな戦争を始めさせたルーズベルトや蒋介石は怪しからん野郎だ。あの二人をなんとかして殺してしまえないか」と。 戦争勃発がこの二人の責任だと確信している。 一般の日本人の考えの代表的なものである。九月十九日(日) 日清戦争の論功行賞は、戦争終了後まず審議会を設け、それから八月五日はじめて賞を行った。 日支事変以来は解決しないのにすでに四十数回の行賞だ。 午後四時、約に従って近衛公を訪問。一時間半ばかり日米交渉の経緯を聞く。 目下の時局については施す道なしという。「無責任のようだが」と附言して。 また、近衛公は、戦争が激化するに従って、軍部がひどい弾圧政策に出るのではありませんか、と言っていた。「暗黒日記」 清沢 冽 東洋経済新報社
2014年01月24日
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第一批判書『純粋理性批判』は、科学的法則を真理だと思う理性について考察している。数式という体裁をとって科学的法則を提示されれば、われわれはそれを真理だと思う。なぜそう思うのか、その根拠についてカントは徹底的に考察した。 理性に裏づけられた科学技術の発達は、その恩恵に浴して富を蓄積できる強者とできない弱者とに二極分解させ、貧富の格差を生み、階級対立を生みおとした。そうなれば、否応なく道徳問題が出てくるであろう。 それを予見するかのごとく、カントは第二批判『実践理性批判』を書いていた。 自由主義と社会主義の対立は、自由競争で富全体のパイを大きくすれば幸福になれるという正義論と、富は計画して作り上げ平等に分配されるべきだという正義論の対立であり、互いに正義を主張した。 東西両陣営が、それぞれ社会主義、自由主義の正義論を精緻に体系化して譲らなかった。 イデオロギーというのは正義の体系である。 その対立は、いわば神々の争いであり、決着がつかない。 相異なる信念のぶつかりあいであり、自由か平等かという道徳の価値をめぐる争いであった。 両体制は、それぞれの正義を生産力で誇示し、社会主義陣営は計画経済による生産力の上昇をめざし、資本主義陣営は自由競争による生産力の上昇をめざした。 大量生産、大量消費の誇示であった。しかし、そこに落とし穴があった。 資源の乱獲による自然破壊であり、大量廃棄物によるゴミ問題である。両体制はともに環境破壊を招いた。 もはや自由主義と社会主義のどちらが善かを論じている時代ではない。 環境問題は体制を超えた地球の問題である。 宇宙に浮かぶ地球は、その四六億年の歴史の流れを経過するうちに、火の球から水の球へと転身した。 地球はあたかも崇高なる美に向かっているともみえる。 カントは、真や善が理性のうちに働くのに対して、快-不快など五感に訴えかけてくる領域の存在が立ち現われてくるのを予見していたかのごとく、最後の第三批判書『判断力批判』を書いた。 それは美と崇高を扱っている。『「美の文明」をつくる』 川勝平太 ちくま新書
2014年01月23日
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至高体験のない自己実現者は、これまでのところ実務的で、有能で、この世の中で中程度の生活をし、何でもそつなくこなすという傾向があるということが言えよう。 それから、至高体験のあるものは「あるがまま」の世界に住んでいるようである。 すなわち詩、美学、シンボル、超越、神秘的な宗教、個人的・非制度的な種類、そして目的的経験のそれぞれの世界である。 単に健康なだけの至高体験のない自己実現者は、社会生活の改善者であったり、政治家であったり、社会における労働者であったり、改革論者であったり、改革運動者であったりすることが多いようだが、一方、超越した至高体験のある者は詩人であったり、音楽家、哲学者、宗教家であったりすることが多い。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2014年01月22日
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人間のほんとうの人間らしさのもう一つのみなもとは、夢みる能力であった。 なぜなら、これは記憶力と向きあう、前向きの対応物であるから。 おそらく起源において、人間の不安から派生した、夢という現象は、一つの積極的機能を受けもつようになった。 夢は、予見、発明、空想的描出、創造的転換の大きな手段となった。 刺激が消え去った、ずっとあとあとまで、人間のなかに反響しっづける外側からの印象、この印象への感じやすさは、人間が実践的諸必要から離脱している睡眠の時間をさまざまのイメージで氾濫させる。 外側の世界は、これらのイメージに材料を提供する反面、内側からの圧力を受けて、醒めている知性では拒否されるような誇張した転換をこうむる。 人間の操作力と好奇心、試行錯誤による発見は、まちがいなく、外界への彼の支配力を促進させた。 しかし夢という現象は、芸術に特有な徴候を身につけている。 夢は、夢みる人間の性質を表現し、自分自身の可能性へのいっそう深い洞察力をあたえる。 この自己表現は、人間の転換における重要な要素であった。「人間-過去・現在・未来」 L・マンフォード 岩波新書
2014年01月21日
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一九五三年にドイッチュがうちだした、ナショナリズムと社会的コミュニケーションとの関係についての理論は素晴らしかった。 ドイッチュの考えでは、民族性や国民性は先天的に備わった特性ではなくて、社会的学習と習慣獲得の過程を通じて形成される結果である。 彼は、個々人の心の中にあって人々を結びつける習慣や記憶を重視するだけでなく、人々がそのような習慣・記憶を共有し得るための客観的条件として、コミュニケーションの便宜を重視する。 彼は、「国民」を「そのような相互依存的習慣およびコミュニケーションの便宜によって結びつけられた人間の大集団」と定義している。そして、そのような習慣や記憶の共有が形成され、コミュニケーションの便宜が備わっていく長期的な過程を「社会的コミュニケーション」の形成過程としてとらえるのである。 社会的コミュニケーションの形成、発達によってある民族国家が形成される過程は、論理的に考えて、次の三つの局面を備える。(1) 核心地域(能力の基盤となる)の形成(2) 統合の別の可能性の消去(3) 同化(assimilation)「東南アジア世界の論理」 矢野暢 中公叢書
2014年01月20日
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ウォーラステインは、資本主義的な「世界経済」の基本性格を「極大利潤の実現を目指す市場向け生産のために成立した世界的分業体制」と規定する。 この規定からすれば、農産物の市場向け生産を基礎として成立していた産業革命以前の「世界経済」も、純粋に資本主義的であったと言えるし、今日の社会主義諸国の経済もこの資本主義的な「ヨーロッパ世界経済」の一部でしかない事になる。 現代の世界では、資本主義と社会主義が対立しているのではなく、資本主義的な単一の「世界経済」の中で、社会主義の諸政権が機能しているにすぎない。 資本主義は市場での営利を目的とする生産であり、そこで「自由な労働力」が使われるか否かは問題ではない。「近代世界システム」 I・ウォーラステイン 藤原書店
2014年01月17日
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物事の本質はその始まりに宿るといわれる。近代の誕生期のまっただなかに心身をおいたカントは、時の扉の開閉を感じ、のちに「近代」といわれる新しい時代の風を感じ、その本質を見ぬいていたように思う。 カントは、真・善・美という価値の問題を、その順序で論じた。 真とは何か、善とは何か、美とは何か、という問いかけは、それぞれ、人は何を知りうるか、人は何を為すべきか、人は何を願いうるか、という問いにおきかえられるであろう。 第一の「人は何を知りうるか」という問いは、人間の認識の限界についての問いであり、『純粋理性批判』の中心課題である。 第二の「人は何を為すぺきか」という問いは、人間の行為の規範についての問いであり、『実践理性批判』の中心課題である。 第三の「人は何を願いうるか」という問いは、せんじつめれば、人間の理性をこえた宗教の問題になるであろう。 このような本質的な問いにいどみ、その答えをカントなりに出した三著は、一八世紀末に形をみせ、一九~二〇世紀に隆盛した近代西洋文明をあらかじめ総括しているばかりか、その総括のうえに、ポスト近代を予見していた。『「美の文明」をつくる』 川勝平太 ちくま新書
2014年01月16日
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自己実現者は、人生の基本的な物事について、それが他の人々にとってはどんなに新鮮味がなくなり陳腐になろうとも、何度も何度も新鮮に、純真に、畏敬や喜び、驚きや恍惚感さえ持って認識したり味わったりすることができるという驚くべき能力――C・ウィルソンが「新しいこと、不慣れ」と呼ぶところのもの――をもっている。 そのような人々にとっては、いかなる日没も最初に見たのと同じように美しく、百万本の花を見た後でさえも、どんな花でもアッと驚くほど愛らしいのであろう。 千番目に見る赤ん坊でも、彼にとっては最初の見た赤ん坊と同じように不思議な生き物なのである。 彼は結婚後三十年たっても、自分の結婚は幸運だったと確信し続け、妻が六十歳の時にも、四十年前に彼がその美しさに心を動かされたと同じように美しいと思うのである。 そのような人たちにとっては、日常の平凡な一瞬一瞬の暮らしのための仕事でさえも、わくわくする、おもしろくてたまらない、我を忘れさせるものである。 もちろん、彼らが常にこのような激烈な感情にとらわれているわけではない。 それは、いともというよりは、時折のことで、思わぬ時にそのような感情になるのである。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2014年01月15日
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昭和十八年七月七日(水) H・G・ウェルズの The Shape of things to come を読む。ウェルズは満州事変を出発点として、日本は支那と全面戦争になる。 日本は支那に三度勝って、ナポレオンのごとく敗れる。それから日本は一九四○年に米国と戦争をするといった筋書きだ。 ウェルズの予言は実によく当たる。日米戦争の勃発も一年の相違である。そして、ウェルズは「将来の歴史家は日本が正気であったかどうかを疑うだろう」と言っている。七月十五日(木) 僕はかって田中義一内閣のときに、対支強硬策というものは最後だろうと書いたことがあった。 田中の無茶な失敗によって、国民の目が覚めたと考えたからである。 しかし、国民はさように反省的なものでないことを知った。 他方では、米国が戦争に勝てば、財産は取り上げられ、国民は殺されると固く信じている由。 無知はこの程度である。「暗黒日記」 清沢 冽 東洋経済新報社
2014年01月14日
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科学技術の成果として巨大な富を持つ有産老と無一物の無産者との間に格差が生まれた。 科学技術の成果である富をめぐる争いが社会問題になったのである。 その争いで依拠されたのは道徳規範である。 自由と平等のどちらが「善」か、という争いである。 資本家階級は富を追求する自由をもって善とした。 一方、マルクスは有産の資本家階級を糾弾し、無産者による暴力革命を正当化した。 共産主義は平等をもって善とする思想にたっている。 産業革命がイギリスから欧米各地、そして日本に波及していくなかで、同じ争いが普及した。 それは富を公平に分配する平等を正義とする人々と、富を獲得する自由を正義とする人々との争いとなり、世界は次第に二大陣営に分かれていった。 文明社会の価値が、いまや科学的真理にのっとっているかどうかということよりも、何が正義ないし「善」かという問題へと力点が移ったのである。 二〇世紀には、富の自由な追求をイデオロギーとする自由主義圏と、富の平等な分配をイデオロギーとする社会主義圏との二大陣営の争いになった。 イデオロギーという言葉を日本のマルクス主義者は「観念諸形態」と訳したが、司馬遼太郎氏はそれを「正義の体系」と言いかえていた。 イデオロギーの訳としては、こちらの方がピッタリである。 自由をもって正義の体系と信じる集団と、平等をもって正義の体系と信じる集団とに分かれたのである。正義の体系とは、独善と言いかえられるだろう。 二〇世紀後半の冷戦は二つの独善の闘争であったと総括しうる。『「美の文明」をつくる』 川勝平太 ちくま新書
2014年01月10日
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龍馬が後藤に与えた「船中八策」の第一策にある「大政奉還」は、後藤がこのあと土佐藩主山内容堂からの建白として将軍徳川慶喜に提出する。 そうして、将軍が十月十四日、朝廷に上表するのである。その発端が、龍馬の「とっさにひらめいた」、「驚天動地の奇手」にあった、というのである。 少なくとも、ここで司馬さんはそう書いている。 この点にこだわったのが、歴史学者の松浦玲(まつうられい)である。 松浦さんは「「司馬文学」と歴史学の立場」(『プレジデント』一九九三年十二月号)に、次のように書いている。 - 歴史的な事実とすると、龍馬が思いついた大政奉還論は、文久二、三年(一八六二、六三年)の段階から幕府旗本の大久保一翁や松平春嶽によって「持出され」、「政局に影響力を持つ議論」になりはじめていた。 ただ、その議論の過激さゆえに、大久保一翁は「側用取次」という高位から左遷され、松平春撮も「政事総裁職」をなげうって福井へと引込まざるをえなくなった、と。『司馬遼太郎の「場所」』 松本健一 ちくま文庫
2014年01月09日
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昭和十八年二月二十二日(月) 大東亜戦争は浪花節文化の仇討ち思想だ。新聞は米を迷利犬といい、英を暗愚魯といい、また宗美齢のワシントン訪問に、あらゆる罵詈的報道をしている。かくすることが、戦争完遂のために必要だと考えているのだ。三月四日(木) 各方面で英米を憤(いきどう)ることを教えている。秋田県の横手町では、チャーチルとルーズベルトの藁人形をつくり、女子供に竹槍で突かせていると、今朝の毎日新聞は報じている。封建時代の敵討思想だ。そうした思想しかない人が、国民を指導しているのである。 六月三日(木) 朝、ラジオで徳富蘇峰の講演あり。ペルリが日本占領の意図あり、彼の像を立てるごときは、以ての外だという。また、日露戦争にルーズベルトの介入したのを感謝するごときも、バカバカしいことだという。米国は好戦国民である。仁義道徳のない国だ。そうしたことが、その講演の内容だ。このところ徳富時代である。この曲学阿世の徒!この人が日本をあやまったこと最も大なり。「暗黒日記」 清沢 冽 東洋経済新報社
2014年01月08日
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欠乏に動機づけられている人々は、他の人がだれか自分に尽くしてくれないと困るのである。 というのは、彼らの欲求の主なもの(愛、安全、尊敬、名声、所属)は、他の人間によってのみ満たされるからである。 しかし、成長によって動機づけられている人々には、実際には他人は欲求充足の妨げになっているのかもしれない。 彼らにとって、満足やよき生活を規定するものは、いまや内なる個人であって、社会的なものではないのである。彼らは非常に強いので、他の人々のよい意見や愛情によってさえも影響を受けない。他の人々の与えてくれる名誉、地位、報酬、人気、名声、愛は彼らにとって自己発展や内的成長ほど重要ではなくなっている。 愛や尊敬から独立を保つというところまでに到る最善の手法として、われわれが知っているものは、それが唯一ではないにしてもまさにこの愛や尊敬を過去に十分に与えられたことである点を指摘しなければならない。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2014年01月07日
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封建世襲制度がなくなり、士農工商の位が平等になったのだから、百姓でも町人でも、これまでのように無知文盲に安んじていて、人から侮(あなど)られるようではいけない。 もともと侮りをうけたのは、上の者の罪ではなく、自分が無知文盲であったからである。 それ故に、今日より活眼を開いて、わが身も日本国民のひとりと思って身分相応に徳義と知恵をみがいて、内には一家の独立を、外には一国の独立をはかり、この日本国をわが,身の責任と覚悟して学問をすべきである。 その学問はむずかしい字を読むだけのことではなく、広く物の理を知って、日用の便利を達するためのものである。「福沢諭吉 中津からの出発」 横松 宗 朝日選書
2014年01月06日
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