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・10,31.土南河内郡の女性合唱団が町の文化祭への出演のため、朝から町立のホールに出向く。演奏の出来は良かったと思う。団員の皆様も、楽しんで歌えているように感じた。その足で奈良に向かい、夕方からNSK第九を歌う会最初のオケ練習を行う。その前に運営委員会。今日は多数の障害者の方々も練習に加わって下さり、多人数での緊張感のある練習。僕も「ふるさとの四季」でオーケストラを指揮。オケと合唱団が一緒になると、やはり難しいことも出て来る。後二回のオケ練習で、皆さんも慣れていただければ嬉しい。
2009.10.31
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・10.30.金朝の女性合唱団の後、最寄の駅近くの整形外科を訪問する。かれこれ三ヶ月以上前から、尾てい骨に原因不明の痛みを感じ続けている。我慢できない痛みではなかったのでついほったらかしにしていたが、このところだんだん酷くなって来て気になりだしたので、思い切って整形外科をパソコンで検索して合唱団の帰りに行きやすいところを探したのだ。30分ほど待って診察室に入ったら、そのまま後ろを向いて帰りたくなるようなドクター。一言話せばすぐ分る。彼は何処が痛いかもろくに聞かずに僕をレントゲン室に追いやって、しばらく待たせてから彼もレントゲン室に入って来た。邪魔くさそうに作業を終えてからまた診察室へ。「骨に異常は見られませんな」「それではこの痛みはどこから来るとお考えですか?例えば炎症があるとか」「さあ、レントゲンでは骨に異常があるか、ないかしか分りません、座り過ぎじゃない?」「それじゃ別の方法で調べます」「そうして下さい、もういいですか?」とにかくこちらは金儲けが重要なんだ、用が済んだら早く帰ってくれと言わんばかり。僕は挨拶もなしに病院を後にする。普段から東洋医学の熱心さにばかり触れていると、驚きがひとしお大きい。とりあえずは骨に異常がないことが分って、意味のあったことなのだろうか。それとも、無駄に被爆しただけなのだろうか。その後混声合唱団の練習。朝の合唱団の練習場である公民館に上着を忘れて帰って、夜まで薄いシャツで過ごす。何とか震えるような寒さにはならなかった。来週からはそうはいかない。
2009.10.30
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・10.28.水午前中にあべのの鍼灸院。先日炊飯器と冷蔵庫をついに購入して、昼食と夜のレッスン前の早い夕食を実現している話をし、先生はすごく褒めてくれる。「これで内臓脂肪が減ることでしょうし、それに以前からの問題であった、胃酸過多もお収まることでしょう。内臓脂肪が多いということは、脂肪肝でもあるということで、ゆくゆくは肝硬変、肝臓癌にも繋がるのです。」午後のレッスンが終わると、すぐに電車に乗って知り合いが入院されている病院を訪問する。先週大きな手術をされて、もう今週中には退院ということで、慌ててお見舞いに行った。綺麗な新しい建物の個室におられ、元気にされていたのでほっとする。病院の個室に来ると、今でも23年前に亡くなった父のことを思い出す。ただただ死に向かって衰弱して行く父を、周りのものは見守るしかなかった。そして血圧計が段々ゆっくりとしたリズムになって、やがて止ったときのこと独特な空気と、どこかほっと家族の肩の力が抜けた時のことも憶えている。今目の前で、元気にベッドの上で笑っている病人を見ていると、心からほっとする。夜のレッスンの前に、昼に炊いたご飯で軽い夕食。
2009.10.28
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・10.27.火昼と夜のグループレッスン共に、僕のレッスン方法について今一度説明する。初めてレッスンに参加される方々にはその都度説明しているつもりであるが、どうやら皆さんに伝わっていないようなのだ。ある時にレッスンで皆で目標にしたことが、次来た時には全く違うことを言われる。もしくは、どうしても受け入れられないようなことも僕から要求される。それをAからZまでのパズルのピースに例えて説明する。ドイツの先生の元で僕が学んで来たことから、自分なりに消化できたことを自分なりにアレンジして行っているトレーニング方法である。先生が推奨されていたことは、世間の声楽の先生の常識からすると異端視されるようなことが少なくない。僕も最初受け入れられず、長く抵抗したものだ。でも先生がやろうとされていたことは、センセーショナルなことだったのだと今になって痛感する。声とは一筋縄では行かぬもので、すべてがマニュアル通りでうまく行くのなら全員が大歌手になっている。残念ながらこの世には歌うことに向いて生まれて来ているものと、そうではないものがいる。向いているもの、一般的な言い方を借りると才能を持っている者はほっておいても歌えるようになり(その時の先生が余計なことを押し付けなければ)音楽大学を一番で卒業し、舞台で活躍するようになる。何年やっても歌えるようにならない者は、諦めて辞めてしまうしかない。この世のすべての事物は、不公平さから成り立っていると何かの本にあった。諦めねばならないのだろうか?ちょっとした体の仕組みの偶然からそのような違いがでて来ると考えられるが、歌うことに困難を持った者(僕自身も含めて)にチャンスはないのだろうか?根気良く的を得た訓練を続けることができれば、何かが開花するようなこともあるのではないか?そういったところに僕は強い興味を感じる。誰もが手探りで困惑している「声」というものに、根気強く立ち向かっておられた先生の前向さを懐かしく思う。
2009.10.27
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・10.26.月朝にバス停で今日もハーモニカのおばあさんに会う。また話し込んで、若くで亡くなった息子さんの話題になる。失礼だとは思ったが、気になっていたので僕から話の水を向けた。息子さんは何と結婚されてすぐの27歳のころに、仕事場で突然の心臓発作で亡くなったという。「息子は背が高くて、とても優しい子でした。あの子が中学のころ私が風邪を引いて寝込んだ時に、主人は『風邪で死なん』と言ったけど、あの子は風が入らないように私の布団の隅を押さえながら『ゆっくり寝とりや』と言って出掛けて行ったことを思い出します。今でも町で息子と似た背の高い若い男の人を見ると、つい追い掛けてしまうんです。居るはずもないのにね(笑い)。あの子も生きていたらもう53歳です。」午後のレッスンの前に電話の修理の人が見えて、かろうじて無料で修理してくれる。その後ご飯を炊いて昼食。レッスン後は雑務を片付けていると、あっという間に混声合唱団の指導に行く時間。団員の中には最近手術される方や、亡くなる方がいて、我々の危うい生き場所のことを実感する。でもそれは、危ういことでも何でもないのかもしれない。27歳の息子は、ずっと死者のままである。
2009.10.26
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・10.24.土朝の女性合唱団の練習を、松原文化会館の舞台で行う。松原音楽祭に向けての特別練習である。やはりたまには違う広い場所で練習してみることは大事であると痛感する。普段分らない欠点が見えるし、その部分を修正することができる。その後急いで奈良に向かい、NSKの合同練習。今日は学園前の帝塚山学園の講堂をお借りしての練習。初めて学内に入ったが、すごい立派な施設に驚く。今日から加わる方もちらほらおられ、大勢での充実した練習ができた。その後近くのレストランにて運営委員会。参加団体の代表者の方々を交えての、本番に関する確認事項。さすがに少々疲れての帰宅。
2009.10.24
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・10.23.金午前中の女性合唱団では、31日に控えている本番に向けて練習する。地域のイベントへの出演であるが、こういったコンサートや文化祭は次々インフルエンザ流行を受けて中止されているということで、この秋に開催される予定の南大阪地区のコンサートも中止を余儀なくされる可能性も出て来た。とにかく流行が長く、いつまでたっても治まる兆しがない。これから毎年この時期このような騒ぎが起こるのかと思うと困惑する。昼は阿波座でグループレッスン。ご主人に内科のドクターをお持ちの生徒さんが来られ、ご主人の研究から、ビタミンCがどれだけ我々に大事かという話を聞く。癌予防にも繋がるし、ALSを発病した患者さんにもビタミンCの投与を続けているということである。今ではビタミンCなど有名すぎて何だと思うが、やはり我々に大事なものなのだろうと感心する。夜は混声合唱団の指導。今日は電車に乗り遅れることなく無事帰宅。
2009.10.23
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・10.21.水朝バス停で、いつものハーモニカのおばあさんに会う。今日はいつもに増して二人で話し込み、バスに乗り込んでも同じ席に座って続けて世間話。彼女の子供時代のことをあれこれと質問してみる。大正時代のお生まれだから、随分今とは違う話が聞けると思ったのだ。とにかく僕はそういう他人の身の上話が好きなのだ。彼女は84歳でしばしば腰が痛み、耳も少々遠いが、頭脳は極めて明快であり、会話も鋭く斬新で説明がうまい。肥後橋の生家は戦前までカウスボタンを製造する商家で、一番番頭、二番番頭、下女中上女中がいるような、落語でしか聞かない世界の話だ。今は会社や雑居ビルがひしめく通りも、昔は商家がずらっと建ち並んだ風情のあるところだったという。イギリスやインドと貿易をして、結構裕福に暮らしていたという。結婚式は家からすぐ近くの金光教の建物を借りて行った。でも戦禍が悪くなると貿易も中止され、商売は止めざる得なくなった。結婚後はご主人と南へ南へと移り住んで、この河内長野に落ち着いた。「主人は兵隊さんでしたから、家の中でも軍隊調で本当に厳しい人でした。今孫の主人を見ていても本当に優しくて、私たちの時代からすると驚きます。今の男性は皆そうですよね。逆にあの軍隊調の厳しい男が懐かしいくらいです」それから彼女はハーモニカを教えてくれたお兄さんのことや、若くでこの世を去った息子さんのことを話してくれた。「先日も夢の中に主人と息子が出て来て、私がそちらへ行こうとすると来るなって言うんです。だからまだこうして生きているみたいです(笑い)」大正時代に建った古い木造建ての家はまだ肥後橋にあって、時々そこに里帰りする。お正月に、お女中さんや番頭さんや職人さん、総勢30人ほどが膳を並べてお祝いしたことを懐かしく思い出しますと言って、窓から遠くを見ておられた。
2009.10.21
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・10.20.火朝の自宅グループレッスン。その後富田林の出張グループレッスン。レッスンを行っているお宅の庭に大きな石榴がなっていて、取って見せてもらう。石榴といえば、ドイツ在住のころ旅行でスペインに行き、最後に回ったグラナダという町を思い出す。小さなこの町は、昔アラブ人が攻めて来て乗っ取られ、アルハンブラ宮殿を建設した。その数百年後再びスペインが取り戻したということで、アラブの文化とスペインの文化が混在する、ちょっと不思議な感じのする町である。そのアルハンブラ宮殿は、怖ろしく広い敷地の丘に夥しい数の建物がある要塞で、当時のアラブの独特なロマンティシズムに溢れる文化が伺い知れる。でもおそらく当時はロマンも何よりももっと大変な問題があったのだろうということも想像できる。その宮殿の入り口の門の上に、石で作った大きな石榴が三つ飾られていたことを思い出す。石榴はアルハンブラーの象徴であり、その後町自体の象徴となり町の名前にもなった。スペインの人たちは皆とても親切で、当時は我々にとって物価も安かったのでたくさんの買い物もした。グラナダの裏通りの靴屋で買ったブーツは、とてもデザインと品質と仕立てが良く、好んで長く履いた憶えがある。夜は阿波座でグループレッスン。受験を控えた若い生徒さんたちのクラス。人生の節目で、少しでも力になれればと僕も努力する。僕もそんな時期があったなと懐かしく思い出す。
2009.10.20
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先日から述べているALS(筋萎縮症)のことについて、ある知り合いの内科医のドクターに話してみた。この病気はやはり原因がはっきりしていないらしく、都道府県によって集中的に多いところがあるとのことで、とにかく不思議であると彼は語った。今日あべのの鍼灸院の先生にも話題を持ちかけてみた。僕の考えでは、インフルエンザの予防注射、添加物、シャンプーなどが何かしら発症に関係しているのではないかと。先生も、確かにその可能性は否定できないと言った。一般に市販されているシャンプー、リンス、ボディーシャンプーにはたいがいプロピレングリコール(最近は庶民もこの名前を憶えて来たので、分りにくくするためにPGと書かれている)、ラウリル硫酸ナトリューム(泡立てのための化学物質)などが堂々と使用されている。しかし、多く含まれている悪い化学物質の中でもこの二つは猛毒と言われ、頭皮から吸収されると、不思議なことに内臓に直接入り込む。妊婦の胎盤からシャンプーの香りがするというのは有名な話である。これが体内の子供にどのような影響を及ぼすかは計り知れない。筋腫の原因であるとも噂されている。先生は農薬の影響も訴える。空気中に浮遊する農薬、空からヘリコプターでばら撒かれる農薬、それに布団や衣服にも使用されている農薬系の化学物質。それからシックハウスの接着剤の揮発物質。こういうものは鼻や口から入って、中枢神経にも影響を及ぼし、そして確実に肝臓を弱らせて行く。これらの避けることのできない我々の周りのあらゆる危険が、人体に影響しない方が不思議だと先生は語る。
2009.10.19
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・10.17.土午後のグループレッスンの後、来日しているチャールズ・スペンサー氏と会い、来年行うCD作りの打ち合わせをする。スペンサー氏と僕、録音デレクターとミキサー、録音会場のホールの予定、すべてがうまく合う日取りはものすごく難しい。加えて、掛る費用は当初考えていたよりもはるかに多い。CD作りを計画し始めてから、随分時間が経ってしまった。本当に実現するのか、ちょっと不安になって来た。久しぶりに会ったスペンサー氏と、打ち合わせをしながらあれこれ世間話。彼はいつも通り親切で明るく、頭が切れる。思えば彼との付き合いももう6年を数える。彼は僕に対してほとんど何も教えはしない。でも彼との共演を通して、僕なりにとても多くのことを取り入れて来れた。結局僕は、この歳になって初めて彼の背中から音楽を教えてもらったのかもしれない。世間がそれを好むか好まないかは我々の問題ではない。僕は彼の音楽に、それまでにないフィット感と納得感を感じることができたのだ。「やっぱりこの世に、こういうものがあったんだ」という感じだった。我々二人だって、一年一年確実に歳を取って行く。だからこそここで録音ではあるが、形にして残したいという思いからCDを作る。でも思うようにそれを残すことができるかどうかは分からない。何しろスピーカーから出て来る音なんて、所詮機械音だ。これは極めて個人的な思いなのだ。夜はNSK大阪会場の練習。ふるさとの四季も第九もだいぶん形ができて来て、嬉しい限りである。演奏会まで一ヶ月を切った。これからが精神的な仕上げに入るべき時期だ。
2009.10.17
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朝のテレビで、ALS(神経の異変から起す筋萎縮症)を発病した息子に「殺してくれ」と頼まれた母(60歳)が人口呼吸器を停止させ殺人、その後三年の刑を終えた母は重い鬱病に罹り「殺して欲しい」と夫に頼み、妻65歳の昨日、夫は妻を殺害。息子の発病によって、家族が皆不幸へと転がり落ちて行った。しかし殺して欲しいと希望した息子と母、殺害を犯した母とその夫、皆の思いは理解可能である。でも僕が言いたいのは、このALSの発病に原因が存在しないかということである。今僕の周りで発病する人があまりにも多い。年齢層は60代の女性、30代の男性二人、6歳の男子。それにテレビでも多く耳にする。病名は違っても、何か共通する原因が存在しているように僕には思えて仕方がない。例えばインフルエンザの予防薬(特に海外からの輸入のもの)、いったいそこに何が使用されているか得体が知れない。それに海外からの輸入肉の危険部位を知らず知らずに口にしているかもしれない。それが人体にどのような影響を及ぼすかは全くはっきりしていないのだ。それにジャンクフードには必ず使用されている海外から入って来る各種添加物。これもまた得体が知れない。すべて親が体に入れたものが子供に影響を及ぼしている可能性もある。こういったものが筋萎縮症に何かしら関係していると分っても、この国は隠ぺいすることだろう。ここは資本主義で成り立つそういう国なのだ。しかし発病した本人と家族の苦悩と無念はどれほどのものだろう。そしてそれは万人に降りかかって来る運命でもあるのだ。でも素人の僕が何を考えてもただのボヤキだ。専門家の誰かがこの事態にもっと大きな疑問を抱いてもいいように思うが、誰も何も言わない。今6歳のその男の子は、少しずつ自由にならなくなる片足を引きずりながら、他の友人たちと公園を走り回っている。
2009.10.14
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今日皆で話していて、ミシュラン雑誌に掲載する日本の京都・大阪の店を、7人の日本人が審査したという話になる。フランスが発行するこの有名な本に掲載する三つ星、一つ星なる審査結果に、大いなる疑問を感じる。まず選ばれた日本での7人が、誰がどのような規準で選んだ審査員であるか。彼らは本当に歴史深い京料理を理解しているか。日本料理というのは総合芸術であり、味だけでは判断できないところもあるのでは。しかし考えてみれば、これはすべての「審査」に適応する話かもしれない。何事においても、6人やそこらの審査員数では人間の好みというものが先行するし、審査することに力の及ばぬ者がそこに混じっている可能性も多い。やはり何かをできるだけ公平な目で審査するには、少なくとも50人以上の思想にも派閥にも属さない、本当に良いセンスを持ち合わせた人々で審査する必要があるのではないか。しかし威厳のある本が三つ星と言えば、皆それはすばらしい店だと思ってしまうし、その罪は重い。僕は思うのだけれど、なぜ誰かが良いか悪いかを判断した店に行かねばならないのだろう。味なんてそれぞれ感じ方が違うし、皆自分の好みに合った店を見つけて、そこに行けばいいのではないか。記事にしても、ここにこんな店があるという紹介ならまだしも、なぜわざわざ審査する必要がある。世間のあらゆる審査が、バカげた話だと思う。
2009.10.13
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・10.12.月昨日は夕方からのNSK合同練習が、奈良中部公民館にて行われた。その前にケ-ズ電気に寄り、一人用の小さな冷蔵庫(冷凍スペース付き)と3合用の炊飯器をついに購入する。その後の合同練習には多方面から多くの方々が集まって下さり、第九本番指揮者も見え、集中した練習を行う。今日は冷蔵庫と炊飯器を阿波座教室に運び込み、時間を掛けて設置場所を吟味する。これでようやく毎日の贅沢な昼食代が節約でき、残った牛乳を捨てて帰ることもないし、アイスだって買い置きできる。冷蔵庫はみかん箱ぐらいの大きさで、机の下の目立たないところにきっちりと収まった。午後のグループレッスンの後、21日の中学校での講演での合わせを行う。その後混声合唱団の指導にでかけ、スムーズに帰宅。昨日は河内長野では年に一度の大掛かりなお祭りでたくさんのだんじりが出て、僕が駅に帰り着いた時には駅前はえらい騒ぎでバスは運行を中止していたので、タクシーに乗らざるをえなかったのだ。河内長野に移り住んで最初に驚いたのがこのお祭りである。町の人たち挙げての数日に渡る大騒ぎに、古くからの村祭りを感じさせられた。
2009.10.12
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・10.10.土奈良の天理市に出向き、天理シティーオーケストラとの初めての練習を行う。今日は合唱団はなしで、本番指揮者の僕がふるさとの四季を指揮しに行ったのだ。今日はまだトラ(エキストラとして舞台に乗るプロの演奏者)は来られていなかったにも関わらず、すばらしい演奏であり、難しいので何度も合わせないとだめだろうなと思っていた箇所も、何の問題もなくスムーズに行けた。僕としても初めてオーケストラを振った訳だが、とても楽しく練習を終えることができた。フルオーケストラを指揮するというのは、うまく行けば何とも気持ちのよいことである。その後阿波座に向かい、NSK大阪クラスの練習。皆さん其々家で練習して下さっているようで、声や音楽的な練習に集中できた。今日は一日指揮していたみたいで、手が疲れた。初めてのオーケストラ指揮で、腕にへんな力が入っていたのかもしれない。
2009.10.10
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・10.8.木台風上陸のため、昼の奈良クラスのレッスンを中止していたが、やはり関西は避けて通り、昼前には日差しが強くなって来た。どうしていつも関西には直撃しないのか不思議である。でも皆さんの予定でレッスン再開は無理のようだったので、今日はやはりなしとなった。夜は奈良中部公民館でのNSKの練習。その前4時から運営委員会。その前に公民館近くにあるインド料理の店に行き、遅めの昼食を取る。店内はがらりとした場所で、体育館裏の倉庫のようにも見えなくもない。でも料理はなかなか美味しかった。長時間の運営委員会の後、みっちりと練習。本番までの練習回数も残り少なくなって来た。一回一回が貴重な時間。
2009.10.08
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繰り返しになるが、これは僕の周りの対人関係の中で感じていることだし、世間の全員がそうだと言っているわけではない。でも僕の周りの人々を見る限り、10代、20代の人たちの物事への意慾、責任感、根気には頭が下ることが多い。そして70代、80代、90代の人たちにもやはり同じ美質を感じる。年を取ればどんどん機敏に反応する力、集中力、物事への意慾というものは減って来ると思われるが、そのような衰えに必死に立ち向かう根気と情熱を感じることができる。それは踏まれても踏まれても何度でも立ち上がり立ち向かう底力である。ドイツでの先生がおっしゃった言葉がよぎる。「阪神淡路大震災で崩壊した神戸のテレビの中継を見ました。瓦礫を前で若い人たちは泣き崩れ、これから一体どうやって生きて行けばいいか分かりませんと声を詰まらせていたが、年老いた人たちは、また0からやりますよ!と笑顔を見せて瓦礫を片付けておられた。日本でも、ドイツでもあの敗戦を経験した人たちは強いですね」高度成長期に子供時代、青春時代をおくった我々は、何かをもぎ取られて年を取ったのだろうか。三無を今からでも乗り越え、ハングリーな中での強さを手に入れて行くことは可能なのだろうか。利益や名声や地位だけではなく、もっと大きな人間の美質のようなものが求められる時代が間もなくやって来るのかも。
2009.10.07
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●今時の60代こういう仕事、ようするに毎日多くの人と会い、レッスンしたり合唱の指導をしたりしていると、それぞれの人の傾向というものが見えて来る。これはおそらく大勢の人に関わる仕事の人なら、皆そうであろうと思う。学校の先生、駅の係員、旅行会社のインストラクター、各営業マン、政治家など。そして年代によっての考え方や生き方の傾向も見えて来る。僕のような年代の少し上の人たちから「三無」ということが言われ出した。無気力・無関心・無責任。それはおそらく溢れかえる物質が関係しているのではないかと考える。高度成長と、それに伴う学力社会のエスカレート。そんなものももちろん関係しているだろう。しかし驚くべきことは、今の60代の人たちにも同じ傾向が感じられるということである。もちろん全員ではないが、時には我々以上に強く感じる。具体的に述べると、自分の関わる物事に本気で取り組めない。または、自分の利益になること以外には力を注がない。何か問題が起こって自分に火の粉が掛りそうになったり、煩わしいことが降りかかろうとすると、後始末を放り投げてすたこらさっさと逃げる。だから前もっていつでもすぐに逃げることが出来る体制を整えてから物事に関わる。物事に対しても、人に対しても本気で燃えることが出来ない。こういう傾向は40代、50代、60代と共通したものだ。それに対して70代、80代、90代、10代、20代は全く違う傾向を感じる。 つづく
2009.10.06
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・10.5.月朝住宅街のバス停でいつものおばあさん(84歳)に会う。以前バス停で腰が痛くて動けなくなっておられたところを介助してバスに乗ってからバス停で顔を合わす度少し話すようになり、先日6月に河内長野ラブリーホールのサロンで行った「犬を救うコンサート」にも来場いただいた。彼女は小柄で性格はとても明るく、その年代の方にしてはとても着る物に気を配っておられる様子でオシャレである。腰の痛みは相当のもののようだが、持ち前の明るさで他人には苦痛を感じさせない。先日お会いした際「私のハーモニカを聴いて欲しい」とおっしゃっていて、今日かばんに入れてこられバス停の横の公園の草むらに入って演奏して下さった。曲目はふるさと・この道・シューベルトの子守歌・埴生の宿。演奏を聴いて驚いた。正確なメロディーに、和音の伴奏を付けたかなり高度な演奏である。ハーモニカ自体は、僕も小学校で吹いていたようなどこにでもある単純なものだ。メロディーを吹きながら、どうやってあのように和音を付けるのか分らないが、それはすばらしい演奏であった。もっと聴いていたかったが、我々の乗るバスが来てしまい、演奏は途中で中断した。「私もいつこんな風にハーモニカが吹けなくなるか分からないので、聴いておいて欲しかったんです。おばあさんのハーモニカに付き合ってくれてありがとう」と彼女は笑う。僕の頭では、近いうちに河内長野でサロンコンサートを企画して、彼女にゲスト出演してはもらえないかという考えが渦巻く。でないと、公園の草むらだけではもったいない。今日は夜の混声合唱団だけだったので、朝からあべのの鍼灸院。その後心斎橋のカットショップと渡り歩き、夜まで時間があったので、阿波座教室にて練習してから合唱団練習場に向かった。また南海電車の人身事故の中帰宅すると、テレビでは鳩山総理の献金疑惑の話題。考えてみれば、現役の総理が重箱を突っついたような献金問題で取りざたされているのは初めてのことではないか。おそらく今までは総理に関してはマスコミに出る前に誰かとの取引があったのかもしれない。そのためには巨額な支払いがあったに違いない。もちろんこれは僕の想像だが、そういった誰かとの繋がりがないからマスコミの餌食になるとも言える。となると、これは評価出来ることなのかもしれない。
2009.10.05
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スピリチュワル天井の染みは死びとの影遂げられなかった思いを残して消えた後時間を止めた街角の木のゴミ箱の影は秋の表札まだ何とかやって来たいつもの気弱な視線誰かに見られてるような気がする納屋の東の影や線路の脇の薄い影にも目が合って表情のないまま過去と未来を一層している布団の上でそっと指先で唇に触れてみる僕もまだかろうじてここにいる多くの人々の声が聞こえる穏やかに満たされた喜びがそこで待っていることにようやく気付く風は北から入ってきて南に抜けていくその後では忘れられた一個のカラスウリの実はもっと小さくなったようやがてくる季節の冷たい風に吹かれる前に枝から身を落とすことだろう
2009.10.03
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・10、1、木午後のグループレッスンが終わると、南まで出て楽器店でギターを見る。今月またある中学で講演会をすることになっていて、どうやったら生徒の皆が話しに耳を傾けてくれるかを考えている。まず一つは、僕が中学、高校とずっとギターを弾いてバンドで歌っていたことを話、それが声楽に繋がって行った話をしようと考えている。その際ギターで一曲歌おうかと思う。今の中学生と、僕の時代で共通に知っている曲はないかと探してみた。まず財津和夫の「サボテンの花」、それから井上陽水の「少年時代」、それから伊瀬昭三の「なごり雪」、それぐらいかな。「少年時代は長すぎるし、なごり雪は好きじゃなく歌う気がしない。よって「サボテンの花」にしようかとも思っている。しかしある人によると、酒井のり子が主役をしたドラマの主題歌に使われたということで、中学での演奏が許されるのか?という意見もある。とにかくギターがないので、早急に購入しなければならない。それでどうせ買うなら、茶木ギターを買おうと思った。茶木ギターというのはちゃんとしたメーカーで、僕が中学のころから楽器店でもよく見かけた。京都在住の茶木さんが手作りで製造しているギターに昔から根強いファンがいて、最近ではかなり有名になって来ているとのことである。楽器店で尋ねてみると今は売り切れて店頭になく、次いつ入荷するかは分らないとのことだった。一番安くても16万以上はするとのことで、あっさり諦めた。夜はCAC混声合唱団。10月に入っても皆が部屋に入るとかなり熱く、クーラーも余り利かない。それでも集中した良い練習であった。
2009.10.01
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