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朝NHKでこどもに自殺された親の心のケアの番組を放送していた。いじめにあって不登校であった若者を亡くした母は、その自殺を止めることができなかった自分を責める。自分が生きていることがいけないことであるかのように。変われるものなら自分が変わってやりたいと。警察官は激務から鬱病を発症し、自殺した。その母はもっと話を聞いてやればよかったと悔いる。そして悔しいと泣く。このひとは他県で同じ境遇の親の集まりに出席した。そこで安心してなくひとをみて、自分の県にもそういう会を作ろうとした。ビル清掃をして得たお金を資金にして「藍の会」というのを作った。藍というのは警察官の制服の色から取ったのだという。同じ境遇のものだから分かり合えることがあるそこでなら言えることがあるそこでなら安心して泣ける・・・。悔いても悔いても時はまきもどらないしたいせつないのちはかえってこない。胸をえぐる悲しみが消えることはないのだけれどその胸のうちをすべて吐き出してしまうことができればあたらしい思いがわいてくるかもしれない。藍の会のメンバーのあるひとは死んだ子供のために泣けない自分を責めた。よく眠れるし食欲もあることがいけないことのように思えた。やがてこのひとはこどもの夢をみた。ずっと見られなかった夢だった。もうこのまま覚めないでと思ったと言うそのひとのほおに涙がつたった。友人のお兄さんには自閉症の娘さんがいる。特別学級から障害者の施設にはいった。母親が娘の色彩感覚を認め貼り絵を勧めた。34歳になるそのひとは今では作業所で貼り絵の作品を作り、展示即売をして、自立している。そのお兄さんの同僚にも障害のある娘さんがいた。その娘の父親は、仕事を休み家族を親戚に預け障害のある娘とふたりだけで暮らした。父親は娘に食事を与えなかった。娘がやせ衰え餓死していくさまを父親はじっと見つめて時を過ごした。やがて娘は死んだ。父親は逮捕され、獄中で自殺した。友人は「うちにも紙一重の息子がいる」と言った。「天才かもしれないし、そうでないかもしれない」と。どの親の思いも余人がたやすく推測しうるものではないしありきたりのなぐさめが逆撫ですることも多いし軽々にジャッジできるものでもない。ひとのおこないの向こう側を探っていくと正しいとか間違っているとか、色分けできないものがある。こどもの幸せを強く願いながら現実にはそうなれないこどものそばで親はどうやってそのこどもを抱えていけばいいのか。どうしたら未来を悲観せずに歩んでいけるのか。ひととの関係、社会とのつながりのなかで深いいのりとともにどうしたら?と模索し続けるしかないのか。どのひとにとっても重すぎる荷物にそっと手を添えるひとがいてほしいと願う。
2006.11.29
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本郷7丁目の黄葉。東大構内のどっしりとした風景が黄色に染まる。風のない穏やかな晩秋の午後。高い空に枝が伸びていく。影は学び舎へ伸びていく。この国の大切なものとリンクしていった数多くのひとびとがその若い日、この並木をくぐって学び舎へと歩を進めた。長い長い時間、その姿を見守ってきた銀杏の並木が新たな建物にその姿を映す。その並木は何者でもないひとびとをも歓迎する。鮮やかな色につつまれてひとびとは秋を味わう。遠来の客も銀杏をめでる。並木の前で「シャシン、オネガイ、シマス」と言ったひとがいた。レンズに向って真顔になったそのひとは中国のひとのようだった。
2006.11.25
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買い物帰りに遊歩道を歩いた。遊歩道沿いの植え込みの樹には名札がついていて葉っぱのかたちと樹の名前を教えてもらう。ヤマモモ。ミズキ。クヌギ。カシノキ。ボケ・・・。夕刻近いせいか鳥たちがにぎやかに鳴く。雀は今日一日に出来事を報告しているかのように一本の樹に大勢がとまっていっせいに鳴く。ぴちぱちぴちぱち弾けるように鳴く。名前を知らない鳥のカン高い鳴き声もあたりの空気を震わせる。その鳥がどこにいるのかしらとあちこちの樹を見上げていると「きれいですね」という声が聞こえた。老いた女性のこえだった。驚いて視線を地上に戻すと目の前に老婦人がいた。そのひとが私の後方に立つ桜の並木を指差して「ほんとにいい色に紅葉しました。燃えるようです」という。白髪交じりの髪をすっきり後ろで束ねた細面の顔がにこやかにほころんでいる。ああそういうことか、と飲み込んで、来た道を振り返りさくらの樹を眺める。こちら側から見たほうが紅葉がきれいに見えると気づく。「ええ、ほんとうに。きれいですね」と答えると老婦人はうなづき、にこやかに言葉を継ぐ。「なにも遠くへ行かなくてもこの街に居ながらにしてこんなきれいな紅葉が楽しめるんですよね」「そうですねえ」「自然ってすばらしいですねえ」「律儀ですねえ」その桜並木はそばの大きな病院の敷地に植えられたものだ。春にはけぶるように咲き誇り、遊歩道にその花びらを散らす。春の日の映像がふたりの脳裏をよぎる。ふっと我に返ったのか、老婦人は恥ずかしそうに身をよじる。「あら、わたしったら、ごめんなさいね。樹を見上げてらっしゃるから、わたしと同じように紅葉をたのしんでらっしゃるのかと思って思わず声をかけてしまって・・・お急ぎじゃなければいいんですけど」老婦人のお辞儀の角度が深い。「いえいえ、お気になさらないでください。お声かけていただいてうれしかったです」そんな会話を交わして老婦人と別れた。振り返ってその姿を見送り見えなくなってからデジカメのシャッターを押した。燃える赤が画面におさまった。
2006.11.22
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東京国際女子マラソン大会を沿道に出て応援した。沿道まで我が家からは坂を降りていくと5分もかからない。先導の車が何台も通り白バイが見える。と、そのあたりからなにやらあやしくなってくる。もう胸の辺りが痛い。先頭集団が駆け抜ける。土佐礼子も高橋尚子もいる。肉の薄い上半身、細い腕、筋肉だけの足の腱が伸びる。ああ、だめだ。泣いてしまう。たったったっと走り抜ける選手をみるだけで涙が出る。選手のスピードは速い。あっという間に目の前からいなくなる。そしてまた次の選手が走ってくる。どのひとも懸命に走っている。そう思うとまた涙がこぼれる。「がんばってー」こどもたちの応援の声が聞こえる。パタパタと旗を振る音もする。その隣りに立つ白髪交じりの男性は傘も差さずに拍手をしながら「ファイトー」と声を掛ける。走ってくる選手の間隔があいてもじっと待ち走ってくるどの選手にも外人のひとにも市民ランナーにも同じように声を掛ける。そんなふうに応援するひとにも泣かされてしまう。市民ランナーの走る姿を見ると明らかに先頭集団の選手とは違うと気づく。走法、フォームが違う。なにより体脂肪が違う。それでもみんな懸命に走る。つらそうな顔をしたひともいるしテーピングが痛々しいひともいる。しかしみんな走り続ける。なぜ?とマラソンなんてできないわたしは思いをめぐらす。ああ、ここはこのひとたちの表舞台なのだ。有名ランナーと共に走れる晴れ舞台なのだ。だからみんなこんな雨のなかを走れるのだ。それにしてもまったくどうなっているのだ、わたしの涙腺は。マラソンなんかしたことないのに走る姿を見ただけで、なんだか泣けてくる。ひくひくひくと唇が震える。笑顔で応援する多くのひとたりのなかでおばさんがひとり、涙をこぼしている。ふぁいと!などと呟きながら。
2006.11.19
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11月の下旬になれば街にも紅葉が下りてくる。風の冷たさにふと見上げた樹がほんのり色を変えている。おずおずとためらうように変えていく。ようやく来た、とでもいうような葉擦れの乾いた音が耳に残る。そうして老いた葉は次々に枝から去って行く。季節の巡りの実感をどこかに置き忘れてきたようなまったいらな街中の暮らしが静かに秋に染まっていく。冬が近い。
2006.11.19
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このひとから喪中葉書が来ているよと息子が言った。それを聞いて、あ、お母さん、逝かれたんだと思った。むろんお会いしたこともないかたなのだが十年ほど前に彼女と出会ったときからその消息を聞いていた。具合が悪くなると彼女が介護しに横浜から三鷹のほうへ通っていた。近所にいる妹さん、おにいさん家族と交代しながら自宅での介護だった。おかあさんのことを話す彼女の口調がすきだった。とても大切な存在なのだとその口調からうかがい知れた。すずらんの咲く庭のはなし決して荒げたことのないお母さんの女らしい声やたおやかなしぐさのこと。持病があって、倒れるたびに弱っていく姿を見ているのがつらいと打ち明けられたこともあった。どんなに体調が悪く、状況がきつくても愚痴ることなく辛抱強く受け入れていく姿勢は娘のお手本でもあっただろうけれど晩年の弱り方はだからこそよけいにつらかっただろうと思う。喪中の葉書はこんな言葉で埋められていた。「さる6月に母が89歳で他界いたしました。花木と愛で、菓子や鮨を好み筆を持てばその人柄が偲ばれる美しい文字を書く母でした。決して丈夫とはいえない小さな体で命の限りを生きありがとう、を繰り返しながら多くの孫ひ孫に見送られて15年前に逝った父の元へ旅立っていきました。優しい母の声と微笑みはいつまでも私たちの心のなかに生き続けることと思います」文面の途中から文字がにじんだ。
2006.11.15
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秋の初めに千鶴子さんが急に「あなたのお気に入りのコートをしばらく貸してちょうだい」と言いだした。千鶴子さんの弟さんの形見の大島紬のアンサンブルがあるのでそれで二人分のコートが作れるから、というのだ。洋裁の得意な千鶴子さんは仕上がり品を見ただけで、一から作れてしまうらしい。渡したコートと同じサイズ・デザインで丈だけ伸ばしてもらうことにした。そういえば、その渡したコートも以前千鶴子さんにいただいたものだ。藍染に手描き模様のはいったコート。もうずっとお気に入りのコート。千鶴子さんと知り合って14年ほどが経つ。いっしょにならんで歩んできた時間わたしはほんとうに物心両面でたくさんのものを千鶴子さんからいただいている。感謝しきれないほどだ。自分が使っていたものをひとにあげる時は自分でもちょっと惜しいかなって思うものにすることをそのとき千鶴子さんに教わった。さても、このかろやかでしなやかでシックなコートを羽織って鏡の前にたち、くるりと回る。そしてしゃなりしゃなりと廊下を歩いてみる。ああ、うれしくてうれしくてありがたくてもったいなくてなんだか申し訳なくてどうしよう。そんなお礼の電話をすると千鶴子さんは「同じ生地で羽織もあるからわたしのも同じ生地で作るのよ。あなたので練習して慣れて上手になってから自分のを作るのよ」なんて笑って言う。そして「でもそんなに喜んでくれたら、弟もあの世で喜んでるわよ、きっと」と続ける。仕上がったコートの裾に少し傷みがある。その場所を撫でてみる。そんなふうに時間が繋がる。その傷みもいつくしんで着させてもらおう。重ねてお礼を口にすると、千鶴子さんは「ほら、お誕生日のお祝いだから」と言った。わたしは8月生まれなのだけれど「ありがとうございます」と繰り返した。「21日の忘年会に来てらっしゃいね」そんな言葉が耳に残る。ああ21日ははこれを着て千鶴子さんに会いにいこう。
2006.11.14
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よしもとばななの「ひとかげ」という本を探しに八重洲へ行った。東京駅を突っ切ってブックセンターへ向う。駅構内はいつものようにアナウンスと人のざわめきで満ちる。中央出口の交番ではおまわりさんが地図を指差し丁寧に道順を教え、地方から出張に来たらしいサラリーマンは丁寧にお礼を言う。その言葉のイントネーションが耳慣れない。すれ違うひとがケータイで話している。その言葉が関西弁だ「そらよろしおましたな」どんないいことがあったのか。タクシーに並ぶ行列。きちんと背広を着た男たちが仕事の出来そうな顔つきで順番を待つ。東京みやげを抱えてバスを待つひとの列もある。小さな荷物を二つ、身のそばに置いて遠い目をするおばあさんもその列にならぶ。首筋に派手なスカーフがのぞいている。その視線の先にあるのは丈高いビルばかりだ。バスのターミナルの柵に家のないひとの荷物がヒモでくくりつけてある。だれにも手出しさせぬよう厳重にしばりつけたその荷物のなかにいったいなにがはいっているのだろう。そこで生きていくにはいったいなにが必要なのだろう。その柵の向こう側に置かれた椅子に座る老人は杖の支えにして、眠りこけている。いや、ただ目を瞑っているだけなのかもしれない。時間がその足元を掠めていく。通りがかるひとは近づきまた遠ざかっていく。待ち合わせているひとは待ち人がくれば去って行く。老人はぴくりとも動かず背中を丸めてそこにいる。そのそばで待ち合わせた若者が笑いあう。そのさきにこんな光景が見える。くつみがき500円。客は新聞を読み、靴磨きはしずかに靴を磨く。
2006.11.13
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都会で見上げるそらはいつもこんなふうに限られて遥かに遠くわずかに青く見果てぬ夢のようにそこにある。
2006.11.10
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雲を追いかけてつかまえてじっと見つめていると雲はみるみる形を変える。ふっとした瞬間に雲がなじみのあるかたちに見えてくる。ほらこんなふうに。【空を翔けるひと】【空に浮かぶ顔】【空の背骨】これは「はれぶた」の空【首の長いおじさん】【空を泳ぐ魚】【ち】 【大きな鳥と小さな鳥】【オオアリクイ】【光のシャワー】【シナモンロール】勝手な思いつき。思いがどこまでものびていってひみつのお話が胸に宿る。
2006.11.07
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今朝、宅配便が届いた。配達のおにいさんが送り主の名前と品物を言った。それを聞き、あら、と驚き、判を押した。そのひとは、もう何年もお知り合いなのに一度も会ったことがないネットの友人。どきどきわくわくしながら箱を開けると中にはりっぱなサツマイモがたくさん!土生姜も入っていた。ご自分が作られた作物なのだ。収穫のおすそわけをいただいた。さつまいもを手にすると「大好物です。うれしいです」そんな言葉が口をついて出る。調理する前から、ほくほくと気持ちがあったまる。添えられた手紙に、「おめでとう」とあった。そのひとにはもう長く拙文を読んでいただいている。ご期待いただいているのに、なかなかそれにお応えできないでいるのだがそれでも見捨てず読んでくださる。このたび、とにもかくにも文の文が「採用」されたくさんの人の目にふれることを喜び祝ってくださった。ほんとうにありがたい。こころから感謝します。あゆさん。わたし、また、がんばります!
2006.11.06
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先日、「稼ぎ」を書いて「この次いつ稼げるかは全くわからないのだけれど・・・」と結んだが、意外に早く「次」が来た。本日、現金書留が来た。差出人は「中央区銀座7-3-6 (株)洋菓子舗ウエスト」とあった。「はいはい、わたし、ここの会社の800字の作文に応募してました」と封筒に向かって呟く。友人の趙さんがこのパンフレットに採用されたのを聞いてからわたしもこっそり挑戦していた。なにかいいことありそな予感とともに封を開けると「あなたの作品は 風の詩 3015週11月5日~11月11日 に掲載されています」というプリント一枚とぺろんとむきだしの一万円札が一枚入っていた。それと「風の詩」のバンフレットが5枚。正直に言う。自分の作文がたくさんのひとに読んでもらえることはとてもうれしい。いやあ、それにもまして、稼ぎがあってうれしい。一万円は一枚5円のチラシ2000枚分だ。すげえ。公募で、この前自分の言葉が金品に変わったのは・・・と記憶を遡ってみると、いやあ、ずいぶん前のことだなあとちょっと気落ちしてしまう。ああ、そうだった。この前はラムネ俳句大賞佳作で、ラムネのTシャツもらったんだった。それはそれでもらえないよりはよかったしたのしめもしたのだけれど、まあ、それから考えると・・・現金一万円は我ながらたいした進歩だとうれしくなる。へこたれ大王の自分によしよしと言ってやりたくなる。もっとお稼ぎ!とあこぎなことも言ってみたくもなる。****ここ の 「今週の風の詩」をクリックしてみてくだされ。 今週は文の文が載ってますです。来週の金曜になると変わります。 来週の月曜日からお店にパンフが置かれるみたいです。よろしければ、読んでみて下されませ。WEBの掲載は終わりましたがここに作文があります。
2006.11.02
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