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今になって、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの古い録音を聴いてみることが多くなって来た。僕が好んで聴くのは、彼が40歳を迎えるまでの録音である。その中でもモノラル録音の時代の物が一番興味深い。それ以後の録音には、彼の横柄さや押し付けがましさが音楽に出て、いやらしさばかりが耳に付く。しかし今になって気付くことだが、彼の演奏の中には他の人が誰も目を向けていないものがあるように僕には思える。一言で言えば、文章と歌声の調和である。彼が初めから目を向けていた場所、それは声でもなく、音量でもなく、音程でもないそれはドイツ歌曲ですらない、またはそれこそがドイツ歌曲なのかもしれない。それは彼以前にも、彼以後にも誰も目を向けていない場所ではないのだろうか。だとすると、戦後それまでに存在しなかったドイツ歌曲を確立して、彼が引退した後それを誰も引き継がなかったということになる。ようするに当時彼を持てはやした世間の人々は、彼の表面的なもののみに目を向け、本当の彼の資質には気付かずに褒めたりけなしたりしていたのかもしれない。そういう意味では彼は怖ろしく孤独な歌い手である。一人ぼっちで、他の国のどの音楽とも違うドイツ歌曲を探し続けた。おそらく彼がやろうとしたことを引き継ぐ者は、これから先にも現れないであろう。そして誰の興味も引かないまま、ドイツ歌曲はこの世から少しずつ消えて行く。彼は今80代半ばを過ぎ、何処かで静かに余生を過ごしているのだろう。自分の部屋の中で、自分自身の録音を聴くこともあるかもしれない。そんな時、彼の胸の中には何が渦巻き、どんな情熱が火を絶やさぬまま燃え続けているだろう。
2009.09.30
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●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウへの新しい評価僕が歌を始めることになって、初めて買ったレコードがディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの「冬の旅」だった。ジャケットには彼のまだ若く生気に満ちた表情の写真があった。それを眺めてこれから始る新しい世界への不安と喜びに浸ったものだった。学生時代も彼の歌声に常に耳を傾け、ドイツ歌曲の世界に引きずり込まれていった。彼は戦後突然現れたパイオニアだった。焼け野原に残ったベルリンの歌劇場から、多方面の劇場でのオペラで活躍し、その後それまでのドイツ歌曲とは全く違う新しいドイツ歌曲を歌って見せたのだ。おそらく当時の人たちにとっては、彼のものすごく音程が確かで、難しいフレーズも軽やかに歌いこなし、人並み外れた声量での歌唱に圧倒されたはずだ。そして彼は天才バリトン歌手としてドイツ国内、また他の国でも賞賛された。余りに突然現れた大きな存在に対して、異端視する人たちも多かった。その理由のほとんどが「音程が確かすぎて感情のない機械音を聴いているよう」とか「紙に書き記した音楽をそのまま決められたように歌っているようだ」とか「歌い手の歌を聴いているというよりは、学者の論文を聴いているような歌だ」などというような批判だった。大学を卒業して数年したころには、僕も彼の歌にそれほど興味が持てなくなって行き、あまり耳にしなくなって行った。彼も中年を迎えたころには少しずつ人を見下ろすような発言や態度が目立つようになり、研究論文、作曲家の伝記、学術書のような本の出版もするようになり、ますます横柄にふるまうようになって行った。それがドイツ国民の神経に触ったらしく、皆に嫌われるような存在になって行き、演奏活動をすればするほど酷評を受けるようにもなった。僕がドイツに渡り、100人の人に尋ねれば100人ともが彼の名前に顔を顰めた。僕がドイツで師事していた先生も「あんな者は歌い手ではない!」と発言した。そして彼が50代を過ぎた辺りから声の衰えが見え、そうなるとなおさら酷評を受けた。これはバリトンとしては早すぎる衰えである。でも若いころから何度も来日して来たこともあり、日本では相変わらず神様のような存在であり、彼が63歳の時に来日した演奏会は、もうすっかり声も出なくなっているにも関わらず大好評だった。僕も東京まで聴きに行った覚えがある。響きの悪いだだっ広いサントリーホールで、満員の客席だった。その後彼が66歳の時に、ドイツのケルンのフィルハーモニーホールでシューマン一色のリサイタルを聴いている。もう見る影もないほど声は出なかったが、胸にピンマイクを着けての演奏だった。しかし彼の演奏への情熱には強く胸を打たれた。それまで合わせて四回ほど彼のリサイタルを聴いたが、その曲への真摯な姿勢は全く自分自身のためのものだった。 つづく
2009.09.29
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・9.26.土朝の女性合唱団の後奈良に向かい、NSK運営委員会。僕はパンをかじりながらのミーティング。本番が近付くにつれて様々な問題が噴出し、運営委員全員がいらいらした状態となる。そんなときこそ冷静に頭を働かさねばならないが、つい僕もナーバスになる。焦らず一つ一つ解決していかなくてはならない。その後NSK混声合唱団の練習。参加者も多く、充実した練習。皆さんの中でも、本番に向けての火が付いて来た感じ。その後、10月に堺市の中学で行われる僕の講演会のための打ち合わせを、河内長野の駅前にて行う。中学生の皆様に意味のある講演をどう行うかで、また頭を痛める。学校での舞台が、僕にとって最も難しいと感じる作業である。
2009.09.26
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・9.24.木午後の奈良クラスのレッスンの前に菖蒲池のうどん屋に行くがお休み。代わりに近くにあるそば屋に行く。この店もまたやる気満々の店で、良い材料で本物の蕎麦を食べさせてくれる。今日で二回目の来店となる。少々値段は張るが、満足して店を出る。午後のレッスンの後学園前のアイスクリーム専門店に行き、テイクアウトで阿波座まで持って帰り、夜のCAC混声合唱団の前に食べる。こうしてみると、食べてばっかりである。でもこのアイスはまがい物で、不健康極まりない代物だった。CACでは、来年2月に予定されているアンサンブル発表会出演の曲目を考えながらの練習。今取り組んでいるのが難しい曲なので、これを是非仕上げて演奏したいと思う。そういうと、皆さんまた溜息。
2009.09.24
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・9.23.水連休中は阿波座周辺は揃ってぴしゃりと店を閉め、昼食を取るところもない。仕方ないのでぶらぶら歩いて開けている弁当屋まで行くと、横の道に入ったところに営業しているお好み焼きの店を発見。こんな店があったかな?と思いながら入ってみる。モダン焼きを注文してカウンターで待つ。客は他に誰もいない。20分は待っただろうか、出て来たモダン焼きはものすごい大きさ。少々卵の使用量が多すぎで、生地も厚過ぎだが悪くない味だった。焼きそばが美味しい。午後のグループレッスンの後、再びパソコンに向かってNSKの雑務。作業に夢中になり、気が付いたらもう夜のレッスンの時間。気が付くと夕食も食べ損なっている。
2009.09.23
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・9.22.火午前中に久しぶりのあべの鍼灸院訪問。今日は奥さんの方の治療。きちっとした材料でポリシーのある料理を出すレストランは本当に少ないという話になる。「本当に良い料理を出して、少ない売上で小さな店をやっていても世間では賞賛されませんもんね。コストを下げてあちこちに支店を出して手広くやって儲けている人が同窓会に言っても褒められる。今の資本主義な風潮がそうだから、真面目にやっていてもバカバカしくなる。これでは堂々巡りですね」「そのような年収だけを競っている商売が最もバカバカしいと僕は思います」その後阿波座教室にてNSK関係の雑務をパソコンに向かって片付ける。とにかく大変な時間が費やされるものだ。夜のグループレッスンでは一人の生徒さん(17歳男性)が、今発表会に向けて練習しているドイツ歌曲の曲想について、僕の意見に反対する意見を発言される。「先生はこう歌えとおっしゃるけど、僕はこう歌いたい」という風である。これはとても良いことと僕は思う。先生のいう通りの歌を歌うだけではなく、自分なりの考えを持って曲に向かうことはとても大事だ。我々が学生だったころは、そういう意見を述べることは許されなかった。しかし是非そのようなことも発言出来るレッスンでなくてはならないと考える。
2009.09.22
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座標 僕は机越しに君の白い背中を眺めてる 薄いシャツにブラジャーのホックの形が透けて見えてる。 6歳のころからときどき同じクラスになった君は いつの間にブラジャーなんてもんを付けるようになったんやろ 君の背中のその向こうでは タオルで首の後ろの汗を何度も拭きながら 先生が黒板の上に色とりどりの丸い磁石をくっつけて それをチョークの線で結んでる その図形は役にたたへん古地図みたいに見えるけど いったいなんのためにそんなもんを書いてるのか それがいったい僕に何を伝えるのか さっぱり理解することができひん 僕は君の背中にも図形を描いてみる 心臓、肝臓、肺と胃と膵臓 どこにあるんかよお分らんけど それを全部線で繋いだ ブラジャーの紐の上を線が行ったり来たりした その図形の形はなんかの暗号やった 僕がそれを解読するよりは 開いた夏の窓から見える明るい景色が 僕の記憶から薄れていく方が 幾分早いことになるんやろうな 先生が僕の名前を呼んで「さあ、この答えは」と言う 僕は引かれるみたいに立ち上がって 「青春の座標です」と大声で言う 「アホかおまえは」と先生が怒鳴って みんな一斉に机を叩いて爆笑する 君も後ろを向いて白い歯を見せて笑ってた
2009.09.21
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終わりなき日常男には生まれつきペニスがなかった生まれつきだからペニスがあるということがどういう感じのするものなのかも分からなかった彼にできないことは嫁をめとることと子供を持つことだけであったがでももちろん女に興味がない訳ではないので満たされない思いを放出できない地獄をさまよい続けてきた惚れた女をこの手で抱きしめその暖かく柔らかい住場所にこの身を沈めたい思いにかられこれらの果てしなく続く変わることのない日常をじっとやり過ごす日々だったまだ若いその犬は生まれ付き片足が根本からなかったそれでも優しい人間の家庭に受け入れられ食べるものには不自由なく暮していた毎日夕方に家の子供たちとゆっくりした足取りで散歩に出かけるある日散歩中に群れをなして森に向かってもうスピードで走って行く野犬の群れを見た彼らはリーダー犬の後に付いて美しい筋肉を輝かせ一心不乱に走っていた片足の犬はそのとき初めてあれこそが犬の本当の姿だと気づいた自分もあの群れに交じって誇らしく走りたいと走らねばならないとでももちろん自分には無理なこと柵に囲まれたこの家のこの庭でじっと静かに走ることのない日常を数え続けるだけ曇り一つなく優美でセクシーな曲線をまっ赤なボディーに装い微かな窓明かりに照る車庫の中でひっそりとその日を待つフェラーリの車体にはどこにもオイルキャップがなかったそれに気付いたのは買い手が決まり新しい生活を迎えるその朝のことだったそれまで自分にオイルキャップがないことにすら気が付かなかったのだどんなに高価なエンジンを持っていてもどんなに美しい車体を誇っていてもオイルキャップがなければ何の意味もないことになるフェラーリは自分の天命をこの世に生まれて来たことすら恨み絶望したしかし君たちそんなに望みをなくすことはない終わり無き日常はこの世には存在しないのだ瞬きするほどの一瞬の中で君たちは絶望しているに過ぎない君たちの密やかな痛みはきたる未来に優しく吸い上げられ何もかもが子供のころに見たあの宇宙の無限にそっと帰って行くだろう
2009.09.19
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・9.18.金 朝の女性合唱団の後、阿波座教室に行きパソコンに向かって雑務との戦い。 その後奈良に向かい混声合唱団。 帰り日本橋でスルットKANSAIを清算していたら地下鉄を一本乗り損ない、そうなると南海電車も一本乗り損なうことになり、随って最終バスに乗り遅れることになる。 このミスはもう何度もやっているが、奈良からの帰りは電車の連絡が綱渡りなので、 スルットKANSAHに気を付けなければならない。 そういう訳で風呂に入る時間もずれ込んで、明日も早いので日記を書く余裕がなくなるという訳である。
2009.09.18
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・9,17.木午後のグループレッスンが始る前と後にはパソコンに向かってNSKに関する雑用に負われる。レッスンでは皆さん発表会に向けての暗譜による歌唱。何やかやと言っていても、いざ楽譜を離すと結構憶えているもので、ほとんどの方が完璧に歌われる。やはり発表会は大事な行事である。夜はCAC混声合唱団。第一回CAC定期演奏会に向けて、もっと団員を増やすことを切実に感じ、皆様にも一丸となっての募集活動を訴える。人の目を引くような募集チラシを作製し、初心に戻って団員集めに務めるつもり。街道でのビラまきも考えている。このブログを見て、興味のある方は是非一度見学に来て欲しい。第1・3・4木曜日(5週ある月は第1・3・5週目の木曜日)の夜18時30分から20時30分までの練習。場所はCA阿波座教室。お問合せは、TEL・FAX/06-6531-6044今練習している曲は・・・・●童謡メドレー「いつの日か」源田俊一郎編曲●曲集「朝のパン」萩 京子作曲●「20億光年の孤独」と「卒業式」木下牧子作曲●「きみ」鈴木輝昭作曲●「流浪の民」R・シューマン作曲 その他
2009.09.17
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・9.15.火 河内長野市内の新型インフルエンザ流行が酷いため、午前中に予定していた自宅グループレッスンを急遽中止。 聞くところによると、潜伏期間でも他人に移るそうで、そうなると誰が潜伏期間かなど分らないし、本人だって知りようがないということになる。 完全に流行を抑えるためには、国民全員が一ヶ月間ほど家から出ないようにしない限り無理ではないか。 もちろんそんなことは不可能だし、困ったことだ。 午後からは富田林での出張グループレッスン。 皆さん発表会に向けての最後のレッスン。 其々の成果のあるレッスンであった。 夜は阿波座でのグループレッスン。 その前にスタッフが持って来たシューベルトのアルペッジョーネソナタのCDを聴く。 このところずっとベートーヴェンの協奏曲第四番や、シューマンのピアノトリオなどを聴いていての久しぶりのシューベルトだった。 それを聴いた瞬間、他のすべての音楽が色あせて見える。 まあ言わば感情的に過ぎる世俗的なものであるとも言えるかもしれない。 でもそもそも音楽の存在とはどのような意味を持つものであるのか。 どんな花がそこに咲いているかを見ようとはせずに、真直ぐ根っこを掘り返し、その植物の生態系を調べるようなことではないはずだ。
2009.09.15
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・9.12.土 今日はNSK第九を歌う会の初めての合同練習を、奈良教育大講堂にて行う。 第九の本番指揮者にも来ていただき、みっちりとした練習。 多方面から出演いただく方々に集まっていただき、お互い初めて顔を合わす中での演奏。 外は夕方のように暗い空となり、そのうちに強い雨が降る。 そんな中を練習を終えた団員の皆様が解散となる。 その後運営委員会を近くの変わった店で行う。 コーヒーとおはぎとうどんのある店だった。 皆コーヒーとお萩を注文。 山積する議題のため、また長時間の話し合い。 帰りにレジのところで店の二人のおばさんに話掛けられる。 「皆さんのお話を聞いていると、何処かでコンサートでもされるのですか? コンサート当日のスタッフ弁当なんていかがです?550円からありますよ」といって店の名刺を差し出される。 奈良には珍しいすごい商売人だ。 長い一日にさすがに疲れて解散。
2009.09.12
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この度来る11月15日(日)なら100年会館におきまして「NSK(奈良障害者、健常者)第九を歌う会」を開催する運びとなりました。 そもそもこの取り組みの始まりは、以前から他府県で私が働き掛けてみたもののうまく行かず、奈良で周りの方々に夢を打ち明けましたところ、皆様から同意をいただき三年越しにようやく実現した第一回目の演奏会であります。 当初から視覚障害者である私が抱いて来た思い「障害者が本当の意味で社会の中で達成感と自信を獲得して行くこととは何かーー?」 それは私にとって自分一人の意思と行動で健常者の輪の中に入って行き、自分自身の力で人との関わりを手に入れて行くことでした。 健常者の皆様にとっては「なぜそこまで隔たりを感じなければならないのか」と思われるかもしれませんが、障害者にとっては個人的に超えなければならない壁がそこにはあるのです。 そして健常者の側にしてみても、普段接することのないハンディーを持った方々と関わる場を持ち、どうサポート出来るのか、また関わりを通して学べることなどを体験する場としての意味もあります。 そして他のハンディーを持つ方々も私と同じ思いを多かれ少なかれお持ちだと思い込んでしまい、ハンディーの有無に関係なく一つの音楽に向かって一心不乱に立ち向かう場「NSK混声合唱団」を立ち上げることとなりました。 その背景には多くの方々のご協力があり、その活動を通してすでにこの取り組みの理念が歩き始めております。 つきましては、お忙しいこととは存じますが是非ご来場いただき、我々の活動に一時目を向けていただければ心から幸せと存じます。 チケットのお求めは、下記のファックス番号まで(お名前・住所・枚数)をよろしくお願い申し上げます。 皆様のご来場を心よりお待ちいたしております。 [お問い合わせ] TEL・FAX:06-6531-6044 (CA声楽コンセルヴァトワール事務局) ●チラシ内容 第一回「NSK第九を歌う会」 日時:2009年11月15日(日) 14:00開演(13:00開場) 会場:なら100年会館大ホール アクセス:JR奈良駅(西出口)より徒歩5分 ●出演 ・NSK第九を歌う会合唱団 ・天理シティーフィルハーモニー ・安野英之(指揮) ・中村容子(ソプラノ) ・福永圭子(アルト) ・茶木敏行(テノール) ・今泉仁志(バス) ●曲目 「ふるさとの四季(オーケストラバージョン)」源田俊一郎編曲 交響曲第九番(合唱付き) ベートーヴェン作曲 料金:¥2,000(ハンディーをお持ちの方、学生¥1,000) 主催:NSK第九を歌う会事務局
2009.09.11
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・9,11.金 朝、女性合唱団を終え、そのまま奈良の菖蒲池でのレッスン。 夜の混声合唱団までの間に富雄にあるカフェに行き、早めの夕食を取る。 この店はゆったりと落ち着けて、クラシックやジャズの静かな音楽が聴けるお気に入りの場所である。 最近無添加の有機栽培の食材を使ったオーガニック料理を始めたようで、特別なドリアを注文する。 蓮根、オクラ、カボチャ、ニンジン、茸など、多くの野菜を使用して、チーズも豆乳、それに玄米という取り合わせ。 大変美味しかった。 でも帰りに勘定を払う時には目を向いた。 どうしても外食が多くなる我々のような者は、変な物を安くで口にするぐらいなら、少々高くても安心なものがありがたい。
2009.09.11
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・9,10,木 奈良クラスのレッスンの前に菖蒲池のうどん屋に行こうとすると、何とお休み。 この店は突然休むところが玉に傷である。 商店街はなんとも寂れていて、周りを見ても何か食べられる店はない。 古いうらぶれた商店の中に一つ小さな蛸焼き屋を見付け、仕方なく入る。 店内は四人掛けの机が二つあるだけで、天井にも蛍光灯が二本だけで薄暗い。 店中に奥の部屋からの線香の香りが漂っている。 奥の方で年老いた主人が野菜を刻み、入り口付近の鉄板でおばさんがたこ焼きを細い鉄の棒でひっくり返していた。 この店はおそらく戦前からこのままの雰囲気なんだろうなと感じさせる。 暗い店内の入り口の外では、昔下駄を鳴らして女の子たちが行き交い、兵隊の列が通り過ぎ、今は車が空気を汚して走り回る。 たこ焼き自体も昔ながらの何の変哲もない味だった。 レッスンの後100年会館に出向き、会館のスタッフと11月15日のNSK第九を歌う会の演奏会当日の打ち合わせを行う。 長時間の話し会いに少々疲れる。 その後NSK混声合唱団の練習。 新しい団員も加わり、有意義な練習となる。
2009.09.10
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路地裏の猫 久しぶりに会った妹は 僕の知っている妹とは まるで違っていた 頬はこけ 目だけがぎらぎらして ほとんど口を利かない あれから男の借金をこつこつ返すため 夜の仕事に明け暮れ 牢から出て来る日をただ待ち続けた そんな妹の痩せた指を見ていると 幼かったころ家の近くを二人で歩いていて 入り組んだ路地の奥で 一匹のメス猫を拾ったことを思い出した 近づいて行っても猫は逃げることもなく 僕たちの手に身を委ねた それから彼女は我が家に8年いて そしてある冬の朝食べ忘れたパンみたいに 火の付いていないストーブの前で こちこちになって死んでいた 妹は布団に顔を埋めて 声を上げていつまでも泣いていた 一月の日差しが 暖かく縁側の床を照らし 猫の不在が 家中の壁や柱に染みこんでいた 妹は猫と共有した8年間を含んで大人になったが あの路地にいた猫を二人で抱き上げた 陽だまりを憶えてはいないだろう
2009.09.08
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雄の鈴虫もちろん君は今みかん箱の上で君自身の奇妙な運命をただ呆然と眺めていることだろう見慣れた近所のおばさんや魚屋のおじさんの顔も見える皆小さな白と赤の旗を手にばんざいと叫んでいるそうは思えないかもしれないけどこれは君自身のことなんだ旗の影の向こうに君はあの子の姿を見付ける黒くなった古い家々の間を抜け工場の煙突を見ながら昔いつも二人で行ったあの池の畔をふと思い出すいつかそこであの子が言った通りかもしれないと君はみかん箱の上で初めて思う誰の人生もプライドとエゴの大きな渦に巻き込まれてそこで捻じ曲げられては決してならないとここからは何故だかかあちゃんの顔は見当たらない以前から決めていた思いを心に今一度なぞってみるいつか見た籠の中に転がっていた交尾の後メスに進んで食べられ触角だけになった目的と意味のある人生君はすなおにそれに習おうと思う心と感覚はますます研ぎ澄まされ防ぐことも逃げることも出来ない迫り来る秋の空の合間に残る夏にしがみ付くように必死に鳴く蝉の弱々しい声が一層君の胸の一部となって行く
2009.09.07
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・9.5.土 朝の女性合唱団の後、阿波座でのグループレッスン。 その後夜からはNSK第九を歌う会大阪クラスの練習。 ふるさとの四季のオーケストラバージョンはピアノ伴奏の楽譜とはところどころ間奏の小節数などが異なるため、スタッフがオーケストラスコアから写譜して、練習用のオーケストラバージョンのピアノ伴奏譜を作ってくれたので、それに基づいて練習を行う。 オケ譜は編曲者から借りる訳だが、こういった練習用のピアノ譜も添えておいて欲しいものだ。 帰り河内長野駅に到着し長い階段を降りると、最近いつも一人の青年(20歳ぐらい)が汚い地面に座り込んでギターを弾いて大声で歌っている。 どうやら乗客が降りて来るのを狙って歌っているようだ。 彼は決して歌がうまいとは言えないが、それでも何かしらとても聴く者を引き付ける歌を歌う。 いつもは聞き覚えのない歌だが、今日は「さぼてんの花」だった。 若いのにえらく古い曲を歌う。 彼の歌声とギターの音色につい立ち止まって聴きたくなるが、どうも恥ずかしいのでゆっくりと前を通り過ぎてバス停に向かう。 彼の歌がなぜ強い力を持っているのかずっと考えていたが、最後まで分らなかった。 発車を待つバスの中にも、彼の声がずっと聴こえていた。
2009.09.05
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・9.4.金朝の女性合唱団の後奈良に向かい、近鉄富雄駅近くにある鍼灸院を訪れる。実はここは友人の紹介のもとすでに三回目の訪問となる。いつものあべのの鍼灸院だけではなく、他にも違う治療法を見てみたくなったことが理由である。とにかく僕は今や鍼灸に深く興味を持ち、なぜ盲学校を出てから鍼灸の勉強をせずにすぐに音楽の道へ行ってしまったか悔やまれるほどである。こちらの治療もあべのと同じ経絡治療であるが、鍼の打つ場所も、打ち方も全く違う。鍼灸師はとても気さくな50代後半ぐらいに見える男性。日本には東洋医学の幾つかの流派があり、その違いや歴史について説明してくれる。こちらでもやはり脈を見る技術が基本となり、それが治療のシステムを決める。「僕は若いときに日本では草分けとなる有名な先生に弟子入りしましたけど、ただ毎日先生の後ろにくっついて治療しているところを眺めているだけでした。直接先生は何も教えてはくれなかった。結局自分で研究して行くしかない。いいかげんなもんですわ(笑い)そこら辺の鍼灸医たちもまあアホばっかりです。保険を使ってクイックマッサージに毛の生えたようなことをして、金儲け第一にやってる。患者さんの本当の親身にはならないんです。患者さんにしたって、我々のような治療を理解してはくれないでしょう。こういった技術はもちろん中国から来たものだが、今では中国に経絡治療の鍼灸医は絶えてしまったそうですな。日本だけでまだその技術は伝承されていることになる。でもまあ、生活できなければそれもいつか絶えるでしょう」特別な技術を持った東洋医学の医師たちが、脚光を浴びることが出来ない今の世を形成しているのは西洋医学の者たちでもある。夜は混声合唱団。ここで初めてNSK第九を歌う会の演奏会のPRを大々的にする。皆さん100年会館に足を運んで下さり、来年には一緒に取り組んで下さることを期待する。
2009.09.04
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・9.3.木 午後のグループレッスンの前にトマトラーメン。 店の前には行列が出来ていて、少々待つ。 レッスンでは皆さんニンニクの臭いが気になったかもしれない。 夜はCAC混声合唱団。 最近僕が惚れ込んだ曲を皆さんに挑戦いただくこととし、楽譜を配る。 谷川俊太郎の詩に鈴木輝明の曲。 これがまた怖ろしく難しい。 皆様溜息混じりに音取りされていた。 でも根気を出してそれが体に入ってしまえば、このすばらしい曲を充分に楽しめる日がきっとやって来るはずだ。 常々できるだけ意味のある曲を手掛けたいと希望する。
2009.09.03
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・9.1.火 一ヶ月前に子宮筋腫を摘出する手術を受けられた生徒さんが、午後のグループレッスンに来られる。 かなり大きく開腹されたので、しばらくは歌わずに様子を見た方がいいと言っていたのだが、歌わないとどうしてもストレスが溜まるそうで、簡単なイタリア歌曲を歌っていただいた。 大して声には影響がないように見えるが、腹筋にメスを入れているということは、横隔膜も働かないはずだし、気を付けないとそのうちに声に負担が来るはずである。 僕も腸炎を起したときに経験したことだ。 それでもレッスンの終わりには「次も来ていいですか?」とかわいげに質問されていた。 夜のグループレッスンでも皆さん発表会に向けての選曲を考える。 どうやら今回も大曲が多くなるようである。
2009.09.01
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