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・3.31.火 正午から金剛での出張グループレッスン。 4月5日の発表会に向けて、アンサンブルの練習。 日本人の気質があらゆる分野で共通しているという話をする。 昨日テレビのフィギアスケートの世界大会を見ていて感じたことだが、日本人のコーチに付いている日本人の選手が、外人のコーチに変わると途端に演技が変わる。 のびのびと妖艶で、すべりを楽しんでいるように見える。 日本人は高い技術・失敗のない演技・緻密な基礎、そういったものをとても大事に考える。 もちろんそれがないと何も始らない訳だが、そこで止ってしまうのだ。 しかし外国人のコーチに付くと途端にその先の一番大事な部分、花で言えば根っこや茎だけに終わらず、花を咲かすことを行う。 その結果ミスのディスクも増える訳だが、初めて芸術性をおびて来る。 音楽の分野でも全く同じことが言えると痛感した。 日本人はどうしても花を咲かせることに興味が持てないのだ。 例えばドイツ人などでも、根っこや茎がまだ出来上がっていないくせに、花を咲かせようとやっきになる。 その結果むちゃくちゃなことになるのだが、日本人にはない気質だなとよく感心した。 我々日本人にはそういった大味でもいいから感情の発露をイメージで形にしてみるというような行為が著しく欠けているのだ。 夜は4月18日に開催される「犬を救うチャリティーコンサート」の練習を阿波座にて行う。
2009.03.31
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・3.30.月 午前中に鍼灸院訪問。 隣の患者さんが欝病だと言って治療に来られていた。 「病院で欝病だと診断されました。 家から出る気になれないし、何かを食べたいと思わないんです。 その代わり健康食品の錠剤ばかり飲んでいます」 「私のところにも以前から、何人かの患者さんが鬱病と病院で診断されたと言って来られました。 でも診断して行くに連れて分って来たのですが、大概は生活態度が原因なのです。 不規則な食事時間。 不規則な睡眠。 不摂生な食事内容。 そういったことが体調を狂わし、その結果精神に異常が出て来る。 体と精神は切り離しては考えられないのです。 お陽さんと共に起きてその光を浴び、陽が沈むと眠る。 そんな当たり前のことが出来なくなって来ている。 大概の皆さんはいわゆる欝病なんかじゃないんですよ。 まず生活態度からです」 午後は阿波座にてレッスン。 4月5日の発表会で演奏されるソプラノとクラリネットのデュオの合わせ。 レッスン後19歳のクラリネット奏者の男性を交えて世間話。 この若さでおじさんおばさんに混じってうまく話しをされる。 僕が19歳だったころを思い出してみる。 親から開放された下宿生活で、毎日遊びほうけていた。 目上の人に対して挨拶すらまともに出来なかったように思う。 それに比べて彼は小綺麗で真面目で礼儀正しく、大人ときっちり世間話が出来る。 将来のことだってもうちゃんと考えている。 京都の田舎の盲学校のぬるま湯で育った僕は、人より10年成長が遅れていたように思える。
2009.03.30
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3.28.土 午後からのNSK混声合唱団の練習。 僕が自分で立てて皆さんにお配りした6月13日までの練習計画に無理があり、こなさねばならない曲数に気が焦るばかり。 有り難いことにどんどん新しい団員が増え、だいぶん練習が進んだ曲も今一度音取りに戻った練習をしていることが原因であろう。 4月に入るとさらに多くの団員が増えるということで、嬉しい悲鳴である。 その他にもNSKには嬉しいニュースがあり、いよいよ活動が軌道に乗って来た感じ。 やはり9人の運営委員で其々に努力を重ねたり、綿密に話合って相談しながら活動していることが、物事を前に力強く進めて行くことが出来る原因なのだろう。 でもこの活動を見ていると、努力の結果だけではなく運のようなものの力も感じる。 一人で動いているだけではその運はうまく転がらなくても、数人で力を合わせれば総合的な運が生まれ、上手い具合に転がり始める。 数人の僧侶が大きな石の周りに座って、手を使わずに皆の念力だけで石を宙に持ち上げるという話を想像させる。 それは一人の念力では持ち上がらないのだ。
2009.03.28
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・3.27.金 朝の女性合唱団の後阿波座へ。 今日昼のレッスンに、昔からの友人が生徒さんとして見えた。 共に舞台で演奏していた仲間だが、レッスンを施すこととなり、何だか照れくさいような変な感じだった。 しかし誠心誠意、躍進感のサポートに務めたいと思う。 その後夜は混声合唱団。 ローベルト・シューマンの歌曲集「詩人の恋」の合唱版の譜読みを始める。 ソロの曲として有名なこの歌曲集を合唱で挑戦するのは、かなりの難しさを伴うだろうと想像する。 しかし時間を掛けて、合唱演奏独自の良さを模索して行きたい。
2009.03.27
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・3.26.木 午後の奈良クラスの前にまたうどん屋に行こうとしたら、何と臨時休業。 この店の玉に瑕はこれである。 何の予告もなしに突然個人的な理由で休業することが多いのだ。 仕方なく公民館を通り越して、西大寺の方に少し行ったところにあるそば屋に行った。 ここもとても美味しいと生徒さんから聞いていた店だ。 確かに拘った店で、値段も張るがとても美味しい。 午後のレッスンが終わると阿波座に向かって、夜はCAC混声合唱団。 4月5日のアンサンブル発表会の出し物と、6月13日のファンドレイジングコンサートの出し物両方の曲数の多さにアップアップしながらの慌ただしい練習。 冗談一つ言っている暇もない。 僕からの要求も少しずつ厳しくなり、練習終了後に皆さん溜息を吐いておられた。
2009.03.26
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・3.25.水 ●松浦 保さんへのお別れ(5) 軍隊での思い出話もよくして下さった。 「毎朝凍えるような風の中、軍人勅諭を皆で読まされた。 余りの寒さに失神するものも多かった。 そんな時どうすると思う? 介護する訳でもないし、医者を呼ぶ訳でもない。 軍曹が倒れているやつの横っ面をひっぱたくんや。 それでも気が付かんかったらバケツで水をぶっ掛ける。 それでやっと気が付いて立ち上がってまた勅諭を読み始める。 医療費もいらんし、薬代もいらん。 なぐるだけや。 安付くでこれは。 今のもんは何かっていうとすぐ病院や。 自分を大事にしすぎとちゃうか。 たいがいのことは歩いたら治る。 少々熱があってもわしは朝の散歩は休まん。 それで風邪でも人より早ようなおるんや。 大体、今の70代より下の人は弱すぎるわ」 松浦さんが退職後から毎日続けておられたことがもう一つある。 「考える会」と銘打った日記をメールにて希望者に送信されて来たのだ。 約200人ほどの人に送信されていたと思う。 (松浦さんはパソコンも携帯もとても巧みに使いこなして、エクセルで家計簿も付けていた) 内容は日々あったことを通して、年配者がどうやって生きて行くべきかというようなことを考えるものだった。 その中でも度々興味深い話もあった。 習字教室で書くお題の哲学的内容。 社会への批判。 一般的な考え方を根底からひっくり反す斬新な意見。 それから何に対しても前向きに改善を思案する姿勢。 もちろん人一倍負けず嫌いだったので、強がって書いておられることも多いように見えたが、そこがまたまるで若者のような感覚だった。 亡くなる数日前から微熱が下らず、いつもなら散歩も続行だが、その時は自分から散歩は自粛して病院にまで行かれた。 毎朝の日記メールにすべて書かれていたのだ。 何があっても病院にだけは行かない松浦さんが変だなと思った。 20日の朝もいつものように日記メールがやって来た。 睡眠をたっぷり取って、少しずつ快復に向かっていると書かれてあった。 200人の人がそのメールを受け取っていて、その数時間後に訃報を聞いた。 そしてあたりまえではあるのだけれど、その次の日からきっちりメールは来なくなった。 やはり松浦さんの存在感は思っていたより大きく、我々の中にぽっかり空いた穴はそのまま放置されている。 普通の87歳の大往生とは違う喪失感を我々に残して旅立って行かれた。 でもおそらく向こうでも忙しくされているのだろう。 のんびりと安らかにというのは松浦さんには会わないように思える。 心よりご冥福をお祈りいたします。 いつの日か会える時まで、さようなら。
2009.03.25
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・3.24.火 ●松浦 保さんへの別れ(4) 結局松浦さんは二回発表会に出演された。 歌を始めて二ヶ月目ぐらいにちょうど発表会があり、まさかと思ったが「出演したいと思います」と言われ申し込まれた。 そのころCAには三人の80代の生徒さん(85歳の松浦さん、83歳と81歳の女性)がおられ、三人とも出演されることとなり、とても嬉しく誇らしく思ったものだ。 「80代の方は本番で楽譜を見ていいですよ」と言ったが、松浦さんをはじめとして皆さん見ようとはされなかった。 松浦さんもつっかえたり止ったりしながら最後まで演奏され、その二年後の出演でも元気に演奏された。 おそらくこれからの発表会もすべて出演されるつもりだったと思う。 発表会後の懇親会でも、いろんな人たちに囲まれてアイドルとなっておられた。 その後も月四回レッスンに見え、それぞれのレッスンの前にはコレペティションを受けて、それはもうこちらが頭が下るほどの努力だった。 85歳の五月に自分の誕生日パーティーを帝国ホテルにて主催され、我々CAの者も招待された。 普段練習を重ねて来た六曲を演奏され、お祝いに僕も歌った。 今年の五月にも喜寿の誕生日パーティーを企画されていて、亡くなる前の週には帝国ホテルに打ち合わせに出向いておられたそうである。 2009年に入って少し歌のレッスンを減らされ、小説の出筆に力を注がれていた。 軍隊時代の話を中心に私小説をまとめて、一冊の本にしてみようと思っておられたようだ。 どんな時間も惜しんで筆を取られた。 その前向きな情熱は、87歳とは思えない若々しい精神力である。 自分が87歳を迎えてそんな風に何かに打ち込むことが出来るだろうか。 そのときおそらく松浦さんのことを思うだろう。 ~明日につづく
2009.03.24
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・3.23.月 ●松浦 保さんへのお別れ(3) 2006年の春頃のこと。 CAのスタッフのピアニストの女性が学園前の駐車場に車を止めた時、いつものように散歩中の松浦さんとばったり会った。 松浦さんは吸殻を拾うための大きなはさみを高く上げ、彼女に挨拶し話し掛けて来た。 「駐車場の管理人に聞いたんやけど、あなたピアニストなんやてな? 実は私はピアノを習い始めたいと思ってるんやけど、貴女のところで習うことは出来るやろか? ピアノも持ってへんけど、すぐにでも買うから」 「いいですよ。今から仕事ですから、また時間を見てゆっくり話しましょう」 「仕事って何をされてるの?」 「声楽を教える教室で伴奏を弾いています」 「歌?歌ね、歌もいいな!」 ということで、CA奈良クラスのレッスンを見学しに来られることとなった。 その時のことを今でもよく憶えている。 レッスンが始まると同時にそっと部屋に入って来て、一番後ろに座られた。 レッスン中ずっと怖いような真剣な目で僕の方を見ておられ、レッスンが終わると近付いて来て「私も声楽を習いたいと思うのですが、私のような何の経験もない者に出来ますか?」と尋ねられた。 「もちろんです。 最初は聞き覚えて、そのうち少しずつ楽譜を読めるようにして行かれたらいいですよ」 そのようにして次の週からレッスンが始まった。 松浦さんは今まで商売のことばかりでカラオケ一つ歌ったことがないということだったが、リズム感も音程も良く、軍隊で鍛えた大きな声で、初めて歌をうたうとは信じられなかった。 それから何回目かのレッスンの後、身の上話を聞く機会があった。 「戦争が終わってから食べて行く手立てもあらへんかったから、闇市をやった。 アメリカ兵のかなり上の人と知り合いになって、うまいこというてサインさせてアメリカの良い生地を安くで横流ししてもらって、それで服を作って売った。 当時は着るものもなかったから飛ぶように売れて、おもしろいように儲かった。 当時の貨幣価値で数億。 でもな、若いもんが大きな金を手にしたらろくなことはない。 あるだけ遊んで使うてしもた。 さほど苦労もせんと儲けた金は泡のように消えてしまうもんや。 そこで、こらいかんと思った。 こつこつ真面目に働かな、いつまでたっても金は溜まらん。 一つ勉強したという訳や。 それで借金して、身一つから会社を始めた。 戦前に務めていた鉄工所での経験を生かして、小さな鉄工所を始めたんや。 最初は少しはうまく行ったけど、そのうち不渡りを出して差し押さえを食って、電気も止められて、真っ暗な中で子供らは宿題も出気へん時期があった。 その日の食うもんにも困った時期が10年ぐらいあったかな。 そんな時も自分には商売の才能があるんやと言い聞かせて毎日を乗り越えて来た。 わしにはその辛い時代があるから、今はどんなことでも乗り越える自信がある。 それから数十年経って会社も何とか軌道に乗ったころ、自社製品の開発に取り組んだんや。 どこの鉄工所でも自社製品の開発にはよう手が出されへんかった。 費用と時間と技術が必要やからや。 でも先駆けてそれをやっていたから90年代のバブルを乗り切ることが出来た。 わしが今までの人生で言えることは、人と違うことをやらなあかんということ。 人が考えもせんことをやらな人に抜き出ることは出来へんのや。 それと、やると決めたら10年は続ける。 継続は力なりや。」 ~明日につづく
2009.03.23
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・3.22.日 ●松浦 保さんへのお別れ(2) 本日、松浦 保さんの葬儀に参列するために奈良の富雄に出向く。 メモリアルホールの会場に入ると、奈良クラスでのレッスン風景の録音が流れている 。 毎回松浦さんはレッスンをMDで録音されていたのだ。 一番お好きだった「初恋」を歌われているところであり、それは我々にとってもつい 数日まえまで通常の生活であったレッスン風景だ。 一生を通じてどんな道を歩まれて来たか、簡単に説明するアナウンスも流れた。 葬儀の終わりに長男(59歳)が挨拶されたが、涙に噎せて充分に話せないほどだった 。 松浦さんは昔から家族の中でも厳しい人で、気軽には話も出来ないほどだったと聞い ていたが、それでもここまで息子さんに慕われているところを見ると、ただ厳しいだ けではなかったのだろうと感じた。 棺の中の松浦さんのお顔を最後に見て、火葬場へ見送ってから葬儀場を後にした。 僕は松浦さんの生き様から多くのことを学ぶことが出来た。 皆さんそう感じておられることだろう。 26歳の時に立ち上げた松浦鉄工所を一代で大きくして息子さんに譲られ、退職された のが六年前の81歳の時。 さて第二の人生でまず何をやるべきかと思案された。 何にも換えがたい宝は健康。 死ぬまで呆けない、寝たきりにならない、介護を受けないということを目標に毎朝15 000歩歩く事を始められた。 学園前にあるマンションから駅の方を回ってぐるっとまたマンションに戻る。 僕は車で通ってみたことがあるが、相当な距離だ。 そしてただ歩くだけでは脳がないので、道路の上に酷い状態でばら撒かれているたば この吸殻を拾って歩くこととされた。 散歩中にやろうと決めたことはもう一つ。 会う人会う人に「おはよう」と声を掛けること。 最初は変質者を見るような目で見られたそうだが、黄色い作業服(松浦鉄工所のユ ニホーム)を着てゴミを拾いながら笑顔で挨拶するおじいちゃんは次第に有名になり 、道で会う誰もが挨拶を返してくれるようになって行った。 そして結果六年間、雨の日も雪の日も年中無休でこの長い散歩をやりこなされた。 クリスマスには近くの保育園に呼ばれサンタクロースを務めたり、町をクリーンにし ていることを奈良県知事に表彰されたりもした。 「私を真似して歩こうという人は今だ出てこない。 皆時間がないというが、時間は作ろうと思わなければできない。 どんな時でも『時間がないから』というセリフは本気でやろうと思っていない証拠だ 。 歩いてみればそれがどれだけ健康維持に役立つかが実感出切るはず。 努力しなければ老いるのは当たり前。」 よくそんな風におしゃっておられた。 松浦さんと我々CAの出会いもそんなころだった。 ~明日につづく
2009.03.22
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・3.21.土 ●松浦 保さんへのお別れ(1) 昨日20日午前10時ごろ、CA奈良クラスで歌を習っておられた生徒さん、松浦 保さんが心不全のため死去された。 87歳だった。 松浦さんは一代で築かれた会社を81歳で息子さんに譲られ、その後マンションで一人暮らししながら、多種多様な試みをされて来た。 絵画・習字・料理・小説・歌・などなど。 どれも退職してから今日まで止めることなく続けてこられた。 その中でも小説への情熱は一入であり、大阪文学学校に6年間も在学されていた。 僕も松浦さんの紹介で一年間在学していた。 作品が出来上がるといつもメールで送って来て下さり、拝読したものだった。 松浦さん自身が体験されて来たことを小説にされているものがほとんどで、戦争・軍隊・戦後の闇市での商売・会社立ち上げ・経営不信での辛い時代・軌道に乗り、バブルも乗り越えての成功と様々な体験と激動の人生を描いた小説は、他のものには書けない題材に溢れていた。 最近ではそれらの題材を一つの本にしてはという周囲からの勧めもあり、作品を書き上げることにすべての情熱を傾けられていた。 そのため夜更かしも毎日で、寝る間も惜しんで取り組まれていたことが今回のことに繋がった可能性もあるのではと僕は考える。 結局小説は完成半ばで筆を折られたことになり、そのことがとても残念である。 ~明日に続く
2009.03.21
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・3.19.木 午後のレッスンの後、CAC混声合唱団。 あるオペラのストーリーから、男女間の嫉妬について考える。 嫉妬という感情は、裏返せば「自分に対する自信のなさ」「プライドに受ける傷への恐れ」という二つが基礎となっているのではないか。 人の心に戸は建てられない訳で、自分以外の人に相手が引かれて行くのならそれは自分にそれだけの引き付ける魅力がなかったのだ。 そこで懇願して相手を引き止めても空しいだけではないか。 だから一層後のことは考えず、開けっ広げに信じてしまうしかない。 よって、僕は今まで男女間の中で嫉妬という感情を抱いた経験がない。 そういう話を女性に向かってすると「貴方は冷たい人だ」とか「本気で人を好きになったことがないんだわ」なんて批判を受ける。 しかし果たして嫉妬という感情は相手への強い思いだけで形成されているものだろうか。 自分に対して、という部分が裏返ったもののように思える。
2009.03.19
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・3.18.水 午後のレッスンの後、スタッフの持っているテレビの見ることの出来る携帯で、一年半ほど前に起こった、三人の男性が女性を殺害した事件の判決を皆で見る。 三十代の二人が死刑、四十代の男一人が無期懲役。 それを聞き、「控訴だ!」と皆で怒りに打ち震える。 夜のアンサンブルクラスの練習までに、6月13日に奈良女子大の記念館で行われる「NSKファンドレイジングコンサート」のチラシ校正を行う。 アンサンブルクラスでは、全演目の通し稽古。 オペラに参加した場合、演出家が付ける演技や動きに納得が行かないとしても、その指示の中で自分なりに消化して演じなくてはならない。 それは演奏家の宿命なのだ。 でなければ演出というものが根底から成り立たなくなる。 音楽に関しては指揮者が、動きに関しては演出家がすべての決定権を持っており、それが舞台の決まり事なのだ。 言い換えれば、演奏家にとっては個人の解釈が通らないということでもある。 ドイツの歌劇場では、歌い手が演出家に食って掛って、喧嘩になって練習が怖ろしく長く伸びていたのを見たことがある。
2009.03.18
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・3.16.月 午後のグループレッスンの後、パソコンに向かって雑務を片付ける。 土曜日名古屋に経って、今日また大阪に戻って来たスペンサー氏に会いに行き、やり残していた打ち合わせをしてから、混声合唱団の練習場である昭和町に向かう。 練習後御堂筋の昭和町から動物園前駅を経由して天下茶屋に出て南海線に乗り換えようとしたら、高野線がまた人身事故で運休している。 ちょうど今千代田駅(河内長野から一つ大阪寄りの駅)で自己が発生し、運転再開のめどは付かないというアナウンス。 皆文句一つ言わず、近鉄電車に振り替え輸送すべく堺筋線に向かう。 僕ももう一度堺筋線から動物園前駅に戻り、御堂筋であべのへ。 近鉄南大阪線は振り替えの人たちで満員。 座ることもならず河内長野に到着したら、最終バスが行ったところ。 仕方なく列に並んでタクシーに乗る。 このところ三回も立て続けに千代田駅での人身事故。 呪われているとしか言えない。 ぐったり疲れて、毎回のタクシー代もばかにならない。 駅から我が家までは山間料金を取られる上に、夜間料金。
2009.03.16
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・3.14.土 今日は朝の女性合唱団の練習はなく、少し早目に阿波座に行って、夕方に受けるチャールズ・スペンサーのレッスンに向けて練習する。 午後のグループレッスンを終えてから、阿波座教室から歩いてすぐのレッスン会場に出向く。 スペンサー氏が来日して、大阪でレッスン会場として使わせてもらっておられる個人のマンションが、偶然に阿波座教室のすぐ近くだったのだ。 定期的に彼と共演しているが、レッスンを受けるのは五年ぶりぐらいになるだろうか。 彼の持つ楽譜から読み取る音楽的感のようなものは、改めてすごいと感心する。 少し早く会場に到着して座って待っていると、僕の前にレッスンを受けていた女性が部屋から出てこられて「茶木さん、お久しぶりです」とおっしゃった。 見るとかれこれ20年以上前にあるオペラグループで共に歌っていた方だった。 なんとも懐かしい再会である。 あのころはお互い、良くも悪くも若かった。 レッスン後、日本を襲う中国の黄砂についてスペンサー氏に説明する。 ただの砂漠の砂ではなく、中国と韓国の工場地帯のスモッグをたっぷり吸ってやって来る砂が、我々の肺の中にどれだけ悪影響を及ぼしているかを聞き、顔を顰めて驚いておられた。 再び冷たい風の吹く中、レッスン会場を後にする。
2009.03.14
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・3.13.金 朝の女性合唱団の後奈良に向かい、菖蒲池でのグループレッスン。 その後福祉施設「あゆみの会」にNSK推進メンバー4人で出向き、我々の取り組みに参加下さるようお願いする。 今まで多くの障害者施設に参加を訴えても、何処でも決まったように「施設内の行事で時間が一杯で、外部のことにまで手が回らない」と断られて来た。 だから今日の訪問も全然期待はしていなかった。 出迎えて下さったのは施設長・音楽療法士・若いスタッフの三人で、皆さん女性だった。 我々の趣旨と今までの推進経過、それに演奏内容を説明し、感想と意見を待った。 施設長がおっしゃった。 「私たちは利用者の子達にこの施設の中だけではなく、もっと広い世界ででもいろんな経験をさせてやりたいと思っております。 それが彼らにとって苦痛であれ、喜びであれ、何かしらのプラスになると思いますし、この小さな建物の中だけでは学べないことがたくさんあります。 そしてこのような良いチャンスをいただく機会を生かしたいと感じます」 それに続いて音楽療法の先生も、早速具体的なこれからの練習方法や膨らむ夢を語り出された。 それは今まで3年間訴え掛けて来た奈良県内の様々な施設とは、根底から違う情熱と姿勢であった。 それにその三人の女性の目が澄んでいる。 初めて手応えを感じて施設を後にした。 その後阿波座教室に雑務を固ずけるため向かう。 教室ではアンサンブルクラスの生徒さんたちが、発表会に向けて自主練習をされていた。 皆さんがオペラの重唱の演技を研究されている片隅で、自分の作業をする。 皆さん本当に熱心で、自主的なやる気に溢れている。 ますます4月5日の発表会が楽しみである。
2009.03.13
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・3.12.木 菖蒲池のうどん屋で昼食を取ってから、奈良クラスのレッスン。 その後NSK運営委員会のメンバーにてミーティング。 紙の上の計算では、11月15日の第九本番の舞台に乗る合唱団の人数は、何時の間にか250人ほどになっている。 舞台に乗れる人数は約200人。 「人が溢れ出ている!」と嬉しい悲鳴であるが、これはあくまで希望的計算によるもの。 今まで団員募集のことばかり悩んでいたことを考えると、一瞬の嬉しい錯覚である。 夜はNSK混声合唱団の練習。 ここでもいつの間にか増えた団員に驚く。 11月15日は、母体となるNSK混声合唱団を中心に「NSK第九を歌う会」としていろんなところから人に集まっていただき、200人ほどの大合唱となる予定であり、これからの活動を考えると、母体の団が少しでも大きくなることが重要なことなのである。 よって一人でも多くの方々に加わっていただくことが、何よりも嬉しいことなのだ。 帰りは例のご両親の介護に当たっておられる生徒さんと共に奈良から大阪に向かう。 お姉さん思いの妹さんが思いがけなく時間が出来たので、「両親を私が見るから、おねえちゃんは行きたいところに行けばいい」と言って下さったそうで、急いで用意して奈良まで来られた。 兄弟がいつまでも思いやって仲が良いというのも貴重なことである。 どちらかが自分本意だったり、我がままを当然としていたりすれば叶わない関係であろう。
2009.03.12
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・3.11.水朝から昨日の楽譜探しを引き続き行う。それでもやはり何処にも見付からない。家を出る前に10分ほど余裕があったので、有るはずのない押入れを開けてみると、何とそこにあった。どうしてこんなとんでもない場所にこの楽譜があるのか見当も付かない。とにかくほっとして阿波座に向かう。午後のグループレッスンでは、仕事にほとほと疲れ果てた生徒さん(40代前半の女性)が、半分欝状態で来られ「リハビリのつもりで来ました」とおっしゃった。限度を遥かに超えた労働条件の中、皆そんなになってまで働かねばならないのだ。社員を使う方の立場のものはそういったところまで見ているのだろうか。きっと気付いている。でも今の世の中で、危ない会社の経営を考えるだけで精一杯なのだろう。敗戦をまじかに控えた旧日本軍を思わせる。夜のグループレッスンでも、精神的に仕事を引き摺って教室に辿り着いても声は全くいうことを聞かないという話題になる。なるほど確かにそうかもしれない。歌うという行為は、内面を温める喜びでもあるし、時には心を食い乱す蛇にも成り得る。
2009.03.11
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・3.10.火風邪の症状が出て、薬を飲まず針治療だけで今日で二週間。咳は完全に止まり、体で感じる不快感はすべて消えた。実験的に、大体それぐらいの日にちで何とかなると分った。普通ならこれでばんざいだが、歌うものはそうはいかない。依然歌声の方は通常どおりにはならず、特に高音は出ない。一旦風邪を引くと、完全に元通りに歌えるようになるまでに、やはり1ヶ月ぐらいは見ないといけないのかもしれない。正午から金剛での出張レッスン。夜は阿波座でのグループレッスン。必要な楽譜が見付からず、朝から自宅の部屋を探し回っていたが、何処にも見当たらない。一日中そのことが気になっていらいらしていた。思い起こせば最後にその楽譜を見たのは5年前。部屋の何処かには有る筈なのだが、二度と出て来ない予感がする。そういうことが時々起こる。探すのを止めた時、見付かるのかもしれない。
2009.03.10
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・3.9.月午前中にあべのの鍼灸院。咳もほとんど出なくはなったが、今一度治療に出向く。カーテン越しで隣の患者さんと先生の会話が聞こえる。「先生、今年は花粉アレルギーが本当に酷いです。今までにないほどの症状で、眠れないので抗アレルギー剤を飲みました」「抗アレルギー剤を飲んでも、結局悪循環です。酷いアレルギー反応を起すということは、食べ過ぎていることが大きな原因にもなっているのです。胃腸に負担を掛けないことが、アレルギー反応を軽減するポイントです。お金がなくて、日々食べるものにも困っている人は花粉症にはなりません。薬を飲めば鼻に作用する。鼻と胃というのは連動しているので、胃にも悪い作用があり、薬自体でも胃粘膜がやられます。結局胃に大きなダメージを与えて、結果もっと酷いアレルギーを引き起こす体になって行きます。薬以外での対処を考えるべきでしょう」「でも実際苦しい時にどういった対処をすればいいのですか?」「普段からの食事の工夫です。小食、刺激物を控える、冷たいものを口にしない、悪い油に気を付ける、アルコールを飲まない、甘いものを控える。そういったことです」「先生、それは難しいことです、美味しいものを食べたいだけ食べられなければ生きている甲斐がありません」「そう言われては私はもう何も言えません。ここでは治療を受けるよりも、生活の心がけを学んで欲しい。予防なしには健康は有りえません」午後からは発表会を控えた生徒さんたちのグループレッスン。皆様一生懸命で、それが腕を上げるポイント。だから、出来るだけ発表会には参加して欲しい。夜は混声合唱団。91歳の指導者の先生の傍らで副指揮を務める。何とも元気な91歳である。頭はいたって明快。音楽に対しての湧き上がる情熱を持って指導に当たられる。気持ちの良い雨の中、河内長野へ。
2009.03.09
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このままでは家内の我が信頼と地位は 形のないものへと消え去ろうとしているので ここは一つのアンチテーゼの象徴として テリーヌを作ることを決心した 市場に行き 鶏肉の挽肉、レバー ブロッコリー、カリフラワー、にんじんを買い込んで 本に従って それらを擂り粉木で丁寧にすり潰す 初めて触るレバーは まるで女の死体のように柔らかく冷たい 手の上で周りの薄皮を剥ぎ 中に通っている絡まった血管を我慢強く取り除く そしてそれを野菜と共にすり潰すことは 肉体への愛おしさの時間の中で 単純で長くて孤独だ それらを形に流し込んでふと本の最後を読むと オーブンで50分蒸し焼きとある キッチンのどこを見回してもオーブンは見当たらない オルフェオが迷い込んだ地獄に蠢く亡者たちのように 散らかったキッチンを前にして 腕組みをして途方に暮れる 諦めよう、所詮無理だったのだ でも思い直して生のテリーヌを車に積み込み 友人の家へと向かう このままこの世での人徳を 失い続ける訳にはいかないのだ オーブンを使わせてもらった代償に テリーヌの半分を謙譲し家に戻る 妻と二人の娘の前に差し出した 我が存在証明の一塊は 皿の上で鈍い輝きを放っている ナイフで切り分けて其々の皿に取り分け 娘たちは一掛け口に入れてから 少し眉を顰めてフォークを置く 妻はフォークの先で テーブルの上の時計の文字盤をつつきながら言う 「あなたはここでやるべきことをすっかり取り違えている テリーヌは子供たちの口には合わないし 私の不安も取り除かない」 我と来たら それでも口の中に広がるブロッコリーの香りに まだ人徳を探し続けている
2009.03.06
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・3.5.木午後のグループレッスンでは、我々の先祖も含めて動物たちは今でもちゃんと共鳴腔を使って声を出すことが出来るのに、何故現代人は声帯からの音だけに固執して声を出すことしか出来なくなってしまったのか?という話題になる。昔のままに戻ることは出来ないだろうが、本来の我々動物の感覚をちょっとでも思い出すことは出来るかもしれない。夜はCAC混声合唱団。皆さん其々に前回の練習の復習を心がけて来て下さっていることが見て取れ、スムーズに練習が進む。6月13日の本番に向けて、ぎっちりと練習スケジュールが詰まっている。練習回数の少なさと、曲の多さに無理は承知であるが、何とか皆さんのパワーとやる気で乗り切りたい。
2009.03.05
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・3.4.水 午前中に再びあべのの鍼灸院訪問。 14日にちょっとした本番があるので、それまでに喉の不快感を取るためである。 ステージがあっても、今回からは絶対に抗生剤には手を出さないと心に決めてのこと だ。 そのかわり起したアレルギーがおさまるには、本当に長く時間が掛る。 先生は針治療で長い時間を掛けて喉の荒れを無くそうと努力してくださった。 確かにほとんど感じなくなるぐらいまでになったが「今は不快感がなくなっても、ま た何処かに症状が出て来ます」と先生は言われた。 そのように何度か症状と鍼の追いかけっこの後に、ようやく本当に消えるということであ る。 薬を使わないとは言ったものの、随分時間と費用が必要なことだ。 今日は特別昼過ぎからアンサンブルクラスの練習。 皆さん本番間近で、少々焦っておられる様子。 それでも芝居も音楽も随分練られて来た。 発表会本番を重ねるごとに芝居に慣れて来て、余裕も見えて来たように思える。
2009.03.04
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・3.3.火 正午から阿波座教室にて、4月18日に河内長野のラブリーホールで開催される「命の リレー、犬のためのチャリティーコンサート」の出演者で練習を行う。 二部に予定しているオペラ二重唱の芝居を付けて、何度か通してみる。 現在かなり下った視力で、当日お客様の前でどのように演技するかが問題である。 夜のグループレッスンの間も、外では大きな音を立てて雨が降っていた。 雨が降ると空気中のいろんな浮遊物(黄砂や花粉)が少しは軽減されるのでほっとし た気になる。 いったいいつまでこんな事を気にしながら、この星で生きなければならないのだろう 。 今の僕の気管支のアレルギー反応も、少しは良くなっていってくれればいいのだが。
2009.03.03
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・3.2.月午前中にあべのの鍼灸院訪問。「風邪にアレルギーが絡まっています。長く掛らないようにしなくてはいけませんね」と言われ、治療中は家作りの話になる。ご主人は今島根県の実家のあった場所に、自分の手で家を建てておられる。そこを出張所にしたいということである。空気の悪い大阪には少々うんざりということだろう。午後からのグループレッスンでは、ご両親を介護されている生徒さんが、ご主人からもう、お父様に病院に入ってもらうべきだと言われたという。ご主人から見れば、ご本人が思っているよりもずっと介護過労していることが見て取れるということだろうか。確かに一生懸命やっている本人は、自分のことを余り分らないものかもしれない。夜は混声合唱団。今日初めてNSKの11/15の演奏会への出演要請をお願いする。帰りはまた団員さん(40代女性の大丸の社員)と共に天下茶屋まで。心斎橋のそごうが閉店するが、大丸が380億で買い取るらしい。大丸の社員は皆「私たちの給料だけは確保してね」と不安が隠せないということだ。大阪商人の感も近頃は狂っているようで、そんな大枚をはたいて大丈夫であろうか。
2009.03.02
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