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クリスチャンは、どんなに科学や医学で証明しても納得ってしないですよね~私、図書館で知らべていたら、目からうろこの内容を見つけました。マリアの処女性やヨセフ(キリストの養親?)の存在についてどう考えたらよいかゆきづまっていたとき、わたしは、ルーマニアの比較宗教学者ミルチャー・エリアーデ(1907-1985)の書いた『大地・農耕・女性-比較宗教類型論』と題する本を読んで、目から鱗が落ちる思いがしました。エリアーゼは、天が最高神の役割を演じ、大地がその伴侶とおしてあらわされる神話・信仰における子の起源について、次のように述べているのです。受胎の肉体的原因が知られる以前には、人々は婦人の胎内に子供が直接挿入されるものと考えてた。・・・・子供はその父親によって受胎させるものではないという考え方である。・・・・男は創造について何ら役割をもになわない。父はその子どもたちにとって、父であるのはただ法律的な意味においてであって、生理的なものではない。人々はたがいにその母親を通してだけ結びつけられる。・・・・父親は実際にどの子どもも持っていなかったのである。彼は、ただその家族の新しい成員、その仕事のための新しい道具、ないし彼の保護すべきもの得たにすぎない。父親とその子供との間のきずなは事実の生殖的なものではない。父親の生物的生命は彼自身を以って終わるのであって、決して他のものを通して次へと伝えることはできなかった。すべての大地母信仰には、このような考え、つまり、子供は母神の胎内に挿入されるのであって、父親によって受胎させられるのではないという考えがあります。原始キリスト教もこのような宗教基盤としていたものだからこそ、マリアの処女懐胎が何の疑問もなく受けいれられたのはないでしょうか。(聖母マリアの謎・第二章月の女神77~78ページ/石井美樹子著)なるほど、これならば、処女が妊娠したとして昔は不思議ではなかったと?父親は、わたしはヨセフであろうかと考えます。この当時の性がどう扱われたか??分かりません。言える事は、当時の人々は、子供は性交渉でなく、神による挿入とされてきた。ここで、疑問が何故?マリアか??となる。キリストの事は、四つの福音書からしかわからないそうです。であるからして、想像ではあるが、キリストは優秀な才能の持ち主であり、色んなことを調べたりそれで知識を得ていたのだと思う。天才なんでしょう。そこから、周りが持ち上げていつしか?当時の神による挿入の考えから、神の子ここでは、選ばれし者というのが、相応しいでしょう。選ばれし者それが、たまたま、キリストだったのでしょう。正直、キリスト教は、常識とか?科学とか?そこより、当時の政治や社会、経済等をきちんと知ることが、何故?キリストが、選ばれし者なのか?それが、見えてくるのだと思う。今回は、マリアが処女懐胎は、当時の宗教と性の考えが今と違うということから、できた事だというのが、分かった。ただ、資料が無い(聖書じゃ意味無い)ために、実際の父親が誰か?はっきりはできない。これはいくら科学が発達しようが無理な話であろう。医学と科学が、はっきりと、性交渉無しに妊娠は不可能とする。のを証明しないかぎりは、永遠に、クリスチャンは、騙されたままなのであろう。
2010.08.31
携帯のメールマガジンのニュースにて。昨日放送された。24時間テレビについて、批判が沢山あるそうだ。・三億円弱の募金集めるのに、15億円かける馬鹿な番組。・日本テレビは、数億円のCM収入料とタレントのギャラを全額募金すべき・そろそろこの企画止めない?わざとお涙頂戴誘ってるようで。わざとらしい。・次から次へと障害者を餌に涙さそうのはやめようや 度が過ぎると嫌になる・不謹慎かもしれないけどこの番組は障害者を”見せ物”にしてるとしか思えないだよね。Yahooo!ニュースのコメント欄。読めるもニュースより。一部抜群。私も、毎年思うのですが、マラソンは良いとして、ファックスの紙って、あれってゴミですよね?すごくお金の無駄をしていると毎年思いますね~なんか、そこにお金を使うなら違う方法ないのか?と思うのです。障害者をなんか逆に馬鹿にしていると思うことがあります。見せ物と言われてしまう。ごもっともだと思います。障害者が、挑戦する姿やがんばっている姿、それはいいと思います。それが何かさ?番組のために使われている。視聴率稼ぎに感じてしまう。視聴者からすると、ワンパターンだと思うようになるから、そういう意見が多いのだと思う。30年以上やると、やはり、限界もあると思う。毎年思うことですが、内容が限界というのと、もと、テレビでないと出来ないことが、あるのでは?と思う。私みたいな、素人が言うのはおこがましいかと思うが、本来の24時間テレビから、段々離れていると思う。だから、視聴者も批判がでるのだと思う。
2010.08.30
自分自身の知識不足が今日は、よく分かりました。 今日は、エホバの証人を折伏と言うより、勉強に行きました。 今日、分かった事は、自分自身の情報不足と知識不足です。 矛盾は、話し聞いていて沢山ありましたが、相手は矛盾とは思っていない。 輸血にしてま、輸血は宗教の理由だと逃げる。だが、輸血をして万人が死んだりとか?輸血により、人格が変わるとか?そういうのは、通用はしない。 また、進化論を否定をする理由が、また屁理屈を言っている。 キリスト教系を破折し、折伏するには、矛盾と言う矛盾をきちんとまとめる事。 そな矛盾を現代科学で、徹底的に証明をしなければならない。 証明をしたならば、仏法でさらに破折を加える。仏法から矛盾がない事を教えないとならない。 仏教系ならば、経典をもってして、折伏ができる。日蓮大聖人の四箇格言にて、破折はできる。 今日は、いろんな勉強ができた。折伏とならなかったが、小さな事だが、これが大きな一歩になった。
2010.08.29
創価学会の事では、ございません。そう、キリスト教の事でございます。先週までに、やるべき事を全てやってしまいまして、夏期講習の任務も無事終わり、ちょっと昨日と一昨日は、バタバタしてまして【お察しください】(ユタさんまだ、使いました。)私は、中学生の頃から夏休みの宿題は、夏休み前半でガーとやって、後はのんびりタイプでして、今でも仕事でも、早く終わらせたいとしてしまうのであります。さて、先週にやるべき事をしてしまい。タップリ時間がありますので、何をするか?考えた挙げ句、やはり、折伏だろ!と思いまして、資料作りをしておりました。事前にきちんと、準備をしなければ、折伏はできないです。きちんとした準備をして、それを元にしなければと思います。私も学会や顕正会を中心に折伏をしておりますが、それでは、ある意味限界がきます。それは、いずれにせよ。創価学会も顕正会も滅亡してしまうからです。学会破折、顕正会破折だけ出来ても他を折伏ができないなら、意味ありません。学会と顕正会の資料は、出来てありますので、ここは、キリスト教系を折伏しなければと思い。いろいろ調べております。今週いっぱいは、かかるかと思います。聖書の矛盾をつくべきだと思いまして、過去に私が、キリスト教を破すシリーズを書いたのですが、それを元に矛盾を調べて、その矛盾を仏法で破折をと考えております。そして、やはり現証です。「道理証文よりも現証にはすぎず」(御書874ページ)にある如く。キリスト教を信仰したうえでの現証つまり、信仰により起きた現実を持ってして、示さなければなりません。キリスト教系による事件を調べていたら、インターネットで以下の事がありました。2002年にアメリカのメディアが大々的にとりあげたことをきっかけに、カトリック教会の性的虐待事件について多くの報告が行われるようになりました。アメリカ国内だけでも1950年から2002年にかけての52年間で、カトリック教会の神父4450人が、児童への性的虐待を行った疑いがあり、件数は1万1000件にのぼると報じられています。また、ドキュメンタリー"Deliver Us From Evil"によれば、あるアイルランド人神父は6ヶ月の赤ん坊にまでレイプしたと言います。あまりにも、スッゴい内容で、ア然としとしまいました。同時に怒りをも感じました。怒りといえ、事件を起こした神父さん達でなく、そのキリスト教の教えつまり邪教の教えにです。まあ、アメリカにカトリック教会がどれだけあるか?わかりませんが?日本の仏教寺院の倍あるとして、多くみて一万の教会数いとしても、その数は、膨大になります。アメリカ国内だけですから、物凄い事です。また、日本国内においても大阪にて、セクハラ事件があったようです。まあ、真相はわかりませんが?キリスト教で「慈愛」とか教えておりますが、こういう事実も、矛盾から生じた現証と言えるでしょう。キリスト教系については、折伏体験をしていく中で、徐々に破折を出していきたいと思います。
2010.08.25
諸事情により、ニックネームを変更いたします。 変更が遅いみたいなのですが、勇進ひろしに変更いたします。 勇猛精進から、取りました。 よろしくお願いします。
2010.08.23
久しぶりに、本山任務としての登山でした。 まあ~毎回何か、魔の働きがあります。 他の人からしたら、偶然だとか?思い込みだと言うでしょう。 そういう偶然が、何回も何回も重なると言う事は、普通の人生で有り得ないでしょう。 例えば、遊園地に行くのに毎回、渋滞とか?いきなり、故障とか?そういう事が、行く度に重なるって、ないはずです。行きはスムーズに行ける事はあると思います。 今回は、渋滞でして私、高速をケチって、無謀にも下で行きました。まあ~案の定、渋滞でした。首都高をちらっと見たら、渋滞でした。 高速でも変わらないじゃん!と思いつつ、カーナビ通りに運転していたら、なんか急に、違う道を走っているようになっていつ、ナビが「左折です」と言うが、曲がった先には、侵入禁止の標識が!(゜▽゜) ナビと周りをにらめっこして、違うや~ん!って、焦りながら、ナビが自動修正して、元に戻りました。いきなり途中からナビ変わるのは、焦るわ~(笑) そして、ずーっと渋滞でした。さすが大都会です。 気合い入れて、弁当を作りましたが、渋滞で休憩する時間ないな~と感じて、車内で食べながら行きました。 無謀な事を平日の帰宅時間にしてはならない事が、勉強になりました。 まあ、首都高も混んでましたから、どっこいどっこいです。 渋滞抜けたら、スムーズで、無事に到着です。途中、トイレに三回コンビニ寄りました。 渋滞ならいいですが、車をぶつけたとか?去年なんか七万五千名のときは、二週間前に車をぶつけました。 体調不良とか?いろいろと、あります。 魔による障害は、沢山あります。いろんな形で現れるのです。 魔を乗り越えていく信心は、本当に大変な事であります。 これ、法華講の皆様、必ず何等かの形で体験をいたします。
2010.08.23
今日、午前中は試験に行っておりました。受かるか?それはわかりません。 本日は、登山前の三連チャンでございます。 帰ってきて、食事をして御本尊様に、供養のお菓子を出して、テレビを見てましたら、ある俳優さんの麻薬所持の逮捕のニュースが、う~ん。また、やったのですか?? あれだけ、麻薬は怖いと言ってまたですか?? 麻薬は怖いですね?それは、皆さん知ってる事です。 麻薬は怖い。精神や身体を蝕み。さらには、家族を失い。社会的な信用も失います。 麻薬と同じくらい。いやそれ以上に怖いのが、間違えた宗教であります。 創価学会のニセ本尊… 本当に怖いのです。精神が異常になるだけでなく、周りにも悪影響がある。魔札でもあります。 私も以前の仕事で、あっちこち周りましたが、ニセ本尊か?確かめるのが不可能でしたが、学会の家は、必ず何かありました。 よく、折伏をする法華講の方々なら、体験しますが、ニセ本尊を見ると頭痛がしたり… 私も、仕事で歩いていたら、急に頭痛がしたので、周り確かめたら、”公明党のポスター”がある家があったりします。 一日中、頭痛がする事もありました。 こんなの有り得ない話しだろうと言うでしょうが、あるのです。私の場合は、帰って御本尊様を御開扉し、題目三唱したら頭痛が治まったと同時にいきなり、疲れが出たりとありました。 YouTubeで見て知ってる方もいるでしょう。その魔札から声がすると言うのです。学会を脱会した方々は必ず言います。 日蓮大聖人は、そういう本尊に、魔が入る。鬼が入ると言っております。 魔が入ってる魔札です。 麻薬より怖いのです。 私たちは、一人でも多くの学会員を助け、正法に導いていかなければなりません。
2010.08.19
では 『法華講員の基礎知識』(暁鐘別冊号・小川只道御尊師監修)の14~15ページに 日蓮大聖人は、この『熱原法難』を縁として、弘安二年十月十二日、末法万年の未来にわたり全世界の民衆を救うための、本門戒壇の大御本尊を建立あそばされました。 とある。以上日蓮正宗青年僧侶邪義破折班のホームページをコピペしたのと見れば、何ら嘘はないのである。 このモータウンという輩はしつこく以下を言ってきた。 ▼ 08/19 06:55 モータウン 弘安二年十月十七日 『聖人等御返事』には 今月十五日御文同じき十七日に到来す、彼等御勘気をこうむるの時、~ひとえに只事にあらず・・・勘気 というのは取り調べと言う意味です 手紙には取り調べを受けたとは書いてありますが処刑されたとは書いてありません 十五日にはまだ三烈士は生きていると 私には読み取れます 手紙を出した後処刑されたんでしょうか?もし根拠となる書面があるのならば教えて貰いたいです まず、文章の書き方がなってません。、や。の使い方すらできないようです。これがゆとり教育での学力低下からくるものであろうか? では、この『聖人等御返事』は、確かに書かれた日間違えはない。 鎌倉時代は、今と違い。情報が非常に遅く、原始的な情報だという事を忘れてはならない。また、御書の全てが、現在もあるとは限らない。 処刑されたのが、どういう状況か?日にち時間を調べたら、ブログにアップしたいとは思います。 前述べたように、まず、情報が遅い事が、前提だ。取り調べをされている。その情報の後はどうなのか? また、昔は今みたいな裁判ではないので、取り調べ終わったら、即処刑も有り得る話しです。 批判する前に、歴史的な状況を示す文献を徹底的に調べる事。政治や経済等当時がどういう時代であったか?きちんと詳しく調べなければ、ならない。 だから、日蓮正宗では、年表を作るのに二十年もかかったわけです。研究に研究を重ねて、初めてできる事です。 アンチ日蓮正宗という輩らは、いつもそうだが、一部分だけを持ち出しては、批判をしているだけである。批判するならば、調べに調べなければならない。それは、一日や二日では、済まない。膨大な資料になる。 研究に研究をする。すれば、日蓮正宗がいかに嘘がない事が、分かる事であろう。 その前に、信徒に嘘を言って何になるか?だが?日蓮正宗は別に金儲けはしていない。
2010.08.19
あるアンチ日蓮正宗と名乗る者が以下メールをしてきた。 差出人:モータウン 日 付:2010/08/16 07:32 件 名:返信ありがとうごさいます 『法華講員の基礎知識』神四郎たちが処刑されたのをみて、日蓮が戒壇の大本尊を書示した しかし大石寺は二枚舌ですm(__)m神四郎が処刑されのは弘安三年四月八日堀日亨上人『富士日興上人詳詳伝』大石寺は「正直な信心」何ですよね? なぜこの様なウソを信徒に信じ込ませるのでしょうか? という。 その前に 『二枚舌』の言葉の意味を間違って使っているようで、最近、こういう人多いんです。二枚舌は一人の人、同一人物が違ったことを別のところで話す時に使う言葉で、異なった人物が一つの事について違うことをいうのは、見解が違う。もしくは解釈が違う。というもんです。 そして、辞書では、嘘をつくとある。 以下日蓮正宗青年僧侶邪義破折班のホームページより 宗門は今まで、日亨上人の御意見を最大限尊重しながらも、さらなる研究の結果で、日亨上人の見解を訂正してきたことも度々存するのである。一例を挙げれば、熱原法難で三烈士が命を落とした年月日を、『富士日興上人詳伝』には、 神四郎等兄弟三人の斬首および他の十七人の追放は、弘安三年四月八日と定むるのが当然であらねばならぬことを主張する。(同書九一頁) とあり、日亨上人は弘安三年四月としている。しかし『富士年表』では種々検討した結果、弘安二年十月十五日としてきた。かくいう貴殿が編集委員長を務める創価学会の『仏教哲学大辞典』(第三版)の「熱原法難」の項にも、 十月十五日※、神四郎・弥五郎・弥六郎の三人は事件の発頭人というかどで斬罪に処せられ(※弘安二年・同書三三頁) と、日亨上人の説ではない、その後の宗門の説を踏襲しているではないか。こう言うと姑息な貴殿らのことである「宗門の受け売りで知らなかった」と逃げをうつであろう。しかしそれは通用しない。なぜなら日亨上人の弘安三年四月説が紹介されている『富士日興上人詳伝』は創価学会から刊行されているし、『仏哲』(初版)ではご丁寧にも、 処刑の日は、弘安二年十月十五日と、翌三年四月八日の両説がある。(同書一―六二頁) とわざわざ両説あることを紹介しているのである。 さらに『大白蓮華』昭和五十三年十二月号には池田大作の言として、 かつての堀日亨上人の文献によれば、三烈士の刑死の日は、熱原法難の翌年にあたる弘安三年四月八日であるとの説であったが、猊下※の御説法によって示された弘安二年十月十五日というのが、私達も本当にその通りであると思う。(※日達上人・同書九五頁) との記事が掲載されている。つまり、たとえ日亨上人の説であってもとらわれずに妥当な見解を導き出された日達上人の御意見に池田大作自らが賛同しているのである。 (中略) 絶対に無謬ということでもないのです。 今、日蓮正宗に『富士年表』というのがあります。これはずいぶん苦労したのです。日達上人の御指南で私どもが作りましたが、全部を作り上げるのに二十年ぐらいかかりました。そのときに、史料の上の難問は山積しており、今までの説を改めるべき色々な問題が出てくる。そうすると、やはり「日亨上人がこうおっしゃっているけれども、ここは違うから、このようにしよう」というこことで訂正した箇所もありました。何もそれは日亨上人の研究を否定するということでなく、新たな資料の発見などによって当初の考えから、より真実に近づいた結論が出たからです。また、膨大な資料をお一人で見て、私をも含め、ちょっとした間違い、思い違いぐらいはどこにでもあり、それは正直に訂正すればよいのです。ただし、血脈の法体に関する根本的な意義については、けっして誤りはありません。(創価学会の仏 法破壊の邪難を粉砕す六二頁) と御指南されているとおりである。 確かに、日亨上人は近代における大学匠であり、宗門史の解明においては、その御功績に依るところが大きいことは紛れもない事実である。 確かに、日亨上人は近代における大学匠であり、宗門史の解明においては、その御功績に依るところが大きいことは紛れもない事実である。しかし、創価学会がこれまで意識するしないにかかわらず、恐れ多くも日亨上人を都合よといっても、絶対に無謬ということでもないのです。
2010.08.19
信徒の嫉妬も誹謗になります。例えば、あの人は、後からなのに折伏をいっぱいして、生意気だとか?逆に自分は他よりもしてるから偉いだ!と見下したりそういうことをしていたら、誹謗にあたります。私も反省すべきことでもあります。 あの人が何だから、ムカつくとか、腹立つとか?そういうことをしていれば、いくら信仰をしていても、この経典のようになります。 だから、創価学会の二代会長の戸田さんが、地獄の相だったのは、生前僧侶誹謗をしていたからです。 ここが、難しいところでもあります。そこで、やはり何をして、決めるか?師です。これについてまた、改めてまとめたいと思います。 そして、信徒以外、学会だろうと、顕正会であろうとアンチ日蓮正宗だろうが、アンチ国分だろうが、なんだろうが、誹謗をすればこの経典の如くです。 立正安国論に曰く「法華経第二に云く『若し人信ぜつして此の経を毀謗せば、乃至、其の人、命終して阿鼻獄に入らん』と。」(御書250ページ) また、 「無垢(むく)論師・大慢婆羅門(だいまんばらもん)・熈連禅師(きれんぜんじ)・嵩霊法師(すうりょうほっし)等は正法を謗じて、現身に大阿鼻地獄に堕ち、舌口中に爛(ただ)れたり。これは現証なり」(顕謗法抄 御書286ページ) 「詮ずるところ、上品(じょうぼん)の一闡提人(いっせんだいにん)になりぬれば、順次生に必ず無間獄に堕つべきゆへに現罰なし」(開目抄 御書571ぺーじ)との御金言どおり、最後に恐るべき堕地獄の相が現われることは必定であります。
2010.08.17
以前にも、書いたことですが、法華経を誹謗するとどうなるか?妙法蓮華経巻第二妙法蓮華経喩品(ひゆひん)第三と御書を照らしていきたいと思います。「若(も)し人信ぜつして 此の経毀謗(きぼう)せば」ここで、法華経を信じる人を信じないで、法華経を誹謗したり、しかめたり、あるいは、馬鹿にしたりすると。「即ち一切 世間の佛種を断ぜん」仏になるためのチャンスを失う。種を捨てるということになります。「或(ある)いは復(また)頻蹙(ひんじゅく)して 疑惑えい懐かん」しかめたりすることや、疑惑を持つことです。「汝當(なんじまさに) 此の人の罪報を説くを聴くべし」あなたたちは、この人の罪について聴くこと。「若し佛(ほとけ)の在世 若しは滅度(めつど)の後に」もし仏が、存在し、あるいは、仏がいない後に「其れ斯(かく)の如き経典を 誹謗すること有らん」その法華経を誹謗する事をしたり。「経を読誦(どくじゅ)し 書持(しょじ)すること有らん者を見て」経を読む人や書く者、経を持つものを見て「軽賎憎嫉(きょうせんぞうしつ)して 而も結恨(けっこん)を懐(いだ)かん」十四誹謗をして、しかも怨みを懐いて「此の人の罪報を 汝今復聴け」この人の言うことを聴かないなら「其の人命終(みょうじょう)して 阿鼻獄(あびごく)に入らん」死んでから、地獄に入ります。法華経には、このように説かれております。この事は、信徒同士にも言えることです。以前にも、松野殿御返事を出しておりますが、信徒同士で、いがみ合う事は、謗法になります。信徒同士仲良くする事を日蓮大聖人は「此の法門の一門いかなる本意なき事ありとも、みず、きかず、いわずしてむつばせ給へ」(四条金吾殿御返事 御書1362ページ)つまり、同志間では、どんなに不本意な事や不愉快な事があったとしても、それを見ないように、聞かないように、仲良くしていきなさい、と言われているんです。
2010.08.17
社会人さん初めいろんな方々が意見を言ってます。 法難は、先日書いた通りですし、横難も書いた通りです。 仏法を知らない方々からしたら、熱原三烈士の処刑も学会の牧口氏の獄死も同じに見えるでしょう。 私自信も、違いがイマイチわからない部分がありますので、勉強をしたいと思います。 熱原三烈士と、牧口氏の違いは何か? 熱原三烈士は、法華経を弘める事により、法難になりました。 けど、牧口氏は法華経を弘めるというよりは、むしろ、戦争の勝利は国家諫暁(かんぎょう)主張をし過激な折伏をした。 ここは、考え方の違いだと思います。 信仰の違いもあるでしょうか? 難しいですね?私は、この信仰をして、もうすぐ三年でしかありませんが、いまだに、正直言うと、罰と罪障消滅何が違うか?はっきりはしません。 他の方々から見たら、私の今回は、罰だと思うでしょうか? だが、私は幸運にも次の仕事の試験が決まってますし、他の仕事も探して、郵送にて書類発送が済みました。事前の準備が出来ていたからです。 先月から、実は仕事を辞める事を考えてました。いろいろ仕事の事でありました。【お察しください】(ユタさんまた、使わせていただきます。) それを考えると、罰だろうか? 私が、感じる事は、今回の事で、考える時間、休む時間。信仰の時間を与えてくれたのかと思います。 仕事で、夕方勤行ができなかったり、はたまた、イライラしたりとありましたので、改めて、貴重な時間を頂いたと思います。 今年は、私自身が魔に試されてると感じます。 魔に勝つ事が、信心でありましょう。いろんな形で魔と闘い。信仰を試されてると感じます。 いろいろありますが、また、法難については、十月十二日くらいに改めて、書いていきたいて思います。
2010.08.16
荒らしで、個人の本名を使ったり、悪戯で個人の情報を書き込みしたり、そういう事をする大馬鹿者がいます。 さて、世界中の皆さん。どう思いますか? 人の個人情報から、会社を調べたりして、クレームを入れたりする悪戯をどう思いますか? また、怨みからか何だか知りませんが、悪戯で荒らす行為をどう思いますか? おかしいと思うのが、”普通”でしょう。 ここで、悪戯で書く輩は、正常な人間ではありません。 今後、悪戯での書き込みをしたら、警察にプロバイダー情報を伝え。被害届わ出させていただきます。
2010.08.15
65年です。だんだんと、戦時中の苦労を知る方々が、少なくなっておりますが、こういう戦争の悲劇を末代まで語っていかなければならないと感じるものであります。 平和ボケをした輩がたまに、荒らしをしますが、それは無視しましょう。 立正安国論にて「世皆正に背き、人悉く悪に帰す」(御書234ページ)の如く、昭和初期人々は、正に背き悪になってました。 日本は、勝てない相手に戦争をし、ミッドウェイ海戦の惨敗から、敗戦が続き、マリアナでは惨敗をし、そしてサイパン陥落、硫黄島攻防戦、沖縄では市民まで巻き添えになってます。 国内では、空襲、東京大空襲や、大きな都市は壊滅、広島と長崎に原爆が投下されました。 聖人難事に「過去・現在の末法の法華経の行者を軽賤(きょうせん)する王臣・万民、始め事はなきようにて終にほろびるは候はず」(御書1397ページ)と仰せの姿になりました。 今、世界中では、戦争で苦しむ人々が沢山います。地雷や、人身売買、少年兵等があります。 私たちは、この現実を受け止めなければなりません。 そして、私たちは、過去の戦争だからと思わず、日本で起きた事を末代まで、語り継げていかなければならないと思うものであります!
2010.08.15
ここで、法難について触れておきたいと思います。 法難とは、法華信仰をしていく中で、起きる。難です。 例えば、折伏をしていたら、身に覚えのない罪で逮捕(一昨年の妙観講員2名の逮捕)や、仕事外で折伏をしていたのを嫉まれて、解雇されたり、熱原法難や江戸時代に起きたような法難です。(後日に詳しく) 例外で、仕事をサボっていたりして、解雇になったとか?こういうのは、法難とは言いませんし、昭和時代の学会みたいに、僧侶を誹謗したり、過激な折伏をしていることで、逮捕されたというのは、法難とはいえません。 第59世日亨上人は、 「顧みるに法難の起こる時、必ず、外に反対宗門の針小棒大告発ありて其の端を発し、内に世相を無視して宗熱に突喊(とっかん)する似非信行の門徒ありて、両面より官憲の横暴を挑発するの傾き多し」(富要集九巻247ページ) とあるように、世相を無視しての行き過ぎた折伏をしたり、法律にふれることをすると、横難となります。 日蓮大聖人は、 「世、末代にして、法華経をかりそめにも信ぜん者の、人のそねみ(嫉)・ねたまれん(嫉)事は、おびただしかるべきか。故法華経に云く『如来の現在にすら猶怨嫉多し、況んや滅度の後をや』云々」(御書265ページ) 「誰人にても坐せ、諸経は無得道・堕地獄の根源、法華独り成仏の法なりと、音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して、御覧ぜよ。三類の強敵来たらん事は疑ひなし」(御書673ページ) 「されば、此の経を聴聞し始めん日より思ひ定むべし、況滅度後の大難の三類甚だしかるべしと」(御書670ページ) 等と仰せられ、末法濁世において、多くの邪宗・謗法を破折し、正法を弘通していくならば、そこに種々の大難が起こることは必定である。と御示しです。 ここで三類の強敵(ごうてき)とは? 三類とは、勧持品二十行の偈文の内容から、妙楽大師が『法華文句記』の中で名付けたもので、第一に俗衆増上慢、第二に道門増上慢、第三に僣聖増上慢をいいます。増上慢とは、最勝の法を未だ証得していないにもかかわらず、証得したと自惚(うぬぼ)れ、他の人よりも勝れていると高ぶる者をいいます。 第一の俗衆増上慢とは、法華経の行者に対して悪口罵詈し、刀や杖をもって迫害する仏法に無知な在家の人々をいいます。 第二の道門増上慢とは、自己の慢心のために法華経の行者を悪(にく)み、危害を加える諸宗の僧侶をいいます。 第三の僣聖増上慢とは、世の人々から聖者のように尊敬されるものの、その心は常に世俗のことを思って利欲に執着している邪僧をいいます。この邪僧が、国王等をそそのかして法華経の行者に難を加えさせるのです。 続きはまた後日にします。
2010.08.14
私の実家は、浄土真宗であります。小さい頃から、浄土真宗の家に生まれ育っておりますので、小さな部落でありますから、部落内はいろんな無間地獄の現証があります。農薬自殺や、事故、離婚、博打による借金や、土地の境界線の問題、事業の失敗等いろいろあります。私の実家は、本家からの分家でありまして、曾祖父は陸軍の騎馬隊に入隊し、それで貯めて土地を買い今の家があるわけです。他は、親宅なのですが、何故か?うちだけは、分家扱いでした。だから、小さい頃から、まあ~いろいろ悪口も聞かされてました。何故うちだけが、分家か?わからないのですが?父親も話さないです。今や、大本家は土地を売り尽くして、うちより狭い土地になりました。いろんな、現証を見ていると、無間地獄だと思います。私の家では、祖父は四回の離婚をし、家を出たり入ったりで、家庭崩壊までしてまして、父親の叔母さんは、37歳の若さで、病気で離婚し亡くなりました。祖父がそうだったから、曾祖父は、跡目を次男にしようと考えていたようですが、次男もまた、同じで、遊びほうけてましたから、祖父は心入れ替わって真面目に働くようになりましたが、曾祖父は、私の父親を厳しくしつけました。実際は、私で四代目になるのですが、父親が二代目と同じようなものでして、小さいときは、お前が三代目だと、父親の叔母さんから言われてました。私の家庭は、端から見たら、一見幸せに見えるでしょう。家はリフォームし、子供は独立して、父親は無事に定年と、一見幸せな家に見えます。しかし、実際はいろんな苦労があり、人が知らない所では、いろんな問題があります。実家に帰ってまして、母から聞いて、先日父親の叔父が、父親がよかれとした事に文句を言いに、家に酒を昼間から飲んで、押しかけてきました。うちの愛犬のチワワのチビは、無駄吠えをせず、スッゴくおとなしい犬ですが、そのチワワのチビに八つ当たりで、ひっぱったたいたらしいです。キャンキャン鳴いて、庭に飛び出したそうです。スッゴい剣幕で来たそうで、警察が出動!それもパトカー二台で来たそうです。それも二回したそうで警察にこっぴどく怒られたのは、言うまでもありません。昔の話しやら、私が結婚できないやら(余計なお世話!てか、そういう事したら余計やろ!)なんやら、ケチつけていたそうです。こういう争いをする。歴史から見て、一向一揆もありました。御書にありますが、「念仏は無間地獄の業」(御書375ページ)にあるように、業があります。実際は、私の家みたいなのは、沢山あると思います。警察でも、こういう兄弟の争いや、親戚の争いに行く事があるそうです。これで、益々うちの両親を折伏がしやすくなりました。念仏の現実を散々見てますから、そういう事をきちんと説明をし、正しい法華経の信心で救われる。それを実践した姿を私が見せるだけです。
2010.08.11
毎年この日に書いています。 核兵器が、無くなる事を心から願っております。 アニメで、はだしのゲンを見て、広島に核兵器が使われた事を知ったのが、小学生四年のときでした。 たった一つの爆弾の威力が、一つの都市を消してしまうのですから、恐ろしい兵器です。 歴史なんか勉強してないときでしたから、ショックも大きいものでした。 去年、日記に仏教研究者が「大集経」に書いてある事は、核兵器の予言だというのを紹介しました。 核兵器廃絶には、やはり広宣流布しかないと感じます。間違えた宗教、間違えた思想を断絶して、正しい信仰を広めなければならないと感じます。
2010.08.06
昨日の日記に迷う学会員が書いておりますが、それは後日にします。ニセ本尊の魔の通力を破していきたいと思います。 では、これはあまりのもくだらない内容ですが、所謂”切り文”で日顕上人は、”仏教者らしからぬ”と言っている事です。 以下平成11年4月1日の大白法からである。 思うに、信仰の中心を大きく狂わせ、いたずらに無智の会員を多数抱え込んで名聞名利に囚われ、「悪臭ふんぷんたる邪教・池田創価学会」、これに対する正しい仏法上のけじめが平成2年の終わりより平成3年にかけての宗門の断固たる処置でありましたが、不思議なことに、一般経済社会において欲に眼が眩んで商業道徳に種々に違反したバブル経済が音を立てて崩壊し始めたのが、やはり平成3・4年からであります。これまさに、御金言の、「仏法は体(たい)のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり」(同1469)の如く、内容が汚れ、欲によって大を誇る泡の如き存在が、時来たれば必ず崩れるという原理であり、これが仏法と世法、共に明らかとなる時期であったと断ぜられます。真の仏法の興隆と道義社会の建設、そして一人ひとりの正しい仏法による真の幸福の確立こそ、まさにこの時であります。 さあ、皆さん、出陣によって折伏の陣列に並ばれた以上、次は一歩一歩の前進こそ大切であります。その前進の元になるのは、まず我が身、我が信力をもって折伏を行じようとの偉大な目的感を持って御本尊に祈念することであります。そして、世界何十億の民衆に先駆けて、本地甚深の無上の妙法を、我れこそ持(たも)てり、との堂々たる確信ある生命の喜びをもって唱題するところ、おのずから不思議な実相による折伏の因縁が湧き上がると信ずるものであります。 大聖人様の大慈悲を拝し、表面一往は幸せそうに見えても必ずあらゆる苦悩が迫り来たる一切衆生に対し、妙法の大果をもって三世の幸福を開かせるのは、正法三大秘法の折伏にのみ存することを念じつつ、1人がまず立ち上がるの決意を持つことであります。そこに3人が立ち、5人が立つでありましょう。皆様のいよいよの信行倍増、折伏の大増進をお祈りいたし、本日の言葉といたします。 「悪臭ふんぷんたる邪教・池田創価学会」この部分を切り取り、御隠尊日顕上人に対して、学会に対し悪口だという。 まず、全文をまったく読まない上に義を読まず。ただ”感情”で、言っているだけです。 切り文でしかありません。では、日顕上人は”悪意をもって”言っているだろか? 全文をきちんと読めば、いかに民衆を救いたいとする。大慈悲の心が分かります。 では、この御指南のあと、日蓮正宗はどうか?折伏により、この10年で、約20万増えています。実際多くの学会員が脱会し法華講として、改めて信心しております。 まさに佐渡御書のように 「日蓮御房は師匠にておはせども余にこは(剛)し我等はやは(柔)らかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなつり鳥鵠(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)をわらふなるべしわらふなるべし」(御書583ページ)である。 慢心せずに、折伏をしなければらりません。折伏をして難にあう事は、法華経に説かれております。当時学会による、誹謗中傷を鑑みて、それら学会員を救うことがもっとも大事な事であります。この御金言は、大聖人のように強烈な布教では、命のも迫害に及ぶような迫害にあう。だから、もっと柔らかく法華経を説いていけば、悪口を言われないであろう。と言った信徒に叱責された御金言です。 このような人々は、まるではかない光の蛍が、太陽や月の光を笑い、蟻塚が華山を見下しているようなものだと叱責しております。 では、仏教者らしからぬ発言とはどういう発言をい言うか?? *「口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためなら皆な謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」 * (扶養研修所での指導=昭和51年6月1日) *「アッ、クリントン元気かしら、ああっ、そう、あのよーにね、口をうまくね、うんと、うんと人を誤魔化してね、あのー、あのー警察につかまんないように、ンフフフ、まあーいいや、ね、口をうまく、クリントン以上に口をうまくね、折伏戦でやってください。指導してください。口をうまく、口下手なんて言うのはね、時を遅れています。クリントンは口がうまかったんだから。」(ロサンゼルスアメリカSGI&関西合同総会=平成5年) * ** *「サンフランシスコの皆さん、今回は関西の交流団のがお世話になりました、ありがとうございます。サンキュー ソー マッチ。3月には、今度は中部もお世話になります。『お世辞を使っておいたほうが、コーフ、広布基金がたくさんとれる』という事を、私は声を小さくして申し上げておきます。これ言わないでね。(通訳: 「言わない?」)」(ロサンゼルスアメリカSGI&関西合同総会=平成5年) * ** * **「ぶんなぐって、ニッケンなんてその代表だつーんだ、そんな、針金でゆわいて、頭トンカチでぶったたいてねー」 (全国青年部幹部会=平成4年12月13日)* こういう発言が、仏教者らしからぬ発言を日蓮大聖人は 「仏法は体(たい)のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり」(御書1469ページ) と仰せであります。 こういう三毒にまみれた、下品きわまりない発言が日蓮正宗御法主上人が言っているというなら、是非出していただきたい!!
2010.08.03
このブログの最初の頃に、書いたと思いますが、改めて魔の通力の怖さを私の体験からかいていきます。 前回と変わっている部分あるかと思いますが、私の体験であり記憶ですので、そこは[お察しください](ユタさん真似しました。) 私が、顕正会に入る前は、ごく一般的に正月は神社で初詣しお盆や彼岸は、先祖供養というごく世間でいう一般的なことをしてました。 ですから、以前の会社で職場旅行では、神社に手を合わせたり、賽銭をしたりしてました。そして、24歳の男の厄年で、某北関東で有名な厄除けの神社(寺?)に、前厄・本厄・後厄と初詣でをしてました。 厄除けに祈願が、5千円でほかに入れると約一万です。 今思うと無駄なお金です。 私の魔の通力での体験ですが、仕事は順調になり、年収が増えました。そして、体も非常に健康でした。なんせ、この三年間は、一回も病院行かないでいました。 まさに、実経に入らざらん者は、或は魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず。(唱法華題目抄 御書233ページ) 実教=一往・附文の辺では「法華経」 再往・元意の辺では、戒壇の大御本尊である。 つまり、ニセ本尊を拝んで戒壇の大御本尊へ身口意三業相具して参詣し信敬しない者は、魔にたぼらかされて通力を現ずる。 つまりは利益らしき現象がでることもある。ということである。 この利益らしきものはまさに魔の所為であって、例えて言えば、パチンコで開店時や新台入れ替え時等に景品がたくさん出るようなものである。あれは、顧客を掴む為の演出、と言われている。 客は玉が出たときの快感が忘れられずにのめりこんで行くが、開店時の様には玉は出ず、それでも、出た時の快感の誘惑に勝てずに更に嵌まり込んでいく。 結局、最後は借金でどうにもならなくなり、人生を駄目にする。 等の例に似ている。 また、麻薬に溺れる者のようなものである。 麻薬を打ったときの快感に酔いしれていくと最後は心身ともに滅びる。のと同じで、そして、三年してとうとう身を滅ぼすことが、おきてきます。 この三年の時が、一番絶頂期でした。資格試験合格。恋人(夏川純似)ができたりと人生で一番絶頂期でした。 だが、仏法は、百日、一年、三年と言います。三年で自分自身の魔の虜です。 日淳上人 宗教の利益はその根本に尊崇し奉る本尊の正邪により且つその説かれる教法の正邪によつて分かるるのである。 本尊と教法が正法である時利益は期せずして現ずるは理の当然であつてその利益は又正しいのである。 若し教法が不純であり邪法であるならば仮令(たとい)利益をいふもそは必ず不純であり邪道の利である。 故に宗教に入るには唯その利益を見て決するは冒険この上なしといはなければならぬ。 故に宗教選択の道は利益を先とせず法の邪正をもつてなさねばならない。 日蓮大聖人は、「但し法門の邪正をもつてただすべし、利根と通力とにはよるべからず」と仰せられてあるが此れが宗教選択の要道である。 利根とは人間の智慧才覚に任せていふその言葉によるを指し、通力とは不思議なる力のみを以て神仏を計ることである。 此等は共に斥(しりぞ)けなければならないのである。 仏法のよる。間違った信仰、間違えた宗教のよる。魔の通力は、絶頂から、いきなりどん底まで、落としました。 それは、仕事はガタガタになり、恋人と別れる事になり、さらに、その寂しさから、悪徳出会い系にだまされ(返金されたが、これも魔の通力か?) どん底は、一年続きました。恥ずかしいが、原因不明の浮腫みが男の大事なもの[お察しください]に、出来たり(陰茎部肉芽症というらしい??)、薬代金が大変でした。 お金は無くなる。変なのにだまされたり、原因不明の病気(?)になったりと大変でした。 そのときに、顕正会の勧誘です。最初サークルみたいなのと言われて、記入されて、いきなり勤行で入信言われるがままして、またまた、魔の通力です。 仕事の休みが希望に叶ったり、懸賞に当たったりとありました。 これが、魔です。 こういう。仕事が順調だったり、健康だったり、はたまた、恋人ができたりというのは、どの宗教でも言っている事であります。 私は、まだマシな方でした。 「一分のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。魔王・魔民等守護を加へて法に験(しるし)の有る様なりとも、終(つい)には其の身も檀那も安穏なるべからず。」(諫暁八幡抄 御書1531ページ) 【通解】魔の通力によって出てくる功徳らしきものは何か当座は叶ったようなことがあるようでも、天にも地にも知れ渡るような、事の一念三千の法理にかなって法界に遍くような、真の祈りの成就というようなことにはならない。魔王や、その眷属である魔民が守護して、邪法である仏法でも祈りが叶うようなことがあったとしても、最後にはその邪師の身も、それに付き従う信者たちも、真の幸福境涯は訪れないのである。それどころか、安心して生活できないような境涯となる。 安心した生活が出来ないまでのどん底に行く前に気づいたのです。 私の日記になたら言っている。学会員がいますが、早く魔の怖さを知り、早く脱会してもらいたいと思います。
2010.08.02
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