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ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領によると、ボリス・ネムツォフが射殺されたのは、彼がロシアのウクライナへの介入を示す「明白な証拠」を明らかにしようとしていたからだという。が、その可能性はゼロに近い。本当に「明白な証拠」が存在するなら、ネムツォフが親しくしていたアメリカの好戦派を通じ、西側の有力メディアや議員が大キャンペーンを張っていただろう。ジム・インホフェ上院議員も、2008年に撮影された無関係な写真などを振りかざしてロシア軍がウクライナに軍事侵攻したと叫ぶような無様なことにはならなかったはずだ。 証拠があれば、そのように証拠を出して反ロシアのキャンペーンを展開すれば良いのだが、実際はない。だからこそ、キャンペーンを始める出来事が必要。そうした意味で、今回の殺人事件はロシアを脅迫し、屈服させようとしている勢力にとっては願ってもないことだったはず。 しかし、シリアでの偽情報キャンペーンもそうだったが、ネムツォフの射殺は環境作りができていない。思考力のある人なら反射的に疑問を持つだろう。当然、「優秀な有力メディアのジャーナリスト」なら、おかしいと思うはずだが、できの悪いストーリーを形振り構わず一斉に報道している。それだけ追い詰められているということだろう。「狂気」をエスカレートさせて周囲を脅し、予定通りに世界を支配しようとしている。 しかし、何度も書いているように、ロシアや中国は脅しに屈しない。その先に全面核戦争があることを世界の人びとは理解している。EUが離反し始め、アメリカ支配層の内部でもブレーキをかけようとする動きが強まってきたのだが、アメリカの好戦派とは戦争なしには生きていけない戦争ビジネスと人類死滅は救世主が再臨する前提条件だと信じているカルトが含まれている。この好戦派を経済的に支えてきたのが日本。かつて、日本はカルト集団だったナチスと手を組んだ。また同じことをしている。
2015.02.28
外交だけでなく、破壊活動の拠点としてアメリカは大使館を使ってきた。日本もそうだと言われている。最近、IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)の司令部はイラクのアメリカ大使館にあるとイランの義勇兵組織、バスィージのモハマド・レザ・ナクディ准将は語っているが、それだけではない。 ウクライナのクーデターでもアメリカ大使館が拠点になったと言われているが、その前に行われた「カラー革命」でも同じ。旧ソ連圏のケースではリチャード・マイルズの名前が出てくる。この人物は1992年から93年までアゼルバイジャン駐在大使、96年から99年まではユーゴスラビア駐在の最高責任者、99年から2002年まではブルガリア駐在大使、02年から05年まではグルジア駐在大使を務めていた。 ユーゴスラビアではスロボダン・ミロシェビッチ体制を倒して国を破壊、グルジアへ移動してミヘイル・サーカシビリに実権を握らせる工作を行い、2003年の「バラ革命」につながる。サーカシビリがアメリカやイスラエルの影響下にあり、そうした国の支援を受けて南オセチアを奇襲攻撃し、ロシア軍の反撃で惨敗するということもあった。現在、刑事事件の容疑者になっているが、アメリカを後ろ盾にしてウクライナ大統領の顧問になっている。 アメリカはロシアでも同じことをしている。2012年1月14日にマイケル・マクフォールがアメリカ大使としてモスクワに到着したが、その3日後にロシアの反プーチン/親アメリカ(親ウォール街)派のリーダーがアメリカ大使館を訪れた。 「戦略31」のボリス・ネムツォフとイーブゲニヤ・チリコーワ、「モスクワ・ヘルシンキ・グループ」のレフ・ポノマレフ、選挙監視グループ「GOLOS」のリリヤ・シバノーワらだ。この中のひとり、ネムツォフが2月27日に赤の広場近くの路上で射殺されたということである。このグループのロシアにおける影響力は大きく低下、アメリカにとって役に立たない存在。日本にはアメリカ大使館の指示に従って動く人びとを「民主的」と崇拝する人がいるのかもしれないが、ロシアでは見限られている。
2015.02.28
ボリス・ネムツォフというロシアの政治家が2月27日、赤の広場近くの路上で射殺されたという。「反体制」という修飾語がつけられているが、それはウラジミル・プーチンが実権を握ってから。アメリカの傀儡体制だったボリス・エリツィン時代は成功した体制派で、ロシアの副首相も務めている。つまり、ロシア国民の資産を盗み、「オリガルヒ」と呼ばれる富豪を生み出す一方、庶民を貧困化させ、街に犯罪者と娼婦を増やした勢力に属しているということ。ネムツォフの場合、「反体制」とは「親ウォール街」を意味しているわけで、プーチンのライバルなどと言える存在ではなく、「プーチンに反対する若手最有力政治家」だと私には表現できない。 しかし、西側の有力メディアにとってネムツォフの死はプーチンを攻撃する願ってもない材料になる。プーチンが殺したというイメージを広げるだけなら証拠は必要ない。ただ単に「プーチン政権下、ジャーナリスト殺害頻繁」という切り口で宣伝、ロシア嫌い/嫌露派はそれで満足することになるだろう。勿論、そうした材料を西側へ与えるほどプーチンは愚かでない。 ロナルド・レーガン政権で財務次官補を務めたポール・クレイグ・ロバーツは今回の事件に関し、CIAがプーチンを攻撃するために手駒のネムツォフを暗殺したのでなければ、ロシアのナショナリストが彼をアメリカのエージェントだと考えて殺したのだろうとしている。確かに、そのどちらかである可能性が高い。それが合理的な見方だが、そうした見方をすると西側の支配層からは睨まれ、場合によっては報復される。 ベトナム戦争以降、アメリカの支配層は報道のコントロールを強化している。記者や編集者を買収していることは、例えば、元ワシントン・ポスト紙記者のカール・バーンスタインが1977年にローリング・ストーン誌で明らかにした(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)ほか、フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者でヘルムート・コール首相の顧問を務めた経験もあるウド・ウルフコテは、ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収され、例えば、人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開しているとしている。構造的な問題は、ノーム・チョムスキーとエドワード・ハーマンが『同意の製造』(Edward S. Herman & Noam Chomsky, "Manufacturing Consent," Pantheon, 1988)で分析している。その一方、権力者に服従しないジャーナリストは排除され、変死することも珍しくはない。 日本ではアメリカに「報道の自由」があると信じている人が少なくない。その象徴とされているのが「ウォーターゲート事件の追及」だが、CIAとメディアの癒着を明らかにしたバーンスタインは、この事件を追いかけた記者のひとり。その記者がワシントン・ポスト紙を辞めてローリング・ストーン誌の記事を書いた意味は重い。この雑誌記事は日本で無視されているようだが、その意味はさらに重い。 アメリカは21世紀に入ると、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナなど世界各地で戦争を始めているが、ベトナム戦争の時代とは違い、取材を厳しく制限して「大本営発表」的な仕組みを作っている。この仕組みから外れて取材するジャーナリストは攻撃され、犠牲になった人もいる。そうしたひとりがシリアのアレッポで殺された山本美香。 彼女は反政府軍に同行して取材していたようだ。反政府軍の立場からシリアを取材する場合、トルコから密輸ルートを使ってシリアへ入っているようなので、それだけでも危険が伴う。山本が殺された時期、シリア政府のイメージを悪魔化するために「ジャーナリストの死」を演出しようとしていた疑いもある。 例えば、イギリスのテレビ局、チャンネル4のケース。チームの中心的な存在だったアレックス・トンプソンによると、彼らは反政府軍の罠にはまり、危うく政府軍から射殺されるところだったという。取材していたチームを反政府軍の兵士は交戦地帯へと導き、政府軍に銃撃させるように仕向けたというのだ。 イギリスやドイツなどの情報機関から政府軍の位置は知らされているはずで、危険な場所を避けることは可能だった。意図的に戦闘の最前線へ連れて行かれたとしか考えられない。トンプソンたちは危険を察知して逃げることに成功したが、運が悪ければ殺されていた。殺されれば、政府軍が西側のジャーナリストを殺したと宣伝できる。実際、山本の場合は宣伝に利用された。 ウクライナではロシアのジャーナリストが殺され、キエフ政権に拘束されている。自分たちが事実に反する「報道」を繰り返していることを明らかにするライバルを排除してもらいたいと思っているのかどうかは知らないが、西側メディアはそうした出来事を無視する。 2004年7月にモスクワで射殺されたフォーブス誌のポール・クレブニコフの場合、西側やエリツィン政権から嫌われていた。オリガルヒ、特にボリス・ベレゾフスキーの不正を追及していたのだ。 ベレゾフスキーの背景はチェチェンの戦闘集団や犯罪組織。このベレゾフスキーを日本では「民主化」を象徴する「実業家」として紹介していたが、実際は違うことをクレイブニコフは明確にしている。こうした状況があるため、クレイブニコフ暗殺の背後にベレゾフスキーがいるのではないかと疑う人も少なくない。(Paul Klebnikov, "Godfather of the Kremlin", Harcourt, 2000) 後にベレゾフスキーは経済的に厳しい状況になり、ロシアへ帰る決断をするのだが、それから間もなく、2013年3月に急死した。反ロシアのネットワークやプロジェクトを熟知しているはずの人物がロシアへ戻れず、西側支配層は安堵したことだろう。 記者だけが「犠牲者」の演出に利用されるわけではない。1976年7月4日にイスラエル軍が実行した人質救出を目的とする「サンダーボルト作戦」の場合、イギリス政府が公開した1976年6月30日付けの文書によると、イスラエルの治安機関シン・ベトがPFLP(パレスチナ解放人民戦線)と手を組んで実行したものだという。この情報は、パリ駐在のイギリス外交官がえたものだという。 PFLPの協力を得てテル・アビブ発パリ行きのエアー・フランス139便を6月27日にハイジャックをイスラエルは演出、その旅客機が降りたウガンダのエンテベ空港へイスラエル政府は特殊部隊を含むチームを送り込み、人質105名のうち102名を救出、その際に地上部隊を指揮していたヨナタン・ネタニアフが死亡している。この特殊部隊員はベンヤミン・ネタニヤフ首相の兄だ。この事件でパレスチナ人の凶暴性、そしてイスラエルの人質救出成功を宣伝することができた。 1985年のあった「アキレ・ラウロ号事件」も犠牲者を演出した一例。イスラエルの情報機関ERD(対外関係局)に所属していたアリ・ベン-メナシェによると、イスラエルの情報機関はモハメド・ラディ・アブドゥラというヨルダン軍の元大佐を介して命令をアブル・アッバスなる人物に伝える。 アッバスはシチリア島のドンから資金を得ていると信じ、自分がイスラエルに操られていることは知らなかった。そして襲撃チームを編成、アキレ・ラウロ号を襲う。その際にイスラエル系アメリカ人が殺され、イスラエルに取っては効果的な宣伝になった。
2015.02.28
シリアに対する攻撃が差し迫っているとする見方がある。西側の有力メディア、タイム誌が怪しげな情報源に基づいて書かれたシリア政府を非難する記事を掲載したことも、そうした憶測を生む一因だ。シリア政府とIS(イラクとレバントのイスラム首長国。イスラム国、ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)を結びつける怪しげな情報源として登場するのがアサド「体制に近いスンニ派の実業家」と「西側の外交官」。いずれも匿名で、ほかの情報との整合性は全くない。 ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、ウクライナなどアメリカを中心とする西側の軍隊が先制攻撃する際に展開されたプロパガンダと同じパターンだが、そうした中でも特に怪しげな記事で、記事が出た瞬間から偽情報だと言われる代物。記事を書いたアリン・ベーカーもそうしたことは認識しているだろうが、それでも書いた。そこでそれだけ事態が切迫しているのではないか、と言われているわけだ。 タイム誌はタイム・ワーナーが出している週刊誌だが、このタイム・ワーナーは1996年にターナー放送システム(TBS)を買収、CNNもタイム・ワーナーの傘下に入った。そのCNNの番組でウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官は、ISをアメリカの友好国と同盟国が作ったとCNNの番組で発言している。 ISの歴史も1970年代のアフガニスタンから始まる。ズビグネフ・ブレジンスキーのプランに基づいて編成され、CIAが支援、訓練して育成したスンニ派系の武装集団が始まりだということ。活動資金を麻薬取引で稼いでいたものの、サウジアラビアが雇い主としてカネを出している。 こうして訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルが「アル・カイダ」だとロビン・クック元英外相はガーディアン紙で説明していた。アル・カイダとはアラビア語で「ベース」を意味、「基地」と表現することもできるが、実態は「データベース」だということだ。なお、クックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡してしまった。享年59歳。 このアル・カイダを多くの人が知る切っ掛けになったのが2001年9月11日にアメリカで起こる。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、その直後、碌な調査もしないでアル・カイダが実行したとアメリカ政府は宣言、戦争体制に入ったのである。その数週間後、国防長官のオフィスではイラクを手始めに、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃するプランを持っていた。これはクラーク元欧州連合軍最高司令官の発言。こうした国々は9月11日の攻撃と関係はない。(アル・カイダとの関係を示す証拠もない。) 計画通り、アメリカ政府は2003年にイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を破壊した。アル・カイダ系の武装集団を「人権無視」で弾圧していたフセインが排除された後、2004年にアル・カイダ系のAQI(イラクのアル・カイダ)が組織され、イラクで活動を始める。 ネオコン/シオニストが主導権を握っていたジョージ・W・ブッシュ政権時代のアメリカはイスラエルとサウジアラビアと手を組み、シリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を2007年には開始していた可能性が高い。ソ連が消滅した1991年、国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを5年から10年で殲滅すると語っていたという。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官の話だ。 2006年1月にAQIを中心にしていくつかの集団が集まって編成された組織がISI。シリアで西側が行っていた体制転覆プロジェクトが思惑通りに進まず泥沼化、そこでISIはシリアでの戦闘に加わり、ISと呼ばれるようになった。 2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でCIAや特殊部隊が反シリア政府軍の戦闘員を育成するために訓練しているが、その中にISのメンバーが含まれていたと言われている。 シリアで体制転覆プロジェクトが顕在化した2011年春からアメリカ/NATOはトルコにある米空軍インシルリク基地で反シリア政府派を訓練している。アメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員が教官で、イギリス、アメリカ、フランス、カタール、ヨルダン、トルコも特殊部隊をシリア領内で活動させていると疑われてきた。 2011年10月にリビアでムアンマル・アル・カダフィが惨殺された直後、ベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられた。アメリカ/NATOが地上軍として使ったLIFGはアル・カイダ系で、こうしたことが起こるのは必然。その様子を撮影した映像がすぐにYouTubeにアップロードされ、イギリスのデイリー・メール紙もその事実を伝えている。 リビアでのプロジェクトを終えたアル・カイダの戦闘員はシリアへ移動していく。ヨルダンでCIAなどが反シリア政府軍の戦闘員を訓練したのは、その翌年ということになる。 2013年9月、退任間近だった駐米イスラエル大使のマイケル・オーレンは、イスラエルの希望はシリアの体制転覆であり、バシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。イスラエルはこれまで何度かシリアを空爆しているが、ISを支援するものだと指摘されている。 2014年3月、イラクの首相だったノウリ・アル・マリキは、反政府勢力へサウジアラビアやカタールが資金を出していると非難、その翌月に行われた選挙でアル・マリキを支える「法治国家連合」が全328議席のうち92議席を獲得、第1勢力になった。本来ならマリキが次期首相に指名されるのだが、大統領はアメリカが嫌っているマリキを拒否した。 そうした中、ISはイラク北部の油田地帯やダムを制圧、6月の始めには大攻勢をかけてファルージャやモスルを制圧した。その際、アメリカはスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人の情報もなどでISの動きを把握していたはずだが、反応していない。ISがトヨタの車を連ねてパレードしている写真があるが、その様子も知っていたはず。その時に攻撃すれば大きなダメージを与えられたはずだが、示威行進をやらせていた。 民主的に選ばれた政権が施設を国有化したなら、間違いなく販売先に圧力をかけて取り引きを妨害するだろうが、アメリカはISの資金源にも手を出していない。スポンサーであるペルシャ湾岸産油国の王族/富豪に圧力をかけた形跡は見られるず、盗んだ原油の販売も放置しているようだ。その販売ルートは、パイプラインでトルコのジェイハンへ運び、そこからタンカーでイスラエルへ輸送、そこで偽造書類を受け取ってEUで売りさばいていると言われている。トルコとイスラエルがその気になれば流れは止ま、戦闘は勿論、組織の存続も難しくなるだろう。 ISは中東/北アフリカを再植民地化する道具だとも言われているが、その道具を使っているのはアメリカ(ネオコン)、イスラエル、サウジアラビアだけでなく、イギリス、フランス、トルコ、カタールなども含まれる。 イスラエルは「大イスラエル構想」のほか地中海東岸で発見された天然ガス田の支配、ライバルの弱体化、アメリカ/NATOや湾岸の産油国はエネルギー源の支配を目論んでいるのだろう。シリアが狙われている大きな理由は、パイプラインを建設する際の重要地点だということ。 カタールはパイプラインでシリアまで運び、そこからEUへ売りたいのだが、そのためにはシリアのアサド政権が邪魔。そこでアル・カイダに資金を提供してきた。サウジアラビアはシリアに傀儡政権を樹立してライバル地域のエネルギーを支配することを目的としていると見られている。 カタールが目論むパイプラインのライバルになるのがイラン、イラク、シリアを結ぶもの。ISはこれを潰すことになる。シリアにアメリカ、イスラエル、ペルシャ湾岸産油国の傀儡政権ができれば、このパイプラインに止めを刺すことになるだろう。ペルシャ湾岸からEUへ石油や天然ガスを運ぶルートができれば、EUはロシアにエネルギーを依存しなくてすむ。 それに対し、ロシアはEUを見限って中国へ接近しつつある。イランはパキスタンへ天然ガスを運ぶパイプラインを建設中。さらにインドへというプランもある。こうした計画にアメリカは強く反対、建設を妨害しているようだが、ひとつの理由は中国。2013年にパキスタン政府は中国企業へグワーダル港の管轄権を委譲したというが、ここから石油を積み出せれば、ホルムズ海峡通過というリスクを回避できる。 アメリカの戦略では、ウクライナを押さえてロシアとEUを分断、シリアに傀儡政権を樹立させてペルシャ湾岸からEUへエネルギー源を運ぶルートを作り、イランとEUとをつなぐパイプラインを剪断することもできる。そのためにもシリアの体制転覆を急ぐ必要があるわけだ。
2015.02.27
遅くとも1980年代以降、イスラエルとサウジアラビアは同盟関係にある。そうした実態を示す新たなエピソードが伝えられた。タイムズ・オブ・イスラエル紙によると、イランを攻撃するイスラエルの戦闘機の自国領通過をサウジアラビアは受け入れていたというのだ。 この2カ国がアメリカと共同でシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したとシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に書いている。工作の中心にはアメリカ政府のリチャード・チェイニー副大統領、ネオコン/シオニストのエリオット・エイブラムズ国家安全保障問題担当次席補佐官やザルメイ・ハリルザド、そしてサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタンだと言われている。 スルタンは1983年から2005年まで駐米大使、2012年から14年にかけて総合情報庁の長官、2005年から現在に至るまで国家安全保障会議の事務局長を務めた人物。ブッシュ家と親しいことからバンダル・ブッシュとも呼ばれている。アフガニスタン戦争からイラクのサダム・フセイン体制破壊まで駐米大使、シリアの体制転覆プロジェクトにアル・カイダが投入された時期に総合情報庁長官だった事実は興味深い。 アメリカがアフガニスタンへの工作を始めるのは1950年代だが、ソ連をアフガニスタンへ引きずり込むというズビグネフ・ブレジンスキーの戦略に基づき、CIAがイスラム武装勢力(ムジャヒディン)の編成と支援に乗り出したのは1979年4月。その翌月にCIAイスタンブール支局長がパキスタンの情報機関の仲介でアフガニスタンのリーダーたちと会談している。ソ連の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻したのはその年の12月だった。 1980年2月にブレジンスキーはパキスタンとサウジアラビアを訪問、軍事面と資金面の協力について話し合い、CIAは爆弾製造や破壊工作の方法をアフガニスタンの武装グループに伝授、都市ゲリラ戦訓練なども実施することになる。1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックによると、そうした訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルが「アル・カイダ」。アル・カイダとはアラビア語で「基地(ベース)」や「データベース」を意味している。 アフガニスタンでソ連軍と戦うために必要な資金を扱っていたのがBCCI。CIAの銀行のひとつで、アガ・ハッサン・アベディというパキスタン人が中心人物。サウジアラビアの富豪やアメリカの巨大銀行BOAなどが後ろ盾になっていた。 昨年3月、イラクの首相だったヌーリ・アル・マリキはサウジアラビアやカタールが反政府勢力へ資金を提供していると批判しているが、アル・カイダのスポンサーがサウジアラビアなどペルシャ湾岸の産油国だということは公然の秘密。スルタンがアル・カイダを動かし、アブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子がISを雇っていると言われているが、サウジアラビアの新国王、サルマン・ビン・アブドルアジズ・アル・サウドは慈善団体などを通じてアル・カイダへ資金を供給していたとされている。 イスラエルがグルジアやウクライナと緊密な関係にあることは本ブログでもすでに書いた。そのイスラエルと一心同体の関係にあるネオコンはロシアと「チキン・レース」を始め、全面核戦争の危機を高めている。脅しには屈しないロシアや中国が相手である以上、脅しを止めなければ、どこかの時点で世界大戦になる。 20世紀に経験した2度の世界大戦でヨーロッパやロシア/ソ連は破壊され、戦場にならず、軍需産業や銀行が大儲け、ドイツや日本が占領国で略奪した財宝を掠め取ることでアメリカの支配層は大儲け、世界に大きな影響力を及ぼすようになった。次の世界大戦でライバルを破壊し、アメリカが「唯一の超大国」として世界を支配できると信じているのかもしれない。 2006年、フォーリン・アフェアーズ誌に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文によると、アメリカが核兵器のシステムを向上させているのに対し、ロシアの武器は急激に衰え、中国は核兵器の近代化に手間取り、相対的にバランスが大きく変化、アメリカはロシアと中国の長距離核兵器を第1撃で破壊できるとしている。ハーシュが三国同盟の秘密工作をニューヨーカー誌に書いたのは、その翌年。2月5日付けのフォーリン・アフェアーズ誌では、アレクサンドル・J・モチリなる人物がロシアは簡単に崩壊するかのように書いている。 戦争熱に浮かされたネオコンは戯言を叫び続けている。叫ぶだけなら良いのだが、彼らは核戦争を引き起こす能力があり、開戦に向かって暴走している。 日本の支配層にはネオコンに服従、あるいは心酔している人が多いようで、危機感は感じられないが、アメリカ支配層の内部でも危機感を抱く人が増えてきた。先日はウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官がIS(イラクとレバントのイスラム首長国。イスラム国、ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)を作り上げたのはアメリカの友好国と同盟国だとCNNの番組で発言、2月11日には元駐ソ連アメリカ大使のジャック・マトロックがナショナル・プレス・クラブでロシアに対する敵対的な姿勢の危険性を警告している。
2015.02.26
ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領は国際武器展IDEX-2015に参加するためにアラブ首長国連邦を訪問した。そこでムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン皇太子やUAE軍のシェイク・ムハンマド・ビン・ザイード・アル-ナーヤン副最高司令官と交渉し、アメリカをはじめとする西側の武器を購入することで合意に達したと2月24日に発表した。ウクライナ大統領は戦争の準備に余念がないわけだ。 さらに、NATOはエストニアのロシア国境近くで軍事車両の隊列を街に走らせてロシアを挑発、キエフではネオ・ナチのグループがポロシェンコ政権の交渉姿勢に抗議して示威行動を始めた。現在、ウクライナ東部の和平に関してドイツ、フランス、ロシア、ウクライナの4カ国は話し合いを進めているが、平和への道は遠そうだ。 和平交渉にアメリカは参加していないものの、ポロシェンコ政権の内部には食い込み、コントロール体制を強化している。アメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補から高く評価されていた、つまり忠実な僕だと認識されていたアルセニー・ヤツェニュクがクーデター直後から首相を務めているほか、昨年12月から金融相にはアメリカの元外交官でファンドを経営していたナタリー・ヤレスコ、経済発展相にはリトアニアの投資銀行家であるアイバラス・アブロマビチュス、保健相にはグルジアで労働社会保護相を務めたことのあるアレキサンドル・クビタシビリが据えられた。 それだけでなく、ポロシェンコ大統領の顧問にはグルジアの元大統領で刑事事件の容疑者になっているミヘイル・サーカシビリが就任、やはりグルジア政府が刑事事件で国際手配している元法務相のズラブ・アデイシビリはウクライナ当局の非公式顧問になった。 こうした人事を受け、グルジア外務省はウクライナ大使を呼び出して話をしているが、その時にウクライナ側は、独立国家であるウクライナの政府は必要と思うことを行うことができると答えたようだ。 ウクライナがこれだけ強硬なのは、背後にアメリカやイスラエルが存在しているからにほかならない。アメリカでは1950年代からウクライナ系のコミュニティーとイスラエル系のコミュニティーが接近、現在に至っている。ウクライナからアメリカへ移り住んだ人びとの中にはステファン・バンデラの信奉者が少なくない一方、ユダヤ系の人びとにはコミュニストを支持していた人がいたが、こうした問題には触れないことにしたようだ。 もっとも、シオニストの中でもウラジミール・ジャボチンスキーが率いるグループは反コミュニストで、そのため、イギリスが利用した。ナチスとも接触があったことを示す文書も残っている。 現在のグルジア政府はサーカシビリ時代と違うとは言うものの、まだパンキシ渓谷にはチェチェンの反ロシア武装勢力の拠点がある。そこでCIAは戦闘員候補をリクルート、訓練して戦闘地域に送り出している。シリアへ200名から1000名が入ったと言われているのだが、昨年2月のウクライナにおけるクーデターにも戦闘員が参加していた疑いがある。 クーデター直後から、アメリカ/NATOを後ろ盾とするキエフ政権はウクライナの正規軍を掌握し切れていなかった。オリガルヒやネオ・ナチに対する反発もあっただろう。そこで、ネオ・ナチを中心とする戦闘集団を編成した。ウクライナ、イスラエル、キプロスの三重国籍を持つ「オリガルヒ」で、生活の拠点はスイスのジュネーブだというドニエプロペトロフスク知事のイゴール・コロモイスキーはアゾフ、アイダル、ドンバス、ドニエプルといった戦闘集団を個人的に創設、東/南部での民族浄化に参加させた。 サーカシビリなどの問題で亀裂の入ったグルジアとウクライナだが、そこへヌランドが乗り込み、両国は互いに協力し合えと圧力をかけてからアゼルバイジャンやアルメニアへ足を伸ばしたようだ。軍事的な意味と同時に、石油も念頭に置いた動きだと言える。第2次世界大戦でドイツ軍がこの地域を制圧しようとした理由もエネルギー資源にあった。 その東、中央アジアの国々ではロシアと中国が影響力を強めている。両国を中心に作られたSCO(上海合作組織)にはカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタンも参加し、インド、イラン、モンゴル、パキスタンがオブザーバーとして加わっている。この中央アジアでもアメリカは活発に動き、武装集団を編成している。 中でも注目されているのがウイグル系の人びとで、トルコ経由でシリアへ入り、IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーシュとも表記)へ参加しようとする動きもある。中国で破壊活動を展開しているのもウイグル系の戦闘集団だ。 対中国戦を考えると、この集団は新疆ウイグル自治区を拠点にして戦うことになるだろうが、アメリカは東アジアでの軍事力を増強し、日本を自分たちの戦力に組み込みつつある。西と東で同時にアメリカが中国に戦争を仕掛ける可能性はある。 日本はアメリカと軍事同盟を結んでいる。その始まりは1951年9月8日。サンフランシスコのオペラハウスで「対日平和条約」に調印したのだが、その1週間前には、同じプレシディオでアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国がANZUS条約を結んでいる。日米安保とANZUSは結びついていると考えるべきだろう。 この調印式に吉田茂は行きたくなかったようだが、7月19日に昭和天皇と会い、全権団を率いることに同意したという。日米軍事同盟を日本側で推進していたのは昭和天皇だった可能性が高い。 現在、ANZUSからニュージーランドが離脱した形で、アジアの太平洋側はアメリカ、オーストラリア、日本でロシアと中国を包囲する態勢。この3カ国と中央アジアをつなげるため、インドを使いたいのだが、このインドは現在、BRICSのひとつ。ブラジル、ロシア、中国、南アフリカと手を組んでいるということだ。日本も必死にインドを懐柔しようとしているが、成功したようには見えない。 アメリカがネオ・ナチやアル・カイダ/ISのような戦闘集団を使って中国やロシアの周辺を戦乱で破壊しようとした場合、アメリカ本土は戦場にしたくないはず。そこでキューバを制圧しておく必要があるわけだ。かつて、1950年代から60年代の前半にかけてソ連への先制核攻撃を計画した際、キューバへ軍事侵攻しようとした理由もここにある。今回は関係改善という形で行おうとしているとも考えられる。
2015.02.25
アメリカの支配層、特にネオコン/シオニストは1991年にソ連が消滅してから世界制覇プロジェクトを開始、旧ソ連圏、中東、アフリカ、南アメリカというように、世界規模で戦乱を拡大させ、東アジアでも軍事的な緊張を高めている。2月12日にはベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領がクーデター計画を阻止したと発表した。この日、ベネズエラ軍を装ったアメリカの傭兵会社「アカデミ」(かつてのブラックウォーター)の航空機が大統領官邸を攻撃してマドゥロ大統領を暗殺、ベネズエラ国内に潜入させたエージェントに暴動を演出させることになっていたという。 アメリカやサウジアラビアは石油相場の急落を演出、ロシア、イラン、ベネズエラなどにプレッシャーをかけてきたと言われているが、それだけでなく、昨年12月にアメリカ政府はベネズエラに対しても「制裁」、つまり経済戦争を強化している。 このクーデター計画は2月6日に完成、「ジェリコ計画」という暗号名がつけられ、アメリカのNSC(国家安全保障会議)のリカルド・ズニーガが指揮したと言われている。この人物は2009年から11年にかけてCIAのハバナ支局長を務め、反フィデル・カストロ派をキューバ国内で編成するためのエージェントを雇う工作を行っていた。軍事行動の責任者はSOUTHCOM(アメリカ南方軍)で情報部門を統括しているトーマス・ゲリー准将とアダデミのレベッカ・チャベス。 キューバはアメリカとの関係改善を進めているように見えるが、裏ではクーデターの準備が進められていたということだ。そこで、今回のアメリカ政府の動きも「カラー革命」でキューバの体制を転覆させる布石だと推測する人も少なくない。 ベネズエラでもNEDをはじめとするNGOが中心的な役割を果たしたようだが、イスラエル、イギリス、カナダ、ドイツも参加、それぞれチャベス派の暗殺、プロパガンダ、国際空港のコントロール、NATO諸国の人びとの保護を担当することになっていたという。 クーデターが成功した場合、大統領に就任する予定だったとされているのはマリア・コリナ・マチャド元議員。マチャドはアントニオ・ロデスマ、レオポルド・ロペスと共同で11日に声明を発表、新政権への移行を訴え、石油産業の私有化、経済の規制緩和、IMFなど国際金融機関との協定を主張している。「国境なき巨大資本」にベネズエラを支配させ、国の資産を略奪し、自分たちは「オリガルヒ」になりたいという宣言だ。 ベネズエラの現政権はウーゴ・チャベスの政策を引き継いでいる。アメリカはその政策を止めさせ、「国境なき巨大資本」が儲けやすい環境を作り上げようとしてきた。チャベスが大統領に就任したのは1999年。その3年後にアメリカはクーデターを試みて失敗している。この計画が失敗した理由は、事前にOPECの事務局長を務めていたベネズエラ人のアリ・ロドリゲスからチャベスへ知らされたため。 そのとき、クーデターの黒幕として名前が挙がったのは、ネオコン/シオニストのエリオット・エイブラムズ、キューバ系のオットー・ライク、秘密工作の常連であるジョン・ネグロポンテ。アメリカの武官、例えばジェームズ・ロジャーズ中佐の関与も指摘されている。クーデターの際、アメリカ海軍がベネズエラ沖で待機していたという。 WikiLeaksが公表したアメリカの外交文書によると、2006年にもクーデターが計画された。「民主的機関」、つまりアメリカの支配システムに組み込まれた機関を強化してチャベスの政治的な拠点に潜入し、チャベス派を分裂させ、アメリカの重要なビジネスを保護し、チャベスを国際的に孤立させるとしている。そのチャベスは2013年3月、癌のため、58歳の若さで死亡した。癌の原因が人為的なものかどうかは不明だ。 1年前に本ブログで書いたことだが、アメリカのクーデター計画はその後も続き、昨年2月17日にはアメリカの外交官3名、つまり副領事のブレアン・マリー・マックスカー、ジェフリー・エルセン、そして二等書記官のクリストファー・リー・クラークが国外追放になっている。アメリカはベネズエラの学生組織していたようで、そうした学生グループのリーダーは、11日に声明を出したひとりで、ハーバード大学で学んだ経験のあるレオポルド・ロペスだとされていた。
2015.02.25
2月22日、名護市辺野古にある米軍キャンプ・シュワブのゲート前で沖縄平和運動センターの山城博治議長ともうひとりの男性がアメリカ軍の警備員に拘束された。抗議行動を展開していた市民40名に対し、軍の敷地から離れるように呼びかけていた山城議長を警備員が後ろからつかみかかり、身柄を押さえてゲート内に連行、アメリカ兵が後ろ手に手錠をして拘束したのだが、拘束すべき状況ではなく、「逮捕」というパフォーマンスを演出したかったとしか思えない。 抗議行動の目的は新基地の建設に反対することにあった。そうした怒りの根源には沖縄にアメリカ軍基地の集中している現実がある。日本に駐留しているアメリカ軍は全体で約4万5000人、その半数以上は沖縄にいる。基地の面積で比較すると74%が集中している沖縄県だが、県の面積は全国の0.6%にすぎない。 その沖縄に新しい軍事基地を建設するということは異常としか言いようがない。首相時代に鳩山由紀夫がアメリカ海兵隊普天間基地の移転先を「最低でも県外」と言ったのは正論だ。その正論を日本の政治家、官僚、マスコミ社員は認めようとせず、総掛かりで潰した。 昭和天皇は1947年9月、アメリカ軍の沖縄占領が「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクション」のもとで継続されることを望むというメッセージを出している(豊下楢彦著『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫)が、そうした発想が出てくる根幹には琉球王国を併合して植民地化した「琉球処分」がある。 多くの人が指摘しているように、海兵隊は攻撃のための兵力。ネオコン/シオニストのシンクタンク、PNACは2000年に発表した報告『アメリカ国防の再構築』の中で東アジアでの軍備増強を主張、海兵隊向けに垂直離着陸機V-22「オスプレイ」を導入するように要求している。従来のヘリコプターに比べて航続距離が大幅に伸び、格段に速くなり、行動範囲が広がるからだ。 こうした軍事力の増強を正当化するためには敵が必要。1991年にソ連が消滅した後、国防総省内部のシンクタンクONAのアンドリュー・マーシャル室長は「中国脅威論」を主張した。1992年にリチャード・チェイニー副大統領(当時)、ドナルド・ラムズフェルド国防長官(同)やポール・ウォルフォウィッツ国防次官(同)の下で作られたDPGの草案はマーシャルの戦略がベースになっていたようだ。 マーシャルはシカゴ大学で経済学を学んだ後、1949年に国防総省系シンクタンク「ランド・コーポレーション」に入って核戦争について研究、リチャード・ニクソンが大統領だった73年にONAが創設されると室長に就任している。 1974年にニクソンがウォーターゲート事件で失脚、ジェラルド・フォードが副大統領から大統領へ昇格するとデタント(緊張緩和)派が粛清され、CIAの内部ではソ連の脅威を宣伝する「チームB」が始動した。 そのソ連脅威論を立案したと言われているのがマーシャル。その師にあたるバーナード・ルイスは親イスラエル派として知られ、サミュエル・ハンチントンと同じように「文明の衝突」を主張していた。シオニスト国家(イスラエル)を支持していたことは勿論だが、サウジアラビアや湾岸の産油国をはじめとする独裁国家も支援していた。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) アメリカの好戦派は東アジアの緊張を高めるために朝鮮を利用してきたが、ソ連消滅後に「脅威」を存続させるため、朝鮮へ救いの手をさしのべる人物が現れた。統一教会の文鮮明だ。アメリカの情報機関、DIA(国防情報局)によると、1991年11月末から翌月上旬にかけて統一協会の文鮮明教祖が朝鮮を訪問、その際に「4500億円」を寄付、1993年にはアメリカのペンシルベニア州に保有していた不動産を売却して得た資金300万ドルを香港の韓国系企業を介して朝鮮へ送っている。 この統一教会とジョージ・H・W・ブッシュが緊密な関係にあることも有名。ウクライナやクロアチアなどの親ナチス派で組織されたABNは1966年、台湾の蒋介石政権と韓国の情報機関によって創設されたAPACLが一緒になり、WACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)という組織になっているが、このWACL設立にも統一教会は参加している。 1990年代の終わりになると、アメリカの好戦派は東アジアでの戦争を想定した作戦を作成しはじめる。例えば、1998年に改訂されたOPLAN(作戦計画)5027-98は、当時の金正日体制を倒して国家として朝鮮を消滅させ、韓国が主導して新たな国を建設するというプラン。この直前、日本では「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」がまとめられ、1999年には「周辺事態法」が成立している。 その年、アメリカでは朝鮮の金体制が崩壊した場合に備えるとしてCONPLAN(概念計画)5029が作成され、2005年にOPLANへ格上げされた。2005年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が発表されている。 5029が格上げされる2年前、空爆を電子戦やサイバー攻撃と並行して行うという内容のCONPLAN 8022-02が作成された。これには先制核攻撃が含まれ、そのターゲットとして朝鮮やイランが想定されている。 その朝鮮との関係をロシアは2年前から強めていた。例えば、朝鮮がロシアに負っている債務の90%(約100億ドル)を帳消しにし、10億ドルの投資をするとロシア政府は提案している。ロシアは天然ガスを韓国へ送るパイプラインのほか、鉄道も建設したい意向のようだ。今年5月9日、ロシアは対ドイツ戦勝利70周年の記念式典を予定しているが、この式典に金正恩第一書記を招待している。 そうした中、引き起こされたのがソニー・ピクチャーズエンタテインメント(PSE)のハッキング騒動。バラク・オバマ米大統領は根拠、証拠を示すことなくハッカー攻撃に朝鮮政府が関与していると断定、同社が金正恩第一書記の暗殺をテーマにした「コメディ」だという「ザ・インタビュー」の封切り中止を発表したことを批判した。 このハッキングについては、早い段階から自作自演説が流れ、その後もそうした説が強まっている。デイリー・ビースト(ニューズウィーク誌系)によると、少なくとも2名のアメリカ政府高官は映画のラフ・カットを、つまり編集の途中で見て、6月の終わりには映画を有効なプロパガンダだとして賞賛していたという。つまり、この映画の製作にアメリカ政府が関与しているということであり、第一書記の頭を吹き飛ばす場面は国務省の意向だったともされている。 前にも書いたように、この映画をプロデュースし、主役も演じたセス・ローゲンは親イスラエル派として知られ、両親が知り合ったのはイスラエルのキブツだという2代続けて筋金入りの親イスラエル派。ジャーナリストのウェイン・マドセンによると、イスラエル軍がガザで行った虐殺を支持、この点はもうひとりの主役、ジェームズ・フランコも同じだという。 ネオコン/シオニストは中東、北アフリカ、ウクライナに続き、東アジアへも破壊と殺戮を持ち込もうとしているように見える。その手先になっているのが民主党の菅直人や野田佳彦、そして自民党の安倍晋三ということになるだろう。
2015.02.23
このところ「テロ」の象徴に祭り上げられているIS(イラクとレバントのイスラム首長国。イスラム国、ISIS、ISIL、IEIL、ダーシュとも表記)を作り上げたのはアメリカの友好国と同盟国だとCNNの番組でウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官は語った。 ISを作り上げたのはアメリカ/NATOやペルシャ湾岸の産油国であり、イスラエルも支援しているということは本ブログで何度も書いてきたこと。つまり、内容自体は驚きでも何でもないが、その発言をした人物がアメリカ陸軍の大将だということは興味深い。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、ニューヨーカー誌の2007年3月5日号で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアは、シリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したと書いた。クラークはISを創設した国の名前を具体的には書かなかったが、イスラエルとサウジアラビアが含まれている可能性は高いと言える。 クラークは1990年代、旧ソ連圏での軍事作戦に参加、ユーゴスラビアへの先制攻撃では指揮官だったが、中東での軍事行動には反対してきた。1991年、ネオコン(親イスラエル派)のポール・ウォルフォウィッツ国防次官がシリア、イラン、イラクを殲滅すると話していたことを明らかにし、2001年9月11日の出来事から数週間後に国防長官がイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃するプランを持っていたと語っている。 こうしたネオコンの戦争プランに少なからぬ軍の幹部が反対し、イラクへの先制攻撃も半年ほど遅くなったのだが、そうしたグループのスポークスパーソン的な役割を果たしているのがクラークだと言われている。アメリカの外交政策がイスラエル、あるいはアメリカの親イスラエル派(ネオコン)に振り回されている現状を懸念しているのだろう。 本ブログでは、ISに対して行っているという「有志連合」の空爆に疑惑があると何度も書いてきた。昨年9月に最初の空爆があったが、最初に破壊されたビルは、その15から20日前の段階で蛻の殻だったとCNNのアーワ・デイモンは翌朝の放送で伝えている。少なくとも情報が漏れていることは確かだろう。 アメリカにはスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人的なスパイ網などがある。ファルージャやモスルをISが攻撃している状況、戦闘集団の動きを把握していたはず。にもかかわらず、傍観していた。写真を見ると、ISの戦闘集団はトヨタ製の車を連ねて進軍しているので、この時に空爆すれば壊滅的な打撃を与えることができたが、パレードをやらせている。「絵になる場面」を作ったとも言える。 こうした空爆を行う切っ掛けになった出来事が昨年8月にあった。ジェームズ・フォーリーの首をISが切ったとする映像の公開されたのだが、これはフェイクだと指摘されている。首の前で6回ほどナイフは動いているものの、血が噴き出さず、実際に切っているようには見えない。ショッキングな場面を演出したと言えそうだ。そうしたこともあり、フォーリーの斬首映像はシリア領内を空爆する口実作りだと推測する人もいる。 ISが注目されるようになったのは、昨年6月にイラクのファルージャ、そしてモスルを制圧してから。当時、イラクの首相だったヌーリ・アル・マリキはアメリカ軍の永続的な駐留やアメリカ兵の不逮捕特権を認めず、ロシアへ接近していた。イラクでは昨年4月に議会選挙があったのだが、その前の月にマリキはサウジアラビアやカタールが反政府勢力へ資金を提供していると批判している。 駐米大使や総合情報庁長官を務めたバンダル・ビン・スルタンがアル・カイダを動かしていたと言われ、ISの雇い主はアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子だとも言われているが、それだけでは終わらない。サウジアラビアの新国王、サルマン・ビン・アブドルアジズ・アル・サウドは、さまざまな慈善団体などを通じてアル・カイダへ資金を供給していたと言われているのだ。 ISに対する「有志連合」の空爆はイラクやシリアの施設を破壊することが目的ではないかとも言われているが、イスラエル軍の場合はISと戦う部隊を攻撃している。1月18日にはシリア軍とヒズボラを攻撃、イラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部を殺したと伝えられている。 リビアでの体制転覆プロジェクトで、NATOとアル・カイダ系のLIFGが手を組んでいた。これは西側メディアが伝えるほど明白な事実。その後に出てきたのがISだが、これもアメリカ、イスラエル、サウジアラビアが作り上げたということは間違いないだろう。問題は、ISが西側から離反したかどうかだが、様子を見ている限り、イスラエルやサウジアラビア、そして少なくとも一部のアメリカ支配層はまだ手を組んでいるようだ。
2015.02.22
ウクライナは経済が破綻、「国境なき巨大資本」の中からは「国の私物化」を求める声も聞こえてくる。鉱物資源が豊富で、重要な食糧の生産国であり、製鉄や航空機産業もあり、交通の要衝という国が立ちゆかなくなった最大の理由は巨大資本に略奪されたからだが、自分たちで招いた破綻を口実にして、さらに略奪しようとしている。 アメリカは一昨年の後半からクーデターを始動させ、昨年2月にビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除することに成功、アメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補から高く評価されていたアルセニー・ヤツェニュクが首相に就任した。 昨年12月から金融相にはアメリカの元外交官でファンドを経営していたナタリー・ヤレスコ、経済発展相にはリトアニアの投資銀行家であるアイバラス・アブロマビチュス、保健相にはグルジアで労働社会保護相を務めたことのあるアレキサンドル・クビタシビリを据えた。ウクライナには西側はさらに「融資」することになりそうだが、それを管理するのがヤレスコ金融相だということになる。 ヤレスコは2001年2月にWNISEFというファンドの社長兼CEOになったのだが、このファンドはウクライナ経済を刺激する目的で1990年代にアメリカ議会が創設、USAIDに監督されている。USAIDはCIAとの関係が指摘されている機関だ。2006にはWNISEFと共同で投資をするEEGF、WNISEFの投資を運用するHCA、ふたつの会社を彼女は設立している。 こうした背景があるため、金融相への就任が問題視されているのだが、それだけではなく、不正融資の疑惑も出てきている。元夫のイホール・フィグラスによると、EEGFの株を買い増すためにHCAから受けた融資には不正があった。この事実を明らかにした後、ヤレスコの弁護士は元夫を沈黙させ、破産させるために法的な手段を講じたという。 また、2014年2月にウクライナでクーデターが実行される前、WNISEFはボーナスとして770万ドルを出費しているのだが、このうち460万ドルは支払われた相手が不明で、ヤレスコも金を受け取っているのではないかと疑われている。 もうひとつ、注目されている人事がある。ペトロ・ポロシェンコ大統領の顧問としてグルジアの元大統領で刑事事件の容疑者になっているミヘイル・サーカシビリが選ばれたのだ。そのほかにも多くの元グルジア政府高官がウクライナへ「アドバイス」のために入っているようだ。キエフへ武器を供給するとサーカシビリは語っているが、すでにキエフ政権の戦争に疑問を持つ人がウクライナの西部でも増えているようで、徴兵を逃れて隠れる人も少なくないと伝えられている。武器を供給しても戦闘員が足りないということだ。 サーカシビリは2003年に実行された「バラ革命」で実権を握ったのだが、その背後にはグルジア駐在アメリカ大使だったリチャード・マイルズがいた。ベルグラード駐在大使としてユーゴスラビアのスロボダン・ミロシェビッチを倒した後、2003年にグルジアへ移動している。 グルジアはウクライナと同じようにイスラエルとの関係が深い。2001年からガル・ヒルシュ准将が経営する「防衛の盾」が予備役の将校2名と数百名の元兵士を教官としてグルジアへ送り込み、無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなども提供していた。 ロシア軍の副参謀長を務めていたアナトリー・ノゴビチン将軍によると、イスラエルの専門家は2007年からグルジアの特殊部隊を訓練し、重火器、電子兵器、戦車などを供給する計画を立てていたという。ロシア軍の情報機関GRUのアレキサンダー・シュリャクトゥロフ長官は、イスラエルのほか、NATOの「新メンバー」やウクライナも兵器を提供していると主張していた。新しくNATOのメンバーになった東ヨーロッパの国々は小火器を、イスラエルは無人機を、ウクライナは重火器や対空システムをグルジアへ渡しているという。 現在、ウクライナではアメリカが送り込んだ人物が政府の要職についているが、当時のグルジア政府にはイスラエル系の閣僚がふたりいた。国防相だったダビト・ケゼラシビリと南オセチア問題で交渉を担当していた大臣のテムル・ヤコバシビリだ。ヤコバシビリはイスラエルの市民権を持っていなかったようだが、ヘブライ語は話せるという。 イスラエルだけがグルジアを支援していたわけではない。2008年1月から4月にかけてアメリカの傭兵会社、MPRIとアメリカン・システムズは元特殊部隊員を派遣している。 2008年1月にはサーカシビリが大統領に再選されるが、その年の8月にグルジア軍は南オセチアを奇襲攻撃した。まず南オセチアの分離独立派に対して対話を訴え、その約8時間後に攻撃を始めたのである。十分に準備して望んだ作戦だったはずで、イスラエルが作戦を立てたという推測もある。 この攻撃はロシア軍が素早く反撃、グルジア軍は惨敗したが、この出来事はイスラエルやアメリカにとってショックだっただろう。ロシア軍を過小評価、戦略を大幅に見直さなければならなくなったはずだ。昨年のクーデターでは、この経験に基づいてアメリカはシナリオを書いていたようにも見えるが、その裏をかかれてしまった。 昨年2月、キエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で狙撃があり、多くの人が死傷しているのだが、その実行者がクーデター派だった可能性が高いことは現地調査したエストニアのウルマス・パエト外相も報告している。 ヤヌコビッチ政権で治安機関SBUの長官を務めていたアレクサンドル・ヤキメンコによると、狙撃を指揮していたのはアンドレイ・パルビーだと見られている。ネオ・ナチを率いるひとりで、「ウクライナ社会ナショナル党」(現在のスボボダ)の共同創設者。狙撃手の多くはグルジアから入ったと言われている。 グルジアのパンキシ渓谷はチェチェンの反ロシア武装勢力が拠点としている場所で、難民の中からCIAは戦闘員候補をリクルート、訓練している。そこからシリアへも戦闘員は送り込まれてISに参加、その人数は200名から1000名と言われている。そうした戦闘員がウクライナへ派遣される可能性は高いだろう。サーカシビリのキエフ入りはそうしたことを予想させる。
2015.02.21
ドイツ、フランス、ウクライナ、そしてロシアの首脳が2月11日からベラルーシの首都ミンスクで会談、15日から停戦に入ること決めた最大の理由はEU内部でアメリカへの従属に反発する声が高まっていることにあるのだろうが、それだけでなく、キエフ軍の崩壊を恐れているということもあるはずだ。 ウクライナの東/南部でキエフ軍は早い段階から劣勢で、要衝と言われるデバリツェボではナバロシエ(ルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国)軍に包囲され、投降するか全滅するかという状況に追い込まれていた。撤退ではなく投降だということだ。全滅させて全てを失うより、投降させて交渉の余地を残す方が良いとEUやペトロ・ポロシェンコ大統領は判断したのだろう。あわよくば、包囲された状態で「待った」し、反撃の準備をしようとしたのかもしれない。ネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)は現地の部隊に投降を禁止していたとも言われている。 右派セクターを率い、東部で民族浄化作戦に参加している議員のドミトロ・ヤロシュは停戦を拒否すると宣言、アメリカ議会ではジム・インホフェ上院議員はアメリカの軍事介入を本格化させるため、2008年にグルジアが南オセチアへ奇襲攻撃した際に撮影された写真などを振りかざしてロシア軍がウクライナに軍事侵攻したと主張していた。アメリカの好戦派とネオ・ナチはロシアとの戦争に向かい、突き進んでいたわけだ。 キエフ政権もアメリカ政府もロシア軍がウクライナへ入っていると根拠を示すことなく主張、その嘘が次々に暴露されてきた。ロシア軍の存在を主張するのは自分たちが敗北している弁明であり、アメリカ/NATOが軍事介入を本格化させる口実にしたいのだろうが、実際にはロシア軍がウクライナにいないため、アメリカとしては大きく動くわけにはいかなかった。 アメリカが行ったことと言えば、傭兵を送り込んだほか、FBI、CIA、軍事顧問団を派遣し、武器を提供する程度のこと。ミンスクでの停戦合意後、高性能の武器を提供するようにアメリカ政府へ求めるとネオ・ナチを率いるひとりのアンドレイ・パルビーは語っていた。反撃作戦を相談することも目的だっただろう。 パルビーは1991年にオレフ・チャフニボクとネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党」を創設している。この名称はナチス(ナショナル社会主義ドイツ労働者党)を連想させるということもあり、アメリカ側の指示で2004年に「スボボダ(自由)」へ名称を変更している。この年、ウクライナのネオ・ナチはバルト諸国で軍事訓練を受けるようになった。 前の停戦をキエフ側は体勢の立て直しに利用していたが、パルビとアメリカ政府との話し合いが間に合わず、命令に背いて現地のキエフ軍は投降、撤退することになった。当初からキエフ軍は食糧も不十分な状態で、「現地調達」で戦うことになっていて、兵士に報酬もまともに払えず、制圧した東部の土地は無償で提供するという話になっていたようだ。この結果、キエフ軍は押し込み強盗のようになり、住民との敵対関係は強まる。旧日本軍と似たような状況だ。事実を見ないのか、一度描き出した構図を修正できないのかわからないが、この旧日本軍的なキエフ軍をいまだに「解放軍」とでも思っているらしい団体が存在する。 アメリカが参加しなかった今回の停戦合意をヤロシュたちは拒否、その一方でパルビーはアメリカ政府へ高性能兵器の提供を求めるとしていた。ネオ・ナチは戦争を継続する意思を鮮明にしていたということだ。そして戦闘は続くのだが、独仏の首脳がロシアのウラジミル・プーチンと会う前からデバリツェボは人民共和国側に包囲され、勝負は決していた。 そこで、ポロシェンコ大統領は人民共和国軍の攻撃を停戦合意で止める一方、国連やEUに平和維持部隊の派遣を求める意向のようだ。自分たちに有利な状況を作りたいという計算だろうが、ロシアはOSCE(欧州安全保障協力機構)をないがしろにする行為だと反発している。OSCEには西側の情報機関と結びついたグループが存在しているが、全般的には公正な活動をしてきた。 すでにアメリカ/NATOはキエフ政権に対する軍事的な支援を行っている。例えば、アメリカやポーランドの傭兵会社から戦闘員が数百名の単位でウクライナへ入って戦いに参加、アメリカ政府はFBI、CIA、そして軍事顧問を派遣している。1月21日にキエフ入りしたアメリカ欧州陸軍司令官のフレデリック・ベン・ホッジス中将を中心とする代表団は国務省の計画に基づき、キエフ政権の親衛隊を訓練するためにアメリカ軍の部隊を派遣する意向を示している。すでに武器も供与されている可能性がきわめて高い。(例えば、ウクライナのテレビ局、反キエフ軍の説明) それにもかかわらずキエフ側は負けているわけで、少々のテコ入れで戦況を変えることは難しい。平和維持軍という名目でNATO軍を入れようとすれば、ロシアとの軍事衝突から核戦争へ発展する可能性が出てくる。これまでロシアは自重して軍隊をウクライナへ派遣しなかったことから開戦は避けられてきたが、これまで以上にアメリカ/NATOの挑発が強まれば、どこかの時点で火がつくだろう。 アメリカの好戦派にとってシリア情勢も頭が痛いところ。反シリア政府軍が拠点にしているアレッポに政府軍が迫っているのだ。アメリカ/NATO、ペルシャ湾岸の産油国、トルコ、イスラエルなどがシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒そうとしてきたが、プラン通りには進んでいない。 リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が倒された後、アル・カイダ系の武装集団がシリアへ移動、イラクで戦っていたアル・カイダはAQIからISI、そしてIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)へと名称を変更、シリアへ乗り込んだ。アル・カイダ/ISの背後にアメリカが存在することは本ブログで何度も書いた。イランの義勇兵組織、バスィージのモハマド・レザ・ナクディ准将は、イラクのアメリカ大使館がIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)の司令部だと語っている。 ISがイラクのファルージャとモスルを制圧した際、その動きをスパイ衛星や通信の傍受などで把握していたはずのアメリカが反応していないことに疑惑の目を向ける人も少なくない。サウジアラビアなどからISへ流れている資金を断ち、石油や天然ガスの密輸ルートを止めるだけでも組織を維持できなくなりそうだ。 現在、シリアで実際にISと戦っているのはシリア政府軍とヒズボラ。アメリカを中心として行われている空爆に疑問があることも本ブログで何度も指摘してきた。イスラエル軍はISと戦うシリア軍とヒズボラを1月18日に攻撃、イラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部を殺したと伝えられている。 シリアで反政府軍が劣勢になる中、戦闘が激しくなっている場所がある。リビアだ。アル・カイダ系のLIFGがNATOと手を組んでカダフィ政権を倒したのだが、無政府状態の中、ISが活発に動いているという。 ここにきてロシアと接近しているエジプトはリビアの状況に危機感を持っているようだが、EUへの影響を警戒するべきだとする意見もある。リビアの隣国、チュニジアはかつてカルタゴと呼ばれた都市国家があり、ローマと戦ったことは有名。地図を見ても明らかなように、シチリアを経由すれば容易にイタリアへ入れ、モロッコからポルトガル/スペインというルートもある。アメリカの支配層に背いたEUに対し、ISを使って報復するという推測だ。
2015.02.19
曽野綾子なる人物が産経新聞に書いたコラムの内容が問題になっているようだ。そこで「曽野綾子の透明な歳月の光」を読んでみたところ、その出だしで「他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい」と主張している。その事例として「イスラム国」を挙げているが、この集団はイスラムという文化に反する武装勢力にすぎない。 その戦闘員はサラフィーヤ/ワッハーブ派が多いと見られているが、「精鋭部隊」と言われているのはチェチェンの反ロシア勢力。グルジアのパンキシ渓谷を拠点にし、そこでCIAにリクルートされた人びとが軍事訓練を受けている。グルジアはアメリカやイスラエルの強い影響下にある国だ。 昨年2月、ウクライナの首都キエフでクーデターを成功させた勢力を支える柱のひとつはネオ・ナチ(ステファン・バンデーラ派)だが、その中にはチェチェンで戦った経験を持つ人もいる。そのクーデター、そして東/南部で展開されてきた民族浄化の背後にはドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事がいる。 この人物は「オリガルヒ」(一種の政商)のひとりで、ウクライナ、キプロス、イスラエルの三重国籍を持つシオニストだ。その背後にはネオコン/シオニストをはじめとするアメリカの支配層が存在している。つまり、ここではシオニストとネオ・ナチが手を組んでいる。 曽野の主張を読むと、「文明の衝突」論を連想する。ネオコンの戦略に大きな影響力を及ぼしてきたONA(国防総省内部のシンクタンク)のアンドリュー・マーシャルはバーナード・ルイスを師としているが、このルイスはサミュエル・ハンチントンと同じように「文明の衝突」を主張していた人物。このふたりはシオニストを支持し、反イスラムの立場だった。曽野にはネオコンの臭いがするということでもある。 しかし、彼女が言いたいことは別にある。「若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めなければならない」ということだ。違法にしろ合法にしろ、移民が増えている欧米では賃金水準の引き下げや労働環境の悪化が問題になっている。支配層にとって労働移民は労働者の力を削ぐ手段のひとつで、だからこそEUでは移民を規制すべきだという政党への支持が増えているのだ。 介護の現場で問題になっているのは労働力の不足ではなく、低賃金で劣悪な環境で働く若者を集められないことにあり、適切な対価を事業者や労働者へ支払えば解決される。この問題の根は非正規雇用の増大や残業代ゼロ法案と一緒だ。 非正規雇用の問題でも支配層は働き方の多様化というようなことを宣伝していたが、ならば、賃金だけでなく保険や年金についても同一条件にしなければならない。勿論、実際は違うわけで、本音は賃金の引き下げと労働環境の劣悪化を推進したいということにほかならない。 曽野のコラムを読むと、「高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ」と主張している。「優しければそれでいいのだ」という。 介護のためには専門的な知識が必要なのであり、「孫」が面倒を見るにしても、知識を得るために専門家からアドバイスを受ける必要がある。運動能力を維持させるだけでも専門家と施設が必要だ。こうした知識がなく、経済的な余裕もないことから悲劇が起こってきた。 コミュニケーション能力を無視しているということは、介護者だけでなく、介護を受ける必要のある高齢者の人格を考慮していないということでもある。「姥捨て」の発想だ。 曽野が想定している労働移民は、賃金の引き下げと労働環境の劣悪化を意味している。当然、貧困問題が深刻化し、犯罪も増えるだろう。これは「他民族の心情や文化」の問題ではなく、経済の問題だ。 貧富の差が拡大していけば、アメリカのように居住地域は所得/経済力によって色分けされてくる。経済力による棲み分けが起こるのが先だ。「高級住宅地」に低所得者は住めない。曽野綾子は原因と結果を取り違えている。アメリカでは歴史的な背景から人種と経済力に相関関係があり、人種の問題のように見えるが、実際は経済問題。 南アフリカでも同じことが言える。ヨーロッパ系の人びとが先住の人びとを支配するアパルトヘイトと戦ったネルソン・マンデラは1993年にノーベル平和賞を受賞したが、批判の声はある。彼は政治的な平等を実現するために努力したものの、経済の仕組みが温存されたため、貧富の格差は解消されず、そうした格差に基づく社会不安は解決されなかったからだ。南アフリカの問題も「他民族の心情や文化」ではなく、経済に根ざしている。 アメリカでは貧困を犯罪にしようという動きもあるが、アパルトヘイトは特定の地域を収容所にするという制度であり、問題を力で封じ込めるという政策だ。現在、イスラエルで導入されている。「他民族の心情や文化」を強調するのは、被支配者を分断したいからにほかならない。 本来、居住をともにするために理解し合う努力をしなければならないのであり、交流すれば、自然と理解は進む。そうした理解が進むことを恐れるのは支配層だ。フランス国王ルイ11世は「分割して支配せよ」と言ったそうだが、互いに反目させ、争わせ、統一的な反対勢力を形成させないようにするのは支配者たちの常套手段である。 ところで、曽野の結婚相手で教育課程審議会の会長を務めたことのある三浦朱門は「ゆとり教育」について次のように語っている: 「平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」(斎藤貴男著『機会不平等』文藝春秋、2004年) 被支配階級である庶民には「実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」ということだ。余計なことを考える力をつけさせたくないということだろう。介護者は「優しければそれでいいのだ」という曽野の主張と共鳴し合っている。
2015.02.18
安倍晋三政権の政策が功を奏して巨大企業は大儲けしているようだ。必然的にそうした企業では経営者たちが資産を増やし、官僚たちへも天下りという仕組みでカネが流れていく。広告/コマーシャルという形でマスコミも潤い、企業の太鼓持ちのような学者たち、世間では「権威」と呼ばれている人びとも豊かな生活を送ることができる。 しかし、それに反比例して庶民は貧困化している。トリクルダウン理論などは事実の裏付けがない戯言。集中した富は地下へ潜り、投機市場/カジノで吹き出す。庶民はカネを巻き上げられるだけでなく、憲法が保障している基本的な権利を取り上げられ、さらには命を差し出せと言われることになりそうだ。 日本のエリートはアメリカ、その中でもネオコン/シオニストや戦争ビジネスといった好戦派の影響下にある。その好戦派はリチャード・ニクソンが言うところの「凶人理論」に従って動いている。何をしでかすかわからないと相手に思わせれば、自分たちの思い通りにすることができるという考え方で、ロシアや中国に対しても戦争を仕掛ける姿勢を見せて脅している。 恐怖で脅して支配しようというわけで、一種のテロリズム。アメリカの支配層はテロリストだと言えるだろう。控えめで穏やかに話すアメリカの言うことを聞く人はいないとコンドリーサ・ライス元国務長官はFOXニュースのインタビューの中で語っている。 アメリカと緊密な関係にあるイギリスも好戦的で、ウィンストン・チャーチルはドイツが1945年5月に降伏した直後、JPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃する作戦の立案を命じている。そして出来上がったプランによると、数十万人の米英軍が再武装したドイツ軍約10万人を引き連れて奇襲攻撃することになっていた。「アンシンカブル作戦」である。この作戦を参謀本部は拒否、実行されなかったが、チャーチル政権はドイツに代わってソ連を潰そうとしたのだ。 この作戦が作成される前の月にアメリカではフランクリン・ルーズベルト大統領が執務中に急死、副大統領だったハリー・トルーマンが大統領に昇格していた。上院議員時代、トルーマンは「ドイツが勝ちそうに見えたならロシアを助け、ロシアが勝ちそうならドイツを助け、そうやって可能な限り彼らに殺させよう」と提案した人物で、ルーズベルトとは違う考え方をしていた。 大統領になったトルーマンは日本への原爆投下を承認、1945年10月にはソ連が原爆を開発することはできないと物理学者のロバート・オッペンハイマーに対し、言い放っている。核兵器の基本原理は広く知られている事実であり、ソ連が原爆を開発するのは時間の問題だという科学者の認識が気に入らなかったようだ。 アメリカ支配層の内部には、原爆を使ってソ連を殲滅しようと考える人たちがいた。例えば、1949年に出された統合参謀本部の研究報告では70個の原爆をソ連へ落とすことになっていた。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年) 1955年にアメリカは2280発の核兵器を保有、57年になると軍はソ連に対する先制核攻撃計画をスタートさせる。1963年の後半にソ連を核攻撃することになっていたという。その頃には先制攻撃に必要なICBMを準備でき、ソ連に完勝できると信じていたようだ。 この計画を遂行する上で最大の障害がジョン・F・ケネディ大統領だった。亡命キューバ人にキューバを攻撃させ、引き続いてアメリカ軍を投入する計画が立てられていたが、ケネディ大統領はアメリカ軍にキューバを攻撃させなかった。キューバ軍を装ってアメリカで「テロ攻撃」を行い、無線操縦の旅客機をキューバ近くで自爆させ、キューバ軍が撃墜したと宣伝して「報復攻撃」するという「ノースウッズ作戦」も実行できなかった。 ソ連に対する先制核攻撃が予定されていた1963年の後半、大きな出来事が引き起こされた。11月にケネディがテキサス州ダラスで暗殺されたのである。この時、CIAは暗殺の背後にキューバやソ連がいるとする情報を流したが、FBIがこれを偽情報だと大統領に知らせ、核戦争は回避された。 アメリカがベトナムへ本格的な軍事介入をする切っ掛けになったトンキン湾事件が偽旗作戦だったことは決定的で、朝鮮戦争も実際はアメリカが仕掛けた可能性が高い。開戦の前から38度線の付近では1日に何度も軍事衝突が起こっていて、緊張は極度に高まっていたのだが、元特務機関員の中島辰次郎によると、開戦の数カ月前からアメリカ側の命令で秘密工作を始めている。北への帰順兵を装って内部に入り込み、将校を殺害するという工作を繰り返していたという。 開戦の2日前から韓国空軍は北側を空爆、地上軍は海州(ヘジュ)を占領している。ダグラス・マッカーサーに同行して日本にいた歴史家のジョン・ガンサーによると、朝鮮半島から入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というものだった。 ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナ、いずれもアメリカが戦争を仕掛けている。それを正当化するため、偽情報を流しているのが西側の有力メディアだ。 こうした事実を利用し、真珠湾攻撃を正当化しようとする人たちもいるが、これは明らかに間違っている。日本軍が真珠湾を奇襲攻撃したのは事実であり、それを事前にアメリカ政府が知っていたとしても、その事実は消せない。手続き上のミスという弁明も通用しない。しかも、大統領が真珠湾攻撃に関する詳しい情報を知らされていた証拠もない。そもそも、そうした事態に立ち至ったのは、「琉球処分」に始まる日本のアジア侵略が原因であり、この点を触れずに真珠湾攻撃を手前勝手に解釈するのは見苦しいかぎりだ。 琉球処分を行ったのは長州藩と薩摩藩を中心として成立したばかりの明治政府。その明治政府を成立させたクーデターの背後にはイギリスの中国(清)侵略計画がある。すでにアヘン戦争で大きなダメージを与えたものの、中国はまだ完全な植民地になっていなかった。 アヘン戦争で大儲けしたジャーディン・マセソン商会はアロー号事件(第2次アヘン戦争)の最中、1859年にトーマス・グラバーを日本へ派遣した。グラバーは1861年にグラバー商会を設立、グラバー邸は武器取引に使われ、そこには坂本龍馬、後藤象二郎、岩崎弥太郎たちも出入りしていた。1863年にはグラバーの手配で長州藩が井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)をイギリスへ送り出している。渡航にはジャーディン・マセソン商会の船が使われている。 1871年7月に新政府は廃藩置県を実施するが、10月に宮古島の漁民が難破して台湾に漂着すると、漁民が殺されたとして軍隊を台湾へ派遣する。その口実を正当化するため、1872年に琉球王国を潰して琉球藩を設置している。 この1872年に興味深い人物が日本へ来ている。フランス系アメリカ人で厦門の領事を務めていたチャールズ・リ・ジェンダーがその人。外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を進めたのだ。それ以降、75年まで外務省の顧問を務めている。 リ・ジェンダーの意見を受け入れたのか、日本は1874年に台湾へ派兵、75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦が派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。同条規の批准交換にリ・ジェンダーも陪席したという。このリ・ジェンダーをモデルにしたアメリカ映画が後に制作されている。トム・クルーズが主演、2003年に公開された「ザ・ラスト・サムライ」だ。この映画には渡辺謙も出演していた。こうして日本のアジア侵略は始まり、1910年には韓国を併合する。 この年、「天皇暗殺を計画した」として社会主義者、無政府主義者など多数を逮捕、非公開裁判で幸徳秋水など24名に死刑判決(処刑は12名)が出ている。いわゆる「大逆事件」だ。すでに自由民権運動を弾圧していたが、アジア侵略の本格化を前にして反対勢力をでっち上げ事件で叩こうとした可能性が高い。1911年に警視庁は特別高等課を設置している。 アメリカが日本の支配者として姿を現すのは1923年、関東大震災のときだ。大きな被害を受けた日本は復興資金を調達するためにアメリカの巨大金融資本、JPモルガンに頼ったのだが、それ以降、日本はウォール街の影響下に入った。1925年には「治安維持法」が制定され、思想統制は強まる。 1931年に柳条湖の近くで日本軍が満鉄の線路を爆破するという偽旗作戦で「満州事変」を開始するが、その翌年にアメリカで大きな出来事が起こる。大統領選挙でウォール街が推していた現職のハーバート・フーバーが反ファシストでウォール街への規制を主張していたニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れたのである。1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とする巨大資本は反ルーズベルトのクーデターを計画したが、スメドリー・バトラー退役少将の議会証言などで発覚、実行されなかった。 1932年にアメリカ大使として日本へ赴任してきたジョセフ・グルーはモルガン財閥総帥の親戚であり、妻は大正天皇の妻、貞明皇后(九条節子)と親しい。戦後、グルーは日本を「右旋回」させたジャパンロビーの中心的存在になる。つまり、ルーズベルト当選前のアメリカとルーズベルト急死後のアメリカはつながり、日米関係の構図は同じ。日本の好戦派が罵る「戦後日本」とは、ニューディール派的な日本だ。 現在、安倍政権はネオコンの強い影響下にある。前にも本ブログで書いたが、昨年2月にラスベガス・サンズを所有するシェルダン・アデルソンは日本に100億ドルを投資したいと東京で語り、その翌月に安倍首相は衆議院予算委員会でカジノを含む「統合型リゾート(IR)」に前向きの発言をした。そして5月、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は日本政府高官に対し、アデルソンへカジノのライセンスを速やかに出すよう求めたとイスラエルのハーレツ紙が2月5日付け紙面で伝えた。 現在、ネタニヤフはアデルソンの指示で動いているとも言われているが、その一方でモサドなどとの関係は良くないという。好戦的な政策がイスラエルを窮地に追い込むと情報機関は判断、暴走にブレーキをかけようとしているようだが、アメリカでアクセルを踏み込んでいるグループがあり、止まりそうもない。
2015.02.17
ドイツ北部にあるハンブルク市で2月15日に議会選挙があり、「社会民主党」(SPD)と「キリスト教民主同盟」(CDU)が議席を減らす一方、EUに批判的な「ドイツのための選択肢」(AfD)が初めて議席を獲得した。 第1党はSPDで58議席(4議席減)、第2党はCDUで20議席(8議席減)、次いで「緑の党」が15議席(1議席増)、左翼党が11議席(3議席増)、「自由民主党」(FDP)が9議席(増減なし)、そしてAfDが8議席(前回は議席なし)で、EUに対する批判の高まりが反映されている。 ギリシャでEUへの反発が強まって1月25日の選挙で急進左翼進歩連合が圧勝、そうした流れはイタリアやスペインといった南部ヨーロッパの国々だけでなく、ドイツでも現れた。「国境なき巨大資本」がギリシャの支配層と手を組んで作り上げた「危機」の尻ぬぐいを「緊縮財政」という形で押しつけられた庶民の怒りが形となった。アメリカ流への反発が吹き出しているとも言えそうだ 今回の選挙で争点になったEU(ヨーロッパ連合)は1993年11月、マーストリヒト条約に基づいて設立されたのだが、そこにはふたつの動きが内包されている。ヨーロッパが団結して自立した政策を打ち出す基盤にしようとする動きと、アメリカがヨーロッパを支配する仕組みにしようとする動きだ。 EUの核はECだが、堀田善衞によると、ブリュッセルにあるEC事務局の幹部はほとんどが旧貴族。こうした人びとがECの全てを取り仕切っているわけで、EUもそうした支配階級によって動かされていることになる。しかも、「ヨーロッパ各国の旧貴族たちは、それぞれどこかで血がつながっている、すべて親戚なわけです。」各国の主権などを考える環境にはない人たちだということでもある。ウクライナ問題でも財政問題でもブリュッセルはアメリカの支配層と連携、EUの利益に反する政策を強引に推し進めている。そうしたことに対する怒りがEU全体に蔓延している。 かつて、ヨーロッパは大きな力があった。そうした地位を揺るがすことになったのが第1次世界大戦と第2次世界大戦。戦場になったことでヨーロッパは疲弊、アメリカの強い影響下に入っていくわけだ。東では最初の大戦で帝政ロシアが倒れ、次の大戦でソ連が大きなダメージを受けた。 そうした過程でヨーロッパを統合しようとする運動を始めたのがポーランド生まれのユセフ・レッティンゲル。第2次世界大戦の前からイエズス会の指導の下でヨーロッパを統一しようとしていた人物である。 大戦が始まった後、レッティンゲルはロンドンに亡命していた反コミュニストのウラジスラフ・シコルスキー将軍の側近になる。当時、シコルスキーはウィンストン・チャーチル政権を後ろ盾にして亡命政府を名乗っていた。本ブログでは何度も書いているように、チャーチルは反コミュニストで、ソ連を倒すためにはナチスも利用するというタイプの人間。シコルスキーも立場は近かった。シコルスキーの回りに集まったポーランド軍の将校たちは反ナチスというより、反コミュニストだったと言われている。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage Press, 1995) 大戦の終盤、1944年にOSSの秘密工作部(SO)とイギリスの特殊作戦執行部(SOE)はジェドバラというゲリラ戦部隊を組織した。すでに東部戦線ではドイツ軍がソ連軍に敗れて壊滅状態になり、ソ連軍が西へ向かって進撃していた。このジェドバラ人脈が戦後、米英が行う破壊活動の中心になる。まず、アメリカで1948年に組織されたのが政策調整局(OPC)だ。 大戦後、1948年にアメリカのエリートはイギリスのウィンストン・チャーチルらと手を組み、「ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会」(ACUE)を設立した。委員長を務めたのは戦時情報機関OSSの長官だったウィリアム・ドノバン、副委員長は戦中から戦後にかけて破壊工作を指揮、CIA長官にもなったアレン・ダレス。ふたりはウォール街の大物弁護士で親密な関係にあった。 その下部機関の中にはビルダーバーグ・グループも含まれている。グループの創設者とされているのはオランダ女王の夫、ベルンハルト殿下とレッティンゲルで、アメリカとヨーロッパの利害を調整することが目的で作られたようだ。アメリカ側の主要メンバーは「外交問題評議会」(CFR)に参加している。 1949年になると、アメリカを中心に「北大西洋条約機構」(NATO)という軍事同盟が組織されるが、チャーチルの「アンシンカブル作戦」やアメリカの先制核攻撃計画を考えてもわかるように、防衛より攻撃が目的になっている。 NATOが創設されり前、破壊活動を目的とした秘密組織が作られた。当初は「西側連合秘密委員会」(CCWU)が統括していたが、NATOができた後、1951年からは「秘密計画委員会」(CPC)が指揮するようになる。この秘密組織は「NATOの秘密部隊」とも呼ばれ、イタリアのグラディオは悪名高い。ソ連に占領された場合のレジスタンスが目的だとされたが、実際は米英の支配層にとって都合の悪い勢力を排除するために組織された可能性が高い。 こうした歴史の延長線上にEUは作られ、内部にはアメリカやイギリスが支配するための仕組みができている。そうしたことをヨーロッパ側も熟知しているはずで、実際、ソ連の消滅が見通せた1991年の初めにフランスのフランソワ・ミッテラン大統領とドイツのヘルムート・コール首相は西ヨーロッパの外交と軍事を統合する道を探り始め、「ヨーロッパ軍」を創設しようとした。 こうした自立を目指す動きをアメリカやイギリスの支配層は許さない。この計画は潰され、1999年にNATOはユーゴスラビアを先制攻撃して破壊することになった。その後、NATOはリビアを空爆、シリアも破壊しようとし、ウクライナでもロシアに対する軍事的な圧力と強めている。西側の有力メディアはロシアを悪魔化し、アメリカを善玉と描いてきたが、その嘘はすでにばれている。アメリカ支配層の狂気に対する恐怖も膨らんでいる。 ところが、政治家、官僚、大企業経営者、学者、マスコミ、右翼、左翼・・・日本では一部の例外を除き、アメリカに従属する人たちばかりだ。アメリカに反対しているようでも、アメリカが全世界で行っている侵略行為は見て見ぬ振り、知らぬ振り。異を唱えて酷い目に遭うより、黙っていた方が得だという計算だろう。そういう目先の計算にはたけていて、世渡りは巧み。先に見える破滅からは目をそらし、誰かが犠牲になるのを期待している。
2015.02.16
イランの義勇兵組織、バスィージのモハマド・レザ・ナクディ准将は、イラクのアメリカ大使館がIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)の司令部だと語り、アメリカ軍の航空機から支援物資をISへ落としているとしている。これまでもアメリカ軍が落とした軍事物資をISが回収していることは伝えられていたが、これはミスでなく、故意だったとナクディは主張しているわけだ。 ISの正式名称を翻訳すると「イラクとレバント(エーゲ海や地中海の東岸地方)のイスラム首長国」になるが、元々は1999年に設立された「一神教聖戦団(JTJ)」。ジョージ・W・ブッシュ政権がイラクを先制攻撃し、アル・カイダ系の武装集団を弾圧していたサダム・フセインを排除した翌年、2004年にJTJはオサマ・ビン・ラディンへ忠誠を誓って名称を「メソポタミアの聖戦ベース機構」へ変更した。一般にはAQI(イラクのアル・カイダ)と呼ばれている。アル・カイダはアフガニスタンでソ連軍と戦わせるためにアメリカが編成した仕組みだ。 エジプトで出されているアル・ワフド紙の2001年12月26日付け紙面にはオサマ・ビン・ラディンが10日前に肺の病気が原因で死亡し、トラ・ボラで埋葬されたとする記事が載っているのだが、それを知っていてもいなくても、忠誠を誓うことには関係ない。 2001年7月にビン・ラディンは腎臓病を治療するため、アラブ首長国連邦ドバイの病院に入院していたとフランスのル・フィガロ紙は報道しているので、その年に死んでも不思議ではないが、ビン・ラディンはアメリカが中東へ軍事侵攻する口実であり、アメリカ政府はその死を認められない。 2006年にAQIは小集団を吸収し、その年の10月にISI(イラクのイスラム国)と呼ばれるようになる。それから5カ月ほどしてJTJ時代からのリーダー、アブ・ムサブ・アル・ザルカウィは殺され、アブ・アブドゥラ・アル・ラシド・アル・バグダディが率いるようになったとされている。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に書いた記事によると、この頃、アメリカ(ネオコン/シオニスト)はイスラエルやサウジアラビアと共同でシリアとイランの2カ国とレバノンを拠点にしているヒズボラを倒すための秘密工作を始めている。この工作とISIのリーダー交代が関係していると考えることはできる。 しかし、2007年当時、元CIAオフィサーで中東の専門家だったブルース・リーデルは、バグダディの実在を疑っていたという。そのバグダディは2010年4月に殺され、アブ・バクル・アル・バグダディが新しいリーダーになって現在に至っているとされているが、この新バグダディの正体も明確でない。 1988年から93年にかけてフランスの外相を務めたロラン・デュマによると、2009年にイギリスを訪問した際、イギリス政府の高官からシリアで工作の準備をしていると告げられたという。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国連合がこの時点でイギリスと連携していたかどうかは不明だが、「アラブの春」以降は手を組んでいる。デュマは政府から離れているとしてイギリス政府高官の話に乗らなかったというが、リビアやシリアの体制転覆プロジェクトにはフランスも参加している。 ISはイラクやシリアだけでなく、最近はパキスタンへも侵入しているようで、昨年12月には指揮官のユザフ・アル・サラフィを含む3名がラホールで拘束されたという。尋問で活動資金がアメリカ経由でISの手に渡っていることが判明、現地での活動だけでなく、シリアで戦う戦闘員を雇う工作も行い、戦闘員ひとりにつき600ドルを受け取っていたようだ。 アメリカ、イスラエル、サウジアラビア、イギリス、フランス、カタールといった国々はリビアと同時にシリアを攻撃、リビアのムアンマル・アル・カダフィを惨殺した後には戦闘員をシリアへ移動させた。リビアでアメリカなどの国々は地上軍としてアル・カイダ系のLIFGを使っていたので、必然的にシリアの反政府軍ではアル・カイダ色が濃くなった。 リビアの制圧に成功した後、2012年にヨルダンの北部に設置された秘密基地でアメリカ、イギリス、フランスから派遣された教官が反シリア政府軍の戦闘員数百名を2013年3月の時点ですでに訓練、合計1200名にする予定だと伝えられているが、その中にはISに参加する者もいたという。 ヨルダンは反シリア政府軍の訓練に協力しているだけでなく、シリア攻撃の拠点を提供している親米国家だが、それだけでなく、イスラエルとの関係を深めている。例えば、ヨルダンはイスラエルから天然ガスを輸入しようとしているのだ。 イスラエルのグローブス紙によると、取り引きは15年以上、金額は150億ドルに達するようだが、この取り引きについてヨルダンの国会議員、ヒンド・アル・ファイーズはテレビのインタビューで激しく批判。同議員と同じように考えているヨルダン人は少なくないはずで、大きな不安定要因になっている。国民をコントロールするため、何らかの仕掛けが必要になっていた。少なくとも結果として、ISがパイロットを焼き殺すというパフォーマンスは有効だった。 殺されたヨルダンのパイロットは空爆に参加していたというのだが、これは昨年、9月23日に始められた作戦。まずビルが破壊されるようすが流されたが、当日、現地で取材していたCNNのアーワ・デイモンが翌日朝に放送したところによると、ISの戦闘員は空爆の前に極秘情報を入手、攻撃の15から20日前に戦闘員は避難して住民の中に紛れ込んでいたという。 安倍晋三政権もISを使って日本をアメリカの戦争マシーンに組み込む作業を急ピッチで進めている。ウクライナを見てもわかるが、追い詰められたアメリカは軍事的な緊張を高めて相手を屈服させようとしているようだ。 日本なら通用するかもしれないが、相手は中国とロシア。ウラジミル・プーチン露大統領は外交攻勢でアメリカを押さえ込もうとしているが、戦争になれば受けて立つ姿勢を鮮明にしている。そうなればEUも日本も破滅。そこでEUは危機感を高めて外交へ軸足を移しているのだが、安倍政権は嬉々として戦争の準備をしているように見える。キリスト教系カルトの国と「現人神」の国は親和性が強いようだ。
2015.02.15
ベラルーシの首都ミンスクでドイツ、フランス、ウクライナ、そしてロシアの首脳が集まってウクライナ東部の戦闘について話し合い、15日から停戦に入ること決めたが、すぐにキエフ政権を支える柱のひとつ、ネオ・ナチ(ステファン・バンデラの信奉者)が合意を拒否すると宣言した。右派セクターを率い、東部で民族浄化作戦に参加している議員のドミトロ・ヤロシュがそのネオ・ナチだ。 会談に参加しなかったアメリカは相変わらず好戦的で、ジム・インホフェ上院議員はアメリカの軍事介入を本格化させるため、2008年に撮影されたウクライナと無関係な写真を振りかざしてロシア軍がウクライナに軍事侵攻した証拠だと主張したりしている。 バラク・オバマ政権はシリアへの直接攻撃を取りやめ、イランと話し合いを始めたことからネオコン/シオニストに激怒されたが、ウクライナでは好戦的。オバマの師と言われているズビグネフ・ブレジンスキーはウクライナを制圧すべきだと昔から主張していた人物で、ここではネオコンと同じ姿勢だと言える。 オバマ政権では国防長官がチャック・ヘイゲルからアシュトン・カーターへ交代になると見られているが、これも好戦的な雰囲気が強まっているひとつの結果。カーターは2011年から13年にかけて国防副長官を務めた人物で、2006年にはハーバード大学で朝鮮空爆を主張するなど、好戦的な人物だ。ブッシュ政権には国家安全保障問題担当補佐官のスーザン・ライス、その下にいるベン・ローズ、国連大使のサマンサ・パワーといった好戦的なグループが存在、そこへ国防長官も加わりそうで、EUが危機感を抱くのは当然だが、それも身から出たさび。 それでもドイツやフランスではアメリカの政策に批判的な人が増えているようで、政府としてもそうした声を考慮せざるをえなくなっている。ドイツでは首相が嫌露派で有名だが、国内にもアメリカに批判的な人物が存在する。フランスでは経済界からアメリカ批判が出ている。 そうした中、イギリスのBBCが昨年2月のクーデターを番組で取り上げ、ユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で狙撃したのはクーデター派だとする証言を紹介している。証言の内容自体は1年前からわかっていたことで、昨年2月25日にキエフ入りして現地を調査したエストニアのウルマス・パエト外相の証言と合致する。ただ、BBCがこの事実を報道したことが興味深い。イギリスの支配層でもアメリカの暴走を懸念する人が増えてきたのだろう。そうしたことを気にしないのは日本人くらいになってきた。 パエト外相は26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で調査結果を報告、スナイパーはビクトル・ヤヌコビッチ大統領を失脚させようとしていたグループの中にいるというものだった。 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としたうえで、「新連合(クーデター派)はもはや信用できない」としている。それに対し、アシュトンは「議会を機能させなければならない」と応じて真相を隠そうとした。 この頃、BBCはウクライナのクーデターとネオ・ナチとの関係を伝えているのだが、その直後から事実を伝えなくなる。他の西側メディアと同じようにプロパガンダ色が濃くなるのだが、ここにきて再び軌道修正を図っているようだ。それほどアメリカの暴走をEUも恐れ始めたのだろう。 アメリカを支えているのは石油の大量消費と膨大な借金と最終戦争を夢想するキリスト教系カルトだとも言われ、コントロールできない状況になっている。1990年代の終わりには破綻寸前だったが、2011年9月11日の攻撃で国の崩壊は先に伸びた。この危機的な状況をアメリカは戦争で乗り切ろうとしているようで、戦争することしか頭になく、国防長官の広報担当も支離滅裂なことを言っている。例えば、NATOが東へ拡大したことでロシアが近づき、その結果として軍事的な緊張が高まっているので、その責任はロシアにあると考えているようだ。
2015.02.14
イラク西部にあるアル-バグダディをIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)が攻撃、一部が制圧されたと伝えられている。そこから約3キロメートルの場所には400名の海兵隊員が駐留しているアイン・アル・アサド空軍基地がある。その基地にも8名のIS戦闘員が攻撃を仕掛けたが、全員が殺されたという。イラク兵を訓練するために派遣されているアメリカの軍事顧問弾は攻撃された場所から数キロメートル離れた場所にいて、危険な状態ではないとも伝えられている。 基地の攻撃は宣伝が目的だろうとする見方があるが、攻撃部隊の規模から考えると、その可能性は高い。IS側にとっては「実績作り」になるのだろうが、中東への軍事介入に積極的なアメリカの勢力にとっても本格的な介入を正当化する理由にもなる。 本ブログでは繰り返し書いているように、ISを作り上げたのはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国連合。リビアの体制転覆プロジェクトでNATOとアル・カイダとの連携が明らかになったあと、アル・カイダ系のAQIを中心に編成されたのがISで、やはりアル・カイダ系と言えるのだが、名前から「アル・カイダ」を消すことで誤魔化そうとしているように見える。 アル・カイダにしろ、ISにしろ、その背後にいるのはCIAと国務省だと言われている。CIAには特殊部隊は存在するが、地上軍と呼べるものはない。そうした地上軍としての役割をアル・カイダ/ISは果たしている。 アメリカにはふたつの戦闘機構が存在する。ひとつは正規軍、もうひとつはCIA/特殊部隊で、例えば、ベトナム戦争でもアメリカはふたつの戦争を戦っている。1964年1月にリンドン・ジョンソン大統領はOPLAN34Aを承認し、陸軍のグリーン・ベレー、海軍のSEALs、そして空軍特殊部隊からメンバーを集めて編成されたのがSOG。 1964年7月30日に南ベトナムの哨戒魚雷艇が北ベトナムの島を攻撃、翌日にSEALsの隊員に率いられた南ベトナム兵がハイフォンに近いレーダー施設を襲撃した。この報復として、北ベトナムは8月2日に情報収集活動をしていたアメリカ海軍のマドックスを攻撃したと言われている。アメリカ議会が「東南アジアにおける行動に関する議会決議(トンキン湾決議)」を可決したのは、その5日後だった。SOGの作戦でアメリカはベトナム戦争へ引きずり込まれたと言える。 1965年2月からアメリカは北ベトナムに対する本格的な空爆「ローリング・サンダー作戦」を始めるが、戦争は泥沼化する。1966年4月にポーランドの外交官がハノイへ入って和平の道を探ろうとしているが、そこでアメリカ軍はハイフォンに停泊中のポーランド船の近くに爆弾を投下し、ミサイルも撃ち込んだ。 アメリカ国防総省の内部でも好戦派と慎重派が対立する。政策を決定していた毎週火曜日の昼食会へ出席していた好戦派はNSCのロバート・コマー。この人物はCIAの分析官でジョンソン大統領の腹心として知られている。1967年5月にDEPCORDS(MACV副官)としてサイゴンへ入り、6月にはコマーの提案に基づいてMACVとCIAの共同プログラムICEXが始動する。 このプログラムはCIAが指揮、1967年のうちに「フェニックス・プログラム」と呼ばれるようなった。その目的はベトコンの村システムの基盤を崩壊させることにあると言われ、実働部隊として組織されたPRUのメンバーは殺人やレイプ、窃盗、暴行などで投獄されていた囚人たちが中心の傭兵。1968年3月に「ミ・ライ(ソンミ村)事件」が起こるが、これもフェニックス・プログラムの一環だった。その8カ月後、コマーの後任としてサイゴンへやって来たのがウィリアム・コルビー。 1973年9月にリチャード・ニクソン大統領はコルビーをCIA長官に任命するが、その2年後に上院では「情報活動に関する政府による作戦を調査する特別委員会」が設置され、情報機関による秘密工作の調査が始まる。委員長がフランク・チャーチ議員だったことから一般に「チャーチ委員会」と呼ばれている。ただ、日本の場合は上院外交委員会の「多国籍企業小委員会」を「チャーチ委員会」と呼ぶことが多い。 チャーチ委員会でコルビーはチリでの秘密工作(ヘンリー・キッシンジャーを中心として実行された軍事クーデター)などを詳しく説明、「1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」と証言した。 コルビーはアレン・ダレスの側近で、第2次世界大戦中はOSSの破壊工作部隊、ジェドバラで活動、ベトナム戦争ではフェニックス・プログラムを指揮していた人物。破壊活動(テロ工作)の人脈は仲間だと考えていたのだろうが、自分たちの悪事の一端を暴露してしまった。 ニクソンがウォーターゲート事件で失脚した後にできたジェラルド・フォード政権ではデタント派が粛清され、ネオコンなど好戦派が台頭してくるが、このときにコルビーも解任され、後任長官になったのがジョージ・H・W・ブッシュだ。当時、「情報の素人」だと日本のマスコミは伝えていたが、実際はエール大学でCIAにリクルートされた非公然オフィサーだった可能性が高い。 1979年7月にエルサレムでアメリカとイスラエルの情報機関に関係者した人物が集まって「国際テロリズム」に関する会議が開かれた。そこで全てのテロリズムはソ連が黒幕だと断定、反ソ連キャンペーンが始まる。その会議にアメリカ側から出席したメンバーの中にはネオコンのリチャード・パイプスやジョージ・H・W・ブッシュも含まれていた。 「フェニックス人脈」は現在でも生きていて、イタリアのグラディオなど「NATOの秘密部隊」や1980年代に始まった戒厳令プロジェクトCOGとも深く結びついている。中東/北アフリカやウクライナでのプロジェクトにも関係している可能性が高い。
2015.02.14
アメリカ/NATOを後ろ盾とする勢力のクーデターで合法政権が倒されて以来、ウクライナでは戦闘が続き、ドイツの情報機関によると、東/南部で約5万人が犠牲になったという。このクーデターで暴力面の主力になったのはネオ・ナチ(ステファン・バンデラの信奉者)で、その背後にはシオニストの富豪が存在している。このクーデターに巻き込まれたEUはロシアに対する「制裁」を強制され、経済的に大きなダメージを受けている。しかも戦争のリスクが高まり、万一、開戦になればEUは破滅する。その危機感がドイツとフランスの首脳をミンスクへ向かわせた。 2月11日からベラルーシの首都ミンスクではドイツ、フランス、ウクライナ、そしてロシアの首脳が会談、15日から停戦に入ること決めたという。平和への第一歩と言えるだろうが、問題は多い。 例えばドイツの場合、アメリカの好戦的で親ナチズム的な政策への反発は閣内でも出ていて、ロシア嫌いの嫌露派として知られているアンゲラ・メルケル首相としてもロシアと話をせざるをえない状況だろう。経済界の圧力もあるはずだが、まだアメリカと全面的に対立する腹はできていない。アメリカをなだめつつ、ロシアと話し合いたいという段階だ。 フランスの場合、ドイツよりもアメリカに批判的。昨年10月にモスクワの空港で事故死したフランスの大手石油会社、トタルのクリストフ・ド・マルジェリ会長兼CEOは、その3カ月前、石油取引をドルで決済する必要はないと言い切っていた。 また、IMF専務理事だったフランス人のドミニク・ストロス-カーンは2011年4月、米英が推進してきた新自由主義経済を批判する発言をしている。失業や不平等は不安定の種をまき、市場経済を蝕むことになりかねないとし、その不平等を弱め、より公正な機会や資源の分配を保証するべきだとブルッキングス研究所で演説したのだ。その際、進歩的な税制と結びついた強い社会的なセーフティ・ネットは市場が主導する不平等を和らげることができ、健康や教育への投資は決定的だと語っただけでなく、停滞する実質賃金などに関する団体交渉権も重要だとも語っていた。ストロス-カーンがレイプ容疑で逮捕されたのは演説の翌月だ。 こうしたフランスでもドイツと同じように、まだアメリカと全面的に対立する腹はできていない。EUの有力政治家などは賄賂と脅しで身動きがとれないようで、ブリュッセルでEUを動かしている「貴族階級」もアメリカの支配層から離れられないそうにない。 キエフ政権のペトロ・ポロシェンコ大統領の場合、ウクライナの東/南部で展開してきた民族浄化作戦が失敗、キエフが送り込んだ部隊は劣勢で、崩壊の可能性もある。こうした状況の中、戦略を変更する必要に迫られてきた可能性がある。 当初からキエフ側の正規軍は士気が低く、ネオ・ナチや外国から雇い入れた傭兵が戦っている状態。そのネオ・ナチは停戦の合意に反発している。この勢力を無視することはポロシェンコ大統領には無理で、停戦の合意はこの辺から崩れていきそうだ。 それに対して地元の人民共和国側はウクライナの軍隊や治安機関などから離脱して参加している人が少なくないほか、1980年代にソ連軍の兵士としてアフガニスタンで戦った経験のある人もいて、戦闘能力は高い。 ロシアは「祖国防衛」が最大の目標だろう。ソ連消滅後、アメリカの傀儡、ボリス・エリツィンが大統領になり、国民の資産を略奪した連中が「オリガルヒ」と呼ばれる富豪になる一方、庶民は貧困化して悲惨なことになった。そのオリガルヒを押さえ込み、独立を回復させたのがウラジミル・プーチン。今でも支持者が多い理由はそこにある。逆に、追い出された富豪たち、あるいは富豪の背後にいる西側の支配層はロシアの再属国化を目論んでいる。 会合に参加しなかったアメリカの場合、巨大資本は昔から宣伝戦を重視、第2次世界大戦後にはモッキンバードと呼ばれるプロジェクトを展開した。これは本ブログでも何度か書いたこと。宣伝の主な道具は言うまでもなくメディアだが、1990年頃からは広告会社の存在感が高まっている。そのプロパガンダ機関を使って幻影を作りだし、ロシアを悪魔化してきたわけだ。 しかし、幻影は事実によって消されようとしている。今回、ミンスクで行われた会談と停戦の合意でウクライナに平和が訪れると期待している人は少ないだろうが、アメリカを排除した形で話し合われ、とにかく合意したという事実は重い。戦争を望んでいるのはアメリカだということをアピールすることにもなった。 和平を嫌うアメリカとしては、状況を一気に戦争へと向かわせる出来事を演出する可能性がある。いわゆる偽旗作戦。ピッグス湾事件やイタリアで実行された連続爆破事件は広く知られている。1960年代の前半にはキューバへアメリカ軍を侵攻させるため、ノースウッズ作戦も作られている。この背後にはソ連に対する先制核攻撃計画があった。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、アメリカ軍がソ連に対する先制核攻撃計画をスタートさせたのは1957年初頭。先制核攻撃に必要なICBMを準備できるのは1963年の終わりだと好戦派は見通していた。この当時から現在に至るまで、西側ではソ連/ロシアが攻撃、アメリカは防衛というシナリオで議論することが圧倒的に多いが、実際は逆だった。 イタリアの場合、戦争ではなく、治安を目的としていた。「爆弾テロ」で社会を不安定化させ、治安強化、つまりファシズム化に賛成させようというわけだ。イタリアの作戦は「緊張戦略」と呼ばれている。 1982年7月、この戦略で中心的な役割を果たした人物の娘が持っていた文書がローマの空港で発見された。二重底になっていたスーツケースに隠されていたのだが、その文書には、友好国政府がコミュニストの脅威に対する警戒心をゆるめている場合、友好国の政府や国民を目覚めさせるために特殊作戦を実行しなければならないとも書かれていた。
2015.02.13
アメリカのネットワーク局NBCの「ナイトリー・ニュース」でアンカーを務めてきたブライアン・ウィリアムズが6カ月の停職処分を受けたという。イラクを取材した際、搭乗していたヘリコプターがロケット弾の攻撃を受けたとする話が嘘だと批判され、その事実を本人も局も認めてのことだという。 事実に反する話を伝えることは仕事上、許されないが、この程度の「誇張」はしばしば耳にする。本質的な話ではない。それより遥かに大きく、本質的な嘘が横行している。その一例はアメリカがイラクを先制攻撃する際に展開された偽情報の流布であり、侵略を正当化するために有力メディアが確信犯的に行ったプロパガンダだ。その結果、アメリカ国民は戦争へと導かれ、多くのイラク市民が殺害され、中東はカオスの中へ突き落とされてしまった。 安全地帯から周囲を眺めて死体の数を数えても全体像がつかめないことは明らか。一部を調べ、さまざまなデータを使い、推計するしかない。そうした推計の中で最も説得力があると思えるものとして、アメリカのジョーンズ・ホプキンス大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究を挙げることができる。この研究によると、2003年3月の開戦から06年7月までの間に約65万人のイラク人が殺されたという。 また、イギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)は2007年夏までに94万6000名から112万人、NGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたと推計している。約100万人のイラク人が殺されたと考えて良いだろう。そうした犠牲者を出した責任の一端はメディアにもあるのだが、きちんとした訂正はなく、偽情報を流したことへの謝罪も検証もない。 イラクへの先制攻撃を正当化する理由として「大量破壊兵器」の恐怖をメディアは宣伝していた。この情報を疑問視する声は当時にもあり、その中にはUNSCOM(国連特別委員会)の主任査察官だったスコット・リッターやIAEA(国際原子力機関)も含まれていた。そうした情報を有力メディアは否定、あるいは無視、戦争を後押ししたわけである。 そのように戦争を煽った記者としてニューヨーク・タイムズ紙のジュディス・ミラーが有名だが、彼女だけがそうした偽情報を流していたわけではない。有力メディアは例外なく同じことをしていた。日本のマスコミも同罪だが、訂正も謝罪もしていない。勿論、処分もない。ちなみに、ミラーはその後、CFR(外交評議会)のメンバーになったという。 アメリカ政府は偽情報を流す際、「友好国」の情報機関も利用している。例えば、イラクがアフリカのニジェールからイエローケーキ(ウラン精鉱)を購入するという話も発信されたが、この場合はイタリアの情報機関SISMIを使ったとされている。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後、SISMIからCIAへ伝えられたというのだ。 1960年代から1980年頃にかけてイタリアでは「NATOの秘密部隊」(イタリアではグラディオ)が「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返していたが、その破壊活動にはSISMIが深く関係、その背後ではCIAが暗躍していた。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』三一書房を) この話ではイタリアのパノラマ誌も使われた。同誌の記者エリザベッタ・ブルバに電話が掛かり、サダム・フセインとアフリカでのウラン購入を結びつける情報が存在すると告げられ、書類が渡される。それをブルバに対し、編集長はアメリカ大使館へ持ち込むように指示、そこからCIAローマ支局長を経由してアメリカ政府へ渡され、イラクを批判する材料として使われることになった。 ニジェールの話をCIAは信憑性がないと判断するのだが、ネオコンは飛びつく。自分たちのシナリオにとって都合の良い話だからで、リチャード・チェイニー副大統領を経由してジョセフ・ウィルソン元駐ガボン大使へ調査が依頼される。ウィルソンは2002年2月に現地へ飛んで調査、その情報が正しくないことを確認し、CIAに報告している。 この情報はIAEAも調べ、同じ結論に達していた。文書をチェックしたところ、基礎的な事実関係を間違えている稚拙な代物で、すぐに偽物だと見抜いたのだが、イラク攻撃を目論むネオコンなどの好戦派、つまりチェイニー副大統領、ドナルド・ラムズフェルド国防長官、ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官たちは無視、ジョージ・W・ブッシュ大統領は2003年の一般教書演説の中で事実として宣伝した。 これに反発したウィルソンは2003年7月6日付けのニューヨーク・タイムズ紙で事実を公表する。同紙のコラムニスト、ロバート・ノバクがコラムでウィルソンの妻であるバレリー・ウィルソン(通称、バベリー・プレイム)がCIAのオフィサーだということを明らかにしたのは、その8日後のことだった。 一方、イギリスでは2002年9月にトニー・ブレア政権が「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書、いわゆる「9月文書」を作成、その中でイラクは45分でそうした兵器を使用できると主張している。直後に文書の内容がリークされ、サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というタイトルの記事を掲載した。 アメリカのコリン・パウエル国務長官から絶賛されたこの報告書はある大学院生の論文を無断引用したもので、内容もイラクの脅威を正当化するために改竄されていたことが後にわかる。 それに対し、2003年5月29日にBBCのアンドリュー・ギリガンはラジオ番組で「9月文書」は粉飾されていると語る。さらに、サンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。 ブレア首相の側近で広報を担当していたキャンベルはデイリー・メール紙で記者をしていた経験があり、メール・グループを統括していたロバート・マクスウェルから可愛がられていた。マクスウェルはイスラエルの情報機関に協力していた人物で、キャンベルも親イスラエル。ブレアがイスラエル系の富豪を資金源にしていたことは本ブログでも何度か書いた。 ギリガンが「45分話」の疑惑を語って間もなく、彼の情報源が国防省で生物兵器を担当しているデイビッド・ケリーだということがリークされる。実際、2003年5月22日にギリガンとロンドンのホテルで会っていた。そのため、ケリーは7月15日に外務特別委員会へ呼び出され、17日に死亡する。 ケリーの「自殺」に関する独立調査委員会(ブライアン・ハットン委員長)は政府を擁護、ケリーは自殺だとする結論を出した。当時から真相を隠蔽しようとしているという批判があったが、この後、執行役員会会長とBBC会長が辞任、ギリガンもBBCを離れた。この後、BBCはプロパガンダ色が強まり、アメリカ、イギリス、フランス、サウジアラビア、カタール、イスラエルなどがリビアやシリアで体制転覆プロジェクトを始めると支援し、プロパガンダのためにシリア系イギリス人のダニー・デイエムなる「活動家」の偽情報を流し続けた。これは演出場面がインターネット上に流されて発覚する。 公式発表によると、ケリーは自らの手で命を絶ったことになっているが、疑問は多く、今でも他殺説は消えていない。例えば、自殺に使ったとされるナイフからなぜケリー博士の指紋が見つからないのか、最初に発見されたときには木によりかかっていた死体が救急医が到着したときには仰向けになっていたのはなぜなのか、死体のそばで警備していた警官が正体不明の人間がいたことを隠したのはなぜなのか、古傷があってステーキを切れない右手で左手の手首をなぜカットできたのか、ケリー博士の死体を発見直後に見た同博士の友人が提供した証拠について調査委員会はなぜ触れていないのか、ケリー博士の死体に関する報告書や写真が70年間秘密にされるのはなぜなのか、死んだ場所が記載されていない死亡証明書で調査委員会は死亡原因をどのように特定したのか、博士が行方不明になった日に警察はなぜ博士の居間の壁紙を剥がしたのか、重要証人の何人かが調査委員会に出てこなかったのはなぜか、ケリーの死体が発見されて90分ほどしてトーマス・バレー警察が使っていたヘリコプターが近くに着陸、5分ほどで飛び立ったという事実がなぜ伏せられたのか等々。ハットン委員会への信頼度は低い。 なお、その後、2004年10月に「45分話」が嘘だということを外務大臣のジャック・ストローが認める。CIA内部でのやりとり、MI6(SIS)の能力を考えれば、「45分話」が嘘だということをブレア政権は最初から知っていた可能性が高い。情報機関の内部にニュース・ソースがなくても、これは容易に推測できることだ。 無様なことになったBBCだが、それでも昨年2月の下旬までは報道機関としての自覚は残っていたようで、ウクライナのクーデターとネオ・ナチとの関係を伝えている。日本では政府やマスコミだけでなく、「リベラル派」や「革新勢力」も受け入れようとしなかった事実だ。これを受け入れたなら、アメリカの支配層から睨まれることは避けられない。BBCにわずかながら残っていたジャーナリストとしてのプライドも3月に入ると消えたようで、その後はあからさまな嘘をつき始める。現在、EUではメディアへの信頼度が急速に低下しているようだが、当然だろう。
2015.02.12
ヨルダン軍のパイロット、ムアーズ・アル-カサースベをIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)が焼き殺す場面という映像がインターネット上で流され、アメリカやヨルダンなどは報復を宣言、空爆を強化したという。メディアでは「空爆の成果」とアメリカが率いる「有志連合」が宣伝されている。公開された映像に「極めて残虐な場面」があるとも伝えられているが、映像が「きわめて奇妙」だとする声がさまざまな方向から聞こえてくる。(例えば、ココやココ) 人が燃える場面は映画にも出てくる。それもリアルに見える程度の知識しか持ち合わせていないので個人的な意見は言えないのだが、今回の場面で奇妙だとされるひとつは皮膚が人間と思えないという点だという。ダミーではないかというのだ。 第2次世界大戦の際、中国の河川敷で大量の死体を焼く任務を命令された人の話では、丸太を井桁に組んだ中に死体を入れて焼くとき、死体は「踊り出す」と語っていた。筋肉が縮んだりするためだろうが、中には飛び出してしまうものもあり、それを火の中へ戻すのが彼の役目だったという。そうしたことも含め、確かに人間でなくダミーを焼いているようにも見える。 1月27日、後藤健二と見られる人物の画像と音声がインターネット上に投稿されたが、その両手にはヨルダン軍のパイロットとみられる男性の写真を持っていた。死刑囚のサジダ・リシャウィの釈放と引き替えに後藤を解放するという条件をISが出しているとしたうえ、交渉が長引くとパイロットは殺されると音声は伝えている。 ISが公開したとされる映像に疑問が投げかけられたのは今回が初めてでなく、昨年8月にジェームズ・フォーリーの首をISが切ったとする映像の公開されたときにもフェイクだと指摘されていた。首の前で6回ほどナイフは動いているものの、血が噴き出さず、実際に切っているようには見えないというのだ。 ムービーの公開を反省したのか、湯川遥菜(湯川政行)と後藤健二のケースではスナップ写真だったが、これもすぐ合成写真だと見破られてしまった。湯川と後藤のふたりが本当に殺されたかどうかも実際のところ、はっきりしない。 こうしたこともあり、ヨルダン軍パイロットの画像も疑惑の目が向けられているが、空爆の継続というアメリカ政府の望みは達成され、一時的にせよ、アメリカへの求心力も強まりそうだ。 フォーリーの首が切られるというフェイク映像が公開された際、シリアへの空爆を誘うことが映像を公開した本当の目的ではないかと言われ、実際に空爆が始まった。その空爆で蛻の殻のビルが破壊され、実績と宣伝されていた。 シリアの北部、アレッポなど重要拠点でISが厳しい状況に陥っているとする情報もあるが、そのISと戦っていたヒズボラの部隊をイスラエル軍は1月18日に空爆、イラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部を殺したと伝えられている。イスラエルはISを支援しているようにも見える。アメリカ政府は空爆を実行することでISの敗北を自分たちの手柄にしようとしているのか、あるいは地上軍の派遣を模索している可能性もあるだろう。
2015.02.11
ウクライナの東部で殺された住民や兵士は約5万人だとドイツの情報機関は推定していると同国のフランクフルター・アルゲマイネ紙は伝えている。アメリカ/NATOのプロパガンダに徹してきたドイツのメディアだが、ウクライナの実態を報道しはじめたようだ。アメリカ/NATOを後ろ盾とするキエフ政権の公式見解、つまり死者は兵士が1200名、市民が5400名、合計6600名という数字の10倍近くに達するということだ。 これだけの人びとを殺すため、キエフ軍はクラスター爆弾や白リン弾も使ってきた。これは「人権擁護団体」ですら認めている。認めなければ自分たちの存在意義が問われてしまうほどの事実だということだろう。それだけ殺してもキエフ軍が劣勢だというのは、侵略軍で、住民に支持されていないからだ。 その事実を誤魔化すため、キエフ政権、アメリカ政府、NATOなどは「姿の見えないロシア軍」が存在していると主張せざるを得ない。実際にロシア軍が介入すれば、かつてアメリカやイスラエルの支援を受けたグルジア軍が南オセチアへ奇襲攻撃を仕掛けたときのように、短時間で粉砕されてしまうだろう。つまり、5万人どころか、数千人の住民が殺されることもなかった可能性が高い。アメリカはそれを前提にシナリオを書き、「ロシア軍の侵略」というプロパガンダの準備をし、国際的に孤立化させようとしていたと推測する人もいる。「予定稿」ができていたかもしれない。 昨年2月23日にクーデターで追放されたビクトル・ヤヌコビッチ大統領の地盤は東部や南部。その地域をキエフ政権は攻撃、施設や住宅を破壊し、住民を虐殺してきた。その犠牲者が5万人に達するとドイツの情報機関は推計しているわけだ。イスラエル建国のときと同じように恐怖から住民が難民化しても、ヤヌコビッチ派、あるいは反キエフ派を排除するという目的は達成できると考えたかもしれないが、抵抗は強く、実現していない。 クーデターの幕が開いたのはユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)。2013年11月21日に約2000名の反ヤヌコビッチ派が広場に集まったところから始まるのだが、その前日、議会で地域党のオレグ・ツァロフはクーデター計画の存在を指摘していた。 ツァロフによると、ウクライナを内戦状態にするプロジェクトをアメリカ大使館はジェオフリー・パイアット大使を中心に準備、その手先になっているのがNGO。アメリカは「アラブの春」と同じように、ソーシャル・ネットワーキングを使って世論を誘導し、組織的な政権打倒運動を展開しようと目論んでいるともツァロフは主張、11月14日から15日にかけて計画に関する会議が開かれたという。その後の展開は、ツァロフの伝えられていた情報が正しかったことを示している。 当初、抗議活動は人びとのEUへの憧れを刺激する「カーニバル」的なもので、12月に入ると50万人が集まったとも言われている。この混乱をEUは話し合いで解決しようとするが、そうした方針に怒ったのがアメリカ政府。ネオコン/シオニストのビクトリア・ヌランド国務次官補がパイアット大使との電話で「次期政権」の閣僚人事について話し合っている際、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしたのはそのためだ。その中でヌランドが高く評価していた人物がアルセニー・ヤツェニュク。 この電話での会話がインターネット上に公開された直後、キエフ入りしていたヌランドの下へ親米派の3名が訪問している。ユリア・ティモシェンコの「祖国」に所属し、ヌランドに好かれているヤツェニュク、そのほか「UDAR」のビタリ・クリチコとネオ・ナチ政党の「スボボダ」に属するオレフ・チャフニボクだ。 ウクライナでは2004年から05年にかけて「オレンジ革命」が実行され、西側資本の傀儡としてビクトル・ユシチェンコが大統領に就任、その政権で2007年から2010年にかけて首相を務めたのがティモシェンコ。当時、ティモシェンコに指示を出していたのが世界的な投機家として有名なジョージ・ソロスだった。 親米派の3名がヌランドを訪れた頃からキエフの市街は加速度的に暴力化、2月18日頃からネオ・ナチはチェーン、ナイフ、棍棒を手に、石や火炎瓶を投げ、ブルドーザーなどが持ち出され、中にはピストルやライフルを撃つ人間も出始めた。そうした中、19日にバラク・オバマ米大統領はヤヌコビッチ大統領に対し、警官隊を引き揚げさせるべきだと要求している。 そして21日にヤヌコビッチ大統領と反ヤヌコビッチ派が平和協定に調印するのだが、これをアメリカが認めるはずはなく、22日から市民や警官が狙撃され、多くの死者が出始める。その一方、議会の議長を務めていたボロディミール・リバクを「EU派」が脅迫して辞任させ、アレクサンドル・トゥルチノフを新議長に据える。さらに憲法の規定を無視して議会はヤヌコビッチ大統領を解任、トゥルチノフを大統領代行に任命した。 しかし、ウクライナの東部や南部ではクーデターを拒否する動きが広まる。最も動きの速かったのはクリミアで、3月16日にロシアへ加盟するかどうかを問う住民投票が実施された。投票率は80%を超え、そのうち95%以上が加盟に賛成したという。棄権した人も含め、全住民の4分の3以上が賛成したということになる。これにドネツクやルガンスクが続いた。 これに対し、キエフ政権がドニエプロペトロフスクの知事に任命したイゴール・コロモイスキーは4月に武装集団アゾフを組織した。この人物はウクライナ、イスラエル、キプロスの三重国籍を持つ「オリガルヒ」で、生活の拠点はスイスのジュネーブ。アゾフのメンバーは200名ほどで、ネオ・ナチの右派セクターから流れてきたという。約半数に犯罪歴があるとも言われている。コロモイスキーはアゾフのほか、アイダル、ドンバス、ドニエプルという武装集団も組織した。 4月12日にジョン・ブレナンCIA長官はキエフを極秘訪問、その2日後にトゥルチノフ大統領代行が東部や南部の制圧作戦を承認、22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪れ、その直後から軍事力の行使へ急速に傾斜してIMFの融資が決まった。 バイデンのキエフ入りにタイミングを合わせるようにしてオデッサ制圧に関する会議がキエフで開かれている。出席者はトゥルチノフ大統領代行のほか、アルセン・アバコフ内相代行、バレンティン・ナリバイチェンコSBU長官代行、アンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長代行。オブザーバーとしてコロモイスキーもいたという。 オデッサでクーデター政権を拒否する住民が虐殺されたのはその10日後、5月2日のことである。この時に労働組合会館で殺されたのは50名弱とメディアではされているが、これは上の階で死体が発見された数。多くは地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名と言われている。そのとき、現場にいながら何が起こっているかを理解できなかった日本人記者もいた。 1945年5月8日にドイツは降伏してナチス体制は崩壊、その翌日、9日をソ連は戦勝記念日と定めて祝ってきた。その9日にキエフ政権はドネツク州マリウポリ市に戦車などを突入させ、非武装の住民を殺害、警察署を攻撃した。地元の警察は住民を撃てというキエフからの命令を拒否、多くの警官は拘束されていたものの、残った警官が警察署にバリケードを築いて立てこもったという。 この後、アメリカ/NATOを後ろ盾とするキエフ政権は東部や南部での民族浄化を推進し、多くの住民を虐殺してきた。侵略を受けている住民の現実を西側の有力メディアは無視、ネオ・ナチを「民主勢力」として描いてきた。ユーゴスラビアやイラクを攻撃する前と同じように、ウクライナでも西側の政府やメディアは嘘をついているということだが、事実は隠しきれない。そこでイギリスのエコノミスト誌の編集長はロシアのメディアに取材させるなと叫んでいるようだ。嘘が発覚して焦っているのかもしれないが、落ちるところまで落ちたようにしか見えない。
2015.02.10
ウクライナの東部、キエフ政権への帰属を拒否しているドネツクの化学工場で2月8日に大きな爆発があった。キエフ政権側の攻撃によるものだということは右派セクターを率いるドミトロ・ヤロシュも認めている。火薬も生産していた工場なので大きな爆発が起こっても不思議ではないのだが、大規模な爆発、キノコ雲、衝撃波などから核攻撃を連想した人もいるようだ。 これまでにも似たような大きな爆発はあった。例えば、2013年5月にイスラエルがシリアのダマスカス近郊を攻撃した際にも大きな爆発が報告されている。まるで地震のようで、巨大な金色のキノコに見える炎が目撃されている。その時も小型核爆弾、いわゆる「スーツケース核」が使われたと推測する人もいた。 こうした核兵器を製造しているとアメリカやソ連は認めていたので、実際に使われても不思議ではない。開発当初はプルトニウム-239の周囲をウラニウム-238で囲むという仕組みだったが、最近はウラニウムを必要としなくなり、小型化が進んでいるという。つまり使いやすくなっている。 プルトニウム-239はアルファ線を放出してウラン-235になるのだが、一般的に使われているガイガーカウンターなどでは検出できない。つまり、新型のミニ核爆弾を使っても気づかれにくいということだ。 アメリカは世界中で多くの人を殺してきた。先制攻撃で破壊したイラクの場合、100万人とも言われる住民を殺したと推測されている。例えば、イギリスの医学雑誌、ランセットに発表されたジョンズ・ホプキンズ大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、開戦(2003年3月)から2006年7月までに65万4965名以上のイラク人が死亡、そのうち60万1027名は暴力行為(要するに戦闘)が原因だとしている。また、イギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)は2007年夏までに約100万人が殺されたという調査結果を公表している。 中でも激しい攻撃を受けたファルージャでは開戦後、癌の発生率が高まっている。一般的に劣化ウラン弾の影響だと解釈されているが、現地を調査したウルスター大学のクリストファー・バスビー教授によると、原子炉や核兵器に使われるような濃縮ウランが人の髪の毛や土の中から見つかったという。 こうした濃縮ウランはファルージャだけで発見されているわけではない。2006年7月にイスラエル軍が軍事侵攻した後のレバノンに入ったバスビーはクレーターを調査、濃縮ウランを見つけたという。レバノンやガザを走っていた自動車のフィルターからもそうした物質が発見されたともしている。アフガニスタンでも濃縮ウランを残す兵器が使われ、バルカン半島でも使用された可能性があるという。 バスビー教授が見つけた濃縮ウランが核兵器に由来するものだったとしても、プルトニウムを使った小型核兵器ではないことになるが、濃縮ウランを使った何らかの兵器が存在しても不思議ではない。
2015.02.09
金融/投機が経済を破壊していることは本ブログでも指摘してきた。生産を放棄、博奕に現を抜かしているのがアメリカを中心とする「先進国」の実態で、そのシステムは崩壊しはじめ、ドルが基軸通貨としての地位から陥落するのは時間の問題だと見られている。博奕幻想は過去のものだ。 そうした中、博奕に手を出したがっている国がある。言うまでもなく、日本だ。昨年3月の衆議院予算委員会で安倍晋三首相がカジノを含む「統合型リゾート(IR)」に前向きの発言をしたことから議論が活発化、カネの臭いを嗅ぎつけたのか、「国際観光産業振興議員連盟(IR議連)」なる超党派のグループもできたという。 安倍がカジノに関する話をする前の月、ラスベガス・サンズを所有するシェルダン・アデルソンは日本に100億ドルを投資したいと東京で語っている。日本は世界第2位のカジノ市場になると期待、事務所を開設するというのだ。2020年のオリンピックを考えている可能性もある。 しかし、日本はギャンブルを禁止している。勿論、競馬、競輪、競艇、パチンコなどはあるが、国が絡んだり、グレーゾーンでの商売だ。アデルソンの計画を実現するためには日本の法律を変えなければならない。アデルソンに続く安倍首相の発言。「出来レース」だと見られても仕方がないタイミングだ。 ここにきて問題なっているのは、5月に訪日したイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の言動。日本の政府高官に対し、アデルソンへカジノのライセンスを速やかに出すよう求めたとイスラエルのハーレツ紙が2月5日付け紙面で伝えたのだ。しかも、直後に同紙は記事を削除してしまった。報道内容が事実なら、刑事事件に発展する可能性があり、同紙は政治的な判断をしたのだろう。 安倍政権とイスラエルとの親密な関係をうかがわせるが、このイスラエルは中東/北アフリカやウクライナでの戦乱に深く関係している。例えば、アメリカやサウジアラビアと手を組み、イスラエルはシリアとイラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したとシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌の2007年3月5日号に書いている。ウクライナのクーデターにはイスラエルの軍人も参加、イスラエル系の富豪が黒幕として動いてきた。 2013年9月、駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンは、イスラエルがシリアの体制転覆を望んでいるとしたうえで、バシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの秘密工作でIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)も使われているとする人もいる。ちなみに、ISは当初、AQI(イラクのアル・カイダ)と呼ばれていた。今年1月には、このISと戦っていた部隊をイスラエルが攻撃、ヒズボラの幹部5名とイランの革命防衛隊の将軍が殺されている。 そして、イスラエルの支援を受けたISは、イスラエルと親密らしい安倍首相の発言に刺激される形で拘束していたふたりの日本人を殺したのだという。この出来事を利用して日本政府はアメリカの好戦派が命令する通りに戦争へ向かって暴走し始めた。
2015.02.08
今から1年前、2014年2月23日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領が解任された。合法的に選ばれた大統領を憲法の規定を無視する形で暴力的に追放したのだ。アメリカ/NATOがネオ・ナチを暴力装置として使ったクーデター。背景は安倍晋三政権と同じであり、日本で起こっていることはウクライナ情勢と深く結びついている。 このクーデターを西側では政府や有力メディアが支持してきた。日本の場合、日頃は「護憲」という看板を掲げている「リベラル派」や「左翼」も同調している。ダブル・スタンダード。いや、自国でもクーデターに賛成なのか・・・ ウクライナ憲法の第111条によると、「ウクライナ大統領が国家反逆罪又はその他罪を犯した場合、ウクライナ大統領は弾劾により解任される」ことを認めているが、そのためには「ウクライナ最高議会の憲法に定める定数の過半数の議員の発案により審議される」ことを求めている。 そして、「調査を実行するためにウクライナ最高議会は特別弁護士及び特別調査官を含む特別臨時調査委員会を設立」し、「特別臨時調査委員会の結論及び提案はウクライナ最高議会で審議される。」 そのうえで、「ウクライナ最高議会の憲法に定める定数の3分の2以上の賛成によりウクライナ大統領に対する告訴を決議できる」のだが、「解任は、ウクライナ憲法裁判所の判決及び弾劾に関する調査・考察を行った憲法弁護士の意見、ウクライナ大統領が告訴されている国家反逆罪又はその他犯罪に関するウクライナ最高裁判所の意見を考慮した上で、ウクライナ最高議会が憲法に定めた定数の4分の3以上の賛成で採択できる」ことになっているが、勿論、ヤヌコビッチ大統領の解任でこうしたプロセスは経ていない。 「非常事態」だからという主張も成立しない。第157条よると、「人権、市民権および自由を廃止又は制限する、又はウクライナの独立を廃止又はウクライナの領土の不可分性を冒涜するようなウクライナ憲法の改正は禁ず。戒厳令下又は国の非常事態下でのウクライナ憲法の改正はできない。」 こうした条文を含む憲法を変えるための手続きは第156条で定められているのだが、それによると、「基本条理」、「選挙、国民投票」、そして「ウクライナ憲法改正手順」を除くウクライナ憲法改正案は、「ウクライナ大統領又はウクライナ最高議会の憲法に定める定数の3分の2以上の国会議員により、ウクライナ最高議会に提出され、ウクライナ最高議会の憲法に定める定数の3分の2以上の賛成で採択され、ウクライナ大統領の指揮する国民投票で承認される。」ことになっていて、「ウクライナ憲法改正案の同一内容での再審議は、次のウクライナ最高議会本会議においてのみ可能である。」と定めている。 ヤヌコビッチ大統領の解任が憲法を無視、暴力を前面に出したクーデターだったことは明白だが、これを日本の「護憲派」は容認しているのだ。その後、ヤヌコビッチを支持していた東/南部でクーデター派が虐殺を始めたのは必然だった。昨年5月以降、オデッサからはじまり、ドンバス、ルガンスクなどで民族浄化が展開され、多くの住民が殺されている。(例えば、ココやココ) このクーデターは2013年11月21日にユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で約2000名の反ヤヌコビッチ派が集まったところから始まる。当初は人びとのEUへの憧れを刺激する「カーニバル」的な雰囲気の集まりで、12月に入ると50万人が集まったとも言われている。 そうした動きを背景にして、アメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補は12月13日に米国ウクライナ基金の大会で演説、ソ連が消滅した1991年からウクライナへ50億ドルを投入したと発言している。その際、彼女の背後には巨大石油企業シェブロンのマークが飾られていた。ちなみに、ヌランドが結婚した相手はネオコン/シオニストの大物、ロバート・ケーガンだ。 多くの人が集まり始めるとネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が前面に出始め、抗議活動は暴力的になる。暴力的にヤヌコビッチ政権を倒すのはアメリカ側の意向だったようで、話し合いを指向するEUをヌランド次官補は気に入らない。そこで、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という言葉を口にした。 この発言は何者かが盗聴、2月4日にインターネット上へアップロードされて発覚した。その音声はヌランドとジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使との電話会談。ふたりは「次期政権」の閣僚人事について話し合っているのだが、ヌランドが高く評価していた、つまりアメリカの傀儡として最適の人物だと推していたのはアルセニー・ヤツェニュク。クーデター後に首相となった人物だ。 広場ではネオ・ナチのメンバーが棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始める。2月中旬には2500丁以上の銃をネオ・ナチは持ち、狙撃も始まった。 それでもヤヌコビッチ大統領と反政府派の代表は一旦、平和協定の調印にこぎ着けるのだが、その直後に狙撃は激しくなり、「西側」の政府やメディアはヤヌコビッチ側が黒幕だと宣伝。そして23日の憲法を無視した解任につながる。 その2日後にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は反ヤヌコビッチ派で医師団のリーダー格だったオルガ・ボルゴメツなどから聞き取り調査をする。その結果を26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告したのだが、それによるとスナイパーは反ヤヌコビッチ派の中にいるというものだった。 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としたうえで、「新連合はもはや信用できない」としている。それに対し、アシュトンは「議会を機能させなければならない」と応じた。つまり、事実を隠して嘘を突き通せということだ。 クーデター直後、2月24日に治安機関SBUの長官に就任したバレンティン・ナリバイチェンコは狙撃にロシアの治安機関FSBが関与していると主張しているが、これは他の証言や事実と符合しない。 その直前まで長官だったアレクサンドル・ヤキメンコによると、狙撃を指揮していたのはアンドレイ・パルビー。1991年にオレフ・チャフニボクとネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」を創設、クーデター後に国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任している。抗議活動中、広場への出入りはパルビーの許可が必要で、この人物はアメリカの特殊部隊とも接触していたと伝えられている。 昨年2月にヤヌコビッチ大統領を追放したクーデターを指揮していたのがアメリカ支配層だということは明白になっているが、その計画を広場で抗議活動が始まる前、議会でクーデター計画の存在を指摘していた議員がいる。地域党のオレグ・ツァロフだ。クーデター後の4月に地域党を除名され、本人もネオ・ナチに襲撃されてきた。ウクライナの西部は第2次世界大戦の当時からナチスの影響を強く受けていたが、これからの世代にも思想を受け継がせるため、若年者に対する教育も続けられている。
2015.02.08
「イラクとレバント(エーゲ海や地中海の東岸地方)のイスラム首長国」、いわゆるIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)は湯川遥菜(湯川政行)と後藤健二を殺したと言われている。 それに対し、10カ月にわたって拘束された後、昨年4月に解放されたジャーナリストがいる。フランス人のディディエ・フランソワだ。彼によると、ISは宗教にほとんど関心を示さず、政治的な話をしただけだという。ISは宗教的な集団でなく、「イスラム」という単語を入れたのも政治的な判断だったということだろう。実際、ISの行うことは「イスラム的」でない。 すでに書いたことだが、ISは1999年に「一神教聖戦団(JTJ)」として創設され、アメリカがイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒した後、2004年からAQI(イラクのアル・カイダ)としてイラクへ入り、活動を始めた。2006年1月にAQIを中心にしてISI(イラクのイスラム国)が編成され、シリアで政府軍が優勢になると活動範囲をそのシリアへ拡大させて名称もISに変更された。その間、2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でCIAや特殊部隊がその主要メンバーが訓練を受けたと伝えられている。 アル・カイダとは統一された戦闘集団でなく、ロビン・クック元英外相も指摘しているように、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。「プロジェクト」が企画されると、そのファイルの中から戦闘員が選ばれて派遣されるということだろう。アル・カイダとはアラビア語で「ベース」を意味、「基地」と表現することもできるが、実態は「データベース」だということだ。なお、この記事を書いた翌月、クックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡してしまった。享年59歳。 このムジャヒディン、つまりイスラム系武装集団を組織したのはズビグネフ・ブレジンスキーだ。1976年の大統領選挙で当選したジミー・カーターはブレジンスキーとデイビッド・ロックフェラーに選ばれた人物で、大統領に就任したカーターはブレジンスキーを大統領補佐官に据える。ブレジンスキーはポーランド工作を進める一方、1979年4月にCIAのイスラム武装勢力支援プログラムを開始した。 ブレジンスキーの思惑通り、この年の12月にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻、そのソ連軍とイスラム武装勢力は戦うことになる。CIAは資金や武器を供給し、爆弾製造や破壊工作の方法を教え、都市ゲリラ戦の訓練もしている。そうした訓練を受けた戦闘員のファイルがアル・カイダだとクック元英外相は主張しているのだ。そうした中からオサマ・ビン・ラディンたちも出てきた。 戦闘員にはさまざまな人が参加しているだろうが、ISにしろ、アル・カイダにしろ、組織なりファイルなりが宗教的だというわけではない。むしろ、宗教的なのはアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権だった。その政権を支えたアメリカ国民も宗教的で、全体の40%以上は聖書に書かれた最終戦争の予言を信じているとウィスコンシン大学のポール・ボイヤー教授は書いている。 ブッシュ・ジュニアたちの信仰をさかのぼるとオリバー・クロムウェルにたどり着く。ジャン・カルバンの主張を信じ、魂の救済は神によって定められていることなので「善行」は意味がないと考える宗派に属していた。 禁欲を肯定し、金貸しも認めたが、禁欲と強欲は紙一重。不正であろうと何であろうと、カネ儲けに成功すれば、神に選ばれた印だと考えるようになる。これは資本主義の勃興と結びついている。 そうした考え方をする一派がピューリタンであり、1640年から60年にかけてイギリスでピューリタン革命を成功させる。この革命で議会軍を指揮したのがクロムウェル。その少し前、1620年にメイフラワー号でアメリカへ渡ったのもピューリタンだ。言うまでもなく、その後、アメリカでは先住民が殲滅されている。 王党派を破った後、小農民や職人層に支持されていた水平派をクロムウェルは弾圧、アイルランドを侵略して住民を虐殺した。こうしたことから、彼は歴史上、最も多くの人間を殺したひとりだとも言われている。 クロムウェルは宗教的な信念からユダヤ教徒をイングランドへ連れて来るが、その先、パレスチナへ移住させることを想定していたようだ。その考え方は20世紀に入っても消えなかった。そこにユダヤ系の大富豪が絡む。 カルバン派も含め、福音主義者と呼ばれる人びとがパレスチナにイスラエルを建国させたがった理由は、最終戦争(全面核戦争)を起こし、キリストが再臨して自分たちが救われるための前段階として必要だと考えたからにほかならない。 こうしたことを信じているのは一部の狂信的な信者だけだろうと考える人が少なくないだろうが、アメリカには相当数の信者がいるようで、ボイヤー教授は国民の40%以上が信じているとしているわけだ。 彼らにとって「自分たちの軍隊」は「神の軍隊」で無敵のはずなのだが、ベトナム戦争でもたつき、失望した。そうしたときに引き起こされた1967年の第3次中東戦争で圧勝したのがイスラエル軍。そこに新たな「神の軍隊」を見いだし、イスラエルの好戦派(ウラジミール・ジャボチンスキー派)に接近していった。それをネオコン/シオニストは利用し、1970年代からアメリカで影響力を強めている。アメリカでは核戦争を夢想する宗教と軍事力が結びつき、人類の存続を危うくしている。
2015.02.07
チャック・ヘーゲル国防長官の後任としてバラク・オバマ大統領から指名されたアシュトン・カーターが上院軍事委員会に登場、ウクライナのキエフ政権へ武器を供与する姿勢を示した。ネオコン/シオニストに支配され、軍事介入を声高に叫んでいる議会の圧力に応える形での発言だろう。ネオコンと手を組み、「最終戦争」を夢想しているキリスト教系カルトはアメリカ人の40%以上だとウィスコンシン大学のポール・ボイヤー教授は語っている。アメリカの議会が目を覚ますことは難しそうだ。正気ではない。 上院軍事委員会の委員長はウクライナやシリアで体制転覆を目指す反政府軍を鼓舞してきたジョン・マケイン。2011年から13年にかけて国防副長官を務める前、2006年にカーターはハーバード大学で朝鮮空爆を主張していた人物で、マケインとは好戦派の仲間だと言える。 また、フィリップ・ブリードラブNATO欧州連合軍最高司令官/在欧米空軍司令官やアメリカ政府がNATOへ派遣されているダグラス・ルート大使はキエフ政権への武器供給を支持している。NATO事務局長のジェンス・ストルテンベルグはロシアを睨み、緊急展開部隊を1万3000名から3万名へ増強するとしている。 ネオコンや戦争ビジネスの「私兵」と化しているNATOの司令官がこうした発言をするのは当然だろう。ルートは退役陸軍中将で、ジョージ・W・ブッシュ政権が実行した軍事侵攻で中心的な役割を果たしたネオコンだ。 しかし、すでにアメリカ政府はFBI、CIA、そして軍事顧問を派遣したほか、1月21日にキエフ入りしたアメリカ欧州陸軍司令官のフレデリック・ベン・ホッジス中将を中心とする代表団は、国務省の計画に基づき、キエフ政権の親衛隊を訓練するためにアメリカ軍の部隊を派遣する意向を示した。武器も運び込まれている可能性が高い。キエフ政権やアメリカ(ネオコン)は軍事支援を強化して戦況を逆転させようとしている。 そのほか、「民間」という形でアカデミ(ブラックウォーターから名称変更)系列のグレイストーンという傭兵会社が数百名の戦闘員を送り込み、ポーランドからも傭兵が雇い入れられていると伝えられている。イスラエル、グルジア、ルーマニア、スウェーデン、ドイツなどからも戦闘員としてウクライナ入りし、グルジア出身者はブーク防空システムを操作する訓練を受けているともいう。 2月5日にキエフを訪問したジョン・ケリー国務長官はペトロ・ポロシェンコ大統領と会談、マケインやカーターの発言と同じように、武器の提供に前向きな姿勢を示したのだが、その直後にキエフ入りしたドイツのアンゲラ・メルケル首相とフランソワ・オランド大統領はキエフ政権に対する武器提供に反対する立場を伝えたようだ。オランダ、イギリス、フィンランド、チェコなどもキエフ政権への武器提供には反対している。独仏首脳はその足でロシアへ向かい、ウラジミル・プーチン大統領と戦闘の終結について話し合ったと伝えられている。 ポロシェンコ大統領は高性能兵器の提供を求めているようだが、その大きな理由はウクライナ東/南部での戦闘でキエフ軍が劣勢にあるため。正規軍の士気は低いようで、徴兵を逃れるために姿を消す人も多く、女性も兵士にしようとしているほど。そこで戦闘の中心はネオ・ナチ(ステファン・バンデラの信奉者)で編成された武装集団のようだ。 1月24日にドネツク州マリウポリ市にロケット弾を撃ち込んで多くの住民を死傷させたと言われている「アゾフ大隊」のほか、アイダル、ドンバス、ドニエプルという武装集団を組織したのがドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事。ウクライナ、キプロス、イスラエルの三重国籍を持つシオニストだ。 アイダルは誘拐、違法な拘束、虐待、窃盗、強奪を実行、処刑の疑いもあると「人権擁護団体」のアムネスティ・インターナショナルにまで批判された。この武装集団はIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)と同じように、拘束した人の首を切り落としているという情報もアムネスティ・インターナショナルは報告している。また、ジョージ・ソロスの資金も入っているHRW(ヒューマン・ライツ・ウォッチ)は、キエフ軍が白リン弾やクラスター爆弾で東/南部の住民を攻撃していると指摘している。 ケリー国務長官もロシア軍がウクライナに侵入していると主張しているが、根拠は全く示していない。キエフ軍が負けている理由としてアメリカ政府が宣伝している嘘ということだ。ネオ・ナチを使い、ウクライナの東/南部で民族浄化を展開しているコロモイスキーは「オリガルヒ」(一種の政商)のひとりで、天然ガス製造会社のブリスマも所有している。 その重役としてジョー・バイデン米副大統領の息子、R・ハンター・バイデンが名を連ねていることはすでに本ブログでも書いたことだが、ケリーの義理の息子にあたるクリストファー・ハインツの親友、デボン・アーチャーも同社の重役。ヨーロッパのエリートはアメリカ支配層に買収されていると言われているが、アメリカ政府の内部も腐敗していると言えるだろう。こうした欲ボケ集団が世界を戦争で破壊しようとしているのだが、ここにきてヨーロッパは軌道修正を図り、アメリカは孤立しつつある。
2015.02.06
サウジアラビアは原油相場を暴落させることでロシアのウラジミル・プーチン大統領を揺さぶり、シリアのバシャール・アル・アサド政権に対する支援を止めるように要求してきたとニューヨーク・タイムズ紙は伝えている。 この話はアメリカやサウジアラビアの高官からえた情報だというが、ロシア政府はその報道を否定している。サウジアラビアが原油価格を引き上げる代わりにロシアはアサド大統領に対する支援を停止するという提案がサウジアラビアからあったという事実はないという。 ロシアへの未確認ということはさておき、ニューヨーク・タイムズ紙の記事には大きな問題がある。金融/投機が肥大化した現在、相場を主導しているのは現物の需給関係ではなく、先物などペーパーの取り引きであり、原油相場の下落もサウジアラビアではなく、ウォール街が主導している可能性が高い。ウォール街が「主」でサウジアラビアが「従」ということだ。ロシアもそうした事情は熟知しているはずで、サウジアラビアと相場について話し合うというストーリーにリアリティがない。やはり、ニューヨーク・タイムズ紙は信頼度の低いメディアだ。 2003年にアメリカがイギリスなどを引き連れてイラクを先制攻撃した際、アメリカ政府は偽情報を発信していたが、それを世界中へ広める役割を果たしたのが有力メディア。ニューヨーク・タイムズ紙のジュディス・ミラーは象徴的な存在で、殺戮と破壊で中東をカオスの世界にした責任は免れない。 昔から有力メディアは支配層のプロパガンダ機関だが、第2次世界大戦後、アメリカでは情報操作プロジェクトが始動している。いわゆる「モッキンバード」で、中心には大戦中から戦後にかけてアメリカの破壊活動を指揮、CIA長官にもなったアレン・ダレス、ダレスの側近だったフランク・ウィズナーとリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。ワシントン・ポスト紙が有力紙と呼ばれるようになったのは、この人脈によると言われている。 勿論、このプロジェクトは4名だけで推進することは不可能。CBSの社長だったウィリアム・ペイリー、TIMEやLIFEを発行していたヘンリー・ルース、ニューヨーク・タイムズの発行人だったアーサー・シュルツバーガー、クリスチャン・サイエンス・モニターの編集者だったジョセフ・ハリソン、フォーチュンやLIFの発行人だったC・D・ジャクソンなど多くのメディア関係者の名前が挙がっている。ちなみに、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の瞬間を撮影した「ザプルーダー・フィルム」に関する権利をすべて買い取り、倉庫に隠したのはC・D・ジャクソンだ。 モッキンバードの最高指揮官だと見られるダレスはウォール街の大物弁護士として有名だが、ウィズナーも同じようにウォール街の弁護士。ヘルムズの祖父にあたるゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際的な投資家であり、グラハムの義理の父、ユージン・メイアーは世界銀行の初代総裁。つまり、4名とも金融界と深く結びついている。CIAとはそういう組織だということであり、有力メディアはそうした人脈の影響を受けているということでもある。 ところで、アメリカやサウジアラビアがシリアの体制転覆に執着している理由の第1は1991年にネオコン/シオニストが立てた計画にある。ソ連の消滅でアメリカを「唯一の超大国」と認識した彼らは自分たちに服らはない国々を制圧しようと考え、国防次官だったポール・ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを殲滅すると口にしたのだ。翌年、そのプランに基づいていDPG(国防計画指針)の草案が作成された。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日付けニューヨーカー誌に書いた記事によると、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを倒す目的でアメリカ、サウジアラビア、イスラエルが秘密工作を始めたと書いている。その手先として動いているのがアル・カイダ系の武装集団で、その中にはIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)も含まれている。 ペルシャ湾岸の産油国はパイプラインの建設に絡んでシリアを制圧したいという欲望があり、イスラエルはナイル川から北はユーフラテス川までを支配するという「大イスラエル構想」を持っている。地中海東岸で発見された天然ガス田に目をつけている勢力も存在する。USGS(アメリカ地質調査所)の推定によると、エジプトからギリシャにかけての海域には9兆8000億立方メートルの天然ガスと34億バーレルの原油が眠っている。 シリアの体制転覆にもたつき、ISを編成してシリアへ投入する準備が始められた2012年、アメリカのバージニア州で開催されたビルダーバーグ・グループの会議でロシアの体制転覆、つまりプーチン大統領の排除について話し合われたという。 2013年9月にヤルタで開かれた国際会議でも同じ問題が話し合われ、その2カ月後の11月にウクライナのキエフで反政府活動が始まる。原油相場も下がり始めた。2014年9月には紅海の近くでアメリカのジョン・ケリー国務長官とサウジアラビアのアブドラ国王が秘密裏に会談している。相場について話し合われた可能性はあるが、シリアでの空爆について話し合われたとする情報もある。 ネオコン/シオニスト、イスラエル、サウジアラビアはシリアやイランを殲滅するという1991年以来のプランを実現しようと必死で、ISを使って主導権を握ろうとしている。その最大の障害がロシアだが、そのロシアが消えるという情報を流し、「反シリア勢力」を拡大しようと思い、ニューヨーク・タイムズ紙を使って情報操作している可能性がありそうだ。
2015.02.05
2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された事件に関与したとされ、終身刑を宣告されているザカリアス・ムサウイがサウジアラビア王室との関係を昨年、明らかにしているという。 ムサウイが本当に「9/11」に関与したかどうかは不明だが、アル・カイダにサウジアラビアの王室メンバーが資金を提供していることは広く知られている話。そこで、この話が事実だとしても驚きでないのだが、サウジアラビア国王が交代したタイミングで情報が出てきたことは興味深い。 ムサウイによると、彼はアフガニスタンにあるアル・カイダのキャンプで訓練を受け、オサマ・ビン・ラディンとサウジアラビアの王子との間で遣り取りする私信を配達、その際に王子時代のサルマン・ビン・アブドルアジズ・アル・サウド新国王を含む王室のメンバーとも会ったという。ワシントン駐在の大使館員とは「エア・フォース・ワン(アメリカ大統領専用機)」をスティンガー・ミサイルで撃墜する話をしたこともあると語っているようだ。 サウジアラビア王室の中でサルマン新国王はアル・カイダと関係が深いというが、実際の工作への関与という点ではバンダル・ビン・スルタンやタルキ・アル-ファイサル(タルキ・ビン・ファイサル・アル・サウド)、あるいはIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)の雇い主と言われているアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサルの名前が出てくる。 バンダルは1983年10月から2005年9月まで駐米大使を、2012年7月から14年4月まで総合情報庁長官を務めた人物で、ブッシュ家と緊密な関係にあることからバンダル・ブッシュとも呼ばれている。駐米大使に就任する前から国王の特使としてアメリカで活動、大使になった頃はアメリカ政府がサウジアラビア、イラン、ニカラグアで秘密工作を展開していた時期で、そうした工作にも関与していた。 ズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで秘密工作を始めた1979年から2001年まで総合情報庁長官を務めていたのがタルキ・アル-ファイサル。長官を辞めて10日後に「9/11」があった。2005年から07年までは駐米大使を務めている。バンダルの後任大使ということだ。 2007年にはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリアやイラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したと調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌の2007年3月5日号に書いている。こうした秘密工作で中心的な役割を果たしたのはリチャード・チェイニー副大統領、ネオコンのエリオット・エイブラムズ国家安全保障問題担当次席補佐官やザルメイ・ハリルザド、そしてサウジアラビアのバンダルだと言われている。 このバンダルは2013年7月末にロシアを極秘訪問、ウラジミール・プーチン大統領らに対し、シリアからロシアが手を引けば、ソチで開催が予定されている冬期オリンピックをチェチェンの武装グループの襲撃計画を止めさせる、つまり手を引かないと襲撃させると脅したという。当然、プーチンは激怒、バンダル配下の武装勢力を掃討する作戦を展開したようだ。 10月にバンダルはイスラエルを訪問したというが、その直後からウクライナの首都キエフでは反政府の抗議活動が始まる。その背後にアメリカ政府が存在していたことは本ブログでも繰り返し、指摘してきた。 アメリカ(ネオコン)、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟は崩れていないように見えるが、この同盟とオバマ大統領の周辺との関係は揺らいでる。ISは「三国同盟」側が使っている戦闘部隊だ。
2015.02.04
サウジアラビアの新国王、サルマン・ビン・アブドルアジズ・アル・サウドは少なくとも2010年頃から高齢で病気の国王に代わって政務を執ってきたと言われている。重要事項の決定は国王の独断で決められるわけでないこともあり、今回の国王交代でサウジアラビアの政策が大きく変化することはないと見る人は少なくない。 しかし、サルマン国王が大きな問題を抱えていることも事実。さまざまな慈善団体などを通じてアル・カイダへ資金を供給していたと言われ、息子のアーメド・ビン・サルマンは2001年9月11日にあったニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)への攻撃を事前に知っていたとも言われている。もっとも、この「9/11」はアメリカのCIAやFBIだけでなく、各国の情報機関から攻撃の前に警告があったわけで、サウジアラビアの情報機関も知っていて当然だが。 何度も書いてきたが、アル・カイダについてイギリスのロビン・クック元外相は、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵の登録リストだとイギリスのガーディアン紙で説明していた。アル・カイダとはアラビア語で「ベース」を意味するが、これを「基地」でなく「データベース」と理解すべきだということだ。 この「ムジャヒディン」をCIAが編成した目的はソ連軍との戦争にあった。1977年にアメリカではジミー・カーター政権がスタート、国家安全保障補佐官に就任したズビグネフ・ブレジンスキーはソ連軍をアフガニスタンへ引きずり込むという計画を立てた。 すでに1973年からアメリカ政府はアフガニスタンの反体制派を支援しはじめ、1975年にはイスラム勢力が蜂起したが失敗していた。1976年にはアフガニスタンのモハメド・ダウド政権はイランやパキスタンの仲介でアメリカに接近、78年にCIAとイラン(王制)の治安/情報機関SAVAKはエージェントを派遣し、軍隊の中で左派の将校を排除し、人民民主党を弾圧するように工作した。 ところが、この工作が裏目に出たのか、ダウド政権はクーデターで倒されてモハメド・タラキが実権を握るが、国内は安定しない。そこで1979年3月にタラキはソ連を訪れてソ連軍の派遣を要請するが、断られている。戦争の泥沼化を予想してのことだった。 その翌月、ブレジンスキーはNSCでアフガニスタンの「未熟な抵抗グループ」への同情を訴え、CIAはゲリラへの支援プログラムを開始した。4月にCIAイスタンブール支局長がアフガニスタンの反体制リーダーと会談しているが、セッティングしたのはパキスタンの情報機関ISIだった。 7月にカーター大統領はイスラム武装勢力に対する秘密支援を承認し、9月にハフィズラ・アミンが就寝中のタラキを暗殺してクーデターを成功させた。アミンとCIAとの関係を疑ったKGB(ソ連国家安全保障委員会)は特殊部隊を派遣、12月にはソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻した。 後にフランスのヌーベル・オプセルヴァトゥール誌はこの秘密工作についてブレジンスキーに質問したが、それに対して戦争を始めたことを後悔していないとした上、「秘密工作はすばらしいアイデアだった」と答えている。ジミー・カーター大統領に対し、ソ連に「ベトナム戦争」を贈呈する機会が訪れたと伝えたともいう。(Le Nouvel Observateur, January 15-21, 1998) この工作でアメリカはイスラム武装勢力を編成、資金や武器を提供し、戦闘員を訓練したわけだが、その戦闘員の「データベース」がアル・カイダだとクック元英外相は説明している。この事実を明らかにした翌月、クックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡した。享年59歳。こうした戦闘員のリクルートにサルマン新国王も協力していたとされている。 「9/11」を利用してアメリカ政府は2003年にイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒した。アル・カイダ系の武装集団を弾圧していたフセインが排除されたこともあり、2004年にイラクでもアル・カイダ系のAQI(イラクのアル・カイダ)が組織された。この武装集団が中心になり、2006年に編成されたのがISI(イラクのイスラム国)。 2007年には調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌に興味深い記事を書いている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラがターゲットにした秘密工作を始めたというのだ。手駒としてアル・カイダが使われるのは必然だった。 2011年に地中海沿岸の国々で体制転覆を目指す運動が激しくなり、リビアやシリアでは武装闘争になった。その背後にアメリカ/NATOやペルシャ湾岸の産油国がいたのだが、イスラエルも支援していた可能性が高い。 シリアで反政府軍が劣勢になる中、2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でCIAや特殊部隊がイスラム武装勢力の戦闘員を訓練したと伝えられている。ISIは活動範囲をシリアへ拡大、IS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)と呼ばれるようになった。このISの雇い主と言われているのがサウジアラビアのアブドゥル・ラーマン・アル・ファイサル王子だが、その背後にはサルマン新国王もいるということのようである。 アメリカ/NATOやペルシャ湾岸の産油国はシリアの体制を転覆させるため、バシャール・アル・アサド政権を悪魔化する偽情報を流したものの、嘘が発覚、化学兵器を使ったという宣伝も嘘だということが明らかになり、西側諸国の直接的なシリア空爆は実現しなかった。途中、ミサイルをシリアに向かって発射したのだが、途中で海に落ちている。これはジャミングで落とされたとも言われている。ここにきてサウジアラビアは石油相場を引き上げるのと引き替えにシリアから手を引くようにロシアへ提案したという話が流れているが、これは実現しそうにない。その間、ロシアとイランは軍事同盟を締結した。 今のところ、シリアを直接、攻撃しているのはイスラエル。事実上、ISを支援している。2013年9月には駐米イスラエル大使のマイケル・オーレンが、シリアのバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。 シリア、イラン、イラクを殲滅すると国防次官だったポール・ウォルフォウィッツが口にしたのは1991年のことだった。言うまでもなくウォルフォウィッツはネオコン/シオニストの大物で、このプランはネオコン全体のものだと言えるだろう。 イラクはすでに破壊、残るはシリアとイランなのだが、バラク・オバマ政権はシリア空爆を中止、イランとは話し合いの姿勢を見せている。これの怒ったのがネオコン、イスラエル、サウジアラビア。「三国同盟」の内部にすきま風が吹き始めているのだが、そこにアル・カイダと関係が深いと言う人物がサウジアラビアの国王に即位した。1月27日にバラク・オバマ大統領が急遽、サウジアラビアを訪れた一因はこの辺にあるのかもしれない。
2015.02.04
ウクライナの東/南部でキエフ政権が始めた民族浄化作戦は思惑通りに進んでいない。そこでアメリカ政府は対戦車ミサイル、小火器、弾丸などのキエフ軍に対する供給を検討しているという。 昨年2月にネオ・ナチ(ステファン・バンデラの信奉者)が中心になってクーデターを成功させた直後、アメリカの傭兵会社、アカデミ(旧社名はブラックウォーター)系列のグレイストーンから数百名の戦闘員が派遣され、ポーランドからも傭兵が雇い入れられていると伝えられている。イスラエル、グルジア、ルーマニア、スウェーデン、ドイツなどからも戦闘員としてウクライナ入りし、グルジア出身者はブーク防空システムを操作する訓練を受けているとも言われている。 それだけでなく、アメリカ政府はCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込み、さらに国防総省は戦略と政策の専門家チーム、つまり軍事顧問団をキエフへ派遣していると言われているのだが、それでもキエフ側は劣勢のようだ。 こうした状況に陥った最大の理由はキエフ軍の兵士の士気が低く、住民から支持されていないことにあるのだが、そうしたことを口にできないペトロ・ポロシェンコ政権は根拠を示すことなく、数千名規模のロシア軍がウクライナに侵入したと宣伝してきた。 言うまでもなく、この宣伝を請け負っているのは西側の有力メディアなのだが、ロシア軍の影を見つけることもできず、「ロシア軍部隊が消えた」と報道するメディアも出てきた。それが何を意味しているかは明白なのだが、それでも「ロシア軍の侵略」という幻影にしがみついているロシア嫌いがいる。 昨年9月上旬、キエフ政権はナバロシエ(ルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国)と停戦で合意したのだが、その理由はキエフ軍が壊滅的な敗北を喫したことにあったと言われている。ジャーナリストのウィリアム・エングダールによると、ルガンスクの北部を除く地域で大隊の司令官たちは政権に無断で前線から撤退するように命令している。その際、壊滅したのは第1機甲旅団、第24機械化旅団、第30機械化旅団、第51機械化旅団、第72機械化旅団、第79航空旅団、第92機械化旅団で、大きな損害を受けたのは第25航空旅団、第95航空旅団、第17戦車旅団、第128機械化旅団だという。 つまり、態勢を立て直して新たな攻勢の準備をするため、キエフ政権は停戦に応じたわけで、当初から戦闘の再開は時間の問題だと見られていた。その予想通りに戦闘は始まり、1月24日にはドネツク州マリウポリ市が攻撃されて市民に死傷者が出た。ロケット弾が作ったクレーターの状態から発射地点は着弾点の北北東から北西、キエフ側の軍隊が展開している場所を示していることが判明、「アゾフ大隊」が発射した可能性が高まった。これは本ブログでもすでに指摘した。 この攻撃をナバロシエ側が行ったと主張するのは滑稽なのだが、それを平然と主張している人たちがいる。ジョン・ブレナンCIA長官が昨年4月12日、秘密裏にキエフを訪問して以降、ウクライナの東部ではアメリカ/NATOを後ろ盾とするキエフ政権が民族浄化作戦を開始、100万人近い住民がロシアへ避難したのだが、こうした現実にも目を向けていない。どうやら、西側メディアの描く幻影の中に浸かり、事実を直視しようという意思がないようだ。 アゾフ大隊は昨年4月、ドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事が組織した戦闘集団で、200名ほどのメンバーは右派セクターの中から流れてきたという。要するにネオ・ナチを中心に編成された「親衛隊」の一部で、その約半数は犯罪歴があるとされていた。6月14日にキエフのロシア大使館を襲撃したグループの中心だったとも言われている。 コロモイスキーはウクライナ、イスラエル、キプロスの三重国籍を持つシオニストで、アゾフのほか、アイダル、ドンバス、ドニエプルといった戦闘集団を組織してきた。このうちアイダルは、誘拐、違法な拘束、虐待、窃盗、強奪を実行、処刑の疑いもあると「人権擁護団体」のアムネスティ・インターナショナルにまで批判されている。ジョージ・ソロスの資金も入っているHRW(ヒューマン・ライツ・ウォッチ)は、キエフ軍が白リン弾やクラスター爆弾で東/南部の住民を攻撃していると指摘している。 アメリカ/NATOがウクライナの制圧に必死な理由は鉱物資源や穀倉地帯を支配することだけでなく、ロシアとEUを分断することにある。また、アメリカやEUの支配層は財政破綻しているウクライナを借金漬けにし、甘い汁を吸おうとしている。ギリシャで問題になっているIMF、欧州委員会、欧州中央銀行がその手先だが、良い条件を出してきたロシアと交渉をはじめ、このシナリオを狂わせようとしたのがビクトル・ヤヌコビッチ大統領だった。そこで昨年2月23日、憲法の規定を全く無視した形で解任されたのである。 現在の大統領はペトロ・ポロシェンコ、首相はクーデター前からアメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補に高く評価されていたアルセニー・ヤツェニュク、金融大臣はシカゴ生まれでアメリカの外交官だったナタリー・ヤレスコ、経済大臣はリトアニアの投資銀行家だったアイバラス・アブロマビチュス、保健相はグルジアで労働社会保護相を務めたことのあるアレキサンドル・クビタシビリ。経済面はジョージ・ソロスも大きな影響力を持っている。治安や軍事はネオ・ナチが押さえた。 こうしたキエフ政権と日本政府は日本の投資を拡大し、保護するための取り決めに合意したという。キエフ軍が劣勢でアメリカの巨大資本はウクライナへ資金を追加投入したがらなくなっているはず。リスクが高まっているからだ。その穴埋めを日本が押しつけられたということだろう。それほどウクライナ情勢はアメリカ/NATOにとって厳しい。
2015.02.03
少数派は多数派に対して不満を抱いていることが多い。アメリカはそうした不満を侵略に利用してきた。ベトナム戦争では山岳民族を利用、中国を揺さぶるためにダライ・ラマ14世を中心とするチベット人のグループや中国の西部に住むウイグル人、ロシアではチェチェン人といった具合だ。 ミャンマー、タイ、ラオスにまたがる山岳地帯はヘロインの原料になるケシが栽培され「黄金の三角地帯」と呼ばれているが、ベトナム戦争の際、ここで生産される麻薬の密輸でCIAは資金を調達、その密輸に山岳民族は協力していた。 1949年に成立した中華人民共和国はチベットを軍事的に制圧、59年にはラサ市民が蜂起して数万人が犠牲になったとされているが、この時にダライ・ラマ14世はインドへ脱出し、60年代に入るとダライ・ラマはCIAと結びつく。このとき、ダラ・ラマ側はCIAから年間170万ドルを受け取り、その支持者がアメリカのロッキー山中で軍事訓練を受けていた。この関係は米中が国交を回復するまで続いたという。 ウイグルを中国(清)が支配下に置いたのは18世紀のことだが、その後も清に対する反乱が続き、1955年から新疆ウイグル自治区と呼ばれるようになった。イスラムの影響が強く、アル・カイダのコネクションも入り込んでいる。そうした人脈を通じ、自治区からカンボジアやインドネシアを経由、トルコの情報機関MITの手引きで戦闘員としてシリアへ入り、戦っている人もいると報告されている。勿論、北京など中国の諸都市にもネットワークを張り巡らせているはず。 1991年にソ連が消滅してからアメリカ/NATOはユーゴスラビアを公然と先制攻撃して国を粉々にした。その際、アル・カイダがボスニアへ入って戦闘に参加しているが、その時にウクライナ人も、チェチェン、タジキスタン、ウズベキスタンの人びとと一緒にアメリカから訓練を受けたとされている。 チェチェンには強力な反ロシア勢力が存在しているが、その拠点はグルジアのパンキシ渓谷。ここへはチェチェンからの難民が流れ込んでいて、その中から選んだ人びとをCIAは訓練し、戦闘員に育てている。このパンキシ渓谷からシリアへチェチェン人が送り込まれ、戦っている。勿論、シリアだけがチェチェン人の活動する部隊ではない。あくまでもロシアが攻撃の目標。 現在、ロシア攻撃の最前線はチェチェンではなくウクライナ。本ブログでも繰り替えし指摘しているように、一昨年の後半からソチ・オリンピックにタイミングを合わせ、ネオコン/シオニストは体制転覆プロジェクトを始動させた。「第2オレンジ革命」とも呼ばれているが、実態はネオ・ナチ(ステファン・バンデラの信奉者)を中心とする暴力集団によるクーデターだ。 そのクーデターを現場で煽っていたのがネオコン/シオニスト、つまりイスラエル第一のビクトリア・ヌランド国務次官補やジョン・マケイン上院議員。マケインは2013年5月にシリアへ密入国、FSAの幹部やIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)を率いるアブ・バクル・アル・バグダディと会談している。 このISは2004年、アメリカがイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒した翌年にイラクで編成されたAQI(イラクのアル・カイダ)から歴史は始まる。そのAQIを中心にしてISI(イラクのイスラム国)が編成されたのが2006年1月。シリアで政府軍が優勢になると、活動範囲をそのシリアへ拡大し、ISと呼ばれるようになった。2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でCIAや特殊部隊がその主要メンバーが訓練を受けたと伝えられている。マケインがISのトップに会ったのはその翌年ということになる。 2013年9月には、駐米イスラエル大使のマイケル・オーレンがシリアのバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。オーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相に近い人物であり、イスラエル政府の考え方だということだろう。 リビア、シリア、ウクライナなどアメリカが仕掛けた体制転覆プロジェクトを「民衆蜂起」、あるいは「造反」と認識、中身を検討することなく支持を表明する人たちがいた。かつて「造反有理」という標語が流行ったが、ネオコン/シオニストはそうした「左翼好み」の標語を巧妙に利用している。「造反」ならアル・カイダでもネオ・ナチでも支持するという条件反射なのか、背後にアメリカがいることを理解、強者の側につく口実にできると考えて飛びついているのかは不明だが。
2015.02.02
湯川遥菜(湯川政行)に続き、後藤健二がIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)に殺害されたと伝えられている。ただ、現段階では確定的なことは言えない。本ブログではすでに書いたように、昨年8月にISが公開したジェームズ・フォーリーの首を切り落とす場面という映像はフェイクだった可能性が高いからだ。その映像ではフォーリーの首の前で6回ほどナイフは動いているものの、血は吹き出さず、実際に切っているようには見えない。 ふたりが拘束されていることを知った上で日本政府はISに対して挑発的な言動を続け、安倍晋三首相は「決してテロに屈することはない」と強調、菅義偉官房長官は、政府として身代金を用意せず、犯人側と交渉するつもりはなかったと語っている。 そこで浮上してきたのが自衛隊による在外邦人の救出だという。安倍政権が推進してきた「集団的自衛権」とはアメリカによる侵略戦争へ日本も参加する仕組みにほかならないが、今回の人質事件を利用し、国外で日本人が拘束された場合に自衛隊を派遣できないかという話になってきたという。1月29日に安倍首相は衆院予算委員会で、「領域国の受け入れ同意があれば、自衛隊の持てる能力を生かし、救出に対して対応できるようにすることは国の責任だ」と語っていた。 しかし、軍事的に今回のような問題が解決できるなら、同じようなケースで日本より能力の高い国が実施しているはずだが、そう簡単ではない。本気で拘束された日本人を助ける意思が安倍政権にあったなら、別の対応がありえた。日本政府には「救出」の意思が希薄だったということであり、そうした中での自衛隊派遣は軍事侵略への道筋をつけることが目的だとしか考えられない。 人質の救出に成功した例として1976年7月4日にイスラエル軍が実行した「サンダーボルト作戦」を引き合いに出す人がいる。テル・アビブ発パリ行きのエアー・フランス139便が6月27日にハイジャックされ、ウガンダのエンテベ空港へ降りたのだが、そこへイスラエル政府は特殊部隊を含むチームを送り込み、人質105名のうち102名を救出、その際に地上部隊を指揮していたヨナタン・ネタニアフが死亡している。この特殊部隊員はベンヤミン・ネタニヤフ首相の兄だ。 襲撃でハイジャックを実行した7名のほか、33名とも80名とも言われるウガンダ兵が殺されているが、そうした犠牲には関係なく、この作戦は明らかにウガンダの主権を侵犯している。この作戦を成功例として挙げるということは、国の主権を否定しているということにほかならない。 問題はそれだけにとどまらない。イギリス政府が公開した1976年6月30日付けの文書によると、このハイジャック事件自体に疑惑があるのだ。パリ駐在のイギリス外交官がえた情報として、この事件はイスラエルの治安機関シン・ベトがPFLP(パレスチナ解放人民戦線)と手を組んで実行したものだと記されているのである。 こうした「偽旗作戦」をイスラエルはしばしば行う。1985年の「アキレ・ラウロ号事件」もそうした一例だ。イスラエルの情報機関ERD(対外関係局)に所属していたアリ・ベン-メナシェによると、イスラエルの情報機関はモハメド・ラディ・アブドゥラというヨルダン軍の元大佐を工作に使っている。 イスラエルの手駒になっていたラディはイスラエルの命令をアブル・アッバスなる人物に伝える。アッバスはシチリア島のドンから資金を得ていると信じ、自分がイスラエルに操られていることは知らなかった。そして襲撃チームを編成、アキレ・ラウロ号を襲ったわけだ。その際にイスラエル系アメリカ人が殺され、イスラエルに取っては効果的な宣伝になった。 日本政府がどの程度認識しているのかは不明だが、「サンダーボルト作戦」を引き合いに出すと言うことは、「邦人拉致」を演出して自衛隊を派遣、あるいはアメリカ軍の派兵に協力するという「偽旗作戦」を実行する可能性を示していると言える。 現在、アメリカ(ネオコン/シオニスト)は1990年代初頭に立てた世界制覇プランが思惑通りに進まず、焦っている。ウクライナではキエフのクーデター政権の東部や南部での民族浄化が思い通りにならず、9000名ほどの部隊が人民共和国軍に包囲されるという事態になっている。アメリカ/NATOを後ろ盾にしたキエフ軍は白リン弾やクラスター爆弾も使って住民を虐殺してきたキエフ軍は単なる侵略軍だと見なされているようで、市民からも敵視されている。シリアではバシャール・アル・アサド体制転覆に成功せず、手駒として使ってきた反政府軍のISはコバニでも敗北したようだ。 欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官だったウェズリー・クラークによると、ソ連が消滅した1991年にポール・ウォルフォウィッツ国防次官はシリア、イラン、イラクを殲滅すると語っていた。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されて間もなく、ブッシュ・ジュニア政権は攻撃予定国リストを作成、そこにはイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンが載っていたともクラークは語っている。 この7カ国のうち、ウォルフォウィッツが1991年に挙げていた3カ国は最重要国なのだろうが、イラクは2003年の先制攻撃で倒した。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日にニューヨーカー誌へ書いた記事によると、当時のジョージ・W・ブッシュ政権はサウジアラビアやイスラエルと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを倒すための秘密工作を始めたとしている。 ところが、バラク・オバマ政権はシリアに対する直接的な攻撃を途中で断念、イランと話し合う姿勢を見せた。これはネオコン、イスラエル、サウジアラビアにとっては許しがたい行為のはずで、「三国同盟」の内部は揺らいでいる可能性がある。 旧日本軍の作戦参謀と似た状況に陥っているネオコン、イスラエル、サウジアラビアに同調できないという意見が出てくるのは当然だが、妄想の世界にどっぷり浸かったネオコン、イスラエル、サウジアラビアのグループは西側の有力メディアを使い、「嘘の帝国」を維持しようとしている。その中に安住、つまり西側の有力メディア、例えばニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙といったメディアが描く幻影を事実だと信じ、あるいは信じた振りをし、その外の世界を「嘘の上に築かれた帝国」だと主張している人もいるようだ。騙されても騙されても信じる。こうなるとカルトであるが、こうした人の少なくとも一部は「リベラル派」、あるいは「左翼」と呼ばれている。
2015.02.02
ギリシャの庶民は自分たちを食い物にしてきた「国境なき巨大資本」、その代理人を務めている欧州委員会、IMF、欧州中央銀行に反旗を翻した。巨大資本がギリシャの支配層と手を組んで甘い汁を吸い、作り上げた「危機」の尻ぬぐいを「緊縮財政」という形で押しつけられた庶民の怒りが形となったということだ。 言うまでもなく、イタリアやスペインなど、こうした支配グループに反発している国は少なくない。スペインでは大規模な抗議活動が行われたが、こうした動きはEU全域に広がる可能性がある。支配層の強欲が過ぎたということだ。スロバキア、ハンガリー、オーストリアなどもアメリカへの反発を強めている。 実は、これまでもEUのエリート層内でも強欲な政策を懸念する人はいた。例えばIMFの専務理事だったドミニク・ストロス-カーン。2011年4月、ブルッキングス研究所で次のように主張していた。 失業や不平等は不安定の種をまき、市場経済を蝕むことになりかねず、不平等を弱め、より公正な機会や資源の分配を保証するべきであり、進歩的な税制と結びついた強い社会的なセーフティ・ネットで市場が主導する不平等を和らげる。健康や教育への投資は決定的で、停滞する実質賃金などに関する団体交渉権も重要だ。 ストロス-カーンがレイプ容疑で逮捕されたのはその翌月。ブルッキングス研究所での発言で怒ったアメリカの支配層が仕組んだ事件なのかどうかは不明だが、そう思われても仕方がないタイミングだった。 アメリカはEUに強者総取りの「新自由主義」を広めるだけでなく、ロシアを制圧してボリス・エリツィン時代のように略奪しようとしている。その重要なステップが昨年2月にネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を使い、ウクライナの首都キエフで行ったクーデター。それに反発する東部や南部の住民を殲滅する作戦を展開しているが、戦況はキエフ側にとって不利な展開のようだ。住民を敵に回しているうえ、キエフ軍の将兵も戦意を喪失していることが大きな原因なのだろう。 アメリカはロシアに対し、「制裁」という名目で経済戦争を仕掛けているが、これで最もダメージを受けているのはEU。アメリカにとってEUは属国だが、潜在的なライバルでもある。EUの弱体化は彼らにとって重要な目的のひとつ。ロシアとEUを戦わせ、双方を疲弊させようとしている。 ドイツのアンゲラ・メルケル首相のようにドイツ嫌いでアメリカに従属している人物も少なくないが、フランスのフランソワ・オランド大統領は昨年12月6日にロシアを突然訪問し、モスクワの空港ビルで会談している。アメリカ政府が「偽旗作戦」を計画しているという噂が流れ始めたのはその頃だった。年明け後、オランド大統領は西側のロシアに対する「制裁」を辞めるべきだとも語っている。フランスの週刊紙、シャルリー・エブドが襲撃されたのは1月7日のことだった。 アメリカに対する怒りの源は新自由主義にある。日本でも貧富の差が拡大しているが、勿論、これは失政でなく政策。支配層のプランが成功しているのだ。強者総取りが彼らの目的であり、庶民を自分たち同じ人間だとは思っていない。 1月29日、アメリカ上院の外交委員会でジョン・マケイン委員長は反戦活動のグループのメンバーに対し、「黙らないと逮捕させるぞ」と威嚇したうえ、「ここから出て行け、下層のカス」と言い放った。これは彼だけでなく、支配層の中に広まっている考え方だろう。その日、委員会にはヘンリー・キッシンジャーが呼ばれていた。 新自由主義が実際の政策として導入されたのは、軍事クーデター後のチリ。1973年9月11日のことだ。このクーデタを裏で操っていたのが国家安全保障担当補佐官だったキッシンジャーだ。キッシンジャーの意向に基づき、CIAの支援を受けてクーデターを実行したのはオーグスト・ピノチェト。 クーデターでサルバドール・アジェンデは死亡、その後、アメリカやチリの巨大資本にとって邪魔だと見なされた約2万人が殺されたと言われている。クーデター前、アメリカはSOAでチリ軍の幹部に対し、反乱鎮圧技術、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、軍事情報活動、尋問手法などを訓練したほか、チリに教官を派遣して軍隊を反コミュニストの武装集団に作り替えていた。 クーデター後、チリでは国有企業の私有化が推進され、輸入も自由化された。その手先として動いたのがアメリカで教育を受けたチリのエコのミスト。その師匠にあたる人物がシカゴ大学のミルトン・フリードマンだ。このフリードマンと同じようにシカゴ大学の教授だったジョージ・シュルツを1969年に労働長官として押し込んだのもフリードマンだという。その前には後の国防長官、ドナルド・ラムズフェルドがシカゴ大学でセミナーに参加してフリードマンに影響を受けたとされている。 新自由主義とは「レッセ・フェール(なすに任せよ)」を復活させたような「理論」。その復活ではフリードマンとフリードリッヒ・ハイエクが重要な役割を演じたようだが、そのハイエクと親しかったのがイギリスのマーガレット・サッチャー。そしてイギリスにも新自由主義が導入され、世界へ蔓延していく。サッチャーの政策でイギリス社会は破壊されたが、北海油田でその影響は見えにくくなった。 その北海油田は生産量が減少、原油価格の急落でイギリスは厳しい状況。イギリスだけでなく、アメリカ、EU、日本など西側では社会の腐食が進み、その腐臭に耐えられなくなって立ち上がったのがギリシャ。そのギリシャに続く国が出てきそうだ。以前、グローバル化に反対する動きが強まったときは「9/11」で勢いを失ったが、今回はどうなるだろうか?
2015.02.01
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