2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全17件 (17件中 1-17件目)
1
・12.28.月京都の中京区の室町時代の町家に叔母(母の姉)が住んでいる。この家は母の実家でもあり、叔母の娘息子と僕と妹の歳が近いこともあって、子供のころは毎週日曜になるとこの古い家に家族でお邪魔して、遊んで、サザエさんを見て夕食を食べて帰っていた。叔母と父は同年代ということもあったのだろうか、とにかく僕たち子供が傍らで見ていてもひやひやするような口喧嘩を度々して、何度も険悪なムードになったこともあった。叔母は若くにご主人を亡くし、中学校の英語の教師を定年まで勤め上げ、三人の子供を育て上げた。現在70代後半ぐらいだと思うが、最近パソコンを始めて僕のブログを読んでくれたり、それについての感想をメールしてくれるようになった。24年前父が他界した時も葬式で「喧嘩相手がいなくなってとても寂しい」と声を上げて泣いていたことを憶えている。その叔母が、24日(木)の父のことを書いたブログを読んでメールを書いて来てくれた。要するに、柔らかい文章によるお叱りのメールである。確かに叔母のいう通りなのだ。父の良い思い出だって多くあるはずだし、口には出さなくても僕のことを父なりにとても大事に思ってくれていた。なのに僕はどうして未だに父を自分から離れた所に置いて考えてしまうのだろう。そのことについて少し真剣に考えてみた。確かに僕は父に何度も傷付けられたことがあった。真っ白な子供の心は、親に対して無防備に心を開いて近付く。同性の親に対してはそこに尊敬と憧れがもともと付随しているのだ。父は多くの兄弟の末っ子として生まれ、5歳の時に父親を亡くしているということもあってか、今から思えばどうやって父親をふるまえばよいか分らないというような部分もあったのかもしれない。そして父に傷付けられたことだけをはっきり憶えていて、良い思い出が薄れている。でも、決して悪い人ではなかったのだ。人が一人育って行く過程で、親の存在というのは当たり前で、また難しいものだなと思う。下記のものは、叔母からのメールである。「いつも楽しんで読んでいます。時々あまり難しくて、ついて行けないこともあるよ。よく勉強しているんだなと感心しています。 お父さんの思い出があまり思い出せないとのことですが、これは言っておこうと思ってメールしています。今でも思い出すのですが、お父さんはとてもウクレレがうまくて、大きな体に小さく見えるウクレレを抱え美しい声でハワイアンを歌っていました。甘くて、とろけるような歌声でしたよ。そのときお父さんのあぐらをかいた膝の中に座って居るのが貴方でした。少し視力の弱い貴方には音楽の道が一番と、当時ではビックりするほど高価なレコードプレーヤをかって「敏行には本物の音楽を聴かせるんです」と言ってられましたよ。本当にお父さんは貴方をかわいがっていました。貴方の美しい声はきっとお父さんのDNAでしょう。」
2009.12.28
コメント(0)
・12.25.金今年の朝の女性合唱団の練習は先週で終わり、時間が空いたので先日のMRIと大腸癌の検査の結果を聞きに、かかり付けの内科に出向く。金曜日ということもあってか酷い込みようで、随分待たされて診察室に入った。「はい、大腸癌の検査は問題ないようですね」と報告書を見ながら言って、次にMRIの報告書に目を通す。「え~と、脊髄には問題ないようです、尾てい骨は・・・?あれ、映っていなかったようですね。申し訳ありませんと書いてあります」とあっさり言った。横に立っていた看護婦さんと僕は、声を合わせて「えー!」と唸って苦笑いした。「もう一度検査を申込みましょうかね、えっとどこが痛いんでしたか?ああ、そこは何と書くかな?仙骨、いややっぱり尾てい骨かな?専門じゃないので分らないんですよね」と言ってカルテになにやかや書き込んでいた。それを聞いて、このドクターは紹介状に問題の箇所をきちんと記載してくれたのかなと不安になった。MRIの技師のミスか、このドクターが頼りないのか分ったものではない。全く、こちらは暇ではないのだ。やっとのことで時間を作って検査に出向き、軽い気持ちで「もう一度」などと言われてはたまらない。狭いその病院を出てからぶつぶつとぼやいて駅に向かい、阿波座へ。午後のグループレッスンの後、奈良に向かい混声合唱団。随分暖かい気温の中、満員電車で汗ばみながら帰る。
2009.12.26
コメント(0)
・12.24.木奈良菖蒲池での午後のグループレッスン。その後阿波座に向かいCAC混声合唱団。学園前から電車に乗る前に、おやつを買いに駅前のケーキ屋に寄る。店先にクリスマスケーキの箱を積み上げて、店員が声を上げて販売。それを見て初めて今日はクリスマスイブかと実感。狭い店内は人でごった返す。戦後世間はうまくケーキ屋の陰謀に乗せられたものだと感心する。僕などは毎日のようにケーキを食べているので、今さら何のありがたみもない。そういうようなことを口にすると「夢がない!へそ曲がりなことを言って何が楽しい!」と周りから避難を受ける。夜は今年最後のCAC。2月21日の発表会参加に向けての練習。困難を極めるだろうと思った曲も、皆さんぶつぶつ文句を言いながらも何とか形が付いて来た。やる前から諦めず、何にでも挑戦することは本当に大事だ。乗り越える喜びこそが、生きている実感ではないか。後1ヶ月半、じっくりと仕上げたい。帰りに角のコンビニから店員の叫び声。何かと思えば、売れ残ったケーキの最後の叩き売り。子供のころはクリスマスイブに、父がモールと色付きの電球で部屋に飾り付けをしてくれたことを思い出した。そう言えば、カステラの上に果物を並べて、ナマクリームを絞って父お手製のクリスマスケーキも作ってくれた。僕と妹は、傍らでじっとその様子を眺めていた。子供心にカステラを使っているところが不満だったが、今思い起こせば父もそんな優しいことを僕たちにしてくれていたのだ。もっとたくさん父の良い思い出があるのだろうが、ほとんど思い出せない。我々の間には今一つ内面的な心の交流が持てなかったように思うが、父なりに僕と妹のことを思ってくれていたのだろうと思うと、申し訳ない気持ちにもなる。
2009.12.24
コメント(0)
・12.23.水午後のグループレッスンは女性ばかり。夜のレッスンは男性ばかりという一日。受験を控えた生徒さん数人を含むクラス。目まぐるしく環境が変化し、希望と不安の入り混じる時期。僕が高校三年生だったころとは比べものにならないほど、皆さんしっかりしている。彼らを見ていると、何かにまとまってしまわずに、僕も希望に向かって新しい世界へと立ち向かっていかねばと思う。危険を恐れず挑む姿勢がなくなったとき、本当に年を取るのだろう。しかし僕の年齢の危険と、彼らの危険では話がちがう。怪我をしたときの深さも違えば、その意味の重さも違う。だから皆足を前に出すことができない。変なプライドに拘らず、柔軟に考えの視点を変えて前に向ければどんなにすばらしいだろう。
2009.12.23
コメント(0)
・12.22.火朝のテレビで、ALSを発病した息子(40歳)を殺害した母に懇願され妻を殺害した夫の初公判が行われたことを報道していた。しかし聞けば聞くほどこの母親の苦しみは身につまされる。我が息子が少しずつ体が動かなくなって、人工呼吸器なしでは生きられない状態になるまでをまじかに付き添い、息子を我が手で楽にした後、息子の後を追うことだけを考えて5年を過ごし、何度も死に切れない自殺を繰り返して重い鬱となって夫に楽にしてもらうまでの日々を過ごした。彼女はこの世に生まれて来て、どうしてこのような苦しみを、それも長時間味わねばならなかったのだろう。まさにこの世の地獄だ。運命という言葉でかたづけていいのだろうか。番組では、24時間の人工呼吸器に対する費用的な国の補償を訴えていた。もちろんそれも大事な問題だ。しかし、ALSという難病の原因を探る議論がされてもいいはずだ。何処かで誰かが日々研究をしているのだろうか。以前も述べたが、必ずどこかに原因があるはずだと僕は思っている。原因は意外と身近なところに。これは何処の家庭にでも突然湧いて出る運命でもある。これからは特に。午後のグループレッスンでは、舞台で活躍される方々。皆さん其々に成果を見せて下さった。夜のグループレッスンは大学生、高校生、9歳の少女を含む年齢層の若いクラス。これまた気持ちよくレッスンを行っているうち、帰りの時間ぎりぎりになってしまう。
2009.12.22
コメント(0)
・12.21.月午前中に河内長野の医療センターに行き、MRIの検査を行う。尾てい骨の痛みを10月の終わりに整形外科で調べてもらい、異常なしと言われた。整骨院では腰の歪みが原因だろうと言われ、治療してもらったが痛みはなくならず。今度は近所の内科に相談し、大腸癌検査とMRIの検査をすべく紹介状を書いてもらった。それが今日の朝だったのだ。MRIは何度か経験していたので、リラックスしてベッドに横になり、カプセルのようなトンネルの中でヘッドホーンの音楽を聴きながら20分うとうとしていた。結果は後日。その後阿波座に向かい昼のグループレッスン。いくらエアコンで暖房しても、なかなか部屋が暖まらない。深々と寒さが窓際から忍び込んで来る。それだけ冷え込んでいるのだ。そんな中、遠くから見える生徒さんたちのご苦労は大変なものだ。夜は混声合唱団。年も押し迫って来ているせいか、出席者が非常に少ない。ケルビーニのレクイエムを練習していて、先日テレビで見たレクイエムの中のディーレスイッレについての番組のことを話す。「怒りの日」最後の審判として、死んだ我々を神が裁く場面。曲の中では地獄と天国が交互に表される。NHKのその番組ではフォーレのレクイエムを取上げ、カトリックの支配するフランスから、ナポレオン三世失脚を変わり目に共和国としてのフランスの中で、フォーレは悪戯に死への恐怖を煽るのではなく、万人が天国に行ける平等性を強調した作品とし、ディーレスイッレを重要視しなかった。なるほどたしかに、フォーレのレクイエムはそれまでのレクイエムとは趣きの違うものだ。死を安らぎと安心に包まれたものに思わせてくれる。優しく肉を解すような対旋律の絡み合うすばらしい音楽。なかなか面白い番組だった。
2009.12.21
コメント(0)
・12、18、金朝の女性合唱団の休憩中に、ずぼんの下に何をはいているかという話題で団員さんを交えて話す。驚いたことに、皆さん薄いジーンズだけで素足、それに靴下だけ。「僕はタイツに靴下二枚、それに背中にはカイロ」というと、「おっさん臭い!」と大笑いされる。「寝ている時は毛布に布団二枚、それに足元にもう一枚薄い布団を掛け湯たんぽ」と説明すると「それは異常!」と首を振られた。この数年でものすごい冷え性になり、あっと言う間に冷えが入る体となってしまった。男でここまでの冷え性は例を見ない。少々運動をしたり、鍼治療をしたり、牡丹鍋を食べるぐらいではこの冷え性は解消できそうにない。僕が寒さに神経質に反応し過ぎるのだろうか。それとも周りの人々が鈍感なのだろうか。とにかく僕より年上がほとんどである団員さんも、皆とても元気に見える。アル方に勧められて、寒風マッサージを始めようと思っている。これは冬に始めてはいけないということで、夏に始めてずっと続ける方がいいらしい。随分先のことだが、来年夏からだ。夜は混声合唱団。一生懸命指揮を振っていると、ほかほかして来て汗をかく。そりゃそうだ、背中のカイロが貼ったままだ。皆さんの前で取る訳にも行かず、湯気が出そう。練習後外に出ると大変な寒さ。ようやく冬が来た感じ。
2009.12.18
コメント(1)
・12.16.水午後から奈良の生駒にて、1月16日の郡山城ホールでの演奏会の合わせを行う。その後阿波座でのアンサンブルクラスの練習。自分からかけ離れたキャラクターや身の上、年齢の違う役どころを演じることは、一つの壁を越えるまでは何とも難しい。人はたいがい自分のキャラクターなるものを自分自身で決めていて、自分のオプション以外のことを要求されると拒否する心が働く。これは実生活の中でも言えることではないか。皆自分の好みのキャラクターや生き方があって、それに自分を合わせようと試行錯誤する。でも実は、自分は全くそのようなキャラクターではないということがほとんど。本来の自分が分っていれば遠回りする必要もなく、一番良いところをアピールしながら生きることができるものを。声に対してもまた同じ。自分はこのような声であらねばならないという好みがあり、そんなものとは全く違う自分の本当の声を見つけることができぬまま年を取る。何においても己を知り、己の器を知り、己がやるべきこと、できることを見極めることが幸せの糸口なのかもしれない。しかしこれは口でいうほど簡単なことではないだろう。夥しい失敗と挫折を重ねて、時間を要していつかやっとのこと知ることになるのだろう。これはすべて僕自身の話だ。
2009.12.16
コメント(0)
・12.15.火午前中自宅でのグループレッスン。午後から富田林への出張グループレッスン。皆さん一つの曲を数回のレッスンの中でなかなか譜読みがおぼつかない中、一番年配の女性の生徒さん(おそらく87歳)だけが暗譜でレッスンに臨まれていた。複雑なリズムとイタリア語の歌詞を、その年齢で暗譜するのは並大抵な努力ではない。普通皆さん発表会があるからこそ必死で暗譜するが、普段のレッスンで常に暗譜で歌う努力を続けるのは真似のできないことだ。ピアニストと共に帰りの車の中で、感心しながら駅に向かう。その後阿波座に向かい、夜のグループレッスン。今日は中学生と9歳の女の子を含むグループ。9歳の子もすぐ飽きて辞めるだろうと思っていたが、今のところ意欲的に渡された曲をきっちり譜読みして来るし、前回言われたことは正確に直して来る。その場で要求されたことも敏感に反応して対応している。子供の能力というのは全くすばらしい。
2009.12.15
コメント(0)
昼のグループレッスンで、日本の組織における独特な体質について考えさせられる話を聞く。日本人の気質、いやひょっとしたらそれは東洋の気質なのかもしれない。イスラム圏の組織にだって同様のものが見られる。固まった組織に新しい風が吹き込んでくると、今までの自分たちの円を乱すまいという頭が働く。例えそれが腐りきった円であってもだ。そして周りからの意見を拒絶し、それを円から排除し、執拗に前に進もうとする。だからこそこの体質のもと、第二次世界大戦で海軍が暴走し、日本は多くの若者の掛け替えのない命を踏みにじる結果となった。このような体質は、やはり大体において中年から熟年の男たちに見られる。自分のやって来たことへのプライドを守り、周りの意見に耳を傾ける余裕を失い、自己を改める勇気が持てない。円の中では異質な風を排除すべく陰湿ないじめが、広がるウィルスのように成長して行く。京都の公家社会の内部事情を想像するだけで身の毛が弥立つ。どうしてだろう。どこから我々のそういった体質がやって来るのだろう。身の周りのボランティア団体、合唱団、職場などでもやはりそのような人々の気質が見えて来る。そして最大の問題は、僕もその群集の一人であるということだ。
2009.12.14
コメント(1)
・12.12.土朝の女性合唱団。来年春に控える演奏会の曲を新しく譜読みする。今年最後の練習だったので「それでは良いお年を!」と言いあって公民館を後にする。午後からは阿波座でのグループレッスン。舞台で活躍する人が多くおられるクラス。皆さん何だか声の調子が悪く、悪い癖をどうやって取るべきかと僕の中で懸命に解明しようとレッスンしていて「ひょっとして今日ここに来られる前に風邪を引いておられました?」と尋ねてみると、初めてそこで「はい、先週風邪を引いて昨日まで薬を飲んでいました」などと皆さん答えられる。先週風邪を引いて、もう熱も下り咳も止ったので歌えると思ってレッスンに来られるのだろうが、そんなに早く元通り歌えるようにはならない。そのような声への思いやりも養って欲しいと願う。舞台を控えておられる方々なら尚更である。そんな時にレッスン参加をドタキャンしても、必ず振り替えレッスンを行うのが我がCAの特徴なのだ。
2009.12.12
コメント(0)
・12.11.金朝の女性合唱団では、合唱祭後新しい曲を譜読みする。帰り駅まで一人の団員さんに車で送っていただき、すでに働いておられたり、結婚されていたりする三人の子供さんについてお話をきく。働きながら三人を育てあげられたご苦労と苦難と喜びは、激動の人生。「だから今はいろいろ楽しいことをさせてもらっています」と穏やかな笑顔。帰りの電車でまた違う団員のお一人と一緒になり、これまたすでに30歳を超えておられる三人のお子さんの話を聞く。全く、女性は健康で、強い忍耐力を持ち合わせていなければ生き延びてはいけないと感心する。その後奈良に向かい、菖蒲池でのグループレッスン。レッスン前に皆さんに待っていただき、慌ててスタッフが買っておいてくれた弁当を食べる。その後奈良100年会館に出向き、先月のNSK演奏会のお礼と今後の相談をする。何しろ市の機関なので、年度変わりには移動が多く、人間関係を温めていてもまたゼロからということになりかねない。その後混声合唱団。帰るころには雨も止んでいた。
2009.12.11
コメント(0)
・12.10.木午後阿波座でのグループレッスン。その後慌てて奈良に向かい、NSKミーティング。次回の演奏会取り組みに向けて多くの議題が山積。我々運営委員会は好意で集まっているボランティアの活動である。でもだからと言って、仲良しクラブの乗りだけではこれから続くNSKの取り組みを成功に導いて行くことはできない。会社であろうが、ボランティア団体であろうが、きっちりとした規約のもと、すべての事柄を運営委員会で決定し、それに随って行動し、其々の役割を明確にし、きっちりと報告を怠らない。そのようなある程度の組織としての動きが必要であると切実に訴える。言うまでもなく、第一回目よりも二回目は、資金や人材の面で多くの苦難が伴う。夜は本番後初めてで、今年最後のNSK混声合唱団の練習。来年企画するファンドレイジングコンサートに向けての譜読み。思っていたよりも多くの方々が集まって下さり、わいわいと楽しい練習。雨の降り出した奈良を後にする。
2009.12.10
コメント(0)
12月1日の日本シューベルト協会の演奏会のチケットをお求めいただいていた方々におきましては、私のインフルエンザ感染のため、多大なご迷惑をお掛けいたしましたことを深くお詫び申し上げます。チケット払い戻しも考えたのですが、私の出演断念を聞いてご来場されなかった方、知った上でご来場いただいた方、知らずにご来場いただいた方といろいろ方がおられますので、なかなか難しいと考え、大変勝手な方法とは存じますが、来年作製予定の私のCDをプレゼントさせていただくということでお詫びと替えさせていただきたいと考えております。今のところ来年2010年の夏に録音予定ですので、それからプレスやパッキングを考えますと少し先のことではありますが、ご購入いただいたチケット、もしくは当日プログラムを捨てずに保存いただき、その際の証明としていただければと願っております。何とぞご了承のほどを、よろしくお願い申し上げます。 茶木敏行
2009.12.09
コメント(0)
・12・7・月インフルエンザから復帰して初めての出勤。一週間以上家にこもっていたせいか、薬のせいか、インフルエンザの爪痕のせいか体がまだしゃきっとはしない。午後のグループレッスンでも、まだ思うように声が出ない。レッスン開始少し前に、注文していたテーブルと椅子が運ばれて来る。あちこち検分した結果、湯川家具での購入。店で見たときは大きすぎると感じたテーブルも、いざ我が教室に来ると丁度よい大きさ。椅子も座り心地良く、一日座っていても疲れ方が全然違う。奮発してよかった。夜は混声合唱団。インフルエンザ発症から一週間少し、世間に出て行き、率直に言って周りの人たちは迷惑そうだった。逆の立場でも、多分僕も余りよい気持ちがしないだろう。医者は通常熱が下って二日は家にいて、三日目からは外出OKとしている。発症からおよそ五日間が目安。僕はその三日後の外出。それを説明しても、皆それでも怖い。確かに僕だっていやだと思う。でも、余り普段感じる機会のない他人の目というものを体験できた。ハンセン病や、原因の分っていなかったころの水俣病患者に対する人の目。度合いは違うにしろ、障害者なんかに向けられて来た種類とはまた違う、何か独特な拒否の目。口には出さないがそっと遠ざかって行く人影。昔の伝染病患者はどんな辛い思いをしていただろうとぞっとした。でももちろん周りの人たちを責めることはできない。だからこそ余計に悲しい話だ。
2009.12.07
コメント(1)
・12.4.金熱もすっかり下り、咳もうまく止り、食欲もある。でも他人への感染の恐れはまだあるとのことで、仕事も全部休んで一日家にいる。もう五日間ずっと家に閉じこもっている訳だが、僕はどうもこのずっと毎日家にいるというのが昔から苦手である。膨らました風船の膨らまし口おうまく括れずに、焦ってよけいに時間が掛かって空気がどんどん漏れて行っているときのような気分になる。こういう時間がたっぷりある時にこそ部屋にこもってやるべきことがあるようにも思うが、対して思い付けない。仕方ないので、昔買った古いCDを引っ張り出して聴いてみたりする。ドイツ時代に買ったマイルスデーヴィスやキースジャレットやウィントンマリサレス20代のころに聴いていた井上陽水のいろんなアルバム。こうやってみると、井上陽水も随分くだらない曲をたくさん歌っていた。当時はちっともくだらないとは思わなかったけど、今は変にいろんなことが分ってしまって嫌なリスナーである。一度雑誌で彼のインタビュー記事を読んだことがあった。「子供のころに親から毎日廊下を雑巾掛けするように言われ嫌々やっていた。バケツの水に雑巾を浸して、廊下をぺちゃぺちゃ濡らして雑巾掛けしたように見せて遊びに出ていた。今の僕の曲も、それと同じようにいいかげんにごまかしたところがある。この部分の詞はもっといいのが思い付くまでまあこのまま置いておこうなんて思っているうちに締め切りがやって来て結局そのままレコーディングなんてことがしょっちゅうある。子供のころの雑巾掛けが改められていないんですね」そのうち、僕が中学の時に初めて買った彼のレコードをCD化したものが見付かった。これは10年ほど前に懐かしさから買ったものだ。アルバムのタイトルは「招待状のないショー」14歳ぐらいの僕は貯金を持ってレコード屋に行き、このレコードを選んでレジに持って行った。そのときのワクワクしたような気持ちを変にはっきり憶えている。布団の中で本当に久しぶりにそのCDを聴いてみる。すてきなアルバムだ。くだらないと思うところが全然ない。アレンジャーがまたすばらしい。陽水の個人的な思いを壊すことなくよりダイナミックに広げている。これは星 勝さん。才能に溢れたアレンジャーだった。若い時に死んでしまった恋人に対する思いのような一環した叫びが感じられる。僕にはそう聴こえるのだ。「傘がない」と同じテーマ。このアルバムには、僕の中学時代が凝縮されているように思われる。サウンドも使っている楽器の音もレトロだが、良いものは30年以上聴いていても飽きない。年を取った今の陽水には、もちろんそういう緊迫したものは感じられない。時代が変わって、彼の音楽もその時代の流れにぴったり付いていった。意味のない満ち足りた平穏と退屈ばかりが伝わって来る。それはそれで悪くはないのだけれど「招待状のないショー」を聴いた後では、やはり絞り粕のようにも思えなくもない。
2009.12.04
コメント(1)
・12.3.木11月29日(日)の南大阪合唱祭で二団体の指揮をする。朝10時前からLicはびきのでのリハーサルが始り、本番出演は3時半ぐらいからニ団体続けて。会館内は乾燥していて、多くの人がごったがえするので、終始マスクを着用。本番中何かしら舞台上で演奏に集中できない。指揮を振りながら、普段とちがう自分の精神状態に気付く。難しい曲のリズムを振り間違えたりしながらも、何とかすべて演奏終了。そのころから少しずつ気管支の辺りの不快感を憶える。帰り仕度をして会館の外に出たころには咳も出始めた。二日後には西宮文化会館での本番を控えているのに、これはまずいことになって来たなと困惑する。帰宅してすぐ就寝。次の朝体がだるいなと思い、熱を計れば39度4分。これは!と思い病院に行くと、A型インフルエンザと診断される。もちろん12月1日の演奏会出演は断念せざるを得ない。スタッフにも手伝ってもらいながら、高熱で意識が朦朧とする中、チケットを購入いただいた方々にメールを送る。それでも少々の連絡漏れがあったようで、僕の出演取り消しを知らずに会場に出向いて下さった方々もおられたようだ。とにかく演奏会関係者の方々や、チケットをご購入いただいた方々に多大なご迷惑をお掛けしたことに対するお詫びの気持ちで一杯である。僕は僕なりに演奏会本番に向けて、体調管理に精一杯努力しているつもりである。でもどうしてこのようないやなタイミングで体調を崩し、舞台に穴を開けなくてはならないのか分らない。お客様を良い体調でお迎えできない辛さは、何度味わっても耐え難いものである。考えられる原因として、一つに鍼治療の乱用である。今回尾てい骨の痛みのために詰めて整骨院に通った。この先生は鍼での経絡治療も兼ねて行う。それに加えて本番前に溜まった疲れを取るために別の鍼治療に出向いた。鍼治療もやり方によっては体力を弱らせるという話も聞いたことがある。思えば去年のリサイタルの前日も喉が急に腫れた。これも多分鍼治療の乱用が原因だ。大体僕はそういう大事なことに気付くのが遅過ぎる。本番前の体調を整えているつもりが、自ら崩しているのだ。余計なことはするべからず!それに加えて、先週もずっと各団の合唱指導で毎日大勢の人と関わった。できるだけマスクを着用するようにしているが、指導中はそうもいかない。何処で感染してもおかしくない環境、それに加えて鍼の乱用となると今回のような結果となるのだろう。今はタミフルで熱も下り(少々下がり過ぎている)、体力も戻り食欲もある。でも節々が少し痛み、耳鳴りも残っている。薬なしで熱が上がらないようになってから二日後には人への感染もなくなるとのことなので、来週には日常復帰できるのではと思っている。
2009.12.03
コメント(1)
全17件 (17件中 1-17件目)
1
![]()
![]()
![]()