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「オペラでわかるヨーロッパ史」の上梓をきっかけに、朝日カルチャーセンター新宿で、「歴史とオペラ」をテーマに講座をもたせていただいていますが、4月〜5月の講座も決定いたしました。 今回は、「イギリス王室の舞台裏」がテーマ。扱う作品は、ずばりドニゼッティの「テューダー朝女王三部作」です。アン・ブーリンの最後の日々を扱った「アンナ・ボレーナ」、エリザベス1世とメアリー・ステュアートの対決を、史実にはなかった2人の対面をハイライトにすえて描く「マリア・ストゥアルダ」、そして年下の恋人の裏切りに狂乱する女王が主人公の「ロベルト・デヴェリュー」。いずれも、日本ではなかなか上演の機会に恵まれませんが、 メトロポリタン歌劇場でこのところ連続して新制作されるなど(いずれもメト初演)、ちょっとしたブームになっています。歴史上でも華々しい事件揃いですが、音楽的にも聴きどころ満載。ちょうど「ロベルト・デヴェリュー」は、この5月にMETライブビューイングで配給されます。 https://www.asahiculture.jp/shinjuku/course/36cab149-ef7f-2922-3f4b-56a2ce0f78b1METライブビューイングのサイトはこちらです。 http://www.shochiku.co.jp/met/program/1516/
February 22, 2016
1853年に初演された「イル・トロヴァトーレ」は、ヴェルディのオペラのなかでは3本の指に入るくらい好きなオペラです。そもそもヴェルディにはまったきっかけは、シッパースの指揮した「イル・トロヴァトーレ」のディスクでした。コレッリ、シミオナートなど、いわゆるイタリア・オペラ黄金時代のスターを集めた歌手もすごいですが、何よりシッパースの疾走する指揮にしびれました。ヴェルディは指揮者!だと思うきっかけのひとつになったディスクかもしれません。 前からここで書いているように、今週、東京二期会はその「イル・トロヴァトーレ」を舞台にかけます。指揮はイタリアの若手アンドレア・バッティストーニ。演出はやはりイタリア人のロレンツォ・マリアーニ。パルマやヴェネツィア(フェニーチェ歌劇場)で上演されたプロダクションです(2010年にパルマで見ましたが、DVDにもなっています)。いわばレンタルされたプロダクションですが、今回はかなり手を入れた東京ヴァージョンだときいていました。 昨日、ゲネプロを覗いてきました。 まず演出。「東京ヴァージョン」だときいていましたが、いや、それ以上の変わり方といいますか。これが本当にパルマで見たのと同じものだろうか?と思ってしまったくらい。パルマでは、舞台上は白く、(物語同様)戦時のように瓦礫がちらばったような感じになっていたのですが、それが取り払われて、舞台の上は何もない。つやつやとした黒です。シンプル。でも美しい。その舞台にはかなり角度がついているので、舞台上の出来事がよく見えます。演技はより様式化されていましたが、ロマン派的、そして歌舞伎のような場面の美学で構成されている本作には、ふさわしく思えました。 背景にはいつも「月」(主人公のひとりである「ルーナ=月 伯爵」のイメージも)がかかっている設定なのですが、パルマでは三日月のような形もあったのですが、東京ではすべて満月でした。月の色も場面によって鮮やかに変わり、ラストシーンは緑色。マンリーコの処刑は、緑色から白に近く明るく変化した月の前で影絵のように行われます。これもパルマにはなかった(マンリーコはただ引き立てられて退場するだけ)演出でした。 大道具もより整理され、でもそれは「絵」としての舞台を生かすため。肝心の部分の装置〜たとえば第1幕第1場のレオノーラ登場の場面での白馬〜は、黒一色の背景のもと、よりあざやかに浮かび上がります。「黒」の背景は、このオペラがもっている「夜」の雰囲気にぴったりでした。 人物の登場の仕方もかなり工夫されていました。たとえば、冒頭のフェッランドの登場シーンは、彼が(戦争画の絵柄のある)緞帳の前に出て、聴衆に向かって物語の説明役を引き受ける、というような感じの演技がつけられていたのですが、パルマではそんな創意はなく、緞帳があがると舞台上にフェッランドが、というごくふつうの登場の仕方。東京ヴァージョン、なかなか、見せます。 演出のマリアーニ氏をつかまえて、どう変わったかちょっときいてみたのですが「より抽象的にした」という答えがかえってきました。たしかにそうです。より絵画的。デザイン的。普遍的といえるかもしれない。とにかく美しい。衣装も、以前ここで書いた「イタリアの赤」(いろんな赤のグラデーション!)が生きる第2幕など、ほんとに美しい。やっぱりこのオペラ、イタリア人にやってほしい!とつくづく思ってしまいました。ゲネプロの間終始舞台に目をこらし、カーテンコールのリハーサルでも細かく注文をつけつつ、ひとりひとりに「ブラボー」と声をかけていたマリアーニ氏。初日は開演前にマリアーニ氏による解説があるようです。 そして指揮も、ほぼ期待通りのものでした。 今回のオケは、いつも二期会のバッティストーニのヴェルディ・オペラで共演してきた東フィルではなく、都響。あまりイタリア・オペラという感じはしないオーケストラですが、かなりイタリア的な音に変わっていたのは驚きでした。息の長い歌はどこまでも柔らかく、弱音がとても美しい(大声オペラのイメージがある「トロヴァトーレ」ですが、実は弱音が多いオペラなのです)。リズムをきざむ弦のしなやかなこと。どのリズムも決して野暮ったくなく、洗練されている。そして、完璧に立ち現れる美しくも劇的な瞬間。それを聴くと、この28歳の指揮者が、オペラ全体を俯瞰した上で音楽を設計しているのだとわかるのです。美しい響き、美しい音と同時に、抜群のバランス感覚。もちろん勉強もしているでしょうが、やはり才能があるとしかいいようがありません。 「トロヴァトーレ」は美しい瞬間に満ちたオペラだ、といつも思うのですが、その本領のひとつに、第2幕の幕切れのコンチェルタートのなかでのレオノーラの歌い出しがあります。死んだと思った恋人に再会したレオノーラが、コンチェルタートのなかでその喜びを歌ったあと、一瞬休符があって、再びその喜びを歌い出す。あなたが生きていたなんて!この休符は、レオノーラの喜びのため息です。ここはたっぷりとってほしい。ですが、あまり休まずにささっと再開してしまう指揮者が結構多いのです。 バッティストーニ、やってくれました。たっぷり休んだのはレオノーラの息も止まりそうな喜びの表現。そして始まる、天上の扉が開くような美しい旋律。それはレオノーラの天にも昇る気持ちなのです。これこそ、「イル・トロヴァトーレ」の醍醐味です。これを聴いただけで、ゲネプロに行った価値がありました。 歌手も(ゲネプロですからみなさん100パーセントで歌ってはいないでしょうが)そろって奮闘。とりわけ清水華澄さんのアズチェーナは情熱的な声、劇的迫力満点。外国から招聘したテノールのサンドバルはテノールらしい声の色が魅力です。上江さんのイタリア仕込みのルーナ伯爵はスタイリッシュで、ベルカントの美感が感じられました。 音楽の美と舞台の美。イタリアから生まれたふたつが融合した「イル・トロヴァトーレ」は17日が初日です。お見逃しなく。http://www.nikikai.net/lineup/iltrovatore2016/
February 16, 2016
新日本フィルハーモニーの、新シーズンプログラム発表記者会見に行ってきました。 多くの方が発信していらっしゃいますし、新日本フィルのサイトにも会見の動画がアップされているので、ご存知の方も少なくないとは思いますが、一応サイトの当該の箇所を貼り付けます。 http://www.njp.or.jp/2016-2017season/index.html ここ数年のパターンを、まさに「刷新」した、という感じの会見(内容)でした。 なんといっても、新音楽監督の上岡敏之さんの「色」が全面に押し出されていることです。 新日本フィルは、10年に及んだアルミンクの音楽監督時代の後、音楽監督をおかず、ハーディング、そして1年だけですが、メッツマッハーをアドヴァイザー的なポストに置く形でやってきました。けれど結局、それは「誰も責任を負う人がいない」「不健康」で「非常に大変な」(コンサートマスターの崔さん)体制だった。楽団員の側からすると、かなりしんどい状態だったらしい。 なので、上岡体制のもと、気持ちを新たに、しっかりまとまってやっていく。そう宣言した会見だったように思います。 楽団のロゴマークも一新され、「名曲への扉」など、内容に応じてタイトルを分けていた演奏会シリーズも、すべて「定期演奏会」として位置づけられました。「トリフォニーホールシリーズ」「サントリーホールシリーズ」「アフタヌーンコンサートシリーズ」の3つからなる定期演奏会のシリーズは、それぞれ「トパーズ」「ジェイド」「ルビー」と、宝石の名前がついています。 顔ぶれも、一新。シーズンオープニング(得意のリヒャルト・シュトラウス。初めて新日本フィルを振った時もシュトラウスだったそう)をはじめ、上岡さんがひんぱんに登場するのは当然ですが、あとは正直、やや地味な感も。ハーディングの名前も見えません。けれどその顔ぶれも上岡色であるのは間違いなく、「トレーナー的な指揮者」を呼んだり、「近年やっていない曲」を積極的に取り入れたりと、かなりこだわりが強いことが感じられました。個人的には、鈴木秀美さんの指揮で「天地創造」が聴けるのも楽しみです。 上岡さんは新日本フィルの魅力のひとつを「地域に根ざし」(墨田区)かつ東京にある、というところにもあるという。オーケストラやオペラが地元と結びついているドイツで長年活動している上岡さんならではの着眼点かもしれません。 大野和士さんを迎えた都響、あるいはカンブルランやバッティストーニなど、外国の注目指揮者を招いて実力を伸ばしている東京のオーケストラ事情のなかで、上岡さんの手腕で新日本フィルがどのように力をつけていくか、注目です。 (上岡&新日本フィルの演奏会は、オクタヴィア・レコードで録音されていくということでした)
February 13, 2016
「珠玉」。 そう形容したくなるオペラは、じつはめったにありません。 たとえばモーツァルトの諸作など、そう形容されることがしばしばあるような気がしますが、たとえば「フィガロ」など、そうとうに複雑です。18世紀ならではのお約束事も多いし。とくに成人してからのモーツァルトの作品は、とうてい一筋縄ではいかない複雑さを抱えています。 けれど現在、metライブビューイングで公開中の「真珠採り」は、「珠玉」という形容にぴったりのオペラだと思いました。音楽の美しさ、ストーリーや登場人物のシンプルさわかりやすさ(悪人や屈折したひとはいません)、コンパクトさ(上演時間が2時間くらいとヴェリズモなみ)などの点においてです。けれど、だからといってこのオペラが面白くないわけではまったくありません。それどころかこの作品の音楽には、オペラの歴史の一端をまちがいなく担う豊かな水脈が流れ込みまた流れ出ていることがよくわかりました。ビゼーならではの、フレッシュな美感をたたえて。そう、まさに珠のように輝いている音楽。 ビゼー24歳のときに作曲されたこのオペラは、生前最初に上演された作品です(1863年初演。リリック座)。生前最初に、というのはビゼーはじつにいろんなオペラを書き散らしていて、途中でとまったものもたくさんあるから。実に30作近くのオペラに手をつけたのに、完成したのは5作くらい。だから24歳という若書きなのに、処女オペラではなく、その前にもいくつもオペラを手がけていたのはけっこうな驚きです。早熟ですね。まあ、彼が本格的に認められるきっかけとなった作品であることはたしかです。 物語の背景にあるのはパリで大流行していた異国趣味。「未開の時代のセイロン」という設定です。当時のセイロンで真珠がとれたのはほんとうで、ちょうど19世紀半ば、セイロンは「パール・ラッシュ」だったのです。あのフェルメールの名画「真珠の耳飾りの少女」に描かれた真珠も、セイロン産だという説があるくらい。当初、舞台をメキシコに設定するという話もあったようですが、セイロンにして正解だったかもしれません。ビゼーの柔らかく、きらめく音楽は、「真珠」に触発されたのかも。 ほんとうに、ここでのビゼーの音楽は光を宿す真珠のように輝いています。やわらかな旋律、細やかなオーケストレーション。有名なアリアや二重唱のとろけるような旋律。その先にはプッチーニがいるような感触。そう、聴いていて、プッチーニがフランス・オペラの影響を受けている作曲家であることが思い起こされました。マスネやドビュッシーの影響はよく言われますし、ビゼーだって「カルメン」は言われたりしますが、 「真珠採り」もその中に入るかもしれません。 そう、今回の公演が魅力的だったのは、この作品の「その後」と「その前」のオペラの流れをいろいろと想像させてくれたからです。合唱の多彩さはもちろんフランスのグランド・オペラですが、 そのなかにムソルグスキーの「ボリス」を思わせる手触りがあったり(「ボリス」のほうが後)。第3幕のバリトンとソプラノの緊迫感溢れる二重唱では、イタリア・オペラのリズム感がきわだったり(「ルチア」や「トロヴァトーレ」を想像しました。「トロヴァトーレ」のフランス語版は1856年にオペラ座で上演されました)。そういえば、巫女と禁断の恋という設定は「ノルマ」のようです。ベッリーニもパリで愛された作曲家でしたしね。 この作品に注ぎ込まれ、また流れ出ていくオペラという豊かな水脈。それを感じさせてくれたのは、スコアを「真珠採りのようにもぐって研究」したという、指揮のジャナンドレア・ノセダの力だったのだろうと思います。音楽をどこまで掘り下げ、感じさせてくれるか、それを担うのは指揮者に他ならないのですから。「真珠採り」の魅惑のサウンドをあぶり出したノセダに、賞賛の言葉を贈りたいと思います。オーケストラも繊細で柔軟で、ノセダの要求に応えていたようでした。 そして、歌手では、まずはやはりヒロインを歌ったディアナ・ダムラウでしょう。今回の上演の最大のお目当ては彼女でした。昨年の3月にメトで「マノン」を聴いて、ああこのひとはいままさに絶頂期にさしかかりつつあるという感触があったからです。 そのときとても幸運なことに、彼女にインタビューすることができ、「真珠採り」のこともきいたのですが、話をきいていて、これは期待できそうだと確信が持てました。ひとつはフランスものへの適性です。ダムラウはドイツ生まれですが、母親と夫(今回もでていたバスのニコラ・テステ)はフランス人なのだそう。だからフランス語は、「第二の母国語」みたいなものだというのです。そしてフランスオペラはとても好きだ、とも。演劇性という点でも、自分にとって「歌と演技は一体。切り離すことは絶対にできない」というダムラウに、フランス・オペラはあっているように思いました。そのときのマノンは、ひどい風邪をひいていたにもかかわらず(2日後のインタビューのときに咳ばかりしていた)、それをまったく感じさせないすばらしい演唱だったのです。これはこのひとは、相当なレベルに達したのだと実感しました。「真珠採り」の話もでましたが、「とほうもなく美しい」音楽の魅力についてきらきらした表情で語っていたのが忘れられません。 まさに、期待通りでした。透明感があり、それでいて人間的な表情にもあふれた「声」は、完璧にコントロールされ、強音から弱音までよどみない。とくに高い声域の弱音の美しさ、抜けのよさは驚嘆に値します。コロラトゥーラの技術が高いのはもちろんですが、中音域の表情も豊かで、女性らしい甘さもある。彼女はドイツ人とはいえ、いろんな言葉への適性があり、ディクションもすばらしいのも強みです。「マノン」とはまったく別のタイプの真摯な女性を、体当たりで演じていました。彼女はコロラトゥーラソプラノとして出てきたひとですが、声がわりとしっかりあるのでわりとなんでも歌える可能性を持っています。これからがますます楽しみです。 思えばダムラウを初めて生で聴いたのは、(ちょっと遅いですが)2008年、ドレスデンでの「リゴレット」。フローレスの公爵が目当てでしたが、ダムラウのほうが光っていました。ドレスデンの劇場のひとが、「いまやドイツ人ソプラノではナンバーワン」だと言っていたのが印象的でしたが、いまや21世紀を代表するソプラノのひとりになったのだと実感できました。 とりわけ上演の機会が少なく、彼女を通じて魅力が再発見されたにちがいない「真珠採り」は、彼女を代表する役柄になるのではないでしょうか。デセイの「ルチア」主役、ネトレプコの「オネーギン」タチヤーナ、ガランチャの「カルメン」主役のような。。。。 共演のマシュー・ポレンザーニの甘い声は本作にぴったり。安定度も高く、見事な演唱でした。典型的な三角関係の敵役(とはいえ最後は2人に味方する)であるバリトンのマリウシュ・クヴィエチェンは、スタイリッシュな声で、うまいのですが、もうちょっと「色」や声の表情が欲しかったかもしれません。 ペニー・ウールコックの演出は、映像を駆使し、海や波が客席まで襲いかかってくるような迫力。海中を舞う真珠採り(これはダンサーが演じる)を現出させたのは見事でした。終演後のカーテンコールで、いつもは最後のほうで総立ちになるメトの聴衆が、最初から一斉にスタンディングオベーションをしているのが目に入りました。現地の新聞評で「思いがけないヒット」と評された本公演、ああ、現地で見たかったな。 「真珠採り」は金曜日まで。お見逃しなきよう。 http://www.shochiku.co.jp/met/program/1516/
February 11, 2016
やや前の話になりますが、先月の20−21日にかけて、都響さんと伊藤忠さんが主催する、被災地支援の「クラスコンサート」を取材してきました。 都響の若手メンバーによる弦楽四重奏団が、福島県いわき市のふたつの養護学校と、川内村、広野町の中学校、合計4つの学校を訪ねて演奏会を開催する、という催しです。 お知らせが来たとき、これは行きたい、と思ったのですが、行って正解だった経験でした。当初は日帰りの予定だったのですが、現地で出会ったいわきのFM局の社長さんに、翌日に訪問するいわき市の平養護学校でのコンサートが、今回のハイライトになる、と言われて、切符を取っておいた特急の出発ぎりぎりで泊まることを決断。これも、正解だったと思っています。 今回のコンサートの日程は、2日とも同じパターンで組まれていました。午前中は拠点であるいわき市の養護学校、午後はそこからマイクロバスで1時間半くらいの中学校というパターンです。 弦楽四重奏のメンバーは、イケメン!の男性3人と、ぱっちりした瞳がチャーミングなヴィオラの女性1人という構成。みなさんとても自然体で、このような学校コンサートは「反応がじかに感じられて楽しい」とのこと。学校訪問の経験も何度もあるようで、とくに養護学校は、「反応がストレートで面白い」という。頼もしいです。 訪問した2箇所の中学校は、いずれも福島第一原発から2−30キロ圏内。私は1日目の川内村立川内中学校しか行きませんでしたが、原発から22キロのところにあり、事故後は全校が郡山に避難。1年後に帰還したものの、生徒数は半減。現在は全3学年で合計13名の生徒さんが学んでいます。 震災のちょっと前に完成したばかりだという立派な校舎は、床暖房も入っている快適さ。庭もひろびろとし、到着した時は、前の日の雪が残っていちめんの白。日が差すと眩しいほど明るく、周囲の自然の豊かなこともよくわかって、いい環境にある学校だと感じました。それだけに、原発事故はほんとうに残念です。猪が出るとか松茸が良く採れるとかの話も出ましたが、猪も松茸も、放射線量がこわくて獲ることができないし、出荷できないのです。帰らなかった方たちがいることも、理解できます。 サンルームのような多目的室でおこなわれたコンサートには、近くに住む村の方々の顔もちらほら。失礼ながらコンサートに出かけることは難しい環境だと思いますので、一流の演奏を間近に体験できる経験はほんとうに貴重だったのではないでしょうか。生徒さんたちはとてもお行儀良く聴いていました。 モーツァルトやクライスラーに始まり、八木節、ジャズ、そして聴衆も加わっての「ビリーブ」の合唱に加え、プログラム終了後にはメンバーが生徒さんたちにヴァイオリンを指導する一幕も。おっかなびっくりだったり真剣だったり、思い思いの生徒さんたちを指導する都響メンバーはとても楽しそう。演奏者とききての交流がよく考えられたプログラムだったと思います。 そうですね、個人的にはもう少しリラックスして楽しんでくれてもいいような気がしました。音楽って、心をリラックスさせてくれるものだし。コンサートの前に、学校の音楽室に、「美しい歌声をつくる」ためのスローガン?のようなものが貼られていて、「歌うぞという強い気持ちを持つ」「クラスのみんなの心をひとつにしてお互い協力し合う」など、具体的な発声に関することではなく、精神論みたいな言葉が多く、改めて、日本の学校というのはほんとにお行儀のいい、みんなで協力する子供を理想とするんだなあ、と思ってしまったせいもあるかもしれませんで。 とはいえ、コンサートへ行くことが困難な地域に、トップクラスの演奏家が出向くというのは画期的なことです。都響の音楽監督である大野和士さんも、病院などを訪問する「ふれあいコンサート」にとても熱心ですが、このような活動が都響のDNAになればいい、と切に思います。 コンサートに来たくても来られないひとに、音楽を届ける、という点では、ふたつの養護学校でのコンサートは、なおさら印象に残るものでした。 1日目に訪れたいわき養護学校は、主に知的な障がいのある生徒さんが通う学校で、かなり大規模な学校です。身体は元気な生徒さんが多いので、その分落ち着きがないという面もありますが、今回の都響メンバーはこのような活動も何度も経験しているようで、落ち着いて演奏に集中。子供たちの反応も盛り上がりました。リズムにのって身体をうれしそうに動かしたり、手拍子が起こったり。うーん、外側から社会的な規制をかけられない、このような生徒さんたちの反応のストレートさは、あるいは音楽という芸術の本質を語っているかもしれません。 2日目の午前中に訪問したいわき市の平養護学校は、主に、身体的な困難のある生徒さんたちの学校。車椅子の生徒さんが大半でした。その分、静かといえば静かなのですが、その静けさはたんに身体が効かないからではなく、音楽に対する集中力から来るように感じられたのです。思い通りに言葉を出すことができなくとも、生徒さんたちの心の躍動が伝わって来る、そんな感覚がありました。日帰りを一泊に変更したのは、ここに来るためだったのですが、この経験だけで、その甲斐はあったと思われました。 サプライズとして、生徒さんたちが作詞して、音楽の先生が作曲したという、養護学校の生徒さんたちへの応援歌が、都響メンバーの伴奏で初演!されましたが、その時の何人かの表情の幸せそうだったことは忘れられません。(この日はNHKの取材も入っていました) 「子供たちは、音楽と体育の授業が一番好きなんです」というのは、ある先生の言葉ですが、そうなんだろうな、とうなずけました。 養護学校の訪問が終わり、最後の訪問先である次の中学校へ行く都響の皆さんと別れ、タクシーを待つ時間、ほんの数分ですが、校長先生のお部屋でお茶をご馳走になりました。校長先生ともう一人の先生にお相手いただくという恐縮なことになったのですが、 「音楽はねえ、いいですよねえ」 校長先生はしみじみおっしゃった。 「震災の時にね、音楽に慰められましたよ。母親が昔聞いていた音楽なんてね、バカにしてたんですが、なんだか聴いてみたらとてもよくて。」 どんな音楽ですか?ときいてみたら 「いや、演歌とかですけどね」 ちょっと照れくさそうにおっしゃった。 音楽の力、ですね。 ジャンルはやや違うながら、今回の出張コンサート、校長先生をはじめとする先生方、そして誰より生徒さんたちはほんとうに嬉しかったことは、2日間を通じてひしひしと伝わってきました。 都響は、今月末に、いわき市で大野マエストロの指揮により「プロムナードコンサート」を行いますが、その前日には、周囲の小中学校の学生さんたちをコンサートに招待します。来られないひとたちのところに出向く活動、これからもぜひ続けていただきたいと思います。
February 1, 2016
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