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たんぽぽ ばたけに かわいい うさぎが すんでいます。 たんぽぽ うさぎは たんぽぽの わたげが だいすきです。 まいにち まいにち しろくて やわらかい たんぽぽの わたげを ぴょん ぴょん ぴょん ぴょん あつめています。 うさぎの おうちは たんぽぽの わたげで いっぱいです。 たんぽぽの わたげは とってもふかふかです。 あるひ たいへんなことが おきました。 たんぽぽの たねから めがでてきたのです。 ふわふわの おうちは あっというまに たんぽぽで いっぱいになりました。 わたげをなくした たんぽぽうさぎは さむさに ふるえながら あるいています。 つめたいかぜが ふくたびに うさぎの こころから ぬくもりが きえていきます。 まっくらな のはらを おっかな びっくり あるいてみても わたげの のはらは みつかりません。 とってもねむくなって ちかくのあなに もぐりこみました。 そして うとうと ねむりだしました。 ゆめのなかで たんぽぽの わたげに あいました。 そのわたげは とっても ぽかぽかしています。 ゆっくりと めを あけてみました すると よこには まっしろな ふかふかの うさぎが ねむっていたのです。 たんぽぽうさぎは きがつきました。 じぶんの からだも ふかふかしている。 うさぎと うさぎが よりそうと ぽかぽか ぽかぽか あったかい。 たんぽぽ ばたけで うさぎたちが あそんでいます。 わたげを ふ~っと ふきとばして たんぽぽ うさぎも あそんでいます。 みんなも いっしょに あそぼうよ。 「ふ~っ」
2004/05/31
コーチ友達にポストカードをもらった。それが「フレンドシップ」。きれいな色で飾られた文字。そして、ちいさなヨットが、よりそって浮かんでいる。ヨット一つ一つを見つめると、一人一人の色で光っている。チーム全体を眺めると、虹のように光輝いてみえる。 「フレンドシップ」。今の自分にとって、最高の贈り物。 5月30日、116時間におよぶコーチングの演習が修了した。瞬間瞬間、かけがえのない大きなギフトをもらった。短い時間で、人生のあり方が変化していく空間。自分を隠している心の壁が、どんどん薄くなっていく。そして、心の限りの、祈りにも近いコーチの思いが、自分に伝わり、自分らしさが全開になる。全てがゆるされ、全てが認知される場。 コーアクティブ・コーチングは、素晴らしい力を秘めている。そして、コーチとクライアントが、その瞬間に全身全霊でぶつかりあう。コーチングを超越したとき、心の飛躍が現実のものとなる。 自分の身体で、そして目の前で起きる相手のエネルギーの変化を見つづけることによって核心できた。コーアクティブ・コーチング、そして人の思いが、素晴らしい力を発揮する。 僕は、コーチングチームの仲間になった。チームの腕の中に飛び込めば、またやり直せる。セーフティーネットのような、人と人との繋がりを手に入れた。力強く、そして温かい心の網が、すべの人の心を救ってくれる。 いまは、ちいさなセーフティーネット。でも、一人一人が、自分の周りの人と手をつなぐと、世界中に網が張り巡らされる。 インターネットが、世界中を覆っているように、心の繋がりが、いつのまにか世界中の人を包み込んでいる。できる。そう、一人一人が、真剣にとりくめば、できる。 空からの、優しい光につつまれて、世界中の一人一人が、輝き続けるように祈ります。
2004/05/30
ちいさないけの ちいさな ぴょん☆のおはなしです ちいさな いけに ちいさな かえるが すんでいました かえるのなまえは ぴょんくんです かえるの ゆめは たかに なることです でも まわりの ともだちは みんな いいます 「きみには むりだよ やさしすぎるよ」 かえるは そんなじぶんが だいきらいでした くるひも くるひも そらをとぶ れんしゅうを しました れんしゅうすることが じぶんをすきに なることでした そして つかれはてた ぴょんくんは みちの まんなかで うごけなくなりました。 ぴょんは いいました 「ぼくなんか たかに たべられてしまえば いいんだ」 すると どこからともなく たかが やってきました ぴょんは いつものように やさしいこえで いいました 「ぼくを たべてください そして あなたのともだちにも すこしだけ わけてあげて くださいね」 すると たかは いいました 「かえるくんの やさしさを うけとったよ きみは そのやさしさを ずっと ずっと たいせつにするんだよ」 かえるは きがつきました きらいだった やさしさは ぼくにとって かけがえのないもの そして ぼくは それを みんなに つたえていきたいんだ きがついてみると とっても かんたんなこと だって うまれたときに もらっていたんだもの
2004/05/29
一青窈「ハナミズキ」を聞いて、涙が止まらなくなった。自分の心に触れて、涙が一気に溢れてきた。心の奥深くにある心の糸が「ビーン」と共鳴した瞬間。 コーチングのワークショップの中「あなたの本質は何」という質問をもらった。「本質」という言葉に抵抗を感じていた。 抵抗って何だろう。 質問から連想したこと。それは 「あなたは、表面的にしか生きていない」。そんな警鐘に聞こえてしまった。そして頭のなかで、言い訳を繰り返えしていた。 もやもやの続く中、ふと、英語の辞書を調べたくなった。そこには「essence」という言葉が載っていた。そして、自分に納得できる言葉を見つけた。「真髄」。 親から、そして先生から植え付けられた第2の性格。毎日、毎日、環境の中で作り出されていく飾った自分。その全てのカラをはぎとったときに、見えてくるもの。それが真髄。 全ての殻をはぎとられたときには、赤ちゃんみたいに何もできない状態になる。でも、思い出して欲しい。赤ちゃんの生きる力。無限のパワーがこめられている、生命のエッセンス。 自分の生命のエッセンスって、何だろう。生まれてきたときに、自分に与えられたプレゼント。「君と好きな人が百年続きますように」心からの愛を祈る気持ち。温かさで包み込んであげたい気持ち。優しいという言葉よりも、もっと強い祈りのような気持ち。 自分の中にある「染み通る暖かさ」その暖かさに触れた瞬間、その人と好きな人との間に、暖かさが宿り始める。そして暖かい大気は、世界中に伝わっていく。 世界中で起きている、ザワザワとした冷たい争い。そんな冷たい大気を吹き飛ばしてしまうような、しっかりとした暖かさを、生きている限り、周りの人に伝えていくこと。それが、私のミッション。
2004/05/28
「そんな、重箱の隅をつつくような欠点を指摘しないでくれ。」会議で対立が起こっていた。話し合いは、いつまでたっても平行線のまま、歩み寄りが見られない。お互いの陣地にたてこもり、完全対決の状況が続いた。感情の飛び交う会議室の中、私は寂しさに包まれた。 中村寛治著「なぜか心にヒットする本」を読んで、ひとすじの光が見えてきた。 「人は、信頼した相手に手を差し伸べ、お互い助け合います。見返りを求めることのない支援です。そして、信頼関係を基盤とした活動は、スピード感があり、高い成果を生み出します。信頼しているという理由が人を高いモチベーションで動かします。そして、変化と継続が人の輪と信頼の輪をさらに広げていきます。その輪の中は、思いやりと情熱に満ち溢れ、個人を温かくつつんでくれます。」 本当の信頼。 立場が変わろうが、変わらない信頼。会議の中、製品を開発する担当者と、その製品の試験を行う担当者の間には、信頼という雰囲気が感じられなかった。お互いに値を示し、論理で相手を説き伏せようとしている。 もしも、信頼関係が築かれていたら、どのような会議になっただろう。「製品の品質を高めよう」という高い意志のもと、いろいろな観点での取り組みが提案される。そして、スピード感のある論議が繰り広げられていただろう。 信頼は、モチベーションにつながり、そのモチベーションの渦が、周りの人たちを巻き込んでいく。そして、情熱に暖められた場の雰囲気によって、参加メンバーの一人一人が温かい気持ちになっていく。 夢のような会議の場。でも、夢で終わらしていいのだろうか。会議に参加する人たちのコミュニケーションを親密にして、信頼関係を築くために、なにをすればいいのだろう。 信頼とモチベーションに意識しながら、いろんな失敗を積み重ねていく先に、薄っすらと光が見えるように感じる。
2004/05/25
子供の時の親との関わり、特に母親との関わりが、大切なことに気がついた。子供を育てる親は、ただでさえ不安でいっぱい。いろんな本で、「親は、こうあるべき」という文章を見るだけで気が重くなってしまう。でも、昔から、人は育ってきた。本当はもっとシンプルなことを心がけるだけで、育児が幸せになるように感じてきた。 齋藤諦三著「「不機嫌」と「甘え」の心理」のなかに、親の関わり方が比喩で説明されている。 「おぼれている子供がいる。 子供が母親の手にしがみつく。 しかし母親は自分の手をただ出している。 手をだしているだけ。 母親は「しっかり」と子供の手を握りしめていない。 子供は母親の手にしがみつく。 このような状態の時こそ、子供が母親に執着している状態である。」 この文章を読んで、感じたこと。「ただ出している母親の手」が、プラスチックのような、冷たくて、ツルツルすべるような「もの」を感じた。握っても、握っても、滑り落ちていくような、切なさ。 自分の中にも、「形だけの手」を子どもに差し伸べていることがあるように感じた。 親が、真剣に子供の手を握りしめるだけで、子供は救われる。本当の手、心が伝わる手で、子供の手を握ってあげること。 手を差し伸べ、握ったことで、自分もおぼれてしまうかもしれない。でも、覚悟を決めて、子供の手を握ってあげること。 それぞれの子どもが求めている「手を握りしめる」という比喩の「本当の意味」を汲み上げることができたら、育児が幸せになるように感じた。
2004/05/24
「あとだしジャンケン ポン」 青少年育成センターの講義室の中は、笑顔でいっぱいになった。16人の心の壁が、どんどん溶けていくのを感じながら、ゲームの楽しさに引き込まれていった。 5月23日、横浜ボランティア協会主催の「子どもを対象とした活動のための研修会」に参加した。 朝、講義室には、高校生から、70代の方まで、期待に胸ふくらませて集まっている。でも、一人一人、心はバラバラの状態。 朝の講義は、「ゲーム」。 さっそく講師の方が話し始めた。 というよりも、ゲームを始めた。 「それでは、あとだしジャンケンをしましょう。 私に勝ってください」 「あとだしジャンケン ポン」 「あとだしジャンケン ポン」 「こんどは、私に負けてください」 「あとだしジャンケン ポン」 早くなったり、両手ジャンケンになったり。笑いが起こってきた。 いろんなゲームをしているうちに、いつのまにか、みんなとの繋がりを感じ始めた。 一つのゲームが終わった後、みんな一列に並んでいた。「それでは、自己紹介をしましょう」心がほぐれていた。 みんな楽しそうに自分のことを紹介している。楽しそうな笑顔と名前が結びつく瞬間。 もしも、講義の最初に自己紹介をしていたら、硬い表情の顔と名前が結びついていた。 コミュニケーションの壁を溶かすためのゲーム。チームとして一体感を創りだすゲーム。いろんな技が、ゲームという型のなかに盛り込まれていた。身体で覚えたゲームという型は、ずっと忘れない。 自宅に帰って、6歳の子どもとゲームをした。キャッキャッ言いながら、すぐにゲームを覚えてしまった。楽しい型としてのゲームは、あっという間に子どもに伝承された。コミュニケーションの技といっしょに。 昨日の事をふり返ると、感動で涙が出てくる。ボランティアという純粋な思い、それを行動に結び付けている力強さ。ふと漏らす悩み。 すべてが、みんなの笑顔と共に心に入ってくる。すべての人の思いが、達成できますように。 心から祈っています。
2004/05/23
ある日から、ミネラルウォータが好きになった。ミネラルウォータの透明感と自然なパワーにあこがれる感覚を抱くようになった。 斎藤孝著「子どもたちは なぜキレるのか」の中に、水について記載している部分がある。 「自然体が、ただリラックスしている姿勢などではなく、 高度な「技」であることを、富田常雄の『姿三四郎』の中の一説は、 的確に表現している。 後に三四郎の師となる矢野正五郎のもとに、柔術の師をもとめて 上京してきた二人の青年が訪ねてきた場面。」 「彼は正五郎に水の静けさと深さを感じたからである。」 「外見は池のように、林のごとくにも静かであった。 が、澄みきった独楽に触れれば、その外輪に手を切られることは、 少年すら知る直覚であり、この時の義麿を襲った恐怖でもあった。」 澄みきった水の透明感の中に、目に見えない張りつめた「気」が、ものすごいエネルギーを放っている。その「気」に反発しようとすると恐怖を感じる。その「気」を受け入れようとすると、軽石にしみ込む水のように、さっと身体に溶け込んでいく。 自分のミネラルウォータに対するあこがれに近い感覚。 自分の体の中に混ざっている、形式的な固定観念を、きれいな水で薄めていきたい。そして、いつかは、ピュアーな体を取り戻すことができることを信じている。 どんな時でも、乾いた花に、水を分けてあげることができるように、自分の中に、エネルギーのこもったピュアな水をたくわえていたい。これが、私の目指す「技」としての自然体
2004/05/22
「省エネルギー」的な態度に冷めた人間を感じてしまう。必要最低限のエネルギーだけを使って、効率良く仕事をこなしていく、生活に慣れてしまった今の時代。気がつくと、大地は冷え切り、人のつながりにも冷たさを感じる。閉ざされたコミュニケーションは、温かさを受け入れる技を知らない。 齋藤孝著「子どもたちはなぜキレるのか」に出会った。 「期待している人に、「省エネ」的な態度をみせられると、 その人のスケール(器)が小さく感じられて、がっかりする。 子どもがエネルギーを惜しみなく放出するように、 おしげなく振る舞うことが祝祭的な気分を引き起こすのだ。」 「「気」を受止めて倍にして返していく。 ほほえんだり、会釈するだけでもいい。 コミュニケーションと「気」は、そのたびに増幅していく。 冷えて閉じた身体は、こうした増幅を起こしていく。」 元気というエネルギー。「気」は本来人を幸せにするためのエネルギー。その「気」を元に戻すだけでいい。 とっても簡単なこと。 生活の中、「気」を使わなくても生きていける。そして、「気」がよどみ、汚くなってきたことに気がつかない。空気がよどんでくると、だんだん負のエネルギーが溜まっていく。 気の流れ「気流」は、とても小さな空気の動き。でも、その動きがお互いに影響しあって、大きな気流となり、正のエネルギーの原動力となる。 空気のエネルギーは、台風のような大きな渦となり、通り過ぎるときに、エネルギーを放出していく。 ほんの小さな心の通じ合いが、周りの人に伝搬し、桜前線のように温かさをもたらす。 大きな温かい塊は、冷たい「気」とぶつかり合い、「冷たいエネルギーを包み込んでしまう。」 そして、温かくなり始めた冷たい空気は、エネルギーの魅力に気が付き、自らの体温で、周りの空気をあたため始めていく。子どもが惜しみなくエネルギーを放出するように、
2004/05/20
いつも変わりない通勤時間、いろんな人の思いが乱れ飛んでいる。毎日同じよう風景だけれども、少しずつ感じるものが変わってきた。周りが変わったのではなく、自分が変わったのだろう。 「???。 この人、大丈夫かな」駅のホーム、完全に心の迷子になっている人が、自分の乗る電車を待っていた。目の前に電車が到着しているのに、そのことに気がつかないように、自分の電車を待っていた。 「僕の力では、どうすることもできない」と感じた。 以前は、救ってあげれない自分にもどかしさを感じていた。でも、いまは自分の出来ないことは、静かに見守ってあげるしかできない。自分が関わってはいけないという感覚に近い。 「あれ、あの人、道を聞きたそう」多くの人が行き交うなか、一人の女性が一瞬立ち止まった。少しはなれていたけれど、僕も止まった。しぐさではなく、「聞きたい」という「なにか」が、感じられた。 すぐに通りがかりの女性に道を尋ねた。そして、僕も「ほっとした気持」を感じることがでした。 道を聞きたい人には、全力で関わってあげる。道を聞きたくない人には、そっと見守ってあげる。今の僕のスタンス。 道を聞きたい人は、自然に関わりが出てくる。目が合うと、なにかを訴えてくる。その時に、聴いてあげるだけでいい。どこに行きたいのか? 何を迷っているのかを。 そして、迷ったことの価値に気がついてほしい。迷ったことによって、出会う人、物、自然、事件、全てがその人の経験として、自分らしさの形成に必要。 遠くから見ると、同じ色に見える紅葉の木。その葉、ひとつひとつ見つめると、いろんな色が混ざっている。太陽の差込み方、雨のあたり方、そして風の受け方。それぞれの環境の違いが、それぞれの色を発している。そう、道に迷うことも、自分らしさの発見
2004/05/19
「張っている人」という表現が本に出ていた。「張る」という字がつく言葉。 頑張る、威張る、張りきる。どれも、無理して、いっしょに居たくない雰囲気のする言葉だ。 加藤諦三著『「愛する能力」と「楽しく能力」』から、次の文章を引用する。 『世の中には、妻に対しても、自分はこんなに価値があるのだと 証明しようとする人もいる。 日常的に使う言葉でいえは、「張っている」という表現があてはまる。』 『他人に対して自分を良く印象づけよう、 他人に対して自分が重要な人物であることを印象づけようとする努力は 大変なものであるが、実りのない努力でしかない。』 自分の行動をふりかえると、「良く思われたい」という考えがあるようだ。良く思われたいので、思っている提案を言えなかったこと。嫌われたくないので、他の人の意見に反論できない自分。どこかで、「ありのままの自分」以上の価値を求め、頑張ってしまうようだ。その結果、自分の力の足りなさに打ちのめされてしまっている。 では、どうすればいいのだろう。「張る」の反対後は、「張らない」。最近のテレビコマーシャルで耳にした言葉を思いだした。 「頑張らない勇気」 事実を、事実として受け止め、自分のできること以上はやらないこと。そして、できる人の助けを借りること。自分の出来ることを、適確に自己評価して、その場、その場で、出来る範囲内で全力をつくす。出来るから、楽しくなっていく。 楽しいから、できなかったことも、少しずつ出来るようになる。その繰り返しで、どんどん成長してしまう。自分が出来ないことを、出来る人に頼める勇気。そして、出来ないことを「出来ない」と断言する勇気が必要なのですね。張っている自分に「さよなら」してみませんか
2004/05/18
「こんな人に思いやり、やさしさは期待できない」タイトルに引かれて、文章の内容をじっくり読んでみた。 加藤諦三著「「愛する能力」と「楽しむ能力」」では、さらなる説明がされている。「単純に野心をもっているだけの上司は、 とにかく目的を見つめている。 無我無中で目的に向かって突進している。 しっかりと目的を見つめて目は輝いている。 そしてこの単純さが「たくましさ」に通じる。 しかし、心の葛藤を解決するために成功を求める上司は、 目的を見つめていない。 常に周囲の反応を気にしている。 周囲の反応が彼の満足であるから、 目的に向かっての強烈な意志がない。」 「こんな人」とは、心の葛藤を解決するために成功を求める上司を示していた。私は、加藤さんに「こんな人」と呼ばれている人も、いつかは気づいてくれることを心から願っている。 「こんな人」と対象的に描かれているのは、「野心を持った人」野心を持っている上司を、何人知っているだろうか。そして、自分自身、しっかりと目的を見つめて、目を輝かし続けているだろうか。 私は、まだまだ無我無中という心境に達していない。どうしても周囲の反応が気になってしまう。無意識の自分が、心の葛藤を解決したがっているようだ。 心奪われる目的に向かって、我を忘れて突き進むこと。そう、「無我無中」という言葉に、とても魅力を感じる。 無意識の自分の葛藤を抑え込むような、大きな価値観をしっかりと探りだすことが必要。時間をかけて、自分の素質を確認しながら、今は、大きな価値観を探す旅を続けている。 涙がでるほど心が震えるとき、その感動が「価値観」から来ているのか、「無意識の葛藤」から来るのかを、しっかりと判断することが必要。やっぱり、無我無中になってみたい
2004/05/17
2004年5月開催の菅原裕子さんの勉強会「ハートフルコミュニケーション」で学んだこと。 「子どもに教えたい三つの力」。「愛すること」「責任」そして「人に役に立つ喜び」 産婦人科に入るのは6年ぶり。 子どもが生まれた時のことを思い出す。雨の降る中、待合室は9人のお母さん、お父さん、そして5人の子どもでいっぱになっている。 菅原裕子著「子どもの心のコーチング」を読んでから、ずっと菅原さんに合えるような気がしていた。そして会えた。菅原さんの優しい言葉が背中をビリビリ感動させた。会えてよかった。 1時間半という限られた時間の中、ポイントについて、分かりやすく教えてくれた。ここでは、講義の内容を少しだけご紹介。(1)親の役割 「できない子どもを保護する親」から、「マネージャ、スポンサー、コーチとしての親」に変わることが必要。 親の役割を変える時期、それは7歳。私自身、親としての役割の切り替えが、なかなか出来ていないことに反省している。(2)「子どもに教えたい三つの力」 それは、「愛すること」「責任」「人の役に立つ喜び」の三つ。「自分を肯定して生きる」子どもになるためには、親が子どもをいっぱい肯定することが必要。 ついつい、なにげなく、「~したらダメ」という否定言葉を使っていることに気がつく。これでは、否定的言葉が子どもの深層心理に「すりこまれて」いく。もっと肯定してあげよう。 出来たことを、ほめてあげよう。自己肯定を教えることができるのは、身近な親だけ。 もっと沢山のメッセージを菅原さんより受けとった。自分のなかで静かに消化が始まっている。勉強会を受けた今、もう少し深く学びたくなった。そう、7月から始まる「ハートフルコーチ養成講座」を受けてみることにする。
2004/05/16
「そっと、肩に手を触れて、目と手で席をゆずる」バスの中での、私の席の譲り方。言葉がなくても、相手の笑顔が嬉しい。 先週までは、バスの中で席を譲ることにストレスを感じていた。なぜなのだろう。 加藤諦三著「安心感」の中に、「なるほど」と思う説明がある。 「執着すれば、蚊の声さえ大問題であるという。 執着しなければ、死ぬことすら自然である。」 「執着する、ということは、無になれない、ということである。 無になるということは自分を投げ出す、ということであり、 自分を投げ出すということは、外に向かって心を開く、ということである。」 「無になる」という言葉は、修行僧でなければ到達できない境地だと思っていた。でも、加藤諦三さんの言葉を聴いて、「無になる」ことは、もっとシンプルなことに気がついた。 傷つくことを恐がらないで、自分自身を投げ出すこと。それは、だれかへの優しさを証するため。周りの目を気にして、自分の価値を証するためではなく、相手への優しさを証するためだけの行動。 昨日子供に読み聞かせた「きつねのおきゃくさま」の絵本を思い出した。 わけあって、きつね、ひよこ、がちょう、うさぎが、家族のように暮らしていた。ある日、みんなを守るため、きつねはオオカミと戦う。そしてオオカミは、負けて山に帰っていく。しかし、傷ついたキツネは、そのよる静かに死んでしまう。恥ずかしそうに、わらいながら。 昨日は、その「恥ずかしそうにわらった」理由が分からなかった。今、少しだけ分かったような気がする。 死を覚悟して、自分を投げ出すことは、怖くてできない。せいぜい、傷つくことを覚悟して、優しさを、だれかに伝えること。そして、やすらかな気分になること。それぐらいなら、すぐにでも出来そうな気分。 少しだけ「無になって」少しだけ「やすらかな気分」を味わってみませんか。
2004/05/13
「あっ、目が合ってしまった。」 通勤の途中、何百人の人とすれ違っている。ぶつかることを避けて、こわごわ歩いていた。そして、なるべく目を合わさなかった。 今日、あることに気がついた。 「もしかして、周りの人たちも、 目を合わすことを恐がっているのでは」 電車の向かいに座っている人を見つめてみた。やっぱり、すぐに視線を外した。 「自分だけ恐がっているのではなかった。」 なぜ、恐いんだろう。目を合わすことは、その人に強い好意、関心、そして敵意をあらわしている。 目が合った瞬間に、不安が頭の中をかけめぐる。 「殴られたら、どうしよう」 「なにか、用!!と、怒鳴られたらどうしよう。」 そうだ、目を合わせ続けた先に起こる出来事が恐んだ。自分が傷つくことが恐いんだ。 「自分を失ってみる」ことにチャレンジ。傷つくことを恐がる自分にNOと言って、相手の視線を、受け止め、共感する自分にYESを言う。 そう、ただ、受け止めるだけ。柔らかなソファーに身体を沈めるように、相手の視線を受け止めるだけ。 今日から視線を受け止める練習を開始する。失敗して、殴られてもいい。嫌われてもいい。視線を受け止めることによって、その人の心に、一瞬でも、温かい繋がりを感じてくれたら幸せ。
2004/05/12
いつからだろうか。固定観念という考え方が、厚い壁を作り出し、自分を枠の中に閉じ込めていた。 いままで接した環境、人、本、教育。無意識のうちに「こうあるべき」という考えを身にまとっている。 国分康孝著「<つきあい>の心理学」のなかに、次のような言葉が載っている。 「主体性とかアイデンティティとかプロフェッショナルとか、 要するに「自分という意識」の確保を人生の重大事のように考えるので、 他者の世界に入りこめなくなる。 ふれあいの瞬間は主体性もアイデンティもなくなっている。 ふたりがひとつの世界を共有しているのである。 自分を失うことによって、自分が豊かになるのである。」 自分の個性、存在価値を、他の人にみとめてもらうことを密かに願っている。 そして「自分を失うべきでない」という信念と、現実とのギャップに、あせりさえ感じている。 国分康孝さんの言葉に光を見つけた。自分の世界にとじこもっていては、人との「ふれあい」を楽しめない。 本当の「ふれあい」の瞬間は、自分を失ってしまうこと。そして、自分と相手が作りだす、新たな世界のなかで、新しい自分に気づき、相手と自分を、より高めていくこと。 水筒に閉じ込めていた「清らかな水」を、森の清流に返すように、少しだけ、自分を自然にもどしてみること。 流動的な自分という存在を自覚してみること。そのためには、自分を失う勇気が、少しだけあればいい。
2004/05/11
想像してください。 あなたの目の前に、長い「つり橋」があります。つり橋の下は、深い谷になっています。谷の底は、川が勢い良く流れています。渡ろうとして、一歩踏み出すと、ゆらゆらと橋が揺れだすのです。 「恐いけれど、この恐さを克服しなくてはいけない」 「恐がっていることを、他に人に気づかれないように、 大胆に行動しなくてはいけない」 そんな思いとは裏腹に、足はガタガタと震えてしまいます。 長谷川和夫著「森田療法入門 マイナスの心をプラスに転じる法」の中に、次のような提言があります。 「たとえば、人生の丸木橋を渡るのに、今まで足もとの危ないことばかりに心を奪われ、 しかもそれを<恐れないように、大胆になるように>と、 無駄な骨折りばかりしていたものを、私はその恐れはそのまま放任して、 恐れるままに楽に恐れさせて、ただ丸木橋の対岸のことについて、欲望をそそり、 憧れを起こさせるように、修養を積ませるのであります。」 恐いから渡るのをやめること。これは「あきらめ」。 つり橋を渡ることは「本来、だれでも恐いこと」と自覚すること。そして、ビクビクしながらでも、とにかく渡ってみること。これが「あるがまま」の姿勢です。 つり橋の対岸に、自分の価値観に繋がるような大切な目的を見つけた瞬間、足元の恐さを忘れ、軽快につり橋を渡りだすことがあります。その時、考えていた以上に自分の力が強いことに驚くのです。 みなさんも、恐さを受け止め、「あるがまま」の姿勢で、つり橋を歩き始めてみませんか。
2004/05/10
朝、ニュースをぼんやり見ていても、テレビからは、暗い事件ばかり流れてくる。自分が生きていくことには、ぜんぜん関係の無いことで、一日の気分が憂鬱になってしまう。 自分の周りでも、日々いろいろな出来事が繰り広げられていく。突然自分にふりかかる運命、出会い、そしてチャンス。自分に関わることは、すべて「ストレス」となって押し寄せてくる。 もっと、静かな気持ちで、余裕のある生活をしてみたい。環境を変えるのではなく、自分の考え方を変えることによって。 長谷川和夫著「森田療法入門 マイナスの心をプラスに転じる法」の中に、森田さんの言葉が書かれている。 「おおよそわれわれは、境遇すなわちふりかかる運命に対して、たとえば地震とか、大掃除とか、試験勉強とか、さては忙しいとき、閑散なときなど、おのおのそのときと場合に応じて大体の要領を得ること、精密に処理することなど、つねに臨機応変でなくてはならない。 このようにつねにあらゆる運命に順応して、緩急、粗密、おのおのそのとき、その場に適してゆくことを私は『余裕がある』と称している」 自分の知っている「余裕」とは、少し雰囲気が違う言葉。「時間に余裕をもって、早めに出かける。」という使い方をする。 長谷川さんの「余裕」は、ギリギリの時間に自分が置かれたとしても、その状況に自分を適合してくことで、余裕を作り出してしまうようなもの。 自分に対する、固定観念を忘れ去り、その環境に自分を合わせてしまうこと。 それは、川の地形に従って、柔軟に形を変える、流れる水のよう。形のある船は、浅瀬や、急流の岩にぶつかって傷ついてしまう。そう、自分が地形の合わせて、形を変えることが必要。 信念とか、目標を決めることは必要。でも、その時、その時で、柔軟に自分を変えることを自分自身で許すような「余裕」のある考え方。 固定観念を忘れ去り、意図的に余裕を創り上げてみませんか。
2004/05/09
心に触れる絵本を一冊見つけました。中井希惠著「大人と子供のための読み聞かせの会」の中で紹介されていた本です。 子どもに読み聞かせをしているうちに、心に熱いものがこみ上げてきました。子どもの目にも薄っすら涙が浮かんでいました。 戸田和代・作 たかすさずみ・絵「きつねのでんわボックス」をほんの少しだけご紹介します。「かあさんきつね」と「こぎつね」が遊んでいる場面から始まります。こぎつね「うん、きつねは、まほうが つかえるんだて。 ふくろうおじさんが いってたよ。」かあさん「ほほほ、でもねえ、あれは きっと うそよ。 だって、かあさん、どんなに おまじないしても、ばけられないもの。」 その秋、こぎつねは、元気がなくなり、かあさんのむねの中で、ちいさく、つめたくなって死んでしまいます。かあさんきつねは、からだが溶けてしまいようなほど泣きつづけ、そして泣き疲れてしまいます。 そんな時、山のふもとに、古い電話ボックスの小さなあかりをみつけます。その電話ボックスには、毎日小さな男の子が電話をかけにくるのです。遠くの病院に入院している母親に電話をかけるためです。 かあさんきつねは、その男の子の会話を聞きながら、心のなかで「こぎつね」との会話を始めるのです。 ある日その電話ボックスがこわれていました。「男の子に悲しい思いをさせたくない」「自分が男の子の電話ボックスになれたらいいのに」と願った瞬間、きつねは電話ボックスに変身していたのです。 その会話の中、男の子との別れを知らされます。男の子は、お母さんの住む町に引っ越すのです。 電話が終わると、かあさんきつねは、寂しさにつつまれます。でも、男の子のおかげで「こぎつね」を思い出すことができたことに気がつきます。かあさんきつねは、こわれた電話ボックスに入って、こぎつねに向かって話をします。 「もしもし、ぼうや・・・」 「あのね、かあさん、まほうが つかえたのよ、ほんとよ・・・」 電話の向こうはしんと静かでした。でも、きつねは、がっかりしません。 「そうよ、わたしの ぼうやは、わたしのむねの中に、いつも いっしょに いるんですもの。 もう、へいきよ・・・」 「でんわボックスのあかりの下に、 しあわせな きつねの顔が ぽっかりうかんでいました。」
2004/05/08
毎日800文字の日記を書いている。日記を書き続けるために、新しい本、人、出来事との出会いを自ら創り出すようになった。 日記を書くことは、自分の感情を言葉に織りこむこと。それは、自分探しという冒険旅行の地図を書くことにつながっている。 関根正明著「心をつかむ話し方 うまい先生 へたな先生」に次のような文章があった。 「文字にしない考え方は一つの思いにとらわれて、 堂々めぐりになることが少なくない。 書いて表現することは、書き手に疑問を起こさせたり、 その答えを考えさせようとする。 そして読み手にも、同じ働きを及ぼす。 これは反芻するとか、吟味するとかいう働きである。」 その日に感じたことを文字にする。そして、その言葉を読むことによって、自分の感じ方を確かめてみる。 自分に素直な文章は、心にすんなり入ってくる。しかし、読む人に感動を与えようとして書いた文章は、いやな気分になってくる。違和感を感じた瞬間、気持が冷えてしまう。 自分の書いた文章に対して、さらに深く考えさせるもの。それは、自分自身を誠実に表した、等身大の文章。そんな文章は、すんなり自分に入ってくる。そして、頭の中で反芻し、身体に吸収されていく。 新しい本との出会を通じて自分が感じたことを文字にする。そして、本の著者と自分の考え方の差分に目を向けてみる。そこで自分を認識することで、少しだけ成長していくことになる。 人との出会いを大切に考え、その時の感動を文章にする。そして、感動を織りこんだ文字を手紙として出会った人に贈る。繋がりという漠然とした言葉を、目で見える現実にしてくれる文字。自分の感動を、一言一言、誠実に書き続けたい。書くこと、そして自分を探すことを習慣にしてみませんか。
2004/05/07
ニ年前まで、仕事に没頭していた。無理と分かっている仕事量に対して、不満を言わず、必要性も考えずに、言われることを素直にこなしていた。毎日残業が続き、子供と話しをするのは、日曜だけという生活に慣れていた。 恩師に出会った。そこで教わったこと。自分の役割は、会社の仕事をこなす事だけではないこと。夫として、父として、家庭に影響力を伝えること。地域の住人として、コミュニティーに力を提供すること。そして、自分の価値観を明確にして、夢を持ち、新しいことにチャレンジすること。 町沢静夫著「若者の「心の病」がわかる本」の中に次のような文章があった。「このような青年の多くは不登校や受験の失敗からひここもり、 やがて暴力にいたったものである。」「特に、思春期になって、父親が登場しないという家庭は、 極めて危険なことだと思われる。」「母親を主とした学歴偏重と、 父親の仕事一筋で人生の楽しみを感じさせない生き方は、 子供たちから将来の希望、野望、そして冒険心を摘みとってしまうのである。」 妻は、安定した生活を望んでいる。そして子供が素直に育ってくれることを願っている。 私は子供に将来の希望、野望、冒険心を伝えていきたい。心の奥から自分を駆り立てるエネルギーによって、行動をおこす「情熱」のようなもの。そして、同じような情熱を抱いている人を自分の力で見つけ出し、尊敬する心を養ってほしい。 今、自分に残されている時間の使い方に慎重になっている。会社に貢献する時間。 社会に貢献する時間。そして、家族と共にいる時間。いつも、バランスを考えて生活している。 希望、野望、冒険心を養い、周りに伝えていくために。
2004/05/06
自分の大好きな本を10冊探したい。そんな思いで横浜市立図書館に出かけてみた。 本に触れているだけで、心が和むような、パワーのある本を探してみたい。 絵本コーナでは、子どもたちがワクワクした心で、絵本に触れている。この雰囲気が自分にとって心地よい。 ふと、掲示板に目がとまった。 「毎週水曜の午後3時半から、読み聞かせをしています。」 今日は子供の日。 そして水曜日。少し迷ったけれど、子供たちに混じって、お話部屋に入った。 2冊の絵本と一つのお話。全てを、自分の世界に取りこんでしまう「子供の心」でお話を聴いた。 絵、言葉、そして時間の流れが心地よい。そして、子供といっしょにいる空間がとっても楽しかった。本を読んでくれた方々に感謝。 読み聞かせの会が終わった後、再び絵本コーナに立った。絵本を探すには数が多すぎる。そこで、読み聞かせをしている方が書いている本を借りた。 その本を読んでいるとき、うっすらと涙がでてきた。自分の心の奥にある「なにか」と共鳴したときの感情の涙。本を書いた人に、大きな感動と行動の「きっかけ」をあたえたその絵本を読んでみたくなった。 来週、絵本は手元にとどく。ワクワクしている自分が心地よい。自分の心に響く絵本を探す喜び。いままでには感じたことのなかった自分探しの旅。 自分の価値観に共振して、力を与えてくれる本。挫折感に襲われたときも、救いとなってくれる本。そんな本を集めてみたい。 そして、同じような価値観を持っている人、おなじように挫折感につぶされそうになっている人に、そっと手渡してあげたい。 人はとても強い生き物。自分で元気になることができる生き物。必要なのは、ほんの少しの気づき。人との会話、本、自然を通じて、自分自身を考えるきっかけがあれば、自然に元気になっていく不思議な生き物。 自分を元気づけるため、そして自分の周りの人に力を与えるために、心に触れる本を探してみませんか。
2004/05/05
自分自身、どんな本を好きなのかを知っていますか。本棚に並べている本の中で、何回も何回も読み返すような、大好きな本を持っていますか。 中谷彰宏著「大人の友達を作ろう」の中に、次のような文章を見つけた。 「子供の頃にお母さんと本屋さんに行って、 「好きなものを選びなさい」と言われて、 お母さんの喜びそうな本を選ぶ子供が、 拒食症になるケースが多いのです。 これを選んだら誰かが喜ぶかもしれないと、 常に他者に主体を置いていると、 自分の好きなモノが選ベなくなって、 だんだん相手にこびるようになります。」 今の仕事に必要だから、本を読む。資格をとりたいから本を読む。本から情報を得るために本を読む。 これらの本は、目的を達成するための道具。自分が本当に好きな本とは違う。 学校が薦める良い本。皆が知っている物語。映画で有名になった物語の原作。 これらも、「皆と一緒でいたい」という価値観から読むことになった本。 自分の「大好きな本」って、どんな本だろう。その本を読むだけで、幸せな気分になれる本。表紙を見ているだけで、元気になれる本。自分の価値観を言葉やイメージで表現してくれている本。 好きな本10冊を他の人に説明することによって、自分らしさを表現できるようなもの。そんな本に囲まれて生活してみたい。 好きな本に出会うための一つのアイデア。それは、自分の尊敬する人、価値観の同じ人に、好きな本を紹介してもらうこと。自分がいままで読んだことのない分野の本でも、チャンスと考えて本に触れてみること。そして自分の心との親和感を確認すること。自分の大好きな本10冊を選んでみませんか
2004/05/04
「魔女のこねこコブリーノ」に無中になっている。私も、子ども、一話一話をワクワクしながら読み進めている。本を紹介していただいた「がうでぃ」さんに感謝。 読み聞かせをしているとき、それは、親子で出かける冒険の時間。空想の世界の中で、夢のような体験をする特別な時間。 不安でいっぱいの毎日を少しづつ変える「なにか」を感じる。 子どもの為に、自分の為に、そして不安を抱えている人たちの為に、読み聞かせの温かさを、みんなに伝えていきたい。 読み聞かせメールマガジンを発行している「パパのすけ」さんからレポートを教えてもらった。 関悦子さん時代レポート 「「母親としての自分」を表現し始めた女性たち」 「絵本の読み聞かせによって、母も子も、 お互いの体温や愛情や繋がりを感じることができ、 短くても濃厚な時間が過ごせる。 それは、子供をぎゅっと抱きしめている感覚に近く、 誰にも邪魔されず二人だけの時間と空間を作れる すごく幸せなひとときなのだ。 そして、自分が元気にもなっている。」 子育てに漠然とした不安を感じ、子どもとの関係にストレスを感じている親にとって、自分らしさを取り戻すきっかけを与えてくれる読み聞かせ。 絵本を選ぶときは、自分の目で確かめ、自分の心に響くような絵本を探してほしい。絵本の表紙を見るだけで、元気になるような絵本。そして、その感動を子供に伝えてあげること。 自分が絵本に感動していることを、子どもは自然に感じ取る。感じる心を閉ざしてしまわないように、親と子どもの心の繋がりをしっかりと築き上げてほしい。 不安が多い生活の中、心の命綱をしっかりと結んでおいてあげる。親と子の「心の繋がり」という、シンプルで本質的な絆。 愛情を繋げる読み聞かせを始めてみませんか
2004/05/03
人、歌、本、そして言葉の中に情熱というパワーを感じるとき、人の心は動き出す。 そして、心にその熱さが宿っている限り、小さなことは気にならなくなる。情熱は不思議なエネルギー。 齋藤孝著「子どもに伝えたい三つの力」の中、次のような言葉を見つけた。 「一枚の絵に込められた莫大な意思と情熱と技術が、 エネルギーの固まりとなって、 見る者の身体に流れ込み、 あこがれをひきおこす。」 人、歌、本、そして言葉に込められた情熱が大きいほど、それを受取った人に流れ込むエネルギーは大きい。 全ての人が、そのエネルギーを受取ることのできる身体を持っているわけではない。そして、身体が反応するエネルギーの種類は、人によって、さまざま。 その人にとって、あまりにも強すぎるメッセージは、反発という形で自分を守るように出来ている。理解できないことは、受け入れないことで自分自身を納得させてしまう。 強い情熱に圧倒されないような、身体のトレーニングと心の鍛錬をすることによって、強いエネルギーを自分に取りこむことができるようになる。 きっかけは、あこがれ。あの人の情熱を自分の中にも持ちたい。そのために自分自身を守ってる心の殻を脱ぐことが必要。 羽化したばかりの蝶の羽のように、柔らかくて傷つきやすい心を外気にさらすこと。弱い心の間に、外敵に攻撃されたら、一生飛べない羽になってしまう。 でも蝶は、羽化することが定められている。自分が「その時が来た」と思える時に、勇気をだして、硬い心の皮を脱ぎ捨てる。本来与えられている羽を持つことができるように。そして、その羽をつかって、大きな世界に飛び立ち、多くの人に情熱を伝えるために。 硬い殻を脱ぎ捨てて、情熱というエネルギーを身体に流し込んでみませんか。
2004/05/02
コーアクティブコーチと2人旅だったら、どんな旅行を味わうことができるのだろう。 「コーチング・バイブル」の、「充実感」「バランス」「プロセス」という3つの指針から考えてみることにする。【充実感】 充実感は、2種類に分類することができる。一つは表面的な充実感。二つ目は心からの深い充実感。 たとえば、観光地に行って、有名な建物を見学した。その場所で、写真をとって、満足した。目的を達成したときに味わう充実感です。 コーアクティブコーチと旅する人は、表面的な充実感の奥に、もっと深い充実感を味わうチャンスを与えられます。 その場所に自分が立ったこと。そのことが、これからの自分の生活、そして自分の心に、どのような影響を与えるのかを気づかせてくれる。自分の価値観に気がつき、その価値観に沿った旅を続けることができるのです。【バランス】 バランスとして「仕事」「健康」「お金」「人間関係」「家族」「学び」「遊び」という人生全体のバランスを考えたうえで、これからの行き先を選択することができる。 自分の価値観だけを求め続け、自分の健康を失っては、旅行を続けることさえできなくなる。 いろいろな事が起こる旅の中、満足度のバランスを、常に眺めていて、バランスの崩れを気づかせてくれるのが、コーアクティブコーチの役割。【プロセス】 旅のプロセスの道中、いつも側にいてくれるのが、コーアクティブコーチ。 足を滑らせて、池に落ちたときは、コーチもいっしょに池に落ちてくれる。池から上がり、温かい温泉でくつろぐ時も、いっしょにコーチが同じ気分を共感してくれるのです。 3つの指針を心にとめた、コーアクティブコーチと一緒に人生という旅を楽しんでみませんか。
2004/05/01
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