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2002年。アルバム『三日月ロック』収録。スピッツの別名、ミカンズ(笑)この曲を聴いてると、スピッツのメンバーみんなでみかん星人みたいな被り物して演奏してる様子を想像しちゃって楽しい気分になる。曲調は可愛い感じのロック。ミカーンミカーン♪の所は懐かしい雰囲気。はじめましてのご挨拶 余計なことも紹介しよう♪で始まるこの曲、「当たり前過ぎる人生を切り貼りしてこのザマ」「眩暈がするくらい慎重に歩いてみたが変わんねえ」なんてふうに、いつもの歌詞の感じとは違ってて、これが草野さんの素なのかな?って、くすくす笑ってしまう。だけど、「こんな俺たちだけど、 いつかはあの子のハートをつかむんだ」みたいな明るい野望感もあったりして、そんなこんなで、ほんと可愛い曲だなーと思う。すごく好き。ちなみに『三日月ロック』は、今の時点での私のお気に入りスピッツアルバム、ベスト3の中の一枚。(残り2枚は 『オーロラになれなかった人のために』と『フェイクファー』)「夜を駈ける」「水色の街」「ガーベラ」の、波紋のように美しい寂寥感。「さわって変わって」のロックの匂い。「ババロア」の無機的なカッコよさ。バンドらしさみたいな勢いのある「ローテクロマンティカ」テクノっぽさと爽やかムードが混じってる「ハネモノ」地味な曲なだけに声の魅力をしみじみ感じる「海を見に行こう」単純に好き好き「エスカルゴ」「けもの道」セツナ系ポップスの名曲だと思う「遥か」歌詞が好きです「旅の途中」全部まとめて、三日月ロックっていう素敵なタイトルがぴったりのアルバムだと思う。ところで、私は、スピードワゴンの小沢を見るたび、スピッツを歌ってみてほしい声だ・・・と思う。ま、そんなことは、どうでもいいか(笑) 今日の一曲『ミカンズのテーマ』 スピッツ
2007年09月30日
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1998年。作詞・作曲:TAKUYA/編曲:JUDY AND MARY。JUDY AND MARYを初めてテレビで見た時、メンバーにジュディとマリーがいるのかなと思った。そういうことじゃないとわかってパティ&ジミーの名前がなんとなく頭に浮かんだ。小さい頃、私は、パティ&ジミーが好きだった。ボーカルのYUKIはお洒落で可愛くて好きなタイプだったけど、バンド自体にはそんなに心惹かれなかった。何曲か凄く気に入った曲があったりした。だけど、「ジュディマリっていいよね!」ってふうには、最後までならなかった。すごく失礼な話なんだけど、「何をしたいのかよくわからない」って感じがずっとあった。YUKIはソロになってからの方が断然いいと思う。今は「何をしたいのかよくわからない」って感じがしなくなったし。だからといってじゃあ何がしたいように思うの?って問われてもうまく説明できそうにない自分なんだけど。この曲はジュディマリの曲の中で、私が一番好きな曲。今頃の季節になると頭の中に流れ出す。とても好きな感じのメロディだ。美しい映画のような歌詞だなーとも思う。 今日の一曲『イロトリドリノセカイ』 JUDY AND MARY
2007年09月28日
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1981年。作詞・作曲:中島みゆき/編曲:船山基紀。この曲が大ヒットした頃、私は小学生。連日、ラジオから聴こえて来るこの歌に、不思議なくらい飽きなくて、というより、浴びるほど聴いてもまだ大好きだった。あれから25年以上も経ったけど、いまだにこの曲が大好きだ。前奏の部分が流れて来ると自然と変な微笑みが浮かんでしまう。泣き笑いみたいな、変な微笑み。なんて柔らかくて優しい音なんだろう。船山基紀は、この曲で81年のレコード大賞編曲賞を受賞している。そりゃそうだろうと思う。私はこの曲のアレンジがたまらなく好きだ。ところで、この曲のヒロインって全然悪女じゃないのよね。悪女のふりをしているだけ。しかも、ハリボテ。正体は「優しい強がりさん」中島みゆきのファンには「強がりさん」が多いんじゃないかなって気がする。だって中島みゆきの歌のヒロインはたいていが強がりさんだから。ちなみに私も、強がりさん(笑) 今日の一曲『悪女』 中島みゆき
2007年09月27日
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短大の頃、部屋に遊びに来た友達が誤って飾っていたランプを壊してしまった。北一硝子というメーカーのアンティックデザインのお洒落なランプで、別れた彼が最後にくれたプレゼントだった。そんへんの事情を知っていた友達は、大慌てで、「ごめん!ほんとにごめん!」思いっきり謝ってくれた。だけど、私は、それには応えず、無理に笑顔を作って「・・・おねがい、一人にさせてくれる?」と言ったのだった。その時のことを思い出すと今でも恥ずかしい。なんて芝居がかってるんだ。ほんとは、そんなにショックじゃなかった。「あ、いいよ。いいよ」っていうのが本音だった。つまり、「昔の彼(今でも好き)からのプレゼントが壊れてしまい 心の底からショックを受けて、 『一人にさせて』と悲しく微笑む自分」というのに酔いしれていただけ。あー恥ずかしい。バカなんじゃない?(笑)あの頃の私はよくこんなふうに酔いしれていた。それでもイタい人扱いしないでくれた友人たちはほんとに懐が深かったと思う。まあ、今でも、私は、結構イタい奴なわけなんだけども。 今日の一曲『風の伝言』 山崎まさよし
2007年09月26日
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来年のカレンダーを買った。月の満ち欠けがわかるというカレンダー。日にちの横にちょこんと、その日の月の形が描いてある。来年は毎日、月見をするのさ。「今夜は下弦の月ね」とかなんとか思いながら。私は月が好き。でしゃばりじゃなくて、ほのかに優しい所がいい。ウサギが住んでたとかかぐや姫がやって来たとかいう昔話のエピソードも可愛いと思う。とかなんとか言いながら知識は全然ない。「なんか好き」ってやつなのさ。でも、このカレンダーのおかげで、来年は、少しは月に詳しくなれるはず。きっと。 今日の一曲『月ひとしずく』小泉今日子
2007年09月25日
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人間なんてどうせ愚かで自分勝手で汚くて・・・とか言ってる人は、人間の影の部分にしか目が行っていないのだと思います。どうして光に目を向けないの?わたしゃ、不思議だよ。私の母は私に優しい母じゃありませんでした。だけど、ある時、何気なく心理テストをしたんです。「世界が終わるとしたら 次の中からどの動物を連れて行く?」っていうテストです。確か、馬と羊と馬と猿だったんじゃないかな。忘れたけど。とにかく母は迷わず猿を選んでこう言ったんです。「だって猿は小さくて弱いから 一人では生きて行けないでしょ?」はじめて飛行機に乗った時、黒い雲と小雨の、どんよりと暗い日だったのに、雲の上の世界は明るい光に満ちていて驚きました。たまに、人の心について考える時、あの日の空を思い出すのです。心が暗い色をしているのは、黒い雲が覆い被さっているからなんじゃないかな。黒い雲の上にはきっと明るくて美しい風景が広がっているんじゃないかな、って、なんとなく。 今日の一曲『ヒコウ』 スネオヘアー
2007年09月24日
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「空を飛べたらいいな」っていう夢を実現させたライト兄弟。みたいな、人間の純粋な想いと、それを形にするための努力に、感動するんですよ、自分。魔法や超能力で空を飛ぶよりずっと感動的ですよ。空を飛べばいいってもんじゃないんです。飛べないはずの人ががんばって飛べるようになったってことがすごいんです。リレーってことにも感動します。Aさんが何かを作る。次にAさんの作ったものを吸収したBさんがさらに進んだ何かを作り、その次はCさんが・・・ってふうなリレー。やがて、長い年月を経て、最高地点に到達したそれは、ものすごい数の人間の想いと努力の結晶なわけですよ。すごいと思わない?人間ってすごい可能性を持った生き物なんだなーって私はよく思うんだよ。誰もが人間である以上は可能性を持ってるんだと思うんだよ。 今日の一曲『空も飛べるはず』 スピッツ
2007年09月23日
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重たい言葉を、軽い気持ちで使っている人って結構、いますね。「人間として最低だ」とか、「頭がおかしいんじゃないのか」とか、「おまえのようなイヤな人間には会ったことがない」とか、「何のとりえもない」とか「生きる価値がない」とか。言ってる方はその言葉の意味を深く考えてないで言っています。言葉に間違いはないか?なんて、気にしてません。だけどその言葉は、相手の心に、ぐさりと突き刺さります。無駄に心に傷を負わされている。軽い意味の言葉なら軽い気持ちで使ったっていいんです。重い意味だとしても相手が喜ぶ言葉ならそんなに慎重にならなくても構わないんです。でも、相手の心にぐさりと突き刺さるような言葉はちゃんと考えて使うべきなんです。人を傷つけざるを得ない時って、あります。心にぐさりと突き刺さるだろうってわかってても言わざるを得ない時。それは仕方ない。だけど必要ないのに傷つけるのは仕方ないことじゃないです。それは無駄なことです。無駄に迷惑なことです。職場の友人に自分のことを頭が悪いと思い込んでいる人がいます。彼女は勉強が苦手だったらしくて学校の成績が極端に悪かったので親や先生たちから「なんでそんなにバカなんだ」「おまえほど頭の悪い子は見たことないよ」と言われながら育ちました。数字に出ていることもあって本人もそれを受け入れてしまったようです。だけど、勉強が苦手ということと、頭が悪いということとは同じではないです。なのに、彼女は、勉強以外の部分も含めた、すべての意味で、自分は頭が悪いのだと思い込んでしまいました。彼女は自分の考えを自信を持って言うことができません。「間違ってるんじゃないか」「バカだと笑われるんじゃないか」傷つくのが怖くて、誰かと意見がかち合うと、さっと退いてしまいます。突っ込んだ話し合いをすることができません。いつだったか、彼女は、私を好きになってくれたきっかけを話してくれました。「私のことを少しもバカ扱いしなかったから」さらっとした口調だったのですが、でも、私は、それを言われた時、なんだか胸が痛くなったんです。私は基本的に誰のこともバカ扱いなんてしないですが、彼女のことは第一印象から賢い人だなと思っていました。聡いというか、勘がいいというか。付き合いが深まるにつれて周囲の空気を読んで理性的に行動できる人だなとか、状況判断が素早くできる人だなとか、物事をきちんと理屈だてて考える人だなとかってふうにも思うようになったし。つまり、私の基準で行くと、彼女は、頭がいい方の部類に入る人なんです。それなのに、自分をバカ扱いしなかったからなんていう理由で人を好きになるくらいにまで自信を失っている。周囲の人々がちゃんと考えないで放ち続けた言葉のせいで。言葉ってすごい力があるんです。人を思いっきり幸福にも、不幸にもできる、すっごい道具なんです。せっかく、すっごい道具なら、無駄に迷惑なことに使わずに、素敵なことやいいことに使った方がいいと思うんです。 今日の一曲『シンクロ』 秦基博
2007年09月21日
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80年代のサザンが好きなんです。バラッドシリーズは、2が一番好き。この曲の雰囲気がすごく好き。桑田佳祐の抑え目の歌声も素敵。でも、「お気に入りだった~」の所だけあんまり好きじゃなかったりする(笑)ここ、なくていいのに。って言ったら、「ここがいいじゃーん!」って言われちゃうかもしれないけど。中学の頃、電気スタンドの明かりだけの部屋でよくこの曲を聴いていました。だから、この曲を聴くと、その時の、壁にうつっていた影だとか、夜風にそっと揺れてたカーテンだとかを思い出します。 今日の一曲『NEVER FALL IN LOVE AGAIN』 サザンオールスターズ やけに9月の風が。
2007年09月20日
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作詞:松本隆/作曲・編曲:林哲司/コーラスアレンジ:epo。9月だね、SEPTEMBERだね。というわけで、この歌。大好きな歌です。「そして9月はさよならの国」風の街の住人であり、言葉の水彩画家である松本隆らしい素敵な歌詞。借りていたDictionaryを明日返すんですよ。Loveという言葉だけ切り抜いて。それがGood-byeなわけですよ。ちょっとユーミンに通じるロマンチックですね。私はこの感じに憧れて、昔、付き合っていた人の教科書の後のページに、大好きと書いておいたことがあります。私の計画では数ヵ月後に教室で照れているはずの彼でしたが、実際は、ちょっと切なくなっていたと思います。恋が終わっていたから。私のさよならの国は1月でした、JANUARY。 今日の一曲『SEPTEMBER』竹内まりや
2007年09月19日
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1982年。作詞:大津あきら/作曲:鈴木キサブロー/編曲:大村雅朗。この曲は、マイベストアイドル小泉今日子と渡辺徹が恋人同士だか兄妹だかよくわからないけどとにかく一緒に草原を走って仲良くチョコレートを食べるCMの後でかかってた。って、だらついた説明で申し訳ないけれども、私は、このCMを見ながら「小泉今日子をもっと可愛く撮れよ、カメラマン。 っていうか、なんで渡辺徹と?」と思っていた。でもこの歌は好きだった。今聴くと、大村雅朗にしてはそこはかとないチープさの漂ようアレンジだなと思うけど、当時は気にならなかったので、普通に流行りの音だったんだろう。あと渡辺徹の歌い方がちょっと中村雅俊っぽかった。中村雅俊の歌のファンだった私としては好きな歌い方だった。サビが好き。「さよならさ グッバイマイシスター いつかはきっと ハローマイシスター」 今日の一曲『約束』 渡辺徹 シンプルなタイトルだね☆
2007年09月18日
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1978年。作詞・作曲:円広志/編曲:船山基紀。子どもの頃、ヒットした当時には、「飛んで飛んで飛んで飛んで・・・・って何回言うんだー?」とか、そのくらいしか気にしてなくて、「なんで売れてるのかよくわかんにゃい」と流してた。その後もずっと、テレビで円広志を見かけると、「飛んで飛んで飛んでまわってまわってまわった人だ・・・ ずいぶん、キャラが変わったよなあ」と思っておしまい、みたいな感じだった。だけど、2年くらい前かな。たまたまテレビで聴いて、「なんだ、これは!いい歌じゃないか!!」と、びっくりしたのだった。売れるのもわかるわ(笑)単純に曲としていい。切ないけど爽やか。爽やかだけど切ない。私は爽やか自体には全然心惹かれないんだけど切なさとか悲しみと組み合わさった爽やかはすごく好き。なににせよ、一色はつまらない気がする。さて、なんで子どもの頃にはピンと来なかったのか?たぶん、サビしか聴いてなかったんだと思う。「飛んで飛んで」の所ね。自由に飛び回ってるような空気感に満ちたこの部分が、この曲の一番いい所なんだけど、でも、ここだけじゃこの曲の良さはわからない。その前のアルバムをめくりながら呟いているような部分があってこそこのサビは輝くのだ。でも、まあ、大抵の曲は、そういう感じの作りになってるよな(笑)そんなわけで、曲の魅力はサビだけじゃわかんないよねっていう当たり前の話でした。ちゃんちゃん。 今日の一曲『夢想花』 円広志
2007年09月17日
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親の話をすると「よくグレなかったね」と言われる。私はそんな真面目じゃないが、というか、どっちかというと不真面目だが、犯罪の道には走らなかった。この先も走らないと思う。自分の性格からいって。「よくグレなかったね」と言われると、過去に読んだ不良の体験談が頭をよぎる。確かに家庭環境が問題でグレた人って結構いる。世の中全体にはびこる、「グレるような人=家庭環境に問題があった人」というイメージを、自分も条件を備えている私は、せつないなーと思う。でも、あながち間違ってないよなとも思っている。残念ながら。家庭環境に問題があるというのは、そのくらい重いことです。私の場合は本があったからグレなかった。もし読書に縁がなかったらどうなっていたかわからない。家庭環境に問題があったけれどもグレなかったって人はみんな、それぞれに何かそういうものを持っていたのだと思う。「よくグレなかったね」の台詞の後で、「ってことは、 結局、良い親御さんだったってことなんだよ」って続ける人々がいる。そうじゃない、本だよ、本のおかげなんだ!って、本が与えてくれた多くのものについて熱く語りたくなる私は変ですか(笑)私は本に感謝してるし愛してるのだ。素晴らしき哉、本。好き好き、本。本イズワンダフル。紙よ、サンキュー。インクよ、印刷会社よ、ありがとう。そして多くの作家たちよ、私にとって、あなたたちは神以上の存在です。それはもう、深い深い想いなのだ。だから、その本が、手柄を奪われるとなっちゃ平静でいられない。「冗談じゃないよ! うちの親ときたら、ほんと、めちゃくちゃで!!」って、本の名誉向上のために、必要以上に強い口調で親を否定(事実だけど)する様は、なにやら、現在進行形の恨みつらみムード満載。誤解されてるなんじゃないかと思うと、「ちがーう!」と叫びたくなる。でも言われてないのに叫ぶと、やぶへびだ。なので熱くなり過ぎないように気をつけているのだけれど、静かに「本のおかげで私は・・・」と語るのも、なんだか、人生の成功者が語る感動ストーリーみたいな、自己陶酔ムードが漂いそうで恥ずかしい。成功してないだけに余計恥ずかしい。というわけで、いっそのこと、親の話をしないのがいいんじゃないかと思ったりもするけれど、親ネタは豊穣の海、喋る誘惑に、とてもじゃないけど抗えない。ところで、どうでもいいことだけど、「グレる」のグレってなんだ?灰色?だとしたら、おい、灰色に失礼だろ。 今日の一曲『ギャラクシー』 リップスライム
2007年09月16日
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極端に感じ悪い店員にあたると、当然、不快度数が急上昇。「世の中に絶望して 怒りと憎しみだけで生きてる人間だったら あんたの態度でスイッチ入って 通り魔殺人とかやっちゃうかもしれないぞ?」なんてことを思う。妄想と思う?だけど、いるでしょ?「世の中に腹が立つ。 誰でもいいから殺したかった」なんて自分勝手なことを言う殺人犯。明らかに間違った考えなんだけど、実際問題、そういうふうに、何の関係もない人を殺す人間ってのがいるわけだよ。悪いのは、犯人。でも、もし店員がスイッチ入れてなかったら、惨劇が起きることはなかったかもしれない。逆に、店員の温かい笑顔や態度で救われるってこともあるはず。世の中のみんなから、ひどく冷たくされていて「もういやだよ・・・」と俯きながら入った店で、見ず知らずの店員の優しさにふれ、「世の中、捨てたものじゃないな。 もうちょっとがんばってみよう」って思ったことのある人間、いると思うよ。っていうか、私はある。ベタな人情話みたいだけども、実際、そういうことってあるんだよ。笑顔が大事、思いやりが大事っていうのは、会社の利益のためだけじゃなくて、世のため、人のためでもあるんだよ。ってことを、どうか考えてくれないか、感じ悪い店員よ(笑) 今日の一曲『茜色の夕日』 フジファブリック
2007年09月14日
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1997年。作詞・作曲:小松未歩/編曲:古井弘人。『名探偵コナン』の主題歌でした。コナンの曲は結構好きな曲が多かったです。ハイロウズの『胸がドキドキ』とか、宇徳敬子の『光と影のロマン』とか、ガーネットクロウだとか倉木麻衣だとか。そういえば、しばらく見てないな、コナン。いつまで小さいんだろうね、工藤新一。鈍すぎるね、毛利蘭。それはさておき、小松未歩の声とか作る曲とか、かなり好きでした。滑らかなメロディっていうか、聴き心地が良くってね。『錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう』『この街で君と暮らしたい』『君がいない夏』なんかも、とても好き。『謎』で、この人いいじゃーんと思ってアルバム買ってみたら、『謎』よかもっと好きな感じの曲がいっぱい入ってて、(というより、全曲、好きな感じだった)すごく嬉しかったんです、当時。良い買い物したなーと思って(笑)そんなにはないでしょ、丸ごと気に入るアルバムって。 今日の一曲『謎』 小松未歩
2007年09月13日
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「先手、なんたらかんたら」父がいつも見てた、将棋の対戦番組。私は囲碁は知ってたけど、将棋はまるっきりわからなかったので見ても全然面白くなく、退屈で仕方なかった。番組の途中で父のイビキが聞こえて来る。ドラゴンが地の底で唸ってるみたいなイビキ。私は今まで生きて来た中で父以上の大音量イビキの持ち主に出会ったことがない。とにかく、洒落にならないくらいにうるさい。っていうか、寝るなら、チャンネル権を明渡してくれ。しかし、チャンネルを替えると、父は、すぐさま目を覚ますのだ。そして奪われるリモコン。将棋番組再開。父いわく、「将棋番組は昼寝のBGMに最適」とても気持ち良く眠れるらしい。「おまえがチャンネル替えるから 起きちゃったじゃないか」叱られたこと、数知れない。なんで昼寝するためのBGMが必要なんだ。昼寝なんてしたってしなくたってどうでもいい、というより、しない方がいいことじゃないか。「気がついたら昼寝しちゃってた、あーあ」と後悔するような類のことじゃないか。それなのに小道具使ってまでするなんて、変な父。名人たちも自分らの熱い勝負がこんなことに使われてると知ったらがっかりすることだろう。それ以前に私も好きなテレビが見れなくてがっかりだ。母は母でドラゴンのイビキのうるささにがっかりだ。がっかり三昧だ。父は将棋が好きで、腕にも自信があったようで、「将棋ってのはな」と語りたがる人だった。だけど、昼寝のBGMに使ってるくらいだもんなー。なんだかなー。私は大人になってから友人に無理強いされて将棋に初挑戦した。ルールを覚えるのがたいへんで、というか、覚えられなくて、何度目かで、「お願い、私のことは諦めて」と逃亡したけど。でも、やってみて、将棋自体には、すごい魅力を感じた。子どもの頃に覚えておけば良かったな。せっかく、あんなに、たくさん、将棋番組を見る機会があったんだから。 今日の一曲『風と雲と私』 熊谷幸子
2007年09月12日
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前だけを見て歩いて行く人生は颯爽としていて、かっこいいけれど私には難しい。立ち止まって、振り返って、少し歩いて、また立ち止まる。そのうえ、休憩や、寄り道、まわり道までもして。困ったもんだ。だらしない旅人だ。鞄の中で破れかけの地図がふてくされてる。通りすがりのスライムにバカにされてしまいそう。だけど、わりと楽しい旅だよ。颯爽としてないし、かっこよくもないけど、わりと楽しい旅だよ。 今日の一曲『THANK YOU,BABY』 ゴダイゴ 昔の『西遊記』で、かかってた。 すごく好きだった。
2007年09月11日
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『I LOVE YOU』といえば私的にはオフコース。尾崎豊は2番目かな(笑)中学の頃にね、レコード買ったんです。LPレコード。宇宙みたいな色のジャケット。真ん中に青い色した「I LOVE YOU」の文字が彗星みたいに浮かんでいます。この曲の寂しくて切ない雰囲気がとても好きです。人を愛するってとてつもなく嬉しいことだけど、でも、どうしようもない寂しさを抱えるってことでもあるね。しあわせなのに、切ないの。 今日の一曲『I LOVE YOU』 オフコース
2007年09月10日
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途切れないお喋り、明るい笑い声、あふれる笑顔、やさしい気持ち、よっかかった肩の温もり、未来への無邪気な期待。悩みごと、怒り、悲しみ、痛み、憂鬱、ひとしずくもない。完璧な夜。奇跡のような。幸福の余韻を抱きしめたまま電気を消して枕に頭をくっつけて、淡い月明かりを見つめながら私はぼんやり思うのです。永遠だったらいいのにな。明日も今日ならいいのにな。 今日の一曲『JOY』 YUKI
2007年09月09日
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歩き読み。中学2年の頃の私は、帰りのHRが終わると同時に教室を出て制服の人間がまだ誰もいない道を行くのが好きだった。歩きながら読書するのだ。知り合いに見られたら変な人だと思われること間違いなし。何度か母の知り合いに見られたことがある。歩行者のことは警戒していたが、車からの視線にまでは思いが至らなかった。しくじった。「お宅の娘さん、本を読みながら道を歩いていたわよ。 二宮金次郎みたいね。ホホホ」と言われて母は顔から火が出そうな思いをしたらしい。「恥ずかしいからやめなさい」と叱られた。危ないから、ではなくて、自分が恥ずかしいから、という所が母らしい。当然、聞き流した。ある日のことだった。いつものように片手に学生鞄、もう片方の手に文庫本を持ち、物語世界を浮遊しながら歩いていた私は、何気なく視線を本から外して、はっとした。前方から歩いて来たおばあさんの顔が、祖母の姉にあたる人の顔にとてもよく似ていたのだった。幼い頃にはよく顔を合わせていたのだが、もう何年も会っていなかったので、すっかり忘れていた。そういえば元気なのかな。家に帰ったら母に話を振ってみようかな。そんなことを思いながら帰宅すると、家の中がしんとしていて置手紙があった。「○○さんが亡くなったのでお通夜に行ってきます」○○の所には数分前に何年かぶりで思い出したばかりの人の名前が記されていた。すごい偶然。びっくりしながら、そうか、元気じゃなかったのか・・・と思った。その日の夜、閉めていた襖が、突然、ガタガタと大きな音をたてた。ちょうど、その前を通った瞬間のことだった。びっくりしたなんてものじゃなかった。ななな、なにー?ひとけない部屋でぶるぶる震えていると、電話が鳴った。いつもは嫌いな電話が愛すべき友人に思えた。電話線の向こうには確実に人がいる。「もしもし」母だった。いつもは疎ましい母も愛すべき母に思えた。「今、お通夜が終わったよ」「今って、今?」「何分か前だよ」それはもしや襖がガタガタ鳴った時刻・・・?すごい偶然、二つ目!帰宅した母に一連の話をした。母は「あんたに会いにきてくれたのかもしれないね」と、感慨深げに頷いていたけれど、私は、やっぱり偶然じゃないかなと思った。死者、もしくは死にかけた人が、親しい人や大切な人たちに挨拶しに行く、ということは、ひょっとしたらあるのかもしれない。だけど私はそのメンバーに入ってない、おそらく。だって別に可愛がられてなかったもん(笑) 今日の一曲『to live』 アシッドマン クール。かっこ良すぎ。
2007年09月06日
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「おじいちゃんはなんで死んだの?」「酔っ払って下水に落ちたんだよ」母方の祖父は急死だった。祖母が留守の間の出来事だった。小さな頃にあの世に行ってしまった祖父のことを私はよく知らない。思い出せるのは遺影の顔だけだ。祖父について懐かしげに語る人は誰もいなかった。不謹慎だけど、私は祖父の死に方が気に入っていた。お酒が大好きだった祖父にぴったりの死に方だ。ある意味、良い死に方だ。母と祖父は血が繋がっていない。母は15才の時に、突然、「おまえと俺は実の親子じゃないから、 中学を卒業したら、家から出て行け」と言われたらしい。それまではとても幸福だった。父親の愛情を実感していたし、血の繋がりがないなんて考えたこともなかった。まさに、青天の霹靂。このことで生じた心の傷を、母はいまだに引きずっている。しかし、私にとっての祖父とは、「酔っ払い冥利につきる死に方をしたおじいちゃん」でしかなかった。血の繋がりはないけども。はたちを過ぎたある日、祖父が本当は自殺だったことを聞かされた。酔っ払って下水に落ちて死んだなんて大嘘だったのだ。祖母や叔父が、祖父の話をしなかったのは、自殺だったからなのだと思う。しなかったのではなく、できなかったのだ。母が15才の時に受けた心の傷と同様のものを、祖母や叔父は、祖父が自殺した際に受けたのだろう。愛し愛されている関係なのだと信じていた人がいきなりシャッターを下ろしてしまったという、心の傷。その人について話すことが苦痛なほどの、深い傷。残酷な仕打ちだ。自殺は罪だ。自殺した人は、自殺したという、それだけで、罪人だ。 今日の一曲『ギプス』 椎名林檎
2007年09月05日
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幼い頃は絵を描くのが大好きだった。大好きだから四六時中、描いていて、だから、上手でもあった。小学校の途中までは「周りの誰よりも絵がうまい私」と、自信たっぷりに思ってた。「うわあ、すごい」って言われては、まあねって笑ってた。授業でやるような絵も好きだったけど、もっと好きだったのは、イラストとかマンガとかの絵ね。マンガ大好きだったからね。こういうの好きな人はみんなそうなんだろうけど、私も、低学年の頃から自作のマンガを描いてた。クラスのみんなが喜んでくれるのが嬉しかった。だけど、親が、ひどくイヤがっててね。絵を描いてるのを見られるたびに叱られるから見つからないように、こそこそ描いてたんだけど、量が量なだけに隠しきれるわけもなく(笑)毎日のように説教くらってた。「何の役にも立たないことをしやがって」って。大好きっていうのを原動力にしている行為に、役に立つとか立たないとかは、どうでもいいことだからね、「そんなこと言われてもなー。お門違い」と思ってた。将来、マンガ家になりたいという思いは、漠然とはあったけど・・・あくまでも、漠然。それ以前に、とにかく、単純に大好きだからやってるって感じでさ。でも、「何の役にも立たない」の言葉には、客観的見地から、「もしかしたら、大人になって こういう仕事をするかもしれない。 だとしたら今こうして絵を描いてることは、 役に立たないことではないと思う」って答えてた。筋が通った言い分でしょ?(笑)親は、それを、客観的意見だと受け止めなかったみたい。小学生の子どもが客観的だなんて考えもしないような親だったからね。「そうか、こいつは、将来、 こういう仕事をしたいんだな」って思ったみたい。私はただ、自由に好きなことをしたかっただけなんだけど。ある時、「そんなにやりたいなら本気でやってみろ」って言われた。「もう描くなって言わないから そのかわり、一生懸命、やれよ」って。なんだか変・・・と思った。でも、これからは描いても文句言われないんだって思ったら、すごく嬉しかった。だけど、喜びは、束の間。父は、『イラスト教室』みたいな本を買って来て、こう言った。「毎日、この絵を模写しろ」嫌いなタイプの絵だった。古くさくて、ハードで、薄汚れた感じで、おっさんが読む週刊誌の挿絵みたいなタイプの絵柄。困っていたら、「基本から勉強しないと駄目なんだっ」と怒鳴られた。そりゃあそうなんだろうが、なんか・・・違わないか。それでも、ノルマをこなせば、あとは好きにさせてくれるふうだったので私は、我慢して、毎日、描いた。模写くらい簡単だ。問題は、精神的苦痛。これって、ロックが大好きでただそれをやっていることが楽しくてバンドしてる人が、「音楽の基本を学べ。 毎日、俺が選んだクラシックの曲をコピーしろ。 それができないようなら、おまえは駄目だ。もう、やらせない」と言われるようなものなのだ。・・・精神的苦痛でしょ?明らかに。「ああ、面白くない。 こんなことしないで好きな絵を描きたいよ・・・」そのうち、父は、「おまえの絵をチェックする」と言い出した。模写の他にオリジナルも提出しろと言うのだ。センスが違うのだから、当然、「こんな画風じゃ駄目だ」「こんなもの描いてちゃ駄目だ」と否定されまくり。しかも、「ここが変だ、ここ直せ」「こうしろ、ああしろ」ちなみに父は絵のことなんか何もわかっていない。猫すらまともに描けないくらいに下手くそだし、見るのが好きなわけでもないから審美眼的にもかなり怪しい。こんな人に指導されるのは、苦痛以外のなにものでもない。そのうえ、怒鳴られたり、怒られたり。変なノルマのせいで自分が描きたい絵を描く時間が少なくなったし。というか、「そんなもの描いてる暇があったら、もっと模写しろ」みたいに、前より邪魔されるようになったし。ゆっくりだったけれど、だんだんと、私は、絵を描くことが楽しくなくなって行った。自分の大切なものを泥だらけにされているみたいな不快感と、やりたいことを邪魔され続けることの不満とが、心の中で変な化学反応でも起こしたのだろう。どんな障害があっても、消えることのない情熱というものもある。私の絵に対する想いは、そこまでのものではなかったのだと思う。障害が何もなかったとしても、やがては薄らいで行ったんじゃないかな。だから、もう、いいんだけど、でも、うちの親は、間違った指導者の典型だったな、とは思う。主役になりたがる人は、指導に向いていないんだよ。そして感性に関することにおいて、センスの押し付けは、害でしかない。 今日の一曲『ワールズエンド・スーパーノヴァ』 くるり
2007年09月04日
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ひとりぼっちでとぼとぼ歩いていた日、月が優しかった。星が優しかった。悲しいことやいやなことがあった日、緑が優しかった。陽射しが優しかった。自分で自分が嫌いになってしまった日、雨が優しかった。暗闇が優しかった。何がつらいのかわからないのに何故だかつらい日に、青い空が優しかった。風が優しかった。大好きな人の心が離れてしまった日、雪が優しかった。時の流れが優しかった。優しさはいつだってどこにだってあるのだと思う。 今日の一曲『グライダー』 大森洋平
2007年09月02日
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