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最近の球団解散問題で渦中の人となっていた萩本欽一さんが2週にわたって登場となった。今まで語られる事の無かった愛妻や家庭の話題や修行時代の経緯、そして史上最強とも言われた名コンビ・コント55号~その後の多忙な時代、そしてTV引退宣言から最近の球団結成への情熱までもがこれまでになくご本人からの詳細な心情と共に語られていたのが印象的であった。70年代後半~80年代中期にわたる視聴率100%超の男と呼ばれた萩本さんだったが、恥ずかしがりな本人は控えめに見ているとしても周りからすれば多くの芸能人の才能を開花させ、ベテラン若手問わず多大な恩恵を受けた事は事実である。番組で個人的にとても気になったのが本人自らが「ボクの弟子は斉藤清六だけ」と涙乍らにTVで初めて語った事である。清六さんと欽ちゃんの間での幾度もの別れと再会については、多くの視聴者は事実を知らないで見ているだけに何故欽ちゃんがあれほどの思い入れを語るのかと不思議に思う人も多かったかもしれない。番組中でも語られた最初の出会い・突然の弟子入り志願、浅草にいって修行しなさいと諭され10年の下積み、欽ちゃん制作映画での銀座での自主的なサンドイッチマンでの応援から呼び戻された清六さん。そして、TVで目が出るまでの長い雌伏からあの特異なキャラクターを確立してお茶の間を沸かせるに至った経緯。当時はすっかりTVでお馴染みになった彼が今はホトンド表舞台から影を潜めてしまっている理由はさすがにTVでも語られなかったが、その複雑な人間関係は当の2人以外の当時の多くの有象無象の輩が巻き起こした事であり、事実関係を欽ちゃん自身が全てを把握しているかどうかさえ解らない。また、清六さんもしかり。欽ちゃんの性格からしてそんな事をわざわざ知りたいとも思わないだろうし、清六さんの性格からしてその原因全てを清六さんが招いた事とは思わないだろうし望まないだろう。もう20年ほど前になるのか。詳細な額はここで書かないがその当時の清六さんの活躍から生じる収益はかなりになっていた。欽ちゃんの所属会社は手がけてきた多くの番組の関係上、多くの他の事務所とも繋がりが広範囲にあるのは当たり前だった訳だし、そうすると中にはそこに多くの他者の思惑が絡んで来る事もあったのだろう。A(以後イニシャルではない)という芸能人を抱えた某▲プロダクションに新人を担当するBというマネージャが当時いた。私個人も当時ディレクター名義を貸して出資していた●事務所にてそのB氏と話す機会があったが、海外のビッグネームのソングライターの名前を挙げて「これに歌を作らせて新人に歌わせたい」とかど派手な事を言い出して面食らったものだった。私はその外国アーチストがお金で動くような人じゃないと言われてますよ、相手の実力が無いと動かないと思いますよと言うと「なに、お金で動かない奴はいないよ」と笑いながら言われてゲンナリした記憶が今でも残っている。数ヶ月後、そのB氏と●の代表C氏がどこから持ってきた話だか清六さんの独立話を話していた。彼が独立したがっている。それが本当だったか、それとも誰かが焚き付けたのか?話をしていた彼らが業界から姿を消した今となっては確認できない。ただ、その独立話が裏舞台で蠢いていたのは私は認識していた。Cは、どう?マネージャーやらない?と私を含め数人に持ち掛けていたが、あえて火中の栗を拾う輩は現われなく、またC当人も背負うリスクを感じていたのだろう、自分でやるとはけして言わなかった。当時の仲間の一人Zが状況を憂い、意を決して俺が引き受けると勢い切り出すと事態は思わぬ展開を起こした。Cが独立されてしまう側の事務所に駆け込んで事の経緯を暴露したのだった。Cは何故その様な支離滅裂な行動を起こしたのだろう?端から見ると右手で火を付け左手で水を掛ける様な行為に見えたが、自分の身を売り込む手段に使おうとでも思ったのかどうかは解らない。錯綜した状況であらゆる関係者に憶測や怒り・失望を巻き起こしたその後、問題は誰にも何もプラスになる事を生み出さなかったのは確かだったのだろう。ちなみにBはその後不動産会社へすぐに鞍替えし、Cは都落ちし地方紙・代理店関連に関わったようだ。たもとを別った欽ちゃんと清六さんの状況は思い起こす度に胸を痛くさせる記憶となったが、波瀾万丈番組内で欽ちゃんがその後日談を語っていたね。91年の欽ちゃんの企画した映画へ、久しぶりに姿を現わした清六さんが「チケットをください」といってポケットからある限りの現金を積み上げた事。「私がいまいるのは欽ちゃんがいたからです」欽ちゃんが差し出すお金を制すると、その足で映画会社に赴き大金でチケットを買ったと言ってましたね。そして、その後欽ちゃんが舞台に出演させようと連絡を取ると「今は出られません」と断ったくだり。舞台初日3日前に突然欽ちゃんの目の前に姿を現わし、「出演させてください」と懇願した清六さん。呆れ返った欽ちゃんがどうして今になって来るんだと問いただすと、「今までオフクロの看病で来られませんでした。3日前に死にました。」馬鹿である。だがしかし、どうしようもなく愛される馬鹿で不器用である。様々な思惑にその人柄故に利用され振り回されたりもした愛すべき喜劇人・斉藤清六よ。願わくばこれからの活躍を願わずにはいられない。しかし、欽ちゃんもたくさんの、本当にたくさんの人間の願いを背負って大変だ。彼と彼の球団のこれからの活躍を期待しよう。
Jul 30, 2006
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長年求めていたCDでようやく入手できた。昔LPを手放して以来四半世紀以上たってしまった。。。ストーリーズ、70年代の始めのニューヨークのアートロックムーブメントに短いながらも鮮やかな軌跡を描いた名バンドであった。66年のWalk Away Renee等の大ヒット曲を放ち今もカルト人気を持つレフトバンクの元メンバーであったブルックリン育ちのマイケル・ブラウン(本名マイケル・ロフコフスキー:Keyb)が、旧友のイアン・ロイド(本名イアン・ヴォンコンシグリオ:Vocal/B)と新たなグループを計画し、ニューヨークでスティーヴ・ラヴ(Guit)とブライアン・メイディ(Dr)を迎えバンド設立。カーマストラと契約し2枚のアルバムと世界的な大ヒットシングル「ブラザー・ルイ」で成功を収めたかにみえた。(ブラザー・ルイはオリジナルがホットチョコレートによる名曲であるが、当時世界的にカバーされており、中でもストーリーズの物は全米1位も記録している。日本に置いてもザ・ベストテンの前身の久米宏と小島一慶のラジオ番組において年間チャート7位にランクされた。ちなみにその年の1位がカーペンターズのイエスタディワンスモア。)バンドデビュー時にはツェッペリンのサウンドにロッド・スチュワートの歌声等と宣伝もされたストーリーズだが、元々ブラウンもイアンも英国のマージービートに多くの影響を受けただけにサウンドアプローチには英国的な解釈を数多く聴きとれる。この後、中心メンバーのマイケル・ブラウンの脱退によりバンドは再編成を余儀なくされる。ブルックリン生まれの達者なベーシスト、ケニー・アーロンソンを迎えイアンはヴォーカルに専念。ブラウンの後任のキーボードにはデトロイト出身の実力派ケネス・ビッチェルが加入した。本アルバム Traveling Underground は、バンド名をIAN LLOYD & STORIESとし、再出発を計る通算3枚目のアルバムとなった。この3枚目では大胆なアレンジメントとカラフルで変幻自在なサウンドが、バンドの新たな意気込みを感じさせている。IAN LLOYD & STORIES/Traveling Underground (米Kama Sutra)-1973CD再発は1993年 カナダ ONE WAY RecordsIan Lloyd : VacalsSteve Love : GuitarsKenneth Bichel : Keyboards, ARP Synthesizers, MellotronBryan Madey : Drums, PercussionKenny Aaronson : BassプロデュースはバンドとKenny kerner&Richie wiseシングルカットされた4、5曲目がKenny kerner&Richie wise1、BRIDGES(I.Lloyd)イアンの手によるアルバム冒頭を飾るドラマティックな名曲。ビッチェルの華麗なピアノから始まり、ラヴのうねる様な艶っぽいギターが印象的。エンディングのピアノとバンドの絡みは当時のELPのトリロジー等も連想させる。2、SOFT RAIN(S.Love,I.Lloyd)イントロでラヴの奏でる美しく重層的なアコースティックギターはグレッグ・レイクっぽくもあるが、歌が進行するとブリッジで一転、アメイジング・ブロンデルぽいアープの使い方が英国風の淑やかささえ感じさせる。メイディのドラミングはマイケル・ジャイルスっぽいかもしれない(笑)。3、HARD WHEN YOU'RE SO FAR AWAY(S.Love)ダイナミックでワイルドでたたみ込むドラミングソロのイントロ、カウントからバンドが一斉に演奏を開始するとまるでイタリアのPFMのような細やかなパッセージの応酬へと展開する。リズムセクションが鮮やかにさらりと淀み無く変化し、その実力の高さを意識させない。しかし楽曲の完成度もアルバム中1番かも。ビッチェルのアープのフルートサウンドがクリムゾンの宮殿風なのは彼なりのオマージュか。4、IF IT FEELS GOOD,DO IT(J.Stevenson)、シングルカット用にプロデューサーサイドで用意された楽曲なのかもしれない。黒人教会の日曜礼拝でのゴスペルの大合唱の盛り上がりを想像させるような乗りの良いシンプルなナンバー。イアンのシャウトが曲にハマッている。5、MAMMY BLUE(Giraud/Trim)ポップトップスのヒットの他にも世界中で多くのアーチストが取上げた名曲。マネージメントサイドでは彼らに「ブラザールイ」の夢よもう一度と歌わせたのだろうか?以前のストーリーズっぽいサウンドであり、アルバムのプログレ臭濃密な作品群の中ではかえって浮き上がって聞こえるから面白い。演奏のタイトさとブルージィな歌声はこれはこれで味わい深い。ストリングアレンジはラリー・ウィルコックスでいかにも70年代初期の風合い。6、STORIES UNTOLD(I.Lloyd)LP発売時にはB面1曲目だった。サビの盛り上がりでグイグイ引っ張るイアンの歌声がストーリーズの真骨頂。アルバム全体に言えるがメロトロンの使い方は割と控えめであるし、オルガンもさほど前面ではない。リック・ウェイクマン顔負けのビッチェルの煌びやかなプレイは、やはりピアノやハープシコードやクラビネットの使い方の巧さによく顕われている。7、I CAN'T UNDERSTAND IT(S.Love)ラヴの手による73年当時のリアルなストレートロックナンバー。当時を知る世代には懐かしさも思い起こさせるギターアレンジである。ギター・ベース・ドラムスの演奏でシンプルに構成されておりビッチェルは参加してない。8、EARTHBOUND/FREEFALL(I.Lloyd, K.Bichel)打って変わって今度はビッチェルの華麗なピアノから重厚なオーケストレーションへ導かれる。オリジナルメンバー当時のキャメルや日本のサディスティック・ミカ・バンドの黒船、果ては初期イエスを思わせる繊細なサウンドの綴れ織り。9、TRAVELING UNDERGROUND(I.Lloyd)アルバムタイトル曲はのっけっから重たいリズム隊とシンセの洪水。そしてクールなラブのリフレイン。やはりここでもビッチェルのキーボードプレイのセンスの良さが最後まで聞き物になっている。シンセの使い方が若干色物めいているのは73年というまだシンセサイザー自体が珍しかった時代ゆえか。ちなみにストーリーズのアルバムは当時の日本でも全作品発売されていた。アルバムからカットされたシングルは73年にMammy Blue(米50位)、74年If It Feels Good, Do It(米88位)となっている。このアルバム発表後、グループはラヴの脱退から新ギタリストのリッチー・ラノの加入もあったが、程なく崩壊したようである。また、解散後にイアンがソロアルバム(以前取上げました、こちらからどうぞ)を制作するが、その作品がフォリナー結成のきっかけとなったのは以前紹介した通りである。このソロ作品には元ストーリーズのメンバーもかなり関わっており素晴らしいプレイを披露している。バンド解体後は、全員がセッションミュージシャンとしてアチコチに名前を残しており、イアンはフォリナー、フォトメイカー、イエス、ピーター・フランプトン他に自身のソロ。ビッチェルはホール&オーツ他、ラヴはジャニス・イアン等他のメンバーも様々な作品に足跡を残している。現在CDでさえ入手の難しいストーリーズの一連の作品ではあるが、この作品だけは現在アマゾンで新品在庫が出てきたようでまだ若干あるようである。中古CDでとんでもない高値で買う必要はないですな♪ベスト盤に5万とか馬鹿げた値段付いていたのには驚かされたものね。音が悪いけど試聴も出来るアマゾン内のこのCDの販売ページはコチラから============================余談:ちょいと前に取上げたHUNTER MUSKETT の再発CD新宿ディスクユニオン・プログレ館にありました(汗)「名盤!」と書いてありましたが至極当然のことであります!
Jul 26, 2006
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ちょいと前に書いたゼノ・ゼブロフスキーさんの生涯を描いたアニメ作品。やはり観て大泣きしてしまった。いい年こいて鳴咽まで出てしまった。。。四半世紀前に彼の功績を称えた写真展で写真やドキュメンタリー映画を観ていたせいもあるかもしれないけどやはり、、、凄い人生だ。あれほど人々に無垢な愛情を振りまいた人もナカナカいるもんじゃないな。やらない人間は何とでも言える。オイラも含めてだけどね(苦笑)。修道士のくせに日本での活動で生涯の相方がお坊さんだったと言うのもゼノさんの宗派に囚われない姿勢が良く描かれていたな。「ゼノ -かぎりなき愛に-」ご覧になる機会があったならおすすめです。
Jul 17, 2006
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音響関連の話題をぼちぼちと、気が向いたら書いていきたいと思います。ほとんどメモとか資料を捨ててしまったので本人の記憶次第ですが(笑)。昨夜久しぶりにELPの展覧会の絵完全盤のLDを引っ張り出して鑑賞していて思い付いたのでした。「そうだ。自分の至らない経験でも何かしら誰かの参考にでもなればと以前から書こうと思っていたんだった」とね。何故展覧会の絵で、グレッグ・レイクのヴァーカル用マイクはあんなセッティングなのか?(計3本も)あのELPのライブも今見ると過渡期のPA技術を垣間見るようでなかなか面白い。そんな感じです。いかんせん暑くて暑くて、近所はマンションがどんどん建って今年のうちの家は半端じゃなくヤバイ。気力が又戻ったらと言う事で。。。
Jul 17, 2006
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HUNTER MUSKETT / HUNTER MUSKETTであるが、その回で触れた再発CDがHugoMontesProductionからである事を最近になって確認した。もしかしたら正規原盤からではなく、よくあるレコード盤から音を起こしたCDである可能性もあるなぁと。何にせよ現在LPはほぼ入手不能であるし、たとえ手に入れても余り材質の良くないレコードでカッティングも薄くて良い音は期待出来ない。とはいえ、楽曲と演奏の味わいは何物にも代えがたい出来栄えなので70年代の良質なフォークロックに興味をお持ちの方にはおすすめ。あとは近日中に何とかHARDSTUFFの作品を手に入れたいな。70年前後のFREEDOM同様、シンプルなトリオ編成での素晴らしい作品。長年テープで持っていたが肝心のプレイヤーがいかれているし、CDで気軽に聴きたいものね。
Jul 16, 2006
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以前にも一度取上げたが、昔中古LPで一度持っていたアメリカのバンド、ストーリーズ(Stories)の作品を近年又探していた。日本でも70年代前半には彼らのアルバムは全作リリースされていたし、中でも代表曲の「ブラザー・ルイ」は年間チャート7位に入るほどの大ヒットでもあった(本国でも週間チャート1位を記録している)。米ブッダ・レコードという日本では馴染みの薄いレコード会社の事もあってか、パンク以降のロック界激変で彼らのアルバムは長い間ファンの記憶に留まるだけの存在だったのかもしれない。リード・ヴォーカルのイアン・ロイドの1stソロアルバムが、後のフォリナー結成のきっかけとなった佳作である事を前に紹介したのだけど、肝心のストーリーズのアルバムは現在所有していない。何とかLPなりCD(93年頃に復刻リリース)を入手しようと本人のHPやらあちこち探したが、状態の悪そうなLPがたまにオークションで出ている程度でナカナカ見つからなかった。アマゾンでベスト盤CDがべらぼうなプレミア価格だったりして暫くあきらめモードに。先日、ふと思い出してまたサーチしてみたらアルバムの「Stories」「About us」「Travelling Underground」の3作品が見つかったのだ!しかーし、、、中古で13000円前後(TT)rストーリーズ以前の彼らのバンド、「レフトバンク」が注目されなおして、ストーリーズの作品も妙に高値を付けるようになっちまったのである。まあ、運良くTravelling Undergroundの新品をほぼ定価と言える値段で出しているのを発見したので早速注文。果たして在庫切れとかしないで届くのだろうか?出品者がアメリカの店だけに油断はなりませんな。視聴ボタンの1曲目「ブリッヂス」を押した時にこの作品を買って聴きまくっていた頃の事がすーっと蘇る。いい曲だわコレ。早く届かないかなぁ、、、視聴の音ったら激悪だったからね。同時期のエアロスミスのドリームオンのメロトロンとも又違ったポップスへの使い方が妙に気に入っててほんと欲しかった。中古レコードがコロン臭く無かったら売っぱらってなかったはずなのよね。しかし、商品到着が19日~22日というのが大雑把だわな(苦笑)
Jul 14, 2006
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私個人は元々歌謡曲には全く縁の無いロック好きな学生だったのだけど、仕事で音響に携わるようになってからはずいぶんと多くのアイドル歌手のイベントもこなしたものであった。当時の知り合いにはアイドル好きも多く、様々な情報がどんどん入ってくる中で彼女:甲斐ちえみに付いても当然知る事となったのだ。キャンディーズが解散し、山口百恵が引退していった後の80年というアイドルの存在がガラリと様変りする変動期にデビュー。同期にはビックネームになる松田聖子や河合奈保子、田原俊彦らがいた。甲斐ちえみという歌手は、小柄でもパンチのある歌声である意味70年代的なカラーを携え登場したアイドルだったのかもしれない。いつも笑顔ではちきれんばかりだったが、どこかしら寂しげな表情が印象的であった。80年頃のアイドルのアルバム(LP)は、それまでのファン向けのポートレート的作品から脱却し、多くのニューミュージック畑のソングライターの作品が提供され、実力派セッション・ミュージシャンやアレンジャーによる新たなサウンド展開が華やかさを競いはじめた頃だった。当時のマニアに散々聴かされたLPの中に彼女のファーストLPも含まれていたが、当時としてはそれまでの歌謡曲を覆すような非常に素晴らしい作品であったと記憶している。無論、松田聖子らの華やかさはそれにもまして凄まじかったが。まあ、時期的にアレンジのお手本にデビッド・フォスターとジェイ・グレイドンの「エアープレイ」の影響がかなりあるのはお慰みという事で。次第にアイドルの定番、イメージチェンジでの大人の女性への脱却を図るが、彼女の持つ童顔にはそぐわなかったのかもしれない。多くのファンの間ではそれほど評判にならなかったんじゃないかなと記憶している。女優業を経て今のご主人とご結婚なされたのであるが、ご主人の方とは確か楽器フェアか何かイベントでご一緒したと思う。「うは!結構凄いドラマーだなぁ」とPA卓を操りながらも惚れ惚れしながらドラミングを楽しませて頂いた。今回の訃報は暫く忘れていた往年のアイドルの記憶を当時のファンや関係者に思い起こさせた事だろう。元ピンク・フロイドのシド・バレット、映画若草物語やグレンミラー物語等で知られるジューン・アリソンも亡くなられたそうですよね。謹んで御悔み申し上げます。
Jul 12, 2006
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先日、自転車でビックカメラに出かける時の事だった。近所の家の前に相当数のLPレコードを束ねた山がいくつもあった。詳しく手にとって見たわけでは無かったが、70~80年代の邦楽が主だったと思う。ハウンドドッグやら坂本竜一の名前が通りすがりにも見て取れた。日本ではLPからCDへの変換は割と劇的に行われたと記憶している。諸外国ではLPもそれなりに生産をし続け徐々に切り替わっていったものだったけど。今やプレイヤーを使うのもDJ以外では古いLPを自宅で鑑賞するくらいか。思い返せば、LPもEPもレコードと言う奴は取り扱いが何気に難しい物だったね。うっかりすると針を滑らせて傷を付けたり、落としちゃったり。夏場の直射日光で大好きなLPを盤反りさせちゃったクラスメートもいたな。(それがトニー・レビンも参加していた野口五郎の物だったのを久しぶりに思い出したw)デカイ・かさばる・邪魔。それでもLPにはあの大きさ故の楽しさがたくさんあった。良いジャケットは一枚の絵画のようであり、写真作品であり、ポートレート。大きな歌詞カードやライナーは、手にとって情報を逐一見ながら想像を膨らませるに好都合だった。たかだか30年前には高田馬場や新宿で簡単に手に入れられた輸入レコードも今やとんでもない高値が付いていたりするよね。それらの中には持ち主が没してしまい、家人によって捨てられてしまった物も多いかもしれない。昔はマニア間で数万するようなLPが街の片隅の埃まみれの中古レコード店から280円で買えたりすると大喜びした物だったが、いまや中古店自体がCDやDVDに取って代わられているものね。80年頃だろうか?当時馴染みの店主と会話している中でこの様な事を聞かされた。「ドイツとかヨーロッパにもマニアが多くて、最近は買い付けが難しい」「持ち主のコレクターが手放さなくなった」70年代後半のマニアによるプログレ廃盤ブームは、実は日本だけじゃなく欧州にも起こっていたんだよね。日本でファウストが5万で取り引きされていた頃、あちらでも高値だったしね。だいぶ売り払ってしまい今は寂しい自宅のレコード棚だけど、関東一円を駆け廻ってレコード店をしらみつぶしに当っていた頃が懐かしく思い出される。
Jul 10, 2006
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祭りの後の高揚感が去りしうら寂しさか。イタリアの優勝は本国のファンもどれほど予想していたでしょう?喜びようからすると案外意外に感じているのかもしれないですね。今大会を最後に多くの名プレイヤー達がピッチを去っていきます。だけどもこの大会でたくさんの素晴らしいプレイをいっぱい見せてもらえた事が、永遠の記憶として語り継がれていくのでしょうね。Jリーグのプロ化成功は他国リーグにも多くの刺激を与えました。今後アジア&オセアニア予選がより厳しい・激しい争いになるのは必至でしょう。これはある意味きついけど日本代表の将来のためには望ましい事。国内リーグ、アジア/オセアニア全体の強化が未来のサッカー界に新たな展開をきっと呼んでくれると願いつつ。。。
Jul 10, 2006
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ゲストコメンテーター:ラッキィ池田だった。あんな芸風の彼も音楽の趣味が古いプログレ好きとはねぇ。小室哲哉との会話でELPが昔から好きと言う事が一致したら、相手に思い切りうんざりした顔をされたそうで。。。
Jul 7, 2006
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まず、「必要が無い」から(笑)。TVはお気軽に食べたり、本読んだり、何かしたりの「ながら」嗜好物だと言う事。気が向けば見るし、気に入らない物までガマンしてなんか見ない。「煩わしいい」くどいほど繰り返される脅迫めいたアナログ打ち切りCMキャンペーン。でも、せっかくデジタル放送の機種を買っても双方向なんて誰も興味無し。その上激悪な操作性に利用者もウンザリ。メーカーはユーザーの求める物よりも多機能で先進性ばかり追い求めて、視聴者の求める所がわかっていない。もちろん放送局にいたってはもう。。。さて、2011年にデジタルに全面切り替えになったとしよう。どんな事が起こるか解るかい?既に今のデジタル放送技術が時代遅れになっているという罠です(爆)誰かが言っていたが、いっそデジタルチューナをタダに近い値段で配布しなければ、どうにもなりそうもないな。アナログが打ち切られたらどうするって?ネットで充分じゃない?
Jul 7, 2006
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軍人や政治家や文化人でも無く、時代に翻弄される人々を助けた市井の人々というのは後世に語られにくいものであるが、助けられた側の人々の中で語り継がれ後々になって書籍や映像化される事もあるにはある。しかし、その行為自体が売名や自己顕示の為の目的で無かった故にノーベル賞を受賞したり、様々な顕彰等を受けていない方々の記憶は、関わった民族においても忘れられがちなもの。映画化されたオスカー・シンドラーやリトアニア駐在領事代理杉原千畝の逸話もあくまでも助けられた側の記憶が、当の本人の本国では認識されていなかった物語を浮き上がらせたのはご存知の通りだ。戦前~戦時下、そして戦後の混乱混沌とした日本。その時にも多くの外国籍の人が日本国内で表立たないながら活動していた事は、現在余り多くの人には知られなくなってきているのかもしれない。亡き父と叔父が戦後に施設の補修で伺った事も昔聞かされた、孤児のためのエリザベス・サンダース・ホーム。そして、25年ほど前にドキュメンタリー映画と写真展のイベントで関わった、戦前から国内で人々の救済に尽力したゼノ・ゼブロフスキーという修道士の活動。機会が無ければ私個人もその存在や活動を知る事も無かったかもしれない。ゼノさんの映画も深い感銘を受けたが、その身体を投げ打って全ての人のためにと活動した彼の写真展は今も強烈な印象となって心に残っている。今日7月6日の深夜1時44分からになるが、関東だと日本テレビにおいて「ゼノーかぎりなき愛に」という彼のその半生を描いたアニメーション作品が放映されるという。ただ、野球中継の延長によっては放映が若干遅れたりするかもしれないが、これは今の時代だからこそ多くの人に観てもらいたい作品。実際のゼノさんの活動は本当に着のみ着のまま、ボロボロのまるで布を羽織ったような仙人のような風貌だったけど、アニメ作品だけに若干の美化は致し方ないし、その当時当たり前に存在した悲惨さは描き切れる物では無いかもしれない。しかしその存在を今確認する事に大きな意味があると思うのだ。もし作品を見て興味が沸いたなら、その軌跡を今一度ネットで調べてみるのもいいだろう。今の日本が、日本人が忘れつつある、その恩義に注目する夜が一日くらいあってもいい。
Jul 6, 2006
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うちの猫:たま(アメショー)は毎年梅雨時になると具合が悪くなる。以前、小鳥に凝って様々な鳥を飼っていて通りすがりの人がよく小鳥屋と間違えられ、近所で保護した鳥を持ち込んで来られたりもしたけど、梅雨時の気候の変動や年間で一番雑菌の繁殖する季節である事が多くのペット動物に影響するのを実感したもんだった。昨年まではお腹の具合が悪くなったりしていた たま だったが、今年は目の周りが先週辺りから腫れぼったくなってきていた。伸びた爪を切るついでにペット美容院でシャンプーして、週末はさっぱりとした表情で収まったと思っていたのだが、今朝方起き抜けにこりゃまたエライご面相に。。。5時6時7時と時間がたつにつれ顔の左半分が腫れ上がり、瞼を押し上げて誠に苦しそうであった。猫用の薬も眼薬もあるにはあるが、症状の原因も解らないまま素人判断は危険なので近所の評判の良いペット病院へ連絡。受け付け「夕方からならあいております」母が「具合がどんどん悪くなっているので早く観てもらえないでしょうか?」何とか昼前に予約を押し込んで診察。原因は歯茎からの雑菌の感染による炎症だった。ちなみに虫歯は無かった。注射を打たれてすぐに腫れが引いてきた。そして今。夜中の3時過ぎ。又腫れてきているんだわ。処方された薬を飲ませなければ。こら!待ちなさいってば。
Jul 3, 2006
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暑いですねっ!サッカーの試合の事じゃないですよ、気温です。お陰でどうでも良い事に妙に気を囚われがちです。===某T新聞のTV番組案内は〈横書き〉===同じページの他の記事が縦書きなのと混在し大変見苦しいたぶんレイアウトで分けやすく考えたのかもしれないが、縦書きの文字が80%程平体なのと比べて見ると横書きは当然潰れてはいない。文字詰めの感覚も違う。縦書きの「ッ」と横書きのではバランス上大きさも違うから思わぬ見間違えもしてしまうのだ。他の人はどうかしらん。そんな紙面。今日の朝刊で何気に目を走らせていると【東京・小笠原の海で子育て中のマツコ】( ´・ω・`) エッ!???次の瞬間オイラの煮えた脳内には、「小笠原で人魚の格好をしたマツコデラックスねぇさんが子マツコをたくさん従えてアザラシの様に岩場で休んでいる」そんな脱力感が幻影となって見えてまいりました。それも金髪で。ええ、ええ、改行された一行下には「ウクジラに密着する。」と続きがあるんですけどね。至極当然ですが。でも、「天敵のシャチがいないために一年を通じてマツコDXが観察できる」とか「1000メートルの深海と海面を往復して過ごす」そんなマツコを想像するだけで微笑ましい、、、かも。まあ、鯨というより「彼女」の場合は「ジュゴン」の方が遥かにリアリティが感じられて困ったもんである。ああ、暑い。。。※ な~んて書いて食べてた「●ースかつ丼」のマーーーーーーーズイ(青汁の八名さん風)事よ!このソースがお■ふくっぽくてベロベロに甘いのなんのゲフっ。こんなもん人間の食(以下略
Jul 2, 2006
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まず今週は名作の、、、No.25「京都買います」(2006/07/04 放送) 脚本:佐々木 守 監督:実相寺 昭雄 特殊技術:大木 淳牧は藤森教授の研究室を訪れていた。最近京都で、仏像が次々と消失し、それらの仏像が全て教授が科学的に調査したものだったからだ。だが、牧の心当たりはという問いに・・・ 岸田森演ずるSRIきっての冷徹漢だったはずの・牧、その彼が京都での仏像消失事件捜査の中で出会った謎めいた女性・美弥子(齋藤チヤ子)との間のおぼろげで儚い関係。京都映画の機材協力を得た実相寺監督の凝りに凝った演出が素晴らしい。来週は、、、 No.26「ゆきおんな」(2006/07/11 放送) 脚本:藤川 桂介 監督:飯島 敏宏 特殊技術:佐川 和夫ある日、差し出し人不明の那須ハイツへの招待状を受け取った井上秋子は、親友のさおりに相談して同行してもらう事にした。野鳥公園那須ハイツ。そのホテルには既に変装したSRIの面々が揃っていた・・・(最終話) 世界で一番有名な探偵といえばシャーロック・ホームズであるが、この番組の見所の一つにはSRIのメンバーによる様々な事象への謎解きが楽しみにもなっていた。冷静沈着な牧はまさにホームズ的な役どころであったが、晩年のホームズが作者共々神秘主義的な傾向を見せたように、この怪奇大作戦も最終2話は幻想的な終わり方をして行く。その刹那的な雰囲気は、多くの初期円谷作品に関わったスタッフ達が作品終了と共にプロダクションを離れていく運命とも無関係ではなかったのだろう。
Jul 2, 2006
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