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今年も残すところ後、数時間となりました。今年は、年初めに風邪をこじらせてから、波乱な一年と思っていたら波乱な一年でした。広布前進の年。私自身今年最初は、仕事で勤行ができない日が多かったです。仕事に追われる一年でしたが、折伏に近所の学会員を中心にし、一人顕正会を辞めたいという方が、日蓮正宗に入りたいというところまで、行きました。私のネットの縁で、一人自ら寺院に行き御授戒をしたりと、折伏に勢いがきております。来年は、折伏・信心とプライベートにと充実する一年にと思います。最後の最後にきて、パソコンが壊れてしまいまして(泣)中古でタダのパソコンでしたからね。実家からパソコンを借りて書いてます。では、よいお年を~
2010.12.31
某サイトで、数人くらしか見てなかろうところで騒いでる某hide氏は以下を言っている。>>何が失礼だよ。失礼でも何でもない、「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊が日蓮造立の本物か、後世の偽作かを解明することは、重大な問題だよ。散々論破された内容をネットに出すのが、恥です。>>だいたい日蓮正宗は「本門戒壇の大御本尊」や「相伝書」「血脈」なるものを楯にとって、毎年のように数千億円もの莫大なカネを信者から集めているばかりか、これを信仰しなければ地獄に堕ちるなどと言う脅迫を以て布教しているではないか。まず、瞋るは地獄だと日蓮大聖人が仰せです。カネ集めなら、赤字ならいいのでしょうか?また、信者以外お金を取らない日蓮正宗です。アンチたる某hide氏から、一円たりとも貰っておりません。いくら入ろうが、世間に迷惑かけてないわけであり、たかがアンチに言われる筋合いはない。折伏で相手を救いたい気持ちで言う事あるでしょう。だが、全員が全員ではないし、一部の人を持って決めつけはいかがなものか?たまに学会員に言う事はあります。現証云々を言うのが学会ですから、たまに言いたくなくとも言う事あります。>>こんなことをやっておいて、「偽物だ本物だなどの議論は失礼だ」とは何事だよ。論破された内容を引っ張り出して、ネットだけで騒いでるのは、失礼だと思います。自分自身の研究に自身あるなら、公開法論をしてください。ネットでしかできないのは、意味ありません。>>これはまさに、偽作論に対する反論不能に陥ったあげくの降伏宣言と解釈します。いつもの勝手な勝利宣言です。さすが自分自身の都合ルールだけあります。前にも出しましたが、日蓮正宗の戒檀の大御本尊が、ニセならばと説明をしました。日蓮大聖人は『佐渡御書』に、畜生の心は弱きをおどし強きをおそる。当世の学者等は畜生の如し。智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる。諛臣(ゆしん)と申すは是なり(新編御書579・全集957)大聖人は畜生界の境界について御教示と拝します畜生の命は、私達の心にもあり縁にふれてあらわれます自分よりも弱いと見えたら強気になり、強いと見えたら弱気になる気持ちが、私達の心にある畜生界の生命ですそして正法を軽んじる今の学者などが、畜生界の命を露呈した境界であると感じますさらに智慧のある者には、弱点を見つけては軽んじて馬鹿にし、それでいて王法などの権力者による邪智には恐れる命があります。下心があり言葉巧みに機嫌をとるような命も畜生界の心であると感じます。私達は畜生界の命が縁にふれ、あらわれないよう心がけることが大切でしょう。
2010.12.30
今日は、朝から忙しかったです。今日は、いろいろ用事入ってまして、大掃除をしたり、警察に言ってきたりと忙しい一日でした。 仕事も冬休みに入りました。今年は年末は、実家に明日帰ります。元旦は地元寺院にて元旦勤行に参加し、元旦はゆっくりちびちびと呑んで過ごし予定です。 二日は、任務にて登山します。 年明けから、私は功徳です。 今年は、いろんな事がありました。勤行が全くできなかったし、正月から風邪拗らすなど、年明けから波瀾してました。 来年は、仕事もプライベートも信心も充実した年にしたいと思います。
2010.12.29
誕生日に友人から、メッセージがありました。この場を借りて御礼申し上げますm(__)m 私は、一ヶ月早く生まれたので、体重は2500グラムでした。 今、実家でチワワを飼ってますが、チワワのチビは、体重が5キロあります。 二倍でございます(笑) 仏教は、因果です。私は、法華経に縁がありまして、両親は当時の学会に折伏されてました。 私が生まれてお宮参りの神社には、なんと法華経が納められてました。 法華経に縁があるだと思ってました。 今日は、仕事でした。今日は、官庁御用納めですね。私も今日で仕事終わりです。 明日は、大掃除です。忙しい一日になります。
2010.12.28
昨日、ユタ氏のブログにて第三者から見た日蓮正宗、顕正会、創価学会の事を知りたいとあった。 第三者から見れば、醜い争いです。 私も顕正会時代。入ったばかりで何も知らなかったときに、学会と日蓮正宗のシアトル裁判や芸者裁判をネットで見ていて、醜い争いだと思ったものです。 私は、ネットでなく現実に正信会の寺院に間違って行っていろんな話しを聞いた。 第三者は、上っ面しか見ていない。日蓮正宗の伝統や教義は知らない。知らないなら、醜い争いだと思うのは当然です。 正本堂建立の時の妙信講(顕正会)の事や、五十二年路線のときの学会。正信会の問題。一つ一つが、実に細かい仏法の教義を知らないなら、これらは、第三者から見れば醜いくだらない争いです。 だが、後何年かしたら日顕上人の決断は、宗教界にて必ず評価されると思います。 前にも企業を例にしたし散々出してきた。日蓮正宗が金儲けをする為に折伏をしてきたならば、学会を破門する必要は全くないわけです。 昔から全く変わらない。教義で正しい流れを守っているのです。 その証拠に、今の大石寺を見れば、学会時代の建物は、大講堂だけになりました。 学会を破門にして、これだけ発展をしてきたのです。
2010.12.27
今年は、日蓮正宗各布教区では、布教区ごと請願達成をしてます。折伏に勢いがついてきていると感じます。 私は、今年は仕事に追われてしまい。個人の請願達成にならなかった。 今年は、私の縁で悩める顕正会会員が、あるサイトを通じて自ら日蓮正宗のある古希末寺に自ら、正法を求めて御受戒をした。 また、今地元で顕正会を辞めたがっている方が、決定(けつじょう)をしているので、来年には、本山に連れていけると思います。 来年の計画は、年末にたてなけるばなりません来年こそは、自分自身の請願達成をしたいと思う。 折伏をすると、私生活も違ってきます。 仕事も順調で、早くも年明けから、重要な仕事を任せられます。その重要な仕事は、まだ、一週間くらいしかしてないのですが、不安があります。 勤行と唱題を根本に勢いをつけたいと思います。
2010.12.26
私の誕生日が、28日なので幼いときから、誕生日祝いしかした事がなかったから、それが昔から当たり前だと思っていた。 だから、小さな頃の思い出は、ないです。 中学生のときは、部活に夢中でした。高校生の頃は、クリスマスにスキー場へスキーしてました。 長野県へ朝早くから行ってました。恒例の行事でして、先生方は、夕食にお酒入ってましたし(笑) 未成年だった私たちは、禁酒禁煙でした。無礼講のクリスマスパーティーをして、馬鹿やって楽しかったですね~ その時の写真を見ると青春を感じます。 自分自身の結婚披露宴でスクリーンで絶対に使いたい青春の1ページです。 社会人になってから、自分自身で稼ぐようになってから、友達とクリスマススキーをしてました。 ここ数年、私が仕事でしたので、クリスマススキーに行けずです。 雪を見ながら、温泉、そして地酒を飲む。これが最高です。 エセ聖者のキリストの誕生日を祝うなんて、キリストの生涯を知ると、馬鹿らしいです。 考えてみてください。 キリストが神の子ならば、張り付けにされて殺される事はなかった。 キリストは、神を我を見捨てたもうたかと言った後に、全て神に委ねますと言い直している。 そんなキリストの誕生日なのです。 日蓮正宗にて、仏法を学ぶよいになって、キリスト教を調べたりキリストの生涯を調べたりしていると、こんな人物を何故?祝うの? めっちゃ不思議なんです。 キリスト教の破折は、また、気が向いたら出していきたいと思います。
2010.12.25
仕事で私は、いろんな家に行きます。 綺麗に部屋を片付けてある家もあれば、逆にゴミを散らかし放題の家もあります。 私、人の事は言えないくらい部屋が汚いときありますが、それはないだろうという家やアパートを沢山見ております。 私、三回お客様の前で嘔吐した事あります(営業マン失格です) 私、臭いだけは敏感でして、自分自身の部屋でも生ゴミや下水の臭いがするだけでも嫌なんで、週一で除菌してますし、生ゴミは捨てるようにしてます。ちなみに、私の部屋は、線香の臭いがスゴイ事になってます。 よくニュースで、ゴミ屋敷とかやってますが、よく住めるな~と思ってしまいます。 私の今の部屋は、1DKですが、普通の2DKの広さがありまして、引っ越しのときに、使わないもの全て売って引っ越し費用にしました。 引っ越しして思ったのが、使わないのは、捨てる。余計な買い物や衝動買いはしない事です。 昨日ですが、あるお宅にて、使わないオーディオが三つそして、ラジカセが、二つ、カセットテープやら何年も聞いてないだろうCDが沢山ありまして、そのお客様が、部屋片付かないだよね~と言っていたので、全く使わないのは、売ったほうがいいですよ~と話しましたが、納得してないようでした。 あまり、物に執着してもね。 この間は、5.1chのホームシアターシステムを売ってもいいと言われましたが、内心欲しいと思ったが、トラブルの元になるので断りました。 仕事して、いろんな方々がいるのだと感じます。
2010.12.24
今、街ではクリスマスの電飾であふれてます。 毎年思う事ですが、今エコだと騒いでる中で、電力会社もエコを呼びかけてる中で、あれは無駄なエネルギー消費だと思う。 いくら、LEDだからと言っても一晩中つけているわけです。それが、今やる人が増えてきている。 鮮やかで、見ていて綺麗なのだが、クリスマスってようは、キリストの誕生日祝い。 全く信仰と関係なく、やっている。 地球のために考えるならば、あんな電飾は辞めるべきであろう。 そもそも、キリストを祝う気持ちないならやる意味すらない。ただの環境破壊でしかない。 と私は、毎年のように思っているわけです。 車も電器製品も、何でもエコになっている時代に、矛盾を感じてしまう。 今、あの電飾してる家庭が、無くなるだけで二酸化炭素わずかだろうが、削減ができるわけです。 私も、エコに気を使い。無駄を無くす努力をしてます。エアコンの設定温度から、コンセントまで、出来るエコに常に心がけてます。 民主党が打ち出した。二酸化炭素削減。政府だけでなく、私たちも地球の未来を考えるならば、小さな事から、エコに心がけていくべきでありましょう。 エコに心がけると、二酸化炭素の削減になるし、無駄なエネルギーを使わないから、おサイフに優しいのです。 ちなみに、私の一ヶ月の電気代の平均は、三千円とちょっとです。
2010.12.23
あるSNSサイトで某hide氏は、相変わらず同じ内容を繰り返している。 実にくだらない事です。散々論破された内容を恥ずかしくなくよく出せるものだと、呆れております。 私もあまり、現証で云々を言うのは、好きではないが? もし?日蓮正宗の戒檀の大御本尊が、ニセならば、創価学会や顕正会みたいに世間を騒がせる事件をずっと起こし続けていたでしょう。 鎌倉時代、弘安二年から今の平成の時代までにおいて、日蓮正宗を信仰したからと言う理由で、事件って、全く存在しないのです。 つまり、日蓮正宗から出している。ニセ本尊についての書籍や学会破折の書籍からして、日蓮正宗がニセ本尊を拝ませてるならば、学会や顕正会みたいに、事件を起こしてるでしょう。 実際に、反乱を起こした事もなければ、当時の権力に従ってきた事をしているわけです。 念仏宗みたいに、一揆したわけでもない。 現在において、学会みたいに様々な事件を起こした事はない。また、顕正会みたいに監禁やらなんやら警察沙汰の事件を起こした事がないわけです。 これらは、散々出してきました。ニセ本尊と間違った仏法からです。 現証にはしかずです。 日蓮正宗が、ニセ本尊を作って嘘を広めているならば、文証に照らして矛盾になります。 前にも書きました。日蓮正宗が正しい理由は、拝む対象たる本尊が正しいからです。 本尊が正しいから、日蓮正宗が正しいのです。 いくらhideやら、湘南某が、戒檀の大御本尊がニセだと騒いでも、現実に戒檀の大御本尊を崇めてる我々の不自惜身命の信心において、学会や顕正会のような事をしてないわけです。 このブログにて、書き込み可能にしました。だが、書き込みは法華講のみです。 私に意見あるならば、直接このブログの掲示板か、直接メールにてください。 nshokekoh-hidemi@hb.tp1.jp ネットでグダグダ討論せずに、直接にいたします。ネットの討論は、降魔の剣を見てもくだらない事の言い合いです。 本当の勇気あるならば、ネットでなく、直接でしょう。できないなら、ネットでも黙るべきでしょう。 私も忙しいので、メール返信には、一週間かかる場合があります。法華講以外のブログ書き込みは、アクキンにいたします。
2010.12.22
創価学会では、呪いの唱題をしているの”だそうです。” 日顕上人が乗った飛行機が落ちるようにと祈念したりして”いるそうです。” 仏法は、相手の幸福を願うのが、正しい仏法である。 だが?創価学会は、何かにつけては、撲滅唱題をしているという… 他人の不幸を願うのが、正しい宗教のわけがない。 一昨年の日蓮正宗の決起大会や去年の七万五千名大結集総会でも、失敗するように祈念していた”そうです” 他人の不幸を祈る創価学会です。矛盾ですね~ 聖教新聞では、友情や平和と言うが? 逆に日蓮正宗では、救う事を目的に折伏してます。救う事をしないなら、折伏ではありません。 このブログに、”学会らしき”足跡があります(゜▽゜) 日顕宗撲滅唱題会なるものをしている。創価学会そもそも日顕宗なんて、宗教団体は… この世に存在しませんから! くだらない(´ε`)そんな事をしているのが、創価学会なのです! 平和や友情なんて、表向きなだけで、実際は、学会に逆らうなら、仏敵という。矛盾を矛盾と感じない創価学会。法華講と聞くと逃げる創価学会。 創価学会は、落ちるところまで落ちたて感じます。実際に折伏に行っても、話しにならない。 学会に疑問を持っている方、早く創価学会を脱会しましょう。 学会本部や私が住む地域では、私の撲滅唱題会をしてるのかしら~?だいぶ日蓮正宗のリーフレットと、チラシ入れしてますからね!(^^)! 最近、私めちゃくちゃ仕事も何に関しても、やる気満々なんです~(#^.^#) 気になるわ…
2010.12.20
信心は、難しい。簡単な修行ではありません。 誰でも簡単にできるなら、簡単に広宣流布は達成される。 簡単でないから、「難信難解」であります。 このブログに何回も出してきました。 だから、退転してしまうし、私もいつ退転してしまうか?分からない信仰です。 昨日も書いたかま、あの人があーだから、こーだからと言う理由で、退転は信仰でも何でもありません。 日蓮正宗の御受戒の儀式で、御本尊様の前て信仰を保ち奉るべしと、祈念いたします。 信仰をしているのですから、人がどうたら、こうたらは、はっきり言って関係ない事です。 人を見ての信仰ではないです。依法不依人ですから、人がどうたら?あーだからと人を見ての信仰ではありません。 去年な夏に樺太に渡った。不倫をした僧侶の決心を書きました。また、日尊師についても書きました。 こういう信仰が、私は正しい信仰のあるべき姿だと思います。
2010.12.18
折伏と言うと、世間から見たら、勧誘だと言われる。 我々は、折伏は布教活動であり、正法たる日蓮大聖人の仏法。三大秘法を広める事である。 折伏は、我々の修行の一つです。この正しい仏法を、人々に実践して欲しいために、折伏しております。 自分自身の罪障消滅の為だけでなく、相手にも正しい仏法の実践して欲しいために、折伏してます。 折伏なんて簡単なものではない。中には勤行をしてる姿を見せれば?とか、相手に合わせて柔らかく行うとか?そういう簡単な事で、折伏にはならない。 佐渡御書で、大聖人様はきつく言われてます。 相手を本気で救いたいならば、必死に折伏をするしかありません。 ネットを見ると、法華講の同志に対し、あの人のやり方はおかしいとか、あの人はダメだとか? 以前、書いたが折伏は人それぞれやり方があると思う。それに対し口出しをする事ではない。 人の折伏のやり方をネットでグダグダ言うなら、自分自身で、必死に相手を救っていこうとする。命懸けの折伏をすべきでしょう。 「烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)わらふなるべし、わらふなるべし」(佐渡御書・御書583ページ) 烏鵲が、鳳凰を笑うようなものだと言われてます。 他人をグダグダ言う。私はこの御金言の通りだと思う。 ネットで、必死にYouTubeや掲示板で、破折している同志をグダグダ言うのは、おかしい事です。 相手を救いたい。その気持ちは、ネットでは分からない事です。ネットで分かるならば、昔に顕正会も学会も撲滅されてます。 現実に相手に話しても、理解されないのと同じです。現実に理解してくれるならば、日蓮大聖人はあんな大難はなかったはずだし、昔に広宣流布されてます。 それだけ、折伏は難しいのです。
2010.12.17
拝む対象が正しいから、正しいのである。 稲荷信仰は、狐を拝む。また、全国には犬、蛇等畜生を神とする信仰が沢山あります。 また、架空の仏を拝む。念仏や真言宗が正しいわけありません。 今、宇宙戦艦ヤマトの実写版が大ヒットしてるが、架空の話しだ。初代艦長沖田十三は、ヒーローだが沖田十三を神だと拝んでいるのが、念仏や真言宗です。 昨日、ニセ本尊には魔や鬼がいる事を書いた。 学会や顕正会が、間違えてる理由は、ニセ本尊を拝むからです。 例え学会に、本物の御本尊があるとしても、間違った信仰をするならば、正しい本尊にならず、魔が住むのです。 今の学会の本尊は、文字を改ざんし、授与書きを削除しているような代物です。 大聖人様の顔に落書きしてるのと同じです。そこに、間違った信仰をしていたら、不幸になるのです。 顕正会も変わらない。よく顕正会は、遥拝してるからと言うが? 遥拝していても、日蓮大聖人に向かって、誹謗をしてるのが、顕正会です。 短絡の勤行をして、間違った信仰だからです。 何故ならば、三宝一体だからです。 学会も顕正会も、僧を誹謗する。それは、戒檀の大御本尊を誹謗をし、日蓮大聖人を誹謗している。大謗法なのです。 三宝を誹謗している。団体が正しいわけありません。 三宝誹謗をしてる現証が、今学会にも顕正会にも、出てるわけです。 先日に、私は登山いたしました。 時間があったので、典礼院に行き。顕正会や学会が誹謗する。歴代上人のお墓参りをいたしました。 ニセ本尊にされてる。日寛上人、顕正会の御本尊たる。日布上人、日詳上人、戦時中に亡くなった。日恭上人。 そして、顕正会が誹謗する。日達上人を最後にしてます。 僅か、半年しかいなかった顕正会ですが、日達上人に大変申し訳ないという気持ちで、また、学会問題に苦労していた事を思い。きちんと、題目三唱してきました。 本当は、全部お参りしたいのですがね。ゆっくりした登山ができるようになったら、全てお参りしたと思う。
2010.12.16
ニセ本尊については、このブログに何回も出しております。 ニセ本尊には、魔がいて鬼がいる。恐ろしい本尊です。 学会を脱会した方々は、あの本尊を拝みはじめてから、おかしくなった事や、いろんな不幸の話しをします。 ニセ本尊は、怖いものです。私は見るだけで、頭痛がします。 一般からして、同じ本尊に見えるでしょう。しかし、同じ本尊だと言っても、実際に学会員による事件は異常なくらいに多い。倒産したり、病気やいろんな不幸を体験しています。 【破折】創価学会発行のニセ本尊に「魔・鬼神」が棲み憑く理由。(「開眼義」を用いず論証する方法)■釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。(身延山付嘱書)■日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典379)■凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。(←唯授一人・血脈相承の御法主上人を謗る輩は「謗法」)日寛上人が戒壇の大御本尊を書写された御本尊は一機一縁ではあるが真正の御本尊である。が、その御本尊を、唯授一人・血脈相承の法統を侮蔑・嘲笑・否定する「不法」で、「非法の衆」である創価学会という団体が、その謗法者の命により、写真撮影し、文字を削除・修正・補筆などし、全体の画質調整、などして好き放題に弄んで発行する印刷曼荼羅は、もはや日寛上人の書写された真正の御本尊ではなく、ましてや「日蓮が魂」など間違ってもお住みではない。仏の御魂が住まわれない本尊状のモノは、そのに魔・鬼等が住み着くのである。【文証】■世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。(立正安国論 文応元年七月一六日 三九歳)↑一往国土に約した仰せであるが、再往、その意義を拝考するに、「謗法を為す所には、諸天も居らず、仏・聖人も住まない。故にその所には、魔や鬼が来たって、災いや災難を起こすのである。」との意であり、これまさに、真正の御本尊に背き、人を欺くニセモノである創価学会発行のニセ本尊(に、限らず、世の一切の邪な本尊)に「魔・鬼神」が篭るという原理である。(樋田氏のホームページより) 実際、日蓮正宗に学会から入った方々、日蓮正宗の正しい本尊に変えてよかったと話します。 日蓮正宗が正しいのは、本尊が正しいからです。正しい本尊だからこそ、今の日蓮正宗の近年まれにみる大発展があるわけです。
2010.12.15
ネットを見ると、学会がどうたら、顕正会がどうたらと騒いでおりますが、ネットで騒いだところで、何の解決にもならない。 だって、これら団体は正しい仏法から、掛け離れた。異なる流れをしてる。ただの新興宗教であり、日蓮大聖人の教えに反する。異流義団体です。 日蓮正宗入門という。日蓮正宗から出している。本がございます。仏教の誕生から、日本の仏教の歴史から現代までの事を簡単に説明された本です。 日蓮正宗に歴史において、日蓮正宗に他宗教から改宗した輩らが、日蓮正宗に逆らった歴史もあります。 これら異流義は、今の学会や顕正会と同じ事を言っている団体です。これら団体は、折伏により絶滅したのです。 創価学会と顕正会を無くす為には、やはり折伏しかございません。 間違った誤った考え方しかない。異流義は、折伏しかございません。 私も今、学会を中心に大折伏を展開しております。 私たち法華講が動けば、日本は変わる。御法主日如上人猊下の御指南です。 不自惜身命で、どんどん恐れる事なく、四年ちょっとしたら、日興上人生誕770年に向けての御命題を頑張っていかなければならないのです。 今年、残りわずかですが、年末忙しいですが、来年に向け、今年のうちにできる事をしていきたいと思います。
2010.12.14
昨日、今年最後の登山でした。 去年と比べ、今年は登山した数が少ない。 来年は、今年の反省を生かせる登山にしたい。 二日前に今年の登山を振り返ってみました。 丑寅勤行に参加してない( ̄▽ ̄;) 正宗信徒として、有り得ない!! 夜に出発、年末だから混んでいるし、工事もしていた。間に合わないからと思ったが、何とか余裕ある時間に到着。 何回も丑寅勤行に参加しているが、待っている間に足がしびれた(泣) う~ん。どっかの名誉会長と同じだ(泣) 一年ぶりに丑寅勤行。引き題目がなんか、長く感じた。 こんなに長かったか… 日達上人は、スッゴく長かったらしいです。私は肺活量あるほうだが、一回の引き題目で全く続かず… 丑寅勤行、やると清々しいです。 短絡勤行の顕正会や学会には、分からないだろうな~ 丑寅勤行の後、花の湯という温泉施設へ、そこには仮眠施設があり、2時間で二千円は、めちゃくちゃお得。 一時間しか寝られなかった… 温泉に入って疲れを癒しました。 昨日は、天気もよかったし、今年最後の登山。いい日になりました。
2010.12.13
私、転職活動で色んな会社を受けてきました。大手企業もありますし、小さな企業もありました。どの会社も黒字だから、採用をしていきます。黒字だから投資ができます。私が受けた会社の中で、一回倒産をした企業も存在しますが、今は黒字になったという会社もありました。世間常識で、考えてみれば収入があれば企業として成り立つし収入があるから、運営が出来る。それを考えれば、日蓮正宗で創価学会を破門して、信徒のほとんどを失いました。いくら、宗教法人が税金免除されているといえ、多くの信者を失うのですから、会社なら赤字の急激に転落となります。貯金あったとしても必ず衰退します。まして、学会と裁判もしてましたし、阪神・淡路大震災の伴い。大客殿の取り壊し客殿の建立。正本堂解体し奉安堂の建立と大規模の工事を行ってます。常識から考えても、収入が大幅減っているのに大規模工事をするのは、一般企業ならば、倒産でしょう。52年路線のころの日達上人の御指南です。昭和49年7月27日 於 大講堂大講義室 (前文省略)それは、「正本堂」を造ってもらって有り難い。正本堂は、その時の日蓮正宗を信心している人の集まりによってその供養によって出来た建物である。だからもし学会が来なくてこっちが生活が立たないというならば「御本尊は御宝蔵におしまいして、御開帳を願う人があったら御開帳しよう」と覚悟を決めたわけです。 日顕上人は、日達上人の意思を受け継いでいたのです。こういう覚悟がないと、切れないでしょうね。3年前、総本山大石寺は私は、荒れた寺だと思っておりました。学会を大量に破門しておいて、荒れた寺だろうと・・・だが・・・あの赤い大きな門すげー!広~い!!デカイ~!富士山綺麗~!!これが、私がびっくりした感想です。この感動は忘れられないです。後で、日蓮正宗で苦労をしていた色んな話を沢山聞きました。まだまだ、私の知らない事実は、沢山あるでしょう。今、私が欲しい資料は、日達上人全集と戸田城聖氏が書いた折伏集です。これら、資料があれば真実がさらに見えてくると思います。今、私学会員を折伏をしておりますが、写真を見せると、変わったな・・・とか、懐かしいな・・・と言います。真実を知らない学会員は、沢山存在します。創価学会のここが間違っている 桜花爛漫、清涼なる総本山 (妙観講ホームページより)学会が登山していた頃より立派に 創価学会員が、かつては「魂のふるさと」とまで言って恋い慕(した)っていた総本山から離れて、はや十年の月日が流れました。 平成三年に日蓮正宗に反逆した創価学会は、会員の心を総本山から引き離すために、「総本山は荒れ放題で、ペンペン草がはえている」とか、「お山の桜の木を全部、伐採(ばっさい)した」などというウソの情報を、まことしやかに、しかも大々的に流したのです。 本紙では、幾度も、清浄な総本山の様子を写真で紹介し、学会の情報がウソであることを学会員に知らせてきましたが、驚いたことに、いまだに「お山の桜は全部なくなった」「建物は修理もされず、ボロボロの荒れ放題になってしまった」などと思い込み、嘆き悲しんでいる学会員が、全国に大勢いるようです。 つい最近も、初めて法華講員から、真実を聞かされ見せられた学会員達が、「お山は荒れ放題じゃなかったんですね」と喜び、相次いで日蓮正宗に戻ってきた、ということがありました。 学会員の皆さん!大御本尊のおわします総本山が荒れ放題になるなどということが、現実にあるわけがないではありませんか。 総本山は、今も、春になれば、見事な桜に包まれています。地元では桜の名所として親しまれ、近隣から大勢の人が花見に訪れているのです。 そして、五月になれば若葉とツツジが、秋になれば紅葉が――というように、境内地は四季折々の美しい色に包まれて、清々しさをかもしだしています。 また、建物も、頭でっかちで耐震(たいしん)性に著(いちじる)しく問題があった「大客殿」は解体されましたが、同じ所に新たに、和風建築の荘厳な「客殿」が建立されました。 この客殿は、外観の素晴らしさはもちろんのこと、将来の東海大地震にも耐えうる、建築技術の粋(すい)を集めた建物です 。 そして、客殿が建ったことで、総本山はよりいっそう、荘厳かつ清涼(しょうりょう)の雰囲気を増し、参詣者の心を安堵(あんど)感で満たしているのであります。 ちなみに、大御本尊に対し奉る信心を失うことなく、日蓮正宗に戻ってきた学会員の多くが、「今の総本山の方が、以前よりも立派で、美しくなった!」 と語っておられます。 全国にまだまだいるはずの、大御本尊に対する信心を失っていない学会員さんには、この現実に気付いて、一日も早く正しい信仰に戻っていただきたいものです。
2010.12.09
ただ今、山手線の車内から、更新です。 帰りが、遅くなるので移動の中更新です。 本日は、真珠湾攻撃をした。太平洋戦争が始まった日です。 戦争の原因は、怒りである事を何回も出しております。 よく無宗教だという方々は 、宗教が争いの原因だと言います。 だが、キリスト教もイスラム教も過去に戦争を互いにやりあってますし、それが現代も変わりません。 何故?キリスト教もイスラム教も争うか?やはり、その教えが、お互いの怒りを生み出すのです。 それを考えると、今の創価学会を見ると、日蓮正宗を悪だとして、日蓮大聖人の教えから、掛け離れてます。逆らう者は、仏敵とし争いの原因になる事をしてます。 憎しみや、欲からも怒りは生み出されます。 三毒が強いからです。 また、無宗教と言いながら、汚い言葉を使って、挑発をしたり、相手が怒るような事をしたりもします。 誰もが、平和を望みます。だが、相手を挑発したり、相手が信じるものを否定したり、はたまた、知識ないのに口出しをして、相手を怒らせたりする。 口出ししたい気持ちは、わかりますが、そういう無知で、口出しすれば、争いになります。 私も人間ですから、頭にくる事ありますし、キレる事もあります。 人を挑発しても、争いを生むだけです。それを理解しないならば、平和な解決にならない。
2010.12.08
法華講の友人と電話で話しておりまして、信心がおぼつかないというので、今年私もそういう時期があってので、基本が大切ではないか?と話ておりました。日蓮正宗の基本とは?勤行・唱題・折伏そして、寺院参詣と登山です。昔の戸田さんは、僧侶の悪口を言ってたりしていたが、基本のことはきちんとしていた人物だと思う。その戸田さんの指導を改めて紹介したいと思う。それで、寺ができた以上には、こんどはわたくしのいうことを忘れずにいてほしいのは、信心を基調にして、折伏することと、お寺をだいじにすることと、御本山へつくすことはあたりまえのことなんだからね。それが、自慢のようになっては、もう、信者としては資格が無い。いいか、もう一度言うよ。折伏することと、お寺へ尽くすことと、御本山へのご奉公は、当たり前のことなのですよ。それをしたからって、なにもエライのじゃないんだよ。で、ここに寺が建った以上には、この寺を大事にしてもらいたい。坊さんが、メシをくえんなんていうことのないように、ちゃーんとしなさいよ。それで、お正月あたりには、御本尊様へのご奉公として、餅のひときれやふたきれは持ってきて、御本尊様の前に供えるようなことを忘れりゃいけませんよ。わかりましたね。ただし、御住職をいばらしちゃなりませんぞ。お世話をもうしあげ、お寺のご奉公はとうぜんであるけれども、むかしから、悪いクセがある坊さんは、信者を家来か召使いのごとく思うクセがある。断じて、高崎では、そうあってはなりませんよ。弟子檀那と申しまして、御僧侶方が将校でありますれば、われわれは兵隊であります。しかし折伏戦という大闘争になったときに、将校が動かないからって、兵隊がだまってみているワケにはゆきません。将校をのりこえて、闘争しなければならないのです。この点を、はらによくいれていただきたい。あなた方の信心を、子々孫々までうえて、そうして、この寺が、永久に日蓮正宗の寺として栄えていくように、みんなで心がけてください。昭和29年12月15日高崎勝妙寺入仏式日蓮正宗勝妙寺 今年、折伏誓願達成の支部が多いですね。どの支部も一生懸命の勤行と唱題で乗り越えてきたと思います。これから達成する支部やがんばって折伏している支部は、沢山あります。本当にどの支部もがんばっています。やはり、基本だと思います。ここで、今年の日如上人の新年の挨拶を紹介します。 本年「広布前進の年」は、全国の法華講支部が足並みを揃え、平成二十七年・平成三十三年の新たなる目標達成へ向けて大前進すべき誠に大事な年であります。 宗門は、昨年一月三日総本山に於いて「出陣式」を挙行し、七月十六日には「立正安国論正義顕揚七百五十年記念大法要」を厳粛に奉修、次いで七月二十六日「七万五千名大結集総会」を予定を上回る七万八千四百二十三名の結集を以って見事に達成し、続いて十一月二十八日には、年末を待たず「法華講五十万総登山」を突破達成することが出来ました。 これも偏(ひとえ)に全国各支部の指導教師並びに御信徒各位の弛(たゆ)まぬ御尽力の賜(たまもの)と御同慶の至りに存じます。 一方、宗務院に布教部を新設し、その所管に折伏推進委員会を設け、末寺へ派遣して折伏について具体的に提言を行い、折伏実践の促進を図る事といたしました。 更に全国布教区を三十八布教区から四十八布教区へ細分化して、きめの細かい連絡・指導体勢を整え、次の戦いへ備えていくことになりました。 あとはその内実を図り、以って大折伏戦へ突入していくことであります。 大聖人は『観心本尊抄』に、 「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自(じ)然(ねん)に彼(か)の因果の功徳を譲り与へたまふ。四大声聞の領(りょう)解(げ)に云はく『無上宝聚(ほうじゅ)、不求(ふぐ)自得』云云」 と仰せであります。 折伏は、大御本尊に対する絶対的確信が一つひとつの所作・言葉に顕れ、その確信に満ちた言動が相手の心を動かし折伏成就に至るのであります。 また、『生死一大事血脈抄』には、 「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此(ひし)の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。然(しか)も今(いま)日蓮が弘通する処の所詮是(これ)なり。若(も)し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か。剰(あまつさ)へ日蓮が弟子の中に異体異心の者之(これ)有れば、例せば城者として城を破るが如し」(同五一四ページ) と仰せであります。 外典にも、「天の時は地の利に如(し)かず、地の利は人の和に如かず」(孟子)とあり、人の和こそ勝利の秘(ひ)訣(けつ)であることが示されています。 折伏を達成するためには、講中が一致団結して異体同心の戦いをしていくことが不可欠要件であることを能(よ)くよく銘記すべきであります。 されば、各位には平成二十七年・同三十三年の目標達成へ向けて初年度となる本年、御本尊への絶対信と強盛な祈り、さらに異体同心の団結を以って必ず誓願を達成するよう心から御健闘を祈り新年の挨拶と致します。 大日蓮・第七六七号(平成22年1月)より転載 今年、残りわずかです。最後まで基本を忘れることなく努力していきます。
2010.12.07
昨日の夜中にあるSNSサイトで、若いある学会員からメールがありました。そのプロフィールを見ると・・・親のガンや、ペットの事故死。自身は、色んな病気を抱えている・・・それでも、自分自身は学会に救われているといいました。すっごく妄信してまして、私のプロフィールに学会員からネットで誹謗されと書いているのを見て、メールしてきたようです。私は、学会員による今までされてきたこと、両親の話や選挙のことをメールしたが・・・返答は、顕正会によるものだそうです。顕正会は、学会のせいにするし・・・学会は顕正会のせいにするのか??事実、選挙のときに来るのは、創価学会です!!また、日蓮正宗寺院に嫌がらせ電話をしたり、はたまた、放火未遂をしたり・・・それは、学会員ですから~!!残念!(古!)顕正会の事件も全て、顕正会の会員が起こした事件ですから~!!こちらも残念!似た団体ですから・・・仕方ないのでしょう・・・でも、その学会員救ってあげたいですね。明らかにマイナスの方向に向かっています。「主人咲(え)み止(とど)めて曰く、辛(から)きを蓼葉(りょうよう)に習ひ臭きを溷厠(こんし)に忘る。善言を聞いて悪言と思ひ、謗者(ぼうしゃ)を指して聖人(しょうにん)と謂ひ、正師を疑って悪侶(あくりょ)に擬(ぎ)す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅(あさ)からず。」(立正安国論・御書242ページ)・辛きを蓼葉に習ひ蓼(たで)の葉というのは辛いのです。しかし、それをいつも舐めていると、次第にその辛さを感じなくなるということです。つまり悪事を習うと、それが当たり前のようになる、これを「習ひ」という言葉で表現しているのです。 ・臭きを溷厠(こんし)に忘る。この「溷厠」は便所のことであります。今日では水洗便所が当たり前ですから、そう臭くはないかも知れませんが、昔はそういうものがありませんでしたから、便所は大体臭い場所と決まっていたわけです。ところがそこに長くいると、嗅覚が麻痺してきて、その臭さを忘れてしまいます。要するにこの2つの譬えは、悪に慣れると悪であることが判らなくなるということで、つまり法然の間違った教えに慣れてしまって、それが悪であることに気が付かないということを言われるのです。 ・善言を聞いて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑って悪侶に擬す。この「謗者」というのは、仏教を謗る者、これは大変な罪ですが、それが法然であるということです。しかるに、あなたはその法然のごとき謗者を指して聖人であると思っておる。さらに仏法の筋道をきちんと正すところの正しい師匠を疑って、悪侶に擬しておる。 ・其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。そして、その迷いはまことに深く、その罪も浅くはないと、まず教諭されます。まことに理義堂々たる文言です。 ・事の起こりを聞かんとならば、委しく其の趣を談ぜん。「事の起こり」というのは、仏法の本来の起こりということです。日本における法然や、中国の曇鸞・道綽・善導等が言い出したことは、仏教を間違えてしまった臆説・邪説であり、本来の仏教のあり方というものを、元からきちんと考えなければならないという意味であります。(平成15年度第一回夏期講習会・立正安国論3日顕上人御講義集153~154ページ)
2010.12.06
先日の続きでもあります。生まれてから、私たち人間は様々な宗教の影響を少なからず受けています。信仰してなくとも、様々な宗教の影響を受けているはずです。関係ない!!という人もいると思うが、ずーと先祖をさかのぼれば、その宗教の影響を先祖から、受け継いでいるのです。行事や考えや行動は、私たち幼いころより、親から受けるわけです。 宗教は人の心と生活の全体に影響を持つものですから、一歩まちがえて邪教にのめり込んだら、どんなに立派な志(こころざし)を立てても、その結果は逆(ぎゃく)になってしまうのです。 しかも、邪(よこしま)な宗教に一度落ち込んだら、なかなかはい上がることができません。なによりも恐ろしいことは、悲惨(ひさん)なその姿に、本人自身がいまだに何も気付かず、不幸だとも思っていないことです。 このように、個人の理性をマヒさせるのが、邪教のもっとも恐ろしいところなのです。 今も非常に多くの人々が、その麻薬(まやく)のような利益に執着して、抜けられないでいるのですが、何とかしてそこから抜け出た人が、二度と宗教には足を踏み入れたくないと思うのは、当然でしょう。 しかし、だからといって、真実の宗教も邪な宗教も、十把一(じっぱひと)からげにして、すべてを否定することは、あまりにも軽率(けいそつ)に過ぎます。 それは、あたかも一部の警察官の不祥事をもってすべての警察官がそうだと決めつけたり、何人かの悪徳(あくとく)医者がいたからといって、それですべての医者を悪徳呼ばわりし、医者を拒否(きょひ)する愚(ぐ)に似(に)ています。 日蓮大聖人は、「人路(みち)をつくる、路に迷ふ者あり、作る者の罪(つみ)となるべしや」(撰時抄・御書835頁)と仰(おお)せられています。過去にあなたが邪(よこしま)な宗教にとらわれ、欺(あざむ)かれてきた原因は、あなたに正法正義を選択(せんたく)する力がなかったからなのです。ですから邪教に惑(まど)わされた自(みずか)らの不明(ふめい)を顧(かえり)みて、真実の宗教と邪教とを識別(しきべつ)する方途(ほうと)を知る必要があります。 大聖人は、宗教の正邪浅深(せんじん)を知る物差(ものさし)として、「法門をもて邪(じゃ)正(しょう)をたゞすべし。利根(りこん)と通力(つうりき)とにはよるべからず」(唱法華題目抄・御書233頁)と教えられています。 つまり、仏法の正邪は、耳目(じもく)を惑わすような通力(つうりき)によって決めてはならない。あくまでも、人々を救済できる道理(どうり)と働きと力を教え授(さず)ける法門によって決めなさい、と説かれています。 さらに大聖人は、「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証(しょう)文(もん)とにはすぎず。又道理証文よりも現(げん)証(しょう)にはすぎず」(三三藏祈雨事・御書874頁)と説かれています。 すなわち、正しい仏法を判定するためには、正しい救済の道理と、明確(めいかく)な仏の文証と、実際の功徳の現証に裏付(うらづ)けられていなければならないと説かれています。 この三(さん)証(しょう)(文証・理証・現証)によって裏付けられ、いかなる時代の人々の理性と常識にも充分対応し、真実に人を救う力のある宗教が、日蓮正宗として現実に存在するのですから、「もうこりごりだ」などと言って逃げていては、ほんとうの幸せをつかむことはできません。(正しい宗教と信仰より)では信仰は立派な人間になるためにするのでしょうか。それとも立派な人間になることとは違うところに目的があるのでしょうか。 結論からいえば、正しい信仰とは、成仏という人間にとって最高究(きゅう)極(きょく)の境涯(きょうがい)に到達(とうたつ)することを大目的として修行精進(しょうじん)することであり、その仏道を修行することによって、ひとりひとりが人間性を開発し、錬磨(れんま)し、身に福徳を具えていきますので、その過程の中でおのずと立派な人間が培(つち)かわれていくのです。日蓮大聖人は、「されば持(たも)たるゝ法だに第一ならば、持つ人随(したが)って第一なるべし」(持妙法華問答抄・御書298頁)と仰(おお)せられ、信ずる法が正しいゆえに人も立派になるのであると説かれています。 ですから正しい信仰を持(も)たずに、単(たん)に眼前(がんぜん)の名誉や地位、あるいは財産、学歴などをもって、それで仏の御意(ぎょい)に叶(かな)う人生になるわけではありませんし、そのような表面的な要件が備わっているからといっても真実の絶対的幸福が得られるわけではありません。 大聖人は、賢人(けんじん)について、「賢人は八風(はっぷう)と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)なり」(四条金吾殿御返事・御書1117頁)と仰(おお)せです。財産(利)や名誉(誉)、地位(称)、悦楽(えつらく)(楽)などによって喜んだり、落胆(らくたん)したりすることは世の常ですが、これらは世間の一時的な八風であって、この八風に侵(おか)されない賢人になるためには、より高い理想と教え、すなわち身心に強い信仰を体(たい)して仏道精進を志(こころざ)す以外にないと示唆(しさ)されています。 この八風に侵(おか)されない賢人こそ立派な人というべきではないでしょうか。そのためには生命の奥底(おうてい)から浄化し活力を与える正しい仏法をもつべきなのです。 大聖人は、「地獄に堕(お)ちて炎(ほのお)にむせぶ時は、願はくは今度人間に生まれて諸事を閣(さしお)いて三宝(さんぼう)を供養し、後(ご)世(せ)菩(ぼ)提(だい)をたす(助)からんと願へども、たまたま人間に来たる時は、名(みょう)聞(もん)名(みょう)利(り)の風はげしく、仏道修行の灯(ともしび)は消えやすし」(新池御書・御書1457頁)と戒(いまし)められています。 (正しい宗教と信仰より) たしかに現代社会は科学技術の発展とは逆に、人間性は歪曲(わいきょく)され、貧困(ひんこん)になっていますし、社会全体の混迷(こんめい)と汚染(おせん)はますます深刻(しんこく)になっています。まさしく釈尊の予言どおりの世相になっています。 社会も時代も、そして個々の人間まで汚染されつつある現代は、悪で充満しているといっても過言(かごん)ではありません。そのような中で、健全な人生を築くために発心(ほっしん)して信仰の道に入っても、始めのうちは過去からの宿習(しゅくじゅう)や因縁(いんねん)によって、また縁にふれて悪心を起こしたり、他人に迷惑をかける人もいるかもしれません。 また世間で罪(つみ)を犯(おか)した人が、最後の更正(こうせい)のよりどころとして信仰を持(たも)ち、努力することも宗教の世界なればこそ当然であります。 このような場合でも、正しい宗教によって信仰を実践(じっせん)していくうちに、悪い性(さが)を断(た)ち切り、煩悩を浄化(じょうか)し、六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)になっていくのです。日蓮大聖人は信心の功徳(くどく)について、 「功徳とは六根清浄(ろっこんしょうじょう)の果報(かほう)なり。所詮(しょせん)今(いま)日蓮等(ら)の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は六根清浄なり」(御義口伝・御書1775頁)と仰せです、すなわち正しい教えである南無妙法蓮華経を信じ唱える者は、必ず六根〔眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)〕のすべてが清浄な働きになると教えているのです。 信仰の正当性を知るために大切なことは、それを信ずる人の姿を見て判断するのではなく、信仰の対象(たいしょう)である本尊や教義の正邪をもってその価値(かち)を決しなければならないのです。釈尊は、「法に依(よ)りて人に依らざれ、義(ぎ)に依りて語(ご)に依らざれ」〔涅槃経(ねはんぎょう)〕と説いています。 信仰をしている人を部分的な表面や風評(ふうひょう)をもって批判することは誰(だれ)にでもできるでしょう。しかし批判者(ひはんしゃ)にはそれ以上に得(う)るものはなにもないのです。むしろ、正法の信者を誹謗(ひぼう)するという大きな罪を作っているかもしれません。 一方、正しい信仰を根本として、過去の悪業や弱い自分と闘(たたか)いながら仏道に精進(しょうじん)している人は、当初(とうしょ)は恥(はずか)しい思いをするかもしれませんが、将来必ず目標に到達し、真実の幸福境涯を築き、周囲の信頼(しんらい)と尊敬を集めることができるのです。 もし万が一にも、正しい信仰を持ちながら平気で悪事をなすならば、その人は仏法に疵(きず)をつける罪によって仏罰(ぶつばち)を受けるでしょう。しかしそれもまた、その人を善導(ぜんどう)するための仏の慈悲(じひ)のあらわれであり、いかなる人も必ず正しい人生を歩(あゆ)むようになるのです。(正しい宗教と信仰より)
2010.12.06
以前に、邪宗教の魔の通力を話しました。 邪宗教で、祈ったりお祓いした事で、願いが叶った!という。いわゆるエセ功徳。その後におきた。突き落としされた。苦しい体験を出しました。 本日は、邪宗教の影響についてです。 以前に話しましたが、私の実家は、浄土真宗です。母親の実家は曹洞宗いわゆる禅宗です。 幼いころから、両親に育てられましたので、その影響は両親からきます。 浄土真宗の影響も曹洞宗の影響を受けながら、育ちましたので、その性格は、どちらも影響があります。 浄土真宗は、無間地獄であり、曹洞宗は、天魔です。 浄土真宗の影響が強いと、他力本願の教えから、どうでもいいや~と思う性格や、他を攻撃する性格にもなります。 曹洞宗は、禅ですから、頑固な性格が強くなります。 日蓮正宗に入ってから、私どちらか?と言うと、禅宗が強いだと言われました。 天魔ですf^_^; なるほど… 昔から、頑固だとか、一途になると周り見えなくなるとか?いろいろ他人から、性格言われてきました。 めちゃくちゃ当て嵌まる。 頑固だしな~ 私は、お母さん子でもあったし、従兄弟もみんな仲良しなので、曹洞宗の影響は、強いと思います。 他にも今までに、いろんな謗法的な事をしてきました。生まれてから、お宮参り、長年の邪宗教による法要や、初詣や旅行でのお参りなど、いろんな謗法をしてきたので、その宗教の悪い部分が、沢山あります。 プラスして、顕正会もだから、その謗法の害毒は強いもので、三年間の信仰くらいでは、消えない罪です。前世でも謗法をしていたでしょうから、尚更でしょうね。 自分自身で、自覚してますが、めちゃくちゃ短気です。喧嘩弱いくせにです。それは、浄土真宗の影響なんだなぁ~と思います。 よく私は、熱くなるのですが、それはある意味では、いいことだけれども、熱くなりすぎて、周りが見えなくなる。 よくある事です。ネットでも仕事でもです。 誰にでも、信仰しなくとも宗教の影響は、やはり先祖代々受け継いでいるので、性格に影響は出てきます。 顕正会を半年いたけども、顕正会の影響もありますし、他の神社の影響もいろんな影響が、今の自分自身の罪障として出てきます。 この信仰を三年間したからと、全ての邪宗教の影響が消えるわけでもありません。 日々、精進だと思います。 ネットで、誹謗や馬鹿にされているからと、いちいちキレないと、よく言われます。 確かに、日顕上人も日如上人も、あれだけ誹謗されても、怒りあらわにしてないですね。 最近、リアで学会員から馬鹿にされる事は、我慢できるようにはなりましたが、まだまだ、ネットでは、ブチキレはしてます(泣)
2010.12.04
三年前、自分は折伏はしないと思っていました。そう思ったのは、たった一週間くらいで、それは、エホバが突然来た事からです。 そこから、序々にやりはじめて、やればやるほどに嫌がられる。普通に仏法から、間違いを話していくが、屁理屈を言われることもありました。折伏は、そう簡単の出来ることではないし、難しいものだと感じる。去年から学会を中心にして、折伏を展開してます。怒鳴られたり、囲まれたりと・・・引越してから、学会に加えて、キリスト系も折伏しています。経験をどんどん積まないと、折伏にならないですし、知識も必要になる。学会にしても、何故?間違っているか?ニセ本尊にしても、三宝誹謗や、過去の歴史、五十二年路線や平成の離脱問題。また、日蓮正宗の歴史も知らないとならない。営業でそうだったが、知識が無いと話が出来ない。だから、知識の勉強が必要でした。折伏も知識がないと、出来ないです。ニセ本尊を見て、何故?ニセか?きちんと説明しなければならないことが、沢山あります。キリスト系にしても、聖書の矛盾を指摘していかなければならない。どこが、矛盾か?これは、仏法と違い難しい。ここまで、よくやってこれたと思う。それは、嫌われもしてます。当然です。私は学会さんを折伏は、徒歩にしてます。噂で学会を折伏していくと、車が悪戯されると聞きましたし、友人も実際されています。だから、徒歩で行きわざと遠回りして、学会員を探しながら、寄り道して帰るという面倒なことをしてます。嫌われてしまうのは、当然でしょう。相手が信じているのを真っ向から、間違っているというのです。50代とか、60代の年上の人に、30の青二才が信仰間違ってます。とか、その信仰はおかしいというのです。それは、年下でも同い年でも同年代の人に対しても、その部分は、同じです。いくらやさしく言っても同じです。これは、私の営業の経験から言えます。仕事でもそうだったように、99パーセントは、嫌がります。本当に1パーセントしか、まともに対話は不可能です。やさしくとか、分かりやすくとか言うけれども、それで理解は難しいです。御隠尊日顕上人猊下は、 「かくて毎日の題目受持の功徳は、或る時には直ちに罪障消滅の不可思議な現証となって顕れ、また次第に積って五尺の器に充満し、おのずから化他の徳となって外へ流れ出ます」(大白法 277号) と、毎日の勤行・唱題を着実に実践することによって、必ず化他行である折伏を実行することができると御指南されています。 また、人よいうものは色々な姿がございまして、様々な善、悪、幸、不幸というなかにおいて多くの人が生活をしております。 しかも、それは今世一世だけのことであって、死んでしまったならばもはや何もなくなってしまうというように考えておる人が、世の中には非常に多いのでございます。 しかし仏法の深い因縁、因果の道理から達観するならば、それは今生一生のみでなく、必ず三世にわたるところの業というものが存するのでございまして、この善、悪、幸、不幸の姿は今世のみで尽きることなく未来永劫にわたって、そこに輪のごとく回っていくのであるということが、仏法の基本において説かれておるところでございます。 したがって、深く考えるときには、それぞれの人がその幸せというものの内容を正しく知り、それによって正しいところの道を開いていかねばならないのでございます。 その場に最も大切なことは、それぞれの志というものであります。 一人ひとりが心をもっており、その心にそれぞれの未来への方向、すなわち志というものがありますが、その志の大小、善悪によって未来がほとんど定まってくるのであります。大聖人も、そのお言葉のなかに「一切、志によることなり」ということを仰せになり、人々の幸、不幸の元は志ということが根本である、この志によって、小さい心であり、志であるけれども、もしそれが真実(まこと)の道を得るならば実に想像を絶するような大きな功徳となり、結果となるということが、この仏法の意義において説かれておるのでございます。 皆様も御承知の如く『立正安国論』のなかに、「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊(やぶ)れんや。国に衰微無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん」とお示しでございます。 この御文は実に難信難解でございます。 しかしながら、良く仏法の道理を拝するときには、まず第一に、真の仏様が宇宙法界をお悟りになる、その御境界のなかに照らされた宇宙法界の一切はことごとく、この妙法の功徳によって直ちに仏国であり、直ちに浄土であるのでございます。 ところが、そのなかに各々の因縁、果報の姿がまた存在いたしましておるのでありまして、なかには地獄、餓鬼、畜生、あるいは修羅、人間界等のなかに沈淪(ちんりん)して、その全体の法を示すところの妙法蓮華経を知らないために不幸に陥っている人々が、まことに多いのであります。 故に正法を聞いて直ちに信ずるところに、直ちに三界は皆、仏国であるという不思議な妙法の功徳が厳然として存するのでございます。 これまた、皆様方の信心の一念のなかに、尊い大きな功徳として存することを確信する必要があるのであります。しかしながら、またさらに、その一人ひとりの信心の功徳をもって毎日、毎日を修行し、自行化他の修行を行なっていくということが、”事の戒壇”を現実にこの社会のなかに顕していくということをもって、真の仏国土が建設されるのでございます。 したがって一念の信の当体において即、成仏し、その心がまた自行化他の修行となり、功徳となって、宇宙法界、世の中の一切が真の仏国土を成じていくということが、我々妙法を信受する者の絶対の信念であるわけでございます。(中略)我々の信心修行、信心の当体がそのまま即身成仏であり、仏国土の境界をもつところの深く尊い当体であると同時に、それをさらにまた、自行化他にわたって修行し、正法を弘通していくところに真の大聖人の末法万年にわたっての一切衆生成仏の御化導があることを深く考え、我々はともに三大秘法の御本尊を受持し、いよいよ一生成仏のため、未来永遠の成仏のために自行化他、広宣流布に邁進することが肝要でございます。第六十七世 日顕上人御指南(大日蓮 昭和五十八年十一月号 専光山慈本寺 落慶入仏法要の砌)妙教 2005年3月号よりと、御指南があります。現実でも、色々私の噂や憶測が流れているようです。今年は、去年以上の折伏展開をしてますので、めげずにがんばっていきたいと思います。この努力で、あと少しで、決定(けつじょう)になりそうな方もいます。嫌われても、がんばって折伏していきたいと思います。
2010.12.02
今日で、日蓮正宗に帰伏してから、三年となりました。 ここまで、来るのに沢山の苦労がありました。 三年前、仏法のぶの字もわからなかったのが、学会員相手に折伏しているのですから… 三年は通過点です。これからまだまだ、いろんな事を学んでいくし、学んでいきたい。 ある御婦人に言われた事をいまだに覚えてます。 「この信心は二十年やらないとわからんよ。兄ちゃん若いからええな~」 まだ、入信半年のとき、二十年か~と長く感じました。 一生修行をしていかないとならない。信仰でもあります。 これからが、大変な事があるでしょう。 「法華経の信ずる人は、冬のごとし、冬は必ず春となる」(妙一尼御前消息・御書832ページ) この御金言が、励ましでしたね。 後、十七年… 長く感じますが、二十年後は、仕事は、現役バリバリの年齢です。 法華経にあるように、私も退転をしないとは、限らない。 疑惑を持って、逆に日蓮正宗を攻撃するかも知れないが? そうならない為にも、日頃からの勤行、唱題、折伏をしていかないとならない。 今年は残りわずか、最後まで諦めないで、折伏をしていきたいです。 先日、嬉しいことがありました。春にあるサイトでメールして、顕正会を辞めたがっていた人が、自ら日蓮正宗寺院に行き、御受戒をしました。 自分の所属寺院に縁できなかったですが、その人に紹介した寺院は、由緒ある古い寺院。 勇気を持って、寺院に足を運んだ事が、素晴らしいです。 三年前の私もそうだったが、中々寺院に足を運ぶって難しいです。 スッゴい勇気だと思います。なんかね。寺院に行くって、勇気いるですよね。ただ行くだけで勇気が必要なんです。 さて、残りわずかです。頑張っていきたいと思います。
2010.12.02
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