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アメリカを中心とする支配体制が大きく揺らぎ始めている。2016年はそうした動きが加速するだろうが、西側支配層も反撃してくるだろう。ロシアは中国との関係を強化しているので、露中と西側支配層の激しい戦いが始まるかもしれない。 基軸通貨を発行している特権と軍事的な優位で支えられてきたアメリカだが、ドルが基軸通貨の地位から陥落しそうなうえ、ロシア軍がシリアで見せつけた戦闘能力の高さはアメリカが圧倒的な軍事力を持っているわけでないことを示した。アメリカ支配層の傲慢さを利用し、彼らを追い詰めているのはロシアのウラジミル・プーチンだ。 控えめで穏やかに話すアメリカの言うことを聞く人はいないとコンドリーサ・ライス元国務長官はFOXニュースのインタビューの中で語っているが、アメリカは買収と脅しで世界に影響力を及ぼしてきた国であり、その後ろ盾が経済力と軍事力。プーチンはそこに揺さぶりをかけている。 すでに指摘されていることだが、支配体制が揺らぎ始める切っ掛けは1991年12月のソ連消滅にほかならない。それを見たネオコン/シオニストはアメリカが「唯一の超大国」になったと考え、世界制覇は間近に迫ったと錯覚、そして国防総省の内部で作成されたのがDPGの草案。そのDPG草案をベースにしてネオコン系シンクタンクPNACが「米国防の再構築」という報告書を2000年に発表、01年から始まるジョージ・W・ブッシュ政権はこの報告書に基づく政策を打ち出していく。 2000年の報告書では、大きな変革を実現するために「新たな真珠湾」が必要だと主張しているが、ネオコンにとって「好運」なことに、その「新たな真珠湾」が2011年9月11日に引き起こされた。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのだ。それを利用して国内では憲法を麻痺させてファシズム化を促進、国外では軍事侵略を大々的に始めた。 ソ連が「民意」で消滅したとは言えない。例えば、1991年3月にロシアと8つの共和国(人口はソ連全体の93%)で行われた国民投票では76.4%がソ連の存続を希望していたのだ。(Stephen F. Cohen, “Soviet Fates and Lost Alternatives,” Columbia University Press, 2009)ソ連消滅には西側支配層の意思が働いている。 1991年7月15日から17日にかけてロンドンで開催されたG7の首脳会議へ出席したミハイル・ゴルバチョフ大統領に対し、西側の支配層は巨大資本にとって都合の良いショック療法的、つまり新自由主義的な経済政策を強要するのだが、ゴルバチョフは難色を示す。大多数の国民を貧困化させることは明白だったからだ。 そこで西側支配層が目をつけたのは、7月10日にロシア大統領となっていたボリス・エリツィン。「ゴルバチョフ後」を用意していたということかもしれない。そのエリツィンは12月にウクライナのレオニード・クラフチュクやベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチとベロベーシの森で秘密会議を開き、そこでソ連からの離脱を決めてソ連消滅へ導いた。当然のことながら西側の傀儡エリツィンが率いるロシアはアメリカの属国になる。 エリツィン時代にロシア政府を支配していたのは大統領の娘、タチアナ・ドゥヤチェンコを中心とする人脈。この勢力は外部のいかがわしい人びとと手を組んで国民の資産を略奪、「オリガルヒ」と呼ばれる富豪を生み出す。その象徴とも言える人物がボリス・ベレゾフスキーやミハイル・ホドルコフスキーだ。こうした略奪によって国としてのロシアも疲弊した。 政府を上回る権力を握っていたオリガルヒをねじ伏せたのがプーチン。つまりロシアを再独立させたわけだ。オリガルヒはイギリスやイスラエルへ逃亡するか、政府に従う姿勢をみせてロシアにとどまったが、ホドルコフスキーは国内にいながら政府を支配し続けようとして逮捕された。 このホドルコフスキーはソ連時代、コムソモールの指導者だった時代に、ロシアの若い女性を西側の金持ちに売り飛ばしていた疑いが持たれている人物で、1989年にはロシアの「モデル」をニューヨークへ送るビジネスを始めている。彼はKGB(国家保安委員会)にも人脈があったようで、当局が出国ビザを出し渋るとその人脈を利用していたという。 その後、メナテプ銀行を設立、1995年には石油会社のユーコスを買収して中小の石油会社を呑み込んで巨大化、96年にはモスクワ・タイムズやサンクトペテルブルグ・タイムズを出している会社の大株主になってメディア対策を実行、2002年にはジョージ・ソロスの「オープン・ソサエティ基金」をモデルにした「オープン・ロシア基金」をロスチャイルド家と共同でアメリカにおいて創設(2006年に閉鎖)、ヘンリー・キッシンジャーやジェイコブ・ロスチャイルドを雇い入れている。ホドルコフスキーは逮捕される直前、ユーコスの経営権をジェイコブへ渡そうとしていた。ロシアの石油利権がロスチャイルドに盗まれるところだった。 プーチンとの関係は良くないものの、ロシアでビジネスを続けているオリガルヒも存在する。そのひとりがイスラエル系のオレグ・デリパスカで、2001年に結婚したポリナ・ユマシェバはエリツィンの側近だったバレンチン・ユマフェフの娘。このユマシェフはエリツィンの娘タチアナと2001年に再婚した。 デリパスカはロシアのアルミニウム産業に君臨、ナサニエル・ロスチャイルド、つまりジェイコブの息子から「アドバス」を受けている一方、ロスチャイルド系の情報会社ディリジェンスの助けで世界銀行から融資を受け、政治面でも西側との関係を強めている。 デリジェンスを2007年に買収したJNRはナサニエルが経営する投資会社で、創設は2003年。この会社を通じてロスチャイルドはロシアや東ヨーロッパのオリガルヒを操っているようだ。デリパスカやロマン・アブラモビッチはJNRと特に近い存在。ちなみに、アブラモビッチは1992年に国の財産を盗んだとして逮捕された経験があり、ベレゾフスキーの下で働いていたこともある。 エリツィンの娘の動きを見てもわかるように、エリツィン時代に張り巡らされた西側支配層のネットワークは今もロシアに存在、プーチンは敵を内側に抱えながら戦っていると言える。アメリカを中心とする支配システムは崩れ始めているが、西側支配層はロシアでの反撃を狙っている可能性は高い。今のところロシアでは大多数の国民が西側支配層の目論見を見抜いているようで、目論見は成功しないだろうが。 ちなみに、現在の日本はエリツィン時代のロシアと似ている。日本では大多数の国民が日米支配層の目論見に気づいていない、あるいは目先の利益や保身を優先して気づかないふりをしている。
2015.12.31
ファルージャから西へ50キロメートル、バグダッドからは100キロメートルほど西にあるラマディを奪還したとイラク政府は発表した。その際にIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)の「財務大臣」と呼ばれている人物が拘束されたという。モスルでの空爆で、ISを指揮しているとされているアブ・バクル・アル・バグダディの側近が殺され、バグダッドから236キロメートル北にあるキルクークではISの幹部、アブ・オマル・アル・シシャニが拘束されたとする未確認情報もある。 イラクはシリア、イラン、そしてロシアとISに関する情報を共有するため、バグダッドに統合調整本部をすでに設置しているという。シリアでは9月30日にソ連が空爆を始めてからISやアル・ヌスラ(アル・カイダ系武装集団)の敗走が始まり、政府軍はホムズからISを追い出そうとしているわけで、一進一退とは言えない。 シリアでの成功を見て、イラクのハイデル・アル・アバディ首相は同国もロシアに空爆を頼みたいという意思を10月初めに見せたが、当然のことながら、アメリカ政府が立ちはだかる。10月20日にジョセフ・ダンフォード米JCS(統合参謀本部)議長がイラクへ乗り込んだが、そこでロシアへ支援要請をするなと恫喝したと見られている。 イラクでロシア軍による直接的な空爆が難しくなったため、イラク議会国家安全保障防衛委員会ハケム・アル・ザメリ委員長によると、シリアからイラクへ向かうISの戦闘員を攻撃することでイラクとロシアは合意、情報の共有を図ることにもしたようだ。12月に入り、ロシア政府が自国製の装甲車を含む物資をイラクへ供給したとも伝えられている。こうした連携がラマディ奪還を実現した一因だろう。 本ブログでは何度も指摘しているように、アメリカ支配層はアル・カイダ系武装集団やそこから派生したISを傭兵として使ってきた。その歴史は1970年代に始まる。アメリカ大統領の補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーがソ連軍をアフガニスタンへ引き込んで戦わせるという秘密工作を開始、ソ連軍と戦わせるためにワッハーブ派/サラフ主義者の戦闘集団を編成したのだ。 こうした集団を作り上げるため、アメリカは武器を提供して戦闘員を訓練、サウジアラビアが資金を提供、パキスタンやイスラエルも協力していた。故ロビン・クック元英外相が2005年7月8日付けガーディアン紙で指摘したように、CIAが訓練した「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルにすぎない。アル・カイダとはアラビア語でベースを意味だが、「データベース」の訳語としても使われる。「アル・カイダ」に戦闘集団としての実態はなく、戦闘員の登録リストだということだ。なお、クックはこの指摘をガーディアン紙に書いた翌月、心臓発作で急死した。 ソ連と戦わせている当時、この戦闘集団をアメリカ支配層は「自由の戦士」と呼んでいた。1987年にソ連政府はアフガニスタンからの軍隊を引き揚げると発表、89年2月に撤兵を完了、1991年12月にはソ連が消滅する。「アル・カイダ」が「テロリスト」の象徴として大々的に宣伝され始めるのは2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後だ。調査が行われる前にジョージ・W・ブッシュ政権は「アル・カイダ」が実行したと宣言、「テロとの戦い」と称して国内ではファシズム化を推進、国外では軍事侵略を本格化させ、2003年3月には「9-11」と関係ないことが明らかだったイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒した。 ソ連が消滅する前、1991年1月にアメリカ軍はクウェートへ軍事侵攻したイラクを攻撃した。その時、ネオコン/シオニストはフセインの排除を臨んでいたのだが、ジョージ・H・W・ブッシュ(父親)政権はフセイン体制を倒さないまま停戦、怒ったポール・ウォルフォウィッツはイラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると口にしたと1997年から2000年にかけて欧州連合軍最高司令官を務めたウェズリー・クラークは語っている。 また、9-11から間もなく、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺ではイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃するともクラークは証言、後にCNNの番組で、アメリカの友好国と同盟国がISを作り上げたとも主張している。 ISの誕生はアメリカのイラク攻撃と深く結びついている。2003年にアメリカが倒したフセイン政権はアル・カイダ系武装集団を「人権無視」で取り締まっていた。そのフセイン政権が倒された翌年、イラクではアル・カイダ系武装集団の活動が本格化する。この集団がAQI。2006年にはAQIが中心になってISIなるグループが作られ、活動範囲のシリアへの拡大に伴い、今ではISと呼ばれている。WikiLeaksが公表した文書によると、2006年にアメリカ政府はサウジアラビアやエジプトと手を組み、宗派対立を煽ってシリアを不安定化させる工作を始めたという。 アメリカが体制を転覆させようとしたのはシリアだけでないとするレポートも発表されている。2007年3月5日付けニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュのレポートでは、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの「三国同盟」がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したと指摘されている。その手先になるのがサラフ主義者/ワッハーブ派系の武装集団だ。 結局、アメリカ支配層の内部で作成されたプラン通りイラクやリビアの体制は倒され、シリアは攻撃され、ネオコンはイランも攻撃しろと叫んできた。2014年2月にウクライナで実行されたクーデターを指揮していたのもネオコンだ。 9-11の翌年、2002年の春にネオコンはイラクを攻撃したかったようだが、約1年間、開戦は延期された。その大きな理由はJCSで反対する声が強かったからだ。攻撃の理由がなく、作戦も無謀だという理由からだった。 勿論、無謀でも何でも戦争に賛成だという将軍もいる。戦争が利益に結びつくビジネスが目の前に開けている人びとだが、それでも軍内部での抵抗は続き、ISを危険視する軍人も少なくない。そうした中には、JCSの議長だったマーチン・デンプシー大将やDIA(国防情報局)の長官だったマイケル・フリン中将も含まれる。ハーシュは危機感を持ったアメリカ軍がバラク・オバマ大統領の方針を無視してシリア政府と情報を交換してきたと書いているが、これはデンプシー時代だろう。 フリン中将が長官だった2012年8月、DIAは反シリア政府軍の主力がサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとする報告書を作成している。DIAによると、アル・ヌスラとはAQIがシリアで使っていた名称。つまり、AQIとアル・ヌスラは同じだ。 西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコが支援している武装勢力がシリア東部にサラフ主義者の「国」を作り、イラク西部とトルコを結ぶ状況になることをDIAは警告しているが、バラク・オバマ政権は無視した。 そのオバマはシリアの反政府勢力のうち「穏健派」を支援していると主張してきたが、2012年の段階で反シリア政府軍がサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団だとDIAはオバマ政権に警告していた。(この頃、まだISというタグを付けた集団は現れていない) それについてアル・ジャジーラのインタビューで聞かれたフリン中将は、それがアメリカ政府の決定だと語っている。ISの勢力拡大はオバマ政権の政策だということになる。だからこそ、ロシア軍が本当にアル・カイダ系武装集団やISを攻撃し始めたときにアメリカの好戦派はパニックになり、オバマ政権だけでなく有力メディアもロシアを批判しはじめたわけだ。 「空爆はテロを助長するだけだ」と繰り返し、ロシアとアメリカの空爆を一緒に議論する人もいるが、これは本質的に間違っている。実態を調べていないのか、人びとを誤誘導することが目的なのだろう。アメリカ支配層の内部にテロリストを世界に広めている勢力が存在していることは明白で、アメリカは「テロ帝国」にほかならない。そのアメリカの「同盟国」を自称している日本も「テロ支援国」ということだ。
2015.12.30
ロシアや中国でNGO(非政府組織)やNPO(非営利組織)の規制に乗り出しているようだ。こうした組織は私的な活動をする人びとの集まりというだけで、実態は千差万別。中には情報機関や巨大資本が工作の道具として使うこともある。 アメリカで1983年に創設されたNED(民主主義のための国家基金)は典型例で、CIAの資金をNDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターへ流している。この仕組みはUSAID(米国国際開発庁)とも緊密な関係にある。今年、ロシア政府はNEDなどの活動を禁じ、追い出したが、遅すぎたという声もある。 かつて、ジョン・パーキンスはアメリカが他国を侵略する手口を本にしたことがある。それによると、まずターゲット国の支配層を「エコノミック・ヒットマン」が接近して買収を試み、それが失敗したなら本当のヒットマンを送り込んで殺すという。歴史を振り返ると、1953年のイラン、54年のグアテマラ、73年のチリなどアメリカの属国になろうとしない自立した政権をクーデターで倒してきた。旧ソ連圏の「カラー革命」や中東/北アフリカで広がった「アラブの春」も同じ目的のクーデターだ。日本も例外ではない。 ロシアでは体制転覆工作の核になるNEDを追い出したが、買収対策として政府や政府系機関の幹部が外国で銀行口座を持つことを厳しく規制しているようだ。これは日本も真似するべきだろう。 1970年代にロンドンのシティを中心とするオフショア市場のネットワークが作られて地下経済を肥大化させ、課税の回避、不正資金の隠匿、マネーロンダリングなどに使われてきた。そのネットワークはかつての大英帝国を結んでいる。つまり、ロンドンのほか、ジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなどだ。さらにスイス、ルクセンブルグ、オランダといった伝統的なタックス・ヘイブンとも連携、資金を追跡するのは困難になっている。 現在、ロシアとの関係を強めている中国では支配層がこうしたネットワークを利用しているようで、単なる不正蓄財ではなく、欧米の巨大資本から買収資金を受け取ったり、秘密工作の資金供給にも使われている可能性が高い。この問題にメスを入れないかぎり、中国はどこかの時点で大きく揺らぐことになるだろう。 また、こうした秘密工作と無関係のNGOやNPOは外部からの侵入、乗っ取りを防ぐ対策をとる必要がある。そうしなければ、権力者の手先になってしまう。富を独占するためなら権力者はあらゆる手段を使う。
2015.12.28
日本と韓国、両国の政府は「従軍慰安婦問題」で合意したと12月28日に発表した。岸田文雄外相によると、安倍晋三首相は「元慰安婦」に対し心からのおわびと反省を表明、「元従軍慰安婦」を支援するための財団を韓国政府が設立し、日本政府が自国予算で資金を一括拠出することを明らかにしたという。しかも、両国政府は国連など国際社会で慰安婦問題に関して互いに批判/非難しないことにしたともいう。誰が見ても、この合意はアメリカ政府の指示に基づくものだろう。 徳川から薩摩/長州藩を中心とする勢力へ支配体制が変わった直後、日本は琉球、台湾に続いて朝鮮半島を侵略、支配した。「従軍慰安婦」はそうした流れの先で引き起こされたのだが、日本と韓国/朝鮮との問題の一部にすぎず、今回の合意で日韓問題が全て解決されたと考えるべきではない。 現在、アメリカの好戦派はベトナム、フィリピン、日本を軸にして中国に軍事的な圧力を加えようとしているが、この軸に韓国、インド、オーストラリアを結びつけようとしている。韓国では政府が済州島での海軍基地建設を1993年に発表、2007年に候補地は江汀(カンジョン)に絞られた。アメリカのアシュトン・カーター国防長官がハーバード大学で朝鮮空爆を主張した翌年のことだ。韓国海軍の基地として建設されているが、中国の大陸部まで約500キロメートルの新基地が完成した後、アメリカ軍が入ってくるのは時間の問題だと言われている。 アメリカや東アジアの支配層にとって「朝鮮空爆」はリアルな話で、済州島における基地建設が発表された後、1998年にアメリカでは金正日体制を倒して朝鮮を消滅させ、韓国が主導する新たな国を建設することを目的としたOPLAN 5027-98が作られた。それに対し、同年8月に朝鮮は太平洋へ向かって「ロケット」を発射、翌年の3月には海上自衛隊が能登半島の沖で「不審船」に対し、規定に違反して「海上警備行動」を実行している。 日本で「周辺事態法」が成立した1999年になると金体制が崩壊したり第2次朝鮮戦争が勃発した場合に備える目的でCONPLAN 5029が検討され始め、2005年にOPLAN(作戦計画)へ格上げされた。このほか、朝鮮への核攻撃を想定したCONPLAN 8022も存在している。 2003年3月、アメリカ軍がイギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃した頃に空母カール・ビンソンを含む艦隊が朝鮮半島の近くに派遣され、また6機のF117が韓国に移動し、グアムには24機のB1爆撃機とB52爆撃機が待機するという緊迫した状況になった。 こうした動きを韓国の盧武鉉やアメリカ支配層の一部がブレーキをかけるのだが、その盧大統領は2004年3月から5月にかけて盧大統領の権限が停止になる。済州島の海軍基地建設の候補地が江汀に絞られた翌年、2008年の2月には収賄容疑で辞任に追い込まれてしまう。次の政権はアメリカの戦争ビジネスと関係の深い李明博。 WikiLeaksが公表した2009年7月付け文書によると、韓国の玄仁沢統一相はカート・キャンベル米国務次官(当時)と会談、朝鮮の金正日総書記の健康状態や後継者問題などについて説明、同年10月に朝鮮は韓国に対し、韓国軍の艦艇が1日に10回も領海を侵犯していると抗議、11月には韓国海軍の艦艇と朝鮮の警備艇が交戦した。 2010年3月に韓国と朝鮮で境界線の確定していない海域で韓国の哨戒艦「天安」が爆発して沈没、5月頃から韓国政府は朝鮮軍の攻撃で沈没したと主張し始める。11月になると韓国軍は領海問題で揉めている地域において軍事演習を実施、朝鮮軍の大延坪島砲撃につながった。 ソ連が消滅した直後、1992年の初めにアメリカ国防総省の内部では主導権を握っていたネオコン/シオニストがDPGの草案を作成したが、これは世界制覇プランと呼べる代物だった。彼らは自国が「唯一の超大国」になったと認識、潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアも支配することを決めている。 この段階でロシアは西側に操られていたボリス・エリツィンが大統領になり、その娘であるタチアナ・ドゥヤチェンコを中心とした腐敗勢力が外部の人間と手を組んで国の資産を略奪していく。そして誕生したのが「オリガルヒ」だ。 中国の場合、アメリカ支配層はエリートの抱き込みを進め、その子どもを留学させて新自由主義的な価値観を叩き込んでいたが、属国化に成功したとは言えない状況だった。そしてアメリカ政府は東アジア重視を打ち出す。DPGに基づいてネオコン系シンクタンクのPNACが2000年に発表した『米国防の再構築』も東アジア重視を掲げていた。この戦略変更のひとつの結果として朝鮮半島では軍事的な緊張が高まったと言える。 日本と対立していた韓国はその間に中国へ接近、アメリカ支配層にとって良くない状況になった。その原因を作った安倍晋三を含む好戦派だが、彼らに限らず日本のエリートには女性を蔑視する人が少なくない。それが「従軍慰安婦」の問題をこじらせることになった。 本ブログでは何度も指摘しているように、中国の利権を狙い、ロシアをつぶそうとしていたイギリスを後ろ盾として日本は近代化を始め、関東大震災ではイギリスの金融資本を後ろ盾とするJPモルガンに復興資金の調達を頼った。そして導入された新自由主義的な政策によって日本の不況は深刻化、東北地方では娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になった。支配層は裕福になり、庶民は貧困化、つまり貧富の差が拡大したわけだ。貧困化が売春婦を増やすことは古今東西、共通している。 こうした経済政策を推進した浜口雄幸首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡し、32年2月には大蔵大臣だった井上準之助が本郷追分の駒本小学校で射殺され、その翌月には三井財閥の大番頭だった団琢磨も殺され、5月には五・一五事件が引き起こされている。そして1936年2月には二・二六事件だ。こうした事件を支配層がどのように利用したかは別にして、事件を引き起こした原因は新自由主義的な強者総取り政策があった。 第2次世界大戦後、日本の支配層は自国の女性を「慰安婦」にしようと目論む。国境を越えた軍隊が占領地で女性をレイプするのは日本に限った話ではないが、日本政府はそれを「慰安婦」でコントロールしようとしたのだ。1945年8月18日、日本政府の指令に基づき、内務省警保局長は「外国駐屯慰安施設等整備要項」を全国の警察に出し、26日には「特殊慰安施設協会(RAA)」が設置された。アメリカ兵向けの「慰安婦」を組織しようというわけだ。28日には「小町園」が東京の大森でオープンしたという。 そのとき、何が行われようとしているかを理解できた「遊興業者」は警察の協力要請に難色を示していたが、少なからぬ年少の未婚女性が「外人に対する好奇心」、「享楽的職業に対する憧憬」、あるいは「良好なる待遇宣伝」に惹かれて「女給」の募集に応じている。応募した女性の少なくとも半数は仕事が売春行為だということを理解していなかったようだ。アジアの占領地で行ったことを日本でも繰り返そうとしたと言えるだろう。これが日本人エリートの女性観だった。いや、今でも大差はないだろう。
2015.12.28
アメリカのSAC(戦略空軍総司令部)が1956年に作成した核攻撃計画に関する報告書(SAC Atomic Weapons Requirements Study for 1959)が公開され、話題になっている。この計画によると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下することになっていた。軍事目標を核兵器で攻撃しても周辺に住む多くの人びとが犠牲になるわけだが、市民の大量虐殺自体も目的に含まれていた。人口を減らしたかったようだ。 攻撃目標にはモスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)、タリン(現在はエストニア)、キエフ(現在のウクライナ)といったソ連の都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が含まれていた。しかも、ひとつの都市に複数の核兵器を投下することも計画していたようだ。当時の中国はソ連の同盟国とは言い難い状態だったが、攻撃目標に含めている。 中国を核攻撃する場合、日本や沖縄が出撃拠点になる可能性が高い。その沖縄では「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められていた。1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づき、武装米兵が動員された暴力的な土地接収で、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっている。 1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めた人物がライマン・レムニッツァーだ。カーティス・ルメイと並ぶ好戦的な軍人で、第2次世界大戦の終盤にはフランクリン・ルーズベルト大統領を無視する形でアレン・ダレスたちとナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」を実行していた。 1956年の計画が作成された当時、SACの司令官はルメイ。第2次世界大戦の終盤、日本の大都市に大量の焼夷弾を投下して庶民を焼き殺す「無差別爆撃」を第21爆撃集団司令官として推進した軍人だ。1945年3月10日に行われた東京の下町に対する空爆では約300機のB-29爆撃機が投入され、10万人以上の住民が殺されたと言われている。 ソ連に対する先制核攻撃は大戦が終わって間もない頃に浮上している。例えば、1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とす(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)という内容が盛り込まれていた。 1952年11月にアメリカは水爆の実験に成功、核分裂反応を利用した原子爆弾から核融合反応を利用した水素爆弾に核兵器の主役は移っていく。1954年になると、SACは600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成した。この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。(前掲書) ソ連に対する先制核攻撃の準備が始まったのは1957年だと言われている。この年の初頭には「ドロップショット作戦」が作成された。300発の核爆弾をソ連の100都市で使うというもので、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていたともいう。(前掲書) アメリカがソ連を先制核攻撃した場合、反撃をどのように押さえ込むかが問題。そこでアメリカがICBM(大陸間弾道ミサイル)で圧倒している段階で攻撃しようということになる。1959年の時点でソ連は事実上、ICBMを保有していなかった。 この1957年にルメイは空軍副参謀総長に就任、ジョン・F・ケネディ政権が始まる61年からは空軍参謀長を務めることになった。この当時のJCS議長はレムニッツァーだ。 このふたりを含む好戦派はキューバへアメリカ軍が軍事侵攻する計画を立てた。まず、ケネディが大統領に就任した直後、1961年4月17日に亡命キューバ人部隊をキューバのピッグス湾(プラヤ・ギロン)へ上陸させようとする。この攻撃が失敗することは計算済みで、この亡命キューバ人を助けるという名目でアメリカ軍を投入しようとするが、これはケネディ大統領が拒否して実現しなかった。 この好戦派は偽旗作戦も計画した。アメリカの諸都市で「偽装テロ」を実行、最終的には無人の旅客機をキューバの近くで自爆させ、あたかもキューバ軍が撃墜したように演出してキューバへ軍事侵攻する口実にしようとしたのだ。いわゆる「ノースウッズ作戦」である。キューバから中距離ミサイルで攻撃される可能性を封印するため、キューバを制圧しようとしたのだろう。この作戦もケネディ大統領に拒否された。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、レムニッツァーやルメイを含むアメリカの好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定だった。それより遅くなるとソ連もICBMを配備すると見ていたのだ。そして1963年11月22日、核攻撃の障害になっていたケネディ大統領はテキサス州ダラスで暗殺され、その背後にキューバやソ連がいるとする情報をCIAは流すが、この情報が正しくないことをFBIがリンドン・ジョンソン大統領へ伝え、核戦争にはならなかったようだ。 暗殺の翌年、軍隊をテーマにした映画3作品が公開されている。1月にはスタンリー・キューブリック監督の「博士の異常な愛情」、2月にはジョン・フランケンハイマー監督の「5月の7日間」、そして10月にはシドニー・ルメットが監督した「フェイルセイフ」だ。 統合参謀本部議長など軍の幹部が大統領を排除するためにクーデターを計画するという内容の「5月の7日間」はケネディ大統領自身が映画化を勧めたという。(Russ Baker, “Family of Secrets”, Bloomsbury, 2009)当時、ケネディは実際に軍や情報機関の好戦派によるクーデターを警戒していたようだ。この映画の原作はフレッチャー・ニーベルとチャールズ・ベイリーが書いているが、ルメイへのインタビューでニーベルは小説のプロットを思いついたという。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) その後、核戦争に勝者はないという考え方が一般的になるが、2006年に再び「完全試合」が可能だとする主張がアメリカ支配層の中から現れる。外交問題評議会が発行している定期刊行物のフォーリン・アフェアーズ誌に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文「未来のための変革と再編」で、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張したのだ。ちなみに、日本の総理大臣は2006年9月から07年9月まで安倍晋三。 この論文が出る前年、日米両国政府は「日米同盟:未来のための変革と再編」に署名、同盟の対象が極東から世界へ拡大、「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」が放棄され、「日米共通の戦略」に基づいて行動することになった。2012年にはリチャード・アーミテージとジョセフ・ナイが「日米同盟:アジア安定の定着」を発表した。アジアからライバルを排除、つまり中国を屈服させるということだろうが、実現不可能な妄想としか言いようがない。 こうした妄想が辺野古埋め立て問題の一因になっている。その妄想のはじまりは大戦直後の先制核攻撃計画。その計画の中心グループに所属していたルメイに対し、日本政府はケネディ大統領が暗殺された翌年、1964年に「勲一等旭日大綬章」を授与している。その時の内閣総理大臣は佐藤栄作。安倍晋三の祖父、岸信介の実弟である。
2015.12.27
ロシア軍参謀本部作戦総局のセルゲイ・ルズコイ局長によると、IS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)は盗掘石油の輸送ルートを変更している。これまではラッカ近くの油田からタンクローリーでシリア北西部へ輸送、アザーズからレイハンルへ抜けてトルコのドーチョル港とイスケンデルン港へ運ぶルートが中心だったが、ロシア軍の空爆でこのルートが危険になったため、デリゾールの石油精製施設からイラクのモスルやザホへ運び、そこからトルコのバットマン製油所へ輸送するルートの比重を増やしたようだ。 こうした動きに並行して、12月の初めにトルコ軍は25台のM-60A3戦車に守られた部隊をイラクの北部、モスルの近くへ侵攻させた。石油密輸の中継地として重要度が高まっている場所と重なる。 イラク北部にはクルド系の人びとが一種の自治国を作り、ペシュメルガと呼ばれる武組織を保有している。今回、トルコ政府はペシュメルガを訓練するとしているが、この集団はイラク政府を揺さぶるため、イスラエルが支援してきたという。イラク政府がトルコ軍の侵攻に強く抗議したのに対し、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は撤退を拒否したものの、トルコ軍は撤退しつつあると伝えられている。 シリアで反政府派の武装集団がロシア軍の空爆とシリア政府軍の地上作戦で反政府勢力は大きなダメージを受け、盗掘石油の密輸ルートに変化が見られるわけだが、同時にリビア情勢も注目されている。シリアより1カ月早く政権転覆の軍事作戦が始まり、NATOの空爆とアル・カイダ系武装集団LIFGを主力とする地上軍の攻撃でムアンマル・アル・カダフィ体制は2011年10月に倒され、カダフィ自身はそのときに惨殺された。 体制転覆後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされ、イギリスのデイリー・メイル紙も伝えていた。そのアル・カイダ系の戦闘員とはCIAから訓練を受けた「ムジャヒディン」のデータベースに乗っている人びと。これは故ロビン・クック元英外相も指摘している。 その戦闘員は武器/兵器と一緒にトルコ経由でシリアへ入るが、その拠点になったのはベンガジにあったCIAの施設で、アメリカの国務省は黙認していた。その際、マークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。 ベンガジにはアメリカの領事館があるのだが、そこが2012年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺された。スティーブンスは戦闘が始まってから2カ月後の2011年4月に特使としてリビアへ入る。11月にリビアを離れるが、翌年の5月には大使として戻っていた。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていた。 そのリビアは現在、無政府状態で、ISが勢力を拡大している。中でも強い影響下にあるシルテにISを率いているとされているアブ・バクル・アル・バグダディがいるようだ。彼はイラクのモスルとシリアのラッカを行き来していたが、今年10月に彼の車列をイラク空軍機が爆撃、その際に少なからぬISの戦闘員が殺され、本人も重傷を負ったとされている。 イランでの報道によると、CIAとMIT(トルコの情報機関)は治療のためにアル・バグダディをラッカからトルコへ運んだ。トルコとイスラエルには反シリア政府軍の戦闘員を治療する施設があることは本ブログでも書いたことがある。そしてリビアのシルテへ運ばれたということのようだ。 ISはロシア軍やシリア軍の空爆を避けるため、盗掘石油の輸送ルートをイラク経由へ変更しているというが、リビアを石油密輸の拠点にしようとしているという見方もある。
2015.12.26
巨大な私企業が国を凌駕する権力を握る仕組みが作られようとしている。TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)だ。その私企業を支配する富豪がこうした仕組みを受け入れた地域の支配者になる。その危険性を少なからぬ人びとが指摘、「ファシズム体制」とか「近代農奴制」と呼ぶ人もいるが、安倍晋三政権は日本をそうした仕組みの中へ組み込もうと必死だ。 こうした協定は全ての領域に影響を及ぼし、ごくわずかの人びと、1%どころか0.01%の人びとに富は集中し、大多数の人びとは貧困化していく。農業、医療制度、年金制度などが破壊されると指摘されているが、それだけでなく庶民は教育を受ける権利も奪われることになる。 かつて、教育課程審議会の会長を務めたことのある三浦朱門は「ゆとり教育」について次のように語っている: 「平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」(斎藤貴男著『機会不平等』文藝春秋、2004年) 三浦が言う「できる者」の正体は不明だが、安倍晋三内閣の私的諮問機関だという「教育再生実行会議」が提出した「高等学校教育と大学教育との接続・大学入学者選抜の在り方について」には次のような記述がある:「各大学は、学力水準の達成度の判定を行うとともに、面接(意見発表、集団討論等)、論文、高等学校の推薦書、生徒が能動的・主体的に取り組んだ多様な活動(生徒会活動、部活動、インターンシップ、ボランティア、海外留学、文化・芸術活動やスポーツ活動、大学や地域と連携した活動等)、大学入学後の学修計画案を評価するなど、アドミッションポリシーに基づき、多様な方法による入学者選抜を実施し、これらの丁寧な選抜による入学者割合の大幅な増加を図る。その際、企業人など学外の人材による面接を加えることなども検討する。」 大学側が主観的に能力とは関係なく合格者を選べるわけで、「裏口入学の合法化」のように思える。アメリカでは無能でも有力者の子どもなら有名大学へ進学が可能だが、そうした仕組みにしたいのだろう。学費の高額化もそうした仕組みを作り上げる一環のように見える。 学費が高騰すれば庶民には大きな負担になる。例えば、2012年にイギリスのインディペンデント紙が行った覆面取材の結果、学費を稼ぐための「思慮深い交際」を紹介する、いわゆる「援助交際」を仲介するビジネスの存在が明らかになり、ギリシャでは食費を稼ぐために女子学生が売春を強いられ、売春料金が大きく値下がりしていると伝えられているが、こうした傾向は各国に広がりつつある。腐敗勢力が富を独占する体制下では売春婦が街に溢れるだけでなく、犯罪組織が肥大化する。これはボリス・エリツィン時代のロシアでも見られた現象だ。 上院議員のエリザベス・ウォーレン元ハーバード大学教授によると、アメリカでは教育が生活破綻の原因になっているという。少しでもまともな教育を望むならば、多額の授業料を払って私立へ通わせるか、公立の学校へ通わせるにしても不動産価格の高い住宅地に引っ越す必要があるという。低所得者の通う学校では暴力が蔓延して非常に危険な状態で、学習どころではないのだ。そうした経済的な負担に耐えられなくなり、破産する人が少なくないという。結局、経済的に豊かな愚か者が高学歴になり、優秀でも貧しい子どもは落ちこぼれていくことになる。
2015.12.25
【関電高浜原発】 日本政府は原発を再稼働させつつある。その方針を遂行する上で障害になっていたのが今年4月に出された高浜原発の再稼働差し止め仮処分決定。その仮処分決定を福井地裁の林潤裁判長は12月24日に取り消した。裁判所は支配層の利権を守るシステムに組み込まれているわけで、福井地裁民事部の林潤はその責務を果たしたことになる。 警察や検察についても同じことが言える。原発事故の原因を追及しようとしていないだけでなく、原発推進の障害になる人物や団体を攻撃してきた。例えば、事故前には原発に慎重な姿勢を見せていた福島県の佐藤栄佐久知事(当時)を事実上の冤罪で排除している。 原子力発電所を稼働させること自体が危険なことはスリーマイル島原発、チェルノブイリ原発、そして東電福島第一原発の事故を見るだけでも明らか。放射性廃棄物の処理方法も確立していないわけで、正気なら原発を推進できるはずがない。原発推進派を狂わせている大きな理由はおそらく巨大利権と核兵器だ。利権はカネそのものだが、核兵器も脅してカネを巻き上げるための道具であり、強欲が原発推進派を狂わせているとも言えるだろう。福井地裁の林もそうした狂気に絡め取られている。【東電福島第一原発】 そうした流れの中、事故が起こるのは時間の問題だった。2011年3月11日に福島第一原発は事故を起こしてメルトダウン、「チャイナシンドローム」の状態である可能性はきわめて高く、環境中に大量の放射性物質を今でも放出し続けている。原発を再稼働させれば、次の事故が起こるのも時間の問題だ。 事故を起こした福島第一原発は40年で廃炉できることになっているようだが、この予定を実現するのはかなり難しい。福島第一原発の小野明所長も飛躍的な技術の進歩がない限り、不可能かもしれないと語っているほどだ。イギリスのタイムズ紙は廃炉までに200年という数字を出しているが、数百年はかかると見るのが常識的。その間のコストは膨大で、リスクは高い。今後、健康、環境への影響も顕在化し、「種」としての存続が問題になることも考えられる。 原発の元技術者であるアーニー・ガンダーセンによると、福島のケースでは圧力容器が破損、燃料棒を溶かすほどの高温になっていたわけで、99%の放射性物質を除去することになっている圧力抑制室(トーラス)の水は沸騰状態。ほとんどの放射性物質が外へ放出されたはずだと指摘する。(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書) 事故から間もなく、日本では福島第一原発が放出した放射性物質はチェルノブイリ原発事故の1割程度、後に約17%に相当すると発表されたが、算出の前提が間違っているということだ。ガンダーセンは福島第一原発が放出した放射性物質の量を少なくともチェルノブイリ原発事故における漏洩量の2〜5倍だと推測している。(前掲書) 放射線の影響は20年から30年後に本格化するともいわれているが、チェルノブイリ原発事故から23年後の2009年に詳細な報告書『チェルノブイリ:大災害の人や環境に対する重大な影響』がニューヨーク科学アカデミーから発表されている。まとめたのはロシア科学アカデミー評議員のアレクセイ・V・ヤブロコフたちのグループ。1986年から2004年の期間に、事故が原因で死亡、あるいは生まれられなかった胎児は98万5000人に達し、癌や先天異常だけでなく、心臓病の急増や免疫力の低下が報告されている。【放射線の健康被害】 日本政府や東電は否定しているものの、チェルノブイリ原発事故より速いペースで日本では症状が現れている可能性がきわめて高く、20年から30年後には、秘密保護法でも隠しきれないほどの被害が顕在化してくるだろう。 実は、すでに作業員や住民が被曝が原因で死んでいるという情報が流れている。国や東電は認めていないが、福島県で働く医療関係者の間で囁かれてきた話で、例えば2011年4月17日に徳田毅衆議院議員は「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている: 「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」 12日に爆発したのは1号機で、14日には3号機も爆発している。政府や東電はいずれも水素爆発だとしているが、3号機の場合は1号機と明らかに爆発の様子が違い、別の原因だと考える方が自然。15日には2号機で「異音」、また4号機の建屋で大きな爆発音があったという。 こうした爆発が原因で建屋の外で燃料棒の破片が見つかったと報道されているのだが、2011年7月28日に開かれたNRCの会合で、新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は、発見された破片が炉心にあった燃料棒のものだと推測している。 NRCが会議を行った直後、8月1日に東京電力は1、2号機建屋西側の排気筒下部にある配管の付近で1万ミリシーベルト以上(つまり実際の数値は不明)の放射線量を計測したと発表、2日には1号機建屋2階の空調機室で5000ミリシーベル以上を計測したことを明らかにしている。 また、事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆は、心臓発作で死んだ多くの人を知っていると語っている。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしているのだが、そうした話を報道したのは外国のメディアだった。日本のマスコミは自分たちが所属する体制にとって都合が悪いと「トンデモ話」に分類して無視するようだ。 この井戸川元町長を作品の中で登場させた週刊ビッグコミックスピリッツ誌の「美味しんぼ」という漫画は、その内容が気に入らないとして環境省、福島県、福島市、双葉町、大阪府、大阪市などが抗議、福島大学も教職員を威圧するような「見解」を出し、発行元の小学館は「編集部の見解」を掲載、この作品は次号から休載すると決めたという。 福島県の調査でも甲状腺癌の発生率が大きく上昇していると言わざるをえない状況。少なからぬ子どもがリンパ節転移などのために甲状腺の手術を受ける事態になっているのだが、原発事故の影響を否定したい人びとは「過剰診療」を主張している。手術を行っている福島県立医大の鈴木真一教授は「とらなくても良いものはとっていない」と反論しているが、手術しなくても問題ないという「専門家」は、手術しなかった場合の結果に責任を持たなければならない。どのように責任をとるのかを明確にしておく必要がある。 事故直後、福島の沖にいたアメリカ海軍の空母ロナルド・レーガンに乗船していた乗組員にも甲状腺癌、睾丸癌、白血病、脳腫瘍といった症状が出ているようで、放射線の影響が疑われ、アメリカで訴訟になっている。カリフォルニアで先天性甲状腺機能低下症の子どもが増えているとする研究報告もある。最近ではカリフォルニア沖2500キロメートル付近で放射性物質の濃度が上昇しているとも伝えられている。【核兵器開発の疑惑】 福島第一原発事故では日本側の秘密主義が疑念を呼んでいる。核兵器に関係した作業が行われていたのではないかという疑惑だ。日本は1980年代からアメリカ支配層の一部勢力から支援を受け、事故の時点で70トンの兵器級プルトニウムを蓄積していたとジャーナリストのジョセフ・トレントは主張している。 外国の専門家を受け入れようとしない東電だが、事故の1年前、セキュリティ対策でイスラエルのマグナBSPという会社と契約している。セキュリティ・システムや原子炉を監視する立体映像カメラが設置されていたという。これはエルサレム・ポスト紙やハーレツ紙が伝えている。事故後に残った50名には、事故の約3週間前にイスラエルでシステムに関する訓練を受けた2名も含まれていたという。 そのイスラエルは現在、世界有数の核兵器保有国。1950年代後半にフランスから原子炉を入手、60年2月にサハラ砂漠で行われたフランスの核実験に参加している。核開発に必要な資金はパリに住むエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドやアメリカのアブラハム・フェインバーグが提供していたほか、西ドイツのコンラッド・アデナウアー首相はイスラエルの核兵器開発を支援するため、1961年から10年間に合計5億マルク(後に20億マルク以上)を融資することを決めている。1960年代にイギリスは核兵器用のプルトニウムをイスラエルへ秘密裏に供給していた。 イスラエルの核兵器開発に厳しい姿勢で臨んでいたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺され、次に大統領となったリンドン・ジョンソンは上院議員時代から親イスラエル派として有名。1965年にはウェスチングハウスやアメリカ海軍が保有する90キログラム以上の濃縮ウランを核関連会社のNUMECが盗んだ疑いが浮上する。その前年にイスラエルのディモナでは原子炉が本格的な総合を始めていたが、そこへ運び込まれたと見られている。このほかにもイスラエルは核物質に関する不正行為を繰り返してきたが、そのイスラエルと東電(日本の原子力産業)が結びついていることは疑惑を招く一因だ。
2015.12.25
67年前の12月23日、7名の戦犯が巣鴨拘置所で処刑された。このうち「A級(平和に対する罪)」が理由にされたのは土肥原賢二、広田弘毅、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章、東条英機の6名、松井石根は1937年12月に南京を占領した際に行われた虐殺などの責任を問われての処刑、つまり「A級」ではない。そして処刑の翌日、クリスマス・イブに岸信介、児玉誉士夫、笹川良一を含むA級戦犯容疑者19名が巣鴨拘置所から釈放された。翌年の3月にGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)は極東国際軍事裁判の打ち切りを決定している。 1976年2月、アメリカ議会でロッキード社による買収が明らかにされ、7月には田中角栄が受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の疑いで逮捕された。この事件に絡み、岸や児玉がCIAから多額の資金を提供されていたとする報道がアメリカであり、占領時代の暗部が注目されるのだが、日本の大手マスコミは現在に至るまで本気で注目しているようには見えない。 ロッキード社が秘密裏の支払いに利用したというディーク社は「CIAの金融機関」のひとつ。創設者のニコラス・ディークはアメリカの戦時情報機関OSSの出身で、1953年にアメリカとイギリスが共同で実行したイランのクーデター工作、ベトナム戦争での秘密工作で資金を動かしていた。ベトナム戦争でCIAは麻薬の密輸に手を出していたが、その資金もオーストラリアのナガン・ハンド銀行と同じように扱っていたようだ。 ベトナム戦争での秘密工作には米空軍のリチャード・シコード、陸軍のジョン・K・シングローブ、海兵隊のオリバー・ノース、CIAのセオドレ・シャックレーなど後に「イラン・コントラ事件」で名前が浮上する人物も参加している。海軍兵学校でノースより1年上だったリチャード・アーミテージも秘密工作に関係、元グリーン・ベレーのジェームズ・グリッツ中佐によると、アーミテージは麻薬取引で犯罪組織とアメリカ政府をつなぐキーマンだった。麻薬取引の大物として知られているクン・サの証言に基づく情報で、その証言は映像に記録され、1987年6月には映像のコピーが上院の情報委員会委員長や麻薬委員会委員長、下院の麻薬管理に関する外交特別委員会委員長などに配布されている。(James "Bo" Gritz, "Called to Serve," Lazarus Publishing, 1991) ロッキード事件が発覚する前、アメリカの政界は大混乱になっていた。ベトナム戦争で疲弊していたアメリカの経済は1970年代に入ると破綻、リチャード・ニクソン大統領は71年にドルと金の交換を停止すると発表、73年から世界の主要国は変動相場制へ移行していく。そうした最中、1972年6月にCIAの秘密工作部隊に所属していたグループが民主党全国委員会本部に侵入したところを逮捕される。「ウォーターゲート事件」の幕開けである。 経済破綻後のアメリカを支えるために考えられたのがペトロダラー。基軸通貨であるドルを発行することで物を買い、支払ったドルは石油取引の仕組みを使って回収しようというものだ。石油価格が上昇すれば市場が拡大し、効率は良くなる。実際、1973年10月の第4次中東戦争を切っ掛けにして石油価格は4倍に引き上げられたのだ。ここで、この戦争に至る過程を振り返ってみよう。 まず思い出すのは、PLOのヤセル・アラファト議長を支えていたエジプトのマール・ナセル大統領が52歳の若さで1970年9月に心臓発作で急死したこと。ナセルの後任大統領は「元イスラム同胞団」で、ヘンリー・キッシンジャーに操られていたアンワール・サダト。このサダトが1973年10月、イスラエルに対して奇襲攻撃を仕掛けたのだが、その黒幕はキッシンジャーだった。この戦争でイスラエル政府は核兵器の使用を議論したと言われている。 開戦の5カ月前、石油に関する重要な取り決めたあったと主張しているのはザキ・ヤマニ元サウジアラビア石油相。彼によると、「1973年5月にスウェーデンで開かれた秘密会議」で石油価格の値上げが決められたというのだ。該当するのはビルダーバーグ・グループの会議だ。その会議でアメリカとイギリスの代表は400パーセントの原油値上げを要求したという。 しかし、サウジアラビア国王は石油価格の値上げを嫌う。ライバルを増やし、代替エネルギー源の開発を促進させると考えたようだが、イラン国王はヤマニに対し、「なぜ原油価格の値上げに君たちは反対するのだ?そう願っているのか?ヘンリー・キッシンジャーに聞いてみろ、値上げを望んでいるのは彼なんだ」と言ったという。 さらに投機の規制を緩和してドルを吸収しようともする。そうしたマルチ商法的な仕組みを正当化する「理論」を考えたのがシカゴ大学のミルトン・フリードマンたちだ。その「理論」を実践した最初のケースが1973年9月11日にチリで実行されたオーグスト・ピノチェトの軍事クーデター。黒幕はキッシンジャーだった。 この頃、デタント(緊張緩和)へ舵を切ろうとしていたニクソン大統領に対する攻撃が強まり、1974年8月に辞任する。副大統領からジェラルド・フォードが大統領に昇格すると好戦派が主導権を握る。その中には後にネオコンと呼ばれるようになる親イスラエル派も含まれていた。 1975年11月にホワイトハウスは政府高官の入れ替えを発表、ジェームズ・シュレシンジャー国防長官が解任されてドナルド・ラムズフェルドが後任の長官に選ばれ、76年1月にはCIA長官がウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代する。ラムズフェルドの後任大統領首席補佐官はリチャード・チェイニー。このときの粛清劇で中心的な役割を演じたのは、このラムズフェルドとチェイニーだと言われている。 コルビーはCIAの違法活動を議会で証言した人物で、好戦派の内部では裏切り者と見なされていた。その当時、ブッシュを情報機関と無関係の素人だと思っていた人が少なくないが、実際はエール大学でCIAにリクルートされた可能性が高く、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されたときにはCIAの幹部だったことがFBIの文書で明らかになっている。ジョージの父親、プレスコットはアレン・ダレスと親密な関係にあった。 1948年12月24日に釈放された戦犯容疑者はCIAと深く結びつき、現在に続く。特高や思想検察の人脈は戦後も生き続け、マスコミの責任も問われなかった。極東国際軍事裁判が「戦争犯罪」を裁くことが目的だったとするならば、起訴しなければならなかった多くの人が不問に付されているのはさらに奇妙な話だ。1933年にアメリカでフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任する前の日米主従関係を復活させるための儀式にすぎなかったという見方もある。
2015.12.24
ウクライナやシリアをめぐってアメリカ支配層の内部に対立が生じていることは以前から指摘されていたが、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはアメリカ軍がバラク・オバマ大統領の意向を無視してシリア政府と情報を交換してきたとしている。ネオコン/シオニストに対する危機感がアメリカ支配層の内部でもそれだけ強まっているということだろう。そのネオコンに服従しているのが日本の「エリート」であり、国際的な立場は敗戦前に似てきた。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されて間もなく、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺ではイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃するとしていた。(ココやココ) イラクの場合、イスラエル第一派であるネオコンは1980年代にサダム・フセインを排除すべきだと主張、この体制をペルシャ湾岸産油国の防波堤役だと認識していたジョージ・H・W・ブッシュ、ジェームズ・ベーカー、ロバート・ゲーツらと対立してした。その頃ブッシュは副大統領でゲーツはCIA副長官。こうした対立がイラクへの武器密輸、いわゆる「イラクゲート事件」の発覚につながる。 後にブッシュは大統領となるが、その時代に対立は再燃している。自分たちの石油をクウェート政府が盗掘しているとイラクは疑って両国は対立、CIAは1988年の時点でイラクによる軍事侵攻を予想していたのだが、アメリカ政府はイラク軍がクウェートへ侵攻することを容認するかのようなメッセージを出す。 例えば1990年7月にアメリカ国務省のスポークスパーソンは記者団に対し、アメリカはクウェートを守る取り決めを結んでいないと発言、エイプリル・グラスピー米大使はフセインに対し、アラブ諸国間の問題には口を出さないと伝えている。 こうしたメッセージは罠だとPLOの議長だったヤセル・アラファトやヨルダンのフセイン国王はイラク側に警告したのだが、警告を無視してイラク軍は1990年8月にクウェートへ攻め込み、それに対応するという形で91年1月にアメリカ軍が率いる連合軍がイラクを攻撃した。アメリカ支配層はイラク西部に眠っている石油を支配しようと目論んでいたとも言われている。 ネオコンはこの戦争でフセインを排除できると期待したようだが、ブッシュ大統領は体制を倒さないまま停戦してしまう。それに激怒したひとりが国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツだ。ウェズリー・クラーク大将によると、その当時、ウォルフォウィッツはイラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると語ったという。1991年12月にはソ連が消滅、それを受けてネオコンは国防総省のDPG草案という形で世界制覇プロジェクトを92年はじめにまとめた。そのDPGをベースにしてネオコン系のシンクタンクPNACが「米国防の再構築」という報告書を作成、2000年に発表した。2001年から始まるジョージ・W・ブッシュ政権の軍事戦略はこの報告書に基づいている。 この報告書には大きな変革を実現するためには「新しい真珠湾」が必要だとしていたのだが、その「新しい真珠湾」が2001年9月11日に引き起こされ、実行犯として「アル・カイダ」の名前が宣伝された。この「アル・カイダ」がデータベースを意味しているにすぎないことは本ブログで何度も指摘してきた。 2001年の攻撃でアメリカ国内では好戦的な雰囲気が高まり、アル・カイダ系武装集団を弾圧していたイラクを2003年3月に先制攻撃するのだが、財務長官だったポール・オニールによると、2001年3月の段階でイラクへの軍事侵攻と占領について具体的に話し合われていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)NSC(国家安全保障会議)でイラク侵攻計画を作成していることを知り、ショックを受けたという。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009) ネオコンは1980年代からフセインの排除を主張していたわけで、「9-11」の直後からイラクを先制攻撃しようとしていた。ブッシュ・ジュニア大統領を担いでいたのは好戦派のネオコンで、「摂政」とも言われていたリチャード・チェイニー副大統領やポール・ウォルフォウィッツ国防副長官も仲間。約1年の間、開戦が延期されたのは統合参謀本部の抵抗があったからだと言われている。攻撃の理由がなく、作戦自体も無謀だったからだろう。 その後、イラク攻撃を批判する将軍が続出する。例えば、2002年10月にドナルド・ラムズフェルド国防長官に抗議して統合参謀本部の作戦部長を辞任し、06年4月にタイム誌で「イラクが間違いだった理由」というタイトルの文章を書いたグレグ・ニューボルド中将、翌年の2月に議会で長官の戦略を批判したエリック・シンセキ陸軍参謀総長、そのほかアンソニー・ジニー元中央軍司令官、ポール・イートン少将、ジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将などだ。 最近、DIA(国防情報局)の長官を務めたマイケル・フリン中将もこのリストに加えられた。IS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)の勢力を拡大させた原因はアメリカ政府の決定にあると語ったのだ。事実だが、今のアメリカで事実を口にすることは勇気が必要だ。 フリン中将が長官だった2012年8月、DIAは反シリア政府軍の主力がサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとする報告書を作成している。ハーシュによると、この翌年からアメリカ軍はシリア政府と接触を始めた。 2011年10月に統合参謀本部議長となったマーチン・デンプシーはISを危険視、ロシアやシリアとも手を組む姿勢を明確にしていたが、今年に入って状況が変化する。戦争に慎重なチャック・ヘーゲルが2月に退任、次の長官になったアシュトン・カーターは2006年にハーバード大学で朝鮮空爆を主張した人物。デンプシーも9月に退任、後任に選ばれたジョセフ・ダンフォードはロシアをアメリカにとって最大の脅威だと発言した人物。 こうした動きがロシアのウラジミル・プーチン大統領に何らかの影響を及ぼした可能性もあるだろう。9月28日にプーチン大統領は国連の演説で国家主権について語り、暴力、貧困、社会破綻を招き、生きる権利さえ軽んじられる状況を作り上げた人びとに対して自分たちがしでかしたことを理解しているのかと問いかけたが、明らかにその矛先はアメリカの支配層に向けられている。そして9月30日にロシア軍はシリアで空爆を始める。 ハーシュはイスラエル政府の役割についてほとんど触れていないが、アメリカの好戦派はベンヤミン・ネタニヤフ首相と近い。そのネタニヤフの側近であるマイケル・オーレンは駐米大使時代の2013年9月、公然とシリアのバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。デンプシー議長下のアメリカ軍がシリア政府と情報の交換を始めた時期と重なる。 ネタニヤフのスポンサーがカジノを経営しているシェルドン・アデルソンで、2013年にはイランを核攻撃で脅すべきだと主張していた。そのアデルソンは2014年2月に来日、安倍晋三首相のグループとの親密な関係も指摘されている。 ネオコンはイスラエルのほか、サウジアラビアやトルコとも手を組んでいる。最近、イラクでの戦闘で死亡したIS幹部の持っていた携帯電話が回収され、トルコの情報機関からの連絡内容からトルコ政府がISを支援していることが明確になったという。
2015.12.23
アメリカをはじめとするNATO、サウジアラビアやカタールといったペルシャ湾岸産油国、そしてイスラエルはAQI/アル・ヌスラなどサラフ主義者/ワッハーブ派系の戦闘集団を傭兵として使っている勢力はシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すために利用、その傭兵たちはキリスト教徒だけでなく、イスラム教徒もユダヤ教徒も仏教徒も無神論者も惨殺してきた。そうした勢力と戦い、アサドはキリスト教徒も守ってきたのだとカトリック教徒は声を上げている。 ジョージ・H・W・ブッシュ政権は1991年1月から3月にかけてイラクへ攻め込んでいたが、サダム・フセイン体制を倒さないまま戦闘を終了させた。これに怒ったネオコン/シオニストのポール・ウォルフォウィッツ国防次官はその直後、イラク、シリア、イランを5年以内に殲滅すると口にしたと語ったのはヨーロッパ連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めていたウェズリー・クラーク大将。 何度も書いてきたが、ウォルフォウィッツなどネオコンは1992年のはじめ、国防総省のDPG草案という形で世界制覇プロジェクトを作成した。ロシアを属国化することに成功し、中国支配層は買収済みという前提で書き上げられたもので、旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰すと同時に、ライバルを生む出しかねない膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようという計画だった。この草案に基づいて作成された報告書「米国防の再構築」をネオコン系シンクタンクのPNACは2000年に発表、執筆者のひとりがアメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補の夫であるロバート・ケーガンだ。 大きな変革には「新たな真珠湾」が必要だとPNACは報告書の中で主張しているが、その「新たな真珠湾」が2011年9月11日に引き起こされた。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、それを利用して国内ではファシズム化を促進、国外では軍事侵略を大々的に始めたのだ。 2003年にイラクを破壊、2011年にはリビアより1カ月遅れ、3月からシリアで戦闘が始まる。リビアではNATOの空爆とアル・カイダ系武装集団LIFGの地上攻撃が連携してムアンマル・アル・カダフィ体制を倒し、その後に戦闘員と武器/兵器はNATOの力を借りてトルコ経由でシリアへ持ち込まれた。 しかし、シリア軍はリビア軍に比べて格段に強く、シリア国民の大半もNATO加盟国、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルを後ろ盾とする武装集団を侵略軍と位置づけ、抵抗を始める。しかも、リビアにおける西側の行動を見たロシアがシリアでは積極的に動き、しかもリビアでNATOとアル・カイダ系武装集団との連携が明白になり、同じ手口は使えなくなってしまった。 そして2012年5月に引き起こされたのがホムスでの住民虐殺。反政府勢力や西側の政府やメディアはシリア政府軍が実行したと宣伝、これを口実にしてNATOは軍事侵攻を企んだが、宣伝内容は事実と符合せず、すぐに嘘だとばれてしまう。その嘘を明らかにしたひとりが現地を調査した東方カトリックの修道院長。 カトリック系の通信社が修道院長の報告を掲載したが、その中で反政府軍のサラフ主義者や外国人傭兵が住民を殺したとしている。ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙も、キリスト教徒やスンニ派の国会議員の家族が犠牲になっていると伝えた。 「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」とその修道院長は語っている。また、現地で宗教活動を続けてきたキリスト教の聖職者、マザー・アグネス・マリアムも外国からの干渉が事態を悪化させていると批判した。 2013年3月にアレッポで化学兵器が使われたが、イスラエルのハーレツ紙も書いたように、状況から反政府軍が使った可能性が高く、国連独立調査委員会メンバーのカーラ・デル・ポンテも反政府軍が化学兵器を使用した疑いは濃厚だと発言している。ロシア政府も独自に試料を分析、サリンや砲弾は「家内工業的な施設」で製造されたもので、反政府軍が使ったとする推測を公表している。 その年の8月21日にはダマスカス郊外が化学兵器で攻撃され、西側の政府やメディアはシリア政府軍が使ったと宣伝、NATOを軍事介入させようとするのだが、ロシアが素早く動き、反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射されてゴータに着弾したとする報告書を出した。 その後、12月には調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもこの問題に関する記事を発表、反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があると書いた。国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授も化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。 西側の化学兵器話が嘘だという報告、分析はこれ以外にもあるが、それでもNATOは攻撃すると言われていた。攻撃が噂されていた9月3日には実際、地中海からシリアへ向かって2発のミサイルが発射される。 このミサイル発射はロシアの早期警戒システムがすぐに探知、明らかにされるが、ミサイルは途中で海へ落下してしまった。イスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、ジャミングなど何らかの手段で落とされたのではないかと推測する人もいる。今から考えると、自分たちの軍事力水準が高いことをロシアが見せつけ始めたはじめだった。 現在、戦乱を世界に広げようとしているシオニスト、ワッハーブ派/サラフ主義者、巨大資本は巨大な力を持ち、メディアを使った情報操作で人びとを操ろうとしている。そうした中、カトリック教徒は声を上げ続けてきたが、宗派に関係なく少なからぬ人が嘘に気づき始めている。おそらく最も鈍感な人が住んでいる国が日本だ。
2015.12.22
イラクのファルージャでカナダ空軍機がイラク軍を攻撃したと伝えられている。現在、IS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)と呼ばれているサラフ主義者/ワッハーブ派系の戦闘集団が2014年1月に「イスラム首長国」の建国を宣言したのはこの地域で、ISとイラク政府軍との戦闘が続いている。 イラク議会の安全保障国防委員会の委員長によると、先週もアメリカが主導する連合軍がイラク軍を空爆して20名とも30名とも言われる兵士が殺され、同じ程度の人数の兵士が負傷したという。少なくとも結果としてISを支援していることになる。ISの内部にフセイン時代の軍幹部が参加していることは確かだが、ISをフセイン体制の残党だと考えるべきではない。 こうした「誤爆」や物資の「誤投下」が繰り返す一方、ISなどアル・カイダ系武装勢力の兵站ラインや盗掘石油の密輸をアメリカ政府は黙認してきた。こうした点をメディアに問われたCIAのマイケル・モレル元副長官は、副次的被害のほか環境破壊を防ぐためだと主張して失笑を買っている。 こうした兵站を担当、盗掘石油の輸送で大儲けしているのが現在のトルコ大統領、レジェップ・タイイップ・エルドアンの一家。背後にアメリカ/NATOやサウジアラビアが存在しているとは言え、トルコ政府はサラフ主義者/ワッハーブ派系の戦闘集団を攻撃していたロシア軍機を撃墜させている。そのトルコ政府と友好を促進する政府も碌でなしだと見られるだろう。 空爆で武装勢力を壊滅できるかどうかという議論があるらしいが、中東/北アフリカではそれ以前の問題がある。つまり、アメリカ主導の連合軍はサラフ主義者/ワッハーブ派系戦闘集団を敵と考えているのか味方と考えているのか、住民の蜂起と認識しているのか侵略者だと認識しているのかということだ。 本ブログでは何度も書いてきたが、歴史的にアメリカ、サウジアラビア、イスラエルをはじめとする国々はサラフ主義者/ワッハーブ派系戦闘集団を傭兵として使ってきた。ロビン・クック元英外相が指摘しているように、そうした戦闘員のコンピュータ・ファイルがアル・カイダ。アラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳としても使われているのだ。 ISが建国を宣言する1年5カ月前にアメリカ軍の情報機関DIAが作成した文書には、反シリア政府軍の主力をサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIだとし、アル・ヌスラはAQIがシリアで使っている名称にすぎず、そうした武装勢力は西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けていると書いている。前のイラク首相、ヌーリ・アル・マリキはサウジアラビアやカタールが反政府勢力へ資金を提供していると2014年3月に発言しているが、これは歴史的な構図だ。 アメリカがサウジアラビア、パキスタン、イスラエルなどの協力を得てサラフ主義者/ワッハーブ派系の戦闘集団を編成したのは、ジミー・カーター米大統領の補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーが1979年7月に始めたプロジェクトに基づく。ソ連を刺激して軍隊をアフガニスタンへ誘い込み、そこでイスラム武装勢力と戦わせるというプランだ。その目論見通り、ソ連の機甲部隊が1979年12月にアフガニスタンへ軍事侵攻している。 その後、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されるが、その攻撃を利用し、2003年には無関係のイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を破壊した。AQIがイラクで編成されたのは、その翌年。2006年にはAQIが中心になってISIなるグループが作られ、活動範囲のシリアへの拡大に伴い、今ではISと呼ばれている。 WikiLeaksが公表した文書によると、ISIが編成された2006年にアメリカ政府はサウジアラビアやエジプトと手を組み、宗派対立を煽ってシリアを不安定化させる工作を始めたという。2007年3月5日付けニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュのレポートでは、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの「三国同盟」がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したと指摘されている。その手先になるのがサラフ主義者/ワッハーブ派系の武装集団だ。 勿論、アメリカ政府はサラフ主義者/ワッハーブ派系戦闘集団を敵と考え、その戦闘集団の戦いは住民の蜂起だということにした方が西側では生きやすい。が、事実を調べていけば、そうした結論に到達しないだろう。
2015.12.22
シリア軍情報部の情報として、アレッポ北部で行われているシリア軍の軍事作戦に参加するため、イラクから約1500名の戦闘員が合流、さらに数百名が参加しようと現地へ向かっているとする話が伝えられている。すでにイランからの援軍やヒズボラの戦闘員がシリア軍と手を組んで戦っているが、そこにイラクが加わろうとしている。破壊したはずのイラクがアメリカ支配層の前に再浮上してきたとも言えるだろう。 1991年にポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)はイラク、シリア、イランを5年以内に殲滅すると語ったというが、その3カ国が手を組むことになった。ネオコン/シオニストやイスラエルがイラクからサダム・フセインを排除したがっていた理由のひとつはイラクに「親イスラエル体制」を樹立、イランとシリアを分断することにあったが、この目論見は崩れたわけだ。しかも、この3カ国はロシアと連携、ネオコンは結果として中東におけるロシアの影響力を拡大させることになった。 シリアでの戦闘はリビアより1カ月遅れ、2011年3月に始まった。リビアではNATOの空爆とアル・カイダ系武装集団LIFGが連携して同年10月にムアンマル・アル・カダフィ体制を倒した。2001年9月11日以降、アメリカは「アル・カイダ」を「テロリスト」の象徴として扱い、その「テロリスト」と戦うという名目で自国憲法の機能を停止、国外では破壊と殺戮を繰り広げてきたのだが、その嘘が発覚してしまった。 2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAが作成した文書は、反シリア政府軍の主力をサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、その反政府軍を西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコが支援しているとしている。2011年3月にシリアで体制転覆を目指す戦闘が始まった当時からAQIは反政府軍を支援、アル・ヌスラという名前を使い、シリア各地で軍事作戦を展開したとも説明している。 シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作をアメリカ、イスラエル、サウジアラビアが始めたと調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けニューヨーカー誌で書いた。その中でサウジアラビアと緊密な関係にあると指摘されているのがムスリム同胞団とサラフ主義者。秘密工作の実行部隊ということだろう。また、WikiLeaksが公表した文書によると、2006年にアメリカ政府はサウジアラビアやエジプトと手を組み、宗派対立を煽ってシリアを不安定化させる工作を始めたとしている。 カダフィ惨殺後、NATOの協力で戦闘員や兵器はシリアなどへ運ばれたが、「アル・カイダ」というタグは使いにくくなった。そうした中、登場してきたのがIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)。2004年10月にAQI(イラクのアルカイダ)が登場、06年10月にAQIが中心になってISI(イラクのイスラム首長国)が編成され、その活動範囲がシリアへ拡大したことを受けて13年4月からISと呼ばれるようになったとされ、AQIもアル・ヌスラもISIもISも実態は同じように見える。 しかし、その実態を決まった組織だと考えてはならない。1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックによると、「アル・カイダ」とはCIAから訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味、「データベース」の訳としても使われている。 つまり、IS/ISI/AQI/アル・ヌスラなどはデータベースに登録された傭兵によって編成された戦闘集団で、その雇い主のプランに従ってタグは付け替えられ、姿を変える。その雇い主とはアメリカ、イギリス、フランス、トルコのNATO加盟国、サウジアラビア、カタールのペルシャ湾岸産油国、そしてイスラエル。 現在、AQI/アル・ヌスラやISと戦っているのはシリア、イラン、イラク、そしてロシア。NATO加盟国、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルは「テロリスト」の雇い主であり、当然のことながら彼らを攻撃してこなかった。この単純な構図を見ようとしない人は、複雑怪奇な「説明」をしなければならなくなる。 こうした構図があるため、AQI/アル・ヌスラやISを本当に攻撃しているロシア軍の爆撃機をトルコ軍の戦闘機が撃墜した。そのトルコ軍に撃墜を命令、あるいは承認したのがNATOだ。そのNATOで中心的な役割を果たしているのがアメリカであり、そのアメリカとの集団的自衛権を推進してきたのが安倍晋三政権。トルコ軍の「戦争行為」が引き金になって戦争が本当に始まった場合、自動的にNATOとロシアとの戦争になり、必然的に日本もロシアや中国と核戦争を始めることになる。
2015.12.21
【ケリー国務長官の訪露】 アメリカのジョン・ケリー国務長官は12月15日にロシアを訪問、セルゲイ・ラブロフ外相に続いてウラジミル・プーチン大統領と会談した。その後、ケリー長官はシリアの体制を転換させようとはしないと発言する一方、バシャール・アル・アサド大統領はその地位から降りるべきだとも語った。アサド体制の打倒を主張し続けているネオコン/シオニストに配慮したのかもしれないが、そのネオコンはケリー長官がアメリカ政府とロシア政府は考え方が根本的に同じだとしていることに反発している。ロシア政府の主張は一貫、シリアの将来を決めるのはシリア国民だとしている。【アル・カイダ】 本ブログでは何度も書いているように、2011年3月からシリアで始まった戦闘は軍事侵略であり、「内戦」ではない。侵略の黒幕はNATOに加盟しているアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、ペルシャ湾岸産油国のサウジアラビア、カタール、そしてネオコンと一心同体の関係にあるイスラエル。DIA(アメリカ軍の情報機関)が2012年8月に作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQIで、このAQIはアル・ヌスラと同じ組織。 サラフ主義者とはワッハーブ派と重なる集団。そしてワッハーブ派とはサウジアラビアの国教。ムスリム同胞団はガマール・アブデル・ナセルの暗殺を試みて失敗、逃げ込んだ先がサウジアラビアだったことからワッハーブ派の影響を強く受けている。 サウジアラビアを含む反シリア政府軍の黒幕は自国の特殊部隊をシリアへ潜入させていたと言われている。例えば、イスラエルでの報道によると、シリア国内にはイギリスとカタールの特殊部隊が潜入、ウィキリークスが公表した民間情報会社ストラトフォーの電子メールによると、アメリカ、イギリス、フランス、ヨルダン、トルコの特殊部隊が入っている可能性がある。すでにイギリスの特殊部隊SASの隊員120名以上がシリアへ入り、ISの服装を身につけ、彼らの旗を掲げて活動しているとも報道された。 AQIなるアル・カイダ系の組織が登場するのは2004年、つまりイラクのサダム・フセイン体制をアメリカ主導の連合軍が破壊した翌年。2006年にISI(イラクのイスラム国)が編成された際にはその中核となり、今ではISなどと呼ばれている。つまりAQI、アル・ヌスラ、そしてISは基本的に同じ戦闘集団だ。 2014年1月にファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にモスルを制圧してからISは広く知られるようになったと言えるだろうが、その一因はトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレードしたことにある。その際、アメリカの軍や情報機関は衛星や航空機による偵察、通信の傍受、地上の情報網などで動きをつかんでいたはずだが、反応しなかった。 DIAは2012年の段階でサラフィー主義者がシリア東部に支配地を作ると警告していた。そのように警告された上でアメリカ政府は動いている。文書が作成されたときにDIA局長だったマイケル・フリン中将は文書が本物だと認めた上で、そうした勢力をアメリカ政府が支援してきたのは政府の決定だと語っている。その決定に基づいてISは勢力を拡大したのだ。【ロスチャイルド】 このISにはいくつかの資金源があるが、その中心は盗掘石油の密輸で、その密輸ルートをロシア軍が破壊している。これまで石油の密輸を放置してきたことに関し、CIAのマイケル・モレル元副長官は副次的被害のほか、環境破壊を防ぐためだと主張して失笑を買った。 この密輸で中心的な役割を演じてきたひとりがビラル・エルドアン。レジェップ・タイイップ・エルドアン・トルコ大統領の息子だ。ビラルが所有するBMZ社が盗掘石油を輸送しているのだが、ビジネス全体ではジェネル・エネルギー社が黒幕だとされている。 このジェネル・エネルギー社はロンドンを中心とするタックス・ヘイブン網の一角を占めるジャージー島に登記されている。ジェネル・エネルジ・インターナショナルが投資会社のバラレスに買収されたのだが、この投資会社を創設したのはアンソニー・ヘイワード(元BP重役)、金融資本の世界に君臨しているナサニエル・ロスチャイルド、その従兄弟にあたるトーマス・ダニエル、そして投資銀行家のジュリアン・メセレル。 ちなみに、ナサニエル・ロスチャイルドの父親、ジェイコブ・ロスチャイルドが戦略顧問として名を連ねているジェニー社は、イスラエルが不法占拠しているゴラン高原で石油開発を目論んでいる。ジェイコブと同じように顧問を務めている人物にはリチャード・チェイニー、ジェームズ・ウールジー、ウィリアム・リチャードソン、ルパート・マードック、ラリー・サマーズ、マイケル・ステインハートなどがいる。ロスチャイルドがウクライナの利権に関係していることも本ブログでは何度か指摘した。 シリアやイラクでの盗掘石油の密売ではトルコ大統領の息子やナット・ロスチャイルドのほか、トルコ北部を支配するクルド勢力も加わっている。このクルド勢力をイスラエルは支援してきた。【TPP/TTIP/TiSA】 シリアだけでなく、中東全域、アフリカ、旧ソ連圏などに平和をもたらすためには、こうした富豪/巨大資本を押さえ込まなければならないのだが、こうした勢力は逆に既存の国を支配しようとしている。私的権力による世界制覇だ。その仕組みとしてTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)も導入しようとしている。
2015.12.20
イラクのファルージャ州アル・ジャイミヤでIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)の戦闘集団と戦っていたイラク軍の部隊をアメリカ軍が空爆、20名とも30名とも言われる兵士が殺され、同じ程度の人数の兵士が負傷したという。イラク議会の安全保障国防委員会の委員長が公表している。誤爆だとする説明には疑問が多い。 9月30日にロシア軍はシリア政府の要請を受け入れてアル・カイダ系武装集団のアル・ヌスラ/AQIやそこから派生したISを空爆、司令部や兵器庫だけでなく資金源にしている盗掘石油の関連施設や輸送に使われている燃料輸送車を破壊、シリア政府軍やイランからの援軍は重要な拠点を奪還しつつある。トルコ軍のF-16戦闘機によるロシア軍のSu-24爆撃機撃墜も逆効果だったようだ。アメリカは対戦車ミサイルTOWの供給を10月から増やしたとする情報もあるが、大きな効果は報告されていない。 イラクで盗掘された石油の相当部分はシリア北部を経由してトルコへ持ち込まれ、逆に物資はトルコから輸送されていたようだ。正体不明の航空機がISなどへ物資を投下しているとも言われるが、輸送量から考えると陸路の兵站ラインが重要だろう。そうした盗掘石油や物資の輸送ルートがロシア軍の空爆でズタズタになっている可能性が高く、イラクで戦う反政府武装勢力も厳しい状況だろう。 そうした中、トルコは戦車部隊などをイラクへ侵攻させて不法占領、イラク政府は抗議している。イラク北部ではクルド系の人びとが一種の自治国を作り、ペシュメルガと呼ばれる武装組織を保有、そのペシュメルガを訓練するとトルコ政府は説明していた。この武装集団はイラク政府を揺さぶるため、イスラエルが支援してきたと言われている。 イラクへ侵攻したトルコ軍に対し、アメリカ政府は撤退するように伝えたらしいが、その一方でISがトルコ軍を攻撃したとする情報が流れている。本ブログでは何度も書いているようにISは傭兵部隊。盗掘石油などの密輸で稼ぎ、自立した資金源を確保しているようだが、それもトルコや西側の巨大企業が協力しているからで、スポンサーなしには存在できない。そのISと戦っているイラク軍をアメリカ軍が攻撃したわけだ。
2015.12.19
先日、「ロシア もろ刃の対トルコ制裁」という見出しを掲げる新聞を見かけた。ロシア軍機を撃墜したトルコに対する制裁はロシア経済にとってもダメージだという脳天気な内容で、ロシアとトルコが戦争を始めてもおかしくない状況であり、そうなればロシアとNATOの軍事衝突に発展、アメリカに従属している日本もロシアと戦争を始めるということを理解していないのか、理解していない振りをしている。戦争にならなかったのはロシア政府が自重し、「制裁」に止めたからにほかならない。 9月30日からロシアはシリア政府の要請を受けてIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)やアル・カイダ系のアル・ヌスラ/AQIなどを攻撃、司令部や兵器庫などだけでなく資金源になっている盗掘石油に関連した施設、燃料輸送車を破壊していた。 その結果、バシャール・アル・アサド体制の打倒を目指すアメリカ/NATO、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルが使っている傭兵が敗走、傀儡体制の樹立という目論見は崩れはじめた。そうした状況下でのロシア軍機撃墜だ。WikiLeaksによると、10月10日にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はロシア軍機の撃墜を計画している。 ロシアは自国の戦闘機や爆撃機がアメリカ軍機と衝突するのを避けるため、事前に作戦計画を通告していた。当然、トルコ軍も知っていたはず。宇宙からは偵察衛星が見ていただろうが、それだけでなく、撃墜のときには2機のAWACS(空中早期警戒システム)機が監視、あるいは指揮していた。そのAWACSとはギリシャから飛び立ったNATOのものとサウジアラビアのもの。 ロシアの空軍参謀長が行った記者会見によると、ロシア軍のSu-24爆撃機が基地を離陸したのは午前9時40分で、午前9時51分から10時11分まで高度5650メートルで飛行、16分に目標を空爆、24分に撃墜された。その撃墜したトルコ軍のF-16戦闘機2機は午前8時40分に離陸、9時08分から10時29分まで高度4200メートルで飛行、着陸したのは午前11時だという。つまり、ロシア軍機が領空を侵犯しそうになったので緊急発進したわけではないということだ。トルコ領空への侵犯も否定している。事前にロシア軍機の飛行ルートを知っていたトルコ軍機は旋回しながら待ち伏せしていたのが実態。 トルコ側の主張でも、ロシア軍機は1.17マイル(1.88キロメートル)の距離を17秒にわたって領空侵犯しただけ。計算上、Su-24は時速398キロメートルで飛行していたことになるが、この爆撃機の高空における最高速度は時速1654キロメートルで、トルコ説に基づく飛行速度はあまりにも遅く、非現実的だ。もし最高速度に近いスピードで飛んでいたなら、4秒ほどでトルコ領空を通り過ぎてしまう。トルコ側にとって脅威だとは到底、言えない。 ロシアがアメリカ/NATOとの軍事衝突を避けようとしてきたことは間違いなく、これまでシリアでもウクライナでも西側の挑発に乗っていない。それを弱腰と考えた勢力が撃墜を目論んだ可能性はあるだろう。それでロシアは尻込みし、トルコとの国境近くでの空爆を止めると思ったのではないかということだ。つまり西側の好戦派が主張してきた「飛行禁止空域」の設定だ。 しかし、ロシアはミサイル巡洋艦のモスクワをシリアの海岸線近くへ移動させて防空体制を強化、さらに最新の防空システムS-400を配備し、約30機の戦闘機を「護衛」のために派遣、アメリカの対戦車ミサイルでも破壊できないT-90戦車も送り込んだ。事実上、ロシアがシリア北部に「飛行禁止空域」を設定、トルコ軍機によるISやアル・カイダ系武装集団の支援は難しくなっている。 理性的なロシア政府がアメリカ/NATOとの戦争を回避してくれるだろうとEUのエリートたちは期待し、アメリカ支配層に服従して買収され続けようとしてきたわけだが、ここにきて自分たちの置かれた危険な状況を理解しはじめている。 西側で増え始めた好戦派を快く思っていない勢力。その勢力が強くなりすぎないうちにロシアと戦争を始めようとしているのが好戦派だ。それを理解しているロシアのウラジミル・プーチン政権は自重してきたのだが、9月28日に国連で国家主権について語る前、アメリカの好戦派、つまりネオコン/シオニストはロシアのレッド・ラインを踏み越えたようである。国連での演説でプーチン大統領は西側の支配層に対し、暴力、貧困、社会破綻を招いて生きる権利さえ軽んじられる状況を作り上げたということを理解しているのかと言った。 経済的にはドルを基軸通貨とするシステムが揺らいでいるが、軍事的にもアメリカの優位が存在しないことをロシア軍は見せつけている。これまで世界の人びとはアメリカ支配層を恐れ、理不尽なことをされても沈黙してきたのだが、プーチンの言動を見てアメリカ離れをはじめた。アメリカ支配層の危機感は強いということでもある。絶対に負けられないネオコン(負けたら戦争犯罪人として裁かれる可能性がある)が「大量破壊兵器」を使おうとする可能性は小さくない。だからこそ、2007年の8月29日から30日にかけて、アメリカで核弾頭を搭載した9基の巡航ミサイルが行方不明になった事件は深刻なのだ。
2015.12.18
2013年8月21日にダマスカス郊外が化学兵器で攻撃され、西側の政府やメディアはシリア政府軍が使ったと宣伝、NATOを軍事介入させようとする。NATOが空爆し、アル・カイダ系武装集団などの傭兵部隊が地上で攻勢をかけるというリビア方式を目論んだと見られている。 同じ年の3月にはアレッポで化学兵器が使われ、シリア政府派すぐに調査を要求している。西側の政府やメディアは政府軍が使ったことにしようとしたが、イスラエルのハーレツ紙は状況から反政府軍が使ったと分析、国連独立調査委員会メンバーのカーラ・デル・ポンテも反政府軍が化学兵器を使用した疑いは濃厚だと発言している。ロシア政府も独自に試料を分析、サリンや砲弾は「家内工業的な施設」で製造されたもので、反政府軍が使ったとする推測を公表している。いずれも説得力があった。 こうした化学兵器の使用について、トルコの国会議員エレン・エルデムらは捜査記録などに基づき、トルコ政府の責任を追及している。化学兵器の材料になる物質はトルコからシリアへ運び込まれ、そこでIS(ISIS、ISIL、ダーイシュなどとも表記)が調合して使ったというのだ。この事実を公表した後、エルデム議員らは起訴の脅しをかけられている。 この化学物質を供給したのはジョージア(グルジア)のトビリシにあるアメリカの兵器に関する研究施設だとする情報が流れている。この施設を設計したのはベクテルで、問題の物質を製造や輸送にはジョージアの情報機関、ウクライナのネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)、トルコの情報機関、NATO、そしてアル・カイダ系武装集団が関わっているというのだ。 8月の攻撃に関し、現地を独自に調査したキリスト教の聖職者マザー・アグネス・マリアムはいくつかの疑問を明らかにしている。例えば、攻撃が深夜、つまり午前1時15分から3時頃(現地時間)にあったとされているにもかかわらず犠牲者がパジャマを着ていないのはなぜか、家で寝ていたなら誰かを特定することは容易なはずだが、明確になっていないのはなぜか、家族で寝ていたなら子どもだけが並べられているのは不自然ではないのか、親、特に母親はどこにいるのか、子どもたちの並べ方が不自然ではないか、同じ「遺体」が使い回されているのはなぜか、遺体をどこに埋葬したのか・・・・・また、国連のシリア化学兵器問題真相調査団で団長を務めたアケ・セルストロームは治療状況の調査から被害者数に疑問を持ったと語っている。 この攻撃が行われる10日ほど前、反シリア政府軍がラタキアを襲撃し、200名とも500名とも言われる住人が殺され、150名以上が拉致されたと言われている。化学兵器の犠牲者を撮影したとされる映像の中に、ラタキアから連れ去られた住民が含まれているとする証言もあった。 攻撃の直後、ロシアのビタリー・チュルキン国連大使はアメリカ側の主張を否定する情報を国連で示して報告書も提出、その中で反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、ゴータに着弾していることを示す文書や衛星写真が示されたとジャーナリストがフェースブックに書き込んでいる。 そのほか、化学兵器とサウジアラビアを結びつける記事も書かれ、10月に入ると「ロシア外交筋」からの情報として、ゴータで化学兵器を使ったのはサウジアラビアがヨルダン経由で送り込んだ秘密工作チームだという話が流れた。 12月になると、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもこの問題に関する記事を発表、反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるとしている。国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授も化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。 シリア政府がサリンで住民を攻撃したとする西側の宣伝を否定する情報が伝えられる一方、NATOのシリア攻撃が近いとする話も流れた。攻撃が噂されていた9月3日、地中海からシリアへ向かって2発のミサイルが発射される。このミサイル発射はロシアの早期警戒システムがすぐに探知、明らかにされるが、ミサイルは途中で海へ落下してしまった。イスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、ジャミングなど何らかの手段で落とされたのではないかと推測する人もいる。 サリン攻撃を行った国としてトルコとサウジアラビアの名前が挙がっている。この2カ国はシリアのバシャール・アル・アサド政権と戦っている武装集団を支援することで合意したと今年5月に報道されていたが、トルコとサウジアラビアは2011年春にシリアで戦闘が始まった当初から反アサドで手を組んでいる。レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はサウジアラビアから選挙資金を得ているとも言われている。2カ国以外の仲間はアメリカ、イギリス、フランス、カタール、イスラエル。 WikiLeaksが公表した文書によると、2006年にアメリカ政府はサウジアラビアやエジプトと手を組み、宗派対立を煽ってシリアを不安定化させる工作を始め、2007年3月5日付けニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュのレポートはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの「三国同盟」がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したとしている。 また、ネオコンのポール・ウォルフォウィッツは1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしていたと、ヨーロッパ連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官だったウェズリー・クラーク大将は証言した。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺では攻撃予定国リストが作成され、そこにはイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンの名前が載っていたともいう。 サウジアラビアがムスリム同胞団とサラフ主義者と緊密な関係にあることは有名だが、2012年8月にDIA(アメリカ軍の情報機関)が作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI。アル・カイダ系武装集団の戦闘員も多くはサラフ主義者、ムスリム同胞団で、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。 サラフ主義者はワッハーブ派と考えても良いが、この集団は18世紀にサウジアラビアを支配しているイブン・サウード家と結びつくことで勢力を拡大した。イブン・サウード家は破壊、殺戮、略奪を正当化するのに都合が良い宗派だということで手を組んだようだ。このコンビに目をつけ、利用したのが「大英帝国」。 ムスリム同胞団は1954年にエジプトのガマール・アブデル・ナセルを暗殺しようとして失敗、非合法化されたが、このときに保護したのがサウジアラビア。その結果、ムスリム同胞団はワッハーブ派の影響を強く受けることになった。なお、その2年後にはイギリスの対外情報機関MI6がナセル暗殺の検討をはじめている。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) ところで、フォーリン・アフェアーズ誌に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文「未来のための変革と再編」でロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張された翌年、ハーシュはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリアやイランをターゲットにした秘密工作を始めたと書いた。 ハーシュの記事が出た2007年の8月29日から30日にかけてアメリカでは重大な事件が起こっている。核弾頭W80-1を搭載した巡航ミサイルAGM-129が行方不明になったのだ。合計6基。ミスだとされているが、軍の幹部が介在した計画的な不正持ち出しだった可能性が高く、イラン攻撃に使うつもりだったのではないかとも噂されている。ジョージ・W・ブッシュ大統領の動きにも疑惑がある。この事件に関係のある複数の軍人が事件の前後、不審な死に方をしているのだが、そのひとりである空軍将校が関係していた団体はサウジアラビアとつながっていた。
2015.12.17
IS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)は戦闘や移動の手段として小型トラックをよく使う。2014年1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧した際にトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレードしていたが、今話題になっているのはフォード製の小型トラック「F-250」。 フォード車の場合、パレードしたわけではない。荷台に設置した対空機関銃を撃っている様子がインターネット上に流れたのだが、その小型トラックには前の持ち主の名前と電話番号が書かれたままで、問題が起こった。 その元持ち主は配管業者で、会社のイメージが低下して嫌がらせの電話がかかるようになり、仕事に支障をきたしているようだ。そこで中古車のディーラーを訴えたという。問題の小型トラックを売る際、中古車に書かれた文字などを消してから転売することになっていたのだが、業者はその義務を怠ったことが理由だとしている。 トヨタ車の場合、アメリカ国務省がシリアの反政府勢力へ提供した小型トラックの一部だということが判明しているが、フォード車の場合は2013年10月に中古業者へ売られ、11月のオークションで落札、12月にテキサス州ニューストンからトルコへ運ばれた。そこからISの手に渡ったわけである。 トルコが武器を含む物資の供給拠点、つまり兵站ラインの出発点だということは本ブログでも繰り返し書いてきた。世界的に見れば、公然の秘密。アル・カイダ系武装集団やISが資金源にしている盗掘石油の密輸ルートで最も重要なものはトルコへつながり、そこからイスラエルへ運ばれている。こうした動きを当然、アメリカ政府も熟知しているはず。 ISがモスルを制圧する際、そうした動きをアメリカ軍は偵察衛星、偵察機、通信傍受、地上の情報網などでつかんでいたはずだが、傍観していた。モスル制圧の際、イラク軍は戦うことなく武器弾薬を置いたまま撤退、ISの武装を充実させることになった。その当時に首相だったノウリ・アル・マリキはメーディ・サビー・アル・ガラウィ中将、アブドゥル・ラーマン・ハンダル少将、ハッサン・アブドゥル・ラザク准将、ヒダヤト・アブドゥル・ラヒム准将を解任している。ISのモスル制圧はアメリカがイラク軍の一部勢力と手を組んで仕組んだことだったように見える。 その後、盗掘密輸の関連施設や燃料輸送車をアメリカ軍が率いる同盟軍は攻撃せず、物資をIS側へ「誤投下」していたことが伝えられてきた。アメリカ軍の内部からは、4レーンを使って走る燃料車の車列を見ても黙っているようにアメリカ軍のパイロットは命令されているとする話が聞こえてくる。正体不明の航空機が物資をISやアル・カイダ系のアル・ヌスラへ投下しているとする報告もあるようだ。四輪駆動車のハンビーやM1エイブラムズ戦車などが大量に並んでいるのを発見しても、国防総省の命令で手を出さないことになっていたという。 アメリカ軍がISの兵站ラインや盗掘石油の輸送をを攻撃してこなかったことを問われたCIAのマイケル・モレル元副長官は副次的被害のほか、環境破壊を防ぐためだと主張して失笑を買った。アメリカ政府が言うところの「テロとの戦い」がインチキだということを知られるようになり、弁明に窮しているということだろう。 ISの戦闘員が2012年にヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカの情報機関や特殊部隊によって軍事訓練を受けたと言われているが、その年の8月にアメリカ軍の情報機関DIAが作成した文書の中で、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。 シリアで体制転覆を目指す戦闘が始まった当時からAQIは反政府軍側。彼らはアル・ヌスラという名前を使い、シリア各地で軍事作戦を展開したともいう。そのDIAは2013年6月、アル・ヌスラに神経ガスの生産、使用する能力があると警告する報告書を提出している。 アメリカを中心とする同盟軍がイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を破壊した翌年の2004年にAQIは組織され、06年にISIが編成されるときには、その中心になった。このISIは活動範囲をシリアへ拡大し、今ではISと呼ばれている。つまり、AQIもアル・ヌスラもISも実態は同じだ。 DIAの報告書でも反シリア政府軍の中心メンバーはサラフ主義者やムスリム同胞団だとしているが、アル・カイダ系武装集団の戦闘員は同じことが言える。1970年代の後半にズビグネフ・ブレジンスキー米大統領補佐官(当時)がソ連軍と戦わせる戦闘集団を編成した時から変化はない。 このサラフ主義者はサウジアラビアの国教であるワッハーブ派と重なる。西側ではスンニ派と表現することが少なくないが、一般のスンニ派とは根本的に違う集団だ。フセイン体制で実権を握っていたのがスンニ派で、ISの内部にフセイン時代の軍幹部が参加していることは確かだが、ISをフセイン体制の残党だと考えるべきでない。 フセイン体制を倒すべきだと1980年代から主張していたのはネオコン/シオニストやイスラエル。元々はCIAの手先として台頭した人物だが、ネオコンやイスラエルからみると自立しすぎていた。 そこで完全な自分たちの傀儡体制を築くか、戦乱で破綻国家にしてしまおうと考える。そのプランを1991年にネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官は口にしたわけだ。その体制転覆にシーア派を利用したのだが、フセイン体制を倒した後に傀儡体制を樹立することに失敗、イラクは現在、イランやロシアへ接近している。 アメリカ軍が「シーア派を使いスンニ派を虐殺。そのスンニ派から生まれたのがイスラム国」だと説明する人もいるようだが、正しいとは言えない。ISは「スンニ派から生まれた」のでなく、アメリカをはじめとするNATO、サウジアラビアなどのペルシャ湾岸産油国、そしてイスラエルのプランに従い、ワッハーブ派を中心とする戦闘員で編成された武装集団なのであり、シーア派もスンニ派もキリスト教徒も無神論者も虐殺している。ISは「造反者」でも「レジスタンス」でもなく、ウォルフォウィッツ・ドクトリンを実現するための「傭兵」にすぎないと言うべきだろう。
2015.12.16
ロシアを訪問したアメリカのジョン・ケリー国務長官はロシアのセルゲイ・ラブロフ外相と会談、IS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)は全ての国にとって脅威だということで合意したというが、この合意がアメリカ政府とロシア政府との合意なのかどうかは不明だ。例えば、こんなことがあった: ケリー長官は5月12日にキエフでペトロ・ポロシェンコ大統領と会い、クリミアやドンバス(ドネツクやルガンスク/ナバロシエ)の奪還を目指す作戦を実行してはならないと言明、その足でロシアのソチを訪問してウラジミル・プーチン大統領らと会談してミンスク合意を支持する姿勢を示した。 ところが、その直後にキエフ入りしたビクトリア・ヌランド国務次官補は5月14日から16日にかけてポロシェンコ大統領のほかアルセニー・ヤツェニュク首相、アルセン・アバコフ内務相、ボロディミール・グロイスマン最高会議議長らと会談し、ケリー長官に言われたことを無視するように釘を刺したと言われている。アメリカ支配層は割れているのだが、バラク・オバマ米大統領はネオコンに引っ張られている。 ヌランドはネオコン/シオニストの一員で好戦派。彼女の夫はネオコンの大物として知られているロバート・ケーガンだ。ネオコンは1992年の初めに世界制覇プロジェクトを国防総省のDPG草案という形でまとめたが、それに基づいてネオコン系シンクタンクのPNACが作成、2000年に発表した『米国防の再構築』の執筆者としてロバート・ケーガンも名を連ねている。 2001年にアメリカ大統領となったジョージ・W・ブッシュはネオコンに担がれていた人物で、その政策は『米国防の再構築』に基づいている。この報告書はアメリカの国防(戦争/侵略)システムを根本的に変更する必要があると主張しているのだが、そのためには「新たな真珠湾」のような衝撃がなければならないともしていた。そして2001年9月11日、「新たな真珠湾」が引き起こされ、アメリカ国内では憲法の機能が停止されてファシズム化が進められ、国外では軍事侵略が始められた。 DPGが作成される直前、1991年にネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官はイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしていたとヨーロッパ連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官だったウェズリー・クラーク大将が話している。「9-11」の直後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺では攻撃予定国のリストが作成され、そこにはイラク、イラン、シリアのほか、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンの名前が載っていたという。 2011年10月にムアンマル・アル・カダフィ体制は倒され、カダフィ自身は惨殺されている。この時、リビア政府軍を空からNATOが攻撃、地上ではアル・カイダ系のLIFGが戦っていた。イギリスの特殊部隊SASの隊員や情報機関MI6のエージェントがリビアへ潜入していたとも伝えられているが、主力はあくまでもLIFGだ。NATO、つまりアメリカは「テロリスト」だとしていたアル・カイダ系武装集団と手を組んでいたのである。体制転覆に成功した後にベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされ、イギリスのデイリー・メイル紙も伝えていた。 リビアとほぼ同時にシリアでも体制転覆プロジェクトは進められていたが、リビアのようには進んでいなかった。そこで戦闘員や武器がシリアへ移動するのだが、その際、マークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。リビアから武器を運び出す拠点になっていたと言われているのがベンガジのアメリカ領事館。2012年9月に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使を含むアメリカ人4名が殺された場所だ。 NATOとアル・カイダ系武装集団との関係が広く知られるようになった2012年、アメリカなどは新たな戦闘集団を編成している。ロビン・クック元英外相も明らかにしたように、「アル・カイダ」とはCIAが雇い、訓練した戦闘員のコンピュータ・ファイル(データベース)にほかならなず、新たなタグをつけたグループを作り、そこへ登録された戦闘員を中核メンバーとして送り込むだけだ。 ケリーとラブロフが話題にしたISの歴史をさかのぼると2004年に組織されたAQIが現れる。2006年1月にAQIを中心にしてISI(イラクのイスラム国)が編成され、活動範囲をそのシリアへ拡大させてからISIS、あるいはISと呼ばれるようになった。 その間、2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でCIAや特殊部隊が反シリア政府軍の戦闘員を育成するために訓練、その中にISのメンバーが含まれていたと言われている。その年の8月にDIA(アメリカ軍の情報機関)が作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQIであり、アメリカ政府の政策を進めるとシリア北部からイラク北部へかけての地域が武装勢力に支配されることも予想していた。つまりISの勢力拡大はアメリカ政府の政策だった。 アル・カイダ系の武装集団にしろ、そこから派生したISにしろ、アメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールといった国々は深く関係している。傭兵にすぎないことも事実で、「派遣切り」も可能だが、そうなると切られた戦闘員がどう動くかという問題も出てくる。 こうした武装集団を生み出し、暴れさせていることだけでもネオコンの犯した罪は重いが、現在、ロシアを挑発して世界大戦、つまり核戦争の危機を高めている。このネオコンを支えている勢力の一角を日本が占めているのだが、「狂犬」と化したアメリカに見切りを付ける動きは世界に広まりつつある。イラク政府もロシアへの接近を図り、ロシア政府は軍事援助をはじめたようだ。アメリカ政府の脅しはきかなかったのだろう。日本は再び孤立への道を歩いている。
2015.12.15
12月2日にアメリカで銃の乱射事件があった。カリフォルニア州サン・バーナーディーノの福祉施設で14名が殺され、22名が負傷、実行犯とされるふたりも殺されたようだ。 アメリカならこの種の事件が引き起こされても不思議でないと少なからぬ人は感じたかもしれないが、「テロ」というタグがつけられた事件では「偽旗作戦」という話が出てくるのも珍しくない。今回もそうした話が流れている。 当初の報道では小銃を持ち、戦闘用の服を着た複数の白人男性が銃撃したとされていたが、その後、夫婦ということになった。当局の発表によると、妻はインターネット上でIS(ISIS、ISIL、ダーイシュとも表記)に忠誠を誓う書き込みをしていたという。 今回、注目されている事実のひとつは、乱射事件の当日、警察の特殊部隊SWATが訓練を予定していたこと。2013年4月15日にボストン・マラソンのゴールライン近くで爆破事件があったが、その時にも爆破事件を想定した訓練が行われていた。 ボストンの事件で犯人だとされたふたりは兄弟で、兄は殺され、弟は重傷を負った。この一家はCIAと関係が深く、容疑者のオジが結婚した相手はCIAの幹部だったグラハム・フラー。CIA時代にトルコ、レバノン、サウジアラビア、イエメン、アフガニスタン、香港を担当、1982年に近東・南アジア担当の国家情報オフィサーとなり、86年には国家情報会議の副議長に就任、88年には国防総省系のRANDコーポレーションへ移ったという大物だ。 しかも、兄をFBIは遅くとも事件の2年前に事情聴取している。「イスラム過激派」を支持している疑いがあると外国政府(ロシア)から警告されてのことだった。この年、彼はダゲスタンに滞在、その際にチェチェンも訪れて武装勢力の幹部、アミル・アブ・ドゥジャナ(別名、ガジムラド・ドルガトフ)にも会ったと伝えられている。兄弟の母親によるとFBIは3年から5年前から兄を監視、彼を「過激派」のリーダーだとしていたという。そうしたことから、母親は冤罪だと主張していた。 サン・バーナーディーノの襲撃事件より半月ほど前、フランスのパリでも襲撃事件があったとされている。約130名が殺され、数百人が負傷したとされているのだが、その痕跡が見あたらないこともあり、疑惑を口にする人は少なくない。(例えばココやココ/日本語訳) 同じような疑惑が今年1月、シャルリー・エブドの編集部が襲撃された事件でも指摘された。容疑者の特定は素早すぎないか、プロフェッショナル的な技術をイエメンやシリアでの訓練や実戦で身につけられるのか、襲撃に使った装備をどこで調達したのか、スキー帽で顔を隠している人間が身分証明書を自動車に置き忘れているのは「9-11」のときと同じように不自然ではないのか、襲撃しながら自分たちがイエメンのアル・カイダだと叫んでいるのもおかしくないか、襲撃の後、どのように非常線を突破したのか、事件の捜査を担当した警察署長のエルリク・フレドゥが執務室で拳銃自殺したのはなぜなのか、容疑者のひとりで射殺されたアメディ・クリバリが2009年にエリゼ宮でニコラ・サルコジと面談できたのはなぜか、そして歩道に横たわっていた警察官の頭部を襲撃犯のひとりが自動小銃のAK-47で撃って殺害したとされているのだが、頭部に損傷が見られず、周辺に血、骨、脳などが飛び散ることもなかったのはなぜか。 アメリカでは1982年にNSDD55が出され、一種の戒厳令プロジェクト、COGが始まった。FEMAの延長線上にあるのだが、新たな段階に入ったことは間違いない。さらに上の段階に進んだのは1988年。大統領令12656が出され、COGの対象は核戦争から「国家安全保障上の緊急事態」に変化したのだ。 その「国家安全保障上の緊急事態」が2001年9月11日に起こる。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎が攻撃されたのだ。そして「愛国者法」が出されてアメリカの憲法は機能を停止、ファシズム化が急速に進む。国外ではアフガニスタンに続いてイラクが先制攻撃された。 「9-11」では「アル・カイダ」が実行したとされたが、本ブログでは何度も書いているように、これは単なる戦闘員のデータベース。その大半はスンニ派(サラフ主義者/ワッハーブ派)だが、この戦闘員を使った軍事侵略がリビアやシリアで展開されている。雇い主はアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールなど。 ところで、2001年の9月10日から14日かけてNORADはロシア空軍の演習に対応するために戦闘機をアラスカやカナダ北部へ派遣、11日には旧ソ連の爆撃機による攻撃を想定した「ビジラント・ガーディアン」を行っていた。この年の5月31日から6月4日まで実施された「アマルガム・バーゴ01」は巡航ミサイルでアメリカの東海岸が攻撃されるという設定になっていたのだが、演習のシナリオの書かれた文書の表紙はオサマ・ビン・ラディンの顔写真が印刷されていたという。 国のあり方を変えてしまう「テロ」が起こるとき、なぜか軍事や治安に関係した演習が行われている。今回もSWATの訓練が予定されていた。このことも疑惑を生む一因だ。
2015.12.14
ロシアの哨戒艦「スメートリブイ」は12月13日、警告を無視して接近してきたトルコの漁船に対して威嚇射撃したという。哨戒艦はギリシャのレムノス島から22キロメートルのエーゲ海北部で停泊中だった。無線で何度も呼びかけても無視、船舶用信号やシグナルロケットにも反応しないで接近してくる漁船に対し、600メートルまで接近したところで射撃したとされている。漁船は応答しないまま航路を変更して去ったようだ。 11月24日にトルコ軍のF-16戦闘機はロシア軍のSu-24爆撃機を撃墜したが、本ブログではすでに書いたように、アメリカ/NATOが命令、あるいは承認した待ち伏せ攻撃だった可能性はきわめて高く、WikiLeaksによると、10月10日にレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はロシア軍機の撃墜を計画している。今回の漁船接近は体当たり攻撃の予行演習だったと見られても仕方がない。 漁船を使って軍艦を攻撃するというプランは、2002年9月にアメリカ軍が実施した図上演習「ミレニアム・チャレンジ2002」で大きな成果を上げていた。この図上演習はイラク侵攻作戦を想定したもので、赤チーム(イラク軍)の司令官に指名されたポール・バン・リッパー将軍はモスクから流れる暗号化されたメッセージで攻撃の準備をさせ、一斉攻撃で16隻のアメリカ艦船を沈めてしまったのだ。 JFCOM(アメリカ統合戦力軍)のウィリアム・カーナン司令官は沈没船を浮上させ、青チームを勝利させるように誘導したというが、この作戦を試したいとアメリカの好戦派が思ったとしても不思議ではない。 その当時、ドナルド・ラムズフェルド国防長官を含む好戦派はイラクを先制攻撃しようと目論んでいた。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたことを利用しようとしたのだが、統合参謀本部の抵抗で開戦できない状態だった。 トルコ軍機がロシア軍機を撃墜した段階でトルコとロシアは戦争になっても不思議ではなかった。トルコの黒幕がアメリカ/NATOである以上、アメリカとロシアが戦争になった可能性もあるのだ。そうした緊張状態の中でトルコの漁船がロシア側の警告を無視して接近したのも意図的だろう。 ロシアを実際に攻撃したトルコ、その背後にいるアメリカ、サウジアラビア、イスラエルはアル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)を編成、訓練、支援している国でもある。アメリカが主導する連合軍が本当にISを攻撃するはずはなく、実際に攻撃はしていない。 つまり、アル・カイダ系武装集団やISを攻撃しても問題の解決にならないから攻撃すべきでないという主張は本質的に間違っている。アメリカを中心とする勢力こそが、そうした「テロリスト」を生み、育て、使ってきたのだ。破壊と殺戮を止めさせる第一歩は、そうした国々に支援を止めさせること。戦闘員をシリアへ派遣することをやめ、物資の提供を止め、盗掘石油の買い入れを止めること。そこからはじめなければならない。ロシアはその第一歩を踏み出したため、アメリカの好戦派などは激怒しているのだ。その好戦派に服従しているのが安倍晋三政権である。
2015.12.13
アメリカはアル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)に対する米国製の対戦車ミサイルTOWの供給を10月から増やしたとする情報がある。TOWはすでに使われてシリア軍を苦しめていたのだが、ロシア軍の空爆がはじまるとシリア軍が反撃、対抗策としてアメリカはTOWの供給数を飛躍的に増やしたようだ。 11月24日にトルコ軍のF-16戦闘機がロシア軍のSu-24爆撃機を撃墜した後、地上のトルコ系部隊が脱出した乗組員を攻撃してひとりを殺害、救援に向かったロシアのヘリコプターMil Mi-8を撃ち落としたが、そのときにTOWが使われた可能性が高い。対抗上、ロシアはTOWの攻撃に耐えられるT-90戦車の投入台数を増やしている。なお、Su-24のパイロットを殺害した部隊を率いていた人物はトルコにおけるNATOの秘密部隊とされている「灰色の狼」に所属していた。 ロシア政府は世界大戦、あるいは全面核戦争を避けるため、アメリカ政府へ協力を呼びかけているが、アメリカの政治を動かしているネオコン/シオニストはロシアを攻撃するように要求、軍事的な緊張は高まっている。核戦争の恐怖を煽り、EUを従わせ、ロシアを屈服させようという「狂犬戦法」で、ロシアが理性的に動けば動くほど効果的。狂犬のボスはネオコンだ。 2011年春にシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒す軍事作戦をはじめたのはアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールといった国々。イギリスとフランスは国内の事情で関与の度合いを弱めていたが、「難民」の問題と「テロ」を利用して軍事的な関与を強めつつある。その第一目標はあくまでもアサド体制の打倒であり、アル・カイダ系武装集団やISを倒すことではない。 トルコ軍機がロシア軍機を撃墜した黒幕もアメリカ/NATOだった可能性はきわめて高い。ロシア軍は空爆の計画を事前にアメリカ/NATO側へ通告、トルコ軍へも伝えられていたはず。アメリカは偵察衛星で監視するだけでなく、ギリシャを拠点とするアメリカ/NATOのAWACS機、そしてサウジアラビアもAWACS機も飛行していた。 トルコ軍のF-16が午前8時40分に離陸、9時08分から10時29分まで高度4200メートルで飛行して午前11時に戻っているのだが、それに対してロシア軍のSu-24は午前9時40分に離陸、午前9時51分から10時11分まで高度5650メートルで飛行、16分に目標を空爆、24分に撃墜された。 トルコ軍機は緊急発進したわけでなく上空で待機、撃墜の際にはシリア領空を侵犯しているのだが、撃墜をトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が決めたのは10月10日だとWikiLeaksは主張、また11月24日から25日にかけてトルコのアンカラでトルコ軍幹部とポール・セルバ米統合参謀本部副議長が会談したことも注目されている。状況から考えて、トルコ軍機によるロシア軍機撃墜は周到な計画に基づいて実行されているが、その黒幕はアメリカ/NATOだとしか考えられない。 現在、トルコは戦車部隊などをイラクへ侵攻させて不法占領、イラク政府は抗議しているが、トルコ軍が撤退する兆候は見られない。この軍事侵略にトルコが反撃した場合、同盟国を守るためにNATOはイラクと戦争を始めるのだろうか? シリアへの軍事侵攻ではイスラエルも重要な役割を果たしている。アル・カイダ系武装集団やISを支援するためにシリア政府軍やイランの援軍を何度も空爆、負傷した反シリア政府勢力の戦闘員を戦場から運び出して治療している。 実は、イスラエルはアル・カイダ系武装勢力への支援を隠そうとしてこなかった。例えば、駐米イスラエル大使を務めていたマイケル・オーレンは2013年9月、アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。このオーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近で、イスラエル政府の意思だと考えて良いだろう。最近ではトルコが盗掘した石油の密輸で手を組んでいることも指摘されている。 アル・カイダ系武装勢力やISへの兵站ラインを確保、そうした集団が盗掘した石油の取り引きで大儲け、ロシア軍機を撃墜し、イラクへ軍事侵攻しているトルコを操っているのはアメリカ、サウジアラビア、イスラエルだということ。 2007年3月5日付けニューヨーカー誌でシーモア・ハーシュはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの「三国同盟」がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した書き、その中心にはリチャード・チェイニー米副大統領、ネオコン/シオニストのエリオット・エイブラムズ国家安全保障問題担当次席補佐官、ザルメイ・ハリルザド、そしてバンダル・ビン・スルタンがいるとしていた。 個々で登場する3カ国はトルコの黒幕と同じだが、その関係が注目されたのは1980年代のことだった。「イラン・コントラ事件」や「BCCIスキャンダル」で同盟関係が明らかにされたのだが、その背景にあったのがズビグネフ・ブレジンスキーが1970年代の後半にはじめたアフガニスタン工作。この時もTOWミサイルや携帯型のスティンガー対空ミサイルをスンニ派(ワッハーブ派/サラフ主義者)武装勢力に供給してソ連軍と戦わせている。この点でもアメリカは同じことを繰り返している。
2015.12.13
中東/北アフリカやウクライナをはじめとする地域で戦乱が拡がり、破壊と殺戮が繰り広げられている。そうした事態を終わらせるためにしなければならないことは何なのだろうか? 戦乱が拡がりはじめた当初、西側では「独裁者による弾圧」というイメージが広められた。その独裁者に向かって立ち上がった人たちの戦いということだが、時間を経るに従って実態は違うことが明確になる。中東/北アフリカではアル・カイダ系武装勢力やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)、ウクライナではネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が反政府軍の正体だった。 西側では「テロとの戦い」という表現が使われるが、テロリズムは戦術であり、テロリストはそうした戦術を使う人たち。「テロ」では抽象的すぎるので「アル・カイダ」なる名称が使われたが、これは故ロビン・クック元英外相が指摘したように、CIAが訓練した「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルにすぎない。アル・カイダとはアラビア語でベースを意味、「データベース」の訳語としても使われる。「アル・カイダ」も戦闘集団としての実態はなかった。 現在、特に問題なのはアル・カイダに登録された戦闘員で編成された集団、そこから派生したIS。アメリカ軍による破壊と殺戮で中東/北アフリカの経済は破綻、稼ぎのために傭兵として戦っている人もいるようだが、それでも戦闘員の主力はサラフ主義者/ワッハーブ派で、ウクライナのネオ・ナチとも結びついている。こうした戦闘集団は西側、ペルシャ湾岸産油国、そしてイスラエルの支配層が動かしていることを忘れてはならない。この同盟軍はロシア軍機も計画的に撃墜した。 集団的自衛権では「後方支援」が問題になった。つまり兵站だが、その重要性を理解しているなら、「テロリスト」を衰退させるため、西側支配層に支援を止めさせようとして当然。空爆を行う場合、司令部や武器/兵器庫だけでなく、兵站を潰さなければならないのだが、アメリカを中心とする連合軍は司令部も武器/兵器庫も兵站ラインも放置してきた。攻撃するのは手下でなく国民の生活に結びついたインフラや生活している人びとだ。 サラフ主義者/ワッハーブ派を中心とする武装勢力をアメリカ政府が編成、支援をはじめたのは1970年代の後半、ジミー・カーター政権においてだ。その中心にいた人物がズビグネフ・ブレジンスキー。この時にスンニ派の武装勢力が組織されたのだが、戦闘員の大半はサラフ主義者/ワッハーブ派だった。 「テロリスト」による殺戮と破壊の元凶はアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールだということがわかっている。こうした国々の支配層を止めなければ事態は改善されない。アル・カイダ系武装集団やISにとって、最も重要な兵站ラインはトルコからのものだが、それ以外にもヨルダンとイスラエルも無視できない。イスラエルは公然と反シリア政府勢力を支援してきた。 石川啄木は「われは知る、テロリストのかなしき心を・・・」という書き出しで始まる詩を1911年に書いている。1909年の伊藤博文暗殺、あるいは11年の「大逆事件」を題材にしているようだが、大逆事件は明確に冤罪だった。政府にとって目障りな勢力を弾圧するためのでっち上げ事件だということだ。 第2次世界大戦で日本が敗北、天皇制官僚国家の仕組みが揺らいだ日本では労働運動が盛り上がった。そうした動きを叩きつぶしたのが国鉄を舞台とした3怪事件、つまり1949年7月5日に引き起こされた下山定則国鉄総裁の誘拐殺人事件(下山事件)、同年7月15日に三鷹駅で引き込み線から無人の列車が暴走、6名が死亡した事件(三鷹事件)、同年8月17日に東北本線を走行中の列車が金谷川と松川との間で脱線転覆、機関士ほか2名が死亡した事件(松川事件)だ。政府はこれらの事件を共産党によるテロだと宣伝、左翼勢力は大きな打撃を受けたが、いずれもでっち上げだった。 この事件の実行者として名前が挙がっているのはジャック・キャノン中佐を中心とするZユニット(通称、キャノン機関)やCIA。キャノンとの関係でGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の情報部門、G2の部長で「小ヒトラー」とも呼ばれていたチャールズ・ウィロビー少将も噂の対象になっている。それに対し、当時のCIAは破壊活動部門が存在せず、日本での活動は制約されていたことから否定的な意見を持つ人が少なくない。 こうした議論が日本では続いてきたが、欠落している重要な機関が存在する。破壊活動を行うため、CIAの外部に設置されたOPCだ。局長はフランク・ウィズナーだったが、事実上の最高責任者はアレン・ダレス。ちなみに、ウィズナーもダレスもウォール街の弁護士である。 OPCはNATOの内部に設置された秘密部隊と密接な関係があるが、東アジアでも活動していた。当初の拠点は上海に置かれていたのだが、支援していた国民党軍が劣勢になって1949年1月に解放軍が北京へ無血入城、10月には中華人民共和国が成立した。こうした流れの中、OPCは上海から撤退して日本へ移動、6カ所の拠点を設置したが、その中心は厚木基地だったと言われている。 当然、OPCは中国での反撃を目論んでいたのだが、そのためにも日本の左翼陣営を潰す必要が生じた。そうした中、彼らにとって好都合なことに、国鉄を舞台とした3怪事件が引き起こされたわけである。1950年6月には朝鮮戦争が勃発、OPCは国民党軍を引き連れて中国侵攻を試み、失敗している。なお、OPCは1950年10月にCIAの内部へ潜り込んで52年8月に作られた計画局の中核となり、秘密工作の実態が明らかになった後の73年3月に作戦局へ名称を変更、2005年10月からはNCS(国家秘密局)として活動を続けている OPCがヨーロッパで組織した「NATOの秘密部隊」の中でもイタリアのグラディオは特に有名。1990年8月に同国のジュリオ・アンドレオッティ内閣がその存在を公的に確認、その年の10月には報告書を出している。その後、NATO加盟国では秘密部隊の存在が明らかにされていった。 グラディオは1960年代から80年代にかけ、極左グループを装って爆弾攻撃を繰り返したが、その間、イタリア北東部の森の中にあった武器庫のひとつが1972年、子供によって発見されてしまった。(Philip Willan, "Puppetmasters", Constable, 1991) 発見から3カ月後、不審車両をカラビニエーレ(国防省に所属する特殊警察)を調べていたところ、その車両が爆発して3名が死亡、ひとりが重傷を負った。事件を起こしたのは「赤い旅団」だとして警察は約200名のコミュニストを逮捕するが、捜査は止まり、放置された。 この事実をひとりの判事が気づいたのは1984年のこと。捜査の再開を命令、警察が爆発物について嘘の報告をしていたことが発覚、さらに、この警察官が右翼組織「新秩序」のメンバーだということも明らかになった。再調査の結果、使用された爆発物は「赤い旅団」が使っているものではなく、NATO軍が保有しているプラスチック爆弾C4だということも判明、100カ所以上の武器庫が存在している事実もつかんだ。追い詰められたアンドレオッティ首相は1990年7月に対外情報機関SISMIの公文書保管庫を捜査することを許可、そこでグラディオの存在が確認され、報告書を出さざるを得なくなったわけだ。 アメリカの支配層は自分たちの思い描く世界を実現するため、「テロリスト」を利用してきた。グラディオやネオ・ナチと同じように、アル・カイダ系武装集団やISはそうした種類の「テロリスト」であり、彼らとの戦いは必然的にアメリカ支配層との戦いになる。それを避けようとすれば、「テロリスト」に勝つことはできない。「テロとの戦いは失敗する運命」という主張は、アメリカ支配層との戦いを避ける方便のように聞こえる。 東京大学の鈴木宣弘教授は「TPPに反対してきた人や組織の中にも、目先の自身の保身や組織防衛に傾き、条件闘争に陥る人もいるだろう。」と指摘しているようだが、これはTPPに限った話ではない。反戦や平和を掲げている人や組織も、目先の自身の保身や組織防衛を優先して西側支配層を過度に刺激したくないと考えているようだ。
2015.12.12
11月30日に終了したIMF(国際通貨基金)の理事会は、中国の人民元を来年10月1日付けでSDRバスケットを構成する5番目の通貨として採用することを決めた。5月の段階では人民元を少なくとも今後1年間は採用しないと言われていたが、事情が変わったようだ。 そのIMFの広報担当は12月8日、通貨政策を変更すると発表した。これまでのルールでは、ある国の政府へ債務の返済が滞っている場合、IMFの融資は認められていなかった。ウクライナはロシアへの債務返済を拒否しているので、このルールに従うとIMFは追加融資することはできない。 現在、ウクライナ政府とされているのはキエフのクーデター政権。西側巨大資本の傀儡で、ナチズムを継承、ロシアを敵視している。クーデターが実行されたのは昨年2月のことで、ネオコン/シオニストが主導、最前線の暴力部隊はネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)。ネオ・ナチはNATOの支援を受けていたことも判明している。このクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領が排除されたわけだが、勿論、これは憲法に違反している。 アメリカ支配層はウクライナを属国化するため、2004年から05年にかけて「オレンジ革命」を仕掛けた。この「革命」は西側の巨大資本や富豪たち、あるいはロシアのオリガルヒがスポンサーで、選挙で勝利したビクトル・ヤヌコビッチを排除することに成功し、傀儡のビクトル・ユシチェンコを大統領に就任させた。 この「革命」は「民主化」だと宣伝されたが、間もなく化けの皮が剥がれ、2010年には選挙で勝ったヤヌコビッチが大統領に就任する。ヤヌコビッチはウクライナの東部や南部が地盤で、西側との関係は比較的弱い。このヤヌコビッチを排除するために実行されたのが昨年2月のクーデターだ。 アメリカ支配層の代理人、例えばネオコンのビクトリア・ヌランドは2013年12月に米国ウクライナ基金の大会で演説した際、1991年からウクライナを支援するため、50億ドルを投資したと発言している。巨大資本がカネ儲けしやすい体制に作り上げることが目的だ。 このヌランドがジェオフリー・パイアット駐ウクライナ大使と電話で話し合っている内容が昨年2月4日、YouTubeで公開された。その中でヌランドは「次期政権」の閣僚人事を話し合い、アルセニー・ヤツェニュクなる人物を高く評価していた。元々は弁護士として活動していたが、1998年から2001年までキエフを拠点とする銀行で働き、2003年から05年まで国立銀行の第1副頭取、05年から06年までは経済相、07年には外相、07年から08年にかけては国会の議長を務めている。 この会話が明らかにされると、日本のマスコミは「EUなんかくそくらえ(Fu*k the EU)」という下品な言葉を使ったと話題にしていたが、問題は別のところにあったということだ。この発言は話し合いで解決しようとしていたEUに対する怒りの表現。話し合いではヤヌコビッチを排除できない可能性が高く、それをヌランドは嫌った。暴力的に大統領を排除したかったのだ。 この会話が公表された後、2月18日頃からネオ・ナチを中心とする集団はチェーン、ナイフ、棍棒を手に、石や火炎瓶を警官隊へ投げつけ、ブルドーザーも持ち出してくる。中にはピストルやライフルを撃つ人間も出始めた。その翌日、平和的な抗議活動を暴力で弾圧したアメリカの大統領、バラク・オバマはウクライナ政府に対し、警官隊を引き揚げさせるべきだと求めている。 混乱を収束させるため、2月21日にヤヌコビッチ大統領は反ヤヌコビッチ派と平和協定に調印したが、その協定を潰すかのように、22日に狙撃で多くの死者が出始める。議会の議長を務めていたボロディミール・リバクは「EU派」の脅迫で辞任させられ、アレクサンドル・トゥルチノフが後任になる。憲法の規定を無視して新議長を議会が大統領代行に任命したのはこの日だ。 この狙撃について西側のメディアは政府側の仕業だと宣伝していたが、2月25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相は翌日、キャサリン・アシュトンEU外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)に対し、反政府側が実行したと強く示唆している。この狙撃を指揮していたのがパルビーだと言われているわけだ。 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」そして、「新連合はもはや信用できない。」 西側も反ヤヌコビッチ派の内部にネオ・ナチが存在していることは認識していた。例えば、クーデターの直後、2月下旬にBBCはこの事実を報道し、9月にはガーディアン紙がアゾフがネオ・ナチだと伝えている。EUのアシュトンもそうした背景を知っていたからこそ、パエト外相の報告を封印しようとしたのだろう。 ウクライナのクーデター議会は3月27日に「危機対策法」を承認した。IMFが140億ドルから180億ドルの融資をする条件としていたもので、緊縮政策の受け入れ、通貨フリブナの対ドル相場をこれまでより自由に変動できるようにし、天然ガス価格の引き上げ、エネルギー部門の財務見直しなどが求められている。この頃、ウクライナ政府が保有していた金のインゴットがアメリカへ秘密裏に運び去られたと伝えられている。 ウクライナの東部や南部でネオ・ナチのクーデターを拒否する動きが広がる中、4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問するが、その2日後にアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が東部や南部の制圧作戦を承認した。22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、その直後から軍事力の行使へ急速に傾斜し、IMFの融資が決まる。IMFは東部や南部の制圧を強く求めていたようだ。 しかし、西側の要求を呑めばウクライナが破綻することは明確。だからこそヤヌコビッチはブレーキをかけたのだが、西側の金融界はウクライナが破綻しても資金を投入するとしている。そうしないと支配層が儲けられないからだ。例えば、国が破綻していることから下落したウクライナ国債をロスチャイルドのファンド、フランクリン・テンプルトンは買い占めている。 安値で国債を買いあさり、満額で買い取らせるというのが「ハゲタカ・ファンド」のやり口で、フランクリン・テンプルトンも同じ手口を使うと見られている。IMFが融資した資金でウクライナ政府は国債を満額で購入し、債権者になったIMFはウクライナ政府に対して緊縮財政で庶民へ回るカネを減らすように命令、規制緩和や私有化の促進で巨大資本を大儲けさせようとしているのではないかということだ。つまり、この問題だけでもIMFは融資を止めるわけにいかない。 今回、IMFはウクライナへ融資を続けるためにルールを変えたのだが、新ルールは住民弾圧を問題にしていない。最近、クーデターを実行したネオ・ナチはクリミアへの送電を止めるために破壊活動を実行したが、これも問題にはなっていない。IMFが求めているのは、ドル建て債務をアメリカの同盟国へ返済することだけだ。フランクリン・テンプルトンのような投機集団にとってはありがたいことだろうが、逆に、ロシアや中国をはじめ、ドル離れをしている国々への宣戦布告とも言える。こうしたルール変更の直前、IMFは中国の人民元をSDRバスケットへ組み入れる決定をしたということだ。
2015.12.11
アメリカ政府が主張する「テロとの戦い」とは、「テロリストを使った戦い」を意味している。本ブログでは繰り返し書いていることだが、シリアで政権転覆を目指して戦っているアル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)を編成、訓練、支援しているのはアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールといった国々だ。 1970年代の終盤、ズビグネフ・ブレジンスキーの戦略に基づいてイスラム(スンニ派)の武装勢力は組織され、アメリカの軍やCIAが戦闘員を訓練してきた。ロビン・クック元英外相も指摘していたように、そうした訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルがアル・カイダだ。ちなみに、アラビア語でアル・カイダとは「ベース」を意味する。「基地」とも訳せるが、「データベース」という意味でも使われる。こうした武装勢力のメンバーはサラフ主義者(ワッハーブ派)が中心で、この傾向は現在も変わっていない。 こうした戦闘員を使い、2007年にはアメリカ、サウジアラビア、イスラエルがシリアとイランの2カ国、さらにレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作をはじめているが、この「三国同盟」はブレジンスキーがアフガニスタンではじめたプロジェクトで形成された。アフガニスタン工作の一端は「イラン・コントラ事件」という形で発覚、そのときにこの3カ国の名前が出ている。 最近ではシリアで戦うアル・カイダ系武装集団やISの主要兵站ラインがトルコからのものだと西側メディアも伝えるほど広く知られるようになり、盗掘石油がトルコへ運び込まれていることも明確になっている。 そうした石油はイスラエルへ運ばれていると言われているが、ここにきてトルコとロシアとの関係が悪化、石油や天然ガスの供給源を確保するため、トルコはイスラエルから購入するという情報が流れている。 ある種の人びとは「人民の反乱」という標語を見た瞬間、実態を調べることなく恍惚としてしまうようだ。「人民の反乱」というタグがついていれば、軍事侵略でも「断固支持する」ような人がいる。「テロとの戦いは失敗する運命」にあると言う人も同類だ。この意味は「テロリストを使った侵略は成功する」ということであり、こうした主張は侵略者にとって好都合。タグではなく事実を見る必要があるのだが、そうしたことをすると侵略者が支配する体制では生き辛くなるだろう。
2015.12.10
イギリスのデイビッド・キャメロン政権はアメリカ主導の連合軍へ参加してシリアへの軍事攻撃を始めている。この攻撃はシリア政府の要請を受けたわけでなく、侵略行為にほかならない。12月6日にはアメリカが主導する連合軍がシリア政府軍のデイル・エズルにある野営地を攻撃して4名のシリア兵を殺害、16名以上を負傷させ、同じ日にハサカーでは市民20名以上を殺害、約30名を負傷させたと伝えられている。リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を破壊した際、イギリスとフランスは中心的な役割を果たしていたのだが、このコンビがシリアでも前面に出て来たということだ。 イギリスがシリアで表立った動きを見せていなかった理由は議会にある。シリアへの空爆に反対していたのだが、政府は2009年、つまりシリアで戦闘が始まる2年前にバシャール・アル・アサド政権を倒す計画はできていたようだ。1988年から93年までフランスで外務大臣を務めたロランド・デュマによると、イギリスで知り合いの政府高官からシリアへの軍事侵攻を準備していることを知らされ、仲間にならないかと誘われたという。 2009年にはフランスでも大きな出来事があった。当時はニコラ・サルコジ政権だが、その年にフランスがNATOへ完全復帰したのだ。1966年にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、その翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)がパリを追い出していた。1962年にシャルル・ド・ゴール大統領暗殺未遂事件があったのだが、この事件を引き起こしたOASは「NATOの秘密部隊」とつながっていたと言われている。こうした秘密部隊は全てのNATO加盟国に存在、中でもイタリアのグラディオは有名だ。 OASの暗殺計画を阻止する上で重要な役割を果たしたのは情報機関のSDECE。その当時は自立した組織だったが、ド・ゴールが失脚するとCIAに浸食され、下部機関になってしまう。なお、1982年からはDGSEと呼ばれている。 もっとも、ネオコン/シオニストのポール・ウォルフォウィッツがイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしたのは国防次官だった1991年のこと。湾岸戦争でアメリカのジョージ・H・W・ブッシュ政権がイラクのサダム・フセイン体制を倒さなかったことに怒っての発言だが、その時にソ連軍が出てこなかったことがその後のネオコン戦略に影響する。つまり、アメリカ軍に攻撃させてもソ連/ロシア軍は尻込みして静観すると思い込んだのだ。 1992年のはじめにアメリカの国防総省ではDPG(国防計画指針)の草案という形で世界制覇プロジェクトを書き上げた。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」で、旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配するとしていた。 2006年にはフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)に興味深い論文が掲載される。キール・リーバーとダリル・プレスが書いたもので、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張している。その翌年、2007年3月5日付けのニューヨーカー誌でシーモア・ハーシュはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したと書いた。この工作の手先になるのがアル・カイダ系の武装集団だ。 リビアへの軍事侵攻を見ると、西側の好戦派はNATOの空爆とアル・カイダ系武装集団の地上戦を連携させようと考えていたのだろう。実際、それはリビアで機能したが、シリアでは目論見通りには進んでいない。ロシアが抵抗していることもあるが、シリア軍の存在は大きい。リビアとシリアでは軍事力に大きな差があった。 そうした中、イギリスがシリアへの軍事侵攻に参加した。当初からイギリスはイスラエルの意向が反映されていたと見られているが、そのイスラエルは現在、アサド体制を倒すためにアル・カイダ系武装集団やIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)を支援してきた。パレスチナの子どもを平然と殺すイスラエルだが、そうした武装勢力の負傷兵は手厚く看護している。
2015.12.10
シリアでの戦闘でウクライナが兵器の供給源として注目されている。最近もロシア軍が使っているOFAB 250-270という250キロ爆弾2000発を市場価格の約3倍という高値でカタールが買っていることを示す文書が公表された。この国の軍用機には搭載できないタイプで、実際に自分たちが空爆で使うことはありえない。「偽旗作戦」を実施、ロシア軍やシリア政府軍に責任をなするつける予定なのだろう。すでに西側メディアはそうした宣伝を始めている。 本ブログでは何度も書いているように、カタールはアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビアと同じように、イラク、リビア、シリアといったアメリカに服従しない国を攻撃してきた。カタールは巨大石油企業のエクソン・モービルの影響下にある国で、アル・ジャジーラという国策メディアを持っている。カタールが関係しない場合は比較的自由な報道をしていたが、関係するとプロパガンダに徹する。 イラクを先制攻撃する際、アメリカが「大量破壊兵器」という偽情報を流したことは広く知られているが、シリアでも嘘を流し続けてきた。西側の政府やメディアはシリア政府による「民主化運動の弾圧」を盛んに宣伝、その情報源としてダニー・デイエムなる人物やロンドンを拠点とする「SOHR(シリア人権監視所)」を情報源としていた。 デイエムはシリア系イギリス人で外国勢力の介入を求めていたが、「シリア軍の攻撃」を演出する様子を移した部分を含む映像が2012年3月にインターネット上へ流出してしまい、嘘がばれる。 SOHRは2006年に創設され、背後にはCIA、アメリカの反民主主義的な情報活動を内部告発したエドワード・スノーデンが所属していたブーズ・アレン・ハミルトン、プロパガンダ機関のラジオ・リバティが存在していると指摘されている。 内部告発を支援しているWikiLeaksが公表した文書によると、SOHRが創設された頃からアメリカ国務省の「中東共同構想」はロサンゼルスを拠点とするNPOの「民主主義会議」を通じてシリアの反政府派へ資金を提供している。2005年から10年にかけて1200万ドルに達したようだ。 デイエムの嘘が発覚した直後、2012年5月にホムスのホウラ地区で住民が虐殺される。その時も西側の政府やメディアはシリア政府に責任があると主張していたが、現地を調査した東方カトリックの修道院長は反政府軍のサラフ主義者や外国人傭兵が実行したと報告、「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」と語っている。ロシアのジャーナリストやドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙も同じように伝えていた。 そして2013年8月のサリン騒動。シリア政府が化学兵器を使ったと西側では大合唱だったが、早い段階からロシア政府が否定、国連へ証拠を添えて報告書を提出している。反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、ゴータに着弾していることを示す文書や衛星写真が示されたとジャーナリストがフェースブックに書き込んでいる。 そのほか、化学兵器とサウジアラビアを結びつける記事が伝えられ、10月に入ると「ロシア外交筋」からの情報として、ゴータで化学兵器を使ったのはサウジアラビアがヨルダン経由で送り込んだ秘密工作チームだという話が流れた。 12月になると、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもこの問題に関する記事を発表、反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるとしている。国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授も化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。 そして2013年9月3日、地中海の中央から東へ向かって2発のミサイルが発射された。このミサイル発射はロシアの早期警戒システムがすぐに探知、明らかにされるが、ミサイルは途中で海へ落下してしまう。イスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、ジャミングなど何らかの手段で落とされたのではないかと推測する人もいる。 昨年2月にウクライナではネオコン/シオニストが主導、ネオ・ナチが実行部隊として動いたクーデターが実行され、合法的に選ばれていたビクトル・ヤヌコビッチ大統領を追放した。勿論、憲法の規定は無視されている。 その際、ヤヌコビッチの地盤だった東部や南部ではクーデター政権を拒否する動きが広がり、クリミアではロシアの構成主体としてロシアに加盟するかどうかを問う住民投票が3月16日に実施された。投票率は80%を超え、そのうち95%以上が加盟に賛成する。 クリミアにはウクライナ軍とロシア軍が駐留していたのだが、ウクライナ軍は住民を弾圧せず、ロシア軍とも戦闘になっていない。このロシア軍を西側では「侵略軍」と宣伝していたが、実際は1997年にウクライナとロシアが結んだ協定でロシアは基地使用権を与えられ、2万5000名を駐留させられることになっていた。実際には1万6000名が駐留していたのだが、これを侵略軍だと主張したわけだ。この際、ウクライナ軍の電子機器はロシア軍の電子戦兵器で機能不全になっていたとする噂もある。 昨年4月10日にアメリカ軍はイージス駆逐艦のドナルド・クックを黒海へ入れ、ロシアの領海近くを航行させて威嚇したが、ロシアは電子戦用の機機を搭載したスホイ24を米艦の近くを飛ばし、イージス・システムを機能不全にしたと言われている。その直後にドナルド・クックはルーマニアへ緊急寄港、それ以降はロシアの領海にアメリカの艦船は近づかなくなった。 11月24日にトルコ軍のF-16戦闘機がロシア軍のSu-24爆撃機を撃墜したが、本ブログで何度も説明したように、これは待ち伏せ攻撃であり、アメリカ/NATOが承認、あるいは命令していた可能性がきわめて高い。しかも、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がロシア軍機の撃墜を計画したのはロシアが空爆をはじめて間もない10月10日だったとWikiLeaksは主張している。 アメリカ/NATOがロシア軍機を撃墜する理由はいくつか考えられるが、ロシアに電子戦の機機を使わせ、データをとろうとしたのではないかとも疑われ、撃墜時にアメリカ/NATOは電子戦の専門家を派遣していたとする話も流れている。
2015.12.09
ハワイの真珠湾を日本軍が奇襲攻撃したのは1941年12月7日午前7時48分(現地時間)のことだった。アメリカ側はある程度、攻撃を予測していたようだが、詳しく知っていたとしても通告前に攻撃した以上、奇襲攻撃であることに変わりはない。 この攻撃について、「馬鹿な選択」だったという声をよく聞くが、それは「馬鹿なアジア侵略」の必然的な結果だった。当時、日本とアメリカとでは生産力も科学技術力も大きな差があり、勝てる見込みはなかったということはマスコミも主張しているが、それはアメリカに従えば問題はなかったと言いたいだけのことだろう。中国での戦闘が泥沼化、苦し紛れにアメリカを攻撃しただけだが、中国で勝てなかったという事実と向き合おうとしていない。 週刊現代のサイトによると、今年6月1日、官邸記者クラブのキャップとの懇親会で安倍晋三首相は「安保関連法制」について「南シナ海の中国が相手」だと口にしたという。安倍政権は中国との戦争を想定しているわけで、日本でのことは知らないが、外国では話題になっていた。アメリカに従っていれば中国と戦争しても勝てると安倍首相のような好戦派は思い込んでいるのだろう。 ところで、日本軍が真珠湾を攻撃する半年前、ドイツ軍はソ連に向かって進撃を開始した。「バルバロッサ作戦」だ。7月にはレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲し、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫った。 こうしたドイツ軍の進撃も日本側の判断に影響したかもしれないが、この段階で日本軍がアメリカを攻撃することはドイツにとって好ましくはなかった。アメリカ軍が参戦することはドイツにとって不利になるからだが、実際のところ、アメリカは参戦後もドイツのソ連攻撃を傍観している。ちなみに、真珠湾攻撃の前、アメリカでは約70%の人びとがアドルフ・ヒトラーを倒すべきだとしていたが、同じ比率の人びとが参戦に反対していた。(Daniel Yergin, “Shattered Peace”, Houghton Mifflin, 1977) 本ブログでは何度も書いているように、1932年の大統領選挙でウォール街が支援していた現職のハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗北、新大統領を排除してファシズム政権を樹立させるためのクーデターが計画された。その中心がJPモルガンだとされている。海兵隊のスメドリー・バトラー少将が議会で証言し、計画を明るみに出している。 JPモルガンは関東大震災以降、日本の政治経済に大きな影響力を持つようになり、最近の用語を使うならば、「新自由主義」を導入させた。彼らが最も親しくしていた日本人は1920年の対中国借款交渉を通じて接近、浜口雄幸内閣と第2次若槻礼次郎内閣で大蔵大臣を務めた井上準之助。この井上が血盟団に暗殺されたのは1932年だが、その年にJPモルガンの総帥、ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーが駐日大使として日本へやって来た。グルーは戦後、日本の民主化を止めて戦前回帰させたジャパン・ロビーの中心的存在でもある。 グルーと親しかった日本人のひとりと言われている松岡洋右は柳条湖事件、国際連盟の脱退と絡んで記憶されている。フーバー政権時代の1931年9月、日本軍は柳条湖の近くで満鉄の線路を爆破(実際は音がしただけではないかとする説もある)、中国軍が実行したと主張して攻撃を開始、約4カ月で中国東北部を占領した。 この事件についてイギリスのビクター・ブルワー-リットンを団長とする調査団が1932年2月から調査を開始、10月に報告書が公表されるが、侵略された側の立場が反映されているとは言い難い内容だった。何しろ欧米各国も植民地を作り、略奪していたのだ。 しかし、アメリカでは1933年に反植民地、反ファシズムの政権が誕生、状況が大きく変化する。ニューディール派のルーズベルトが大統領に就任したのだ。日本と結びついていたJPモルガンは主導権を奪われてしまう。日本の迷走はそうした背景も影響しているだろう。そして真珠湾を攻撃することになる。 ルーズベルトをクーデターで葬り去ろうとしたウォール街は日本よりドイツと強く結びついていた。そのドイツがバルバロッサ作戦をはじめると、反ファシストの米大統領はソ連への支援に前向きな姿勢を示すのだが、支配層には逆の考え方をする人が少なくなかった。ウォール街のクーデター派は勿論だが、例えば、ハリー・トルーマン上院議員(後の副大統領/大統領)は「ドイツが勝ちそうに見えたならロシアを助け、ロシアが勝ちそうならドイツを助け、そうやって可能な限り彼らに殺させよう」と主張している。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) また、ジャーナリストのC・アンソニー・ケイブ・ブラウンによると、1939年頃、イギリス支配層にはソ連と戦うために「日本・アングロ(米英)・ファシスト同盟」を結成するという案があったという。(Anthony Cave Brown, “"C": The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies”, Macmillan, 1988) こうした案も真珠湾攻撃で消え、その一方でルーズベルト大統領は1942年6月に戦時情報機関のOSSを組織、ウォール街の弁護士だったウィリアム・ドノバンを長官に任命している。ドノバンはコロンビア大学ロースクールでルーズベルト大統領のクラスメートだった。このドノバンが情報活動に引き入れた弁護士仲間のひとりがアレン・ダレスだが、このダレスたちはルーズベルトを完全に無視して動くことになる。何しろ、彼らはウォール街の代理人だ。 当初、スターリングラードでの攻防戦はドイツ軍が優位だったが、冬に入ると形勢は逆転し、1943年2月になるとドイツ軍は全滅、ソ連軍の反撃が始まった。それを見てアメリカ支配層は慌てる。それまでは静観していたのだが、1943年7月にアメリカ軍を中心とする連合軍がシチリア島へ上陸、44年6月にはノルマンディ上陸作戦を敢行してパリを制圧した。 その一方、アメリカとイギリスは1944年夏にゲリラ戦部隊のジェドバラを編成するのだが、言うまでもなく、この段階で壊滅状態のドイツ軍に対するゲリラ戦を行う意味はない。想定していたのはコミュニストの影響を強く受けていたレジスタンスや目前に迫っているソ連軍だろう。 このジェドバラ人脈は戦後、アメリカの破壊工作機関OPCを組織、1950年10月にCIAの内部へ潜り込んで52年8月に計画局、秘密工作の実態が明るみに出た後の73年3月に作戦局へ名称を変更、2005年10月からはNCS(国家秘密局)として活動を続けている。 大戦の末期にアレン・ダレスたちはナチスの高官と接触、保護しているが、ウィンストン・チャーチル英首相はドイツが降伏した直後、JPS(合同作戦本部)に対してソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令、そこで考え出されたのが「アンシンカブル作戦」。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。 この作戦が影響したのか、チャーチルは7月26日に退陣するが、翌1946年3月5日にアメリカのミズーリ州フルトンで、「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説、「冷戦」の幕開けを告げている。それだけでなく、チャーチルは1947年にアメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたという。 米英はソ連というより、ロシアの制圧を目論んできた。それを「ハートランド理論」としてまとめたのがハルフォード・マッキンダー。1904年のことだ。この理論については何度か触れたので今回は割愛するが、この戦略は今でも生きている可能性が高い。アヘン戦争の後、イギリス、後にアメリカは日本を侵略の手先として使った可能性が高く、その従属関係が揺らいだルーズベルト政権で真珠湾攻撃は実行されたと言えるだろう。
2015.12.08
フランスで12月6日に実施された地域圏議会選挙の第1回投票で国民戦線が27.73%を獲得して第1党になった。第2位は国民運動連合(共和党)で26.65%、社会党は23.12%にとどまって第3位だった。 11月13日にパリの施設が襲撃されて約130名が殺されたとされている(フェイク説もある)が、その事件で共和党や社会党も移民の受け入れを主張できる環境になり、国民戦線に優位な要素は減ったと見られていたのだが、それでも共和党や社会党は第1党の座を獲得できなかった。 現在でも国民戦線をメディアは「極右」と表現しているが、マリーヌ・ル・ペン党首は父親とは違って人種差別的な言動をせず、国民の気持ちを代弁する形になっていたので、当然の結果とも言える。少なくとも現在の国民戦線を「極右」と呼ぶことは正しくないだろう。西側のメディアが国民戦線を攻撃する最大の要因はアメリカ支配層の政策に批判的だからで、今後、攻撃は激しくなる可能性が高い。 アメリカとの関係という点では、共和党も距離をおきはじめていた。ニコラ・サルコジ党首はロシアに接近、7月23日から24日にかけては同党の議員団がクリミアを訪問している。今回の選挙結果は、アメリカ支配層への従属度と逆になったとも言える。 フランソワ・オランドが率いる社会党はアメリカの傀儡だが、その前には違った意見の有力者が同党にもいた。例えば、ドミニク・ストロス-カーンだ。有力な党首候補だったのだが、IMF専務理事だった2011年5月、アメリカ滞在中に逮捕、起訴されてしまう。レイプ疑惑をかけられたのだが、途中で取り下げられている。冤罪だった可能性が高いようだ。 逮捕される前の月にストロス-カーンはアメリカのブルッキングス研究所で演説、その中で失業や不平等は不安定の種をまき、市場経済を蝕むことになりかねないとし、その不平等を弱め、より公正な機会や資源の分配を保証するべきだと発言していた。進歩的な税制と結びついた強い社会的なセーフティ・ネットは市場が主導する不平等を和らげることができ、健康や教育への投資は決定的だと語っただけでなく、停滞する実質賃金などに関する団体交渉権も重要だともしている。新自由主義批判だ。そして登場してきたのがオランドで、2012年5月からフランス大統領になる。 庶民から政策の決定権を奪うことになったEUの歴史を振り返ると、1922年にベルギーのブリュッセルで創設されたPEU(汎ヨーロッパ連合)に突き当たる。オットー・フォン・ハプスブルク大公が中心人物だったようだが、イギリスの選民秘密協会人脈のウィンストン・チャーチルも参加していた。 作家の堀田善衞は「めぐりあいし人びと」の中で次のようなことを書いている。 「ヨーロッパ各国の旧貴族たちは、それぞれどこかで血がつながっている、すべて親戚なわけです。たとえば、ベルギーのブリュッセルにECの事務局がありますが、そのECの幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」 各国政府の力が弱められたEUではこうした傾向が強まっているだけでなく、アメリカ支配層の傀儡と化している。その象徴的な存在がビルダーバーグ・グループだ。このグループの第1回目の会議は1954年5月に開かれているが、その開催場所がオランダにあるビルダーバーグ・ホテルだったことからこう呼ばれるようになった。 グループの初代会長は同ホテルのオーナーだったベルンハルト王子だが、生みの親はユセフ・レッティンゲルなる人物だと考えられている。レッティンゲルは戦前からヨーロッパをイエズス会の指導の下で統一しようと活動、大戦中はロンドンへ亡命していたポーランドのウラジスラフ・シコルスキー将軍の側近だった。 ビルダーバーグ・グループの上部機関と見られているのがACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)。1948年にアレン・ダレスなどアメリカのエリートがチャーチルらの協力を得て設立、ウィリアム・ドノバンが委員長に就任している。こうした人びとが考えていたヨーロッパ統一とは、アメリカ支配層が支配する仕組みであり、自立した存在ではない。自立し、民主的な仕組みならばEUにも存在意義はあるだろうが、実際はアメリカ支配層の傀儡だ。 ドノバンはウォール街の弁護士で、アメリカの戦時情報機関OSSの長官。その友人でやはりウォール街の弁護士だったアレン・ダレスはドノバンの誘いで情報活動の世界へ足を踏み入れ、第2次世界大戦後は情報/破壊活動を指揮することになる。 また、1945年4月にフランクリン・ルーズベルト米大統領が執務室で急死、5月にドイツが降伏すると首相だったチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令、「アンシンカブル作戦」が提出された。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていたが、これは参謀本部の反対で実現していない。その直後、チャーチルは下野した。そのチャーチルは1946年3月、アメリカのミズーリ州フルトンで演説、その中で「鉄のカーテン」が降りていると発言、「冷戦」の幕は上がる。 1963年6月10日、ジョン・F・ケネディ大統領はアメリカン大学の卒業式でソ連との平和共存を訴えた。好戦派による全面核戦争の目論見を封印し、冷戦に幕を下ろそうとしたのだが、その年の11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。 なお、その前年の8月にフランスではシャルル・ド・ゴール大統領の暗殺未遂があったのだが、その背景はケネディ大統領暗殺と重なる部分があり、アレン・ダレス人脈の存在も指摘されている。暗殺未遂から4年後、フランス軍はNATOの軍事機構から離脱、その翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)がパリを追い出された。フランスがNATOの軍事機構へ一部復帰すると宣言したのは1995年、NATOへの完全復帰は2009年。ニコラ・サルコジ政権のことだ。
2015.12.08
安倍晋三政権は「安全保障関連法」や「秘密保護法」を強引に成立させてきた。こうした姿勢を批判する人は少なくないが、俳優の石田純一によると、「中国が攻めてきたら丸腰でどうやって戦うんだ」と言う人もいるらしい。こうしたことを本気で言っているとすれば救い難い。何も考えず、「権力」なり「権威」なり「ボス」の命令に唯々諾々と従う人なのだろう。 安保法、いわゆる戦争法は「集団的自衛権」と深く結びついている。「集団的自衛権」とは、2000年にジョセイフ・ナイとリチャード・アーミテージが「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」で日本に要求したこと。アメリカの戦争に日本も加われということだ。 ナイが1995年に発表した「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」は10万人規模の駐留アメリカ軍を維持するだけでなく、在日米軍基地の機能を強化し、使用制限は緩和/撤廃されるべきだとしていたが、このレポートが作成される切っ掛けは1994年に細川護煕政権の諮問機関「防衛問題懇談会」が発表した「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」。これを読んだ国防大学のマイケル・グリーンとパトリック・クローニンは日本が自立の道を歩き出そうとしていると判断したようで、ナイとエズラ・ボーゲルに掛け合ってナイ・レポートにつながったという。 集団的自衛権を日本に要求したアーミテージ報告の出発点とも言えるナイ・レポートは日本の自立を拒否することから始まっている。つまり、集団的自衛権は「中国が攻めてきたら丸腰でどうやって戦うんだ」というような話ではなく、アメリカに従属させて日本を戦わせるということなのである。これは秘密でも何でもない。 グリーンとクローニンの動きの背後には1992年の初めにアメリカの国防総省で作成されたDPGの草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」がある。当時の国防次官でネオコン/シオニストのポール・ウォルフォウィッツが中心になって作られたことからこの通称はある。 このドクトリンが作成される直前の1991年12月にソ連が消滅、ネオコンたちはアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、世界の覇者としての地位を維持するために潜在的ライバルを潰す必要があると考えるのだが、その潜在的ライバルとされたのは旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなど。ライバルを生む出す基盤になる十分な資源を抱える西南アジアを支配しよとも考えた。 このDPGを元にしてネオコン系シンクタンクのPNACは2000年に「米国防の再構築」という報告書を公表、東アジアの重要性を謳う。傀儡のボリス・エリツィンを大統領に据えたロシアはアメリカの属国と化し、EUの支配層は買収済み、ということで中国に重点を移したのだが、その中国支配層の子どもたちはアメリカへの留学で「洗脳」、アメリカ支配層は自信満々だったのだろう。その報告書では、オスプレイの必要性も強調されていた。 こうしたプランが崩れはじめる切っ掛けは、ロシアの再独立。それを実現したのがウラジミル・プーチンを中心とするグループだ。エリツィン時代の腐敗勢力を切り崩していくのだが、それを西側では「反民主化」だと批判していた。 それに対し、日本では現在も腐敗勢力が支配しているが、再独立の芽がなかったわけではない。小沢一郎と鳩山由紀夫のコンビが主導権を握りかけたときだが、これを検察とマスコミが潰した。一種のクーデターだが、それによって腐敗勢力が復活、アメリカの好戦派に従属する仕組みを着々と築き上げている。 しかし、世界では、そうした好戦派が孤立しはじめた。アル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS、あるいはネオ・ナチを使って破壊と殺戮を繰り広げていることが広く知られるようになったことが大きい。ロシアの登場でアメリカに対する恐れも弱まったようだ。 この戦いに負けるわけにはいかないネオコンなど好戦派は世界大戦、核戦争の脅しを掛けているようだが、ロシアや中国には効果がないように見える。先日、日本の「同志」とも言えるトルコはロシア軍機を撃墜した。日本が暴走して中国を攻めるという事態もありえるだろう。そうしたとき、中国がロシアとの「集団的自衛権」を発動させるかもしれない。
2015.12.07
フランス、イギリス、ドイツがアメリカを中心として実行しているシリアでの軍事作戦に参加するようだが、これはシリア政府の承諾を受けたわけでも国連が認めたわけでもなく、単なる軍事侵略だ。その同盟の中核、アメリカ軍がシリア政府軍のデイル・エズルにある野営地を攻撃、4名のシリア兵を殺害、16名以上を負傷させたと伝えられている。 IS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)を攻撃すると称しているが、アメリカ軍が率いる同盟軍はこれまで約1年半の間、ISの軍事施設、兵站ライン、盗掘石油の輸送などを放置、その一方でシリア国民の生活に結びつくインフラを破壊してきたと言われている。 アメリカ、フランス、イギリス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールはリビアやシリアの体制を転覆させるために手を組み、地上軍としてアル・カイダ系の武装集団(アル・ヌスラ/AQI)やそこから派生したISを使ってきた。そうした武装勢力をロシア軍は9月末から本当に空爆し、壊滅的なダメージを与えている。 軍事司令部や兵器の貯蔵施設だけでなく、盗掘石油に関係した施設や燃料輸送車も破壊し、盗掘石油の密輸で潤ってきたビラル・エルドアン、つまりレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の息子も窮地に陥った。トルコ軍が戦車部隊を侵攻させたイラク北部は盗掘石油の輸送ルートとも重なる。 イラク北部にはクルド系の人びとが一種の自治国を作り、ペシュメルガと呼ばれる武組織を保有している。今回、トルコ政府はペシュメルガを訓練するとしているが、この集団はイラク政府を揺さぶるため、イスラエルが支援してきたと言われている。ISが勢力を拡大していた頃、クルド系の武装集団は対立していたようだが、ISが崩壊しつつある現在、トルコ政府はクルドに乗り換えようとしているかもしれない。 クルド系の人びとはイラクだけでなくイランやシリアにも住んでいる。シリアの場合、本来の住民は17万人程度と少なかったのだが、1980年代のトルコにおける内戦で難民化したクルド系の人びとがシリアへ流入、その数は200万人と言われている。 シリアへの軍事侵略が激しくなると、バシャール・アル・アサド政権はクルド人にシリアの国籍を与えたようだが、PKKなど大半のクルド人はトルコで独立国を作ろうと考えている。それに対し、フランス、イギリス、イスラエルはシリアにクルド人の国を作ろうと目論んでいる。その地域はISが拠点にしてきた地域で、西側が「飛行禁止空域」を設定しようとした場所でもある。そこを空爆したロシアのSu-24爆撃機をトルコのF-16戦闘機が撃墜したわけだ。【追加】 シリア政府軍を攻撃するように命令したのはイギリスのデイビッド・キャメロン首相だとする情報が流れている。 アメリカ国防総省はアメリカが主導する連合軍がシリア政府軍を攻撃したとする報道を否定、ロシア政府は攻撃を確認できないとしている。
2015.12.07
WikiLeaksによると、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がロシア軍機の撃墜を計画したのは、ロシアが空爆をはじめて間もない10月10日だったという。実際にトルコ軍のF-16戦闘機がロシア軍のSu-24爆撃機を撃墜したのは、その1カ月半後ということになる。 本ブログでもF-16が待ち伏せ攻撃した可能性がきわめて高いことは紹介済み。ロシア軍は攻撃プランを事前にアメリカ/NATO側へ通告、トルコ軍も承知していたはずで偵察衛星も監視していだろうが、それだけでなく、ギリシャを拠点とするアメリカ/NATOのAWACS機、そしてサウジアラビアもAWACS機を飛ばして監視していた。つまり撃墜はアメリカ/NATOと連携して行われたと見られている。 その後、トルコ軍は戦車隊をイラクへ侵攻させ、黒海ではロシア船を拘束するなど挑発を続けている。すでにトルコ政府が盗掘石油の販売で重要な役割を果たしていることは明確になっているが、自分たちを追い詰めるとロシアと戦争を開始、NATOをロシアとの戦争に引きずり込むと脅しているとする説もある。そうした中、盗掘石油の買い手と言われているイスラエルがシリアの首都ダマスカスの北を攻撃したとする話がイスラエルで伝えられている。
2015.12.06
アメリカは50日ほど前からシリアの北東部で空軍基地を建設しているとレバノンで伝えられている。2500メートルの滑走路があるというが、基地の建設をシリア政府が許可したわけでも国連が承認したわけでもない。盗掘石油の輸送や反シリア政府武装勢力への兵站ラインを守るためにも使えそうだ。トルコ軍がイラクの主権を無視して戦車部隊を侵攻させたが、これも無関係ではないだろう。その一方、シリア政府の要請でロシア軍が60名程度の軍事顧問団をホムスへ入れたという。 リビアではNATO軍がアル・カイダ系のLIFGと連携してムアンマル・アル・カダフィを倒したが、シリアではロシア軍が地上部隊のアル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)に大きなダメージを与え、重要拠点をシリア政府軍が奪還している。さらに、トルコが反シリア政府軍の兵站ラインを守っているだけでなく、盗掘石油の取り引きに深く関与している事実も明瞭になった。盗掘石油とトルコとの関係をアメリカ政府は認めようとしていないが、その結果、同政府の信頼度は急速に低下している。 アメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールなどの国々を支配する勢力はシリアに傀儡政権を樹立しようと考えている。アメリカのネオコンは1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしていたいた。 これは1997年から2000年にかけて欧州連合軍最高司令官を務めたウェズリー・クラークの証言だが、同元最高司令官はCNNの番組で、アメリカの友好国と同盟国がISを作り上げたとも語っている。本ブログでは何度も書いているように、ISの歴史を考えれば明らかな話だが、西側の政府やメディアは気づかない振りをしている。 ISの歴史は1970年代の後半までさかのぼることができる。1977年にアメリカ大統領となったジミー・カーターはズビグネフ・ブレジンスキーとデイビッド・ロックフェラーに見いだされた人物で、安全保障に関する問題はブレジンスキーに任されていた。 そのブレジンスキーはソ連を揺さぶるため、アフガニスタンへソ連軍を誘い込む計画を立てる。誘い込んだソ連軍と戦わせるために編成されたのがイスラム(ワッハーブ派/サラフ主義者)武装勢力。この秘密工作をカーター大統領は1979年7月に承認した。 この月にはエルサレムでアメリカとイスラエルの情報機関に関係した人びとが集まり、「国際テロリズム」に関する会議を開いている。イスラエル側からは軍の情報機関で長官を務めた4名を含む多くの軍や情報機関の関係者が参加、アメリカからはジョージ・H・W・ブッシュ元CIA長官(後の大統領)を含むCIA関係者のほか、クレア・スターリングのような「ジャーナリスト」も参加していた。それ以降、ソ連を「テロの黒幕」だとするプロパガンダが大々的に始まる。 1979年12月にソ連の機甲部隊がアフガニスタンへ侵攻、戦闘が始まる。この時、西側では「自由の戦士」と呼ばれたイスラム武装勢力の実態はアメリカの傭兵。アメリカの情報機関や軍から兵器を提供され、軍事訓練を受けていた。そうした訓練を受けた戦闘員のコンピュータ・ファイルが「アル・カイダ」だと1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックは指摘している。ちなみに、「アル・カイダ」はアラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳としても使われている。 この「アル・カイダ」が広く知られるようになったのは2001年9月11日。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてから「アル・カイダ」はテロリストの代名詞になり、アメリカ好戦派が軍事侵攻する口実に使われるようになるが、リビアでの体制転覆戦争でNATOとの連携が発覚、その翌年から新たなタグとして宣伝され始めたのがISだ。 2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAが作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(イラクのアル・カイダ)で、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。アル・ヌスラはAQIがシリアで使っている名称だともいう。 2006年10月にはAQIが中心になってISI(イラクのイスラム首長国)が編成され、活動範囲をシリアへ広げた13年4月からISと呼ばれるようになった。つまり、AQI/アル・ヌスラもISも本質的に同じだが、アメリカ政府などはISだけを悪役にしようとしている。しかも、そのISでさえ攻撃してこなかった。 ところが、ロシア軍はAQI/アル・ヌスラやISを本当に攻撃、トルコ軍の攻撃にも厳しく対応してシリアで主導権を握った。イラク政府もロシアとの関係を強化しようとしている。 そうした中、「軍事力の行使はテロを激しくさせる」と叫んでいる人たちがいる。欧米諸国が軍事侵略、その国民を敵に回した場合には成立するが、シリアなどでは軍事侵略の手先として「テロリスト」は使われている。だからこそ、外部から武器弾薬を含む物資を運び込まなければならないわけだ。ベトナム戦争では農民が支援、それを潰すために住民皆殺し作戦「フェニックス・プログラム」(ソンミ村/ミ・ライの虐殺はその一環)を実行したのである。 しかし、リビアにしろ、シリアにしろ、外部勢力の侵略戦争であり、その傭兵として使われているのが「テロリスト」。その「テロリスト」が敗走している現在、米英仏が前面に出てシリア政府軍を攻撃しはじめても不思議ではない。ただ、その場合はロシアとの軍事衝突を覚悟しなければならず、世界大戦になるということだ。侵略された側と侵略している側の区別をつけられなければ状況を理解することはできない。区別をつけられない振りをしているメディアは世界大戦を招く手助けをしているということになる。
2015.12.06
特殊部隊をイラクへ派遣する姿勢を見せたアメリカ政府に対してイラクの首相が敵対行為と見なすと批判したが、トルコは20輌から25輌の戦車を伴った約150名の部隊をイラクへ送り込んだ。トルコは「イラク人を訓練する」と主張しているが、行き先のモスル北東部はIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)の拠点。イラク政府からは即時撤兵を要求されている。 すでにトルコとISとの同盟関係は有名だが、両者を強く結びつけている要素のひとつが石油だ。トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の息子、ビラル・エルドアンが盗掘密輸ビジネスのキーパーソンで、彼が所有するBMZ社が重要な役割を果たしていることも広く知られている。こうした背景を考えると、今回のトルコ軍派遣はカネ儲けが絡んでいそうだ。 9月末からロシア軍はアル・カイダ系武装集団やそこから派生したISを攻撃している。軍事司令部、兵器倉庫、兵站ラインへの攻撃と並行して密輸石油のルートも空爆、エルドアンなど盗掘石油のビジネスで儲けてきた人びとにとっては大きなダメージ。トルコとしてはイラクの盗掘石油利権は守りたいのだろう。 トルコ軍は11月24日、反シリア政府の武装集団を空爆していたロシア軍のSu-24爆撃機を撃墜したが、その状況に関する追加情報が流れている。ロシアの空軍参謀長の記者会見での説明によると、Su-24が基地を離陸したのが午前9時40分で、午前9時51分から10時11分まで高度5650メートルで飛行、16分に目標を空爆、24分に撃墜された。 その撃墜したトルコ軍のF-16戦闘機2機は午前8時40分に離陸、9時08分から10時29分まで高度4200メートルで飛行、着陸したのは午前11時だという。つまり、ロシア軍機が領空を侵犯しそうになったので緊急発進したわけではないということだ。もっとも、ロシア軍は事前に攻撃計画をアメリカ/NATO軍へを提供、トルコ側もロシア軍機がどのようなルートを飛行するかを知っていたはずで、緊急発進ということにならないことは明らかだったが。【追加】 ロシア政府の説明によると、ISの盗掘石油をトルコへ運ぶルートは3つあるのだが、その中でもメインで、以前から指摘されていたルートはレバノンのベイルートやトルコ南部のジェイハンへ運ばれ、そこからタンカーに積み込むというもの。日本向けのタンカーで運ばれるという情報もあるが、イスラエルへ輸送し、そこで偽造書類を受け取ってEUで売りさばくとも言われてきた。ところが、ここにきてイスラエルが最大の買い手だとする話が流れている。
2015.12.05
ここにきてシリアにおける空爆が変質したことは間違いない。 アメリカが主導する勢力はシリア政府を倒すことが第一の目的で、アル・カイダ系のアル・ヌスラ/AQIやそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)を基本的に攻撃しなかった。当然、シリア政府の要請を受けたわけでなく、「侵略行為」と言うべき代物だ。 事実上、こうした武装勢力はアメリカなど外部勢力が使っている地上軍であり、実態は同盟軍。こうした武装勢力の兵站ラインを潰そうとせず、年間20億ドルを稼いでいるという盗掘石油の密輸も放置したのは当然ということだ。アメリカが破壊してきたのはシリア国民の生活に関わるインフラだとも言われている。だからこそISは勢力を拡大して暴虐の限りを尽くしてきたわけだ。 ところが、9月末にロシア軍がシリア政府の要請で始めた空爆は実際にアル・ヌスラ/AQIやISを攻撃、司令部や兵器庫だけでなく兵站ライン、盗掘石油の関連施設、燃料輸送車などもターゲットになった。つまり空爆は変質したのである。外部から援軍が送り込まれているようだが、政府軍の進撃は止まらない。ちなみに、空爆で破壊されている燃料輸送車はアメリカのヒューストンから持ち込まれたようだ。 ロシアが空爆を始める2日前、ウラジミル・プーチン露大統領は国連で演説、国家主権について語ったが、これは国家主権を無視しているアメリカ支配層に対する批判にほかならなかった。暴力、貧困、社会破綻を招き、生きる権利さえ軽んじられる状況を作り上げた人びとに対して自分たちがしでかしたことを理解しているのかとも問いかけている。その直後にプーチンはバラク・オバマ米大統領と会談する。9月19日にアメリカ政府から持ちかけられて実現したのだという。ロシアの動きを察知してのことだろう。 ボリス・エリツィン時代、新自由主義によってもたらされた暴力、貧困、社会破綻でロシア人は辛酸をなめた。その政策に対するロシア国民の怒りがプーチン体制への支持につながっているのだが、この問題はロシアだけでなく全世界に通じる。 すでにアメリカもこの政策によって衰退した。現在は基軸通貨としてのドルを発行する特権と暴力装置(軍隊や情報機関)を使った脅しで支配システムを維持しているだけ。ところがドルが基軸通貨の地位から陥落する可能性が強まり、軍事的な優位も揺らいでいるわけで、破綻国家への陥落は目前に迫っている。 これまでアメリカを支配してきた人びとはアメリカという国に見切りをつけ、巨大資本による世界の直接統治(いわゆる近代農奴制)を目指している。そのためのシステムとして導入されようとしているのがTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)だ。 本ブログでは何度も引用しているが、フランクリン・ルーズベルト米大統領は1938年4月29日、ファシズムについて次のように語っている。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」 ルーズベルトは支配階級に属す人物で、階級の裏切り者と見なされていた。自分自身が病気で下半身不随になってから弱者に目を向けるようになったと言われているが、理由はともかく、巨大資本の活動を規制、労働者の権利を拡大しようとする。 1932年の大統領選でルーズベルトはウォール街が推していた現職のハーバート・フーバーを破った。そこでJPモルガンをはじめとする金融資本は「裏切り者」を排除するためにクーデターを計画するのだが、この計画は海兵隊のスメドリー・バトラー少将が議会で明らかにしている。ウォール街が担いでいたフーバーは大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルド系の鉱山で働いていた人物だ。 JPモルガンは関東大震災の復興資金を調達する仕事を受けた金融機関だが、そのはじまりはロンドン。そこで銀行業を営んでいたジョージ・ピーボディーの新規事業に共同経営者として参加したのがジュニアス・モルガン。JPモルガンを創設したジョン・ピアポント・モルガンの父親だ。ちなみに、ジョンの息子が結婚した相手の従兄弟が1932年から駐日アメリカ大使になったジョセフ・グルー。この人物は戦後、民主化の動きを止めて戦前回帰させたジャパン・ロビーの中核としても活動している。 ピーボディーとジュニアスが経営していた銀行は経営状態が悪化、救いの手をさしのべたのがピーボディーと親しくしていたナサニエル・ロスチャイルド。ジョンはアメリカにおけるロスチャイルドの代理人になったという。つまり、JPモルガンはロスチャイルドが生み出した金融機関だ。やはりロスチャイルドを後ろ盾として巨万の富を築いたセシル・ローズの発案で作られた「選民秘密協会」のエージェントとして大統領就任前のフーバーが活動していたことも偶然ではないだろう。 本ブログでは繰り返し「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」に触れている。1992年の初めに国防総省のネオコン/シオニストが作成したDPGの草案で、旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰すと同時に、ライバルを生む出しかねない膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようという計画だ。 この世界制覇プロジェクトの目標はアメリカに服従しない体制の破壊だが、アメリカという国の破綻はその時点でも明らかで、巨大資本に抵抗する体制を倒すことが本当の目的だったのかもしれない。DPGを作成したネオコン/シオニストは「イスラエル第一派」だが、このイスラエルは19世紀に建国が計画された。 例えば、1882年にフランスを拠点としていたエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドがユダヤ教徒のパレスチナ入植に資金を提供している。このエドモンドを記念して1958年にイスラエルでは「ヤド・ハナディブ(ロスチャイルド基金)」が設立され、89年にはイギリスのジェイコブ・ロスチャイルドが理事長に就任している。 エドモンド・ジェームズの孫にあたるエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドはイスラエルの核兵器開発に対する最大の資金提供者としても知られている。ヘンリー・キッシンジャーと親しともいう。エドモンド・アドルフとならぶイスラエルの核兵器開発の資金提供者がアメリカのアブラハム・フェインバーグ。ハリー・トルーマンのスポンサーとしても知られている富豪だ。 また、イスラエル建国を実現する上で重要な意味を持つ1919年の「バルフォア宣言」とはイギリスのアーサー・バルフォア外相がウォルター・ロスチャイルドに宛てた書簡。実際に書いたのはアルフレッド・ミルナーだというが、バルフォア、ロスチャイルド、ミルナーの3人はいずれも選民秘密協会の主要メンバーだ。 人のつながりを調べるとネオコンは選民秘密協会につながり、選民秘密協会はウォール街に強い影響力を持っていた。このウォール街はフランクリン・ルーズベルトを排除してファシズム体制の樹立を目論み、TPP、TTIP、TiSAにつながる。ルーズベルトが国を凌駕する力を持つ私的権力の出現を危惧していたのは、彼が支配階級の出身で、その階級が何を考えているかを熟知していたからかもしれない。 シリアでの戦乱もそうした流れの中で引き起こされたのだが、「私的権力」の目論見が崩れ始めた兆候もある。シリアにおける空爆が変質したということは、主導権がアメリカの私的権力からロシア政府へ移動したことを意味しているからだ。恐らく、歴史は大きな分岐点に差し掛かっている。
2015.12.04
11月24日にロシア軍のSu-24爆撃機をトルコのF-16戦闘機が撃墜したタイミングで、ポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問、IS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)やトルコ国境の警備、ロシア軍によるトルコ系武装勢力に対する攻撃についてトルコ軍の幹部と討議したとも言われている。NATOの仲間なので当然と言えば当然だが、アメリカ軍とトルコ軍とのつながりを再確認させる出来事だ。 ロシア軍は反シリア政府の武装勢力を攻撃する場合、アメリカ/NATO軍へ爆撃計画を事前に通告、飛行ルートも知らせていた。トルコ軍がロシア軍機を「国籍不明」だと考えるとは思えない。しかも、ギリシャを拠点とするアメリカ/NATOのAWACS機、そしてサウジアラビアもAWACS機を飛ばして監視していた。そうした中、ロシア軍機は撃墜されたのであり、アメリカ/NATOによる待ち伏せ攻撃だった可能性はきわめて高い。しかも、脱出したSu-24の乗組員をアメリカ/NATOと関係の深い部隊が銃撃、ひとりを殺している。 アメリカ/NATOは爆撃機を撃ち落としてもロシアは怖じ気づくと考えていたのだろうが、実際は違った。即座にロシア政府はシリアに最新鋭の防空システムS-400を配備、シリアの海岸線近くへミサイル巡洋艦のモスクワを移動させて防空能力を強化、さらに約30機の戦闘爆撃機を「護衛」も兼ねて派遣、アメリカの対戦車ミサイルでも破壊できないというT-90戦車も送り込み、イランへはS-300を供給している。いわば「後の先」。シリア北部の制空権はロシアが握った。 アメリカのネオコン/シオニストはDPGの草案という形で1992年に世界制覇プロジェクトを描いた。ロシアを属国化することに成功、中国支配層は買収済みという前提で書き上げられたもので、旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰すと同時に、ライバルを生む出しかねない膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようという計画だ。このプロジェクトを実現するため、旧ソ連圏や中東/北アフリカで戦乱を広げてきた。 ところが、シリアのバシャール・アル・アサド政権も倒す予定になっていたが、ロシアの抵抗もあり、実現できていない。ネオコンのジョン・マケイン米上院議員はレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領に対し、アメリカの国防総省はバラク・オバマ大統領と対決する用意ができていて、これを知っているロシアはシリアから手を引くと伝えたとする情報も流れていた。マケインはウクライナのネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)や中東/北アフリカのアル・カイダ系武装勢力やISの幹部とも接触している好戦派だ。 ネオコンは一貫してロシアの反応を見誤ってきた。脅せば屈服するという思い込みから抜け出せていないと言えるが、今回もロシア軍機を撃墜すればNATO軍との軍事衝突を恐れているロシア政府はトルコとの国境近くにおける作戦を中止、NATO軍はシリア北部に「飛行禁止空域」を設定できる、つまり制空権を握れると考えていた可能性があるのが、実際の制空権はロシアが握っている。 NATOが制空権を握れば彼らが使っている武装勢力にとっての「安全地帯」ができ、そこからシリア政府軍やクルド勢力を攻撃できる。ゴラン高原ではイスラエルがアル・カイダ系武装勢力やISと連携してシリア政府軍を攻撃しているので、トルコとイスラエルでサンドイッチ攻撃ということになるわけだが、今のところ難しい情勢だ。 トルコは遅くとも2011年の春以来、シリアの現体制を転覆させるプロジェクトに深く関与してきた。プロジェクトに参加しているのはトルコのほか、アメリカ、イギリス、フランス、イスラエル、サウジアラビア、カタールで、その手先として戦ってきたアル・カイダ系の武装集団やそこから派生したIS。2012年8月にDIA(アメリカ軍の情報機関)が作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQIだ。 現在、アメリカ政府が「テロリスト」の象徴として使っているISが世界的に注目されはじめたのは2014年1月。ファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言したのだが、6月にはモスルを制圧、その際にトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレードしている。そのパレードをアメリカ軍は黙認していた。 その間、3月にトルコの情報機関長官ハカン・フィダンとアフメット・ダーヴトオール外相の会話がリークされる。シリアへの軍事侵攻を正当化するための偽旗作戦を話し合っている音声がインターネット上に流れたのだが、4名のエージェントにシリアからトルコを攻撃させようという内容だった。ゴラン高原ではイスラエルがシリアに対する軍事作戦を展開しているわけで、シリアは両面から攻撃されるところだった。 音声がリークされる直前、3月23日にトルコ軍のF-16戦闘機がシリア軍のミグ23を撃墜している。トルコの国境近くで活動しているアル・カイダ系武装集団やISをシリア軍機は攻撃していたようだ。今回のロシア軍機撃墜と状況は似ている。 6月にはブルッキングス研究所のマイケル・オハンロンがシリアに緩衝地帯(飛行禁止地帯)を作り、つまり制空権を握って武装勢力を守りながらシリアを「再構築」、つまり分解し、「穏健派」が支配するいくつかの自治区を作るべきだと主張している。(ココやココ)つまりバシャール・ある・アサド体制を倒して植民地化しようというわけだ。 この研究所はAEI、ヘリテージ基金、ハドソン研究所、JINSAなどと同じように親イスラエルで、国連大使を経て安全保障問題担当大統領補佐官に就任したスーザン・ライスの母親、ロイスもブルッキングス研究所の研究員だった。 今年9月になるとEUへ殺到する難民が話題になるが、騒動の「アイコン」として使われたトルコの海岸に横たわる3歳の子どもの遺体の写真は不自然だと指摘されている。体は波と並行になるはずだというのだ。しかも、子どもの父親が難民の密航を助ける仕事をしていて、沈没した船を操縦していたのはその父親にほかならないことも判明する。この難民騒動はトルコを含む好戦派が仕掛けたと推測する人もいる。 戦乱が難民を生み出すことは必然のことだが、アメリカ支配層に逆らいたくないということなのか、EUはシリアを含む中東/北アフリカでの戦闘拡大に無頓着だった。イギリスとフランスなどは、火をつける役割を果たしている。最近のシリアが干魃だったことも事態を深刻化させたようだが、ともかく難民が押し寄せてくることをEUの「エリート」は予想できたはずであり、実際に難民が現れて驚いたとするならば、愚かすぎる。 ロシア軍機の爆撃は反シリア政府の武装集団に大きなダメージを与えている。司令部や兵器庫だけでなく、資金源になっている盗掘石油に関連した施設や燃料輸送車が破壊され、この盗掘石油密輸で大きな利益を得てきたレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の息子、ビラル・エルドアンも困難な状況に陥った。
2015.12.03
IS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)が盗掘した石油の精製、販売にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン体制が関与していることをロシア国防省は証拠を示しながら説明した。先日、エルドアン首相はトルコとISの石油密輸との関係を指摘したウラジミル・プーチン露大統領に対し、「もっと証拠を出せ」と開き直ったが、それに対する解答だとも言える。 エルドアン首相の息子、ビラル・エルドアンが盗掘密輸ビジネスのキーパーソンで、彼が所有するBMZ社が重要な役割を果たしていることは以前から指摘されていたことで、ロシア国防省の説明内容自体は驚きでないのだが、今回の会見はトルコの後ろ盾になっているアメリカ支配層を意識しているはずで、ロシア政府が「アメリカ幻想」から抜け出したことを意味し、歴史が新しい段階に入ったことを示唆している。 燃料輸送車やパイプラインでレバノンのベイルートやトルコ南部のジェイハンへ運ばれた後、そこにある秘密の埠頭から日本へ向かうタンカーで運んでいる、あるいはそこからタンカーでイスラエルへ輸送し、そこで偽造書類を受け取ってEUで売りさばくと言われていたが、それ以外にもふたつのルートが存在しているようだ。その販売にはエクソン・モービルやARAMCOが関与しているとする情報も流れている。 こうした盗掘石油の輸送、精製、販売をアメリカ政府も容認してきた。だからこそ関連施設や燃料輸送車を攻撃しなかったわけである。アル・カイダ系武装集団やそこから派生したISを手先として利用してきたアメリカ支配層としては資金源の確保は重要。武器を含む物資の輸送にもアメリカは手をつけなかった。攻撃対象はあくまでもシリア政府だ。 アル・カイダ系武装集団やISはイスラエルとも同盟関係にあるが、盗掘石油の問題を追及していくとアメリカがそうした武装集団を支えてきたことが自然と明らかになる。筋金入りの「アメリカ信奉者」は別として、そうした情報が流れ始めるとアメリカ支配層の影響力が大きく低下していくことは避けられない。西側支配層のプロパガンダ機関である西側メディアはそうした情報が流れないようにと必死だが、限界がある。アメリカ支配層に服従することで社会的な地位と個人的な利益を得てきた傀儡にとっても深刻な事態になるだろう。
2015.12.02
意図的なのか区別できないのか不明だが、「テロリズム」を「反乱」や「蜂起」などと混同して使っている人がいる。「反乱」や「蜂起」は国や体制の内部で生活している人びとが引き起こすものだが、「テロリズム」とは恐怖を利用する戦術、あるいはそうした戦術をつかうイデオロギーであり、国や体制を倒すために外部の勢力が使うことも可能だ。 一時期、「テロリスト」の象徴として「アル・カイダ」が利用されていた。本ブログでは何度も指摘しているように、「アル・カイダ」とはアメリカが1970年代からアフガニスタンの体制を倒し、ソ連と戦わせるために訓練した戦闘員のデータベース。そのアル・カイダ系戦闘集団から派生したのがIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)だ。戦う主体ではなく戦術にすぎない「テロとの戦い」という表現は無意味であり、勿論、戦争で「テロに勝つ」ことはできない。 2011年春にリビアやシリアで戦闘が始まるが、これらは「反乱」でも「蜂起」でもなかった。アメリカ、イギリス、フランス、イスラエル、トルコ、サウジアラビア、カタールといった国々が「レジーム・チェンジ」、つまり自立した体制を転覆させるために傭兵を投入して実行した軍事侵略だった。これはイラクと同じであり、イランもターゲットになっている。 リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を倒す際、こうした国々は特殊部隊を潜入させたが、地上軍の主力はLIFG。その戦闘をNATOが空から支援するという構図だ。このLIFGがアル・カイダ系だということが途中で発覚したことは本ブログで何度も書いてきた。 カダフィ体制崩壊後、NATOは戦闘員や武器をシリアへ移動させ、2012年になるとシリアでもアル・カイダ系の戦闘員が溢れる。その2012年8月にDIA(アメリカ軍の情報機関)が作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けている。 シリアではアル・カイダ系の武装集団としてアル・ヌスラという名前が出てくるが、この名称はAQI(イラクのアル・カイダ)がシリアで活動するときに使っていたとDIA(アメリカ軍の情報機関)は説明している。AQIは2004年に組織され、06年にISIが編成されたときにはその中心になり、今ではISと呼ばれている。つまり、AQIもアル・ヌスラもISも本質的な違いはない。違ってくるのは「雇い主」だけ。アメリカ政府はISだけを攻撃すべきだと主張しているが、無意味だということがわかるだろう。ロシア軍に攻撃されて大きなダメージを受けた反シリア政府軍を助けるため、「IS」というタグを「穏健派」に付け替えて助けようとしているが、ロシア側がその要求を呑むとは思えない。 こうした要求と並行して西側の「リベラル派」や「革新勢力」の中には「戦争でテロをなくせない」と叫ぶ人がいる。勿論、戦術を戦争でなくすことは不可能だが、そうした人びとはロシア軍の侵略軍に対する攻撃を止めさせたがっているのだ。その願いはアメリカの戦争マシーンを動かしている人びとと同じ。日本では安倍晋三政権の同志ということになるだろう。
2015.12.02
11月24日に世界は新たなステージに入った。この日、トルコ軍のF-16戦闘機がロシア軍のSu-24爆撃機を撃墜したのだが、状況から見てトルコ軍はアメリカ/NATOの命令、あるいは承認を受けた上で攻撃した可能性が高く、ロシアもそう考えたからこそミサイル巡洋艦のモスクワをシリアの海岸線近くへ移動させて防空体制を強化、さらに最新の防空システムS-400を配備し、約30機の戦闘機を「護衛」のために派遣、アメリカの対戦車ミサイルでも破壊できないT-90戦車も送り込んだのである。約15万人の予備役兵をシリアへ投入する準備をロシア政府はしているという話まで流れている。NATO軍に対する威嚇と見ることもできるだろう。戦争を始める気なら受けて立つというメッセージだ。 ロシア軍は空爆の計画を事前にアメリカ/NATO側へ通告、トルコ軍もSu-24がどのように飛んでくるかを知っていたはず。だからこそ、ロシア政府は待ち伏せされたと非難しているのである。NATOはギリシャの基地からAWACS(空中早期警戒システム)機を飛ばし、トルコとシリアの国境地帯を監視していたはずなので、ロシア軍機とトルコ軍機の動きは正確につかんでいただろう。つまり、撃墜を避けるために警告することは可能だったが、そうしたことをした形跡はない。 ロシア軍機がトルコ領空へ侵入したとトルコ政府は非難しているが、ロシア政府はその主張を否定、撃墜の際にトルコ軍機がシリア領空を40秒間にわたって侵犯したと反論している。トルコ側の主張では、国境線から1.36マイル(2.19キロメートル)の地点までロシア軍機は侵入、1.17マイル(1.88キロメートル)の距離を17秒にわたって飛行しただけ。Su-24は時速398キロメートルで飛行していたことになるが、この爆撃機の高空における最高速度は時速1654キロメートルで、トルコ説に基づく飛行速度はあまりにも遅く、非現実的だ。もし最高速度に近いスピードで飛んでいたなら、4秒ほどでトルコ領空を通り過ぎてしまう。トルコ側にとって脅威だとは到底、言えない。 撃墜事件後、トルコの戦闘機がギリシャ領空を侵犯している事実も指摘された。2012年646回、13年636回、そして14年は2244回といった具合だ。ちなみに、スウェーデンは2011年から15年の間に領空を侵犯されたのは42回で、その大半はアメリカ機によるものだったという。 トルコ軍機によるロシア軍機の撃墜を計画したのはアメリカ/NATOだった可能性が高く、世界大戦を勃発させかねない火花が散ったのである。嫌露派のズビグネフ・ブレジンスキーは今回の出来事について、アメリカ軍が撃墜したのでなかったことは好運だったとしているが、だからこそトルコ軍にやらせたという見方もできる。ロシア政府がトルコの盗掘石油の密輸(これは公然の秘密だった)に焦点を当てた発言をしているのはアメリカとの戦争を回避しようという意思の表れだろうが、応戦の準備をしていることも事実。 本ブログでは何度も書いているように、ソ連消滅後、アメリカは世界制覇プロジェクトを始動させているが、その基本になるプランは1992年の初めに国防総省がDPGの草案という形でまとめている。ロシアを属国化することに成功、中国支配層は買収済みという前提で書き上げられたもので、旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰すと同時に、ライバルを生む出しかねない膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようという計画だ。ポール・ウォルフォウィッツ国防次官が中心になって作成されたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 その前年、1991年1月から3月にかけてアメリカ軍はイラクを攻撃している。その際、アメリカ軍がサダム・フセインを排除しなかったことをネオコン/シオニストは激怒し、ウォルフォウィッツは5年以内にイラク、シリア、イランを殲滅するとしていた。これはヨーロッパ連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官だったウェズリー・クラーク大将の話だ。 フセインを排除できなかったことを怒ったネオコンが喜んだこともある。アメリカ軍がイラクを攻撃してもソ連軍が出てこなかったからである。つまり、新たな世界大戦を恐れることなくアメリカは軍事侵略できるとネオコンは「学習」したのだ。ウォルフォウィッツ・ドクトリンもそうした発想で作成された。 ロシア軍もアメリカ軍に怯えて出てこないとネオコンは考えていたようだが、現在のロシアは違う。シリアの空爆、カスピ海の艦船から発射された26基の巡航ミサイルによる攻撃、そしてロシア軍機撃墜後の展開はネオコンにとって衝撃だったはずだ。 昨年4月10日に黒海へアメリカ軍はイージス艦のドナルド・クックを入れたが、ロシアの領海近くを航行させた際、ロシア軍のSu-24はジャミングで米艦のイージス・システムは機能しなくなったと言われている。その直後にドナルド・クックはルーマニアへ緊急寄港、それ以降はロシアの領海にアメリカ軍は近づかなくなった。 すでに社会システムが崩壊、経済も破綻しているアメリカは基軸通貨を発行する特権と軍事力を使った脅しで生きながらえてきたが、その「生命維持装置」が効力をなくしてきた。中国とロシアを中心とするBRICSやSCO(上海協力機構)の台頭でドルは基軸通貨の地位から陥落しそうなうえ、軍事力の優位も揺らいでいる。残る手段は核戦争の脅しだろうが、これに失敗したなら、アメリカは破綻国家になる。当然、そのアメリカの従属している日本はアメリカより酷い状況になるだろう。追い詰められた日本が戦争を始める可能性がないとは言えない。【追加】 1980年代にロナルド・レーガン政権はAWACSをサウジアラビアへ売却、今回のロシア軍機撃墜でも何らかの形で関与している可能性があり、また偵察衛星も撃墜を監視していたと指摘されている。
2015.12.01
トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン体制がアル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)へ武器弾薬を含む物資を供給する一方、盗掘石油を市場価格の半額で購入していることは広く知られるようになった。こうした事実はロシアのウラジミル・プーチン大統領にも航空写真などの証拠付きで指摘されているが、エルドアン大統領は「もっと証拠を出せ」と開き直っている。 ISなどが盗掘した石油の輸送、精製、販売で中心的な役割を果たしている人物がエルドアン大統領の息子、ビラル・エルドアンであり、この人物が所有する海運会社、BMZ社を介して売りさばかれている。燃料輸送車やパイプラインでレバノンのベイルートやトルコ南部のジェイハンへ運ばれ、そこにある秘密の埠頭から日本へ向かうタンカーで運んでいると、ジャーナリストのウィリアム・イングダールは報告している。 また、ジェイハンからタンカーでイスラエルへ輸送、そこで偽造書類を受け取ってEUで売りさばくという情報も伝わっているが、こうした盗掘石油を扱っていると言われている会社のひとつがエクソン・モービルだとされている。ロシア軍は盗掘石油の精製施設や燃料輸送車を空爆で破壊、こうした石油の流れを止めたということだ。 石油はイラクやシリアからトルコへという流れだが、逆にトルコからシリアへ運ばれているのが武器弾薬を含む物資。この兵站ラインもアメリカ軍は攻撃しなかったが、ロシア軍は空爆を始めている。 トルコ国内でもエルドアン体制のアル・カイダ系武装勢力やISへの支援に批判的な人は少なくない。昨年1月にはアンカラのウブラフム・アイドゥン憲兵少将、ハムザ・ジェレポグル憲兵中将、ブルハネトゥン・ジュハングログル憲兵大佐が武器を満載したトラックを止めたことがある。法律に違反し、トルコからシリアの武装勢力へ運ぶ途中だったのだが、その輸送はトルコの情報機関MITが黒幕だった。この摘発をした3人の軍人をトルコの治安当局は今年11月28日に逮捕している。「国家秘密」を明らかにしたことが逮捕理由のようだ。 日本と違い、トルコには政府の違法活動を取り上げるメディアが存在、ジュムフリイェトという新聞は今年5月、トルコの情報機関がシリアの武装勢力へ供給するための武器を満載したトラックを憲兵隊が摘発した出来事を写真とビデオ付きで記事にした。同紙の編集長を含む複数の編集者が逮捕されたようだが、新聞社の周辺には編集者を支援するために1000人とも2000人とも言われる人が集まっていたともいう。 支配体制の揺らぎを強権で封じ込めようとしているのだが、そうした強硬策を支えているのはアメリカ/NATOだろう。11月24日にトルコ軍のF-16戦闘機がロシア軍のSu-24爆撃機を撃墜したが、事前にロシア軍はアメリカ/NATO軍へ攻撃に関する詳しい情報を提供、ロシア軍機がどのようなルートを飛行するかを伝えていた。その情報はトルコへ伝えられていたはずで、トルコ側はロシア軍機だということを承知で撃墜した可能性が高い。 この当時、ギリシャの基地を拠点とするNATOのAWACS(空中早期警戒システム)機が飛行中で、トルコとシリアの国境地帯を監視していた。当然、ロシア軍機とトルコ軍機の動きはつかんでいたはずで、軍事衝突を避けたいと考えたなら、ロシア軍機を攻撃する動きをみせたトルコ軍機に警告したはずだ。そうしたことがなかったということは、アメリカ政府だけでなく、NATOもトルコ軍機によるロシア軍機の撃墜を事前に承認していたと考えなければならない。 以前からネオコン/シオニストなどはシリアとトルコとの国境地帯に「飛行禁止空域」を設定すべきだと主張していた。つまり、シリア軍機(後にロシア軍機も含まれる)の飛行を禁止、アル・カイダ系武装集団やISが安心して活動できる地域を作ってそこから軍事侵攻しようと目論んでいたわけだ。 シリアへトルコ軍、あるいはNATO軍を侵攻させるという計画があり、その準備としてロシア軍を排除するためにSu-24を撃墜したという推測も流れている。ロシア軍はNATOとの軍事衝突を恐れるだろうと考えたというのだ。本ブログでは紹介済みだが、ジョン・マケイン上院議員たちはエルドアン大統領に対し、アメリカの国防総省はバラク・オバマ大統領と対決する用意ができていて、これを知っているロシアはシリアから手を引くと伝えたとする情報も流れていた。 ところが、ロシア軍は怖じ気づくどころかミサイル巡洋艦のモスクワを海岸線の近くへ移動させ、最新の防空システムS-400を配備、約30機の戦闘機を「護衛」のために派遣、アメリカの対戦車ミサイルでも破壊できないT-90戦車も送り込んだ。約15万人の予備役兵をシリアへ投入する準備をロシア政府はしているという話まで流れている。トルコとの国境に近い地域はロシア軍によってコントロールされた。 ロシアとトルコとの対立には深刻な背景がある。アメリカ軍の情報機関DIAの動きを見ても推測できるが、すでにアメリカ軍の内部でもネオコンにコントロールされた好戦派に対する反発は強まっている。今回の撃墜はEU内部の亀裂を深めるだろう。安倍晋三政権をはじめ、日本の「エリート」が服従しているアメリカの好戦派は孤立しつつある。現在の国際情勢を理解したければ、「アメリカ情報」に頼ってはならない。
2015.12.01
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