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Lisaは先週から離乳食に挑戦している。最初は、面白半分でヨーグルトをあげてみたところ、あまりにも面白い顔をするので、その顔見たさに何度も食べさせてしまった。 ←どんな母親そういうわけで、離乳食でもがくLisaの顔初公開。ヨーグルトの次は、りんご果汁、おじやのお汁とエスカレートし、とうとう市販のバナナ&アップルカスタードなるものまで登場。離乳食は、親の興味本位から一転して本格化してしまったのだ。麗紗の離乳食は現在のところ、一日2回。親の食事時に合わせて、ランチ、ディナー、という具合である。 ←ただ、彼女の親が面倒くさがりなだけ首もしっかり据わり、支え付の椅子に座れるようになってきたので、みんなと一緒にソファーに座ってのお食事である。不思議なことに、Lisaはみんなの輪の中にいるとすごく落ち着く。静かに、チョンと座って、きょろきょろしながらもとってもうれしそうなのだ。さて、離乳食と平行して、ハイハイの練習も慣行中。こちらのほうは、1週間ほど前から開始。事の始まりは(←いつも、無計画、行き当たりばったりな麗秋母)英国の育児書に書いていた、3ヶ月を過ぎた頃くらいから、うつ伏せにするとよいというセンテンス。読んだときは、「うつ伏せ」って...、息できひんやん...と思ってみたが、赤ちゃんの自然の力ってすごい。3ヶ月を過ぎた赤ちゃんはうつ伏せにすると、自然に頭を持ち上げようとするものなのだ。それは、将来のハイハイに通じる最初の一歩である。また、頭を持ち上げてユラユラしながら、もがく姿がなんとも言えずかわいい。しかも、本人は楽しんでいるらしく、泣く様子もなく、むしろ笑顔である。そして、そのうつ伏せ練習に付随するように、寝返りを打つようになったのである。そのプロセスがまた感動的。うつ伏せ運動をするようになってから、仰向けに寝ているのが退屈になってきたらしく、仰向けにしていると、すぐに横を向いて寝返りをうとうとする。はじめは、寝返りを打つときに体だけが横を向き、足が着いてこない。そして、足をバタバタさせて、もがいた後、「う~~~ん」とうなって、バタン、とまた仰向けに倒れてしまうというのを繰り返し、しまいには悔しくて泣き出してしまうのだ。それを大体2,3日繰り返したあと、一昨日、とうとうやりました...初寝返り。しっかりビデオにも収めました。その日は、大体、15分くらいはトライしただろうか。Lisaは寝返りできないのが悔しくて、悔しくて仕方がないらしく、泣きながらも諦めようとしない。私がかわいそうになって手を出そうとしたが、セイが、「あかん、手ぇ出したらあかんで」 ←なぜかやっぱり関西弁と、私を止める。そう言ったセイの目は明らかに父親の目だった。私は、かわいそうに思ったが、そのままもがく我が子を見守る。セイは、中国語で白熱した応援を繰り広げる。「加油、加油!!Lisaぁ!!加油、加油、Lisaぁあああああ!!!!」(加油=チャーユー:中国語で、”がんばれ”の意)私も思わずこぶしに力が入り、声が高鳴る。「がんばって、Lisa!もうちょっと、もうちょっと、がんばってLisa!!!」Lisaは、ギャーギャー泣きながらも、うーーーーん!と踏ん張って...踏ん張って...踏ん張って...右足が宙を舞い...ゴロンという音と共に回転!!!Lisaの生まれてはじめての寝返りである。(ただし、まだ片手が体の間から抜けずに残ってしまっていて、完全なうつ伏せにははなれていないのだが、まあ今日はそれで十分)私もセイも感動しきりで、Lisaを抱きしめる。「よくがんばったねー、よくがんばったねー。」Lisaもセイに抱かれながらちょっと満足げに甘えた泣き声を出している。その日は、疲れたのか、もともとよく寝るLisaだが、ことのほかぐっすりと眠れたようであった。そういうわけで、Lisaの飽くなき挑戦は日々続いていくのであった...
2004.07.30
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週末には、遠い田舎から(何せ、最寄の駅まで歩いて3時間だからねぇ…)はるばるノリちゃんが遊びに来てくれた。ノリちゃんは現在そのド田舎の(←ひつこいって?)老人福祉施設でボランティアに従事している心美しい(?)女性である。 ←あ、以前シOネタ女王などと散々書いていた人物と同一人物ですー、ハイたいていいつもノリちゃんが来ると、イベント盛りだくさんだ。今回は、金曜日にミルトンキンスというヨーロッパ最大のショッピングセンターでセイには内緒のお忍びショッピング、土曜日には、日本人看護師のオフ会、そして、最終日には、またまたミルトンキンスで今度はセイを交えて堂々ショッピング(今、サマーセールで財布の紐がゆるいゆるい)&夕食という、めまぐるしい週末でした。ちなみに、我らがLisaは、その看護師オフ会も、最終日のミルトンキンスの堂々ショッピングにも奮って参加。日々、外界に順応して行っている様子である。さて、今日のメインは土曜日の看護師オフ会。Lisaも参加する、ということで車で行くことにしたのだが…そもそもこの選択が大間違い。大体、土曜日に車でロンドンに行くなんて、飛んで火にいる夏の虫。まずは、ロンドンの環状高速M25で事故。しかも、かなり生々しい事故で、まだケガ人が救急車を待っている状態であった。かなりの余談になってしまうが、おフランスでは、たとえ時間外であっても、医療者は事故などを見かけると救助の手助けを法律で義務づけられているそうだ。車に医療者である証明を貼らないといけないとか。私も行って助けたいのは山々であったが、すでにオフ会にも遅れており(←というか、高速じゃ降りれないでしょう)涙をのんで通り過ぎた(←ウソ)。おかげで、M25でしばらくの間スタックし、M25を超えたところで出発後すでに1時間半過ぎていた。…そして、更なる難関が待ち受けていた。オフ会会場は大きなラウンドアバウトを超えたところで開催されていたのだが、そのラウンドアバウトを抜けるのに…2時間かかった。とにかく、カメでもこれより早く動けるっしょ、というスピードでほぼスタック状態。見渡す限り、車、くるま、クルマ。そして、その車の山にダブルデッカーのバスも十何台加わり、収拾がつかなくなっていた。冷房はかけていたものの、日差しもじりじりと照りつける暑い中出発後3時間以上も経ち、かわいいLisaが脱水になっては大変、と麗秋母ラウンドアバウトの中で後部座席のノリちゃんと一時交代し車内で授乳。Lisaは何とか元気を取り戻した。とにかく…、ロンドンには車で来るものではありません。そう、痛感した往路だった。さて、メインのオフ会は、…とうの昔に始まっていた。←そりゃ3時間も遅れりゃねー私たちがやっとこさ着いた頃には、すでに国境なき医師団のN医師のカンファレンスが山場を迎え、カンファレンスルームのリビングは人々の熱気でムンムンしていた。私も昔(というとかなりおばさんということがバレてしまうが…)青年海外協力隊に参加したい、という志を持った時期があり、その日のオフ会の話題には大変惹かれたが、コブ付きで参加したことも助けて、結局10分の1も聞くことができなかった(涙)。ただ、その会に参加した人の中には、NGOでアフリカ地域を個人で回ったというツワモノの看護師さんがいたり、日本語をペラペラ話すイギリス人医師がいたり、その他イギリスで医療に従事している人々もたくさん参加しておられ、特に現在産休で医療の現場を離れてボーっとしている麗秋母にとっては本当によい刺激となった。会が終わってからは、残った人で恒例の(?)お食事会へ行った。この、日本食レストランがまたおいしかった~^。^=)そして、復路は往路の100倍すいており、往路の悪夢のことなどすっかり忘れて、帰りは一同ルンルン気分でロンドンを後にしたのであった。何はともあれ、ノリちゃん、遠いところからわざわざ会いに来てくれてありがとう。で、次はいつ?? ←気の早い麗秋母…
2004.07.25
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引越しも大詰め。結局、壁塗り、壁紙貼り、ドア削りなどデコレーションに加え、旧貸家の掃除、家具の移動など目の回る忙しさでこの3週間を過ごした。←日記さぼりがちの言い訳大体、引越しって大変なものだけど、コブ付だとさらに輪をかけて大変。特に最近のLisaは、独りになるとすぐに泣き出し、ご機嫌を損ねてしまうと直るまでにかなり時間がかかってしまう。そういうわけで、二人いても一人はLisaの子守。セイは週末以外は仕事。この方程式イコール…私は休む暇なし!! ←こういうときイギリス人は、「ブラディーヘル!」(直訳:血の地獄)と叫ぶそういうわけで、この3週間は、ノンストップ。朝から晩まで、子守+DIY×引越し。そして、イギリスの貸家の掃除がまた大変。日本のそれとは違い、すべてのことにおいて掃除がパーフェクトになされていなければならない。それこそ、部屋の隅々のホコリからじゅうたんの掃除、そして窓拭き壁拭きエトセトラ。掃除がいい加減だと、最初に払った敷金が返ってこないという方式なので、現在、家を買って文無しに等しい私たち夫婦にとっては、すずめの涙ほどの敷金でもゲットしておかなければならない。そういうわけで、貸家の掃除にはのべ3日間かかった。まあ、幸いにも、小さな1ベッドルームの家だったので、それだけで済んだものの…かがみすぎで持病の腰痛悪化…。昨日は、最後の貸家のお掃除をしてカギを返却。ふぅ~、これでようやく少し肩の荷が下りたわー。そして、翌日、カーペット交換にイギリス人の陽気なおじさんが来てくれた。おじさんは入ってくるなり、「撃たんでくれー!わしゃー、お金持ってへんから!!」と、ホコリよけのマスクをしている母に向かって叫んだが(多分、マスクをしているので強盗とかのつもりでジョークを言ったのだろう…さむー)、英語の分からない母は、「????」と、立ちすくんでいた。ちなみに、私もいきなりのおじさんのハイテンションに、「…。」と、凍りついてしまったが…、おじさんはそんな私たちのリアクションをもろともせずそのまま鼻歌をうたいながら、マイペースでカーぺット交換に2階へあがっていってしまった。カーペット交換については、キッチン、ダイニング、そして、階段、マスターベッドルームと、後の二つのベッドルームをのけて、家のほとんどの交換。案の定おじさんは、1時間ほどしてから、「今日一日では終わらないよ」と、私に言ってきた。さて、ここで、このカーペット屋に交換を予約してから、どれだけプッシュしてその日を迎えたか、を書いておかなければならない。カーペット屋さんにいって、カーペット交換を申し込んだのは、早2週間以上も前の話。家の査定に来たのは、それから1週間も後のこと。そして、カーペットをオーダーしていて、それがまだ来ないだ、なんだとそれから1週間以上も待たされ、そしてようやく交換の日を迎えたのだ。それが、「今日一日では終わらない」、である。そういうわけで、今日一日ではできないって…おいおい、だったら人増やせよー##と青筋が立ちそうな私を前に、おじさんは、僕に言ってもらってもねーと、ニコニコしている。イギリス人って、こう、仕事がちゃんとできないけど、憎めないのよねー。そういうわけで、結局その日は、キッチンにまで手が届かなかった。帰り際におじさんは、「明日は、また誰か違う人が来るから」と言い残して言った。が…、翌日になってもうちのドアベルは、閑古鳥が鳴いていた。私は、いやーな予感を胸に、カーペット屋に電話をした。すると…「いやー、申し訳ないっすね。昨日で終わる予定だったのが、終わらなくってね。でもねー、今日は誰も人がいなくてねー、ははは、困ったこまった。」…やっぱり…そんなことだと思った。金曜日だし…←イギリス人、金曜日は働かないでも、だったら誰も来ないって電話しろよー##…そういうわけで、結局、カーペット交換は来週にさらに引き伸ばしとなった。カーペット交換がすべて終わらないと、何もできない。家具も入れられないし、物も片付かない。物が片付かないと歩く場所もない。ものをよけて歩いていると、こけそうになって、余計に神経を使う。ハー、イラつく。そういうわけで、目下、触らぬ神に祟りなしの麗秋である。
2004.07.23
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またまた、遅ればせのアップデートながら、14日の注射の後に引き続き、今度はBCGの注射がその5日後の19日にあった。ごめんねー、Lisa。お注射は、いやだねぇ。でもね、体を守るためには仕方がないものね。…などと、分かるはずもないLisaに話しかけつつ、バーバーこと母を交えて病院へと向かった。このBCGは皆さんもご存知、結核の予防注射。イギリスでは、このBCGは強制ではなく、大体アフリカ、中近東、アジア(日本、韓国などを除く)からの移民または、その地域へ子供を連れて行く場合に両親の任意申請によってのみなされるものである。Lisaの場合、日本への帰国のみなら注射も必要ではなかったのだが、今回秋の帰国で中国へも旅行予定なので、大事をとって免疫をつけておくことにした。(といっても、このBCG、半分は一回打っただけじゃ抗体はできない)←でも、日本じゃBCGは強制…じゃなかったっけ。まあ、いいけど。さて、産科・小児科病棟へ着くと、大体アジア系(というか、中近東、パキスタン、バングラデシュ、インドなど)のお母さんばかりがズラズラと子連れで列を作っていた。大体みんな、イスラム教特有の民族衣装(…というのか、宗教色が強い)を着ている。その中で私は一人、私服で目立っていた。しかし、しばらくすると…、隣にイギリス人らしいお母さんが座った。これで、私も目立たないわ…ふふふ、と思った瞬間、「うるさいなー」と、その隣のイギリス人の口から聞きなれた言語が飛び出した。私は、空耳か!?と思いながらも、「パードン??」と聞き返してみると、「うちの子、よく泣くのよねー。うるさいよ!」と、やっぱり日本語が彼女の口から飛び出してくる。イギリス人で日本語を話すなんて、相当な日本通か、日本に何かコネクションがあるか、または言語オタクでもない限りありえない。大体、隣の国のフランス語さえほとんどのイギリス人は話せないのだ。私は、当然のごとく、ど、ど、どうして、日本語を???と、どっちが日本人か分からないくらいのどもり口調でなんとか聞き返してみると、「旦那が日本人なのよねー」と、言うことでした、ハイ。しかも、私が旦那が中国人だということを話すと、彼女は、実は旦那さんとは中国で学生をしている時に出会い、時々中国語でも会話をするとか。うーん、こういうことってあるんだなぁーってまさに度肝を抜かれました。その赤ちゃん、Reiくんも将来、英語・日本語そして中国語と話せるようになるのでしょう。そういうわけで(どういうわけで?)私も、サボっちゃーいられません。この秋には中国へ行くし、それまでにもっと中国語勉強しなければ。イギリス人でも話せるんだから(というと、かなりイギリス人を侮辱していますが…でも、イギリスにいる日本人なら私のニュアンス分かるでしょう)私だってがんばらなきゃ!と、自分にちょっとカツが入った一日でした。 ←カツの入り方がかなり不純だが…ちなみに、メインのLisaのお注射ですが、泣きました。←お約束ドクターがまた、ヘタクソで、注射針を持つ手が震えていました。でも、変な話、麗秋母もだいぶLisaの注射に慣れてきた今日この頃でした。
2004.07.19
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かなり、アップデートが滞っていますが…14日には、Lisaの3ヶ月目、3種混合の涙(?)の注射があった。ところが…、前回の2ヶ月目にした、3種混合の注射針が25ゲージで、日本の成人に相当する太さ・長さの針でなんてひどい!と書いたことは記憶に新しいが、今回…注射の針が細かった。…ということは、前回は乳児用の針が不足していてそんな太い針でうちのかわいい(は余計?)Lisaを刺したということになるのだ。なんてひどい!!!そういうわけで、今回は確かに注射直後に少し泣きはしたものの、その後すぐに泣き止んでケロリンとしていたLisaでした。それにしても…、やっぱりここイギリスはいい加減。日本じゃ前もって注射針が足りなければ取り寄せておいたりするのに…ブツブツ。さて。もちろん、そのときに恒例の体重測定があった。3ヶ月目にして、Lisaは…、5600gへと成長を遂げていた。成長ラインの記入もなされたが、標準ぴったりのラインをしっかりと這っていっている。そして、その日もうひとつ大きな出来事があった。なんと…、その日その診療所にたまたま日本人のお母さんが赤ちゃん検診に来ていたのだ。私がこの地に来てからというもの、偶然に日本人にあったことなど一度もない。(一緒に働いていた日本人はすべて日本へ帰ってしまったし…涙)赤ちゃんは5ヶ月半。いろいろと話をしていると、彼女もイギリスへ最初はボランティアをしに来て、日本ではナースだったとか。まあ、世の中にはいろいろな偶然、めぐり合わせがあるものだ、と驚いた。早速、連絡先をゲットし、初めてローカルの日本人ママに出会った私は、ルンルン気分でその日診療所を後にしたのでした。
2004.07.14
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DIYは面白い。確かに、ブラインド付けひとつにしたってプロに任せる日本人としては、始めるまでは、おっくうで、おっくーっで仕方がない。最初にセイが、新居の壁の塗り替えをする、と言ったときでさえ、壁の塗り替えなんてー!そんなん、できひんわー ←ただの面倒くさがりと、叫んだ私。しかし、ここDIYの国イギリスでは、どこのホームセンターでもすべての器具が素人用に揃っているのだ。プロのような訓練のいる手技や説明書の必要な込み入った器具も要らない。壁塗りなんて、ペンキにローラー、そしてハケと揃えば誰でもできるのだ。 ←当たり前そして、塗り斑(ムラ)が気になりそうな日本人にも満足度100%の仕上がり。乾くと塗り斑なんて、全然見えないし、何より部屋が新品に見える!!すんばらしー!!!そして、ひとつのDIYをこなしていくうちに、次の段階へとあがって行かざるを得ないのも人のサガ。「このドア歪んでるで。カンナで削らないかんわ」の母の言葉に、そんな、カンナなんてたいそうな!!←小学校の図工をサボっていた人と叫んだ私も、次の週にはカンナを購入、セイとともにドアを削るにいたったのである。自分でする分、満足いくまで何度でも直せる。最初に気になったドアの歪みもきれいに修復!!すんばらしー!!! ←というか、日本で家を購入したら、ドアは歪んでいないでしょうに……そして、私はたちはさらに次の段階へと進んでしまった。壁紙貼り。とうとう、ここまできたか… 壁紙貼りは、日本人にとっては完璧プロの域である。ノリの伸び具合や紙と紙のギャップの具合など、パーフェクトでなければならない。(まあ、パーフェクトでないのが手作りの感があり、素人DIYのいいところでもあるんだけど)セイも私も、壁紙貼りなどしたこともなく、何がどう転んでそうなってしまったのか今となっては全く見当もつかないが、まあ、それはおいといて、壁紙貼りである。近くのホームセンターに行って、まずは壁紙を購入。安易に、キャー、これかわいいーと、きれいな花のついた壁紙を選んでしまったのが大きな間違い。柄物にすると、貼り付ける際に柄と柄が完璧一致していないととてもチンケに見えてしまうからだ。そして、それをこなすには、半プロの技術を要する。(特に初心者にとっては)しかし、そんなこと初心者の二人は知る由もなく、その他のノリ、壁紙貼りセット(ローラー、ハケ、カッター、はさみのセット)を購入、壁紙貼りの説明本を流し読みして、ルンルン気分で帰ってきたのである。(壁紙をゲットしただけで、やった気になってしまうから、困ったさんの私たち)さて、一枚目を貼ろうとしたときから、問題発生。どこから貼るか。 ←かなり基本でしょうが本当は、部屋の端から貼らなければいけないのに、セイはコーナーから貼り始めた。そして… ベリッ!!げっ!!!そう。きちんとノリを伸ばしきっていなかった私たちは、まだ隙間のあるコーナーをしっかり押してしまい、紙は見事に真ん中から真っ二つに裂けてしまった。…あー、先が思いやられるわ…そして、気を取り直してまた、ノリ貼りからはじめ、何とか一枚目を終了。私が横からいろいろと言うので疎ましく思った、セイは「ここはオレ一人でできるから」と、私を壁紙貼りから遠ざけようと試みたが、そうは問屋が卸さない。セイの腕を全く信用していない私は、「じゃあ、私、先に紙切ってるから」と、紙を切りつつセイの作業を横目で監視。しかし…一難去ってまた一難。二枚目を貼り終わった私たちは、壁を見上げて、「????」と、立ちすくんでしまった。貼ったはいいが、続き柄の花の際を揃えなかったため、絵が途中で切れてばらばら。そう。先ほど上で書いたように、続き柄を際のところで揃えていかなければ際が目立って小学生の貼り絵もいいところ。それに気づいた私は、「花柄そろえないかんわ…」と、つぶやくが、セイは、「そんな面倒なことやっとれるか!」と対抗。「ちゃんとするとこしないと、意味ないでしょ!!」…そういうわけで、しばし二人はケンカモード。しかも、際の花の絵柄を考慮せずに紙を先回りして切ってしまっていたため、切った紙はすべて無駄となり、最初の1ロールはあっという間にフィニッシュしてしまった。結局…一枚張り終わるたびに絵柄を合わせて壁の長さに切り→ノリをまんべんなく伸ばした後、セイが上端を持って脚立にのぼり→私が際の花柄をそろえていく、という共同作業に入らざるを得なくなった。そういうわけで、ひともんちゃくも二もんちゃくもあったが、一枚一枚貼り終わるたびに二人はみるみる腕を上げ、最後には、際さえ全くわからないプロ(?)の仕上がりとなった。 ←つまり始まりと終わりで仕上がりにかなり差がある…ま、ま、ま、それがDIYのいいところー。手作りの温かさ。さってさて、次は、何をしようかなー。楽しい楽しいDIY♪~…そういうわけで、二人の挑戦はまだまだつづくのであった。
2004.07.13
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父は結局1週間の滞在を、ウインブルドン観戦+ロンドン観光でほとんど費やし、嵐のように去っていってしまった。Lisaの顔、ちゃんと覚えていったかしら…と、こちらが疑問に思うほどLisaとの時間も少なかった。とはいえ、こちらでの短い滞在を心置きなくエンジョイした様子なので、まあ、よしとするか。最後、空港の見送りでは、かなりイギリス生活に感化されてきいる母が、父のチークにキスをするハプニングも飛び出したが、父はテレテレでかなり笑えた(がははは)。とはいえ、仲のよい父母を私とLisaのせいで引き裂いてしまっているため、ちょっと胸が痛んだ。お父さん、お母さん、ごめんねぇ。ちなみに、父の帰る前日の金曜日によーうーやーくー新居のカギをもらえ(まさに苦節何十年…の気分)、父を見送った瞬間から完全素人DIYで目の回るような忙しさ。最初は、セイがすべてする予定だったのが、予想通り私も一日中ペンキ塗りをするハメに。まあ、これがなかなか楽しい。といっても、ペンキ塗りなんて、小学生のぬり絵と同じで、はみ出さずに塗っていけさえすればいいので、まあ、なんとかなりそうだ。←ちなみに小学生の図工はいつも2か3。大丈夫かいなー現在の貸家の期限が今月の22日なので、それまでに、新居のDIYと貸家のそうじ、そして引越しを完了させなければならない。それまでは、息の抜き場もないだろう。ちなみにお金も飛び飛びでまさに懐寒む寒むの氷河期が当分続きそうだが…Lisaの成長も著しく忙し寒い日々の生活の中にもホッと休まるひと時も。最近は眠り姫かとこちらが心配するほどよく寝るようになり、昨日は授乳なしで12時間もグースカ寝ていた。…やはり、血は争えないか…←知る人ぞ知るそういうわけで、日記サボりサボりでしたが、当分続きそう。引越し早く完了したいわー。
2004.07.08
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