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稲刈り再開。それにしても秋の気配である。空が高く薄い雲が広く張り出している。夏の雲もいいが、秋はなんかほっとする。ひなたぼっこしたい日差しなんだ。気温がさがり太陽が本来の優しさで微笑んでくれる季節になった。夏はちょっと遠慮したい。私はどちらかと言えば「春」が好きなんだが、次に好きなのが「秋」そして「冬」最後に「夏」となる。といったって「夏」には沢山恩恵を受けているんだが・・・。まれに冷夏がやってくるとありがたみが判る。さて10年も前は、コンバインで収穫したモミはナイロンの袋に入れてそれを何十袋もトラクターに繋いだトレーラーに積んで家路に着いたものだ。この瞬間が楽しかった。妻にトラクターを運転して貰うと、自分はモミ袋の山の上に仰向けに寝っ転がって夕暮れ星を見ながら揺られながら走っていく。あの気持ちは今も覚えている。きっとあの感覚は収穫の喜びであり労働の心地良い疲れだったんじゃないかと思う。1日の終わりに束を携えて家に帰る農夫の喜びは、一生懸命汗と涙を流した苦労が報われたからなのだろう。「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。」詩編126:5.6
2005年09月30日
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今日はジュース発送日。200箱の段ボールを造り梱包。どうにか午前中に終了した。無事間違いなく届いて、そして喜ばれると嬉しい。「あぁ終わったぁ」と解放感に浸ろうとしていると誰かの「玄米餅の注文取らなきゃね!」。そう、もう次の仕事の計画を立てる時期に来ていたのだ。「おいおい。本業はどうするの?」って感じだが、今日は昼寝して夕方からお風呂の予定。「自分にご褒美」簡単にご褒美してしまう方だが、まぁいいだろう!今日の所は。いつもの温泉に入るが、今日はまるで晩秋のような感じで露天風呂は寒い。本格的な温泉シーズンである。風呂をあがるとテレビで「世界の中心で愛を叫ぶ」が始まった。ドラマ版も良かったが、映画もいいなぁ。こっちがオリジナルだから当然か。人の死と心の問題。先立つものと残される者。もし自分がそれぞれの立場だったらどんな言葉を態度を残すのだろう?「愛するとは」、「生きるとは」を考えさせられた。
2005年09月29日
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朝いつものごとくモミを出荷する。今日はジュースの発送準備の詰めの日。私、せっぱ詰まって性能を出すタイプ。注文の集計は終わっているので販売ソフトの入力、書類作成、伝票打ち出しと複数の仕事がある。たまに手作業の方が早いのかもとともってしまう時もあるが、きっとそんな事はない。手書きでやった事がないから「隣の芝生」的に思うのかも。「IloveU」や「apbank fes05」を聴きながらだが、「Worlds end」は確かにいいが「靴ひも」もかなりいい!そして最近の一番は「プロポーズ」。apbankfes05ではじめて聴いたのだが、「僕の街に大きな公園があるよ」ってはじまるなんて憎いよね。でもまだオリジナルは聴いていない。はやくKANのを聴いてみたい。ちなみに桜井が歌ってるほうでは「野球場」が「サッカー場」、「アルトサキソフォン」が「テナーサキソフォン」と歌詞が変えられているようだ。これホントにお勧め曲!お気に入りの歌をwinamp(mp3ソフト)のリストに入れておくが、こんな時はノリがいい曲が能率も上がっていいんってもんなんだが・・・。
2005年09月28日
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朝、乾燥機のモミを出荷したあと、今日は稲刈り。久慈川を超えて我が「ブーミン号」は行く。(急に名付けてみた。)ここら辺も稲刈りは7割方終わっている。ブーミン号は5年くらい使っているのであちこちが痛んできて修理を重ねて使っている。今年の稲刈りが始まってすぐにチェーンが切れたので新品に交換し調子よいはずだったが、スピードをあげると最後のワラをカットする所でワラつまりを起こす。チェーンが伸びていたので詰めた。クルーザーのごとく「ブーミン号」が黄金色の海原を突き進む。他がどんなに良くても一カ所調子が悪いと全体の能率が落ちる。だから弱いところを直してそこを強化する事で全体の能率も上がるのだ。教訓だな。神様も弱い人を思い計ってくださるから倒れたままにならず、むしろその弱さがあったゆえに強くされて、同じ苦しみの中にある人の支えになれるのだ。神様にある弱さは自分にも周りの人にも益となるのだろう。そんなクリスチャンが増える事を祈っている。
2005年09月27日
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昨日の雨もあって今日はどうするか考える。仕事はお休み。本屋に行ったりまたジュース発送の準備などしながら過ごす。さて、借りていた「青空クリニック」の話。結論から言ってしまえば、中身の濃いそして現実に即した内容だったと思う。なにより主人公の成長していく様が興味深い。忙しすぎて機械的になっていた医師が離島の診療所で働く事で人間性を取り戻していく。不十分な設備や偏見もある。でもここにしかない安らぎも感じ、いろんなエピソードを通して主人公がしだいに前向きに成長していくのに、私も嬉しくなった。この作者深いところを付いているなぁと思う。私が日頃自分にも周りにも思うのは、「変われる勇気」である。先生と言われる職業に就いている人は特にこの「変われる」ことは大事な点である。いや先生でなくとも人間死ぬまで「変化」・・・「成長」していくことが大事だと思う。もちろん変わっては行けない「自分の信条」もあるが、それ以外は「変われない」ほどこだわるものなどないのだと思う。案外自分のプライドが「成長」の邪魔をするのだと思う。学歴や経験、持ち物・・・そんなプライドはいったん横に置いて「成長」できる自分を見つけられたらいいと思う。ミスチルの「天頂バス」という詩の歌詞に「望んでいればいつまででも成長期」というフレーズがある。まさにミスター「チルドレン」。9/17の礼拝メッセージの「一生青春」にあるように、良い事も望ましくない事も吸収して成長していく自分でありたい。
2005年09月26日
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ブラジルGPはスカパーで00:50~(確か)、地上波は2:50~であまり恩恵を感じられない時期だ。結局朝起きてダイジェストで見ておしまいにした。ライコネンが予選で失敗し、モントヤ、アロンソのフロントロー。ピットで抜かしてモントヤを先頭にマクラーレン1ー2でゴール。アロンソが3位に入ってドライバーズタイトルを獲得した。しかも歴代最年少記録付きである。アロンソの精彩さと年齢にそぐわない熟練者のような確実な点取力には驚く。次世代のチャンピオンライバルの1人であろう。そしてライコネンの敗因はマクラーレンの総合力がルノーより落ちていたといわざるをえないだろう。ルノーは自チームの強さも弱さも知りながらそれに合わせた戦略をとって、決してNO.1のマシンではないが優勝をもぎ取った。拍手である。さて、残る2戦は純粋にチームの戦いとなるので、別な楽しみがある。マクラーレンが鈴鹿で勝つのか?リスクを避けてきたアロンソが解放されてどういう走りを見せるのか?調子を取り戻しつつあるミハエルが来るかも知れない。鈴鹿では、雨の降り具合によっては、ブリジストン・シューマッハが優勝の可能性もある。どちらにしても予選の重要性は大きいだろう。今度は地上波リアルタイムのようだ。もはやスカパーのメリットがないじゃん!
2005年09月25日
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昨日から台風が東よりを通過するので風が強い。途中から雨も降ってきた。そんななかで巨峰のジュース造りが始まった。ブドウの実をつぶしながら房からもぎ取る機械の能率が悪い。見ると大きいものになるとゴルフボールなみに大きいのでなかなか機械に入っていかないのだ。「ブドウじゃなくてあんずかぁ!」と言いながら押し込む。皮も厚く煮るのにも時間がかかるので今日の午前中は小休止が結構あった。美味しい昼食をすませて午後瓶詰め作業に移る。小学生も手伝いに来てくれてサンキュー!いつもの時刻に順調に作業は終了した。全てを導いてくださった神様に感謝である。そして皆さんのご奉仕に感謝である。合計4回のジュース造りであるが、暑い中から一生懸命働いてくださった。この労を神様は覚えられていてくださるだろう。そして子供達が三育小学校で過ごす事で、心豊かにそれぞれの個性が活かされすばらしい人生の基礎を築いてほしいと思う。
2005年09月25日
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今日の礼拝メッセージはYさんでまた期待していた。「ぽっかぽか」という題からしてコミックの話が出てくるとは思ったが、まさか導入に「ドラえもん」で来るとは読み切れなかったなぁ。4次元ポケットのアイテムの話から、1・2年生が考えたアイテムの紹介があり楽しかった。子供達もきっと目を輝かしながら最後まで聞く事が出来たと思う。「ぽっかぽか」の話。定年を迎えた後の仲の良い両親が、別居を始めた。それは老後いつかどちらかが一人きりになるのだから、別居して1人でも生きていけるようにシュミレーションしようという。しばらくあと「相手がなくなったらそれは凍った冬のようなもので、冬から春になるように失った悲しみも薄れて良い思い出を懐かしみながら生きていくと思えたら気持ちが楽になったよ」と子供達に言う。Yさんは「でもこの老夫婦と私達との違いは、私達には1人になったとしても神様がいる。しかも「あなたの悲しみを知っている」と言われる神様が、平安を与えてくださる。」と話された。最後に「このイエス様を信じているからこそ心が『ぽっかぽか』になる。」と結んだ言葉が心に残った。
2005年09月24日
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今日も稲刈り。本当に台風が近づいてきた。稲刈り後に大雨が降ると稲ワラが浮いて他の田んぼに流れていって迷惑をかけるので、妻にトラクターで田んぼの耕起作業を依頼する。順調に刈り取っていたがお昼過ぎにはパラパラ雨が降り出した。天気予報では18時から小雨のハズが・・・こんな時の見極めが難しい。そのまま刈り続けるのか?はたまた切り上げるのか?空が明るくなるのを信じて刈り続けるとしだいに止んできた。今回は続けて正解だったようだ。無事に目的の面積を刈り終えて家路についた。台風が東にそれてあまり影響がないとうれしい。土日は雨でしかも日曜日はジュース造りの最終日。うまく稲刈りとかぶらなかったのもラッキーだった。今のところ来週は天気がいいようで仕事も進む事だろう。ありがたい。《ブレイクタイム》ということで、先週末から沖縄旅行してきた妻に撮ってもらった写真を公開していこうと思う。
2005年09月23日
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稲刈りが続いている。朝乾燥の終わったモミをライスセンターに運び乾燥機を空けてから、今日の稲刈りを始める。稲が倒れたところは、条がわからない中を微かな列を見極めて刈っていく。上手く行く時もあれば2,3条ずれながら刈っている事もある。(きっと稲刈りの仕方も千差万別なんだろうなぁ。)ずれてしまったときすぐに次の回で直すのもいい。でも最近はずれていても構わない。ずれながらも刈っていれば最後には刈り終わるのだから。そういえば私の祖父が、私が道を間違えた時によく言っていたっけ!「大丈夫!道はつながっているんだから・・・!」と。しかし日が短くなってきたなぁ。なんか温泉が恋しい季節だ。
2005年09月22日
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と言う事で「どんな事も感謝する」ことにしているが、今日はここからがすごい事になる。祈祷会の前に倉庫の乾燥機(コメ)に火を入れた。ハズだった。満足して祈祷会から帰ってきて様子を見に行くと、倉庫の床に1.5m位の高さで円錐状にモミが広がっている。なんと、暗い中で間違えて「排出スイッチ」を押してしまったのだ。「なんで!・・・・」という気持ちだったが、すぐに「まてよ!ここは感謝だろう!」ということで「感謝します!」と言ってみる。なんとタイムリーにミスチルのニューアルバム「I love U」も今日届いたじゃないか。22:00くらいから2時間弱かけてスコップで乾燥機に入れ直した。「ダイエットにもなるし、なかなかこんな経験できないぜ!ブログにもかけるし、今日は熟睡だぜ!」とか考えながら、ミスチルを聞きながら作業は終了した。いろんなことが起こっても感謝してみると案外おもしろい!
2005年09月21日
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稲刈りを終えて祈祷会に出席する。今日の聖書箇所はルカ9:28~62牧師は研修で不在。いつもより少ない人数だが結局いつもより遅くまで話し込んでしまった。(お祈りの後も)いつものごとく2つ書いてみるさて、37節から。イエス様が悪霊に憑かれた子から悪霊を追い出した話がある。その子の親はイエス様がいなかったので「弟子にお願いしたらできなかった」と言う。しかし49節にはイエス様の弟子でもない人が勝手に「イエス様の名で悪霊を追い出している」と書かれていた。そこで弟子の1人が「私がやめさせました」と言うと、イエス様はそれを「やめさせないがよい」と認められるのだ。不思議である。ここで一つの考えが浮かんだ。 46節にあるように、弟子達は「彼らの内で誰が一番偉いだろうかと言う事で議論」していたのである。イエス様の気持ちを理解しないで「一番になる事を争っている」ものが、悪霊を追い出したりは出来ないと言う事。 逆に弟子でなくとも、自分に頼らずイエス様を信じて『イエスの名』で命じたから、悪霊を追い出す事が出来たのではないかと思うのである。 そして神様(イエス様)は私達の勝手な信仰であっても真剣なら、受け入れて認めてくださるお方だということ。こんなに懐の深い神様がいるのだ。嬉しくなってくる。 もう一つは30節。映画「十戒」でも有名なモーセが出てくる。ネボ山で死んだあのモーセである。死んだ後特別にすぐに天国に連れて行かれたモーセは神様を信じて死んだ者の「報い」を表している。 失敗もある。不公平もあるのが人生だが、与えられた場所で与えられたものを感謝して精一杯生きるなら必ず「報い」があるというのが聖書の教えだと思う。
2005年09月21日
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稲刈りが始まった。始めるのが昨年より一週間以上遅れている。ある日誰かが稲刈りを始めると、まるで合図の笛を「ピィー」と吹いたかのように、一斉に始まる。今年は「まだ穂に青いのが多いのに・・・」と検査員も話していたが、「もうどうにも止まらない」感じである。ゆっくり刈ろうっと。でも台風が来るのも計算に入れないといけないし・・・実際には難しい。後悔先に立たずである。
2005年09月20日
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「なんどでも、なんどでも僕は生まれ変わっていく ・・・そうだ、まだやりかけの未来がある。」ミスチルのこの歌詞は桜井さんがリチャードギアのコメントに触発されて作られたという。この曲を聴くと「脱皮」のイメージが湧く。昨日の自分を脱ぎ捨てて今日も新しい自分を生きるのだ。「毎日新しい自分を生きている」と、思えたら幸せである。昨日の失敗も成功も一度リセットして一度しかない今日をフレッシュに生きる。そして、明日の心配をして今日を生きるのでなく、今日すべき事をしっかりやる。よし、今日も頑張るぞ!聖書の言葉「 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイ6:34)
2005年09月19日
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息子は地理が苦手だという。夏にキャンプ場に行く車の中で日本の地理クイズをした。日本くらいだったらまだ私でも大体分かるが、遠いところほどあやふやなものである。九州・四国あたりはあやしいものだ。県の形になると更に難しい。最近興味があって見ているソフトに「GoogleEarth」がある。地図サービスなのだが、これは驚きのすごさなのである。衛星写真をストリーミングで見るのであるが、最大望遠にすると駐車場の車の形まで分かる程である。これで興味のある場所までひとっ飛びするのだが、地理に詳しい人でなければ目標物がなかなか見つからない。あとで国境表示させるボタンがあるのに気づいた。さて、「ナスカの地上絵」「バチカン宮殿」「エベレスト」「ロマリンダ」「イスラエル」「ニューオリンズ」等、を捜してみる。エベレストがなかなかみつからない。3D表示で高いところを探す。「向きによって名前が変わるのか?こってるなぁ。」「おいおい中国はどれだけでかいんだ。」とか言いながらしばらくはまってしまう。これ有料サービスだと、リアルタイムなのかなぁ?海外に住んでいる知人の家をチェックして「今、車が動き出したから買い物かなぁ」とか、なるんだろうか?悪用されると怖いってこともいえるな。映画「エネミー・オブ・アメリカ」を思い出した。しかしこいつは使えるソフトだ。勉強に、実務に、いろんな業種で役に立つのでは無いかと思う。しかし便利な世の中になったものである。以下にリンクを張りました。http://earth.google.com/
2005年09月18日
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夜、「APbank fes05」の3時間番組を観る。もちろんプロジェクターである。bankband、ゲスト、Mr.Children合わせて全部で19曲を聞く事が出来た。apbankfesのHP以下からhttp://www.apbank.jp/fes05/index2.htmlそして曲の間にこのfesの意義を小林、桜井両名が語ると共に、どんな活動をしているのか?「eco」とはなんなのか?をいろんな人が話していた。最後に編集されて3日間の全参加者による「toU」は、上手くできていた。そして終わったあと、結構な時間をこのfesに参加した人の「コメント」に使っていて、それがまた良かった。それぞれに「何か」を感じ良い環境を残すために自分に何が出来るのかを語っていた。GakuMCのラップ「昨日のOhNO!、明日のYES!変えるのは君です。君なのです。こけるのは何度だって構わないのです。」というメッセージ、本当にそう思った。環境も社会も変えていくのは「君」なのだ!その証拠にホワイトバンドをしている人が多くなってきた。「変えよう!」とする人はかなりいる。でも本当は数も関係ない。「やるか、やらないか?」は「君」の気持ち次第なのだ。「環境も社会も良くしていきたい」と思う気持ちを表していく事は実は自分にとって「嬉しくて楽しい事」なのだから・・・
2005年09月17日
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今日の教会プログラムは盛りだくさんだ。洗足・聖餐式+敬老会である。礼拝メッセージは「一生青春」という題でF牧師が話された。「青春」(サミュエル・ウルマン作/岡田義夫訳)という詩を引用された。 青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、 安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。 歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。 苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年 月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。 年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。 曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる 事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く 求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。 人は自信と共に若く 失望と共に老ゆる。 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして 偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。 これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、 皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ私もいつの間にか「若さを無くしてはいまいか」と自分の胸に尋ねてみる。午後は敬老会。青春時代の写真を大きなスクリーンに映し出してその頃のお話をお聞きする。楽しくも充実したお祝いの時となった。年を重ねても、なお感謝しながら教会で奉仕されている先輩方に拍手である。
2005年09月17日
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この写真じつはもう3年くらい前のレインボークラブ(アウトドアクラブみたいな)で、ハイキングに行ったとき見つけた木である。場所は茨城県高萩市から旧里美村へかけて花貫渓谷があるがそこから「土岳」に登るハイキングコースである。この日は梅雨の曇り空で途中林の中で休憩していると遠くで雷がなり、雨がポツリポツリ降ってきてあわてて引き返した事を思い出す。しかしこのおもしろい木に出会った。ここの山を管理している人にどうしてこうなったのか聞いてみたいものだ。でも、この木「おまえさん!人生すてたもんじゃないよ。」って言ってる感じがしない?
2005年09月16日
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もうずいぶん昔、長男がまだ4、5歳の頃だと思う。いつものように一緒にお風呂に入っていると「おとうさん、ぼくもいつか死ぬの?」と、不意に質問された。私はクリスチャンである。だから「死」についてもある程度理解してはいるつもりだった。でもこの小さな息子の口からこう言われて、「この子もいつか死ぬんだ!」と考えるとやりきれない気持ちになった。さて、なぜ息子のこの言葉を思い出したかというと、夏の24時間テレビで観た方も多いと思うが「小さな運転士・最後の夢」というドラマがあったが、その原作本『はしれ江ノ電 ひかりのなかへ』を幹雄319さんからお借りして読んだからである。 小さな運転士・最後の夢 原作本 「「24時間テレビ・愛は地球を救う28」(2005年8月)(256)」 誰も意味がなくこの世に生まれてきた者はいない。でも生きたいのに生きられない子がいる。だから生きている者は生を許される限り精一杯生きなければならない。それが生きている者の務めだと思う。私は(心の中で動揺しながらも)「そうだよ、みんな死ぬんだよ。」と、答えた。息子は「ふ~ん」と言ったが、私はすかさずその後の世界についても話して聞かせた。もしこの世で終わりならあまりに人生は不公平である。みなさんだったら子供のこの質問にどう答えるだろうか?大人はその答えを準備しておく必要があると思った。
2005年09月15日
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今晩の聖書箇所はルカ9:1~27。だいたい、3つのことが書かれている。1.12人の弟子の訪問伝道の訓練2.イエス様が少しのパンと魚を増やして、5千人を満腹させる話3.イエス様の質問「あなたがたは私を誰と言うか」ひとつひとつ重要な事が含まれているが、その中から2つだけ書いてみようと思う。イエス様は福音メッセージを語られたり、自分の所に来た者の病気をみな癒された。きっと疲れていただろうにお腹の空いた5千人に「帰りなさい」とは言われない。この奇跡(5つのパンと2匹の魚を祝福し次々に増やしていく)を平気な顔で疲れもせずに行っておられたのだろうか?いや、イエス様の服に女が触った時に神の力が出ていったように、この奇跡の後に少なからずお疲れになった事だろう。しかしイエス様は自分の事よりも人の困った顔やお腹がすいたくらいの事でさえ、ほおっておけない方なのである。だからイエス様が好きなんだ。 もうひとつは、26.27節「わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、自分の栄光と、父と聖なる御使との栄光のうちに現れて来るとき、その者を恥じるであろう。」の箇所である。 一見、否定形で書いてあるので厳しく思えてしまうかも知れないが、そうではない。「パッション」という映画を観た人は解ると思うが、イエス様が、どれほどの虐待と暴行を受けられて死なれたか。十字架は「人間の救いのために、あれ以上ない『恥』を受けられた神」を表しているのである。 イエス様はあなたに「私を信じるか」それとも「恥」として片づけるのか。と、言われているのではないだろうか?イエス様がプライドを捨てて私の救いを完成して下さったように、私も自分のプライドを捨てて生きていこうと思っている。
2005年09月14日
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ミスチルのプロモ「worlds end」が見れるようになった。mp3にして今日から聞き始める。Amazonからアルバムが届くのが一週間後。今週末は「ap bank fes」の3時間がスカパーで見る事が出来るし、今日の草刈りこの「worlds end」を聞きながら頑張るぞ!青空を見上げながら、飛行機を追いながら・・・ミスチル!ステキな歌詞をありがとう!前向きで「がんばるぞ!」ってな気持ちになるんだよなぁ。
2005年09月14日
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今日は一回目の発送日。8時から段ボールを作って注文ごとに品物を入れていく。人数は少な目だったが、商品が2種類のため楽である。思ったより早く終了した。あとは手違いがなく、各地に到着すればいい。でもたまに発送ミスがあるので、あとは謝るしかない。今週中はそういうわけで電話がくるたびに「間違いがあったのかな」と思ってしまうのだろう。今週が無事に過ぎればホントの安心がやってくる。午後は本業の商談である。その前に草刈りをして、終わったあとまた夕方暗くなるまで草を刈る。しかし稲刈りは秋だと思っていたが最近は夏に稲刈りをするようになってしまったのか?明日は33度だとか、「おいおい、ただの夏じゃなく真夏だろう!」夕食後に久しぶりでスーパー銭湯へ行く。しばらくまえの綴り券が残っているのだ。今日は1つ発見があった。「ジェットバス」があるがあそこは、足と背中と両横からジェット水流がでてくるが、私はいつも両腕を横のタイルの上に載せていたのでわからなかったのだが、ただしくは両腕をお湯の中に入れて両横の水流のところへ腕を降ろすと肘から手にかけての筋にあたって非常に気持ちがいいのだ。みんな知っていた事かもしれないが私のように知らない人のために書いてみた。
2005年09月13日
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グレープジュース発送準備である。販売管理ソフトを使う。好きな音楽をかけたり気分転換したりしながらすすめていくが、結局夜中までかかってしまった。もちろん早めから準備するべきなのだがそれにしてももっと簡単なソフトはないかと思ってしまう。「帯に短し襷に長し」である。エクセルでもいいのだが印刷がちょっと心配なのである。いままで使っていた物を換えるのはやっかいだと言う事が分かる。また、1からやり直さなければならないと言うめんどくささがあるからである。でもチャレンジしていくしかないな。がんばろう!「スローダンス」が終了した。でもそういうわけで見る暇もなく録っておいた。
2005年09月12日
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うわー!この日何をしたか忘れてもうた!F1だけは覚えてる。ベルギーグランプリである。昨年MP4-19でこけたあと手こずりながらやっとBバージョン投入で安定性と早さを取り戻してきて優勝したあのベルギーである。今年は最強のマシンと言われながら、マシントラブルでライコネンは二番手に甘んじてきた。ここでアロンソのドライバーズタイトルは決まってしまうのか?予選はモントヤ、ライコネンの1ー2でフロントローを決める。雨の残るコースをスタートするも、全車スタンダードウェットタイヤで走行ゆえ序盤はトラブルに少ないが中盤から、ドライにチェンジする車が目立つ。しかし走ってみてまたウェットにもどす。結局ラスト3周くらいしか有効でなかったようだ。モントヤがほとんどの周をコントロールしていたが、ピット戦略でライコネンを先にしたものの、ピッツォニアに当てられリタイヤとはもったいない。ウエットとドライが混在する状況では、抜く者も抜かれる者もうまくかわさないと残念な結果になる。琢磨がミハエルにつっこんだのも同じ原因のようだ。ピッツォニア同様リスクを承知の上でドライにするのだから、「ドライにして自分のほうがペースが速いのに」というのはどうかと思う。明らかにブレーキもウェットのようには利かないと思うのだが。それに前を走っているドライバーは後ろから来る車がドライに換えたとか分かるものだろうか?それでも、抜け目のないドライバーならこういう状況でも危険を避けて上位をキープするのだろう。アロンソはそういうドライバーのように思える。ライコネンが最後までトラブルがでなくてホント良かった。ほとんど次回ブラジルでタイトルは決まってしまうだろう。もし決まらないとしたら、BARが急速に進歩するかラルフが今回優勝する勢いであったようにトヨタが来るかであろう。そうなればおもしろいのであるが・・・追記 そう、この日はジュース発送の準備の準備をしていたんだ。
2005年09月11日
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今日のレインボークラブはストーンペインティングでした。大洗海岸まで石拾いに行き帰ってきて教会で絵を描いたり色をぬったりしてしあげます。石をさがすところから始まっています。まるい石、変わった形の石。手に取った石から何かイメージが湧くと楽です。また帰ってから拾った石をどのような作品にするか考える子もいます。みんな黙々と筆を動かしています。それにしても、いろんなアイデアがあるのに驚きます。すてきな作品が出来ました。充実した楽しい時間でした。
2005年09月10日
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ピーちゃん1号・2号の写真をメールで娘のところへ送る。情報のクラスで使うとか。1号は自由な空へ飛んで行ってしまってしばらくたつが、ほんとにかわいいやつだった。あいつと過ごした時間は宝物である。卵も産んでくれた。父親は自分だと思っている。写真に残しておいて良かった。いつまでも良い思い出である。追記 幹雄319さんから借りていた「小さな運転手・光の中へ」と「幸福の王子」を読み2度涙する。
2005年09月09日
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台風が過ぎたら秋かと思っていたらそんなに甘くはなかった。昨日は夜も少し寝苦しいくらいに暑かった。仕事の関係で体がほてっていたのかもしれないが・・・しかし今日は夏が帰ってきたように暑い。午前中はレインボークラブの通信とJSCのチケット作りをする。レインボー通信はいつもぎりぎりになって申し訳ない。JCS(ジュニア・チャーチ・スクール)は先にチケットのデザインを作っておいたのでお茶の子さいさいという感じですぐ完成する。午後は家内が保育園の手伝いから帰ってきてから献血にいく。暑くて仕事にならないからだ。水戸の献血ルームに着くといつもより1時間くらい早いせいか学生さんが何人もいる。「すばらしい若者達だ!おじさんは嬉しいよ!」と、心の中で言う。今日から血小板献血も勧められたので了承する。血液検査で血小板の型を調べるために一本多く取るらしい。採血が終わり献血を待っていると、さっき採血をしてくれた看護婦さんが急いでやってきては「ごめんなさい。もう一本取るのを忘れていたの。」そして「2度も痛い思いさせてしまってごめんなさいね」と何度も謝る。私の中でK牧師の話が思い出された。K牧師がかかりつけの病院で診察を終え注射をまっていると、(その日は特別込んでいて医者も看護婦も患者も余裕がないような中)1人の患者が、説明をする看護婦に「声が小さい」「説明がわかんねぇって言ってんだろぉ!」と、小さいけれど怒った声で言っているのを目撃する。自分の番になったときK先生は「いやぁ、注射うまいなぁ」と大きな声で褒めたという。看護婦は笑わない。「あれっ、うまく入らなかった。もう一度すみません」と言って注射したとき(すでに皮下出血しているにもかかわらず)「ん~!ぜんぜん痛くない。特に二回目!注射上手ですねぇ」と笑顔で言うとなんと看護婦さんの目に涙が溜まっているのが見えた。というこのエピソードを思い出して私も言ってみた。「と~んでもない!ぜんぜん大丈夫です!」看護婦さんがどう思ったかは分からないが私は満足だった。今日も良い一日だった。窓から入る風は涼しく眠るのには最高である。みなさん良い休みを!おやすみなさい。
2005年09月08日
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1日ブドウジュースの作業をしてまた夜に祈祷会に集まる。なんと律儀な人間なんだ。私ではない。他の皆さんである。私は牧師に「今日の祈祷会はお休みですよね」とか、かまをかけたりするぐらいである。さて「みんな来るだろうなぁ」との思いに引きずられて祈祷会に参加する。讃美歌っていいですね!みんなで歌う。ハモって歌う。なんか疲れがとれていく感じがする。今日の聖書箇所はルカ8:26-56イエス様によって救われた3つの話である。最初は、悪霊につかれた人がイエス様に悪霊を追い出して頂いた話。次に、長い間婦人病で治療費のために全財産をなくしてしまった女性がイエス様の服にさわって病気が完治した話。最後が、ヤイロ(会堂管理者)の娘が亡くなった時、その娘を生き返らせた話である。どの話もイエス様がただ者でない事がわかる。悪霊・病気・死に対しても勝利する力をもっていたのだから。このエピソードにはそれぞれ発見や疑問が出てくるが全体を見て感じた事は、神様は「1人1人に合わせて対応してくださる神様」という点である。悪霊につかれた人が正気に返った後で「イエス様のお供をしたい」との願いに、イエス様は「家に帰って、神があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか語り聞かせなさい」と願いを退けられた後、彼のすべき事を示しておられる。婦人病の女性がイエス様の服に触れて癒されて、そっと帰ろうとしていると、イエス様はみんなの前で「癒された事」を証するように導かれた。ヤイロの家に入っていく時に決まった弟子と家族だけで行きしかも家の前で泣いている人々に「泣くな、娘は死んでいるのではない。眠っているだけである」。とわざわざ言われ、娘を生き返らされたあとに「この出来事を誰にも話さないように」と命じられたのだ。さきの2つの出来事から解るのはイエス様は救われる魂ひとつのためにも最高の働きをされるということ。その人にあった対応をされるということである。そうであるならヤイロの場合も「誰にも話さない」理由はこの家族のためだったのではないかと思うのである。(推測にすぎないのだが・・・)祈祷会ではいろんな人が感想を分かち合って更に恵まれる。薪が一本だけでは炎が安定しないように2本3本と多くなるほど安定し、より大きな炎となるようなものである。
2005年09月07日
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朝6:00よりブドウジュース作りを始める。出勤前に朝5:30からきて作業を進めてくださる方もいる。感謝である。大体作業内容は定着しているのだが、それも設備が整っているゆえである。Tさんが機械化を進めて、あるものは購入しまた購入したものに改良を加えたりあるものは自作したりして設備が整ったのである。ここまで来る間にはどれだけの時間と手間がかかったことだろう。感謝である。今日は台風が接近するはずが能登の方へいってここはあまり影響を受けなかった。そして作業の合間に外に出ると涼しい風が気持ちいい。今日はウィークデーだから人数も少ないかなと思っていたが、必要な人数が与えられて無事に前回前々回と同じくらいの時刻に終了する事ができた。ありがたい。今日は小学校の生徒がクラスごとに見学に来てくれた。作業工程を説明する。そしてブドウジュースを試飲してもらう。午後からは5・6年生が見学した後手伝ってくれた。サンキュー!祈祷会でY先生が、子供達に『ふつうバイトすればバイト代をもらうでしょう。でもブドウジュース作りをしてる人たちはみんなただで働いているんだよ。」と話された事をお聞きした。作業前と作業後にみんなで祈る。作業中の無事を願い、最後に祈りが応えられた事を感謝する。そして朝早くから作業している者も午後から作業する者も今日出来た熱々のジュースを一本もらって帰る。主のぶどう園で働く者の報酬のごとく(報酬といえるほどではありませんが。)この前の作業後に家内の所にNさんからメールがあった。「・・・聖書の中の『神様のいるぶどう園』に働いているってこういう感じなんだなーと、とても新鮮な気持ちがしました」と。こういう気持ちで作業されている方がいるというのを知る事が出来て嬉しかった。みんな全力で働かれて疲れも残る事だろう。神様からの労のねぎらいがあり、早く疲れがとれるよう祈ります。
2005年09月07日
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しばらく前、ある親しい人(クリスチャン)がこう言うのを聞いた。「私の車のナンバー『ゴミの国』なんだよ。やんなっちゃうでしょう!」よく聞くと、53-92で語呂合わせで「ごみくに」で「ゴミの国」に確かになる。しかし、「まてよ!いい語呂はないか?」と。するとひらめいた。「ゴミの国」じゃなくて、「ゴー!み国」だよ。切るところをかえれば、天国へ行こうよ!ということになるじゃない。」と、言う事が出来た。「あぁ、そっか~!」と納得してくれた。おなじものを見ても、良くも悪くも考えられるのだ。どうせなら、前向きに考えられたら良い。でも誰にも前向きに考えられない時があるから、みんなで前向きな言葉をかけあう必要があるのだろう。追記 クリスチャンにとって「天国に行く」ということは、救いの象徴であるが、ノンクリスチャンにとっては「死んだら天国(あの世)へ行く」と似た響きで「ゴー!み国」という語呂もあまり良い響きでないから注意が必要。
2005年09月06日
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休みが終わって娘が、学校のある広島へ帰った。休み中はだらだらとしているのだが、他の家庭も聞くとそんな感じのようだ。まあ、全部がそうかは分からないが、寮生活は友達と居る時間が多いので、家に戻ったときぐらいのんびり孤独を楽しんでいるようだ。それから、家にいると家の生活のリズム、寮に戻ると寮のリズムに戻るらしい。そのずれが「不快」に感じれば行きたくなくなるのだろうけど、そうでもないらしい。成長したなぁ。私も中学から寮生活を6年間したわけだが、別に不快ではないが、何とも言えない違和感はあった。たとえば、休み明け食堂でご飯を食べてると、気がつくと周りのみんながほとんど食べ終わっているのに自分はまだ半分くらいだったとか、家のスピードでいると「みんな、はえーなぁ!」と思ったりして。でもそれも生活スピードの違いもあると知ってからは、別段問題ではなくなった。2学期、寮生活と学校生活を楽しんでまた冬休みに成長した娘に会うのが楽しみである。(母親は保護者会で会えるが・・・)
2005年09月05日
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全然今日と関係ないのだが、昔のデジカメ写真をみていたら、沖縄は宜野湾のトロピカルビーチの写真が出てきたのでupしようと思ったのだ。下の写真の砂浜を見て欲しい。明るい砂に見えるが正確には砂ではないのであ~る!細かい砂を取って拡大すると今度は荒い砂を取ってみると砂の正体はそう、沖縄のビーチの砂は貝殻や珊瑚やヒトデ等が砕けたものなのだ。我が家の近くの海岸の砂は山の石が砕けて小さくなったのものであって全然違うわけである。(砂という字は「小さい」と「石」で出来ています。)沖縄に行く機会があったら確認してみてください。感動します!追記 竹富島や西表島に行くと「星砂」が見れるがこの砂はバキロジプシナという有孔虫の殻である。
2005年09月05日
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いつも通り20:50より本戦がスタートする。昨日の予選を振り返ると・・・フリー走行で早かったマクラーレン。しかし予選前にライコネンのエンジンが壊れた。またしても10番降格である。グリッドはモントヤ、アロンソ、バトン、琢磨と続く。11番手からのスタートのライコネンは何を見せてくれるのか?順位があまり変わらないまま序盤が過ぎていく。ライコネンは沢山燃料をつんで、みんながピットに入っているうちにパスしていく。燃料が軽くなった時点でファステストを重ね、一時は2位まで上り詰める。一回のピットで沢山燃料を積みながらもスピードをあげていく。少し走ったところで左リヤの外側のブロックが飛び散り始めた。右回りのコースで負担のかかる左タイヤが、速さと重さで悲鳴をあげたのだ。タイヤ交換をして出ていき遅れを取り戻すべく速度を上げる。もう左リヤは大丈夫だ。このままいくと3位のフィジケラをパスできるかもと思ったとたんスピンしコースオフする。脱出したのちどうにか4位に入る事が出来た。モントヤにも危機があった。ラスト3周でライコネンと同じ箇所が剥がれ始めたのだ。しかしPITすることなく持たせ優勝をもぎ取った。終われば全車完走の非常におもしろいレースであった。ライコネンに取ってはのるかそるかのレースのように見えた。しかしやるだけの事はやったライコネンに拍手だ!何より再三のエンジン交換にも動じないで限界のレースをしたんだから。それにしてもルノーはしたたかさである。いろんなタイプのチームがあるからおもしろい。もし次回でドライバーズタイトルが決まっても、まだ一戦一戦ごとの楽しみはある。とはいっても遅ければ遅いほど楽しみの幅はひろがることに間違いはないが。追記 今噂になっている「ライコネンのフェラーリ行き」は大賛成だ。マクラーレンも好きだがエンジンがもろすぎる。マクラーレンはメルセデスとの関係を深めすぎたためエンジンメーカーを変えられないので、今以上の将来は望めないのではないだろうか?マクラーレン・ホンダとかならおもしろいのに・・・。タイヤもワンメークになればルノー以上になりうるのはフェラーリしかないだろう!ホンダにもトヨタにも頑張ってもらいたいが・・・。来年はシューマッハの跡継ぎ問題に話題は移っていくのかも知れない。シューマッハファンには怒られるが。
2005年09月04日
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昨日は夕方からブドウ取りに4人で出かけた。ブドウ取りは集荷かごに入ったブドウを倉庫からトラックに積み込み持ってくるのだが、最近は非常に楽である。 二人で取りに行った時は、1人が荷台で積み上げるので運ぶのは1人か、向こうの人が手伝ってくれても二人。ところが4人でいくと3人で運ぶ事が出来る。3倍の能力であっと言う間に積み込み、あっと言う間に下ろす事が出来た。感謝である。さて、今日は2回目。2000本と予定数が多いので5時前から作業を進めている先発隊もいる。おかげで17:00過ぎ(前回と同じくらい)に終了できた。ありがたい!終わるといつもはバタンキューなのだが、今日ははるかに疲れが少ない。夜はF1観戦も可能なくらいである。
2005年09月04日
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週末が近づくにつれて「わくわく感」が増していく。それはきっと礼拝説教担当が幹雄319さんだからだ。むかし先生がここにいたときも聞いた事があるはずだがひさしぶりなので「どんなメッセージなんだろう?」と楽しみになる。いつもこんな風に礼拝を迎えるようにしたいものだ。内容は幹雄319さんのブログをみて欲しいが、この期待感からある思いが浮かんだ。http://plaza.rakuten.co.jp/mikio319/「聞けば解る」という言葉がある。ここに「聞く」ことと「解る」ことの大事さがあると思う。「聞く」ことの大切さは解っているようでそうでもない。道に迷っても女性はすぐに人に尋ねることが出来るが、男性の多くは「聞かないで」どうにか目的地に行こうと奮闘する傾向が多いのではないだろうか?「聞くは一時の恥、聞かぬは一生(末代)の恥」という格言があるぐらいだが、男性は「一時の恥」も避けたいのかもしれない。「わかる」には「分かる」「判る」「解る」とあるのだが「理解する」という意味では「解る」かなと思う。さて何が「解る」のか?答えが、知らない事が解る。それから相手の考え方、人となりが解るのである。だから少なくとも聞かないで勝手に決めつける事は避けたいものである。私は、聞く事で相手の考え方が解るのが楽しみなのだ。女性は井戸端会議という昔からのシステムがあるが、男性も井戸端会議や風呂端会議をして理解し合うといいと思う。
2005年09月03日
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教会の食品部では教会に併設されている小学校の運営を支える目的でブドウジュースを作っている。今日はその1回目。朝7時~17時くらいまでかかって1700本のジュースが出来た。それにしても無償のボランティアで働かれる教会員、保護者、先生方がおられるということはありがたい事である。みなさんのこの熱意があるから、この三育小学校は存在していると言ってもいいと思う。小学生がこの学校で存分に三育魂を味わって育って欲しいと思う。昨日ブドウ農家にブドウを取りに行った。トラックに乗せ終えた後、農家の方とお話しする機会があった。良いブドウを作るのにいろいろ手をかける事、またその難しさを聞く事が出来た。そういう意味では精一杯手をかけてくださる教師のいるこの学校は、小さいながらも良い実を実らせる、さながら良い農夫のいる農園のようなものだなぁと思った。
2005年09月01日
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