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しばし病欠しておりました。って・・・あとから考えるとブログに病欠ってヘンかもしれんですね。別にお勤めじゃあるまいしねえ・・・さても、ご心配いただき恐縮でございます。お声をかけてくださったかたがたに感謝いたします。ありがとうございました。ハックションと字に書いたような模範クシャミをゴングのようにして今年もワタクシの花粉症ライフが始まりました。寄る年波で更年期もあいまって、だいぶへこたれてしまいました。花粉症の基本症状にくわえて喉が痛み、声が枯れ、いささか熱っぽくてだるだるでした。完全復活とはいかず、今もセキがゴンゴン出ます。春は花粉症の症状とともにやってくるから切なくなるのです。ほんとに身(?)もこころも頭も重くなってしまいます。気力萎え著し!であります。(これが大きい・・・)いつだって未踏の春なのだけれど、51歳の春だなんて・・・ねえ。なんだかまごまごしてしまう。さてさて、我が家の息子2も今年から花粉症デビューです。「ようこそ花粉症へ」人生の苦悩が深くなる分、ひとに優しくなれるはずの花粉症にようこそ・・・。こうして我が家の花粉症人口が3名になりました。ハクションズルズルハクションズルズルであります。ゴミ箱に使用済みティシュ!があふれます。「モイスチャーティッシュってのはありがたいなあ」と鼻の下が荒れ始めた息子2がしみじみといいます。「でしょう?」と残りの花粉症が口を揃えます。同病が相憐れんでおります。ずっと家に籠もっていたのですが、本日は久しぶりに外出しましたと言ってもヨーカドーへお使いに行っただけですが・・・。込み合う食品売り場で、独活をかいました。おすましと皮のきんぴら、芽のてんぷら。この苦味が早春の味ですね。あ。好物のわらび餅も買いました。こうやってますます身が重くなっていきます。あかんがな・・・。そうして帰り道呉服屋さんの店先でこんなかわいいお雛様を見つけました。もうじきですね。 そしてこんなお干菓子も。(長野弘さん作)
2006.02.25
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わたし花粉症なんですが、 昨日あたりからかなり来てまして 急激にひどくなってきて ただいま風邪引きと同じ状態であります。 鼻づまりで、喉痛くて、セキでて、 頭重くて、しかもうるうる目。 だもんで文さんはしばし病欠でありんす。 胸は大きいが身体は弱い・・・。こほこほこほ。
2006.02.21
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いささか調子が悪くて近くの開業医のお世話になった。その症状も結局のところ更年期障害なので処方薬にくわえて漢方薬をもらってかえった。この医院の院長先生は前にトリビアの泉でなにか言っていたことがある。だからかとうかはわからないが、なにしろ込み合う。しかもお話好きのようで、どのひとにもこと細かく丁寧に説明される。そんなわけで待ち時間が非常に長い。中待合のような部屋で血圧を測ってもらっているとカーテンで仕切られた診察室から先生と患者さんの声が聞こえてくる。わたしの前の女性は血液検査の項目の説明を受け、ガンがあるとどの数値があがるのかとくり返し聞いていた。その前のおばあさんは別の病院で言われたことを解説してもらっていた。その途中で先生が優しげな声で「あっ、このあいだはありがとうね。この子(写真を指差しているもよう)があの人形とてもよろこんでましたよ」と言った。おばあさんは先生のお孫さんに手作りの人形を上げたらしかった。おばあさんが「こんな震える手で作ったものをそんなに喜んでもらえてこちらがうれしいです」と言うと先生はきっぱりと「だからこそ価値があるとボクは思いますよ」と言った。そのおばあさんは糖尿病を患っているが今日は数値が良かったらしかった。「ああ、なんとか(薬の名前)が効いてるんですね」といいそのあと自分がもらいたい薬と量を告げていた。自分の病気のことを知って自分で治していく、そんな気概が診察室から伝わってきた。どのひともそんなふうだった。自分の番がきて診察室の椅子にすわると、先生は症状を聞いて、それに見合ったプリントを下さる。ここを読んでくださいと自著のページを開いてくださる。病気の可能性とか治療法とかクスリのあれこれなど全てその文章をたどりながら説明される。うんうんうんとうなづきながら、病気に対する教育をされているような感じだ。更年期には漢方薬ツムラの25番がいいんですが、どうしますか?と先生はわたしに聞いた。あなたが決めるのですよ、ということだ。「いただいていきます」と答えた。ここのところ、なんとも気持ちの波があって、ときどきドカンと大穴に落ち込む。そんなときはいつでも恨みがましかったり、イラついたり、わがまま言いたくなったり、不安だったり、あせりまくったり、なんというのか、人生の収支決算大赤字みたいな気分になってしまう。それでいながら、そんなふうでない顔をしたりもする。その落差がだんだんつらくなってきて、ため息ばかりが出る。憂鬱なのだといってもそうは見えないといわれてしまえば、それ以上口をひらかなくなってしまう。そして行き場がないなあとうなだれる。それが更年期なんだからいたしかたないことなのだよと言われると、肩透かしにあったように、なあんだの気分になる。脳がピッチャーで子宮がキャッチャーで、キャッチャー不在なのにピッチャーばかりひとりで奮闘してしまうからたいへんなんですと、と先生は言った。そのうちにそのピッチャーも現状を認識するらしい。帰りによった肉屋のおばさんが「おたくだけじゃないわよ。わたしもそうだったわ。つらいけど、みんなおんなじことくぐってきてるんだから。」と、ものすごく元気そうな声で言った。「今だけの辛抱だからね」と言って揚げたてのから揚げをおまけしてくれた。店の名前が印刷された紙袋の中のから揚げから湯気が立ち上っていた。
2006.02.18
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千鶴子さんに桜木町であった。しかし、今日は赤羽駅で人身事故があったとかで電車のダイヤが乱れていた。また、違う線でも何件か同様のことがあったらしい。昨日あんなに暖かくて、今日はこんなに寒くて雨模様だから、その気温や気圧の変化に対応できず、そのひとたちの気持ちがうつむいてしまったのかもしれないなあ、なんてずいぶん遅れた電車のなかで勝手な解釈をしていた。憂鬱な時期よりも憂鬱から脱したときの方が危険なのだと聞いたことがある。いったい今まで何をしていたのかと失われた時間に対する悔恨の思いが湧いたときがあぶないらしい。死にたいと思ってプラットホームに立つのだろうか。あるいはふっとそんな気持ちになってしまうのだろうか。答えの出ない自問を投げ出して持参の本を読み始めた。電車内専用の本。「徒然草」。そんなときはなんとなくシンクロする。「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからむ。世は定めなきこそいみじけれ」(口語訳)「・・・・人間がこの世に永住して死ぬことがないならば、人生の深い感動は生まれてくるはずもない。やはり、ひとのいのちははかないほうが断然いい」つまり、限られた時間であるからより濃密に生きられるということか。いつだったか、エホバの証人の友人は「永遠の命」という概念を教えてくれた。そのときに感じた違和感のもとはこういうことだったのかもしれない。「・・・あかず惜しと思わば、千年を過ぐとも、一夜の夢の心地こそせめ」(訳)「・・・もしもいのちに執着すると、たとえ千年のながい年月を過ごしても、それはたった一夜の夢のようにはかなく感じるだろう」ああ、そういうものだね。執着とはそういう悲劇だね。40歳そこそこで死ぬのが無難だと兼好さんは言う。その歳を過ぎると容貌の衰えを恥じる気持ちがなくなるそうで、子孫を溺愛して長命を望んで世俗の欲望ばっかりが強くなって深い感動の味わいがなくなるんだって。「ひたすら世をむさぼるこころのみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなむ、あさましき」ああ、これいいたくなる場面、多いなあと思ってしまう。世を騒がせたあのニュースにもこのニュースにも、あのおやじにもあの若造にも、言ってやりたい気分になる。しかし、この時代の平均寿命がおよそ三十歳らしい。四十になると長寿のお祝いをしたという。なるほど、だから平安の貴族の仕事は恋だったのだなあと思う。早く子孫を残さないと死んでしまうものなあ。でも、その先を考えられないのは幸せか不幸せかわからないなあとも思う。どうせ三十歳でしんでしまう命なら、わざわざ電車に飛び込むこともないかもしれない。これからさきの時間をどう生きればいいのかわからない、なんて言ってる時間もないんだから。でも、「命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なむこそめやすかるべけれ」といった兼好おじさまも70歳まで生きていたらしいではありませんか。ことほどさように思い通りにいかぬのが人の世ではありませぬか。今年90歳になるうちのばさまが呪文のようにくり返し言う。「はよ死んでしもたらええのに、自殺もようせんし」と。健康自慢できたひとが自分の長寿を呪うことばを口にする。そんなふうに思いがいのちという言葉のまわりを経巡っているとき、80歳の千鶴子さんは憧れのドクターの話をしはじめる。今は恋する千鶴子さんなのだ。食事の前に雑誌に載った爽やかなドクターの顔写真を見せてもらった。なるほど、千鶴子さんが恋するわけだ。「この雑誌、先生からもらったのよ。もらった日から三日間枕の下にこの雑誌を忍ばせて寝たの」「まあ、かわいいこと」と合いの手を入れると「わたし、こんな気持ちはじめて」ちょっと不思議そうな顔になって千鶴子さんはいう。戦前の教育を背骨にまっすぐ叩きこまれた師範学校卒の千鶴子さんの人生を思う。病気をしてから、新しい自分に出会っているのかもしれない。このドクターの診察してもらう直前、待合室で千鶴子さんは息苦しくなって倒れた。肺に血栓が出来ていたのだった。もしもよそで倒れていたら、今こうして笑うこともできなかっただろう。ドクターは命の恩人でもあったのだ。わたしの贈った「恋するキルト」をうれしそうに見入って、ちょっと第一関節の曲がった指でいとおしそうに撫で、「ありがとう。うれしいわ」と言った。みどりさんのキルトの話が出なかったのでホッとした。久しぶりに会う千鶴子さんの背中はその憧れを抱え込むようにますます丸くなっていた。小さく小さくなっていく千鶴子さんが切なかった。なにげなくその肩を抱いた。千鶴子さんはアラッという顔になったが、そのままでいた。手のひらに感じる体温が命だと思った。
2006.02.16
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うんうんうん。できました。帯地だの着物地だのの手提げ。おおばあちゃんの帯だのばあちゃんが十三参りに着た着物だの今泉さんにもらった帯だの茶碗の箱を縛ってあったひもだのバザーでもらった帯締めだの着物だの・・・どれもこれも手ごわくてまことにまことに縫いにくく生来の不器用もあって、ミシン縫い目は曲がり放題。よく針が折れなかったもんです。いましばらくは袋物職人かなあ。ようやくミシン君のご機嫌伺いがうまくなったから。この際だから布をどんどん減らしますから。もうもう糸くずまみれ。それでもブツの残る仕事は甲斐があります。エー布袋はいらんかね。
2006.02.15
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デジカメ修業のお散歩中に見つけた梅の花。その香りがすっとしのんできたりするのでちょっと花鳥風月気分でありました。そらには飛行機雲が・・・この世はこともなし・・・ならいいのにね。
2006.02.14
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今日な、東京駅の大丸の12階でおもしろいおっちゃんにおうたんや。そのおっちゃんにはいろんな顔があっておもしろいねん。つまりこういうひとなんかな、と思うと次に瞬間にまた全然ちがう顔したはるところがなんかつかみどころがないようでおもしろいねん。どこにもかぎりがないみたいな感じがするねんそれはもういろんなこと試したはるねん。色やったり線やったり文字やったりモザイクみたいなんやったり小さな額縁のなかでいろんな実験したはるみたいやねん。それおもしろいねん。1879年にうまれたひとがそんなことやったはるねん。大正天皇や永井荷風と同じ年にうまれたおっちゃんやねんけどそれがえらいモダンやねん。そのどれもがそのおっちゃんなんやけどわたしはこの「わかれ」ちゅう作品がいちばんこころに残ってる。皺のいった茶色いただの紙にふとい筆でしゅうーっと描いたあるだけの線がずーっとこころに残っていくねん。この絵をみながら一歩ずつ後ずさりしてみたらだんだんせつないきもちになってくるねん。ああ、お別れやねんね、って思えてくるねん。お能ていうのは型が大事でその型でいろんな感情をあらわすことができるってだれやしらんがいうたはったけどこの絵はそんな感じやねん。わびさびやねん。このおっちゃんのすごいとこは目に見えてるものを越えてることやねんて。並んでるどの作品みてもそやなあって思うわ。ボクのこころはこんなふうに掴み取ってるんやでってどの作品からも聞こえてきそうなんや。おっちゃんの名前はぱうる・くれえっていうねんて。ほんまにおもしろいおっちゃんやったで。
2006.02.10
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最近フリーマーケットによく行く。日曜ごとに近くの大きな駐車場にたくさんの店が並ぶ。そこへ足を運ぶたびにわたしはガラクタ好きなのだなあと思う。どこぞ古家の屋根裏部屋に上げてもらったらきっと埃にまみれながら、ひがな飽きもせず古い入れ物を開けては閉じして、出てきたものを陽に透かしてみたり身に当ててみたり、遠目に見たり手の中に転がしてみたりして楽しむことだろう。にこにこして、なにやらひとりごちながら・・・。ものがいいとか悪いとかではなく自分が気に入る入らないの基準でがらくたの山を漁る。それはなんとわくわくする時間だろう。フリーマーケットでも、古いものが並ぶ中サーチライトのように視線を移動させているとひょいっと止まるポイントがある。あれれと思って目を凝らすと自分の好みのものがコロンところがっている。おうおう待っていてくれたのかい?なんて気分でであっても値段が高いと手がでない。いいなと思うのはみな値が張る。香炉も一輪指しもあきらめた。先日は古い皿を見つけた。 なんだか懐かしかったから買った。こんな皿が実家にはあったような記憶がある。次の週骨董屋を見て回って似た皿を見つけた。北村薫氏に似たおだやかな店主に聞くとそれは印判とかいう種類のものらしい。明治から大正のものらしい。けっしていいものではない。が、なんだか思いが古き時代にひゅるひゅると伸びていく感じが心地よい。この皿は誰と会って何を見てきたのやらの気分なのだ。絵付けのいろいろの説明をしてくれる店主の話もなんだかのんびりとたゆたうようで来し方のどこかの時代にふいっともぐりこんでしまったような気がしてくるのだった。気がつくと印判のぐい飲みを買っていた。 店主はずいぶんとおまけしてくれた。これをご縁にとのことだった。ようこそ、骨董への思いなのだと。大小二つ。夫婦のぐい飲み。水を入れて今はもういない両親の写真の前に置いた。ふたりに会いにいけるような気がした。
2006.02.07
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ようやくキルトが出来た。95センチ四方のひざかけだ。いったいどのくらいかかったか、覚えてもいない。これは来週千鶴子さんのもとへ行く。これを作るのはなんだかつらかった。仕上げるのをこんなに渋ったことはかつてなかった。何年か前こんな作文を書いた。花柄のキルトという題だ。乳がんを病んだ友人の回復を願ってキルトを作ったという作文だ。これを読んだ千鶴子さんは、「あなたにキルトを作ってもらうには乳がんにならなきゃならないのね」と言った。それはほんの軽いジョークだったはずなのに、その後、千鶴子さんは同じ病と戦うことになってしまった。さるの手のお話のように、願いごとはこんなにむずかしい。ずるいようだが、わたしはずっとその言葉を聞かなかったことにしようと決めていた。たかがキルトのために病むなんてことがあってたまるものか、という思いだった。幸い、千鶴子さんの病気はことなきを得ている。まだまだ検査の欠かせない身ではあるが、元気で温泉にも行き始めている。もう、いいだろうと思った。千鶴子さんの憧れの先生の写真が載っている雑誌が手に入ってので、この次会うときに持っていくという。どんなにハンサムが見せてくれるつもりらしい。S先生の話になると声が弾む。このキルトは別な意味をこめて送ることにする。恋するキルトとでもなづけようかと思っている。裏にウール地を張った。千鶴子さんの身もこころも、ほわっとあたたかくなってくれれば、うれしい。
2006.02.06
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京都在住の親戚の子が鹿児島の中高一貫校へ入ることになった。当然寄宿舎にはいることになるらしい。その子の祖母にあたるひとが、「受かってうれしいが、12歳の子供が親元を離れて暮らすなんてかわいそうだ」と涙をこぼした。忙しい母親に代わって塾への送り迎えや食事の面倒をみていたそのひとにとっては、その子が遠くへ行ってしまうという寂しさは耐え難いように思われるのだろう。その子の母親に聞くと「本人はハリー・ポッターのホグワーツへいくような気分らしい」とのことだった。その子は小学校一年のときに机を運動場に出された子である。お前がいるとみんなの勉強の邪魔になる、といわれるほとふざけまわっていたらしい。母親の変わりに授業参観に出た祖母は、そのふざけた授業態度をみて、何度も殴りに行こうと思い、こぶしをにぎりしめたのだという。授業中はわかってもわからなくても「オレのところへ来い!なんとかしれやる」の気分で何しろ手を上げっぱなしで、先生にいくら無視されても懲りずにそうであった。そのなんとかしてやる、というのは笑いをとってやる、ということだからねえ、と母親は苦笑する。学校始まって以来という冠を何度も押し頂いた子である。「4階から雑巾しぼったりして、彼のいたずらには手を焼きましたが、それでもなんだか憎めなくて・・・」とおばちゃん先生のお気に入りになっていた。空手で身体と友達を作り、率直で素朴な物言いと人柄で人望を深めていく。お行儀のいいおりこうちゃんにはなれないけれどひとの記憶に残っていく。そんなふうな子だから、ちゃんとやっていける、昔の元服の歳だし、と、涙声のその祖母を元気付ける。「おばあちゃんは、入学式の一週間後に会いに行くって」と母親は苦笑する。ケータイもパソコンもゲームも持込禁止なのだという。そして「マージャン、花札も持ち込み禁止って書いてあるってことは、持ち込む子がいるってことだから、そういう子らがいるってことだから、ちょっと安心した」と母親が続けた。祖母は「テレホンカードを持たしてやらねば」と言った。山ほどのカードが思い浮かんだ。その先のことなどだれにもわからない。彼の人生はこれからだ。
2006.02.05
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朝ふっとmiyaoさんのことを思った。病気治療中の友人である。「今年はえらく寒いですね。あなたのことがあんじられます」メールを打った。折り返し、こんな言葉が送られてきた。「今日からまた入院して3回目の薬投与です。副作用で10日ほどは気分が悪いのですがその後は通常の生活を過ごせます。暖かくなるのが待ち遠しいです。精神はまだ平穏、心配しないでね。桜の頃には会えます」ときどき、こういうことがある。なぜ、今朝、彼女のことを思い出したのかが胸落ちする。よくはわからないけどふっと気になったりなんか連絡とらなきゃと思うとこんなふうにいつもと違うことが起こっていてああそうか、これが気になった原因だったんだなと納得することがある。たまたま、だから記憶に残っているのかもしれないがそう少ないことではない。電話すると、今あなたに電話しようと思ってたのよ、なんてよく言われる。ほら、超能力!とその時は、えばってみせるけどそんなもんはないと自覚している。かつて自分もだれかにこんなふうに気遣ってもらったからおなじことをしようと思うだけだ。平穏無事ならそれでいい。なにかあれば話を聞く。声を聞きたければ話もする。わたしにできることはそれくらいだ。
2006.02.01
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