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コブ付でのイギリスからの空の旅には、きっと一波瀾あるだろうと思っていたが、案の定、だった。しかし、予想に反して、一波瀾の犯人はLisaではなく、突然倒れた乗客だった。 ちょうどLisaを寝かしつけて、ホッと一息ついていた頃、緊急アナウンスが突然機内に響き渡った。 「緊急に医療者の援助が必要となりました。ドクターとナースの方は客室乗務員に至急ご連絡願います…」 Lisaと二人でフライトに乗っていたのならば、Lisaを一人にはできないため、しなーっと素人の顔をしていたかもしれないが、目の前でぐっすり眠っているLisaに母が横にいるとなれば、選択は二つに一つ。 「行ってくるわ」 母に言い残して、席を立つ。しかし、半年以上現場を離れ、エブリデー・サンデーお気楽主婦をしている私としては、瞬時に適切な対応できるかどうかかなり不安が伴った。久しぶりにアドレナリンが体中から噴出しているのが分かる。 現場に直行すると、乗客の一人が青白い顔をして倒れている。意識はあるらしい。幸いにも、ドクターを含む多数の医療者がON BOARD であり、私が到着した時点でその乗客の既往歴や状況をいち早く現場に到着していたドクターがすでに把握していたため、その後の動きがとりやすかった。 青白い顔をしているのに、座ったまま朦朧としているので、他の乗客に席を空けてもらい、臥位を取り、下肢挙上、バイタル測定。心電図のモニターを装着する。どうやら、その乗客は循環器系にもともと問題がある人だったらしいが、その12時間という長い空の旅に常備薬をもってきていなかったんだとか。し、信じられん…。 そうやって、結局たくさんの医療者もいたことだし、私のプライオリティーはかわいい我が子、とその乗客が落ち着いたところで私は席へと引き上げた。 その1時間程の間、機内は騒然とし、客室乗務員同士が前と後ろで大声で連絡を取り合ったり、後部のトイレが医療行為のためにしばらく使えなかったこともあり、私たちの取っていた席のすぐ前のトイレに長い行列ができ、ざわざわ、ごそごそしていたりしたにもかかわらず、なんと我らがLisaは始終ぐっすりおねむだったのでした。し、し、信じられん…。 各方面の友人から、赤ちゃんとの空の旅はかなりの恐怖体験になると、脅されていたため、かなりビビっていた麗秋母であったが、蓋を開けてみると12時間の空の旅はあっという間に終わった。といっても、母の助けが大きかったのは事実。もし一人でなら、Lisaが寝るまでの間はジュースさえ飲むことができないのだ。なにせ、赤ちゃんを抱いたままだとテーブルさえ出すことができない。食事なんて論外である。 そういうわけで、帰りの便にかなり不安が伴うが、まあ、帰りはフライトアテンダントさん達にすがるしかないだろう。なるようにしかならない。 久しぶりの日本は…蒸し暑い!Lisaなんて、イギリスの湿気しか知らないもんだから、裸にしていても汗だらだらで、汗疹ができるのも時間の問題だろう。 今日はシッカロールを買いに行こう。
2004.09.27
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母の6ヶ月に渡るイギリス滞在が終わった。57歳という年齢で初めて言葉の通じない海外に、しかも長期の間住み、外国人の婿の相手をしながら、娘の子育ての手伝い兼家政婦をこなすということは、並大抵のことではない。父を一人日本に残し、私を助けに来てくれた母。Lisaをいつも笑顔であやしてくれた母。童謡をいつもLisaに歌って聞かせてくれた母。セイにいつも気を遣って片言の英語で一生懸命コミュニケーションを取ろうとしてくれた母。毎夜遅くまで英語を勉強していた母。引越しの荷物を持病の腰痛を圧しながら手伝ってくれた母。ガーデニングを率先してやってくれた母。私の産後ダイエット兼体力回復のテニスをいつも一緒にプレーしてくれた母。ストレスも助け、眠れない日々を送っていた母。よく笑うようになった母。よく泣くようになった母。教育ママ時代の母を恨めしく思っていた私。だが、この6ヶ月を終え、母の母としての苦悩を少しばかりだが理解できたような気がする。仕事をしながら、子育てと主婦業を3部両立させるのは容易なことではない。ありがとう、お母さん。あなたの助けがなければ、こんなに子育てを楽しむことができただろうか。Lisaのこんな屈託ない笑顔を見ることができただろうか。ありがとう、お母さん。あなたを誇りに思います。そして私も、あなたのような、凛とした母になりたい。
2004.09.26
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週末は忙しくなった。...っていうか、もう木曜日だよ!麗秋さん、もうちょっとマメに日記書きましょうよー。 ←独りツッコミが悲しい土曜日は、セイの友人親子が、日曜日は、私のUKナース仲間のご夫婦が遊びに来てくれた。どちらもいいお天気で、家のすぐ裏にある、広大なフィールドを散歩したり、テニスのボレーボレーをしたり、コンサーバトリーで寿司パーティーをしたりと、とかく充実した週末だった。面白かったのは、1歳になるご夫婦の愛娘のIちゃんがセイと完全に意気投合してしまい(というかさぁ...、セイくん、完全に同レベルだったよ)、セイがひゃーひゃっひゃっひゃ!と手足をバタバタさせて笑うと、Iちゃんも同じように、手足をバタつかせてきゃーきゃっきゃっきゃ、と笑う、というのが延々と続いて、最後は一同Iちゃんが過呼吸にならないか心配するほどだった。それにしても、Iちゃんはアクティブで、その辺にあるDVDの入れ物やスリッパやとかく何でも手に持って口に入れるわ、ゴミ箱の中をあさろうとするわ、走り回ってこけるわ、とにかく目が離せない状態で、1歳くらいの子供って大変だなぁーと、近い将来の自分を憂う麗秋母であった。それにしても、遠くからわざわざ来てくれてどうもありがとう。次回は、私がお邪魔させていただきますー!さて、そして、火曜日。この日は特別の日だったのよ。そう。 私たちの2年目の結婚記念日。というか、まだ、2年目!?という感じがする程、つまりに詰まった2年間だったなぁー。本と、もう「5周年祝い」くらいしたい気分。さて、その日は朝から、大騒動。まず、Lisaが朝から大ウOコをして、朝風呂。そして、風呂介助をしていたバーバが、持病の腰痛悪化でぶっ倒れる。はー。っていうか、持病なんだから、気をつけてよー、バーバっ!この日は特別で、バーバに着付けをしてもらい、着物を着て豪華チャイニーズレストランにてお夕食になるはずだったのだ。しかし、そこは粘りの麗秋母。「一人で出来る帯結び」という本を引っ張り出してきて、汗だくになりながら何とか二十太鼓、結びました。ただ、バーバから、「日本人に会わへんようにしないかんで。その帯結び、かなりいい加減やから」と、水を差されてしまいました。トホホ。さて、そのレストランは車で30分の少し離れたところにあるレストランだが、道中Lisaが大泣き。Lisaは、どうやら暗所+狭所+ちょっとのライトがピーカピーカ恐怖症らしく(長い...)、以前もパブで入った狭くて暗く、照明が上から局所的に照らしつけるトイレで大泣きし大変だった。また、同じような状況のエレベーターでも泣き出した。Lisaが不安を表出する泣き方は、普段のそれとは全く違う。まるで天と地をひっくり返したかのような大声でギャーギャー泣きまくるのだ。泣くというより、いわば、スクリームだ。今回も、狭くて暗い車の中で、夜の暗闇に浮かぶ街灯が車が走るに伴って行ったり来たりしていたのが怖かったらしく、これ以上ない、というくらい激しい泣き方で泣きまくった。一同、本気で豪華チャイニーズを諦めかけ、着物で直角腰痛運転をしていた麗秋が涙を呑んでUターンしようとした矢先、ナント、泣きつかれて寝入ってしまった。ふー。赤子を連れてのお出かけは大変です。Lisaはそのまま、メインコースが来るまでぐっすりで、その後、ご飯を欲しがって泣き出したため、麗秋母の咀嚼でやわらかくした中華を少し食べて(MSG大丈夫なのか、、、)、周りにお愛想を振りまきながら、和やかに時間が過ぎていった。いつも思うのだが、着物を着ていると(似非で着ていても)、周りが喜んでくれるのがうれしい。いろいろなイギリス人たちに声をかけられ、日本語の話せるカップルとも出会い、隣に席を置いた人たちにも結婚記念日を祝福してもらいながらの楽しい中華の夕べであった。また、幸いにも日本人にも会うことなしに(汗)、結局バーバからのおごりでご馳走になれ、ご機嫌さんで帰りました。バーバ、どうもありがとう。そして、翌日は、バースデー(あぁ、、、とうとう、、、三O路)。お祝いするほどめでたい日でもないので...しな~っと過ぎていったとさ。日本帰国まで、気がついてみれば、あと3日。日記、サボりすぎたなぁ...
2004.09.23
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我が家にニューフェイスがやってきた。待ちに待った(?)自転車である。この自転車は、自動車免許を持っていないセイが私の日本帰国2ヶ月間の間、せっせと駅へ通うためのツールとして購入したものである。アルゴス(イギリス最大のカタログショップのお店)で一番安いモノを買ったのだが、あけてみると、8速チェンジャーのぴかぴかマウンテンバイクである。梱包は、長ーい長方形のダンボールで、デリバリーのおじちゃんが、寝ぼけ眼の私に向かって、「ハイ、特大フラットスクリーンテレビの到着です!毎度あり!」と、言ったくらい、自転車が入っていると想像し難いものであった。ちなみに、私は、寝ボケも助け、おじちゃんの冗談を真に受けて、「え...、自転車買ったんですけど...」と、答えてしまい、ハイテンションのおじちゃんを閉口させてしまった。おじちゃん、ごめんねー。いつも思うのだが、こちらで働いている人は、みんな陽気で朝っぱらからハイテンションだ。寝起きの悪い私は、度々そうやって置いてけぼりを食らう。それは置いといて、ぴかぴか光るそのマウンテンバイクを見た瞬間、一抹の不安が私の胸をよぎった。ここイギリスは、軽犯罪が多い国である。おのずと自転車の盗難率も高い。日本と違って、カギや錠ロックをかけてたらいいやん、という事にはならないわけは、「DIYの国」から来ているということに最近気づいた。なぜなら、道端でよくサドルがない自転車、とか、タイヤが両方取られて本体だけしっかり錠ロックされている自転車、とかを見かけるのである。昔は、おいおい、タイヤだけ盗ってどうすんねん...と思っていたのが最近、「DIY」という文字とぴたっと合う、という事実を発見。そうか、部品だけ盗んで家でDIYするのね... ←納得している場合じゃありません以前は、他人事のように無残に骨組みだけになった自転車を横目で哀れみながら通り過ぎるのみだったが、このぴかぴかマウンテンバイクを受け取った瞬間、全く他人事ではなくなってしまった。明日は我が身である。セイが帰ってきてから、さっそく3人で対策を練る。私: 「ドロをぶっ掛けたらいいんちゃう??」母: 「ペンキ、ペンキ!錆び防止にもなるし、一石二鳥!」セイ: 「ぼ、ボクの新品マウンテンバイク...」かわいそうに、このぴかぴかマウンテンバイクの新品街角デビューの日はどうやら来そうにもない。現在、良策を検討中であるが、おそらくデビュー前には新品とは程遠い姿となることだろう。あぁ、無情。さて、日を同じくして、突然懐かしい声が電話から鳴り響いた。「あー、レイちゃん、久しぶり。今なにしてんの?」何してんのって...全然連絡もよこさんとからー。どないしてんのよー??なんと、イギリスで看護師免許取得中のクミちゃんからであった。何でも、用事で近くに来たとか。...ていうか、近くに来るなら前もって連絡しようよ。ということで、突然の来訪。そして、嵐のように近況をしゃべりまくり、相方さんの都合もあって、1時間も経たずに去って行ってしまった。...ったく。ま、とにかく元気にしていたんだからよしとしましょ。相変わらず、マイペースな愛すべき友人である。そんなこんなで一日があっという間に過ぎてしまった。日本帰国まで、あと10日。カウントダウンに入った麗秋であった。
2004.09.17
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今日も、5時半に起こされた。大体、これくらいの時間にうつらうつらして寝返ってハッと我に返るらしい。そして、その後すぐにベビーモニターでクリアな泣き声が寝室にこだまする。...それにしても、セイは今まで一度も就寝中にその我が子の泣き声をキャッチしたことがない。確か、母も父が全く子供の泣き声に敏感でなかったと言っていたが、これはやはり、母性と父性の発達の違いなのだろうか。ちなみに、昨晩は久々に朝まで寝室で眠れた。疲れが取れてくると、イビキのトーンも下がるらしい。ここのところ、いつも朝起きると私が横にいないので、ふくれっつらのセイであったが、私だってしたくて避難しているんじゃないやい!ふくれっつらをしたいのはこっちである。さて、Lisaは明日でとうとう5ヶ月になる。(パチパチ)離乳食の食べっぷりもさながら、なん語(←なぜか漢字に変換できない)でワーワーキャーキャー言うようになり、これが意味を成しだしたらとんでもなくうるさくなりそうな今日この頃である。ただ、まだはっきりとこちらの言葉に反応することが出来ないため、私はまるでつぶやき四郎状態である。最近の研究によると、0歳から1歳くらいまでに入ってきた言葉数がその後の赤ちゃんの知能指数に大きく影響するらしいので(でも、それをどうやって調べたんだろう...)、とにかくいろいろな刺激を出来るだけ与えるように努めている。別に天才教育をしようなどという気はさらさらないのだが、後々になって、「あのときあーしてくれていたらよかったのに..。」と責められるのは御免なのと、二ヶ国語以上の環境で育つ子供、というハンデもあるため、他の子より少しでも今から知能指数をあげておいてあげたいのである。そういえば、ロシアでオオカミに育てられた子の話をこの間テレビでしていたが、生まれてすぐ父母が亡くなり、廃墟となったビルの中で6歳になるまでオオカミ(野犬)とともに暮らした後発見され、その後各国の研究者から脚光を浴び、様々なな実験材料として使われた、という本当にかわいそうな経歴の持ち主の話だったのだが、多大な努力の甲斐あって、なんとか人間らしい日常生活を送れるようにはなったものの、結局最後まで言葉は出てこなかったのである。それほど、幼児期の言葉の教育は大切なのだ、とそれを見ていて痛感した。まあ、言ってもそれは、極端な例かもしれないが、普通2ヶ国語以上で育つ環境の子供は、多少なりとも混乱の時期を経て発語に至るため、言葉の出が遅れることは否めない。それは、覚悟の上で、親として出来る限りのことをしてあげたいと思う。さて、待望の帰国まで、とうとう2週間をきりました!!気持ちはすでにカウントダウンに入り、心は温泉と日本食に占拠されている。(セイよ、許せ)時期的にも秋の過ごしやすいよい季節なので、Lisaとともに存分に楽しもうと思う。ところで、台風や地震はもう治まったかしら?
2004.09.14
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新居に引っ越してきて、早2ヶ月経つわけだが、越してきてからの第一印象は...、なんて子供が多いところ!であった。右隣の家には、下は男の子3人+長女。そして、年は、2歳、5歳、8歳、10歳、といったところだろうか。そして、左隣の家には、ナント女の子4人! (←服のお下がり率、すごいでしょう...) 1歳半、3歳、7歳、8歳。そして、お向かいさんは、男の子3人で、同じような年代である。それ以外にも、このご近所さんはやたら子供が多く、夕食時前などは、ここは幼稚園か!と錯覚してしまうほど子供たちがキャーキャーいいながら遊んでいる。そして、子供はどこでも世界共通、好奇心の塊で、近所に引っ越してきた私たちアジア人一家には興味津々なのである。初めて移ってきた日に車を前庭に付けた瞬間、早速、その辺で遊んでいたガキどもがざざざーっとまるでさざ波のように寄ってきた。そして、名前は何だ、どこから来たのか、赤ちゃんに触らせて、などなど、まるでリポーターに質問攻めになりながら車に乗り込む芸能人の如く、ガキにもみくちゃにされながら家に入っていった。といっても、私は子供は好きな方だし、最初は、かわいい子達だわー、いつかLisaも遊んでもらえるだろうし、子育てするにはここ、なかなかいい環境よねーなどと悠長なことを言っていた。が、しかし。イギリスの子供は、しつけがなっとらん!のである(怒)。まず、家のカーペットを換えた日のこと。以前の日記にも書いたように、カーペットの張り替えはプロのおじちゃんにしてもらったのだが、おじちゃんは外に放り出された古いカーペットの片づけをしたり、器具を外に置いていて取りに行ったりで、その日は家のドアが1日中開けっ放しだった。そして、カーペットの張替えをしている間中、どさくさに紛れてガキどもが家の中へ入ってこようと何度も試みてきた。私は、心の中で中指をあげながら、作り笑いで、「カーペットの下地にある釘を踏んづけると危ないから、入ってきちゃだめよ」とか何とか言って入ってこようとするガキどもをその都度追い返していたのだが、その後しばらく姿を消していたため、ふぅ~、と一息ついていたそのとき...なんと、その近所のガキどもが張り替わったばかりの新品ぴかぴかベージュ色のカーペットへドスドスと土足で(!)上がってきたのだった。コンサーバトリーで、優雅に紅茶をたしなめていた私は、その信じられない光景を目の当たりにして閉口状態。そして、その凍りついている私を尻目に4,5人のガキどもがその上でダンスを踊りだしたのだった。「人の家にチャイムも鳴らさずに入ってくるなんて、非常識も甚だしい!!」さすがに、そのときはその子達も私の剣幕に驚いてそそくさと出て行ったが、あまりにも子供の常識が欠けているのに驚いた。(日本では、そういうことはまずありえないでしょう?)そして、その事件後は子供に気をつけるようになったのだが...うちの前庭には、柵がない。まあ、あったとしても、かまわずガキが入ってくると思われるのだが、その関係で、うちの前庭は、ガキの遊び場と化している。もちろん、芝は傷み放題、しかも芝の真ん中にきれいなレンガ造りの花壇があるのだが、ちょうどガキの座高と相成って、その花壇はガキの格好の標的になっているのだ。Lisaも将来一緒に遊びまわることを考えると、仕方がないか...とタメ息とともに黙認していたのだが、昨日は、おままごとごっこを始めたのがきっかけで、植わってあったサボテンなどが引っこ抜かれ、その辺の花も千切られて花壇にばら撒かれ、その花壇はまるでゴミため場のようになってしまった。そして、麗秋母、とうとうキレました。「いい加減にしなさい!他人の庭の花壇を何だと思ってんのよ!」ガキたちは一瞬固まった後、ありの子を散らすように逃げて行ってしまったが、ニヤニヤ笑いながら逃げたガキもおり、怒鳴ってから、だんだん腹が立ってきた。奴らをしつけるのは私の仕事じゃない。親の仕事でしょうに!躾がなっとらん!!しつけが!!!日本では、子供は親がしつけるもの。しかし、どうやらここイギリスでは、親は子供を野放しにして、他人にその裁量を一任しているようなところがあるのだ。もちろん、家によって多少の差はあるだろうが…全くもって、けしからん。(ぷんぷん) ←書きながら、また頭に血が上ってきている麗秋母イギリスは、個人主義の国、というのは広く知られているが、個人の良心と自由による思想や行為を重視するあまり、子供の躾をも個々の裁量に一存するのはおかしいと思うのは私だけだろうか。
2004.09.12
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セイのイビキがうるさい話は、度々書いているが、最近特にひどい。おそらく、セイのビジネス関係の友人が中国から来ており、その関係でここ2週間ほど全く土日も関係なく走り回って疲労困憊しているからだろうと思う。...にしても...ぐぉ~~~~~!ぎぎぎぎ...ぐぴー! ひゅるるるるぅ......本当にうるさい##しばらく我慢して眠ろうとしたものの、昨夜はあまりのうるささに、麗秋母、とうとう階下へ非難。(普段なら隣室のゲストルームへ非難するも、今はお客さんがいるため避難場所が階下のリビングしかないのだ)Lisaもセイと同じ寝室で寝ていたため一緒に非難しようと思ったものの...その轟音の中、彼女はぐっすりおねむなのだ。...どんな神経してるんやろ... ←誰かさんに似ただけ結局、ぐっすり寝ているLisaをわざわざ起こすのも何だし...ということで、断腸の思いで(←ウソ)かわいい我が子をその轟音のさなかに残し、ベビーモニターのスイッチをオンにして、いつでもレスキュー態勢にしておいて、階下へ。もちろん、リビングには、ベッドなどあるはずもなく、ソファーのクッションを組み立てて、何とかベッドらしきものを作る。ふぅ... これで、ようやく寝れるわ... あ、そういえば、ベビーモニターの親機をオンにしてないか。ほれっ。ぷちっ...しかし。ベビーモニターをオンにした瞬間...ぐぉ~~~~~! ぎぎぎぎ...ぐぴー! ひゅるるるるぅ...「...。」そう。このベビーモニター、高性能音質なのだ。おかげで、鮮明にイビキが聞こえてくる。まあ、真横で聞いているより100倍ましか...にしても、...これじゃあ、まるでベビーモニターではなく、いびきモニターだ。が、しかし、Lisaが泣いたら、即救出作戦が必要なため、仕方なくセイのイビキをモニターしながら横になる。ぐぉ~~~!「ふぅ...」結局、イビキモニターに加え、クッションのつなぎ目に当たったり、スプリングがまちまちであったりと寝心地が悪く、あまり眠れずに朝を迎えることとなった。そして、5時半ごろセイが下に下りてきて、「こんなとこで、何してんの?」と、きょとんとした顔で言ったときには、呆れて文句を言う気さえ失せてしまった。いつも思うのだが、あんな大イビキを耳元で聞きながら、よく眠れるもんだと不思議で仕方がない。誰か、イビキの有効な止め方教えてくださーい!!ちなみに、我らがLisaは...、そんな恐ろしい轟音のさなか、朝までぐっすりおねむでした。麗秋母、思わず、「この子、耳聞こえてるんやろか...」と心配になり、手でパンっと音を立てて、確認してしまいました。そういえば、麗秋母、昔、あまりの寝起きの悪さに、「レイちゃん、火事が起きても絶対に起きひんやろなー」と言われたことがありました。人はコレを、「カエルの子はカエル」という。
2004.09.09
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オリンピックが終わってしまった。(←いつもタイムリーでない私)なんだか、膨らんでいた風船が急にしぼんでしまったかのように、いや、楽しい夢から急に覚めてしまったかのように、どのチャンネルを回しても心が踊らない。台風一過というところだろうか。ちなみに、4年後の北京には家族総出で参加予定!こうご期待!!さて、また話は1週間ほどさかのぼってしまうのだが、中国人ランナー、シャン・リュー選手が110メートルハードルで金メダルに輝いた。(って、古い話題ですみませーん)あの瞬間は、私もセイも手に汗握り、10秒余りの時間が1分にも2分にも思えるほど白熱した応援を繰り広げた。私個人的に言って、あれは中国だけのメダルではない。アジア人ランナーすべてに希望を与えるメダルだと思うのだ。スタートラインに立った8人のうち、そのリュー選手以外は皆、筋肉モリモリの黒人ランナー。カールルイスもベンジョンソンも、とかく名のあるランナーは黒人選手と決まっていた。が、しかし。リュー選手は、短距離レースは黒人ランナーのもの、という過去に築きあげられた常識を根底から覆したのだ。しかも、驚くべきことに、彼は僅差で勝ったのではなく、わずか110メートルの距離を決勝に残った強豪を尻目にぶっちぎりのリードでゴールしたのだった。あれは、見ていてかなり気持ちよかった。(ちなみに、あまりに騒ぎすぎだったため、バーバによってLisaが隣室へ隔離される事態となった)結局彼は、世界記録に並ぶ、オリンピック新記録にて堂々の金メダルを手にしたのだった。ちなみに、中国人選手で、陸上短距離でメダルに輝いたのは、彼が最初の人とか。まだ、21歳の若者なので、北京でも大いに期待できるだろう。リュー選手、今後も、この金メダルに甘んじずに頑張って!それから、オリンピックついでに、最終日のマラソン男子について。おそらく事態の深刻さに、かなりニュースでも取り上げられたため知っている人も多いと思うが、ブラジルのトップをきって走っていた選手が36キロ地点で暴漢に襲われ、沿道に押し倒された。そのため、と言えるかどうかは分からないが、結局彼は銅メダルとなってしまった。しかし。彼は、完璧なスポーツマンシップの持ち主だった。ゴール間近で見せたパフォーマンス(ジグザグ走行)、そして、閉会式中に行われた表彰式で見せたあの屈託のない笑顔。鳥肌が立つほど、感動した。誰もが、彼が一番悔しい思いをしているのを知っていた。この日のために、どれだけの汗を流し、どれほど努力を惜しまずに頑張ってきたのか、そして、ああいう形で無碍に結果を曲げられてしまったことがどれほどショックなのか、火を見るより明らかだった。しかし、彼は、「銅メダルを取れて、本当にうれしい」とまで、インタビューで答えた。もし彼があのままリードを守り、金メダルに輝いていたなら、私にとって彼は、ただの”金メダリスト”で終わっていただろう。しかし、彼の銅メダルは、それ以上に価値のあるメダルだったと、私は思う。本物のスポーツマンシップのあり方を多くの人に示した、金より光り輝くメダルであったと。あんなことがあっても諦めないで最後まで走り通した彼の勇気に心から拍手を送りたい。そして、彼を見習って私も頑張っていこうと思う。(最後急にスケールが小さくなってしまいましたが、悪しからず:p)
2004.09.02
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