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このようにして占拠した地で、トゥパク・アマルは、かつてのティンタ郡の広場における時のように、インカの魂を呼び覚ますべく各地の民衆に高らかな演説を続けて回った。
この頃から、彼の訴えの中では、この反乱が決して教会や僧職に逆らうものではないことを伝える色合いが強まっていた。
彼は、「我々の行動は、強制配給、その他すべての人民を脅かす悪税などの、言語道断な習慣、悪政を破棄するためのものであって、決してキリスト教の道に逆らうものではなく、信仰を変える必要もない。」ことを、縷々(るる)説明した。
それは、怒りの極みに達したモスコーソ司祭の発した回状――あのトゥパク・アマルをキリスト教の反逆者とみなし、徹底抗戦を激しく訴えた回状――を意識してのことである。
彼は、モスコーソの回状に、苦々しい思いを噛み締めずにはいられなかった。
反乱幕開け時から、キリスト教に反旗を翻すことは決してなかったトゥパク・アマルだったにもかかわらず、モスコーソの手によって、今やキリスト教へ楯突く呪うべき反逆者として仕立て上げられ、国中に広く宣伝されていた。
もとより予測していたことではあったが、やはり、このことによる打撃は看過できるものではない。
確かに、今、まだこの勢いのある時期は、その痛手も目立たない。
実際、インカ皇帝の化身のごとくのトゥパク・アマルの進軍によって、深く感動した各地の多くの民衆たちは、モスコーソ司祭のあれほどの強烈な脅しにもかかわらず、インカ軍への参戦を否まなかった。
だが…――と、トゥパク・アマルは、その事態を決して楽観はしていなかった。
大量の銃や大砲などの火器を携えたクスコ及びリマのスペイン軍本隊との直接対決が行われた暁には、その勝機は必ずしも保証できるものではない。
インカ軍の勢力に翳(かげ)りが出てきた暁にこそ、あのモスコーソの恐るべき影響力が多くの民の心に滑り込んでいくであろう。
その時こそ、自らに押された「キリスト教への反逆者」という烙印の痛手は、はかりしれぬものになるやもしれぬ。
特に、敬虔なキリスト教徒であることの多い、当地生まれのスペイン人たちの心が離れていく可能性は大きかった。
トゥパク・アマルも形の上では洗礼を受けており、キリスト者の一人とみなされているが故に、敬虔な信者たちである当地生まれのスペイン人たちも、安心して彼を信頼できている側面があることは否定できなかった。
いずれの方向から考えても、モスコーソの打ってくる手は、トゥパク・アマルには手痛いものであった。
◆◇◆はじめて、または、久々の読者様へ◆◇◆
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