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千鶴子さんの中3のお孫さんが最近言ったのだそうだ。「わたしにも春がきました」そのままの言葉で言ったのだそうだ。おばあさんに彼女ができたという報告するこのことば、すごくイカシテル!。このひとことがものがたるふたりの歴史があるのだ、と感じ入る。お孫さんのことばはそのあと、「おとうさんとおじいちゃんには言わないで」とつづく。ヒミツを共有できるおばあちゃんは素敵だ。しかし千鶴子さんはそのことに漫然と満足しているだけではない。早速そのことばを使って短歌を作り、新聞社へ投稿した。六月六日は千鶴子さんの誕生日なのだがお孫さんはいけなくてごめんねとあやまったのだという。いいのよ、と千鶴子さんは言った。いままでおまえのことをうたった短歌で5回も入選して賞金をいただいているから、と。今度の作品もそうなるかもしれない。
2006.05.31
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幼稚園の送り迎えをするころからの知り合いであるミサさんと話す機会があった。ちなみに彼女の娘さんは息子2の初恋のひとである。ミサさんとはずっと仲のよいともだちというのではない。折りにふれ連絡がきたり、町でばったりあってなんとなく話をして、なんとなく気のあうようなあわないような微妙な感じででもお互い決していやじゃない、という感じの付き合いをしてきた。ミサさんはひとりっこでだれかとべったりいっしょというのは疲れてしまうらしい。ひとりで決めて行動することが多くて、ときどき言葉が足りなくて誤解されるのだという。そういえばミサさんは適当な距離を置いてひとを眺めているようなところがある。人生を達観してるように見えなくもない。ミサさんは長く書道をたしなんでいる。お教室で自分より後からはじめたひとが自分よりはるかに上手い字を書くことがあるのだという。それを聞いてちょっと驚いたわたしが「そんなとき、ねたましく思うの?」と聞くとこんなふうに答える。「きっといつかあのひとも壁にぶち当たるに違いないって思って溜飲を下げることはあるわ。書道は上手くいっても生活のほかの部分で上手くいかないことだってあるだろうって彼女の上手くいかないいろんなことを考えてるうちにだんだんばかばかしくなってきて考えるのをやめて、早く寝よって思えるようになるのよ」これはミサさんのほんとうの言葉だ。そういう思いはどのひとのなかにもひそんでいる。きれいごとは誰はばからず言えるがこういうほんとうのことを言える相手は限られる。そして自分の弱点を認めたうえでの言葉は説得力がある。ミサさんはこんなことも言う。「ひとはみんなだれだって自慢したいのよ。よくよく聞いていればどの話もそんなふうよ。ただ露骨に言うひととうまく言うひとがいるだけ。小気味いいくらい直球ど真ん中の自慢もあるしえんえんと遠回りに自慢するひともいるわよ。なんの話をしててもしゅっと自分の自慢話にすりかえてしまうのがうまいひとには閉口するわ。でもね、そのひとの自慢なら聞いていてもいいと思えるひとが友達なんだと思うの。だからもうこのひとの自慢を聞きたくないって思ったら友達をやめることにしたの。わたしは何年か前にそういう線の引き方をするようにしたの。人生の残りの時間を自分のために使うにはひとの自慢聞いてばかりいるわけにはいかないじゃない。更年期はそういう線引きをする時間だと思うわ」なるほどなと感心マニアのわたしは感心してしまう。彼女は48歳のとき、娘ふたりを連れて海外に語学留学をしている。そのとき周りの人間は非難轟々だったらしい。自分はそのときに友人の線引きが出来たからよかった、という。こうでもしないときれないしがらみみたいなものがあるのよ、とも。「今でもわたしはトランクひとつでどこへでもいけるわ」なんていう彼女の自慢のあれこれをわたしは聞いてあげてもいいなと思っている。
2006.05.30
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東京大学へ行った。五月祭なのだという。28年前に一度だけ行ったことがある。人生で2度目の東京大学。安田講堂の前でロックバンドがギンギンノリノリの演奏をしていた。その耳をつんざく音響を銀杏の並木が吸いとっていた。学園祭なるものは30年ぶりか。模擬店が並んで客引きの声にぎやかに。笑い声響き。一生懸命勉強してきたひとたちの青春なんだねえ。生協には東大グッズがそろっている。東大饅頭、ゴーフル、ワイン・・・。東大の名の入った履歴書もある。なんだか苦笑する。頭のなかで模擬店や喧騒を構内から消し去ってみるとなんとも贅沢な空間がそこにある。大樹が見下ろし、存在感のある建物がかもし出す空間。何者かになろうとするひとたちの踏みしめた道。わたし自身には縁のない場所ではあるのだけれど重厚な建物を眺めているだけでも思索が深くなるような気がしてくる。三四郎池なんぞによってみればますます人生の意味を問いたくなるではないか。本郷7丁目にそんな大学がある。
2006.05.28
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千鶴子さんが小説を書きました。 で、ご紹介いたします。 *********** 「カラスと猫と婆さんと」 五月はカラスの生活がなにやら忙しげである。 カラス同士で問答している。 何といって言っているのか、カラス語が分かれば面白そうだ。 クリーニング店で洗濯物をかけてよこすハンガーと、小枝で作った巣で、カラスのカア美(カー子では平凡である)は卵を生んだ。 カア美はカア哉にこう告げた。 「カア哉、私アンタの卵生んだよ」 「嘘付け。何がアンタの卵だ。俺そんな覚えないぞ」 「ええ!だってあの時さあ」 「うるさい。あの時もこの時もあるか」 カア哉はどこかに飛んでいってしまった。 バス停のある三角公園にいたカア美は赤門町のメインストリートである赤門通りにやって来た。 誰でもいい。格好のいい雄ガラスを見つけたら、また同じことを言うつもりである。 電柱の天辺に上ったカア美は、ひと声高く「カア」と叫んだ。 その瞬間、赤門通りをテリトリーとするノラ猫の風太が、「ニャー」と呼応した。 風太は自分もカラスになったつもりでいたが、カラスの声は出なかった。 いつも、この通りを通って買い物に行く、背の曲がったお婆さんが、この問答を眺めていた。 そして猫の顔をじっと覗き込んだ。猫は丁度そこに駐車していた車の下にもぐりこんだ。 まもなく小さな袋をさげたお婆さんが戻って来た。 好奇心の強い婆さんらしい。曲がっている背を更に丸めて車の下を見た。 もう風太はいなかった。電柱を見上げたが、カア美もいなかった。長い春の日もようやく暮れようとしている。 カアと啼くカラスにニャーとお応じたる 猫は吾見て車の下に隠る 婆さんは低い声で呟いた。そしてたるんだ頬をにんまりとゆるめた。 一首できたとご機嫌なのだ。これでも短歌だと思っているらしい。 (了)
2006.05.27
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肩が凝って首を勢いつけてコキコキと傾けているときに大きなクシャミが出たのでした。づっきーん!と激痛が首筋から脳天まで走りましたです。もうもう死ぬほどでございましたです。こんなのは生まれて初めてのことですが神経の通り道の脱線事故のようなものかと推測いたします。びりびりびりと痛みが続き神経のつながりに不安が湧き出しああ、これでいろんなものにさよならか!まだまだあんなこともこんなことのしたかったぞとまで思ってしまうありさまでありました。わたしのおつむのなかにはまだ実らない言葉の穂がたくさんあるのに実らないままに立ちがれるのかあ。。。などとおばかなことを真剣に思いながら「いったーい・・・」と泣いておったのであります。そんな忍の一字でただただ耐えるのみの時間が過ぎてやがてしびれすぎた足に感覚がもどるようなペースで痛みが引いていったのですがその痛みを耐えるために力を入れてた部位がまた凝ってまたぞろ勢いつけてコキコキとしそうになっていかんいかんと思いとどまりそろそろと息をしつつ筋を押さえたのでありました。そうしてわたしは思ったのでした。人生何か起こるかわからない、と。頚椎なんて配線が一本狂っただけで坂道を転がり落ちるほどえらいことになるなあとそら恐ろしくなったのでした。そんなわたしは息子2に向かって言ったのでした。明日のいのちの保障はどこにもないんだからね言わねばならんことはきちんと言っておくからね、これからは新庄の引退試合と同じで毎日が遺言作成日なんだからねかあさんがいなくなってからなにか言ってとすがっても手遅れだからねだから心して聴いておくように。「経済は計画的に」これは順々と言い聞かせるのにいい手だなとか思っていたら外国との通信のタイムラグのような微妙にずれたタイミングで息子2のへいへいへいとういういつも以上にまのびした返事が苦笑とともに返ってきたのでありました。なんだか空気が抜けるような感じで。かあさんあしらいのうまいやつであります。なんだか別な意味で頭痛かったりいたしますです。はい。
2006.05.24
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図書館へ行く途中にあるおうちの出窓です。古くてだいぶ傷んでますが、なんだか好きです。たくさんの思い出をその内側に抱いているようでたくさんの場面を彷彿とさせてくれみたいで昭和のどこかに運んでいってくれそうでいつもたたずんで眺めてしまいます。キキキと音をたててその扉が開いたらどんなひとが顔をみせるのだろうと勝手な想像をいたします。若い夫婦がモダンな家に住んだ。子供を得てにぎやかに日をすごし老いた夫婦となって今は静かにまた向かい合ってここで暮らす。なんてことを思ってみたりいたします。
2006.05.23
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夕べ乗換駅で電車を待っていると隣りに立った中年のサラリーマン風のひとがはっきりとした声で独り言を言った。「ケース バイ ケース!」電車来てもそのひとは乗り込まずホームにひとり立ち尽くしていた。口元が動いてまだなにか呟いているようだった。どことなく不安定な感じがしてふっと、あのひとがこの後来る電車に飛び込んだら?と不安になった。そしたらその最後の言葉を聞いたのはわたしになる。むろんそんなことは起こりはしないのだけれど「ケース バイ ケース!」と言う言葉がなんだか耳に残っている。
2006.05.20
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息子1が聞いた。「五尺三寸の糞ひり虫ってなんだったっけ?」「そりゃ人間のことだけど、何にあった?」「むかしおかあさんに聞いたのを思い出して・・・」その昔、若いおかあさんだったわたしは自分の思い出の中のその言葉を君に教えた。この言葉を呪文のように唱えた時期もあった、と。それはジョージ秋山氏のコミック「放浪雲」のだんなの台詞だ。十代のわたしが人生を教わっただんなだ。はぐれのだんなはあこがれだった。そんなふうに生きたいとおもっていたのだ。みんなといっしょがいいのにどうしてもはぐれてしまう自分をどうしようもなく持て余していたころのことだ。彼我になんの違いがある?同じ五尺三寸の糞ひり虫じゃないか、そう思った時の自分。そこがわたしのはじまりではなかったか。長く生きるとそんなはじまりこのことも忘れてしまって人生にたくさんの注文をつけてしまう。ああであれかし、こうであれかし、と。そして自分がなにかしら特別なものになれたような気がすることもある。でも、いくら傲慢ぶちかましてもなにがどうあっても五尺三寸の糞ひり虫なんだよね。上手く生きても生きなくてもわたしたちは五尺三寸の糞ひり虫。むなしい言葉としてではなく等身大の自分にかえる言葉。障害走のとびきり難コースに思えるレーンに立つ息子1がふっとそんなことを思い出す。そうさ、君もわたしも五尺三寸の糞ひり虫。
2006.05.20
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友人から手紙をもらった。お習字を習っていて美しい字を書く人なのだがめずらしく横書きに文字が並んでいた。短く近況が書いてあった。散歩に出かけたところの緑に思いを深くした、とあった。なにげない文章の行間にこちらを案じてくれている息遣いがあった。カルチャーに向かう山手線のなかで読んだ。泣きそうになって唇を噛んだ。とてもありがたくとても申し訳ないような思いがわいた。
2006.05.19
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家事の最中に電話が鳴る。「はいはいはい」と受話器を取る前から返事をしながら駆け寄る。「はい」と答えてこちらの苗字をいうとプツっときれてしまう。その瞬間、受話器をにぎりしめたままなんというか、世界にぽつねんと取り残されたような気分になる。間違いだったかのかと最初は思う。しかし、故意の無言電話であるのかもしれない、と思い始めるといささか首筋が寒くなり、己の来し方にため息がでる。だれぞのうらみを買っているのか、と自問する。こっちが負け組みなんだからそんなことはないだろうと思う。不義理の故か。こころくばりが足りないゆえに誰かを傷つけてしまったか。あるいは、わたしのかたくなさがとざしてしまった扉の向こう側からのものか。わからんことだ。いくら考えても答えはでない。では、と妄想をたくましくしてわたしにあこがれているひとがどきどきしながらうちの電話番号を押したのだろうと思ってみる。わたしが出たら、慌ててしまって、思わず切ってしまったのかもしれない。そうして大きなため息をついたのかもしれない。そういえば、若い日にそんなことをした。そのひとがいないことがわかっていながらかけたこともあった。当時はダイアル式の電話で、数字の穴に指を入れて止め金のところまで回した。まわった台は時間をかけて元にもどる。そのもどる時間にたくさんのことを思ったような気がする。あこがれは不安に縁取られていたなと思い出す。51歳の初夏の無言電話にそんなあこがれがあるとも思えない。たとえ誰かに恨まれているにしてもひととかかわって生きてきたっていうことでありそれもまた自分の生きてきた証なのかもしれんと思ってみるといろいろあるんだよ、人生は、なんて気分になる。なにも聞こえてこない電話から伝わってくるものが自分を浮き彫りにする。
2006.05.17
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ひさしぶりに千鶴子さんと話した。うつうつとした日が続いていたがようやく電話できたので、そろそろわたしも回復期かなあ、と自己診断する。いや、今日は天気がよかったからだなとも思う。まったくもって気分が天候に左右されてしまう。わたしはふとんが干せる日に、いちばん機嫌がよくなるらしい。開口一番、千鶴子さんが言う。「わたし、にくづめになっちゃったの」「えっ?」とわたし。「それで足の指が膿んじゃって、はさみで切られちゃった」「えー? それ、ひょっとして巻き爪じゃないですか?」「あ、いやだ、そうよ、巻き爪よ。にくづめはピーマンね」「千鶴子さんがすごくふとってしまったってことかと思いましたよ」「でも、3キロ太ったのよ」「じゃ、お食事は軽めがいいですね。日本蕎麦はどうですか?」「そうしましょう」「でもてんぷら食べたらダメですね」「そうねえ」なんて、にくづめ二人組の話は続く。その巻き爪の切開した足にビニールを巻いて風呂に入る様子などを聞く。ひとには見せられないけど、すごくその入り方が上達したのよ、なんて千鶴子さんが自慢する。きっといつかこの一連の出来事もオツなエッセイになっているに違いない。
2006.05.15
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昨日、小雨が降る朝早くにコンビ二へ行った。その途中の団地に、花大根を見ていたとき、声をかけてきたあのおばあさんがいた。小雨のなか団地のゴミ置き場の掃除をしていた。わたしがその前を通ると「まあ、どうしたの?大丈夫?」と声をかけてきた。朝早くだったせいもあって左頬に肌色のテープを貼らないでガーゼのまま出かけた。そのガーゼを見ておばあさんがそう言った。もう片頬になって十一年が経つ。数え切れないほど同じ質問をされた。言葉にならない視線が問いかけてくることもあった。好奇心はだれにでもある。あのひといったいどうしたのかしら、知りたいわ、という思いがにじむ声もあればああ、なんだか可愛そうに、わたしがそうでなくてよかったわという響きもある。普通ではないことが気になる人もたくさんいて、奇異なものを見るような視線には無言で詰問しているような気配がある。立ち入ってはいけないと思いつつも気になってつい見てしまうという感じのちらちらとした視線にはいらいらさせたれたりもした。そのたびに過敏に反応してしまう自分がいやだったけれど相手が自分を見て反応してしまうのもまた自然なことかもしれないと思っていた。十一年の間、そんなことを重ねているうちに同じ言葉でもその声に含まれる何かが違うということがだんだんわかるようになった。相手がどんなこころもちでたずねているかがなんとなくわかってしまうようになった。信号待ちしているときに振り返った工員風のひとは「どうした?痛むか?」と聞いた。露天商のおにいさんは「可哀想に、はやくなおるといいな」と果物のおまけをしてくれた。そのふたりの言葉はいいようもなくあたたかだった。このおばあさんの声にも痛みを案じる思いがあった。あたたかい手を差し伸べるような声だった。あたしになにかできることがあるかい?という思いもいっしょに伝わってきた。痛みは不平等だ。それぞれのキャパが違うから一様に語れるはずがない。しかし、不等式もつけられない。それを感じる当人の感受性のキャパにも違いがあるからだ。初めて転んだ時の痛みはそのひとの人生最大の痛みであり何度も転ぶようになると、人生のなかの並の痛みになる。同じところで同じように転んでも人生で初めて転んだひとと何度も転んだひととでは感じかたが違う。感受性の違いは理屈では埋められない。それでも遠い日の痛みはあたたかさに変わる日がくるように思う時がある。むろん変えられないひとがいるのも事実だがこのおばあさんのような人にあったときあったかさのむこうの痛みを思いそうなれるのかと自分に問う。
2006.05.11
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みどりさんと話していた。ひとり暮らしのばさまの仏壇の蜘蛛の巣にかなりの埃がついていた話をしたら、みどりさんは「思いで動いてないとそうなるのね」と言った。その言葉をずっと考えている。加齢よる記憶障害は誰にでも起こりうる。生きてきた記憶はさらさらとどこか知らないところへ流れていってふっと消えてしまう。しかも、忘れたいこと忘れたくないことを選べない。こんなことまで忘れてしまうのかと驚くことも多い。わたしも例外ではなく、驚くほどたくさんのこと忘れている思いからではなく義務で動いていると、つまり、こうしたほうがいいから、とか誰かがそういうから、とかそうしたほうがみんながよろこぶから、とか最後のところの責任逃れのように主体を明け渡していると記憶はそこから途切れていくのではないか。みどりさんの言葉の意味はこういうことのように思う。いずれどの記憶も消えていくのだけれどその順番が人生の決算のようにも思えてくる。思いの主体は自分だ。ミーメッセージでなく誰かの思惑で動いていると、そのなになにすべきの「べき」に逆襲されるように思う。「べき」ことは感熱用紙に印字された文字のように消えていってしまう。自分がしたいからしてきたこと。そういうものが背骨のように残るのだろう。自分が大切に思ったことが最後まで残る。お人形を抱く老女を見るとそんな思いがわく。最後の最後に自分の胸に残ったものが自分の人生の主題なのかもしれない。
2006.05.11
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海老蔵の娘姿を初めて見た。花道からあでやかな顔立ちの藤娘が現れると歌舞伎座は、おおーとどよめく。襲名興行以来、久しぶりの歌舞伎座に現れたその瞬間、海老蔵は劇場内のこころをぎゅっと掴む。「きれい」拍手の合間にそんなため息が聞こえる。このひとの踊りはきめる踊りだ。ある瞬間自分がこの上なく美しく見える角度で体が止まる。どの役者もそうなのだろうが、このひとは自分の見せ方を心得えており、常に意識している。次々に衣装を変えても美しい。初々しく可憐な、それでいて情の深そうな藤娘の心根が伝わってくる。がしかし、現実にこのひとの体はたくましく鍛えられた男の体だ。武蔵役になりきり、信長をこなした男の体がある瞬間、女形の踊りの窮屈さを訴える。あらゆる関節をたわめ、かがみ、傾げても男の体の線がひょいっと現れる。正面から見たときの首の太さは大衆演劇の座長のようですこしせつない。横を向いて真直ぐに潔くきっぱりと伸びた腕の強さ。一瞬体操の技のように見えてしまいふっと違和がわく。もうすこし柔かさやふんわりとしたまるみがほしい。中村雀右衛門さんは内臓から女形になれといわれたのだという。女形の体の線はそんな風な努力で作られている。一朝一夕にできるものではない。ちなみに今回も雀右衛門さんにはプロンプターがつき、台詞を教える声が客席にまで届いた。これがはじめてのことではなく、そのたびに客席がざわめく。今回は花魁の役で大きな花魁下駄を履いていた。転びはしないかと心配した。歌舞伎座に立つことの意味を考えさせられる。さても藤娘というのは踊りの習い始めにさらうものなのだとトイレに並んだ後ろのおばさんが言っていた。この踊りがはじめの一歩なのだと知らされた。いやいやそんなことは全部呑み込んで、なお、思う。美しい。それが全てだ。
2006.05.09
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miyaoさんから手紙がきた。手書きの手紙が届くのはひさしぶりだ。不義理ばかりしているわたしにめったに手紙は来ない。来ないときはなんとも思ってなかったのにたった一通舞い込んでくるとよけいにさびしくなったりするもんだ。とはいえ、実はこれは返事なのだ。先日、フジタ展で求めた絵葉書を送った。そのいきさつは以前に書いた。ふさぎ虫 あなただけじゃない。 2月になった。 FUJITA いやいやこんなに書いてたんだなあ。積み重ねってたいしたもんだなあ。最近は面接でブログを見るらしい。長い時間、まじめに書き続けていることが評価されるのだとか。はてなの社長が言っていた。わたしは就職しないんだから関係ないんだけど・・・。閑話休題病気治療中の彼女といっしょに行きたいと願って買ったフジタのチケットだった。彼女の心配通りかなり込み合っていた。絵葉書を買って帰った。朝の買い物と猫と小さな職人たちを送った。一筆箋に短く伝言を書いた。その返事に彼女の懐かしい字はすらすらとこんな言葉になっていた。「4月21日にクスリの投与が終り病巣も小さくなり、転移も今のところ見えないのでしばらくは様子を見ながら週一回の検査のみになります」ああ、よかった。そうたやすい病気ではないのは承知のうえだがムカつき、吐き気がおさまったと知るとそれだけでホッとする。付き添い人つきではあるがデパートや映画館に出かけているのだという。「会うお約束をしたいと思います。石川町で会いましょう。電話をするので待っていてくださいませネ。たくさん話があり、とてもたのしみです」何度も読み返す。字を追いながら笑みがわいてくるのがわかる。元気そうでよかった。また元気で会えることがうれしい。どんな話なんだろうと思いをめぐらしている。わたしは彼女を笑わせるような話ができるだろうか。いや、話は流れだ。滞ったら滞ったでいい。泣きたくなったら泣いていい。自然でいよう。それでも、いやー、このあいださー、息子の携帯洗っちゃってさーもう頭あがんないわー。なんて今日の失敗を言っちゃったりするんだろうなあ・・・。くくくくく、と彼女は笑うに違いない。
2006.05.08
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短編集がなかなか読み終わらない。ツンドクにして、ほおってあるわけではない。読み進みながら寝てしまう。けっして難解でありすぎるわけでも、つまらないわけでもない。ほほーと感心しているのに、文字が躍りだす。単行本4ページ分しか集中力が持続しないそんなおばさんになってしもうたのかもしれんという不安とたたかいつつそんなわずかな集中力にも訴えてくる一編のことを書いておこう。「アイロンのある風景」登場人物の過去は決して詳しくは語られない。2月の真夜中に茨城の浜辺でにただ流木を燃やす三宅さんとそこに駆けつける順子のおなはし。名人三宅さんの計算しつくされた焚き火の火は意味あるものとなってふたりの過去をすこしづつ照らし出す。照らされた部分と闇にとけた部分のコントラストが短編に深みを与える。語られない人生に思いが走る。その塩梅が短編のいのちなんだろうな。象徴することのむずかしさはひとりよがりにならないことだな。すべてのひとにわかるというわけにはいかないけど自分にしかわからないというのは作品として難ありだな。普通の言葉の奥行きを信じることの意味は深い。つまり普通の言葉の可能性を自分が探すということなんだな、きっと。普通の言葉がより深くこころに残るんだな。「そこにある炎は、あらゆるものを黙々と受け入れ、呑み込み、赦していくみたいに見えた。ほんとうの家族というのはきっとこういうものなのだろうと順子は思った」この二行の向こう側に人生がある。
2006.05.06
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あと30分は今日だから、という時間にコンビ二へ牛乳を買いに行く。通り道にある公園のブランコのそばで男性がふたりキャッチボールをしていた。水銀灯が照らすふたりは短パン姿だ。乗り付けた自転車にはバットケースも括りつけられていた。パツーン、パツーンとグラブをならす乾いた音の合間に「こんどいっしょに行こうよ」「ああ。みっちゃん、どうする?」「どうする?」なんて会話が聞こえてくる。牛乳2本を買ってまた公園に差し掛かるともうボールの音は聞こえない。ふたりはブランコに腰を下ろして煙草をくゆらせている。時折ブランコを揺らしながら、つきることがないように話しこんでいる。ああ、もう、ふたりともおとななんだと気づく。それでも夜中に自転車で公園へ行って友達とキャッチボールをする。そんな子供の日のおわり。霞のかかった半分の月が見ていた。
2006.05.05
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あのなあ、夜中に黙って家を出て翌日の夜まで帰ってこない息子を持ったかあさんていうのはちょっと不幸なんだぞ。想像力ってのは、まずいことのほうに著しく働くもんなんだからな。たしかに君はもう成人してるし働いてもいる。いちいち口出しするなという思いはわからなくもない。行き先がどうの、友達がどうのと言うつもりはない。しかし、連絡というのは心遣いだぞ。ひとりで暮らしてるわけじゃないんだからな。働いていればそれくらいわかるだろう?一本の電話で安らかに眠れるひとがいると思ってくれ。諦めと信用はちがうぞ。なんてことを機関銃のように打ち付けてやるんだ!と決心して手ぐすね引いてまっていたのに息子2は帰るなり、もう寝るといって寝てしまう。その枕元で「あのなあ」と言いかけると「この家に帰りたくなったから帰ってきた」と制されてしまう。そうかあ、この家に帰ってきたかったのかあ・・・なんてそんな文句で騙されるもんか!何回言ったらわかるんだい!「ちゃんと、連絡してちょうだい!」という母の願いに息子2は「おおー」と寝言で答えた。・・・小梅太夫の気分。
2006.05.03
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わたしは他人志向の小心者の自意識過剰モンだからどうにも褒め言葉に弱い。またたびに酔う猫のようにうかれおばさんになる。単純にうれしいのだ。生きてる甲斐は褒め言葉なのかもしれんな、と思ったりするのだ。しかし、やっぱり他人志向の小心者の自意識過剰モンだからそんな自分が恥ずかしくもあっていやいやそんなによろこんではいかん!と自分をいさめたりする。逆に言えばけなし文句がいつまでも気になる。これまた、かっこわるいが事実だ。ああ、そういえばあんなふうに言われてしまったと踏まれた足の痛みを自虐的に反芻するようなところがある。反面、瞬間的には怒髪天なのに片側に理性というものがあり、しかも他人志向だから自分をよく見せることにはこころを砕くわけで自分の装いを変えるように半ば常習的に無意識に、半ば反射神経的にその高ぶった感情をなだらかなものに変えてしまうこともある。ニカっと笑うことさえあるかもしれない。しかしその押さえこんだものはうちに籠もり阿古屋貝の核のようになりいまではけっこうどす黒い珠になっていることだろう。しかも、いや、そんな人間ではありませんのよ、わたしはという顔はいくらでもできる。そういう人間に石を投げなさいといわれたら投げてしまうかもしれない。いやはや実に因果な性格だ。扱いづらいことこの上ない。それが自分だから困ってしまう。とまあ、大げさに書けばこのようなことになるのだけれど実は自分の作文に「読ませていただいて 切り口がすごいな~~と思っておりました」とか 「夢中になって・・・読み進めていました」なんてお言葉頂いて、うかれとるのです。というのも、その言葉は「最近面白くない」といわれてしまってならば!と発奮もできず へなへなとなり考えすぎ!とか言われて、考えなさすぎも嫌だなとおもいつつもそんなことを思う自分はいつまでもおとなになれない未熟な人間のような気がしてきてまあそんなこんなで更新できないままにおいていた文章群のことだったからそうかあ、あれを読んでそう言ってくれるひともいるのかあとうれしくなったのだ。しかも「ずいぶんしっかりした日本語を書き残す人だなと感心してみています。大袈裟なようですが、読んでいて、鳥肌が立つというか、この人、並みじゃないなとずっと思いつづけています」おおー、うれしいなあ。わたしかっこわるいです。わたし単純でみっともないです。他人志向の小心者の自意識過剰モンです。だから言っちゃいます。この褒め言葉ものすごくうれしいです。更年期なんて人生のあらゆる試合に負けてしまったようなひどい落ち込みのぬかるみを行くようなものでそれは常に胸焼け状態でときどききりきりと差し込む胃痛を抱えてる日々のようなものでそこへ届けられたこの言葉遠来の見知らぬひとに頂いた胃薬が効いてくる。まことにまことにありがたい。またがんばろっと。
2006.05.03
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「村上春樹全作品集1990~2000 3 短編集」という本を読み中だ。わたしは村上氏の周回遅れの読者なので、多くの人にとっては自明のことかもしれないことにいまさらのように、おおー!と新鮮に驚いている。好奇心に満ちた幼稚園児のように「!」マークの連射である。「ノルウェイの森」と、他はわずかな短編しか読んでいないわたしは村上さんというひとを知らないに等しいのでこれは勝手な言い草なのだが村上さんは、なんとなく、華麗なるギャッツビーに出てくる語り手のひとの感じがする。隣りに住んでて、いろんなこと見てたひと。きちんとしているところとか穏やかさとか気遣いだとかがそこはかとなく似ているような気がする。「レキシントンの幽霊」を読むとそんな感じがする。しかし「緑色の獣」と「氷男」はなんだか毛色が違う。舞台というか状況というのかとりまくものが星新一さんの作品のようにぶっとんでいるのだ。いきなりぶっとんだ世界に引きずり込まれて緑色の獣にプロポーズされたり氷男と結婚して南極から帰れなくなった女主人公の苦境に遭遇する。これはなんだか救いのないおはなしでどうも訳がわからんのだが、それでも文章がよくて比喩も冴えてて、なんだか読んでしまう。読んでしまってなんだか納得してしまう。そしてそれはどういうことだろうと考えている。訳がわからず納得するというのはある種のペテンにかけられているようなものかもしれない。なるほど小説家は読者をペテンにかけるものなのかもしれない。ありもしない世界に引きずり込んでさも本当にあることのように述べ立てて読者の心を捩るのだから。それが心を捩られて腹立たしいかというとそうでもなくなんだか言葉に酔うたようなこころもちなのだ。酔いながらそうかそうかと納得する納得上戸になってしまうのだ。つまり文章力というのはそういうことなのだと気づかされる。そのぶっとんだ世界をこしらえるのもそのぶっとびを納得させる技も、素材は言葉のみなのだ。解題のページで村上さんはこの二作についてこんなふうに書く。「まず最初に簡単なスケッチのようなイメージがあり、それをどんどん肉付けし、文章化して伸ばしていった……。書き上げるのにそれほどの時間はかからなかったように記憶している。そこに入っていって、出てくる。出てきたときには作品が出来上がっている、という感じだ。一筆書きというか、そこではスピードが大事な要素になる。イメージの尻尾を捕まえたら、絶対に離さないで最後まで一気にもっていく。もちろん書き上げたあとで文章をあれこれといじるのは同じだが書き直しても話の全体の感じがそれほど大きく変わることはない。」なるほどー、そういう小説作法もあるのだなあと感心する。そしてなおも驚いたのは「神の子どもたちはみな踊る」に言及し「象徴性のようなものを大切にしたいときの書き方」として説明されたこの言葉だ。「それぞれの作品は筋書きた枠組みを前もって決めることなく冒頭のシチュエーションだけを設定してあとは自由に書いていった。たとえば『かえるくん、東京を救う』では「銀行員の片桐さんがアパートの部屋に帰ってきたらそこに言葉をしゃべる巨大な蛙がいた」ということだけを決める。そこから話を進める。あとは成り行きである。(どうなるか)僕にはわからない。でも書いているうちに、だんだんそれがわかってくる。象徴性というものを大切にしたいときは僕はだいたいいつもこういう書き方をする。前もって何か決めてしまったら象徴性の自由さが損なわれてしまうからだ。それは書くという行為のなかから、ごく自然に自発的に湧き出してくるものでなくてはならない」またしてもよくはわからないことのにそうかあ、そういうものなのかあと納得してしまう納得上戸になっている。
2006.05.02
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