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こんにちは。 今日は、月一回お送りしている脳の病気シリーズではなく、脳の活性化法です。 最近は、中高年を中心に、計算やら、音読やら脳を鍛える方法がブームですね。 オイラもブームに便乗といいたいところですが、やむに止まれぬ事情があったりして。 実は、ここだけの話、ちょっとやばいんですよ、脳みそが…。 といっても、血管じゃなく、大脳新皮質のほうです。 最近、ど忘れというか、思った言葉がすぐ出てこない。 文章を書いていて、「あれっ?あれは何と言ったっけ」と上を向いて考え込む時間が増えたような気がします。 モノの形や抽象的な概念はイメージできるんですよ。 だけど、ドンピシャリの言葉が出てこない。 しかも、思いだすと何でこんな簡単な言葉や固有名詞が出てこないんだよう、と落ち込んだりすることが間々ありました。 たとえば、プッチモニの左側の女性。 モーツァルトをテーマにしたアカデミー賞映画。 マジンガーZに出てくるアフロダイエースを作った博士の名前。 それにしても、なんでこんなことを思い出そうとしてるのじゃ~、なんて。 この前なんか、小田和正がいたグループ名をど忘れしてしまい、かなり落ち込みました。 グレープか、いやあそこにいたのは、さだまさしだし…。 曲名は、「さよなら」とか、いろいろ出てきたんですけどね。 確か、タモリが嫌いだった。ええと…。 七転八倒していると、友人から、「じゃ、財津和夫はわかる?」と聞かれました。「そんなのわかるよ。もちろん、チューリップ」 もちろん????? おお、思い出した、オフコースじゃ~、なんて。 私事で恐縮ですが、自分の人生でベストの記憶力があったのは30歳代の前半でしたね~。 ある学校へ通っていて、そのときは二十代前半の人たちより記憶力があったような気がします。 どうしてこんなつまらないことまで覚えているのだろうと不思議に思ったことも。 そういえば、当時のプロ野球の選手名鑑。 新聞の販売店からもらったのですが、何気に見ているうちにすべて覚えてしまった。 各球団の選手の背番号やポジション、昨年の成績はもちろん、趣味や彼女がいるのかまで。 テレビを見るときは多少、選手の薀蓄を傾けられますが、実際何の役にも立たないですよね。 その反動が今、出てるのかな。 でも理由は、思い当たる節がある。 当時はパソコンを使っていませんでしたからね。 調べモノがあると図書館へ行き、辞書や参考書を使ってとことん調べました。 しかもコピー代をけちって書きまくる。 人呼んで、「人間コピー機」。 当時は、右手の中指のまめが何度もつぶれたこともありました。 指先を使って細かい作業をするのは、脳がすごく活性化されるそうなんですよ。 ところが、最近はパソコン。 漢字は自動変換してくれる。字がわからなくても、羅列される漢字の中から選ぶだけでいい。 調べ物はもっと楽。ネットで検索すれば、あっという間に欲しい情報が手に入る。 それをコピーすれば、手にマメを作って記録する必要もない。 昔から比べたら、途方もなく楽になりました。脳みそだって、すごく楽をしていると思いますよ。 パソコンのキーボードを打つだけの単調な指の動かし方では、あまり脳は活性化されないそうですし…。 だからさび付いちゃうのかも。 しかし、この状況はなんとかせねばならない。 …ということで、もう一度脳を鍛えねば、と決意を新たにしました。 さっそく図書館に行って見つけた本が、「保坂隆編著 「頭がいい人」は脳をどう鍛えたか 中公新書」です。 その第一章に、「脳を若々しく保つ方法」というのがあるのですよ。 これはまさにオイラのニーズに見事にマッチしていますな。 その定番の方法は、以下の3つ。● 早起きの習慣を身につける● 朝の光をいっぱいに浴びる● できるだけ規則正しい生活をする 以上の3つは、体内時計を正確にするために必要な方法とか。 脳は、規則正しい生活を送っているうちに一定のリズムをつかみ、元気に働くようになるそうですね。 言われればもっともな話。いつまでも元気で、かくしゃくとしているお年寄りは皆、朝が早いですからね。 しかも…● 朝のラジオ体操で脳を元気にする をすれば完璧とか。これまた、昔の元気なお年寄りの定番。 体を動かすということは、脳細胞が目覚め、手足を動かす指令を送り出した証拠だからだそうな。 うぬぬ~、でもこれはちょっと勘弁してくだされ~と思う方。 オイラもですが、そんな人は、● 声を出して朝刊を読む …のもいいそう。そう言えばこの音読は、脳の活性化に良いと有名な方法ですね。 この前、テレビでも言ってました。 音読って、当たり前ですが目で見て声に出して読むこと。 これは視覚や聴覚を刺激して、発声することで体も使うのだとか。 たんに黙読するより、脳をずっと使うことになるんですね~。 毎朝、駅で新聞を音読しているオヤジをたまに見かけますが、ちゃんと脳を活性化させる訓練をしているわけか。 少しボケているようにも見えるけど…。 そのほかには、● ダイビング、サーフィンなど海で遊ぶ● 休日も誰かと楽しく過ごす というのがありましたが、これは何となくわかりますね。 以前、オイラのストレス解消法として、海など自分よりとてつもなく大きなものを眺めるとよいと書いた記憶があります。 人は疲れると、無性に海を見たくなる。 この本によると、人がそう思うのは、太古に生物が海で誕生した遠い記憶によるものだとか。 だから、ダイビングやサーフィンで海と一体になると、脳の一番奥が刺激され、脳の活性化にもつながる。 やはり海は、脳の活性化にもいいのですな。 そして、オイラが注目したのは次の項目。● 音楽で頭をみがく 実は今、さかんに実践しているところです。 わりと効果があるみたいですよ。 その方法はまた次回。
2006年05月28日
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こんにちは。 今日はまた長くなりそうなので、前ふりなしでいきなり行きまっす。 さて、前回のお題であった埼玉県の県名の由来。 実は、いろいろあるらしいのですよ。 その一つは「幸魂(さきみたま)」という言葉から来たというもの。 「幸魂(さきみたま)」の「魂」は、「玉」の意味でもあり、勾玉(まがたま)は埼玉県にゆかりの深いものらしい。 そういえば、埼玉県の県章は、勾玉16個を円形に並べたものでしたよね。 でも、どうして「まが玉」と埼玉県がリンクするのでしょうね~。それほど珍しいものじゃないですから、他の土地にもたくさんあったと思うし…。 ところで別の説もあるそうなんですよ。 それは、「さき多摩」がなまって「さいたま」になったというもの。 昔は多摩に国府が置かれ、多摩への交通が開けた。埼玉は多摩の前方にあったため「さきたま」と呼ばれていたとか。 どっちもそれらしいですが、ほかにもあるらしい。 ホントのところは、どうなんでしょうね。誰か、詳しい人がいたら教えてほしいっす。 それはともかく、律令による国郡制度が発足した当初から、この地域は前玉郡(さきたまぐん)という表示が行われていたそうな。 行田市埼玉の地は、巨大古墳群の所在地でもあり、前玉神社の鎮座する場所。 おそらく古代の埼玉郡の中心地はここで間違いないでしょうね。それにしては、駅前の静まり返った雰囲気は少し寂しいかも。 …と考えつつ行田の市街を歩いてゆくと、水城公園に出ました。 ここは、忍城の外堀であった沼を利用して作られたそうですね。面積は10万平方メートルほど。 思ったほど広くはない 少し中国風の景色かなと思ったら、中国江南水郷式造園の手法を取り入れたのだとか。 太公望の仙人と化したおじさんたちが沼に釣り針をたれておりました。 さて、ここからが今日のメインイベント。 古墳通りをひたすら歩き、さきたま風土記の丘へ向かいます。「さきたま古墳群」は、県名発祥の地とされる行田市大字埼玉にある。 最近、埼玉県さいたま市というのができたので紛らわしいのですが、こちらの埼玉の呼び方は、「さきたま」ですので念のため。 30万平方メートルの敷地内に、さきたま古墳群と総称される大小9基の古墳があるのですね~。 古代史はそれほど詳しくないのですが、これらの古墳が作られた5世紀の終わりから7世紀のはじめ頃って、大化の改新や壬申の乱よりも200年近くも前。 当時の状況は、これまたよくわからないことが多いらしい。 それにしても、古墳のかたちって何を考えて作ったのでしょうね。 さきたま古墳群にあるのは、前方後円墳と円墳。前者はかぎ穴の形で、後者はお椀を伏せたような形ですか。 以前、NHKの歴史番組では、支配者の継承の場として、前方後円墳が使われたという解釈だったのを覚えています。 円墳は、人が死んでその上に盛り土をするという人間の本能に根ざしたような気がするのですが、どうなのでしょうね。 結構、丸と四角を組み合わせたところが味噌なのではないか。 死者の家族や親族が、丸い墓にするか、四角い墓にするかともめる幾何学上の問題。 今だって、生前に墓がなくて死んでしまうと、お墓をどうするか、お骨を誰が引き取るかって、もめるケースが結構あると聞きました。 当時の遺族の親戚が集まって、じゃあ折衷案で、丸と四角両方くっつけちゃおうと安易な解決策を模索した結果ではないか。 なんて、素人が余計なおせっかいでした。 さて、このさきたま古墳群。 一番大きな古墳は、長さ138メートルの「二子山古墳」。高さでは、19メートル近くある「丸墓山古墳」に軍配が上がる。 中でも丸墓山古墳は、日本最大の円墳。そして、二子山古墳は武蔵国でもっとも大きな前方後円墳だとか。 昔の武蔵国って、埼玉県だけじゃないですよ。 現在の埼玉県と東京都、神奈川県の一部まで含まれる広大な国。 その中で、ナンバーワンなんっすか。 オイラの家から電車で二十分ほどのところにある多摩川のほとりの亀甲山(かめのこうやま)古墳も結構大きな古墳だけど…。 と思って、帰ってからネットで調べたら、それは全長107メートル、後円部の高さ10メートルだとか。 東京が誇る荏原台古墳群最大の古墳も、さきたま古墳群には及ばなかったぁぁぁぁぁぁ~。 東京人としては、ちょっと残念。 荏原台古墳群は、確か五世紀前半。 さきたま古墳群は、5世紀の終わりから7世紀のはじめ頃なので、若干後になるのですね~。 そのとき、ふと思ったのはなぜ同じ時期じゃなかったかということ。 もしや、と思っていたら、まさにビンゴでした。 さきたま風土記の丘に、「さきたま資料館」があるんですよ。そこには、さきたま古墳群からの出土品やそれぞれの古墳の解説のパネル、模型が展示されている。 なんと、ここにある出土品は皆、国宝。 中でも、稲荷山古墳出土の「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」は超有名です。 鉄剣に、文字が書かれていたのですね~。文字数は、115文字。 それが、我が国の古代国家成立の謎を解く上で、貴重な資料だとか。 見学者は皆、畏敬の念にあふれた顔で、その鉄剣を眺めておりました。なんたって、国宝ですからね、国宝。 でも、波田陽区のネタじゃないですが、よく読んでみると… 葬られた人物の自慢話じゃないですかぁぁぁぁぁぁ~、ざんね~ん!!! だって意訳すると、「私の先祖は、代々大王の親衛隊長を務めてきた。そして私は、雄略天皇に仕え、天下を治めるのを補佐した。そこで、471年7月に、これまでの私たちの輝かしい功績を剣に刻んで記念とする」ですよ。 功なり名を遂げた人物が、自分で銅像を立てるようなものですか。でも、自分の墓におさめるのだから、こちらのほうが奥ゆかしいかも。 日本書紀や古事記とは、ちょっと趣旨が違う文章なので、いろいろわからない点も多いらしい。 現代の最先端の研究者が、寄ってたかってその自慢話を読み、その内容が広く世間に喧伝されていることを考えると、さぞ葬られた人物は溜飲が下がるでしょうなぁ。 それはともかく、先ほどの古墳の築造年代のタイムラグ。 資料館のパネルを読むと、荏原台古墳群に葬られた有力者の集団とさきたま古墳群に葬られた有力者の集団の間で、大きな戦が行われた可能性があるとのこと。 同じ、武蔵国の覇権をかけた争いだったのでしょうか。 結果、さきたま軍団が、荏原台軍団を屈服させ、支配下においたという説。 だから、衰退した荏原台軍団は五世紀の前半で古墳の築造がストップ。勢力を伸ばしたさきたま軍団が、引き続いてこの土地に巨大古墳を作り続けたらしい。 細かいことは忘れてしまったけれど、妙に説得力のある学説ですね。 その信憑はともかく、古代、田園調布の一等地に暮らしていたブランド族が、さいたま県民に負けてしまったのがなんとなく興味深い。 そのときの悔しさがDNAに組み込まれていて、東京人は、うがった見方をして憂さを晴らしているのではないか。 なんて、これまた素人の発想ですね。 さきたま古墳群をそぞろ歩いてみました。 昔行ったことのある大阪府堺の仁徳天皇稜などの巨大古墳は大きすぎて、小山にしか見えない。 全長100メートルくらいだと、前方後円墳の形がしっかりわかる。 おすすめは、将軍山古墳。 なんと、石室の中が見られるんですよ。古墳の横に穴をあけて、当時の石室内部の様子を再現してあるのです。 副葬品を、遺体の周りに丁寧に並べた形から、当時の人たちの想いが伝わってくるようでした。 国宝の太刀が出土した稲荷山古墳は、上に登れるようになっています。 これがちょっとしたハイキング。 あらためて古墳の巨大さが実感できました。 最後に行ったのが、丸墓山古墳。 これは日本最大の円墳で、上に立つと風土記の丘が一望できます。 この風景を見て、大それたことを考えた人物が昔いたそうな。 関が原の戦いで有名な石田三成です。 前回書いた、忍城水攻めの際、ここを本陣として定めたとか。 天正十八年(1590)、この古墳の南北に堤(石田堤)を築き、忍城を水攻めにしたそうです。 古墳から南にまっすぐのびている道路が、この堤のなごりなのですね~。 得意になって、石田三成気分で忍城の方角を眺めました。 忍城の水攻めは、結局失敗に終わるんですけどね。 丸墓山古墳
2006年05月24日
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こんにちは。 前回は、しょーもない魚の骨の話題で失礼いたしました。 実は、あのあとも結構大変だったのですよ。 耳鼻科へ行って、魚の骨を抜いてもらったところまではよかったのですが、その後の処置が悪かったらしく口内炎に移行してしまいました。 口内炎といえば、去年、さんざんブログでお騒がせした苦い思い出があります。 梅干や練りわさびを塗りつけるというSMの女王様も真っ青の素人療法とか。 あれだけ痛い思いをして何の成果もあげられなかったばかりか、オイラの愚かさを露呈してしまう結果になってしまった。 そのとき肝に銘じたのは、もう口内炎をネタにしないということ。 でも、口内炎のあるうちは、絶対ネタにしたくなるのを止められない。 だから、治るまで更新を自重しようか、と。 やっと、よくなってきたので再開することができました。 それにしても、オイラの人生で、扁桃腺に口内炎ができたのは初めてでしたね。 未踏の領域に口内炎ができたのなら、こちらも新たな素人療法のチャレンジを考えざるをえない、なんて。 それで行った対策は…。 … っと、危ない、危ない、また今日も口内炎ネタに終始するところ。 自虐ネタは、薬と同じでクセになりますからね。 でも、そろそろ禁断症状が現れそう。 こういうときは、ウォーキングネタで、ストレス発散したいですね~。 前回のお散歩ネタは、GWに行った秩父と横瀬でした。実はもう一箇所、連休中に行った場所があるのですよ。 それは、同じ埼玉県の行田市。 行く途中で気付いたのですが、秩父と行田市は同じ秩父鉄道沿線なのですね。東武伊勢崎線の羽生から乗り換えるとき、このまま行けば秩父なんだと思いました。 そういえば羊山公園の芝桜のポスターが、至るところに貼ってありましたっけ。 行田市はオイラが小学校当時から、一度行きたいと思っていたところです。その頃読んだ歴史の雑誌に、行田が紹介されていました。 行田は、昔、忍(おし)という地名で呼ばれ、古代から巨大な古墳が数多く作られた土地だとか、江戸時代は10万石の城下町としても栄えたそうですね~。 その雑誌には、確か、「忍の浮城」という記事が載っていた記憶があります。 豊臣秀吉の小田原攻めのとき、北條方に味方した忍城が石田三成らの大軍によって水攻めをうけても落ちない。 城が浮かんでいるのではないかと噂されたことからその話ができたらしい。 水攻めと言えば、豊臣秀吉の備中高松城が有名ですが、関東でも水攻めの戦場があったのですね。 小学生のときは、今よりもっと城ヲタクだったので、いろいろイメージを膨らませたのを覚えています。 今考えると、キモい子供だったかも。 それはともかく、実にうん十年ぶりに夢をかなえることになったわけです。 それにしても、羽生から行田市へ行くまでの秩父鉄道。実にローカルな駅が並んでいました。 そして、車窓風景がこれまたすごかったです。 見渡す限り、なんと地平線の近くまで畑が広がっているのですよ。 東京の近くで、こんなに広々とした畑や田んぼが見られるとは思いませんでした。 これだけ広い田んぼに隔てられていると、首都圏と違った独自の文化ができているのではないか。 そんな期待が膨らみます。 やがて再び、家がだんだん増えてきて、地方都市の景観が車窓に広がりだします。 行田市に着き、電車から降りる。 「……………。」 なんか、いつもの電車から降りたときの雰囲気と違う。 すごく静かなんですよ。「駅前の喧騒」という言葉からは無縁。 連休中だからですかね。 それにしても、あまりに静か。 駅前にあるタクシー会社の案内所のレトロ感が、昭和の風景を思い起こさせます。 中で、スタンバイ中のタクシーの運転手さんが、手持ち無沙汰でストーブを囲んでいました。 でも、周りは近代的なビルもあったりして、普通の地方都市の駅前の風情。 しばし、周りをキョロキョロ見渡してから歩き始めました。 ガイドブックを見てまず向かったのは、大長寺。芭蕉の句碑と大仏があるらしい。 行ってみると確かに、大仏がありました。 大仏とガイドブックにあっても、実際はジャイアント馬場か小錦くらいの大きさの仏像だったりするケースがあるのですが、これは誰が見ても大仏。 もちろん奈良や鎌倉の大仏様と比べたら気の毒ですが、近くに寄って見ると堂々たる高さはあります。 この大仏様は、「露座の大仏」と言うらしい。 写真を撮ったら、ガイドブックの写真とまったく同じアングルでした。 結構、構図には気を配って撮りますので。 大長寺から行田市の目抜き通りを通って、行田市郷土博物館を目指します。 通りの歩道のところには、銅板で作られたかわいらしい人形がいくつも置かれていました。 さすがに城下町だけあって、歴史のありそうな商家の建物や蔵が所々残っていますね。 行田市郷土博物館は、旧忍城の本丸跡にあるみたい。近代的な建物の博物館の隣には、三重櫓。 パッと見には、天守閣と言っても反論は出ないでしょう。もちろん城ヲタク以外の人からですが…。 なかなか立派な景観ですよ。もちろん、観光用に作ったのでしょうから、堀は浅いし、幅も狭い。 これじゃすぐ落城しまっせと、突っ込みを入れたいところですが、大人気ないのでやめておきました。 それにしても、郷土博物館が開いているのかどうか。 前回、秩父と横瀬の郷土博物館2連敗ですからね。 さすがに3連敗はできない。 往年のセブンイレブンのコマーシャル、「開いててよかった~♪」と叫びつつ中に入りました。 ちなみに、この内容で入館料200円は安いかも。 入って、一番興味を惹かれたのは、江戸時代の忍城の模型。 今いる本丸には、うっそうと木が茂っていて、大きな建物はなかったらしい。ただ三階櫓は、三の丸の隅に実際にあったのですね。 それにしても、当時の忍城は、堀の幅が広いというより、大きな沼の中にたくさん顔を出した土手の上に城が築かれたという感じでしょうか。 これは、水攻めをしなくても、見た目は「浮き城」。 今に残っていたら、壮大な眺めだったのでしょうね。 ただ悲しいかな、明治維新のときに城は取り壊されてしまった。 明治維新のときの動乱で、日本中いたるところで城が取り壊されているのですよ。 ホント、もったいない話です。今に残っていれば、こんな素敵な文化遺産はないのですけどねぇ。 隣接する三階櫓にも登りました。完全に鉄筋コンクリートで味気なかったですが、最上階からの眺めはなかなかでした。 前にも書きましたが、この建物は、忍城に建てられていた「御三階櫓」を模して建てられたとか。 ちょっと小田原城に似ているような。千葉市の亥の鼻公園にある千葉城は、モロ小田原城のコピーですが、こちらはオーソドックスで特徴はあまり感じられません。 博物館を出て、浮き城の径を通り、市役所の横へ。そこから公園通りに出て水城公園を目指します。 市役所のそばに、「埼玉の名前発祥の地、行田」とかいう看板がありました。 埼玉のネーミングの由来って、ちょっと想像しづらいですよね。 実は理由を知っても、いまだによくわからない部分もあるのです。 それに、ここへ来てから知ったのですが、古代はうちの近所とも密接な関係があったらしい。 ミステリーの謎のようなロマンがありますな。 その謎の解明は、また次回。
2006年05月19日
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こんにちは。 ご無沙汰です。 突然ですが、う~、のどが痛い。今朝、鏡で見たら、のどが真っ赤っか。 …とくれば、風邪をひいて扁桃腺が腫れているのか、と思いますよね。 実は、そうじゃないのです。 なぜかというと、先週、昼食に定食屋に入ったのですよ。 その定食屋は山手線のターミナル駅の近くにあり、何度か訪れたことがあるチェーン店です。 500円で、日替わりのおかずのほか、ごはんと味噌汁がお替りし放題。そしてテーブルの上に並べられた、生卵、つけもの、ふりかけ、のりが食べ放題。 東京に詳しい人なら、どのチェーン店か、察しのつく方も多いはず。 このようなシチューエーションの店だと、どうしてもオヤジが集まる傾向がある。 当然、オイラもその看板を見て、吸い寄せられるようにその店に入りました。 正午近くだったので、サラリーマンや近くの現場で働く作業員の人たちで店はごった返している。 長いテーブルの隅の席が空いていたので、そこに腰かけ、店員に食券をわたしました。 注文したのは、ブリの一夜干しの焼き魚定食。 このチェーン店のいいところは、とにかくすぐ料理が出てくるところですね~。 おそらく松屋の牛めしより早いに違いない。 ふりかけをたっぷりごはんにかけて、それをのりで包んで食べるとおいしいっす。 二、三口食べて、いやにテーブルがべとべとするのに気付きました。 誰じゃ~!!! 生卵をこぼしてふかない奴は~!!! チョーむかつく。 きっと、前にこの席に座って食べたオヤジが、生卵を割るのに失敗したのでしょう。 仕方ないので、目の前のナプキンを使って、テーブルを拭きました。 ふと前を見ると、オイラより10歳以上年上のオヤジが、自分のどんぶりにお替りのごはんをてんこ盛りにして席に着くところ。 ちなみに、お替りはセルフサービスなのです。 よく見ると、彼の前のテーブルには、今まで食べた思しき、生卵の殻や海苔の入っていた袋がうずたかく堆積している。 しかもまた、お替りしたどんぶりのごはんに、ふりかけをたっぷりとかけ、容器からご飯茶碗一杯分の漬物を取ります。 そして、何と、三杯目の味噌汁を店員に注文。 いくらお替り無料だからって、そこまでするか? 本人は周りの雰囲気などお構いなしで、小太りで脂ぎった顔を照からせながら、クチャクチャ飯をかっこんでいます。 ちゃんとしたスーツを着て、少しもお金に困っているようには見えないのに。 もう嫌じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~!!! こんなオヤジと一緒に飯食うの!!! オイラは、早くこのおぞましい光景から逃れようとしました。 一刻も早く飯を食って、外へ出よう。 ごはんを食べるペースを上げます。 ブリって、開きにしてしまうと、骨が多くて食べづらい。 それでもどんどん食べ物を押し込む。 口の中は、焼き魚とごはんと漬物と味噌汁のコラボレーション。 そうなってしまうと、小骨を選別して、それだけ口から取り出すのはなかなか困難ですよね。 え~い、飲み込んでしまえ、っとばかりにゴクンと嚥下しました。「………………。」 食べ物のほとんどは胃のほうに流れていったのですが、何かのどに違和感が…。 イッタァ~ やっぱり、ブリの骨がのどに刺さるという結果になってしまいました。 そのときは、すぐ取れると思っていたのですよ。 比較的楽観していました。 なんたって、魚の骨ですからね。 でも、ごはんのかたまりを飲み込んでも、うがいをしても取れない。 夜、家に帰ってから、綿棒や割り箸で突っついても駄目。 それほど、痛くはないのだけれど、つばを飲み込むたびにひっかかるような感じで気になって仕方がないのです。 何となく、ブリの魚臭い感じが抜けないのも気持ち悪い。 鏡を見たら、左側の扁桃腺の部分に、骨が五寸釘のような形で打ち込まれているのがわかる。 毛抜きで取れないかな。 鏡を見ながら口に指を突っ込んで見たけど、全然とどかない。 あんまり奥まで、手を口の中に入れたのであごが外れそう。 口の中に手を突っ込んでもだえている光景が鏡に映って、ふきだしそうになりました。 そういえば、昔見たアニメ「ど根性ガエル」。 ひろし少年がのどに刺さった骨を抜こうと口に手を突っ込んだまま抜けなくなり、大騒ぎになるという話がありましたっけ。 ひろしは涙を流して苦しんでいるのに、周りの人たちは笑いながら彼をからかう。 その場面を思い出して一人ケラケラ笑ったのですが、それどころではないと思い直しました。 そうだ。酢を飲んで小骨をやわらかくすれば突破口がひらけるかもしれない。 台所から酢を出して、コップに少量入れ、うがいをしてみようか、と。 酢を口に含んだとたん、脳天を貫く刺激臭に思わず咳き込みました。 とてもじゃないけど、うがいなぞできませぬ。 昔、CMで、毒蝮三太夫が「酢は健康の巣」?とかなんとか言いながら、ゴクゴク飲んでいたのは、ウソだったのか、と初めて気付きました。 まあ、のどに魚の骨が刺さったくらいで死ぬことはないだろうとその日は寝たのです。 でも、のどの違和感からか、夢にまで出てきてうなされました。 次の日も、いろいろ突っついてみたけれど、全然のどに刺さった骨は取れる見込みなし。 仕方ないので、さすがに昨日の午前中、耳鼻咽喉科へ行きました。 のどに刺さった骨を取るくらいで、クリニックに行くとは情けない。 トホホ…という感じですね。 流行っているクリニックだったので、一時間半も待たされ、アニメの声優みたいな女医さんに診察してもらいました。 口を開けて、「あっ、これですね。わっ、大きい」と言いながら抜くまでの時間はわずか5秒。 あれだけ苦しんだのは何だったのか、という感じですね。さすが、ブロ。 抜いてもらった骨を見て、少し驚きました。 長さが1センチ以上もあるんですよ。しかも結構太い。 見えていた部分は1ミリ程度だったから、1センチも深く突き刺さっていたのですね。 これじゃ、どうやっても自分じゃ取れない。 それにしても、取れたときの爽快感と言ったら、なんか生まれ変わったような感じです。 それだけで喜んでしまって、イソジンガーグルで3日間うがいしてくださいと言われていたのをほっておいたんですよ。 今朝起きたら、のどが真っ赤に腫れているという結果に。 やはり、お医者様の言うことは謹んでお聞きするものだと実感しました。 それにしても、500円の定食で喜んでいたら、その4倍以上も医療費を支払うという羽目になってしまった。 やれやれです。 これからは、ブリとオヤジには気をつけねば。 松井選手の怪我に比べれば、軽傷ですんだのは救いですが…。 今日は、GW中に出かけたお散歩ネタで行こうかと思ったのですが、以上のような事情ですので、それはまた次回。 これから、イソジンガーグル、買いに行くっす。
2006年05月14日
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こんにちは。 ゴールデンウィークも終わり、ようやく仕事に全力集中できる春たけなわの季節。皆様はいかがお過ごしでしょうか? 私事で恐縮ですが、う~、オイラは疲れました。 一応、3日から7日まで休みという気持ちでいたので、そのうち2日間はウォーキングというか、ハイキングへ行ったんですよ。 残りの時間は、自宅でひたすら勉強会のレジュメ作り。 仕事場に行かなかったというだけで、結局やっていることはいつもの仕事と変わらない。 でも、気分は休みモードなので、レジュメを作りつつポップコーンを食べ、ウーロン茶を飲みながらパソコンに向かっていました。 仕事場だとオンとオフの区切りがつくのだけれど、自宅だとあやふやになってしまいますね~。 疲れたら、あたりに散乱するビジネス書からミステリー小説を発掘して読み、図書館で借りてきたCDを聴く。 もっと疲れると、敷きっぱなしの布団にもぐりこんで休憩。 完全に、男おいどんの世界かも。 作っていたレジュメのテーマは、「営業マンの実力向上セミナー」です。 昔よくやっていたのですが、知り合いからまた頼まれたので講師業を再開することにしました。 それにしても、自分で考えたそれぞれの項目のタイトル。 我ながら結構すごい。 「なぜ、営業は素晴らしいのか」「セールスにセオリーはない」「どうやって見込み客を発見するのか」「顧客をタニマチにする法」 etc…。 かなり、ナルちゃん入ってますね~。 中身を充実させるよりも、受講生から殴られないかとおびえる今日この頃です。 ウォーキングで、逃げ足は鍛えられたと思うのだけれど…。 …ということで、今週はビジネスネタを書く気がおきませぬ。 書きたいことは、いっぱいあるんですけどねぇ。 そこで、今日はまた「脳の病気シリーズ」をお送りしたいと思います。 この「脳の病気シリーズ」。 ほぼ月一回のペースで、お送りしています。 約一ヶ月前になりますが、前回は「脳卒中で倒れたときの応急処置」の話題を取り上げました。 今日が始めての方、この記事に興味のある方は、先に前回、前々回の記事をお読みいただければ幸いです。 2005-07-12 脳卒中はどんな病気か。医師と女子高生の会話から 2005-08-07 脳出血はどんな病気か。医師と女子高生の会話から 2005-09-04 クモ膜下出血はどんな病気か。医師と女子高生の会話から 2005-10-02 脳こうそくはどんな病気か。医師と女子高生の会話から 2005-11-03 脳塞栓はどんな病気か。医師と女子高生の会話から 2005-12-05 脳卒中の前ぶれと一過性脳虚血発作について。医師と女子高生の会話から 2006-01-08 症状から見た脳卒中の危険信号について。医師と女子高生の会話から 2006-02-05 脳卒中を起こす原因って何? 医師と女子高生の会話から 2006-03-05 脳卒中を起こす原因って何?2 医師と女子高生の会話から 2006-04-09 脳卒中で倒れたときの応急処置。 医師と女子高生の会話から 2006-04-13 脳卒中で倒れたときの応急処置2。医師と女子高生の会話から 今日はその続きです。 登場人物は、脳外科のベテラン医師と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。 AYAちゃんは、おじいさんが脳神経外科病院へ入院したことで、毎日お見舞いに通ってくる元気な女子高生。 将来、看護師になることを夢見て、おじいさんの担当医師から脳卒中のことを勉強しているという設定でしたね。 前回、「脳卒中で倒れたときの応急処置」について勉強したAYAちゃん。 今日は、脳卒中の検査・診断って、どんなことをするのかが話題になります。 それでは…。<脳卒中の検査・診断ってどんなことするの?>● AYAちゃん「先生。脳卒中で倒れた人が病院に運ばれたら、お医者さんはどんなことするんですか?」 まず倒れた人が本当に脳卒中であるかどうか確認しなければならないね。本人や周りの人たちが脳卒中で倒れたといっても、実際ちゃんと調べてみないとわからないから。● AYAちゃん「それはそうですね。全然違う病気で倒れたのかもしれないし…」 次に脳卒中だとわかっても、どんなタイプの脳卒中か区別しなければならないんだ。脳出血か、クモ膜下出血か、脳こうそくか、によって治療の仕方が変わるんだよ。● AYAちゃん「じゃあ、治療の前にいろいろ検査する必要がありますね」 そう。今は診断機器の進歩がすごいんだよ。昔は脳卒中になっても治療法がまったくなくて、その場に病人を寝かして置くことしかできなかった。1972年にCTが発明されるまでは、頭の中で起きていることが的確につかめなかったんだ。 CTが出てきて、はじめて脳の中が見えるようになって、脳出血と脳こうそくの区別がつけられるようになったんだよ。● AYAちゃん「CTの登場が脳卒中の診断を大きく変えたんですね。ところでCTって何ですか?」(ガクッ)失礼。ちょっと難しかったね。CTというのはコンピュータ断層撮影のことで、硬い頭の骨に囲まれた脳の中を、骨を開けずに始めて見られるようになった装置なんだ。● AYAちゃん「レントゲンみたいですね」 その通り。X線を頭のいろいろな角度から当てて、それぞれの吸収度をコンピュータ処理して画像にする方法なんだ。ちょうど脳を輪切りにしたような断面図が画面に現れる。● AYAちゃん「その検査って、痛くはないのですか?」 痛みはまったくないよ。頭部を機械の丸い穴の中に入れて行うんだけど、5~10分ぐらい寝台に横になっているだけで検査ができる。この機械が登場するまで、脳の検査は大変だったんだ。 前にも話したけど脳血管撮影法といって、首の頚動脈に太い注射針を刺し、そこから造影剤を入れて血管を撮影する方法なんだけど…。● AYAちゃん「ひゃ、何度聞いても痛そう…」 そう。頚動脈に針を刺すとき痛いし、造影剤を入れると頭がガンガンして激痛が走るんだ。また、医師にとっても悪い部分を正確につかみにくく、時には検査による事故で半身マヒか言語障害が起きることがあったんだよ。● AYAちゃん「そういうリスクが、CTが発明されてからなくなったんですね。これはすごいことだわ」 CTで、たちまちのうちに正確な診断ができるから、手術などの治療がスピーディーにできるようになったんだ。脳卒中の死亡率が減少した大きな理由のひとつが検査機器の進歩といってもいいと思うね。● AYAちゃん「すごいなぁ、CT。この機械の欠点はまったくないんですか?」 ないよ…と言いたいところだけど、困ってしまうところもあるんだ。たとえば、脳が輪切りにしか見えないことや放射線を浴びること、また、骨まで写ってしまうことや映像の細部が鮮明でないことなどの欠点もある。 そのあと、MRIという検査機器が出てきてさらに検査と治療が進歩するんだけど、それはまた後で話そうね。● AYAちゃん「いきなり知らない専門用語がバンバン出てくると頭がパニックになりますから、やさしくお願いしますよ」 ハイハイ。 (また1ヵ月後に続く)
2006年05月08日
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こんにちは。 皆様、連休はいかがお過ごしですか? オイラは、仕事とウォーキングのごっちゃまぜで、忙しい連休となっております。 それにしても、花粉症。ふたたび症状が悪化して、目がかゆくて鼻水がとまらない。 せっかく改善してきたんですけどねぇ。 しかも、顔や手が日焼けして、日に当たらなかった部分との差が歴然。 まさか春真っ盛りのこの時期に、こんなに日焼けするとは思わなかったので、家に戻ってから鏡を見て驚きました。 この時期、紫外線が結構きついんですよね。 お膚にしみ、そばかすができそう、なんて。 こういう状況になったのは、例によってウォーキングへ行ったからです。 でも、あれだけ綺麗な景色を堪能できて、快適に歩けたから、ま、いっか、っていう感じですかね。 ところで、出かけたのは、秩父市と横瀬町。 秩父は、おととし出かけて、昭和の時代にタイムスリップしたような懐かしい街並みと素朴な風土にすっかりファンになってしまったところ。 こういう土地に住んだら、静かでおだやかに暮らせるのではないかと思いました。 まわりを山に囲まれている都市はわりと多いのですが、何といってもその景色を特徴づけているのは、ランドマークともいうべき武甲山の存在。 標高1295メートルという堂々たる山であるとともに、山頂から中腹にかけて段々畑のような景観の岩肌が広がっている。 ピラミッドなど古代の巨大遺跡のように人工的な山にも見えるのです。 それもそのはずで、武甲山は山全体が石灰岩でできていて、大正時代からその採掘が行われているとか。 段々畑のように見える部分は、採掘されたあとなのですね。 それが逆に、一度見たら忘れられない個性を、山に与えているのでしょうか。 さて、どうしてオイラがここへ来ようと思ったかは、その数日前に見た朝のNHKのニュースでした。 秩父・羊山公園からの中継で、起伏に富んだ丘一面に広がる花のじゅうたんの景色。 まわりの木々の緑と見事にマッチして、それは見事な風景でした。 テレビの画面でもすごいと思いましたが、実際、現場で見たらそのショッキングピンクに圧倒されましたね。 花は芝桜で、ピンクや白、パープルの鮮やかな色が、サイケデリックに配置されている。 現代アートみたいと思ったら、このデザインは秩父夜祭の屋台や笠鉾の囃し手のじゅばんの模様。そして夜祭の躍動感をあらわしたものだとか。 祭り自体、現代アートなのかも。 「芝桜の丘」の近くでは、いろいろな屋台が出て、さながらお花見や縁日の雰囲気でした。すごい人でしたが、広い公園なので、上から見下ろすと花畑に群がるアリの集団のように見える。 屋台で買ったもろきゅうを片手に、サイケデリックな花のじゅうたんを堪能しました。 それにしても、1本100円のもろきゅうがすごくおいしかった。 近くの農家で採れた新鮮なきゅうりに、そのまま味噌をぬってポリポリかじるだけ。 みずみずしくて、歯ざわりがシャキシャキして、何本でもいけましたね~。 河童じゃないけど、好きなんですよ、きゅうりが…。 今回も、ガイドブックのウォーキングコース2日分を1日で歩くというハードなプランを立てていたので、羊山公園からふるさと歩道を歩き、秩父聖地公園と民俗博物館を目指します。 このふるさと歩道も、丘陵の尾根伝いをたどるコースですごく景色がいい。空気がおいしいし、さっきのきゅうりもおいしい。おまけに、天気も最高。 うれしくなって、上り坂のたびにダッシュで駆け上がりました。 いつのまにか、昔よくやったサーキット・トレーニングに。 それにしても、このハイキングコース。 誰も歩いている人がいないんですよ。 ほんの十分ほど前は、芝桜見物で、トイレに30人以上並ぶ混雑だったのに。 観光スポットといっても、みんな点の動きなんですね。だから、混む場所が一極集中する。 芝桜もよかったけれど、少し歩くだけでほかにも見所はたくさんあるんですけどね。 線や面の動きをすれば、その何倍もいろんな経験ができるんだけど。 …と思いつつ、なかばジョギングみたいにして目的地に到着。 さて、民俗博物館を見学するか、と明治時代の学校を移築した博物館の建物へ向かいました。 されど、入り口がどこにもない。 なんか閉まっている感じ。 休みというより、博物館自体廃業しているような。 げぇ~、せっかく楽しみにしていたのに。 オイラのガイドブックは5年前に買ったので、たまにこういうことがあるのです。でも、最新の地図には載ってなかったので、不注意と言われればそれまでですが…。 仕方がない、と秩父市はここまでにして、次は横瀬町へ向かうことにしました。 「横瀬の里」は、西武鉄道の駅で配っていたハイキングマップをベースに歩きます。 このコースは、秩父の札所めぐりと一部リンクしている。札所は、全部で34箇所。 今回は、5番から10番の札所の寺を巡るわけですね~。 こんなことを書くと叱られるかもしれませんが、札所めぐりって、スタンプラリーに似ている。 信仰のためにはもちろんですが、歩くという行為自体に、幸せになれる秘訣が隠されているのかもしれません。 昔から徳のある偉いお坊さんは、たくさん歩いていると聞きますし…。 武甲山を眺めながら、オイラもプチ秩父札所めぐり。 横瀬のあたりは、広い田んぼや桜並木、清らかなせせらぎ、そしてところどころに芝桜が植えられていて、見所が多いですね~。 途中、入浴休憩できる温泉やイチゴ狩りできる農園、渓谷ではますを手づかみでつかまえることのできる場所もありました。 その中でお勧めは、「寺坂の棚田」。 ここはまさに絶景ポイントですね。 緑あふれる段々畑のてっぺんに立てば、正面に武甲山。まわりは、特徴ある形をした小さな山が取り囲んでいます。 案内板を見れば、ここはなんと鎌倉時代から棚田として作物が作り続けられている場所だとか。 下の横瀬川ほとりには、縄文時代の遺跡も出土しているらしい。 鎌倉時代の棚田を予想した絵の案内板が近くにあったので、現在の風景から当時の模様を想像しました。 当時の人たちの生活の様子が目に見えるよう。 これだけの絶景ポイントは、縄文人も鎌倉時代の人々も、そしてもちろん現代人もほっとくわけはないですよね。 東屋のベンチに腰掛け、ずっと武甲山を見上げながら、昔の人々の暮らしに思いをはせました。 札所めぐりで印象に残った寺は、秩父札所8番の西善寺。 ここは境内に枝を広げるコミネモミジの巨木がすごい存在感でした。樹齢600年、高さ10メートル、枝張りが20メートルというのも驚きですが、幹の太さとその力強さが圧巻です。 木の下に、若葉のフィルターを通った光が緑のシャワーとなって降り注ぐ。その部分だけ、緑色の別世界。 あまりの美しさに、長い時間見とれてしまいましたね~。 急いでまわったので、時間はまだ4時近く。 さて仕上げは、横瀬町歴史民俗資料館でお勉強しようと向かいました。 こちらはまだ新しい近代的なビル。 されど、入口はあるものの、扉が閉まっている。 こっちは、正真正銘の休みじゃぁぁぁぁぁぁぁ~!!! もう~、秩父と横瀬は、オイラに歴史と民俗の勉強をさせないつもりかい? やっぱし、連休中は休んでいるところが多いですよ。 もういや!!! こんなせーかつ!!!(← マカロニほうれん荘のそうじ君バージョンでお願いします) でも、秩父や横瀬の風土はオイラに合っているみたいなので、また来ようかな。
2006年05月05日
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こんにちは。 前回は、オイラのずっと昔の就職活動の経験談でした。 面接試験に当初、ずっと落ち続けていたオイラが、あるきっかけをヒントに立ち直ったというお話でしたね。 今日はその解決編を書かねばなりませぬ。 実はあまりにもたいしたことがなかったので、前回、途中までにしてゆっくり考えようかと。 それがますます注目を煽るという結果に…。 ホントに、つまらないことなのです。 これだけ期待を持たせておいて、アホなこと書いたら、苦情が殺到するかも。 一時は、このままどっかへ高飛びしようかと…。 でも、そういうわけにもいかず、前に書いた「苦情処理法」を活用できないかと真剣に読み直しました。 でも、ウソじゃなくホントのことですよ。 ほんのちょっとやり方を変えただけで、面接試験全敗から全勝になったのは。 …ということで、開き直って書かせていただきます。 前回は、会社訪問で連戦連敗中の日曜日、友人たちと代々木公園に遊びに行き、帰りの電車の中で面接試験の失敗の理由に気づいたというところまででした。 まだお読みでない方は、このひとつ前のブログをお読みください。 今日はこの続きです。 電車の中で考えたのは、オイラと同じく面接試験に失敗し続けている友人の表情でした。 いつもははつらつと自信にあふれているのに、今日はなぜか元気がない。 顔色が悪く、目の下にクマができ、とにかく暗いのです。 失敗し続けているから当然なのでしょうが…。 この元気がないというのは、彼がいつもは明るくはつらつとしている顔を知っているから元気がないと感じるのであって、知らない人が彼を見たら、ネクラなおやじ顔の大学生と思うでしょう。 あぁぁぁぁ~、あんな顔して面接へ行ったらやっぱし落ちるよなぁ~、とつり革につかまりながら苦笑しました。 自分は、あんなことないはず… 渋谷駅が近づいたので、窓の外のネオンの輝きが増したのがわかりました。 夜になっていたので、電車の窓ガラスに自分の顔が映っています。 「…………。」 それを見て驚きました。 やっぱり、暗い。 こ…、これは以前、写真集で見た太宰治の自殺する前の顔じゃ~。 もちろん当時のオイラも、第一印象が大切だということは知っていました。 面接試験で聞かれたことにはハキハキ答えているし、服装も典型的なリクルートスタイル。 いすの座り方や目線などにも気を配っています。 面接試験の天王山と言われる志望動機は、実体験もまじえ5分近く話してやる気をアピール。 言葉遣いも完璧。 だけど無表情。 無表情って、その後オイラも面接官の経験があるから言えるのですが、すごい不気味なんですよ。 何考えてるかわからない。 能面のような顔が、いきなり鬼に変わって飛びかかってきそうな恐怖感もある。 しかももっと悪いのは、その無表情で、ぺらぺらよくしゃべること。 それでも、あ、彼は緊張しているんだなと面接官がわかれば、それなりに情状酌量の余地はあるかもしれません。 しかし、ぺらぺらしゃべりまくられると、これが彼の地なんだろうと思われる。 やっぱり傍から見て、生意気に見えますよね。 お前は、田原総一郎か!!! と、言いたくなる。 あれだけ功なり名を遂げた人が言う分には理解されても、無名の大学生が同じことをやったら反発を買います。 とくに協調性を採用基準にしている会社だったら一発でアウト。 誤解があるといけないので書きますが、無表情でやったらいけないというだけで、表情豊かに笑顔でしゃべりまくるならプラスになると思いますよ。 今から考えると、オイラの失敗は、無表情で面接の部屋に入っていったことですね。 当然、入ってくるオイラを面接官は見ています。 こちらも緊張していますが、面接官も、限られた時間で人材を評価しなければならないプレッシャーがある。 次は、どんな奴が入ってくるのだろうと部屋に入ってくる学生を、身を乗り出すようにして凝視している。 そこへ、田原総一郎のような表情をした学生が、リクルートスーツを着て入ってくるのです。 面接官は、糾弾される政治家のような気分になるのかも。 その第一印象で、その学生を採用するかどうかかなりの部分左右されると思います。 ここで、お約束の多湖輝氏の心理学の実践書シリーズには次のような記述があります。● 知り合った瞬間に持つ印象が、この先近づきたいか距離を置きたいかを決する。とくに相手の受ける第一印象から判断するのに要する時間は、長くても10秒間。 だから最初の10秒間こそ、笑顔で好印象を与えるのが勝負なのですね~。 10秒というのは、面接の部屋に入って、名前を名乗り、面接官の前に腰掛けるまででしょうか。 そのときの表情を中心とする第一印象がとても重要。 また面接の冒頭で、笑顔ではきはきと好印象を与えられれば、そのあとの面接でもそのときの印象が持続します。 その点で、私の二つ目の失敗は、あまりにも堅苦しく若さの感じられないネクタイをしていったことです。 デパートで買ったので値段は高かったのですが、少し黒みかがった無地のえんじ。 そういえば、デパートの店員さんも、あまりいい顔はしていませんでした。 これはちょっと…、と反対しようかどうか、店員さんが迷っていた様子がありましたっけ。 でも、マスコミやファッション業界ではないんだし、お堅い金融機関を受けるのだからと、とにかく無難すぎる選択基準で選んだのです。 二十うん年後、そのネクタイをたんすから出して見たのですが、これは中年というよりご高齢の方がすると似合いそうなネクタイ。 これでは若さがないと思われても仕方ない。 でも当時の若かった自分にはそれがわからなかった。 代々木公園へ友人と遊びに行った次の日の会社訪問で、180度方針を改めました。 スーツは紺色のリクルートタイプでしたが、ネクタイは少し赤みがかった派手目の柄。 そして何より最初が肝心と、明るく元気な笑顔で面接の場へ入っていきました。 結果は、今までの不振が嘘のように内定が続出。 もう就職活動が終盤戦にかかっていたにもかかわらず、最終の会社説明会で某銀行から内定をもらうことができました。 あとで聞いたのですが、最終日だったので受験者87名中、内定をもらったのは2人だけだったとか。 面接といっても、当然評価するのは人間です。 ほんのちょっとポイントを変えるだけで、こんなに結果が違ってきてしまうんですね。 今思うと、昭和56年の10月は、今までの人生でもっともしんどい1ヶ月間でした。 なにせ、1ヶ月で体重が5キロも減ったのです。拘置所に入っていたホリエモンより早い減量ペース。 買ったばかりの革靴がボロボロになるくらい東京、神奈川、埼玉、千葉を歩き回りました。 面接官を中心に、どれくらいの人と会って話をしたか多すぎて記憶にない。おそらく数百人の社会人と会って話をしたでしょうね。 今考えると、その地獄の苦しみのような1ヶ月が、自分にとってすごくプラスになったのではないかと思うのです。 まず、世の中の大まかな仕組みがわかったということ。企業社会の本音と建前の使い分け、また自分でお金を稼いで生きてゆくことの厳しさ。 それから、自然と営業力が身についたのではないかと思うんですよ。自分という商品を持って、いろんな会社、業界へ売り歩いたわけですから、それだけでも大きな経験とノウハウが身についたはず。 親や学校のコネで、まったく苦労しないで就職した学生もいたのですが、やっぱり苦労して歩き回った経験があるのとないのとでは入社前に大きく差がつきます。 オイラが新入社員のとき、面接試験のノウハウを生かして銀行の新人としての営業記録を更新できたのは、おそらくそのせいかもしれません。 会社や家庭を訪問するとき、いつも面接にのぞむようなつもりで入っていきましたので。 ちょっと、自慢が入ってしまいましたけど。 ところで後日談。 オイラが会社訪問で落ちた銀行や会社は、皆、その後のバブルの影響で倒産したり、吸収合併されたりしてしまいました。 当時の人気企業ランクでは上位の企業ばかり。 ひどい目にあわされた銀行や会社ほど、なくなってしまったような。 そこの会社に入っていれば、当然、仕事以外の別な面で苦労を味わうことになったでしょう。 今の状況とどっちがよかったのかわかりませんが、やっぱり「塞翁が馬」的なことはあるかもしれませんね。
2006年05月01日
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