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(前回の続き)今日は、私の胸のうちを有りの侭に書きます。 My dearest ガリバー, ねぇ、ガリバー。私よ、聞こえるかな? 少し話せるかな?私が帰国した8月下旬以降、仕事に忙しくしているわね。本当に毎日おつかれさま。今は日本からしか、あなたをサポートできないけれど、少しでも私の援護が役に立っているとしたら、それだけで十分 嬉しいよ。 忙しい毎日にも拘らず、先日、父と電話で話したあとに、お誕生日祝いのE-cardを送ってくれたのよね。 Dear Mr. 〇〇 (私の父へ)It was great to meet you and your wife back in June. I hope you are doing well. Happy Birthday, Dear 私の父へ先の6月は、お義父さんと奥様にお会いできて、よかったです。ご健勝をお祈りいたします。お誕生日おめでとうございます。ガリバー 父がこのメールに気づかなかったから、ピックアップされなかったようで...ごめんね。私からこのEcardを転送しておくね。 きっと、父も喜ぶはずよ。 ありがとう、ガリバー。 最近、何か私の様子がおかしいということに、気づいているようね。そう。 間違いなく、今、マリッジ・ブルーだと思うの。これまで、毎週日曜日の午後に電話、平日1~2回のメールが中心だったのに、この所といえば、日曜日に家を空けることが多くなって、平日に携帯電話から5分程度話すだけ。 本当にごめんね。 思い返せば、以前は、誰も居ないマンションに帰宅し、部屋の奥の方で青い留守電ランプが点滅しているのを見つけると、真っ先に再生ボタンを押していたっけ。この所はというと、まず疲れが先にきて、横になって一息ついてから...というのが多くなってきて...。家に戻っても、今日一日の頭の中を整理しきれていないのよね。目先にあることに捉われてばっかりで。 けれど、再生ボタンを押せば、あなたはいつもどおりの優しい声で話しかけてくれる。 「Hi、It's me.」 そのあとは決まってこう言ってくれるね。「今日も、仕事おつかれさま。 疲れたでしょ? Blue、君は本当に頑張り屋さんだね」って。本当に嬉しいんだ。 一日の疲れなんて、吹っ飛んじゃうくらいに。聞くと、涙が出る日もあるんだよ。 だって、仕事場ではそんな素振り見せられないじゃない。私のことを一番分かってくれている。 それが何より嬉しいんだよ、ガリバー。 それに、最近は自分の思いを伝えるために、頻繁にEcardをくれるでしょ。I just wanted to tell you that I miss you. Sometimes I feel lonely here but when I think of you and our future together it makes me feel happy again. I cannot wait until we are together again.I love you,君が居なくて寂しいって伝えたかったんだ。時々、ひとり孤独を感じるけれど、君と僕らの将来を思うとき、それは僕を幸せな気持ちにさせてくれるよ。 また一緒にいる日まで待ちきれないね。愛してる。 ガリバー 離れていても、こうしてあなたは沢山の気持ちを送ってくれる。 本当に感謝しなきゃね。そんな大切なことに 最近、気づいていなかったよ。 昨日は色々と真剣に話したよね。あなたが必死になって、私に訴えかけているのが伝わってきたよ。「君のことを とても愛してるよ」(I love you very much.)そう。いつもなら日本時間で言うと午後5時(=ハワイ時間 午後10時)ともなると、早朝5時に起床することを考えて、どちらともなく電話を切るのに、昨日は、初めて 「No.」 と言っていたね。「たとえ何時であっても構わない。Blueと話していたい、一緒に居たいんだ。」 と。ガリバー、ごめん。最近、私、本当にあなたにきちんと向き合っていなかったね。何だかね、無性に寂しいんだ。 だから自棄になっているんだよ。仕事の忙しさで気を紛らわそうとしているんだけど、のめり込むばかりで先が見えなくてね。それでも、やらなきゃならないことは、目の前に山ほどある。一つ一つこなす先に、きっと「ビザ取得」という、私たちのファーストステップがあるんだろうけど、一体いつになるのかな…? それに今、あなたにとっても、人生の中で 大きな山場を迎えているのに、傍にいてあげられないことが悔しいよ。あなたが不安に思う夜、手を取ってあげられない。 一緒に居てあげられないのが寂しいよ。 私も同じ気持ちでいるよ。 ガリバー、もう少しでそっちに行くから。 辛抱してがんばろうよ。だから、「仕事のことなど構わない。12月には君と一緒に過ごしたいんだ。そのためなら、僕はスタッフや母のことをも厭わない。何があっても日本へ行くよ。」 なんて言わないで。 昨夜、あなたを叱ったよね?「どんなことがあっても、まずは、お母さんやスタッフを優先すべきだよ」 って。きっと、時間が解決してくれる。 そう、確信しているんだ。 もう少しだから…今は、お互いの時間を精一杯に歩いていこうよ。 こんなにたくさん愛してくれる、あなたに出会えて、私は幸せだよ。不安にさせて、ごめんね。 あなたの優しさに感謝、そして、これから二人の未来に向かって、一緒に歩いていける日を楽しみにしてるよ。 愛してる。Blueより
Sep 25, 2007
今週も三連休でしたが、昨日も 「ワーキング・ホリディ」(爆)(だって、あまり 休日出勤 って言葉、使いたくないですよねぇ?)土曜日は飲み会、昨日は、結婚式二次会でした。最近、何とか休日に1つ日記を書くようなペースで、平日はちょっと困難...。(泣) 突然ですが、みなさんは男女間の友情は成り立つ と思いますか?それは、たとえ相手に 「結婚」 が控えていても成立する? しない?また、結婚後はどうでしょうか? 最近、私の中で非常に大きなテーマとなっています。これからの日記に時折触れますので、ちょっと頭の片隅に読んで頂けると嬉しいです。あっ! もちろん、どんどん「ダメ出し」も下さいね ・・・ということで、今日はネタ満載! 1週間分、一気にドン!(笑)1) 仕事のこと。2) 同僚男性とのこと。3) 新たなオハナシ。 (カミングアウトあり)4) ガリバーのこと。まずは1~3について。 1) 仕事のこと当初は、ビザ取得→渡米に向けて、仕事は年末まで、と会社に願い出ていました。それが大体、7月頃のお話。12月末で退職としたのには、いくつか理由があるから。1.新年度2008年で、区切りがよい。2.大きなプロジェクトが進行中だが、その頃には第2段階なので、引継ぎにも絶好のタイミング。3.Kビザ取得までの平均所要期間6ヶ月。 12月で仕事に区切りをつけると、1~2ヶ月ほど準備期間も取れる。(=親孝行もできる)ところが、2ヶ月が経過して状況が変わってきました。プロジェクトの進行が思わしくなく、12月の時点で引継ぎ完了はムズカシイ。さらには、ガリバーも私も書類収集に少し時間が掛かってしまい、ビザ申請日も少しズレ込んだので、取得→渡米は2008年1~2月くらいか、それ以降? わからない。でも、予定よりも少し時間が掛かりそう。こればかりは、領事館次第です。 (領事館さんよー 早く何とかしておくれ~)ということで、もうしばらく続投しようかな...と。会社からは少しでも長く、というありがたいオファーを頂いたし、何よりもギリギリまで働きたい。渡米資金はどれだけあっても困ることはないし、何よりも私自身、ここまで育ててもらった恩師(=上司)や同僚、そして部下に最大限の恩返しがしたい。(何故、ここまでの恩義があるかは、いつか書きたいと思っています。特別な理由があるのです。)ということで、ハッキリとするまでは、これまでどおりの生活を続ける予定です。この期間延長が何をもたらすかは…、これまた分かりません…(汗) 2)同僚男性とのこと先ほどの1とも重複しますが、同僚男性とのお話。(今日からは仮名Sさん)相も変わらず、今後について(1について)をカミングアウトすることなく、今日に至ります。仕事の話から、スモールトークまで。 ランチタイムは話が尽きません。今後も仕事上のパートナーとして、という関係を保てるのか?すべては私次第なんでしょう…ね今の心境、説明しづらいのですが、「彼から十分に仕事の援護を得たい」⇒「良好な関係づくりを」⇒「糸が絡まり、勘違いに気づき…」⇒消化不良を起こしている、という感じでしょうか? 話は反れますが、まだ若かった20代の私、周囲からの援護を積極的に利用し、ポジションを登りつめていった時代がありました。悪い言い方をすれば、時に同僚・上司とのチームワークを利用し、そこから成果を得て、(=踏み台にして) 自分の成果・報酬を得ていったというか...。 でも当時は、そうしなければ生き残っては行けなかった。女性が男性と台頭、もしくはそれ以上に評価を得るためには、手段を選んではいられませんでした。まさに 「生存競争」 とでも言うのでしょうか?今は、逆に 「追いかけられる」 立場にあるのは事実。ですが、最近はこれまでの援護に感謝し、周囲に出来るかぎりを分け与えたい、と考えるようになりました。 ある日、ふと、こんな気持ちの芽生えと、変化に気づいたのです自分の中にある「そんなに頑張っても仕方ないでしょ? もうすぐあなたはこの職場を去るのよ? ならば何故、そこまで彼の力を借りようとするの?」 という、気持ちの芽生え反面、未だ「退職の動きが本格化するまでは、悠長に構えている場合じゃないのかも。」 という気構えもある。そこが諸悪の根源なんですよね。2つの気持ちが葛藤し、「消化不良」 を起こし、Sさんに対してどっちつかずで、曖昧な行動を取っているのです いずれにせよ、これからも仕事でしっかりと成果を挙げられるようSさんには「私の方」 が援護するべきかな、と思っています。(←"オットコ前"になって欲しいし。) 但し、その不用意な優しさというか、行き過ぎから 「勘違い(間違い)」を起こさないように!と自身に言い聞かせて 大汗 仕事上のパートナーとは、 あくまでも理性、理性。彼にも、社会の中で勝ち抜いてもらいたいのに…、何か起こしちゃ、本も子もないものね。(苦笑) 3)そして、新たなる話これまた仕事絡みなのですが(←多いね)、一つ新たなカミングアウトをしますちょうどガリバーと知り合った頃といえば(ペンパルとして)、今以上に「仕事狂い」の毎日でしてw (←ちょっと~どんだけ~) 過労で、滞在先から救急車で運ばれる...という人生初体験をしたのも、ちょうどこの時期。 (←アホや~最悪~)実は… そんな時期に… 私を支えてくれた一人の男性がいるのです! 知り合ったばかりなので、それはガリバーではありません。彼は、私にとって、まさに 「戦友」 とも呼べる同僚。 (仮名Tさん)同期で、おなじ中間管理職です。彼の血の滲むような努力を見てきたし、彼も私の頑張りを最も理解し、応援してくれた人で、何せ20代からの付き合いなので、お互いの恋愛 「紆余曲折」 もよく知っています。恋心など、Tさんに感じたことはない、と断言したいけど、よき理解者として、他人には言えない事も打ち明けていたのは事実。そんな最悪な時期を脱出できたのも、彼のおかげだと思っています。やがて、ガリバーとの仲を真剣に考えるようになり、Tさんとはしばらくの間、距離を置くために連絡を取らずにいました。公的な場で顔を合わせる機会もありましたが、特に込み入った話などせず。Tさんと距離を置いていたのも、ガリバーと向き合うためでした。特にガリバーからコミットメントを受けてからは一切、邪念を排除しようと努めてきたはずが...つい先日、Tさんからいきなり電話をもらいました。 それは、そう。 先週あった会合の途中。思いつめたような様子のTさん。話し始めは、いつもどおり仕事の話でしたが、いつしか私的な部分に及びました。「どうなの?そろそろ何か(=この先)のこと、考えているの?」 とTさん。私は喉下まで 「ガリバーという男性と結婚する予定よ、来年渡米するのよ」 という言葉が出かけたけれど...言えなかった。 はぐらかしてしまいました。言い訳っぽくなっちゃうけど、場面は会合の途中。笑って冗談ぽく伝えることも出来ただろうけど、これまでのことを思うと、その場面ではとても言えなかった。その後、口から出た言葉は 「ごめん。戻るわね。(皆のところへ)」。 「わかった。がんばれよ。」 とTさん。 そして…電話を切りました。あぁ…なんてことを。 そして、今日。ガリバーと話しました。 いつになく真剣に…。《つづく》 *近日 「必ず」 更新しますっ。 ←前もってコミットメントしとこっ。
Sep 24, 2007
8月のハワイ滞在、最終日に空港まで送ってもらう道すがら、ガリバーは言った。「今度会うときは、ここで 僕の誕生日祝い の頃だね。」 そう、12月。 彼はまた私よりも1つ年上となる。私たちは8ヶ月違いだから、生まれ年こそ違えど、基本的には 「同い年」。お互い三十路ズ後半だから、ティーンエージャーだった80年代、聴いていた音楽、ファッション、当時話題となったニュース。 当然だけど、年齢差を全く感じない…。 彼と話していると、何だか時々、学生時代の同級生と話している気がする。 それぞれちがう国で育ったけど、もしも、世界にたった一つ学校があったなら、机を横にして、並んで座っていたかもしれない。彼と結託して、同級生にいたずらしたかもしれない。 先生のランチをこっそりと食べて一緒に叱られたかもしれない。先日のように、同窓会に顔を出し、仲良く昔の話で盛り上がりながら、自分たちの将来や互いのパートナーについて、語り合っていたかもしれない。 別の国に生まれ、異なる環境で育ったはずの私たちなのに… まだ明かしていなかったけど、ガリバーとの出会いに 「運命」 を感じる 4つ のエピソードがある。 1) まだ出会った頃、彼の家族の話を聞いていた時のこと。 なんと、彼の離別した父親と、私の母親の父、つまり私の祖父とが同じ職歴だと分かり、2人で 「うそぉ?ホントに?」 と驚いた。まったく異なる文化背景なのに、お互いの家族に同じ職歴...。しかも、それは特殊な職種なので、滅多に巡り会うことは…ない。 2) 彼は今でこそ自分でビジネスを手掛けているが、大学を卒業後、これまた私の父親と同じ職業に就いた経歴がある。私の父も、彼も とある同じ理系の職業だ。 この偶然もすごい。 言葉こそちがうので、私が通訳しながらではあったが、父とガリバーは、2人で仕事談義に花を咲かせていたし、意気投合する姿に、胸をほっとなで下ろしたことを今も覚えている。 3) 彼が私の実家を訪問したときのこと。私の幼い頃のアルバムをめくっていた彼が、ふと手を止めた。「!!」 「どうしたの?」 「ねぇ、Blueの両親も 昔、この車を持っていたの?」「あぁ、私が5歳の頃ね。197*年くらいよ。 ほら、写真にも日付が載っているでしょ? 何で?」「驚いたよ!僕の父もこの車が大好きでさ、乗っていたんだよ!当時は、まだ日本車は数が少なかったんだけど、どうしてもって探して購入したんだ! それが 同じ197*年だ。 ホントに?信じられないよ!」 早速、両親にその事実を伝えると、私の父親も同様に、探し見つけて購入したそうだ。小さな頃は、そこまでの話を聞いたことがなかったが、その事実は30数年ぶりにガリバーの出現とともに分かった。 これも単なる偶然なのだろうか? 4) そして、話は前後するが、彼を実家に連れて行ったときに母は、こう言った。「ちょっと、信じられない...。何だか 『お父さん』 にそっくり。」『お父さん』 とは...そう、前述の1)に出てきた私の母方の祖父のこと。母の亡くなった実父のことだ。 「えぇ?どういうこと?」 私は母の言葉の意味が、始めはよく分からなかった。時間が経つにつれ、母は懐かしそうな顔でガリバーを眺めている。母が言うには、ガリバーに初めて会ったとき、天国から自分の父がやってきたかのような錯覚を覚え、鳥肌が立ったのだという。 言うまでもなく、彼はれっきとしたアメリカ人。 初対面の日本人、しかも私の母からのよもやのコメントだった。 それを通訳すると、 彼は「僕も ここで 初めてお会いするとは思えません。お会いできて光栄です。」 と答えたのだった。 何故、ここまで不思議な偶然が重なるのだろう…? 私自身、よく分からない。。。 同窓会後、久々に実家を訪問した。 父の誕生日パーティを妹夫婦と企画したからだ。 前日の二日酔いが残るなか、プレゼントを買いにモールへ行った。プレゼントは...スニーカー 父は60歳半ばを過ぎているが、前職(2の話)を定年退職後、再就職。今も元気に仕事をしている。働き者の父。 最近は地域の仕事にも精力的に参加しているため、動きやすいスニーカーが欲しかったようだ。 と、ただ広いモールの中…示し合わせていないのに、なんと、妹夫婦と靴屋でばったりと遭遇した。これまた驚き。 母と妹夫婦の4人で、あれやこれやいいながら、30分かけて父にピッタリのスニーカーを選んだ。 その後、誕生日パーティのため、海鮮料理が食べられるお店を午後5時に予約。自宅に戻って、出かける支度をしていると、携帯電話が鳴った。 着信を見ると 「通知不可能」。 この表示といえば国際電話だ。 電話に出ると... ガリバー だった。「Hi. I would like to say "Happy Birthday” to your dad.」(きみのお父さんに 『お誕生日おめでとう』 が言いたいんだけどな。)「Sure.」 対面ならばまだしも、電話だと父とガリバーとの間で 会話は成立しない...。ただ、父は嬉しそうに 「オッケー!! 」 を連発していた。 言葉は通じずとも、気持ちがつながっているのだろうか? まったく英語がダメな父だが、彼が話していることが分かるようだった。 電話を代わってもらい、しばしガリバーと話す。ガリバー 「お父さんに 『12月は僕の誕生日だから、仕事の区切りがついたら、日本へ行く』 と伝えたよ。」私 「ちょっと、お父さん。 ガリバーが 12月にここへ来たいって。」父 「もちろん!オッケー!」(嬉) そう。 彼は現在、12月から仕事をお休みし、日本へ来ることを考えています。ビザ請願期間中、スポンサー側の渡航には問題がないから。。。どうなるか、あくまでも仕事の状況次第です。 その後、料理屋でも ガリバーの話題で持ち切りだった。父 「なぁ、どうだ、仕事の区切りはついたのか?」私 「...。」 どうしてかな…? 言葉が出てこない...。 《つづく》
Sep 18, 2007
9月も半ば。暑さも和らぎ、イベントには最適な時期。最近、お祝い事への招待が増えてきました。私、特に結婚式関連のご招待は、お断りしない主義でございます。たとえ、結婚式が一日2回 午前+午後+二次会でも、すべて参加しちゃう というのも、主催者側を思えば一世一代の晴れ姿その場で直接 「おめでとう」 の言葉を掛けることって、すごく大切だと思うのです。 そんな訳で…、日記の更新が侭ならぬ状況が続いておりますが、何卒ご了承の程を。。。 m(__)m さて、先週末の行事といえば、身内ネタを含みますが、1.学生時代の同級生(男子)の結婚式二次会パーティ。2.私の父の誕生日祝い。今回は、まず1.についてです。有り難いことに、30歳後半となって尚、学生時代の友人とは、男女問わず楽しくお付き合いさせて頂いております 学生時代の私といえば…かなりの 『おテンバ少女』 でして(笑)、ガキ大将 いや、「弱きを助け、強き憎む」タイプだったと思います。(そう信じてます) とはいえ、 いたずら...たくさんやりましたねぇ。。。 (ただ今、回想中...)修学旅行では男子と結託し、女子のお風呂覗きを幇助したり(←スミマセン)、先生の愛妻弁当を 手洗いに行っているスキに平らげたり、 (←ホントに先生ゴメンナサイ。 オトナになりました)、と武勇伝は数々あります おっと、話は戻りますが、今回会った友人たちは、そんな悪事の数々をすべて覚えている仲間たちでして…(汗) 話題は尽きません。結局、同級生の新郎と新婦(初対面)を交えて5次会まで続き...明け方まで飲み明かしマシタ(*前夜からほぼ徹夜の新郎新婦。 明け方まで飲み、そのまま新婚旅行。 ホントにおつかれでごじゃった) 途中、こんな話題で大盛り上がり。テーマは「同窓会など、旧友たちとの会合。パートナー(相方)の行動許容範囲」について。 メンバーの大半が「子育て真っ最中」でして、こうして、楽しい酒席に参加するため、女性陣はまさに1カ月がかりの準備です。実家や知人に子どもを預ける手筈を整え、出かける前に食事の準備+家事をすべて済ませるそれから、ようやく自分の身支度...それは、それは大変 ともすれば、主催者側に負けないくらいの「一大行事」でしょう。特に最近は、時間を決めてご主人が迎えに来るパターンが多くなったように思います。大きくなった「チビちゃんたち」が走り寄って来て、「ママ~」と呼ぶ。 そんな友人が「母親」へと戻る瞬間を見ると、時の流れを感じるんですよねぇ。。 一方、男性陣といえば、かなりお気楽な立場中には「明日は仕事~」といいつつ、思いっきり楽しんでいる輩も居ました。 女性陣の数が減り、ある男性の友人がいいました。「ねぇ嫁さんが同窓会に参加するって言ったら、何時までだったら許す?」 おおおーーっ、それは興味深い その答え...個々人でまったくちがいましたねぇ。 「別に何時でもいいんじゃない?」 という個人自由型、「俺が迎えに行く時間まで」 という旦那主導型、「電話だけは入れてもらって決める」 という奥様主導型さらには、夫婦間で 「出かけていいけど、これを許してね」 という夫婦対等交換条件型も多かったです。 私の周囲で 最も多かった回答は「奥様主導型」 へぇー意外にも、同級生男子は、奥様に対して寛大なんだ。。。ふむふむ。(というか、尻に敷かれてんのかな…(爆)あと個人自由型は、自分でビジネスをやっている男子に多し。 奥さまも独立主義の方なんでしょうね。 みなさんのパートナーは、いかがでしょう? どのタイプに当てはまりますか? 夫婦それぞれのカタチがあって、結構、面白いですよ。 そして、次はちょっと私の実態を曝け出すのですがお気楽シングルの私、しばしば友人・知人を自宅に招き入れ 「夜通し飲み会」 を開きます。(苦笑) 食事・飲み物は持ち寄り形式でして、徐々に帰れない友人もおり...そのまま私の家に宿泊することもざら。幸いにも部屋数はあるので、「雑魚寝スタイル」だったり、ソファをベッドにして別室で寝ます。あっ、シャワーも自由でございます。 ときどき 「タオルがない~」 と呼ばれることもあるので、届けますしね。えっ?この話ですか? えぇぇ...男女 「問わず」 でございます。 オドロキでしょう...か? えぇ?ダメですか…ね?他はどうか分かりませんが、同級生男子の奥さまたちは「Blueさん宅だったらOK」 という方が多いのです...(何故だろ?) そこで 「質問その2」 は、「三十路シングル異性(旧友)の自宅にて、皆で飲み会→そのまま宿泊はOKか?」これまた皆で大盛り上がり 男子はというと「もちろんOK」が大勢。理由は、「遅くに帰るくらいなら、身体を休めたい」が圧倒的でした。...「(お前にゃ)シタゴコロはないし」 だって(汗) まぁ、題材が私ですので、こんな結果かもしれません。(泣) 一方、女子はというと...主婦たちは 「ゼッタイにNO!」、シングルたちは「まぁOK」。 ここは2つに分かれました。主婦層は、家族の手前があるから。シングル女子は 「大勢ならば宿泊OK」らしい。 これはいかに?女性陣は全体的に、翌日の身支度を考えると、愛用の化粧品がないだとか、他人の物を借りるのに躊躇するからNoというのはあるようだけど、男子の「欲求優先」という考えよりも、「体裁を保つ傾向あり」。 ということで、結論としては、総じて男子は 「自分の行動には甘い(直感には勝てない)が、奥さまには厳しい」 ←こーゆー (ズルい)パターンが多い…。女子は 「主婦とシングルでは、世間体に対する見方が異なる。が、総じて自分の行動を客観的に判断する」とまぁ、かなり私見が入ったデータだったかな...? でも、いくつになっても何でも話せる友人は、何よりも大切です。(ゴメンよ、みんなの統計とっちゃったよ~) 帰り道、男性陣がこういいました。「なぁBlue、お前もそろそろ結婚しないのか? いつでも紹介するぞ...」「お前、誰か(付き合っている男性が)居るんだろ?」そうなんですよ。まだ半数にしか、ガリバーのことを伝えていなんです。(汗)何も勿体ぶっている訳じゃなくて…。ビザ申請中の今は、まだそのタイミングじゃないと思ってるからなんです。 その一方、その時機にカミングアウトしたら、大切な彼らと会える機会も残りわずか...のはず。そんな葛藤で一杯ですが...既に知っている仲間はなりゆきを見守ってくれています。 (心の叫び) みんな~次の結婚式二次会は、私のはずよ~~。もうちょっと待っててねぇーーー! 明け方、久々に実家を突撃訪問。(=寝床確保)二日酔いのなか、父親の誕生日会へと...つづく。 (ガリバー登場!)
Sep 17, 2007
今日は 「ビミョーなお話 2連発」突然ですが国際遠距離恋愛中のみなさん。 彼とは どのような頻度で連絡を取っていますか?メール・チャット、電話。 (私、これらを勝手に 『国際遠距離恋愛 三種の神器』と命名。(笑)それぞれを駆使して、日ごろ会えない時間を充実させていらっしゃいますよね週1-2回? それとも週3回? それ以上? …いかがですか? 連絡頻度は、カップルそれぞれの状況によって異なるでしょうが、私たちの場合、明らかに「頻度<密度」。(汗) 非常に偏っています。思い返せば、恋愛初期段階は「頻度>密度」だったけどなぁ。今日、ガリバーと朝11時から夕方4時くらいまで、ずっと電話で話していました一旦、コードレスの充電池が切れたときに通話時間を見たら、「180"06'」だったから、その時点で3時間。使えなくなった子機を横に、電話本機から さらに2時間。 合計5時間。。。一日の1/4を彼と共有できるのは、とっても嬉しい以前は平日に1回、日本時間16時~17時に私の携帯を中心に電話を掛け合う、それ以外はメール、そして週末に自宅の電話から掛け合うというペースだったけど、ビザの「すったもんだ」が本格化したことと、私が仕事の合間に電話を取る・かけるという努力を怠ったので(←汗)、そのペースは大きく乱れました。仕事中、特に会議の合間に、ジャケットに入れた携帯がブルブル震えると(サイレントモード)、集中できなくなっちゃうんです…あとからかけ直しても、なんだかこちらも焦っているから、彼も 「早く(仕事に)戻ったほうがいいよ」 と気を遣うことになるし…平日にゆっくりと話す…とはなかなか行かないですね。(寂) ハワイとは時差19時間。 つまり、日本時間+5時間-1日(24時間)だから、例えばこちらの朝7時=ハワイは正午といった感じでしょうか。この時差5時間(-1日)というのが、お互い「ビミョーな」時間差でして、「電話を掛けよう」そう頭の中を一瞬過ぎっても、仕事中などは気づけばいつも話す機会を逸しています。そんな流れから、最近はお互いに無理せず、休日にまとめて話すようになってきました。「頻度<密度」 「頻度=密度」 「頻度>密度」 これらバランス感覚。カップルそれぞれに お互いに無理をしないと感じる 「程よいバランス感覚」 が、あるのでしょうが、最近の私たちの「程よさ」といったら、人からすれば「ビミョー」かもしれません(^^;) また こんなことを書いちゃうと、マズイかな…。と思いつつ、「ビミョー」な話 その2。職場の同僚男性と私のお話です。同僚といっても、立場のちがいをあえて明確にすると、彼は他部署の部下でございます…実は、某企業の中間管理職の私…。企業トップや役員など、上からの圧力をまともに受けるし、下にとっては会社に対する不満・不安、はてまた個人的な相談役、時には皆を守るために矢面に立つ。 企業の中では、もっとも「ビミョーな」 立場であります。その彼は、もともとアメリカの大学卒。 アメリカ在住時、彼も近い所に住んでいたこと、そして同じ趣味(アウトドア)他部署ではあるが、仕事の連携を取る上で、必要不可欠な部署に所属しているなどなど、最近…急接近中なのです…。(カミングアウト)彼はまだ今後の予定や、ガリバーの存在を知りません。 今のところ、仕事は年末で終了予定ですが、現在、大きなプロジェクトが進行中。 それを全うした段階で、退職の意思を「公」にするつもりでいるので、それまで彼とは「仕事のパートナー」としても、よいチームワークを保っていたいんですよ…ね。そんなこんなで、彼とミーテイングを兼ね、一緒にランチに行く機会が増えたことが、事の発端。はじめは、食べながら仕事の話が中心でしたが、今や彼と話す仕事以外の話題が、ちょっぴり楽しみな私。 つかの間の「息抜き」のはずだったけど…次第にランチ後、仕事に戻ったあとも、互いの仕事ぶりを意識しているのが分かるのです。。。 さりげなくフォローしてしまったり、互いに目を配ったり…(こらこら)これは単なる「チームワーク」 の一線上? それだけで済むのかな。。。私、やっぱり「社内恋愛」が好きなのかしら…悲しいかな、一日の大半を職場で過ごし、仕事のあと 「ドキドキする」ようなトキメキ生活がないからでしょうねぇ。 まったく「私生活・公の生活」を 職場で「一緒」にしちゃいけません(←自粛自戒)ランチ・ミーティング、抱える大きなプロジェクトが生む 「ビミョー」な関係。 またもや マリッジブルー現象か?はてまた単なる仕事疲れの影響か!?日本に戻ってきて3週間。 ちょっと「寂しい病」に掛かっていると信じたい。それに…この 「ビミョー」 な話 その1と2は互いに影響していることも分かっているんだけどな…。 今後の私について、彼にカミングアウトする日、近し。 ホントにできるか?まずい、このままじゃ。。。 誰か…私を止めてください 後悔・懺悔する前に。(焦)
Sep 9, 2007
実は、今日はお休み(振替休日)。 めずらしく ゆっくりとした一日でした。 なので…、本日2つ目を書いてみます。(笑) 唐突ですが、ガリバーは「アレルギー性鼻炎」でして、涙目・鼻づまりがヒドイんです。しかも、くしゃみが半端なく デカイ。 へ、へ、へーーークション 一回じゃすまない。もういっちょ。 へークション! だいたい、いつも3回は出すな。。。昼間の活動時間ならば、まだ良いのですが、これが夜になるにつれ、段々と症状は悪化します。 夜中に突然、 へーーークション!! とやられるので、こちらもビックリして飛び起きることも…ある。 本人曰く、アメリカ本土に住んでいた頃は、然程ひどくはなかったそうで、ハワイに移住してから症状がよろしくないとか。 ちょっと、興味本位で 「アレルギー」の意味をWikipediaで引いてみた。アレルギー疾患 外部からの抗原に対し、免疫反応が起こる疾患。ただしその抗原は通常生活で曝露される量では無害であることが多く(たとえば春先の花粉そのものが毒性を持っているわけではない)、不必要に不快な結果をもたらす免疫応答が起こっているといえる。 アレルギー性疾患とも言う。 アレルギー疾患の例 アトピー性皮膚炎 アレルギー性鼻炎(花粉症)、アレルギー性結膜炎 アレルギー性胃腸炎 気管支喘息、小児喘息 食物アレルギー 薬物アレルギー 蕁麻疹(じんましん) 自己免疫疾患の例 リウマチ ちょっと、難しげなことが書いてあるけれど、上記はすべて 「アレルギー」に分類されるんですね。 へぇー知らなかった。。。それよか、蕁麻疹(じんましん)って漢字、私、書けませんよ。(汗) 話は戻りますが、いつもアレルギー性鼻炎に苦しむガリバー先日の滞在中、いつも服用している薬が無くなったときは、タイヘンでした。車を運転し、慌てて買いに行ったのですが、信号待ちの間もくしゃみが止まらない私が運転を買って出たけど 「大丈夫」 と、ファーマシーまで何とか持ち堪え、薬をゲット 症状が和らぎ、ホッとしました。 ところが、彼曰く 「もうこの薬じゃ効かないんだよ...。それに運転中に眠くなるし、よく効く薬ってないかな…。」 そんな私も、実は 「アレルギー性鼻炎の症状あり」 でして。時々、症状がひどいときに服用している薬といえば 「漢方薬」。同じ症状でも、私たちは普段から何気なく、東洋医学に頼っているんですよね。(気づかなかった…) 「そっか...日本ならば『漢方薬』(Chinese herb medicine)があるわよ。今度、持ってくるわね。」という会話をしたのを覚えていました。 そして、昨日の電話相変わらず 「へクション!」 がひどく、会話が途切れがち。 こりゃいかん。 もはや限界 そんなガリバーの様子を察し、今日は早速、漢方薬局を訪ねました。 ここにいない本人に代わって、漢方薬剤師さんに症状を話してみると、こんなお話。「あぁ。アレルギー性鼻炎の方は、お薬を飲んでいる期間中、ゼッタイにお酒は良くないですよー。」と。 知らなかった。。。 私たちから、それを奪ったら... 楽しみ半減(涙) (どんだけ 飲んでんねん) 説明を受けたのち、適切な生薬を出してもらいました。 7日分で 3,765円ナリ。 ついでに私の常備薬「センナ」(お食事中の方、すみません。便秘薬でゴザイマス)と併せて、市販売りの生薬の鼻炎薬(錠剤)も購入し(←ガリバー用)、その足で郵便局へ向かいました。 最近、やたらとご縁がある 「EMS国際郵便パック」。窓口の局員さんが Invoiceの項目を見て言いました。「漢方ですか...えぇっと...送れるかな...アメリカですよねぇ」「・・・ダメでしょうか?」調べて頂くと、薬品はものによっては「郵送禁制品」にあたる?か、もしくは郵送許可申請書が必要らしいです。「漢方」ってのが、微妙なのですが(漢方もお薬の一種だが、見方によっては「ハーブ」なので)、結局 「大丈夫だと思いますけど…(補償はできません)」 という局員さんの言葉を信じて送りました。 本当に届くかな…?いまだ半信半疑です。 ボソッとその職員が仰ったのが、「オーストラリアはハーブを輸入できない」という一言。それが生花なのか? 乾燥したハーブが不可なのかは定かではありませんが。。。(ご存知の方いらっしゃれば、是非教えてください。m(__)m ) こうして、取りあえず郵送完了。 EMSならば郵送追跡もできるので、3~4日届くかどうか待ってみます。 これでガリバーのアレルギー性鼻炎の症状が、軽くなるといいな。。。 少しでも「ヘックション」が緩和され、ビックリする回数が減少するよう、願う私でした。(笑) 今にも耳元で… ヘックション! が聞こえてきそうです。。。 今頃、ガリバー本人が噂しているのかな…(爆)
Sep 3, 2007
昨夜、何気なくテレビをつけていたら、フジ系の「プレミアA」という報道ドキュメンタリー番組で、実に興味深い内容を取り上げていました。(日本在住の方は、ご覧になった方もいらっしゃると思いますが)タイトルは「一万通の恋文」沖縄県コザ在住、73歳の男性。 その方は小さな翻訳会社を長年営んでいるのですが、これまで日本に駐留する米兵と、日本人女性との間で取り交わされる「恋文」の翻訳依頼を受けるうち、約40年間に亘ってたくさんの恋仲を取り持ってきた、というお話です。1970年代初頭、当時の沖縄米軍基地には、ベトナム戦争へ派遣される米兵が数多く駐屯しており、彼らは戦場へ向かう恐怖感と常に隣り合わせ、これから待ち受ける現実との狭間を生きていました。一方、当時の沖縄、まだ豊かな暮らしとはいえない時代を生きる日本人女性たち。いつ戻るとも知れぬ米兵と日本人女性は恋に落ち、たくさんのカップルの間で「恋文」がやり取りされ、男性のもとに翻訳の依頼が来ていたそうです。当時、戦場から送られてくる手紙の中には、泥がついた状態で戦場の第一線を窺わせるものや、日本人女性から持ち込まれる恋文のなかには、戦場での死を告げるものもあったそうで。その男性翻訳者は仰っていました。数ある翻訳依頼の中でも、「恋文を翻訳するのが、一番難しい」 と。文面からは読み取ることができない、お互いの感情をどう表現したらよいのか?時には依頼に来た人の状況や性質などを踏まえ、意訳に当たったそうです。当時の再現VTRとして、愛する人へ恋文を作成するため、翻訳者に向かって、その場で 「自分の気持ちを言葉に乗せる」 日本人女性を映していました。時にはその人の立場に立って「こう表現したほうが、もっと彼に気持ちが伝わるよ。」と助言しながら翻訳タイプしたり、直接、相談に訪れる日米カップルに対し、結婚・出産などのアドバイスをするうちに行政書士の資格を取得。 そうするうち、ビザや結婚申請書類の手続き代行を始めるなど、日米カップルの駆け込み寺、いつしか「国際(遠距離)恋愛相談所」 と化していったようです。 とある沖縄県在住の日本人女性76歳。 その方も当時、米兵と恋に落ち、男性翻訳者のもとを訪れていたうちの一人です。女性はやがて女児を出産。 ところがその後、彼はベトナムへ派遣され、終戦とともに音信不通に。数年後、彼はニューヨークに戻ったことが判明しましたが、当時といえば、高額な渡米の資金、そして子どもの養育のこともあり、路頭に迷う、その女性。そこで、女性は男性のもとへ相談に訪れたのですが、「がんばりなさい」の言葉を受けて、渡米を決意。 彼のサポートを受けて、パスポートを取得しました。 恋人が待つとも知れぬ、ニューヨークに向けて出発。 そして、...ジョン・F・ケネディ空港到着。 そこには...愛する恋人が女性を待っており...ついに 彼と再会! 76歳になった日本人女性は、今もそのアメリカ人男性と幸せな人生を歩んでいるそうです。 この番組を見て、たくさんの感想を持ちました。 「一昔前の国際遠距離恋愛」環境面では、今でこそメールにチャット、 国際電話でさえ、オペレーターを介さずダイレクトに繋がること自体、恵まれていること。そして今や、国際結婚に対し、ほぼ偏見もないご時勢。 海の外に恋人がいたり、結婚する相手の国籍がちがっていても、周囲からの反応は当時ほど厳しくはない世の中を生きています。人を愛する気持ちは、どの時代であれ変わらないのにね。 あの時代を生きた女性たちは強い。女性として生まれたからには、「柔軟さ」は必要だけど、「か弱さ」とはちがう。今は、溢れるほどの選択肢があるけれど、何かに甘え、何かに依存するばかりではなく、現代を生きる私たちにも「人生を切り拓く」ことへの力強さは必要だと思うのです。以前にも書いたけど、私たちは恵まれた時代を生き、恋愛しているんだな...ということを改めて感じます。当時と較べて選択肢に恵まれているけれど、「こういう道を歩む」 というビジョンは持っていたい。特にこれから異国で暮らす覚悟があるならば、尚更そう在りたい、と思う私でした。 そして、「戦争が齎す悲劇」。まもなく、あの悪夢のような 「9.11」 がやって来ます。あの日を境に、何かが変わった現代社会。愛する人との愛おしい日々をも犠牲にし、戦場の第一線に派遣される兵士は、今なお、世界に沢山いるというのも事実。あのベトナム戦争から学んだ教訓は活かされているのか? 湾岸戦争は?話はちがいますが、今年の夏、ハワイ滞在期間中に彼とこんな話をしました。その日は8月15日。 終戦記念日。たった60数年前、「かの地」 を切欠に起きた「あの惨劇」を忘れちゃならないよね...ということを。こうして、重ねた歴史の数々が、現代を生きる我々の生活を豊かにしてくれているんだ、そして、私たちが歩む道のりも、次の世代に繋がっているんだ、ということにも気づきました。 ちょっと、生意気でしたかね人生は一度きり。 最近、自分の歩む道について、考えることが多くなってきました。 これも「歳」を取ったせいでしょうか...ね (苦笑)
Sep 3, 2007
以前にも書きましたが、現在、K1ビザ取得(婚約ビザ)のため、かつて私が米国駐在員だった時、同じオフィスビルにいらした日本人弁護士 (今後、A先生と呼びます) にビザ申請準備をお願いしております。 (話の経緯はこちら) 思い返せば、あれはすでに10年ほど前。突然、アメリカ本土にある支局勤務を命ぜられ、知人・友人はほとんどナシ。仕事場には、アメリカ人スタッフと日本人は私のみ。業務内容は 「支局の立ち上げ」 でして、当時、アメリカの法律、土地勘など、仕事上、必要な知識は皆無。(泣)無謀極まりない会社からの指示に戸惑うものの、こちらの状況が分かり、言葉の壁なく相談できる相手が周囲におらず、心細い毎日でした。ある日、オフィス内のコピールームにいると…アジア人男性が廊下を歩いていくのが見えました。「おっ! アジア人が 同じフロアで働いているんだ。。。どこのスイート(部屋)だろう・・・」そして2回目、 ティールームで遭遇。その時、一人の女性が 日本人男性の名前を呼んだのです。 「 」振り向きざま、彼女と会話を交わしたのが…当時のA先生。「うぉーーーっ!日本人だぁーー」それから、A先生との交流が始まりました。当時、先生はまだ若く、しかも独身。 日本の大学を卒業後、アメリカの大学院へ進学→BARを取得した後、いくつかアメリカ国内の弁護士事務所に勤務。 キャリアを積んで独立し、個人事務所を設立したばかりでした。 事務所の所在地、つまり、私たちのオフィスビルの場所は「シンジラレナーイ!」 くらいの レント+立地 です。 私など 「お気楽 駐在員」 でしたが、A先生は、まさに 「ヤンエグ」 いや 「アメリカン・ドリーム」 を掴んだ日本人男性。(↑ヤンエグって死語? 深夜に悪い行動をする ”お兄チャン” のことじゃありませんよ(笑) えっ? A先生に憧れたでしょ? ですって? そ、そ、そりゃぁーまぁ… 一時は…ね。 (←カミングアウト)だって、言葉に支障がない上、仕事についても話ができる存在でしたから。。。 うちのアメリカ人社員たちに「ねェ~Blueさぁー A先生にデート申し込んだら?」 なんて、からかう輩もいましたよ。 確かにもっと「私的」にお近づきになっていたら、今の私はなかったかも…(当時の恋愛事情といえば、こんな感じ) (↑う~ん、残念だぁっ)私が帰国して2年ほど経った頃、風の噂で ご結婚された と聞きました。 コホン (咳)話は本題に戻りますが、そんな訳でA先生は、心置きなく私たちのビザ申請をお願いできる方なのです。これまで送るよう、指示があった書類といえば、 1.I-129F (ビザ嘆願書) 米国市民+婚約者連名で1通。 2.G-325A 米国市民と婚約者 各1通。 3.証明写真(パスポートサイズ) 米国市民と婚約者 各1通ずつ。 →裏にローマ字で記入。白地無背景。4.米国市民の証明書 米国パスポートでも可。 5.外国人婚約者の出生証明書 戸籍抄本など。6.離婚証明書(Certified copy of divorce decree) →再婚の場合。裁判所で入手。7.結婚の意思を証明するもの a.知り合った経緯を詳細に…いつ、どこで、どのように知り合ったのか? b.これまでの交際を証明するもの…二人の写真、Eメール、航空チケットやプレゼントを贈った際の郵送証明など。 たしかに婚約ビザを取得する方ならば、上記の書類収集→提出は、当たり前の過程なのですが…。うぅっっ これは想定していなかった。「7番のa・b」 そうなの... なんと! 先生に私たち二人のラブレターを見て頂かなければならないんです… は、は、恥ずかしいーーーーっ 自分のラブレターを学校の廊下に落っことして、クラスの男子に見られたー(爆)、って感じでしょうか。真面目に() 仕事をしていた当時。 「仕事上の知り合い」 で終わってしまったからこそ、恥ずかしいのです。。。(ってことは、私、それ以上を望んでいたってこと?! まぁいいわ) 10年近く経って、こんなご縁になるとは思わなかった… 先生に送った、USCISへ提出するEメールの一部。もう恥ずかしさはないので、ここに載せます。《知り合った頃のEメール》I am very glad to hear back from you. I had not heard back from you in a while. I think you are a very kind person. I hope we can know each other better in the future.(君から返事が来て、とっても嬉しいよ。しばらく来なかったし。君はとっても優しい人だね。 これからお互いを もっとよく知ることができたらいいですね。) ←初々しぃ~い 《ちょっと前のメール / ガリバー日本滞在後》 Being with you last week was so awesome. Just got to make it for another four or five months. Love you,(君と一緒に居た先週は、ほんとうに良かったよ。(一緒になるまでに)あと4ヶ月か5ヶ月くらいだね。愛しているよ。) ←「…(照)」 どひゃーすみません ノロケることが本来ではなく、お伝えしたかったのは、こんな恥ずかしいメールまで 「結婚に向けての証明書類」の一部。 それだけならいいの。移民局の職員に見られるだけだし、彼らも 「見飽きている」 だろうから、別にどうってことないんだけど…知り合いにラブレターを見られるなんて、考えもしなかったってことなのです。先ほど、彼とも話していました「知り合いに自分たちのメールを読まれるなんて、ちょっと恥ずかしいよね」 と。 でもガリバー曰く 「これも一緒になるためのステップなんだからさ、仕方ないよ。 A先生は、Blueの知人だからこそ、僕たちのために誠実に関わってくれる筈だよ。僕らの気持ちがA先生にも伝わったんじゃないかな?」。 ハイ…そうです。 ガリバーの言うとおりですよね 長い長~い、ビザ取得のプロセス。 A先生という、スーパーマンのような力強い「助っ人」のサポートを受け、現在も進行中。。。 因みに、昔の先生とのエピソード…先日、彼のところへ行った際に 「カミングアウト」済み。 それを話したら… 苦笑いしておりました(汗) (すでに時効。。。許してケロ…)
Sep 2, 2007
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