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ここ数年のこの時期なんですが、なぜか、くしゃみが多くなり、なぜか、鼻水が出るようになり、そのためか、鼻毛が太くなるような・・・熱は出ていないので、風邪ではないと思います。なぜか、この時期なんですよね(@_@;)何でなんでしょうね???
February 28, 2011
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今日の松本は、凄い風でしたね(^^ゞ春一番? 春嵐?朝日村から松本・安曇野にかけ、土が舞っていましたね・・・麦の作付けや防護網の設置、畑の表面への網の設置などなど、いろいろ対策をたてているんですが・・・自然の力の前では、まだまだなのでしょうか?自然の力といえば、木曽では高山を震源とする地震が多数起こっています。ニュージーランドで被災された方は大変だったと思います。飛騨・木曽で大きな災害がないことを願います。
February 27, 2011
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明日、検定試験を受けます。なのに、台所のグリル周りや、シンクを綺麗にしたりしています。また、料理も煮込みを足しています。どんどん美味く、なっています(*^。^*)。明日、検定試験を受けます。30年前から、やることが変わっていません(^^ゞ
February 26, 2011
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そろそろ、人事異動の話が面白くなってきました。σ(・_・)の職場では4月1日には毎年恒例の異動があり、職員誰しもが、避けて通れないものとなっています。σ(・_・)も22年4月には長野市から木曽へと異動してきて、仕事をしています。さてさて、今までのσ(・_・)の経験?では、σ(・_・)が転勤できた職場では、次の年には上司が全て変わり、その他の職員も大量に転勤となり、残る人より、転勤でいなくなる人が多い、という現象が、ずっと続いています。果たして、今年はどうなるのでしょうか?σ(・_・)の予想。9人の職場ですが、σ(・_・)ともう一人を残し、7名の転勤。23年度から、σ(・_・)の天下。さ~、いかがなもんでしょうか?
February 24, 2011
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久しぶりに、食べ物ネタを(*^。^*)『アロイ食堂』グリーンカレー950円 長野市今日は、久しぶりに?長野へ出張でした。ランチは行く前から決めていました。理由は、ある方のメールから(*^。^*)グリーンカレー復活。って、初めて食いましたが、とても美味しかったです。ココナッツミルクが甘く感じるカレーで、あまり辛くはないですよ。色もグリーンっていうわけでもないですね。いつものごとく量が多いので、途中から辛い調味料を追加しての完食。パクチーがあしらわれているのですが、σ(・_・)にとっても障害とならない少量。いい塩梅です。これなら、好きになるかも・・・12時過ぎに伺いましたが、既に満員。相変わらずの人気店ですね(^^ゞ
February 22, 2011
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σ(・_・)の家紋は『鞠挟(まりはさみ)九枚笹』と言うそうです。今回、父の葬儀をするまで、中の丸の中が家紋と思っていました。周りのチュんチュんしたのは、お墓のためのデザインかと思っていたのですが、家紋の一部だそうです。それを『鞠挟(まりはさみ)』といい、真ん中の丸の中を『九枚笹(きゅうまいざさ)』というそうです。鞠挟(まりはさみ)(*^。^*)気に入りました。
February 21, 2011
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40日ぶりに行ってきました。少し間が空いてしまいました。今回で90回目。なんと今回は、職場の部署は違いますが、同じ職場の後輩に会いました。彼も90回くらいだそうです。山をやっているので、結構災害援助のためにも、献血をやっているのかも・・・σ(・_・)の不純な動機とは違いそうです(^^ゞ
February 19, 2011
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よかったぁ~(*^。^*)
February 16, 2011
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今朝の通勤路です。昨夜は、木曽でも結構降ったんですね(^^ゞ朝出勤するまで、気付きませんでした。ありがたいことに、歩けるように除雪されていました(*^。^*)今日の日差しで、随分と溶けたのでしょう。
February 15, 2011
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実家のお仏壇です。身分不相応に立派です。今の家はお祖父ちゃん(父の父)が亡くなる少し前に建てられました。その前の家は、平屋で小さな家と聞いています。また、昨日書いたように、本家に婿に入り、その後追い出されています。そんな家に先祖伝来のお仏壇があるわけがないでしょう。母が「お祖父ちゃんが大きな借金を残して、日々の生活に困っていた。」と言っていました。σ(・_・)が思うに、原因はこれではないでしょうか?
February 14, 2011
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葬儀に来た従兄弟の話の3です。今回は、初めて会った従兄弟です。以前に、親父は一人っ子だったので、σ(・_・)には母方の従兄弟しかいません。と書きました。実はこれは、正確ではなかったのです。σ(・_・)も葬儀の夜に初めて知りました。σ(・_・)のお祖父ちゃん(父の父)は、○○家(本家)に婿としてきました。先ず、女の子が授かったのですが、なぜか本家を追い出され、今の家に出され、そこでお祖母ちゃんを嫁に迎えました。そして生まれたのが、父です。なので、父には異母兄弟の姉がいたのです。子供の頃から『開地のおばちゃん』という存在は知っていましたが、その方が、父の異母兄弟とは知りませんでした。(なんとなくは聞いていたかもしれませんが・・・)お通夜の夜に、本家の叔父さんに、『そういえば、君らは従兄弟やね』と紹介されました・・・ちなみに、母にも異母兄弟がいます。今は兄が家を建てている畑のところで、母から土地を借りて、作物を作っていました。しかし、ほとんど会うこともなく、現在も何をしているか知りません・・・σ(・_・)の苗字は○○ですが、お祖父ちゃんが婿に来て、外に出されたので、σ(・_・)には全く○○家の血は流れていません。複雑な家系ですね(^^ゞ
February 13, 2011
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葬儀に来た従兄弟の話の2です。今回の従兄弟は、母の姉(長女)の娘(長女)の話。この従兄弟は、借金女王です。おばあちゃん(母方の母)にとっては、外孫でも、初孫のため、ものすごく可愛かったのでしょう。非常に甘やかして育てたみたいです。それは、なぜかσ(・_・)の母も同じでした。おかげで、どれだけこの従兄弟に母がお金を掛けたか、定かではありませんが、とにかく、いっぱい使ったことだけは間違いないはずです。だって、σ(・_・)ですら10万ちょいを、貸しているんですから(返ってこないと思っていますが)ただ、従兄弟の中に被害の大きい兄ちゃんがいて、どうも、かなりの額を貸したみたい。しかも、嫁さんに内緒で貸したみたい。正確には借金の肩代わりみたいなもの。そのことが、ばれなければ良かったのですが、その兄ちゃんが脳梗塞で倒れた時に、借金の返済がないことで、嫁さんにばれたみたい。嫁さんは怒って、離婚騒ぎになってしまったみたい。なので、今回の親父の葬儀には、借金女王の従兄弟が来るのでは、その場に席を同じにしたくないということで欠席でした。姉ちゃんよ、身内全員から金を借りても、遺恨が残るようなことするなよ(~_~;)
February 12, 2011
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葬儀に来た従兄弟の話の1です。親父は一人っ子だったので、σ(・_・)には母方の従兄弟しかいません。その従兄弟は、母方の長男の息子(長男)です。今年退職を迎える60前の、おっさんです。お通夜の日も、会館に早くから来てくれ、お通夜の後も、しっかり食って呑んで帰りました。告別式の日も、早くから来てくれて、告別式終了後も出棺後も名古山霊園へ焼きに行くのも行ってくれ、焼き終わるまでの間の昼食も、しっかりと食っていました。そして、骨上げの時もσ(・_・)の車で一緒に行き、親父の骨を拾ってもらいました。その後のお寺へもσ(・_・)の車で一緒に行き、お寺でお経を上げ、その後σ(・_・)の実家にも来てくれました。6時からの隣邦のお経を上げるときも付き合ってくれ、その後、隣邦の人が帰って、残った身内で夕食をとるところまで居ました。しっかりとビールも呑んでました。さて、ここでσ(・_・)が、従兄弟が食ったり呑んだりしたことをくどく書いたかというと、この従兄弟、香典を持ってきていないで、食ったり呑んだりしていたのです(^^ゞ60才前のおっさんですが、その親父(母の兄)夫婦も、お通夜と告別式には、二人来てくれていました。同じ家に住んでいる場合には、財布が一緒ということで、香典は一つでよいという風習もあるため、まーしょうがないだろうと、言っていました。しかし、初七日の夜に意外な事実が判明しました。この従兄弟、2年位前から親のところから別のところに居を構え、現在は別に住んでいる模様。親にも内緒で荷物や家財を運び出したそうです。住所もそこに移しているそう。その親も気付いていなかったのですが、なぜ、住所が変わっているかということが分かったかというと、2年位前に一人ひとりに給付金がありましたよね。その給付金の案内がないことを不審に思った親が、役場に確認に行ったら、籍がないことが判明したそうです・・・年賀状も来なくなっていたので、不思議には思っていたそうです。現在も、親は従兄弟がどこに住んでいるか知らないそうです。おそらく、σ(・_・)の今回の文章を読んでも、書いている内容は、よく分からないと思います何年も前から、同じ家に住んでいたけど縁を切っていて、お互いの生活には干渉していなかったそうです。それくらい破天荒な従兄弟とその親です。
February 11, 2011
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『お通夜』『告別式』は葬儀会社の仕切りによって、やっていただきましたが、まるで、人間ドックのようでした。お通夜の日の昼過ぎの午後2時に会館に行き、部屋に入ってからは、会館の方の指示に従うのみ。午後6時の『お通夜』の開式なので、5時には隣邦の方がみえますので、来たときに御礼の挨拶をして、5時30分には、お通夜にみえる方をお迎えするために、入り口で待機。そして、お通夜が終わると、親戚による食堂での会席。食堂でも話が尽きないので、部屋に戻って、更なる宴席を。次の日の『告別の儀』も、前日同様、会館の方の指示に従い動くのみ。骨上げをして、家に帰るまで、会館の方の進行に従うのみですね。ここまでで、誤解が生じるような表現があるかもしれませんが、会館の方も、こちらの要望には親切に対応してくれます。全てマニュアルがあると思いますが、優しく対応もしてくれます。
February 9, 2011
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父 武彦が2月1日(火)に永い眠りにつきました。その日の朝、兄からケイタイに連絡があり、昼に木曽を出て、姫路に夕方7時前くらいに着きました。高速では、なるべく速度が出過ぎないように気をつけ、事故が無いように帰りました。とにかく、バタバタした1週間を過ごしてきました。故人を偲ぶのって、2日くらいなんですね・・・明日以降は、葬儀の中であった、ドタバタ面白かったことをアップしますね(*^。^*)
February 8, 2011
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